hellog ラジオ版の第6弾.非常によく尋ねられる素朴な疑問です.確かに go と went では重なるところがまったくないわけで,頭の上にハテナが飛ぶのは無理もないところです.まずは,こちらを聴いてください.
音声でも触れているように,go のような「超」のつく高頻度語には,補充法 (suppletion) をはじめ,とかく不規則なことが起こってしまうものです.これは古今東西の言語で普遍的にみられる現象といえます.
ということは,残念ながらどんな語学も学び始めの時期がとりわけキツいということになります.初級段階でこそ,go -- went のような理不尽な暗記項目がやたらと出てくることになるからです.
では,このようなことがどの言語にも普遍的にみられるというのは,なぜなのでしょうか.その議論も含め関連する記事を集めてみました.関心のる方は##43,1482,764,67,2600,2090,765,3254,694の記事セットをご覧ください.深い(社会)言語学的な背景があることがわかるかと思います.
hellog ラジオ版の第5弾.不規則動詞に関する素朴な疑問は多く寄せられますが,そのなかでも標題の put のような無変化の動詞は,とりわけ異端な雰囲気を放っています.英語には過去形や過去分詞形などいろいろとうるさい変化があって,そのポイントは,原形(現在形)と異なっている点にあったはず.それなのに,なぜ変化しないのか,と二重の憤りをもって突っ込みたくなる気持ちはわかります.
みなさんも put をはじめ,このような異端な動詞をいくつか暗記してきたはずです.put, cut, hit, hurt, let, set, shut, etc. しかし,これらの共通点について考えた人は少ないのではないでしょうか.わりと日常的な動詞が多いという点には気づくと思いますが,音韻形態的な共通点についてどうでしょうか.何となく分かってきましたか? では,音声をどうぞ.
じっくり文章で読んで理解を深めたい方は,ぜひ##1854,1858,3777,3339の記事セットをご覧ください.
日曜日なので気軽に英語史ネタを.ということでhellog ラジオ版の第4弾です.今回は学校文法でも必ず習う,現在完了形と yesterday のような時の副詞との相性の悪さについて,なぜなのかを考えてみました.
英語の(現在)完了というのは,イマイチ理解しにくい文法事項の代表格ですね.現在完了は「?した」とか「?してしまった」と訳すことが多いので,過去と区別がつきにくいのですが,両者は時制・相としてまったく異なるのだと説諭されるわけです.だから,過去の世界に属する yesterday のような時の副詞は,現在完了と同居してはいけないのだと説明を受けるわけですが,やはりよく理解できません.
この問題は,理論的にも厄介で "Present Perfect Puzzle" とも呼ばれています.私たちがピンと来ないのも無理はないといえます.今回の音声でも,スッキリと解決ということにはなりませんので,あしからず.その上で,以下の音声をどうぞ.
今回の内容を含め,そもそも完了形とは何かという問題について詳しく知りたいという方は,ぜひ##2633,2492,2749,534,2750,2763,2747,2490,2634,2635の記事セットをご覧ください.
hellog ラジオ版の第3弾.英語を学んでいる多くの大学生からも質問自体がなるほどと思った,というコメントが寄せられた興味深い素朴な疑問です.私たちは <qu> のスペリングには読むときにも書くときにも頻繁に触れているわけですが,あまりに慣れすぎているために,<q> の後にはほぼ必ず <u> が続くというこの事実に,意識的に気づいたことがあまりなかったのだろうと思います.
6分間の音声にまとめました.以下からどうぞ.
今回は /kw/ という子音連鎖を表わすのにどのようなスペリングをもってするかという話題でしたが,/k/ という1つの子音を表わすにも,英語には <q(u)> だけでなく <c> もあれば <k> もあり,意外とややこしいことになっています.この発展的な問題も含め,今回の内容を文章でじっくり読みたいという方は,ぜひ##3649,1599,2249,2367,1824の記事セットをご覧ください.
今回の疑問のように,当たり前すぎて見過ごしてきた事実は意外に多いものです.このような疑問を発掘するのも,楽しい知的作業です.
標題は「#81. once や twice の -ce とは何か」 ([2009-07-18-1]) を始め「#84. once, twice, thrice」 ([2009-07-20-1]),「#1793. -<ce> の 過剰修正」 ([2014-03-25-1]) で取り上げてきた.先の記事に対して,もう少し正確なところを補足したい.
古英語では,現代英語の once, twice, thrice に対応する「1度」「2度」「3度」の意味は,対応する基数詞の音韻形態的変異版というべき æne, twiga, þrīwa という語によって表わされていた.æne についていえば,この形態は基数詞 ān (one) の具格形に由来する.これらの数の副詞は古英語に始まり,中英語にも受け継がれた.OED より,各々が単独で用いられた最初例と最終例,および語源欄からの記述を引用しよう.
†ene, adv.
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Etymology: Old English ǽne, instrumental case of án one. Compare Middle High German eine.
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OE Beowulf 3019 Ac sceal..oft nalles æne elland tredan.
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c1325 Chron. Eng. in Ritson Met. Rom. II. 304 Ene heo [the Danes] him [Edmund] overcome.
†twie | twye, adv.
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Etymology: Old English twiga, etc. (also twiwa, tuwa, etc.) = Old Frisian twîa, tuiia, Old Saxon tuuio (Middle Low German twie, twige), adverb < stem twi- , TWI- comb. form: compare the etymological note to THRIE adv.
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a900 tr. Bede Eccl. Hist. iv. iv. 278 (Tanner MS.) Þætte twigea on gere seonoð gesomnode.
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a1450 J. Myrc Instr. to Par. Priests 119 Folowe thow not þe chylde twye.
†thrie | thrye, adv.
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Etymology: Old English þríwa, ðríga = Old Frisian thrî(i)a, Old Saxon thrîuuo, thrîio. Like twíwa, etc., not found outside the Saxon-Frisian group of West Germanic, and of obscure formation. They seem to have the form of genitival adverbs, twi-a, þri-a, with the gap between i and a variously filled up by w and g (again lost in Middle English), and lengthened by assimilation to þrí, THREE adj. and n. See further under TWIE adv.
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c950 Lindisf. Gosp. Mark xiv. 30 Ðria [Rushw. ðrige] mec ðu bist onsæcc.
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?a1500 Chester Pl. (Shaks. Soc.) II. 25 Or the cocke have crowen thrye Thou shalte forsake my companye.
このように上記の形態の数の副詞が古英語から中英語まで行なわれていたが,初期中英語期になると,属格語尾に由来する -es を付した現代に連なる形態が初出し,伝統的な -es なしの語形を徐々に置き換えていくことになった.「副詞的属格」 (adverbial_genitive) により,度数を表わす副詞であることをより一層明確に示すための強化策だったのだろう.
中英語では ones, twies, thrise などと s で綴られるのが普通であり,発音としても2音節だったが,14世紀初めまでに単音節化し,後に s の発音が有声化する契機を失った.それに伴って,その無声音を正確に表わそうとしたためか,16世紀以降は <s> に代わって <ce> の綴字で記されることが一般的になった.
以上をまとめると,once, twice, thrice の -ce は副詞的属格の -es に由来すると説明することはいまだ可能だが,「副詞的属格の -es」が喚起するような,実際に古英語で通用されていた -es 付きの表現に直接由来するという説明は適当ではない.古英語期に,副詞としての æne, twiga, þrīwa が行なわれていた土台の上に,初期中英語期にその副詞性を改めて強調するために属格語尾 -es を付した,というのが事実である.
英語教育現場より寄せてもらった素朴な疑問です.確かに他の人称代名詞を考えると,すべて所有格と目的格の形態が異なっています.my/me, your/you, his/him, its/it, our/us, their/them のとおりです.名詞についても所有格と目的格(=通格)は boy's/boy, Mary's/Mary のように原則として異なります.つまり,3人称女性単数代名詞 she は,所有格と目的格の形態が同形となる点で,名詞類という広いくくりのなかでみてもユニークな存在なのです.標題の素朴な疑問は,きわめて自然な問いということになります.
この問いに一言で答えるならば,もともとは異なった形態をとっていたものが,後の音変化の結果,たまたま同形に合一してしまった,ということになります.古い時代の音変化のなせるわざということです.
千年以上前に話されていた古英語にさかのぼってみましょう.her は,すでに当時より,所有格(当時の「属格」)と目的格(当時の「与格」)は hi(e)re という同じ形態を示していました.ということは,この素朴な疑問は英語史の枠内にとどまっていては解決できないことになります.
そこで,古英語よりも古い段階の言語の状態を反映しているとされる英語の仲間言語,すなわちゲルマン語派の諸言語の様子を覗いてみましょう.古サクソン語や古高地ドイツ語では,3人称女性単数代名詞の属格は ira,与格は iru であり,微妙ながらも形態が区別されていました.古ノルド語でも属格は hennar, 与格は henne と異なっていましたし,ゴート語でも同様で属格は izōs, 与格は izai でした.
つまり,古英語よりも古い段階では,3人称女性単数代名詞の属格と与格は,他の代名詞の場合と同様に,区別された形態をとっていたと考えられます.しかし,区別されていたとはいえ語尾の僅かな違いによって区別されていたにすぎず,その部分が弱く発音されてしまえば,区別がすぐにでも失われてしまう可能性をはらんでいました.そして,実際にそれが古英語までに起こってしまっていたのです.
このようにみてくると,現代英語の my/me や your/you 辺りも互いに似通っているので,危ういといえば危ういのかもしれません.実際,速い発音では合一していることも多いでしょう.her に関しては,その危険の可能性が他よりも早い段階で現実化してしまったにすぎません.名詞類全体のなかでも特異な,仲間はずれ的な存在となってしまいましたが,歴史の偶然のたまものですから,彼女のことを優しく見守ってあげましょう.
「手軽に英語史を」というコンセプトで,オンライン授業期の副産物に頼りつつ,戯れに始めている hellog ラジオ版の第2弾です.
今回は「疑問詞は『5W1H』といいますが,なぜ how だけ h で始まるのでしょうか?」という疑問に迫ります.短く収めようと思いつつ話し始めたら止まらなくなって7分17秒に・・・.お手軽感が減じてしまったので,少々ご注意ください.
文章でじっくりと復習および深掘りしたいという方は,ぜひ 関連する##51,3945,184の記事セットをご覧ください.
今回の回答で披露したような「非常識」な視点,つまり現代的な観点からは少数派の 1H が変なのではなく,むしろ 5H こそが変なのだという逆転の発想こそが,英語史のの学びの醍醐味です.今日の常識は昨日の非常識,今日の非常識は昨日の常識.英語史を学んでいると,次々と目から鱗が落ちてきます.
先日披露した hellog ラジオ版の第1弾は「#4075. なぜ大文字と小文字があるのですか? --- hellog ラジオ版」 ([2020-06-23-1]) でした.ぜひそちらもお聴きください.
昨日の記事「#4074. 「素朴な疑問」にひたすら音声で答える英語史の講義を行ないました」 ([2020-06-22-1]) で予告したように,恥を晒して「hellog ラジオ版」をオープンします.
初回となる今回は「なぜ大文字と小文字があるのですか?」という疑問に答えます.2分20秒ほどの音声 (mp3) によるお手軽な話題です.以下よりどうぞ.
皿洗いをしながらでも気軽に聴けるようなコンテンツかと思います.とはいっても,完全な聞き流しをするには濃密なコンテンツかもしれません.深く知りたいと思ったら,やはり文字情報がベストです.じっくりと文章で読みたい方は,hellog より##1309,3668の記事セットをご覧ください.
今後たまに発信していく予定の「hellog ラジオ版」では,新しい話題を提示するというよりも,すでに hellog 本体で扱ってきた話題へと誘う「入り口」を提供することを意識していきます.各メディアの特性を活かして,皆さんの英語史への好奇心を掻き立てることができればと思います.
この4月下旬から5月上旬にかけて,遅れた年度の始まりとなりましたが,大学の初回オンライン授業にて例年通り「英語に関する素朴な疑問」を集めました.結果として,すでに本ブログでも紹介したように「#4045. 英語に関する素朴な疑問を1385件集めました」 ([2020-05-24-1]) という多数の疑問が回収され,ここまで反応してくれた学生に対して少しでも回答を返さなければと焦っていました.
そこで,英語史の講義のまるまる1回分を割いて,先の素朴な疑問に千本ノック風にひたすら答えていくという趣旨のラジオ・コーナー風の音声コンテンツを作り,それを学生に聴いてもらいました.今学期は異常事態ですし,従来の授業方式をいろいろと変えてみたいという事情もありました.
答える方としても緊張感とゲーム性がほしかったので,あらかじめ答えやすい問題を選ぶということはせず,ランダムに疑問がディスプレイに出現するようにし,突如として現われる鋭い(あるいはとんでもない)疑問に対して,鋭い(あるいはとんでもない)コメントをもって矢継ぎ早に答えていくというやり方で実施してみました.同時に,なるべく既存の hellog 記事の内容と引っかける形での回答を心がけました.
結果としては,エキサイティングな体験となりました.講義後のリアクションペーパーによれば,種々の改善すべき点も指摘されましたが,そこそこ楽しく聴いてもらえたようで,やってみて良かったと思っています.(見る方も作る方も)堅苦しくて疲れる動画による講義が続いていたので,息抜き的な位置づけでもありました.
ただし,この調子で1385件に答えていこうとすると,文字通りの千本ノックとなり,少なくとも10年はかかりそうですので,ほどほどにしておきます.ですが,文章という書き言葉で説明する/されるのと,講義,映像,ラジオなどを通じて話し言葉で説明する/されるのとでは,情報の伝わり方がかなり違うようです.私も活字は好きですが,中高生のときに深夜ラジオばかり聴いていたので,耳から入る情報の質と量が侮れないことはよく分かっています.言語学的にも話し言葉と書き言葉の区別について様々に考えてきましたが,両メディアは根本的に伝わり方が違うのです(cf. 「#3886. 話しことばと書きことば (6)」 ([2019-12-17-1]) とそのリンク先の諸記事を参照).
書物の学問も良いですが耳学問もたいへん結構,という考え方ですので,コロナ禍のドサクサに紛れて,恥を晒して「hellog ラジオ版」をオープンしようと思っています.簡易的,導入的なものであれ,音声という取っつきやすいメディアで英語史の情報を発信していけば,戯れに聴いてくれる方もいるのではないかと思ったからです.もっとも,オンライン授業期の副産物という程度の位置づけではありますが.
今後,気が向いたときに英語史の話題に関して数分程度の音声コンテンツを作成し,アップロードするということを試みたいと思います.目下,明日のオープンに向けて準備しているところです.
先に触れた千本ノックの講義後のリアクションペーパーがいろいろな意味で興味深かったので,私のコメントとともにいくつか挙げておきたいと思います.
・ 皿洗いしながら聴きました(←あくまで息抜き企画だったので,実にこういうシーンを想定していました.ながら聴き推奨です,ナイス.)
・ 電車に乗りながら聴きました(←これもありそう)
・ 短くて寝る前に毎日聴けるようなシステム(←かつての深夜ラジオのリスナーとしてよく理解できます)
・ オンライン授業が続いているとPCの画面を見つめる時間がどうしても長くなり,負担が特に目にかかるので音声の資料というのはそういった点でもとてもありがたいです(←この種のコメントは思いのほか多かったです.オンライン授業で学生の皆さんも目がやられているようですね.)
・ この媒体の方がより気軽に hellog の記事について入りやすくなりました(←情報を耳から入れるのを好むタイプの意見でしょうか)
・ 簡単なスライドなどを同時にのせてくれるとやりやすくて嬉しい.例えば,そのときに話しているテーマだけが書いてあるスライドでもよいので.(←文字や映像のほうが情報として頭に入ってきやすいというタイプでしょうか.やはり視覚情報も欲しいという意見は根強く,たくさん寄せられました.hellog 記事へのリンクを張って示すなどの策を講じる予定です.)
・ 自分の抱いた疑問がきちんと届いているのを回答とともに確認できて良かった(←1385件に貢献してくれてありがとう)
・ プロのナレーターではなく hellog 執筆者本人の肉声を聴くことができるのは大変画期的(←これは嬉しいコメント.講義と同様,噛み噛みでろれつの回っていないしゃべりですが,話し手は hellog の書き手と同一人物なので,内容は一致しているはずです.)
・ 他の受講者がどのような疑問を抱いているのかという自分になかった発想を知る機会にもなるし,その疑問についてさらに考えるきっかけにもなり良いなと感じた(←これもとても多かった意見.オンライン授業期で,他の履修者の存在が見えないということも大きいのだろうと想像します.)
・ 基本的には面白かったのですが,ランダムより事前に絞ったほうが,1つ1つについてよく知れ,考えられると思いました(←これも多かった意見.緊張感とゲーム性があったほうが私自身が楽しめると思ったわけなのですが,確かにとんでもない質問もありましたね.話題を選ぶことにします.)
ということで,いろいろなフィードバックをもらいましたので,それを活かす形で,従来の hellog に加えて「hellog ラジオ版」として音声コンテンツも発信していきたいと思います.
英語史の授業で寄せられた素朴な疑問です.さらにいえば,目下世界的な広がりをみせている評語 "Black Lives Matter" (BLM) のような,名詞 life (命)の複数形としての lives も /laɪv/ のように2重母音となり,短母音を示す動詞の live /lɪv/ とは一線を画します.同語源に遡ることが自明と思われるこれらの語が異なる母音を示すのは,いったいなぜなのでしょうか.
動詞 live の生い立ちを見ていきましょう.古英語では,この動詞の不定詞(原形)は libban のように短母音を示していました.子音として v ではなく b を示すというのもおもしろいですね(cf. 「#74. /b/ と /v/ も間違えて当然!?」 ([2009-07-11-1])).もっとも,これは正確にいえば南部系のウェストサクソン方言における形態であり,北部系のアングリア方言では lifian のように f (発音としては /v/)を示していました.それでも問題の母音に注目する限り,動詞形は古英語から現代まで一貫して短母音を示しており,その点では歴史的に何か特別なことが起こってきたわけではありません.少々の音形の変化はありましたが,現代英語の動詞 live /lɪv/ は古英語よりおよそストレートに受け継がれてきたといってよいでしょう.
次に名詞 life /laɪf/ の生い立ちを覗いてみましょう.容易に想像されるとおり,名詞 life と動詞 live はゲルマン祖語のレベルで語根を共有していました.しかし,名詞形は古英語ではすでに長母音を伴って līf /liːf/ と発音されていました.どうやらゲルマン祖語の段階から,名詞と動詞の間に母音の長さの違いがあったようです.この名詞の長母音 /iː/ は,ずっと後の後期中英語から初期近代英語にかけて進行した英語史上著名な大母音推移 (gvs) を経て,規則的に現代英語の2重母音 /aɪ/ に帰結します.この名詞の複数形 lives /laɪvz/ についても,単数形と同じ経路で2重母音を示すに至りましたが,語幹末子音について /f/ から /v/ に有声化している点が注目に値します.この事情については,ここでは深く立ち入りませんが,本記事の次の議論にも関係しますので,ぜひ以下の記事群をお読みください.
・ 「#1365. 古英語における自鳴音にはさまれた無声摩擦音の有声化」 ([2013-01-21-1])
・ 「#1080. なぜ five の序数詞は fifth なのか?」 ([2012-04-11-1])
・ 「#3298. なぜ wolf の複数形が wolves なのか? (1)」 ([2018-05-08-1])
・ 「#3299. なぜ wolf の複数形が wolves なのか? (2)」 ([2018-05-09-1])
・ 「#3300. なぜ wolf の複数形が wolves なのか? (3)」 ([2018-05-10-1])
さて,最後に形容詞 live /laɪv/ の生い立ちです.動詞と名詞が古英語期から用いられていたのとは対照的に,この形容詞は初出が初期近代英語期という,意外と新しい語です.この語は,別の形容詞 alive の語頭から a が落ちてできた形態 (aphaeresis) であり,いわば既存の語のちょっとした省略形という位置づけなのですね.完全形の形容詞 alive と省略形の形容詞 live とでは,用法の棲み分けこそなされているものの,以上のような背景がありますので,現代英語でいずれも同じ音形 /(ə)ˈlaɪv/ を共有していることは不思議ではありません.
ですが,そもそも完全形の alive で2重母音を示すのはなぜでしょうか.これは,alive が語源を遡ると「前置詞 on + 名詞 life」という成り立ちだからです.She is alive. は,いってみれば She is on life. ということなのです.alive の後半部分はしたがって起源的に名詞ですから,先述のように古英語では長母音 /iː/ を示しました.その後,大母音推移を経て /aɪ/ へと帰結したのも,名詞の場合と平行的です.語幹末子音の /f/ から /v/ への有声化も,同じく平行的です.
解説が長くなりましたが,標題の質問に端的に答えるならば次のようになります.そもそも古英語期より,動詞は短母音,名詞は長母音を示しており,音量について差があったということです.音質の変化は多少ありましたが,基本的にはその音量の差が現代まで受け継がれているにすぎない,ということになります.
しかし,live, life, alive という関連語のたどってきた歴史を上のように眺めてきますと,形容詞 alive の語頭音が落ちて形容詞 live が生まれたり,各所で f が v に有声化するなど,注目すべき変化が意外と多く関わっていたことに気づきます.実際,この3語を話題にしてかなりディープな「歴史言語学」を論じることができますし,論じたことがあります.今回の話題に関心をもった方は,ぜひ拙著の「alive の歴史言語学」(あるいは「#2948. 連載第5回「alive の歴史言語学」」 ([2017-05-23-1]) 経由で)をお読みください.
過去2日の記事「#4063. なぜ are はこのスペリングで「エァ」ではなく「アー」と発音するのですか?」 ([2020-06-11-1]),「#4064. なぜ were はこのスペリングで「ウィア」や「ウェア」ではなく「ワー」と発音するのですか?」 ([2020-06-12-1]) に引き続いて,標題の素朴な疑問です.回答の理屈は2つの記事とまったく同じですので,勘の良い読者は想像できるかと思います.
have も超高頻度の機能語ですので,例によって歴史を通じて音形の弱化と強化を繰り返してきました.古英語の不定詞(原形)は habban という形態で,語幹母音は短母音でした(cf. 「#74. /b/ と /v/ も間違えて当然!?」 ([2009-07-11-1]),「#2200. なぜ *haves, *haved ではなく has, had なのか」 ([2015-05-06-1]).しかし,そこで <bb> と表記されていた2重子音は中英語にかけて脱重子音化 (degemination) し,それと連動する形で短かった語幹母音が長化して,[haːvə] のような音形になりました.この長母音が受け継がれていれば,大母音推移 (gvs) を経て,現代では [heɪv] となっていたでしょう.実際,接頭辞 be- を付した behave は,この予想される発音を示します.
しかし,have そのものは超高頻度の機能語です.例の性(さが)により再び弱化し,母音が短化することは避けられませんでした.近代英語以降に [hav] → [hæv] を経て,現在に至ります (cf. 「#3998. なぜ apple の a は普通の「ア」ではなく「エァ」に近い発音なのですか?」 ([2020-04-07-1])) .
are, were, have のいずれにおいても,発音については弱化やら強化やらの変化を経てきましたが,スペリングは中英語期辺りから妙に安定していたというのがミソです.これは超高頻度語の特徴なのかもしれません.関連して「#1024. 現代英語の綴字の不規則性あれこれ」 ([2012-02-15-1]) もどうぞ.
今日を含めた3日間の記事は,Jespersen (1299--30; §4.432) に依拠して執筆しました.
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 1. Sounds and Spellings. London: Allen and Unwin, 1909.
昨日の記事「#4063. なぜ are はこのスペリングで「エァ」ではなく「アー」と発音するのですか?」 ([2020-06-11-1]) に引き続き,類似の問題です.were は,英語の正書法規則に則って発音すれば here, mere, sphere などと脚韻を踏んで [wɪə] となるか,あるいは ere, there, where などと脚韻を踏んで [wɛə] 辺りになりそうですが,実際には [wəː] などと発音されます.これはなぜでしょうか.
これは,昨日の are と同様に were もまた超高頻度の機能語として弱化と強化を繰り返してきた結果として説明されます.対応する古英語の形態は,標準的とされる West-Saxon 方言で wǣre や wǣron でした(cf. 「#2600. 古英語の be 動詞の屈折」 ([2016-06-09-1])).これが中英語にかけて [wæːrə] → [wɛːrə] → [wɛːr] と規則的に発達しました.ここまでは there や where などと同じ経路をたどっています.
しかし,この後 were は袂を分かちます.例の超高頻度の機能語としての性(さが)で,弱化が生じ,母音が短化して [wɛr] となります.ここからは -er をもつ多数の語と足並みを揃えて母音が規則的に発達し,[wə] となりました.現在,弱く発音されるときの発音が,この [wə] です.一方,これをもとに新たに強化(長化)した発音も生まれ,現在の通常の発音 [wəː] が定着したというわけです (Jespersen (130; §4.432)) .
歴史のある段階で were が there や where と袂を分かったと述べましたが,実は必ずしもそうだったわけではありません.袂を分かたずに発達したとおぼしき,there や where と脚韻を踏む [wɛə] の発音も,マイナーとはいえ現在でも行なわれているからです.LPD の Preference poll によると,この発音は,イギリス英語で強形として使用される場合に6%という割合ではありますが,確かに行なわれていることがわかります(←私もイギリス滞在中にこの発音をよく聴きました).
昨日の記事のシメの部分を were に関して繰り返したいと思います.were は,超高頻度の機能語であるがゆえに,歴史を通じて弱化と強化の過程にさらされてきました.様々な形態が現われては消えるというプロセスを繰り返し,結果として,そのなかのいずれかの形態が現代標準英語にまで生き延びてきた,ということになります.場合によっては,実に「ウィア」だったかもしれないのです(「ウェア」は実際に6%の現行発音).現在でも非標準発音を探してみれば,様々な形態が残っているはずです.
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 1. Sounds and Spellings. London: Allen and Unwin, 1909.
・ Wells, J C. ed. Longman Pronunciation Dictionary. 3rd ed. Harlow: Pearson Education, 2008.
be 動詞の are は,英語の正書法規則に則って発音すれば [ɛə] となるはずです.語頭に別の子音(字)を補ってみればわかるとおり,bare, care, dare, fare, hare, mare, rare, ware などではいずれも [ɛə] で脚韻を踏みます.are は超高頻度の単語であり,見慣れても読み慣れてもいるために,普段このスペリングと発音の不規則性には気づきませんが,実はおかしな対応関係になっているのです.今回はこの謎に迫ってみましょう.
are の語源形は,古英語 Anglia 方言の複数形主語に対応する be 動詞の形態 aron (Old Northumbrian) や earun (Old Mercian) にあります.これは古英語で標準的とされた West Saxon 方言などでは用いられなかったので「#2600. 古英語の be 動詞の屈折」 ([2016-06-09-1]) の屈折表には現われていません.古英語の aron や earun は,中英語期に語末音節を弱化させ,are のような形態へと水平化していきました.
中英語でのこの語の発音は,長い語幹母音を示し,語末母音も曖昧母音としてかろうじて生き残っていたと思われます.つまり,/aːrə/ ほどの発音です.その後,もし通常の音発達を遂げていたならば,care が [kaːrə] → [kaːr] → [kɛːr] → [kɛər] → [kɛə] と変化してきたのと平行的に,[aːrə] → [aːr] → [ɛːr] → [ɛər] → [ɛə] となっていたはずです (cf. Minkova 279) .しかし,are に関してはそうはなりませんでした.なぜでしょうか.
それは先にも触れたように are が超高頻度語であり,しかも機能語であるためです.be 動詞を含め助動詞,代名詞,前置詞などの機能語類は,頻用されるため,発音がすり減って弱化しがちです.一方,あまりに弱化しすぎては用を足しませんので,意識的な強化を施して,発音をしっかりしたものに再生させます.この語類は,歴史上頻繁に弱化と強化を繰り返してきました(cf. 「#3713. 機能語の強音と弱音」 ([2019-06-27-1]),「#1198. ic → I」 ([2012-08-07-1]),「#781. How d'ye do?」 ([2011-06-17-1]),「#2077. you の発音の歴史」 ([2015-01-03-1]),「#2076. us の発音の歴史」 ([2015-01-02-1])).
この観点から改めて are の発音の発達をみてみましょう.中英語では [aːrə] → [aːr] まで進みましたが,その後,語幹母音の弱化,もっと具体的にいえば短化が生じ,[ar] となりました.短母音となった以上,長母音のみに作用する近代英語期にかけての大母音推移 (gvs) に突入することもなく,care などとは袂を分かちながら,近代英語期でもこの [ar] を保ち続けました(ただし,長母音形に由来する形態は非標準的には残存し,ain't を生み出したという洞察もあります (Jespersen (130; §4.432))).
近代英語期の [ar] はさらに弱まって,[a] や [ə] となり,これが現在 we're, they're のようにアポストロフィを伴った省略形として綴られる場合の発音に相当します.一方,意識的な強化を経た形態として,単純に母音を長化させた [aːr] が発達しました.これが現在の通常の発音である [ɑə] や [ɑː] に終着しました.
are は,超高頻度の機能語であるがゆえに,歴史を通じて弱化と強化の過程にさらされてきました.様々な形態が現われては消えるというプロセスを繰り返し,結果として,そのなかのいずれかの形態が現代標準英語にまで生き延びてきた,ということになります.場合によっては,実に「エァ」だったかもしれないのです.現在でも非標準発音を探してみれば,様々な形態が残っているはずです.
・ Minkova, Donka. A Historical Phonology of English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2014.
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 1. Sounds and Spellings. London: Allen and Unwin, 1909.
6月6日の朝日新聞朝刊11面の「ことばサプリ」欄に「スピリッツ お酒は魂を帯びている?」という話題が掲載された.英単語 spirit(s) の語誌について,この記事と関連した取材を通じて私も情報を提供したので,その際に調べて考えたことを以下にまとめておきたい. *
英語で spirit といえば,第1義的に「精神,心」や「霊,霊魂」のように肉体に対する精神的なものを指す.そこから精神的な作用である「気分」「元気」「気力」などへ語義が発達していったことは比較的理解しやすいだろう.しかし,主に複数形 spirits で,ウイスキー,ブランデー,ジン,ラムを含むアルコール度数の高い蒸留酒を意味するようになったのは,どういうわけだろうか.
spirit の語源を探ってみよう.その語根はラテン語 spīrāre (息をする)の語根に一致する.ここからさらに印欧祖語 *(s)peis- (吹く)に遡らせる説もあるが,異論もあるようだ.呼吸音を模した擬音語に由来するのかもしれない.ラテン語 spīritus (息)はその名詞だが,ラテン語では後に「精神」を意味するようになり,先にその意味を担っていた animus に取って代わった.
標題の疑問を解くに当たって,このラテン語における「息」から「精神」への意味変化を理解することが大きな鍵となる.背景には,超自然的存在が肉体に spīritus (息)を吹き込むことで,生命が活動を開始するという考え方がある.この場合の超自然的存在が吹きかける「息」とは,OED spirit, n. の筆頭語義に記されている通り "The animating or vital principle in man (and animals); that which gives life to the physical organism, in contrast to its purely material elements; the breath of life." すなわち肉体に精神を注入する生命原理そのものにほかならない.日本語でも「生命の息吹」という通り,「息」は生命の原理そのものであり,その原理を通じて肉体に注入される「精神」自体も,同じ spīritus という語で表わされることになったわけである.
このラテン単語は,古フランス語 (e)spirit などを経由して,14世紀初期に spirit という形態で英語に借用された(したがって現代フランス語や現代英語の esprit は同根語).しかし,借用された当初からすでに「息」や「精神」を擬人化した超自然的存在を指す「神霊, 幽霊, 悪魔,妖精」などの語義でも用いられていたようだ.現代英語で「妖精,小鬼」を意味する sprite/spright は,spirit の異形にほかならない(つまり spirit, esprit, sprite/spright は3重語を形成する).
一方,中世の錬金術 (alchemy) の文脈では,生命の原理たる spirit の原義が,すべての物質の根源となる4原質 four spirits へと応用された.水銀,石黄(砒素),塩化アンモニウム,硫黄の4つである.これらが適切に組み合わさると精気を帯びた物質が生まれるという点では,やはり各々が "the animating or vital principle" ということになる.そして,錬金術の実験 --- 蒸留 --- を通じて具体的に精製されたものの1つが(高濃度の)アルコールだった.蒸留されたアルコール溶液を意味する spirit の英語での初出は,まさに17世紀初頭の Ben Jonson の手になる Alchemist においてである(OED の語義21a).
1612 B. Jonson Alchemist ii. vi. sig. F2, H'is busie with his spirits, but we'll vpon him.
一方,アルコール飲料を意味する語としては,同世紀後半に出版され万人の書となった John Bunyan による The Pilgrim's Progress に初出している(OED の語義21c).
1684 J. Bunyan Pilgrim's Progress 2nd Pt. ii. 67 He gave me also a piece of an Honey-comb, and a little Bottle of Spirits .
こうして,単なる水にアルコールという spirit を注入することで,生き生きとした,人を興奮させる飲み物ができあがり,その飲み物自体も同じ単語で表わされるようになった.
しかし,酒のことを生命が吹き込まれた水とみなす発想は,古く新約聖書の時代からあった.ヨハネ伝にギリシア語で ὕδωρ ζῶν (生命の水)とあり,これがラテン語では aqua vitae と訳された.古英語でも lifes wǣter (life's water) が文証される.フランス語 eau-de-vie,アイルランド語 uisce beatha なども,これのなぞりとみられる.
つまり「酒=生命の水」という発想は,そもそも西洋中世には身近なものとして存在していたのである.その一方で,英語では spirit が生命の原理を表わすもう1つの語として中英語期に取り込まれた.それが,次の初期近代英語期にかけて錬金術の文脈に付され,さらに従来の「酒=生命の水」という発想とも結びつけられることにより,世俗的な「蒸留酒」の語義が誕生したのだろう.
超自然的存在の息,それによって生み出された精神,その具現化である神霊や妖精,諸物質に生命を吹き込む錬金術の原質,そこから精製されたアルコール,そのアルコールを多く含む蒸留酒 --- spirit は千数百年にわたる意味変化の長い旅を続けてきたことになる.最後のものを飲めば「上機嫌である」 (be in high spirits) し,「かなり意気込んで」 (with considerable spirit) 物事にも取りかかることができる.素晴らしきかな spirits.
最後に,日本コカコーラ株式会社のノンアルコール飲料「スプライト」 (Sprite) は,公式HPの情報によると,
「スプライト」の名前の由来は,英語の Spirit(元気の意)と Sprite(妖精)に由来し,炭酸が威勢よくはじける様子,さわやかな透明感などを表現しています.1961年に誕生して以来,その炭酸による刺激と清涼感のあるクリアな味わいが,世界で若者を中心に幅広い層からの支持を集め,現在では190以上の国や地域で販売されているロングセラーブランドです.
とのこと.しっかり語源を押さえられている.意味変化の長い旅の最前線といってよい.
長々と述べてきたが,まとめよう.spirit が「蒸留酒」の語義を獲得した背景には,3つの地下水脈があった.
(1) spirit の原義としての「肉体に精気を吹き込むものとしての超自然的存在の息」
(2) 中世後期の錬金術を通じてアルコールが蒸留・精製された事実
(3) 新約聖書に遡る「酒=生命の水」という古くからの発想
この3つの伏流が17世紀に英語のなかで合流し,「spirit(s) =蒸留酒」として表流化してきたのである.
・ ジョーゼフ T. シップリー 著,梅田 修・眞方 忠道・穴吹 章子 訳 『シップリー英語語源辞典』 大修館,2009年.
・ 寺澤 芳雄(編) 『英語語源辞典』 研究社,1997年.
・ Room, Adrian, ed. NTC's Dictionary of Changes in Meanings. Lincolnwood: NTC, 1991.
英語史の授業の掲示板で,次の質問をいただきました.
花粉症のことを英語で hay fever もしくは,pollen allergies などといいますが(後者はストレートで分かりやすい),私の疑問は,花粉症と発熱がどうしても結びつかないことです.なぜ発熱または熱を表すfeverが付いたのでしょうか.昔は発熱を伴ったのでしょうか.もしくはfeverは熱以外の意味で使われているのでしょうか.
hayはもともと干し草が原因であったためということで理解できます.
今花粉症で鼻水とくしゃみに悩まされています.
よろしくお願いします.
この質問について少し調べてみましたが,残念ながら解決には至っていません.一応の回答をしたので,それをこちらに再現しておきます.
考えたこともなかったですが,確かに,と気付かされる質問でした.私もこの厄介なものを軽く発症することがあります.鼻や目が充血して熱く感じることはありますが,あくまで局所的な発熱で,体全体の発熱には至らないですね.ただし,医学的なことは分からないものの,発熱もマイナーな症状(微熱程度)としてはあるようです.重度の慢性的花粉症患者である家の者にきいてみても,微熱が出たことはあると言っていました.
しかし,そうだとしても,あまりふさわしくない命名であることは確かですね.fever は古英語から一貫して「(発)熱」の意味を保持しており,意味変化の関与もなかったはずです.
花粉が原因であると知られるようになったのは19世紀後半のことのようで,それ以前には誤って枯草熱と称されていました.干し草 (hay) の作業をしている人がよくかかるということから名付けられたようです.OED hay-fever, n. によると,1829年に hay-asthma (cf. フランス語 asthme de foin)とともに hay-fever が使われたとあります.
First described under the name of summer catarrh by Bostock in Trans. Medico-Chirurg. Soc. 1819, X. 161, and 1828, XIV. 437. Gordon in 1829 used the names hay-asthma, hay-fever.
当時,発熱を伴う似たような病気と混同して用いられた可能性もあるかもしれませんが,知る術はありません.回答できるのはここまでです.
どうぞお大事に.
「#4045. 英語に関する素朴な疑問を1385件集めました」 ([2020-05-24-1]) で紹介した通り,この年度初めに大学の英語史関連の授業を通じて,非常に多くの「英語に関する素朴な疑問」を寄せてもらいました.学生のみなさん,改めて協力に感謝します.改めて一覧はこちらです.
これだけ集まったからには,皆さん回答を期待するでしょうし,私も回答する義務を感じています.ですが,さすがの数ではあります.なかには英語史にお任せという質問もあれば,逃げたくなるほどストレートで手強い質問もあります.今後は,限界はあるものの,授業を通じて,あるいは hellog を通じて,ゆっくりと回答していきたいと思っています.むしろ知的好奇心をそそるこれらの「素朴な疑問」を通じて,皆さんも私も一緒に学んでいきましょう,というのが疑問収集のそもそもの趣旨でした.(我慢できない方は,少なからぬ素朴な疑問に対して hellog ですでに回答していますのでこちらをご覧ください.)
「回答する」というと偉そうな言い方ですが,実際にはそこで提案する「回答」らしきものは,すべて英語史・英語学の知見に基づこそすれ私の仮説にすぎません.比較的説得力のある仮説もあれば,根拠の弱い仮説もあるでしょう.私がここかしこでオープンにするのは,あくまでそのような意味での「回答」です.言葉の問題に関しては絶対的な正解などない,というのが私の考え方です.いつしかもっと良い視点や洞察が出ることを期待しての,当面の「回答」です.
読者の皆さんにも私自身にも英語史思考を促すために,本ブログ右欄上部に「今日の素朴な疑問」コーナーを設けました.先の1385件からランダムに選び出された疑問が,毎日ここに掲載されます.ぜひ日々の英語(史)学習のインスピレーションに役立ててもらえればと思います.
年度初めに,大学の英語史関係のいくつかの授業で,履修者に「英語に関する素朴な疑問」を思いつく限り挙げてもらいました.毎年度行なっている恒例のアンケートなのですが,本年度はオンライン授業だったために回答も打ち込みで,手書きよりも楽だからか,驚くほど多くの素朴な疑問(1385件)を回収することができました.このような素朴な疑問は,英語学習・教育上おおいに参考になりますし,英語史研究の刺激剤ともなります.もちろん hellog のネタにもなります.学生のみなさん,ご協力ありがとうございました.この記事でずらっと並べるわけにもいかない数なので,次のページよりご覧ください.
・ 英語に関する素朴な疑問(2020年5月版)の一覧
多人数からの回答をフラットに並べたため,実際には内容的に重なる問いも多くあります.素朴な疑問は広く共有されるものだ,ということかと思います.多くの疑問が英語史・英語学の観点から大まじめに論じられるお題です.
「#1093. 英語に関する素朴な疑問を募集」 ([2012-04-24-1]) でも書きましたし,授業などでも常日頃述べていることですが,英語史や英語学は難しい英文法上の問題を扱うだけではなく,むしろ英語にまつわる当たり前で,他愛もない素朴な問題を真剣に論じる分野でもあります.しかし,何年も英語を学んでいると,初学時に抱いていたような素朴な疑問もたいてい忘れ去られてしまいます.あるいは,そもそも前提として受け入れており,よく考えてみれば不思議であるにもかかわらず疑問を抱きもしなかったという問題も多々あるでしょう.しかし,このような素朴な疑問を改めて思い起こし,あえて引っかかってゆき,大まじめに考察するのが英語史や英語学のおもしろさです.たいてい素朴な疑問であればあるほど答えるのは難しく,それだけ良い問いといえます.英語史や英語学の世界へは,素朴な疑問から入っていくのがお薦めです.(以上の私的な英語史観について「#4021. なぜ英語史を学ぶか --- 私的回答」 ([2020-04-30-1]) もご一読ください).
それにしても,読み物としておもしろい一覧です.みんな英語についてこんなことを考えているのかあと,眺めているだけで脳が活性化されます.
なお,hellog でも数々の素朴な疑問を取り上げてきました.sobokunagimon や「#3677. 英語に関する「素朴な疑問」を集めてみました」 ([2019-05-22-1]) などを覗いてみてください.
本年度より英語の教員となったゼミの卒業生から,標記の素朴な疑問をもらっていました.中学1年生にアルファベットの書き方を教えるに当たって,第1文字から早速ハテナが飛ぶ敏感な生徒もいるのではないか,という問題意識からだと思います.私も深く考えたことはありませんでしたが,以下のような書き方練習のドリルを見てみると,確かに,とうなずける問いです.上段が(印刷用の)活字体,下段が(手書き用の)ブロック体です.
小文字 <a> の字形について,活字体では上部に左向きの閉じていない半ループがみえる <<a>> ("open a") が,ブロック体では円の形に近い <<ɑ>> ("closed a") がそれぞれ用いられます.
ついでにいえば,右端にみえる小文字 <g> についても2つの異なる字形が確認されます.活字体では下のループが閉じた <<g>> ("closed g") となり,ブロック体では下のループの開いている <<ɡ>> ("open g") となります.
他の24文字の小文字については活字体とブロック体の字形にさほど大きな違いはありませんが,この <a> と <g> に関しては看過できない差がみられます.なぜこの2文字には妙な差異が観察されるのでしょうか.
端的に答えれば,それはもととなった書体が異なるからです.活字体の <<a>> は,Roman uncial と呼ばれる書体に端を発し,8世紀のシャルルマーニュの教育改革に際して生み出された Carolingian minuscule と呼ばれる書体を経由して現代に受け継がれた字体です.一方,ブロック体の <<ɑ>> は italic と呼ばれる,中世から近代にかけて生じた別の書体における字形に由来します.
では,活字体はすべて Carolingian minuscule の流れを,ブロック体はすべて italic の流れを汲んでいるかといえば,そうでもありません.<g> についていえば,今度は活字体の <<g>> のほうがむしろ italic の系列に連なり,ブロック体の <<ɡ>> のほうが Carolingian minuscule の字形に近いのです.
活字体,ブロック体,筆記体やコンピュータ上のフォントなど,現代のアルファベットには様々な書体があります.それぞれの書体のたどってきた歴史は非常に複雑で,複数の書体が混じったものや,複数の書体の中間的なものなど,その系譜をまとめようとするとなかなか家系図のように綺麗にはいきません.本格的に作図しようとすれば,ある文字の字形はこっちから,別の文字の字形はあっちから,というような複雑なネットワーク図になるでしょう.活字体やブロック体についても,全体としておおまかな系統はたどれるにせよ,英語アルファベットを構成する26文字の個々の字形については,ときに個別に系統を探る必要が生じるのです.
上記は「#3668. なぜ大文字と小文字の字形で異なるものがあるのですか?」 ([2019-05-13-1]) で展開した議論とほとんど同じです.大文字と小文字で字形の異なる文字がいくつかありますが,これももととなった書体の差異に由来します.歴史的にみれば <<A>>, <<a>> , <<ɑ>> は3つの異なる書体に由来し,<<G>>, <<g>>, <<ɡ>> も同様に3つの異なる書体に由来するということになります(特に <g> のたどった歴史は複雑です.g の記事を参照).
漢字に喩えると分かりやすいでしょうか.「令和」の最初の文字「令」は,楷書体などの主として活字用の書体では最終画が真下に伸びますが,国語の授業で習う手書き用の書体では最終画は斜めとなり,片仮名の「マ」のようになります.属する書体が異なり,辿ってきた歴史が異なるからこそ,字形が多少なりとも異なっているということです.
だとすれば,当初の発問を逆転させて,「なぜ他の24文字については活字体とブロック体の字形が似ているのか」と問い直すほうが,もしかしたらベターなのかもしれません.漢字などに比べればローマ字は単純な幾何学的な字形を示すため,歴史上数々の書体が生み出されてきた過程において字形に何らかの「ひねり」や「変形」が加えられたとしても,認識できないほど異なる字形に変化してしまうことは少なかったのでしょう.異なる書体でも結果としておよそ似ている文字が多いのは,このような事情があったためではないでしょうか.
関連して次の記事もご参照ください.
・ 「#1309. 大文字と小文字」 ([2012-11-26-1])
・ 「#3714. 活字体(ブロック体)と筆記体」 ([2019-06-28-1])
・ 「#3674. Harris のカリグラフィ本の目次」 ([2019-05-19-1])
・ 「#1824. <C> と <G> の分化」 ([2014-04-25-1])
・ 「#1914. <g> の仲間たち」 ([2014-07-24-1])
・ 「#2498. yogh の文字」 ([2016-02-28-1])
大学の英語史の授業のためにオープンしている電子掲示板に,次の質問が書き込まれました.
抗〇〇をあらわす接頭辞の発音
抗生物質,抗体など,抗〇〇をあらわす "anti" -という接頭辞の発音ですが,アンタイ…の場合とアンティ…の場合があります.
例1)抗生物質 antibiotics アンタイバイオティックス
抗生物質の場合,アンタイバイオティックスという発音が多いように思います.
例2)抗体 antibody アンティボディ
昨今の新型コロナウイルスに関する海外メディアの報道でよく耳にする抗体を意味する antibody は,アンティボディーと発音されており,アンタイボディという発音は聞いたことがない気がします.
地域差でもなさそうな気がします.その後に続く単語に引きずられるなどの法則があるのでしょうか.
その後,自分でも調べてみました.一説にはアンタイは米国英語でアンティは英国英語などという主張もあるようですが,CNN の一つのニュースの中でキャスターがアンティバイオティックと発音し,医者がアンタイバイオティックと発音したりしています.究極どっちでもいいということなのでしょうが,気になります.
これについて,必ずしも深く調べたわけではないのですが,次のような回答で返事したので,こちらにも繰り返しておきます.
接頭辞 anti- の異なる発音についての質問をいただきました.
実態はどうなのかその道の専門家に尋ねてみたいところですが,指摘できる大きな傾向としては,イギリス英語では「アンティ」が原則であり,アメリカ英語では「アンティ」も「アンタイ」もあり得るということです.アメリカ英語話者がいずれの発音を取るかは,話者によって,さらにはレジスター(TPO)によっても異なる場合があるのではないかと想像されます.また,個々の単語によっても傾向が異なると思います.言語学の金言の1つに "Every word has its own history." というものがありますが,今回のケースもまさにそれでしょう.
また,世界的にアメリカ英語化の潮流が進んでおり,イギリス英語も例外ではなくそこに巻き込まれているので,イギリス英語話者の口から「アンタイ」が聞こえてきても驚きません.
なお,antinomy, antiphony など接尾辞の第2音節に強勢が落ちる語については,その部分は常に「イ」となります.
本格的に調査するならば,英語諸変種の各々について1つひとつの anti- 語がいかに発音されるか,特に両発音の揺れの分布を調べていくことが必要となりますが,そうなるとなかなか手のかかるプロジェクトです.しかし,素朴な疑問として非常におもしろい問いだと思います.
言語における文法上の性 (grammatical gender) は,それをもたない日本語や英語の話者にとっては実に不可解な現象に映る.しかし,印欧語族ではフランス語,スペイン語,ドイツ語,ロシア語,ラテン語などには当たり前のように見られるし,英語についても古英語までは文法性が機能していた.世界を見渡しても,性をもつ言語は多々あり,4つ以上の性をもつ言語も少なくない.
古英語の例で考えてみよう.古英語では個々の名詞が原則として男性 (masculine),女性 (feminine),中性 (neuter) のいずれかに振り分けられているが,その区分は必ずしも生物学的な性,すなわち自然性 (natural gender) とは一致しない.女性を意味する wīf (形態的には現代の wife に連なる)は中性名詞ということになっているし,同じく「女性」を意味する wīfmann (現代の woman に連なる)はなんと男性名詞である.「女主人」を意味する hlǣfdiġe (現代の lady に連なる)は女性名詞なので安堵するが,無生物であるはずの stān (現代の stone)は男性名詞であり,lufu (現代の love)は女性名詞である.分類基準がよく分からない(cf. 「#3293. 古英語の名詞の性の例」 ([2018-05-03-1])).
古英語の話者を捕まえて,いったいなぜなのかと尋ねることができたとしても,返ってくる答えは「わからない,そういうことになっているから」にとどまるだろう.現代のフランス語話者にも尋ねてみるとよい.なぜ太陽 soleil は男性名詞で,月 lune は女性名詞なのかと.そして,ドイツ語話者にも尋ねてみよう.なぜ逆に太陽 Sonne が女性名詞で,月 Mund が男性名詞なのかと.いずれの話者も納得のいく答えを返せないだろうし,言語学者にも答えられない.
言語の性とは何なのか.私は常々標題のように考えてきた.言語における性とはフェチなのである.もう少し正確にいえば,言語における性とは人間の分類フェチが言語上に表わされた1形態である.
人間には物事を分類したがる習性がある.しかし,その分類の仕方については個人ごとに異なるし,典型的には集団ごとに,とりわけ言語共同体ごとに異なるものである.それぞれの分類の原理はその個人や集団が抱いていた世界観,宗教観,人生観などに基づくものと推測されるが,それらの当初の原理を現在になってから復元することはきわめて困難である.現在にまで文法性が受け継がれてきたとしても,かつての分類原理それ自体はすでに忘れ去られており,あくまで形骸化した形で,この語は男性名詞,あの語は女性名詞といった文法的な決まりとして存続しているにすぎないからだ.
世界観,宗教観,人生観というと何やら深遠なものを想起させるが,そのような真面目な分類だけでなく,ユーモアやダジャレなどに基づくお遊びの分類も相当に混じっていただろう.そのような可能性を勘案すれば,性とはフェティシズム (fetishism),すなわちその言語集団がもっていた物の見方の癖くらいに理解しておくのが妥当だろう.いずれにせよ現在では真には理解できず,復元もできないような代物なのだ.自分のフェチを他人が理解しにくく,他人のフェチを自分が理解しにくいのと同じようなものだ.
言語学用語としての gender を「性」と訳してきたことは,ある意味で不幸だった.英単語 gender は,ラテン語 genus が古フランス語 gendre を経て中英語期にまさに文法用語として入ってきた単語である.genus の原義は「種族,種類」ほどであり,現代フランス語で対応する genre は「ジャンル,様式」である.英語本来語である kind 「種類」も,実はこれらと同根である.確かに人類にとって決して無関心ではいられない人類自身の2分法は男女の区別だろう.最たる gender がとりわけ男女という sex の区別に適用されたこと自体は自然である.しかし,こと言語の議論について,これを「性」と解釈し翻訳してしまったのは問題だった.gender, genre, kind は,もともと男女の区別に限らず,あらゆる観点からの物事の区別に用いられるはずであり,いってみれば単なる「種類」を意味する普通名詞なのである.これを男性と女性(およびそのいずれでもない中性)という sex に基づく種類に限ってしまったために,なぜ「石」が男性名詞なのか,なぜ「愛」が女性名詞なのか,なぜ「女性」が中性名詞や男性名詞なのかという混乱した疑問が噴出することになってしまった.
この問題への解決法は「gender = 男女(中)性の区別」というとらえ方から解放され,A, B, C でもよいし,イ,ロ,ハでもよいし,甲,乙,丙でも何でもよいので,さして意味もない単なる種類としてとらえることだ.古英語では「石」はAの箱に入っている,「愛」はBの箱に入っている等々.なまじ意味のある「男」や「女」などのラベルを各々の箱に貼り付けてしまうから,話しがややこしくなる.
このとらえ方には異論もあろう.上では極端な例外を挙げたものの,多くの文法性をもつ言語で,男性(的なもの)を指示する名詞は男性名詞に,女性(的なもの)を指示する名詞は女性名詞に属することが多いことは明らかだからだ.だからこそ「gender = 男女(中)性の区別」の解釈が助長されてきたのだろう.しかし,それではすべてを説明できないからこそ,一度「gender = 男女(中)性の区別」の見方から解放されてみようと主張しているのである.男女の違いは確かに人間にとって関心のある区別だろう.しかし,過去に生きてきた無数の人間集団は,それ以外にも現在では推し量ることもできないような変わった関心,独自のフェティシズムをもって物事を分類してきたのではないか.それが形骸化したなれの果てが,フランス語,ドイツ語,あるいは古英語に残っている gender ということではないか.
私は gender に限らず言語における文法カテゴリー (category) というものは,基本的にはフェティシズムの産物だと考えている.人類言語学 (anthropological linguistics),社会言語学 (sociolinguistics),認知言語学 (cognitive_linguistics),「サピア=ウォーフの仮説」 (sapir-whorf_hypothesis) などの領域にまたがる,きわめて広大な言語学上のトピックである.
gender の話題ついては,gender の記事群のほか,改めて「言語における性の問題」の記事セットも作ってみた.こちらも合わせてどうぞ.
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