一ヶ月ほど前に「#4340. NHK『中高生の基礎英語 in English』の新連載「歴史で謎解き 英語のソボクな疑問」がスタートします」 ([2021-03-15-1]) で紹介した通り,新年度に向けて開講された新講座「中高生の基礎英語 in English」のテキストのなかで,英語のソボクな疑問に関する連載を始めています.中高生向けに「ミステリー仕立ての謎解き」というモチーフで執筆しており,英語史の超入門というべきものとなっていますので,関心のある方は是非どうぞ.先日5月号のテキストが発刊されましたので,ご案内します.
5月号の連載第2回で取り上げた話題は,不規則な複数形の代表例といえる feet についてです.なぜ *foots ではなく feet になるのでしょうか.
本ブログでも「#157. foot の複数はなぜ feet か」 ([2009-10-01-1]),「#2017. foot の複数はなぜ feet か (2)」 ([2014-11-04-1]),「#4304. なぜ foot の複数形は feet なのですか? --- hellog ラジオ版」 ([2021-02-07-1]),「#4320. 古英語にはもっとあった foot -- feet タイプの複数形」 ([2021-02-23-1]) で扱ってきた問題ですが,この語が歴史的にたどってきた複雑な変化を,「磁石」の比喩を用いて,これまで以上に分かりやすく解説しました.どうぞご一読ください.
英語の話題を扱うのに,日本語的な「訓読み」(や「音読み」)という用語を持ち出すのは奇異な印象を与えるかもしれないが,実は英語にも音訓の区別がある.そのように理解されていないだけで,現象としては普通に存在するのだ.表記のように No. 1 という表記を,英語で "number one" と読み下すのは,れっきとした訓読みの例である.
議論を進める前に,そもそもなぜ "number one" が No. 1 と表記されるのだろうか.多くの人が不思議に思う,この素朴な疑問については,「英語史導入企画2021」の昨日のコンテンツ「Number の略語が nu.ではなく, no.である理由」に詳しいので,ぜひ訪問を.本ブログでも「#750. number の省略表記がなぜ no. になるか」 ([2011-05-17-1]) や「#4185. なぜ number の省略表記は no. となるのですか? --- hellog ラジオ版」 ([2020-10-11-1]) で取り上げてきたので,こちらも確認していただきたい.
さて,上記のコンテンツより,No. 1 という表記がラテン語の奪格形 numerō の省略表記に由来することが確認できたことと思う.英語にとって外国語であるラテン語の慣習的な表記が英語に持ち越されたという意味で,No. 1 は見映えとしては完全によそ者である.しかし,その意味を取って自言語である英語に引きつけ,"number one" と読み下しているのだから,この読みは「訓読み」ということになる.
これは「昨日」「今日」「明日」という漢語(外国語である中国語の複合語)をそのまま日本語表記にも用いながらも,それぞれ「きのう」「きょう」「あした」と日本語に引きつけて読み下すのと同じである.日本語ではこれらの表記に対してフォーマルな使用域で「さくじつ」「こんにち」「みょうにち」という音読みも行なわれるが,英語では No. 1 をラテン語ばりに "numero unus" などと「音読み」することは決してない.この点においては英日語の比較が成り立たないことは認めておこう.
しかし,原理的には No. 1 を "number one" と読むのは,「明日」を「あした」と読むのと同じことであり,要するに「訓読み」なのである.この事実を文字論の観点からみれば,No. も 1 も,ここでは表音文字ではなく表語文字として,つまり漢字のようなものとして機能している,と言えばよいだろうか.漢字の音訓に慣れた日本語使用者にとって,No. 1 問題はまったく驚くべき問題ではないのである.
関連して「#1042. 英語における音読みと訓読み」 ([2012-03-04-1]) も参照.
「英語史導入企画2021」も少しずつ軌道に乗ってきて好コンテンツが上がってきているが,昨日公表された学部生による「日本人はなぜ Japanese?」も,多くの英語学習者に訴えかける素朴な疑問といってよいだろう.
国名からその国民名,国語名,形容詞を作るのに,英語にはいろいろなやり方がある.特定の接尾辞 (suffix) を付けるのが一般的だが,その接尾辞にもいろいろある.America → American,Korea → Korean があるかと思えば,Spain → Spanish, Denmark → Danish があるし,New Zealand → New Zealander,Iceland → Icelander もある.日本はなぜか Japan → Japanese となり,この点では China → Chinese, Vietnam → Vietnamese, Portugal → Portuguese と同類だが,なぜ国名によってこれほどバラバラなのかがよく分からない.英語を学ぶ誰しもが,日本語の「?人」のように統一的な言い方にしてくれれば楽なのに,と思ったことがあるだろう.
本ブログでも真正面からこの話題を取り上げたことはなかったが,それは簡単に答えられる類いの問題ではないと知っていたからだ.しかし,知りたい.なぜ英語では Japan には -ese が付されるのか.なぜ *Japanian や *Japanish ではないのか(cf. ドイツ語 Japanisch).
「日本人はなぜ Japanese?」は,この素朴でありながら難解な問いに1年間かけて挑んだゼミ学生のコンテンツである.-ese を取る国名の一覧表,その分布を示した世界地図,簡潔で軽快な文章を通じて,非常にリーダブルなコンテンツとなっている.それでいて参考文献や脚注により学術性を担保しようという姿勢も感じられる.内容については,語誌的にも歴史学的にも綿密に検証する余地はあるが,好奇心を強く誘う仮説となっている.たいへん教育的で啓発的なコンテンツ.ぜひご一読を.
このトピックに緩く関係する本ブログからの記事として,以下を参照.
・ 「#4027. 接尾辞 -ese の起源」 ([2020-05-06-1])
・ 「#4024. なぜ Japanese や Chinese などは単複同形なのですか? (1)」 ([2020-05-03-1])
・ 「#4025. なぜ Japanese や Chinese などは単複同形なのですか? (2)」 ([2020-05-04-1])
・ 「#4026. なぜ Japanese や Chinese などは単複同形なのですか? (3)」 ([2020-05-05-1])
・ 「#3023. ニホンかニッポンか」 ([2017-08-06-1])
・ 「#1774. Japan の語源」 ([2014-03-06-1])
・ 「#2979. Chibanian はラテン語?」 ([2017-06-23-1])
・ 「#3918. Chibanian (チバニアン,千葉時代)の接尾辞 -ian (1)」 ([2020-01-18-1])
・ 「#3919. Chibanian (チバニアン,千葉時代)の接尾辞 -ian (2)」 ([2020-01-19-1])
・ 「#3920. Chibanian (チバニアン,千葉時代)の接尾辞 -ian の直前の n とは?」 ([2020-01-20-1])
標題は,毎年度のように大学の「英語史」の初回授業で述べていることです.一度文章化しておこうと思います.
「英語史」とは普通に考えると「英語の歴史」のことです.「経済史」は経済の歴史のことで,「生物史」は生物の歴史のことであるのと同じです.英語で「英語史」は "the history of English" や "the history of the English language" と言いますし,当たり前すぎる話しです.
しかし,「英語史」という分野は,むしろ「英語と歴史」と理解したほうが真実に近いだろうと思っています.この場合の「歴史」とは,皆さんが学校で学んできたはずの「日本史」や「世界史」などを指します.それは,およそ政治史だったり文化史だったり,いわゆる日本なり世界なりがいかなる歴史を歩んできたかについて社会的な観点から過去を振り返る分野です.英語史は,英語という言語と,この直感的で常識的な意味での歴史を絡めてみようという試みにほかなりません.
「英語史」という分野名を初めて聞くと,おそらく古い英語の文法や発音を学び,古い文学作品を読むのだろうなというイメージをもつだろうと思います.日本語の「古文」が,まさにそのような分野だから無理もありません.もちろん英語史でも古い英語の文法や発音を学び,古い文学作品を読むということは,確かに行ないます.しかし,それは英語史という分野の半分の側面にすぎません.残りの半分の側面は,まさに上記の直感的で常識的な意味での歴史と,英語という言語との関わりに注目します.
専門的にいえば,英語という言語そのもの --- 文法,発音,綴字,語彙などの言語学的諸部門 --- の歴史的変化を考察する分野は「内面史」と呼ばれます.一方,英語という言語と,それを用いる社会(およびその周辺の他の社会)とをヒモで結びつけた1つの単位の歴史的変化を考察する分野は「外面史」と呼ばれます.
皆さんの英語史に対する当初のイメージは「内面史」に限定されていたと思います.しかし,英語史のまるまる半分は「外面史」に当てられます.例えば,特に近現代に注目した外面史のトピックとして,以下のような疑問が挙げられます.
・ なぜ英語は世界語となったのか
・ 現代世界における英語話者の人口はどのくらいか
・ 英語は何カ国で使われているのか
・ 英文法は誰が定めたのか
・ なぜ日本ではアメリカ英語がイギリス英語よりも主流なのか
・ 英語にも方言があるのか
・ なぜイギリス英語とアメリカ英語では発音や語法の異なるものがあるのか
・ なぜ英語には敬語がないのか
これらの疑問は,もちろん英語という言語そのものにも深く関係しますが,何よりも英語話者や英語社会の観点から問うべき問題であり,すぐれて「外面史」的な話題といえます.一方,以下のような疑問はどうでしょうか.
・ なぜ give up = surrender のような類義語や代替表現が多いのか
・ なぜ busy は <u> で綴るのに /ɪ/ で発音されるのか
・ なぜ one には <w> の綴字がないのに /w/ で発音するのか
・ なぜ動詞の3単現に -s がつくのか
・ なぜ will の否定形は won't なのか
・ なぜ you は単数と複数を区別しないのか
・ なぜフランス語などのように名詞に文法上の性がないのか
・ なぜ疑問文や否定文に do が出るのか
・ なぜ SVO など語順が厳しく決まっているのか
こちらの方はいかにも英語という言語そのものに関する語学的な疑問ですので,英語史のなかでも「内面史」の観点から説明されるのだろうと思うかもしれません.しかし,実はそうでもないのです.このような一見すぐれて語学的な疑問ですら,実は「外面史」を参照しないと完全には説明できません.いずれも英語話者や英語社会がたどってきた(常識的な意味での)歴史との関係からアプローチすると,きれいに解決する類いの疑問なのです.例えば,最初の「なぜ give up = surrender のような類義語や代替表現が多いのか」という疑問についていえば,1066年のノルマン征服というイギリス史上最大の事件が大いに関与してきます.
以上,本当の「英語史」のイメージがつかめたでしょうか.英語史は,かなりの程度まで「英語と歴史」なのです.したがって,英語と歴史の両方が好きであれば,たまらない分野となるはずです.英語は好きだけれど歴史が苦手だったという方は,むしろこれを機に歴史に近づくチャンスです.歴史は好きだけれど英語はちょっと,というタイプは,英語を異なる角度から見直すチャンスです.
最後に,1年ほどかけて英語史概説を学んだ学生が残していったコメントをこちらの記事セットよりご一読ください.英語史が「英語と歴史」であることが伝わってくるコメントが多く見つかります.
基本語ながらも,綴字と発音の対応という観点からすると,とてもつもなく不規則な例である.<friend> という綴字で /frɛnd/ の発音となるのは,普通では理解できない.ほかに <ie> ≡ /ɛ/ となるのは,イギリス英語における lieutenant ≡ /lɛfˈtɛnənt/ くらいだろうか (cf. 「#4176. なぜ lieutenant の発音に /f/ が出るのか?」 ([2020-10-02-1])).
歴史をさかのぼってみよう.古英語 frēond (味方,友)においては,問題の母音は綴字通り /eːo/ だった.対義語である fēond (敵;> PDE fiend /fiːnd/)も同様で,長2重母音 /eːo/ を示していた.この点では,両語は同一の韻をもち,その後の発達も共通となるはずだった.しかし,その後 frēond と fēond は異なる道筋をたどることになった.
frēond からみてみよう.長2重母音 /ēo/ は中英語にかけて滑化して長母音 /eː/ となった.この長母音は,派生語 frēondscipe (> PDE friendship) などにおいて3音節短化 (Trisyllabic Shortening = trish) を経て /e/ となったが,派生語の発音が類推 (analogy) の基盤となり,基体の friend そのものの母音も短化して /e/ となったらしい.これが現代の短母音をもつ /frɛnd/ の起源である.
一方,長母音 /eː/ による発音も後世まで残ったようで,これが大母音推移 (gvs) を経て /iː/ となった.また,この短化バージョンである /i/ も現われた.つまり friend の母音は,中英語期以降 /eː/, /e/, /iː/, /i/ の4つの変異を示してきたということである.
ここで,対義語 fēond (cf. PDE fiend /fiːnd/) に目を向けてみよう.こちらも friend とルーツはほぼ同じだが,比較的順当な音変化をたどった.長2重母音 /eːo/ の長2重母音が滑化して /eː/ となり,これが大母音推移で上げを経て /iː/ となり,現代英語の発音 /fiːnd/ に至る.
発音の経緯は以上の通りだが,friend, fiend の綴字 <ie> についても事情は簡単ではない.詳しくは「#4082. chief, piece, believe などにみられる <ie> ≡ /i:/」 ([2020-06-30-1]) を読んでいただきたい.上記の /iː/ の段階で綴字 <ie> と結びつけられたものが,現代まで残っていると考えればよいだろう.
・ Carney, Edward. A Survey of English Spelling. Abingdon: Routledge, 1994.
1年ほど前に,大学生より英語に関する素朴な疑問をたくさん提供してもらったことがある.そのなかの1つに,標題の趣旨の疑問があった(なお,疑問の原文は「なぜ現在分詞 -ing には過去分詞のような不規則動詞が存在しないのか」).つい最近この疑問について考え始めてみたのだが,まったくもって素朴ではない疑問であることに気づいた.おもしろいと思い,目下,院生・ゼミ生を総動員(?)して議論している最中である.
この疑問の何がおもしろいかといえば,第1に,こんな疑問は思いつきもしなかったから.英語学習者は皆,動詞の活用に悩まされてきたはず.その割には,現在分詞(動名詞も同様だが)だけはなぜか -ing で一貫している.これは嬉しい事実ではあるが,ちょっと拍子抜け.どうしてそうなのだろうか.という一連の思考回路が見事なのだと思う.-ing にも綴字については若干の不規則はあるのだが,無視してよい程度の問題である(cf. 「#3069. 連載第9回「なぜ try が tried となり,die が dying となるのか?」」 ([2017-09-21-1])).
このように素晴らしい発問だと感銘を受けて挑戦し始めたのはよいが,実は難問奇問.どうにも答えが出ない.そこで,なぜこの疑問が難しいのかをメタ的に考えてみた.2点ほどコメントしたい.
(1) お題は大学生から出された素朴な疑問.「なぜ A は不規則なのに B は規則的なのか?」という疑問形式となっているが,よく考えてみると,これは「素朴な」疑問から一歩も二歩も抜け出した,むしろかなり高度な問い方ではないか.英語初学者が発するような疑問は,たいてい「なぜ B は規則的なのに A は不規則なのか?」となるのが自然である.今回のケースでいえば「なぜ現在分詞は -ing で規則的なのに過去分詞には不規則なものが多いのか?」という発問のほうが普通ではないか.後者の疑問であれば,現在分詞の -ing が規則的であることは特に説明を要さず,過去分詞に不規則なものが多い理由を答えればよい.おそらく,こちらのほうが答えるにはより易しい質問となるだろう(ただし,これとて決して易しくはない).
(2) もともと現在分詞と過去分詞の2者を対比したところに発する疑問である.確かに両者とも名前に「分詞」 (participle) を含み,自然と比較対象になりやすいわけだが,比較対象をこの2種類に限定せず,より広く non-finite verb forms とすると,もう少し視界が開けてくるのではないか.具体的にいえば,現在分詞と過去分詞に加えて,動名詞と不定詞も考慮してみるのはどうだろうか.現在分詞と動名詞は形式上は常に一致しているので,実際上は新たに考慮に加えるべきは不定詞ということになる.不定詞というのは現代英語としては原形にほかならず,それが基点というべき存在なので,不規則も何もない(ただし be 動詞は別にしたほうがよさそうである).とすると,4種類ある non-finite verb forms のなかで,3種類までが規則的で,1種類のみ,つまり過去分詞のみが不規則ということになる.共時的にみる限り,上記 (1) で示唆したことと合わせて,「なぜ過去分詞形のみが不規則なのか?」と問い直すほうが,少なくとも回答のためには有益のように考える.
ということで,当初の発問の切れ味に感じ入って,やや目がくらまされていたところがあるが,少なくとも考察にあたっては言い換えたほうの発問を基準とするのがよいと思っている.もちろんそれにしても難しい問題で,私自身もあるアイディアは持っているが,まったく心許ないので,もっと議論や調査を深めていきたいと思っている.本ブログの読者の皆さんにも1つの話題ということで提供した次第です.
参考までに,現在分詞に関する過去の記事として,以下を挙げておきたい.
・ 「#790. 中英語方言における動詞屈折語尾の分布」 ([2011-06-26-1])
・ 「#2421. 現在分詞と動名詞の協働的発達」 ([2015-12-13-1])
・ 「#2422. 初期中英語における動名詞,現在分詞,不定詞の語尾の音韻形態的混同」 ([2015-12-14-1])
・ 「#4345. 古英語期までの現在分詞語尾の発達」 ([2021-03-20-1])
・ 「#4344. -in' は -ing の省略形ではない」 ([2021-03-19-1]
私としては初めての経験となるのですが,英語を学ぶ中高生に的を絞った連載「歴史で謎解き 英語のソボクな疑問」が新年度に向けてスタートします.NHKラジオで3月29日に開講する新講座「中高生の基礎英語 in English」のテキストのなかで,毎月,英語のソボクな疑問をミステリー仕立てで易しく謎解きしていきます.筆者として新連載の執筆に当たって最も心がけたいと思っていることは,おもしろく,分かりやすく解説することです.
4月号のテキストはすでに3月14日に発刊されています.連載の初回は「第1回 なぜ3単現の s をつけるの?」です.
英語に関する素朴な疑問については,これまでも以下のように異なる媒体で頻繁に公にしてきました.
・ 本ブログの英語に関する素朴な疑問集
・ 本ブログの hellog ラジオ版コンテンツ
・ 『英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史』(研究社,2016年)
・ 『英語史で解きほぐす英語の誤解 --- 納得して英語を学ぶために』(中央大学出版部,2011年)
・ 大修館『英語教育』の連載(2019年4月号から2020年3月号までの12回)「英語指導の引き出しを増やす 英語史のツボ」
・ 研究社のオンライン連載(2017年1月から12月の12回)「現代英語を英語史の視点から考える」
・ 『CNN English Express』2019年2月号の記事「歴史を知れば納得! 英語の『あるある大疑問』」 (pp. 41--49)
・ 大修館『英語教育』2018年9月号の記事「素朴な疑問に答えるための英語史のツボ」 (pp. 12--13)
・ 「3単現の -s の問題とは何か――英語教育に寄与する英語史的視点――」『これからの英語教育――英語史研究との対話――』 (Can Knowing the History of English Help in the Teaching of English?). Studies in the History of English Language 5. 家入葉子(編),大阪洋書,2016年.105--31頁.
実際,3単現の -s の問題も,上記の媒体で2度や3度にとどまらず繰り返し取り上げてきた話題です.その点では,話題そのものの新鮮みはあまりないかもしれません.しかし,今回は,ある程度その問題について理解している読者にとっても,なるほどと思ってもらえるような新しい知見や視点を含めるように努めました.どのレベルの読者にとっても,おもしろく読める内容に仕上がっているのではないかと思います.
今回の試みが従来のものと決定的に異なる点は,やはり第一に中高生を対象としているという事実です.これまでも易しい解説を心がけてきたつもりではありますが,想定していた読者はたいてい大学生以上の英語学習者や英語教育関係者でした.ところが,今回は英語を学ぶ中高生を直接に意識した連載なのです.その意味で,今回の新連載は,筆者にとってもチャレンジングな機会だと思っています.
英語史に関心をもってもらえるよう,編集者の方とも協議し,なるべく噛み砕いた記述を心がけました.また,謎解き探偵風のイラストをふんだんに入れてもらい,取っつきやすさも出ているかと思います.
英語学習者や英語教員の皆さん,ぜひ毎月テキストを手にとってみてください.よろしくお願いします.
なお,テキスト末尾にも掲載されていますが,NHKテキストより,英語に関する疑問やこの連載で扱って欲しいテーマを募集しています.NHKテキストのウェブサイトのアンケートよりどうぞ.
本ブログでは種々の文法用語の由来について「#1257. なぜ「対格」が "accusative case" なのか」 ([2012-10-05-1]),「#1258. なぜ「他動詞」が "transitive verb" なのか」 ([2012-10-06-1]),「#1520. なぜ受動態の「態」が voice なのか」 ([2013-06-25-1]),「#3307. 文法用語としての participle 「分詞」」 ([2018-05-17-1]),「#3983. 言語学でいう法 (mood) とは何ですか? (1)」 ([2020-03-23-1]),「#3984. 言語学でいう法 (mood) とは何ですか? (2)」 ([2020-03-24-1]),「#3985. 言語学でいう法 (mood) とは何ですか? (3)」 ([2020-03-25-1]) などで取り上げてきた.今回は「格」がなぜ "case" と呼ばれるのかについて,連日参照・引用している Blake (19--20) より概要を引用する.
The term case is from Latin cāsus, which is in turn a translation of the Greek ptōsis 'fall'. The term originally referred to verbs as well as nouns and the idea seems to have been of falling away from an assumed standard form, a notion also reflected in the term 'declension' used with reference to inflectional classes. It is from dēclīnātiō, literally a 'bending down or aside'. With nouns the nominative was taken to be basic, with verbs the first person singular of the present indicative. For Aristotle the notion of ptōsis extended to adverbial derivations as well as inflections, e.g. dikaiōs 'justly' from the adjective dikaios 'just'. With the Stoics (third century BC) the term became confined to nominal inflection . . . .
The nominative was referred to as the orthē 'straight', 'upright' or eutheia onomastikē 'nominative case'. Here ptōsis takes on the meaning of case as we know it, not just of a falling away from a standard. In other words it came to cover all cases not just the non-nominative cases, which in Ancient Greek were called collectively ptōseis plagiai 'slanting' or 'oblique cases' and for the early Greek grammarians comprised genikē 'genitive', dotikē 'dative' and aitiatikē 'accusative'. The vocative which also occurred in Ancient Greek, was not recognised until Dionysius Thrax (c. 100 BC) admitted it, which is understandable in light of the fact that it does not mark the relation of a nominal dependent to a head . . . . The received case labels are the Latin translations of the Greek ones with the addition of ablative, a case found in Latin but not Greek. The naming of this case has been attributed to Julius Caesar . . . . The label accusative is a mistranslation of the Greek aitiatikē ptōsis which refers to the patient of an action caused to happen (aitia 'cause'). Varro (116 BC--27? BC) is responsible for the term and he appears to have been influenced by the other meaning of aitia, namely 'accusation' . . . .
この文章を読んで,いろいろと合点がいった.英語学を含む印欧言語学で基本的なタームとなっている case (格)にせよ declension (語形変化)にせよ inflection (屈折)にせよ,私はその名付けの本質がいまいち呑み込めていなかったのだ.だが,今回よく分かった.印欧語の形態変化の根底には,まずイデア的な理想形があり,それが現世的に実現するためには,理想形からそれて「落ちた」あるいは「曲がった」形態へと堕する必要がある,というネガティヴな発想があるのだ.まず最初に「正しい」形態が設定されており,現実の発話のなかで実現するのは「崩れた」形である,というのが基本的な捉え方なのだろうと思う.
日本語の動詞についていわれる「活用」という用語は,それに比べればポジティヴ(少なくともニュートラル)である.動詞についてイデア的な原形は想定されているが,実際に文の中に現われるのは「堕落」した形ではなく,あくまでプラグマティックに「活用」した形である,という発想がある.
この違いは,言語思想的にも非常におもしろい.洋の東西の規範文法や正書法の考え方の異同とも,もしかすると関係するかもしれない.今後考えていきたい問題である.
・ Blake, Barry J. Case. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2001.
格 (case) は,人類言語に普遍的といってよい文法カテゴリーである.系統の異なる言語どうしの間にも,格については似たような現象や分布が繰り返し観察されることから,それは言語体系の中枢にあるものに違いない.
学校英文法でも主格,目的格,所有格などの用語がすぐに出てくるほどで,多くの学習者になじみ深いものではあるが,そもそも格とは何なのか.これに明確に答えることは難しい.ずばり Case というタイトルの著書の冒頭で Blake (1) が与えている定義・解説を引用したい.
Case is a system of marking dependent nouns for the type of relationship they bear to their heads. Traditionally the term refers to inflectional marking, and, typically, case marks the relationship of a noun to a verb at the clause level or of a noun to a preposition, postposition or another noun at the phrase level.
この文脈では,節の主要部は動詞ということになり,句の主要部は前置詞,後置詞,あるいは別の名詞ということになる.平たくいえば,広く文法的に支配する・されるの関係にあるとき,支配される側に立つ名詞が,格の標示を受けるという解釈になる(ただし支配する側が格の標示を受けるも稀なケースもある).
引用中で指摘されているように,伝統的にいえば格といえば屈折による標示,つまり形態的な手段を指してきたのだが,現代の諸理論においては一致や文法関係といった統語的な手段,あるいは意味役割といった意味論的な手段を指すという見解もあり得るので,議論は簡単ではない.
確かに普段の言語学の議論のなかで用いられる「格」という用語の指すものは,ときに体系としての格 (case system) であり,ときに格語尾などの格標示 (case marker) であり,ときに格形 (case form) だったりする.さらに,形態論というよりは統語意味論的なニュアンスを帯びて「副詞的対格」などのように用いられる場合もある.私としては,形態論を意識している場合には "case" (格)という用語を用い,統語意味論を意識している場合には "grammatical relation" (文法関係)という用語を用いるのがよいと考えている.後者は,Blake (3) の提案に従った用語である.後者には "case relation" という類似表現もあるのだが,Blake は区別している.
It is also necessary to make a further distinction between the cases and the case relations or grammatical relations they express. These terms refer to purely syntactic relations such as subject, direct object and indirect object, each of which encompasses more than one semantic role, and they also refer directly to semantic roles such as source and location, where these are not subsumed by a syntactic relation and where these are separable according to some formal criteria. Of the two competing terms, case relations and grammatical relations, the latter will be adopted in the present text as the term for the set of widely accepted relations that includes subject, object and indirect object and the term case relations will be confined to the theory-particular relations posited in certain frameworks such as Localist Case Grammar . . . and Lexicase . . . .
・ Blake, Barry J. Case. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2001.
名詞の複数形は通常は -(e)s をつければよいだけですが,なかには不規則複数形といわれるものがあります.不規則複数形にも実は多種類あるのですが,1つのタイプとして foot --feet, goose -- geese, louse -- lice, man -- men, mouse -- mice, tooth -- teeth, woman -- women が挙げられます.語幹の母音が変異するタイプですね.英語史的にいえば,これらの複数形は同一の原理によるものとして説明できます.foot -- feet を例に,音変化の機微をご覧に入れましょう.音声解説をお聴きください.
/i/ という母音は,音声学的にいえば極端でどぎつい音です.周囲の音を自分自身の近くに引きつけ,しばしば自他ともに変質させてしまう強力なマグネットとして作用します.例えば,この効果による /ai/ → /eː/ はよくある音変化で,「やばい」 /yabai/ も口語ではしばしば「やべー」 /yabeː/ となりますね.英語でも,day はもともとは綴字が示す通りに /dai/ に近い発音でしたが,近代までに /deː/ へと変化しました.
これと似たようなことが,英語成立に先立つゲルマン語の時代に foot の当時の発音である /foːt/ に起こったのです.複数語尾である -iz が付加された /foːtiz/ は,どぎつい /i/ の音声的影響のもとに,やがて /feːtiz/ となりました.その後,強勢のおかれない語尾に位置する /z/ や,変化を引き起こした元凶である /i/ 自体が弱まって消失していき,最終的に /feːt/ に帰着したのです.この複数形態こそが,古英語の fēt であり,現代英語の feet なのです.
この話題については##157,2017の記事セットで本格的に扱っていますので,関心のある方は是非そちらもご覧ください.
音素 (phoneme) は,言語学の入門書でも必ず取り上げられる言語の基本的単位であるといわれながら,実は定義が様々にあり,言語学上もっとも問題含みの概念・用語の1つである.学史上も論争が絶えず,軽々に立ち入ることのできないタームである.言語学では,往々にしてこのような問題含みの議論がある.例えば,語 (word) という基本的な単位すら,言語学ではいまだ盤石な定義が与えられていない (cf. 「語の定義がなぜ難しいか」の記事セット) .
音素の定義というのっぴきならない問題にいきなり迫るわけにもいかないので,まずは用語辞典の記述に頼ってみよう.ただ,いくつか当たってみたのだが,問題のややこしさを反映してか,どれも記述がストレートでない.そのなかでも分かりやすい方だったのが Crystal の用語辞典だったので,取っ掛かりとして長々と引用したい.ただし,これとて絶対的に分かりやすいかといえば疑問.それくらい,初心者には(実は専門家にも)取っつきにくい用語・概念.
phoneme (n.) The minimal unit in the sound SYSTEM of a LANGUAGE, according to traditional PHONOLOGICAL theories. The original motivation for the concept stemmed from the concern to establish patterns of organization within the indefinitely large range of sounds heard in languages. The PHONETIC specifications of the sounds (or PHONES) heard in speech, it was realized, contain far more detail than is needed to identify the way languages make CONTRASTS in MEANINGS. The notion of the phoneme allowed linguists to group together sets of phonetically similar phones as VARIANTS, or 'members', of the same underlying unit. The phones were said to be REALIZATIONS of the phonemes, and the variants were referred to as allophones of the phonemes . . . . Each language can be shown to operate with a relatively small number of phonemes; some languages have as few as fifteen phonemes; othes as many as eighty. An analysis in these terms will display a language's phonemic inventory/structure/system. No two languages have the same phonemic system.
Sounds are considered to be members of the same phoneme if they are phonetically similar, and do not occur in the same ENVIRONMENT (i.e. they are in COMPLEMENTARY DISTRIBUTION) --- or, if they do, the substitution of one sound for the other does not cause a change in meaning (i.e. they are in FREE VARIATION). A sound is considered 'phonemic', on the other hand, if its substitution in a word does cause a change in meaning. In a phonemic transcription, only the phonemes are given symbols (compared with phonetic TRANSCRIPTIONS, where different degrees of allophonic detail are introduced, depending on one's purpose). Phonemic symbols are written between oblique brackets, compared with square brackets used for phonetic transcriptions; e.g. the phoneme /d/ has the allophones [d] (i.e. an ALVEOLAR VOICED variant), [d̥] (i.e. an alveolar devoiced variant), [d̪] (i.e. a DENTAL variant) in various complementary positions in English words. Putting this another way, it is not possible to find a pair of words in English which contrast in meaning solely on account of the difference between these features (though such contrasts may exist in other languages). The emphasis on transcription found in early phonemic studies is summarized in the subtitle of one book on the subject: 'a technique for reducing languages to writing'. The extent to which the relationship between the phonemes and the GRAPHEMES of a language is regular is called the 'phoneme-grapheme correspondence'.
On this general basis, several approaches to phonemic analysis, or phonemics, have developed. The PRAGUE SCHOOL defined the phoneme as a BUNDLE of abstract DISTINCTIVE FEATURES, or OPPOSITIONS between sounds (such as VOICING, NASALITY), and approach which was developed later by Jakobson and Halle . . . , and GENERATIVE phonology. The approach of the British phonetician Daniel Jones (1881--1967) viewed the phoneme as a 'family' of related sounds, and not as oppositions. American linguists in the 1940s also emphasized the phonetic reality of phonemes, in their concern to devise PROCEDURES of analysis, paying particular attention to the DISTRIBUTION of sounds in an UTTERANCE. Apart from the question of definition, if the view is taken that all aspects of the sound system of a language can be analysed in terms of phonemes --- that is, the SUPRASEGMENTAL as well as the SEGMENTAL features --- then phonemics becomes equivalent to phonology (= phonemic phonology). This view was particularly common in later developments of the American STRUCTURALIST tradition of linguistic analysis, where linguists adopting this 'phonemic principle' were called phonemicists. Many phonologists, however (particularly in the British tradition), prefer not to analyse suprasegmental features in terms of phonemes, and have developed approaches which do without the phoneme altogether ('non-phonemic phonology', as in PROSODIC and DISTINCTIVE FEATURE theories).
最後の段落に諸派の見解が略述されているが,いや,実に厄介.
音声 (phone) と音素 (phoneme) との違いについて,これまでに次のような記事を書いてきたので,そちらも参照.
・ 「#669. 発音表記と英語史」 ([2011-02-25-1])
・ 「#3717. 音声学と音韻論はどう違うのですか?」 ([2019-07-01-1])
・ 「#4232. 音声学と音韻論は,車の構造とスタイル」 ([2020-11-27-1])
・ Crystal, David, ed. A Dictionary of Linguistics and Phonetics. 6th ed. Malden, MA: Blackwell, 2008. 295--96.
英語には,文字としては書かれるのに発音されない黙字 (silent_letter) の例が多数みられます.doubt の <b> や receipt の <p> など,枚挙にいとまがありません.そのなかには初級英語で現われる非常に重要な単語も入っています.例えば island です.<s> の文字が見えますが,発音としては実現されませんね.これは多くの英語学習者にとって不思議中の不思議なのではないでしょうか.
しかし,これも英語史の観点からみると,きれいに解決します.驚くべき事情があったのです.音声解説をどうぞ.
「島」を意味する古英語の単語は,もともと複合語 īegland でした.「水の(上の)陸地」ほどの意味です.中英語では,この複合語の第1要素の母音が少々変化して iland などとなりました.
一方,同じ中英語期に古フランス語で「島」を意味する ile が借用されてきました(cf. 現代フランス語 île).これは,ラテン語の insula を語源とする語です.古フランス語の ile と中英語 iland は形は似ていますが,まったくの別語源であることに注意してください.
しかし,確かに似ているので混同が生じました.中英語 iland が,古フランス語 ile に land を継ぎ足したものとして解釈されてしまったのです.
さて,16世紀の英国ルネサンス期になると,知識人の間にラテン語綴字への憧れが生じます.フランス語 ile を生み出したラテン語形は insula と s を含んでいましたので,英語の iland にもラテン語風味を加味するために s を挿入しようという動きが起こったのです.
現代の英語学習者にとっては迷惑なことに,当時の s を挿入しようという動きが勢力を得て,結局 island という綴字として定着してしまったのです.ルネサンス期の知識人も余計なことをしてくれました.しかし,それまで数百年の間,英語では s なしで実現されてきた発音の習慣自体は,変わるまでに至りませんでした.ということで,発音は古英語以来のオリジナルである s なしの発音で,今の今まで継続しているのですね.
このようなルネサンス期の知識人による余計な文字の挿入は,非常に多くの英単語に確認されます.語源的綴字 (etymological_respelling) と呼ばれる現象ですが,これについては##580,579,116,192,1187の記事セットもお読みください.
標題は皆さんの考えたこともない疑問かもしれません.ago とは「?前に」を表わす過去の時間表現に用いる副詞として当たり前のようにマスターしていると思いますが,いったいなぜその意味が出るのかと訊かれても,なかなか答えられないのではないでしょうか.そもそも ago の語源は何なのでしょうか.音声解説をお聴きください.
いかがでしたでしょうか.ago は,動詞 go に意味の薄い接頭辞 a- が付いただけの,きわめて簡単な単語なのです.歴史的には "XXX is/are agone." 「XXXの期間が過ぎ去った」が原型でした.be 動詞+過去分詞形 agone の形で現在完了を表わしていたのですね.やがて agone は語末子音を失い ago の形態に縮小していきます.その後,文の一部として副詞的に機能させるめに,be 動詞部分が省略されました.XXX (being) ago のような分詞構文として理解してもけっこうです.
この成り立ちを考えると,I began to learn English many years ago. は,言ってみれば I began to learn English --- many years (being) gone (by now). といった表現の仕方だということです.この話題について,もう少し詳しく知りたい方は「#3643. many years ago の ago とは何か?」 ([2019-04-18-1]) の記事をどうぞ.
これは英語を外国語として学んでいるすべての学習者にとって本質的な疑問です.あまりに基本的すぎて話題にする機会がほとんどなく,何となく宙ぶらりんになっている問いだと思います.しかし,とても重要です.効果的な英語学習のためにも,英語教育を論じるためにも,すべてこの問いから始めなければなりません.
そもそも私たちはなぜ英語を学ぶことになっているのでしょうか.それは英語が世界語として有用だからですね.それでは,なぜ英語が世界語となっているのでしょうか.これは英語史を参照しなければ決して解決しない問いです.小中高の英語科でも社会科でも触れられない話題なのです.
とはいえ,答えは単純明快です.拍子抜けするほど簡単です.音声解説をお聴きください.
英語が他言語よりも優れた言語であるから,ではありません.そのようなことは決してありません.英語に内在する言語的な特徴(文法,語彙,発音など)によって,その言語が有力となるということは,人類言語史上,一度もありませんでした.古代地中海世界の古典ギリシア語,西洋中世のラテン語,中世イスラム世界のアラビア語,東アジア世界の中国語なども,その時代その地域の「世界語」といってよい影響力のある言語でしたが,いずれも言語的特徴によってではなく,その母語話者たち --- 古代ギリシア人,古代ローマ人,イスラム教徒,中国人たち --- が圧倒的な社会的権力をもっていたからにすぎません.
英語も同じです.英語が世界語となっているのは,近現代の世界史において,英語の話し手たち(具体的には18世紀以降のイギリス帝国の盟主たるイギリス人たちと,20世紀の覇権国家となったアメリカ合衆国のアメリカ人たち)が,圧倒的な政治力,経済力,軍事力,文化力,技術力をもって世界に甚大な影響を与えてきたからにすぎません.彼らの言語であるからこそ,英語は威信を獲得し,世界で広く学ばれる機会を得たのです.英語自体は優れた言語でも何でもないのです(もちろん,断じて劣った言語でもありません).
関連する話題と議論について,##1072,1082,1083,2487,2673,2935,3470の記事セットもお読みください.
動詞 say /seɪ/ は超高頻度の語で,初学者もすぐに覚えることになる基本語です.この動詞の過去形 said もきわめて高頻度なわけですが,綴字として不規則であるばかりか,実は発音においても不規則です.予想される2重母音をもつ /seɪd/ とはならず,短母音の /sɛd/ となるのです.同じような不規則性は3単現の -s を付けた形についてもいえます.綴字こそ says と規則的に見えますが,発音はやはり2重母音をもつ /seɪz/ とはならず,短母音の /sɛz/ となってしまいます.なぜ said, says はこのような発音なのでしょうか.これには歴史的な経緯があります.音声解説をどうぞ.
実は,英語母語話者の発音を調査してみますと,先にダメ出しはしたものの,予想される通りの2重母音をもつ発音 /seɪd/, /seɪz/ も行なわれているのです.ただ,あくまで非標準的でマイナーな発音としてですので,私たちとしては不規則ながらもやはり短母音をもつ /sɛd/, /sɛz/ を確実に習得しておくのが無難でしょう.
歴史的な音変化の経緯を要約すれば次のようになります.もともと動詞 say は,近代英語期の入り口までは,綴字が示す通り /saɪ/ でした.それに従って,過去形は /saɪ(ə)d/,3単現形は /saɪ(ə)z/ と規則的な発音を示していました.ところが,17世紀までに2重母音 /aɪ/ は長母音 /ɛː/ へと変化したのです.ちょうど日本語の「ヤバイ」が,ぞんざいな素早い発音で「ヤベー」となるのに似た,どの言語にもよく見られる音変化です.別の変化が起こらず,およそこの段階にとどまったまま現代に至っていたのであれば,めでたく規則的に say /seɪ/, said /seɪd/, says /seɪz/ となっていたでしょう(実のところ,後者2つもマイナーな発音としてあり得ることは上述しました).
ところが,過去形と3単現形については,その後もう1つ別の音変化が生じました.長母音 /ɛː/ が短化して短母音 /ɛ/ となったのです.こうして say /seɪ/ に対して不規則にみえる /sɛd/, /sɛz/ が生じてしまったのです.同じ音変化に巻き込まれた別の単語として,again や against を挙げておきましょう.短母音をもつ /əˈgɛn(st)/ が優勢ですが,2重母音をもつ /əˈgeɪn(st)/ も並行して聞かれるという状況になっています.
なぜ過去形と3単現形でのみ母音が短化したのかというのは,必ずしも解明されていない謎です.said ˈhe, says ˈshe のような用いられ方が多く,主語代名詞に対して相対的に動詞が弱く発音されるので短化したという説明が提案されていますが,これも1つの仮説にすぎません.
関連する話題と議論について,##541,543,2130の記事セットもお読みください.
英語も1つの言語,日本語も1つの言語なので,合わせて2言語ですね.ほかにフランス語,スペイン語,ドイツ語,ロシア語,中国語,韓国語など知っている言語名を挙げ,足し合わせていくと,はたして現代世界にはいくつの言語があることになるでしょうか.100個くらい? あるいは1,000個? もしかして10,000個? このような疑問は抱いたこともなく,見当がつかないという方も多いかもしれません.
実は専門の言語学においても,様々な理由により,正確な数を出すことはできません.論者によって相当な揺れがみられるのです.この辺りの事情も含めて,音声で解説していきましょう.以下をお聴きください.
言語学者が時間とお金をかけて世界中を調査し,頑張って言語を数えていけば,いずれは正確な数が出るのではないかと疑問に思うかもしれませんが,その答えは No です.いくら言語学者が頑張っても,正確な言語数を得ることは不可能です.というのは,これは言語の問題ではないからです.政治の問題なのです.世界の言語を数えるということは,いったいどのような行為なのか.この問いこそが重要なように思われます.
それでも数が知りたいというのが人情です.試しに Ethnologue (第23版,2020年)を参照してみますと,世界の言語の数は7,117とカウントされています.ただし,これとて1つの参考値にすぎませんのでご注意を.今回の素朴な疑問に対しては,私としては「数千個程度」と答えて逃げておきたいと思います.
言語を数えるという問題,およびそれに関連する話題として,##3009,270,1060,274,401,1949の記事セットも合わせてお読みください.
本年も引き続き,大学や企業など多くの組織で多かれ少なかれ「オンライン」が推奨されることになるかと思います.コロナ禍に1年ほど先立つ2018年12月に,すでに経済産業省が「デジタルトランスフォーメーションを推進するためのガイドライン(DX推進ガイドライン)」 (PDF) を発表しており,この DX 路線が昨今の状況によりますます押し進められていくものと予想されます.
ですが,digital transformation の略が,なぜ *DT ではなく DX なのか,疑問に思いませんか? DX のほうが明らかに近未来的で格好よい見映えですが,この X はいったいどこから来ているのでしょうか.
実は,これは一種の言葉遊びであり文字遊びなのです.音声解説をお聴きください
trans- というのはラテン語の接頭辞で,英語における through や across に相当します.across に翻訳できるというところがポイントです.trans- → across → cross → 十字架 → X という,語源と字形に引っかけた一種の言葉遊びにより,接頭辞 trans- が X で表記されるようになったのです.実は DX = digital transformation というのはまだ生やさしいほうで,XMIT, X-ing, XREF, Xmas, Xian, XTAL などの略記もあります.それぞれ何の略記か分かるでしょうか.
このような X に関する言葉遊び,文字遊びの話題に関心をもった方は,ぜひ##4219,4189,4220の記事セットをご参照ください.X は実におもしろい文字です.
明けましておめでとうございます.本年は皆さんにとって良い年になることを切に祈っています.何が起こっても学びが止まらないよう,英語史ブログとしては本年も話題を提供し続けていきます.引き続き,よろしくお願い申し上げます.
この1年間でどのような記事がよく読まれてきたか,ざっと調べてみました.12月30日付のアクセス・ランキング (access ranking) のトップ500記事をご覧ください(参考までに昨年版の「#3901. 2019年によく読まれた記事」 ([2020-01-01-1]) もどうぞ).とりわけ昨年中に執筆した本ブログの記事のなかでよく読まれたものを,以下に一覧しておきます.
・ 「#4044. なぜ活字体とブロック体の小文字 <a> の字形は違うのですか?」 ([2020-05-23-1]) (2335)
・ 「#4069. なぜ live の発音は動詞では「リヴ」,形容詞だと「ライヴ」なのですか?」 ([2020-06-17-1]) (1930)
・ 「#4017. なぜ前置詞の後では人称代名詞は目的格を取るのですか?」 ([2020-04-26-1]) (1779)
・ 「#3925. 電子メールの返信で用いる引用の ">" は,実は中世の句読記号」 ([2020-01-25-1]) (1383)
・ 「#4052. 「今日の素朴な疑問」コーナーを設けました」 ([2020-05-31-1]) (1071)
・ 「#4019. ぜひ英語史学習・教育のために hellog の活用を!」 ([2020-04-28-1]) (927)
・ 「#3941. なぜ hour, honour, honest, heir では h が発音されないのですか?」 ([2020-02-10-1]) (888)
・ 「#4050. 言語における記述主義と規範主義」 ([2020-05-29-1]) (835)
・ 「#3976. 英語史における黒死病の意義」 ([2020-03-16-1]) (796)
・ 「#4035. stay at home か stay home か --- 英語史の観点から」 ([2020-05-14-1]) (757)
・ 「#4039. 言語における性とはフェチである」 ([2020-05-18-1]) (754)
・ 「#4045. 英語に関する素朴な疑問を1385件集めました」 ([2020-05-24-1]) (752)
・ 「#4047. 「英語の英米差」のまとめ --- hellog 記事リンク集」 ([2020-05-26-1]) (689)
・ 「#4024. なぜ Japanese や Chinese などは単複同形なのですか? (1)」 ([2020-05-03-1]) (683)
・ 「#3983. 言語学でいう法 (mood) とは何ですか? (1)」 ([2020-03-23-1]) (672)
・ 「#4071. 意外や意外 able と -able は別語源」 ([2020-06-19-1]) (589)
・ 「#4026. なぜ Japanese や Chinese などは単複同形なのですか? (3)」 ([2020-05-05-1]) (556)
・ 「#4060. なぜ「精神」を意味する spirit が「蒸留酒」をも意味するのか?」 ([2020-06-08-1]) (539)
・ 「#3969. ラテン語,古ノルド語,ケルト語,フランス語が英語に及ぼした影響を比較する」 ([2020-03-09-1]) (537)
・ 「#4036. stay at home か stay home か --- コーパス調査」 ([2020-05-15-1]) (531)
・ 「#4042. anti- は「アンティ」か「アンタイ」か --- 英語史掲示板での質問」 ([2020-05-21-1]) (497)
・ 「#3979. 古英語期に文証される古ノルド語からの借用語のサンプル」 ([2020-03-19-1]) (480)
・ 「#3948. 『英語教育』の連載第12回「なぜアメリカ英語はイギリス英語と異なっているのか」」 ([2020-02-17-1]) (460)
・ 「#3982. 古ノルド語借用語の音韻的特徴」 ([2020-03-22-1]) (458)
・ 「#3940. 形容詞を作る接尾辞 -al と -ar」 ([2020-02-09-1]) (417)
・ 「#3999. want の英語史 --- 語源と意味変化」 ([2020-04-08-1]) (414)
ほかに,昨年は6月辺りから新しい試みとして hellog ラジオ版 を始めました.コロナ禍でありとあらゆるものがオンラインとなり,皆PCやスマホとにらめっこの時間が増えたこともあり,眼の負担軽減のためにも,新種の刺激のためにも,「耳から入る」英語史ブログにチャレンジしてみました.素朴な疑問への回答を中心とした,なるべくハードルの低い内容を取りそろえてきました.今年も,ラジオ版においても本編においても,英語に関する素朴な疑問を多く取り上げていく予定です.関連して,参考までに英語に関する素朴な疑問の一覧もどうぞ.
今年も多かれ少なかれオンラインでの学びが続くことと思いますが,英語史を学ぶための hellog の活用法として「#4019. ぜひ英語史学習・教育のために hellog の活用を!」 ([2020-04-28-1]) の記事も是非ご一読ください.
標題は,問うまでもないと思われるような疑問かもしれませんが,当たり前の事実こそ,その背景を探ることに意味がある,というケースは少なくありません.現在では,英語といえば英国よりも先に米国のことを思い浮かべる人が多いと思いますが,歴史的には米国は後発の英語国です.17世紀初頭にイギリスの植民地としてスタートした,英語を用いる地域としては歴史の浅い国です.
米国が著しい移民の国であることはよく知られています.アイルランドを含むイギリス諸島からの移民にとどまらず,17世紀後半からはドイツなどヨーロッパ諸国からの移民も多くやってきましたし,19世紀後半からはアジアやアフリカ,そして20世紀には世界中から人々が押し寄せました.世界中の異なる言語を話す人々が,アメリカンドリームを抱いて米国を目指したのです.
とすると,英語を筆頭としつつも複数の異なる言語が並び立ち,名実ともに多言語国家となる可能性もあったはずです.事実,米国では多言語使用は認められていますし行なわれてもいますが,現実的にいえば,英語が圧倒的に有力な唯一の言語であるといえるでしょう.これはなぜなのでしょうか.歴史的に考えてみましょう.
様々な言語の話者が次々と米国に移民としてやってきたことは確かですが,最初期に移民文化の下敷きを作ったのは,何といってもイングランド,スコットランド,アイルランドなどイギリス諸島出身の人々,つまり英語話者でした.最初に敷かれた英語インフラが,後々まで影響を及ぼしたということです.まず第一に,この事実が効いています.
もう1つ,西部開拓に代表されるパイオニア精神に裏付けられた移民たちの移動性・可動性 (mobility) も効いています.社会のなかで広く動く人々というのは,言語を含む文化を平準化する人々でもあります.そのような社会では,各々の土地に固有の言語や方言が発達しにくく,むしろ全体として平板化していきます.もともと多くのシェアをもっていた英語はそのような平板化のマグネットとして機能し,対する他の諸言語は拡散する機会を得られなかったのです.
さらにいえば,他の諸言語の存在感が薄められつつ英語一辺倒の社会へ収斂していく過程において,英語内部の方言差すら平板化していきました (dialect_levelling) .イギリス英語に比べてアメリカ英語に地域による方言差が少ないのも,移民社会という事情が関与しています.
この辺りは,歴史社会言語学的にたいへんおもしろい話題です.関心をもった方は,##2784,158,591の記事セットをご覧ください.
動詞としても助動詞としても超高頻度語である have .超高頻度語であれば不規則なことが起こりやすいということは,皆さんもよく知っていることと思います.ですが,have の周辺にはあまりに不規則なことが多いですね.
まず,<have> と綴って /hæv/ と読むことからして妙です.gave /geɪv/, save /seɪv/, cave /keɪv/ と似たような綴字ですから */heɪv/ となりそうなものですが,そうはなりません.have の仲間で接頭辞 be- をつけただけの behave が予想通り /biˈheɪv/ となることを考えると,ますます不思議です.
次に,3単現形が *haves ではなく has となるのも妙です.さらに,過去(分詞)形が *haved ではなく had となるのも,同様に理解できません.なぜ普通に *haves や *haved となってくれないのでしょうか.では,この3つの疑問について,英語史の立場から答えてみましょう.音声解説をどうぞ.
そうです,実は中英語期には /hɑːvə/ など長い母音をもつ have の発音も普通にあったのです.これが続いていれば,大母音推移 (gvs) を経由して現代までに */heɪv/ となっていたはずです.しかし,あまりに頻度が高い語であるために,途中で短母音化してしまったというわけです.
同様に,3単現形や過去(分詞)形としても,中英語期には今ではダメな haves や haved も用いられていました.しかし,13世紀以降に語中の /v/ は消失する傾向を示し,とりわけ超高頻度語ということもあってこの傾向が顕著に表われ,結果として has や had になってしまったのです./v/ の消失は,head, lord, lady, lark, poor 等の語形にも関わっています(逆にいえば,これらの語には本来 /v/ が含まれていたわけです).
一見不規則にみえる形の背景には,高頻度語であること,そして音変化という過程が存在したのです.ちゃんと歴史的な理由があるわけですね.この問題に関心をもった方は,##4065,2200,1348の記事セットにて詳しい解説をお読みください.
Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow