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英語史や英語学の講義でリアクション・ペーパーを書いてもらうと「なぜ英語には○○のような不規則な現象が多いのですか」という疑問が多く寄せられます.確かに英語学習においては,不規則な動詞活用,不規則な名詞の複数形,不規則なスペリングなどが立て続けに現われ,そのたびに暗記を強いられます.すべてが規則的であればいいのにと思うのも無理からぬことです.英語を第2言語として学ぶ際にそのような不満を感じることは,まったくもって普通の感覚でしょう.
しかし,すでに第1言語として苦労なく習得してしまっている日本語を考えても,やはり不規則性に満ちています.日本語母語話者は,五段活用,上一段活用,下一段活用,ラ行変格活用,サ行変格活用を何の苦労もなく使いこなしていますが,外国語として日本語を学んでいる学習者にとっては,なぜすべての動詞が五段活用であってくれないのかと不満かもしれません.ラ変やサ変は「変格」すなわち「不規則」なわけですから,学習者にとっては迷惑でしょう.英語学習者にとっての thing -- thought -- thought や go -- went -- gone と大差ありません.
言語には不規則は付きものです.不規則性は古今東西の諸言語に普遍的な現象なのです.さらに外国語学習者にとって気の滅入る事実を明言すれば,基本的,日常的,高頻度の項目であればあるほど不規則性が高いのです.つまり,あらゆる外国語学習において初級レベルほど暗記すべき不規則性が多く,中級・上級レベルに近づいてくると規則性が現われてきます.絶望的ともいえる事実ですが,これが言語というものです.
問題は,なぜ不規則性があるかということです.ある程度の不規則性が古今東西の諸言語を通じて普遍的であるとすれば,言語においては,すべてが規則的だとむしろ都合の悪いことがあるのだと想定せざるをえません.ある程度の不規則性があったほうが,便利な何かがあるということです.では,それは何なのでしょうか.
この問題について考えを巡らせながら「作業机と文房具」の比喩に思い至りました.今,この文章を書いている自宅の机付近には様々な文房具があります.すぐに手を伸ばしたところにある机上のペン立ての中には,各種のペンのほか,はさみ,カッター,定規,ホッチキスの芯外しがあります.同じく手近なところには,ポストイットとメモパッドがあります.一方,目の前には様々な文房具を収納できる引き出し棚があり,そこには糊,セロテープ,消しゴム,クリップ類,ホッチキス,画鋲などが入っています.机に備え付けの引き出しは,どうも使いにくいためにあまり利用していませんが,開けてみると万年筆用のインク,大型ホッチキス,穴あけパンチ,長い定規などが入っています.
振り返ってみると,最初から上のような配置で文房具を整理したわけではありませんでした.長い時間をかけて,私にとって事務作業上都合のよい配置になってきたものと思われます.はさみやホッチキスの芯外しは,私にとって使用頻度が高いので手近にあったほうが便利だということで,常に至近のペン立てに定住するに至ったのでしょう.一方,穴あけパンチはほとんど使わないので,机に付属の引き出しの最も奥に眠っているのでしょう.使用頻度の高い文房具は,とにかくすぐに手に届く場所にないと役に立ちません.一方,ほとんど使用しない文房具は,むしろ引き出しの奥深くであってもきちんと整理・収納されているほうが精神衛生上気持ちよいですし,たまに使うくらいであればむしろ便利なのです.
使用頻度の低い文房具であれば「あそこの引き出し」の「奥の方」という2段構えの検索方法でも十分用を足します.たまの使用ですから,探すのに少々の時間と工程数がかかっても我慢できます.しかし,使用頻度の高い文房具はそうもいきません.きれいに収納されていなくとも,ペンやポストイットは,やはりすぐ手元になければ役に立たないのです.無造作でかまわない,とにかくアクセスするのに時間と工程数が少ないほうがよいのです.
言語使用における単語も,この文房具と同じことです.現代英語社会において一般に go (行く)と locomote (自力で動く)とでは頻度が明らかに異なります.たまにしか使わない動詞については,規則的に活用させる,すなわち locomote + ed のように計算させるという面倒にも耐えられますが,高頻度の動詞について,同じようにいちいち工程数をかけて計算させるのは,明らかに効率が悪いでしょう.go といえば went というように,かけ算九九のようにすぐに答えが出るほうが便利です.確かに最初に暗記するコストは高くつきますが,いったんそれをクリアしてしまえば,その後の毎回の使用に際して効率のよいパフォーマンスを得られます.また,語形が大きく異なることにより,言い間違いや聞き間違いの可能性が低くなるという利点もあります.不規則だからこそ便利ということもあるのです.
すべての単語が同頻度で用いられるような言語はありませんし,そのような言語が用いられる人間社会も想像できません.よく使わない単語とほとんど使わない単語が同居しているのが言語というものです.もし上に述べた仮説の通り,単語による頻度の差と不規則性が関係しているのだとすれば,なぜ古今東西の言語において不規則な現象がみられるのかが理解できます.
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最終更新時間: 2024-11-26 08:10
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