3月30日の読売新聞朝刊に標題の記事が掲載されていた.29日に,政府による外国名表記を定めた改正在外公館名称位置給与法が成立したという.これにより従来「セントクリストファー・ネーヴィス」 (Saint Christopher and Nevis) と表記されていたカリブ海の島国の名前が「セントクリストファー・ネービス」となる.同様に,西アフリカの群島国「カーポヴェルデ」 (Cape Verde) は「カーポベルデ」となる.これにより,外務省の文書から国名に「ヴ」を使った表記がなくなることになる.河野外相によれば「わかりやすさと発音のしやすさを優先する」ということのようだ.日本語としての表記であるから,それが自然といえば自然だろう.
外来語の「ヴ」の表記を巡っては慣用の揺れも観察され,標準化したり一般化することがなかなか難しい.その歴史的背景は,沖森 (388) が次のようにまとめている.
外来語を片仮名で書くという用法はすでに江戸時代から習慣的に行われていて,v の発音を「ヴ」と表記するのは福沢諭吉が『増訂華英通語』(一八六〇年刊)において最初に試みたものである.その後,外来語は,原音の発音に即した表記で書かれたり,日本語の音韻に同化した発音に基づく表記がなされたりするなど,識者の間でも意見の一致をみなかった.
一九九一年に「外来語の表記」が内閣告示として出されて,表記の基準が示されたが,これは原則と許容の二本立てとなっている.すなわち,日本語の音韻に同化した発音に基づく書き方(第1表)と,原音や原つづりになるべく近く書き表す書き方(第2表)からなり,第1表によることを原則とするが,必要に応じて第2表を許容するというものである.そこでは,第2表で v を「ヴ」で書き表すことが許容として盛り込まれている.
内閣告示「外来語の表記」を見てみると,「留意事項その2(細則的な事項)」の「第2表に示す仮名に関するもの」において「第2表に示す仮名は,原音や原つづりになるべく近く書き表そうとする場合に用いる仮名で,これらの仮名を用いる必要がない場合は,一般的に,第1表に示す仮名の範囲で書き表すことができる」とある.また,その項目7と10に「ヴ」表記に関する記述が見える.ここに,「ブ」系を原則としながらも目的に応じて「ヴ」系も許容するという穏当な態度を確かに読み取ることができる.
7 「ヴァ」「ヴィ」「ヴ」「ヴェ」「ヴォ」は,外来音ヴァ,ヴィ,ヴ,ヴェ,ヴォに対応する仮名である.
〔例〕 ヴァイオリン ヴィーナス ヴェール
ヴィクトリア(地) ヴェルサイユ(地) ヴォルガ(地)
ヴィヴァルディ(人) ヴラマンク(人) ヴォルテール(人)
注 一般的には,「バ」「ビ」「ブ」「ベ」「ボ」と書くことができる.
〔例〕 バイオリン ビーナス ベール
ビクトリア(地) ベルサイユ(地) ボルガ(地)
ビバルディ(人) ブラマンク(人) ボルテール(人)
. . . .
〔中略〕
. . . .
10 「ヴュ」は,外来音ヴュに対応する仮名である.
〔例〕 インタヴュー レヴュー ヴュイヤール(人・画家)
注 一般的には,「ビュ」と書くことができる.
〔例〕 インタビュー レビュー ビュイヤール(人)
「ヴ」表記と関連して「#3325. 「ヴ」は日本語版の語源的綴字といえるかも?」 ([2018-06-04-1]),「#901. 借用の分類」 ([2011-10-15-1]) も参照.なお,「ヴ」の問題ではないが,上記の改正法では「#3289. Swaziland が eSwatini に国名変更」 ([2018-04-29-1]) で紹介したように「スワジランド」が「エスワティニ」へ変更となったことも付け加えておきたい.
・ 沖森 卓也・笹原 宏之・常盤 智子・山本 真吾 『図解 日本の文字』 三省堂,2011年.
昨日の記事「#3609. 『英語教育』の連載「英語指導の引き出しを増やす 英語史のツボ」が始まりました」 ([2019-03-15-1]) で新連載について紹介した.連載タイトルに英語史の「ツボ」と入れたが,この「急所,要点,要領」の語義では片仮名で「ツボ」と表記するのが普通であり,あまり「壺」とはしない.これはなぜだろうか.
沖森ほか (83) に,現代日本語における片仮名の用途が9点挙げられている.それぞれ簡単に要約すると以下の通り.
(1) 漢語を除く外来語:ライオン,マーガリン,スーツ,テレビなど(ただし近代漢語は外来語とみなされるので,ラーメン,ウーロン茶などもある)
(2) 擬音語・擬態語:ワンワン,コケコッコー,ニャーなど
(3) 自然科学の用語:ヨウ素,アザラシ,バラ科など
(4) 漢文訓読の送り仮名
(5) 画数の多い語:会ギ(議),ヒンシュク(顰蹙),ビタ(鐚)一文,ヒビ(罅)が入る,ブランコ(鞦韆),ボロ(襤褸)が出るなど
(6) 流行語,俗語:ヤバイ(ネット上などで,ヤバい,ヤばい,やバイもある)
(7) 表意性の消去:コツ(骨)をつかむ,ババ(婆)を引く,ヤケ(自棄)になる
(8) 対話的な宣伝:「ココロとカラダの悩み」「アナタの疑問に答えます」など新鮮な宣伝効果を狙ったもの
(9) 外国人の話す日本語,ロボットや宇宙人などのことば:「ワタシ,日本人トトモダチニナリタイデス」「地球人ヨ,ヨク聞ケ.ワレワレハ,バルタン星人ダ」など,情緒のない機械性を表わす
「ツボ」は,「コツ」「ババ」「ヤケ」などが挙げられている (7) の表意性の消去の例に当たるだろうか.これについて,沖森ほか (83) からもう少し詳しい説明を引用すると,次のようになる.
国語辞典を引くと,それぞれ漢字表記があがっているが,実際に目にする表記は片仮名が一般的なものである.これは,「コツをつかむ」の意で「骨」を当てると《人骨》の意味が表に出すぎて差し支えが生じるためであろう.派生義で用いる場合に,その漢字本来の表意性が面に出るとそぐわない場合に片仮名が選ばれたものと思われる.広島を「ヒロシマ」と書くのも,地名の意を消去して,被爆地としての新たな意味を込める用法かと見られる.
「ツボ」の場合,「壺」と表記することによって容器の意味が表に出すぎて差し支えが生じるとは特に思われないが,少なくとも容器の意味と急所の意味が離れすぎているために違和感が漂うということなのだろう.語義の発展・派生としては,「くぼみ」(滝壺など)から始まり,形状の類似から「(容器としての)壺」や「鍼を打ったり灸をすえる場所」(足ツボなど)が派生し,後者から「狙い所,要点」が発展したと思われる.このように原義と派生義の距離が開いてしまっている語はごまんとあるが,そのなかには表記上の区別をするものがあるということだろう.共時的感覚としては「ツボ」と「壺」は異なる語彙素といってよい.「表意性の消去」とは,この感覚の反映をある観点から表現したものだろう.
英語からの類例としては「#183. flower と flour」 ([2009-10-27-1]),「#2440. flower と flour (2)」 ([2016-01-01-1]) がある.両語は同一語源に遡るが,語義がかなり離れてしまったために,別々の語彙素ととらえられ,異なる表記が用いられるようになった.この問題は,2重語 (doublet) や同音異義 (homophony) の問題とも関わってくるだろう.
・ 沖森 卓也・笹原 宏之・常盤 智子・山本 真吾 『図解 日本の文字』 三省堂,2011年.
『新日本文学史』に「文学の誕生」 (12) という文章がある.日本文学がいかにして誕生するに至ったかを説明する文脈ではあるが,おそらく日本文学に限らず一般に通用する説だろう.先にエッセンスを示しておくと,次のような流れで文学が誕生するという.
┌───────────────┐ │ 自然への畏怖 │ │ ↓ │ │ 神を祭る │ │ ↓ │ │ 神聖な詞章の発達 │ │ ↓ │ │ 詞章の自立・洗練 │ │ ↓ │ │ 歌謡・神話などの文学の誕生 │ └───────────────┘
日本列島にも,一万年以上前には先土器文化の時代があった.それから数千年を経て縄文時代に入ると,石器や土器などの生産用具を用いた採集生活が営まれるようになった.紀元前三から二世紀ころになると,弥生時代が始まり,水稲耕作の技術が伝来して,採集生活の時代に比べて生産力は一段と高められた.水稲耕作は,組織的な作業を必要とするので,定住化した集団生活がそこに営まれるようになった.共同体的社会が形成され,血縁関係によって結ばれる氏族集団がまとめ上げられていくのである.こうした氏族共同体は,独自の文化を生み出していったが,一方,生産力の上昇に伴ってしだいに統合され,やがていくつかの小国へと進展していった.
採集生活の時代から,人々は,外界の自然に対する畏怖の念をもち続けていた.その脅威からのがれ,生産の豊穣を祈念するため,そこにあらわれる超人間的な力を神として祭った.これが<祭り>の起源であり,共同体の安定は,こうした祭りによって維持されることとなった.祭りの場で語られる神聖な詞章(呪言や呪詞と呼ばれる)が,文学の原型である.これらの詞章は,日常の言語とは異なる,韻律やくり返しをもつ律文としての表現をもっていた.それはまた,祭りの場の音楽や舞踏とも一体化した,きわめて混沌とした表現であったと思われる.
しかし,共同体が統合され,小国からやがて統一国家が形成される過程の中で,祭りも統合され,その神聖な詞章もしだいに言語表現として自立・洗練されていった.それが文学の誕生であり,そこに生み出されたのがさまざまな歌謡や神話であった.
・ 秋山 虔,三好 行雄(編著) 『原色シグマ新日本文学史』 文英堂,2000年.
安藤達朗(著)『いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 【教養編】』を読んでいる.様々な点で示唆に富む日本史だ.pp. 30--31 に「文化の受容」と題するコラムがあり,その鋭い洞察に目がとまった.
異質の文化が受容されるには,一般に3つの条件がある.第一に,それが先進的なものであるならば,それを受容しうる能力がなければならない.例えば,江戸幕末に欧米近代文明を受容できたのは,日本人の中にすでに合理的思考法の素地もあり,技術に対する理解もかなり進んでいたからである.第二に,それを受容することが必要とされなければならない.例えば,元寇の際に日本軍は元軍の「てつはう」に悩まされながらも,それを取り入れる関心を示さず,戦国時代には鉄砲が伝わると数年後に国産されるようになったのは,鎌倉時代には集団戦が一般化していなかったからである.第三に,受容するに際して,受容する側の主体的条件によって選択がなされ,変更が加えられる.例えば仏教が受容されるとき,その教義よりは呪術的な側面に関心が向けられ,一方では鎮護国家の仏教となり,一方では土俗信仰と密着していったことはそれを示す.
文化の受容には,(1) 受容能力,(2) 受容の必要性,(3) 選択と変更,の3点が要求されるということだ.
言語史に関連する文化の受容の最たるものは,文字の受容だろう.英語や日本語の文字の歴史を振り返ると,いずれも進んだ文字文化をもっていた大陸からの影響で文字を使い出した.アングロサクソン人も日本人も,ローマ字や漢字との接触こそ紀元前後からあったが,必ずしもその段階でそれを「受容」はしなかった.そこまで文化が開けておらず受容の「能力」も「必要性」も足りなかったからだろう.要は当時はまだ準備ができていなかったのである.アングロサクソンでも日本でも,先進的な文字は5--6世紀になってようやく,国家成立の機運や大陸の宗教の流入という契機と結びつく形で,本格的に受容されるに至った.文字受容の能力と必要性を磨くのに,最初の接触以来,数世紀の時間を要したのである.
また,「選択と変更」という観点から,両社会の文字の受容を再考してみるのもおもしろい.アングロサクソン人はローマ字を受容する以前にすでにルーン文字をもっていたのであり,その意味では2つの選択肢のなかから外来の文字セットをあえて「選択」したともいえる.あるいは,後に常用するようになったローマ字セットのなかにルーン文字に由来する <þ> や <ƿ> を導入したのも,一種の「選択」とも「変更」ともいえる.日本の漢字の受容についても,数世紀の時間は要したが,漢字セットの部分集合を利用し,大幅な形態や機能の「変更」を経て仮名を作り出したのだった.
日英の文字の受容史については,これまでもいろいろと書いてきたが,とりわけ以下の記事を参考として挙げておきたい.
・ 「#296. 外来宗教が英語と日本語に与えた言語的影響」 ([2010-02-17-1])
・ 「#850. 書き言葉の発生と論理的思考の関係」 ([2011-08-25-1])
・ 「#2386. 日本語の文字史(古代編)」 ([2015-11-08-1])
・ 「#2485. 文字と宗教」 ([2016-02-15-1])
・ 「#2505. 日本でも弥生時代に漢字が知られていた」 ([2016-03-06-1])
・ 「#2757. Ferguson による社会言語学的な「発展」の度合い」 ([2016-11-13-1])
・ 「#3138. 漢字の伝来と使用の年代」 ([2017-11-29-1])
・ 「#3486. 固有の文字を発明しなかったとしても……」 ([2018-11-12-1])
・ 安藤 達朗 『いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 【教養編】』 東洋経済新報社,2016年.
昨日の記事「#3485. 「神代文字」を否定する根拠」 ([2018-11-11-1]) で,日本語固有の文字と主張されてきた「神代文字」を否定した直後に,沖森 (33--34) は次のようなフォローの文章を続けている.
自らが使用する言語に固有の文字があることを願う気持ちは,自然な心情としてそれなりに理解できます.しかし,ギリシア文字がフェニキア文字に由来すること,そのギリシア文字からラテン文字が作り出されたことなどからわかるように,ほかの言語の文字に工夫を加えて,自らの言語に適した文字を作り上げていくというのも自然の流れですし,むしろ世界の言語における文字成立の由来としてはその方が圧倒的に多いのです.ですから,固有の文字体系がないという劣等感を持つ必要はまったくありませんし,それよりも,工夫を凝らして自らの言語をしっかりと書き記せる文字を成立させたことを誇りに思ってよいのです.
この議論は,世界的な言語である英語の歴史で考えてみても通用する.英語には固有の文字はない.初期のアングロサクソンのルーン文字にせよ,6世紀末以降に借用されたローマン・アルファベットにせよ,前段階の文字からの派生物にすぎない.上の引用文中にあるように,いずれもギリシア文字へ,さらにフェニキア文字へ,究極には北西セム文字へと遡るのである.しかし,英語はローマン・アルファベットを発明こそしなかったけれども,英語独自の音を表記するために,その文字やスペリングに様々な工夫や改良を加え,長い時間をかけて実用的なものへと徐々に仕立て上げてきたのである.文字に関しては,古代日本語の母語話者も古代英語の母語話者もほぼ同じことをしてきたのである.
アルファベットや漢字を発明した初代の創業者は確かに偉い.しかし,のれんを継ぎ,工夫しながら世の中で繁栄し続けた二代目以降も,別の意味でまた偉い.「誇り」ということでいうならば,互いを認めつつ各々の立場で誇りをもつことが大事である.
・ 沖森 卓也 『はじめて読む日本語の歴史』 ベレ出版,2010年.
日本語と文字の本格的な出会いは,起源400年前後の漢字の伝来によるものと考えられているが,さらに古い時代に日本固有の文字があったと主張するものもある.その文字は「神代文字」と総称されている.
このような主張の最初の記録は卜部懐賢(兼方)の『釈日本紀』 (1274--1301年頃成立)であり,その後,江戸時代には具体的な文字とともに平田篤胤の「日文」(ひふみ),鶴峯戊申の「天名地鎮」(あないち)などでも紹介された.神代文字といっても様々な種類が提示されているが,特によく知られる「日文」などは,一目見ればわかるようにハングルを拝借したものであり,明らかに偽作である.このような主張はナショナリズムに基づいた主張といってよく,『世界大百科事典第2版』によれば「愛国者とか軍人などのなかには,昭和年代に入ってさえ,その存在を信ずるものがあって,政治問題にまでも発展しかねない事件を引き起したことがある」とある.
神代文字を否定する根拠は豊富にある.漢字に先立って固有の文字があったのなら,なぜ前者を借用し,さらにそこから仮名を発達させる必要があったのか.また,提示されている神代文字は単音文字だが,音節文字である仮名よりも発達していると考えられる単音文字が時代的に先行しているのは妙である,等々.しかし,何よりも次の議論が決め手である.沖森 (33) より引用する.
神代文字の存在を否定する根拠は実にたくさんあって,逐一挙げるのは煩雑なことから,重要な点を一つだけ述べておきます.
文字が音を表すものである以上,古代において区別されていた音韻,つまり意味の違いを反映する音が体系的に書き分けられていなければなりません.〔中略〕奈良時代以前には,イロハ四七音以外に,少なくとも二〇音が音節として区別されていました.しかし,主張されている神代文字は,一〇世紀中葉以降の,イロハ四七(または「ン」を加えて四八)音,もしくは五十音図による五〇音を書き分けるという域を出ていません.つまり,奈良時代以前の言語上の特徴が,それらにはまったく見られないのです.
・ 沖森 卓也 『はじめて読む日本語の歴史』 ベレ出版,2010年.
服部 (67) は,英語と日本語における音声上の重要な相違点として,アクセント体系の利用の仕方を挙げている.
一般に,英語は強さ(強勢)アクセントの言語,日本語は高さ(ピッチ)アクセントの言語といわれる.英語をはじめとする強勢アクセントの言語では,強勢体系は英語の各種変種・方言間でほとんど変わらない.つまり,ある語の強勢位置が方言によって異なるということは,少数の例外を除けば,ほとんどない.一方,日本語のような高さアクセントの言語では,各語のアクセント型は方言によって著しく異なるというのが実態である.この差がいかなる原因で生じるのかは判然としない.今後の研究が俟たれるところである.
なるほど地域方言をはじめとする諸変種の区別化にアクセントが利用される度合いは,確かに日本語では高く,英語では低いと思われる.変種の「訛り」は典型的に発音に現われるものと思われるが,発音といってもそこには分節音の目録,異音の種類,イントネーション,アクセントなど様々なものが含まれ,区別化のために何をどの程度利用するかは,言語ごとに異なるだろう.しかし,引用した文章によれば,アクセントの種類と変種区別のためのアクセント利用度の間には相関関係があるということらしい.
強勢には様々な機能がある.「#926. 強勢の本来的機能」 ([2011-11-09-1]) でみたように対比による語の同定という機能が中心的であるという構造主義的な立場もあるが,実際には「#1647. 言語における韻律的特徴の種類と機能」 ([2013-10-30-1]) の記事でみた多種多様な役割があるだろう.そのなかでも「変種の区別化」は,後者の記事の (viii) で挙げられている機能の一部だろう.つまり,「個人を同定する.韻律は,話者の社会言語学的な所属や話者の用いる使用域 (register) を指示する (indexical) 機能をもつ」ということだ.では,なぜ(高さアクセントを用いる)日本語は,とりわけこの役割を強勢に担わせているのだろうか.確かによく分からない.アクセントがいかなる社会言語学的役割を担うかについての広い類型論的調査が必要だろう.
関連して「#1503. 統語,語彙,発音の社会言語学的役割」 ([2013-06-08-1]),「#2672. イギリス英語は発音に,アメリカ英語は文法に社会言語学的な価値を置く?」 ([2016-08-20-1]) を参照.また,言語におけるアクセントのタイプの違いについては「#2627. アクセントの分類」 ([2016-07-06-1]) を参照.
・ 服部 義弘 「第3章 音変化」 服部 義弘・児馬 修(編)『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 朝倉書店,2018年.47--70頁.
徳川 (245--46) は,日本語史における東西方言(江戸方言と上方方言)の優位をめぐる争いを「言語戦争」の例としながら,一般に言語戦争の勝敗が何によって左右されるのか,されないのかについて論じている.
まず第一に,言語戦争の勝敗は,単純な言語の使用人口などによってきまるものではない,ということである.ひとにぎりの権力者の言語が,多数の庶民の上に君臨するといった場合がある.
また,言語戦争の帰趨は,一般的に,なにも言語それ自体の構造によってきまるものでもない.
たとえば,母音の数が多いから戦に負けるとか,名詞に性と数の別があるから勝つ,といったものではない.ただし,その言語が,言語機能に関して,新しい社会に適応できる性質を具備しているかどうか,といった問題はある.現代にひきつけていえば,複雑な社会機構に対応できるかといった,たとえば表現文体の種類の問題や,原子物理学がその言語で処理できるか,といった内容の問題などがある.さらに,言語コミュニケーションが,他のコミュニケーションチャンネルと,どれほど切り離されているか,といった問題などもあるかもしれない.このことは,おそらく,書きことばの文体の確立と,不離の関係にある.
さきに単なる使用人口の差は言語戦争の勝敗の鍵にならないとしたが,もし多数者の使用言語が,その社会の複雑さと対応して,すでに述べた言語機能を高め,今後さらに多くの人びとをのみ込んでいく包容力といったものを備えているということと結びつくようになれば,それは,ある程度利いてくる条件と言えるであろう.これに対して,土俗的な小言語は,こうした言語機能の面で,将来性について劣る場合が多そうに思われる.また,言語の使用人口の多さが,その言語社会の経済的・政治的・文化的な優位に結びついて,言語の威信といったものの背景になることはありうる.“東西のことば争い”の歴史を考えるにあたっても,こうしたことへの配慮が必要となってくる.
ここで徳川は慎重な議論を展開している.話者人口や言語構造そのものが直接に言語戦争の勝利に貢献するということはないが,それらが当該言語の社会的な機能を高める方向に作用したり,利用されたりすれば,その限りにおいて間接的に貢献することはありうるという見方である.結局のところ,社会的な要素が介在して初めて勝敗への貢献について論じられるということなので,話者人口や言語構造の「直接的な」貢献度はほぼゼロと考えてよいのだろう.英語の世界的拡大や「世界語化」を考える上で,とても重要な論点である.
英語の世界語化の原因を巡っては,関連する話題として「#1072. 英語は言語として特にすぐれているわけではない」 ([2012-04-03-1]),「#1082. なぜ英語は世界語となったか (1)」 ([2012-04-13-1]),「#1083. なぜ英語は世界語となったか (2)」 ([2012-04-14-1]),「#1607. 英語教育の政治的側面」 ([2013-09-20-1]),「#1788. 超民族語の出現と拡大に関与する状況と要因」 ([2014-03-20-1]),「#2487. ある言語の重要性とは,その社会的な力のことである」 ([2016-02-17-1]),「#2673. 「現代世界における英語の重要性は世界中の人々にとっての有用性にこそある」」 ([2016-08-21-1]),「#2935. 「軍事・経済・宗教―――言語が普及する三つの要素」」 ([2017-05-10-1]) を参照.
・ 徳川 宗賢 「東西のことば争い」 阪倉 篤義(編)『日本語の歴史』 大修館書店,1977年.243--86頁.
言語や方言の死について,(language_death) の各記事で話題にしてきた.我が国にも危機的な状況にある言語や方言は複数あるが,広く認知されているとはいえない.10月11日発行の読売KODOMO新聞に,この問題が取り上げられていたので,内容を簡単に紹介したい.
言語・方言の死はユネスコが調査や認定を行なっているが,2009年の報告によれば,アイヌ語は「消滅の危機・極めて深刻」とされている.現在,北海道に1万3千人ほどアイヌの人々が暮らしているとされるが,アイヌ語を流ちょうに話せるのは10人以下といわれる.
また,「消滅の危機」にある言語・方言としては,八重山語,与那国語,奄美語,国頭(くにがみ)語,沖縄語,宮古語,八丈島語が挙げられている.今年のNHK大河ドラマ『西郷どん』では,西郷の奄美大島時代の描写で,島言葉に字幕が付されたことが話題になった.その他,東日本大震災の被災地の諸方言も「消滅の危機相当」として文化庁などが調査・保存を進めている.
世界に目を移すと,言語・方言の死を巡る状況はさらに深刻である.ユネスコによると世界の7000ほどある言語のなかで,2500の言語が消滅の危機にあるという.理由としては,災害,紛争,植民地化,都市部への人の移動などが挙げられ,解決は容易ではない.この100年間で400もの言語がすでに消滅したとされ,問題の重大さがうかがえる.
関連して,とりわけ「#276. 言語における絶滅危惧種の危険レベル」 ([2010-01-28-1]),「#277. なぜ言語の消滅を気にするのか」 ([2010-01-29-1]),「#280. 危機に瀕した言語に関連するサイト」 ([2010-02-01-1]),「#1786. 言語権と言語の死,方言権と方言の死」 ([2014-03-18-1]) を参照されたい.
日英語を歴史的に比較するとき,書き言葉に関して両言語は意外と大きく異なる.日本語のほうが,人為的な関与が強かったという特徴がある.もちろん「書き言葉」であるから,一般的にいって「話し言葉」に比べれば意識的であり,したがって人為的な関与がみられるのも当然なのだが,それを考慮しても日本語史のほうが英語史よりも関与の度合いが強い.とりわけ明治以降,つまり近現代にその傾向は如実である.清水は「日本語史概観」で,次の2点に触れている.
明治期の後半には,また特筆すべき出来事がある.二葉亭四迷や坪内逍遥によって言文一致という大事業が完遂されたことである.旧来の言語意識を打破した「ことばの文明開化」ともいうべきこの言文一致の完成は,〔中略〕日本語の歴史において最も優れた言語改革といえよう.これによって新しい文学表現が誕生することとなった.(14)
第2次世界大戦以降,日本は大きく変貌した.外的要因によって社会的変革が行われたからである.これによって日本語も大きく変化した.それまで行われてきた歴史的仮名遣が,現代仮名遣へと変更されたのである.規範の更改である.日本語史上,規範の更改が外的要因によってなされたことの意義はきわめて大きいといわざるをえない.改革という大きな力が加わらなければ,規範自らは動かないのが常である.外的な強い要請に基づいて制定されたこの期の現代仮名遣の施行は,日本語史上きわめて大きな出来事として注目される (14--15)
英語史において,このような文体やスペリングの更改が短期間で著しく生じたことは,ノルマン征服による規範的書き言葉の瓦解という劇的な契機を除けば,ほとんどないといってよい.書き言葉において「自然体の変化」というのは厳密にいえば矛盾した言い方ではあるが,日本語史に比べれば英語史での変化は,より「自然体」だったとはいえるだろう.言語計画や言語政策という概念や用語は,概して英語史よりも日本語史のほうにふさわしい.
・ 清水 史 「第1章 日本語史概観」服部 義弘・児馬 修(編)『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 朝倉書店,2018年.1--21頁.
昨日の記事「#3444. 英語史は,英語の時空間内の無数の点をそれらしく結んでいこうとする行為」 ([2018-10-01-1]) の内容は,そのまま日本語史にも当てはまるし,さらにいえば他の多くの個別言語の歴史にも当てはまるだろう.日本語史について,清水 (4) は次のように述べている.
文献にみえる日本語がどのような日本語を反映しているのか,そのことは日本語の歴史を考える際に最も重要なことである.文献資料は幸いに古代から現代まで残っているものの,そこにはそれぞれの時代の文献に反映されている言葉の方処的な問題とその言葉の担い手の問題とがいつも絡んでいることに留意しなければならない.
方処的な問題というのは,奈良時代にあっては大和地方の言葉,平安時代以降約千年弱は京都地方の言葉,江戸時代後半以降にあっては江戸・東京の言葉というように,政治・文化の中心地に即して移動していることである.したがって,ここに中央語の歴史という言い方をするならば,その流れは地域に連続性を欠くために,連綿としたときの流れの中に中央語の歴史を扱うのはなかなか厄介である.
一方,言葉の担い手に関しても奈良?平安時代には貴族や僧侶の言葉,鎌倉時代には武士の言葉,室町時代には上層町人の言葉,江戸時代後期には下層町人の言葉が加わることとなり,ひと口に中央語といってもその内実は等質的なものではないのである.
一方,時の試練を経て長く保たれた京都の都言葉は,新興勢力の言葉によって大きく変更することはなかったのも事実である.とはいえ,上の事情は日本語史を記述する上で非常に重要な点である.
英語史でも近年では The Stories of English や Alternative Histories of English などの諸変種の歴史を盛り込んだ記述が見られるようになってきたが,一般的に英語史といえば「中央語」の歴史記述が期待されるという状況は大きく変わっていない.英語史においても「中央語」は空間的にも位相的にも連続性を欠いているということは厳然たる事実であり,銘記しておく必要があるだろう.
改めて,個別言語史は時空間内の無数の点をそれらしく結んでいこうとする行為なのである.
・ 清水 史 「第1章 日本語史概観」服部 義弘・児馬 修(編)『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 朝倉書店,2018年.1--21頁.
「#1525. 日本語史の時代区分」 ([2013-06-30-1]),「#3137. 日本語史の時代区分 (2)」 ([2017-11-28-1]) に続き,日本語史研究者の数だけあるといっても過言ではない時代区分 (periodisation) の話題を追加する.清水 (7) は,他のいくつかの伝統的な時代区分も挙げながら,もう1つの独自の区分を掲げている.
┌── 前期:弥生時代(前3世紀頃?後3世紀中頃) I 太古日本語 (Proto-Japanese) ────┤ └── 後期:古墳時代(3世紀中頃?7世紀頃) ┌── 前期:奈良時代前(7世紀頃)?奈良時代(8世紀後半頃)………………………………………………………〔上代〕 │ II 古代日本語 (Ancient Japanese) ───┼── 中期:平安時代(8世紀後半頃?11世紀後半頃) …………………………………………………………………〔中古〕 │ └── 後期:院政鎌倉時代(11世紀後半頃?14世紀前半頃)……………………………………………………………〔中世〕 ┌── 前期:室町時代(14世紀前半頃)?江戸時代前期(寛永頃まで含む:17世紀中頃)…………………〔中世?近世〕 │ III 近代日本語 (Modern Japanese) ───┼── 中期:江戸時代中期(上方期・江戸期含む:17世紀中頃)?江戸時代後期(明治20年頃まで含む)………〔中古〕 │ └── 後期:明治時代(明治20年頃以降)?大正時代?昭和20年 ……………………………………………〔近代?現代〕 ┌── 前期:昭和20年以降?昭和48年頃 …………………………………………………………………………………〔現代〕 │ IV 現代日本語 (Present-day Japanese) ─┼── 中期:昭和48年頃以降?平成3年頃 …………………………………………………………………………………〔現代〕 │ └── 後期:平成3年頃以降?現時点 ………………………………………………………………………………………〔現代〕
「#1879. 日本語におけるローマ字の歴史」 ([2014-06-19-1]),「#1892. 「ローマ字のつづり方」」 ([2014-07-02-1]) で見たとおり,日本語のローマ字表記は「現行の方式」「ヘボン式」「標準式」「日本式」「訓令式」などのいくつかのつづり方の間で揺れている.
「現行の方式」は,1954年(昭和29年)12月9日に政府が「ローマ字のつづり方」として告示した「第1表」と「第2表」の二本立てである.この第1表とは次に示す「訓令式」と同一であり,第2表とは後に述べる「標準式」と,訓令式から漏れた部分を「日本式」から補ったものとから成っている.
「ヘボン式」は,1885年(明治18年)に,チェンバレン,外山正一などによって組織された『羅馬字会』が発表した方式で,子音字を英語風に,母音字をイタリア語風に書き表す方法である.ヘボンの『和英語林集成』第3版(1886年)に採用されたため,その名がついた.
「標準式」は,別名「改正ヘボン式」とも呼ばれるように,1908年(明治41年)に,ヘボン式から kwa, gwa, ye, wo を削除したものである.旧国鉄駅名や人名などに広く用いられている.一部が第2表に取り込まれている.
「日本式」は,1886年(明治19年)に田中館愛橘らが羅馬字会に対抗して発表した方式で,日本語の五十音図に基づいている.一部が第2表に取り込まれている.
「訓令式」は,1937年(昭和12年)9月21日に「国語ローマ字綴リ方ニ関スル件」の訓令で示された日本式の変種であり,そのまま第1表となっている.
以下に,訓令式を基準とした訓令式・日本式・ヘボン式の対照表を示そう.日本式は青字 [ ] (特定の語に用いられるものには * を付す),ヘボン式は赤字イタリック体で示した.
ア行 | a | i | u | e | o | |||||
カ行 | ka | ki | ku | ke | ko | kya | kyu | kyo | ||
[kwa]* | ||||||||||
サ行 | sa | si | su | se | so | sya | syu | syo | ||
shi | sha | shu | sho | |||||||
タ行 | ta | ti | tu | te | to | tya | tyu | tyo | ||
chi | tsu | cha | chu | cho | ||||||
ナ行 | na | ni | nu | ne | no | nya | nyu | nyo | ||
ハ行 | ha | hi | hu | he | ho | hya | hyu | hyo | ||
fu | ||||||||||
マ行 | ma | mi | mu | me | mo | mya | myu | myo | ||
ヤ行 | ya | yu | yo | |||||||
ラ行 | ra | ri | ru | re | ro | rya | ryu | ryo | ||
ワ行 | wa | [wo]* | ||||||||
ガ行 | ga | gi | gu | ge | go | gya | gyu | gyo | ||
[gwa]* | ||||||||||
ザ行 | za | zi | zu | ze | zo | zya | zyu | zyo | ||
ji | ja | ju | jo | |||||||
ダ行 | da | zi | zu | de | do | zya | zyu | zyo | ||
[di] | [du] | [dya] | [dyu] | [dyo] | ||||||
ji | ja | ju | jo | |||||||
バ行 | ba | bi | bu | be | bo | bya | byu | byo | ||
パ行 | pa | pi | pu | pe | po | pya | pyu | pyo |
ことわざは,その言語文化で伝統的に受け入れられてきた生活の知恵であるから,そこにその文化独自の物事の見方やとらえ方が反映しているというのは,確かにありそうなことである.典型的な種類のことわざを言語ごとに比較してみれば,おもしろい差異の洞察が得られるにちがいない.
安藤の第8章に,日英語(東西)ことわざ比較の議論がある.『東西ことわざもの知り百科』(春秋社,2012年)に依拠しつつ,例が挙げられていたが,主たるものを以下に引用しよう.
英語 | 日本語 | |
---|---|---|
[多弁型] Don't beat about the bush. Call a spade a spade. | ←→ | [寡黙型]口は災の元.秘すれば花. |
[行動型] Do to others as you would be done by. (『マタイ伝』『ルカ伝』) | ←→ | [慎重型]己の欲せざる所を人に施すこと勿れ.(『論語』) |
[攻撃型] Offense is the best defense. | ←→ | [守勢型]和をもって尊しとなす.(聖徳太子) |
[経験主義] Experience without learning is better than learning without experience. | ←→ | [権威主義]学若し成らずんば死すとも帰らず.温故知新. |
[個人主義] Who spits against heaven, it falls in his face. | ←→ | [集団主義]一蓮托生.親の因果が子に報い. |
[罪を意識] Religion is the rule of life. | ←→ | [世間を意識]生きて虜囚の恥かしめを受けず.忠臣は二君に仕えず. |
現代英語の音韻では,1つの形態素の内部に同じ子音が重なる子音重複 (gemination) はない./pp/, /tt/, /kk/, /ss/, /mm/, /nn/ など,古英語には存在したのだが,初期中英語期にかけて非重子音化 (degemination) が生じ,単子音と重子音の対立が解消された (cf. 「#1284. 短母音+子音の場合には子音字を重ねた上で -ing を付加するという綴字規則」 ([2012-11-01-1]),「#3386. 英語史上の主要な子音変化」 ([2018-08-04-1])) .それ以来,綴字においてこそ諸事情で2重子音字は広く残ったが,発音上は子音重複は消滅したのである.したがって,channel, running の発音はあくまで /ˈʧænəl/, /ˈrʌnɪŋ/ のように /n/ 1つなので注意を要する.
これに関して,先日,読売新聞の「なぜなに日本語」のコーナー(第407回)に,外来語表記において「ン」をはさむか否かという話題が載っていた.東京オリンピック・パラリンピックに向けて導入の検討が話題となっている「サマータイム」は,一度1948年に採用されたときには,新聞で「サンマー・タイム」と表記された.原語の summer の最初の m に相当する部分を撥音「ン」で表記したわけだ.同じように野球の「イニング」 (inning) も,かつては「インニング」と書かれていた.ということは,現在にかけて,いずれも2重子音ではなく単子音を表わす方向へ仮名表記が変化してきたことになる.
しかし,すでに「ン」表記が馴染んでしまった外来語もある.例えば,「コンマ」 (comma),「ハンマー」 (hammer) などは「ン」抜きでは落ち着きの悪い感じがする.おもしろいのは,テレビの「チャンネル」 (channel) では「ン」が残ったが,「販売チャネル」や「交渉チャネル」など比較的新しい用法においては「ン」が脱落していることだ.これなどは,語源を同じくするものの,借用の経路や用法の違いにより,異なる2つの語形(発音・表記)として併存しているという点で,2重語 (doublet) の1例といえるだろう.
ほかに思いついた例を付け加えれば,犬小屋を指す「ケンネル」(kennel) にも「ン」が残っている.tannin 「タンニン」も然り.また,「ランニング」 (running) で「ン」が残っている一方で,*「スイミング」 (swimming) では「スインミング」のように「ン」付きとなっていないのは不思議である.外来語表記を一つひとつ検討していけば,ある程度の傾向は見えてくるに違いないが,外来語表記には個々の事情があるものだろう.
標題は,意外と混乱を招きやすい用語群である.すでに,野村に基づいて「#3314. 英語史における「言文一致運動」」 ([2018-05-24-1]) でも取り上げたが,改めて整理しておきたい.
まず,「話し言葉」と「書き言葉」の対立について.これについては多言を要しないだろう.ことばを表わす手段,すなわち媒体 (medium) の違いに注目している用語であり,音声を用いて口頭でなされるのが「話し言葉」であり,文字を用いて書記でなされるのが「書き言葉」である.それぞれの媒体に特有の事情があり,これについては,以下の各記事で扱ってきた.
・ 「#230. 話しことばと書きことばの対立は絶対的か?」 ([2009-12-13-1])
・ 「#748. 話し言葉と書き言葉」 ([2011-05-15-1])
・ 「#849. 話し言葉と書き言葉 (2)」 ([2011-08-24-1])
・ 「#1001. 話しことばと書きことば (3)」 ([2012-01-23-1])
・ 「#1665. 話しことばと書きことば (4)」 ([2013-11-17-1])
・ 「#1829. 書き言葉テクストの3つの機能」 ([2014-04-30-1])
・ 「#2301. 話し言葉と書き言葉をつなぐスペクトル」 ([2015-08-15-1])
・ 「#3274. 話し言葉と書き言葉 (5)」 ([2018-04-14-1])
誤解を招きやすいのは「口語体」と「文語体」の対立である.それぞれ「体」を省略して「口語」「文語」と言われることも多く,これもまた誤解の種となりうる.「口語」=「話し言葉」とする用法もないではないが,基本的には「口語(体)」も「文語(体)」も書き言葉に属する概念である.書き言葉において採用される2つの異なる文体と理解するのがよい.「口語(体)」は「口語的文体の書き言葉」,「文語(体)」は「文語的文体の書き言葉」ということである.
では,「口語的文体の書き言葉」「文語的文体の書き言葉」とは何か.前者は,文法,音韻,基礎語彙からなる言語の基層について,現在日常的に話し言葉で用いられているものに基づいて書かれた言葉である(基層については「#3312. 言語における基層と表層」 ([2018-05-22-1]) を参照).私たちは現在,日常的に現代日本語の文法,音韻,基礎語彙に基づいて話している.この同じ文法,音韻,基礎語彙に基づいて日本語を表記すれば,それは「口語的文体の書き言葉」となる.それは当然のことながら「話し言葉」とそれなりに近いものにはなるが,完全に同じものではない.「話し言葉」と「書き言葉」は根本的に性質が異なるものであり,同じ基層に乗っているとはいえ,同一の出力とはならない.「話すように書く」や「書くように話す」などというが,これはあくまで比喩的な言い方であり,両者の間にはそれなりのギャップがあるものである.
一方,「文語的文体の書き言葉」とは,文法,音韻,基礎語彙などの基層として,現在常用されている言語のそれではなく,かつて常用されていた言語であるとか,威信のある他言語であるとかのそれを採用して書かれたものである.日本語の書き手は,中世以降,近代に至るまで,平安時代の日本語の基層に基づいて文章を書いてきたが,これが「文語的文体の書き言葉」である.中世の西洋諸国では,書き手の多くは,威信ある,しかし非母語であるラテン語で文章を書いた.これが西洋中世でいうところの「文語的文体の書き言葉」である.
以上をまとめれば次のようになる.
┌── (1) 話し言葉 言葉 ──┤ │ ┌── (3) 口語(体) └── (2) 書き言葉 ──┤ └── (4) 文語(体)
昨日の記事「#3409. 日本語における合拗音の消失」 ([2018-08-27-1]) で,合拗音「クヮ」「グヮ」音が直音化した経緯に注目した.合拗音の [kw], [gw] という「子音+半子音」の部分に着目すれば,話題としては,印欧語比較言語学でいうところの軟口蓋唇音 (labiovelar) ともつながってくる (cf. 「#1151. 多くの謎を解き明かす軟口蓋唇音」 ([2012-06-21-1])) .
英語では印欧祖語に遡るとされる [kw] や [gw] は比較的よく保存されており,この点では日本語の音韻傾向とは対照的である.綴字としては典型的に <qu>, <gu> で表わされ,queen, quick, liquid, language, sanguine などの如くである.さらにいえば,英語では [k], [g] が先行する音環境に限らず,一般に [w] はよく保存されている.
とはいうものの,そのような英語でも歴史的な [w] が失われているケースはある.「#383. 「ノルマン・コンケスト」でなく「ノルマン・コンクェスト」」 ([2010-05-15-1]) で見たように,フランス借用語のなかでも,Norman French から取り込まれたものは,その方言の音韻特徴を反映して /kw/ が保たれているが (e.g. conquest /ˈkɒŋkwɛst/) ,Central French からのものは,その方言の特徴を受け継いで /w/ が落ちている (e.g. conquer /ˈkɒŋkə/) .
また,「#51. 「5W1H」ならぬ「6H」」 ([2009-06-18-1]),「#184. two の /w/ が発音されないのはなぜか」 ([2009-10-28-1]) で見たたように,後舌母音が後続する場合の [w] は脱落しやすいという調音的な事情があり,それにより how, who, sword, two などの発音(と綴字とのギャップ)が生じている.
[w] は半子音と呼ばれるだけに中途半端な音声的特質をもっており,日本語でも英語でもその挙動(の歴史)は複雑である.
合拗音とは古い日本語で「クヮ」「グヮ」などと表記された [kwa, gwa] 音のことである.もともと日本語には合拗音なる音はなかった.漢語とともに漢字音としての合拗音が導入され,中世前期に日本語の音韻へ取り込まれていったものである.しかし,近世後期になると,日本語の本来的な音韻へ回帰するかのごとく,再び合拗音が消滅するに至った.かつての合拗音「クヮ」「グヮ」は,直音「カ」「ガ」へ合一している.
沖森 (319--20) によれば,合拗音の直音化の時期については方言差があった.
合拗音のクヮ [kwa]・グヮ [gwa] は,「火事」をクヮジ,「因果」をイングヮというように漢字音において用いられてきたが,この時代において直音化してカ [ka]・ガ [ga] となった.上方語と江戸語ではその変化の時期は異なっているが,前掲の『浮世風呂』(二・上)に見える,上方と江戸の女性が言葉について言い争う場面で,上方の女性が,江戸ではグヮイをガイ,クヮンをカンと発音していることを非難している
お慮外(りょぐわい)も,おりよげへ.観音(くわんおん)さまも,かんのんさま.なんのこつちやろな.
すなわち,江戸語では十九世紀初めにはすでに直音化していたのに対して,上方語ではあまり直音化が進んでいなかったことを物語っている.江戸語では『音曲玉淵集』に「くわの字,かとまぎれぬやうにいふべきこと」と注記されるように,上方語よりもいち早く十八世紀初期には合拗音の直音化が生じていたことがわかる.これに対して,上方語では十九世紀に入っても遅い時期に変化したようである.
合拗音と直音の合一という音韻変化に関して,さらに複雑かつ興味深いのは,そこに社会語用論的な側面もあったらしいことだ.両者が区別されるか合一するかは,話者の教養の程度や,言葉遣いの丁寧さにも依存したという.上述のように合拗音は漢字音に基づくものであり,漢字や漢語の知識がない者にとって,その区別は容易ではなかった.実際,混同に基づく合一は早くも13世紀から例証されるようだ(沖森,pp. 320--21).
合拗音の消失が日本語の一般的な音韻傾向に沿うものであることは,様々に指摘されている.たとえば,[kwa, gwa] から半子音 [w] が落ちたということは,しばしば日本語のウラルアルタイ語的性格を表わすものと言われる2重子音の忌避の1例として説明することができる(『日本語百科大事典』 pp. 256--57) .一方,沖森 (318) は,次のように,日本語音韻史のより広い観点から「唇音退化」の一環として位置づけることができるという(cf. 「#1271. 日本語の唇音退化とその原因」 ([2012-10-19-1])).
ハ行子音の [ɸ] → [h] [çi],すなわち両唇摩擦音から声門摩擦音・喉頭〔ママ〕摩擦音へという変化は,調音する上で唇の関与をより軽減したものである.エが [e] に,オが [o] に,そして,ウが円唇母音から非円唇母音に変化したのも同一の傾向にある.さらにいえば,古くに,ヰ・ヱが [i]・[je] に変化したのも両唇音 w の喪失であり,後述する合拗音の直音化 [kwa] → [ka] も同じ流れである.こうした,唇の緊張を緩める方向で変化してきたことを歴史の大きな流れとして「唇音退化」ということがある.発音の負担を軽くしようという欲求に基づくものである.
なお,現代でも,東北北部,北陸,四国,九州,沖縄などで直音と合拗音の区別が存続している方言もある.
・ 『日本語百科大事典』 金田一 春彦ほか 編,大修館,1988年.
・ 沖森 卓也 『日本語全史』 筑摩書房〈ちくま新書〉,2017年.
日本語の動詞には「活用」と呼ばれるものがあるが,名詞にもそれに相当するものがある.「風」は単独では「かぜ」と発音されるが,「風上」などの複合語では「かざかみ」となる.この「かぜ」と「かざ」は,それぞれ独立形と非独立形,あるいは露出形と被覆形と呼ばれる.同じ関係は,「船」(ふね)と「船乗り」(ふなのり),「雨」(あめ)と「雨ごもり」(あまごもり),「木」(き)と「木陰」(こかげ),「月」(つき)と「月夜」(〔古語〕つくよ)にも見られる.これらは名詞の「活用」とみなすこともできる.
これらのペアの関係は「露出形=被覆形+ *i」として措定される.*i は,正確には上代特殊仮名遣でいうところの *i甲 のことである.これは,単語を独立化させる接辞と考えられる.上の例で具体的にいえば,
・ ama + *i甲 → ame乙
・ ko乙 + *i甲 → ki乙
・ tuku + *i甲 → tuki乙
となる.母音ごとにいえば,a → e乙, o乙 → i乙, u → i乙 となっており,甲音・乙音の音価は定かではないものの,英語を含むゲルマン諸語において広く生じた i-mutation の効果にかなりの程度似ている.もちろん古今東西の諸言語に普通にみられる母音調和 (vowel harmony) の一種であり,たまたま日本語と英語に似たような現象が確認されるからといって,まったく驚くには当たらないわけではあるが.
以上,沖森 (45) を参照して執筆した.
・ 沖森 卓也 『日本語全史』 筑摩書房〈ちくま新書〉,2017年.
目次シリーズの一環として,昨年出版された包括的な日本語史概説書,沖森卓也(著)『日本語史大全』を取り上げたい.文庫でありながら教科書的という印象で,記述は淡々としている.時代別に章立てされているが,各章の内部では分野別の記述がなされており,各章の該当節を拾っていけば,分野ごとの縦の流れも押さえられるように構成されている.したがって,目次を追っていくだけで日本語史の全体像が理解できる仕組みとなっている.以下に目次を再現しよう.
ちなみに英語史概説書の目次は「#2089. Baugh and Cable の英語史概説書の目次」 ([2015-01-15-1]),「#2050. Knowles の英語史概説書の目次」 ([2014-12-07-1]),「#2038. Fennell の英語史概説書の目次」 ([2014-11-25-1]),「#2007. Gramley の英語史概説書の目次」 ([2014-10-25-1]) を参照.
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