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japanese - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2025-04-25 15:38

2024-02-18 Sun

#5410. A Dictionary of Japanese Loanwords --- 英語に入った日本語単語の辞書 [review][loan_word][japanese][lexicography][lexicology][false_friend][semantic_change][oed][dictionary]


Toshie M. Evans, ed. ''A Dictionary of Japanese Loanwords''. Westport, Conn.: Greenwood, 1997.



 眺めているだけでおもしろい,決して飽きない辞書の紹介です.Toshie M. Evans 氏により編集された,英語に入った日本語単語を収録する辞書 A Dictionary of Japanese Loanwords です.1997年に出版されています.この hellog でも「#142. 英語に借用された日本語の分布」 ([2009-09-16-1]) で参照した通りですが,820語の日本語由来の「英単語」がエントリーされています.単に見出し語が列挙されているだけでなく,多くの語には,1964年から1995年の間にアメリカで出版された資料から取られた例文が付されており,たいへん貴重です.
 雰囲気を知っていただくために「火鉢」こと hibachi のエントリーを覗いてみましょう.

hibachi [hibɑːtʃi] n. pl. -chi or s, 1. a brazier used indoors for burning charcoal as a source of heat.
In an old-style shop, the selling activity took place in a front room on a tatami (straw mat) platform about one foot above the ground level. Customers removed their shoes, warmed themselves by sitting on the floor next to a hibachi (earthen container with glowing embers) and were served tea and sweets. (Places, Summer 1992, p. 81)
2. a portable brazier with a grill, used for outdoor cooking.
Double stamped steel hibachi, lightweight & portable. Goes with you to the backyard or even the beach for tasty cookouts? (Los Angeles Times, Jul. 7, 1985, Part I, p. 13, advertisement)
[< hibachi < hi fire + bachi < hachi pot] 1874: hebachi 1863 (OED)


 語義1は日本の「火鉢」そのものなのですが,語義2の「バーベキューコンロ」にはたまげてしまいますね.この語とその意味変化については「#4386. 「火鉢」と hibachi, 「先輩」と senpai」 ([2021-04-30-1]) でも扱っているので,ご参照ください.
 日本語から英語に入った借用語に関心のある方は,ぜひ以下の記事もどうぞ.

 ・ 「#126. 7言語による英語への影響の比較」 ([2009-08-31-1])
 ・ 「#45. 英語語彙にまつわる数値」 ([2009-06-12-1])
 ・ 「#2165. 20世紀後半の借用語ソース」 ([2015-04-01-1])
 ・ 「#3872. 英語に借用された主な日本語の借用年代」 ([2019-12-03-1])
 ・ 「#4140. 英語に借用された日本語の「いつ」と「どのくらい」」 ([2020-08-27-1])
 ・ 「#5055. 英語史における言語接触 --- 厳選8点(+3点)」 ([2023-02-28-1])
 ・ 「#5147. 「ゆる言語学ラジオ」出演第3回 --- 『ジーニアス英和辞典』第6版を読む回で触れられた諸々の話題」 ([2023-05-31-1])

 ・ Toshie M. Evans, ed. A Dictionary of Japanese Loanwords. Westport, Conn.: Greenwood, 1997.

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2023-09-14 Thu

#5253. 日英語における「無生物主語構文」の歴史と疑問 [genbunicchi][syntax][style][sobokunagimon][japanese]

 「#5112. 江利川春雄(著)『英語と日本人 --- 挫折と希望の二〇〇年』(筑摩書房〈ちくま選書〉,2023年)」 ([2023-04-26-1]) で紹介した著書に「島崎藤村の英語的文体」と小見出しの立てられた一節がある.言文一致の確立に貢献した藤村の近代的文体について,英語らインスピレーションを受けた表現形式について,次のように述べている (57) .

 藤村は作品の文体を斬新で豊かなものにするために,英語の表現を意識的に移植した.たとえば,『家』(一九一〇)では英語の find oneself にあたる「宿へ戻って,またお種は自分一人を部屋の内に見出した」といった表現を使っている.この作品を英訳した William Naff は,この部分を Returning to the inn, Otane found herself all alone again. と訳している.藤村の原文は,そのまま英文に直訳できたのである.
 日本語にはない「無生物主語構文」も多用されている.たとえば『春』(一九〇八)には「追想は岸本を楽しい高輪の学生時代へ連れて行った」,「絶望は彼を不思議な決心に導いた」といった英語的な文体が登場する.
 無生物主語の使用は藤村にとどまらない.たとえば国木田独歩は『武蔵野』(一八九八)で「その路が君を妙なところへ導く」などの表現を使っている.こうした清新な文体が日本語表現を豊かにし,日本人の間に浸透する.昭和に入ると,藤森成吉の戯曲「何が彼女をそうさせたか」(一九二七)が大評判となり,一九三〇年には映画化されて『キネマ旬報』の優秀映画第一位に輝いた.英訳タイトルは "What made her do it?" で,英語に直訳できた.


 無生物主語構文は,現在の日本語でも英語からの直訳調できざっぽい響きは感じられるものの,英語教育のおかげか,英語普及のたまものか,許容できる表現形式とはなっているといってよいだろう.
 英語史側からの問題は,ここで英語的とされている無生物主語構文は,はたして英語でも古くから普通の表現だったかどうかということである.この観点から英語史を眺めてきたことはなかったため判然としないが,少なくとも印象としては現代英語のようには頻繁に使われていなかったのではないか.本当に「英語的」な表現なのかどうか,この辺りは調べてみたい.

 ・ 江利川 春雄 『英語と日本人 --- 挫折と希望の二〇〇年』 筑摩書房〈ちくま選書〉,2023年.

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2023-05-31 Wed

#5147. 「ゆる言語学ラジオ」出演第3回 --- 『ジーニアス英和辞典』第6版を読む回で触れられた諸々の話題 [yurugengogakuradio][notice][youtube][genius6][suffix][prefix][heldio][voicy][hel_contents_50_2023][khelf][consonant][japanese][loan_word][spelling][terminology]


 「ゆる言語学ラジオ」からこちらの「hellog~英語史ブログ」に飛んでこられた皆さん,ぜひ

   (1) 本ブログのアクセス・ランキングのトップ500記事,および
   (2) note 記事,Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」の人気放送回50選
   (3) note 記事,「ゆる言井堀コラボ ー 「ゆる言語学ラジオ」×「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」×「Voicy 英語の語源が身につくラジオ (heldio)」」
   (4) 「ゆる言語学ラジオ」に関係するこちらの記事群

をご覧ください.



 昨日5月30日(火)に,YouTube/Podcast チャンネル「ゆる言語学ラジオ」の最新回がアップされました.ゲストとして出演させていただきまして第3回目となります(ぜひ第1回第2回もご視聴ください).今回は「英語史の専門家と辞書を読んだらすべての疑問が一瞬で解決した#234」です.



 昨秋出版された『ジーニアス英和辞典』第6版にて,新設コラム「英語史Q&A」を執筆させていただきました(同辞典に関連する hellog 記事は genius6 よりどうぞ).今回の出演はその関連でお招きいただいた次第です.水野さん,堀元さんとともに同辞典をペラペラめくっていき,何かおもしろい項目に気づいたら,各々がやおら発言し,そのままおしゃべりを展開するという「ゆる言語学ラジオ」らしい企画です.雑談的に触れた話題は多岐にわたりますが,hellog や heldio などで取り上げてきたトピックも多いので,関連リンクを張っておきます.

[ 接尾辞 -esque (e.g. Rubenesque, Kafkaesque) ]

 ・ hellog 「#216. 人名から形容詞を派生させる -esque の特徴」 ([2009-11-29-1])
 ・ hellog 「#935. 語形成の生産性 (1)」 ([2011-11-18-1])
 ・ hellog 「#3716. 強勢位置に影響を及ぼす接尾辞」 ([2019-06-30-1])

[ 否定の接頭辞 un- (un- ゾーンの語彙) ]

 ・ hellog 「#4227. なぜ否定を表わす語には n- で始まるものが多いのですか? --- hellog ラジオ版」 ([2020-11-22-1])
 ・ 大学院生による英語史コンテンツ 「#36. 語源の向こう側へ ~ in- と un- と a- って何が違うの?~」(目下 khelf で展開中の「英語史コンテンツ50」より)

[ カ行子音を表わす3つの文字 <k, c, q> ]

 ・ hellog 「#1824. <C> と <G> の分化」 ([2014-04-25-1])
 ・ heldio 「#255. カ行子音は c, k, q のどれ?」 (2022/02/10)

[ 日本語からの借用語 (e.g. karaoke, karate, kamikaze) ]

 ・ hellog 「#4391. kamikazebikini --- 心がザワザワする語の意味変化」 ([2021-05-05-1])
 ・ hellog 「#142. 英語に借用された日本語の分布」 ([2009-09-16-1])
 ・ hellog 「#3872. 英語に借用された主な日本語の借用年代」 ([2019-12-03-1])
 ・ hellog 「#4140. 英語に借用された日本語の「いつ」と「どのくらい」」 ([2020-08-27-1])
 ・ heldio 「#60. 英語に入った日本語たち」 (2021/07/31)

[ 動詞を作る en- と -en (e.g. enlighten, strengthen) ]

 ・ 「#1877. 動詞を作る接頭辞 en- と接尾辞 -en」 ([2014-06-17-1])
 ・ 「#3510. 接頭辞 en- をもつ動詞は品詞転換の仲間?」 ([2018-12-06-1])
 ・ 「#4241. なぜ語頭や語末に en をつけると動詞になるのですか? --- hellog ラジオ版」 ([2020-12-06-1])
 ・ heldio 「#62. enlighten ー 頭にもお尻にも en がつく!」 (2021/08/02)

[ 文法用語の謎:tense, voice, gender ]

 ・ heldio 「#644. 「時制」の tense と「緊張した」の tense は同語源?」 (2023/03/06)
 ・ heldio 「#643. なぜ受動態・能動態の「態」が "voice" なの?」 (2023/03/05)
 ・ hellog 「#1520. なぜ受動態の「態」が voice なのか」 ([2013-06-25-1])
 ・ hellog 「#1449. 言語における「範疇」」 ([2013-04-15-1])

[ minister の語源 ]

 ・ 「#4209. なぜ ministermini- なのに「大臣」なのですか? --- hellog ラジオ版」 ([2020-11-04-1])

[ コラム「英語史Q&A」 ]

 ・ hellog 「#4892. 今秋出版予定の『ジーニアス英和辞典』第6版の新設コラム「英語史Q&A」の紹介」 ([2022-09-18-1])
 ・ heldio 「#532. 『ジーニアス英和辞典』第6版の出版記念に「英語史Q&A」コラムより spring の話しをします」 (2022/11/14)
 ・ hellog 「#4971. oftent は発音するのかしないのか」 ([2022-12-06-1])

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2023-05-26 Fri

#5142. 「ペレヒル」と「十五円五十銭」 [cryptology][sociolinguistics][spanish][haitian_creole][japanese][korean]

 昨日の記事「#5140. shibboleth 「試し言葉」」 ([2023-05-24-1]) で,民族や言語集団を区別する手段としての言語という,言語の負の側面をみた.このような事例は古今東西にみられる.
 本ブログでこれまで何度か参照してきた山本冴里(編)『複数の言語で生きて死ぬ』(くろしお出版,2022年)の第4章 (pp. 61--76) では,この話題が取り上げられている.「ペレヒルと言ってみろ --- 「隔てる」ものとしてのことば」と題する第4章の扉には,次の文が掲げられている.

「われわれの一員」と「排除と虐殺の対象」とを
外見からは判断できないとき,
歴史上幾度も利用されてきたのは,
何らかの言葉を発音させることだった.


 1つ目の例として取り上げられているのは,ドミニカ共和国(公用語はスペイン語)においてハイチ人(ハイチクレール語を母語とする)をあぶり出すために,パセリを意味するスペイン語「ペレヒル」の発音が試し言葉として利用された例である.史実をもとにしたフィクション(舞台は1937年のドミニカとハイチ)のなかで,[r] と [l] の難しい発音の組み合わせを含む「ペレヒル」が踏み絵として用いられる事例が示されている.両音の区別が苦手な日本語母語話者としても背筋が凍る.
 もう1つの例は,むしろ日本語母語話者が朝鮮人を区別するために利用した恐るべき試し言葉である.「十五円五十銭」は,1923年の関東大震災の混乱のなかで朝鮮人が井戸に毒を入れたとの流言蜚語が乱れ飛んだ際に,朝鮮人を識別する踏み絵として利用された.山本 (68--69) は次のように解説する.

 なぜ,このとき,「十五円五十銭」を言わせたのか.ほかの記録には,「十円五十銭」「十五円五十五銭」なども残っている.「ご」「じゅう」は濁音で始まるが,朝鮮語では,語頭は濁らない.さらに,「じゅう」の「じ」は,ザ行だ.ザ行にもっとも近く対応する朝鮮語は,「ㅈ」であり,これはザ行よりもやや口の奥に下を当て,より弾くように発音する音である.結果的には,「じゅう」は,ひらがなで書くならば「ちゅう」のような音で聞こえる.
 関東大震災時の流言蜚語,朝鮮人虐殺と,この「十五円五十銭」については,安田 (2015) が詳細な分析を行い,「語頭に濁音がこないという単なる現象が『発音できない』という否定的言辞と化すのは,区別・識別して『かれら』を析出する必要性が潜在的に存在していたからだろう.そしてこの識別法は朝鮮人虐殺の記憶へとつながっていく」と記す.


 ウチとソトを分ける手段としての言語.優越と劣等を生み出す装置としての言語.言語のもつネガティヴな側面について,改めて考えたい.

 ・ 山本 冴里(編) 『複数の言語で生きて死ぬ』 くろしお出版,2022年.

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2023-05-05 Fri

#5121. 音象徴は言語学では周辺的な位置づけ [link][sound_symbolism][phonaesthesia][onomatopoeia][japanese][contrastive_linguistics][voicy][heldio][khelf][goshosan][masanyan][fujiwarakun][youtube]

 この GW は,Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」にて khelf(慶應英語史フォーラム)協賛の対談企画を展開しています.日々 khelf メンバーが入れ替り立ち替り現われ,落ち着いて対談したり,あるいはパーティのように賑やかに盛り上がったりしています.
 heldio は毎朝6時に更新していますが,今朝公開された最新回は「#704. なぜ日本語には擬音語・擬態語が多いのか? --- 森田まさにゃん,五所さん,藤原くんと音象徴を語る爆笑回」です.音象徴 (sound_symbolism) をめぐって4人が賑やかに雑談しています.



 この回は,一昨日の放送回「#702. いいネーミングとは? --- 五所万実さん,藤原郁弥さん,まさにゃんとの対談」の続編でもありますので,ぜひそちらもお聴きください.
 今回取り上げた音象徴は,常に人気のある話題です.日本語生活においてオノマトペ (onomatopoeia) はとても身近ですし,日常的な商標などに反映されている音のイメージの話題も関心を引きます.しかし,音象徴は,その話題性の高さとは裏腹に,言語学においては周辺的な存在とみられることが多いのです.なぜかというと,音「象徴」という呼び名が示唆するとおり,そこに意味があるのかないのかよく分からない,微妙な位置づけだからです.普遍的なような,それでいて恣意的なような・・・.
 音象徴について本ブログでも様々に取り上げてきましたが,今回は heldio 対談という形で,この魅力的な話題に4人で再訪した次第です.
 以下に,今回の出演者3名のプロフィールページへのリンクを張っておきます.

 ・ 五所万実さん(目白大学): https://researchmap.jp/mamg
 ・ 「まさにゃん」こと森田真登さん(武蔵野学院大学): https://note.com/masanyan_frisian/n/n01938cbedec6
 ・ 藤原郁弥さん(慶應義塾大学大学院生): https://sites.google.com/view/drevneanglijskij-jazyk/home

 雑談の最後に触れられている,まさにゃんによる YouTube チャンネル「まさにゃんチャンネル【英語史】」の2.4万回再生を誇る人気動画「語源で学ぶ英単語?【st, fl, sw, sp, gl】」では,英語における音象徴の興味深い事例が取り上げられています.ぜひこちらもご視聴ください.


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2023-02-28 Tue

#5055. 英語史における言語接触 --- 厳選8点(+3点) [contact][loan_word][borrowing][latin][celtic][old_norse][french][dutch][greek][japanese][link]

 英語が歴史を通じて多くの言語と接触 (contact) してきたことは,英語史の基本的な知識である.各接触の痕跡は,歴史の途中で消えてしまったものもあるが,現在まで残っているものも多い.痕跡のなかで注目されやすいのは借用語彙だが,文法,発音,書記など語彙以外の部門でも言語接触のインパクトがあり得ることは念頭に置いておきたい.
 英語の言語接触の歴史を短く要約するのは至難の業だが,Schneider (334) による厳選8点(時代順に並べられている)が参考になる.

 ・ continental contacts with Latin, even before the settlement of the British Isles (i.e., roughly between the second and fourth centuries AD);
 ・ contact with Celts who were the resident population when the Germanic tribes crossed the channel (in the fifth century and thereafter);
 ・ the impact of Latin through Christianization (beginning in the late sixth and seventh centuries);
 ・ contact with Scandinavian raiders and later settlers (between the seventh and tenth centuries);
 ・ the strong exposure to French as the language of political power after 1066;
 ・ the massive exposure to written Latin during the Renaissance;
 ・ influences from other European languages beginning in the Early Modern English period; and
 ・ the impact of colonial contacts and borrowings.


 よく選ばれている8点だと思うが,私としてはここに3点ほど付け加えたい.1つは,伝統的な英語史では大きく取り上げられないものの,中英語期以降に長期にわたって継続したオランダ語との接触である.これについては「#4445. なぜ英語史において低地諸語からの影響が過小評価されてきたのか?」 ([2021-06-28-1]) やその関連記事を参照されたい.
 2つ目は,上記ではルネサンス期の言語接触としてラテン語(書き言葉)のみが挙げられているが,古典ギリシア語(書き言葉)も考慮したい.ラテン語ほど目立たないのは事実だが,ルネサンス期以降,ギリシア語の英語へのインパクトは大きい.「#516. 直接のギリシア語借用は15世紀から」 ([2010-09-25-1]) および「#4449. ギリシア語の英語語形成へのインパクト」 ([2021-07-02-1]) を参照.
 最後に日本語母語話者としてのひいき目であることを認めつつも,主に19世紀後半以降,英語が日本語と意外と濃厚に接触してきた事実を考慮に入れたい.これについては「#126. 7言語による英語への影響の比較」 ([2009-08-31-1]),「#2165. 20世紀後半の借用語ソース」 ([2015-04-01-1]),「#3872. 英語に借用された主な日本語の借用年代」 ([2019-12-03-1]),「#4140. 英語に借用された日本語の「いつ」と「どのくらい」」 ([2020-08-27-1]) を参照.
 Schneider の8点に,この3点を加え,私家版の厳選11点の完成!

 ・ Schneider, Edgar W. "Perspectives on Language Contact." Chapter 13 of English Historical Linguistics: Approaches and Perspectives. Ed. Laurel J. Brinton. Cambridge: CUP, 332--59.

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2022-12-21 Wed

#4986. 日本語で増えてきている感嘆符 [exclamation_mark][punctuation][japanese][history_of_japanese]

 12月12日の朝日新聞の「番外天声人語」にて,日本語における感嘆符 (exclamation_mark) の頻用が議論されていた.たいへんおもしろかったので抜粋して引用する.  *

 これから日本語の世界で感嘆符がより存在感を増すかもしれない.
 . . . .
成蹊大の大橋崇行・准教授(43)によると,日本で感嘆符が盛んに使われ始めたのは1887(明治20)年あたりから.とりわけ若手の人気作家だった山田美妙(びみょう)が駆使した.当時は!に定訳がなく,美妙は「ホコ」と呼んだとか.
 . . . .
 代表作『蝴蝶(こちょう)』と『いちご姫』を読んでみた.迎え!良心!思わぬ!どうしたら!擁護擁護!たしかに感嘆符が多すぎる.しかも打ち方に規則性がなく,物語のヤマ場では乱れ打ちも.読みながらやや目に疲れを覚えた.
 そんな美妙にも節度はあった.1マスに打つのは1個まで.手もとの小説に!!は見られない.若き作家が感嘆符を広めて約135年.もしいま,わがスマホの画面を飛び交う!の山を見たらいかに驚くことか!!!


 日本語における感嘆符の使用について『句読点,記号,符号活用辞典』で調べてみたが,ますますおもしろい.詳しくは『辞典』の (pp. 32--35) を見て欲しいのだが,この辞典の素晴らしさを知ってしまった.感嘆符(エクスクラメーションマーク,エクスクラメーションポイント,びっくりマーク,雨だれ,しずく)の使用法のポイントの部分を抜き出して以下に引用する.

[1] 欧文の句読点の1つ.文末や間投詞に付けて,声や感情の高まりを表す.
   (A) その言葉が声を高めて発せられたことを表す.
   (B) 感嘆文の末尾に付ける.
   (C) 命令文,また,禁止・警告などを表す文言の末尾に付けて,強い命令・禁止・警告を表す.
   (D) 平叙文の末尾や間投詞などに付けて,感動・詠嘆・興奮・驚き・怒りなど,書き手や作中人物の感情・思い入れを表す.
   (E) 擬声語などに付けて,音や動きを強調する."Bang!" など.
   (F) 広告・宣伝文,新聞・雑誌の見出しなどで,その事柄を強く押しだし,強調する.
[2] 和文で,[1] と同様に用いる.明治20(1887)年ごろから使われだした.
   (A) その言葉が声を高めて発せられたことを表す.
   (B) 感動・詠嘆・興奮・驚き・怒り・焦燥・断定など,書き手や作中人物の感情・思い入れを強調する.
   (C) 音響,速い動き,動揺などを表す擬声語・擬態語に付けて,音や動きを強調する.
   (D) 広告・宣伝文,標語,新聞・雑誌の見出しなどで,その事柄を強く押しだし,強調する.「世紀の巨編 いよいよ完成!」「忽ち増刷!」「××法改悪反対!」など.
[3] 文中の語句のあとに挿入して,驚き・皮肉などの気分を表す.( )に入れて挿入するが,( )なしでそのまま挿入することもある.
[4] 小説・漫画などで,会話のカギかっこや吹き出しの中に感嘆符だけ示して,驚きなどの気持ちの表現とする.
[5] 多く,三角形のなかに「!」を描いて,注意を呼びかけるマークとする.道路標識(本標識)では,「その他の危険」を表す警戒標識.
[6] 商標・商品名などの要素として文字列に付けて使われる."YAHOO!®" など.
[7] 数学で,「n!」と標記して階乗を表す.1から n までの連続する自然数をすべて掛け合わせる.「5!」 (=5×4×3×2×1) など.
[8] チェスの棋譜で,好手を表す.

 補注
 1 強調形として「!!」(二重感嘆符),「!!!」(三重感嘆符)も使われる.
 2 疑問府を感嘆符を合わせて「抑揚符」ともいう.


 「番外天声人語」と『句読点,記号,符号活用辞典』を通じて,西洋語由来の感嘆符について学ぶことが多かった.感嘆符の話題と関連して「#574. punctuation の4つの機能」 ([2010-11-22-1]) や「#3891. 現代英語の様々な句読記号の使用頻度」 ([2019-12-22-1]) も参照.

 ・ 小学館辞典編集部(編) 『句読点,記号,符号活用辞典』 小学館,2007年.

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2022-10-21 Fri

#4925. ローマ字表記の揺れと英語スペリング慣れ [romaji][spelling][japanese][writing][register]

 先日の「#4905. 「愛知」は Aichi か Aiti か?」 ([2022-10-01-1]) と関連して,今朝の朝日新聞朝刊2面で「いちからわかる! ローマ字のつづり方複数あるの?」と題する2種類のローマ字の解説が掲載されていた.記事によると「小学校の国語では,内閣告示をふまえて訓令式を中心に学ぶ.でも,パスポートの表記や道路標識など社会生活では,英語に近いヘボン式が多く見られる.文化庁が9月末に発表した2021年度の国語に関する世論調査で,地名などをローマ字で書くならどれ?と聞くと,ヘボン式が浸透している言葉が多かった.ただ,訓令式が多く選ばれる言葉もあったんだ.」とある.
 先々週のある授業で,この話題を取り上げて議論した.受講生にいくつかの日本地名のローマ字書きについて尋ねたところ,興味深いことに文化庁の世論調査と同様に,個人によって揺れがあるようだということが分かった.私自身は○○とつづるのが普通だと思っていたのに,△△とつづる人もけっこういるのだなと気づき,なかなかフレッシュな経験だった.
 Aiti/Aichi, Gihu/Gifu, Uzi/Uji, Akasi/Akashi, Atugi/Atsugi, Gosyogawara/Goshogawara, Tanba/Tamba のような訓令式とヘボン式の差異について,自身のつづり方を振り返り,自己分析してもらった.おもしろい分析が出たのでいくつか紹介しよう.

 ・ 個人的には sho ではなく syo を使う.もしかしたらその原因は syo という文字列を英語で見ることがないので,ti と違って英語の発音が心の中で干渉してこないという事情があるのかもしれない.
 ・ 意識的にか無意識にかはわからないが,表記される語が使用される状況などを考慮してしまうのではないか.例えば,「抹茶」は観光客向けに用いられることが多いだろうから,ローマ字で書くとなった時に英語(=ヘボン式)をより意識する可能性があると思った.
 ・ 個人としては,Tamba (丹波)以外は書くときもキーボードを打つときもすべてヘボン式だったので,なぜなのだろうと考えてみた.おそらく chi や shi, sho などは,英単語の中でも目にする機会が多く,頭の中で英語風に自動変換しやすくなっているのだと感じる.一方で「たんば」や「てんぷら」の「ん」という音を m と自動変換できるほどには英語脳になっておらず,あくまで日本人の感覚の音基準でローマ字を書いていそうだ.
 ・ パソコンでの文字入力の際には,「ち」は英語的な「chi」と入力するのに対して,「しょ」は日本語的(?)な「syo」と打つのが多数派であった.この一音一音での違いはどのような原因によって生じるものなのかが非常に気になった.
 ・ 授業内でも話題に出ていたが,それを読まれることを意識して書くかということも大きく影響すると感じた.ローマ字をローマ字として表記する場合は日本語母語話者ではない人(主に英語話者)を想定するので,書く場合はヘボン式で書くことが多いように感じる.一方,パソコンで打つ場合など実際の表記が表に出ない場合はヘボン式と訓令式を混在して使っているように思う.

 どうやらローマ字表記の揺れのには,個人の英語経験や習慣から社会的配慮に至るまで様々な要因が絡んでいそうである.とりわけ英語のスペリングへの慣れに基づく干渉という要因は注目に値する.
 言語使用の variation を議論するのに良いお題だったので,ぜひ皆さんも議論を.

Referrer (Inside): [2023-02-07-1]

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2022-10-01 Sat

#4905. 「愛知」は Aichi か Aiti か? [romaji][spelling][japanese][writing][register]

 今日の朝日新聞朝刊(13版35面)に「Aichi それとも Aiti ローマ字つづり方混在 文化庁が整理検討」と題する記事が掲載されている.30日,文化庁より2021年度の「国語に関する世論調査」が発表された.「令和3年度「国語に関する世論調査」の結果について」 (PDF) より閲覧できる.
 今回の調査結果のなかで目を引くのが,第3章の「ローマ字表記に関する意識」についてである.日本語のローマ字表記に関するいくつかの質問が立てられているのだが,「明石」「愛知」などをどのようにローマ字表記するかというアンケート結果がおもしろかった.
 例えば「明石」の場合,Akashi が75.4%,Akasi が23.3%となっている.いわゆる「ヘボン式」と「訓令式」の違いだが,少数派である後者による表記はとりわけ70歳以上で41%と高い値を示しているという.「愛知」については Aichi が88.0%,Aiti が10.8%となり,ここでもヘボン式が優勢である.
 ところが「五所川原」になると,訓令式の Gosyogawara が54.8%,ヘボン式 Goshogawara が43.9%となり,形勢が逆転しているのがおもしろい.さらに「抹茶」の混乱ぶりも興味深い.ヘボン式の matcha と maccha がそれぞれ32.4%,12.1%,訓令式 mattya が23.6%だという.ヘボン式は緩く「英語式」と捉えてよいが,英語における <tch> の綴字については「#4033. 3重字 <tch> の分布と歴史」 ([2020-05-12-1]),「#4034. 3重字 <tch> の綴字に貢献した Caxton」 ([2020-05-13-1]) で英語史の観点から論じたことがある.
 「どのローマ字表記を使うか」という質問の回答結果を読み解くと,全体の趨勢としては訓令式よりもヘボン式が優勢であるといえそうだ.日本語母語話者が用いるローマ字表記としては,日本語の音韻体系に寄り添った訓令式のほうが規則的で例外が少なく馴染みやすいというのが理屈上の議論なのだが,実際のところは英語教育などを通じて英語の綴字に慣れ親しんでいる人が多いからだろうか,ヘボン式への傾斜が今回確認されたことになる.
 日本語のローマ字表記については,日本語音韻体系あるいは英語綴字体系との親和性という音韻論・綴字論の観点から,訓令式とヘボン式(とその他)のいずれが好ましいかという議論がなされてきた.しかし,より重要な論点は,どのような機会に日本語がローマ字表記されるのか,という社会語用論的な文脈にあると私は考えている.
 日本語を理解しないインバウンド訪問者を念頭に日本語をローマ字表記するという場面であれば,国際語である英語に寄り添ったヘボン式を用いるほうが伝わりやすいことが多いだろう.しかし,日本語母語話者が日本語をタイピングする際にローマ字を用いるという場面であれば,打数の観点からも日本語に寄り添った訓令式のほうが合理的である.
 では,道路標識などで漢字書きされた難語地名の振り仮名としてローマ字が用いられる場合には,どちらがベターだろうか.日本語母語話者にとっては漢字を読み解くヒントの役割を果たすかもしれないが,漢字を読めない日本語非母語話者にとっては,ローマ字表記はヒントどころかアンサーそのものとなる.
 複数のローマ字表記があると混乱を招くので整理するのがよいという意見は理解できる.とりわけ公的な色彩の強い文書ではその通りだろう.一方,上述のようにローマ字を使う場面(社会語用論的なレジスター)は公式文書以外にもあり,多様である.整理するにせよ,何をどこまで整理するのがよいのか,というところから議論を始める必要がある.
 ローマ字を巡る話題は hellog でも romaji の記事群で取り上げてきたので,そちらも参照.

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2022-09-14 Wed

#4888. 『言語の標準化を考える』の編者が綴る紹介文,第2弾(田中牧郎氏) [gengo_no_hyojunka][contrastive_language_history][notice][japanese][standardisation][notice]

 昨日の記事 ([2022-09-13-1]) に引き続き,近刊書『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』(大修館,2022年)について,編者自らが紹介するという企画です.第2弾は日本語史が専門の田中牧郎氏による本書紹介文です.ご本人の許可をいただき,こちらに掲載致します.

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「日本語史における「統一化」「規範化」「通用化」」

田中 牧郎


 日本語史において,「標準化」や「標準語」というと,近代(19~20世紀)に展開された,政府による標準語政策が強く想起される(本書の11章で,田中克彦氏が論じている).私が執筆した第5章「書きことばの変遷と言文一致」においても,江戸時代までを標準化の前史と見て,言文一致が進む明治・大正期を標準化の時代と扱った.
 本書の第1章や,第6章・第7章などで取り上げられる,標準化を,「統一化」(言語の変種を統一していこうという動き),「規範化」(あるべき言語の形に統制していく動き),「通用化」(多くの人が通じ合える言語の形に共通化・簡略化していく動き)の3つに分ける見方を,日本語史にあてはめて,通史としての大きな流れを見出していこうという発想は,持ったことがなかった.
 しかしながら,本書の編集作業を通して,その枠組みから日本語史をとらえてみることもできるのではないかと考えるようになった.本書執筆中には十分整理ができず書けなかったその点について,少し記したい.
 「統一化」にあてはまりそうな出来事としては,まず,奈良時代(8世紀)に漢字による日本語表記法を編み出したこと,次いで,平安時代(10世紀)に仮名を発明して話し言葉に基づく日本語を自在に書けるようにしたこと,さらに,鎌倉時代(12世紀)までに,漢字と仮名を適度に交えて書く漢字仮名交じり文(和漢混淆文)を一般的なものにしたことが,指摘できる.この一連の「統一化」の過程で,外国語の文字だった漢字を自国語の文字として飼い慣らし,漢字から派生させた2種類の仮名(平仮名・片仮名)のいずれかと混ぜ用いる,日本語独自の表記法を確立させ,現代まで使われ続ける書き言葉のシステムを作ったのである.
 こうして作られた書き言葉を安定的に運用していくために,平安時代以降,漢字辞典(『色葉字類抄』『文明本節用集』など)や,実用文の模範文例集(『明衡往来』『庭訓往来』など)が盛んに編纂され,鎌倉時代以降には,仮名の使い方を論じる仮名遣い書(『仮名文字遣』『和字正濫鈔』など)も書かれるようになっていく.これらは,「規範化」の動きと見ることができ,その流れが,江戸時代までの日本語の書き言葉を高度に洗練させていく結果をもたらした.
 そして,「通用化」の出来事が,明治時代(19~20世紀)に進んだ言文一致運動による口語体書き言葉の確立である.国定教科書や出版・放送によって,国民各層に均質な日本語を広める動きや,日清・日露戦争や第一世界大戦で版図を拡大するなか植民地に日本語を広める動きが強まるのも,その流れを受け継いだものである.
 以上は,標準化の前史と扱った出来事(江戸時代まで)を「統一化」「規範化」,標準化(明治時代)と扱った出来事を「通用化」とする見方である.研究を進めれば,江戸時代以前にも「通用化」にあたる出来事を指摘したり,明治時代以降に「統一化」「規範化」にあたる出来事を見ることもできると予想され,それは,日本語史を立体的にとらえることにつながっていくと期待できる.




 ここでは,本書第7章「英語標準化の諸相――20世紀以降を中心に」(寺澤盾)で提示された英語標準化の3つの側面(統一化,規範化,通用化)を,日本語標準化歴史に当てはめてみるとどうなるか,というすぐれて対照言語史的なアプローチが示されていると思います.ある個別言語の歴史にみられるパターンやモデルを,異なる言語の歴史にも「あえて強引に」当てはめてみようとするところに,新たな気づきが生まれるということは,本書の企画段階から何度も経験していました.悪くいえば牽強付会,我田引水,引喩失義となり得ますが,ポジティヴにいえば豊かな創造性を生み出してくれます.もちろん編者たちの狙いは後者です.
 明日は第3弾をお届けします.

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2022-08-15 Mon

#4858. 『中高生の基礎英語 in English』の連載第18回「なぜ英語には類義語が多いの?」 [notice][sobokunagimon][rensai][lexicology][synonym][loan_word][borrowing][french][latin][lexical_stratification][contact][hellog_entry_set][japanese]

 昨日『中高生の基礎英語 in English』の9月号が発売となりました.連載「歴史で謎解き 英語のソボクな疑問」の第18回は「なぜ英語には類義語が多いの?」です.

『中高生の基礎英語 in English』2022年9月号



 英語には ask -- inquire -- interrogate のような類義語が多く見られます.多くの場合,語彙の学習は暗記に尽きるというのは事実ですので,類義語が多いというのは英語学習上の大きな障壁となります.本当は英語に限った話しではなく,日本語でも「尋ねる」「質問する」「尋問する」など類義語には事欠かないわけなので,どっこいどっこいではあるのですが,現実的には英語学習者にとって高いハードルにはちがいありません.
 英語に(そして実は日本語にも)類義語が多いのは,歴史を通じて様々な言語と接触してきたからです.英語にとってとりわけ重要な接触相手はフランス語とラテン語でした.英語は,ある意味を表わす語をすでに自言語にもっていたにもかかわらず,同義のフランス語単語やラテン語単語を借用してきたという経緯があります.結果として,類義語が積み重ねられ,地層のように層状となって今に残っているのです.この語彙の地層は,典型的に下から上へ「本来の英語」「フランス語」「ラテン語」と3層に積み上げられてきたので,これを英語語彙の「3層構造」と呼んでいます.
 3層構造については,hellog でも繰り返し取り上げてきました.こちらの記事セットおよび lexical_stratification の各記事をお読みください.
 雑誌の連載記事では,この話題を中高生にも分かるように易しく解説しています.ぜひ手に取っていただければと思います.

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2022-08-11 Thu

#4854. モーラ伯リズムと強勢拍リズム [syllable][mora][phonology][prosody][typology][japanese][rhythm][stress][world_englishes]

 昨日の記事「#4853. 音節とモーラ」 ([2022-08-10-1]) に引き続き,日英語の韻律を比較対照する.以下,窪薗 (27--28) を参照する.
 日本語はモーラ(音節)拍リズム (mora-timed/syllable-timed rhythm) をもち,英語は強勢拍リズム (stress-timed rhythm) をもつといわれる.
 日本語のモーラ(音節)拍リズムとは,同じ長さの単位(モーラや音節などの単位で,日本語の場合には典型的にモーラ)が連続して現われるもので,「連続のリズム」 (rhythm of succession) あるいは「機関銃リズム」 (machine-gun rhythm) とも呼ばれる.英語母語話者にとって,日本語のリズムは「ダダダダダダダダ」のように単調なものに聞こえるという.
 一方,英語の強勢拍リズムとは,強勢のある音節とない音節とが典型的に交互に現われるもので,「交替のリズム」 (rhythm of alternation) あるいは「モールス信号リズム」 (Morse-code rhythm) ともいわれる.日本語母語話者にとって,英語のリズムは強弱のメリハリのある音の塊の繰り返しと聞こえる.日英語の基本的なリズム感は,このように類型論的に対照的なため,お互いに違和感が大きい.
 現代英語が強勢伯リズムをもつことは間違いないが,英語史の観点からは,この事実ですら相対化して捉えておく必要がある.古英語は純粋な強勢伯リズムの言語ではなかったという議論もあるし,現代の世界英語でしばしば音節伯リズムが聞かれることも確かである.一方,英語に染みついた強勢伯リズムこそが,英語史を通じて豊富にみられる母音変化の原動力だったとする見解もある.英語史におけるリズム (rhythm) の役割は,思いのほか大きい.以下の記事も要参照.

 ・ 「#1647. 言語における韻律的特徴の種類と機能」 ([2013-10-30-1])
 ・ 「#3387. なぜ英語音韻史には母音変化が多いのか?」 ([2018-08-05-1])
 ・ 「#3644. 現代英語は stress-timed な言語だが,古英語は syllable-timed な言語?」 ([2019-04-19-1])
 ・ 「#4470. アジア・アフリカ系の英語にみられるリズムと強勢の傾向」 ([2021-07-23-1])
 ・ 「#4799. Jenkins による "The Lingua Franca Core"」 ([2022-06-17-1])

 ・ 窪薗 晴夫 「第1章 音韻論」『日英対照 英語学の基礎』(三原 健一・高見 健一(編著),窪薗 晴夫・竝木 崇康・小野 尚久・杉本 孝 司・吉村 あき子(著)) くろしお出版,2013年.

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2022-08-10 Wed

#4853. 音節とモーラ [syllable][mora][phonology][phonetics][prosody][typology][japanese]

 音韻論上,音節 (syllable) とモーラ (mora) は異なる単位である.モーラのほうが小さい単位であり,たいてい長母音や2重母音は音節としては1音節とカウントされるが,モーラとしては2モーラとカウントされる.日本語からの例から,両者の関係を整理しておこう(窪薗,p. 15).

単語 音節 モーラ
---------------------- ----------------------------- -----------
オバマ 3 (o.ba.ma) 3 (o-ba-ma)
ブッシュ 2 (bus.syu) 3 (bu-s-syu)
クリントン 3 (ku.rin.ton) 5 (ku-ri-n-to-n)
トヨタ 3 (to.yo.ta) 3 (to-yo-ta)
ホンダ 2 (hon.da) 3 (ho-n-da)
ニッサン 2 (nis.san) 4 (ni-s-sa-n)

 ロシアの言語学者 Trubetkoy によれば,世界の言語は「モーラ言語」と「音節言語」に分類できるという.これに従うと,日本語はモーラ言語,英語は音節言語ということになる.しかし,窪薗 (16--17) は,最小性制約 (minimality constraint) の事例に触れながら,次のように指摘している.

 人間の言語を音節言語とモーラ言語に分ける考え方は,言語間の違いをある程度捉えている一方で,音節とモーラを共存できない単位として捉えるという問題点をはらんでいる.実際には,英語のような「音節言語」にもモーラは必要であり,一方,日本語(標準語)のように「モーラ言語」とされる言語にも音節が不可欠となる.
 例えば英語では,1音節の語は多いが1モーラの語は許容されない.[pin] pin や [pi:] pea という2モーラの1音節語は存在するが,[pi] という1モーラの長さの1音節語は存在しない.偶然に存在しないのではなく,構造的に許容されないのである.……〔中略〕……最小性制約は英語のアルファベット発音にも表れており,アルファベットを1つずつ語として発音する場合には A は [æ] ではなく [ei],B も [b] や [bi] ではなく [bi:] と2モーラ(以上)の長さで発音される.
 一方,モーラ言語とされる日本語(標準語)の記述にも音節という単位が不可欠となる.例えば外来語の短縮形には〔中略〕「2モーラ以上」という条件だけでなく,「2音節以上」という条件も課される.チョコ(<チョコレート)やスト(<ストライキ)という2音節2モーラの短縮はあっても,*パン(<パンフレット)や*シン(<シンポジウム),*パー(<パーマエント(ウェーヴ))という短縮形が許容されないのはこのためである.2モーラの音節で始まる語は3モーラ目までを残して,2音節の短縮形(パンフ,シンポ,パーマ)が作り出される.


 ここから,音節とモーラは二律背反的な単位ではなく,1つの言語のなかで同居し,補完的な関係にある単位ととらえる必要があることが分かる.日本語の音節やモーラについては,以下の記事も参照.

 ・ 「#1023. 日本語の拍の種類と数」 ([2012-02-14-1])
 ・ 「#3719. 日本語は開音節言語,英語は閉音節言語」 ([2019-07-03-1])
 ・ 「#3720. なぜ英語の make は日本語に借用されると語末に母音 /u/ のついた meiku /meiku/ となるのですか?」 ([2019-07-04-1])
 ・ 「#4621. モーラ --- 日本語からの一般音韻論への貢献」 ([2021-12-21-1])
 ・ 「#4624. 日本語のモーラ感覚」 ([2021-12-24-1])

 ・ 窪薗 晴夫 「第1章 音韻論」『日英対照 英語学の基礎』(三原 健一・高見 健一(編著),窪薗 晴夫・竝木 崇康・小野 尚久・杉本 孝司・吉村 あき子(著)) くろしお出版,2013年.

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2022-05-16 Mon

#4767. 英語史で斬る,日本語のカタカナ語を巡る問題 [youtube][waseieigo][japanese][katakana][borrowing][lexicology][loan_word]

 昨日18:00に YouTube 番組「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」の第23弾が公開されました.タイトルは「カタカナ語を利用して日本人の英語力+情報収集力を上げる!!【井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル # 23 】」です.
 ちなみに,先週の水曜日に公開された1つ前の第22弾は「ニッポンのカタカナ語を英語史から斬る!【井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル # 22 】」でした.2回かけて「カタカナ語」についておしゃべりしてきたわけです.ぜひ2つ合わせてご覧ください.



 本ブログでもカタカナ語について様々に取り上げてきました.こちらの記事セットをご覧いただければと思います.
 第22弾で話題にした「和製英語」ならぬ「英製羅語」や「英製仏語」についても,本ブログで議論してきました.こちらについては「和製英語を含む○製△語」の記事セットをどうぞ.
 井上逸兵氏も様々な媒体で「カタカナ語」の議論を展開しています.最近のものとしては以下がおもしろいです.

 ・ 2021年11月20日,ABEMA Prime での:【横文字】「カタカナ語の輸入は止められない」「日本語で表せない表現も」意識高い系うざい?共有言語でアグリー?賛成派と反対派が議論
 ・ 2022年4月21日,SBSラジオ「IPPO」での:コンプライアンス?アジェンダ?今さら聞けない!カタカナ語

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2021-12-24 Fri

#4624. 日本語のモーラ感覚 [syllable][phonology][japanese][mora]

 日本語の長音,促音,撥音のような特殊音素は,それだけでは一般音韻論が定めるところの音節 (syllable) を構成することはできないものの,日本語母語話者にとっては事実上の音節に相当する1単位として認められている.認められているというよりも,日本語の音韻の基盤そのものであり,これがなければ日本語の音韻論も和歌も俳句も成り立たないというほどの必須要素とされる.
 しかし,「?」「っ」「ん」で表わされる音素を,「あ」「か」「さ」と同じ単位(モーラ)とみなしましょうといったところで,日本語を第2言語として学習する者にとっては理解が難しいようである.『新版日本語教育事典』の p. 16 に次のような一節がある.

日本語教育の現場では,この特殊拍のモーラ感覚を教えることの困難さ,つまり,特殊拍を1モーラとしての長さで発音するにはどうしたらよいかを教えることお難しさが,つとに指摘されている.子音あるいは母音1つから成る特殊拍は,子音と母音から成る通常の自立拍(たとえば,「目」/me/,「差」/sa/など)より持続時間は短いものの,日本語話者には1モーラ分の長さをもつと知覚される.モーラという概念は,日本語のみで用いられるわけではないが,モーラ言語といわれる日本語では,モーラという音韻単位が不可欠であることが,音韻論,音響音声学,聴覚音声学,言語心理学,工学,脳科学など,さまざまな分野の研究から明らかにされている.


 日本語にとってのモーラとは何なのか.日本語学における大問題であり,私がこれ以上口を挟むわけにもいかない.しかし,母語としての直観を,客観的な言語学用語で説明し,言語学理論によって位置づけことの難しさを象徴する問題として,今回取り上げてみた.数日前の「#4621. モーラ --- 日本語からの一般音韻論への貢献」 ([2021-12-21-1]) の記事を参照.

 ・ 『新版日本語教育事典』 日本語教育学会 編,大修館書店,2005年.

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2021-12-21 Tue

#4621. モーラ --- 日本語からの一般音韻論への貢献 [syllable][phonology][grammatology][syllabary][hiragana][katakana][japanese][writing][terminology][mora]

 文字論研究史を概説している Daniels (63) に,日本語の仮名(平仮名と片仮名)がモーラに基づく文字であることが言及されている.この事実そのものは日本語学では当然視されており目新しいことでも何でもないが,音節 (syllable) ではなくモーラ (mora) という音韻論的単位が言語学に持ち込まれた契機が,ほかならぬ日本語研究にあったということを初めて知った.日本語の仮名表記や音韻論を理解・説明するのにモーラという概念は是非とも必要だが,否,まさにそのために導入された概念だったのだ.

The term 'mora' was introduced into modern linguistics by McCawley (1968) to render a term (equivalent to 'letter') for the characters in the two Japanese 'syllabaries' ('kana'), hiragana and katakana, which denote not merely the (C)V syllables of the language but also a syllable-closing nasal or length.


 モーラと音節が異なる単位であることは,以下の例からも分かる.要するに,長音,促音,撥音のような特殊音素は,独立した音節にはならないが独立したモーラにはなる.

 ・ 「ながさき」 (Nagasaki) は4モーラで4音節
 ・ 「おおさか」 (Ōsaka) は4モーラで3音節
 ・ 「ロケット」 (roketto) は4モーラで3音節
 ・ 「しんぶん」 (shimbun) は4モーラで2音節

 音節とは異なるが,日本語母語話者にとっては明らかに独立した部品とみなされているもう1つの音韻論的単位,それが日本語のモーラである.仮名の各文字には,およそきれいに1つのモーラが対応している.

 ・ Daniels, Peter T. "The History of Writing as a History of Linguistics." Chapter 2 of The Oxford Handbook of the History of Linguistics. Ed. Keith Allan. Oxford: OUP, 2013. 53--69.
 ・ McCawley, James D. The Phonological Component of a Grammar of Japanese. The Hague: Mouton, 1968.

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2021-12-15 Wed

#4615. 『中高生の基礎英語 in English』の連載第10回「なぜ英語には省略語が多いの?」 [notice][sobokunagimon][rensai][abbreviation][shortening][blend][word_formation][morphology][japanese]

 NHKラジオ講座「中高生の基礎英語 in English」の1月号のテキストが発売となりました.連載中の「英語のソボクな疑問」の第10回は「なぜ英語には省略語が多いの?」です.piano, bus, cute, sport, Paralympics, AI, CEO, GDP, EU, USA などの英単語は,ほぼそのまま日本語にも入ってきている日常語といってよいですが,なんといずれも何らかの点で省略されている語なのです.それぞれオリジナルの長い形を復元できるでしょうか.かなり難しいのではないでしょうか.

『中高生の基礎英語 in English』2022年1月号



 英語にも日本語にもその他の言語にも省略語は存在します.すべてを口にするには長ったらしいけれども情報量が詰まっていて有用な表現というものは,たくさんあるものですね.そのような表現をぐっと約めて簡潔な1単語に省略できれば,便利に違いありません.言語には省略語が付きものです.
 省略の方法についていえば種類は限られています.連載記事で詳しく述べていますが,基本となるのは「切り落とし」「切り貼り」「イニシャル取り」の3種です.それぞれの例をたくさん挙げていますので,どうぞご覧ください.
 言語には省略語が付きものとは述べましたが,英語に関する限り,とりわけ20世紀以降におびただしい省略語が生み出されてきたという事情があります.過去にもまして現代は省略語の時代といってもよいほどです.なぜなのでしょうか.連載記事では,この謎解きも披露しています.

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2021-11-13 Sat

#4583. 『中高生の基礎英語 in English』の連載第9回「なぜ英語の語順は SVO なの?」 [notice][sobokunagimon][rensai][word_order][syntax][japanese]

 NHKラジオ講座「中高生の基礎英語 in English」の12月号のテキストが発売となりました.連載中の「英語のソボクな疑問」の第9回は「なぜ英語の語順は SVO なの?」について取り上げました.

『中高生の基礎英語 in English』2021年12月号



 6節からなる今回の連載記事の小見出しはそれぞれ以下の通りです.

 1. 「私」「話します」「英語」
 2. 世界の言語の語順
 3. 基本語順とは?
 4. 昔の英語は SVO ばかりではなかった!
 5. 「助詞」に相当するものが消えてしまって
 6. 語順というのは,割とテキトー!?

 英語は語順の言語ですね.日本語についての文法用語は多く知らずとも,英語について「5文型」や「SVO」などの用語を聞いたことのない人はいないのではないでしょうか.英文法といえば語順の文法のことだといって大きな間違いはありません.語の並べ方がしっかり決まっているのが英語という言語の著しい特徴です.
 しかし,です.確かに現代の英語は語順の言語といってよいのですが,歴史を遡って古い英語を覗いてみると,実は語順は比較的自由だったのです.英語のおよそ千年前の姿である古英語 (Old English) でも SVO 語順は確かに優勢ではあったものの,SOV も普通にみられましたし VSO などもありました.現代ほどガチガチに語順が決まっている言語ではなかったのです.
 私も初めてこの事実を知ったときには腰を抜かしそうになりましたね.英語は最初から語順の言語だったわけではなく,歴史を通じて語順の言語へ変化してきたということなのです.
 では,いつ,どのようにして,なぜ語順の言語となったのか.これは英語史における最も重要な問題の1つであり,その周辺の問題と合わせて今なお議論が続いています.
 今回の連載記事では,英語史におけるこの魅力的な問題をなるべく易しく紹介しました.どれくらい成功しているかは分かりませんが,少なくとも p. 132 の古英語の叙事詩『ベーオウルフ』にちなんだ主人公ベーオウルフと怪物グレンデルのイラストは必見!?(←イラストレーターのコバタさん,いつもありがとうございます)

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2021-09-17 Fri

#4526. 井上逸兵(著)『英語の思考法 ー 話すための文法・文化レッスン』 [review][politeness][japanese][face][pragmatics][sociolinguistics][t/v_distinction][heldio][inoueippei]

 去る7月に,ちくま新書より井上逸兵(著)『英語の思考法 ー 話すための文法・文化レッスン』が出版されました.著者は私の慶應義塾大学文学部英米文学専攻の同僚です(井上さん,ご献本いただきましてありがとうございます!).
 著者の井上氏には本日,私が6月から放送している「英語の語源が身につくラジオ」(heldio) に特別ゲストとして出演していただいています(←同僚としての役得に甘えました).新書についてのおしゃべりです.10分×2本の収録となっていますので,2本目もお聞き逃しなく! しかも,2本目の最後は5秒ほど時間が足りなくてお尻が切れています(泣).



 日本語(文化)には厄介なタテマエとホンネがありハッキリとものを言いにくいのに対して,英語(文化)ではそういうものがないのでハッキリ主張することが好ましい.これは,日本人の英語学習者の多くが感じていることではないでしょうか.しかし,井上氏が本書で軽妙なオヤジギャグと豊富な用例により次々と明らかにしていくのは,そうではないということです.英語(文化)にもタテマエとホンネはちゃんとある.ただし,日本語(文化)のそれとは違った形で存在している,ということです.
 では,どう違っているのかといえば,英語(文化)の基盤には「独立」「つながり」「対等」への志向があるということです.「個人として対等な関係を保ちながらつながりを求める」のが英語流ということですね.個性や独立心が比較的弱く,上下関係のつながりを重視する伝統的な日本語(文化)の発想とは,確かに大きく異なります.
 私が英語史の観点から抱いた関心は,英語的な「独立」「つながり」「対等」への志向は,いつ生まれたのだろうかということです.中世まではさほど強くなかったように思われるからです.おそらく近代に入ってからではないかと.社会的上下関係を内包する2人称代名詞の you/thou の区別が解消していくのも,近代期(17世紀以降)だった事実が思い出されます.
 本書の中心テーマは日英語文化比較やポライトネスといったところだと思いますが,英語学研究者としての著者の真骨頂は,副題の「文法・文化レッスン」に現われているように思われます.文法という言語学的な堅い代物にも,その担い手の社会に特有の文化や思考回路が色濃く反映されているのだという点です.
 一方,本書はすぐに使える英語の用例が豊富で,実用書的に読むこともできます.実際,私も英語を話したり書いたりするときに,早速いくつかの語法を活用しています.You lost me. とか Let me share with you . . . . とか.ですが,褒められたときに Can you tell my wife that? と返すのは,私には歯が浮いて言えなさそうです.
 笑いながら読める英語本です.ぜひご一読ください.

 ・ 井上 逸兵 『英語の思考法 ー 話すための文法・文化レッスン』 筑摩書房〈ちくま新書〉,2021年.

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2021-08-10 Tue

#4488. 英語が分布を縮小させてきた過去と現在の事例 [history][world_englishes][irish_english][japanese][french][spanish][portuguese][pidgin]

 英語は,現代世界のリンガ・フランカ (lingua_franca) として世界中に分布を拡大させている.英語はある意味では,はるか昔,紀元前の大陸時代より,ブリテン諸島のケルト民族や新大陸の先住民をはじめ世界中の多くの民族の言語の分布を縮小させ,自らの分布を拡大させてきた歴史をもつ.
 一見すると「負け知らず」の言語のように思われるかもしれないが,必ずしもそうではない.他の言語との競争に敗れて分布を縮小させたり,ときに不使用となる場合すらあったし,現在もそのような事例がみられるのである.今回は,この英語(史)の意外な事例をいくつかみていきたい.参照するのは Trudgill の "English in Retreat" と題する節 (27--29) である.
 歴史的に古いところから始めると,12--15世紀のアイルランドの事例がある.Henry II は,1171年にアングロ・ノルマン軍を送り込んでアイルランド侵攻を狙い,その一画に英語話者を入植させた.しかし,彼らはやがて現地化するに至り,英語が根づくことはなかった.英語としては歴史上初めて本格的な分布拡大に失敗した機会だったといえる(cf. 「#1715. Ireland における英語の歴史」 ([2014-01-06-1]),「#2361. アイルランド歴史年表」 ([2015-10-14-1])).
 ぐんと現代に近づいて19世紀のことになるが,私たちにとって非常に重要な --- しかしほとんど知られていない --- 英語の敗北の事例がある.舞台はなんと小笠原群島である.この群島はもともと無人だったが,1543年にスペイン人により発見され,その後,主に欧米系の人々により入植が進み,19世紀には英語ベースの「小笠原ピジン英語」 (Bonin English) が展開していた.しかし,19世紀後半から日本がこの地の領有権を主張し,島民の日本への帰化を進めた結果,日本語が優勢となり,現在までに小笠原ピジン英語はほぼ廃用となっている.詳しくは「#2559. 小笠原群島の英語」 ([2016-04-29-1]),「#2596. 「小笠原ことば」の変遷」 ([2016-06-05-1]),「#3353. 小笠原諸島返還50年」 ([2018-07-02-1]) を参照されたい.
 現在の事例でいえば,カナダのケベック州が挙げられる.フランス語が優勢な同州において,英語が劣勢に立たされていることはよく知られている(cf. 「#1733. Canada における英語の歴史」 ([2014-01-24-1])).住人の帰属意識を巡る政治・歴史問題が関わっており,「世界の英語」といえども単純に分布を広げられるわけではないことをよく示している.
 また,あまり知られていないが,中央アメリカのカリブ海沿岸にも,英語母語話者集団でありながら言語的・社会的に劣勢に立たされている人々の住まう土地が点在している.彼らのルーツは19世紀後半よりジャマイカなどから中央アメリカの大陸沿岸地域へ展開した人々で,しばしば奴隷として社会的地位の低い集団とみなされていた.現在でも,関連する各国の公用語であるスペイン語のほうが威信が高く,当地では英語使用に負のレッテルが張られている.関連する記事として「#1679. The West Indies の英語圏」 ([2013-12-01-1]),「#1702. カリブ海地域への移民の出身地」 ([2013-12-24-1]),「#1711. カリブ海地域の英語の拡散」 ([2014-01-02-1]),「#1713. 中米の英語圏,Bay Islands」 ([2014-01-04-1]),「#1714. 中米の英語圏,Bluefields と Puerto Limon」 ([2014-01-05-1]),「#1731. English as a Basal Language」 ([2014-01-22-1]) を挙げておく.
 ほかにも,19世紀半ばにアメリカ南北戦争で敗者となった南部人がブラジルに逃れた子孫が,今もブラジルに英語母語話者集団として暮らしているが,同国の公用語であるポルトガル語に押されて劣勢である.また,1890年代に社会主義的ユートピアを求めてパラグアイに移住したオーストラリア人の子孫が今も暮らしているが,若者の間では土地の言語である Guaraní への言語交替が進行中である.
 英語は過去にも現在にも「負け知らず」だったわけではない.

 ・ Trudgill, Peter. "The Spread of English." Chapter 2 of The Oxford Handbook of World Englishes. Ed. by Markku Filppula, Juhani Klemola, and Devyani Sharma. New York: OUP, 2017. 14--34.

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