講座『スペリングでたどる英語の歴史』
第1回 英語のスペリングの不規則性

2018年1月25日

堀田 隆一

「hellog〜英語史ブログ」 url: http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/

本講座のねらい

多くの学習者にとって,英語のスペリングは,不規則で例外ばかりの暗記を強いる存在と映ります.なぜ knight や doubt というスペリングには,発音しない <k>, <gh>, <b> のような文字があるのでしょうか.なぜ color と colour,center と centre のような,不要とも思える代替スペリングがあるのでしょうか.しかし,不合理に思われるこれらのスペリングの各々にも,なぜそのようなスペリングになっているかという歴史的な理由が「誇張ではなく」100%存在するのです.本講座では,英語のたどってきた1500年以上の歴史を参照しながら,個々の単語のスペリングの「なぜ?」に納得のゆく説明を施します.講座を通じて,とりわけ次の3点に注目していきます.

  1. 英語のスペリングの不規則性の理由
  2. スペリングの「正しさ」とは何か
  3. 「英語のスペリングは英語文化の歴史の結晶である」

5回にわたる本講座のメニューは以下の通りです.

  1. 総論;英語のスペリングの不規則性
  2. 英語初のアルファベット表記 --- 古英語のスペリング
  3. 515通りの through --- 中英語のスペリング
  4. doubt の <b> --- 近代英語のスペリング
  5. color か colour か? --- アメリカのスペリング

第1回 「英語のスペリングの不規則性」の要点

  1. 英語のスペリングはどのくらい(不)規則的か
  2. 文字の類型と歴史
  3. 文字とスペリングの基本的性格

(1) 英語のスペリングはどのくらい(不)規則的か

  1. "ghoti" とは? (#15)
  2. <gh> reads /f/ as in "tough"
    <o> reads /ɪ/ as in "women"
    <ti> reads /ʃ/ as in "nation"

  3. 発音とスペリングの乖離をだしにした詩 (#201, #1195, #2085, #2590)
  4. I take it you already know
    Of tough and bough and cough and dough?
    Some may stumble but not you,
    On hiccough, thorough, slough, and through?
    So now you are ready perhaps
    to learn of less familiar traps?
    Beware of heard, a dreadful word
    that looks like beard and sounds like bird,
    and dead is said like bed, not bead or deed.
    Watch out for meat, great, and threat that
    rhyme with suite, straight, and debt.

  5. 日常語にみられるスペリングの不規則性 (#1024)
  6. although, among, answer, are, aunt, autumn, blood, build, castle, clerk, climb, colour, comb, come, cough, could, course, debt, do, does, done, dough, eye, friend, gone, great, have, hour, island, journey, key, lamb, listen, move, none, of, once, one, only, own, people, pretty, quay, receive, rough, said, salt, says, shoe, shoulder, some, sugar, talk, two, was, water, were, where, who, you

  7. /iː/ に対応する様々な綴字 (#2205)

発音とスペリングの「多対多」

  1. 「1対1」の理想:発音記号,ローマ字,かな
  2. 「多対多」の現実:母音の場合 (#2515)
  3.  vocalic phonemevocalic grapheme の例種類
    1/i/ee, ea, e, e...e, ei, ie. eo, i, ae, oe, ay, ey, eau, e, ui15
    2/ɪ/i, ie, e, y, o, ui, ee, u, ay, ea, ei, ia, ai, a, ey, eight16
    3/e/e, ea, ai, ay, eo, ie, ei, u, eh, ey, ae, egm, a, oe15
    4/æ/a, ai2
    5/ʌ/u, o, ou, oo, oe, ow6
    6/ɑ/are, ah, al, ar, a, er, au, aa, ear, aar, ir11
    7/ɐ/o, a, ow, ou, au, ach6
    8/ɔ/aw, a, al, au, ough, oa, or, our, oo, ore, oar, as, o, augh15
    9/ʊ/oo, o, ou, oul, oe, or7
    10/uː/oo, o, o...e, u, wo, oe, ou, uh, ough, ow, ui, eux, ioux, eu, ew, ieu, ue, oeu18
    11/ɜ/ur, urr, ear, ir, err, er, or, olo, our, eur, yr, yrrh12
    12/ə/a, u, ar, o, e, ia, i, ough, gh, ou, er, o(u)r, or, ei, ure, eon, oi, or, oar19
    13/eɪ/a...e, a, ea, ai, ei, ay, ao, eh, ey, eigh, ag, aig, e, alf, aa, au, ae, oi, e, et20
    14/ɑɪ/I, I...E, EYE, AY, IE, Y, IGH, UY, Y...E, IGN, YE, EIGH, IS, UI, OI, EY, EI, AIS19
    15/ɔɪ/oi, oy, eu, uoy4
    16/əʊ/o...e, ol, ow, oh, owe, o, ou, oa, oe, eo, ew, ough, eau, au, ogn16
    17/aʊ/ow, aou, ou, eo, au, ough, iaour7
    18/ɪə/ear, eer, ia, ere, eir, ier, a, ea, eu, iu, e, eou, eor, iou, io, ir16
    19/eə/are, air, ear, eir, ere, aire, ar, ayor8
    20/ʊə/uo, oer, oor, ure, our, ua, ue, we, uou9
     合計 241
  4. 「多対多」の現実:子音の場合 (#2516)
  5.  consonantal phonemeconsonantal grapheme の例種類
    1/p/p, gh, pp, ph, pe5
    2/b/b, bh, bb, pb, be5
    3/t/t, th, pt, ct, ed, tt, bt7
    4/d/d, bd, dh, dd, ed, ddh6
    5/k/k, c, kh, ch, que, qu, cque, cqu, q, cch, cc, ck, che, ke, x, gh, cu17
    6/q/g, gu, gh, gg, gue5
    7/ʧ/ch, tch, t, c, cz, te, ti7
    8/ʤ/j, g, dg, gi, ge, dj, g, di, d, dge, gg, ch12
    9/f/f, ph, gh, ff, v, pph, u, fe8
    10/v/v, f, ph, vv, v5
    11/θ/th1
    12/ð/th1
    13/s/s, sci, c, sch, ce, ps, ss, sw, se9
    14/z/z, se, x, ss, cz, zz, sc7
    15/ʃ/sh, shi, sch, s, si, ss, ssi, ti, ch, ci, ce, sci, chsi, se, c, psh, t17
    16/ʒ/s, z, si, zi, ti, ge6
    17/h/h, wh, x3
    18/m/m, mb, mn, mm, mpd, gm, me7
    19/n/n, mn, ne, pn, kn, gn, nn, mpt, ln, dn10
    20/ŋ/ng, n, ngue, nd, ngh5
    21/l/l, ll, le3
    22/r/r, rh, rrh, rr, wr5
    23/j/y, j, i, ll4
    24/w/w, o, ou, u4
     合計 159
  6. 日本語の場合:「は」と「へ」,「お」と「を」,漢字の音訓,同音異字 (#284, #285)
  7. 子牛・犢,工師,公子,公司,公私,公使,公試,孔子,甲子,交子,交趾・交阯,光子,合志,好士,考試,行死,行使,孝子,孝志,更始,厚志,厚紙,後肢,後翅,後嗣,皇子,皇師,皇嗣,紅脂,紅紫,郊祀,香脂,格子,貢士,貢使,高士,高志,高師,黄紙,皓歯,構思,嚆矢,講師,恋し

  8. それでも,英語のスペリングの規則性は75%〜84%といわれる (#503)

(2) 文字の類型と歴史 (#422)

  1. 文字が発音に対応していない文字体系 = 非表音文字 (non-phonographic)
    1. 絵文字 (pictographic):絵が指し示すモノそのものに対応.鳥の輪郭であれば鳥を指すなど.もっとも原始的な形態で,世界各地で発見される.紀元前3000年頃のエジプトやメソポタミアの絵文字,紀元前1500年頃の中国の絵文字,現代の道路標識など.
    2. 表意文字 (ideographic):絵文字から発展した形態で,文字の輪郭はより幾何学的な形態へ移行.文字はモノそのものだけでなく慣習的に結びついた意味も表すようになる.例えば初期のシュメール文字では,星をかたどる幾何学的文字は,「夜」「暗い」「黒い」など星と慣習的に結びついた意味をも示すようになる.現代では,アイロンの絵に大きな×のついた「アイロンがけ不可」を意味する標示では,アイロンが絵文字的,×が表意文字的な役割を果たしている.純粋な表意文字体系というのは珍しく,たいてい絵文字体系などと組み合わさって存在する.
    3. 表語文字 (logographic):漢字が典型的な表語文字といわれる.中国の漢字は50,000ほどあるといわれるが,基本文字に限れば日本の漢字の場合と同様に,2,000程度で済む.必ずしも語 (word) という単位でなく形態素 (morpheme) に対応していることもあり,厳密には表語文字と呼ぶのは適切でないかもしれない.
  2. 文字が発音に対応している文字体系 = 表音文字 (phonographic)
    1. 音節文字 (syllabic) .日本語の仮名が典型的な音節文字といわれる.表語文字に比べて文字数はぐっと少なくなり,数十から数百の間に収まる.
    2. 音素文字 (alphabetic) .文字と音素の対応が緊密な文字体系.非常に経済的な文字体系で,文字数は20〜30くらいに収まることが多い.Greek alphabet, Roman alphabet, runes, ogham など複数のアルファベットが存在するが,いずれも起源は North Semitic と呼ばれるパレスチナやシリアなどで紀元前1700年くらいに用いられた原初アルファベットに遡る.

言語と文字の歴史は浅い (#41)

出来事約〜年前
人類の発生5,000,000?
Homo erectus の発生2,000,000
Homo sapiens の発生500,000
言語の発生100,000
インダス文字の起源5,500
エジプト文字の起源5,300
メソポタミア文字の起源5,100
漢字の起源3,500
ヒッタイト文字の起源3,500
マヤ文字の起源2,500
古代ペルシャ文字の起源2,500
古代インド文字の起源2,250

文字の系統 (#2398)

History of Writing

(3) 文字とスペリングの基本的性格

  1. 話し言葉と書き言葉の違い (#1001)
  2. Speech and Writing
  3. 書き言葉の3つの機能 (#1829)
    1. 口頭の言説を写す言説的機能
    2. 情報の記憶装置としての資料的機能
    3. 文字の形や大きさ,文字列の空間的な配列によるコミュニケーションの働きをなす図像的機能
  4. 文字の多機能性:<e> の場合 (#979)
    1. 当然ながら,短母音 /ɛ/ あるいは長母音 /iː/ を表わすという基本的な表音機能をもっている (ex. set, me) .
    2. これも英語のアルファベットの常だが,English, certain, ballet, serious などにおいては,<e> は別の母音を表わしている.
    3. 他の母音字と組み合わさって,様々な母音を表わす (ex. great, wear, ear; meet, beer; rein, believe; leopard, people; Europe; bureau)
    4. 上記の magic <e> .「先行する母音」は,直接に先行する場合と (ex. die, doe) ,子音字が挿入されている場合 (ex. take, mete, side, rose, cube) がある.
    5. <e> の有無によって先行する子音の音価が決定される (ex. bathe vs bath, breathe vs breath, teethe vs teeth; singe vs sing; vice vs Vic) .
    6. 特に共時的な機能を示さず,単にかつての発音を示唆するだけという場合がある (ex. give, have, love, some) .
    7. (特に英米)変種間の,綴字上の区別 (ex. judg(e)ment, ag(e)ing, ax(e)) や,発音上の区別 (ex. clerk with AmE /ɛr/ or BrE /ɑː/) を表わす.
    8. 屈折語尾でないことを示す (ex. lapse vs laps, please vs pleas) .
    9. 同綴異義語 (homograph) を避ける (ex. singeing vs singing, dyeing vs dying) .
    10. 多義語の語義を区別する (ex. borne vs born; blonde vs blond) .
  5. 書き言葉の自立性について

スペリングとは?

  1. 1つ以上の文字からなる「機能的な」単位(典型的には語や形態素に対応する)
  2. スペリングの最終的な目的は「表語」
  3. スペリング≠文字の羅列
  4.  英語の綴字は,表音文字であるアルファベットを採用していながら,音と文字の対応が不規則であることが多いという不満がしばしば聞かれるが,これは文字の単位と綴字の単位を混同した言い方である.英語の書記は,文字の単位では表音的といってよいが,それを組み合わせた綴字の単位では表語的である.これはちょうど歴史的仮名遣いでは表音文字を組み合わせて「てふてふ」と表記していながら,全体としては「ちょうちょう」と発音する「蝶々」という語に対応させるのと同じことである.

  5. 発音とスペリングはロープでつながれた2艘のボート (#2292)
  6. Two Boat Model of Spelling and Pronunciation
  7. いかにして歴史を通じて発音とスペリングが乖離してきたか?

まとめ

  1. 英語のスペリングの不規則性は日常語に多くみられるが,全体としてはそれなりに規則的
  2. 英語の文字は,表音的な音素文字(アルファベット)の歴史と特徴を引き継ぐ
  3. 英語のスペリングは,表音文字を用いながらも表語を目指している

参考文献