動詞の過去(分詞)の接尾辞 {-ed} と,動詞の3単現あるいは名詞の複数の接尾辞 {-(e)s} とでは,綴字において付け方が異なる.およそ平行的に振る舞うかのように見えて,いろいろと細かな違いがある.Carney (18--19) が共時的な観点から,この問題に迫っているので,引用しよう.
. . . The past tense and participle morpheme {-ed} in regular verbs (ignoring forms such as spelt, spent, dreamt) has a constant <-ed> spelling in spite of the phonemic variation /ɪd/ (waited), /d/ (warned) and /t/ (watched).
There is very similar allomorphic variation in the noun plural and 3rd person present tense of the verb with its variants /ɪz/ (watches), /z/ (warns) and /s/ (waits). The two sets of phonetic variants are often cited together as equivalent examples of morphemic spelling. If we look closely at the details, however we find in fact that they are dealt with rather differently in the writing system (table 5).
Table 5 English plural and past tense inflections
{-ed} ending {-(e)s} ending 1 /-ɪd/ matted /-ɪz/ masses 2 /-ɪd/ mated /-ɪz/ maces 3 /-t/ hopped /-s/ (No *hoppes) 4 /-t/ hoped /-s/ hops, hopes 5 /-d/ planned /-z/ (No *plannes) 6 /-d/ planed /-z/ plans, planes 7 /-d/ hurried /-z/ hurries 8 /-d/ radioed /-z/ radios 9 /-d/ vetoed /-z/ vetoes, or vetos
Table 5 gives examples of each suffix in its three phonemic variants. The words provided as contexts include a preceding long vowel followed by a single consonant, a preceding short vowel followed by a single consonant, and the spelling variation found after <o>. The past tense has a constant <ed> spelling across all these contexts which is only varied by merging with a final <-e> in the long vowel words (e.g. hope -- hoped). The marking of the long vowels is also done indirectly by using <C>-doubling to mark a previous short vowel --- absence of doubling marks the long vowel. This is not done in the noun plural suffix, so there are no equivalents in rows 3 and 5 to <hopped> and <planned>, that is *<hoppes> and *<plannes>. Nor is there a variant spelling *<vetod> to spoil the uniformity of <-ed>. The <e> of <-oes> and <-ies> is best treated as a marker of the long vowel. Grammarians refer to the two inflections as the -s form and the -ed form and this is in accordance with the traditional spelling rule that one adds <-s> and <-ed> respectively to the base form.
If we try to use a consistent <-ed> morphemic spelling in chopping up words into correspondences without any overlap, this lack of symmetry becomes apparent. In scribbles we have /əl/≡<le> and in scribbled we have /əl/≡<l>; in hopes we have <e>-marking of the vowel as /əʊ/≡<o..e>, /p/≡<p>, /s/≡<s>, but in hoped we have /əʊ/≡<o>, /p/≡<p>, /t/≡<ed>, while the long vowel is marked by absence of <C>-doubling. In a process description, and indeed for any human speller, this is catered for by 'dovetailing' so that <hope>+<ed> becomes <hoped>, <eight>+<ty> becomes <eighty>, etc.
Carney は,綴字の原理は "a constant spelling for a morpheme" と "the varying pronunciation of the morpheme in different contexts" の間のバランスの上に成り立つものであり,それが個々の綴字(規則)のなかで複雑に配分されていることを示唆している.その配分の違いが,{-ed} と {-s} にも現われていると考えられる.しかし,なぜそうなのかについては,通時的な観点も含めてさらに調べる必要がある.
・ Carney, Edward. A Survey of English Spelling. Abingdon: Routledge, 1994.
このしょうもない(?)ダジャレの標題は,こちらのツイートより.これは実に難問.ninth の綴字については,確かに私も昔から不思議に思っていたのだが,そのまま放って置いた問題ではある(このような例は潜在的に無数あるのではないかと思われる).このツイートを見てから少し調べてみたのだが,解決は簡単ではない.それでも,考えてみたことを書き記しておきたい.
先に当面の結論を述べておくと,
(1) ninth の形態は中英語以降の比較的新しい語形成の結果であり,
(2) nine -- ninth の綴字の交替は five -- fifth と平行的と考えられ,
(3) ninth の <-nth> は seventh, tenth, eleventh などからの類推によるものではないか,
ということだ.以下,それぞれについて述べたい.
(1) まず考慮すべきは,ninth の語源だ.古英語で基数詞「9」は nigon,問題の序数詞「9番目の」は nigoð である.基数詞の語末の n は,序数詞では接尾辞 -ð の前で脱落しているが,これは seofoða, tēoða などと同様に規則的な音韻過程の結果である.ということは,現代英語の ninth, seventh, tenth などの序数詞の形態は,基数詞の形態をもとに,後から「作り直した」ものであることがわかる.古英語の形態は niȝeþe などとして中英語期にも受け継がれたが,一方で基数詞を範とした niȝonþe, ninthe なども形成され,1300年頃から用いられるようになった.MED によれば,当該語の見出しには次のような異綴りが確認される.
nīnthe (num.) Also nineth(e, neinthe, neinethe, neienthe, ninteth, nineinthe & niethe, nithe, neghed, (early) niȝethe, niȝothe, nigethe, nihethe, nihȝethe, noeȝthe, neiȝd, (infl.) niȝodan & niend, nind(e, neind, nend, neinind, neint, ninte, nent(e, nighend, neghend(e, neighend, neȝende, niȝente, neghent, nihend, neuent, (early) niȝende, niȝhende.
これらの様々な異形がしばらく並存していたが,近代英語の16世紀になると,現代に連なる ninth が普通となっていく.このように,ninth の形態の発生も定着も,比較的遅咲きである.
(2) 次に,基数詞 nine との関係を考える.古英語 nigon の形態から分かるとおり,もともと基数詞の語尾に <e> の綴字はなかった.中英語期に,語中の <g> で示される子音が母音化し,結果として長母音を示す nin などとなったが,ここでも <e> はなかった.しかし,これは無屈折の見出し語の形態における話である.数詞は形容詞の仲間であるから,当然,屈折した.複数屈折として nin に -e の語尾が付き nine などとなることは,fif に対する fife (> five) と同様に一般的であり,基数詞としてはこちらの形態がやがて定着した.しかし,序数詞に関しては,(1) で見たとおり,後からの「作り直し」だったわけだが,その範となったのは -e の付かない nin のほうだった.基数詞と序数詞の基体の異なりを説明するのは難しいが,1つには,nin と nine が揺れを示していた時期に各々のスペリングが形成され,定着したという事情がありそうだ.
もう1つの事情としては,「#1080. なぜ five の序数詞は fifth なのか?」 ([2012-04-11-1]) で論じた five -- fifth というペアとの平行性があるのではないか(『はじめての英語史』コンパニオン・サイトのリンク集の2.4節のところに張ったリンク等も参照).five -- fifth と nine -- ninth を比べると分かるとおり,基数詞では複数屈折の -e を含む形態が採用されており,序数詞では -e を含まない形態に -th が接続している.もちろん,音韻的に考えれば fifth では(歴史的に短化したので)短母音を示し,ninth では2重母音を示すという重要な違いがあり,完全な平行性を主張することはできないが,綴字において比較されうる関係にあることは指摘できる.
(3) 最後に,ninth の <-nth> は,seventh, tenth などの <-nth> からの類推によるものではないかとも考えられる.ninth を含めてこれらの <-nth> 序数詞の語末子音は近代英語まで [θ] のほか [ð] も行なわれていた(中尾,p. 383).このような音声的な振る舞いの共通性も,*nineth ではなく ninth を助長したのではないか.
以上,必ずしも強力な説明とはなっていないようにも思われるが,理屈を立ててみた.参考までに,各種資料から抜き出した断片をメモとして残しておく.
ninth adj. About 1300 nynthe; developed from Old English nigonthe (nigon nine + -tha) (Barnhart)
ninish, ninth. The final -e of nine is not carried over into these two forms. (Burchfield)
ninth nainþ. ME. niȝonþe (XII), a new formation superseding OE. niġoþe. (Hoad)
ME. nyne, nine, Chaucer, C. T. 24. Here the final -e is the usual pl. ending, and nyne stands for an older form niȝene, extended form of niȝen . . . . (Skeat)
・ 中尾 俊夫 『英語史 II』 英語学大系第9巻 大修館書店,1972年.21頁.
・ Barnhart, Robert K. and Sol Steimetz, eds. The Barnhart Dictionary of Etymology. Bronxville, NY: The H. W. Wilson, 1988.
・ Burchfield, Robert, ed. Fowler's Modern English Usage. Rev. 3rd ed. Oxford: OUP, 1998.
・ Hoad, Terence Frederick, ed. The Concise Oxford Dictionary of English Etymology. Oxford: Clarendon, 1986.
・ Skeat, Walter William, ed. An Etymological Dictionary of the English Language. 4th ed. Oxford: Clarendon, 1910. 1st ed. 1879--82. 2nd ed. 1883.
昨日10月20日付けで,英語史連載企画「現代英語を英語史の視点から考える」の第10回の記事「なぜ you は「あなた」でもあり「あなたがた」でもあるのか?」が公開されました.
本文でも述べているように,この素朴な疑問にも「驚くべき歴史的背景が隠されて」おり,解説を通じて「英語史のダイナミズム」を感じられると思います.2人称代名詞を巡る諸問題については,これまでも本ブログで書きためてきました.以下に関連記事へのリンクを張りますので,どうぞご覧ください.
[ 各時代,各変種の人称代名詞体系 ]
・ 「#180. 古英語の人称代名詞の非対称性」 ([2009-10-24-1])
・ 「#181. Chaucer の人称代名詞体系」 ([2009-10-25-1])
・ 「#196. 現代英語の人称代名詞体系」 ([2009-11-09-1])
・ 「#529. 現代非標準変種の2人称複数代名詞」 ([2010-10-08-1])
・ 「#333. イングランド北部に生き残る thou」 ([2010-03-26-1])
[ 文法範疇とフェチ ]
・ 「#1449. 言語における「範疇」」 ([2013-04-15-1])
・ 「#2853. 言語における性と人間の分類フェチ」 ([2017-02-17-1])
[ 親称と敬称の対立 (t/v_distinction) ]
・ 「#167. 世界の言語の T/V distinction」 ([2009-10-11-1])
・ 「#185. 英語史とドイツ語史における T/V distinction」 ([2009-10-29-1])
・ 「#1033. 日本語の敬語とヨーロッパ諸語の T/V distinction」 ([2012-02-24-1])
・ 「#1059. 権力重視から仲間意識重視へ推移してきた T/V distinction」 ([2012-03-21-1])
・ 「#1126. ヨーロッパの主要言語における T/V distinction の起源」 ([2012-05-27-1])
・ 「#1552. T/V distinction と face」 ([2013-07-27-1])
・ 「#2107. ドイツ語の T/V distinction の略史」 ([2015-02-02-1])
[ thou, ye, you の競合 ]
・ 「#673. Burnley's you and thou」 ([2011-03-01-1])
・ 「#1127. なぜ thou ではなく you が一般化したか?」 ([2012-05-28-1])
・ 「#1336. なぜ thou ではなく you が一般化したか? (2)」 ([2012-12-23-1])
・ 「#1865. 神に対して thou を用いるのはなぜか」 ([2014-06-05-1])
・ 「#291. 二人称代名詞 thou の消失の動詞語尾への影響」 ([2010-02-12-1])
・ 「#2320. 17世紀中の thou の衰退」 ([2015-09-03-1])
・ 「#800. you による ye の置換と phonaesthesia」 ([2011-07-06-1])
・ 「#781. How d'ye do?」 ([2011-06-17-1])
[ 敬称の you の名残り ]
・ 「#440. 現代に残る敬称の you」 ([2010-07-11-1])
・ 「#1952. 「陛下」と Your Majesty にみられる敬意」 ([2014-08-31-1])
・ 「#3095. Your Grace, Your Highness, Your Majesty」 ([2017-10-17-1])
[ you の発音と綴字 ]
・ 「#2077. you の発音の歴史」 ([2015-01-03-1])
・ 「#2234. <you> の綴字」 ([2015-06-09-1])
昨日9月20日付けで,英語史連載企画「現代英語を英語史の視点から考える」の第9回の記事「なぜ try が tried となり,die が dying となるのか?」が公開されました.
本ブログでも綴字(と発音の乖離)の話題は様々に取りあげてきましたが,今回は標題の疑問を掲げつつ,言うなれば <y> の歴史とでもいうべきものになりました.書き残したことも多く,<y> の略史というべきものにとどまっていますが,とりわけ各時代における <i> との共存・競合の物語が読みどころです.ということは,部分的に <i> の略史ともなっているということです.標題の素朴な疑問を解消しつつ,英語の綴字の歴史のさらなる深みへと誘います.
本文の第3節で "minim avoidance" と呼ばれる中英語期の特異な綴字習慣を紹介していますが,これは英語の綴字に広範な影響を及ぼしており,本ブログでも以下の記事で触れてきました.連載記事を読んでから以下のそれぞれに目を通すと,おそらくいっそう興味をもたれることと思います.
・ 「#91. なぜ一人称単数代名詞 I は大文字で書くか」 ([2009-07-27-1])
・ 「#870. diacritical mark」 ([2011-09-14-1])
・ 「#223. woman の発音と綴字」 ([2009-12-06-1])
・ 「#1094. <o> の綴字で /u/ の母音を表わす例」 ([2012-04-25-1])
・ 「#2227. なぜ <u> で終わる単語がないのか」 ([2015-06-02-1])
・ 「#2740. word のたどった音変化」 ([2016-10-27-1])
・ 「#2450. 中英語における <u> の <o> による代用」 ([2016-01-11-1])
・ 「#3037. <ee>, <oo> はあるのに <aa>, <ii>, <uu> はないのはなぜか?」 ([2017-08-20-1])
第4節では,リチャード・マルカスターの綴字提案とロバート・コードリーの英英辞書に触れました.1600年前後に活躍したこの2人の教育者については,「#441. Richard Mulcaster」 ([2010-07-12-1]) と「#603. 最初の英英辞書 A Table Alphabeticall (1)」 ([2010-12-21-1]) を始め,mulcaster と cawdrey の各記事もご参照ください.
最後に,第5節で「3文字」規則に触れましたが,こちらに関しては「#2235. 3文字規則」 ([2015-06-10-1]),「#2437. 3文字規則に屈したイギリス英語の <axe>」 ([2015-12-29-1]) の記事を読むことにより理解が深まると思います.
現代英語の綴字で feet, greet, meet, see, weed など <ee> は頻出するし,foot, look, mood, stood, took のように <oo> も普通に見られる.それに比べて,aardvark, bazaar, naan のような <aa> は稀だし,日常語彙で <ii>, <uu> もほとんど見られないといっていよい.長母音を表わすのに母音字を重ねるというのは,きわめて自然で普遍的な発想だと思われるが,なぜこのような偏った分布になっているのだろうか.
古英語では,短母音とそれを伸ばした長母音を区別して標示するのに特別は方法はなかった."God" と "good" に対応する語はともに god と綴られたし,witan は短い i で発音されれば "to know" の意味の語,長い i で発音されれば "to look" の意味の語となった.しかし,中英語になると,このような母音の長短の区別をつけようと,いくつかの方法が編み出された.それらの方法はおよそ現代英語に残っており,<ae>, <ei>, <eo>, <ie>, <oe> のように異なる複数の母音字を組み合わせるものもあれば,<a .. e>, <i .. e>, <u .. e> など遠隔的に組み合わせる方法もあったし,より直観的に,同じ母音字を重ねる <aa>, <ee>, <ii>, <oo>, <uu> などもあった.単語により,あるいはその単語のもっている発音により相当に込み入った事情があるなかで,徐々に典型的な綴り方が絞られていったが,同じ母音字を重ねる方式に関しては,<ee>, <oo> だけが残った.いったいなぜだろうか.
<ee> と <oo> が保持されやすい特殊な事情があったというよりは,むしろ <aa>, <ii>, <uu> が採用されにくい理由があったと考えるほうが妥当である.というのは上に述べたように,母音字を重ねるという方式はしごく自然と考えられ,それが採用されない理由を探るほうが容易に思われるからだ.
<ii> と <uu> が避けられたのは説明しやすい.中世においては,これらの綴字はいずれも点の付かない縦棒 (minim) のみで構成されており,それぞれ <ıı>, <ıııı> と綴られた.このように複数の縦棒が並列すると,意図されているのがどの文字(の組み合わせ)なのかが読み手にとって分かりにくくなるからだ.例えば,<ıııı> という綴字を見せられても,意図されているのが <iiii>, <ini>, <im>, <mi>, <nn>, <nu>, <un>, <wi> 等のいずれを表わすかは文脈を参照しなければわからない.関連して,「#91. なぜ一人称単数代名詞 I は大文字で書くか」 ([2009-07-27-1]),「#223. woman の発音と綴字」 ([2009-12-06-1]),「#870. diacritical mark」 ([2011-09-14-1]),「#1094. <o> の綴字で /u/ の母音を表わす例」 ([2012-04-25-1]),「#2227. なぜ <u> で終わる単語がないのか」 ([2015-06-02-1]),「#2450. 中英語における <u> の <o> による代用」 ([2016-01-11-1]) を参照されたい.
<aa> については,なぜこれが採用されなかったのかの説明は難しい.初期中英語には,<aa> で綴られる単語もいくつかあったが,後世に伝わらなかった.Crystal (46) は,"aa never survived, probably because the 'silent' e spelling had more quickly established itself as the norm, as in name, tale, etc." と考えているが,もうそうだとしてももっと説得力のある説明が欲しいところだ.
結局,特に差し障りがなく自然なまま生き残ったのが <ee>, <oo> ということだ.関連して,「#2092. アルファベットは母音を直接表わすのが苦手」 ([2015-01-18-1]) および「#2887. 連載第3回「なぜ英語は母音を表記するのが苦手なのか?」」 ([2017-03-23-1]) を参照
・ Crystal, David. Spell It Out: The Singular Story of English Spelling. London: Profile Books, 2012.
昨日付けで,英語史連載企画「現代英語を英語史の視点から考える」の第6回の記事「なぜ英語語彙に3層構造があるのか? --- ルネサンス期のラテン語かぶれとインク壺語論争」が公開されました.
今回の話は,英語語彙を学ぶ際の障壁ともなっている多数の類義語セットが,いかに構造をなしており,なぜそのような構造が存在するのかという素朴な疑問に,歴史的な観点から迫ったものです.背景には,英語が特定の時代の特定の社会的文脈のなかで特定の言語と接触してきた経緯があります.また,英語語彙史をひもといていくと,興味深いことに,日本語語彙史との平行性も見えてきます.対照言語学的な日英語比較においては,両言語の違いが強調される傾向がありますが,対照歴史言語学の観点からみると,こと語彙史に関する限り,両言語はとてもよく似ています.連載記事の後半では,この点を議論しています.
英語語彙(と日本語語彙)の3層構造の話題については,拙著『英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史』のの5.1節「なぜ Help me! とは叫ぶが Aid me! とは叫ばないのか?」と5.2節「なぜ Assist me! とはなおさら叫ばないのか?」でも扱っていますが,本ブログでも様々に議論してきたので,そのリンクを以下に張っておきます.合わせてご覧ください.また,同様の話題について「#1999. Chuo Online の記事「カタカナ語の氾濫問題を立体的に視る」」 ([2014-10-17-1]) で紹介した拙論もこちらからご覧ください.
・ 「#334. 英語語彙の三層構造」 ([2010-03-27-1])
・ 「#1296. 三層構造の例を追加」 ([2012-11-13-1])
・ 「#1960. 英語語彙のピラミッド構造」 ([2014-09-08-1])
・ 「#2072. 英語語彙の三層構造の是非」 ([2014-12-29-1])
・ 「#2279. 英語語彙の逆転二層構造」 ([2015-07-24-1])
・ 「#2643. 英語語彙の三層構造の神話?」 ([2016-07-22-1])
・ 「#387. trisociation と triset」 ([2010-05-19-1])
・ 「#1437. 古英語期以前に借用されたラテン語の例」 ([2013-04-03-1])
・ 「#32. 古英語期に借用されたラテン語」 ([2009-05-30-1])
・ 「#1945. 古英語期以前のラテン語借用の時代別分類」 ([2014-08-24-1])
・ 「#120. 意外と多かった中英語期のラテン借用語」 ([2009-08-25-1])
・ 「#1211. 中英語のラテン借用語の一覧」 ([2012-08-20-1])
・ 「#478. 初期近代英語期に湯水のように借りられては捨てられたラテン語」 ([2010-08-18-1])
・ 「#114. 初期近代英語の借用語の起源と割合」 ([2009-08-19-1])
・ 「#1226. 近代英語期における語彙増加の年代別分布」 ([2012-09-04-1])
・ 「#2162. OED によるフランス語・ラテン語からの借用語の推移」 ([2015-03-29-1])
・ 「#2385. OED による,古典語およびロマンス諸語からの借用語彙の統計 (2)」 ([2015-11-07-1])
・ 「#576. inkhorn term と英語辞書」 ([2010-11-24-1])
・ 「#1408. インク壺語論争」 ([2013-03-05-1])
・ 「#1409. 生き残ったインク壺語,消えたインク壺語」 ([2013-03-06-1])
・ 「#1410. インク壺語批判と本来語回帰」 ([2013-03-07-1])
・ 「#1615. インク壺語を統合する試み,2種」 ([2013-09-28-1])
・ 「#609. 難語辞書の17世紀」 ([2010-12-27-1])
・ 「#335. 日本語語彙の三層構造」 ([2010-03-28-1])
・ 「#1630. インク壺語,カタカナ語,チンプン漢語」 ([2013-10-13-1])
・ 「#1629. 和製漢語」 ([2013-10-12-1])
・ 「#1067. 初期近代英語と現代日本語の語彙借用」 ([2012-03-29-1])
・ 「#296. 外来宗教が英語と日本語に与えた言語的影響」 ([2010-02-17-1])
・ 「#1526. 英語と日本語の語彙史対照表」 ([2013-07-01-1])
「カステラ」という語は,ポルトガル借用語の典型として,しばしば取り上げられる(「#1896. 日本語に入った西洋語」 ([2014-07-06-1]) を参照).語源辞典をひもとけば詳しく説明が載っている.例えば,『学研 日本語「語源」辞典』によれば,
もとは,スペインの「カステリア王国で作られたパン」の意のポルトガル語.室町末期にポルトガル人によって長崎に伝えられ,略して「カステイラ」と呼ばれた.江戸時代以降,「カステラ」という言い方も普及した.
とある.『世界大百科事典第2版』では,
カスティリャ地方の菓子の意であるポルトガル語のボロ・デ・カステラ bolo de Castella に出た語で,加須底羅,粕底羅などとも書かれた.長崎では寛永 (1624--44) 初年からつくられたといい,しだいに各地にひろまった.
と説明書きがある.さらに,『日本語源大辞典』を引用すると,
pão de Castella (カスティーリャ王国のパン)と教えられたのを,日本人が「カステイラ」と略したらしい.また,オランダ語 Castiliansh brood の略という説もある.中世末から近世にかけては,カステイラの形が一般的だったが,やがてカステラの形も現れた.
およそ「カステラ」の借用ルートについては以上の通りだが,1つ素朴な疑問が残る.なぜスペインのカスティリャ地方のお菓子が,ポルトガル語にその名前を残しているのかということだ.スペイン(語)とポルトガル(語)は,国としても言語としても互いに近親の関係にあるということは前提としつつも,カステラというお菓子という具体的な事例に関して,両者がいかなる関係にあったのか.
1ヶ月前のことになるが,3月29日の読売新聞朝刊に「カステラの名称 王室の結婚由来」という見出しの記事が掲載された.それによると,17世紀にポルトガル宮廷料理人の書いたレシピ本『料理法』のなかに,カステラと製法がほぼ同じ「ビスコウト・デ・ラ・レイナ」という名のお菓子が確認されたという.ラ・レイナとは「女王・王妃」を意味するスペイン語である.当時,ポルトガル王室はスペイン王室から王妃を迎えており,その婚姻を通じてそのお菓子もスペインからポルトガルへ伝わったものと考えられる.それが,スペインの政治的中心地の名前を冠して「ボーロ・デ・カステーラ」とポルトガル(語)でリネームされたというわけだ.そして,それからしばらく時間は経過したが,そのロイヤルウェディングのお菓子が,はるばる日本に伝わったということになる.
以上は,東京大学史料編纂所の日欧交渉史を専門とする岡美穗子氏の調査により明らかにされたという.「カステラ」の語源の詰めが完成した感があり,気持ちよい.
4月20日付で,英語史連載企画「現代英語を英語史の視点から考える」の第4回の記事「イギリス英語の autumn とアメリカ英語の fall --- 複線的思考のすすめ」が公開されました.
今回は,拙著『英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史』の6.1節「なぜアメリカ英語では r をそり舌で発音するのか?」および6.2節「アメリカ英語はイギリス英語よりも「新しい」のか?」で扱った英語の英米差について,具体的な単語のペア autumn vs fall を取り上げて,歴史的に深く解説しました.言語を単線的思考ではなく複線的思考で見直そう,というのが主旨です.
英語の英米差は,英語史のなかでもとりわけ人気のある話題なので,本ブログでも ame_bre の多く取り上げてきました.今回の連載記事で取り上げた内容やツールに関わる本ブログ内記事としては,以下をご参照ください.
・ 「#315. イギリス英語はアメリカ英語に比べて保守的か」 ([2010-03-08-1])
・ 「#1343. 英語の英米差を整理(主として発音と語彙)」 ([2012-12-30-1])
・ 「#1730. AmE-BrE 2006 Frequency Comparer」 ([2014-01-21-1])
・ 「#1739. AmE-BrE Diachronic Frequency Comparer」 ([2014-01-30-1])
・ 「#428. The Brown family of corpora の利用上の注意」 ([2010-06-29-1])
・ 「#964 z の文字の発音 (1)」 ([2011-12-17-1])
・ 「#965. z の文字の発音 (2)」 ([2011-12-18-1])
・ 「#2186. 研究社Webマガジンの記事「コーパスで探る英語の英米差 ―― 基礎編 ――」」 ([2015-04-22-1])
3月17日付の掲示板で,フランス語の bleu という綴字に対して,英語では blue となっているのはなぜか,という質問が寄せられた.e と u の転換がどのように起こったか,という疑問である.
これには少々ややこしい歴史的経緯がある.古フランス語の bleu が中英語期にこの綴字で英語に借用され,後に2字の位置が交替して blue となった,という直線的な説明で済むものではないようだ.以下,発音と綴字を分けて歴史を追ってみよう.
まず,発音から.問題の母音の中英語での発音は [iʊ] に近かったと想定されるが,これが初期近代英語にかけて強勢推移により上昇2重母音 [juː] となり,さらに現代にかけて yod-dropping が生じて [uː] となった(「#1727. /ju:/ の起源」 ([2014-01-18-1]),「#841. yod-dropping」 ([2011-08-16-1]),「#1562. 韻律音韻論からみる yod-dropping」 ([2013-08-06-1]) を参照).
次に,ややこしい綴字の事情について.まず,この語は中英語では,当然ながら借用元のフランス語での綴字にならって bleu と綴られていた.しかし,実際のところ,<blew>, <blewe> などの異綴字として現われていることも多かった(MED bleu (adj.) を参照.関連して,「#2227. なぜ <u> で終わる単語がないのか」 ([2015-06-02-1]) も参照)).一方,現代的な blue という綴字として現われることは,中英語期中はもとより17世紀まで稀だった.Jespersen (101) が,この点に少し触れている.
In blue /iu/ is from F eu; in ME generally spelt bleu or blew; the spelling blue is "hardly known in 16th--17th c.; it became common under French influence (?) only after 1700" (NED)
引用にもある通り,中英語では bleu と並んで blew の綴字もごく一般的だった.実際,[iʊ] の発音に対しては,フランス借用語のみならず本来語であっても,<ew> で綴られることが多かった.例えば vertew (< OF vertu), clew (< OE cleowen), trew (< OE trēowe), Tewisday (< OE Tīwesdæȝ) のごとくである.
しかし,初期近代英語期にかけて,同じ [iʊ] の発音に対して <ue> というライバル綴字が現われてきた.この綴字自体はフランス語やラテン語に由来するものだったが,いったんはやり出すと,語源にかかわらず多くの単語に適用されるようになった.つまり,同じ [iʊ] に対して,より古くて英語らしい <ew> と,より新しくてフランス語風味の <ue> が競合するようになったのである.その結果,近代英語では argue/argew, dew/due, screw/skrue, sue/sew, virtue/virtew などの揺れが多く見られた(各ペアにおいて前者が現代の標準的綴字).そして,blue/blew もそのような揺れを示すペアの1つだったのである.
このような揺れが,後にいずれの方向で解消したのかは単語によって異なっており,およそ恣意的であるとしか言いようがない.初期近代英語期に <ew> を贔屓する Mulcaster のような論者もいたが,それが一般に適用される規則として発展することはなかったのである.現代の正書法において blew ではなく blue であること,eschue ではなく eschew であることは,きれいに説明することはできない.
さて,もともとの疑問に戻ってみよう.当初の問題意識としては,現代のフランス語と英語を比べる限り,<eu> と <ue> が文字転換したように見えただろう.しかし,歴史的には,<eu> の文字がひっくり返って <ue> となったわけではない.<eu> と関連していたとは思われるが中英語期に独自に発達したとみなすべき英語的な <ew> と,初期近代英語期にかけて勢力を伸ばしてきた外来の <ue> との対立が,blue という単語に関する限り,たまたま後者の方向で解消し,標準化して現代に至る,ということである.
以上,Upward and Davidson (61--62, 113, 161, 163, 166) を参照した.
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 1. Sounds and Spellings. 1954. London: Routledge, 2007.
・ Upward, Christopher and George Davidson. The History of English Spelling. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2011.
3月21日付で,英語史連載企画「現代英語を英語史の視点から考える」の第3回の記事「なぜ英語は母音を表記するのが苦手なのか?」が公開されました.今回は,拙著『英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史』の第2章「発音と綴字に関する素朴な疑問」で取り上げた話題と関連して,特に「母音の表記の仕方」に注目し,掘り下げて考えています.現代英語の母音(音声)と母音字(綴字)の関係が複雑であることに関して,音韻論や文字史の観点から論じています.この問題の背景には,実に3千年を優に超える歴史物語があるという驚愕の事実を味わってもらえればと思います.
以下に,第3回の記事と関連する本ブログ内の話題へのリンクを張っておきます.合わせてご参照ください.
・ 「#503. 現代英語の綴字は規則的か不規則的か」 ([2010-09-12-1])
・ 「#1024. 現代英語の綴字の不規則性あれこれ」 ([2012-02-15-1])
・ 「#2405. 綴字と発音の乖離 --- 英語綴字の不規則性の種類と歴史的要因の整理」 ([2015-11-27-1])
・ 「#1021. 英語と日本語の音素の種類と数」 ([2012-02-12-1])
・ 「#2515. 母音音素と母音文字素の対応表」 ([2016-03-16-1])
・ 「#1826. ローマ字は母音の長短を直接示すことができない」 ([2014-04-27-1])
・ 「#2092. アルファベットは母音を直接表わすのが苦手」 ([2015-01-18-1])
・ 「#1837. ローマ字とギリシア文字の字形の差異」 ([2014-05-08-1])
・ 「#423. アルファベットの歴史」 ([2010-06-24-1])
・ 「#1849. アルファベットの系統図」 ([2014-05-20-1])
3月13日付の掲示板で,標題の質問を受けた.掲示板では,この統語上の問題は,見栄えとしては同じ「前置詞+接続詞 that」が,in that . . . や except that . . . などを除いて広くはみられないことと関連しているのだろうか,という趣旨のコメントも付されていた.「前置詞+関係代名詞 that」と「前置詞+接続詞 that」は,見栄えこそ同じではあるが,統語構造がまったく異なるので,当面はまったく別の現象ととらえるべきだろうと考えている.「前置詞+接続詞 that」については,「#2314. 従属接続詞を作る虚辞としての that」 ([2015-08-28-1]) を参照されたい.
さて,本題の「前置詞+関係代名詞 that」(いわゆる pied-piping 「先導」と呼ばれる統語現象)が許容されない件については,英語史的にはどのように考えればよいのだろうか.
事例としては,実は,古英語からある.しかし,稀だったことは確かであり,一般的には忌避されてきた構文であるといってよい.それが,後の歴史のなかで完全に立ち消えになり,現代英語での不使用につながっている.
Mustanoja (196--97) は,中英語期の関係代名詞 that と which の使い分けについて論じている箇所で,後者の使用について次のような特徴を指摘している.
Which, on the other hand, is preferred in connection with prepositions (this folk of which I telle you soo, RRose 743), and also when the antecedent is a clause or a whole sentence.
その理由として注で次のようにも述べている.
Evidently because of the somewhat clumsy arrangement of the preposition in that-clauses. Prepositions occurring in connection with that are placed immediately before the verb (þet ilke uniseli gile þet ich of seide, Ancr. 30; the place that I of spake, Ch. PF 296), particularly in early ME. Less frequently in early ME, but commonly in late ME, the preposition is placed at the end of the clause (preciouse stanes þat he myght by a kingdom with, RRolle EWr. 112).
ここから,「前置詞+関係代名詞 that」の構造が,関係代名詞 that が定着してきた初期中英語期にはすでに避けられていたらしいことが示唆されるが,なぜそうなのかという問題は残る.関係詞の絡む従節構造に限らず,通常の主節構造においても,かつては前置詞が必ずしも目的語の前に置かれるとは限らなかったことを考えると,前置詞と関係詞の問題というよりは,より一般的に前置詞の位置に関する問題としてとらえる必要があるのかもしれない.
・ Mustanoja, T. F. A Middle English Syntax. Helsinki: Société Néophilologique, 1960.
昨日2月20日に,英語史連載企画「現代英語を英語史の視点から考える」の第2回となる「なぜ3単現に -s を付けるのか? ――変種という視点から」が研究社のサイトにアップロードされました.3単現の -s に関しては,本ブログでも 3sp の各記事で書きためてきましたが,今回のものは「素朴な疑問」に答えるという趣旨でまとめたダイジェストとなっています.どうぞご覧ください.
連載記事のなかでは触れませんでしたが,3単現の -s の問題に歴史的に迫るには,(3人称)複数現在に付く語尾,つまり「複現」の屈折の問題も平行的に考える必要があります.その趣旨から,本ブログでは「複現」についても 3pp というカテゴリーのもとで様々に論じてきました.合わせてご参照ください.
また,今回の連載記事でも,拙著『英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史』でも,詳しく取り上げませんでしたが,本来 -th をもっていた3単現語尾が初期近代英語期にかけて -s に置き換えられた経緯に関する問題があります.この問題も,英語史上,議論百出の興味深い問題です.議論を覗いてみたい方は,「#1855. アメリカ英語で先に進んでいた3単現の -th → -s」 ([2014-05-26-1]),「#1856. 動詞の直説法現在形語尾 -eth は17世紀前半には -s と発音されていた」 ([2014-05-27-1]),「#1857. 3単現の -th → -s の変化の原動力」 ([2014-05-28-1]),「#2141. 3単現の -th → -s の変化の概要」 ([2015-03-08-1]),「#2156. C16b--C17a の3単現の -th → -s の変化」 ([2015-03-23-1]) などをご覧ください.
昨日1月20日付けで,「現代英語を英語史の視点から考える」と題する連載記事を開始しました.昨年,研究社より出版された拙著『英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史』の関連企画としての連載寄稿です.拙著との連係を図りつつ,内容についての補足や応用的な話題を提供してゆく予定です.月に一度のペースとなりますが,そちらも本ブログとともによろしくお願いします.
さて,初回の話題は,「ことばを通時的にみる 」とは?」 です.拙著の2.1.3 「共時的な説明と通時的な説明」で取り上げた問題を,詳しく,分かりやすく掘り下げました.具体例として,3.2節で扱った「なぜ *foots, *childs ではなく feet, children なのか?」という「不規則複数形」の事例を挙げています.共時的ではなく通時的な視点から言語を眺めてみると,これだけ見方が変わるのだ,ということを改めて主張しています.
通時態 (diachrony) と共時態 (synchrony) については,本ブログでもいろいろと考えてきましたが,今回の記事にとりわけ関連する点についてはこちらの記事群をご一読ください.
関連して,「#2764. 拙著『英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史』が出版されました」 ([2016-11-20-1]) や「#2806. 『英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史』の関連企画」 ([2017-01-01-1]) の記事もご参照を.
アメリカは移民の国であり,したがって多言語の国である.近年は hispanification によりスペイン語母語話者が増加しており,その他の諸言語もシェアを増してきているという.とはいえ,一般的にいえばアメリカでは英語が「事実上の唯一の主たる言語」として圧倒的な影響力をもって君臨していることは疑いようがない.
この事実は一見すると自明のようにも思えるが,なぜそうなのか,立ち止まって考えてみる必要がある.移民によって成り立ってきたアメリカの歴史を振り返ってみると,異なる言語を話す様々な人々が時代ごとに入れ替わり立ち替わりにやってきたのだから,そのまま諸言語が並び立つ社会となってもおかしくなかったはずである.なぜ,英語という1つの言語へまとまるということが生じたのだろうか.
1つには,単純に母語話者の数の影響力がある.18世紀末に初の人口統計が取られたときに,16州において200万人を超える人口がイングランドかウェールズにルーツをもっていた.さらに,非常に多くのスコットランド系アイルランド人 (Scots-Irish) の数もここに加えられるべきだろう.それに対して,ドイツ,オランダ,フランスにルーツをもつ移民はせいぜい20万人ほどだった.移民史の初期から,アメリカは圧倒的に英語の国だったのである.
そこに,人々の可動性 (mobility) という要因が加わる.各移民集団が社会的に閉じた集団としてある土地に定住し続けるのであれば,独立した言語共同体が複数でき,諸言語が並び立つ国になっていたかもしれない.しかし,実際には移民集団は縦に横によく動いたのであり,そこから異なる母語をもつ話者間に lingua_franca への欲求が生じた.そこで,当初から優勢な英語が lingua franca として採用されることになった.では,その mobility そのものはどこから来たのか.それは,西部を目指すパイオニア精神であり,"American Dream" という希望だったろう.Gooden (134) は次のように述べている.
More important than mobility, perhaps, was the aspirational nature of the new society, later to be formalized and glamourized in phrases like the 'American Dream'. As Leslie Savan suggests in her book on contemporary US language, Slam Dunks and No-Brainers (2005), the pressure was always on the outsider to make adjustments: 'The sweep of American history tilted towards the establishment of a single national popular language, in part to protect its mobile and often foreign-born speakers from the suspicion of being different.' Putting it more positively, one could say that success was achievable not so much as a prize for conformity but for adaptation to challenging new conditions, among which would be acquiring enough of the dominant language to get by --- before getting ahead.
上に論じたような,アメリカにおける大雑把な意味での「言語的一元性」というべき事情は,実はアメリカ英語の内部における一様性,すなわち「方言的一元性」とも関連するように思われる.後者については,「#591. アメリカ英語が一様である理由」 ([2010-12-09-1]) を参照.
・ Gooden, Philip. The Story of English: How the English Language Conquered the World. London: Quercus, 2009.
拙著『英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史』が,研究社より出版されました.主として本ブログの記事を元にして執筆しているので,普段ブログを読んでいただいている方には関心をもってもらえるのではないかと思っています.英語学習者が一度は抱くはずの「素朴な疑問」に徹底的にこだわって書きました.
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・ 堀田隆一(ほったりゅういち) 『英語の「なぜ?」に答えるはじめての英語史』 研究社,2016年.206頁.ISBN: 978-4327401689.定価2200円(税別). ・ 本書のコンパニオン・サイトもご覧ください. ・ 本書は,Amazon.co.jp 等のオンライン書店でも購入可能です. |
「#2492. 過去を表わす副詞と完了形の(不)共起の歴史 」 ([2016-02-22-1]) で取り上げた Present Perfect Puzzle と呼ばれる英文法上の問題がある.よく知られているように,現在完了は過去の特定の時点を指し示す副詞とは共起できない.例えば Chris has left York. という文法的な文において,Chris が York を発ったのは過去のはずだが,過去のある時点を指して *Yesterday at ten, Chris has left York とすると非文法的となってしまう.この "past-adverb constraint" がなぜ課されているのかを説明することは難しく,"puzzle" とされているのだ.
1つの解決法として提案されているのが,"scope solution" である.現在完了を作る助動詞 have が現在を指し示しているときに,過去を指し示す副詞の作用域 (scope) がその部分を含む場合には,時制の衝突が起こるという考え方だ.素直な説のように見えるが,いくつかの点で難がある.例えば,Chris claims to have left York yesterday. では,副詞 yesterday の使用域は to have left York までを含んでおり,その点では先の非文の場合の使用域と違いがないように思われるが,実際には許容されるのである.また,この説では,現在完了は,過去どころか現在の時点を指し示す副詞とも共起し得ないことを説明することができない.つまり,*Chris has been in Pontefract last year. が非文である一方で,*Chris has been in Pontefract at present. も非文であることを説明できない.
次に,根強く支持されているい説として "current relevance solution" がある.現在完了とは,現在との関連性を標示する手段であるという考え方だ.あくまで過去から現在への継続を示すのが主たる機能なのであるから,過去を明示する副詞との共起は許されないとされる.母語話者の直感にも合う説といわれるが,過去と現在の関連性は,実は過去形によって表わすこともできるではないかという反論がある.例えば,Why is Chris so cheerful these days? --- Well, he won a million in the lottery. では,現在と過去の関連性がないとは言えないだろう.また,過去と現在の関連性が明らかであっても,*Chris has been dead. は許されず,Chris was dead. は許される.
Klein (546) は従来の2つの説を批判して,語用論的な観点からこの問題に迫った.TT (= "topic time" = "the time for which, on some occasion, a claim is made" (535)) と TSit (= time of situation) という2種類の時間指示を導入して,1つの発話のなかで,TT と TSit の表現が,ともに独立して過去の定的な時点を明示 (p-definite (= point-definite)) してはならない制約があると仮定した.
P-DEFINITENESS CONSTRAINT
In an utterance, the expression of TT and the expression of TSit cannot both be independently p-definite.
ここで Klein の議論を細かく再現することはできないが,主張の要点は Present Perfect Puzzle を解く鍵は,統語論にはなく,語用論にこそあるということだ.上に挙げてきた非文は,統語的に問題があるのではなく,語用的にナンセンスだからはじかれているのである."p-definite constraint" は,このパズルを解くことができるだけではなく,例えば *Today, four times four makes sixteen. がなぜ許容されないのか(あるいはナンセンスか)をも説明できる.ここでは,動詞 makes (TT) と副詞 Today (TSit) の両方が独立して,現在の時点を表わしている (p-definite) ために,語用論的に非文となるのだという.
"p-definiteness constraint" は,もう1つのパズルの解き方の提案である.
・ Klein, Wolfgang. "The Present Perfect Puzzle." Language 68 (1992): 525--52.
現代英文法の「仮定法過去」においては,条件の if 節のなかで動詞の過去形が用いられるのが規則である.その過去形とは,基本的には直説法の過去形と同形のものを用いればよいが,1つだけ例外がある.標題のように主語が1人称単数が主語の場合,あるいは3人称単数の場合には,直説法で was を用いるところに,仮定法では were を用いなければならない(現代英語の口語においては was が用いられることもあるが,規範文法では were が規則である).これはなぜだろうか.
もっとも簡単に答えるのであれば,それが古英語において接続法過去の1・3人称単数の屈折形だったからである(現代の「仮定法」に相当するものを古英語では「接続法」 (subjunctive) と呼ぶ).
昨日の記事「#2600. 古英語の be 動詞の屈折」 ([2016-06-09-1]) で掲げた古英語 bēon の屈折表で,Subjunctive Preterite の欄を見てみると,単数系列では人称にかかわらず wǣre が用いられている.つまり,古英語で ġif ic wǣre . . . などと言っていた,だからこそ現代英語でも if I were . . . なのである.
現代英語では,ほとんどの場合,仮定法過去の形態として,上述のように直説法過去の形態をそのまま用いればよいために,特に意識して仮定法過去の屈折形や屈折表を直説法過去と区別して覚える必要がない.しかし,歴史的には直説法(過去)と仮定法(過去)は機能的にも形態的にも明確に区別されるべき異なる体系であり,各々の動詞に関して法に応じた異なる屈折形と屈折表が用意されていた.ところが,後の歴史のなかで屈折語尾の水平化や形態的な類推が作用し,be 動詞以外のすべての動詞に関して接続法過去形は直説法過去形と同一となった.唯一かつての形態的な区別を保持して生き延びてきたのが be だったということである.残存の主たる理由は,be があまりに高頻度であることだろう.
標題の「なぜ If I WERE a bird なのか?」という問いは,現代英語の共時的な観点からは自然で素朴な疑問といえる.しかし,英語史の観点から問いを立て直すのであれば,「なぜ,いかにして be 動詞以外のすべての動詞において接続法過去形と直説法過去形が同一となったのか」こそが問われるべきである.
3単現の -s を巡る英語学・英語史上の問題について,本ブログでは 3sp の記事で多く扱ってきた.この話題については数年来調べたり書きためてきたのだが,この1年ほどの間に口頭発表や論文として公表する機会があったので,本ブログでも報告・宣伝しておきたい.
英語史研究会が企画した論文集『これからの英語教育――英語史研究との対話――』(家入葉子(編))が先月出版された.そのなかで「3単現の -s の問題とは何か――英語教育に寄与する英語史的視点――」と題する小論を寄稿させていただいた.本書は,2014年5月25日に開かれた日本英文学会第86回大会(於北海道大学)でのシンポジウム「グローバル時代の英語教育―英語史からの貢献―」の研究報告を中心に編まれたもので,私自身はその発表者ではなかったものの,論文集の企画に混ぜていただいたという次第である(シンポジウム関係者の先生方,錚々たる英語史・英語教育研究者のグループに入れていただいて本当にありがとうございます!).
論文集のタイトルが示す通り,英語史と英語教育の接点を意識しながら執筆することを期待されていたのだが,ずいぶんと英語史寄りになってしまった(←反省).だが,本ブログではブログというメディアの性質上断片的にしか示せなかった3単現の -s に関する個々の論点を,今回は論文という体裁をとることによって,一応のところまとめることができたように思う.論文では,「#2112. なぜ3単現の -s がつくのか?」 ([2015-02-07-1]) や「#2136. 3単現の -s の生成文法による分析」 ([2015-03-03-1]) などの記事を発展させる形で,とりわけ通時的変化と共時的変異 (variation) を重視した議論を展開した.
英語教育という観点から,この問題について特に強調したかったことは,結論部に示した以下の主張である.
3単現の -s という問題は,文法的な正誤という局所的な問題として解すべきものではない.むしろ,この問題は英語学習者に,(1) 自らの学んでいる対象が標準的・規範的な変種であるという事実に意識を向けさせ,(2) その背後で多数の非標準変種もまた日常的に使用されているという英語の多様性の現実に気づかせ,その自然の帰結として (3) 英語諸変種(そして母語たる日本語諸変種も)に対する寛容さを育む絶好の機会を提供してくれる,一級の話題としてとらえることを提案したい.
なお,本論文集の執筆者と論題は以下の通り.とりわけ英語教育の畑の方に読んでいただけると嬉しい一冊です.
はじめに 英語史と英語教育の対話 家入 葉子 英語史と英語教育の融合 Applied English Philology の試み 池田 真 英語教員養成課程における英語史 谷 明信 第二言語習得研究の示唆する英語史の教育的価値 古田 直肇 英語の発達から英語学習の発達へ 法助動詞の第二言語スキーマ形成を巡って 中尾 佳行 グローバルな英語語彙 英語史から語彙教育へ 寺澤 盾 3単現の -s の問題とは何か 英語教育に寄与する英語史的視点 堀田 隆一 英語史と英語教育の接点 ヴァリエーションから見た言語変化 家入 葉子
・ 堀田 隆一 「3単現の -s の問題とは何か――英語教育に寄与する英語史的視点――」『これからの英語教育――英語史研究との対話――』 (Can Knowing the History of English Help in the Teaching of English?). Studies in the History of English Language 5. 家入葉子(編),大阪洋書,2016年.105--31頁.
2月19日付けで掲示板に,標題に関する疑問が寄せられた.掲示板上で返答したが,その内容をベースにして記事としてもまとめておきたい.以下,不定詞の略史を記す.
現代英語には to 不定詞 (to-infinitive) と原形不定詞 (bare infinitive) の2種類があるが,歴史的にはおよそ別物である.起源の古いのは原形不定詞のほうであり,こちらは英語のみならず印欧諸語では広く見られる.いわば本来の不定詞といってよい.古英語では典型的に動詞の語幹に -(i)an を付けた形態が「不定詞」と呼ばれており,それが,現代英語と同様に,主として使役動詞や知覚動詞の目的語の後位置,および助動詞の後位置に用いられていた.この古英語の不定詞の基本的な働きは,本来の動詞を名詞化すること,つまり「名詞的用法」だった.その後,中英語期にかけて生じた屈折語尾の水平化により -(i)an が失われ,語幹そのものの裸の形態へ収斂してしまったので,現在では「原形不定詞」と呼び直されるようになった.しかし,使役動詞,知覚動詞,助動詞の後位置に置かれる不定詞としての機能は,そのまま現在まで引き継がれた.
一方,「to 不定詞」のほうは,古英語の前置詞 to に,上述の本来の不定詞を与格に屈折させた -anne という語尾をもつ形態(不定詞は一種の名詞といってもよいものなので,名詞さながらに屈折した)を後続させたもので,例えば to ganne とあれば「行くことに向けて」つまり「行くために」ほどが原義だった.つまり,古英語では,今でいう「副詞的用法」は専ら to 不定詞で表わされていたのである.しかし,形態的には,やはり与格語尾を含めた語尾全体が後に水平化・消失し,結局「to + 動詞の原形」という形に落ち着くことになった.機能についていえば,to 不定詞は中英語期から近代英語期にかけておおいに拡張し,古英語以来の「副詞的用法」のみならず,原形不定詞の守備範囲であった「名詞的用法」へも侵入し,さらに他の諸々の機能をも発達させていった.
後発の to 不定詞が,先発の原形不定詞に追いつき,追い越してゆくという歴史を概観したが,実際には中英語期以降の両者の守備範囲の争いの詳細は複雑であり,どちらでも使用可能な「揺れ」の状況がしばしば見られた.それぞれの守備範囲がある程度決定するまでに,長い混乱の時代があったのである.例えば,使役動詞 make の用法でいえば,能動態においては原形不定詞をとるが受動態では to 不定詞をとるというのも共時的には妙な現象にみえるが,2種類の不定詞の守備範囲争いの結果,偶然このようなちぐはぐな分布になってしまったということである.実際,古い英語では make の能動態でも原形不定詞と並んで to 不定詞も用いられていた.この辺りの事情については,「#970. Money makes the mare to go」 ([2011-12-23-1]),「#978. Money makes the mare to go (2)」 ([2011-12-31-1]),「#971. 「help + 原形不定詞」の起源」 ([2011-12-24-1]) などを参照されたい.
・ 中尾 俊夫・児馬 修(編著) 『歴史的にさぐる現代の英文法』 大修館,1990年.
石崎陽一先生のアーリーバードの収穫で,2月7日付けの記事として「help oneself to という表現における to について」という問題が扱われている.用いられる前置詞がなぜ to なのか,という問いは確かに素朴な疑問である.石崎先生の回答が的を射ており,よくまとまっているので,直接ご覧いただければ疑問は氷塊するが,ちょっとした付け足しとして言語学的,英語史的な側面からコメントしてみようと思う.
現代英語の help は日本語の「助ける」にぴったり対応するように感じられ,人を表わす直接目的語が続くのが自然という感覚がある.しかし,この目的語は古英語では対格(直接目的語)ではなく与格(間接目的語)や属格を取ったことから,原義としては「(人)に手を貸す」「(人)のために便宜を計る」「(人)の役に立つ」ほどだったと思われる.中英語までに与格は対格に形態的に融合してしまったために,現在,格の区別はほとんど感じられないが,help を用いる各種の語法や構文には,与格の風味が残っているように感じられる.上記のように中心的な意味は「(人)の役に立つ」という一般的なものであるから,具体的な通常の文脈では,何の役に立つのか,いかなる便宜なのか,どのように助けるのかについて補足情報が必要である.そこで,しばしば「help + 目的語」の後には種々の副詞句,前置詞句,不定詞句が続き,「?できるように人に手を貸してあげる」ほどを意味することになる.help him out (of the trouble), help her with her homework, help them across the street, help us (to) carry the luggage (see 「#971. 「help + 原形不定詞」の起源」 ([2011-12-24-1]),「#972. 「help + 原形不定詞」の使役的意味」 ([2011-12-25-1])) など.ここでは help の目的語たる人が,意味上,続く付加部と結びつけられる動作に対する動作主となっており,構文全体として「人が?することを手助けしてあげる」と統語意味的に再分析することが可能となる.換言すれば,help him out は he (be) out を手伝うのであり,help her with her homework は she (do) her homework を手伝うのであり,help them across the street は they (go) across the street を手伝うということになる.つまり,help の後には,Jespersen のいうネクサス関係 (nexus) が典型的に続く.このように考えると,飲食物の関わる Help yourself to some cake. などでは,you (come up) to some case を手伝う(この場合「自助」)ということになり,結果として「自由にお召し上がりください」の意味となることが分かるだろう.
OED で help ... to ... の構文の歴史を探ると,前置詞 to の目的語は,必ずしも飲食物に限らなかったようようである.中英語後期の Wycliffe がこの用法の初例として挙げられており,初期の例では to の目的語としては飲食物以外の物もあるし場所などもある.むしろ飲食物を目的語に取る用法は,近代英語期に,より一般的な上記の用法から発達したもののようだ(OED では飲食物の初例は1688年).
おもしろいのは,おそらく問題の飲食物での用法が十分に定着したからだろう,19世紀初頭に,飲食物を help の目的語に取り,人を to の目的語に取る,いわば help some cake to yourself 風の逆転語順が現われることである.
1805 Emily Clark Banks of Douro II. 191 A goose..which [she] carved and helped to every person that chose to have any of it.
これは,統語論や認知意味論でしばしば取り上げられる John loaded hay onto the truck. vs John loaded the truck with hay. にみられる目的語と前置詞句の交替現象を思い起こさせる(cf. 日本語の「ペンキを壁に塗る」と「ペンキで壁を塗る」).なお,統語的な transposition については「#1775. rob A of B」 ([2014-03-07-1]) も参照されたい.
この後,19世紀前半に動名詞形 helping が「盛りつけ;一杯」の意味の名詞として独り立ちしていくことにも触れておこう (cf. a second helping (2杯目,お代わり)).また,直接の関係はないが,Thomas Carlyle (1795--1881) の造語 self-help (自助,自立)が現われたのもたまたま同時期の1831年である.Samuel Smiles (1812--1904) の名著 Self-Help (1859) は,我が国では中村正直 (1832--98) が『西国立志編』 (1871) として翻訳し,明治期に啓蒙書としてベストセラーとなったが,考えてみれば「自立」の基本は「独りで食っていけること」である.help ... to ... の用法が飲食物に特化したのもうなずけるような気が・・・.
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