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sobokunagimon - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-12-23 11:02

2018-05-19 Sat

#3309. なぜ input は *imput と綴らないのか? [spelling][pronunciation][prefix][assimilation][morpheme][consonant][sobokunagimon]

 接頭辞 in- は,原則として後続する基体がどのような音で始まるかによって,デフォルトの in- だけでなく, imb, m, p の前), il- (l の前), ir- (r の前), i- (g の前)などの異形態をとる.意味としては,接頭辞 in- には「否定」と「中に」の2つが区別されるが,異形態の選択については両方とも同様に振る舞う.それぞれ例を挙げれば,inactive, inconclusive, inspirit; imbalance, immature, immoral, imperil, implode, impossible; illegal, illicit, illogical; irreducible, irregular, irruptive; ignoble, ignominy, ignorant などである.
 in- の末尾の子音が接続する音によって調音点や調音様式を若干変異させる現象は,子音の同化 (assimilation) として説明されるが,子音の同化という過程が生じたのは,ほとんどの場合,借用元のラテン語(やフランス語)においてであり,英語に入ってくる際には,すでにそのような異形態をとっていたというのが事実である.むしろ,英語側の立場からは,それらの借用語を後から分析して,接頭辞 in- を切り出したとみるのが妥当である.ただし,いったんそのような分析がなされて定着すると,以降 in- はあたかも英語固有の接頭辞であるかのように振る舞い出し,異形態の取り方もオリジナルのラテン語などと同様に規則的なものととらえられるようになった.
 ラテン語由来の「否定」と「中に」を意味する接頭辞 in- は上記のように振る舞うが,注意すべきは英語本来語にも「中に」を意味する同形態の in が存在することだ.前置詞・副詞としての英語の in が接頭辞として用いられる場合には,上記のラテン語の接頭辞 in- のように異形態をとることはない.つまり,in- は不変化である.標題の単語 inputin- は,反対語の outputout- と比べれば分かるとおり,あくまで本来語の接頭辞 in- である.したがって,*imput とはならない(ちなみにラテン語で out- に対応するのは ex- である).この観点から in-between, in-place, inmate なども同様に説明できる.
 ただし,発音上は実際のところ子音の同化を起こしていることも多く,input と綴られていても,/ˈɪnpʊt/ に加えて /ˈɪmpʊt/ も行なわれている.

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2018-05-17 Thu

#3307. 文法用語としての participle 「分詞」 [terminology][grammar][etymology][sobokunagimon][loan_translation][participle]

 現在分詞 (present participle) と過去分詞 (past participle) は,英語の動詞が取り得る形態のうちの2種類に与えられた名前である.しかし,「分詞」 participle というネーミングは何なのだろうか.何が「分」かれているというのか,何の part だというのか.今回は,この文法用語の問題に迫ってみたい.
 この語は直接にはフランス語からの借用語であり,英語では a1398 の Trevisa において,ラテン語 participii (主格単数形は participium)に対応するフランス語化した語形 participles として初出している.最初から文法用語として用いられている.
 では,ラテン語の participium とはどのような語源・語形成なのか.この単語は pars "part" + capere "to take" という2つの語根から構成されており,「分け前を取る」が原義である.動詞 participate は同根であり,「参加する」の意味は,「分け前を取る」=「分け合う」=「その集団に加わっている」という発想からの発展だろう.partaketake part も,participate のなぞりである.さらにいえば,ラテン語 participium 自体も,同義のギリシア語 metokhḗ からのなぞりだったのである.
 さて,問題の文法用語において「分け前を取る」「分け合う」「参加する」とは何のことを指すのかといえば,動詞と形容詞の機能を「分け合う」ということらしい.1つの単語でありながら,片足を動詞に,片足を形容詞に突っ込んでいることを participle 「分詞」と表現したわけだ.なお,現在では廃義だが,participle には「二つ以上の異なった性質を合わせもつ人[動物,もの]」という語義もあった.2つの品詞に同時に参加し,2つの性質を合わせもつ語,それが「分詞」だったのである.
 なお,上記の説明は,古英語でラテン文法書を著わした Ælfric にすでに現われている.OED の participle, n. and adj. に載せられている引用を再掲しよう.なお,ラテン語の場合には名詞と形容詞は同類なので,Ælfric の解説では,合わせもつものは動詞と名詞となっていることに注意.

OE Ælfric Gram. (St. John's Oxf.) 9 [sic]PARTICIPIVM ys dæl nimend. He nymð anne dæl of naman and oðerne of worde. Of naman he nymð CASVS, þæt is, declinunge, and of worde he nymð tide and getacnunge. Of him bam he nymð getel and hiw. Amans lufiende cymð of ðam worde amo ic lufige.


 他の文法用語の問題については,「#1258. なぜ「他動詞」が "transitive verb" なのか」 ([2012-10-06-1]),「#1520. なぜ受動態の「態」が voice なのか」 ([2013-06-25-1]) も参照.

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2018-05-15 Tue

#3305. なぜ can の否定形は cannot と1語で綴られるのか? [sobokunagimon][negative][spelling][auxiliary_verb][clitic][punctuation][pronunciation]

 標題の疑問が寄せられた.実際には,助動詞 can の否定形としては標題の cannot のほか,can'tcan not の3種類がある.一般には1語であるかのように綴られる can'tcannot が圧倒的に多いが,分かち書きされた can not もあるにはある.ただし,後者が用いられるのは,形式的な文章か,あるいは強調・対照・修辞が意図されている場合のみである.
 まず,主に Fowler's を参照し,can'tcannot について現代英語での事実を確認しておこう.can't の発音は,イギリス英語で /kɑːnt/, アメリカ英語で /kænt/ となるが,特に子音の前ではしばしば語末の t が落ちて,/kɑːn/, /kæn/ のようになる.肯定形の can とは異なり,否定形では弱形は存在しない.一方,cannot は英米音でそれぞれ /ˈkæn ɒt/, /ˈkæn ɑːt/ となるが,実際には can't として発音される場合もある.
 can'tcannot の使い分けは特になく,いずれかを用いるかは個人の習慣によるところが大きいとされる.ただし,原則として cannot が使われるケースとして,「?せざるを得ない」を意味する cannot but do や cannot help doing の構文がある.逆に,口語で「努力してはみたが?することができないようだ」を意味する can't seem to do では,もっぱら can't が用いられる.
 歴史的には cannot のほうが古く,後期中英語から使用例がある(OED では a1425 が初出).can't も後期中英語で使われていた可能性は残るが,まともに出現してくるのは17世紀からのようだ.can't は Shakespeare でも使われていない.
 さて,標題の疑問に戻ろう.実際のところよく分からないのだが,1つ考えられそうなところを述べておく.can't は子音の前で t が落ちる傾向があると上述したが,とりわけ後続音が t, d, n のような歯茎音の場合には,その傾向が強いと推測される.すると,肯定形と否定形が同形となってしまい,アクセントによる弁別こそまだ利用可能かもしれないが,誤解を招きやすい.その点では,cannot の2音節発音は,少なくとも2音節目の母音の存在が否定形であることを保証しているために,有利である.また,完全形 can not とは形式的にも機能的にも区別されるべき省略形には違いないため,綴字上も省略形にふさわしく1語であるかのように書かれる,ということではないか.他の助動詞の否定形の音韻・形態とその歴史も比較してみる必要がありそうだ.

 ・ Burchfield, Robert, ed. Fowler's Modern English Usage. Rev. 3rd ed. Oxford: OUP, 1998.

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2018-05-11 Fri

#3301. なぜ wolf の複数形が wolves なのか? (4) [sobokunagimon][genitive][plural][consonant][phonetics][fricative_voicing][analogy][number][inflection][paradigm][clitic]

 3日間にわたり標題の話題を発展させてきた ([2018-05-08-1], [2018-05-09-1], [2018-05-10-1]) .今回は第4弾(最終回)として,この問題にもう一ひねりを加えたい.
 wolves (および間接的に wives)の背景には,古英語の男性強変化名詞の屈折パターンにおいて,複数主格(・対格)形として -as が付加されるという事情があった.これにより古英語 wulfwulfas となり,f は有声音に挟まれるために有声化するのだと説明してきた.wīf についても,本来は中性強変化という別のグループに属しており,自然には wives へと発達しえないが,後に wulf/wulfas タイプに影響され,類推作用 (analogy) により wives へと帰着したと説明すれば,それなりに納得がいく.
 このように,-ves の複数形については説得力のある歴史的な説明が可能だが,今回は視点を変えて単数属格形に注目してみたい.機能的には現代英語の所有格の -'s に連なる屈折である.以下,単数属格形を強調しながら,古英語 wulfwīf の屈折表をあらためて掲げよう.

(男性強変化名詞)単数複数
主格wulfwulfas
対格wulfwulfas
属格wulfeswulfa
与格wulfewulfum
(中性強変化名詞)単数複数
主格wīfwīf
対格wīfwīf
属格wīfeswīfa
与格wīfewīfum


 両屈折パターンは,複数主格・対格でこそ異なる語尾をとっていたが,単数属格では共通して -es 語尾をとっている.そして,この単数属格 -es を付加すると,語幹末の f は両サイドを有声音に挟まれるため,発音上は /v/ となったはずだ.そうだとするならば,現代英語でも単数所有格は,それぞれ *wolve's, *wive's となっていてもよかったはずではないか.ところが,実際には wolf's, wife's なのである.複数形と単数属格形は,古英語以来,ほぼ同じ音韻形態的条件のもとで発展してきたはずと考えられるにもかかわらず,なぜ結果として wolves に対して wolf'swives に対して wife's という区別が生じてしまったのだろうか.(なお,現代英語では所有格形に ' (apostrophe) を付すが,これは近代になってからの慣習であり,見た目上の改変にすぎないので,今回の議論にはまったく関与しないと考えてよい(「#582. apostrophe」 ([2010-11-30-1]) を参照).)
 1つには,属格標識は複数標識と比べて基体との関係が疎となっていったことがある.中英語から近代英語にかけて,属格標識の -es は屈折語尾というよりは接語 (clitic) として解釈されるようになってきた(cf. 「#1417. 群属格の発達」 ([2013-03-14-1])).換言すれば,-es は形態的な単位というよりは統語的な単位となり,基体と切り離してとらえられるようになってきたのである.それにより,基体末尾子音の有声・無声を交替させる動機づけが弱くなっていったのだろう.こうして属格表現において基体末尾子音は固定されることとなった.
 それでも中英語から近代英語にかけて,いまだ -ves の形態も完全に失われてはおらず,しばしば類推による無声の変異形とともに並存していた.Jespersen (§16.51, pp. 264--65) によれば,Chaucer はもちろん Shakespeare に至っても wiues などが規則的だったし,それは18世紀終わりまで存続したのだ.calues も Shakespeare で普通にみられた.特に複合語の第1要素に属格が用いられている場合には -ves が比較的残りやすく,wive's-jointure, staves-end, knives-point, calves-head などは近代でも用いられた.
 しかし,これらとて現代英語までは残らなかった.属格の -ves は,標準語ではついえてしまったのである.いまや複数形の wolves など少数の語形のみが,古英語の音韻規則の伝統を引く最後の生き残りとして持ちこたえている.

 ・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part VI. Copenhagen: Ejnar Munksgaard, 1942.

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2018-05-10 Thu

#3300. なぜ wolf の複数形が wolves なのか? (3) [sobokunagimon][plural][consonant][phonetics][fricative_voicing][analogy][number][inflection]

 2日間の記事 ([2018-05-08-1], [2018-05-09-1]) で,標記の素朴な疑問を題材に,英語史の奥深さに迫ってきた.今回は第3弾.
 古英語の wulf (nom.acc.sg.)/wulfas (nom.acc.pl) を原型とする wolf (sg.)/wolves (pl.) という単複ペアのモデルが,類推作用 (analogy) によって,歴史的には wulf と異なる屈折クラスに属する,語尾に -f をもつ他の名詞にも拡がったことを見た.leaf/leaveslife/lives はそれにより説明される.
 しかし,現代英語の現実を眺めると,語尾に -f をもつ名詞のすべてが複数形において -ves を示すわけではない.例えば,roof/roofs, belief/beliefs などが思い浮かぶが,これらは完全に「規則的」な複数形を作っている.とりわけ roof などは,古英語では hrōf という形態で,まさに wulf と同じ男性強変化グループに属していたのであり,正統には古英語で実際に用いられていた hrōfas が継承され,現在は *rooves となっていて然るべきなのである.ところが,そうなっていない(しかし,rooves については以下の表も参照).
 ここで起こったことは,先に挙げたのとは別種の類推作用である.wife などの場合には,類推のモデルとなったのは wolf/wolves のタイプだったのだが,今回の roof を巻き込んだ類推のモデルは,もっと一般的な,例えば stone/stones, king/kings といったタイプであり,語尾に -s をつければ済むというという至極単純なタイプだったのである.同様にフランス借用語の grief, proof なども,もともとのフランス語での複数形の形成法が単純な -s 付加だったこともあり,後者のモデルを後押し,かつ後押しされたことにより,現在その複数形は griefs, proofs となっていると理解できる.
 語尾に -f をもつ名詞群が,類推モデルとして wolf/wolves タイプを採用したか,あるいは stone/stones タイプを採用したかを決める絶対的な基準はない.個々の名詞によって,振る舞いはまちまちである.歴史的に両タイプの間で揺れを示してきた名詞も少なくないし,現在でも -fs と -ves の両複数形がありうるという例もある.類推作用とは,それくらいに個々別々に作用するものであり,その意味でとらえどころのないものである.
 一昨日の記事 ([2018-05-08-1]) では,wolf の複数形が wolves となる理由を聞いてスッキリしたかもしれないが,ここにきて,さほど単純な問題ではなさそうだという感覚が生じてきたのではないだろうか.現代英語の現象を英語史的に考えていくと,往々にして問題がこのように深まっていく.
 以下,主として Jespersen (Modern, §§16.21--16.25 (pp. 258--621)) に基づき,語尾に -f を示すいくつかの語の,近現代における複数形を挙げ,必要に応じてコメントしよう(さらに多くの例,そしてより詳しくは,Jespersen (Linguistic, 374--75) を参照).明日は,懲りずに第4弾.

単数形複数形コメント
beefbeefs/beeves 
beliefbeliefs古くは believe (sg.)/believes (pl.) .この名詞は,OE ġelēafa と関連するが,語尾の母音が脱落して,f が無声化した.16世紀頃には believe (v.) と belief (n.) が形態上区別されるようになり,名詞 -f が確立したが,これは grieve (v.)/grief (n.), prove (v.)/proof (n.) などの類推もあったかもしれない.
bluffbluffs 
briefbriefs 
calfcalves 
chiefchiefs 
cliffcliffs古くは cleves (pl.) も.
cuffcuffs 
delfdelves方言として delfs (pl.) も.また,標準英語で delve (sg.) も.
elfelvesまれに elfs (pl.) や elve (sg.) も.
fieffiefs 
fifefifes 
gulfgulfs 
halfhalves「半期(学期)」の意味では halfs (pl.) も.
hoofhoofs古くは hooves (pl.) .
knifeknives 
leafleavesただし,ash-leafs (pl.) "ash-leaf potatoes".
lifelives古くは lyffes (pl.) など.
loafloaves 
looflooves/loofsloove (sg.) も.
mastiffmastiffs古くは mastives (pl.) も.
mischiefmischiefs古くは mischieves (pl.) も.
oafoaves/oafs 
rebuffrebuffs 
reefreefs 
roofroofsイングランドやアメリカで rooves (pl.) も.
safesafes 
scarfscarfs18世紀始めからは scarves (pl.) も.
selfselves哲学用語「自己」の意味では selfs (pl.) も.
sheafsheaves 
shelfshelves 
sheriffsheriffs 古くは sherives (pl.) も.
staffstaves/staffs「棒きれ」の意味では staves (pl.) .「人々」の意味では staffs (pl.) .stave (sg.) も.
strifestrifes 
thiefthieves 
turfturfs古くは turves (pl.) も.
waifwaifs古くは waives (pl.) も.
wharfwarfs古くは wharves (pl.) も
wifewives古くは wyffes (pl.) など.housewife "hussy" でも housewifes (pl.) だが,Austen ではこの意味で huswifes も.
wolfwolves 


 ・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part VI. Copenhagen: Ejnar Munksgaard, 1942.
 ・ Jespersen, Otto. Linguistica: Selected Papers in English, French and German. Copenhagen: Levin & Munksgaard, 1933.

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2018-05-09 Wed

#3299. なぜ wolf の複数形が wolves なのか? (2) [sobokunagimon][plural][consonant][oe][phonetics][fricative_voicing][analogy][number][conjugation][inflection][paradigm]

 昨日の記事 ([2018-05-08-1]) で,wolf (sg.) に対して wolves (pl.) となる理由を古英語の音韻規則に照らして説明した.これにより,関連する他の -f (sg.)/ -ves (pl.) の例,すなわち calf/calves, elf/elves, half/halves, leaf/leaves, life/lives, loaf/loaves, knife/knives, self/selves, sheaf/sheaves, shelf/shelves, thief/thieves, wife/wives などもきれいに説明できると思うかもしれない.しかし,英語史はそれほどストレートで美しいものではない.言語という複雑なシステムがたどる歴史は,一癖も二癖もあるのが常である.
 例えば,wife (sg.)/wives (pl.) の事例を取り上げよう.この名詞は,古英語では wīf という単数主格(見出し語)形を取っていた(当時の語義は「妻」というよりも「女性」だった).f は,左側に有声母音こそあれ右側には何もないので,「有声音に挟まれている」わけではなく,デフォルトの /f/ で発音される.そして,次に来る説明として予想されるのは,「ところが,複数主格(・対格)形では wīf に -as の屈折語尾が付くはずであり,f は有声音に挟まれることになるから,/v/ と有声音化するのだろう」ということだ.
 しかし,そうは簡単にいかない.というのは,wulf の場合はたまたま男性強変化というグループに属しており,昨日の記事で掲げた屈折表に従うことになっているのだが,wīf は中性強変化というグループに属する名詞であり,古英語では異なる屈折パターンを示していたからだ.以下に,その屈折表を掲げよう.

(中性強変化名詞)単数複数
主格wīfwīf
対格wīfwīf
属格wīfeswīfa
与格wīfewīfum


 中性強変化の屈折パターンは上記の通りであり,このタイプの名詞では複数主格(・対格)形は単数主格(・対格)形と同一になるのである.現代英語に残る単複同形の名詞の一部 (ex. sheep) は,古英語でこのタイプの名詞だったことにより説明できる(「#12. How many carp!」 ([2009-05-11-1]) を参照).とすると,wīf において,単数形の /f/ が複数形で /v/ に変化する筋合いは,当然ながらないことになる./f/ か /v/ かという問題以前に,そもそも複数形で s など付かなかったのだから,現代英語の wives という形態は,上記の古英語形からの「直接の」発達として理解するわけにはいかなくなる.実は,これと同じことが leaf/leaveslife/lives にも当てはまる.それぞれの古英語形 lēaflīf は,wīf と同様,中性強変化名詞であり,複数主格(・対格)形はいわゆる「無変化複数」だったのだ.
 では,なぜこれらの名詞の複数形が,現在では wolves よろしく leaves, lives となっているのだろうか.それは,wīf, lēaf, līf が,あるときから wulf と同じ男性強変化名詞の屈折パターンに「乗り換えた」ことによる.wulf のパターンは確かに古英語において最も優勢なパターンであり,他の多くの名詞はそちらに靡く傾向があった.比較的マイナーな言語項が影響力のあるモデルにしたがって変化する作用を,言語学では類推作用 (analogy) と呼んでいるが,その典型例である(「#946. 名詞複数形の歴史の概要」 ([2011-11-29-1]) を参照).この類推作用により,歴史的な複数形(厳密には複数主格・対格形)である wīf, lēaf, līf は,wīfas, lēafas, līfas のタイプへと「乗り換えた」のだった.その後の発展は,wulfas と同一である.
 ポイントは,現代英語の複数形の wives, leaves, lives を歴史的に説明しようとする場合,wolves の場合ほど単純ではないということだ.もうワン・クッション,追加の説明が必要なのである.ここでは,古英語の「摩擦音の有声化」という音韻規則は,まったく無関係というわけではないものの,あくまで背景的な説明というレベルへと退行する.本音をいえば,昨日と今日の記事の標題には,使えるものならば wolf (sg.)/wolves よりも wife (sg.)/wives (pl.) を使いたいところではある.wife/wives のほうが頻度も高いし,両サイドの有声音が母音という分かりやすい構成なので,説明のための具体例としては映えるからだ.だが,上記の理由で,摩擦音の有声化の典型例として前面に出して使うわけにはいかないのである.英語史上,ちょっと「残念な事例」ということになる.
 とはいえ,wives は,類推作用というもう1つのきわめて興味深い言語学的現象に注意を喚起してくれた.これで英語史の奥深さが1段深まったはずだ.明日は,関連する話題でさらなる深みへ.

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2018-05-08 Tue

#3298. なぜ wolf の複数形が wolves なのか? (1) [sobokunagimon][plural][consonant][oe][phonetics][fricative_voicing][number][v][conjugation][inflection][paradigm]

 標題は,「#1365. 古英語における自鳴音にはさまれた無声摩擦音の有声化」 ([2013-01-21-1]) で取り上げ,「#1080. なぜ five の序数詞は fifth なのか?」 ([2012-04-11-1]) や「#2948. 連載第5回「alive の歴史言語学」」 ([2017-05-23-1]) でも具体的な例を挙げて説明した問題の,もう1つの応用例である.wolf の複数形が wolves となるなど,単数形 /-f/ が複数形 /-vz/ へと一見不規則に変化する例が,いくつかの名詞に見られる.例えば,calf/calves, elf/elves, half/halves, leaf/leaves, life/lives, loaf/loaves, knife/knives, self/selves, sheaf/sheaves, shelf/shelves, thief/thieves, wife/wives などである.これはどういった理由だろうか.
 古英語では,無声摩擦音 /f, θ, s/ は,両側を有声音に挟まれると自らも有声化して [v, ð, z] となる音韻規則が確立していた.この規則は,適用される音環境の条件が変化することもあれば,方言によってもまちまちだが,中英語以降でもしばしばお目にかかるルールである.必ずしも一貫性を保って適用されてきたわけではないものの,ある意味で英語史を通じて現役活動を続けてきた根強い規則といえる.摩擦音の有声化 (fricative_voicing) などという名前も与えられている.
 今回の標題に照らし,以下では /f/ の場合に説明を絞ろう.wolf (狼)は古英語では wulf という形態だった.この名詞は男性強変化というグループに属する名詞で,格と数に応じて以下のように屈折した.

(男性強変化名詞)単数複数
主格wulfwulfas
対格wulfwulfas
属格wulfeswulfa
与格wulfewulfum


 単数主格(・対格)の形態,いわゆる見出し語形では wulf には屈折語尾がつかず,f の立場からみると,確かに左側に有声音の l はあるものの右側には何もないので「有声音に挟まれている」環境ではない.したがって,この f はそのままデフォルトの /f/ で発音される.しかし,表のその他の6マスでは,いずれも母音で始まる何らかの屈折語尾が付加しており,問題の f は有声音に挟まれることになる.ここで摩擦音の有声化規則が発動し,f は発音上 /f/ から /v/ へと変化する.古英語では綴字上 <f> と <v> を使い分ける慣習はない(というよりも <v> の文字が存在しない)ので,文字上は無声であれ有声であれ <f> のままである(文字 <v> の発達については「#373. <u> と <v> の分化 (1)」 ([2010-05-05-1]),「#374. <u> と <v> の分化 (2)」 ([2010-05-06-1]) を参照).この屈折表の複数主格(・対格)の wulfas が,その後も生き残って現代英語における「複数形」として伝わったわけだ.この複数形では,綴字こそ wolves と書き改められたが,発音上は古英語の /f/ ならぬ /v/ がしっかり残っている.
 このように,古英語の音韻規則を念頭におけば,現代の wolf/wolves の関係はきれいに説明できる.現代英語としてみると確かに「不規則」と呼びたくなる関係だが,英語史を参照すれば,むしろ「規則的」なのである.このような気づきこそが,英語史を学ぶ魅力であり,英語史の奥深さといえる.
 しかし,英語史の奥深さはここで止まらない.上の説明で納得して終わり,ではない.ここから発展してもっとおもしろく,不可思議に展開していくのが英語史である.新たな展開については明日以降の記事で.

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2018-04-24 Tue

#3284. be 動詞の特殊性 [be][inflection][inflection][clitic][verb][auxiliary_verb][sobokunagimon]

 be 動詞が特殊な動詞であることは,改めて言うまでもないように思われる.他の動詞にないような複雑な屈折を示す,共時的には実にへんてこな動詞だ.実際に,「#3279. 年度初めの「素朴な疑問」を3点」 ([2018-04-19-1]) の3点目にも挙げたように,be 動詞は多くの英語学習者に激しい「なぜ?」を引き起こす.
 be 動詞に執拗にこだわった Crystal の著書 The Story of Be の序章 (p. xi--xii) では,be 動詞の特殊性が列挙されている.

 (1) be 動詞は,英語の他のあらゆる動詞よりも多様な変化形をもつ.walk ならば walk, walks, walked, walked と4種類の異なる形を示し,go ならば go, goes, going, gone, went の5種類の異なる形を示すが,be では be, am, is, are, was, were, being, been の8種類が区別される.さらに歴史的にいえば,be 語形の多様性は目のくらむほどである.
 (2) すべての他の動詞では,現在形において有標の形態をもつのは3人称単数の -s のみだが,be 動詞では上記のように1,2,3人称のそれぞれにおいて異なる形態を示す.
 (3) be では,強勢のある発音 (be, been) と強勢のない発音 (bi, bin, bn) が区別される.
 (4) (接語的)代名詞と接続して,twas (< it was), wast (< was it) のように融合する.また,you're, I'm, aren't, weren't などの縮約形を示す.同様の縮約を示すのは,ほかに havedo のみである (ex. hasn't, don't) .
 (5) be 動詞は3つの非常に異なる文法機能をもつ.1つ目に「存在する」を意味する一般動詞として,2つ目に進行形や受動態を作る助動詞として,3つ目に連結詞 (copula) としてである.他の動詞でここまで多彩な機能を有するものはない.

 Crystal の締めくくりは,次の如く.

It is thus hardly surprising to find that, over the past 1,500 years, be has developed a wide range of meanings and uses, and a wider range of variant forms than any other English verb. It is the second most frequent word in English, after the. If any verb deserves its own story, it is this one.


 ・ Crystal, David. The Story of Be. Oxford: OUP, 2017.

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2018-04-19 Thu

#3279. 年度初めの「素朴な疑問」を3点 [sobokunagimon][alphabet][numeral][be]

 本年度も大学で英語史概説の講義が始まった.いつも初回には英語の「素朴な疑問」を学生より収集しているが,しばしば多くの学生から重複した疑問が寄せられる.およそ本ブログのどこかで回答したり解説を加えたりしているので,今回とりわけ目に付いた3つの「素朴な疑問」について,簡単なコメントを付し,関連するブログ記事へのリンクを張っておきたい.

[ 素朴な疑問1 ] 英語のアルファベットはなぜ A, B, C . . . Z という並び順になっているのか?

 一言でいえば,英語がラテン語からアルファベットを借りたときに,およそその並び順だったから.そして,そのラテン語はギリシア語からアルファベットを借りたときに,およそその並び順だったから.さらに,そのギリシア語は・・・と続けていくと,最終的には紀元前1700年頃に北セム諸語を表記した原初のアルファベットがおよそその並び順だったから,ということになる.では,その原初のアルファベットにおける並び順の論理はといえば,なかなか一意に定めがたい.以下の記事を参照.

   ・ 「#2105. 英語アルファベットの配列」 ([2015-01-31-1])
   ・ 「#423. アルファベットの歴史」 ([2010-06-24-1])
   ・ 「#1849. アルファベットの系統図」 ([2014-05-20-1])
   ・ 「#1832. ギリシア・アルファベットの文字の名称 (1)」 ([2014-05-03-1])
   ・ 「#1833. ギリシア・アルファベットの文字の名称 (2)」 ([2014-05-04-1]

[ 素朴な疑問2 ] なぜ eleven, twelve は,*oneteen, *twoteen などではないのか?

 これも難しい問題だが,英語の属するゲルマン語派において12進法の伝統があったことが関与する.12進法の体系と,後にキリスト教とともにもたらされたと考えられる10進法の体系が衝突し,混合型の数詞体系ができあがったとのだろう.これに関していずれも間接的な視点からではあるが,以下の記事を参照.

   ・ 「#2286. 古英語の hundseofontig (seventy), hundeahtatig (eighty), etc.」 ([2015-07-31-1])
   ・ 「#2304. 古英語の hundseofontig (seventy), hundeahtatig (eighty), etc. (2)」 ([2015-08-18-1])
   ・ 「#2473. フランス語にみられる20進法の残滓」 ([2016-02-03-1])
   ・ 「#2477. 英語にみられる20進法の残滓」 ([2016-02-07-1])
   ・ 「#2491. フランス語にみられる20進法の起源説」 ([2016-02-21-1])
   ・ 「#2474. 数字における「底の原理」」 ([2016-02-04-1])

[ 素朴な疑問3 ] なぜ be 動詞は is, am, are ほか様々な形があり使い分けなければならないのか?

 古英語では be 動詞に限らず,一般の動詞が主語の文法的・意味的な特性に応じて異なる形に活用しなければならなかったが,後の歴史においてそのような活用が大幅に失われ,現在に至る.しかし,超高頻度語である be 動詞に限っては,古い活用がかなりよく保たれている.したがって,この素朴な疑問を英語史的な観点からパラフレーズすると,「なぜ be 動詞以外では様々な形が消失してしまったのか?」となる.以下を参照.

   ・ 「#2600. 古英語の be 動詞の屈折」 ([2016-06-09-1])
   ・ 「#2601. なぜ If I WERE a bird なのか?」 ([2016-06-10-1])
   ・ あわせて,拙著『英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史』の「4.2節 なぜ If I were a bird となるのか?」も参照

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2018-04-03 Tue

#3263. なぜ古ノルド語からの借用語の多くが中英語期に初出するのか? [sobokunagimon][old_norse][standardisation][loan_word][borrowing][medium][oe][eme]

 「#2869. 古ノルド語からの借用は古英語期であっても,その文証は中英語期」 ([2017-03-05-1]) でも取り上げた話題だが,改めてこの問題について考えてみたい.
 現代英語の語彙には古ノルド語からの借用語が多数含まれている.その歴史的背景としては,9世紀後半以降に古ノルド語を母語とするヴァイキングがイングランド北部・東部に定住し,そこで英語話者と混じり合ったという経緯がある.しかし,そこで借用されたはずの多くの古ノルド語からの単語が文献上に初めて現われるのは,ヴァイキングの定住が進んだ古英語後期においてではなく,少なからぬ時間を空けた初期中英語期以降,とりわけ13世紀以降のことなのである.歴史的状況から予想される借用年代と実際に文証される年代との間にギャップがあるというこの問題は,英語史でもしばしば取り上げられるが,その理由は一般的に次のように考えられている(Blake, p. 92 より).

It is a feature of the history of the English language that there are a considerable number of Old Norse loans in the language, but the appearance of these loans in writing occurs mainly from the thirteenth century onwards and not from the pre-Conquest period which is when the Viking invasions and settlements occurred. The usual explanation for this is as follows. Most Old English literature which has survived is written in the West Saxon dialect, and the dialect represents those areas of England which were least affected by the Scandinavian invasions and settlements. Hence Scandinavian influence in these areas cannot have been very significant. Even in those areas where the Danes had settled, they continued to live in their own communities and would only gradually have become absorbed among the Anglo-Saxon population. This implies that the new settlers were for a long time regarded as foreigners and no attempt was made to assimilate them. Consequently the introduction of Old Norse words into English was delayed in the Anglian dialects, and their southward drift would be even later than that. It is hardly surprising in this view that words of Scandinavian origin are not found in English in any numbers until the thirteenth century.


 つまり,ヴァイキングは確かにイングランド北部・東部にしたが,必ずしもすぐには先住のアングロサクソン人と混じり合ったわけではなく,語彙借用を含めた言語的な融合は案外遅かったというわけだ.また,後期古英語の文献として残っているものの多くはイングランド南西部 West Saxon の方言で書かれているため,ヴァイキングの言語的影響は古英語期中には文証されにくいのだという.
 しかし,Blake (93--94) はこの一般的な見解が本当に正しいかどうかは非常に怪しいとみている.

The continuity of West Saxon as Standard Old English would have discouraged the adoption of new words from other varieties and even from other languages. The tenth-century reforms were a continuation of the policies introduced by Alfred, and it is not surprising that the attitude towards standardisation and conservatism should have become more rigid as the standard grew in importance.


 Blake の考え方はこうだ.話し言葉のレベルでは,歴史的経緯から自然に予想されるとおり,古ノルド語からの借用語の多くがすでに後期古英語期に入っていた.しかし,標準的で保守的な West Saxon 方言の書き言葉においては,口語的で略式的な響きをもつ当時の新語ともいうべき古ノルド語借用語を使用することはふさわしくないと考えられ,排除されたのではないか.つまり,人々の口からは発せられていたが,文章には反映されなかったということではないか.
 書き言葉の保守性はよく知られた事実だが,さらに標準的な書き言葉ともなればますます保守的になるということは,確かに考えられる.

 ・ Blake, N. F. A History of the English Language. Basingstoke: Macmillan, 1996.

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2018-03-22 Thu

#3251. <chi> は「チ」か「シ」か「キ」か「ヒ」か? [digraph][h][phoneme][arbitrariness][alphabet][grammatology][grapheme][graphemics][spelling][consonant][diacritical_mark][sobokunagimon]

 イタリアの辛口赤ワイン CHIANTI (キャンティ)を飲みつつ,イタリア語の <chi> = /ki/ に思いを馳せた.<ch> という2重字 (digraph) に関して,ヨーロッパの諸言語を見渡しても,典型的に対応する音価はまちまちである.前舌母音字 <i> を付して <chi> について考えてみよう.主要な言語で代表させれば,英語では chill, chin のように /ʧi/,フランス語では Chine, chique のように /ʃi/,イタリア語では chianti, chimera のように /ki/,ドイツ語では China, Chinin のように /çi/ である.同じ <ch> という2重字を使っていながら,対応する音価がバラバラなのはいったいなぜだろうか.
 この謎を解くには,文字記号の恣意性 (arbitrariness) と,各言語の音韻体系とその歴史の独立性について理解する必要がある.まず,文字記号の恣意性から.アルファベットを例にとると,<a> という文字が /a/ という音と結びつくはずと考えるのは,長い伝統と習慣によるものにすぎず,実際には両者の間に必然的な関係はない.この対応関係がアルファベットを使用する多くの言語で見られるのは,当該のアルファベット体系を借用するにあたって,借用元言語に見られたその結び付きの関係を引き継いだからにすぎない.特別な事情がないかぎりいちいち関係を改変するのも面倒ということもあろうが,確かに文字と音との関係は代々引き継がれることは多い.しかし,何らかの特別な事情があれば――たとえば,対応する音が自分の言語には存在しないのでその文字が使われずに余ってしまう場合――,<a> を廃用にすることもできるし,まったく異なる他の音にあてがうことだってできる.たとえば,言語共同体が <a> = /t/ と決定し,同意しさえすれば,その言語においてはそれでよいのである.文字記号は元来恣意的なものであるから,自分たちが合意しさえすれば,他人に干渉される筋合いはないのである.<ch> は単字ではなく2重字であるという特殊事情はあるが,この2文字の結合を1つの文字記号とみなせば,この文字記号を各言語は事情に応じて好きなように利用してよい.その言語に存在するどんな子音に割り当ててもよいし,極端なことをいえば母音に割り当てても,無音に割り当ててもよい.つまり,<ch(i)> の読みは,まずもって絶対的,必然的に決まっているわけではないと理解することが肝心である.
 次に,各言語の音韻体系とその歴史の独立性について.言うまでもないことだが,同系統の言語であろうがなかろうが,それぞれ独自の音韻体系をもっている.英語には /f, l, θ, ð, v/ などの音素があるが,日本語にはないといったように,言語ごとに特有の音素セットがあるのは当然である.各言語の音韻体系の発展の歴史も,原則として独立的である.音韻の借用などがあった場合でも,その影響は限定的だ.したがって,異なる言語には異なる音素セットがあり,音素セット間で互いに対応させようとしても数も種類も違っているのだから,きれいに揃うということは望めないはずである.表音文字たるアルファベットは原則として音素を写すものだから,音素セット間でうまく対応しないものを文字セット間において対応させようとしたところで,やはり必ずしもきれいには揃わないはずである.
 上で挙げた西ヨーロッパの主要な言語は,歴史の経緯からともにローマン・アルファベットを受容したし,範となるラテン語において <ch> という2重字が活用されていることも知っていた.また,原則としての恣意性や独立性は前提としつつも,互いの言語を横目で見てきたのも事実である.そこで,2重字 <ch> を活用しようというアイディア自体は,いずれの言語も自然に抱いていたのだろう.ただし,<ch> をどの音にあてがうかについては,各言語に委ねられていた.そこで,各言語では <c> で典型的に表わされる音と共時的・通時的に関係の深い別の音に対応する文字として <ch> をあてがうことにした,というわけだ.つまり,英語では /ʧi/,フランス語では /ʃi/,イタリア語では /ki/,ドイツ語では /çi/ である.たいていの場合,各言語の歴史において,もともとの /k/ が歯擦音化した音を表わすのに <ch> が用いられている.
 まとめれば,いずれの言語も,歴史的に <ch> という2重字を使い続けることについては共通していた.しかし,各言語で歴史的に異なる音変化が生じてきたために,<ch> で表わされる音は,互いに異なっているのである.
 英語における <ch> = /ʧ/ に関する話題については,以下の記事も参照.

 ・ 「#1893. ヘボン式ローマ字の <sh>, <ch>, <j> はどのくらい英語風か」 ([2014-07-03-1])
 ・ 「#2367. 古英語の <c> から中英語の <k> へ」 ([2015-10-20-1])
 ・ 「#2393. <Crist> → <Christ>」 ([2015-11-15-1])
 ・ 「#2423. digraph の問題 (1)」 ([2015-12-15-1])

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2017-12-21 Thu

#3160. 連載第12回「なぜ英語はSVOの語順なのか?(後編)」 [link][notice][word_order][syntax][inflection][rensai][sobokunagimon][old_norse][contact][gsr][causation][language_change]

 昨日12月20日付けで,英語史連載企画「現代英語を英語史の視点から考える」の第12回の記事「なぜ英語はSVOの語順なのか?(後編)」が公開されました.
 前編の最後では,標題の疑問を「なぜ英語は屈折重視型から語順重視型の言語へと切り替わり,その際になぜ基本語順はSVOとされたのか?」という疑問へとパラフレーズしました.後半ではいよいよこの問いに本格的に迫りますが,楽しく読めるように5W1Hのミステリー仕立てで話しを展開しました.

言語変化にかかわらずあらゆる歴史現象の究極の問いは Why です.その究極の答えに近づくためには,先にそれ以外の4W1Hをしっかり押さえ,証拠を積み上げておく必要があります.その上で,総合的に Why への解答を提案するという順序が自然です.今回は,この英文法史上最も劇的な変化を1つの事件と見立て,その5W1Hにミステリー仕立てで迫りたいと思います.


 連載記事で展開した説明は仮説です.有力な仮説ではありますが,歴史上の事柄ですから絶対的な説明を提示することはほぼ不可能と言わざるを得ません.それは今回の疑問に限りません.しかし,言語変化を論じる際に,事実をよく調べ,その事実に反しない形で因果関係のストーリーを組み立てることは可能です.今回の説明も,その試みの1つとして理解していただければと思います.以下,連載記事からの引用です.

言語変化は決して偶然生じるわけではないことがわかったかと思います.言語変化の背後には言語内的・外的な諸要因が複合的に作用しており,確かにその一つひとつを突き止めることは難しいのですが,What, When, Where, Who, How の答えを着実に追い求めていけば,最後には究極の問い Why にも接近することができるのです.


 今回で連載記事としては最終回となります.これからも本ブログやその他の媒体で,英語の素朴な疑問にこだわっていきたいと思いますので.今後ともよろしくお願い申し上げます.

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2017-12-10 Sun

#3149. なぜ言語を遺伝的に分類するのか? [family_tree][comparative_linguistics][sobokunagimon][linguistics][history_of_linguistics]

 「#3146. 言語における「遺伝的関係」とは何か? (1)」 ([2017-12-07-1]),「#3147. 言語における「遺伝的関係」とは何か? (2)」 ([2017-12-08-1]),「#3148. 言語における「遺伝的関係」の基本単位は個体か種か?」 ([2017-12-09-1]) で,言語における「遺伝」について考えた.この「遺伝」情報に従って,印欧語族の系統図のような family_tree が描かれてきたのだが,このような言語の「遺伝的分類」は,何の役に立つのだろうか.Noonan (51) がこの素朴な疑問に答えている.

. . . it might be worth asking what genetic classification is good for. It has already been stated that genetic classification is not always useful in providing information about the structure of a language or its morpheme inventory, the more so the higher up the taxonomic ladder one goes. Information about where in the world a language is spoken provides more useful information about grammatical structure, but we don't have classifications of languages by region that are comparable to genetic classifications. On the positive side, however, genetic classification has proven a boon to historical linguistics, providing the superstructure around which theories of language change have developed over the last two centuries. Such classifications also, potentially, provide information of considerable historical value. Typologists use genetic classifications to explain similarities among languages and as a consideration in constructing cross-linguistic samples. And, of course, most of us find satisfying the classification of familiar things: typically the first thing a linguist will ask on being told of an unfamiliar language is: "What family does it belong to?"


 1つめは,消極的ではあるが,もう1つの言語分類法である類型論 (typology) は,地域分布と言語特徴を関連づけようとする分類法として有望ではあるが,遺伝的分類に匹敵する質のものはいまなお得られていないという点である.
 2つめは,歴史言語学において言語変化を研究するための作業場として "superstructure" を与えてくれるという貢献である.印欧祖語からゲルマン祖語を経て,古英語,そして現代英語にまで及ぶ広い意味での英語史や英語の言語変化を研究しようとする際に,すでにこの大きな枠組みが前提となっていなければ研究しにくい.枠組み自体が仮説的なものではあるにせよ,それを設定することで見えてくることも多い.
 3つめの回答は,一般的なものである.人間は身の回りのものを分類したがる動物である.ましてや言葉という卑近なものを分類したがる性癖は避けがたい.

 ・ Noonan, Michael. "Genetic Classification and Language Contact." The Handbook of Language Contact. Ed. Raymond Hickey. 2010. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2013. 48--65.

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2017-12-09 Sat

#3148. 言語における「遺伝的関係」の基本単位は個体か種か? [linguistics][sobokunagimon][family_tree][comparative_linguistics]

 連日の記事 ([2017-12-07-1], [2017-12-08-1]) で,言語における「遺伝的関係」に注目している.言語学は19世紀以来,概念においても用語においても生物学から多大な影響を受けてきた.言語学は他の文化的所産を研究する分野と比べても,とりわけその傾向が強かったといえる.実際に,言語を生物に喩える言説は広く行なわれてきた(「#1578. 言語は何に喩えられてきたか」 ([2013-08-22-1]),「#1579. 「言語は植物である」の比喩」 ([2013-08-23-1]),「#1118. Schleicher の系統樹説」 ([2012-05-19-1]),「#807. 言語系統図と生物系統図の類似点と相違点」 ([2011-07-13-1]) などを参照).
 しかし,言語は生物ではない.したがって,比喩がどこまで通用し,どこから破綻するのかを見極めなければならない.例えば,生物における個体や種という概念は,言語ではそれぞれ何に相当するのだろうか.言語学の言説では,言語を生物の個体になぞらえる見方と種になぞらえる見方の両方がある.Noonan (52) の議論を引用しよう.

Within a biologically inspired framework, there are at least two possible classes of interpretations of genetic relatedness. One could conceive of languages as unitary organisms and consider relatedness in a way analogous to that of individual animals or plants, which can be related via lineages created through sexual or asexual reproduction. Alternatively, one could conceive of a language as a population, either of speakers or of linguistic constructs, or even of a population of speakers each with his/her idiolect and hence his/her own set of linguistic constructs. Population models of this sort might adopt a species analogy for understanding genetic relatedness.


 ここでは言語を "unitary organism" (個体)とみる立場と "population" (「種」の概念に近い)とみる立場が紹介されている.後者の見方は最近の一部の論者が唱えているものだが,一般には前者の解釈が受け入れられている.前者について,Noonan (52) はさらに説明を加える.

In linguistics, the unitary organism model was the one adopted by historical linguists in the early nineteenth century; this model has survived as the received mode of understanding genetic relations to the present day. Within this model, two languages are said to be genetically related if they descend from a common ancestor. Since it is at least possible that all languages descend from a common ancestor, languages are usually claimed to be related only if their relatedness can be established through the comparative method or some alternative procedure.
   In principle, a unitary organism model could adopt either an asexual (parthenogenetic) or a sexual model for conceptualizing genetic relatedness. The established model, known as the family tree or Stammbaum model, adopted parthenogenetic (asexual) reproduction as the mode for understanding genetic relationships among languages. The expressions mother/ancestor language and daughter language are components of the model and reflect the original analogy, as do the notions of language birth and language death.


 "unitary organism" とみる立場のなかにも,"asexual (parthenogenetic) model" と "sexual model" の2種が区別されるというのがおもしろい.言語学の言説では「母言語」「娘言語」のような女系用語が目立つが,これは歴史言語学では "unitary organism model" のなかでも "an asexual (parthenogenetic) model" が一般的に受け入れられてきたことと関係するのだろう.この女系用語の問題については「#2055. 「母音」という呼称」 ([2014-12-12-1]) も参照されたい.

 ・ Noonan, Michael. "Genetic Classification and Language Contact." The Handbook of Language Contact. Ed. Raymond Hickey. 2010. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2013. 48--65.

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2017-12-08 Fri

#3147. 言語における「遺伝的関係」とは何か? (2) [terminology][comparative_linguistics][family_tree][methodology][linguistics][wave_theory][creole][contact][sobokunagimon]

 昨日の記事 ([2017-12-07-1]) に引き続いての話題.言語間の「遺伝的関係」を語るとき,そこにはいかなる前提が隠されているのだろうか.
 その前提は実は論者によって様々であり,すべての言語学者が同意している前提というものはない.しかし,Noonan (50) は「遺伝的関係」が語られる前提として,大きく3種類の態度が区別されるとしている.

 (1) the generational transmission approach.大多数の言語学者が受け入れている,理解しやすい前提であり,それゆえに明示的に指摘されることが最も少ない考え方でもある.この立場にあっては,言語間の遺伝的関係とは,言語的伝統が代々受け継がれてきた歴史と同義である.親が習得したのとほぼ同じ言語体系を子供が習得し,それを次の世代の子供が習得するというサイクルが代々繰り返されることによって,同一の言語が継承されていくという考え方だ.このサイクルに断絶がない限り,時とともに多かれ少なかれ変化が生じたとしても,遺伝的には同一の言語が受け継がれているとみなすのが常識的である.現代英語の話者は,世代を遡っていけば断絶なく古英語の話者へ遡ることができるし,比較言語学の力を借りてではあるが,ゲルマン祖語の話者,そして印欧祖語の話者へも遡ることができる(と少なくとも議論はできる).したがって,現代英語と印欧祖語には,連綿と保持されてきた遺伝的関係があるといえる.

 (2) the essentialist approach.話者の連続的な世代交代ではなく,言語項の継承に焦点を当てる立場である.直接的に遺伝関係のある言語間では,ある種の文法的な形態素や形態統語的特徴が引き継がれるはずであるという前提に立つ.逆にいえば,そのような言語特徴が,母言語と目される言語から娘言語と目される言語へと引き継がれていれば,それは正真正銘「母娘」の関係にある,つまり遺伝的関係にあるとみなすことができる,とする.(1) と (2) の立場は,しばしば同じ分析結果を示し,ともに比較言語学の方法と調和するという共通点もあるが,前提の拠って立つ点が,(1) では話者による言語伝統の継承,(2) ではある種の言語項の継承であるという違いに注意する必要がある.

 (3) the hybrid approach.(1), (2) 以外の様々な考え方を様々な方法で取り入れた立場で,ここでは便宜的に "the hybrid approach" として1つのラベルの下にまとめている.波状理論,現代の比較言語学,クレオール論などがここに含まれる.これらの論の共通点は,少なくともいくつかの状況においては,複数の言語が混合し得るのを認めていることである(上記 (1), (2) の立場は言語の遺伝的混合という概念を認めず,たとえ "mixed language" の存在を認めるにせよ,それを「遺伝関係」の外に置く方針をとる).比較言語学の方法を排除するわけではないが,その方法がすべての事例に適用されるとは考えていない.また,言語は言語項の集合体であるとの見方を取っている.この立場の内部でも様々なニュアンスの違いがあり,まったく一枚岩ではない.

 このように歴史言語学の言説で日常的に用いられる「遺伝的関係」の背後には,実は多くの論点を含んだイデオロギーの対立が隠されているのである.関連して,「#1578. 言語は何に喩えられてきたか」 ([2013-08-22-1]) を参照.混成語の例については,「#1717. dual-source の混成語」 ([2014-01-08-1]) を参照.

 ・ Noonan, Michael. "Genetic Classification and Language Contact." The Handbook of Language Contact. Ed. Raymond Hickey. 2010. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2013. 48--65.

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2017-12-07 Thu

#3146. 言語における「遺伝的関係」とは何か? (1) [terminology][comparative_linguistics][family_tree][methodology][typology][borrowing][linguistics][sobokunagimon]

 歴史言語学において,共通祖語をもつ言語間の発生・発達関係は "genetic relationship" と呼ばれる.本来生物学に属する "genetics" という用語を言語に転用することは広く行なわれ,当然のものとして受け入れられてきた.しかし,真剣に考え出すと,それが何を意味するかは,まったく自明ではない.この用語遣いの背景には様々な前提が隠されており,しかもその前提は論者によって著しく異なっている.この問題について,Noonan (48--49) が比較的詳しく論じているので,参照してみた.今回の記事では,言語における遺伝的関係とは何かというよりも,何ではないかということを明らかにしたい.
 まず力説すべきは,言語の遺伝的関係とは,その話者集団の生物学的な遺伝的関係とは無縁ということである.現代の主流派言語学では,人種などの遺伝学的,生物学的な分類と言語の分類とは無関係であることが前提とされている.個人は,どの人種のもとに生まれたとしても,いかなる言語をも習得することができる.個人の習得する言語は,その遺伝的特徴により決定されるわけではなく,あくまで生育した社会の言語環境により決定される.したがって,言語の遺伝的関係の議論に,話者の生物学的な遺伝の話題が入り込む余地はない.
 また,言語類型論 (linguistic typology) は,言語間における言語項の類似点・相違点を探り,何らかの関係を見出そうとする分野ではあるが,それはあくまで共時的な関係の追求であり,遺伝的関係について何かを述べようとしているわけではない.ある2言語のあいだの遺伝的関係が深ければ,言語が構造的に類似しているという可能性は確かにあるが,そうでないケースも多々ある.逆に,構造的に類似している2つの言語が,異なる系統に属するということはいくらでもあり得る.そもそも言語項の借用 (borrowing) は,いかなる言語間にあっても可能であり,借用を通じて共時的見栄えが類似しているにすぎないという例は,古今東西,数多く見つけることができる.
 では,言語における遺伝的関係とは,話者集団の生物学的な遺伝的関係のことではなく,言語類型論が指摘するような共時的類似性に基づく関係のことでもないとすれば,いったい何のことを指すのだろうか.この問いは,歴史言語学においてもほとんど明示的に問われたことがないのではないか.それにもかかわらず日常的にこの用語が使われ続けてきたのだとすれば,何かが暗黙のうちに前提とされてきたことになる.英語は遺伝的にはゲルマン語派に属するとか,日本語には遺伝的関係のある仲間言語がないなどと言うとき,そこにはいかなる言語学上の前提が含まれているのか.これについて,明日の記事で考えたい.

 ・ Noonan, Michael. "Genetic Classification and Language Contact." The Handbook of Language Contact. Ed. Raymond Hickey. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2010. 2013. 48--65.

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2017-11-30 Thu

#3139. 講座「スペリングでたどる英語の歴史」のお知らせ [notice][spelling][spelling_pronunciation_gap][hel_education][asacul][sobokunagimon]

 来年2018年の1月から3月にかけて,朝日カルチャーセンター新宿教室にて5回にわたる講座「スペリングでたどる英語の歴史」を開講します.
 このテーマを掲げたのは,去る9月に Simon Horobin 著 Does Spelling Matter? の拙訳書『スペリングの英語史』が出版されたこともありますし,先立つ4月に開講した「#2911. 英語史講座第1回「綴字と発音の関係を探る――なぜ doubt に <b> があるのか?」」 ([2017-04-16-1]) でも関心をもたれる方が多かったからです.そして,何よりもこのテーマは,英語史を通観するのにとても優れた視点なのです.スペリングの歴史を通じて,文字論はもとより音韻論,形態論,言語接触,社会言語学,語用論といった多様な角度から,英語史を概観することができます.関心のある方は,是非どうぞ.
 関連して,拙著『英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史』「第2章 発音と綴字に関する素朴な疑問」,および拙著『英語史で解きほぐす英語の誤解 --- 納得して英語を学ぶために』「第6章 英語は日本語と比べて文字体系が単純である」もご参照ください.
 本講座の趣旨と各回で扱う予定の内容は次の通りです.

多くの学習者にとって,英語のスペリングは,不規則で例外ばかりの暗記を強いる存在と映ります.なぜ knight や doubt というスペリングには,発音しない <k>, <gh>, <b> のような文字があるのでしょうか.なぜ color と colour,center と centre のような,不要とも思える代替スペリングがあるのでしょうか.しかし,不合理に思われるこれらのスペリングの各々にも,なぜそのようなスペリングになっているかという歴史的な理由が「誇張ではなく」100%存在するのです.本講座では,英語のたどってきた1500年以上の歴史を参照しながら,個々の単語のスペリングの「なぜ?」に納得のゆく説明を施します.

1. 総論;アルファベットの起源と英語のスペリング
2. 英語初のアルファベット表記 --- 古英語のスペリング
3. 515通りの through --- 中英語のスペリング
4. doubt の <b> --- 近代英語のスペリング
5. color か colour か? --- アメリカのスペリング


 英語のスペリングの理不尽さに「納得のゆく説明」を与えると述べていますが,これは「実用的で役に立つ説明」と同一ではありません.しかし,中長期的にみれば「納得のゆく説明」こそが重要であると考えています.

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2017-11-26 Sun

#3135. -ed の起源 [suffix][preterite][participle][germanic][indo-european][verb][inflection][etymology][reduplication][gothic][grammaticalisation][preterite-present_verb][degemination][sobokunagimon]

 現代英語における動詞の過去(分詞)形を作る接尾辞 -ed は "dental suffix" とも呼ばれ,その付加はゲルマン語に特有の形態過程である(「#182. ゲルマン語派の特徴」 ([2009-10-26-1]) を参照).これによってゲルマン諸語は,語幹母音を変化させて過去時制を作る印欧語型の強変化動詞(不規則変化動詞)と,件の dental suffix を付加する弱変化動詞(規則変化動詞)とに2分されることになった.後者は「規則的」なために後に多くの動詞へ広がっていき,現代英語の動詞形態論にも大きな影響を及ぼしてきた(「#178. 動詞の規則活用化の略歴」 ([2009-10-22-1]),「#764. 現代英語動詞活用の3つの分類法」 ([2011-05-31-1]) を参照).
 現代英語の -ed のゲルマン語における起源については諸説あり,決着がついていない.しかし,ある有力な説によると,この接尾辞は動詞 do と同根ではないかという.しかし,do 自体が補助動詞的な役割を果たすということは認めるにせよ,過去(分詞)の意味がどこから出てくるのかは自明ではない.同説によると,ゲルマン語において do に相当する語幹が,過去時制を作るのに重複 (reduplication) という古い形態過程をもってしたために,同じ子音が2度現われる *dēd- などの形態となった.やがて中間母音が消失して問題の子音が合わさって重子音となったが,後に脱重子音化して,結局のところ *d- に収まった.つまり,-ed の子音は,do の語幹子音に対応すると同時に,それが過去時制のために重複した同子音にも対応することになる.
 では,この説は何らかの文献上の例により支持されるのだろうか.ゴート語に上記の形態過程をうかがわせる例が見つかるという.Lass (164) の説明を引こう.

The origin of the weak preterite is a perennial source of controversy. The main problem is that it is a uniquely Germanic invention, which is difficult to connect firmly with any single IE antecedent. Observing the old dictum ex nihilo nihil fit (nothing is made out of nothing), scholars have proposed numerous sources, none of which is without its difficulties. The main problem is that there are at least three consonantisms: /d/ (Go nasida 'I saved', inf. nasjan), /t/ (Go baúhta 'I bought', inf. bugjan), and /s/ (Go wissa 'I knew', inf *witan).
   But even given this complexity, the most likely primary source seems to be compounding of an original verbal noun of some sort with the verb */dhe:-/ 'put, place, do' (OHG tuon, OE dōn, OCS dějati 'do', Skr dádhati 'he places', L fēci 'I made, did').
   This leads to a useful analysis of a Gothic pret 3 ppl like nasidēdun 'they saved':
   
(7.18) nas - i -dē - d - un
       SAVE-theme-reduplication-DO-3 pl

I.e. a verbal root followed by a thematic connective followed by the reduplicated perfect plural of 'do'. This gives a periphrastic construction with a sense like 'did V-ing'; with, significantly, Object-Verb order . . ., i.e. (7.18) has the form of an OV clause 'NP-pl sav(ing) did'. An extended form also existed, in which a nominalizing suffix */-ti/ or */-tu/ was intercalated between the root and the 'do' form, e.g. in Go faúrhtidēdun 'they feared', which can be analysed as {faúrh-ti-dē-d-un}. This suffix was in many cases later weakened; first the vowel dropped, so that */-ti-d-/ > */-td-/; this led to assimilation */-tt-/, and then eventual reinterpretation of the /t/-initial portion as a suffix itself, and loss of the 'do' part from verbs of this type . . . . The problematic /s(s)/ forms may go back to a different (earlier) development also involving */-ti/, in which the sequence */tt/ > /s(s)/ . . . but this is not clear.


 要するに,-ed 付加の原型は次の通りだ.まず動詞語幹に名詞化する形態操作を施し,いわば動名詞のようなものを作る.その直後に,do の過去形 did のようなものを置いて,全体として「(動詞)の動作を行なった」とする.このようにもともとはOV型の迂言的な統語構造として始まったが,やがて全体がつづまって複合語のようなものとしてとらえられるようになり,形態的な過程へと移行した.この段階に至って,-ed に相当する部分は,語彙的な要素というよりは接尾辞,すなわち拘束形態素と解釈された.一種の文法化 (grammaticalisation) の例とみてよいだろう.
 上の引用で Lass は Go wissa に言及するとともに,最後に /s(s)/ を巡る問題に言い及んでいるが,対応する古英語にも過去現在動詞 wāt の過去形として wiste/wisse があり,音韻形態的に難しい課題を投げかけている.これについては,「#2231. 過去現在動詞の過去形に現われる -st-」 ([2015-06-06-1]) を参照されたい.

 ・ Lass, Roger. Old English: A Historical Linguistic Companion. Cambridge: CUP, 1994.

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2017-11-22 Wed

#3131. 連載第11回「なぜ英語はSVOの語順なのか?(前編)」 [link][notice][word_order][syntax][typology][world_languages][inflection][japanese][rensai][sobokunagimon]

 11月20日付けで,英語史連載企画「現代英語を英語史の視点から考える」の第11回の記事「なぜ英語はSVOの語順なのか?(前編)」が公開されました.英語の語順に関する大きめの話題なので,2回にわたって連載する予定です.今回はその前編となります.
 前編の概要は以下の通りです.日本語と英語における S, V, O の3要素の語順の違いを取っ掛かりとして,言語における「基本語順」に注目します.言語類型論の知見によれば,世界の諸言語における基本語順を調べると,実は日本語型の SOV が最も多く,次いで現代英語型の SVO が多いという分布が明らかとなります.ところが,英語も古英語まで遡ると,SVO のほか,SOV, VSO など様々な語順が可能でした.つまり,現代的な語順決め打ちではなく,比較的自由な語順が許されていたのです.それは,名詞,形容詞,冠詞,動詞などの語尾を変化させる「屈折」 の働きにより,文中のどの要素が主語であるか,目的語であるか等が明確に示され得たからです.語順に頼らずとも,別の手段が用意されていたということになります.要素間の統語関係を標示するのに語順をもってするか,屈折をもってするかは確かに大きな違いではありますが,いずれが優れている,劣っているかという問題にはなりません.現に英語は歴史の過程で語順の比較的自由な言語から SVO 決め打ちの言語へとシフトしてきたわけですが,そのシフト自体を優劣の観点から評価することはできないのです.
 前編の最後では,「なぜ英語はSVOの語順なのか?」という素朴な疑問を,通時的な視点から「なぜ英語は屈折重視型から語順重視型の言語へと切り替わり,その際になぜ基本語順はSVOとされたのか?」とパラフレーズしました.この疑問の答えについては,来月公開の後編にご期待ください.
 SOV, SVO などの語順に関しては,「#137. 世界の言語の基本語順」 ([2009-09-11-1]),「#3124. 基本語順の類型論 (1)」 ([2017-11-15-1]),「#3125. 基本語順の類型論 (2)」 ([2017-11-16-1]),「#3128. 基本語順の類型論 (3)」 ([2017-11-19-1]),「#3129. 基本語順の類型論 (4)」 ([2017-11-20-1]) の記事もどうぞ.

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2017-10-31 Tue

#3109. なぜ -(e)s の付け方と -ing の付け方が綴字において異なるのか? [suffix][spelling][sobokunagimon][3sp][plural][gerund][participle][grahotactics]

 「#3106. なぜ -ed の付け方と -(e)s の付け方が綴字において異なるのか?」 ([2017-10-28-1]) に続いて,こちらも似ているようで完全には平行的でない,2つの屈折接辞の付け方に関する綴字問題.try について,-s は <y> を <ie> に変えた上で付加して tries とするが,-ing の付加はそのままで trying となる.そうかと思えば,die では,-s をそのまま付けて dies とするが,-ing は <ie> を <y> に変えた上で付けるので dying となる.一見不思議な,これらの反対向きの規則については,過去(分詞)の -ed と現在分詞・動名詞の -ing の話しを主としながら,「#3069. 連載第9回「なぜ try が tried となり,die が dying となるのか?」 ([2017-09-21-1]) で考えた.
 Carney (73--74) は,現代英語綴字の本格的な研究書のなかで,McLead による綴字教育のための綴字規則を列挙している.そのうち -(e)s や -ing の付加と直接・間接に関与するものとして以下のものを挙げているので,引用しよう.

Rule VII --- Words ending in 'y' preceded by a vowel simply add 's'.
--- an adaptation rule, presumably to form the plural or 3rd pers. pres. sg.: boy -- boys, say -- says, employ -- employs.
. . . .
Rule IX --- If you want to add other letters to a word ending in 'y' preceded by a consonant change 'y' into 'i'.
--- an adaptation rule; it refers in effect to the corresponding <y>≡/aɪ/ (deny--denial); the restriction 'preceded by a consonant' is intended to rule out betray--betrayal, employ--employer. McLeod points out that it does not apply before <-ing> (denying)
Rule X -- 'i' before another 'i' becomes 'y'.
--- a graphotactic rule; presumably it refers in an oblique way to examples such as die--dying or carrying--carrier--carried; the recent loan-word skiing is an exception.
Rule XI --- Words ending in a hissing sound form their plural by adding 'es' instead of 's'.
--- this has the form of an adaptation rule. It is a recognition that <s>, unlike the <ed> of the past tense, does not represent all the allomorphs /s/, /z/ and /ɪz/ of the plural . . . .


 上記は,-(e)s, -ed, -ing の付け方の規則を共時的に記述しているにすぎず,通時的な観点も含まれていなければ,なぜそうなのかを説明してもいない.「通時的な説明」こそが必要と思われるのだが,あまり見たことがないので,おいおい考えていきたい問題である.

 ・ Carney, Edward. A Survey of English Spelling. Abingdon: Routledge, 1994.
 ・ McLeod, M. E. "Rules in the Teaching of Spelling." Studies in Spelling. Publications of the Scottish Council for Research In Education XL. Ed. H. J. L. Robbie. London: ULP,1961.

Referrer (Inside): [2021-05-12-1] [2019-05-22-1]

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