印刷術の発明と英語

2017年11月12日

堀田 隆一

「hellog〜英語史ブログ」 url: http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/

要点

  1. 印刷術の「発明」
  2. 近代国語としての英語の誕生
  3. 綴字標準化への貢献

(1) 印刷術の「発明」

  1. ルネサンスの3大「発明」:羅針盤,火薬,活版印刷術
  2. いずれも中国起源のものの「改良」
  3. 西洋の言語,学問,宗教,政治,経済など文化のあらゆる分野に大きな影響を

印刷術(と製紙法)の前史

関連年表

Johannes Gutenberg (1400?--68)

William Caxton (1422?--91)

(2) 近代国語としての英語の誕生

  1. 西洋近代,ローマ教皇に対する世俗権力の強まり
  2. 近代国家の誕生
  3. ラテン語に対する俗語 (vernaculars) の台頭
  4. 近代国語の誕生
  5. イングランドのみならずフランス,イタリア,ドイツ,スペインでも
  6. 印刷術が近代国語の普及を後押し

宗教改革と印刷術の二人三脚

  1. Cf. 「宗教改革と英語史」
  2. 14世紀後半,Wycliffe の英訳聖書 (#2988)
  3. 1517年,ルターが宗教改革を開始
  4. 1534年,ヘンリー8世が「国王至上法」により英国国教会を設立
  5. 16世紀中,イングランドで多様な英訳聖書やパンフレットが印刷される (cf. 英訳聖書の年表 (#1709, #1427)
  6. 多くの人々が俗語で聖書を読めるようになった (cf. 当時の識字率について (#3066))
  7. 宗教改革と印刷術の二人三脚により俗語たる英語の地位が高まった (#2927, #2937)
  8. 宗教改革,絶対王政,近代国語の形成,大航海時代を支えた印刷術 (#3119)

近代国語意識の芽生え

  1. 16世紀,英語で書くのはいまだ「申し訳ない」こと (#1407)
  2. 17世紀,英語で書くことへの「自信」が確立 (#2611)
  3. 初期近代英語の国語意識の段階 (#2580)
  4. 1586年,最初の英文法書,William Bullokar の Pamphlet for Grammar (#2570)
  5. 1604年,最初の英語辞書,Robert Cawdrey の A Table Alphabeticall (#603)

(3) 綴字標準化への貢献

  1. 「印刷術の導入が綴字標準化を推進した」説
  2. 先立つ中英語時代の綴字の多様性 (cf. "through" の例 (#53))
  3. 植字工の作業効率のために,1つの単語につき1つの綴字という原則が定まった?
  4. 印刷により固定化した綴字が流布するようになった?
  5. 一定の貢献をなしたことは事実だが・・・

「印刷術の導入が綴字標準化を推進した」説への疑義

  1. Cf. #297, #871, #1312, #1385
  2. 前時代より受け継がれた綴字の多様性が印刷術によって拡散した
  3. 写本文化も印刷文化と平行してしばらく継続していた
  4. 行端揃えのための多様な綴字の利用 (e.g. onely, onlie, onlye, onelie, onelye, onelich, onelych, oneliche, onelyche, ondeliche, ondelyche)
  5. 初期印刷工の一貫した綴字への関心は薄かった

綴字標準化はあくまで緩慢に進行した

14世紀後半,Chaucer の時代辺りに書き言葉標準の芽生えがみられた.15世紀に標準化の流れが緩やかに進んだが,世紀後半の印刷術の導入は,必ずしも一般に信じられているほど劇的に綴字の標準化を推進したわけではない.続く16世紀にかけても,標準化への潮流は緩やかにみられたが,それほど著しい「もがき」は感じられない.しかし,17世紀に入ると,印刷業者というよりはむしろ正音学者や教師の働きにより,標準的綴字が広範囲に展開することになった.1650年頃には事実上の標準化が達せられていたが,より意識的な「理性化」の段階に進んだのは理性の時代たる18世紀のことである.そして,Johnson の Dictionary (1755) が,これにだめ押しを加えた.(#2321)

まとめ

  1. グーテンベルクによる印刷術の「改良」(「発明」ではなく)
  2. 印刷術は,宗教改革と二人三脚で近代国語としての英語の台頭を後押しした
  3. 印刷術は,綴字標準化にも一定の影響を与えた

参考文献

補遺: Prologue to Eneydos (#337)

And certaynly our langage now vsed varyeth ferre from that which was vsed and spoken whan I was borne / For we englysshe men / ben borne vnder the domynacyon of the mone, whiche is neuer stedfaste / but euer wauerynge / wexynge one season / and waneth & dyscreaseth another season / And that comyn englysshe that is spoken in one shyre varyeth from a nother. In so moche that in my dayes happened that certayn marchauntes were in a shippe in tamyse , for to haue sayled ouer the see into zelande / and for lacke of wynde, thei taryed atte forlond, and wente to lande for to refreshe them; And one of theym, named sheffelde, a mercer, cam in-to an hows and axed for mete; and specyally he axyd after eggys; And the goode wyf answerde, that she coude speke no frenshe. And the marchaunt was angry, for he also coude speke no frenshe, but wolde haue hadde egges / and she vnderstode hym not / And thenne at laste a nother sayd that he wolde haue eyren / then the good wyf sayd that she vnderstod hym wel / Loo, what sholde a man in thyse dayes now wryte, egges or eyren / certaynly it is harde to playse euery man / by cause of dyuersite & chaunge of langage.