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japanese - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-04-26 08:56

2018-08-08 Wed

#3390. 日本語の i-mutation というべき母音交替 [i-mutation][vowel][japanese][reconstruction][assimilation]

 日本語の動詞には「活用」と呼ばれるものがあるが,名詞にもそれに相当するものがある.「風」は単独では「かぜ」と発音されるが,「風上」などの複合語では「かざかみ」となる.この「かぜ」と「かざ」は,それぞれ独立形と非独立形,あるいは露出形と被覆形と呼ばれる.同じ関係は,「船」(ふね)と「船乗り」(ふなのり),「雨」(あめ)と「雨ごもり」(あまごもり),「木」(き)と「木陰」(こかげ),「月」(つき)と「月夜」(〔古語〕つくよ)にも見られる.これらは名詞の「活用」とみなすこともできる.
 これらのペアの関係は「露出形=被覆形+ *i」として措定される.*i は,正確には上代特殊仮名遣でいうところの *i のことである.これは,単語を独立化させる接辞と考えられる.上の例で具体的にいえば,

 ・ ama + *i → ame
 ・ ko + *i → ki
 ・ tuku + *i → tuki


となる.母音ごとにいえば,a → e, o → i, u → i となっており,甲音・乙音の音価は定かではないものの,英語を含むゲルマン諸語において広く生じた i-mutation の効果にかなりの程度似ている.もちろん古今東西の諸言語に普通にみられる母音調和 (vowel harmony) の一種であり,たまたま日本語と英語に似たような現象が確認されるからといって,まったく驚くには当たらないわけではあるが.
 以上,沖森 (45) を参照して執筆した.

 ・ 沖森 卓也 『日本語全史』 筑摩書房〈ちくま新書〉,2017年.

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2018-08-07 Tue

#3389. 沖森卓也『日本語史大全』の目次 [toc][japanese][periodisation][historiography]

 目次シリーズの一環として,昨年出版された包括的な日本語史概説書,沖森卓也(著)『日本語史大全』を取り上げたい.文庫でありながら教科書的という印象で,記述は淡々としている.時代別に章立てされているが,各章の内部では分野別の記述がなされており,各章の該当節を拾っていけば,分野ごとの縦の流れも押さえられるように構成されている.したがって,目次を追っていくだけで日本語史の全体像が理解できる仕組みとなっている.以下に目次を再現しよう.
 ちなみに英語史概説書の目次は「#2089. Baugh and Cable の英語史概説書の目次」 ([2015-01-15-1]),「#2050. Knowles の英語史概説書の目次」 ([2014-12-07-1]),「#2038. Fennell の英語史概説書の目次」 ([2014-11-25-1]),「#2007. Gramley の英語史概説書の目次」 ([2014-10-25-1]) を参照.



はじめに
  歴史を知る意義
  日本語史の対象と方法
  話しことばの歴史
  日本語史の時代区分
  分野別の記述
  日本語史へのいざない
第一章 古代前期――奈良時代まで
  1 総説――古代語が確立する
      古代前期とその言語
      「万葉仮名文書」に口語の一端を見る
  2 文字表記――日本語が漢字で書かれる
      漢字の伝来
      稲荷山古墳鉄剣銘
      万葉仮名
      漢字の音
      字音の構造
      音仮名の用法
      訓の成立
      訓と和化漢文
      仮名文の原形
  3 音韻――区別される音節の数が多い
      上代特殊仮名遣
      母音と子音
      母音調和
      頭音法則
      母音交替
      イ段乙類音とエ段音
      連濁
      音節構造とアクセント
  4 語彙――固有語が用いられる
      和語とは固有語か
      和語と音節数
      代名詞の語彙
      動詞の語構成
      形容詞の語構成
      漢語
      待遇表現の語彙
      雅俗・男女差
      方言
      忌詞
  5 文法――古代語法が形成される
      動詞の活用
      活用タイプの所属語
      動詞活用の起源
      命令形の由来
      未然形と連用形の機能
      連用形の由来
      未然形の由来
      終止形の由来
      連体形の由来
      連体形と已然形の類似点
      已然形の用法
      已然形の由来
      上一段活用の由来
      形容詞の活用
      形容詞の活用の由来
      ク語法
      ミ語法
      態の助動詞
      推量の助動詞
      過去・完了・継続の助動詞
      断定・否定の助動詞
      尊敬の助動詞
      格助詞
      接続助詞
      副助詞
      係助詞
      終助詞
      間投助詞
第二章 古代後期――平安時代
  1 総説――古代語が完成する
      古代後期とその言語
      漢文と仮名文
      『源氏物語』に古典語を見る
      階級と地域
  2 文字表記――仮名が成立する
      漢文の訓読
      訓点の方法
      片仮名の成立
      草仮名
      平仮名の成立
      仮名の起源
      句読点と濁点
  3 音韻――音節が複雑に発達する
      上代特殊仮名遣の崩壊
      母音と子音
      音韻の混同
      「あめつち」と「たゐに」
      いろは歌
      五十音図
      漢字音
      声点とアクセント
      名詞のアクセント
      動詞のアクセント
      形容詞その他のアクセント
  4 語彙――漢語の使用が漸増する
      代名詞の語彙
      多彩な形容動詞語彙
      和語と漢語
      漢語の日本語化
      混種語
      和文語と漢文訓読語
      待遇表現の語彙
      丁寧語の発生
      漢和字書の誕生
  5 文法――古典文法が完成する
      動詞の活用
      形容詞・形容動詞の活用
      音便
      音便発生の理由
      態の助動詞
      推量の助動詞
      その他の助動詞
      格助詞
      接続助詞
      副助詞・係助詞
      終助詞
      間投助詞
第三章 中世前期――院政鎌倉時代
  1 総説――古代語が瓦解する
      中世前期とその言語
      口語の変化に着目する
      『徒然草』に当時の口語を垣間見る
  2 文字表記――仮名の使用が促される
      東鑑体
      真名本が生まれる
      漢字の字体と書風
      仮名で和語を書く
      仮名使用の広がり
      片仮名の使用者層
      片仮名の字体
      促音・撥音の表記
      定家仮名遣
  3 音韻――音韻が整理されていく
      イとヰ、エとヱ
      直音と拗音
      鼻濁音
      連濁と連声
      開合
      促音と撥音
      漢字音の日本語化
      東国方言の音韻
  4 語彙――漢語が一般化する
      代名詞の語彙
      和語と漢語
      和漢の混淆
      唐音とその漢語
      武家詞
      待遇表現の語彙
      国語辞典の出現
  5 文法――古代語法が衰退する
      連体形の終止法
      係り結びの消滅
      二段活用の一段化
      ラ変活用の消滅
      形容詞活用の一本化
      連体形活用語尾「る」の脱落
      形容動詞の活用
      接続詞
      態の助動詞
      「しむ」をめぐる混乱
      推量の助動詞
      過去・完了の助動詞
      断定・否定の助動詞
      願望・希望の助動詞
      格助詞
      接続助詞
      副助詞
      係助詞
      終助詞・間投助詞
第四章 中世後期――室町時代
  1 総説――近代語が胎動する
      中世後期とその言語
      外国語との交流
      『天草本伊曽保物語』に口語の全容を見る
  2 文字表記――文字の使用が広がる
      キリシタン資料のローマ字つづり
      印刷技術のもう一つの伝来
      漢字
      仮名
      濁点・半濁点
  3 音韻――現代語の発音に近づく
      母音
      子音
      四つ仮名
      連濁と連声
      漢字音
  4 語彙――外来語が登場する
      代名詞の語彙
      副詞の語彙
      感動詞の語彙
      現代語と異なる語形
      漢語
      ポルトガル語からの外来語
      女房詞と武家詞
      待遇表現の語彙
      尊敬語
      謙譲語
      丁寧語
  5 文法――近代語法が芽生える
      二段活用の一段化の進行
      動詞活用のヤ行化
      動詞の命令形
      可能動詞
      テ形の発達
      授受表現
      形容詞
      形容動詞
      音便
      形式名詞の「の」
      態の助動詞
      推量の助動詞
      過去の助動詞とアスペクト
      断定の助動詞
      その他の助動詞
      格助詞
      接続助詞
      副助詞・係助詞
      終助詞・間投助詞
      複合辞の増加
第五章 近世――江戸時代
  1 総説――近代語が発達する
      近世とその言語
      上方語と江戸語
      『浮世風呂』に江戸語の位相差を見る
  2 文字表記――文字が庶民に普及する
      文字の学習
      近世の文体
      漢字と仮名
      契沖仮名遣
      濁点・半濁点と句読点
  3 音韻――現代語の音韻が確立する
      母音
      子音
      合拗音の消滅
      開合と四つの仮名の混同
      江戸語の音韻的特色
  4 語彙――漢語で訳語が造られる
      代名詞の語彙
      感動詞の語彙
      階層によって異なる使用語彙
      尊敬語
      丁寧語
      あそばせ詞
      謙譲語ほか
      女性語の発展
      漢語の尊重
      漢語による翻訳語
      オランダ語からの外来語
  5 文法――近代語法が整備される
      動詞の活用
      可能動詞
      形容動詞
      推量の助動詞
      断定の助動詞
      否定の助動詞
      態の助動詞とアスペクト
      格助詞
      順接の接続助詞
      逆接の接続助詞
      その他の接続助詞
      副助詞
      終助詞
      間投助詞
      複合辞の発達
第六章 近代――明治時代
  1 総説――共通語が普及する
      近代とその言語
      『あひゞき』に口語体の創出を見る
  2 文字表記――文字施策が浸透する
      漢字と訓
      言文一致体
      出版の大衆化
      漢字の廃止論と制限論
      国語施策と漢字制限
      当用漢字と常用漢字
      外来語の表記
      ヘボン式と日本式のローマ字つづり
      戦後のローマ字つづり
  3 音韻――外来語が影響を与える
      現代日本語の音韻
      外来語の音韻
      二拍名詞のアクセント
      アクセントの型の対応
      方言アクセントの系譜
      三拍名詞のアクセント
      東京アクセントの形成
  4 語彙――漢語・外来語が急増する
      新漢語の出現
      『浮雲』の漢語
      漢語の増加
      『浮雲』の外来語
      外来語の急増
      現代語の語種
      待遇表現の語彙
  5 文法――現代語法が展開する
      動詞の活用
      形容詞・形容動詞
      ラ抜きことば
      助動詞
      格助詞
      接続助詞
      副助詞
      終助詞・間投助詞
      東京語の文末表現
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参考文献
索引



 ・ 沖森 卓也 『日本語全史』 筑摩書房〈ちくま新書〉,2017年.

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2018-07-31 Tue

#3382. 神様を「大日」,マリアを「観音」,パライソを「極楽」と訳したアンジロー [japanese][christianity][borrowing][semantic_borrowing][religion][age_of_discovery]

 1549年に鹿児島に入ったフランシスコ・ザビエルは,3人の有能な日本人信者を獲得した.そのうち素性がよく分かっているのは「アンジロー」である.ザビエルはこのアンジローのつてで,薩摩の領主,島津貴久に拝謁することができた.ザビエルは,早速布教を開始したが,キリスト教について何も知られていない日本での布教が多難であったことは想像に難くない.ザビエルやアンジローは,布教に際していかにしてキリスト教の概念や用語を日本人に理解させるかという問題に頭を悩ませたことだろう.この点について,平川 (46--47) が次のように述べている.

 それにしても,ザビエルのおぼつかない日本語やアンジローの通訳した説教を聞いて,日本人は本当にキリスト教を理解したのだろうか.実際のところアンジローは,聖母マリアのことを「観音」,天国(パライソ)のことは「極楽」と訳していた.神様の訳語は「大日」であった.大日如来の「大日」のことである.唯一神の観念が日本にはないのでアンジローは困ってしまって「大日」と訳したのだろう.のちに来日した宣教師ヴァリニャーノは,「全くひどい訳だ」と批判しているが,大日如来は仏教では無限宇宙にあまねく存在する超越者という位置づけであるから,最初の訳語としてはそれなりに筋が通っているといってもよい.つまりザビエルたちは日本人に「大日を拝みなさい」と呼びかけたわけであるから,日本人達はキリスト教を仏教の一派だと思って抵抗感なく受け入れたということだろう.
 その後ザビエルは,さすがに「大日」ではまずいということに気づいて「天道」と言うようになった.「天道」は「天地をつかさどり,すべてを見通す超自然の存在」という意味をもっているので,日本語で超越的存在を示す用語としては不自然ではない.もう少しあとになると,こうした翻訳語ではキリスト教の正しい概念を伝えられないとして,神のことはそのまま「デウス」,「マリア」のことも「観音」ではなく原語通りに「マリア」と言うようになった.しかしこれまでの研究により,慶長年間(一六〇〇年初頭)まではイエズス会もデウスのことを「天道」と呼ぶことを容認していたとされている.
 デウスとは「天道」のことであるという説教を聞けば,多くの日本人はあまり抵抗を感じなかったのではないか.だからこそキリスト教が伝来してわずか四〇年ほどで三〇万人もの信者を得ることができたのだろう.仏教において,僧侶らはともかく,一般レベルでは各宗派の教義にこだわることはあまりなかったし,家付きの宗派または縁故などによって所属の宗派が決まっていたようなものだった.寺院自体が宗派替えをすることもあったのだから,俗人の宗派替えもありえただろう.したがって新しく知ったキリスト教に帰依することは,それほど深奥な宗派替えでも不自然なことでもなかったと思われる.


 つまり,アンジローは当初,伝統的な仏教用語にしたがって,キリスト教の神様を「大日」,マリアを「観音」,パライソを「極楽」と訳していたのだ.これは,日本語の語彙体系の観点からいえば既存の用語に新語義を導入したということであり,つまるところ,ここで起こっていることは意味借用 (semantic_borrowing) である.「デウス」「マリア」「パライソ」という,当時の日本人にとってあまりに異質で,それゆえにショッキングであろう語形を借用語として導入するよりも,聞き慣れている既存の日本語のなかにそっと(むっつりと)新たな語義(あるいは宗教的解釈)を滑り込ませるほうが,布教・改宗を進める上では好都合だっただったろうと思われる.
 おもしろいことに,6世紀以降にアングロサクソン人の間にキリスト教を広めようとした宣教師も,最初,似たような方法を選んだ.ラテン語 deus (神)を直接英語に導入するのではなく,英語本来語の God を利用して,その語義だけをそっと(むっつりと)キリスト教的な単一神に置き換えたのである.これについては「#1619. なぜ deus が借用されず God が保たれたのか」 ([2013-10-02-1]) と「#2663. 「オープン借用」と「むっつり借用」 (1)」 ([2016-08-11-1]) を参照されたい.

 ・ 平川 新 『戦国日本と大航海時代』 中央公論新社〈中公新書〉,2018年.

Referrer (Inside): [2019-10-25-1]

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2018-07-15 Sun

#3366. 歴史語用論は文献学の21世紀的な焼き直しか? [historical_pragmatics][philology][japanese][hisopra][methodology][history_of_linguistics]

 標記の問題は,「#2883. HiSoPra* に参加して (1)」 ([2017-03-19-1]),「#2884. HiSoPra* に参加して (2)」 ([2017-03-20-1]),「#3203. 文献学と歴史語用論は何が異なるか?」 ([2018-02-02-1]) などで取り上げてきた.この問題について,高田・小野寺・青木(編)が最近『歴史語用論の方法』の序章で議論しているので,覗いてみたい.編者たちは,近年の歴史語用論の発展を日本語史(文献学)の立場から,次のように評価している (20--21) .

これまでの研究の歩みを振り返ると分かるように,「歴史語用論」は英語研究中心の体制で進められてきた.一九九八年の国際語用論会議における初めてのパネルでは,歴史的言語には話しことばデータが存在しない点をいかに乗り越えるかが,大きな問題になったという.しかし,こうした問題は,日本語史研究では,いわば常識といってよい事柄である.亀井ほか (1966) には,「言語史の窮極の目的は,口語の発展の追求にある」が,「過去の言語にせまる場合の第一の材料は,大部分,やはり文字による記録でしめられる」ため,「言語史の研究者は,まず文献学に通じ,その精神を――のぞむらくは深く――理解しえた者であるべきである」と明示的に述べられている.すなわち,文献学的研究によって,資料に現れた言語が何者であるかをまず追究し,資料に顔を出す「口語」を掬い取りながら言語の歴史を編むことが目指されたのであり,これが日本語史(国語史)の王道であった.


 この説明は,「#2884. HiSoPra* に参加して (2)」 ([2017-03-20-1]) で引用した「とっくにやってる」発言と完全に同じものである.ただし,ここで一言付け加えておきたいことがある.上の引用でなされているのは「日本語史ではとっくにやっている」という趣旨の主張だが,実は「英語史でもとっくにやっている」のである.共時的・理論的な英語学の立場からみれば,ようやく最近になって「歴史的言語には話しことばデータが存在しない点をいかに乗り越えるかが,大きな問題になった」のだろうが,英語史・英語文献学の分野では,この問題意識は常に「いわば常識といってよい事柄」だった.
 だからといって,歴史語用論が文献学の単なる焼き直しであると主張したいわけではない.編者たちの以下のような受け取り方に,私も賛成する (23) .

従来の日本語史研究の方法に則って進めてきた研究が,“新しい”「歴史語用論」という研究分野の俎上に載せられることを実感しながら進めていくのもよし,「歴史語用論」の方法を自覚的に実践することで,従来見過ごされてきた現象に光を当てることができた,あるいは説明が不十分であった現象に適切な説明を与えることができたと感じられれば,それもまたよいであろう.


 ・ 高田 博行・小野寺 典子・青木 博史(編) 『歴史語用論の方法』 ひつじ書房,2018年.
 ・ 亀井 孝・大藤 時雄・山田 俊雄 「言語史研究入門」『日本語の歴史』平凡社,1966年.

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2018-07-14 Sat

#3365. 以呂波引きの元祖『色葉字類抄』 (2) [lexicography][japanese][dictionary][alphabet][cawdrey]

 [2017-05-05-1]の記事で,日本語史上最初のイロハ順国語辞書『色葉字類抄』を取り上げたが,改めてこの話題に触れよう.沖森 (209--10) が『日本語全史』のなかで,この辞書について次のように述べている.

『色葉字類抄』(橘忠兼,三巻)は最初の国語辞書といわれるもので,一一四四?一一八一年の間に補訂を加えて成立した.漢語を含む見出し語を,第一音節の仮名でイロハ順に四七部に分け,さらにそれぞれの内部を,天象・地儀・植物・動物・人倫・人体・人事・飲食・雑物・光彩・方角・員数・辞字・重点・畳字・諸社・諸寺・国郡・官職・姓氏・名字の二一部に分けたものである.語の読みに従って漢字表記を求めるためなど,日常的な実用文や漢詩を作成する際に用いる目的で編纂されたものと考えられる.百科語に類するものが多い中で,日常的に用いる普通語が収められている点でも国語辞書にふさわしい体裁をなしている.

 興味深いのは,なぜ12世紀半ばというタイミングで『色葉字類抄』が世に出たのか,という問いだ.これについて,沖森 (210--11) は次のように論じている.

 十二世紀ごろになって,このような国語辞書が出現しえた大きな要因に,配列基準としての「いろは歌」が十一世紀前半において成立し,次第に普及してきたことがある.「いろは歌」は仮名を重複させずに網羅したものであるから,その仮名によって語を分類することが可能となる.従って,「いろは歌」の社会的定着によって,ようやく一定の基準で語を配列させた「音引き国語辞書」の成立する条件が整ったのである.
 ただ,その音引きによる分類は語の第一音節のみで,第二音節以降には採用されなかった.むしろ,旧来の意義分類の方式(たとえば源順『和名類聚抄』)をも併用することで,その検索の利便性を図ろうとしている.確かに,音引きに慣れれば今日のように引きやすいと感じるかもしれないが,表現辞典としての使用法を考えると,同じような意味を持つ語がまとまって示されている方が便利でもある.語頭の音引きと意義分類との折衷方式は,前代からの流れの中で,実用的な配列基準として採用されたものであり,その便利さゆえに近世の「節用集」に至るまで国語辞書の主流を占めた.


 確かに「いろは歌」が先に成立し,確立していなければ,イロハ順の辞書を作ろうという発想も生じ得ないわけだから,このタイミングと因果関係には納得がいく.
 ここで英語史に思いを馳せると,いろいろと比較できておもしろい.近現代人にとってイロハ順にせよ五十音順にせよアルファベット順にせよ,音引き辞書の発想は自明だが,その発想の出現や定着は,歴史的には案外新しいものである.英語の世界でも,アルファベット順という原理こそ古英語期から知られていたものの,それが本格的に適用されたのは15世紀になってからのことである(cf. 「#1451. 英語史上初のコンコーダンスと完全アルファベット主義」 ([2013-04-17-1])).同様に,アルファベット順に基づいた最初の英語辞書が現われたのも,1604年と案外遅い(cf. 「#603. 最初の英英辞書 A Table Alphabeticall (1)」 ([2010-12-21-1])).しかも,当時は読者にとってまだアルファベット順は自明ではなかった節があるし,さらには厳密にアルファベット順が守られたのは語頭文字のみであり,2文字目以降では必ずしも守られていなかったという,『色葉字類抄』によく似た事情もあった(「#604. 最初の英英辞書 A Table Alphabeticall (2)」 ([2010-12-22-1]) の (6) を参照).また,A Table Alphabeticall も『色葉字類抄』も「日常語」を収録した初めての辞書だった点で共通している.いずれもある意味で「現代的国民的国語辞書」の先駆けだったのである.
 ちなみに,イロハ順ではなく五十音順の国語辞書の嚆矢は1484年の『温故知新書』(大伴広公)であり,『色葉字類抄』より3世紀以上も遅れている.五十音順は近世でも『和訓栞』(谷川士清)で用いられたが,一般的になるのは大槻文彦の『言海』 (1889--91年)以降のことである.

 ・ 沖森 卓也 『日本語全史』 筑摩書房〈ちくま新書〉,2017年.

Referrer (Inside): [2022-12-13-1] [2020-02-01-1]

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2018-07-06 Fri

#3357. 日本語語彙の三層構造 (2) [japanese][lexicology][lexical_stratification]

 英語と日本語の語彙に共通して見られる三層構造に関して,「#2977. 連載第6回「なぜ英語語彙に3層構造があるのか? --- ルネサンス期のラテン語かぶれとインク壺語論争」」 ([2017-06-21-1]) に張ったリンク先の多くの記事で話題としてきた.日本語語彙の三層構造について「#335. 日本語語彙の三層構造」 ([2010-03-28-1]) の記事でいくつかの例を挙げたが,今回は石黒 (59) より例を付け足そう.

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 比べてみれば「和語だと身近なイメージ,漢語だと厳密なイメージ,外来語だと新規なイメージが出せる」(石黒,p. 60) ということがよく分かるだろう.石黒 (62) は,それぞれの語種の特徴を次のようにまとめている.

 対象長所短所
和語身近な内容耳で聞いて意味がわかる(話し言葉向き),内容を易しく示せる抽象的な内容を表すのが不得手
漢語抽象的な内容目で見て意味がわかる(書き言葉向き),厳密な意味を表せる耳で聞いたときに意味がわかりにくい
外来語新しい内容海外の最新の概念を取りこめる目で見たときに意味がわかりにくい


 和語が話し言葉向き,漢語が書き言葉向きとあるが,なかには例外もある(石黒,p. 74).例えば,「仲間」と「輩(ともがら)」,「頑固」と「頑(かたく)な」,「貧乏」と「貧しい」など,前者の漢語のほうが相対的にいえば柔らかく話し言葉的で,後者の和語はむしろ堅く書き言葉的に響くだろう.同じ傾向は特に漢語副詞に見られるという.「全然」と「まったく」,「全部」と「すべて」,「絶対」と「かならず」,「多分」と「おそらく」,「一番」と「もっとも」,「大体」と「ほぼ」などを比べてみれば,前者の漢語のほうが話し言葉でよく用いられる.
 この種の例外は,おもしろいことに英語語彙の三層構造についても当てはまる.一般的には,英語本来語は柔らかくて話し言葉向き,フランス借用語は堅くて書き言葉向きという対照性が確かに観察される(cf. 「#334. 英語語彙の三層構造」 ([2010-03-27-1])).しかし,なかには foeenemydalevalley のように,ペアの前者(英語本来語)のほうが詩的なフォーマリティがあり,後者(フランス借用語)のほうが日常的な響きをもつ例もある.このような例外事情も含めて,英語と日本語の語彙の三層構造は似ているのである.

 ・ 石黒 圭 『語彙力を鍛える』 光文社〈光文社新書〉,2016年.

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2018-07-02 Mon

#3353. 小笠原諸島返還50年 [pidgin][creole][japanese][timetable]

 ここ数日,小笠原諸島返還50年の話題がメディアで取り上げられている.去る6月28日が返還日だった.朝日新聞デジタルより,いくつかの記事へのリンクを張ろう.1830年に初めて小笠原へやってきたアメリカ人セーボレーの子孫の方々の写真もみられる.

 ・ 「絶海の島、戦禍越え文化溶け合う 小笠原返還50年」
 ・ 「まるで大河ドラマ 世界遺産・小笠原、その数奇な運命」
 ・ 「戦争が島の絆を引き裂いた 「小笠原返還の歌」誕生秘話」
 ・ 「亡き兄の夢を羅針盤に、たどり着いた小笠原 新島民は今」

 小笠原諸島の言語史・事情は非常に特殊であり,「#2559. 小笠原群島の英語」 ([2016-04-29-1]) と「#2596. 「小笠原ことば」の変遷」 ([2016-06-05-1]) で話題にしてきた.まだ分かっていないことも多いのだが,言語混交が濃密かつ高速に生じてきた歴史をもつとされ「言語の圧力鍋」と呼ばれている(ロング,p. 155).
 以下,7月1日の朝日新聞朝刊に掲載されていた「小笠原年表」を引用しておきたい.小笠原の歴史,現在,未来に想いを馳せましょう・・・.

1830年父島に欧米や太平洋諸島の二十数人移住
76年明治政府が領有宣言
82年欧米系島民らが帰化
95年諸島の人口約4千人に(最大は1944年の7711人)
1941年太平洋戦争勃発
45年2月,米海兵隊が硫黄島上陸.死者は米国側6821人,日本側2万1千人超;8月,終戦
46年欧米系島民129人が帰島
52年サンフランシスコ講和条約発効.小笠原諸島・沖縄・奄美が米国施政権下に
65年日本人旧島民が初めて墓参
68年6月26日,小笠原諸島返還.日本人の帰島始まる
72年4月,東京・父島間の定期船就航
76年5月,父島・母島間の定期船就航
79年4月,諸島全域が小笠原村
83年6月,小笠原・本土間の電話,ダイヤル即時通話が可能に
88年鈴木都知事が兄島飛行場建設案を公表
96年飛行場予定地で希少植物が見つかり,後に飛行場案は撤回
2005年超高速船計画が頓挫
2011年6月,世界自然遺産登録;7月,海底光ケーブル敷設で地上デジタル放送視聴や高速データ通信が可能に


 ・ ロング,ダニエル 「他言語接触の歴史社会言語学 小笠原諸島の場合」『歴史社会言語学入門』(高田 博行・渋谷 勝己・家入 葉子(編著)),大修館,2015年.134--55頁.

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2018-06-15 Fri

#3336. 日本語の諺に用いられている語種 [japanese][proverb][lexicology][etymology][genre][hel_education]

 木下 (84--87) が,日本語の諺に用いられている語彙を「漢語」「和語」「混種語/外来語」に区分して提示している.

 漢語和語混種語/外来語
ほにゅう類しし,象,てん,ひょう,駄馬(荷物運びの馬)あしか,いたち,犬,うさぎ,牛,馬,おおかみ,きつね,くま,こうもり,さる,鹿,たぬき,虎,猫,ねずみ,羊,豚,むじな,め牛 
鳥類くじゃくあひる,う,うぐいす,おうむ,かささぎ,かも,からす,きじ,さぎ,みみずく,すずめ,たか,ちどり,つぐみ,つばめ,つる,とび,はと,ひばり,ほととぎす,めじろ,山鳥,よたか,わし 
は虫類・両生類亀,かえる,とかげ,へび,まむし,わに  
魚介類あんこうあさり,あわび,いか,いわし,魚,うなぎ,えび,かき,かつお,かに,かます,かれい,くじら,くらげ,こい,さば,さめ,さんま,しじみ,たこ,たにし,どじょう,なまこ,なまず,はぜ,はまぐり,はも,ひらめ,ふぐ,ふな,まぐろ,ます,めだか,やつめうなぎ 
虫類 あぶ,あり,いもむし,うじ,か,くも,けら,しらみ,せみ,かたつむり,なめくじ,のみ,はえ,はち,ほたる,みのむし,むかで 
想像上の動物きりん,りゅうおに,かっぱ,ぬえ 
植物甘草,しょうぶ,じんちょうげ,せんだん,ぼたん,れんげ草おさがお,あざみ,あし,あやめ,いばら,えのき,かし,かや,けやき,こけ,桜,ささ,杉,すすき,竹,たで,とち,どんぐり,野菊,またたび,松,柳,やまもも,よもぎ 
道具類絵馬,看板,金銭,剣,こたつ,さいころ,財布,磁石,尺八,三味線,手裏剣,定規,膳,線香,ぞうきん,太鼓,茶碗,ちょうちん,鉄砲,のれん,鉢,判,びょうぶ,仏壇,ふとん,棒,やかん,ようじらっぱ,わんいかり,糸,うす,大鍋,おけ,鏡,かぎ,かご,刀,かなづち,金,鐘,釜,鎌,かまど,紙,かみそり,かんな,きね,きり,くい,釘,鍬,琴,こま,さお,さかずき,皿,ざる,しめなわ,鋤,鈴,墨,すりこぎ,薪,手綱,棚,たらい,たる,杖,つぼ,てこ,と石,つづら,なた,なわ,のみ,はさみ,箸,はしご,針,火打ち石,ひも,袋,筆,舟,船,へら,帆,枕,升,まないた,耳かき,むち,眼鏡,矢,やすり重箱,すり鉢,そろばん,拍子木,弁当箱
料理せんべい,たくあん,まんじゅうあずき飯,いも汁,かば焼,かゆ,刺身,塩から,たら汁,つけ物,どじょう汁,なます,煮しめ,冷酒,冷飯,ぼたもち,飯,もち甘茶,金つば,団子,茶漬け,鉄砲汁,豆腐汁
食品・食材牛乳,こしょう,こんにゃく,こんぶ,さとう,さんしょう,しょうゆ,茶,豆腐,納豆,肉,みそ油あげ,かつおぶし,米,酒,塩,酢,たまご焼豆腐
野菜・作物ごぼう,ごま,すいか,大根,にんじん,ひょうたん,びわ,ゆず麻,小豆,いね,いも,うど,梅,瓜,柿,菊,栗,しめじ,そば,だいだい,たけのこ,長いも,なし,なす,ねぎ,はす,へちま,まつたけ,麦,桃,山いも,わらびかぼちゃ
衣服烏帽子,下駄,ずきん,雪駄,ぞうり,はんてん帯,笠,かたびら,かみしも,かさ,小袖,衣,たすき,足袋,羽織,日がさ,振袖,みの,むつき(おむつ),わらじ越中ふんどし,白むく,高下駄,まち巻き,かぶと,じゅばん


 これは「諺というテキストタイプにおける語種(名詞)の分布」を表わす区分表であり,実際に何の役に立つのかは分からないものの,眺めていてなんだかおもしろい.なんらかの方法で語彙研究に貢献しそうな予感がする.これを英語の諺でもやってみたら,それなりにおもしろくなるかもしれない.
 この区分表を掲げた後で,木下 (88) が次のようにコメントしている.

 道具,衣服などは,洋風化,機械化が進んだ現在では,ほとんど見られなくなってしまったものが多くあります.生活が便利になった半面,日本の伝統的な生活の道具がしだいに私たちのまわりから姿を消しています.そして,おもしろいことに,新しく作られた便利な道具は,まだ,歴史が浅いせいか,ことわざのなかには見つかりません.将来,テレビやラジオ,せんたく機,そうじ機などといったことばを使ったことわざができるかもしれませんね.
 動物にしても,植物にしても,虫にしても,たくさんの名前を,ことわざの中に見ることができます.この中の何種類かは,もうわたしたちのまわりでは見ることができません.自然破壊が進んで,森や野原や沼がなくなり,川も海も姿を変えつつあります.私たちの生活を便利にし,より高度な文明を作り上げるためには,いたしかたない側面もあるのですが,これらのことわざを聞くたびに,さびしい気持ちになりますね.


 各言語の諺というのは,いろんな方面からディスカッションの題材となりそうだ.

 ・ 木下 哲生 『ことわざにうそはない?』 アリス館,1997年.

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2018-06-04 Mon

#3325. 「ヴ」は日本語版の語源的綴字といえるかも? [etymological_respelling][japanese][silent_letter]

 英語史における語源的綴字について,本ブログでは etymological_respelling の各記事で取り上げてきた(ほかに,「圧倒的腹落ち感!英語の発音と綴りが一致しない理由を専門家に聞きに行ったら,犯人は中世から近代にかけての「見栄」と「惰性」だった。」もどうぞ).
 先日ふと思いついたのだが,日本語の「ヴァイオリン」「ヴィジュアル」「ヴードゥー」「ヴェテラン」「ヴォーカル」などに用いられようになってきた「ヴ」の表記は,1種の「語源的綴字」といえないだろうか.一昔前までは「バイオリン」「ビジュアル」「ブードゥー」「ボーカル」と表記するのが普通だったが,近年は「ヴ」も増えてきた.しかし,「ヴ」で表記されているのを音読する場合に,必ずしも [v] では発音しておらず [b] の場合も多いのではないか.この場合,表記上は外来語(英語)気取りで「ヴ」を用いているが,発音は従来通り [b] を続けていることになる.英単語の doubt, receipt, indict などにおいて,ラテン語の語源形を参照して,表記上は <b>, <p>, <c> を挿入したものの,その挿入は発音には反映されず,従来の発音がその後も続いたという状況に似ている.
 英語の例の場合には,doubt のように,ある文字が挿入された結果,黙字 (silent_letter) が生じるに至ったケースが多く,日本語においてバ行表記がヴァ行表記に書き換えられ,発音はバ行で据え置かれたケースとは事情は異なっているようにみえるかもしれない.しかし英語にも,黙字の発生する doubt のような典型的な例ばかりではなく,amatistamethyst, autoriteauthority, tronethrone のように <t> が <th> に書き換えられ,発音がそれに応じて変わったケースはもとより,timethyme のように発音が [t] に据え置かれたケースもある (cf. AntonieAnthony) .この thyme のケースなどは,「ヴァイオリン」と表記して「バイオリン」と発音するケースに事情が酷似している.
 「ヴァイオリン」の問題と関連して,[v] と [b] が関与する例は,なんと英語にもある.現代英語の describe は,中英語ではフランス語形 descrivre にならって descriven と <v> で綴られるのが普通だったが,中英語後期以降に,ラテン語の語源形 dēscrībere を参照した <b> を含む形が一般化してきた.これなども,<b> で綴られるようになってからも,しばらくは従来の /v/ で発音されていたのではないだろうか.

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2018-05-24 Thu

#3314. 英語史における「言文一致運動」 [japanese][terminology][medium][writing][emode][latin][style][genbunicchi]

 言葉は,媒体の観点から大きく「話し言葉」と「書き言葉」に分かれる.書き言葉はさらに,フォーマリティの観点から「口語体」と「文語体」に分かれる.野村 (5) を参照して図示すると次の通り.

          ┌── 話し言葉
言葉 ──┤                    ┌── 口語体
          └── 書き言葉 ──┤
                                └── 文語体

 言語史を考察する場合には,しばしば後者の区分について意識的に理解しておくことが肝心である.現在の日本語でいえば,書き言葉といえば,通常は口語体のことを指す.この記事の文章もうそうだし,新聞でも教科書でも小説でも,日常的に読んでいるもののほとんどが,日常の話し言葉をもとにした口語体である.しかし,明治時代までは漢文や古典日本語に基づいた文語体が普通だった.言文一致運動は,文語体から口語体への移行を狙う運動だったわけだ.
 英語史においても,口語体と文語体の区別を意識しておくのがよい.中世から近代初期にかけて,イングランドにおける主たる書き言葉といえばラテン語(およびフランス語)だった.日常的には話し言葉で英語を使っていながら,筆記する際にはそれに基づいた口語体ではなく,外国語であるラテン語を用いていたのである.英語史における文語体とは,すなわち,ラテン語のことである.
 日英語における文語体の違いは,日本語では古典日本語に基づいたものであり,英語では外国語に基づいたものであるという点だ.だが,日常的に用いている話し言葉からの乖離が著しい点では一致している.近代初期にかけてのイングランドでは,書き言葉がラテン語から英語へと切り替わったが,この動きはある種の言文一致運動と表現することができる.なお,厳密な表音化を目指す綴字改革 (spelling_reform) も言文一致運動の一種とみなすことができるが,ここでは古典語たるラテン語が俗語たる英語にダイナミックに置き換わっていく過程,すなわち書き言葉の vernacularisation を指して「言文一致運動」と呼んでおきたい.
 この英語史における「言文一致運動」については,とりわけ「#1407. 初期近代英語期の3つの問題」 ([2013-03-04-1]) や「#2580. 初期近代英語の国語意識の段階」 ([2016-05-20-1]),「#2611. 17世紀中に書き言葉で英語が躍進し,ラテン語が衰退していった理由」 ([2016-06-20-1]) を参照されたい.

 ・ 野村 剛史 『話し言葉の日本史』 吉川弘文館,2011年.

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2018-05-23 Wed

#3313. 言語変化の速度について再再考 [speed_of_change][prescriptivism][causation][sociolinguistics][japanese][link][monitoring]

 昨日の記事「#3312. 言語における基層と表層」 ([2018-05-22-1]) で,言語の「基層」を構成する要素として,文法,音声・音韻,基礎語彙を挙げた.言語変化の速度を考察する際に,考察対象を基層における言語変化に限定するならば,一般に時代がくだるほど速度が鈍くなるということはあるかもしれない.日本語史の事情から敷衍して,野村 (14--15) が次のように述べている.

 一般に近代化の進んだ社会では,特別な外部的要因がない限り,言語の変化は,近代やそれに近い時代において鈍いと筆者は考えている.なぜか.近代では書き言葉の(文字の)普及が進んでいるからである.
 すでに述べたように,話し言葉は話した瞬間に消えてしまう.言葉をとどめる手段がない.話し言葉だけの社会では,歌謡などの暗誦でもない限り,過去の言葉は全く残らない.言葉を振り返ることは不可能なのである.これに対して,書き言葉は長期にわたって残存する.それを真似し続けることによって次第に文語体が生じるのだが,口語体であっても繰り返し筆記が行なわれれば,それは話し言葉の変化をおしとどめる方向の力として働くだろう.日本社会でも,古代よりは中世,中世よりは近世,近世よりは近代の方が読み書き能力が広く普及しているに違いない.そこで,より近代に近い社会の方が言語の基層における変化は乏しいのである.もちろん細かな言語変化はより近代に近い時代においてもたくさん生じているし,また,方言はふつう書きとどめられない.だから,地域地域で大きな変異が生ずるということも,大いにありうる.


 時代が下るにつれて,基層における言語変化が乏しくなるという説は,間に2段階くらいの論理のクッションを入れるとわかりやすいだろう.つまり,一般に時代が下るにつれて識字率が上がる,識字率が上がるにつれて言語の規範意識が育つ,言語の規範意識が育つにつれて話し言葉の変化も抑制される,ということだ.これは妥当といえば妥当な見解だが,引用でも示唆されているとおり,主に標準変種についての説である.非標準変種において同じ議論が成り立つのかはわからないし,考察対象を基層でなく表層まで広げるとどうなるのかも検討してみる必要がある.
 言語変化の速度 (speed_of_change) の問題や規範主義 (prescriptivism) が言語変化を遅らせるという議論については,以下を含む多くの記事で取り上げてきたので,ご参照ください.monitoring の各記事も参照.

 ・ 「#386. 現代英語に起こっている変化は大きいか小さいか」 ([2010-05-18-1])
 ・ 「#430. 言語変化を阻害する要因」 ([2010-07-01-1])
 ・ 「#622. 現代英語の文法変化は統計的・文体的な問題」 ([2011-01-09-1])
 ・ 「#753. なぜ宗教の言語は古めかしいか」 ([2011-05-20-1])
 ・ 「#795. インターネット時代は言語変化の回転率の最も速い時代」 ([2011-07-01-1])
 ・ 「#1430. 英語史が近代英語期で止まってしまったかのように見える理由 (2)」 ([2013-03-27-1])
 ・ 「#1874. 高頻度語の語義の保守性」 ([2014-06-14-1])
 ・ 「#2417. 文字の保守性と秘匿性」 ([2015-12-09-1])
 ・ 「#2631. Curzan 曰く「言語は川であり,規範主義は堤防である」」 ([2016-07-10-1])
 ・ 「#2641. 言語変化の速度について再考」 ([2016-07-20-1])
 ・ 「#2670. 書き言葉の保守性について」 ([2016-08-18-1])
 ・ 「#2756. 読み書き能力は言語変化の速度を緩めるか?」 ([2016-11-12-1])
 ・ 「#3002. 英語史が近代英語期で止まってしまったかのように見える理由 (3)」 ([2017-07-16-1])

 ・ 野村 剛史 『話し言葉の日本史』 吉川弘文館,2011年.

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2017-12-31 Sun

#3170. 現代日本語の語種分布 (2) [japanese][lexicology][statistics][etymology][loan_word][lexical_stratification]

 「#1645. 現代日本語の語種分布」 ([2013-10-28-1]) の記事で,標題について明治から昭和にかけて出版された国語辞典に基づく数値を示した.今回は平成からの数値を示そう.沖森ほか (71) に掲載されている,『新選国語辞典 第八版』(小学館,2002年)に基づいた語種分布である.

『新選国語辞典 第八版』(小学館,2002年)に基づいた語種分布

和語漢語外来語混種語
割合33.8%49.1%8.8%8.4%
語数24,708語35,928語6,415語6,130語


 先の記事 ([2013-10-28-1]) で参照した,国立国語研究所『語彙の研究と教育(上)』(大蔵省印刷局,1984年)の雑誌90種に基づく異なり語数と延べ語数の統計も,改めて円グラフにして示そう(こちらも沖森ほか (79) 経由で).

雑誌90種に基づく現代の語種分布(異なり語数)

和語漢語外来語混種語
割合36.7%47.5%9.8%6.0%
語数11,134語14,407語2,964語1,826語

雑誌90種に基づく現代の語種分布(延べ語数)

和語漢語外来語混種語
割合53.9%41.3%2.9%1.9%
語数221,875語170,033語12,034語8,030語


 ・ 沖森 卓也,木村 義之,陳 力衛,山本 真吾 『図解日本語』 三省堂,2006年.

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2017-11-29 Wed

#3138. 漢字の伝来と使用の年代 [japanese][kanji]

 日本に漢字が伝来したのはいつか,そして本格的に使われ始めたのはいつか,という問題について,「#2386. 日本語の文字史(古代編)」 ([2015-11-08-1]),「#2124. 稲荷山古墳金錯銘鉄剣」 ([2015-02-19-1]),「#2505. 日本でも弥生時代に漢字が知られていた」 ([2016-03-06-1]) などで触れてきた.この点について,『日本語全史』を著わした沖森の見解に耳を傾けよう.
 沖森 (24) は,2世紀中頃の資料が,国内での漢字使用の最古の例と考えられ得ると指摘している.

日本国内の文字資料としては,弥生時代後期から古墳時代にかけての刻書土器・墨書土器がある.たとえば,土器に刻まれたものには,大城遺跡(三重県津市安濃町内多)出土土器(二世紀中ごろ)にへら状の道具に刻んだ「奉」のような模様が見え,墨書されたものには,柳町遺跡(熊本県玉名市河崎)の井戸の跡から発見された木製短甲留具に書かれた「田」のような模様がある.しかし,これらは単なる目印としての記号・符号なのか,漢字と意識して書かれた文字なのか判別しがたい.


 上記が記号・符号の域を出ないものである可能性も高いのに対して,4世紀までに外交上の必要から日本にやってきた渡来人が漢字漢文を書いていたことは確からしい.しかし,彼らは中国語としての漢字漢文を書いていたのであって,日本語を漢字で書いていたわけではなかったろう.
 日本国内で作られた現存する最古の漢文は千葉県市原市の『稲荷台一号墳鉄剣銘』である.表側には「王賜久□敬□」(王,久□を賜ふ.敬して(安)んぜよ)とあり,裏側には「此廷□□□□」(此の廷(刀)は□□□)と読めるという(沖森,p. 25).この鉄剣は5世紀前半の製作とされるが,同世紀後半には「#2124. 稲荷山古墳金錯銘鉄剣」 ([2015-02-19-1]) も製作されている.
 これらの状況から判断して,沖森 (25) は国内での実質的な漢字の伝来と使用の開始を,紀元400年前後においている.百済人の渡来という人口移動に伴う出来事だったという見解だ.

出土資料の状況を勘案すると,本格的な漢字の伝来は四世紀末から五世紀初頭にかけてあったとするのが妥当である.この時期に漢字使用が始まる背景には,朝鮮半島の事情が大きく関与している.三九九年に,高句麗の広開土王(好太王)は新羅救援のために五万の兵を派遣し,新羅の都を包囲していた倭を退却させ,任那・加羅まで進んだという(『広開土王碑文』四一四年建立).倭は新羅・高句麗に対立する百済や加羅(カヤとも)の要請を受けて援軍を派遣したのであるが,この倭の軍隊が朝鮮半島から退却する際に,半島に住んでいた人々の中には難を逃れて日本に渡る者もいた.そのような人々が大陸の先進的な技術などとおもに,漢字漢文を本格的に伝えたのである.


 ・ 沖森 卓也 『日本語全史』 筑摩書房〈ちくま新書〉,2017年.

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2017-11-28 Tue

#3137. 日本語史の時代区分 (2) [periodisation][japanese]

 日本語史の時代区分について,「#1525. 日本語史の時代区分」 ([2013-06-30-1]),「#1526. 英語と日本語の語彙史対照表」 ([2013-07-01-1]),「#2669. 英語と日本語の文法史の潮流」 ([2016-08-17-1]) で紹介したが,今回は沖森 (16) による複数の区分法をみてみよう.

二分法 古代 近代
三分法 古代 中世 近代
四分法 古代 中世 近世 近代
五分法 上代 中古 中世 近世 近代
六分法 古代前期 古代後期 中世前期 中世後期 近世 近代
七分法 古代前期 古代後期 中世前期 中世後期 近世前期 近世後期 近代
八分法 古墳時代,飛鳥時代,奈良時代 平安時代 院政・鎌倉時代 室町時代 江戸時代 明治時代


 採用する時代区分の違いは,日本語史をどうとらえるかによる.二分法は,古典語が成立して崩壊する「古代」と,現代語が成立する「近代」とに分ける,大きな潮流に重点を置く立場である.三分法はその過渡期として「中世」を想定する.これは西洋史における三区分主義を模倣したものといってよいだろう(「#232. 英語史の時代区分の歴史 (1)」 ([2009-12-15-1]) を参照).四分法も三区分法の流れを汲むといってよく,現在までに長くなりすぎた「近代」を「近世」と「近代」に再編成したものである.五分法は日本文学史でよく用いられる区分である.六分法と七分法は,四分法をもとに接頭辞「前」「後」を付したもので,きめ細かに日本語史をみる際に有用である.
 言語史における時代区分について,periodisation の各記事で論じてきたが,どんな区分法であれ本質的には恣意的である.あくまで参照の便を図るための道具立てだ.しかし,道具立てとして採用する以上は,その時々の目的に照らして最も役立つものを選ぶべきだろう.それゆえ,各時代区分の特徴を知っておくことは重要である.

 ・ 沖森 卓也 『日本語全史』 筑摩書房〈ちくま新書〉,2017年.

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2017-11-22 Wed

#3131. 連載第11回「なぜ英語はSVOの語順なのか?(前編)」 [link][notice][word_order][syntax][typology][world_languages][inflection][japanese][rensai][sobokunagimon]

 11月20日付けで,英語史連載企画「現代英語を英語史の視点から考える」の第11回の記事「なぜ英語はSVOの語順なのか?(前編)」が公開されました.英語の語順に関する大きめの話題なので,2回にわたって連載する予定です.今回はその前編となります.
 前編の概要は以下の通りです.日本語と英語における S, V, O の3要素の語順の違いを取っ掛かりとして,言語における「基本語順」に注目します.言語類型論の知見によれば,世界の諸言語における基本語順を調べると,実は日本語型の SOV が最も多く,次いで現代英語型の SVO が多いという分布が明らかとなります.ところが,英語も古英語まで遡ると,SVO のほか,SOV, VSO など様々な語順が可能でした.つまり,現代的な語順決め打ちではなく,比較的自由な語順が許されていたのです.それは,名詞,形容詞,冠詞,動詞などの語尾を変化させる「屈折」 の働きにより,文中のどの要素が主語であるか,目的語であるか等が明確に示され得たからです.語順に頼らずとも,別の手段が用意されていたということになります.要素間の統語関係を標示するのに語順をもってするか,屈折をもってするかは確かに大きな違いではありますが,いずれが優れている,劣っているかという問題にはなりません.現に英語は歴史の過程で語順の比較的自由な言語から SVO 決め打ちの言語へとシフトしてきたわけですが,そのシフト自体を優劣の観点から評価することはできないのです.
 前編の最後では,「なぜ英語はSVOの語順なのか?」という素朴な疑問を,通時的な視点から「なぜ英語は屈折重視型から語順重視型の言語へと切り替わり,その際になぜ基本語順はSVOとされたのか?」とパラフレーズしました.この疑問の答えについては,来月公開の後編にご期待ください.
 SOV, SVO などの語順に関しては,「#137. 世界の言語の基本語順」 ([2009-09-11-1]),「#3124. 基本語順の類型論 (1)」 ([2017-11-15-1]),「#3125. 基本語順の類型論 (2)」 ([2017-11-16-1]),「#3128. 基本語順の類型論 (3)」 ([2017-11-19-1]),「#3129. 基本語順の類型論 (4)」 ([2017-11-20-1]) の記事もどうぞ.

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2017-11-01 Wed

#3110. 「宣教師語」 [japanese][pidgin][code-switching][bilingualism][sociolinguistics][variety]

 アメリカ人でモルモン教徒の宣教師が,若い頃,2年間ほど九州と沖縄に滞在していたときに用いていたという「宣教師語」こと "Senkyoshigo" に関する論文を読む機会があった.Senkyoshigo は宣教師仲間のあいだで常用される言葉であり,日本語由来の内容語を多用する点に特徴がある.Senkyoshigo 使いだった論文執筆者の Smout 氏は,当初その奇妙な言葉に驚いたが,やがてすっかり慣れてしまい,標準英語を話すのが難しくなってしまったという.例えば,次のような1節を見てみよう.文中の fud は「お風呂」,dish-chan とは「お皿ちゃん」ということで「皿洗い係」を指すようだ.

Hey dode, okinasai! It's time I got a start on asagohan so we can have some oishii muffins before benkyokai. You're dish-chan this week, so you go take the first fud. Come on in and I'll show you how to tsukeru the mono.


 これは (1) 日本語を lexifier とするピジン語のようでもあり,(2) 日英両言語のバイリンガルによる code-switching のようでもあり,(3) 遊び心で作り上げた遊戯言語のようでもある.実際,「宣教師語」を3種類のいずれかに的確に区分することはできそうになく,(社会)言語学的にはこれらの中間に位置するというほかない珍妙な言語変種,あるいは言語使用である.
 論文ではこの中間的な位置づけが議論されていくのだが,最終的には次のように述べられる.

   Senkyoshigo is clearly a phenomenon that cannot be adequately categorized within current linguistic terms. In terms of its origin and its similarity to varieties that have been previously classified as pidgins, it is a pidgin. In terms of the rule that govern its interface with Japanese and English, it is bilingual code-switching. In terms of its rather ordinary English grammar, its lack of speakers who rely on it as a sole means of communication, and the playful exuberance with which it is used, it is is (sic) a recreational language. In the final analysis, the most important factors that determine the label one affixs (sic) to this variety will probably be social and political. Those who think the phenomenon is significant and interesting will tend not to equate it with a child's language game but will see in it examples of other linguistic processes at work. They may classify it as a near-pidgin which has not stabilized because it remains in the presence of its lexifier language and because its most proficient speakers use it for only two years of their lives. Alternately, they may classify it as early bilingualism that would stabilize and regularize in a society that allowed continuing roles to emerge for each variety. For those who do not particularly value the language or find it interesting, it will probably seem to be a recreational language which in some minds ought to be suppressed but in most deserves only to be ignored.
   No matter how we label it, this missionary English of Japan is an unusual language phenomenon.


 英語と日本語という2つの言語の狭間にあって,宣教という目的のために2年ほどで成員が入れ替わり続けるという,類いまれな社会言語学的環境をもつ言語共同体.まさに社会言語学の生きた実験場である.確かに名状しがたい言語変種だが,第4の視点として,日本語の語句を著しく借用した英語変種と見ることもできそうだ.
 関連して借用と code-switching の差異を巡っては,「#1661. 借用と code-switching の狭間」 ([2013-11-13-1]),「#1985. 借用と接触による干渉の狭間」 ([2014-10-03-1]),「#2009. 言語学における接触干渉2言語使用借用」 ([2014-10-27-1]) を参照.日本におけるピジン語については,「#2596. 「小笠原ことば」の変遷」 ([2016-06-05-1]) をどうぞ.
 ちなみに,この論文は東北大学の長野明子先生に「気分転換に」とご紹介いただいたものでした(長野先生ありがとうございます,まさに気分転換!).

 ・ Smout, Kary D. "Senkyoshigo: A Missionary English of Japan." American Speech 63.2 (1988): 137--49.

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2017-09-30 Sat

#3078. kenning と枕詞 [kenning][japanese][literature]

 古英語の修辞技法である kenning について,「#472. kenning」 ([2010-08-12-1]),「#2677. Beowulf にみられる「王」を表わす数々の類義語」 ([2016-08-25-1]),「#2678. Beowulf から kenning の例を追加」 ([2016-08-26-1]) などでみてきた.今回は,福原 (70) が古英語の kenning と日本語の枕詞とを比較している文章を見つけたので,引用したい.ここでは,「海」を表わすのに whale-road (鯨の道)という隠喩的複合語をもってする例を念頭においている.

此處に whale-road といふ言葉でありますが,吾々の國には枕詞といふものがあつて,例へば「あしびきの山鳥」「たらちねの父母」といふ様に申します.丁度此の枕詞が之に似て居ります.「たらちねの父母」といふ言葉の代りに,お終ひには「たらちね」だけですませ,枕詞の中に父母という意味がある様になつて來ました.それから「いさなとり」,是は海の枕言葉でありますが,「いさな」とは鯨のことらしい,whale-road と「いさなとり」といふ枕詞と大變似て居ります.吾々の國の文學でさういふ枕詞を使つた時代は平安朝で一應お終ひになりました.平安朝といふ非常に爛熟した時代でお終ひになりましたが,文化の爛熟といふことと修飾した言葉を無暗に使つて喜ぶことと関係があるのではないかと思ひます.でセルマの歌なんか頗る感情的な,形容詞的な歌でありますが,實質的なことをいはないで無暗に形容詞でもつて人の心を掻き立てる様な演説がある時代が現はれると,其の國はそろそろお終ひだと思つて良いかも知れない.文學に使はれる言葉とその國の文化との關係といふものは一つの注意すべき問題であると思ふのであります.


 福原は,kenning と枕言葉の語形成や用法が似ているという点を指摘するのみならず,そのような形容詞的,修飾的な言葉遣いは文化の爛熟期に見られることが多いと述べている.爛熟期ということは,次には退廃期が待っているということを示唆しており,つまり件の語法の存在は,それをもつ文化の「お終ひ」を暗示しているのだ,という評価だ.何だかものすごい議論である.
 なお,引用中の「セルマの歌」は,ケルト民族の歌の時代を思い起こさせるスコットランドの古詞である.

 ・ 福原 麟太郎 『英文学入門』 河出書房,1951年.

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2017-09-24 Sun

#3072. 日本語の挟み言葉 [japanese][cryptology][word_play]

 昨日の記事「#3071. Pig Latin」 ([2017-09-23-1]) でみた言葉遊びは,種類としては広く「挟み言葉」といわれる.単語内での要素の入れ替えや新要素の付加に特徴づけられる語形の変形のことであり,あたかも単語内に何かが挟まってくるかのような印象を受ける.
 この種の言葉遊びはおそらく多くの言語に見られる.日本語でも,「ノサ言葉」なる挟み言葉の遊びがある(長田,p. 121).

セ(ノサ)ミトリハ オ(ノサ)モシロカッタ? (蝉取りはおもしろかった?)
オ(ノサ)モシロカッタ ハ(ノサ)ッピキ ト(ノサ)ッタ (おもしろかった,八匹取った)


のように,単語(分節というべきか)の第1音節と第2音節のあいだに「ノサ」を挟むものである.「ノ」は第1音節に,「サ」は第2音節につけて発音し,アクセントを上手に操ると,第三者には理解しにくいという意味では,符丁的,暗号的な役割を果たすことができる.
 挟み言葉は,江戸の中期頃から庶民のあいだで流行ったようで,末期には唐事(からこと)と呼ばれた.明和9年(1772年)に出された洒落本『辰巳之園』には,ア段の音節の後に「カ」を,イ段の音節の後に「キ」を付けるといったようにカ行音を語中に挟むものが紹介されている.これだと,例えば「キャク」であれば「キキヤクク」,「ネコ」であれば「ネケココ」となる.
 私も子供のころ「ブンブンブン ハチガトブ」という歌詞における「ン」以外の各音説の後に「ル」を挟み込んで,「ブルンブルンブルン ハルチルガルトルブル」と歌う言葉遊びをしたことがある.脳とろれつを回転させるのにおもしろいゲームである.
 挟み言葉を即興で産出・理解できる者どうしが高速に会話をすれば,事実上の暗号となるのではないかと思われる.もちろん,文字化してしまえば,暗号としての効果はほぼゼロとなることはいうまでもない.

 ・ 長田 順行 『暗号大全 原理とその世界』 講談社,2017年.

Referrer (Inside): [2017-09-29-1]

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2017-08-06 Sun

#3023. ニホンかニッポンか [japanese][kanji]

 イギリスを指す英語表現には,The UK, Great Britain, Britain など複数ある.オランダについても,The NetherlandsHolland の2つがある.公式と非公式の違いなど,使用域や含蓄的意味の差はあるにせよ,ひとかどの国家が必ずしも単一の名称をもっているわけではないというのは,妙な気がしないでもない.その点,我が国は「日本」あるいは Japan という名称ただ1つであり,すっきりしている.
 と言いたいところだが,実は「日本」には「ニホン」なのか「ニッポン」なのかで揺れているという珍妙な状況がある.英語でも Japan のほかに NihonNippon という呼称が実はあるから,日本語における発音の揺れが英語にも反映されていることになる.
 「ニホン」か「ニッポン」かは長く論じられてきた問題である.語史的には,両発音は室町時代あたりから続いているものらしい.昭和初期に,国内外からニホンとニッポンの二本立ての状況を危惧する声があがり,1934年の文部省臨時国語調査会で「ニッポン」を正式な呼称とするという案が議決されたものの,法律として制定される機会はついぞなく,今日に至る.
 私の個人的な感覚でも,また多くの辞書でも,今日では「ニホン」が主であり「ニッポン」が副であるようだ.「ニッポン」のほうが正式(あるいは大仰)という感覚がある.実際,国家意識や公の気味が強い場合には「ニッポン」となることが多く,「ニッポン銀行」「ニッポン放送協会」「大ニッポン帝国憲法」の如くである(なお,現行憲法は「ニホン国憲法」).「やはり」と「やっぱり」にも見られるように,促音には強調的な響きがあり,そこからしばしば口語的な含みも醸されるが,「ニッポン」の場合には促音による強調がむしろ「偉大さ」を含意していると考えられるかもしれない.
 この問題に関する井上ひさし (23--24) の論評がおもしろい.

私たち日本人は,発音にはあまり厳格な態度で臨むことがない.どう呼ぼうが,また呼ばれようが,案外,無頓着なところがあります.しかし一方では,どう表記されるかに重大な関心を抱いている.すなわち,国号が漢字で「日本」と定めてあればもうそれで充分で,それがニッポンと呼ばれようがニホンと呼ばれようが,ちっとも気にしない.心の中で「日本」という漢字を思い浮かべることができれば安心なのです.とくに地名の場合に,それがいちじるしい.


 「日本」をどう読むかという問題は,より広く同字異音に関する話題だが,「#2919. 日本語の同音語の問題」 ([2017-04-24-1]) で触れたように,日本語が「ラジオ型言語」ではなく「テレビ型言語」であるがゆえの問題なのだろうと思う.

 ・ 井上 ひさし 『井上ひさしの日本語相談』 新潮社,2011年.

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2017-07-25 Tue

#3011. 自国語ですべてを賄える国は稀である [japanese][linguistic_imperialism]

 昨日の記事「#3010. 「言語の植民地化に日本ほど無自覚な国はない」」 ([2017-07-24-1]) で,『中央公論』8月号の「英語1強時代,日本語は生き残るか」と題する特集について触れた.その特集で,宇野重規と会田弘継による対談「“ポスト真実”時代の言語と政治」が掲載されている.ここでも,昨日引用した水村美苗と同じように,日本語が言語の植民地化を免れたのがいかに稀なことであるかが論じられている (37) .

会田 日本は英語国の植民地になったわけではありませんから,英語を使わなければできない何かがあるわけではない.近代に統一された国民国家の言語によって,ほとんどすべてのことを賄える国民というのは,世界でも稀なのですから,これほど幸福な国民はいないとも言えます.一億を超える人たちがすべてのことを自分の国語で,そして高等教育まで賄える.これができる国家は,英米を除けば,フランス,ドイツ,イタリア,スペインぐらいではないでしょうか.ヨーロッパでも小国は,高等教育は英語で行っているところが多い.スウェーデンの友人に,「君たちは英語ができていいねとあんたは言うかもしれないけれど,悲しいよ.大学の教科書は採算が合わないからスウェーデン語では作れない.英語の教科書を使うから,結局授業は英語になっちまう」ってぼやかれた.みんな,自ら求めて英語化しているわけではないのです.


 ここで例として出されているスウェーデンはまだ状況がよいほうで,アフリカやアジアの旧植民地の国々では,自国語で高等教育の教科書が書かれているところなど,ほとんどあり得ないのである.
 宇野 (40) も同じ趣旨で次のように述べている.

近代語は,先祖からの伝承や物語を語れるだけでは不十分で,政治も経済も哲学も技術も,すべて語れなければならない.こうした言語は,実は世界にそれほどありません.僕たちは教科書が,高校でも大学でも日本語で書かれていることを当たり前だと思っているけれど,こんなに恵まれていることは珍しいのです.英語以外ではフランス語だって微妙なところです.


 日本語の未来や,それと関連して英語帝国主義を論じ始める前に,まずはこのような事実を確認しておきたい.

Referrer (Inside): [2023-02-14-1] [2021-09-28-1]

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