今年度も後期が始まる時期となりました.年度初めの4月に,本ブログでは英語史の学びのモチベーションを高めるキャンペーンを張ったのですが,この学期初めの10月にも,改めて英語史の学びを促すべく広報したいと思います.
まず,私が新年度あるいは新学期の初回の授業で必ず述べることにしている「英語史」の魅力4点を明記します.
--- 英語史の魅力 ---
(1) 英語の見方が180度変わる!
(2) 英語と歴史(社会科)がミックスした不思議な感覚の科目!
(3) 素朴な疑問こそがおもしろい!
(4) 現代英語に戻ってくる英語史
以下に,上記4点とも密接に関わる,英語史の学びに役立つ本ブログからの記事をいくつか紹介します.
・ 「#4358. 英語史概説書等の書誌(2021年度版)」 ([2021-04-02-1]) --- 入門書から専門書までの厳選書誌
・ 「#4359. ぜひ英語史学習・教育のために hellog の活用を!(2021年度版)」 ([2021-04-03-1]) --- この hellog の効果的な使い方の tips
・ 「#4421. 「英語の語源が身につくラジオ」をオープンしました」 ([2021-06-04-1]) --- hellog の音声版というべき「英語の語源が身につくラジオ」 (heldio) を Voicy にて毎日配信中.1本10分未満で英語史の話題をお届けしています.
・ 「#4360. 英単語の語源を調べたい/学びたいときには」 ([2021-04-04-1]) --- 皆が関心をもつ英単語の語源の話題.自らどんどん調べてみてください.
・ 「#4361. 英語史は「英語の歴史」というよりも「英語と歴史」」 ([2021-04-05-1]) --- 上記の魅力 (2) に通じる話です
・ 「#1093. 英語に関する素朴な疑問を募集」 ([2012-04-24-1]) --- 上記の魅力 (3) に通じる話です
・ 「#4389. 英語に関する素朴な疑問を2685件集めました」 ([2021-05-03-1]) --- おびただしい疑問の一覧は直接こちらからどうぞ
・ 「#4545. 「英語はいかにして世界の共通語になったのか」 --- IIBC のインタビュー」 ([2021-10-06-1]) --- 英語史に関する究極の疑問かもしれません.インタビューに基づいたわかりやすい解説になっています.直接こちらからどうぞ.
・ 「なぜ英語史を学ぶのか」の記事セット --- 様々な角度から検討してみました.「英語史って何のため?」 (heldio) でもしゃべっています.
・ 「#4417. 「英語史導入企画2021」が終了しました」 ([2021-05-31-1]) --- 今年度初めに企画した英語史の学びを応援するイベント.すでに終了していますが「英語史コンテンツ」とは何かがよく分かります.
皆さん,今学期も実り多い学びを!
先日,TOEIC 事業などを手がける IIBC (一般財団法人国際ビジネスコミュニケーション協会)の Newsletter 44号のために,標題についてのインタビューを受けました.10月19日が「TOEIC の日」に制定されたそうで,その特別企画としての取材でした.(関係者の皆様,夏の暑い時期でしたが,私の研究室までお運びいただきありがとうございました.)
冊子体でも発行されているのですが,ウェブでも公表されています.こちらよりご一読ください.英語史超入門ともなっています.(ゲルマン語系統図や英語史略年表も,とてもきれいに作っていただきました.あ,それから写真も.)
標題の素朴な疑問への答えはインタビュー記事を読んでいただければ分かるわけですが,かいつまんでいえば英米両国の覇権という社会的な要因がほぼすべてです.英語の語彙が豊かだからとか,文法が簡単だからとか,その他の英語の言語的特質に起因するものでは決してありません.この点は拙著や本ブログでも繰り返し主張してきました.以下は関連する記事群です.
・ 「#1072. 英語は言語として特にすぐれているわけではない」 ([2012-04-03-1])
・ 「#1082. なぜ英語は世界語となったか (1)」 ([2012-04-13-1])
・ 「#1083. なぜ英語は世界語となったか (2)」 ([2012-04-14-1])
・ 「#1607. 英語教育の政治的側面」 ([2013-09-20-1])
・ 「#1788. 超民族語の出現と拡大に関与する状況と要因」 ([2014-03-20-1])
・ 「#2487. ある言語の重要性とは,その社会的な力のことである」 ([2016-02-17-1])
・ 「#2673. 「現代世界における英語の重要性は世界中の人々にとっての有用性にこそある」」 ([2016-08-21-1])
・ 「#2935. 「軍事・経済・宗教―――言語が普及する三つの要素」」 ([2017-05-10-1])
・ 「#3470. 言語戦争の勝敗は何にかかっているか?」 ([2018-10-27-1])
・ 「#4279. なぜ英語は世界語となっているのですか? --- hellog ラジオ版」 ([2021-01-13-1])
インタビューの後半では,むしろ今後英語がどうなっていくのかという問題も熱く論じました.これについては future_of_english の記事群をどうぞ.
NHKラジオ講座「中高生の基礎英語 in English」の10月号のテキストが発売となりました.連載している「英語のソボクな疑問」も第7回となっています.今回の話題は「なぜ know や high には発音されない文字があるの?」です.
英語には綴字では書かれているのに発音されない文字というのがありますね.これは黙字 (silent_letter) と呼ばれ,英語に関する素朴な疑問の定番といってよい話題です.歴史的な由来としてはいろいろなパターンがあるのですが,最も多いのが,かつてはその文字がきちんと発音されていたというパターンです.昔の英語では,know は「クノウ」,high は「ヒーヒ」などとすべて文字通りに発音されていたのが,後に発音の変化により問題の音が消えてしまったというケースが多いのです.その一方で綴字は古いままに据え置かれ,現在までゾンビのように生き残っているというわけです.要するに,綴字が発音の変化に追いついていかなかったという悲劇ですね.
今回の話題と関連して,以下の記事を発展編として読んでみてください.英語の綴字には,本当に黙字が多いです.
・ 「#4164. なぜ know の綴字には発音されない k があるのですか? --- hellog ラジオ版」 ([2020-09-20-1])
・ 「#122. /kn/ で始まる単語」 ([2009-08-27-1])
・ 「#1095. acknowledge では <kn> が /kn/ として発音される」 ([2012-04-26-1])
・ 「#3675. kn から k が脱落する音変化の過程」 ([2019-05-20-1])
・ 「#1290. 黙字と黙字をもたらした音韻消失等の一覧」 ([2012-11-07-1])
・ 「#210. 綴字と発音の乖離をだしにした詩」 ([2009-11-23-1])
・ 「#1195. <gh> = /f/ の対応」 ([2012-08-04-1])
・ 「#2085. <ough> の音価」 ([2015-01-11-1])
・ 「#2590. <gh> を含む単語についての統計」 ([2016-05-30-1])
・ 「#2292. 綴字と発音はロープでつながれた2艘のボート」 ([2015-08-06-1])
先日,ゼミ生より陸上競技などで「残り2周」というのに英語では two laps to go などと言われるのを聞いたということで,to go の用法について質問があった.時間,距離,その他の量などについて「残り○○」として一般に用いられる日常的なフレーズだが,どのような由来なのだろうか.
OED の go, v. を調べてみると,語義 9c の下にこの用法が挙げられていた.挙げられている最初期の3例文とともに,以下に引用する.
c. intransitive. In the infinitive, used as a postpositive clause. Of a period of time: to be left, remain; to be required to elapse. Hence of a quantity of something: to remain to be dealt with.
Earliest in the context of marine racing.
Formally coincident with some uses of sense 2a(b): cf. quot. 1905 at that sense.
1881 'Rockwood' Stories Sc. Sports 91 Fifteen seconds to go, and it is all anxiety. Five seconds gone, and yet she is not there.
1892 J. G. Blaine Let. 26 Feb. in Fur-seal Arbitration: App. Case U.S. before Tribunal I. 354 Our consul at Victoria, telegraphs to-day that there are---Forty-six schooners cleared to date. Six or seven more to go.
1909 H. Sutcliffe Priscilla of Good Intent xvi. 241 There were five minutes to go before the signal for the start.
初例が19世紀後半ということなので,決して古い表現ではない.現代競技スポーツの文脈から生まれた表現と考えてよさそうで,今回のゼミ生の気づきも偶然ではなかったことになる.
go 「行く」という動詞は,古英語期より「(ある時間,距離,量を)進む,経る,踏破する,カバーする」ほどの語義で用いられてきた.例えば,現代英語でも "One of my favorite things to do was ice-skate on the beautiful St. Lawrence river... I'd go for miles and miles." などといえる.この用法の go が時間,距離,量を表わす表現の後ろに形容詞用法の不定詞として置かれ,「残り○○」の慣用表現を形成することになったのだろう.
ちなみに,BNCweb で "_CRD (more)? _NN* to go" と検索してみると422例が挙がってきた.単位の名詞は minutes, hours, days, weeks, months, years などの時間を表わすものが多いが,feet, yards, miles などの距離を表わすもの,また laps, holes, fenses, games などスポーツ競技を連想させるものも散見される.
NHKラジオ講座「中高生の基礎英語 in English」の9月号のテキストが発売となりました.連載している「英語のソボクな疑問」も第6回となりましたが,今回の話題は「なぜ形容詞の比較級には -er と more があるの?」です.
これは素朴な疑問の定番といってよい話題ですね.短い形容詞なら -er,長い形容詞なら more というように覚えている方が多いと思いますが,何をもって短い,長いというのかが問題です.原則として1音節語であれば -er,3音節語であれば more でよいとして,2音節語はどうなのか,と聞かれるとなかなか難しいですね.同じ2音節語でも early, happy は -er ですが,afraid, famous は more を取ります.今回の連載記事では,この辺りの複雑な事情も含めて,なるべく易しく歴史的に謎解きしてみました.どうぞご一読を.
定番の話題ということで,本ブログでも様々な形で取り上げてきました.連載記事よりも専門的な内容も含まれますが,こちらもどうぞ.
・ 「#4234. なぜ比較級には -er をつけるものと more をつけるものとがあるのですか? --- hellog ラジオ版」 ([2020-11-29-1])
・ 「#3617. -er/-est か more/most か? --- 比較級・最上級の作り方」 ([2019-03-23-1])
・ 「#4442. 2音節の形容詞の比較級は -er か more か」 ([2021-06-25-1])
・ 「#3032. 屈折比較と句比較の競合の略史」 ([2017-08-15-1])
・ 「#2346. more, most を用いた句比較の発達」 ([2015-09-29-1])
・ 「#403. 流れに逆らっている比較級形成の歴史」 ([2010-06-04-1])
・ 「#2347. 句比較の発達におけるフランス語,ラテン語の影響について」 ([2015-09-30-1])
・ 「#3349. 後期近代英語期における形容詞比較の屈折形 vs 迂言形の決定要因」 ([2018-06-28-1])
・ 「#3619. Lowth がダメ出しした2重比較級と過剰最上級」 ([2019-03-25-1])
・ 「#3618. Johnson による比較級・最上級の作り方の規則」 ([2019-03-24-1])
・ 「#3615. 初期近代英語の2重比較級・最上級は大言壮語にすぎない?」 ([2019-03-21-1])
・ 「#456. 比較の -er, -est は屈折か否か」 ([2010-07-27-1])
「コーヒー」は coffee /ˈkɒfi/ だけれども,その飲料に含まれる興奮剤の「カフェイン」は caffeine /ˈkæfiːn/ となる.最初の母音(字)が異なるのはなぜだろうか.こんな素朴な疑問が先日ゼミ生から寄せられた.確かになぜだろうと思って調べてみた.
コーヒーは茶やビールなどと並んで世界で広く通用する文化語の1つである.飲用としてのコーヒーが文献上初めて現われるのは,10世紀前後のイスラムの医学書においてである.11世紀にアラブ世界で飲用され始め,13世紀半ばには酒を禁じられているイスラム教徒の間で酒に代わるものとして愛飲されるようになった.その頃から酒の一種の名前を取ってアラビア語で qahwa と呼ばれるようになった.16世紀にトルコのエジプト遠征を機に,この飲料はトルコ語に kahve として入り,1554年にイスタンブールに華麗なコーヒー店 Kahve Khāne が開かれた.
ヨーロッパ世界へのコーヒーの導入は,16世紀後半にトルコを経由してなされた.17世紀になるとヴェネチアやパリなど各地に広まり,イギリスでは1650年にオックスフォードで,1652年にロンドンで最初のコーヒー店がオープンした.政治談義の場としても利用される文化現象としてのコーヒーハウス (coffee house) の誕生である.
さて,飲料としてのコーヒーはこのようにしてイギリスに入ってきたわけだが,それを表わす名前や語形についてはどうだったのだろうか.OED によると,アラビア語 qahwah からトルコ語に kahveh として入った後,イタリア語 caffè を経てヨーロッパ諸言語に借用されたのではないかという.
仮にイタリア語形を基準とすると,前舌母音(字)a が保たれたのが,フランス語 café,スペイン語 café,ポルトガル語 café,ドイツ語 Kaffee,デンマーク語・スウェーデン語の kaffe ということになる.一方,後舌母音(字)をもつ異形として定着したのが,英語 coffee,オランダ語 koffie,古いドイツ語 coffee/koffee,ロシア語 kophe/kopheĭ である.後者の o については,アラビア語やトルコ語の ahw/ahv が示す唇音 w/v が調音点の同化 (assimilation) を引き起こしたものと推測される.Barnhart の語源辞書の記述を参照しよう.
coffee n. 1598 chaoua, 1601 coffe, 1603-30 coffa, borrowed from Turkish kahveh, or directly from Arabic qahwah coffee, originally, wine. Two forms of this word (with a and with o) came into most modern languages about 1600: the first is represented by French, Spanish, and Portuguese café, Italian caffè, German Kaffee, Danish, Norwegian, and Swedish kaffe. The second form is represented by English coffee, Dutch koffie, Russian kofe. The forms with o may have had earlier au (see the earliest English form chaoua), from Turkish -ahv-- or Arabic -ahw-.
OED によると英語での初例は1598年の Chaoua であり,17世紀中にも a をもつ語形が散見される.初期近代英語期の大規模コーパス EEBO で検索しても cahave, kauhi などがわずかではあるが見つかった.しかし,17世紀の早い段階で o をもつ語形にほぼ切り替わったようではある.17世紀前半には coffa が,17世紀後半には coffee が主要形として定着した.
さて,フランス語では café が「コーヒー」のみならず「コーヒー店,カフェ」を意味するが,このフランス語としての単語が,前者の語義で1763年に,後者の語義で1802年に英語に入ってきた.現代英語の cafe /ˈkæfeɪ/ は通常は後者の語義に限定して使われており,日本語でも同様である.
最後に caffeine だが,これは1830年にフランス語 caféine から英語に入ってきた.a をもっているのは,フランス語での語形成だからということになる.
・ Barnhart, Robert K. and Sol Steimetz, eds. The Barnhart Dictionary of Etymology. Bronxville, NY: The H. W. Wilson, 1988.
Shakespeare の語彙の豊かさはつとに知られているが,具体的にいくつの単語を使用しているのだろうか.ある言語の語彙全体にせよ,ある作家の用いている語彙全体にせよ,語彙の規模を正確に計ることは難しい.それは,そもそも数えるべき単位である「語」 (word) の定義が言語学的に定まっていないからである.この本質的な問題については,本ブログでも「語の定義がなぜ難しいか」の記事セットで論じてきた.
それでも,概数でもよいので知りたいというのが人情である.Shakespeare の語彙の豊かさはしばしば桁外れとして言及され,なかば伝説と化している気味もあるが,実際のところ,論者の間で与えられる具体的な数には大きな相違がある.比較的広く知られているのは「3万語程度」という説だろうか.一方,「2万語程度」と見積もる論者も少なくないようである.では,昨日取り上げた Crystal による The Oxford Dictionary of Original Shakespearean Pronunciation (xv) を参考にするとどうなるだろうか.
同辞書が語彙収集の対象としているのは (1) 第1フォリオの全部,および (2) それ以外のソースからの脚韻に関わる語である(つまり,Shakespeare のテキスト全体ではないことに注意).その上で同辞書の見出し語の数を数えると,相互参照を除いて20,672語が挙がってくる..ただし,この中には1,809の固有名詞,495語の外国語単語(ラテン語など),29の "non-sense words",84のフォリオ外からの脚韻語が含まれている.これらを引き算すると,「正規」の語彙は18,255語となる.厳密にいえば,植字上のミスによる語ならぬ語も入っていると思われるし,複合語らきしものを複合語とみなすかどうかという頭の痛い問題もあるが,この数は「2万語程度」説に近いものとして参考になる.
関連して,Shakespeare にまつわる数字については,「#1763. Shakespeare の作品と言語に関する雑多な情報」 ([2014-02-23-1]) も参照.
・ Crystal, David. The Oxford Dictionary of Original Shakespearean Pronunciation. Oxford: OUP, 2016.
NHKラジオ講座「中高生の基礎英語 in English」の8月号のテキストが発刊されました.「英語のソボクな疑問」を連載していますが,今回は第5回となります.話題は「なぜ未来には will を使うの?」です.いつものように中高生の読書向けに,なるべく易しく解説しました.
最も重要なポイントは,英語をはじめとするゲルマン語には,もともと未来時制という時制 (tense) はなかったということです.過去時制と非過去時制の2つしかなく,後者が現在と未来を一手に引き受けていました.一方,古くから希望・意志・義務などを含意する will や shall のような法助動詞 (auxiliary_verb) は存在していました.これらの法助動詞は,使用されているうちに本来の含意が弱まり,単なる未来を表わす用法へと発展していきました.これが近代英語以降に一般的に未来表現のために用いられるようになり,現在に至ります.一見するとこの過程を通じて,過去・非過去の2区分だった英語の時制が過去・現在・未来の3区分に移行したようにみえます.しかし,未来の will/shall は歴史的には新参者にすぎませんので,いまだに英語の時制体系のなかに完全にフィットしているわけではなく,所々にすわりの悪いケースが見受けられるのです.
未来の will が歴史的に出現し定着してきた背景は,英語史では様々に研究されてきています.本ブログでも関連する記事を書いてきましたので,より詳しく専門的に知りたい方は,以下の記事群をお読みください.
・ 「#2208. 英語の動詞に未来形の屈折がないのはなぜか?」 ([2015-05-14-1])
・ 「#2317. 英語における未来時制の発達」 ([2015-08-31-1])
・ 「#2189. 時・条件の副詞節における will の不使用」 ([2015-04-25-1])
・ 「#3692. 英語には過去時制と非過去時制の2つしかない!?」 ([2019-06-06-1])
・ 「#4408. 未来のことなのに現在形で表わすケース」 ([2021-05-22-1])
・ 「#2209. 印欧祖語における動詞の未来屈折」 ([2015-05-15-1])
また,去る7月4日付けの「英語の語源が身につくラジオ」にて,関連する「時・条件の副詞節では未来でも現在形を用いる?」を放送しましたので,そちらの音声解説もお聴きください.
学生から寄せられた,素晴らしい素朴な疑問.なぜ <th> は2文字なのに1つの子音に対応しているのか,なぜ専用の新しい1文字を用意しなかったのか,という問いです.
英語の <th> という綴字,およびそれに対応する発音 /θ, ð/ は,きわめて高頻度で現われます.英語で最高頻度の語である定冠詞 the をはじめ,they, their, that, then, though など,"th-sound" はなかなか厄介な発音ながらも英語のコアを構成する単語によく現われます.英語学習者にとって,攻略しないわけにはいかない綴字であり発音なわけです.("th-sound" については,th の各記事で取り上げてきたので,そちらをご覧ください.)
<th> が表わす無声の /θ/ にせよ有声の /ð/ にせよ,発音としてはあくまで1子音に対応しているわけなので,綴字としても1文字が割り当てられて然るべきだという考え方は,確かに頷けます.1つの子音 /t/ に対して1つの子音字 <t> が対応し,1つの子音 /f/ に対して1つの子音字 <f> が対応するのと同じように,1つの "th-sound" である /θ/ あるいは /ð/ に対して,何らかの1つの子音字が対応していても不思議はないはずです.ところが,この場合にはなぜか <th> と2文字を費やしているわけです.綴り手としては,高頻度語に現われるだけに,<th> を2文字ではなく1文字で書ければずいぶん楽なのに,と思うのも無理からぬことです.
標題の問いがおもしろいのは,英語史上の重要な謎に迫っているからです.実は,古英語・中英語の時代には,ずばり "th-sound" に対応する1つの文字があったのです! 2種類用意されており,1つは "thorn" という名前の文字で <þ> という字形,もう1つは "edh" という名前の文字で <ð> という字形でした.前者は古代のゲルマン諸語が書き記されていたルーン文字 (runic) から流用したものであり,後者はアイルランド草書体 <d> に横棒を付けたものが基になっています.いずれも古英語期には普通に用いられていましたが,中英語期になって <ð> が廃れ,<þ> が優勢となりました.しかし,同じ中英語期にラテン語やフランス語の正書法の影響により,英語の同子音に対して2文字を費やす <th> の綴字も台頭してきました.そして,中英語期の末期には,印刷術の発明と普及に際して <th> が優先的に選ばれたこともあり,1文字の <þ> はついに衰退するに至ったのです.この辺りの経緯については,「#1329. 英語史における eth, thorn, <th> の盛衰」 ([2012-12-16-1]),「#1330. 初期中英語における eth, thorn, <th> の盛衰」 ([2012-12-17-1]) をご参照ください.
標題の素朴な疑問の根底にある問題意識は「なぜ <th> は2文字なのに1つの子音に対応しているのか,なぜ専用の新しい1文字を用意しなかったのか」ということでした.英語史的にみると,実はひっくり返して問う価値のある重要な問題なのです.つまり「"th-sound" に対して古英語・中英語では1文字の <þ>, <ð> がせっかく用意されていたのに,なぜ近代英語期にかけて2文字からなる <th> にわざわざ置き換えられたのか」という疑問となります.
学生から標記の素朴な疑問が寄せられました.確かに2重母音をもつ原形 drive /draɪv/ を念頭に置けば,過去分詞 driven も */ˈdraɪv(ə)n/ となりそうなものですが,正しくは単母音をもつ /ˈdrɪv(ə)n/ となります.ちなみに過去形 drove /droʊv/ も母音の音質こそ交替しますが原形と同じように2重母音をもっています.過去分詞だけが単母音を示すのはなぜなのでしょうか.
英語史の観点からみていきます.古英語では,動詞は屈折(いわゆる活用のこと)の仕方によって様々に分類されていたのですが,この動詞に関していえば強変化第1類というグループに属していました.現代英語では drive(原形)-- drove(過去形)-- driven(過去分詞)と3つの主要形が認められますが,古英語では4つの主要形があり,問題の動詞でいえば drīfan(不定形)-- drāf(第1過去形)-- drifon (第2過去形)-- drifen (過去分詞)のように変化しました(当時 <v> の文字はなく <f> を用いていました),.ここで「第1過去形」と「第2過去形」のような区別があったことに驚くかもしれませんが,この区別は実は be 動詞の was と were に残っています(cf. 「#3812. was と were の関係」 ([2019-10-04-1])).
さて,不定形 drīfan と第1過去形 drāf には母音字の上に横棒(長音記号)が見えますが,この長母音が現代英語における原形 drive の2重母音,および過去形 drove の2重母音に連なります.古英語でも現代英語でも,2モーラの長い音であることに変わりはありません.そして,古英語の過去分詞 drifen の単母音のほうは,そのまま現代まで同じ単母音が保たれて driven となっています.英語の歴史を通じて,1モーラの短い音だったわけです.
強変化第1類に属する drīfan の仲間たちも,基本的には同じような歩みを経て現代に至っています.例えば現代英語の ride -- rode -- ridden, write -- wrote -- written は,古英語では各々 rīdan -- rād -- ridon -- riden, wrītan -- wrāt -- writon -- writen となり,いずれも過去分詞には単母音が現われます.
したがって,標題の素朴な疑問には,次のように答えられるでしょう.古英語の時代から現代に至るまで,drive (および仲間の動詞)については,原形に相当する形態は常に2モーラの長い母音をもっていたが,過去分詞は常に1モーラの短い母音をもっていた,ということです.
ただ,ちょっと気になる問題は残ります.ridden, written については各々 <d>, <t> の子音字が重なっており,それによって前の母音が短い /ɪ/ であることが効果的に示されています.子音字の重なっていない原形の ride, write とは,綴字上あきらかに異なっています.ところが,問題の driven については *drivven とは綴られておらず,あくまで原形 drive に似た driven という綴字です.子音字が重なっていないのです.
これは,英語の正書法には子音字 <v> を重ねることができないという特殊な規則があるからです.本当は重ねて *drivven としたいところですが,この規則ゆえにやむを得ず driven に甘んじている,ということです.では,なぜ <v> は重ねてはいけないのでしょうか.これはなかなか複雑な経緯があり,ここで解説することはできないのですが,もともと <v> は <u> の変異字体として遅れて発達してきたことが関与しています.関連して,ぜひ「#1827. magic <e> とは無関係の <-ve>」 ([2014-04-28-1]),「#4069. なぜ live の発音は動詞では「リヴ」,形容詞だと「ライヴ」なのですか?」 ([2020-06-17-1]) をお読みください.
形容詞・副詞の比較 (comparison) の話題は,本ブログでも様々に扱ってきた.現代英語でも明確に決着のついていない,比較級が -er (屈折比較)か more (句比較)かという問題の歴史的背景については,「#2346. more, most を用いた句比較の発達」 ([2015-09-29-1]),「#2347. 句比較の発達におけるフランス語,ラテン語の影響について」 ([2015-09-30-1]),「#3032. 屈折比較と句比較の競合の略史」 ([2017-08-15-1]),「#3617. -er/-est か more/most か? --- 比較級・最上級の作り方」 ([2019-03-23-1]),「#3703.『英語教育』の連載第4回「なぜ比較級の作り方に -er と more の2種類があるのか」」 ([2019-06-17-1]),「#4234. なぜ比較級には -er をつけるものと more をつけるものとがあるのですか? --- hellog ラジオ版」 ([2020-11-29-1]) などで取り上げてきた.
短い語には -er 語尾をつけ,長い語には more を前置きするというのが原則である.しかし,短くもあり長くもある2音節語については,揺れが激しくてきれいに定式化できない.実際,辞書や文法書をいろいろ繰ってみると,単語ごとにどちらの比較級の形式を取るのか普通なのかについて記述が微妙に異なるのである.今回は,ひとまず LGSWE の §7.7.2 を参照して,2音節の形容詞について考えてみたい.
2音節の形容詞がいずれの比較級の形式を採用するかは,その音韻形態的構成に大きく依存することが知られている.-y で終わるものについては,-er が普通のようだ.例を挙げると,
angry, bloody, busy, crazy, dirty, easy, empty, funny, gloomy, happy, healthy, heavy, hungry, lengthy, lucky, nasty, pretty, ready, sexy, silly, tidy, tiny
-y で終わる形容詞ということでいえば,何らかの接頭辞がついて3音節になっても,比較級に -er をとる傾向がある (ex. unhappier) .英語史の観点からは,250年ほど前には状況が異なっていたらしいことが注目に値する (cf. 「#3618. Johnson による比較級・最上級の作り方の規則」 ([2019-03-24-1])) .
一方 -ly で終わる形容詞は揺れが激しいようで,例えば early の比較級は earlier が普通だが,likely については more likely のほうが普通である.ほかに揺れを示す例としては,
costly, deadly, friendly, lively, lonely, lovely, lowly, ugly
などが挙げられる.同じく揺れを示し得るものとして,以下のように弱音節で終わる2音節の形容詞も挙げておこう.
mellow, narrow, shallow, yellow; bitter, clever, slender, tender; able, cruel, feeble, gentle, humble, little, noble, simple, subtle; sever, sincere; secure, obscure
両方の形式で揺れを示しているということは,一方から他方へと乗り換えが進んでいるということ,つまり変化の最中であることを(確証するわけではないが,少なくとも)示唆する.両形式の競合・併存はかれこれ1000年ほど続いているわけだが,いまだに結論が見えない.
・ Biber, Douglas, Stig Johansson, Geoffrey Leech, Susan Conrad, and Edward Finegan. Longman Grammar of Spoken and Written English. Harlow: Pearson Education, 1999.
NHKラジオ講座「中高生の基礎英語 in English」のテキストにて「英語のソボクな疑問」を連載しています.7月号のテキストが発刊されました.第4回となる今回の話題は「なぜ疑問文に do が現われるの?」です.
be 動詞および助動詞を用いる文は,疑問文を作るのに主語とその(助)動詞をひっくり返して Are you Japanese? とか Can you cook? とかすればよいのですが,その他の一般動詞を用いる文の場合には do (あるいは適宜 does, did)が幽霊のごとく急に現われます.英語初学者であれば,これは何なのだと言いたくなるところですね.
驚くことに,古くは一般動詞も,主語とひっくり返すことにより疑問文を作っていたのです.つまり Do you speak English? ではなく Speak you English? だったわけです.動詞の種類にかかわらず1つのルールで一貫していたので,ある意味で簡単だったことになります.ところが,16世紀以降,初期近代英語期に,一般動詞に関しては do を用いるというややこしい方法が広まっていきます.なぜそのような面倒くさいことが起きたのか,今回の連載記事ではその謎に迫ります.
本ブログでも関連記事を書いてきました.以下の記事,さらにより専門的には do-periphrasis の記事群をお読みください.
・ 「#486. 迂言的 do の発達」 ([2010-08-26-1])
・ 「#491. Stuart 朝に衰退した肯定平叙文における迂言的 do」 ([2010-08-31-1])
一昨日,音声配信プラットフォーム Voicy にて「英語の語源が身につくラジオ」と題するチャンネルをオープンしました.本ブログとも部分的に連携しつつ,英語史に関するコンテンツを広くお届けする試みとして始めました.一昨日,昨日と,10分弱の音声コンテンツを2本配信していますので,そちらをご案内します.
1. 「なぜ A pen なのに AN apple なの?」
2. 「flower (花)と flour (小麦粉)は同語源!」
チャンネル設立の趣旨は,Voicy 公式ページに掲載していますが,以下の通りです.
英語の歴史を研究しています,慶應義塾大学の堀田隆一(ほったりゅういち)です.このチャンネルでは,英語に関する素朴な疑問を入口として,リスナーの皆さんを広く深い英語史の世界に招待します.とりわけ語源の話題が満載です.
英語史と聞くと難しそう!と思うかもしれませんが,心配いりません.実は皆さんが英語に対して日常的に抱いているナゼに易しく答えてくれる頼もしい味方なのです.
なぜアルファベットは26文字なの? なぜ man の複数形は men なの? なぜ3単現の s なんてあるの? なぜ go の過去形は went なの? なぜ英語はこんなに世界中で使われているの?
英語の先生もネイティブスピーカーも辞書も教えてくれなかった数々の謎が,スルスルと解決していく快感を味わってください.ついでに,英語の豆知識を得るにとどまらず,言葉の新しい見方にも気づくことになると思います.
本チャンネルと同じような趣旨で,毎日「hellog?英語史ブログ」を更新しています.合わせてご覧ください.なおハッシュタグの #heldio は,"The History of the English Language Radio" にちなみます.
基本的には,これまで私が本ブログ,著書,雑誌記事,大学教育,公開講座などで一貫して行なってきた「英語史の魅力を伝える」という活動の延長です.メディア,オーディエンス,スタイルは変わるかもしれませんが,この方針は変わりません.
チャンネル設立の背景について,もう少し述べておきたいと思います.昨年度,大学などでオンライン初年度となったことと関連して,通常の文章によるブログ記事の配信に加えて,音声版記事を「hellog ラジオ版」として配信する試みを始めました.主として英語に関する素朴な疑問に答えるという趣旨で,学期中は定期的に,学期外はやや不定期ですが継続してきました.結果として,数分から10分程度の長さの音声コンテンツが62本蓄積されました.
学生などから様々なフィードバックをもらって分かったことは,発音に関するトピックは音声コンテンツのほうが伝わりやすいということです.当たり前といえば当たり前の話しですが,私はナルホドと深くうなずきました.私自身は英語の綴字と発音の関係に大きな関心を寄せており,音声の話題はよく取り上げるのですが,文章ブログでは発音を発音記号で表現しなければならず,実際に口で発音すればすぐに伝わるものが容易に伝わらないもどかしさを,どこかで感じていました.そのような折に,試しに音声コンテンツを作ってみたら,発音の話題と相性が良いという当たり前のことに改めて気づいた次第です.逆に音声メディアでは綴字については語りにくいという側面もあり,一長一短ではあるのですが,従来の文章ベースの本ブログと平行して,音声ベースのブログがあるとよいと考えました.
昨年度は手弁当で「hellog ラジオ版」を作ってきましたが,昨今ウェブ上で音声配信プラットフォームが充実してきているという流れを受け,収録・配信の便を念頭に Voicy を通じて配信することに致しました.
本「hellog?英語史ブログ」では,高度に専門的な話題から中学生も読める話題まで,日々気の向くままに様々なレベルで書いているのですが,音声コンテンツとなると「素朴な疑問」系の話題や単語の語源に関する話題が多くなるかと思います.今後具体的にどのような感じになっていくのかは私も分からないのですが,基本方針としては「英語史に関する話題を広く長く提供し続ける」趣旨で,本ブログの姉妹版のような位置づけとなっていけばよいなと思っています.通称/ハッシュタグを「#heldio」 (= "The History of the English Language Radio") としたのも,本ブログとの連携を念頭に置いた上での命名です.
今後とも,本「hellog?英語史ブログ」と合わせて,「英語の語源が身につくラジオ」のほうもよろしくお願い申し上げます.
英語の名詞複数形に関する素朴な疑問といえば,foot -- feet, child -- children など不規則な複数形にまつわる話題がまず最初に思い浮かびます.foot -- feet についていえば,私自身も本ブログ内でこれでもかというほど繰り返し取り上げてきました(こちらの記事セットを参照).
ところが,中学1年生に英語を教える教育現場より意外な情報が入ってきました.複数形に関する生徒からの質問で最も多かったのは「なぜ -o, -s, -z, -x, -ch, -sh で終わるとき,語尾に -es をつけるのか?」だったというのです.なぜ -s ではなくて -es なのか,という疑問ですね.この情報を寄せてくれたのは英語教員をしている私のゼミ卒業生なのですが,今回の「英語史導入企画2021」のために「複数形は全部 -s をつけるだけなら良いのに!」を作成してくれました.生の教育現場からの問題意識と英語史・英語学研究のコラボといってよいコンテンツです.
名詞の語末音が歯擦音 (sibilant) の場合,具体的には [s, z, ʃ, ʒ, ʧ, ʤ] である場合には,複数形の語尾として -es [-ɪz] を付けるのが原則です.歴史的背景は上記コンテンツで説明されている通りです.もともとの複数形語尾は -s ではなく -es だったのです.したがって「なぜ名詞の語末音が非歯擦音の場合には,もともとの -es が -s になってしまったのか?」という問いを立てるほうが適切ということになります.この新しい問いに対しては,ひとまず「そのような音変化が生じたから」と答えておきます.では,なぜそのような音変化が歯擦音の後位置では生じなかったのでしょうか.これに対して,コンテンツでは次のように回答が与えられています.
中学生への回答として考えられるのは,「発音しにくいから」というものである. -s,-x,-ch,-sh で終わる語の発音は [s], [z], [ʃ], [ʒ], [ʧ], [ʤ] であり,[s] や [z] と同じ摩擦音である.また,[s] や [z] は歯茎音である一方,[ʃ] や [ʒ] は後部歯茎音で,調音位置も非常に近い.これらのよく似た子音を連続して発音するよりも,母音を挟んだ方が発音しやすいため,綴りの e が残ったと考えられる.
「発音の便」説ですね.私自身も基本的にはこれまでこのように答えてきました.確かに英語史を通じて音素配列上避けられてきた子音連鎖であり,説明として分かりやすいからです.ただ,今回改めてこの問題を考える機会を得たので,慎重に考察してみました.
1. 歯擦音+ [s, z] の連鎖が「発音しにくい」といっても,同連鎖は音節をまたぐ環境であれば普通に存在します (ex. this style, these zoos, dish soap, garagesale, watchstrap, page zero) .したがって,調音的な観点から絶対的に「発音しにくい」ということは主張しにくいように思われます.音素配列上,同一音節内で同連鎖が避けられることは事実なので,ある環境において相対的に「発音しにくい」ということは,まだ主張できるかもしれません.ですが,それを言うのであれば,英語として「発音し慣れていない」と表現するほうが適切のように思われます.
2. むしろ聞き手の立場に立ち,問題の子音連鎖が「聴解しにくい」と考えたらどうでしょうか.複数語尾は,英語史を通じて名詞の数 (number) に関する情報を担う重要な形態素でした.同じ名詞のカテゴリーのなかでも,性 (gender) や格 (case) は形態的に衰退しましたが,数に関しては現在まで頑強に生き延びてきました.英語において数は何らかの意味で「重要」のようです.
話し手の立場からすれば,数がいくら重要だと意識していても,問題の子音連鎖は放っておけば調音の同化 (assimilation) の格好の舞台となり,[s, z] が先行する歯擦音に呑み込まれて消えていくのは自然の成り行きです.結果として,数カテゴリーも存続の危機に立たされるでしょう.しかし,聞き手の立場からすれば,複数性をマークする [s, z] に関してはしっかり聴解できるよう,話し手にはしっかり発音してもらいたいということになります.
話し手が同化を指向するのに対して,聞き手は異化 (dissimilation) を指向する,そして言語体系や言語変化は両者の綱引きの上に成り立っている,ということです.この議論でいけば,今回のケースでは,聞き手の異化の効きのほうが歴史的に強かったということになります.昨今,聞き手の役割を重視した言語変化論が存在感を増していることも指摘しておきたいと思います.こちらの記事セットもご覧ください.
さて,今回の「複数形語尾 -es の謎」のなかで,どうひっくり返っても「発音の便」説を適用できないのは,上記コンテンツでも詳しく扱われている通り,-o で終わる名詞のケースです.名詞に応じて -s を取ったり -es を取ったり,さらに両者の間で揺れを示したりと様々です.緩い傾向として,英語への同化度の観点から,同化が進んでいればいるほど -es を取る,という指摘がなされてはことは注目に値します.関連する話題は本ブログでも「#3588. -o で終わる名詞の複数形語尾 --- pianos か potatoes か?」 ([2019-02-22-1]) にて扱っていますので,そちらもどうぞ.
いずれにせよ,実に奥の深い問題ですね.恐るべし中一生.
英語にはややこしい民族名,国民名,言語名が多々あります.民族も国民も言語もたいてい複雑な固有の歴史を背負ってきているので,それを表わす語もややこしくなってしまうのは致し方のないことかもしれません.しかし,標題の2語はそれにしても誤解を招きやすい点では最右翼に位置づけられるペアといってよいでしょう.「#4380. 英語のルーツはラテン語でもドイツ語でもない」 ([2021-04-24-1]) で触れたような誤解が生まれるのも無理からぬことです.
言語の呼称としての German は「ドイツ語」を指します.一方,Germanic は比較言語学的に再建された「ゲルマン(祖)語」 (= Proto-Germanic) を指します.形容詞としては,後者は「ゲルマン(祖)語の」あるいは,このゲルマン(祖)語から派生した一群の言語を指して「ゲルマン語派の」ほどを意味します.
「英語史導入企画2021」より今日紹介するコンテンツは,まさにこの2語のややこしさに焦点を当てた,院生による「A Succinct Account of German and Germanic」です.英語による音声コンテンツとなっています.
英和辞典によると German は「ドイツ人,ドイツ語;ドイツの」ほど,Germanic は「ゲルマン(祖)語;ゲルマン系の,ドイツ的な」ほどとなりますが,すでにこの時点で分かりにくいですね.学習者用英英辞典 OALD8 によると,各々およそ次の通りでした.
German
adjective:
from or connected with Germany
noun:
1 [countable] a person from Germany
2 [uncountable] the language of Germany, Austria and parts of Switzerland
Germanic
adjective:
1 connected with or considered typical of Germany or its people
2 connected with the language family that includes German, English, Dutch and Swedish among others
形容詞としては,"connected with Germany" が共通項となっていますし,やはり分かったような分からないような区別です.
両語の区別を理解する上で参考になるのは各語の初出年です.German の初出は,名詞としては1387年より前,形容詞としては1536年で,そこそこ古いといえますが,Germanic はまず形容詞として1539年に初出し,「ゲルマン(祖)語」を意味する名詞としてはさらに遅く1718年のことです.つまり「ゲルマン(祖)語」の語義は,言語学用語としての後付けの語義だと分かります.
後付けであればこそ,後発の強みを活かして誤解を招かない別の用語を選んでもらいたかったところです.いや,実のところ,比較言語学では「ゲルマン祖語」を指すのに Teutonic (cf. 英語 Dutch, ドイツ語 Deutsch) という別の用語を用いる慣習も古くはあったのです.それだけに,紛らわしい Germanic が結局のところ勝利し定着してしまったことは皮肉と言わざるを得ません.
関連して「#3744. German の指示対象の歴史的変化と語源」 ([2019-07-28-1]) と「#864. 再建された言語の名前の問題」 ([2011-09-08-1]) もご一読ください.
(後記 2021/05/26(Wed):今回紹介した音声コンテンツの文章版が「'German' と 'Germanic' についての覚書」として後日公表されましたので,こちらも案内しておきます.)
「英語史導入企画2021」の一環として,昨日院生よりコンテンツ「なぜ未来のことを表すための文法が will と be going to の二つ存在するのか?」がアップされました.素朴な疑問に答えるコンテンツとして,たいへん丁寧に書かれています.そもそも動詞の未来表現とは何か,現在形や過去形とどう異なるのか,時制 (tense) とは何かといった問題に関心がある方は,ぜひどうぞ.
英語の未来表現といえば will や be going to が思い浮かびますが,実は未来を表わすのに動詞の現在形を用いることもあります.Quirk et al. (§4.94) によると,パターンは4つあります.
1つめは,確定的な未来です.前もって起こることが確実視される物事には現在形を用います.コンテンツ内の The meeting begins at 4:30. は動かしがたい予定である場合に普通に用いられますし,The plane leaves for Ankara at eight o'clock tonight. のようなケースも同様です.さらにバカバカしいほど確定的な Tomorrow is Sunday. なども現在形です(cf. Yesterday was Friday.) .
2つめは,学校文法でいわれる「時・条件の副詞節では未来のことにも現在形を用いる」というケースです.He'll do it if you pay him. や I'll let you know as soon as I hear from her. などにおいて従属節内の動詞は現在形をとっています(ただし主節には 'll (= will) が現われています).
3つめは,2人称代名詞を用いた指示文においては現在形が用いられます.例えば,次のような道案内の文を挙げましょう.You take the first turning on the left past the police station, then you cross a bridge, and bear right until you see the Public Library.
4つめは,本のなかで著者が後で出てくる箇所に言及する場合,In the next chapter we examine in the light of this theory recent economic developments in the Third World. のように現在形を用います.
「未来」のことなのに「現在形」で表わすというのはチグハグのように思われるかもしれませんね.理解しておくべき重要なことは,物理的・認識的な time (時間)と言葉の決まりとしての tense (時制)は,別の概念だということです.両者がピタッと一致することが多いのは確かですが,必ずしも一致しないこともあるということです.言語においては,time と tense をイコールで強く結びつけておかないのが吉です.
英語の未来表現に関する話題としては,主に歴史的な観点から以下の記事もご覧ください.
・ 「#2317. 英語における未来時制の発達」 ([2015-08-31-1])
・ 「#417. 文法化とは?」 ([2010-06-18-1])
・ 「#2208. 英語の動詞に未来形の屈折がないのはなぜか?」 ([2015-05-14-1])
・ 「#3692. 英語には過去時制と非過去時制の2つしかない!?」 ([2019-06-06-1])
・ 「#3718. 英語に未来時制がないと考える理由」 ([2019-07-02-1])
・ 「#2189. 時・条件の副詞節における will の不使用」 ([2015-04-25-1])
・ 「#3693. 言語における時制とは何か?」 ([2019-06-07-1])
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
この新年度に向けて始まったNHKラジオ講座「中高生の基礎英語 in English」のテキストに,英語のソボクな疑問に関する連載記事を寄稿しています.読者層は中高生ですが,それだけに易しくかみくだいて執筆する必要があり,私にとってなかなかの課題です.内容は英語史の超入門です.関心のある方は是非テキストを手にとってみてください.先日6月号のテキストが発刊されました.第3回となる今回の話題は,必殺の「なぜ go の過去形は went になるの?」です.
なぜ go の過去形が *goed ではなく went というまったく異なる形になってしまうのでしょうか.端的に答えれば,語源の異なる類義語 wend の過去形である went が,こともあろうに go の過去形の席に割り込んできたからです.連載記事では用語こそ出していませんが,専門的には補充法 (suppletion) と呼ばれる現象です.どの言語にも観察される現象で,とりわけ超高頻度語に多くみられるという共通の特徴があります.補充法は一見不思議に思われますが,実は言語において理に適っているのです.連載記事では,その辺りを易しく解説しました.
補充法全般,とりわけ go/went の補充法については,本ブログでも様々な形で扱ってきましたので,以下にリンクを張っておきます.一気に読みたい方はこちらの記事セットからどうぞ.
・ 「#43. なぜ go の過去形が went になるか」 ([2009-06-10-1])
・ 「#1482. なぜ go の過去形が went になるか (2)」 ([2013-05-18-1])
・ 「#4094. なぜ go の過去形は went になるのですか? --- hellog ラジオ版」 ([2020-07-12-1])
・ 「#3859. なぜ言語には不規則な現象があるのですか?」 ([2019-11-20-1])
・ 「#764. 現代英語動詞活用の3つの分類法」 ([2011-05-31-1])
・ 「#765. 補充法は古代人の実相的・質的・単一的な観念の表現か」 ([2011-06-01-1])
・ 「#3254. 高頻度がもたらす縮小効果と保存効果」 ([2018-03-25-1])
・ 「#694. 高頻度語と不規則複数」 ([2011-03-22-1])
・ 「#67. 序数詞における補充法」 ([2009-07-04-1])
・ 「#2600. 古英語の be 動詞の屈折」 ([2016-06-09-1])
・ 「#2090. 補充法だらけの人称代名詞体系」 ([2015-01-16-1])
・ 「#1580. 補充法研究の限界と可能性」 ([2013-08-24-1])
目下開催中の「英語史導入企画2021」より今日紹介するコンテンツは,学部生よりアップされた「犬猿ならぬ犬猫の仲!?」です.日本語ではひどく仲の悪いことを「犬猿の仲」と表現し,決して「犬猫の仲」とは言わないわけですが,英語では予想通り(?) cats and dogs だという興味深い話題です.They fight like cats and dogs. のように用いるほか,喧嘩ばかりして暮らしていることを to lead a cat-and-dog life などとも表現します.よく知られた「土砂降り」のイディオムも「#493. It's raining cats and dogs.」 ([2010-09-02-1]) の如くです.
これはこれとして動物に関する文化の日英差としておもしろい話題ですが,気になったのは英語 cats and dogs の語順の問題です.日本語では「犬猫」だけれど,上記の英語のイディオム表現としては「猫犬」の順序になっています.これはなぜなのでしょうか.
1つ考えられるのは,音韻上の要因です.2つの要素が結びつけられ対句として機能する場合に,音韻的に特定の順序が好まれる傾向があります.この音韻上の要因には様々なものがありますが,大雑把にいえば音節の軽いものが先に来て,重いものが後に来るというのが原則です.もう少し正確にいえば,音節の "openness and sonorousness" の低いものが先に来て,高いものが後にくるという順序です.イメージとしては,近・小・軽から遠・大・重への流れとしてとらえられます.音が喚起するイメージは,音象徴 (sound_symbolism) あるいは音感覚性 (phonaesthesia) と呼ばれますが,これが2要素の配置順序に関与していると考えられます.
母音について考えてみましょう.典型的には高母音から低母音へという順序になります.「#1139. 2項イディオムの順序を決める音声的な条件 (2)」 ([2012-06-09-1]) で示したように flimflam, tick-tock, rick-rack, shilly-shally, mishmash, fiddle-faddle, riffraff, seesaw, knickknack などの例が挙がってきます.「#1191. Pronunciation Search」 ([2012-07-31-1]) で ^([BCDFGHJKLMNPQRSTVWXYZ]\S*) [AEIOU]\S* ([BCDFGHJKLMNPQRSTVWXYZ]\S*) \1 [AEIOU]\S* \2$
として検索してみると,ほかにも chit-chat, kit-cat, pingpong, shipshape, zigzag などが拾えます.ding-dong, ticktack も思いつきますね.擬音語・擬態語 (onomatopoeia) が多いようです.
では,これを cats and dogs の問題に適用するとどうなるでしょうか.両者の母音は /æ/ と /ɔ/ で,いずれも低めの母音という点で大差ありません.その場合には,今度は舌の「前後」という対立が効いてくるのではないかと疑っています.前から後ろへという流れです.前母音 /æ/ を含む cats が先で,後母音 /ɔ/ を含む dogs が後というわけです.しかし,この説を支持する強い証拠は今のところ手にしていません.参考までに「#242. phonaesthesia と 遠近大小」 ([2009-12-25-1]) と「#243. phonaesthesia と 現在・過去」 ([2009-12-26-1]) をご一読ください.対句ではありませんが,動詞の現在形と過去形で catch/caught, hang/hung, stand/stood などに舌の前後の対立が窺えます.
さて,そもそも cats and dogs の順序がデフォルトであるかのような前提で議論を進めてきましたが,これは本当なのでしょうか.先に「英語のイディオム表現としては」と述べたのですが,実は純粋に「犬と猫」を表現する場合には dogs and cats もよく使われているのです.英米の代表的なコーパス BNCweb と COCA で単純検索してみたところ,いずれのコーパスにおいても dogs and cats のほうがむしろ優勢のようです.ということは,今回の順序問題は,真の問題ではなく見せかけの問題にすぎなかったのでしょうか.
そうでもないだろうと思っています.18--19世紀の後期近代英語のコーパス CLMET3.0 で調べてみると,cats and dogs が18例,dogs and cats が8例と出ました.もしかすると,もともと歴史的には cats and dogs が優勢だったところに,20世紀以降,最近になって dogs and cats が何らかの理由で追い上げてきたという可能性があります.実際,アメリカ英語の歴史コーパス COHA でざっと確認した限り,そのような気配が濃厚なのです.
「犬猫」か「猫犬」か.単なる順序の問題ですが,英語史的には奥が深そうです.
年度初めに大学の「英語史」の授業にて,履修者から「英語に関する素朴な疑問」をひたすら箇条書きで挙げてもらうことを,毎年の恒例行事としています.本年度もオンライン授業でのオンライン回答だったためか,例年よりも多くの疑問が回収されました.英語史の教育,学習,研究にとって非常に貴重な疑問リストとなります.改めてたくさん寄せてくれた履修者の皆さんに感謝します.
昨年度5月に回収した素朴な疑問は「#4045. 英語に関する素朴な疑問を1385件集めました」 ([2020-05-24-1]) で示した通り1385件を数えましたが,今回はこれに今年度4月に回収したものを加えた計2685件を公開します.以下より一覧をどうぞ.壮観です.
・ 英語に関する素朴な疑問の一覧(2020年度と2021年度の統合版)
2685件といっても素朴な疑問には相当の重複がありますので,実質的には数は減ると思いますが,それにしてもよく集まりました.当初はざっと編集・整理をしようと思っていたのですが,あまりに多いので諦めました.最小限の編集しか加えていません.
こんな質問は思いつきもしなかったと驚くものもあれば,質問の体をなしていない(?)ものもあり,実に雑多ではありますが,眺めているだけでインスピレーションが湧いてくるリストです.皆さんも,この一覧を眺め,様々に「利用」してみてください.
日頃,本ブログでも大学の授業でも強調していることですが,英語史は難しい英文法上の問題を扱うだけではなく,むしろ英語にまつわる当たり前で,他愛もない素朴な問題を真剣に考察し議論する分野でもあります.何年も英語を学んでいると初学時に抱いていたような素朴な疑問はたいてい忘れてしまうものですが,そのような疑問を改めて思い起こし,あえて引っかかってゆき,大まじめに論じるのが英語史の魅力です.たいてい素朴な疑問であればあるほど答えるのは難しく,良問となります.英語史の世界へは,素朴な疑問から入っていくのがお薦めです.
実際,私の学部・大学院の英語史ゼミでは,そんなことを皆で日常的に行ない,盛り上がっています.その成果物は,目下実施中の「#4362. 「英語史導入企画2021」がオープンしました」 ([2021-04-06-1]) で公開中です.直接にはこちらからどうぞ.
「素朴な疑問」と関連して,ぜひ以下の記事もご一読を.
・ 「#1093. 英語に関する素朴な疑問を募集」 ([2012-04-24-1])
・ 「#4052. 「今日の素朴な疑問」コーナーを設けました」 ([2020-05-31-1])
・ 「#3677. 英語に関する「素朴な疑問」を集めてみました」 ([2019-05-22-1])
・ "sobokunagimon" タグの付いた記事一覧
・ 「#4021. なぜ英語史を学ぶか --- 私的回答」 ([2020-04-30-1])
次の各文の赤字の部分をみてください.いずれもその形態だけみれば名詞(句)ですが,文中での働き(統語)をみれば副詞として機能しています.前置詞 (preposition) がついていれば分かりやすい気もしますが,ついていません.形式は名詞(句)なのに機能は副詞というのは何か食い違っているように思えますが,このような例は英語では日常茶飯で枚挙にいとまがありません.
・ I got up at five this morning.
・ Every day they run ten kilometers.
・ He repeated the phrase twice.
・ She lives just three doors from a supermarket.
・ We cook French style.
・ You are all twenty years old.
・ They travelled first-class.
上記のような副詞的に用いられる名詞句は,歴史的には副詞的対格 (adverbial_accusative),副詞的与格 (adverbial dative),副詞的属格 (adverbial_genitive) などと呼ばれます.本ブログでも歴史的な観点から様々に取り上げてきた話題です.
昨日大学院生により公表された「英語史導入企画2021」のためのコンテンツ「先生,ここに前置詞いらないんですか?」は,この問題に英語史の観点から迫った,読みやすい導入的コンテンツです.古英語の事例を提示しながら,最後は「名詞が副詞の働きをするというのは,格変化が豊かであった古英語時代の用法が現代にかすかに生き残ったものなのである」と締めくくっています.
古英語期に名詞(句)が格変化して副詞的に用いられていたものが,中英語期以降に格変化を失った後も化石的に生き残ってきたという説明は,およそその通りだと考えています.一方で,それだけではないとも思っています.とりわけ時間,空間,様態に関わる副詞が,名詞(句)から発達するということは,歴史的な格変化を念頭におかずとも,通言語的にありふれているように思われるからです.日本語の,「昨日」「今日」「明日」「先週」「来年」はもとより「短時間」「半世紀」「未来永劫」や「突然」「畢竟」「誠心誠意」も形態的には典型的な名詞句のようにみえますが,機能的には副詞で用いられることも多いでしょう.
上記コンテンツで例示されているように,古英語には名詞が対格・与格・属格に屈折して副詞として用いられている例は多々あります.しかし,例えば hwīlum ("sometimes, once"; > PDE whilom) などは,語源・形態的には語尾の -um は複数与格を表わすとはいえ,すでに古英語の時点で語彙化していると考えられます.名詞 hwīl (> PDE while) が格屈折したものであるという意識は,古英語話者にすら稀薄だったのではないかと想像されるのです.屈折の衰退を待たずして,古英語期にも名詞由来の hwīlum がすでに副詞として認識されていた(もし仮に認識されることがあったとして)のではないかと思われます.
中英語期以降の格変化の衰退が,現代につながる「副詞的名詞(句)」の拡大に貢献したことは認めつつも,歴史的経緯とは無関係に,時間,空間,様態などを表わす名詞(句)が副詞化する傾向は一般的にあるのではないでしょうか.
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