Bauer を参照していて興味深いと思った接尾辞があるので,今日はその話を.接尾辞 -esque についてである.この接尾辞は,主に人名(特に姓)の語尾に付加され,対応する形容詞を派生させる機能をもつ.
・Caravagg(i)esque
・Cassanovesque
・Chandleresque
・Chaplinesque
・Dickensesque
・Disneyesque
・Garboesque
・Hemingwayesque
・Shawesque
Bauer (266--68) によるとこの接尾辞の特徴は:
(1) 「?に特徴的な様式をもった」の意味の形容詞を作る
(2) 接尾辞自身にアクセントが落ちる
(3) 基体の人名が単音節のものにはつきにくい( Shaw-esque の例外はあるが)
(4) 母音字で終わる基体の人名に付加する場合には,もとの人名が判別されうる限りにおいてその母音は消える
この最後の特徴(というよりも条件)は一考に値する.というのは,基体が発音上の「母音」で終わる場合ではなく,正書法上の「母音字」で終わる場合に適用される規則だというところが特異だからである.
綴字がどうなっているかを参照して派生の仕方が決まるというのは,書き言葉が話し言葉に対して何らかの拘束力・影響力をもっている証拠だが,通常,影響力の方向は逆である.このブログでも何度か取り上げた spelling_pronunciation も,書き言葉が主導となる言語プロセスだが,こうしたケースはあくまで例外的である.
-esque の付加される正書法の条件である (4) について詳しくみてみよう.Casanova に -esque を付加すると Cassanovesque となり,確かに基体語尾の <a> で表される母音 /ə/ が消える.だが,Disney の派生形容詞においては,<ey> で表される母音 /i/ が消えない.Chandler や Shaw も音としては母音で終わっているが,いずれも派生形容詞からその母音は消えていない.母音が消えていない人名に共通しているのは,発音としては母音で終わっているが,綴字としては母音字で終わっていないということである.この観察から,なぜ (4) で「母音」ではなく「母音字」の条件が必要なのかがわかる.
しかし,これだけでは不十分である.Caravaggio は母音字で終わっているので規則通りに母音が消えて Caravagg(i)esque となるが,Garbo は母音が消えずに Garboesque となるからである.そこで,「もとの人名が判別されうる限りにおいて」という条件を付け加えることにしたのだろう.Caravagg(i)esque をみてもとの人名が Caravaggio であることは容易に想像がつくが,もし *Garbesque をみたとしたら,もとの名前が Garbo であることはそれほど自明ではないように思われる.
しかし,もとの名前が復元できるかどうかというのは,話者の知識に依存することが多いと思われ,規則として定式化するのは難しそうである.綴字を参照する必要があったり,復元可能度を考慮する必要があったりするので,形態論や正書法の立場からは,-esque の付加規則というのは結構な難問ではないだろうか.
ちなみに,(3) と (4) の条件は,互いに関連するのではないかと思った.単音節の人名につくと,基体部分に強勢が落ちないことになり,人名そのものが目立たなくなってしまう恐れがある.その点,基体が2音節以上あれば,基体のどこかに第2アクセントが置かれうるので,人名が判別しやすくなる.Caravagg(i)esque と Carboesque の場合にも,前者は多音節であり,もとの人名を復元するための clue が多いので基体語尾の母音が消えても問題ないが,後者は2音節で clue が少ないゆえにもとの形を保っているという考え方もできるように思う.
「人名 + -esque 」は,定着しているものもあるが,会話の中でその場の間に合わせとして一回限り用いられるような事例もあるだろう.そのような nonce usage では,人名と接尾辞があまり密接に融合していず,人名が判別できるように保たれているほうが便利だろう.たとえば「堀田流の」は,*Hottesqueよりも *Hotta-esque と切れ目がはっきりしたほうが良さそうだ.定式化はしにくいが,やはり「もとの人名の復元可能度」がポイントなのではなかろうか.
・ Bauer, Laurie. English Word-Formation. Cambridge: CUP, 1983.
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