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先日「#4826. 『起源でたどる日常英語表現事典』の目次」 ([2022-07-14-1]) で紹介した事典の「プロローグ」 (1--8) には,英語史の概略が記述されている.「英語の誕生以前」「英語の誕生」「古英語の時代」「中期英語の時代」「近代英語の時代」「印欧祖語とゲルマン祖語」「ラテン語とロマンス諸語」という見出しで端的に英語史が描かれている.
プロローグの最初では,重要な素朴な疑問「英語が世界で広く用いられるようになった理由」への言及がある.以下に引用する.
英語がこのように世界で広く用いられるようになった理由はいろいろとあげられていますが,次の3点にまとめることが可能です.
1. 英国の貿易政策と文化政策
2. 超大国としての米国の興隆
3. 英語自体の柔軟性と混種性
英語は,英国による植民地政策の結果による貿易用の商用語として世界に広がっていき,各地にある英領植民地での公用語また教育用語となりました.植民地が独立した後にもその有益性から,現地において異なる言語を話す異民族を結ぶ「つなぎ言葉」として多くの国々で使用され続けています.次の政治・経済・軍事大国としての米国の興隆ですが,米国発祥の映画・音楽・スポーツ・インターネット・パソコン・iPhone などが英語の国際的普及に及ぼした影響は大きいものでした.また,英語自体が持つ特徴,すなわち名詞の性・数・格や動詞の時制・法などが,他の言語に比較して簡単であり,学習が容易である点も無視できません.
英語の世界化を巡る日本での言説としては比較的よく見られる「順当な」理由3点のように思われる.しかし,特に第1点と第3点について私は安易に同意できない.
1点目については「政策」という柔らかい表現により,英国と英語の帝国主義的な側面を覆い隠している点が気になる.というのは,英語はそれほど「きれい」なやり方で世界語に発展してきたわけではないからである.英国の政策として成功してきたということは確かに事実だが,この表現ではあまりに英語贔屓のように思われるのである.補足説明でも「有益性」に触れているにとどまり,英語拡大の負の側面には一切触れていない.
2点目については,特に異論はない.
3点目にはおおいに問題を感じる.英語には,見方によって確かに「柔軟性」と「混種性」があるといえるのかもしれない.しかし,それゆえに「英語が世界で広く用いられるようになった」と結論するためには,客観的な根拠や本格的な議論が必要である.しかし,それはここでも,そして一般的にも,ほとんどなされていないのだ.つまり,3点目はあくまで印象論な「理由」にとどまるように思われる.
また,補足説明において「名詞の性・数・格や動詞の時制・法などが,他の言語に比較して簡単であり,学習が容易である」とあるが,これに対しては様々に反論できる.まず,名詞や動詞の形態論について「他の言語に比較して簡単」というときの「他の言語」は,おそらく同事典の趣旨からするとラテン語,ドイツ語,フランス語などの「他の印欧諸語」を念頭に置いているかと思われるが,もしそうだとするならば「他の言語」では言葉足らずだろう.世界には約7千の言語があるのだ.
次に,仮に議論のために上記の議論を受け入れるとしても,「名詞の性・数・格」が比較的簡単であるという指摘については,英語の「数」が「他の言語」よりも複雑であった/複雑であると主張できる理由はない.想定されているとおぼしきいずれの言語においても,数カテゴリーとしては「単数」と「複数」の2種類が区別されるにとどまる(ただし,歴史的な「両数」については考慮されていないという前提).あるいは,性・数・格をひっくるめた三位一体が比較的簡単だということだろうか.
さらに,この点を認めるとしても(少なくとも性と格を個別に見れば「比較的簡単」ではあるとは言えそうだ),名詞や動詞の形態論が比較的簡単だからといって,統語論や語用論など,それ以外の幾多の言語項目を考慮に入れずに,英語の言語体系が全体として比較的簡単であると主張できるかどうかは,おおいに疑問である.少なくとも私個人にとって(そして,おそらく多くの日本の学習者にとって)英語は他の多くの言語と比べても「学習が容易」な言語では決してないように思われる(それこそ印象論だと言われれば,確かにその通りではあるが).言語の難易度が客観的に定めがたいことはよく知られている (cf. 「#293. 言語の難易度は測れるか」 ([2010-02-14-1]),「#928. 屈折の neutralization と simplification」 ([2011-11-11-1]),「#1839. 言語の単純化とは何か」 ([2014-05-10-1]),「#2820. 言語の難しさについて」 ([2017-01-15-1]),「#4165. 言語の複雑さについて再考」 ([2020-09-21-1])).
以上の議論より,私は上記の3点(特に1点目と3点目)は「英語が世界で広く用いられるようになった理由」ではなく「英語の世界的覇権を容認・擁護する理由」なのではないかと考える.
・ 亀田 尚己・中道 キャサリン 『起源でたどる日常英語表現事典』 丸善出版,2021年.
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最終更新時間: 2024-10-26 09:48
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