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スペインに関係する歴史で,1492年は輝かしい.まず,年初にイベリア半島の最後のイスラム王朝であるグラナダのナスル朝を滅亡させ,ついにイスラム勢力を半島から追い払った.レコンキスタ(国土回復運動)の完了である.さらに,それと関連して得た経済的余裕により,スペイン王室はコロンブスの航海を支援することが可能となり,結果的に新大陸「発見」(同年10月)の威光を獲得することができた.そして,スペインは,その間の同年8月に言語史上にも名を残すことになった.Elio Antonio de Nebrija (1441--1522) による『カスティリャ文法』の出版である.
イベリア半島では,8世紀半ばに北アフリカからイスラム教徒が北上して後ウマイヤ朝を建てた.11世紀以降,キリスト教徒は失地回復に乗り出し,それとともに分立していた諸王国が統合されていった.12世紀,アラゴンがナヴァラとカタロニヤを併合すると,カスティリャも版図を広げ,上述のように,イスラム教徒の勢力はグラナダに限られるまでになった.そして,カスティリャの女王イサベルとアラゴンの王子フェルディナンド2世が結婚して両王国が合併し,半島に強大な国家が出現することになった.このような状況下で,1492年8月,ネブリーハによる『カスティリャ文法』 (Gramática de la lengua castellana) が上梓された.カスティリャ語は,当時のイベリア半島で最も威信のある俗語であり,今日のスペイン語の書き言葉の基となった言語である.
近現代言語史においてこの俗語文法書が出版された意義は,果てしなく大きい.国家と国語の緊密な結びつきの歴史が,まさにここに始まったからである.田中 (59--60) の解説を引用しよう.
ネブリーハはこの「文法」の序文の冒頭のところで,国家の興亡と言語の興亡とがいかに深い関係にあるかを述べ,そのことを,「言語はつねに帝国の伴侶 (compañera del imperio) である」と表現した.この「伴侶」は「つれあい」「朋友」などさまざまに訳すことができるが,注意しておかねばならないのは,帝国(インペリオ)が男性の名詞であるのに対し,伴侶(コンパニェーラ)は女性の形にしてある.それは,ともであるところの言語(レングア)が女性名詞であるからだ.つまりネブリーハは,ここで国家と言語とのきりはなしがたいむすびつきを,一組の男と女の運命的な婚姻にたとえたのである.
ではいったいかれは,何を目的にしてこの俗語文法を書いたのか.
女王様が,さまざまな異なる言語を話す多数の野蛮の諸族や諸民族を支配下に置かれ,その征服によって,かれらが,征服者が被征服者に課する法律を,またそれにともなって我々のことばを受け入れる必要が起きたとき,その時かれらは,ちょう私どもが今日,ラテン語を学ぶためにラテン文法の術を学ぶのと同じ様に,この私の術 (Arte) =文法によって,私たちのことばを理解するようになるでしょう.また,カスティリャ語 (lenguaje castellano) を知る必要のある私たちの信仰の敵のみならず,バスク人,ナヴァラ人,フランス人,イタリア人やそのほか,スペインにおいて,何か交渉や話をせねばならないとか,我々のことばを必要とするすべての人々が,子供のときから,習慣によってそれを学ぶほどにならないまでも,私のこの書物によってそれを知ることができるでありましょう.
この期においてもまたその後においても,俗語が文法を持つことの意味を,これほど明快に説明した例は他にない.「ちょうど私どもがラテン語を学ぶためにラテン文法の術を学ぶのと同じ様に」と述べられているとおり,このカスティリャ文法は,カスティリャ語を母語にしない人たちのために編まれている.それは「女王様の支配下に入って」その法律を書くことばを理解するためであり,また,カスティリャ周辺のヨーロッパ諸民族に使わせることを予定している.そして事実その通り,コロンブスに発見されたアメリカ大陸の諸族と,イベリア半島のカスティリャ外の諸地域が,やがてこの文法の支配をうけることになるのである.
実際,この書を献じられたイサベル女王は,これが何の役に立つのかと問うたとき,ネブリーハの意を汲んでアビラの司教が「言語は帝国の武器です」という趣旨の回答をしたという(中丸,p. 140).
この文法書は俗語文法書としては初のものであり,それ以降の近代期における俗語の発展と台頭を予言するものであった.これ以降,中世の長きにわたって言語的王者として君臨したラテン語の権威は,すぐにではないにせよ徐々に衰えていく.そして,このあと初めてのポルトガル語文法が1536年に,英文法が1586年に著わされることになる.後者については「#2579. 最初の英文法書 William Bullokar, Pamphlet for Grammar (1586)」 ([2016-05-19-1]) を参照.
ちなみに,ネブリーハは改宗ユダヤ人だったという.コロンブスも改宗ユダヤ人だったのではないかという説があり,この辺りの話題は興味深い.
・ 田中 克彦 『ことばと国家』 岩波書店,1981年.
・ 中丸 明 『海の世界史』 講談社,1999年.
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最終更新時間: 2024-11-26 08:10
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