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Eskimo ( Inuit ) 語における雪を表す語彙の話しは,聞いたことがある人も多いだろう.サピア・ウォーフの仮説 ( Sapir-Whorf hypothesis ) あるいは言語的相対論 ( linguistic relativism ) の議論で決まって出される例である.私も学生の頃に,言語学の授業や本でよく出会った.雪深いカナダ北極圏やグリーンランドに住む Inuit の言語には雪を表す語が他言語よりも多く存在するという.この事実は文化の言語への反映にほかならない.雪のように当該文化において顕点とされる概念は,細かく語彙化されるものである,という主張だ.
しかし,今ではこれがまったくのインチキ説であることが判明している.現在でも有名なこの「エスキモーの雪」の逸話は,人類言語学というアカデミックの世界で疑われることなく長々と受け継がれてきたし,一般の人々の間にも広く知れ渡ってきた.ところが,Boas や Whorf にさかのぼって情報源の信憑性を確かめ,Inuit の言語特徴に照らして再考したところ,まるでデタラメの説だということがわかったのである.学者によっては「エスキモーの雪」は400語あるとも200語あるとも言われ,48語であるとか9語であるとか,仕舞いには2語に過ぎないという説まで出てきて,そもそも何か胡散臭い議論だということは感じられる.また,この議論で Inuit 語との比較対象として持ち出されてきた英語ですら,皮肉なことに結構な種類の雪語彙があるのである.例えば,Pinker (54) は11語を挙げている.
snow, sleet, slush, blizzard, avalanche, hail, hardpack, powder, flurry, dusting, snizzling
Inuit 語は,形態類型論的には複総合語 ( polysynthetic language ) というタイプに属する.私自身は Inuit 語を知らないので詳しく語る資格はないが,この問題は,Inuit 語の文法特徴に照らして,雪を表す語の複数の異形態をどう数えるかという問題に帰着するようだ.情報源のチェックが甘かったこと,Inuit 語の精密な文法記述を無視して数ばかり数えていたことにより,誤った伝統が生き長らえてきたのだろう.いやはや,自戒しなければ.
人類言語学史上の大イカサマともいえるこの逸話は今では The Great Eskimo Vocabulary Hoax と呼ばれているが,いまだに非常に根強く語り継がれている.この Hoax がどのように受け継がれ,生き長らえてきたかについては,Martin の論文がおもしろい.
ちなみに,日本語の雪語彙についての決定版はやはり新沼謙治『津軽恋女』の歌詞に尽きるだろう.大好きな曲の一つ.歌唱力あります.しびれる.
降りつもる雪 雪 雪 また雪よ
津軽には七つの 雪が降るとか
こな雪 つぶ雪 わた雪 ざらめ雪
みず雪 かた雪 春待つ氷雪
・ Pinker, Steven. The Language Instinct: How the Mind Creates Language. New York: W. Morrow, 1994. New York : HarperPerennial, 1995.
・ Martin, Laura. "Eskimo Words for Snow: A Case Study in the Genesis and Decay of an Anthropological Sample." American Anthropologist. New Series. 88 (1986): 418--23.
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最終更新時間: 2024-10-26 09:48
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