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hellog〜英語史ブログ / 2012-05-18

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2012-05-18 Fri

#1117. 印欧祖語の故地は Anatolia か? [indo-european][archaeology][map][pictish]

 [2011-01-24-1]の記事「#637. クルガン文化印欧祖語」で,印欧祖語の故地について,現時点で比較的有力な Gimbutas による説を紹介した.ウクライナ,ロシア南部,カザフスタンのステップ地帯に栄えていたクルガン文化 (the Kurgan culture) の担い手が,紀元前3500--2500年ほどの時期に東西への拡散を開始し,行く先々の先住民を矢継ぎ早に武力征服していったという筋書きである.
 これに対して,考古学者 Renfrew は一貫して反対する論陣を張ってきた.Renfrew によれば,紀元前7千年紀までに遡りうる印欧祖語は Anatolia あるいは中東に端を発し,農業の伝播と相俟って民主的・平和的にゆっくりと各地に根付いていったという.Gimbutas 説と Renfrew 説は,故地,時期,言語拡散の方法のすべての点で真っ向から対立しており,印欧祖語を巡る議論としては,現在,最も注目すべき論争である.以下,Renfrew の主張のよくまとまった1989年の論文より,Renfrew 説の要点を示す.

 (1) 1962年に V. Gordon Childe によって初めて提起された黒海北部のステップ地帯起源説が,近年 Gimbutas により補強され,多くの考古学者がこの説を受け入れているが,この説は,なぜ新石器時代末期に大規模民族移動が生じたかという根本的な問題に答えていない.(108--09)
 (2) Gimbutas 説が前提としているようには,考古学的遺物と民族を一義的に結びつけることはできないし,民族と言語を一義的に結びつけることもできない.代わりに,文化が変化する過程に注目する必要がある.(109)
 (3) ある地域で用いられる言語が替わる過程には4種類の方法がある.(a) "initial colonization", (b) Schleicher 的な "divergence", (c) Schmidt 的な "convergence", (d) "replacement" である.(109)
 (4) replacement には4形態がある.(a) "elite dominance", (b) invaders that "take advantage of power vacuum", (c) pidgin 化や creole 化, (d) the introduction of a new "subsistence economy" ("the coming of farming"). (110)
 (5) ヨーロッパに紀元前7千年紀にもたらされた農業は,Anatolia からもたらされた.(110)
 (6) 上記 replacement の (a) は,征服者の優れた軍事技術および征服側と被征服側の双方の社会秩序が前提条件となるが,前者は Childe や Gimbutas ではあくまで仮説にすぎず,後者の確立はヨーロッパでは青銅器時代からのことである.(110)
 (7) 農耕民とその子孫が,農業による人口増加にしたがって,農業を伝播させながら移動していったという "the wave-of-advance" model が,Ammerman and Cavalli-Sforza によって提起されている(111) .農業による人口増加率を狩猟の50倍と算定し,1世代を25年,各農耕民は成人して18km移動すると仮定して試算すると,1年に1kmの速度で移動と伝播の波が四方八方に拡がるとの結論を得た.これによれば,Anatolia から農業がヨーロッパ北部にたどりつくのは1500年ほどであり,考古学上の発見と合致する.(110--11)
 (8) 実際には,農耕民移住者が先住民に農業を一方的に教えたのではなく,先住民が近隣の農耕民移住者から学び取ったというケースも多かったろう(ギリシア,バルカン半島,中欧,南イタリア以外ではこのケースだったと思われる).この場合には,言語交替の速度は鈍くなったはずである.そして,このような場合に,外来の印欧語を拒み続けて長く生き残った非印欧語が Basque, Estruscan, Iberian, Pictish などではないか.(111)
 (9) この説では,農業がステップ地帯から Anatolia へ伝播したのではなく,その逆であることを唱えているが,ウクライナに初期農耕の証拠はあり,考古学的にも支持される.(113)
 (10) 印欧語のヨーロッパへの到着は紀元前6500頃だろう.そうすると,ヨーロッパの先史はこれまで想定されてきたよりもはるかに長く連続性を保っていることになり,青銅器時代の到来にも鉄器時代の到来にも,"sudden discontinuity" はなかったことになる.(113)
 (11) The Nostratic Theory ([2012-05-16-1]の記事「#1115. Nostratic 大語族」を参照)の主導者 Illich-Svitych と Dolgopolsky も印欧祖語の故地を Anatolia と考えていた.Afro-Asiatic, Indo-European, Dravidian の話者の遺伝学的な関係が強いことも証明されており,The Nostratic Theory と 印欧祖語 Anatolia 説とは調和する.(114)

 以上の Renfrew 説のエッセンスは,次の2文に要約されるだろう.

Its [the new theory's] immigrants come from Anatolia rather than from the steppes and at a date (6500 B.C. or so) several thousand years earlier than has generally been suggested. My hypothesis also implies that the first Indo-European speakers were not invading warriors with a centrally organized society but peasant farmers whose societies were basically egalitarian and who in the course of an entire lifetime moved perhaps only a few kilometers. (113)


 印欧語の故地を巡る論争の概要については,風間の第3章「考古学からの新しい提案---クルガン文化と近東説めぐって」(99--135) が読みやすい.  *     *     *     *  

 ・ Renfrew, Colin. "The Origins of the Indo-European Languages." Scientific American 261 (1989): 106--14.
 ・ 風間 喜代三 『印欧語の故郷を探る』 岩波書店〈岩波新書〉,1993年.

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最終更新時間: 2019-06-25 04:53

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