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古英語から中英語にかけての時代は,3人称代名詞体系が大変化を被った時代である.古英語では3人称代名詞は一貫して h で始まる形態を保持しており,性・数・格の区別は主として h に後続する母音によってなされていた.his, him, hīe, hit などの同音異義 (homophony) は確かに存在したが,体系に異変を生じさせるほどの問題とはなっていなかった.(古英語,中英語,現代英語の人称代名詞体系の比較には,##155,181,196 を参照.)
ところが,中英語期に近づくと,母音の水平化が進行し,特に主格形において homophony が顕著になってきた.古英語の男性単数主格 hē,女性単数主格 hēo,複数主格 hīe が,母音の区別の曖昧化により,いずれも he のような形態へと収斂してしまう機会が増えてきたのである.方言によっては最小限の母音の区別が保たれ,h- 形の保たれた場合もあるが,北部方言を代表とする多くの方言では,同音異義衝突 (homonymic clash) を避けるかのように,刷新形を受け入れていった.このようにして,現代英語の分布である男性単数主格 he,女性単数主格 she,複数主格 they の原型が作られた.
以上の homonymic clash 回避の議論は,[2011-04-10-1]の記事「#713. "though" と "they" の同音異義衝突」や[2011-06-28-1]の記事「#792. she --- 最も頻度の高い語源不詳の語」でも触れた.今回新たに考えたのは,衝突の回避とは,形態的な区別を明確化する言語変化として,広く異化 (dissimilation) の問題とも捉えられないかということである.男性単数主格の h-,女性単数主格の sh-,複数主格の th- に加え,中性単数主格が古英語形 hit から h を落としていったことも注目すべきである([2010-08-07-1]の記事「#467. 人称代名詞 it の語頭に /h/ があったか否か」を参照).結果的に,互いの語頭子音(の有無)で明確に区別されるようになったのがおもしろい.
かつては一律に語頭子音 h- をもち,主として後続する母音によって区別していた性や数が,今やむしろ語頭子音を違えることで明確に区別されるようになったというのだから,言語変化は不思議だ.後からみれば,音韻変化によって崩れかけた3人称代名詞体系が異化作用によって崩壊を逃れたかのようである.言語体系の治癒力 (therapeutic power) というものを想定したくなる言語変化の事例だろう.
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最終更新時間: 2024-11-26 08:10
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