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インド洋北部海域の浅いサンゴ礁に生息する「タカラガイ」という貝と,英語の歴史とは,まるで接点がないように思われるが,想像力をたくましくすると,細い糸で結びつけられるかもしれない.スケールズ(著)『貝と文明』の第3章「貝殻と交易」を読んで,ふと思い当たったことである.
その3センチほどの大きさの貝殻は,今から千年以上も前に,モルディブの島民によって採集され始めた.タカラガイは,貨幣,装飾品,魔除け,純潔の印などとして価値があった.交易のためにモルディブを旅立ったタカラガイの最初の寄港地はインドである.そこから陸路でサハラ砂漠を横断してアラビア世界に入り,さらにアフリカ大陸を横断して西アフリカにまで運ばれた (スケールズ,pp. 110--11).
この東西の広範囲にわたるタカラガイを用いた交易に最初に気づいたヨーロッパ人は,ポルトガル人である.ポルトガル商人は16世紀まで海の交易を独占していたが,17世紀以降はイギリスとオランダが介入し,両国の東インド会社がタカラガイの流通を支配することになった.ヨーロッパの商人がタカラガイを重視したのは,「アフリカの王や商人との取引には貝殻を使うと具合がよいことを知っていた」からだ(スケールズ,p. 113).この貝殻貨幣によりヨーロッパの商人は奴隷を買うことができたのであり,その奴隷たちこそが,大西洋を横断してカリブ海の大農園の労働力となったのである(1680年代には奴隷1人は貝殻1万個で交換され,1770年代には成人男性の奴隷1人の価値は貝殻15万個にもなった).こうして,「モルディブのタカラガイとともに積荷として運ばれた茶葉はイギリスで紅茶になり,その紅茶に,同じタカラガイで買われた男女が栽培した砂糖を入れて飲んでいたことになる」(スケールズ,p. 113).
タカラガイを推進力の1つとしたこの奴隷貿易により大もうけしたイギリスは,その富をもって産業革命の下準備をしたのであり,大英帝国の経済的基盤を作ったともいえる.そして,帝国の世界展開とともに,英語もまた世界へ拡散した.
1807年,イギリスは奴隷の売買を禁止する法律を成立させ,それに伴って貨幣としてのタカラガイの役割も下火となっていった.西アフリカではタカラガイ交易の多少の復活はあったものの,19世紀を越えてかつての繁栄を回復することができず,貨幣としての歴史に幕を下ろした.モルディブのタカラガイは総計300億個以上が貨幣として用いられてきたという.このうちの何パーセントが,現代世界におけるリンガ・フランカたる英語の誕生に寄与したのだろうかと夢想してみる.
・ ヘレン・スケールズ(著),林 裕美子(訳) 『貝と文明』 築地書館,2016年.
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最終更新時間: 2024-10-26 09:48
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