標記の問題は,多くの人が関心をもつ問題である.[2010-08-27-1]の記事「#487. 主な印欧諸語の文法性」でみたように,現代英語や少数の言語は例外として,印欧諸語の大部分が文法的な性 (grammatical gender) の体系を保持している.この自然性 (natural gender) とは一致しない,不合理にみえる名詞の分類法はいったいどのような動機づけで発生したのだろうか.諸説紛々としているが,1つの説として Szemerényi (155--57) の論に耳を傾けよう.
再建された形態論に従えば,印欧祖語には男性 (masculine) ,女性 (feminine) ,中性 (neuter) の3性があったとされる.この3性体系は,Balto-Slavic や Germanic を中心に多く保持されているが,中性名詞が男性と女性へ割り振られて2性体系へと再編成された言語も,Lithuanian やロマンス諸語など,少なくない.
さて,印欧祖語の3性体系は,その前段階として想定される共性 (common) と中性 (neuter) の2性体系から分化・発達したものと考えられる.というのは,古代の屈折クラスでは,男性と女性とは類似した屈折要素を示しているが (ex. patēr, mētēr; see also ##698,699) ,中性はそれらと対立していたからである.印欧祖語の段階ではすでに,共性から分化する形で女性が確立していたと考えてよいが,共性と中性の2性体系が前段階にあったという仮説には一理ある.
共性から女性が分化・発達したのはなぜかという問題についても百家争鳴だが,伝統的な見解によれば,たまたま特定の音形をもっていた「女性」などを意味する語の形態がモデルとなり,そこに含まれる母音などが,他の名詞においても女性名詞を標示するものとして機能するようになったのではないかといわれる.
では,原初の共生と中性の2性システムが,そもそも最初に生じたのはなぜだろうか.Meillet の見解はこうである.印欧祖語では,いくつかの重要な概念に対して,有生的 (animate) なとらえ方と無生的 (inanimate) なとらえ方の2種類が区別されており,それぞれに異なる形態が割り当てられていた.例えば,「火」はラテン語では ignis だが,ギリシア語には,まったく異なる語根を反映する pûr がある.同様に,「水」はラテン語 aqua に対してギリシア語 húdōr がある,等々.森羅万象を有生に見立てるか,無生に見立てるかという世界観に基づいて,共性と中性という2性体系が生じたということではないか.
なお,文証される印欧語として最も古い Hittite は,共性と中性の2性体系である.これほど古い段階の印欧語が2性体系だったということは,印欧祖語の性体系の議論にも大きな影響を及ぼす.Hittite の2性体系は,印欧祖語の3性体系から女性が失われた結果を示すのか,あるいは印欧祖語がいまだ2性体系だった早い時代に分岐したことを示すのか.比較言語学のミステリーである.
・ Szemerényi, Oswald J. L. Introduction to Indo-European Linguistics. Trans. from Einführung in die vergleichende Sprachwissenschaft. 4th ed. 1990. Oxford: OUP, 1996.
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