講座『スペリングでたどる英語の歴史』
第4回 doubt の <b>
--- 近代英語のスペリング

2018年2月26日

堀田 隆一

「hellog〜英語史ブログ」 url: http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/

要点

  1. 語源的スペリング
  2. 緩慢なスペリング標準化
  3. 近代英語期の辞書にみるスペリング

(1) 語源的スペリング (etymological spelling)

  1. 英国ルネサンス期 (1500--1650) に古典語(ラテン語,ギリシア語)への関心が高まる
  2. 古典語の「語源的に正しい」スペリングへの憧れ
  3. 古典語に沿って,対応する英単語のスペリングを改変
  4. しかし,発音はしばしば影響を受けなかったために,スペリングと発音との間に乖離が生じた
  5. Cf. 堀田のインタビュー記事「圧倒的腹落ち感!英語の発音と綴りが一致しない理由を専門家に聞きに行ったら、犯人は中世から近代にかけての『見栄』と『惰性』だった。」

debt の場合 (#116)

  1. debt (負債)という語は,ラテン語 dēbitum がフランス語経由で初期中英語期に借用された
  2. しかし,フランス語から借用されたときにはすでに <b> が落ちており,dette というスペリングに
  3. つまり,英語に借用された当初から <b> のスペリングは存在しなかったし,/b/ の発音もなかった
  4. ところが,13〜16世紀のあいだに,借用元のフランス語側でラテン語化した debte が流行
  5. 15世紀からは,英語側もそれに影響されて,ラテン語の語源により忠実な <b> を含めたスペリングを用いるように
  6. 注意すべきは,この一連の変更はあくまでスペリング変更であり,発音は従来通り /b/
  7. ちなみに,15世紀には,同じラテン語の dēbitum がフランス語を経由せずに,改めて debit 「借方」として英語に借用
  8. 今度の <b> はみせかけではなく,正規のスペリングであり,発音もされた
  9. したがって,現代英語の debt と debit は,同根の語が微妙に異なる形態と意味で伝わった二重語 (doublet) の例

語源的スペリングの例 (#1187)

  1. debt < late ME debte < ME dette < OFr dete < Lat debitum
  2. doubt < ME doute < Lat dubitare
  3. admonish < (earlier) amonest < OFr amonester < LLat admonestare
  4. comptroller < ME counter-roller < ANorm countreroullour "someone who makes a copy of a roll" (confused with OFr cunter < Lat computare)
  5. hiccough < hiccup < (earlier) hicket (confused with cough)
  6. indict < ME endyte, indite < LLat *indictare
  7. rhyme < ME rime < OFr rime (confused with Lat rhythmus < Gr rhythmos)
  8. scissors < ME cisours < OFr cisoires < LLat *cisoria "cutters"
  9. stomach < Fr estomac < Lat stomachus
  10. subtle < ME sotill < Lat subtilem
  11. scythe < ME scythe < OE siðe (confused with Lat scindere "to cut")
  12. victual(s) < ME vitaile < Lat victualia
  13. 非語源的スペリングの例? island < OE iȝland (confused with Fr isle < Lat insula)

island は「非語源的」スペリング? (#580)

  1. 古英語で「島」を表わす語は īegland あるいは ēaland
  2. この複合語の前半部分 īeg- や ēa は「水,川」を表わす語
  3. これに land が組み合わさって「島」を意味した
  4. さて,古英語の īegland は中英語へは iland や yland として継承
  5. 一方で,1300年頃に「島」を表わす類義語としてフランス語から ile, yle が入ってきた
  6. ここで iland は ile + land と再分析された
  7. さらにもう一ひねりとして,15世紀にフランス語側で ile が isle と綴られるように
  8. これは,ラテン語の語源 insula 「島」を参照した語源的スペリング
  9. この <s> を含んだ語源的スペリングの影響がフランス語から英語へも及び,英語でも15世紀から isle が現われだした
  10. こうしたスペリングの経緯を尻目に,発音のほうは /s/ を挿入するわけでもなく,現在に至る

語源的スペリングの礼賛者 Holofernes (#1943)

  1. Shakespeare は,語源的スペリングの衒学的な含みを皮肉って Love's Labour's Lost (1594--95) のなかで Holofernes なる学者を登場させている
  2. Holofernes は,語源的スペリングの礼賛者.スペリングをラテン語風に改めるばかりか,その通りに発音すべしとすら吹聴する衒学ぶり
  3. Holofernes は助手 Nathanial との会話において,Don Armado の無学を非難しながら次のように述べる

    He draweth out the thred of his verbositie, finer then the staple of his argument. I abhore such phanaticall phantasims, such insociable and poynt deuise companions, such rackers of ortagriphie, as to speake dout sine b, when he should say doubt; det, when he shold pronounce debt; d e b t, not d e t: he clepeth a Calfe, Caufe: halfe, haufe: neighbour vocatur nebour; neigh abreuiated ne: this is abhominable, which he would call abbominable, it insinuateth me of infamie: ne intelligis domine, to make frantick lunatick? (Love's Labour's Lost, V.i.17--23 qtd. in Horobin, p. 113--14)

その後の発音の「追随」:fault の場合 (#2099)

  1. 英語で l を含むスペリングが標準となったのは17世紀以降
  2. しかし,発音における /l/ の挙動はその前後で安定しなかった
  3. "The l is sometimes sounded, and sometimes mute. In conversation it is generally suppressed" (Johnson's Dictionary)
  4. "Hart once retains l in faults, probably by error; Gil says that most omit the l, but some --- pronounce it, and twice gives transcriptions with l elsewhere . . ." (Dobson, Vol. 2, §425. fn. 5)
  5. "FAULT, sb. and v. Var. dial. uses in Sc. Irel. Eng. and Amer. Also in forms faut Sc. Ir. n.Yks.2 e.Yks. n.Lin.1 War. Shr.1 2 Som. w.Som.1; faute Sc.; fowt Suf. [folt, fat, f$t, fout.]" (Wright, English Dialect Dictionary)

フランス語でも語源的スペリングが・・・ (#1790, #2056, #2057)

  1. フランス語でも13世紀末からラテン語に基づく語源的スペリングが現われだしていた
  2. 導入前: conoistre, destre, doter, escrit, fait, nuit, oscur, saint, semaine, soissante, soz, tens
  3. 導入後: cognoistre, dextre, doubter, escript, faict, nuict, obscur, sainct, sepmaine, soixante, soubz, temps
  4. これらの単語には英仏両言語において共通するものも
  5. フランス語のスペリング習慣の影響が英語にも?あるいは英仏相互の影響?

スペリングの機能は表語 (#2058, #2059)

  1. スペリングの表語性
     個々の文字は表音的だが,その集合単位であるスペリングはあくまで表語を目指している
  2. 英語書記の性質の一大変化 (#1332)
     中英語では同じ音を同じスペリングで表わそうとしたが,同じ語を同じスペリングで表わそうとはしなかった.
     一方,近代英語では,同じ音を同じスペリングで表わすことにはこだわらなくなったが,同じ語を同じスペリングで表わすことにこだわるようになった
  3. 黙読習慣の発達
     文字は発音を介さず,直接語という単位に結びつくことになった
  4.  

(2) 緩慢なスペリング標準化 (#2321)

  1. 1400年頃,書き言葉の標準化のめばえ
  2. 15世紀前半に "Chancery Standard" が出現し,公文書に採用されるようになる (#193)
  3. 1475年,William Caxton により英語が印刷に初めて付される (#241)
  4. 16世紀後半,Richard Mulcaster による辞書作りの提案 (#441, #1995)
  5. 17世紀,辞書が次々に出版(後述)
  6. Shakespeare の自筆サイン (#1720, #1732)
  7. 1650年頃には,ある程度標準化した
  8. 1755年,Johnson の辞書の出版でスペリング標準化の事実上の完成(後述)

印刷はスペリングの標準化を促したか?

  1. 1475年,William Caxton による英語印刷の始まり
  2. 印刷術の導入は英語の標準化を推進したか?
  3. 印刷術はむしろまだ残っていたスペリングの変異を国中に広める役割を果たした (#297)
  4. 印刷文化は写本文化をただちに置換したわけではなく,むしろ後者を模倣した (#871, #1312)
  5. 印刷術導入直後の植字術が未発達の時代には,行端揃え (justification) を達成するのに,埋め草スペリングなどが (ex. onely, onlie, onlye, onelie, onelye, onelich, onelych, oneliche, onelyche, ondeliche, ondelyche)
  6. しかし,17世紀に入ると目に見えて標準化が進展

(3) 近代英語期の辞書にみるスペリング

  1. Robert Cawdrey's A Table Alphabeticall (1603)
  2. Samuel Johnson's Dictionary of the English Language (1755)
  3. その他,Noah Webster's The American Dictionary of the English Language (1828) や The Oxford English Dictionary (1884--1925) なども (#898)

Robert Cawdrey's A Table Alphabeticall (1603) (#1609)

  1. 英語史上最初の英英辞書 (#603, #604)
  2. 実際には難語辞書として (#609)
  3. 辞書の表紙にすらスペリングの揺れが (#586)

    A Table Alphabeticall, conteyning and teaching the true vvriting, and vnderstanding of hard vsuall English wordes, borrowed from the Hebrew, Greeke, Latine, or French. &c.
    With the interpretation thereof by plaine English words, gathered for the benefit & helpe of Ladies, Gentlewomen, or any other vnskilfull persons.

Samuel Johnson's Dictionary of the English Language (1755) (#1420)

  1. practice/practise, council/counsel, discreet/discrete の区別 (#2510)
  2. -ic ではなく -ick (#872)
  3. <i> と <j> はいまだ完全には分化していない (#1650)

まとめ

  1. ルネサンス期にラテン語かぶれしたスペリングが多く出現
  2. スペリング標準化は14世紀末から18世紀半ばにかけての息の長い営みだった
  3. 近代英語期の辞書においても,スペリング標準化は完全には達成されていない

参考文献