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振り返りシリーズの過去3回の記事では,3単現の基本原理や形態・音韻変化のメカニズム,そして非標準変種における多様な実態について議論を進めてきました.第4回となる今回は,英語史における最大のミステリーの1つ,「なぜ歴史的な 3単現語尾 -eth が現代の -(e)s へと変化したのか」の謎に迫ります.音韻変化の検証および類推作用 (analogy) の視点から,この変化についての諸説を覗いてみましょう.
古英語から初期近代英語にかけて,3人称・単数・現在・直説法の動詞語尾は,現代のような -(e)s ではなく,-eth でした.たとえば,現代英語の sings や helps は,かつて singeth や helpeth のような形でした.これがなぜ -(e)s へと取って代わられたのでしょうか.語尾の母音脱落を伴うこの交替劇は,英語屈折史における注目すべき変化の1つであり,多くの言語学者の好奇心を刺激し続けてきました.
この変化について「th /θ/ と s /s/ は発音が似ているから,互いに混同されて入れ替わったのではないか」という仮説が提出されることがあります.確かに,日本語母語話者にとって両音はともにサ行音に聞こえるため,一見すると納得しやすい説明に思えます.しかし,音韻論の観点から見れば,イングランド英語の歴史において,歯音 /θ/ と歯茎音 /s/ が混同されたケースはきわめて稀でした.両音は英語の体系内において異なる音素として厳密に区別されてきたため,単に「発音が似ていたから自然に置き換わった」とする説は,音韻変化の根拠としては弱いと言わざるを得ません.
デンマークの言語学者 Otto Jespersen は,音素の汎言語的な頻度と効率性の観点からこの問題にアプローチしました.無声歯摩擦音 /θ/ は,世界の言語を見渡しても相対的に出現頻度の低い珍しい音素である(451言語中 4--5% にのみ出現)ため,言語変化の過程でより一般的で扱いやすい /s/ へと淘汰されたという見解です.実際,現代英語の無声音の出現頻度データを参照しても,/s/ が第6位という上位に位置するのに対し,/θ/ は第40位と大きく引き離されています.日常会話できわめて高頻度に表れる3単現語尾から,珍しい音素である /θ/ が避けられ,より発音しやすく一般的な /s/ へとシフトしたという見解は,言語の省力化という観点から一理あります.
より通時的・方言学的な実証に基づく有力な説として,北部方言影響説があります.中英語期,3単現語尾の子音は南部方言で -th,北部方言で -s が基本でした.北部方言では,すでに古英語期(あるいは古ノルド語との言語接触の時期)から 3単現語尾として -s が定着しつつありました.中英語期以降,人口移動や経済的・社会的交流の拡大に伴い,この北部方言の -s が南下し,やがてロンドンを中心とする標準英語の基盤となる変種へと浸透・定着していったとする考え方です.
次いで,屈折体系の内部力学に着目した構造的な説が,2人称単数語尾からの類推説です.古英語・中英語の動詞屈折表を振り返ると,2人称単数 thou に対応する語尾は -est (簡略化して -es とも)でした.この2単現の -es の形態が,3人称単数に対して,類推的に拡大・適用されたのではないか,という見解です.
もう1つの類推説は,最も高頻度で使われる be 動詞の 3単現形 is に着目する説です.be 動詞の3単現形である is は,古英語期より一貫して末尾に /s/ (ただし後には /z/)の音を保持していました.英語の動詞体系の中で圧倒的な使用頻度を誇る is の子音がモデルとなり,一般動詞の3単現語尾へと波及・類推適用されたのではないかとする解釈です.
歴史的語尾 -eth から現代の -(e)s への交代は,単一の要因のみならず,方言の交錯(北部方言の南下)や屈折体系内の類推作用,さらには発音の効率化といった複数の要因が複雑に絡み合って引き起こされたと考えるのが自然かもしれません.
明日の第5回は,エリザベス1世やシェイクスピアの時代における -eth と -s の劇的な移行期の諸相,そして語尾 -s の究極の起源に迫ります.
・ 堀田 隆一 『英語史で解く 英文法の謎 --- なぜ「3単現の s」をつけるのか』 NHK出版〈NHK出版新書〉,2026年.
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最終更新時間: 2026-08-08 18:09
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