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話し言葉と書き言葉の対立について,「#3274. 話し言葉と書き言葉 (5)) ([2018-04-14-1]) に掲げたリンク先の記事で様々に取り上げてきた.書き言葉の特徴と,その特徴がなぜあるのかについて,改めて考えてみたい.
野村 (8) によれば,話し言葉と比較される書き言葉の特徴として,以下の3点があるという.
(1) 内容が整理され,文体が洗練される.
(2) 上品になる.パブリックな場の表現である.
(3) 対・聞き手表現が減じる.
(1) には,順序や論理の考慮,引き締まった表現,語彙の選択,単調さを避ける工夫などが含まれる.(2) は,言葉遣いがフォーマルになるということである.(3) は,命令・依頼・問い掛けや間投詞などが減るということである.これらは程度の問題ではあるが,確かに書き言葉の本質的な特徴といってよい.
では,なぜこれらの特徴が古今東西の書き言葉において共通して見られるのだろうか.なぜこれらが書き言葉の本質的な特徴なのだろうか.野村 (10) は,次のように述べる.
まず,話し言葉では目前の聞き手,話題の現場や共通の了解など,言葉を発する以前に共有している事柄・知識の援助が期待できる.それにもたれかかれば,特に (1) の必要性は大いに減ずる.一方,書き言葉は,話し言葉と異なって文字に定着する.それは不特定の人々の目にさらされる可能性がある.初めから人々を意識して表現される場合もある.話し言葉であっても,大勢の人々の前で話すとなると改まりが生じる.人々の目にさらされることへの意識は,重要である.しかし,文字への定着ということの最も大切な特性は,それが書き手自身の目にさらされるという点にある.
「旅の恥はかき捨て」という言葉がある.話し言葉というのはもっとひどい.それは,語るそばから消えてしまう言語である.いわば言語の垂れ流しである.しかし,書き言葉ではそうはいかない.文章を書いてみるとわかることだが,何だかよそよそしく対象化された言語がそこにあるという感じになる.それは「洗練」を行いやすくもするが,同時に洗練せざるを得ないという状況も作り出すのである.
書き言葉は必然的に書き手自身の目に触れることになり,それゆえに書き手に洗練を迫るものなのだという議論は,非常に鋭い洞察である.人に見られる緊張感よりも,必ず自分の目に入ってしまう恐怖感のほうが強いということだろうか.「#1065. 第三者的な客体としての音声言語の特徴」 ([2012-03-27-1]) の記事で,音声言語を「第三者的な客体」ととらえたが,考えてみれば,書き言葉は書かれてしまえばそこにずっととどまるのだから,余計に第三者的な客体であると考えられる.新しい書き言葉観を得られた気がする.
・ 野村 剛史 『話し言葉の日本史』 吉川弘文館,2011年.
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最終更新時間: 2024-10-26 09:48
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