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hellog〜英語史ブログ / 2016-01-21

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2016-01-21 Thu

#2460. William Dwight Whitney [history_of_linguistics]

 昨日の記事「#2459. 森有礼とホイットニー」 ([2016-01-20-1]) で取り上げた,アメリカの言語学者でイェール大学の教授だった William Dwight Whitney (1827--94) について,少々紹介しよう.
 Whitney は,元来サンスクリット学者であり比較言語学者であった.一方,実用的な語学の方面でも活躍しており,経済的に困っていたときには英文法書や,フランス語やドイツ語の教科書なども出版している.また,OED 出版までは最大の英語辞典であった The Century Dictionary 6巻 (1889--91) の編者も務めた経歴をもつ.
 しかし,言語学史上,Whitney が最もよく知られているのは,一般言語学の分野で考究した学者としてだろう.後にアメリカが輩出した Franz Boaz, Edward Sapir, Leonard Bloomfield などの著名な言語学者に比べ,Whitney の名前は現在ではそれほど目立たないが,彼らの源流たる位置に Whitney がいたことは間違いない.アメリカにおける近代言語学の伝統の祖といってよいだろう.
 Whitney の言語学と言語観は,当時の欧米で高い評価を受けていた.例えば,かの Saussure も Whitney を評価しており,彼から一般言語学の洞察を得ていたようであるし,Bloomfield も彼に賛辞を送っている.
 Whitney は,言語を歴史的な存在として,社会的な制度として,そしてコミュニケーションの道具として捉えていた.また,Saussure のように,言語の実体は記号体系であると認識していた.現代の初級言語学をかじった者であれば,このような言語の捉え方は目新しい指摘ではないが,Whitney はこれをいち早く指摘していた言語学者の一人だったのである.
 著名な言語学者の学史上の評価を著わしたムーナンは,Whitney を欧米の近代言語学の源泉と位置づけている.とりわけ,言語学の対象を限定するという伝統を作り上げた点において,ムーナン (30--31) は Whitney を評価している.

彼において注目に値するのは,言語学の対象を限定するに際して払っている配慮である。彼が言語学をもろもろの自然科学や心理学や,また文献学から,どのように切り離しているかということは,いましがた指摘しておいた。彼はさらに次のようにも記している,「確かに下等動物の所有しているコミュニケーション手段やそれらの手段の有効範囲についての研究は興味もあり参考にもなる」,しかしそれらの手段は「ことばとは異なる性格のものだから,言語という名称を[…]許すわけにはいかない。この相違の由縁を説明するのは言語学者の役目ではない。」そのぶっきらぼうな調子にもかかわらず,この宣言から,ホイットニーと従来の言語学の伝統とのあいだに存在する差異を推しはかることができる。なにしろ言語学の伝統は,一九五〇年前後にいたるまであいかわらず,あらゆる形のコミュニケーションに加えて,単に外面に現れ出る表出まで,ことばという名前で語っていたのだ。彼の念頭には「身ぶり,パントマイム,描かれ,あるいは書かれた文字,分節的な音」といった多種多様なコミュニケーション手段あるいはコミュニケーション体系が自覚されていたのだが,彼はそのなかから断固として分節的な音以外のものすべてを退ける。彼はこう書いている,「もっと広い意味でならば,[人間の]思考に肉体を与えてくれるものすべて,思考を手でとらえられるような形にしてくれるものはすべてことばである,と言ってもいい」[たとえば人は,《中世》がその建築によってわれわれに《語りかける》などという],「けれども科学的な研究の場合は,ことばという語の意味をもっとしぼるべきだ,さもないとこの語は拡大されてありとあらゆる行為や行為の結果まで含むようになりかねない。」「ことばについて語るという場合」と彼は結んでいる[一八七五年のことだ]「その意味を分節的な音の集合ということに限ろう。」
 言語学の対象を厳密に限定するというまことに認識論的なこの気づかいは,絶えず彼のペンの先に,繰り返し現われる。そして,彼がある種の一連の科学を退けるというのも,言語学専制という意図によるのではなく,あるいは諸科学をないがしろにして退けているのでもない。逆に,それはたいていの場合,諸科学のお互いの専門領域を尊重するというまことに筋の通った感覚によるものだ。〔中略〕そして,言語学の研究対象を限定するために,彼が言語学の仕事ではないからといってある種の課題を辞退するたびに,彼は(論証はあいかわらずあわただしすぎるが)根元的に重要なことばを口にしている。それは「判定のための基準点」ということばだ。


 個人的には,書記体系などを含む「書き言葉」の問題を始め,ことばに関する多くの問題を言語学の対象外とする Whitney に対して反論したいところもある(私は,言語学は広くことばの学であるべきだと考えている).しかし,「方法論上の限定」の価値は理解せざるを得ない.ムーナンの評から,Whitney がいかにして Saussure, Bloomfield, Martinet などの言語思想にヒントを与え得たか,よく分かる.
 一方で,Whitney が言語を母語話者集団の歴史的かつ社会的な所産とみていたことも忘れてはならない.おそらく,昨日触れた森有礼への返答は,歴史と社会という側面から言語を捉えた上での返答だったのだろう.

 ・ 佐々木 達,木原 研三 編 『英語学人名辞典』 研究社,1995年.
 ・ ジョルジュ・ムーナン著,佐藤 信夫訳 『二十世紀の言語学』 白水社,2001年.

Referrer (Inside): [2016-01-24-1]

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最終更新時間: 2019-06-25 04:53

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