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[2009-08-29-1], [2010-02-22-1]で触れたように,現代英語では(歴史的には18世紀の規範文法成立以来)二重否定あるいは多重否定は,規範文法の名の下に最も厳しく非難される「誤用」の1つである.厳しく非難されるのは,逆にいえば実際にはよく用いられるからであり,非標準変種では世界中でごく普通に聞かれる.
多重否定に対する論説はそれ自体に長い歴史があり,批判であれ擁護であれ,論説そのものがおもしろい.典型的な批判としては,マイナスにマイナスを掛けたらプラスになってしまうから否定の強調としての二重否定は論理的に誤謬だというものがある.Cheshire (114--15) は論理学に訴えるこのような批判を逆手に取り,量化の概念を含んだ論理学はもっと精緻であり,それによればマイナス×マイナス=プラスという単純な帰結にはならないと反駁する.
ここでは,多重否定の効用を2点指摘したい.論じるに当たって,最近 Chaucer を読みながら出会った "The Physician's Tale" (ll. 133--34) の多重否定の例文を示そう(引用は The Riverside Chaucer より).当時は多重否定は日常茶飯事であり,現在のように「誤用」として非難されることはなかった.
For certes, by no force ne by no meede,
Hym thoughte, he was nat able for to speede;
悪徳判事 Apius が美貌と美徳の娘 Virginia を見初め,何とかこの娘を手に入れられないかと思案する場面である.ここでは,Apius は力ずくでも賄賂によっても成功しないだろうと考えている.no, ne, no, nat と4つの否定辞が立て続けに現われており,典型的な多重否定の構文である.
さて,この場面での多重否定の2つの効用とは何だろうか.1つ目は,否定辞を複数用いることによって否定が強調されていることである.この構文の表わす意味が論理的に否定か肯定かということとは別次元で,繰り返し否定辞が使われているのだからそれだけ否定が強調されているのだという文体的な効用を評価することができる.
2つめの効用は,否定辞を特定の箇所にちりばめることで,否定の作用域 ( scope ) が明確になることである.上の例文でいえば,no が force と meede の両方に前置されているので,ちょうど現代英語の neither ... nor ... の構文と同等で,「力ずく」でもだめだし「賄賂」でもだめだということがはっきりする.もし否定辞を用いずに by force or by meede などとなっていたら,現代英語の either ... or ... の構文と同等で,「力ずく」か「賄賂」かのどちらかでは成功しない,どちらかうまくいく方を慎重に選ばなければならない,という読みが文法的に可能になり,解釈に曖昧さを与えかねない.通常は文脈によって曖昧さは回避されるだろうが,構文として両義性を回避できる術があるならばそれに越したことはない.上で論理に訴える典型的な多重否定への非難を見たが,皮肉なことに多重否定を用いることでむしろ論理的な関係が明示されることがあるという例である.
否定の論理ではなく,否定の強調と結束を全面に打ち出しているのが中英語や現代非標準変種の多重否定の特徴と言えよう.Burnley が次のようにまとめている.
If we consider this duplication of negators from the point of view of the addressee of an utterance, this apparently redundant repetition can be seen as 'negative support', since each negating item is mutually supportive of the others in clarifying the total negative character of the clause. ( 60 )
上記の2つの効用にもう1つ付け加えるのであれば,l. 133 は否定辞を配することによって弱強五歩格 ( iambic pentameter ) の韻律を整えているという点も指摘できよう.
多重否定が非難され続けて数世紀.それにもかかわらず非標準変種でいまだに一般的であるということは,規範を押しつけることの限界のみならず,多重否定の効用をもひそかに物語っているのかもしれない.
・ Cheshire, Jenny. "Double Negatives are Illogical." Language Myths. Ed. Laurie Bauer and Peter Trudgill. London: Penguin, 1998. 113--22.
・ Burnley, David. The Language of Chaucer. Basingstoke: Macmillan Education, 1983. 13--15.
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最終更新時間: 2024-11-26 08:10
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