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昨日の記事「#3051. 「less + 複数名詞」はダメ?」 ([2017-09-03-1]) で,「less + 複数名詞」が古くから用いられてきたことに触れた.だが,古くからの用法であるという歴史的事実は,この用法を規範からの逸脱として煙たがる保守派にとって,またそのような保守派に対抗して言語使用における寛容さを説く論者にとって,どのような意味をもつのだろうか.
そのような用法は昔からあった,だから現在でも認められるべきだ,という議論には説得力はない.議論の前半部分はさも歴史言語学に精通しており,そこに肩入れしているかのようにみえて,後半部分はむしろ言語変化を否認しているかのような言い方であるからだ.言語変化の普遍性という歴史言語学の公理ともいうべきものを理解していない.「昔は○○だった,だから今も○○であるべきだ」,あるいは逆に「昔は○○でなかった,だから今も○○であるべきではない」というのは,保守主義というよりは無変化主義と呼ぶべきだろう.
「そのような用法は昔からあった」という歴史的事実を指摘することの意義は,現在しばしば誤用として批判にさらされている「そのような用法」が行なわれている理由を考えさせてくれる点にある.たいてい言語上の誤用とされるものは,現代の話者の不注意や無教養のせいとされたり,規範遵守精神の欠如の現われであるとして非難される.しかし,少なくとも「現代の」話者にのみそのような非難が向けられるというのは,おかしいだろう.そのような用法は古くからあったのだから.実際,当該の用法が歴史的に長い間連綿と続いてきたということは,その用法が不注意や無教養の現われであるというよりは,むしろ自然な言語使用を体現していると考えるほうが自然であり,現在の現象に対する見方を再考する機会を提供してくれるのである.
「less + 複数名詞」のケースでいえば,例えば「最近の若者は,可算名詞と不可算名詞の区別がわかっておらん,けしからん」という非難がありそうだが,実はそれを用いているのは「最近の若者」にかぎらず,「昔の大人」も普通に使ってきたと指摘することができる.このことは,だから最近の若者も使ってよいのだという理由には特にならないが,少なくとも可算名詞と不可算名詞の区別がなぜ存在するのか,その区別は昔からあったのか,その区別は他の関連する表現においても明確につけられているものなのかなど,別次元の関心を呼び覚まさせてくれる.そのような情報を十分に得た後で再び件の用法の問題に戻ってくれば,きっと異なる視点からコメントできるようになっているだろう.
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最終更新時間: 2024-09-24 08:28
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