英語史の流れをつかんでもらうために,授業で「#2089. Baugh and Cable の英語史概説書の目次」 ([2015-01-15-1]) を暗記してもらっているが,小テスト対策のために(というよりも実は問題作成の自動化のために)ランダムに穴を抜くツールを作ってみた.ブラウザで印刷すれば,そのまま小テスト.
(アメリカ)英語史におけるアメリカ独立戦争の意義について,まとめスライド (HTML) を作ったので公開する.こちらからどうぞ.
1. アメリカ独立戦争と英語
2. 要点
3. アメリカ英語の言語学的特徴
4. アメリカ英語の社会言語学的特徴
5. アメリカの歴史(猿谷の目次より)
6. 「アメリカ革命」 (American Revolution)
7. アメリカ英語の時代区分 (#158)
8. 独立戦争とアメリカ英語
9. ノア・ウェブスター(肖像画; #3087)
10. ウェブスター語録
11. ウェブスターの綴字改革
12. まとめ
13. 参考文献
他の「まとめスライド」として,「#3058. 「英語史における黒死病の意義」のまとめスライド」 ([2017-09-10-1]),「#3068. 「宗教改革と英語史」のまとめスライド」 ([2017-09-20-1]) もご覧ください.
9月20日付で,拙訳『スペリングの英語史』が早川書房より出版されました.原著は本ブログで何度も参照・引用している Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013. です.本ブログを読まれている方,そして英語スペリングの諸問題に関心をもっているすべての方に,おもしろく読んでもらえる内容です.
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サイモン・ホロビン(著),堀田隆一(訳) 『スペリングの英語史』 早川書房,2017年.302頁.ISBN: 978-4152097040.定価2700円(税別). |
英語史における宗教改革の意義について,reformation の各記事で考えてきた.現時点での総括として,「宗教改革と英語史」のまとめスライド (HTML) を公開したい.こちらからどうぞ. * *
15枚からなるスライドで,目次は以下の通り.
1. 宗教改革と英語史
2. 要点
3. 宗教改革とは?
4. 歴史的背景
5. イングランドの宗教改革とその特異性
6. ルネサンスとは?
7. イングランドにおける宗教改革とルネサンスの共存
8. 英語文化へのインパクト
9. プロテスタンティズムの拡大と定着
10. 古英語研究の開始
11. 語彙をめぐる問題
12. 一連の聖書翻訳
13. まとめ
14. 参考文献
15. 補遺:「創世記」11:1--9 (「バベルの塔」)の近現代8ヴァージョン+新共同訳
別の「まとめスライド」として,「#3058. 「英語史における黒死病の意義」のまとめスライド」 ([2017-09-10-1]) もご覧ください.
ここ数日,集中的に英語史における黒死病の意義を考えてきた.これまで書きためてきた black_death の記事を総括する意味で「英語史における黒死病の意義」のまとめスライド (HTML) を作ってみたので,こちらよりご覧ください.
13枚からなるスライドで,目次は以下の通り.
1. 英語史における黒死病の意義
2. 要点
3. 黒死病 (Black Death) とは?
4. ノルマン征服による英語の地位の低下
5. 英語の復権の歩み (#131)
6. 黒死病の社会(言語学)的影響 (1)
7. 黒死病と社会(言語学)的影響 (2)
8. 英語による教育の始まり (#1206)
9. 実は中英語は常に繁栄していた
10. 黒死病は英語の復権に拍車をかけたにすぎない
11. 村上,pp. 176--77
12. まとめ
13. 参考文献
HTML スライドなので,そのまま hellog 記事にリンクを張ったり辿ったりでき,とても便利.英語史スライドシリーズとして,ほかにも作っていきたい. * *
昨日の記事「#3051. 「less + 複数名詞」はダメ?」 ([2017-09-03-1]) で,「less + 複数名詞」が古くから用いられてきたことに触れた.だが,古くからの用法であるという歴史的事実は,この用法を規範からの逸脱として煙たがる保守派にとって,またそのような保守派に対抗して言語使用における寛容さを説く論者にとって,どのような意味をもつのだろうか.
そのような用法は昔からあった,だから現在でも認められるべきだ,という議論には説得力はない.議論の前半部分はさも歴史言語学に精通しており,そこに肩入れしているかのようにみえて,後半部分はむしろ言語変化を否認しているかのような言い方であるからだ.言語変化の普遍性という歴史言語学の公理ともいうべきものを理解していない.「昔は○○だった,だから今も○○であるべきだ」,あるいは逆に「昔は○○でなかった,だから今も○○であるべきではない」というのは,保守主義というよりは無変化主義と呼ぶべきだろう.
「そのような用法は昔からあった」という歴史的事実を指摘することの意義は,現在しばしば誤用として批判にさらされている「そのような用法」が行なわれている理由を考えさせてくれる点にある.たいてい言語上の誤用とされるものは,現代の話者の不注意や無教養のせいとされたり,規範遵守精神の欠如の現われであるとして非難される.しかし,少なくとも「現代の」話者にのみそのような非難が向けられるというのは,おかしいだろう.そのような用法は古くからあったのだから.実際,当該の用法が歴史的に長い間連綿と続いてきたということは,その用法が不注意や無教養の現われであるというよりは,むしろ自然な言語使用を体現していると考えるほうが自然であり,現在の現象に対する見方を再考する機会を提供してくれるのである.
「less + 複数名詞」のケースでいえば,例えば「最近の若者は,可算名詞と不可算名詞の区別がわかっておらん,けしからん」という非難がありそうだが,実はそれを用いているのは「最近の若者」にかぎらず,「昔の大人」も普通に使ってきたと指摘することができる.このことは,だから最近の若者も使ってよいのだという理由には特にならないが,少なくとも可算名詞と不可算名詞の区別がなぜ存在するのか,その区別は昔からあったのか,その区別は他の関連する表現においても明確につけられているものなのかなど,別次元の関心を呼び覚まさせてくれる.そのような情報を十分に得た後で再び件の用法の問題に戻ってくれば,きっと異なる視点からコメントできるようになっているだろう.
『中央公論』8月号で「英語1強時代,日本語は生き残るか」と題する特集が組まれている.特集のなかで,問題作『日本語が亡びるとき』の著者である水村美苗が,著書よりもさらに強い警戒心をもって,日本語の行く先を憂えている.その見出しに「言語の植民地化に日本ほど無自覚な国はない」とあるが,これは私もその通りだと思っている.別の角度から見れば,日本がこれまで言語の植民地化を免れてきた歴史が十分に評価されていない,ともいえる.だからこそ,日本人は,世界的な言語である英語にいともたやすく無防備になびくことができるのだろう.まずは,この歴史の理解を促さなければならない.
水村 (28--29) は,次のように述べている.
世界を見回せば,インテリが読む言語は英語で,それ以外の人が読むのが現地語だという国がいかに多いことでしょう.この一〇年のあいだにいろいろな国をまわりましたが,自国語が植民地化を免れたことに日本ほど自覚を持たない国も,自国語が亡びることに危機感を持たない国も珍しいと感じます.
私は最近いよいよ,ごく少数を除けば,日本人は日本語が堪能であればよいのではと考えるようになっています.非西洋圏でここまで機能している言語を国語として持っている国は本当に珍しいのです.エリートも庶民も,全員当然のように日本語で読み書きしているという,この状況を守ること自体が,日本という国の使命なのではないかとすら思います.
水村は,このように日本語の価値が軽視されている傾向を批判的に指摘する一方で,世界語となった英語に関して抱かれやすい誤ったイメージについても論難している (32) .
いくら強調してもし足りないのは,英語そのものに普遍語となった要素があるわけではないことです.英語は,さまざまな歴史的偶然が重なって普遍語として流通するようになった言葉でしかない.でもいったん普遍語として流通し始めると,普遍語で世界を見る人間の尊大さが,英語圏の人にはしばしばつきまとうようになります.それでいて,英語を普遍語たらしめた条件そのものは過去のものとなってしまっている.
この憂いを吹き飛ばすために存在するのが,英語史という分野である.英語が世界でもっとも影響力のある言語になったのは,英語に内在するいかなる特質ゆえでもなく,単純に歴史の偶然である.このことは,確かに何度強調してもし足りない.私も以下の記事で繰り返してきたので,ご参照ください.
・ 「#1072. 英語は言語として特にすぐれているわけではない」 ([2012-04-03-1])
・ 「#1082. なぜ英語は世界語となったか (1)」 ([2012-04-13-1])
・ 「#1083. なぜ英語は世界語となったか (2)」 ([2012-04-14-1])
・ 「#1607. 英語教育の政治的側面」 ([2013-09-20-1])
・ 「#1788. 超民族語の出現と拡大に関与する状況と要因」 ([2014-03-20-1])
・ 「#2487. ある言語の重要性とは,その社会的な力のことである」 ([2016-02-17-1])
・ 「#2673. 「現代世界における英語の重要性は世界中の人々にとっての有用性にこそある」」 ([2016-08-21-1])
・ 「#2935. 「軍事・経済・宗教―――言語が普及する三つの要素」」 ([2017-05-10-1])
古英語を学習・研究する上で有用な辞書をいくつか紹介する.
(1) Bosworth, Joseph. A Compendious Anglo-Saxon and English Dictionary. London: J. R. Smith, 1848.
(2) Bosworth, Joseph and Thomas N. Toller. Anglo-Saxon Dictionary. Oxford: OUP, 1973. 1898. (Online version available at http://lexicon.ff.cuni.cz/texts/oe_bosworthtoller_about.html.)
(3) Hall, John R. C. A Concise Anglo-Saxon Dictionary. Rev. ed. by Herbert T. Merritt. Toronto: U of Toronto P, 1996. 1896. (Online version available at http://lexicon.ff.cuni.cz/texts/oe_clarkhall_about.html.)
(4) Healey, Antonette diPaolo, Ashley C. Amos and Angus Cameron, eds. The Dictionary of Old English in Electronic Form A--G. Toronto: Dictionary of Old English Project, Centre for Medieval Studies, U of Toronto, 2008. (see The Dictionary of Old English (DOE) and Dictionary of Old English Corpus (DOEC).)
(5) Sweet, Henry. The Student's Dictionary of Anglo-Saxon. Cambridge: CUP, 1976. 1896.
おのおのタイトルからも想像されるとおり,詳しさや編纂方針はまちまちである.入門用の Sweet に始まり,簡略辞書の Hall から,専門的な Bosworth and Toller を経て,最新の Healey et al. による電子版 DOE に至る.DOE を除いて,古英語辞書の定番がおよそ19世紀末の産物であることは注目に値する.この時期に,様々なレベルの古英語辞書が,独自の規範・記述意識をもって編纂され,出版されたのである.
現代風の書き言葉の標準が明確に定まっていない古英語の辞書編纂では,見出し語をどのような綴字で立てるかが悩ましい問題となる.使用者は,たいてい適切な綴字を見出せないか,あるいは異綴りの間をたらい回しにされるかである.大雑把にいえば,入門的な Sweet の立てる見出しの綴字は "critical" で規範主義的であり,最も専門的な DOE は "diplomatic" で記述主義的である.その間に,緩やかに "critical" な Hall と緩やかに "diplomatic" な Bosworth and Toller が位置づけられる.
合わせて古英語語彙の学習には,以下の2点を挙げておこう.
・ Barney, Stephen A. Word-Hoard: An Introduction to Old English Vocabulary. 2nd ed. New Haven: Yale UP, 1985.
・ Holthausen, Ferdinand. Altenglisches etymologisches Wōrterbuch. Heidelberg: Carl Winter Universitätsverlag, 1963.
Holthausen の辞書は,古英語語源辞書として専門的かつ特異な地位を占めているが,語源から語彙を学ぼうとする際には役立つ.Barney は,同じ趣旨で,かつ読んで楽しめる古英語単語リストである.
英語に作用する求心力と遠心力の問題(cf. 「#2073. 現代の言語変種に作用する求心力と遠心力」 ([2014-12-30-1]))を議論する際には,英語史の知識がおおいに役立つ.英語の歴史において,英語は常に複数形の Englishes だったのであり,単数形 English の発想が生まれたのは,近代以降に標準化 (standardisation) という社会言語学的なプロセスが生じてから後のことである.そして,その近代以降ですら,実際には諸変種は存在し続けたし,むしろ英語が世界中に拡散するにつれて変種が著しく増加してきた.その意味において,English とはある種の虚構であり,英語の実態は過去も現在も Englishes だったのである.
では,21世紀の英語,未来の英語についてはどうだろうか.求心力と遠心力がともに働いていくとおぼしき21世紀において,私たちは English を語るべきなのか,Englishes を語るべきなのか.この問題を議論するにあたって,Gooden (230--31) の文章を引こう.
After undergoing many changes at the hands of the Angles and Saxons, the Norman French, and a host of other important but lesser influences, English itself has now spread to become the world's first super-language. While this is a process that may be gratifying to native speakers in Britain, North America, Australia and elsewhere, it is also one that raises certain anxieties. The language is no longer 'ours' but everybody's. The centre of gravity has shifted. Until well into the 19th century it was firmly in Britain. Then, as foreseen by the second US president John Adams ('English is destined to be in the next and succeeding centuries [ . . . ] the language of the world'), the centre shifted to America. Now there is no centre, or at least not one that is readily acknowledged as such.
English is emerging in pidgin forms such as Singlish which may be scarcely recognizable to non-users. Even the abbreviated, technical and idiosyncratic forms of the language employed in, say, air-traffic control or texting may be perceived as a threat to some idea of linguistic purity.
If these new forms of non-standard English are a threat, then they are merely the latest in a centuries-long line of threats to linguistic integrity. What were the feelings of the successive inhabitants of the British Isles as armies, marauders and settlers arrived in the thousand years that followed the first landing by Julius Caesar? History does not often record them, although we know that, say, the Anglo-Saxons were deeply troubled by the Viking incursions which began in the north towards the end of the eighth century. Among their responses would surely have been a fear of 'foreign' tongues, and a later resistance to having to learn the vocabulary and constructions of outsiders. Yet many new words and structures were absorbed, just as the outsiders, whether Viking or Norman French, assimilated much of the language already used by the occupants of the country they had overrun or settled.
With hindsight we can see what those who lived through each upheaval could not see, that each fresh wave of arrivals has helped to develop the English language as it is today. Similarly, the language will develop in the future in ways that cannot be foreseen, let alone controlled. It will change both internally, as it were, among native speakers, and externally at the hands of the millions in Asia and elsewhere who are already adopting it for their own use.
ここでは言語的純粋性 (linguistic purity; purism) についても触れられているが,いったい正統な英語というものは,単数形で表現される English というものは,存在するのだろうか.存在するとすれば,具体的に何を指すのだろうか.あるいは,存在しないとすれば,「英語」とは諸変種の集合体につけられた抽象的な名前にすぎず,意味上は Englishes に相当する集合名詞に等しいのだろうか.
これは英語の現在と未来を論じるにあたって,実にエキサイティングな論題である.「#2986. 世界における英語使用のジレンマ」 ([2017-06-30-1]) の問題と合わせて,ディスカッション用に.
・ Gooden, Philip. The Story of English: How the English Language Conquered the World. London: Quercus, 2009.
標記の話題について,Crystal (296--97) は著書の終わりに近い部分で,説得力をもって次のように述べている.
It is no more than common sense for those who have invested a childhood, or adult time and money, in successfully acquiring the English language to maintain an active interest in the language's progress. The more we learn about where the language has been, how it is structured, how it is used, and how it is changing, the more we will be able to judge its present course and help to plan its future. For many people, this will indeed mean a conscious altering of attitude. Language variation and language change --- the two aspects of English which are at the centre of its identity, and which are most in the public eye --- are too often blindly condemned. If just a fraction of the nervous energy which is currently devoted to the criticism of split infinitives and the intrusive r were devoted to the constructive promotion of forward-looking language activities, what might not be achieved?
Crystal は,英語の変化と変異 (change and variation) を学ぶことにより,その現在をよりよく判断し,未来をよりよく計画することができると力説している.これが,英語の歴史を始め,構造,変異,使用を学ぶ意義だろう.現在,そして未来に向けて,英語とうまく付き合っていくための知識であり知恵となる.さらに,英語史を学ぶことは,母語を含めた言語一般に対する視野を広げ,寛容な態度を育てることにも貢献する.今後も,この分野のもつ大きな可能性を指摘し,説いていきたいと思っている.
関連して,「#24. なぜ英語史を学ぶか」 ([2009-05-22-1]),「#1199. なぜ英語史を学ぶか (2)」 ([2012-08-08-1]),「#1200. なぜ英語史を学ぶか (3)」 ([2012-08-09-1]),「#1367. なぜ英語史を学ぶか (4)」 ([2013-01-23-1]) も参照.
・ Crystal, David. The English Language. 2nd ed. London: Penguin, 2002.
昨日の記事「#2928. 古英語で「創世記」11:1--9 (「バベルの塔」)を読む」 ([2017-05-03-1]) で「バベルの塔」の古英語版を読んだが,「#1870. 「創世記」2:18--25 を7ヴァージョンで読み比べ」 ([2014-06-10-1]) にならって中英語以降のテキストも含めた7ヴァージョンを並べてみた.(1), (2), (3), (4), (7) の5つは寺澤先生の著書の第8章より,(5), (6) は聖書サイトより持ってきた現代英語版である.
(1) 1000年頃の古英語訳 Old English Heptateuch より.
Wæs þā ān gereord on eorþan, and heora ealre ān sprǣc. Hī fērdon fram ēastdēle oð þæt hī cōmon tō ānum felde on þām lande Sennar, and þēr wunedon. Ðā cwǣdon hī him betwȳnan, “Vton wyrcean ūs tigelan and ǣlan hī on fȳre.” Witodlīce hī hæfdon tigelan for stān and tyrwan for weall-līm. And cwǣdon, “Cumað and utan wircan ūs āne burh and ǣnne stȳpel swā hēahne ðæt his rōf ātille þā heofonan, and uton mǣrsian ūrne namon, ǣr þan wē bēon tōdǣlede tō eallum landum.” God þā nyþer āstāh, þæt hē gesēga þā burh and þone stȳpel þe Adames sunus getimbroden. God cwæð þā, “Efne þis his ān folc and gereord him ealum, and hī ongunnon þis tō wircenne; ne hī ne geswīcað heora geþōhta, ǣr þan þe hī mid weorce hī gefyllan. Cumað nū eornostlīce and uton niþer āstīgan and heora gereord þēr tōwendon, þæt heora nān ne tōcnāwe his nēxtan stemne.” And God þā hī tōdǣlde swā of þǣre stōwe tō eallum landum, and hī geswicon tō wyrcenne þā buruh. And for þī wæs sēo burh gehāten Babel, for þan þe ðǣr wæs tōdǣled þæt gereord ealre eorþan. God þā hī sende þanon ofer brādnesse ealra eorðan.
(2) 1388--95年の Wycliffite Bible (Later Version) より.
Forsothe the lond was of o langage, and of the same speche. And whanne thei ȝeden forth fro the eest, they fonden a feeld in the lond of Sennaar, and dwelliden ther ynne. And oon seide to his neiȝbore, "Come ȝe, and make we tiel stonys, and bake we tho with fier," and thei hadden tiel for stonus, and pitche for morter; and seiden, "Come ȝe, and make we to vs a citee and tour, whos hiȝnesse stretche `til to heuene; and make we solempne oure name bifor that we be departid in to alle londis." Forsothe the Lord cam down to se the citee and tour, which the sones of Adam bildiden. And he seide, "Lo! the puple is oon, and o langage is to alle, and thei han bigunne to make this, nethir thei schulen ceesse of her thouȝtis, til thei fillen tho in werk; therfor come ȝe, go we doun, and scheende we there the tunge of hem, that ech man here not the voys of his neiȝbore." And so the Lord departide hem fro that place in to alle londis; and thei cessiden to bielde a cytee. And therfor the name therof was clepid Babel, for the langage of al erthe was confoundide there; and fro thennus the Lord scaterede hem on the face of alle cuntrees.
(3) 1611年の The Authorised Version (The King James Version)より.
And the whole earth was of one language, and of one speach. And it came to passe as they iourneyed from the East, that they found a plaine in the land of Shinar, and they dwelt there. And they sayd one to another; Goe to, let vs make bricke, and burne them thorowly. And they had bricke for stone, and slime had they for morter. And they said; Goe to, let vs build vs a city and a tower, whose top may reach vnto heauen, and let vs make vs a name, lest we be scattered abroad vpon the face of the whole earth. And the LORD came downe to see the city and the tower, which the children of men builded. And the LORD said; Behold, the people is one, and they have all one language: and this they begin to doe: and now nothing will be restrained from them, which they haue imagined to doe. Goed to, let vs go downe, and there cōfound their language, that they may not vnderstand one anothers speech. So the LORD scattered them abroad from thence, vpon the face of all the earth: and they left off to build the Citie. Therefore is the name of it called Babel, because the LORD did there confound the language of all the earth: and from thence did the LORD scatter them abroad vpon the face of all the earth.
(4) 1989年の The New Revised Standard Version より.
Now the whole earth had one language and the same words. And as they migrated from the east, they came upon a plain in the land of Shinar and settled there. And they said to one another, "Come, let us make bricks, and burn them thoroughly." And they had brick for stone, and bitumen for mortar. Then they said, "Come, let us build ourselves a city, and a tower with its top in the heavens, and let us make a name for ourselves; otherwise we shall be scattered abroad upon the face of the whole earth." The Lord came down to see the city and the tower, which mortals had built. And the Lord said, "Look, they are one people, and they have all one language; and this is only the beginning of what they will do; nothing that they propose to do will now be impossible for them. Come, let us go down, and confuse their language there, so that they will not understand one another's speech." So the Lord scattered them abroad from there over the face of all the earth, and they left off building the city. Therefore it was called Babel, because there the Lord confused the language of all the earth; and from there the Lord scattered them abroad over the face of all the earth.
(5) 基礎語彙のみを用いた Basic English(The Holy Bible --- Bible in Basic English) より.
And all the earth had one language and one tongue. And it came about that in their wandering from the east, they came to a stretch of flat country in the land of Shinar, and there they made their living-place. And they said one to another, Come, let us make bricks, burning them well. And they had bricks for stone, putting them together with sticky earth. And they said, Come, let us make a town, and a tower whose top will go up as high as heaven; and let us make a great name for ourselves, so that we may not be wanderers over the face of the earth. And the Lord came down to see the town and the tower which the children of men were building. And the Lord said, See, they are all one people and have all one language; and this is only the start of what they may do: and now it will not be possible to keep them from any purpose of theirs. Come, let us go down and take away the sense of their language, so that they will not be able to make themselves clear to one another. So the Lord God sent them away into every part of the earth: and they gave up building their town. So it was named Babel, because there the Lord took away the sense of all languages and from there the Lord sent them away over all the face of the earth.
(6) 平易な米口語訳 Good News Translation (BibleGateway.com) より.
At first, the people of the whole world had only one language and used the same words. As they wandered about in the East, they came to a plain in Babylonia and settled there. They said to one another, "Come on! Let's make bricks and bake them hard." So they had bricks to build with and tar to hold them together. They said, "Now let's build a city with a tower that reaches the sky, so that we can make a name for ourselves and not be scattered all over the earth." Then the Lord came down to see the city and the tower which they had built, and he said, "Now then, these are all one people and they speak one language; this is just the beginning of what they are going to do. Soon they will be able to do anything they want! Let us go down and mix up their language so that they will not understand each other." So the Lord scattered them all over the earth, and they stopped building the city. The city was called Babylon, because there the Lord mixed up the language of all the people, and from there he scattered them all over the earth.
(7) 新共同訳より.
世界中は同じ言葉を使って,同じように話していた.東の方から移動してきた人々は,シンアルの地に平野を見つけ,そこに住み着いた.彼らは,「れんがを作り,それをよく焼こう」と話し合った.石の代わりにれんがを,しっくいの代わりにアスファルトを用いた.彼らは,「さあ,天まで届く塔のある町を建て,有名になろう.そして,全地に散らされることのないようにしよう」と言った.主は降って来て,人の子らが建てた,塔のあるこの町を見て,言われた.「彼らは一つの民で,皆一つの言葉を話しているから,このようなことをし始めたのだ.これでは,彼らが何を企てても,妨げることはできない.我々は降って行って,直ちに彼らの言葉を混乱させ,互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう.」主は彼らをそこから全地に散らされたので,彼らはこの町の建設をやめた.こういうわけで,この町の名はバベルと呼ばれた.主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ,また,主がそこから彼らを全地に散らされたからである.
・ 寺澤 盾 『聖書でたどる英語の歴史』 大修館書店,2013年.
東京都美術館でブリューゲル「バベルの塔」展が開かれている.24年ぶりの来日だそうで,たいへん盛り上がっている.
「バベルの塔」 (The Tower of Babel) の話は「創世記」11:1--9 に記されている.この世に様々な言語が存在することを「聖書なりに」説明づけた箇所とされ,言語起源論においてもしばしば引き合いに出される,極めて著名なくだりである.
今回は,「バベルの塔」の古英語の文章を,寺澤盾先生の『聖書でたどる英語の歴史』第8章から,Old English Heptateuch 版によって示そう.
Wæs þā ān gereord on eorþan, and heora ealre ān sprǣc. Hī fērdon fram ēastdēle oð þæt hī cōmon tō ānum felde on þām lande Sennar, and þēr wunedon. Ðā cwǣdon hī him betwȳnan, “Vton wyrcean ūs tigelan and ǣlan hī on fȳre.” Witodlīce hī hæfdon tigelan for stān and tyrwan for weall-līm. And cwǣdon, “Cumað and utan wircan ūs āne burh and ǣnne stȳpel swā hēahne ðæt his rōf ātille þā heofonan, and uton mǣrsian ūrne namon, ǣr þan wē bēon tōdǣlede tō eallum landum.” God þā nyþer āstāh, þæt hē gesēga þā burh and þone stȳpel þe Adames sunus getimbroden. God cwæð þā, “Efne þis his ān folc and gereord him ealum, and hī ongunnon þis tō wircenne; ne hī ne geswīcað heora geþōhta, ǣr þan þe hī mid weorce hī gefyllan. Cumað nū eornostlīce and uton niþer āstīgan and heora gereord þēr tōwendon, þæt heora nān ne tōcnāwe his nēxtan stemne.” And God þā hī tōdǣlde swā of þǣre stōwe tō eallum landum, and hī geswicon tō wyrcenne þā buruh. And for þī wæs sēo burh gehāten Babel, for þan þe ðǣr wæs tōdǣled þæt gereord ealre eorþan. God þā hī sende þanon ofer brādnesse ealra eorðan.
・ 寺澤 盾 『聖書でたどる英語の歴史』 大修館書店,2013年.
「#2895. 古英語聖書より「岩の上に家を建てる」」 ([2017-03-31-1]) に引き続き,新約聖書を古英語訳で読んでみよう.今回は,同じくよく知られた Matthew 13: 3--8 の「種をまく人の寓話」を紹介する.市川・松浪 (84--86) より,現代英語訳も付して示す.
Sōþlīċe ūt ēode se sāwere his sǣd tō sāwenne. And þā þā hē sēow, sumu hīe fēollon wiþ weȝ, and fuglas cōmon and ǣton þā. Sōþlīċe sumu fēollon on stǣnihte, þǣr hit næfde miċle eorþan, and hrædlīċe ūp sprungon, for þǣm þe hīe næfdon þāre eorþen dēopan; sōþlīċe, ūp sprungenre sunnan, hīe ādrūgodon and forscruncon, for þǣm þe hīe næfdon wyrtruman. Sōþlīċe sumu fēollon on þornas, and þā þornas wēoxon, and forþrysmdon þā. Sumu sōþlīċe fēollon on gōde eorþan, and sealdon wæstm, sum hundfealdne, sum siextiȝfealdne, sum þrītiȝfealdne.
Truly the sower went out to sow his seeds. And while he was sowing, some of them fell along the way, and birds came and ate them. Truly some fell on stony ground where it had not much earth, and quickly sprang up, because they had not any deep earth; truly, the sun (being) risen up, they dried up and shrank up, because they had not roots. Truly some fell on thorns, and the thorns grew, and choked them. Some truly fell on good ground, and gave fruit, some hundredfold, some sixtyfold, (and) some thirtyfold.
・ 市河 三喜,松浪 有 『古英語・中英語初歩』 研究社,1986年.
古英語訳の聖書は,古英語読解のための初級者向け教材として有用である.近代英語の欽定訳聖書 (The Authorized Version) や現代英語版はもちろん,日本語を含むありとあらゆる言語への訳も出されており,比較・参照できるからだ.
以下,新約聖書より Matthew 7: 24--27 の「岩の上に家を建てる」寓話について,古英語版テキストを MS Corpus Christi College Cambridge 140 より示そう (Mitchell 60) .合わせて,対応する近代英語テキストを欽定訳聖書より引用する.
Ǣlċ þāra þe ðās mīne word ġehȳrþ and þā wyrcþ byþ ġelīċ þǣm wīsan were se hys hūs ofer stān ġetimbrode.
Þā cōm þǣr reġen and myċel flōd and þǣr blēowon windas and āhruron on þæt hūs and hyt nā ne fēoll・ sōþlīċe hit wæs ofer stān ġetimbrod.
And ǣlċ þāra þe ġehȳrþ ðās mīne word and þā ne wyrcþ・ sē byþ ġelīċ þǣm dysigan menn þe ġetimbrode hys hūs ofer sand-ċeosel.
Þā rīnde hit and þǣr cōmon flōd and blēowon windas and āhruron on þæt hūs and þæt hūs fēoll・ and hys hryre wæs miċel
Therefore whosoever heareth these sayings of mine, and doeth them, I will liken him unto a wise man, which built his house upon a rock:
And the rain descended, and the floods came, and the winds blew, and beat upon that house; and it fell not: for it was founded upon a rock.
And every one that heareth these sayings of mine, and doeth them not, shall be likened unto a foolish man, which built his house upon the sand:
And the rain descended, and the floods came, and the winds blew, and beat upon that house; and it fell: and great was the fall of it.
聖書に関する古英語テキストについては,「#1803. Lord's Prayer」 ([2014-04-04-1]),「#1870. 「創世記」2:18--25 を7ヴァージョンで読み比べ」 ([2014-06-10-1]) も参照されたい.
(後記 2022/05/03(Tue):Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」にて,この1節を古英語の発音で読み上げていますのでご参照ください.「古英語をちょっとだけ音読 マタイ伝「岩の上に家を建てる」寓話より」です.)
・ Mitchell, Bruce. An Invitation to Old English and Anglo-Saxon England. Blackwell: Malden, MA, 1995.
Beowulf は,古英語で書かれた最も長い叙事詩(3182行)であり,アングロサクソン時代から現存する最も重要な文学作品である.スカンディナヴィアの英雄 Beowulf はデンマークで怪物 Grendel を殺し,続けてその母をも殺した.Beowulf は後にスウェーデン南部で Geat 族の王となるが,年老いてから竜と戦い,戦死する.
この叙事詩は,古英語で scop と呼ばれた宮廷吟遊詩人により,ハープの演奏とともに吟じられたとされる.現存する唯一の写本(1731年の火事で損傷している)は1000年頃のものであり,2人の写字生の手になる.作者は不詳であり,いつ制作されたかについても確かなことは分かっていない.8世紀に成立したという説もあれば,11世紀という説もある.
冒頭の11行を Crystal (18) より,現代英語の対訳付きで以下に再現しよう.
1 HǷÆT ǷE GARDEna in ȝeardaȝum . Lo! we spear-Danes in days of old 2 þeodcyninȝa þrym ȝefrunon heard the glory of the tribal kings, 3 hu ða æþelinȝas ellen fremedon . how the princes did courageous deeds. 4 oft scyld scefing sceaþena þreatum Often Scyld Scefing from bands of enemies 5 monegū mæȝþum meodo setla ofteah from many tribes took away mead-benches, 6 eȝsode eorl[as] syððan ærest ƿearð terrified earl[s], since first he was 7 feasceaft funden he þæs frofre ȝebad found destitute. He met with comfort for that, 8 ƿeox under ƿolcum, ƿeorðmyndum þah, grew under the heavens, throve in honours 9 oðþ[æt] him æȝhƿylc þara ymbsittendra until each of the neighbours to him 10 ofer hronrade hyran scolde over the whale-road had to obey him, 11 ȝomban ȝyldan þ[æt] ƿæs ȝod cyninȝ. pay him tribute. That was a good king!
冒頭部分を含む写本画像 (Cotton MS Vitellius A XV, fol. 132r) は,こちらから閲覧できる.その他,以下のサイトも参照.
・ Cotton MS Vitellius A XV, Augustine of Hippo, Soliloquia; Marvels of the East; Beowulf; Judith, etc.: 写本画像を閲覧可能.
・ Beowulf: BL による物語と写本の解説.
・ Beowulf Readings: 古英語原文と「読み上げ」へのアクセスあり.
・ Beowulf Translation: 現代英語訳.
・ Diacritically-Marked Text of Beowulf facing a New Translation (with explanatory notes): 古英語原文と現代英語の対訳のパラレルテキスト.
・ Crystal, David. Evolving English: One Language, Many Voices. London: The British Library, 2010.
3月号の『National Geographic 日本版』が「バイキング 大会の覇者の素顔」と題する特集を組んでいる.特製付録として,ヴァイキング (Vikings) の足跡と行動範囲を示した地図が付いていた.説明書きには,「古くは8世紀末にブリテン諸島を荒らし回った記録が残るバイキング.11世紀までには,北半球の広い範囲で襲撃や交易,探検を行うようになった」とある. * *
対応サイトからはフォトギャラリーも閲覧可能で,現在もシェトランド諸島やポーランドで行なわれているヴァイキングの歴史にちなんだ祭りの様子や,ヴァイキングの武具や装身具などの遺物,オスロの文化史博物館に所蔵の有名な Viking ship,そしてスウェーデン南部の墳墓のルーン文字石碑などを見ることができる.英語史で古ノルド語の影響などを紹介する際ののビジュアル資料として重宝しそうである.
ヴァイキングの移動の原動力は何だったのか,という歴史上の問いには様々な回答がありうる.「#2854. 紀元前3000年以降の寒冷化と民族移動」 ([2017-02-18-1]) で少し触れたように,気候変動との関係も,ヴァイキングの大移動の1要因と考えられるかもしれない.「バイキング 大会の覇者の素顔」の記事で挙げられている要因としては,以下のようなものがある (46--47) .
・ 536年の彗星か隕石の落下と,その結果としての日照不足に起因する飢饉(スカンディナヴィアは農耕の北限であることに注意)
・ 放棄された土地を巡っての,勇猛さや攻撃性に特徴づけられた軍事的社会の形成
・ 7世紀の帆走技術や造船技術の発展
・ 独身の若い戦士が大勢いたとおぼしき状況
なお,6世紀半ばの大災害の結果として,陰鬱たる北欧神話「ラグナロク」が生まれたとされる.それは,「世界の創造が終わり,最終戦争が起きて,すべての神々,人間,生き物が死に絶える」死の季節で始まる神話である.このような暗さのなかで育まれた精神が,8世紀半ばに外へ向かって爆発した,と考えることができるのではないか.
ヴァイキングのブリテン島への侵攻については,「#1611. 入り江から内海,そして大海原へ」 ([2013-09-24-1]) の記事も要参照.
Merry Christmas! ということで,軽めの話題を.数年前のことだが,英語の語源や故事成語に関する豆知識をカード化した Orijinz という教材(?)を買ったことがある.商品サイトにメールアドレスを登録していたらしく,先日 Orijinz Quiz という HP へのリンクが送られてきた.クイズが数問あり,こちらに解答が書かれていた.
そのなかの2問はすでに本ブログでも扱っている話題である.1つは「#2771. by and large」 ([2016-11-27-1]) で扱ったばかりの話題であり,別の1つは「#1767. 固有名詞→普通名詞→人称代名詞の一部と変化してきた guy」 ([2014-02-27-1]) の話である.
去る11月に,開拓社より論文集『コーパスからわかる言語変化・変異と言語理論』が出版された(目次はこちらのPDFよりどうぞ).東北大学を基盤とする言語変化・変異研究ユニットの刊行物として出版されており,私もユニットの1メンバーとして「中英語における形容詞屈折の衰退とその言語的余波」と題する小論を寄稿させていただいた.
拙論では,15世紀の53の写本・刊本を比較できる Solopova 編 The General Prologue on CD-ROM を用いて,形容詞屈折の有無や種類を写本・刊本別に照合している.その補遺には The General Prologue の第7行を34の写本・刊本から引き抜いたリストを挙げているが,このミニ・パラレルテキストは,同作品の写本・刊本間の異同のサンプルとして一般的にも有用と思われるので,ここに示しておきたい.以下では,写本・刊本の年代により,15世紀を4半世紀ごとに区切って C15a1, C15a2, C15b1, C15b2 の区分を設け,さらに1450年前後の1写本については C15mid として別扱いにしている.形態素,綴字,句読法などの変異と変化を味わってもらいたい.
第1期 (C15a1) | |
---|---|
El | The tendre croppes / and the yonge sonne |
Ha4 | The tendre croppes and þe ȝonge sonne |
Hg | The tendre croppes / and the yonge sonne |
La | The tendre croppes 7 þe ȝonge sonne . |
第2期 (C15a2) | |
Bo2 | The tendre Croppes and the yong sonne |
En1 | The tendre croppes and' the yonge son |
Ii | The tendre croppes and the yong sonne |
Lc | The tendir croppis 7 þe yonge sonne |
Ps | The tendre croppes and the yong sonne |
Pw | The tendre croppis 7 þe yonge sonne |
Ry2 | The tendre croppes 7 the ȝonge sonne |
第3期 (C15mid) | |
Mg | The tendre croppes / and the yonge sonne |
第4期 (C15b1) | |
Ch | The tendre Croppes . and the yonge sonne |
Ds1 | The tender croppis 7 the yong' sonne |
Fi | The tender croppes and þe yonge sonne |
Ha2 | The tendre croppes . 7 the yong sonne . |
Ha3 | The tendre croppys . And þe yownge sonne |
Ht | The tendre croppes and the yong' sonne |
Ld1 | The tendre croppes and the yong sonne |
Ph2 | The tendir croppis and the yong Sūne |
Py | The tendre croppis . and the yong' sonne |
Se | The tendre croppis / 7 the yonge sonne |
Tc1 | The tendre croppis and th yong sonne |
To1 | the tendre Croppis . and the yonge sonne |
第5期 (C15b2) | |
Ad1 | The tendre croppys / and the yong sonne |
Bo1 | The tendir croppis and the yong Sūne . |
Cx1 | The tendir croppis / and' the yong sonne |
Cx2 | The tendyr croppis / and' the yong' sonne |
En3 | The tendre croppis and the yonge sonne |
Ld2 | The tendre croppys and the yong sōne . |
Ma | ¶ The tenþir Croppis . and' þe yonge son |
Pn | The tendre croppes and the yong sonne |
Tc2 | The tendre croppes / and the yonge sonne |
Wy | The tendre croppys and the yonge sonne |
歴史言語学とコーパス使用とは相性がよいと言われる.例えば英語史で考えれば,歴史的なテキストは有限であるから,すべてを電子的に格納すれば,文字通り網羅的に調査することができる.従来の英語史記述研究も,電子的でこそなかったが,特定のテキスト群を調査対象としてきた点では,同じ「コーパス」研究だったという事情もある.現在では,ますます多くの研究者が電子コーパスとその関連ツールを用いて研究しているし,この潮流は間違いなく一層発展していくだろう.
しかし,注意すべきこともある.英語コーパス言語学の入門書を著わしたリンドクヴィスト (197) が次のように述べている.
1990年以降,歴史言語学者にとってコーパスは非常に重要なツールとなりました.手作業で文献から用例を収集しなければならなかった一昔前よりも,かなり効率よく用例を捜し,傾向を探る手助けになります.とはいえ,歴史言語学では,現代言語のコーパスを使った研究以上に,元の文献に立ち返り,精査する必要があります(ただし古い時代では,その「元の文献」すら必ずしも原本ではなく複写であるかもしれず,さらにはその複写も,複数の写字生がときに自らの方言で改編して残したものの一つにすぎない可能性があります).こうした状況から,この種の歴史的なコーパス言語学は,ここ二,三百年の言語の研究とは性質を異にします.学生が古い時代の英語コーパス研究をしたいならば,英語史の授業との関連で行うのがよいでしょう.
引用に述べられている通り,とりわけ古い時代の言語を対象とする場合には,注意を要する.現代の言語を扱うかのような前提のままでいると,数々の問題にぶつかるからだ.例えば,英語史でいえば,初期近代英語以前では綴字が安定していない.ある単語を検索しようとしても,標準的な綴字がないので,考え得る様々な異綴りで検索してみる必要がある.また,文法的なタグ付けがなされている場合にも,現代英語と古英語・中英語とでは文法範疇も異なっているし,屈折語尾の種類も相違しているので,検索するにあたって事前に古い文法の知識が必須となる.要するに,先に古い言語に習熟していることが求められるのである.
さらに,引用で言及されている通り,「元の文献」の深い理解が不可欠であるにもかかわらず,コーパスを表面的に用いることに慣れてくると,得てして問題の深みに意識が向かなくなりがちだ.換言すれば,本文批評 (textual criticism) や文献学的なアプローチから疎遠になってしまう傾向がある.もちろん,コーパス自体が悪いというわけではなく,研究する者が,このことを意識的に自覚していればよいということではあるのだが,簡単ではない.
もう1つ,電子コーパス時代ならずとも問題になるが,コーパスの代表性 (representativeness) の問題が常にある.古い言語の場合には,現在に伝わるテキストは偶然に生き残ってきたという致し方のない事情があり,代表性の問題はことさらに深い.
古い時代の言語をコーパスで調査するということは,理論的にも実践的にも,一見するほどたやすくないということを理解しておきたい.関連して,以下の記事も参照.
・ 「#568. コーパスの定義と英語コーパス入門」 ([2010-11-16-1])
・ 「#363. 英語コーパス発展の3軸」 ([2010-04-25-1])
・ 「#368. コーパスは研究の可能性を広げた」 ([2010-04-30-1])
・ 「#1165. 英国でコーパス研究が盛んになった背景」 ([2012-07-05-1])
・ 「#307. コーパス利用の注意点」 ([2010-02-28-1])
・ 「#367. コーパス利用の注意点 (2)」 ([2010-04-29-1])
・ 「#1280. コーパスの代表性」 ([2012-10-28-1])
・ 「#2584. 歴史英語コーパスの代表性」 ([2016-05-24-1])
・ ハーンス・リンドクヴィスト(著),渡辺 秀樹・大森 文子・加野 まきみ・小塚 良孝(訳) 『英語コーパスを活用した言語研究』 大修館,2016年.
英語史の時代区分について,本ブログでは periodisation のいくつかの記事で論じてきた.この問題は,英語史に限らず一般に○○史を扱う際には,最重要の問題だと思っている.歴史家にとって,時代の区分数,区分名,区分幅,区分点,区分法は,自らの歴史観を最も端的に提示する機会であり手段であるからだ.また,時代区分を下手に理解してしまうと,「#2640. 英語史の時代区分が招く誤解」 ([2016-07-19-1]) で論じたように,得るところよりも失うところが多いことにもなりかねない.この問題については,一度ゼミなどで議論してみたいと思っていたが,先日,1コマ時間を割いて,それを実践してみた.英語史や○○史の時代区分について一般的にいわれていることを概説した上で,時代区分を設けることの長所と短所を自由に議論してもらった.その結果のいくつかを簡単に箇条書きしておこう.
[ 時代区分の良い点 ]
・ 学習者にとっては,区分ごとに学んでいけばよいので学びやすい
・ ある時点や時期を参照するのに名前がついていると便利
・ 複数の時期を比較するのに便利
・ 時代につけられた名前により時代の典型的なイメージが喚起される
・ 適切な区分数で区切られていると何かと扱いやすい
[ 時代区分の問題点 ]
・ 時代間の連続性がつかみにくくなる
・ 区分数,区分幅,区分名などに恣意性が感じられる
・ 区切りの年だけが注目され,その他の年は平凡で平穏なものとしてとらえられる傾向が生じる
・ ある区分の時代の内部では,何も変化が起こっていないような印象を与えてしまう
・ 時代につけられた名前により喚起されるイメージとは異なる歴史的事件が起こった場合,それをその時代に典型的でない不自然な出来事ととらえる視点が形成されてしまう
他にもいろいろあったが,とりあえず重要なものを列挙してみた.時代区分の便利な点を一言でいえば,特定の時点・時期を参照するのにたいへん優れているということだ.しかも,その時代に,その時代を象徴・代表する適切な名前をつけることによって,典型的なイメージが喚起されやすい.この点では,単に「○○世紀」や「紀元前○○年」というような数字による参照よりも,格段に優れている(ただし,そのかわりに参照の時間的正確さは少々犠牲となる).
時代区分の問題点について最も重要なのは,ある時代区分により各時代に幅と名前が与えられると,各時代の内部に生じているはずの諸々の出来事が一緒くたにまとめられてしまい,あたかも変化の乏しい平坦な時間が流れているかのような錯覚が引き起こされることだ.逆に,時代区分の境目の年代には,突如として大きな変化が生じたかのような錯覚が生じがちだ.だが,実際には,歴史における変化は,程度の差こそあれ緩やかなスロープであることが多いのである.本来はスロープなのに,時代区分を設けることで,あたかも階段であるかのように錯覚してしまうという点で,問題である (「#2628. Hockett による英語の書き言葉と話し言葉の関係を表わす直線」 ([2016-07-07-1]) を参照).歴史記述の観点からいえば,歴史的断続を主張したいときには,時代区分とそれに与える名前を工夫することでその目的を達成できるということであり,歴史的連続性を強調したいときには,時代区分はむしろ邪魔となることすらあるということである.
この問題については,今後も考察していきたい.
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