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japanese - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2020-06-05 08:55

2016-06-05 Sun

#2596. 「小笠原ことば」の変遷 [japanese][world_englishes][pidgin][creole][creoloid][code-switching][bilingualism][sociolinguistics][contact]

 「#2559. 小笠原群島の英語」 ([2016-04-29-1]) で,かつて小笠原群島で話されていた英語変種を紹介した.この地域の言語事情の歴史は,180年ほどと長くはないものの,非常に複雑である.ロング (134--35) の要約によれば,小笠原諸島で使用されてきた様々な言語変種の総称を「小笠原ことば」と呼ぶことにすると,「小笠原ことば」の歴史的変遷は以下のように想定することができる.
 19世紀にはおそらく「小笠原ピジン英語」が話されており,それが後に母語としての「小笠原準クレオール英語」へと発展した.19世紀末には,日本語諸方言を話す人々が入植し,それらが混淆して一種の「コイネー日本語」が形成された.そして,20世紀に入ると小笠原の英語と日本語が入り交じった,後者を母体言語 (matrix language) とする「小笠原混合言語」が形成されたという.
 しかし,このような変遷は必ずしも文献学的に裏付けられているものではなく,間接的な証拠に基づいて歴史社会言語学的な観点から推測した仮のシナリオである.例えば,第1段階としての「小笠原ピジン英語」が行なわれていたという主張については,ロング (134--35) は次のように述べている.

まずは,英語を上層言語とする「小笠原ピジン英語」というものである。これは19世紀におそらく話されていたであろうと思われることばであるが,実在したという証拠はない。というのは,当時の状況からすれば,ピジンが共通のコミュニケーション手段として使われていたと判断するのは最も妥当ではあるが,その文法体系の詳細は不明であるからである。言語がお互いに通じない人々が同じ島に住み,コミュニティを形成していたことが分かっているので,共通のコミュニケーション手段としてピジンが発生したと考えるのは不自然ではない〔後略〕。


 同様に,「小笠原準クレオール英語」の発生についても詳細は分かっていないが,両親がピジン英語でコミュニケーションを取っていた家庭が多かったという状況証拠があるため,その子供たちが準クレオール語 (creoloid) を生じさせたと考えることは,それなりの妥当性をもつだろう.しかし,これとて直接の証拠があるわけではない.
 上記の歴史的変遷で最後の段階に相当する「小笠原混合言語」についても,解くべき課題が多く残されている.例えば,なぜ日本語変種と英語変種が2言語併用 (bilingualism) やコードスイッチング (code-switching) にとどまらず,混淆して混合言語となるに至ったのか.そして,なぜその際に日本語変種のほうが母体言語となったのかという問題だ.これらの歴史社会言語学的な問題について,ロング (148--55) が示唆に富む考察を行なっているが,解決にはさらなる研究が必要のようである.
 ロング (155) は,複雑な言語変遷を遂げてきた小笠原諸島の状況を「言語の圧力鍋」と印象的になぞらえている.

 小笠原諸島は歴史社会言語学者にとっては研究課題の宝庫である。島であるゆえに,それぞれの時代において社会的要因を突き止めることが比較的簡単だからである。その社会言語学的要因とは,例えば,何語を話す人が何人ぐらいで,誰と家庭を築いていたか,日ごろ何をして生活していたか,誰と関わり合っていたかなどの要因である。
 小笠原のような島はよく孤島と呼ばれる。確かに外の世界から比較的孤立しているし,昔からそうであった。しかし,その代わり,島内の人間がお互いに及ぼす影響が強く,島内の言語接触の度合いが濃い。
 内地(日本本土)のような一般的な言語社会で数百年かかるような変化は小笠原のような孤島では数十年程度で起こり得る。島は言語変化の「圧力鍋」である。


 ・ ロング,ダニエル 「他言語接触の歴史社会言語学 小笠原諸島の場合」『歴史社会言語学入門』(高田 博行・渋谷 勝巳・家入 葉子(編著)),大修館,2015年.134--55頁.

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2016-04-20 Wed

#2550. 宣教師シドッチの墓が発見された? [romaji][alphabet][katakana][japanese]

 4月5日付の読売新聞朝刊に,東京都文京区小日向の「切支丹屋敷跡」からイタリア人宣教師シドッチ(Giovanni Battista Sidotti; 訛称シローテ; 1668--1714)のものとみられる人骨が発掘されたとの記事が掲載されていた.
 シドッチはイタリアのカトリック司祭である.イエズス会士として1704年にマニラにて日本語を学んだ後,1708年にスペイン船で屋久島に単身上陸,キリシタン禁制化の日本に忍び入った最後の宣教師となった.屋久島上陸後,すぐに捕らえられて長崎から江戸へ送られ,小石川切支丹屋敷に監禁された.監禁中,シドッチは新井白石 (1657--1725) に4回にわたり訊問されるなどしたが,その後同屋敷で牢死した.
 この事件が日本史上重要なのは,新井白石がシドッチの訊問を通じて,世界知識,天文,地理などを記した『西洋紀聞』 (1715?) と『采覧異言』 (1713?) を執筆したことだ.当初『西洋紀聞』はその性質上,公にはされなかったが,1807年以降に写本が作成されて識者の間に伝わり,鎖国化の日本に洋学の基礎を据え,世界に目を開かせる契機となった.
 この事件の日本語書記史上,あるいはローマン・アルファベット史上の意義は,「#1879. 日本語におけるローマ字の歴史」 ([2014-06-19-1]) にも述べたとおり,新井白石がシドッチの訊問を経てローマ字の知識を得たことである.これによって日本語におけるローマ字使用が一般的に促されるということはなく,それは蘭学の発展する江戸時代後期を待たなければならなかったが,間接的な意義は認められるだろう.日本語書記史の観点からより重要なのは,『西洋紀聞』が洋語に対して一貫してカタカナを当てた点である.
 今回の新聞記事は,埋葬方法や骨から推定される身長などからシドッチのものとおぼしき人骨が発掘されたとの内容だった.シドッチにとっては無念の獄死だったろうが,彼自身がその後の日本(語)に与えたインパクトは小さくなかったのである.

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2016-03-23 Wed

#2522. 「背広」の語源 (2) [etymology][japanese]

 「#585. 「背広」の語源」 ([2010-12-03-1]) の記事で,日本語の「背広」の語源説の1つとして,ロンドンにある高級紳士服の仕立屋の多い街路 Savile Row に由来するとの見方を紹介した.種々の語源説に関して,服飾評論家の出石が新書で「なぜ「背広」の語源は分かっていないのか」および「「セビロ」は外来語なのか日本語なのか」と題して2章分を割いて論じている.その議論を紹介しよう.
 出石は,一般の語源辞典のほか服飾分野の参考図書にも目を通した上で,まず幕末から明治初期に「せびろ」が日本語に入り,定着してから,おそらく大正時代に「背広服」という呼称が現われたらしい点を指摘している (99) .後者は漢字表記としての「背広」を前提としており,英語の civil, Savile Row, Cheviot などが究極の起源となっている可能性は残るにせよ,早い段階で「背広」として日本語に同化していたようだ.出石 (99) 曰く,

「背広服」の言い方が好きであろうとあるいまいと,「背広服」が「背が広い」説の語源をもとに生まれていることだ.仮に「セビロ」の語源を“セイヴィル・ロウ”であると信じていたなら,「セビロ服」の表現は思いつかなかったのではないか.


 出石 (101) は結論として次の説を採用している.

要するに幕末から明治のはじめにかけて,たとえば横浜居留地あたりで中国人の洋服職人と日本人職人とが接触をもったことは,おそらく事実であろう.そして中国人が「背広服」と言い始めて,その影響から「背広」が日本語になった,と考えているのに違いない.中国人であったか日本人であったかは別にして広く「背が広い」から説のひとつであることも間違いない.


 中国人の仕立てのうまいことは定評だったようだ.この説によれば,「背広」は,英語の何らかの表現から音をとって,それを日本語として当てたのではないことになる.服の構造的特徴に着目し,最初から中国語なり日本語なりの漢字表記を意識して用意された訳語ということになる.
 なお,civil clothescivil を取ってきたという説について,これまで出所が不明確であったが,出石 (102--04) は文献をたどって,荒川惣兵衛がその説を楳垣稔に帰し,後者はさらに師の市河三喜に帰していることが判明した.つまり,これは最終的には市川説と呼んでよさそうだという.英語起源説は,この英語学の大家によって人口に膾炙することになったもののようだ.国語学者の新村出までも,後にこの説を受け入れるに至った (106--07) .さらにいえば,出石 (108) はあくまで推測としているが,Savile Row 説の発案者は福原麟太郎ではないかという.この辺りの「言い出しっぺ捜し」はすこぶるおもしろい.語源学とは,歴史や学者の伝記にも目配りをする必要があるのだろう (cf. 「#466. 語源学は技芸か科学か」 ([2010-08-06-1]),「#727. 語源学の自律性」 ([2011-04-24-1]),「#1791. 語源学は技芸が科学か (2)」 ([2014-03-23-1]) .

 ・ 出石 尚三 『福沢諭吉 背広のすすめ』 文藝春秋〈文春新書〉,2008年.

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2016-03-07 Mon

#2506. 英語の2項イディオムと日本語の文選読み [binomial][japanese][kanji][lexicology][borrowing][lexicology][collocation]

 2項イディオムとも呼ばれる英語の word pair あるいは binomial について,本ブログでも「#820. 英仏同義語の並列」 ([2011-07-26-1]),「#1443. 法律英語における同義語の並列」 ([2013-04-09-1]),「#2157. word pair の種類と効果」 ([2015-03-24-1]) をはじめ,いくつかの記事で話題にしてきた.
 この語法は,特に中英語以降,フランス語やラテン語からの借用語が増えてきたときに,本来語にそれを並置する習慣から生じた.日本語も英語と同じように,諸言語,特に漢語からの借用を広く受け入れてきた経緯があるので,歴史的に似たような状況があったに違いない.この点について,齋藤 (10 fn.) に関連する言及があった.

Cf. "The inaudible and noiseless foot of Time" (Shakespeare: All's Well That Ends Well, V. iii. 41)
   "The dark backward and abysm of Time" (Shakespeare: The Tempest, I. ii. 50)

これは昔,わが国の学者が「詩経」の冒頭にある
     関関雎鳩,。。。窈窕淑女,
を,「クヮンクヮンとやはらぎなけるショキウのみさごは,。。。エゥテゥとゆほびかなるシュクヂョのよきむすめ」と,いわゆる「文選(もんぜん)読み」をしたのに似ている。


 文選読みとは,同一の漢語を音と訓で2度読むことで,「豺狼 (サイラウ) のおほかみ」,「蟋蟀 (シッシュツ) のきりぎりす」,「芬芳(フンポウ)トカウバシ」などがこれに当たる.漢文訓読に由来する読み方で,平安時代に流行した,中国の周から梁に至る千年間の詩文集『文選』を読むときにとりわけ用いられたので,この名前がある.英語における本来語と借用語のペアには,後者の意味を理解させるための前者の並置という動機づけがしばしばあったが,文選読みでも同様に,一般には難しく馴染みの薄い漢語を理解しやすくするために和語の訓読を添えるという習慣が発達したものと思われる.これまで話題にしてきた英仏や英羅の単語ペアは,日本語の発想でいうと「音訓複読」というべきものだったわけだ.日英両言語にこのような類似点のあることは,あまり気づかれていないが,ともに豊富な語彙借用の歴史を歩んできたことを考えれば,ある程度は必然的といってもよいのかもしれない(『日本語学研究事典』 p. 117 も参照).
 日本語での "binomial" については,「#1616. カタカナ語を統合する試み,2種」 ([2013-09-29-1]) で触れた「アーカイブ〔保存記録〕」「インフォームドコンセント〔納得診療〕」「ワーキンググループ〔作業部会〕」などの表記も,その一例となるだろう.

 ・ 齋藤 勇 『英文学史概説』 研究社,1963年.
 ・ 『日本語学研究事典』 飛田 良文ほか 編,明治書院,2007年.

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2016-01-29 Fri

#2468. 「英語は語彙的にはもはや英語ではない」の評価 [lexicology][loan_word][borrowing][japanese][style][register]

 英語の語彙の大部分が諸言語からの借用語から成っていること,つまり世界的 (cosmopolitan) であることは,つとに指摘されてきた.そこから,英語は語彙的にはもはや英語とはいえない,と論じることも十分に可能であるように思われる.英語は,もはや借用語彙なしでは十分に機能しえないのではないか,と.
 しかし,Algeo and Pyles (293--94) は,英語における語彙借用の著しさを適切に例証したうえで,なお "English remains English" たることを独自に主張している.少々長いが,意味深い文章なのでそのまま引用する.

   Enough has been written to indicate the cosmopolitanism of the present English vocabulary. Yet English remains English in every essential respect: the words that all of us use over and over again, the grammatical structures in which we couch our observations upon practically everything under the sun remain as distinctively English as they were in the days of Alfred the Great. What has been acquired from other languages has not always been particularly worth gaining: no one could prove by any set of objective standards that army is a "better" word than dright or here., which it displaced, or that advice is any better than the similarly displaced rede, or that to contend is any better than to flite. Those who think that manual is a better, or more beautiful, or more intellectual word than English handbook are, of course, entitled to their opinion. But such esthetic preferences are purely matters of style and have nothing to do with the subtle patternings that make one language different from another. The words we choose are nonetheless of tremendous interest in themselves, and they throw a good deal of light upon our cultural history.
   But with all its manifold new words from other tongues, English could never have become anything but English. And as such it has sent out to the world, among many other things, some of the best books the world has ever known. It is not unlikely, in the light of writings by English speakers in earlier times, that this could have been so even if we had never taken any words from outside the word hoard that has come down to us from those times. It is true that what we have borrowed has brought greater wealth to our word stock, but the true Englishness of our mother tongue has in no way been lessened by such loans, as those who speak and write it lovingly will always keep in mind.
   It is highly unlikely that many readers will have noted that the preceding paragraph contains not a single word of foreign origin. It was perhaps not worth the slight effort involved to write it so; it does show, however, that English would not be quite so impoverished as some commentators suppose it would be without its many accretions from other languages.


 英語と同様に大量の借用語からなる日本語の語彙についても,ほぼ同じことが言えるのではないか.漢語やカタカナ語があふれていても,日本語はそれゆえに日本語性を減じているわけではなく,日本語であることは決してやめていないのだ,と.
 現在,日本では大和言葉がちょっとしたブームである.これは,1つには日本らしさを発見しようという昨今の潮流の言語的な現われといってよいだろう.ここには,消極的にいえば氾濫するカタカナ語への反発,積極的にいえばカタカナ語を鏡としての和語の再評価という意味合いも含まれているだろう.また,コミュニケーションの希薄化した現代社会において,人付き合いを円滑に進める潤滑油として和語からなる表現を評価する向きが広がってきているともいえる.いずれにせよ,日本語における語彙階層や語彙の文体的・位相的差違を省察する,またとない機会となっている.この機会をとらえ,日本語のみならず英語の語彙について改めて論じる契機ともしたいものである.
 関連して,以下の記事も参照されたい.

 ・ 「#153. Cosmopolitan Vocabulary は Asset か?」 ([2009-09-27-1])
 ・ 「#334. 英語語彙の三層構造」 ([2010-03-27-1])
 ・ 「#335. 日本語語彙の三層構造」 ([2010-03-28-1])
 ・ 「#1296. 三層構造の例を追加」 ([2012-11-13-1])
 ・ 「#1960. 英語語彙のピラミッド構造」 ([2014-09-08-1])
 ・ 「#2072. 英語語彙の三層構造の是非」 ([2014-12-29-1])
 ・ 「#756. 世界からの借用語」 ([2011-05-23-1])
 ・ 「#390. Cosmopolitan Vocabulary は Asset か? (2)」 ([2010-05-22-1])
 ・ 「#2359. 英語が非民主的な言語と呼ばれる理由 (3)」 ([2015-10-12-1])

 ・ Algeo, John, and Thomas Pyles. The Origins and Development of the English Language. 5th ed. Thomson Wadsworth, 2005.

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2016-01-24 Sun

#2463. 「国語擁護論の大恩人」馬場辰猪 [language_planning][japanese][history]

 「#2459. 森有礼とホイットニー」 ([2016-01-20-1]),「#2460. William Dwight Whitney」 ([2016-01-21-1]) で,森有礼による日本の英語化についての議論を取り上げた.この森有礼の急進的な英語国語化論に敢然と対抗した一人の知識人がいた.馬場辰猪 (1850--88) である.
 馬場は,高知藩士の子として生まれ.福沢諭吉のもと慶応義塾に学び,後にイギリスへ留学し,法学を修めた.その堪能な英語力を駆使して日本を国際的に認知させることを目指すとともに,日本には留学中に学んだ近代思想を導入しようと尽力した.後にアメリカに渡り,フィラデルフィアで肺を病んで客死する.
 馬場は,一般にはそれほど知られていないことだが,明治の日本語文法史において注目すべき An Elementary Grammar of the Japanese Language (通称『日本語文典初歩』)を1873年に著わしている.森有礼が日本の英語化の持論をアメリカで発表したのに対し,馬場はこの著書をロンドンで刊行することによってそれに反論し,のちに山田孝雄をして「国語擁護論の大恩人」と言わせしめた.
 馬場 (212--23) は,その序論において,森有礼の唱える日本の英語化は,(1) 無駄な時間を費やすことになる,(2) 階級間格差が広がり国民の一体性が失われる,の2点において深刻な問題があり,採るわけにはいかないと力説する.もともとは英語で書かれたものだが,西田訳により引用しよう.

英語は現代語のなかでもっともむずかしい言語のひとつであり,わが国の言葉とはまったく異質のものですから,国民多数がそれを自分のものとするにはたいへん長い時間を要し,多くの貴重な時間が無駄に費やされるでしょう。歴史を繙いてみますと,ある国が他の国から言語を採り入れた例が多く見つかるのは事実です。しかし,たいていの場合は,国が征服された結果,否応なしにそうしたのであって,自らのためにすすんで採り入れたのではありません。ですから,森氏やその他の庶民が日本で行おうと提唱しているものとは,事情がまったく異なります。たとえある国が征服者の威力に屈して言語の採用を余儀なくされる場合でも,その国が,何百年のあいだ使い慣れ,それゆえもっとも便利である母国語を廃棄することはなかったのです。このことは,ウェールズ,アイルランド,スコットランドの国民に見られます。これらの国では,現在,事実二か国語を学んでおり,貴重な時間を無駄にしています。これで,提案の国語置換論の実施はたいへん困難であることがおわかりになるでしょう。
 当然のことですが,富裕階級の国民は,貧しい国民層がたえず拘束されている日常の仕事から解放されていますから,その結果,前者は後者より多くの時間を言語の学習にあてることができます。もし,国事が,さらに社交すべてが英語で行われることになれば,下層階級は国全体にかかわる重要問題から閉め出されるでしょう。それは,古代ローマの貴族が jus sacrum (神法),Comitia (民会)等から平民を排斥したのと同じことなのです。その結果,上層階級と下層階級は完全に分離し,両階級のあいだには共通する感情がなくなってしまいます。こうして,国民は一体として行動することを妨げられ,統一体という利点はまったく失われてしまうでしょう。


 この序論の結びとして,馬場 (214) は次のように断言する.

すでにわれわれの掌中にあり,それゆえわれわれすべてが知っているものを豊かで完全なものにすべく努めるほうが,それを捨てさり大きな危険を冒してまったく異質の見知らぬものを採用するよりも望ましい,とわれわれも考えるのであります。


 馬場の論拠は,これ以上なく妥当なものである.「#2458. 施光恒(著)『英語化は愚民化』と土着語化のすゝめ」 ([2016-01-19-1]) で取り上げた施も,馬場の見解が「現代の目から見ても非常に説得力のあるもの」 (p. 78) であり,「現代の英語化推進派への反駁としても十二分に通用する本質的な指摘である」 (p. 79) としている.

 ・ 馬場 辰猪,西田 長寿(訳) 「『日本語文典』序文」 『馬場辰猪全集 第1巻』 岩波書店,1987年.209--14頁.
 ・ 施 光恒 『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』 集英社〈集英社新書〉,2015年.

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2016-01-20 Wed

#2459. 森有礼とホイットニー [japanese][language_planning][history][elt]

 明治時代の英語公用語化論の急先鋒といえば,初代文部大臣を務めた森有礼 (1847--89) の名前が上がる.1870年代,森は日本を欧米列強のように近代化するためには英語で国づくりしなければならないと信じていた.今から思えば極端な思想に思えるが,森は日本語に欧米の先進的な概念を表わす語彙が著しく欠けていたことを真剣に憂いていたのである.
 森は,日本の英語公用語化論のための後ろ盾を得ようと,欧米の知識人に手紙を送り,英語の簡易化の要請とともに持論を説いて回った.照会した欧米知識人の一人に,当時のアメリカ言語学会の重鎮でイェール大学の教授である William Dwight Whitney (1827--94) がいた.ところが,おもしろいことに,Whitney は森の勇み足を諫めるような回答を返している.施 (71--72) より,要旨を引用する.

 ホイットニーからの返答は,おおよそ次のようなものだった。
 母語を棄て,外国語による近代化を図った国で成功したものなど,ほとんどない。しかも,簡易化された英語を用いるというのでは,英語国の政治や社会,あるいは文学などの文明の成果を獲得する手段として覚束ない。そもそも,英語を日本の「国語」として採用すれば,まず新しい言葉を覚え,それから学問をすることになってしまい,時間に余裕のない大多数の人々が,実質的に学問をすることが難しくなってしまう。その結果,英語学習に割く時間のふんだんにある少数の特権階級だけがすべての文化を独占することになり,一般大衆との間に大きな格差と断絶が生じてしまうだろう。
 まさに,ホイットニーが懸念したのは,前章で見たラテン語から「土着語」への知識の「翻訳」の努力を通じてヨーロッパの庶民が享受した知的な進歩への道を,日本人が自ら閉ざしてしまうのではないかということだったのだ。
 さらに,ホイットニーは次のように述べ,森有礼に日本語による近代化を勧めている。

「たとえ完全に整った国民教育体系をもってしても,多数の国民に新奇な言語を教え,彼らを相当高い知的レベルにまで引き上げるには大変長い時間を要するでしょう。もし大衆を啓蒙しようというのであれば,主として母国語を通じて行われなければなりません」

 そしてホイットニーは,日本文化の「進歩」のなかには,「母国語を豊かにする」ことが含まれなければならないと説いた。豊かになった「国語」こそ,日本の文化を増進する手段であり,それが一般大衆を文化的に高めることにつながるというのである。


 言語学史上著しい地位を占める Whitney が,このような形で明治日本の英語公用語化論に関わっていたとは知らなかった.
 なお,森は極端な欧化主義者とみなされ,後に国粋主義者により暗殺されてしまった.

 ・ 施 光恒 『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』 集英社〈集英社新書〉,2015年.

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2016-01-19 Tue

#2458. 施光恒(著)『英語化は愚民化』と土着語化のすゝめ [review][linguistic_imperialism][hel][japanese][language_planning][language_myth][hel_education][elt][bible]

 「#2306. 永井忠孝(著)『英語の害毒』と英語帝国主義批判」 ([2015-08-20-1]) で紹介した書籍の出版とおよそ同時期に,施光恒(著)『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』という,もう1つの英語帝国主義批判の書が公刊されていた.ただし,力点は,英語帝国主義批判そのものというよりも日本の英語化への警鐘に置かれている.この分野の書籍の例に漏れず挑発的なタイトルだが,著者が言語学や教育学の畑ではなく政治学者であるという点で,私にとって,得られた知見と洞察が多かった.
 現代日本のグローバル化と英語化の時勢は,近代史がたどってきた流れに逆行しており,むしろ中世化というに等しい,と著者は主張する.西洋近代は,それまで域内の世界語であったラテン語が占有していた宗教的・学問的な特権を突き崩し,英語,イタリア語,スペイン語,フランス語,ドイツ語など土着語の地位を高めることによって,人々の間に分け隔てなく知識を行き渡らせることを可能にした.人々は母語を通じて豊かな情報に接することができるようになり,結果として階級間の格差が小さくなった.これが,近代化の原動力だという.具体的には,聖書の各土着語への翻訳の効果が大きかった.
 もし現代世界で進行している英語化がやがて完了し,かつてのラテン語のような特権を享受するようになれば,英語を理解しない非英語母語話者は情報へのアクセスの機会を奪われ,社会のあらゆる側面で不利益を被るだろう.つまり,多くの人々が中世の下級民のような地位,つまり「愚民」の地位へと落ちていくだろう,という.確かに,日本人にとって,日本語という母語・土着語を通じて情報にアクセスするのが,物事の理解・吸収のためには最も効率がよいはずであり,その媒体が英語に取って代わられてしまえば,能率は格段に落ちるはずだ.
 著者は,今目指すべきは英語化ではなく,むしろ土着語化であるという逆転の発想を押し出している.では,世界中で英語やその他の言語により発信される価値ある情報は,どのように消化することができるだろうか.その最良の方法は,土着語への翻訳であるという.明治日本の知識人が,驚くべき語学力を駆使して,多くの価値ある西洋語彙を漢語へ翻訳し,日本語に浸透させることに成功したように,現代日本人も,絶え間ない努力によって,英語を始めとする外国語と母語たる日本語とのすりあわせに腐心すべきである,と (see 「#1630. インク壺語,カタカナ語,チンプン漢語」 ([2013-10-13-1])) .
 英語が無条件に善いものであるという神話や英語化を前提とする政策の数々が,日本中に蔓延している.この盲目的で一方的な英語観の是正には,英語史を学ぶのが早いだろうと考えている.施 (215) の次の主張も傾聴に値する.

英語の隆盛の一因は,さかのぼれば,イギリス,そしてアメリカの植民地支配の歴史にある。また,第二次世界大戦後,イギリスやアメリカが,植民地を手放す際,旧植民地における実質的な政治力やビジネス上の有利さを残すため,国家戦略の一端として英語の覇権的地位を保ち,推進するよう努めてきた「成果」でもある。


 『英語化は愚民化』よりキーワードを拾ったので,次に示しておこう.英語教育改革,英語公用語化論,オール・イングリッシュ,グローバル化史観,啓蒙主義,新自由主義(開放経済,規制緩和,小さな政府),TPP,ボーダレス化,リベラル・ナショナリズム,歴史法則主義.

 ・ 施 光恒 『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』 集英社〈集英社新書〉,2015年.

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2016-01-15 Fri

#2454. 文字体系と表記体系 [grammatology][writing][japanese][orthography][terminology]

 「文字体系」「書記体系(書記法)」「表記体系(表記法)」という用語は,論者によって使い方が異なるが,私は以下のように考えたい.現代の日本語表記でいえば,そこでは平仮名,片仮名,漢字,ローマ字という独立した「文字体系」が区別される.それぞれの文字体系に関しては独自の「書記法」があり,例えば仮名では仮名遣いが,漢字では常用漢字の使用や熟字訓に関する規範がある.また,文字体系の使い分けや送り仮名の規則など,複数の文字体系の混用に関する標準的な決まりごとがあり,それは日本語の「表記体系」と呼びたい.
 この辺りの問題,特に「文字体系」と「表記法」という用語の問題について,河野・西田 (pp. 179--82) が対談している.以下は,西田の発言である.

 日本語の文字体系という問題に入りますけれども,まず,文字体系と表記法というのは別の問題だと思うのですね。表記法というのは,どういうふうに日本語を書き表わしているかということです。一方,文字体系というのは,たとえば仮名は仮名で一つの文字体系をもっている。漢字は漢字で一つの文字体系をなしている。ローマ字はローマ字で別の一つの文字体系をもってる。ですから,日本の場合だと,そういう文字体系を混用しているところに特徴があるわけですね。その混用していることをどう考えるかという問題だと思います。
 表記法の問題であれば,たとえば今の仮名遣いがそれでいいのか,どういうふうに改良したらいいのかという問題になってきて,これは面倒なことになりますから,あまり個人的な意見をいうのはちょっとむずかしいと思いますので,文字体系が混用されていることをどう考えるかという問題として取り上げたいと思います。
 そうすると,日本語の表記には少なくとも三つの文字体系を覚えなければいけない。三つというのは,漢字と仮名――片仮名・平仮名ですね――それからそれに付随してローマ字です。三つの文字体系を覚えなければいけないというのは,記憶に対して非常に負担になるということは一応あるわけですが,それを除いて,三つでも四つでも誰でも記憶できるのだということで考えた場合には,非常に便利ではないかと思うのですね。
 文字体系の混用といっても,どの場面にどの文字を使うかが,習慣的にかなりの程度に決まっている。たとえば漢語からきたものは漢字で書く。それから日本的な文法的要素は仮名で書く,欧米からきた借用語は片仮名で書く。そういう,だいたいの配分のようなものが決まっていて,その上で混用されているということになると思います。
 たとえば漢字がわからなければ仮名で書いておけばいいわけで,これは非常に便利なことだろうと思います。ほかの言語では,おそらくこのように混用している言語というのは非常に少ない,あるいはほとんどないのではないか。必ずしもそうとはいえないかもしれませんが,そのことはあとでまたちょっと触れたいと思います。
 文字の混用はどういう意味があるかといいますと,日本語を書くときに,漢字を使うか,仮名を使うかという選択があった場合に,どちらの文字を使えばより効果的かの一つの判断に立って使っているわけだと思います。漢字の中でも,どの漢字を使うか,たとえばヨロコブには「喜」を使うか,あるいは「慶」を使うか,はたまた「悦」を使うか,これは一つの判断によって決めているわけなんで,そういう文字の選び方は,その文字がもっている本来の価値と付加価値というんですか,その言葉を表記するためにいろいろな人が使っているうちに,自然に付加された価値によっている。それは単に言葉を表記している,意味を表記しているとか,発音を表記しているとか,そういうものだけじゃなくて,歴史の流れの中でそれにプラスされてきた別な価値が生きてくる。その付加価値をどう判断しているかということになると思うのですね。
 ですから,字形のもつ価値以外のものは,別に研究していく必要があると思います。
 また片仮名を挿入することがどういう意味をもつかということですね。付加価値についての調査はあまりされていないと思うのです。それから複数の文字体系の使用の問題ですが,例えば中国の場合,普通みな漢字だけを使っていると思うわけですけれども,実はそうじゃなくて,拼音文字といわれるローマ字表記が併用されている。もう少し遡った段階では,注音符号という文字が使われていた。ですから,必ずしも文字体系がすべて漢字だけであるとはいえないと思いますね。


 このように,とりわけ日本語の表記法の特徴は,ことばを書き記す際に,使用する文字体系やその混用の様式を,書き手がある程度主体的に決められるという点にある.
 関連して「#2391. 表記行動」 ([2015-11-13-1]),「#2392. 厳しい正書法の英語と緩い正書法の日本語」 ([2015-11-14-1]),「#2409. 漢字平仮名交じり文の自由さと複雑さ」 ([2015-12-01-1]) を参照されたい.

 ・ 河野 六郎・西田 龍雄 『文字贔屓』 三省堂,1995年.

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2016-01-09 Sat

#2448. 書字方向 (1) [writing][grammatology][medium][japanese][direction_of_writing][hebrew]

 書字方向とは,文字を書き進めてゆく向きである.英語では,左から右へと横書きで書き進めて行き,行末に来たら下に行移りして,再び左から右へと書き進める(=左横書き).日本語は英語と同様に横書きもできるが,伝統的には縦書きであり,その場合には上から下へと文字を書き連ね,行移りは右から左へと展開する(=右縦書き).このように普段使い慣れている文字体系については,その書字方向がいかにも自然なもの,必然的なものに感じられるが,これらは伝統的な習慣にすぎない.特定の書字方向が直感されるほど普遍的でないことは,古今東西の様々な例をみれば分かる.
 横書きから見てみよう.現在でもアラビア語,ヘブライ語,シリア語などは右から左へと書字を進める右横書きを採用している.ヨーロッパでも,古くは初期ギリシア語や初期ラテン語の碑文などに見られるように,右横書きが行われていた.おもしろいのは牛耕式 (boustrophedon) と呼ばれる書字方向で,これはある行を右から左へ書いたら,次行は左から右へというように交互に逆方向に書き進める方式だった.牛耕式はエジプト聖刻文字,初期ギリシア語,古代小アジアの象形文字などに見られ,鳥などをかたどった象形文字の字形は,典型的に行の向きに応じて左右反転するという特徴があった.ギリシア語やラテン語における右横書きから左横書きへの転換の背景には,より古い段階の牛耕式において,いずれの方向も可能であったという事実が関係していたと思われる.
 次に,縦書きについて.縦書き文字の代表選手は,いうまでもなく漢字である.日本,韓国,モンゴル,ベトナムなど漢字に影響を受けた東アジアの文化圏でも,伝統的に縦書きの慣習が採用されてきた.殷墟から発見された漢字の祖型といえる3千数百年前の甲骨文字でも,すでに縦書きが採用されていたが,行移りに関しては,1枚の骨の上ですら,左方向と右方向の両者が確認される.なぜこのように異なる方向の行移りが行われていたのかは詳しく分かっていないが,阿辻 (34)によれば「ただ総じていえば,甲骨文字では骨や甲羅などの記録媒体の周辺部に書かれる文章は外側から内側に行が進み,逆に中心部に書かれる文章では行が内側から外側に進んでいく傾向があるようだ」.しかし,甲骨文字とほぼ同時代の金文では右縦書きが採用されており,これ以降,現在に至るまで漢字文献は右縦書きが基本となっている.この書字方向の定着について,阿辻 (36) は次のように解説している.

行が右から左に進むようになったのは,おそらく竹簡(ちっかん)や木簡(もっかん)のような幅の狭い素材に文字を書き,それを何本も並べて紐で綴じた原始的な書籍の形態に由来するのだろう。何枚もの札をならべて紐で綴じる場合,右利きの人間なら当然,最初の札が一番右端にくるように綴じるはずだ。木簡・竹簡からやがて紙の巻き物に変わっても,紙を右方向に繰り出すのだから,文字を書いた行も右から左に進むこととなった。


 とはいっても,漢字の影響を受けたウイグル文字,モンゴル文字,満州文字で,漢字とは逆の左縦書きが採用されている例があるし,屋名池 (49) によれば,幕末から明治にかけての左綴じ洋学書の序文や凡例では日本語でも左縦書きが実践された.
 縦書きについて,非常に珍しい事例として,下から上へ書かれる文字がある(阿辻,pp. 37--38).北アフリカで半遊牧生活を送るベルベル人の一部が用いるティフナグ文字というもので,今でも岩壁の碑文などにわずかに残っているという.書き手が下から上へ手を伸ばして刻んでいったものであり,届かない高さになると,行を変えて再び下から書き上げていくということらしい.書き手の背の高さまでおよそ計測できるのがおもしろい.上から下という方向性は重力の影響下に生きる人類にとってほぼ普遍的かと思われたが,それすらも反例があったということである.世界は広い.
 最後に,縦書きと横書きを併用できる日本語,中国語,ハングルなどは,古今東西,非常に珍しい文字体系であることに触れておきたい.ほかにもエジプト聖刻文字,梵字,彝文字では縦横両方の書字方向が可能だったが,現代世界で常用されているという点では,日本語のような書字方向の慣習は,きわめて珍しいと言わざるをえない.
 書字方向は,当然のことながら,時間軸に沿って1次元的にしか進み得ない線状性 (linearity) に縛られた口頭言語にとっては無縁の話題であり,空間上に展開される書記言語だからこそ論じられる問題である.書字方向は,文字論における「統字論」における重要なトピックであることを言い添えておきたい.関連して,「#1829. 書き言葉テクストの3つの機能」 ([2014-04-30-1]) の記事において触れた,エスカルピの指摘する書記言語の図像的機能も参照.

 ・ 阿辻 哲次 『一語の辞典 文字』 三省堂,1998年.
 ・ 屋名池 誠 『横書き登場―日本語表記の近代』 岩波書店〈岩波新書〉,2003年.

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2015-12-22 Tue

#2430. 日本語の表記体系の保守性 [writing][grammatology][japanese][alphabet][romaji]

 「#2408. エジプト聖刻文字にみられる字形の変異と字体の不変化」 ([2015-11-30-1]),「#2412. 文字の魔力,印の魔力」 ([2015-12-04-1]),「#2417. 文字の保守性と秘匿性」 ([2015-12-09-1]) の記事で,文字体系の保守性について議論した.しかし,身近なところで考えてみれば,日本語の表記体系こそ保守的ではないだろうか.確かに,「#2386. 日本語の文字史(古代編)」 ([2015-11-08-1]) や「#2387. 日本語の文字史(近代編)」 ([2015-11-09-1]) で歴史を振り返ったように,日本語の表記体系は様々な変化を経てきたことは事実であり,その意味では「保守的」といえないかもしれない.しかし,やや特殊な位置づけにあるローマ字は別としても,漢字,平仮名,片仮名という3つの文字体系を混合させた表記体系の歴史は,その費用対効果の悪さにもかかわらず,約千年間続いている (cf. "[The writing system of Japanese is] too expensive a cultural luxury for any people in the present age" (qtd. Gardner 349 from Boodberg 20)) .明治以降,ローマ字化 (romanisation) の機運も生じたが,結果的に改革はなされずに混合的な表記体系のまま現在に至っているのである.
 この日本語表記体系の保守性は,特にアルファベット文化圏の目線から眺めると異様に映るのかもしれない.日本語(の漢語)のローマ字による翻字 (transliteration) 方法を提案した書籍に対する書評を読んでみた.著者も評者もアルファベット文化圏で育った人物のようであり,その目線からの日本語表記体系の評価は,それを常用し当然視している者にとっては,むしろ新鮮である.
 例えば,評者 Gardner は明治期にローマ字化の改革が失敗したことを,英語における綴字改革の成功した試しがないことと比較している.これは,文字体系の保守性という一般的な議論に通じるだろう.". . . societies formed to advocate the use of romanization for Japanese . . . fared little better than societies for the reformation of English spelling" (349).
 しかし,とりわけ日本語ローマ字化の失敗の理由を挙げているくだりがおもしろい.Gardner は,(1) 漢字を芸術の対象とみる傾向,(2) 漢字を使いこなす能力を規律,勤勉,権威の象徴とみる傾向,(3) 漢字の表語性の価値を認める傾向,(4) 大量の同音異義語の弁別手段としての漢字の利用,を理由として挙げている.(1) と (2) は文字をめぐる社会文化的な要因,(3) と (4) は言語学的・文字論的な要因といえるだろう.それぞれを説明している部分を Gardner (349) より引用したい.

The passive resistance to romanization draws much of its strength from the high regard for writing as an art. The point is difficult for a westerner to grasp, but good calligraphy is considered as much an index to a man's character as his appearance.

The acquisition of reading and calligraphy represents an investment of long hours of exacting discipline and endless memory work. Why should a statesman, a businessman, or an ordinary citizen---much less a scholar---accept easily the idea of throwing away this proud achievement in order to learn a foreign system that he will read haltingly at first and in which his handwriting will scarcely be distinguishable from a schoolboy's?

[The pronouncement is frequently heard] that the character cannot be separated from the word, or even that the character is the word. The Japanese feel that the understanding of a literary passage would somehow be impaired if the complex reaction to the characters were not brought into play.

Strongest of all is the firm conviction on the part of many Japanese that because of the enormous number of homonyms that exist in the technical and semi-learned language, this would be confusing or unintelligible if reduced to romanization.


 日本語の表記体系を外側から,とりわけアルファベットに慣れ親しんでいる者の視点から眺めると,その非常な保守性に気づくことができる.

 ・ Gardner, Elizabeth F. "Review of UCJ: An Orthographic System of Notation and Transcription for Sino-Japanese. By Peter A. Boodberg. (University of California Publications in East Asiatic Philology, Vol. 1, No. 2, pp. 17--102.) Pp. iii, [86]. Berkeley and Los Angeles: University of California Press, 1947." Language 26 (1950): 346--55.

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2015-12-01 Tue

#2409. 漢字平仮名交じり文の自由さと複雑さ [grammatology][writing][orthography][japanese][kanji][hiragana][alphabet]

 「#2392. 厳しい正書法の英語と緩い正書法の日本語」 ([2015-11-14-1]) で話題にしたように,現代日本語の通常の表記法である漢字平仮名交じり文は,古今東西でまれにみる自由さを持ち合わせている.エジプト学者の加藤 (218) は,これに類する例は,エジプト聖刻文字くらいしかないのではないかと述べている.

日本語の文章を書くとき、漢字とカナとを適度に配合できる「自由さ」は、古代エジプト語において表意文字、表音文字、決定詞を配合したような場合を除けば、現在では他の国にほとんど例のない「自由さ」であろう。しかし、この自由さのために、私たちは、日本文を書く場合にも読む場合にも、無意識のうちに、無駄なエネルギーを費やしているのかもしれないし、またこの自由さが、知らず知らずのうちに「正確な文章」よりも「ムードによる文章」をつづらえる傾向を私たちのあいだにうえつけているかもしれない。ともかく、この種の自由さ、便利さは、児童や外国人が日本の文字を習得する場合に、かえって一つの障害となっているのではなかろうか。


 なるほど,漢字平仮名交じり文は積極的にとらえれば自由で便利となるが,消極的にとらえれば不正確で主観的ということになる.
 また,漢字平仮名交じり文は,日本語母語話者にとっても非母語話者にとっても,学習するうえで難解であることは間違いない.すでにこの慣習に慣れてしまっている者にとっては,その難解さを感じにくいのだが,表語文字体系である漢字と表音文字体系である平仮名を混在させているというのは,理屈の上でたいへん込み入っているということは了解できるだろう.しかも,表語文字体系である漢字のなかでも字音と字訓が区別されており,複雑さが倍増するということも,理屈の上で想像されるだろう.この辺りの事情について,日本語の文字体系の発達史と関連づけながら,藤枝 (217--18) が以下のように鋭く洞察している.

もともと漢字は表音文字であると同時に表意文字であるが、仮名は漢字の表意の方をすてて表音だけを採った。そうなると文章がやたらに長くなるので、日本語の文章の間に漢字をそのまま挟むという芸当をやるようになった。芸当と呼ぶのは、そこで漢字は時に本来の音が無視せられて、日本訓みせられるからである。つまり、表音をすてて表意だけを採る。また、本来の音と意味とをそのままに漢語も挟みこむ。全く融通無碍の芸当という外はない。その結果として、われわれが受けてきた学校教育では、極めて多くの時間、というより年月が、この芸当の習得に充てられることになった。


 ここでは,中国語の表語文字体系である漢字が日本において字音,字訓,仮名の3種類へと分化し,その3種がすべて用いられている事実が,驚きとともに述べられている.日本で発達した文字体系とその使用法について,藤枝の説明をもう少し補足しよう.中国語の漢字に形・音・義の3つの属性が備わっていることを前提とすると,日本語表記のために発達した字音,字訓,仮名の3種は,件の漢字の属性を次のように保持したり変化させたりした.

 
字音保持保持保持
字訓保持日本語化保持
仮名超草書体化保持/日本語化捨象


 この3種の異なる文字使用について,いずれも字体の起源は漢字にあるという点が重要である.
 さて,この複雑さを英語とローマン・アルファベットを用いた比喩で再現してみたい.古代日本人の接触したのが,中国語と漢字ではなく,英語とローマン・アルファベットであったと想像してみよう.彼らは,相手が英語で "he went to church yesterday." と話して書くのを,聞いて読んだ.英語を通じて初めてアルファベットに接した日本人は,数世紀の間,この言語と文字体系を学び,この文字体系によって自分たちの母語である日本語を表記する方法を探った.そして,試行錯誤の末についにそれを手に入れた.

hewayesterdayCHURCHnigotta.


 すべてはアルファベットと,その変異であるイタリック体と大文字で書かれている.通常字体の部分は字訓で,大文字体の部分は字音で,イタリック体の部分は日本語音として読むというのがルールである.したがって,この文は /karewakinoːʧaːʧiniitta/ (彼は昨日チャーチに行った)と音読できる.
 漢字平仮名交じり文を日常的に読んでいる者は,このようなことを当たり前に実践しているのである.(もっとも,表語文字である漢字を表音文字であるアルファベットに喩えているので,完全な比喩にはならない.あしからず.)

 ・ 加藤 一郎 『象形文字入門』 講談社〈講談社学術文庫〉,2012年.
 ・ 藤枝 晃 『文字の文化史』 岩波書店,1971年.1991年.

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2015-11-14 Sat

#2392. 厳しい正書法の英語と緩い正書法の日本語 [grammatology][writing][orthography][kanji][hiragana][katakana][romaji][japanese][spelling][standardisation]

 昨日の記事「#2391. 表記行動」 ([2015-11-13-1]) で,厳しい正書法をもつ現代英語と,正書法の緩い現代日本語の対比に触れた.正書法 (orthography) とは,基本的には語の書き表し方の規則である.英語であれば語の綴り方のことになり,日本語であれば使用漢字の制限,漢字と送り仮名,仮名遣い,同訓異字,外来語表記などの問題が関係する.日本語の正書法について内閣の告示や訓令によって「目安」や「よりどころ」はあるとはいえ,強制力はなく,そこから逸脱したものが即「間違い」になるわけでもないという点では,やはり現代英語の正書法とは異なり,緩いものと見なさざるを得ない(日本語のこの問題に関しては,今野(著)『正書法のない日本語』を参照).
 そもそも日本語は漢字,平仮名,片仮名,ローマ字という4つの文字体系で書き表すことができる.英語ではある動物の名前を書き表すのに,書体,字形,大文字・小文字などの区別を無視すれば,<cat> と綴る以外に選択肢はない.しかし,日本語では <猫> のほか,<ねこ> や <ネコ>,また場合によっては <neko> ですら許容され,いずれも間違いとはいえない.日本語の表記においては,書き手の置かれている文脈・場面・状況や書き手の気分により,表記に判断や選択の余地がある.それでも古い日本語に比べれば,現代日本語にはある程度の「目安」や「よりどころ」があるのも事実であり,正書法がまったくないと言うこともできない.
 世界の主要な言語に関していえば,書記の近現代史は,程度の差はあれ標準化と規範化の歴史といえる.政府機関やアカデミーが関与して正書法を制定するフランスのような国もあれば,数世紀をかけて下からのたたき上げで正書法を確立したイギリスのような国もある.日本では,明治時代以降,政府が介入して指針を示してきた.多くの言語はその過程でおよそ「厳しい」正書法を確立してきたが,日本語の正書法は,珍しいことにあくまで「緩い」状態にとどまっている.
 このように国ごと,言語ごとに正書法確立の歴史は異なっているが,この違いが何に由来するのかを問うことは無意味だろうか.社会,文化,政治,歴史といった社会的要因はもちろん関与するだろうが,そのほかに部分的にであれ,書き表す対象の言語体系や採用されている書記体系の性質そのものに由来する諸要因の関与を想定することはできないだろうか.これは,各言語の表記体系の規範化についての話題だが,その前に各時代における当該の表記体系の記述的な研究がなされなければならないだろう.

 ・ 今野 真二 『正書法のない日本語』 岩波書店,2013年.

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2015-11-09 Mon

#2387. 日本語の文字史(近代編) [kanji][hiragana][katakana][romaji][japanese][writing][grammatology][orthography]

 昨日の記事に引き続き,佐藤編著の第4章「近代の文字」 (pp. 63--83) に依拠して近代編をまとめる.
 古代,漢字の担い手は一部の教養層に限られていたが,近代になるにつれ,富裕な町人層へ,そして教育を通じて一般に国民へと開かれていった.とはいえ,漢字という難解な文字体系が社会へ広く浸透するには困難を伴ったはずであり,仮名の読み書きに比べて浸透が相対的に遅れたことは確かだろう.漢字の拡がりには,活字による出版という新メディアの登場が一役買ったことは間違いない.室町末期から「古活字版」が盛んに行なわれ,その後,振り仮名も付した「製版」を通じて,人々が漢字を含む文字に触れる機会は増した.なお,実用的な漢字の書体は草書や行書であり,規範的な表記から逸脱した当て字も通行したことを付け加えておこう.
 明治時代になると,漢字の使用制限の機運が高まった.前島密は慶応2年 (1867) に「漢字御廃止之議」を建白し,もっぱら仮名書きを提唱した.福沢諭吉は,明治6年 (1873) に,漢字全廃には同意できないが,2, 3千字程度に抑えるべきだと主張した.そのような状況下で文部省は明治33年 (1900) に教育用漢字1200字を定め,その後も戦前・戦中を通じていくつかの漢字制限案を出した.戦後,昭和21年 (1946) には1850字からなる「当用漢字表」が公布された.これは規範としての性格が強いものだった.昭和56年 (1981) には,その改訂版として1945字からなる「常用漢字表」が公布され,こちらは規範性は低くなり「目安」にとどまることになった.
 一方,仮名については,近代は字種が統一されていく時代といってよい.近代初期には,普通の文章は漢字平仮名交じり文で書かれており,片仮名は注釈などに限定されていた.片仮名の字体は,古代より比較的よく統一しており,中世でもヴァリエーションはあまりなく,明治33年 (1900) に「小学校令施行規則」で現行の字体に定められた.対照的に,平仮名には近代まで多くの字体,いわゆる変体仮名が認められた.変体仮名にも位置による使い分けなどある種の傾向は見られたが,統一性がみられないまま現代を迎えることになった.
 仮名遣いについては,上代より定家仮名遣いが影響力を保ったが,近世になると契沖が元禄8年 (1695) に『万葉集』の注釈に従事しながら定家仮名遣いの不備に気づき,『和字正濫鈔』を著わして,上代文献に基づく仮名遣いへの回帰を主張した.「を」と「お」の分布や「四つがな」(じずぢづ)の問題にも言い及び,後に本居宣長,楫取魚彦などに支持されていくことになる.契沖仮名遣いは,明治時代に入ってからも国学者により採用され,文部省編纂の『小学教科書』(明治6年 (1873))にも採用された.大槻文彦の『言海』(明治24年 (1891))でも受け入れられ,その後,昭和21年 (1946) に「現代かなづかい」が公布されるまで続いた.
 もう1つの日本語を書き記す文字体系であるローマ字については,「#1879. 日本語におけるローマ字の歴史」 ([2014-06-19-1]) を参照されたい.
 最後に,補助符号の歴史に簡単に触れておこう.濁点(濁音符)は古代の漢字訓読に母型が見られるが,陀羅尼を正確に発音させるために漢字,そして片仮名に付された符号から発達したものといわれる.しかし,濁点の付与は,中世まではキリシタン資料を除けば一貫していなかった.江戸時代前期の上方資料では,濁点の形式も定まり,よく付されるようにはなっているが,いまだ義務的ではない.明治時代以降も『大日本帝国憲法』などの漢字片仮名交りの公用文には濁点は付されていないし,文脈で判断される場合にもしばしば省略された.なお,半濁点(半濁音符)は,ずっと発生が遅れ,現われたのは近代である.キリシタン資料を除けばやはり使用は体系的でなく,江戸時代中期以降になって蘭学者の書記において頻度を増してきた.
 句読点の起源は古代に求められる.漢文訓読において,読み手が文章を統語的に区切るのに書き込んだのがその起こりである.室町時代には,読み手の便宜を図って,句読点は活字に組まれるようになった.しかし,句点と読点の使い分けの区別を含め,現行の句読法が確立していったのは,明治40年 (1907) 以降である.これには,西洋の句読法 (punctuation) の影響が関与している.その他,長音記号「ー」や促音符号「っ」の使用も明治時代に定まったものである.「踊り字」と称される種々の繰返し符号(漢字繰返し符号「々」,仮名繰返し符号「ゝ」「ゞ」など)は,古代に発達し,近代にも普通に用いられたが,「現代かなづかい」の告示以降は,ほとんど用いられなくなった.
 近代の日本語文字史は,文字が社会に広く浸透し,文字使用への意識の高まりとともに,標準的な書記が模索がされるようになってきた歴史ということができる.

 ・ 佐藤 武義 編著 『概説 日本語の歴史』 朝倉書店,1995年.

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2015-11-08 Sun

#2386. 日本語の文字史(古代編) [kanji][hiragana][katakana][japanese][writing][grammatology][orthography]

 佐藤編著の第3章「古代の文字」 (pp. 42--62) に基づき,日本語の文字史(古代編)を略述する.
 日本語の文字史は,漢字の伝来として始まる.有名な「漢委奴国王」の金印から推測されるように,弥生時代にはすでに漢字は物品とともに日本に持ち込まれていたようだ.2--3世紀からも,漢字を帯びた太刀や鏡の遺品が出土している.しかし,数世紀の間,日本人はそれを文様としてしかとらえず,文字として理解することはなかった.
 漢字が,それを使いこなす人々とともに日本にもたらされるようになったのは,所伝によると,阿直岐や王仁が百済から渡来した4世紀後半のことであると考えられる.和歌山県橋本市の隅田八幡神社に伝わる人物画像鏡の銘文,熊本県玉名郡の江田船山古墳出土鉄剣の銘文,埼玉県行田市の稲荷山古墳出土鉄剣の金象嵌銘文などは最初期の漢字使用例であり,渡来系の史官による正格の漢文だが,仮借による日本語固有名詞の表記が見られる.6世紀までの金石文は帰化人の手になるものが多いが,それ以降は仏教伝来や儒教経典の貢納を通じて,日本人による本格的な漢字学習が始まったものと思われる.なお,漢字伝来以前にも日本固有の文字として「神代文字」があったとする説もあるが,今では事実ではないと信じられている.
 日本語とは系統も類型も異なる中国語を表わす漢字を,日本語を表わすのに応用しようとした古代日本人は,その後,しばらくの間,試行錯誤を繰り返した.そのような試行錯誤の成果の1つが,(和)訓の成立である.これにより,漢字と対応する和単語との関係が安定するようになった.また,正格漢文ではなく,日本語の統語や形態に従ったいわゆる変体漢文が,7世紀後半の法隆寺金堂薬師如来像銘などに現われるようになったのも,そのような試行錯誤の成果の1例である.8世紀に入ると太安万侶が『古事記』の序文で,日本語を漢字で表記することの困難について歴史上初めて自覚的に言及した.『古事記』では,正訓字と音仮名が両用されており,読み分けの工夫も図られている.このように漢字の日本語への手なずけが進む一方で,律令制度のもとで正格漢文の役割は衰えず,全体として漢字が社会に浸透していった.
 8世紀の『万葉集』では,漢字の日本語への適用がさらに成熟していた跡がうかがえる.変体漢文で音訓交用で表記された歌では,助詞・助動詞が記されておらず,これは略体表記とも称されるが,読みにくかったことから誤読を避けるための種々の工夫が凝らされるようになる.捨て仮名的な文字を書き添えて読みを補助的に示したり,視覚にのみ訴える効果をもった不読文字を添えるなどして,漢字の表現力をますます利用する段階へと進んだ.
 万葉集の文字使用に代表される万葉仮名の発達は,正音,正訓,義訓,音仮名,訓仮名,戯書などを駆使して,真仮名のみで日本語を自在に表記できるようになった点で,日本語文字史上,画期的な事件だった.いまだ音節と真仮名の対応は1対多ではあったが,決してランダムではなく上代特殊仮名遣いと称される規則に基づいて選択・使用されていた.万葉仮名は,その表音(節)的な側面が注目されることが多いものの,実は固定的な語表記もみられるなど,表語的なまとまりの発展においても重要な文字体系である.
 漢字の日本語への手なずけは,さらに国字や国訓の発達という形を取って進み,ついに真仮名(男手)から,その草書体に基づく草仮名を経て,仮名の誕生をもたらした.純粋に日本語の音節の各々を表わすことを目的とする文字(=仮名)が生まれたのである.平仮名文(実際には平仮名と少数の漢字の交用文)は和歌を書き記すのに発達したが,平仮名ばかりでは読みにくいこともあり,統語的な区切りの位置を効果的に示す手段として,連綿,墨継ぎ,特定の漢字,異種の仮名が使い分けられるなどした.
 さて,ここで片仮名の発達に移ろう.片仮名の起源は,漢文訓読のための心覚えとして,字画の少ない真仮名により,訓などを行間に書き込んだことにある.字画の省略などにより不完全な漢字とみなされたところから,「片」仮名の名称が起こったのだろう.片仮名はすでに10世紀半ばには漢字と明確に異なるものとして体系が整えられた.平仮名が美的価値を伴っていたのに対し,片仮名は臨時的,符合的,補助的,表音的,実用的な文字体系という役割を与えられ,その特徴は現在まで色濃く残っている.片仮名文(実際には多くの漢字との交用がほどんど)においては,片仮名は送り仮名,活用語尾,助詞・助動詞の表記に用いられた.片仮名のこうした用法は,古くから宣命や祝詞に用いられた宣命体において,助詞・助動詞や語尾を音仮名で小書きした慣習と関係する可能性があり,文字史的には興味深い.
 次に,仮名遣いの話題に移ろう.仮名と音節との関係は,主として音韻変化により時間とともにずれてくることは不可避である.文字と音の関係が1対多,あるいは多対1になると,毎回の使用に際して選択の余地が生じる.この選択を秩序づけるための規則が,仮名遣いである.仮名遣いには,自然発達といえるものから,人によって規範的に制定されるものまで種々のものがあるが,日本語史上,影響力をもったものは定家仮名遣い,契沖仮名遣い(及びそれに基づく歴史的仮名遣い),現代仮名遣いの3種である.定家仮名遣いは,藤原定家 (1162--1241) が古典の本文整定のために,そして仮名の効果的な運用のために定めたものであり,「を」と「お」の区別などを説いた.その後,この仮名遣いは,行阿(源知行)による整理を経て,近世に至るまで絶大な影響力を誇った.
 古代の日本語文字史は,漢字を様々な方法で手なずけ,改変し,自由自在な日本語表記を達成する過程だったといえよう.続く近代編は,明日の記事で.

 ・ 佐藤 武義 編著 『概説 日本語の歴史』 朝倉書店,1995年.

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2015-10-23 Fri

#2370. ポルトガル語からの語彙借用 [portuguese][loan_word][borrowing][japanese]

 昨日の記事「#2369. 英語史におけるイタリア語,スペイン語,ポルトガル語からの語彙借用の歴史」 ([2015-10-22-1]) に関連して,今回はとりわけポルトガル語からの借用語に焦点を当てよう.ポルトガルが海洋国家として世界に華々しく存在感を示した16世紀以降を中心として,以下のような借用語が英語へ入った (Strang 125, 宇賀治 113) .ルーツの世界性を感じることができる.

 ・ 新大陸より: coco(-nut) (ココヤシの木(の実)), macaw (コンゴウインコ), molasses (糖蜜[砂糖の精製過程に生じる黒色のシロップ]), sargasso (ホンダワラ類の海藻)
 ・ アフリカより: assagai/assegai ([南アフリカ先住民の]細身の投げ槍), guinea (ギニー(金貨)[1663--1813年間イギリスで鋳造された金貨;21 shillings に相当;本来アフリカ西部 Guinea 産の金でつくった]), madeira (マデイラワイン[ポルトガル領 Madeira 島原産の強く甘口の白ワイン]), palaver (口論;論議), yam (ヤマイモ)
 ・ インドより: buffalo (スイギュウ), cast(e) (カースト[インドの世襲階級制度]), emu (ヒクイドリ), joss (神像), tank ((貯水)タンク), typhoo (台風;後にギリシア語の影響で変形), verandah (ベランダ)
 ・ 中国より: mandarin ((中国清朝時代 (1616--1912) の)高級官吏), pagoda (パゴダ)
 ・ 日本より: bonze (坊主,僧)

 ポルトガル本土に由来する借用語には moidore (モイドール[ポルトガル・スペインの昔の金貨;18世紀英国で通用]), port (ポート(ワイン))などがあるが,むしろ少数である.関連して「#1411. 初期近代英語に入った "oversea language"」 ([2013-03-08-1]) や「#756. 世界からの借用語」 ([2011-05-23-1]) で挙げた例も参照.
 なお,日本語からポルトガル語を経由して英語に入った bonze は16世紀末の借用語だが,同じ時期に,ポルトガル語から日本語への語彙借用も起こっていたことに注意したい.借用語例は「#1896. 日本語に入った西洋語」 ([2014-07-06-1]) で挙げたとおりである.いずれも,当時のポルトガルの世界的な活動を映し出す鏡である.

Referrer (Inside): [2015-10-25-1] [2015-10-24-1]

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2015-04-05 Sun

#2169. 日本語における「女性語」 (3) [gender_difference][gender][japanese][discourse_analysis][historical_pragmatics][sociolinguistics][linguistic_ideology]

 「#1905. 日本語における「女性語」」 ([2014-07-15-1]),「#1915. 日本語における「女性語」 (2)」 ([2014-07-25-1]) に引き続いての話題.先の2つの記事では,日本語の女ことばの起源と発展について,日本語史で伝統的に言われてきたことに基づいて記述した.しかし,中村はジェンダー論,歴史談話分析,歴史社会言語学の立場から,従来行われてきた女ことばの歴史記述に異議を唱え,女ことばは各時代に特有の言語イデオロギー(「#2163. 言語イデオロギー」 ([2015-03-30-1]))により形成されてきたと主張する.
 例えば,室町時代の女房詞を女ことばの起源とする伝統的な見解について,中村は疑念を表明している.「女性たちが使ってきた言葉づかいは多様なので,多様な言葉づかいが自然にひとつの「女ことば」を形成することは考えにくい」 (50) とあるように,女房詞は後世の女ことばの数多くあるルーツの候補の1つではあるが,それが単独かつ直接に女ことばへ発展していったわけではないという.そもそも,女房詞の属性には,女性に使用されるということだけでなく,宮中で使用されるという社会階級に関する側面も含まれている.むしろ,後者に力点を置けば,女房詞は女ことばというよりは階級方言と呼ぶほうがふさわしい.もともと階級方言に近かった言葉遣いのいくつかを,後に女性一般の規範的な言葉遣いのなかへ意図的に取り込むことによって,徐々に女ことばが形成されてきたと考えられる.
 中村は,時代ごとの女ことばの発展の背景にはいつも政治的・倫理的な側面があったと主張し,それに支えられ,それを支えている言語イデオロギーの正体を次々と暴いていく.明治期の標準語策定における女ことばの排除,言文一致運動と翻訳文学に駆動された女ことばの創出,女子教育の高まりとともに却って女ことばに付加されるようになったセクシュアリティの含蓄,戦中の礼賛されるべき美しき日本語の伝統としての女ことば,戦後の自然な女らしさを発露するものとして捉えられた女ことば,等々.
 中村の提起する数々の言語イデオロギーを要領よくまとめることができないので,中村自身の結論を引用したい (227--29) .

 本書では、女ことばという理念が、西洋やアジアとのグローバルな関係や、都市と地方、中流階級と労働者階級、近代と伝統、未来と過去などのさまざまに対立する社会過程の中で、「女らしさの規範」「西洋近代との親和性」「セクシュアリティ」「天皇制国家の伝統」「家父長制の家族制度」「日本文化の優位性」「日本語の伝統」などの意味づけを与えられることで形成されてきたことを見てきました。
 鎌倉時代から続く規範の言説によって女性の発言を支配する傾向が、江戸時代の女訓書に列挙された女房詞という具体的な語彙によって強化され、「つつしみ」や「品」となって現代のマナー本にも見られるような女らしさとの結びつきが強調されるようになったこと。
 明治の開国後、近代国家建設の過程で必要となった国語理念を、男性国民の言葉として純化させるために、そして、女子学生を西洋近代と日本を媒介する性的他者とするためにも、「てよ・だわ」など具体的な語と結びついた女学生ことばが広く普及したこと。
 戦中期には、アジアの植民地の人々に日本語を教えることで皇国臣民にする同化政策や家父長的な家族的国家観に基づいて女性も戦争に動員する総動員体制を背景に、女ことばが天皇制国家の伝統とされ、家父長制の象徴である「性別のある国語」が強調されたこと。
 戦後には、占領軍によって男女平等政策が推進され、天皇制や家父長制が否定される中で、女ことばを自然な女らしさの発露として再定義する言説が普及し、女ことばには、日本の伝統を象徴することが期待されるようになったこと。
 その過程で、「女の言葉」は、近代国語を純化させる否定項として、帝国日本語の伝統として、常に「日本語」や「日本」との関係で語られ続けてきました。日本語に「女ことばがある」と信じられているのは、いつの時代にも女の言語行為について語る言説が可能になり、意味を持ち、普及するような政治経済状況があったからです。この意味で、女ことばの歴史を知ることは、女だけにかかわる事象というよりも、日本語がなぜ今ある形をしているのかを理解する上で、欠くことのできない作業だと言えるのです。


 非常に手応えのある新書だった.

 ・ 中村 桃子 『女ことばと日本語』 岩波書店〈岩波新書〉,2012年.

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2015-04-01 Wed

#2165. 20世紀後半の借用語ソース [loan_word][statistics][lexicology][french][japanese][borrowing]

 現代英語の新語の導入においては,複合 (compounding) や派生 (derivation) が主たる方法となってきており,借用 (borrowing) の貢献度は相対的に低い.ここ1世紀ほどの推移をみても,借用の割合は全体的に目減りしている (cf. 「#873. 現代英語の新語における複合と派生のバランス」 ([2011-09-17-1]) や「#874. 現代英語の新語におけるソース言語の分布」 ([2011-09-18-1]),「#875. Bauer による現代英語の新語のソースのまとめ」 ([2011-09-19-1]),「#878. Algeo と Bauer の新語ソース調査の比較」([2011-09-22-1]),「#879. Algeo の新語ソース調査から示唆される通時的傾向」([2011-09-23-1])) .
 だが,相対的に減ってきているとはいえ,語彙借用は現代英語でも続いている.#874Algeo の詳細な区分のなかでも示されているように,ソース言語は相変わらず多様である.「#45. 英語語彙にまつわる数値」 ([2009-06-12-1]),「#126. 7言語による英語への影響の比較」 ([2009-08-31-1]),「#142. 英語に借用された日本語の分布」 ([2009-09-16-1]) では,現代英語への語彙提供者として案外日本語が有力であることに触れたが,日本語なども含めたソース言語別のより詳しい割合が知りたいところだ.
 Algeo (78) は,Garland Cannon (Historical Change and English Word-Formation. New York: Peter Lang, 1987. pp. 69--97) の調査に基づいて,20世紀後半に入ってきた借用語彙のソース言語別割合を提示している.具体的には,およそ1963--88年の間に英語に入ってきた借用語を記録する4つの辞書を調査対象とし,ソース言語別に借用語を数え上げ,それぞれの割合を出した.その4つの辞書とは,(1) The Barnhart Dictionary of New English since 1963 (1973), (2) The Second Barnhart Dictionary of New English (1980), (3) Webster's Third (1961), (4) The Barnhart Dictionary Companion Index (1987) である.それぞれから407語, 332語, 523語, 166語を集めた1428語の小さい語彙集合ではあるが,それに基づいて以下の調査結果が得られた.

 (1) BDNE(2) BENE2(3) 81W3(4) BDCRank
French31.4%17.521.212.01
Spanish6.610.86.112.72
Russian3.45.42.124.13
Japanese7.99.36.39.04
African6.17.26.73.05
Italian4.74.510.72.46
German5.95.44.85.47
Greek6.94.88.01.28
Latin5.25.19.4 9
Yiddish5.72.75.03.610
Arabic2.03.91.76.011
Chinese1.74.23.66.012
Portuguese1.02.71.01.813
Hindi2.20.90.22.414
Hebrew0.71.50.41.215
Sanskrit1.71.20.8 16
Persian0.21.2 1.817
Afrikaans0.51.50.4 18
Dutch0.20.3 1.819
Indonesian0.20.30.81.220
Malayo-Polynesian 2.10.2 21
Norwegian0.2 1.50.622
Swedish1.00.31.0 23
Korean 0.60.80.624
Vietnamese1.00.30.6 25
Amerindian 1.20.6 26
Bengali0.50.90.2 27
Danish0.5 1.0 28
Eskimo0.50.30.20.629


 表に記されていない30--56位の言語群は合わせても全体として1%にも満たないが,念のために次のような言語である.Amharic, Annamese, Basque, Bhutanese, Catalan, Czech, Hawaiian, Hungarian, Irish, Khmer, Mongolian, Papuan, Pashto, Pidgin English, Pilipino, Polish, Provençal, Punjabi, Samoan, Scots (Gaelic), Serbo-Croatian, Tahitian, Thai (and Lao), Turkish, Urdu, Welsh, West Indian.
 BDC でロシア語が妙に高い割合を示しているが,これは編集上の偏りに起因する可能性がある.偏りの可能性を差し引いて考えると,ロシア語は順位としてはアラビア語と中国語の間の12位前後に付くと思われる.
 15位までの言語についてグラフ化したのが,下図である.

Source Languages of New Loanwords from 1963 to 1988


 このグラフは,「#874. 現代英語の新語におけるソース言語の分布」 ([2011-09-18-1]) でみた Bauer の調査に基づくグラフの場合とソース言語の設定の仕方が異なるので,比較しにくいところがあるが,フランス語,ギリシア語,ラテン語,ドイツ語などが上位で健闘している様子はいずれのグラフからも見て取ることができる.スペイン語やイタリア語などのロマンス諸語も堅調といってよい.そのなかで,非印欧語として筆頭に立っているのが日本語である.アフリカ諸語,アラビア語,中国語も続いており,英語の cosmopolitan vocabulary 振りは現代においても健在といえるだろう.

 ・ Algeo, John. "Vocabulary." The Cambridge History of the English Language. Vol. 4. Cambridge: CUP, 1998. 57--91.

Referrer (Inside): [2019-12-03-1] [2019-08-09-1]

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2015-03-30 Mon

#2163. 言語イデオロギー [linguistic_ideology][sociolinguistics][gender][japanese][linguistic_imperialism][terminology]

 私たちは,個々の言語や変種について特別な思いをもっている.例えば,母語である日本語に対して伝統をもつ美しい言葉であると思っているかもしれないし,一方でその1変種である若者ことば堕落していると嘆くかもしれない.標準語は高い地位をもつ正式な言葉遣いだと認識しているかもしれないし,広く国際語として学ばれている英語は大きな力をもつ言語であると考えているかもしれない.これらの言葉に対する「特別の思い」は言語意識や言語観と呼ぶこともできるが,特定の集団に何らかの利害関係をもたらすような社会的な価値観を伴って用いられる場合には言語イデオロギーと呼んでおくのが適切である.
 『女ことばと日本語』を著した中村 (18--20) は,日本語における女ことばの位置づけについて考察する観点として,言語イデオロギーの概念を導入している.中村 (18) は 言語人類学者の Irvine を引用して,言語イデオロギーとは「言語関係について個々の文化が持っている理念の体系を指し,これらは倫理的・政治的価値をもっている」との定義を紹介している.(なお,Irvine の原文 (255) によると,". . . linguistic ideology---the cultural (or subcultural) system of ideas about social and linguistic relationships, together with their loading of moral and political interests" とあるので,定義の最初は「社会と言語の関係について」となるべきだろう.また,"interests" は「価値」よりも「利害関係」と理解しておくのが適当だろう.)
 この定義の要点は3つある.1つは,言語イデオロギーが言語の実践そのものではなく理念 (ideas) に関するものだということである.イデオロギーであるから,言語に関する考え方という抽象的なものである.例えば,母語や母方言を美しいと思うのは,その言語変種の実践ではなく,その言語変種に対して抱く理念である.
 2つ目に,言語イデオロギーとは,そのような諸理念の体系 (system) であるということだ.それぞれの理念が独立して集合されたものではなく,互いが互いに依存して成り立っている組織である,と.例えば,母方言に対する愛着は,標準語の無味乾燥という見方との対比に支えられているといえる.
 3つ目は,言語イデオロギーは倫理的・政治的な利害関係 (moral and political interests) を伴っているということだ.例えば,英語は国際的に優位な言語であるという肯定的なとらえ方,あるいは逆に帝国主義的な言語 (linguistic_imperialism) であるとの否定的なとらえ方は,英語を倫理的あるいは政治的な観点から評価している点で,イデオロギーである.「#1194. 中村敬の英語観と英語史」 ([2012-08-03-1]) で世界の4つの英語観を示したが,これらはいずれも倫理的・政治的な利害関係を伴う理念の体系であるから,4つの英語に対する言語イデオロギーと言い換えてよい.
 言語に対する美醜の観念,規範主義や純粋主義,言語の帝国主義批判,言語差別,言語権といった諸々の概念に共通するのは,その根底に何らかの形の言語イデオロギーが存在しているということである.

 ・ Irvine, Judith T. "When Talk Isn't Cheap: Language and Political Economy." American Ethnologist 16 (1989): 248--67.
 ・ 中村 桃子 『女ことばと日本語』 岩波書店〈岩波新書〉,2012年.

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2015-02-27 Fri

#2132. ら抜き言葉,ar 抜き言葉,eru 付け言葉 [japanese][lexical_diffusion][language_change][verb][conjugation][ranuki]

 現代日本語に生じている言語変化のなかで,メディアなどでも大きく取り上げられて最もよく知られているものに「ら抜き言葉」がある.ら抜き言葉について本ブログでは「#1864. ら抜き言葉と頻度効果」 ([2014-06-04-1]) で取り上げた程度だが,研究も盛んで,変化の起源や過程について多くのことが分かってきている.この問題について重要な洞察を与えてくれる読みやすい議論としては,井上に勝るものはない.
 ら抜き言葉とは,一段動詞の可能形について,伝統的な標準形である「見られる」「起きられる」から「ら」が抜け落ちて「見れる」「起きれる」となってきている現象を指す.確かに「ら」が抜けているように見えるが,そうではないという考え方もある.この変化を音素表記で記すと mirareru → mireru,okirareru → okireru となり,脱落しているのは mi(ra)reru, oki(ra)reru のように ra であるとともみなすことも確かにできるが,一方 mir(ar)eru, okir(ar)eru のように ar が脱落しているとみることもできる.実際,「ar 抜き言葉」という見方は,一段動詞以外の可能形も含めて説明するのに都合がよい.五段動詞の「読む」の標準的な可能形は,古い「読まれる」 (yomareru) に対して「読める」 (yomeru) だが,ここでは「ら」が脱落しているとは言えないものの,yom(ar)eru のように ar 抜きが起こっているとは言える.厳密な意味で可能形から「ら」が抜けるのは,一段動詞,ラ行五段動詞,カ行変格動詞のみであり,その他についてはら抜き言葉という呼称は適切ではないのである.つまり,ar 抜き言葉と呼んでおけば,一段動詞であろうが五段動詞であろうが,動詞の活用型にかかわらず,伝統的な可能形に対して現在広く使われるようになっている新しい可能形の音形を,一貫して正しく記述できることになる.
 このように,ar 抜きという分析は発展途上にある可能動詞の形態を一貫して記述することができるが,さらに単純な記述法がある.可能動詞の終止形は,もととなる動詞の語幹への eru 付けであると表現すればよい.動詞の活用型に限らず,「見る」 (mir-u) から「見れる」 (mir-eru),「起きる」 (okir-u) から「起きれる」 (okir-eru),「読む」 (yom-u) から「読める」 (yom-eru),「取る」 (tor-u) から「取れる」 (tor-eru) を一貫して導き出せる(ただし変格動詞は「来る」 (kur-u) に対して「来れる」 (kor-eru) のように語幹が交替することに注意).aru 抜きの分析は,「見られる」「起きられる」「読まれる」「取られる」「来られる」など伝統的な可能形を経由しないと新しい可能形を導き出せないが,eru 付けの分析は,非可能形のもとの動詞の終止形を基点として新しい可能形を導き出せるという利点がある(井上,pp. 22--23).
 現在進行中の言語変化にはよくあることだが,ら抜き言葉も起源は案外と古い.東京では昭和初期から記録があり,おそらく変化が開始したのは大正期だろう.東京以外に目を移せば,東海地方では明治期から用いられていた.ら抜き言葉の方言分布から伝播の経路を読み解くと,中部地方や中国地方などの周辺部で早く始まり,それが各々関東地方や近畿地方などの中心部へ流れ込んできたもののようだ.さらに長いスパンで考えると,ら抜き言葉化は一段動詞のラ行五段動詞化という潮流の一翼を担っており,それ自体は千年も続いている動詞の活用型の簡略化のなかに位置づけられる.

 ・ 井上 史雄 『日本語ウォッチング』 岩波書店〈岩波新書〉,1999年.

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