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sobokunagimon - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-03-28 10:57

2015-06-18 Thu

#2243. カナダ英語とは何か? [variety][canadian_english][bilingualism][language_planning][sociolinguistics][history][sobokunagimon]

 昨日の記事「#2242. カナダ英語の音韻的特徴」 ([2015-06-17-1]) でカナダ英語の特徴の一端に触れた.カナダ英語とは何かという問題は,変種 (variety) を巡る本質的な問題を含んでいる (cf. 「#415. All linguistic varieties are fictions」 ([2010-06-16-1]),「#1373. variety とは何か」 ([2013-01-29-1]),「#2116. 「英語」の虚構性と曖昧性」 ([2015-02-11-1]),「#2241. Dictionary of Canadianisms on Historical Principles」 ([2015-06-16-1])) .Brinton and Fee (439) は,カナダ英語の概説を施した章の最後で,カナダ英語とは何かという問いについて,次のような回答を与えている.

Canadian English is the outcome of a number of factors. Canadian English was initially determined in large part by Canada's settlement by immigrants from the northern United States. Because of the geographical proximity of the two countries and the intertwining of their histories, economic systems, international policies, and print and especially television media, Canadian English continues to be shaped by American English. However, because of the colonial and postcolonial history of the British Empire, Canadian English is also strongly marked by British English. The presence of a long-standing and large French-speaking minority has also had an effect on Canadian English. Finally, social conditions, such as governmental policies of bilingualism, immigration, and multiculturalism and the politics of Quebec nationalism, have also played an important part in shaping this national variety of English.


 ここでのカナダ英語の定義は,言語学的特徴に基づくものではなく,カナダの置かれている社会言語学的環境や歴史的経緯を踏まえたものである.カナダ英語の未来を占うのであれば,アメリカ英語の影響力の増大は確実だろう.一方で,社会的多言語使用という寛容な言語政策とその意識の浸透により,カナダ英語は他の主要な英語変種に比べて柔軟に変化してゆく可能性が高い.
 これまでにゼミで指導してきた卒業論文をみても,日本人英語学習者のなかには,カナダ英語(そして,オーストラリア英語,ニュージーランド英語)に関心をもつ者が少なくない.英米の2大変種に飽き足りないということもあるかもしれないが,日本人はこれらの国が基本的に好きなのだろうと思う.そのわりには,国内ではこれらの英語変種の研究が少ない.Canadian English は,社会言語学的にもっともっと注目されてよい英語変種である.

 ・ Brinton, Laurel J. and Margery Fee. "Canadian English." The Cambridge History of the English Language. Vol. 6. Cambridge: CUP, 2001. 422--40 .

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2015-06-02 Tue

#2227. なぜ <u> で終わる単語がないのか [spelling][final_e][orthography][silent_letter][grapheme][sobokunagimon]

 現代英語には,原則として <u> の文字で終わる単語がない.実際には借用語など周辺的な単語ではありうるが,通常用いられる語彙にはみられない.これはなぜだろうか.
 重要な背景の1つとして,英語史において長らく <u> と <v> が同一の文字として扱われてきた事実がある.この2つの文字は中英語以降用いられてきたし,単語内での位置によって使い分けがあったことは事実である.しかし,「#373. <u> と <v> の分化 (1)」 ([2010-05-05-1]),「#374. <u> と <v> の分化 (2)」 ([2010-05-06-1]) でみてきたように,分化した異なる文字としてとらえられるようになったのは近代英語期であり,辞書などでは19世紀に入ってまでも同じ文字素として扱われていたほどだった.<u> と <v> は,長い間ともに母音も子音も表わし得たのである.
 この状況においては,例えば中英語で <lou> という綴字をみたときに,現代の low に相当するのか,あるいは love のことなのか曖昧となる.このような問題に対して,中英語での解決法は2種類あったと思われる.1つは,「#1827. magic <e> とは無関係の <-ve>」 ([2014-04-28-1]) で触れたように,<u> 単独ではなく <ue> と綴ることによって /v/ を明示的に表わすという方法である.<e> を発音区別符(号) (diacritical mark; cf. 「#870. diacritical mark」 ([2011-09-14-1])) 的に用いるという処方箋だ.これにより,love は <loue> と綴られることになり,low と区別しやすくなる.この -<ue> の綴字習慣は,後に最初の文字が <v> に置き換えられ,-<ve> として現在に至る.
 上の方法が明示的に子音 /v/ を表わそうとする努力だとすれば,もう1つの方法は明示的に母音 /u/ を表わそうとする努力である.それは,特に語末において母音字としての <u> を避け,曖昧性を排除する <w> を採用することだったのではないか.かくして <ou> に限らず <au>, <eu> などの二重母音字は語末において <ow>, <aw>, <ew> と綴られるようになった.<u> と <v> が分化していたならば,上の問題は生じず,素直に <lov> "love" と <lou> "low" という対になっていたかもしれないが,分化してなかったために,それぞれについて独自の解決法が模索され,結果として <loue> と <low> という綴字対が生じることになったのだろう.このようにして,語末に <u> の生じる機会が減ることになった.
 今ひとつ考えられるのは,語末における <i> の一般的な不使用との平行性だ.通常,語末には <i> は生じず,代わりに <y> や <ie> が用いられる.これは,語末に <u> が生じず,代わりに <w> や <ue> が用いられるのと比較される.<i> と <u> の文字に共通するのは,中世の書体ではいずれも縦棒 (minim) で構成されることだ.先行する文字にも縦棒が含まれる場合には,縦棒が連続して現われることになり判別しにくい.そこで,<y> や <w> とすれば判別しやすくなるし,語末では装飾的ともなり,都合がよい(cf. 「#91. なぜ一人称単数代名詞 I は大文字で書くか」 ([2009-07-27-1]),「#870. diacritical mark」 ([2011-09-14-1]),「#1094. <o> の綴字で /u/ の母音を表わす例」 ([2012-04-25-1])).また,別の母音に続けて用いると,<ay>, <ey>, <oy>, <aw>, <ew>, <ow> などのように2重母音字であることを一貫して標示することもでき,メリットがある.
 以上のような状況が相まって,結果として <u> が語末に現われにくくなったものと推測される.ただし,重要な例外が1つあるので,大名 (45) から取り上げておきたい.

外来語などは別として,英語本来の語は基本的に u で終わることはありません。語末では代わりに w を使うか (au, ou, eu → aw, ow,ew), blue, sue のように,e を付けて,u で終わらないようにします。you は英語を勉強し始めてすぐに学ぶ単語ですが,実は u で終わる珍しい綴りの単語ということになります。


 ・ 大名 力 『英語の文字・綴り・発音のしくみ』 研究社,2014年.

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2015-05-31 Sun

#2225. hear -- heard -- heard [verb][conjugation][inflection][high_vowel_deletion][i-mutation][analogy][sobokunagimon]

 標題の活用は現代英語では不規則とされるが,過去・過去分詞形で歯音接尾辞 (dental suffix) が現われることから,不規則性の程度は低いとみてよさそうである.この動詞は古英語では弱変化第1類に属するまさに規則的な動詞であり,不定詞 hīeran,過去(単数)形 hīerde,過去分詞形 (ge)hīered と活用した.
 古英語の動詞の屈折体系という観点から注意すべき点は,弱変化第1類の動詞のなかで hīeran タイプのものは過去形の歯音接尾辞の直前に母音が欠けていることである.同じ第1類に属する fremman (to perform) は fremede と母音を伴うし,nerian (to save) も nerede と母音を伴う.これは,古英語に先立つ時代に hīeran タイプが fremman タイプや nerian タイプとは異なる音韻過程を経てきたからである.現代英語の *heared ならぬ heard の過去・過去分詞の語形を説明するには,古英語に遡るだけでは十分でなく,さらに古い時代まで戻らなければならない.
 弱変化第1類の動詞に共通する歴史的背景は,いずれもかつて過去・過去分詞形を作るのに *-ida のように i をもつ接尾辞を付加したことである.この i が引き金となって,語幹母音は i-mutation を受けることとなった.この i は,詳細は省略するが,不定詞 fremman に対して過去形 fremede のように m が単子音字となっていること,不定詞 nerian に対して過去形 nerede のように i が消失していることとも関係する.
 今回の話題にとって重要なのは,hīeran タイプが fremmannerian タイプと異なり,長い母音に子音が続く語幹音節をもっていたことだ.強勢のある長い音節に無強勢の高母音 (/i/ や /u/) が後続する場合には,この高母音が脱落するという音韻過程 "High Vowel Deletion" (high_vowel_deletion) が,古英語より前の時代に生じていた.すなわち,*hauzida > *hīridæ > hīerde という発達が仮定されている (Hogg, Vol. 1 222--23) .High Vowel Deletion の効果については,「#1674. 音韻変化と屈折語尾の水平化についての理論的考察」 ([2013-11-26-1]),「#2017. foot の複数はなぜ feet か (2)」 ([2014-11-04-1]) でも別の例を挙げながら触れているので,参照されたい.
 こうして古英語の過去形 hīerde が出力されたが,本来,同じ経路をたどるはずだった過去分詞形は,予想される *(ge)hīerd ではなく,文証されるのは母音の挿入された (ge)hīered である.これは,fremmannerian タイプからの類推の結果と考えられる (Hogg, Vol. 2 263) .
 さて,古英語後期から中英語初期にかけて,過去形(そして過去分詞形)においては「長母音+2子音」という重い音節をもっていたことから,「#1751. 派生語や複合語の第1要素の音韻短縮」 ([2014-02-11-1]) でみたように,長母音の短化が生じた.不定詞や主たる現在屈折形では,歯音接尾辞の d が欠けているために音節は重くならず,短化は生じていない.これにより,現在の hearheard の母音の相違が説明される.
 なお,同じ音節構造をもつ hīeran タイプの他の動詞が,古英語以降,hīeran と同じように振る舞ってきたかというと,そうではない.dēman は同じタイプではあるが,現代における過去・過去分詞形は deemed であり,共時的に完全に規則的である.これは,類推作用が働いた結果である.
 弱変化第1類の活用の話題については,「#2210. think -- thought -- thought の活用」 ([2015-05-16-1]) も参照.

 ・ Hogg, Richard M. A Grammar of Old English. Vol. 1. 1992. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2011.
 ・ Hogg, Richard M. and R. D. Fulk. A Grammar of Old English. Vol. 2. Morphology. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2011.

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2015-05-16 Sat

#2210. think -- thought -- thought の活用 [verb][inflection][i-mutation][oe][morphology][phonetics][compensatory_lengthening][sobokunagimon]

 標題の think の活用のみならず,bring, buy, seek, teach などの活用では,過去(分詞)形に原形とは異なる母音が現われる.異なる母音に加えて,綴字の上で ght なる子音字連続が現われ,「不規則」との印象は決定的である.しかし,歴史的には規則的な動詞であり,-ed を付して過去(分詞)形を作る大多数の動詞の仲間である.ただ,大多数のものよりも多くの音変化を歴史的に経験してきたために,結果として,不規則きわまりない見栄えのする活用を示すことになっている.
 Mitchell and Robinson (48--49) に従って,歴史的経緯を解説しよう.まず,think 型の動詞の古英語での形を表に示す.現在までに廃語となったもの,純粋な規則変化へと移行したものも含まれている.

Inf.Pret. Sg.Past Ptc.
brenġan 'bring'brōhtebrōht
bycgan 'buy'bohteboht
cwellan 'kill'cwealdecweald
reċċan 'tell'rōhterōht
sēċan 'seek'sōhtesōht
sellan 'give'sealdeseald
streċċan 'stretch'strōhtestrōht
tǣċan 'teach'tǣhte, tāhtetǣt, tāht
þenċan 'think'þōhteþōht
þynċan 'seem'þūhteþūht
wyrċan 'work'worhteworht


 これらの動詞は,古英語の分類によれば弱変化第1類に属する.このクラスの動詞の特徴は,先立つゲルマン祖語の時代に,接尾辞の前位置に前舌高半母音 j をもっていたことである.これにより語幹母音は i-mutation の作用を被り,一段前寄りあるいは高い母音へと変化した.i-mutation を引き起こした j は,その後,消失したり,母音 i として引き継がれたりした.
 弱変化第1類の大部分の動詞においては,上記 i-mutation の作用が現在,過去,過去分詞を含む屈折パラダイムの全体に見られたが,語幹末に l あるいは歴史的な軟口蓋子音をもつ,上に一覧した一部の動詞においては現在形の屈折にのみ作用した.この一部の動詞では,過去や過去分詞において i-mutation を引き起こす問題の半母音 j が欠けていたのである.結果として,古英語における現在幹と過去(分詞)幹を比較すると,後者は前者よりも一段後ろ寄りあるいは低い母音,少なくともその痕跡を示すことになった.上表で e vs oy vs u の対立を確認されたい.
 cwellann, sellan について,現在と過去(分詞)では e vs ea の対立を示すが,これは本来的には e vs æ の規則的な対立とみてよい.æ が,過去(分詞)形にのみ生じた子音結合 ld の前で割れ (breaking) を起こし,ea と変化したにすぎない.
 また,þenċċan, þynċan, brenġan に関して,過去(分詞)形で ht の子音結合を示すが,これは *nċt の結合が規則的に発達したものである.破擦音的な ċt の前で摩擦音 h へと変化し,n は消失するとともに代償延長 (compensatory_lengthening) により先行する母音を長化させた.
 bycgan, wyrċan については,予想される y vs u の対立を示さず,y vs o となっている.過去(分詞)形に o が現われるのは,本来の u が特定の音環境において下げを経たからだ.下げの生じる前に i-mutation が起こったために,現在形では予想される y が現われているが,過去(分詞)形においては下げの結果である u がみられるというわけだ.
 このように先立つ時代に様々な音変化が生じたために,古英語の共時態としては,あたかも強変化動詞のごとく母音の gradation (Ablaut) を示すようにみえるが,結果としてそのようにみえているにすぎず,起源をたどれば歯音接尾辞 (dental suffix) を付して過去(分詞)形を作る通常の弱変化動詞にすぎないといえる.
 これらの動詞の詳しい歴史については,Hogg and Fulk (273--75) も参照.seek については,「#2015. seekbeseech の語尾子音」 ([2014-11-02-1]) でも触れた.

 ・ Mitchell, Bruce and Fred C. Robinson. A Guide to Old English. 8th ed. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2012.
 ・ Hogg, Richard M. and R. D. Fulk. A Grammar of Old English. Vol. 2. Morphology. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2011.

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2015-05-14 Thu

#2208. 英語の動詞に未来形の屈折がないのはなぜか? [verb][conjugation][tense][auxiliary_verb][indo-european][grammaticalisation][category][language_change][causation][future][sobokunagimon]

 標題の趣旨の質問が寄せられたので,この問題について歴史的な観点から考えてみたい.現代英語の動詞には,過去の出来事を表わすのに典型的に用いられる過去形がある.同様に,現在(あるいは普遍)の習慣的出来事を表わすには,動詞は典型的に現在形で活用する.しかし,未来の出来事に関しては,動詞を未来形として屈折させるような方法は存在しない.代わりに will, shall, be going to などの(準)助動詞を用いるという統語的な方法がとられている.つまり,現代英語には統語的な未来形はあるにせよ,形態的な未来形はないといってよい.単に「未来形」という用語では,統語,形態のいずれのレベルにおける「形」かについて誤解を招く可能性があることから,現代英語の文法書ではこの用語が避けられる傾向があるのではないか.
 (準)助動詞を用いる統語的,あるいは迂言的な未来表現は,おそらく後期古英語以降に willshall などの本来的に法的な機能をもつ助動詞が,意志や義務の意味を弱め,単純に時間としての未来を表わす用法へと文法化 (grammaticalisation) したことにより生じた.それ以前の時代には,単純未来を表わすのに特化した表現は,統語的にも形態的にもなく,法的な意味を伴わずに未来を表現する手段は欠けていたといってよい.古英語では,形態的には現在形(あるいは正確には非過去形)を用いることで現在のみならず未来のことを表わすこともできたのであり,時制カテゴリーにおいて,過去や現在と区別すべき区分としての未来という発想は希薄だった.その後 will などを用いた未来表現が出現した後でも,前代からの時制カテゴリーのとらえ方が大きく変容したわけではなく,現代英語でも未来という時制区分は浮いている感がある.ただし,現代英語に未来という概念は存在しないと言い切るのは,共時的には言い過ぎのきらいがあるように思う.
 上記のように,古英語の時制カテゴリーは,形式的にいえば,過去と非過去(しばしば「現在」と呼称される)の2区分よりなっていた.ここで現代英語の観点から生じる疑問(そして実際に寄せられた疑問)は,なぜ古英語では未来時制がなかったのか,なぜ動詞に未来形の屈折が発達しなかったのかという問いである.この質問に直接答えるのはたやすくないが,間接的な角度から4点を指摘しておきたい.
 まず,この質問の前提に,過去・現在・未来の3分法という近現代的な時間の観念があると思われるが,時間のとらえ方,あるいはその言語への反映である時制カテゴリーを論じる上で,必ずしもこれを前提としてよい根拠はない.日本人を含めた多くの現代人にとって,3分法の時間感覚は極めて自然に思えるが,これが人類にとっての唯一無二の時間観であるとみなすことはできない.また,仮に件の3分法の時間観が採用されたとしても,その3分法がきれいにそのまま言語の上に,時制カテゴリーとして反映するものなのかどうかも不明である.これはサピア=ウォーフの仮説 (sapir-whorf_hypothesis) に関わる問題であり,当面未解決の問題であると述べるにとどめておく.
 2点目に,他の印欧諸語にも,そして日本語にもみられるように,未来表現は,たいてい意志や義務などの法的な機能をもつ形式が文法化することにより発生することが多い.上述の通り,これは英語史においても観察された過程であり,どうやら通言語的にみられるもののようである.過去・現在・未来の3分法では,過去と未来は等しい重みをもって両極に対置されているかのようにみえるが,もしかすると言語化する上での両者の重みは,しばしば異なるのかもしれない.少なくともいくつかの主要言語の歴史を参照する限り,未来時制は過去時制と比して後発的であり,派生的であることが多い.
 3点目に,「#182. ゲルマン語派の特徴」 ([2009-10-26-1]) でみたように,過去・非過去という時制の2分法は(古)英語に限らずゲルマン諸語に共通する重要な特徴の1つである.また,同じ印欧語族からは古いヒッタイト語も同じ時制の2分法をもっており,印欧祖語における時制カテゴリーを再建するに当たって難題を呈している.果たして印欧祖語に未来時制と呼びうるものがあったのか,なかったのか.あるいは,あったとして,それは本来的なものなのか,二次的に派生したものなのか.つまり,上記の質問は,古英語に対して問われるべき問題にとどまらず,印欧祖語に対しても問われるべき問題でもある.印欧祖語当初からきれいな過去・現在・未来の3分法の時制をもっていたのかどうか,諸家の間で論争がある.
 最後に,ある言語革新がなぜあるときに生じたかを説明することすらがチャレンジングな課題であるところで,ある言語革新がなぜあるときに生じなかったかを説明することは極めて難しい.その意味で,古英語においてなぜ未来形が発達しなかったのかを示すことは,絶望的な困難を伴う.ただし,言語変化の理論的立場からは,本当はこれも重要な問題ではある.「#2115. 言語維持と言語変化への抵抗」 ([2015-02-10-1]) で Milroy の言語変化論に言及しながら提起したように,なぜ変化したのかと同様になぜ変化しなかったのかという質問も,もっと問われるべきだろう.

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2015-05-06 Wed

#2200. なぜ *haves, *haved ではなく has, had なのか [phonetics][consonant][assimilation][conjugation][inflection][3sp][verb][paradigm][oe][suffix][sobokunagimon][have]

 標記のように,現代英語の have は不規則変化動詞である.しかし,has に -s があるし, had に -d もあるから,完全に不規則というよりは若干不規則という程度だ.だが,なぜ *haves や *haved ではないのだろうか.
 歴史的にみれば,現在では許容されない形態 haveshaved は存在した.古英語形態論に照らしてみると,この動詞は純粋に規則的な屈折をする動詞ではなかったが,相当程度に規則的であり,当面は事実上の規則変化動詞と考えておいて差し支えない.古英語や,とりわけ中英語では,haveshaved に相当する「規則的」な諸形態が確かに行われていたのである.
 古英語 habban (have) の屈折表は,「#74. /b/ と /v/ も間違えて当然!?」 ([2009-07-11-1]) で掲げたが,以下に異形態を含めた表を改めて掲げよう.

habban (have)Present IndicativePresent SubjunctivePreterite IndicativePreterite SubjunctiveImperative
1st sg.hæbbehæbbehæfdehæfde 
2nd sg.hæfst, hafasthafa
3rd sg.hæfþ, hafaþ 
pl.habbaþhæbbenhæfdonhæfdenhabbaþ


 Pres. Ind. 3rd Sg. の箇所をみると,古英語で has に相当する形態として,hæfþ, hafaþ の2系列があったことがわかる. のように2子音が隣接する前者の系列では,中英語期に最初の子音 f が脱落し,hath などの形態を生んだ.この hath は近代英語期まで続いた.
 3単現の語尾が -(e)th から -(e)s へ変化した経緯について「#2141. 3単現の -th → -s の変化の概要」 ([2015-03-08-1]) を始め,「#1855. アメリカ英語で先に進んでいた3単現の -th → -s」 ([2014-05-26-1]),「#1856. 動詞の直説法現在形語尾 -eth は17世紀前半には -s と発音されていた」 ([2014-05-27-1]),「#1857. 3単現の -th → -s の変化の原動力」 ([2014-05-28-1]),「#2156. C16b--C17a の3単現の -th → -s の変化」 ([2015-03-23-1]) などの記事で取り上げてきたが,目下の関心である現代英語の has という形態の直接の起源は,hath の屈折語尾の置換に求めるよりは,古英語の Northumbria 方言に確認される hæfis, haefes などに求めるべきだろう.この -s 語尾をもつ古英語の諸形態は,中英語期にはさらに多くの形態を発達させたが,f が母音に挟まれた環境で脱落したり,fs のように2子音が隣接する環境で脱落するなどして,結果的に has のような形態が出力された.hathhas から唇歯音が脱落した過程は,このようにほぼ平行的に説明できる.関連して,haveof について,後続語が子音で始まるときに唇歯音が脱落することが後期中英語においてみられた.ye ha seyn (you have seen) や o þat light (of that light) などの例を参照されたい (中尾,p. 411).
 なお,過去形 had についてだが,こちらは「#1348. 13世紀以降に生じた v 削除」 ([2013-01-04-1]) で取り上げたように,多くの語に生じた v 削除の出力として説明できる.「#23. "Good evening, ladies and gentlemen!"は間違い?」 ([2009-05-21-1]) も合わせて参照されたい.
 MEDhāven (v.) の壮観な異綴字リストで,hashad に相当する諸形態を確かめてもらいたい.

 ・ 中尾 俊夫 『音韻史』 英語学大系第11巻,大修館書店,1985年.

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2015-04-25 Sat

#2189. 時・条件の副詞節における will の不使用 [auxiliary_verb][subjunctive][tense][future][sobokunagimon]

 現代の規範文法には,時・条件の副詞節では未来のことであっても will を用いないという事項がある.例えば,If it rains tomorrow, we will stay home. のような文に見られるように,if の条件節では「明日」のことにもかかわらず動詞に現在形 rains が用いられている.主節に未来を表わす will が一度現われるのだから,従属節内でも再度 will を含めるのは余剰である,などと説明されることもあるが,そのような説明は歴史的には正当化されない.
 近代英語以前には,時・条件の副詞節では,またその他の副詞節でも広く,動詞は直説法 (indicative) ではなく接続法(subjunctive; 現在の仮定法に相当)の形態を取った.上の例文でいえば,近代英語までは if 節内では直説法現在形で3単現の -s の付いた rains ではなく,接続法現在形(現代英語の用語では仮定法現在形)の rain が現われるのが普通だった.「もし明日が晴れならば」であれば,if it be fine tomorrow のように直説法の is ではなく接続法の be を用いたのである.
 古くは未来のことを指示するのだから未来時制の will を用いるべしという発想はなく,むしろ条件を表わすのだから接続法の動詞形を用いるべしという意識が強かった.本来,英語の時制 (tense) のカテゴリーには未来という明確な項はなく,過去か非過去(現在と未来を含む)の2種類の区別しかなかったことも関係する.未来は現在形で代用していたのであり,接続法「現在」形を使いさえすれば,それは自動的に未来をも指示することができた.時・条件の副詞において強く意識されたのは,未来という時間の問題というよりも,頭のなかでの「明日雨が降る」可能性についてだった.現代の共時的な観点からは「未来の出来事として will が用いられるべき副詞節内であるにもかかわらず will が現われないのはなぜか」という問題意識が生じそうだが,通時的な観点からは,時・条件の副詞節と will との結びつきは最初から不在だったのである.
 標題よりも重要な問題は,近代英語までは if it rain tomorrowif it be fine tomorrow のように接続法現在形が用いられるのが普通だったにもかかわらず,現代英語ではなぜ直説法現在形を用いて if it rains tomorrowif it is fine tomorrow というようになったか,である.この問題は英語史における接続法あるいは仮定法の衰退,そして直説法による置換という大きなテーマのなかで論じるべき問題であり,ここで軽々に扱うことはできない.ただ強調したいことは,標題の素朴な疑問の背後にこそ,真に問うべき英語史上の大きな問題が潜んでいるということである.接続法現在がなぜ,どのように近代英語期以降に衰退し,直説法現在に吸収されていったかという大きな課題が隠れている.

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2015-02-07 Sat

#2112. なぜ3単現の -s がつくのか? [verb][inflection][agreement][conjugation][paradigm][morphology][3sp][3pp][sobokunagimon]

 標題は,英語学習者が一度は抱くはずの素朴な疑問の代表格である.現代英語では動詞の3人称単数現在形として語幹に接尾辞 -(e)s を付すのが規則となっている.(1) 主語が3人称であり,(2) 主語が単数であり,(3) 時制が現在であるという3つの条件がすべて揃ったときにのみ接尾辞を付加するという厳しい規則なので,英語学習者にとって習得しにくい(厳密には (4) 直説法であるという条件も必要).私自身も,英語で話したり書いたりする際には,とりわけ主語と動詞が離れた場合などに,規則で要求される一致をうっかり忘れてしまう.3単現の -s とは何なのか,何のために存在するのか,と学習者が不思議に思うのは極めて自然である.
 現代英語における3単現の -s の問題は奥の深い問題だと思っている.共時的な観点からは,動詞の一致という広範な現象の一種として,種々の議論や分析がなされうる.形式主義の立場からは,例えば生成文法では InflP という機能範疇のもとで主語に相当する名詞句の素性と屈折辞との関係を記述することで,どのような場合に動詞に -s が付加されるかを形式化できる.しかし,これは条件を形式化したにすぎず,なぜ3単現のときに -s が付くのか,その理由を説明することはできない.
 一方,機能主義の立場からは,-s の有無により,(1) 主語が3人称か1・2人称かの区別,(2) 主語が単数か複数かの区別,(3) 時制が現在か非現在かの区別を形態的に明示することができる,と論じられる.例えば,主語が John 1人を he で指すか,あるいは John and Mary 2人を they で指すかのいずれかであると予想される文脈において,主語代名詞部分が聞き取れなかったとしても,(現在時制という仮定で)動詞の語尾を注意深く聞き取ることができれば,正しい主語を「復元」できる.このような復元可能性がある限りにおいて,-s の有無は機能的ということができ,したがって3単現の -s という規則も機能的であると論じることができる.
 しかし,ここでも3単現の -s の「なぜ」には答えられていない.復元可能性という機能を確保したいのであれば,特に3単現に -s をつけるという方法ではなく,他にも様々な方法が考えられるはずだ.なぜ3単現の -p とか -g ではないのか,なぜ3複現の -s ではないのか,なぜ3単過の -s ではないのか,等々.あるいは,これらの可能性をすべて組み合わせた適当な動詞のパラダイムでも,同じように用を足せそうだ.つまり,上記の機能主義的な説明は,3単現の -s をもつ現代英語のパラダイムに限らず,同じように用を足せる他のパラダイムにも通用してしまうということである.結局,機能主義的な説明は,なぜ英語がよりによって3単現の -s をもつパラダイムを有しているのかを説明しない.
 形式的であれ機能的であれ,共時的な観点からの議論は,3単現の -s に関する説明を与えようとはしているが,せいぜい説明の一部をなしているにすぎず,本質的な問いには答えられてない.だが,通時的な観点からみれば,「なぜ」への答えはずっと明瞭である.
 通時的な解説に入る前に,標題の発問の前提をもう一度整理しよう.「なぜ3単現の -s がつくのか」という疑問の前提には,「なぜ3単現というポジションでのみ余計な語尾がつかなければならないのか」という意識がある.他のポジションでは裸のままでよいのに,なぜ3単現に限って面倒なことをしなければならないのか,と.ところが,通時的な視点からの問題意識は正反対である.通時的には,3単現で -s がつくことは,ほとんど説明を要さない.コメントすべきことは多くないのである.むしろ,問うべきは「なぜ3単現以外では何もつかなくなってしまったのか」である.
 では,謎解きのとっかかりとして,古英語の動詞 lufian (to love) の直説法現在の屈折表を掲げよう.

lufian (to love)SingularPlural
1st personlufielufiaþ
2nd personlufastlufiaþ
3rd personlufaþlufiaþ


 この屈折表から分かるように,古英語では3単現に限らず,1単現,2単現,1複現,2複現,3複現でも何らかの語尾が付いていた.現代英語の観点からは,3単現のみに語尾が付くために3単現という条件を特別視してしまうが,古英語では(それ以前の時代もそうだし,中英語にも初期近代英語にも部分的にそう言えるが)それぞれの人称・数・時制の組み合わせが同程度に「特別」であり,いずれにも決められた語尾が付かなければならなかった.言い換えれば,3単現だけが現在のように浮いたポジションだったわけではない.
 しかし,古英語の「すべてのポジションが特別」ともいえるこのパラダイムは,中英語から近代英語にかけて大きく変容する.古英語末期以降,屈折語尾が置かれるような無強勢音節において,音が弱化し,ついには消失するという大きな音変化の潮流が進行した.上記の lufian の例でいえば,1単現の lufie の語尾は弱化の餌食となり,中英語では明確な語末母音をもたない love となった.不定詞 lufian 自体も,同じく語末の子音と母音が弱化・消失し,結局「原形」 love へと発展した.一方,いずれの人称でも共通の古英語の複数形 lufiaþ は,屈折語尾における母音の弱化・消失の結果,3単現 lufaþ と形態的に融合してしまったことも関係してか,とりわけ中英語の中部方言で,接続法現在のパラダイムに由来する語尾に n をとる loven という形態を採用した.ところが,この n 語尾自体が弱化・消失しやすかったため,中英語末期までにはおよそ消滅し,結局 love へと落ち着いた.2単現の lufast については,屈折語尾として消失に抵抗力のある子音を2つもっており,本来であればほぼそのままの形で現代英語まで生き残るはずだった.ところが,2単現に対応する主語代名詞 thou が,おそらく社会語用論的な要因で存在意義を失い,その立場を you へと明け渡していくに及んで,-ast の屈折語尾自体も生じる機会を失い,廃用となった.2単現の屈折語尾は,2複現に対応する you と同じ振る舞いをすることになったため,このポジションへも love が侵入した.
 残るは3単現の lufaþ である.語尾に消失しにくい子音をもっていたために,中英語まではほぼそのままに保たれた.中英語期に北部方言に由来する -s が勢力を拡げ,元来の -þ を置き換えるという変化があったものの,結果としての -s も消失しにくい安定した子音だったため,これが現代英語まで生き残った.他のポジションの屈折語尾が音声的な弱化・消失の餌食となったり,他の主要な語尾に置換されていくなどして,ついには消え去ったのに対し,3単現の -s は音声的に強固で安定していたという理由で,運良く(?)たまたま今まで生き残ったのである.3単現の -s は直説法現在の屈折パラダイムにおける最後の生き残りといえる.
 改めて述べるが,通時的な視点からの問題意識は「なぜ3単現の -s がつくのか」ではなく「なぜ3単現以外では何もつかなくなってしまったのか」である.この「なぜ」の答えの概略は上で述べてきたが,実際には個々のポジションについてもっと複雑な経緯がある.英語史では,屈折語尾の水平化 (levelling of inflection) として知られる大規模な過程の一端として,重要かつ複雑な問題である.
 3単現の -s 関連の諸問題については 3sp の各記事を,関連する3複現の -s という英語史上の問題については 3pp の各記事を参照されたい.

(後記 2017/03/15(Wed):関連して,研究社のウェブサイト上の記事として「なぜ3単現に -s を付けるのか? ――変種という視点から」を書いていますので,ご参照ください.)

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2015-01-10 Sat

#2084. drink--drank--drunkwin--won--won [verb][conjugation][inflection][vowel][oe][homorganic_lengthening][sobokunagimon]

 現代英語の不規則活用を示す動詞,特に語幹の母音交替 ( Ablaut or gradation ) により過去・過去分詞形を作る動詞の多くは,歴史的な強変化動詞に由来する.古英語では現代英語よりも多くの動詞が強変化動詞に属しており,その大半が現代までに弱変化(規則活用)へ移行するか,あるいは廃語となった.動詞のいわゆる強弱移行の歴史については,「#178. 動詞の規則活用化の略歴」 ([2009-10-22-1]) ,「#527. 不規則変化動詞の規則化の速度は頻度指標の2乗に反比例する?」 ([2010-10-06-1]) ,「#528. 次に規則化する動詞は wed !?」 ([2010-10-07-1]),「#764. 現代英語動詞活用の3つの分類法」 ([2011-05-31-1]),「#1287. 動詞の強弱移行と頻度」 ([2012-11-04-1]) などの記事を参照されたい.
 さて,現代英語にまで生きながらえた強変化動詞は,活用の仕方によって標記の drink--drank--drunk のようなABC型や win--won--won のようなABB型など,いくつかの種類に区分されるが,これらは近代英語期以後の標準英語において確立したものと考えてよい.「#492. 近代英語期の強変化動詞過去形の揺れ」 ([2010-09-01-1]) でみたように,近代ではまだ過去形や過去分詞形の母音が揺れを示すものが少なくなかったし,現在でも方言を含む非標準変種では異なる母音が用いられたりする.
 drinkwin の活用タイプの違いや近代英語期に見られる揺れの起源は,古英語の強変化動詞には第1過去(「単数過去」とも)と第2過去(「複数過去」とも)の2種類が区別されていた事実にある.「#42. 古英語には過去形の語幹が二種類あった」 ([2009-06-09-1]) で述べたように,各動詞は主語の数と人称に応じて2つの異なる過去形をもっていた.drink でいえば,不定形 -- 第1過去形 -- 第2過去形 -- 過去分詞形の順に,drincan -- dranc -- druncon -- druncen のように活用し,win については winnan -- wann -- wunnon -- wunnen と活用した(これを活用主要形 (principal parts) と呼ぶ).ところが,中英語以後,屈折体系全体の簡略化の潮流に伴い,これらの動詞の過去形は2種類の形態を区別する機会を減らしていった.かつての第1過去形か第2過去形のうちいずれかが優勢となり徐々に唯一の過去形として機能していくことになったが,この過程は想像される以上に複雑であり,近代英語期までに形態が定着せず,激しい揺れを示したり方言差や個人差の著しい動詞も多かった.drink はたまたま第1過去 dranc に由来する形態が標準英語の過去形として定着することになり,win についてはたまたま第2過去 wunnan の形態(後に won と綴られ /wʌn/ と発音される)に由来する形態が採用されたということである.
 第1過去形か第2過去形のいずれが採用されることになるかを決定づける要因は特定できない.drincanwinnan の属する強変化第3類の他の動詞について調べてみると,drinkcan のように後に第1過去形が採用されたものには hringan, scrincan, sincan, singan, springan, swimman があり,winnan のように第2過去形が採られたものには clingan, spinnan, stingan, wringan がある.しかし,非標準変種では過去形に別の母音をもつ形態が用いられるケースも少なくない.例えば,sing の過去形は標準変種では sang だが,非標準変種で sung が用いられることもある.また,spin の過去形も標準変種では spun だが,それ以外の変種では span もありうる,等々(岩崎,p. 76).
 なお,bindan, findan, grindan, windan も強変化第3類の動詞で,いずれも後に第2過去形が採用されたタイプである (ex. bound, found, ground, wound) .この母音は,初期中英語で生じた同器性長化 (homorganic_lengthening) により長くなり,さらに後に大母音推移 (gvs) により2重母音化した /aʊ/ をもつに至っている点で,winnan のタイプとは少々異なる音韻的経緯を辿った.

 ・ 岩崎 春雄 『英語史』第3版,慶應義塾大学通信教育部,2013年.

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2014-12-27 Sat

#2070. なぜ mamapapa なのか? (3) [phonetics][consonant][vowel][sobokunagimon]

 [2012-06-10-1][2012-06-11-1] に引き続いての話題.[2012-06-11-1] の記事で Jakobson が理論化のために依拠していた調査データは Murdock のものである.Murdock の原典に戻ってみると,当然ながら詳細を知ることができる.
 収集されたのは474の言語共同体からのデータで,すべて合わせて母を表わす語形が531種類,父を表わす語形が541種類確認された.同系統の言語か否か,語形のどの部分を比較対象とするか,分類に際しての母音や子音の組み合わせパターンの同定などがきわめて慎重に考慮されている.その結果がいろいろな表で示されているのだが,最もわかりやすいのは p. 4 の TABLE 2 だろう.以下に再掲しよう.

Sound classesDenoting MotherDenoting Father
Ma, Me, No, Na, Ne, and No273 (52%)81 (15%)
Pa, Po, Ta, and To38 (7%)296 (55%)
All 29 others220 (41%)164 (30%)


 統計的に検定する必要もなく,従来から指摘されている傾向が明らかとなった.調音点としては唇と歯茎,調音様式としては閉鎖音(鼻音と破裂音)が際立っている.Murdock はこの種の生データだけ提示し,理論化は他の研究者に任せるとして自らの調査報告論文を閉じているが,まさにその意図を汲み取ってあれでもかこれでもかと理論化してみせてくれたのが Jakobson だったということになる (cf. [2012-06-11-1]) .互いに引き立て合って著名な論文となったということだろう.
 さて,上記の傾向が実証された一方で,2, 3例に1つは同傾向に反するという事実にも注意が必要である.Murdock の調査で明らかになったことは,世界の言語の母や父を表わす語に,表の上2段の「子音+母音」結合が統計的な有意差をもって現われるということだけであり,予測的価値があるわけでもないし,反例を許さないということでもない.上の数値をあるがままに解釈することが肝要だろう.

 ・ Murdock, G. P. "Cross-Language Parallels in Parental Kin Terms." Anthropological Linguistics 1.9 (1959): 1--5.
 ・ Jakobson, Roman. "Why 'Mama' and 'Papa'?" Phonological Studies. 2nd ed. Vol. 1 of Roman Jakobson Selected Writings. The Hague and Paris: Mouton, 1971. 538--45.

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2014-12-02 Tue

#2045. なぜ mayn't が使われないのか? (2) [auxiliary_verb][negative][clitic][corpus][emode][lmode][eebo][clmet][sobokunagimon]

 昨日の記事「#2044. なぜ mayn't が使われないのか? (1)」 ([2014-12-01-1]) に引き続き,標記の問題.今回は歴史的な事実を提示する.OED によると,短縮形 mayn't は16世紀から例がみられるというが,引用例として最も早いものは17世紀の Milton からのものだ.

1631 Milton On Univ. Carrier ii. 18 If I mayn't carry, sure I'll ne'er be fetched.


 OED に基づくと,注目すべき時代は初期近代英語以後ということになる.そこで EEBO (Early English Books Online) ベースで個人的に作っている巨大テキスト・データベースにて然るべき検索を行ったところ,次のような結果が出た(mainat などの異形も含めて検索した).各時期のサブコーパスの規模が異なるので,100万語当たりの頻度 (wpm) で比較されたい.

Period (subcorpus size)mayn'tmay not
1451--1500 (244,602 words)0 wpm (0 times)474.24 wpm (116 times)
1501--1550 (328,7691 words)0 (0)133.22 (438)
1551--1600 (13,166,673 words)0 (0)107.01 (1,409)
1601--1650 (48,784,537 words)0.020 (1)131.85 (6,432)
1651--1700 (83,777,910 words)1.03 (86)131.54 (11,020)
1701--1750 (90,945 words)0 (0)109.96 (10)


 短縮形 mayn't は非短縮形 may not に比べて,常に圧倒的少数派であったことは疑うべくもない.短縮形の16世紀からの例は見つからなかったが,17世紀に少しずつ現われ出す様子はつかむことができた.18世紀からの例がないのは,サブコーパスの規模が小さいからかもしれない.「#1948. Addison の clipping 批判」 ([2014-08-27-1]) で見たように,Addison が18世紀初頭に mayn't を含む短縮形を非難していたほどだから,口語ではよく行われていたのだろう.
 続いて後期近代英語のコーパス CLMET3.0 で同様に調べてみた.18--19世紀中にも,mayn't は相対的に少ないながらも確かに使用されており,19世紀後半には頻度もやや高まっているようだ.mayn'tmay not の間で揺れを示すテキストも少なくない.

Period (subcorpus size)mayn'tmay not
1710--1780 (10,480,431 words)33859
1780--1850 (11,285,587)21703
1850--1920 (12,620,207)68601


 19世紀後半に mayn't の使用が増えている様子は,近現代アメリカ英語コーパス COHA でも確認できる.



 20世紀に入ってからの状況は未調査だが,「#677. 現代英語における法助動詞の衰退」 ([2011-03-05-1]) から示唆されるように,may 自体が徐々に衰退の運命をたどることになったわけだから,mayn't の運命も推して知るべしだろう.昨日の記事で触れたように特に現代アメリカ英語では shan'tshall とともに衰退したてきたことと考え合わせると,否定短縮形の衰退は助動詞本体(肯定形)の衰退と関連づけて理解する必要があるように思われる.may 自体が古く堅苦しい助動詞となれば,インフォーマルな響きをもつ否定接辞を付加した mayn't のぎこちなさは,それだけ著しく感じられるだろう.この辺りに,mayn't の不使用の1つの理由があるのではないか.もう1つ思いつきだが,mayn't の不使用は,非標準的で社会的に低い価値を与えられている ain't と押韻することと関連するかもしれない.いずれも仮説段階の提案にすぎないが,参考までに.

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2014-12-01 Mon

#2044. なぜ mayn't が使われないのか? (1) [auxiliary_verb][negative][tag_question][bnc][corpus][sobokunagimon]

 なぜ may not の短縮形 mayn't が現代英語では一般的に用いられないのかという質問をいただいた.確かに不思議だと思っていたのだが,これまで扱わずにきたので少し考えてみたい.
 法助動詞が否定辞を伴う形には,たいてい対応する短縮形がある.can't, couldn't, won't, wouldn't, shouldn't, mightn't, mustn't, needn't, use(d)n't, oughtn't 等々だ.しかし,mayn't はあまりお目にかからない.実際のところ大きな辞書には記載があるのだが,レーベルとしては口語的であるとか古風であるとか,特殊な用法とされている.OED でも mayn't は "(colloq., now rare)" や "rare in all varieties of English" とあり,標準英語をターゲットとする英語教育において教えられていないのも無理からぬことである.Quirk et al. (122) でも,mayn'tshan't とともに用いられなくなってきていることが述べられている.

Every auxiliary except the am form of BE has a contracted negative form . . ., but two of these, mayn't and shan't, are now virtually nonexistent in AmE, while in BrE shan't is becoming rare and mayn't even more so.


 また Quirk et al. (811--12) は,付加疑問において mayn't I? などの形が使いにくい現状のぎこちなさにも言い及んでいる.mightn't I?can't I? で代用する話者もいるようだが,スマートではない.may I not? は常に可能だが,堅苦しすぎて多くの文脈にはふさわしくない.

The negative tag question following a positive statement with modal auxiliary may poses a problem because the abbreviated form mayn't is rare (virtually not found in AmE). There is no obvious solution for the tag question, though some speakers will substitute mightn't or can't or --- when the reference is future --- won't:
   ?I may inspect the books, | mightn't I?
                             | can't I?
   ?They may be here next week, | mightn't they?
                                | won't they?
The abbreviated form is fully acceptable, but limited to formal usage:
   I may inspect the books, may I not?
   They may be here next week, may they not?


 さて,BNC で mayn't を検索すると7例のみヒットした.話し言葉サブコーパスからは2例のみだが,書き言葉サブコーパスからの5例も口語的な文脈において生起している.7例中3例が mayn't you?, mayn't it?, mayn't there といった付加疑問のなかで現われており,一応は使用されていることがわかるが,1億語規模のコーパスでこれだけの例数ということは,やはり事実上の不使用といってよいだろう.
 can'tmightn't との平行性を断ち切り,かつ付加疑問におけるそのぎこちなさを甘受してまでも mayn't の使用は避けるというこの状況は,いったいどのように理解すればよいのだろうか.歴史的に何か解明できるのだろうか.歴史的な事情について,明日の記事で考察したい.

 ・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.

Referrer (Inside): [2019-05-22-1] [2014-12-02-1]

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2014-11-04 Tue

#2017. foot の複数はなぜ feet か (2) [plural][i-mutation][verners_law][phonetics][high_vowel_deletion][sobokunagimon]

 「#157. foot の複数はなぜ feet か」 ([2009-10-01-1]) で,不規則複数形 feet の形態について,i-mutation を含む一連の音韻変化の結果として説明した.原則として同じ説明が feet に限らず他の不規則複数形 geese, lice, men, mice, teeth, women にも当てはまるが,復習すると,概略以下のような経緯だったと考えられている.

 (1) ゲルマン祖語: *fōt- (sg.) / *fōt-iz- (pl.)
 (2) 複数形で i-mutation が起こる: *fōt- (sg.) / *fēt-iz- (pl.)
 (3) 古英語期までに *-iz が消失: fōt- (sg.) / fēt- (pl.)

 しかし,この過程をより正確に理解するには,音韻変化の詳細にまで踏み込む必要がある.特に (3) の *-iz が消失するというくだりは,掘り下げる必要がある.というのは,*-iz の消失により,本来は音韻的な意義しかなかった ōē の対立が,形態的な役割を担うようになったからである.
 語尾 *-iz の消失は,2つの音が一気に消失したのではなく,先に *z が,次に *i が消失したと考えられている.ゲルマン祖語では,foot は語幹と屈折語尾の間に母音のないことを特徴とする athematic の屈折タイプに属し,複数主格として *-iz 語尾(無強勢)を取った.末尾の *z は,印欧祖語の *s が強勢を伴わない音節の末尾で有声化した,いわゆる Verner's Law の出力である (Campbell §398.2) .この *z は,同じ弱音節の環境で後に消失した.なお,ゲルマン祖語における a-stem の男性強変化屈折における複数主格語尾は強勢をもつ *-ôs であったため,*s は失われることなく,現在に至るまで複数標示の機能を担い続けている (Campbell §571) .つまり,feet と例えば stones のたどった形態上の歴史は,複数主格語尾に強勢がなかったか,あったかの違い(究極的には,印欧祖語で属していた屈折タイプの違い)に帰せられることになる.
 さて,*z が脱落すると,次は語末の *i も消失にさらされることになった.古英語以前の時期に,語末の弱音節における高母音 *i と *u は,直前に強勢のある長い音節がある環境で脱落した.いわゆる,High Vowel Deletion と呼ばれる音韻変化である.*fēti の *i はこの条件に合致していたために脱落することになった (Campbell §345) .
 (3) では一言で *-iz が脱落したと述べたが,実際には条件づけられた一連の音韻変化の連鎖によって順繰りに脱落していったのである.標題のような現代英語の「素朴な疑問」に対してできる限り満足のいく回答を得るためには,どこまでも歴史を遡らなければならない.

 ・ Campbell, A. Old English Grammar. Oxford: OUP, 1959.

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2014-08-29 Fri

#1950. なぜ BillWilliam の愛称になるのか? [shortening][rhyme][personal_name][onomastics][sobokunagimon]

 標記の問題については,WilliamWill と愛称的短化を経た後,一種の rhyming slang (cf. 「#1459. Cockney rhyming slang」 ([2013-04-25-1]))により Bill となったのだろうと思っていた.しかし,なぜ /w/ が /v/ や /f/ や /p/ ではなく /b/ に置換されたのかがはっきりしない.RichardDick, RobertBob についても同様だ.この問題についてもやもやしていたところに,Stern (262) に別の説が提案されていたので紹介する.

I may mention here the phenomenon termed by Sundén pseudo-ellipsis (Sundén, Ell. Words 141 sqq.). Bob has been considered a hypochoristic [sic] shortening of Robert. But why should R- be changed into B-? Sundén points out that there existed in OE the proper names Boba, Bobba, Bobing, and in ME Bobbe, Bobin, Bobbet. Robert was introduced into England through the Norman conquest; a shortening of Robert gave Rob or Robbe, which are also instanced in ME. We have thus Bobbe and Robbe, of different origin, but both of them proper names. It is reasonable to assume that the two names were confused, and Bobbe apprehended as a short form of Robert. Sundén is able to show that a similar process is probable for William --- Bill, Richard --- Dick, Amelia --- Emy, Edward or Edmund --- Ted, Isabella --- Tib, James --- Jem, Jim, and others. We have here a double process: shortening plus phonetic associative interference . . . .


 この説は先の説と矛盾しない.Robert 導入以前に Bob という名前があったとすれば,rhyming slang 経由であれ音声的な関連によるものであれ,RobBob が関連づけられたとしても不思議ではない.
 私の娘は小百合という名前だが,日常的な発音では3モーラでも長く感じられるので,「さゆ」と呼ぶこともあれば「ゆみ」と呼ぶこともある.後者が「ゆり」ではないのは,多分「ゆみ」のほうが一般的な女子の名前として多いために,聞き慣れており,言いやすいから,いつの間にか転じて固定化してしまったものだろう(と自ら分析している).愛称やあだ名は,指示対象を正しく示さなければならないという制限のもとでの一種の言葉遊びと考えられるから,本来,多様性と創造性が豊かなもののはずである.

 ・ Stern, Gustaf. Meaning and Change of Meaning. Bloomington: Indiana UP, 1931.

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2014-06-05 Thu

#1865. 神に対して thou を用いるのはなぜか [number][personal_pronoun][honorific][face][politeness][t/v_distinction][solidarity][sobokunagimon]

 2人称代名詞 youthou を巡る英語史上の問題については,多くの記事で取り上げてきた( you thou personal_pronoun を参照).中英語期から初期近代英語期まで見られた敬称の you と親称の thou の使い分けは,「#673. Burnley's you and thou」 ([2011-03-01-1]) で述べたように,細かく規定しようとすると非常に複雑だが,基本ルールとしては,社会的立場が上の者に対しては敬称の you を用いるべし,といえる.ところが,キリスト教徒が神に対して呼びかける場合には,英語では親称の thou を用いるのが慣習である.神のことを社会的立場が上の者と表現するのも妙ではあるが,究極の敬意を示す対象として,敬称の you が予想されそうなところだが,なぜそうならないのだろうか.実は,英語だけの問題ではない.現代のフランス語とドイツ語などを参照すると,やはり神に対して親称の tu, du をそれぞれ用いる慣習がある.
 歴史的には,politeness に基づく T/V distinction がいまだ存在しなかった時代,例えば古英語期には,キリスト教のただ一人の神への呼びかけは,当然ながら単数形 thou を用いていたという事実がある.その伝統的な用法を,中英語以降も継続したということはありそうだ.また,唯一神であることを強調するために,単数を明示できる thou が選ばれたという考え方もある.しかし,前代からの伝統とはいえ,T/V distinction が導入され定着した時代の共時的な感覚として,神に対して thou と呼びかけるのは失礼とはまったく思わなかったのだろうか.そんな素朴な疑問がわいてくる.
 これに対する1つの解答は,「#1564. face」 ([2013-08-08-1]) で導入した positive face あるいは solidarity-face を立てようとする politeness の考え方である.その記事で「英語に T/V distinction があった時代の親しみの thou と敬いの you は,向きこそ異なれ,いずれも相手の face を尊重する politeness の行為だということになる」と述べたように,親称の thou の使用は,敬称の you の使用とは異なった向きではあるが,同じようにポライトだということである.前者は相手(神)の positive face を立てる行為であり,互いの solidarity を醸成するのに役立つ.神が自分のことを thou と呼び,親しく歩み寄ってくれているのだから,その神の厚意を尊重して受け入れ,こちらからも親しみを込めて thou と呼んで接しよう,という説明になろうか.positive politeness と negative politeness については,Wardhaugh (292) が次のように説明している.

Positive politeness leads to moves to achieve solidarity through offers of friendship, the use of compliments, and informal language use: we treat others as friends and allies, do not impose on them, and never threaten their face. On the other hand, negative politeness leads to deference, apologizing, indirectness, and formality in language use: we adopt a variety of strategies so as to avoid any threats to the face others are presenting to us.


 浅田 (19) は,ドイツ語で神を敬称の Sie ではなく親称の du で呼ぶ慣習について,positive politeness という術語を導入せずに,次のように易しく説明している.

 たとえば、こんなふうに考えてはどうでしょう。キリスト教を信じている人は、食事の前や寝る前など、日常生活のいろいろな場面で神様にお祈りをします。何かうまくいかないときや、なやんでいるとき、どうしてもかなえたい希望があるときも、神様にお祈りをします。つまり神様は、人々の日常生活の中にいつでもいて、すぐ身近に感じている存在なのではないでしょうか。いつもそばにいて身近だから、「ドゥー」をつかうのだともいえます。
 ということは、ドイツ語では「ドゥー」をつかったからといって、敬意を表わしていないことにはならないのです。親しみの表現と尊敬の表現とはぜんぜん関係がなくて、日本語のように、尊敬の表現をつかうと親しみがなくなってしまうなどということはないのです。親しみのある表現をつかって、なおかつ敬意を表わすことができるのが、ドイツ語なのだといえるのではないでしょうか。


 ・ Wardhaugh, Ronald. An Introduction to Sociolinguistics. 6th ed. Malden: Blackwell, 2010.
 ・ 浅田 秀子 『日本語にはどうして敬語が多いの?』 アリス館,1997年.

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2014-05-29 Thu

#1858. 無変化活用の動詞 set -- set -- set, etc. (2) [verb][conjugation][degemination][inflection][phonetics][analogy][sobokunagimon]

 「#1854. 無変化活用の動詞 set -- set -- set, etc.」 ([2014-05-25-1]) の記事に補足を加えたい.先の記事では,弱変化動詞の語幹の rhyme の構成が「緩み母音(短母音)+歯茎破裂音 /d, t/ 」である場合に {-ed} 接尾辞を付すと,古英語から中英語にかけて生じた音韻過程の結果,現在形,過去形,過去分詞形がすべて同形となってしまったと説明した.
 しかし,実際のところ,上記の音韻過程による説明には若干の心許なさが残る.想定されている音韻過程のうち,脱重子音化 (degemination) は中英語での過程ととらえるにしても,それに先立つ連結母音の脱落や重子音化という過程は古英語の段階で生じたものと考えなければならない.ところが,先の記事で列挙した現代英語における無変化活用の動詞群のすべてがその起源を古英語にまで遡れるわけではない.例えば hit (< OE hyttan), knit (< OE cnyttan), shut (< OE scyttan), set (< OE settan), wed (< OE weddian) などは古英語に遡ることができても,cast, cost, cut, fit, hurt, put, split, spread などは初出が中英語以降の借用語あるいは造語である.また,元来 bid, burst, let, shed, slit などは強変化動詞であり後に弱変化化したものだが,そのタイミングと上記の想定される音韻過程のタイミングとがどのように関わり合っているかが分からない.古英語の弱変化動詞に確実には遡ることのできないこれらの動詞についても,setshut の場合と同様に,音韻過程による説明を適用することはできるのだろうか.
 むしろ,そのような動詞は,語幹の rhyme 構成が共通しているという点で,音韻史的に「正統な」無変化活用の動詞 setshut と共時的に関連づけられ,類推作用 (analogy) によって無変化活用を採用するようになったのではないか.英語史において強変化動詞 → 弱変化動詞という流れ(強弱移行)は一般的であり,類推作用の最たる例としてしばしば言及されるが,一般の弱変化動詞 → 無変化活用動詞という類推作用の流れも,周辺的ではあれ,このように存在したと考えられるのではないか.無変化活用の動詞の少なくとも一部は,純粋な音韻変化の結果としてではなく,音韻形態論的な類推作用の結果として捉える必要があるように思われる.そのように考えていたところに,Jespersen (28) に同趣旨の記述を見つけ,勢いを得た.引用中の "this group" とは古英語に起源をもつ無変化活用の動詞群を指す.

Even verbs originally strong or reduplicative, or of foreign origin, have been drawn into this group: bid, burst, slit; let, shed; cost.


 動詞の強弱移行については,「#178. 動詞の規則活用化の略歴」 ([2009-10-22-1]) ,「#527. 不規則変化動詞の規則化の速度は頻度指標の2乗に反比例する?」 ([2010-10-06-1]) ,「#528. 次に規則化する動詞は wed !?」 ([2010-10-07-1]),「#764. 現代英語動詞活用の3つの分類法」 ([2011-05-31-1]),「#1287. 動詞の強弱移行と頻度」 ([2012-11-04-1]) の各記事を参照.

 ・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part VI. Copenhagen: Ejnar Munksgaard, 1942.

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2014-05-25 Sun

#1854. 無変化活用の動詞 set -- set -- set, etc. [verb][conjugation][degemination][inflection][phonetics][sobokunagimon]

 現代英語には,set -- set -- set, put -- put -- put, let -- let -- let など無変化活用の動詞がいくつか存在する.まずは Quirk et al. (§3.17) に挙げられている無変化活用の動詞の一覧をみてみよう.表中で "R" は "regular" を表わす.

V/V-edCOMMENTS
betBrE also R: betted
bid'make an offer (to by)' etc. (But in the sense of 'say a greeting' or 'give an order', the forms bid ? bad(e) ? bidden may also be used in rather archaic style: 'Do as you are bid(den).') Also OUTBID, UNDERBID.
burstAlso nonstandard BUST, with alternative R V-ed form busted
castAlso BROADCAST, FORECAST, MISCAST, OVERCAST, RECAST, TELECAST (sometimes also R)
costCOST = 'estimate the coset of' is R
cut 
fitR <in BrE>
hit 
hurt 
knitUsually R: knitted
let 
put /ʊ/But PUT(T) /pʌt/ in golf is R: putted
quitAlso R: quitted
ridAlso R: ridded
setAlso BESET, RESET, UPSET, OFFSET, INSET
shedAlso R <rare> = 'put in a shed'
shit<Not in polite use>; V-ed1 sometimes shat
shredUsually R: shreaded
shut 
slit 
split 
spread /e/ 
sweat /e/Also R: sweated
thrust 
wedAlso R: wedded
wetAlso R: wetted


 上記の動詞の語幹に共通するのは,緩み母音をもち,歯茎破裂音 /d, t/ で終わることである.古英語および中英語では,このような音韻条件を備えていた動詞は,弱変化の過去・過去分詞接尾辞 {-ed} を付加するときに連結母音を脱落させ,語幹末音と合わさって重子音 /-dd-, -tt-/ を示した.ところが,中英語後期までに脱重子音化 (degemination) が生じ,過去と過去分詞の語幹も,不定詞と現在の語幹と同じ /d, t/ で終わる形態へと収斂した.結果として,無変化活用が生まれることになった.ただし,knitted, quitted, wedded などのように,新たに規則形が生み出されたものもあるので,上記の音韻条件は動詞が無変化活用であることの必要条件ではあっても十分条件ではない(荒木・宇賀治,p. 204--05).
 なお,語幹に張り母音をもつ動詞については,別の音韻過程が関与し,dream / dreamt, leap / leapt, read / read, speed / sped などの活用が現われた. 関連して,「#1345. read -- read -- read の活用」 ([2013-01-01-1]) を参照.

 ・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
 ・ 荒木 一雄,宇賀治 正朋 『英語史IIIA』 英語学大系第10巻,大修館書店,1984年.

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2013-09-27 Fri

#1614. 英語 title に対してフランス語 titre であるのはなぜか? [etymology][reduplication][consonant][phonetics][dissimilation][doublet][metathesis][french][sobokunagimon]

 9月12日に「素朴な疑問」コーナーで次のような質問をいただいた.「#1597. starstella」 ([2013-09-10-1]) を受けて,同じ [r] と [l] の交替に関する質問である.

uca 2013-09-12 02:50:55
先日のトピックで羅stellaと英starの関係について触れられていましたが、さらに疑問に感じたことがあります。それは、仏titreと英titleの関係です。これにはどういう経緯があったのでしょうか。ラテン語ではtitulusなので、この変化はあくまでフランス語内での変化なのでしょうか。ご教授いただければ幸いです。


 英語の title に対してフランス語は確かに titre である.語源をひもとくと,印欧祖語 *tel- (ground, floor, board) に遡る.この語根の加重形 (reduplication) をもとに印欧祖語 *titel- が再建されており,これが文証されるラテン語 titulus (inscription, label) へ発展したとされる.「平な地面や板に刻んだもの」ほどの原義だろう.ここから「銘(文),説明文,表題」などの語義が,すでにラテン語内で発達していた.このラテン語形は,古フランス語 title として発展し,これが英語へ借用された.初出は14世紀の初め頃である.ただし,古英語期に同じラテン語形を借用した titul が用いられていたことから,中英語の tītle は,この古英語形から発達したものと解釈する OED のような立場もある.いずれにせよ,英語では一貫して語源的な [l] が用いられていたことは確かである.
 すると,現代フランス語 titre の [r] は,フランス語史の内部で説明されなければならないということになる.英語やフランス語の語源辞典などにいくつか当たってみたが,多くは単に [l] > [r] と記述があるのみで,それ以上の説明はなかった.ただし,唯一 Klein は,"OF. title (in French dissimilated into titre)" と異化 (dissimilation) の作用の結果であることを,明示的に述べていた.
 Klein ならずとも,[r] と [l] の交替といえば,思いつく音韻過程は異化である.しかし,「#1597. starstella」 ([2013-09-10-1]) でも説明したとおり,異化は,通常,同音が語の内部で近接している場合に生じるものであり,今回のケースを異化として説明するには抵抗がある.例えば,フランス語でも典型的な異化の例は,couroir > couloir (廊下) や murtrir > multrir (傷つける)のようなものである.しかし,同音の近接とはいわずとも,調音音声学的な動機づけは,あるにはある.[t] と [l] は舌先での調音位置が歯(茎)でほぼ一致しているので,調音位置の繰り返しを嫌ったとも考えられるかもしれない.だが,[r] とて,現代フランス語と異なり当時は調音位置は [t] や [l] とそれほど異ならなかったはずであり,やはり調音音声学的な一般的な説明はつけにくい.異化そのものが不規則で単発の音韻過程だが,title > titre は,そのなかでもとりわけ不規則で単発のケースだったと考えたくなる.
 だが,類例がある.ラテン語で -tulus/-tulum の語尾をもつ語で,[l] が [r] へ交替したもう1つの例に,capitulum > chapitle > chapitre がある.共時的には,フランス語には英語風の -tle は事実上ないので,音素配列上の制約が働いているのだろう.歴史的に -tle が予想されるところに,-tre が対応しているということかもしれない.この辺りの通時的な過程および共時的な分布はフランス語(史)の話題であり,残念ながらこれ以上私には追究できない.
 話題として付け加えれば,英語 title あるいはフランス語 titre の派生語における [l] と [r] の分布をみてみるとおもしろい.フランス語では,派生語 titulaire, titulariser では,ラテン語からの歴史的な [l] を保っている.もちろん,英語 titular も [l] である.化学用語の英語 titrate (滴正する), titration, titrable, titrant は,フランス語の名詞 titre から作った動詞 titrer の借用であり,[r] を表わしている.また,英語で title と同根の tittle (小点;微少)についても触れておこう.この2語は2重語であり,形態上は母音の長短の差異を示すにすぎない.スペイン語の文字 ñ の波形の記号は tilde と呼ばれるが,これはラテン語 titulus より第2子音と第3子音が音位転換 (metathesis) したスペイン語形がもとになっている.したがって,title, tittle, tilde は,形態的にも意味的にも緩やかに結びつけられる3重語といってもよいかもしれない.

 ・ Klein, Ernest. A Comprehensive Etymological Dictionary of the English Language, Dealing with the Origin of Words and Their Sense Development, Thus Illustrating the History of Civilization and Culture. 2 vols. Amsterdam/London/New York: Elsevier, 1966--67. Unabridged, one-volume ed. 1971.

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2013-09-10 Tue

#1597. starstella [consonant][phonetics][dissimilation][assimilation][etymology][suffix][sobokunagimon]

 8月20日付けで,「素朴な疑問」コーナーにて次のような質問をいただいたので,考えてみたい.

piano 2013-08-20 09:25:05
Online Etymology Dictionaryでstarを調べますと、ラテン語だけ"stella" と最後の子音が"l"になっています。"r"→"l"という子音の変化はしばしば起こることなのでしょうか。ご教示いただけるとうれしいです。


 [r] と [l] の単語内での交替については,「#72. /r/ と /l/ は間違えて当然!?」 ([2009-07-09-1]) で見たとおり,いくつかの事例が確認される.異化 (dissimilation) と呼ばれる音韻過程の典型例である.しかし,今回の英語 star とラテン語 stella との対応は,[r] と [l] の異化とは無関係だろう.「#90. taperpaper」 ([2009-07-26-1]) や「#259. phonaesthesia異化」 ([2010-01-11-1]) でも触れたが,異化は [r] や [l] が単語内で繰り返し現れる場合に起こりやすい.つまり,異化は個々の単語において単発に生じるものであるとはいえ,その動機がでたらめなわけではない.star やその印欧諸語の同根語の語形をみてみると,特に流音の繰り返しは確認されないので,たまたまこの語に作用した異化とみなすのには無理がある.では,starstella の子音の対応は,ほかにどのように説明されるのだろうか.
 まず,語源形と同根語の形態をざっとみてみよう.印欧祖語では *ster- (star) が再建されている.より古い段階の *əster- から発展したとされ,一説によると Akkadian Ištal (Venus に相当する女神)からの借用語という.ゲルマン祖語としては *sternōn が再建され,ゲルマン諸語では OE steorra, Du. ster, OHG sterno/sterro, G Stern, ON stjarna, Goth. staírnō などが文証される.いずれも問題の子音は r である.なお,n を残す形態は,英語でも ON stjarna に影響を受けた stern という形態として北部方言でいまなお確認される.非ゲルマン系でも,Gk astḗr, Welsh seren, Skt stár, Hitt. haster-, Toch. A śreǹ (nom.pl.) と軒並み r が現れる.
 ところが,ロマンス系では Latin stella を含め,問題の子音は l に対応しているか,あるいは脱落したかである.このラテン語形は,俗ラテン語形 *stēla を経由して,F étoile, It. stella, Rum. stea などへと発達した.唯一の妙な例は,rl を両方含む Sp. estrella で,これは Gk āstron を借用した L astrum との混成を示している.
 結局のところ,英語 star やその他ほとんどの同根語にみられる r こそが歴史的な子音なのであって,ラテン語 stella に含まれる l は例外的だということになる.では,ラテン語の例外的な子音 l はいかにした生じたのだろうか.OED の star, n.1 の語源欄によれば,L stella は文証されない *ster-la から発展したものではないかという.この仮定される接尾辞 -la について OED は説明を与えていないが,Skeat の語源辞典が指摘する通り,指小辞 (diminutive) と考えてよいだろう(cf. フランス語 soleil (太陽)が語根+指小辞の語形成であることと比較).この la の直前の位置において,語根の rl に同化(異化ではなく)され,ll を示すようになったのではないか.ただし,Partridge の語源辞典では,IE *ster- の異形として *stel- が再建されていることも異論として付け加えておこう.
 ラテン語 stella に基づく英語への借用語には,固有名詞 Stella のほか,constellation, stellar, stellate などがある.英国留学中にお世話になったビール Stella Artois も例として外せない.

 ・ Skeat, Walter William, ed. An Etymological Dictionary of the English Language. 4th ed. Oxford: Clarendon, 1910. 1st ed. 1879--82. 2nd ed. 1883.
 ・ Skeat, Walter William, ed. A Concise Etymological Dictionary of the English Language. New ed. Oxford: Clarendon, 1910. 1st ed. 1882.
 ・ Partridge, Eric Honeywood. Origins: A Short Etymological Dictionary of Modern English. 4th ed. London: Routledge and Kegan Paul, 1966. 1st ed. London: Routledge and Kegan Paul; New York: Macmillan, 1958.

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2013-06-25 Tue

#1520. なぜ受動態の「態」が voice なのか [terminology][verb][passive][category][sobokunagimon]

 英語で受動態を "passive voice",能動態を "active voice" と呼ぶが,なぜ「態」が "voice" と対応するのだろうか.この文法範疇は主語や目的語などの文の要素が動詞の表わす動作とどのように関わるかを表わすものであり,いわば動作の姿や有様(=態)を標示する機能をもっている.このように日本語の「態」という用語はかろうじて理解されるかもしれないが,なぜ英語では "voice" と表現されるのかは謎である.そこで,調べてみることにした.
 まずは,OED から.voice, n. の語義13によると,文法用語としての "voice" の初例は15世紀前半である(大陸の文献では初出が16世紀なので,英語での使用のほうが早いことになる).最初期の用例を2つ挙げよう.

c1425 in C. R. Bland Teaching Gram. in Late Medieval Eng. (1991) 160 (MED), Þo secund coniugaciun..of passyf wowus, þat as -e- long befor þo -ris indecatyf, as doceris.

a1450 (a1397) Prol. Old Test. in Bible (Wycliffite, L.V.) (Cambr. Mm. II. 15) (1850) xv. 57 A participle of a present tens, either preterit, of actif vois, eithir passif.


 次に MED voice (n.) 6(a) によれば,15世紀の文法用語として,用例が続々と挙がる.興味深いことに,名詞の「格」 (case) を表わすのに voice が用いられている例がある.また,先の OED の voice, n. の語義14には,廃用ではあるが「人称」 (person) との定義もある.つまるところ,voice は,中世後期から近代初期にかけて,しばしば動詞の「態」を表わすほか,ときには名詞や動詞の屈折範疇をも広く表わすことができたらしい.
 関連して,ラテン文法で「態」は "genus" と呼ばれるが,これは名詞の範疇である "gender" とも同根である.ある用語が,品詞にかかわらず,ある種の分類に貼り付けられるラベルとして共用されることがある,もう1つの例として解釈できる.これらの文法用語の使い方は文法家の属する流派にも依存するため,近代期の一般的な用語と語義を同定するには文法史の知識が必要となるだろうが,私にはその知識はないので,詳細に立ち入ることができない.
 この問題について,ほかに手がかりはないかと言語学辞典その他に当たってみた.そして行き当たったのが,意外なところで Lyons (371--72) だ.

8.3.1 The term 'voice'
The term 'voice' (Latin vox) was originally used by Roman grammarians in two distinguishable, but related, senses: (i) In the sense of 'sound' (as used in the 'pronunciation' of human language: translating the Greek term phōnē, especially of the 'sounds' produced by the vibration of the 'vocal cords': hence the term 'vowel' (from Latin sonus vocalis, 'a sound produced with voice', via Old French vowel). (ii) Of the 'form' of a word (that is, what it 'sounded' like) as opposed to its 'meaning' . . . . the first of these two senses is still current in linguistics in the distinction between voiced and voiceless 'sounds' (whether as phonetic or phonological units . . .). In the second sense, 'voice' has disappeared from modern linguistic theory. Instead, the term has developed a third sense, derived ultimately from (ii) above, in which it refers to the active and passive 'forms' of the verb. (the traditional Latin term for this third sense was species or genus. In the course of time, genus was restricted to the nominal category of 'gender'; and the somewhat artificial classification of the 'forms' of the different parts of speech in terms of genera and species was abandoned.) The traditional Greek term for 'voice' as a category of the verb was diathesis, 'state', 'disposition', 'function', etc.; and some linguists prefer to use 'diathesis', rather than 'voice', in this sense of the term. However, the risk of confusion between the phonetic or phonological sense of 'voice' and its grammatical sense is very small.


 voice にせよ,case にせよ,gender にせよ,文法範疇の用語の語源や意味を探ってもあまり納得がゆかないのは,結局のところ,それぞれの文法範疇の機能が一言では記述できない代物であり,それならば「種類」や「形」を表わす類義語で代えてしまえ,という名付けに対する緩い態度があるからかもしれない.
 なお,上の引用にもある通り,「態」という文法範疇を表わすのに,voice のほかにギリシア語由来の diathesis という用語が使われることもある.これは dia- (between) + thesis (position) という語形成で「配置」ほどの原義である.

 ・ Lyons, John. Introduction to Theoretical Linguistics. Cambridge: CUP, 1968.

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