hellog〜英語史ブログ     ChangeLog 最新     カテゴリ最新     前ページ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 次ページ / page 4 (12)

japanese - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-11-21 08:03

2019-09-01 Sun

#3779. brother と兄・弟 --- 1対1とならない語の関係 [japanese][semantics][lexeme][sobokunagimon][sapir-whorf_hypothesis][fetishism][lexical_gap]

 なぜ英語では兄と弟の区別をせず,ひっくるめて brother というのか.よく問われる素朴な疑問である.文化的な観点から答えれば,日本語社会では年齢の上下は顕点として重要な意義をもっており,人間関係を表わす語彙においてはしばしば形式の異なる語彙素が用意されているが,英語社会においては年齢の上下は相対的にさほど重要とされないために,1語にひっくるめているのだ,と説明できる.日本語でも上下が特に重要でない文脈では「兄弟」といって済ませることができるし,逆に英語でも上下の区別が必要とあらば elder brotheryounger brother ということができる.しかし,デフォルトとしては,英語では brother,日本語では兄・弟という語彙素をそれぞれ用いる.
 よく考えてみると,brother 問題にかぎらず,大多数の日英語の単語について,きれいな1対1の関係はみられない.一見対応するようにみえる互いの単語の意味を詳しく比べてみると,たいてい何らかのズレがあるものである.そうでなければ,英和辞典も和英辞典も不要なはずだ.単なる単語の対応リストがあれば十分ということになるからだ.
 安藤・澤田 (237--38) が,以下のような例を引いている.

brother, 兄,弟

 上段の brother, rice, give のように,英語のほうが粗い区分で,日本語のほうが細かい例もあれば,逆に下段のように英語のほうが細かく,日本語のほうが粗い例もある.その点ではお互い様である.日英語の比較にかぎらず,どの2言語を比べてみても似たようなものだろう.多くの場合,意味上の精粗に文化的な要因が関わっているという可能性はあるにしても,それ以前に,言語とはそのようなものであると理解しておくのが妥当である.この種の比較対照の議論にいちいち過剰に反応していては身が持たないというくらい,日常茶飯の現象である.
 関連する日英語の興味深い事例として「#1868. 英語の様々な「群れ」」 ([2014-06-08-1]),「#1894. 英語の様々な「群れ」,日本語の様々な「雨」」 ([2014-07-04-1]) や,諸言語より「#2711. 文化と言語の関係に関するおもしろい例をいくつか」 ([2016-09-28-1]) の事例も参照.一方,このような事例は,しばしばサピア=ウォーフの仮説 (sapir-whorf_hypothesis) を巡る議論のなかで持ち出されるが,「#1337. 「一単語文化論に要注意」」 ([2012-12-24-1]) という警鐘があることも忘れないでおきたい.

 ・ 安藤 貞雄・澤田 治美 『英語学入門』 開拓社,2001年.

Referrer (Inside): [2022-11-09-1] [2019-09-22-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2019-08-21 Wed

#3768. 「漢字は多様な音をみえなくさせる,『抑制』の手段」 [standardisation][japanese][writing][alphabet][grammatology][kanji][romaji][me_dialect]

 昨日の記事「#3767. 日本の帝国主義,アイヌ,拓殖博覧会」 ([2019-08-20-1]) に引き続き,金田一京助の言語観について.金田一は,日本語表記のローマ字化の運動には与していなかった.ヘボン式か日本式かという論争にも首を突っ込まなかったようだ.同郷の歌人で『ローマ字日記』を書いた石川啄木が関心を寄せた社会主義にはぞっとしなかったと回想しているが(安田,p. 176--77),ローマ字化と社会主義化を関連づけて考えていた節がある.アイヌ語をローマ字やカタカナで書き取っていた金田一にとって,日本語をそれと同一にしたくないという思いがあったのかもしれない.
 安田 (177) は,金田一のローマ字観や仮名観,およびその裏返しとしての漢字観について,次のように引用し,説明している.

「方言は保存すべきか」(一九四八)で,「今後世の中が表音式仮名遣となつて行き,またローマ字書きとなつて行つて,方言がそのまゝ書き出されたら,日本の言語がどういふことになるであらうか」とも述べている.発音をそのままに書くようにすると,そこにもたらされるのは混乱と分裂でしかない,という認識をとりだすことができる.社会主義のイメージとも連動しているのではないだろうか.漢字は金田一にとっては「圧制」というよりも多様な音をみえなくさせる,「抑制」の手段だったのかもしれない」


 古今東西の言語の歴史において,いかなる権力をもってしても,人々の話し言葉の多様性を完全に抑え込むことができたためしはない.しかし,書き言葉において,そのような話し言葉の多様性を形式上みえなくさせることはできる.実際,文字をもつ近代社会の多くでは,書き言葉の標準化の名のもとに,まさにそのことを行なってきたのである.その際に,表語文字を用いたほうが,発音上の多様性をみえなくさせやすいことはいうまでもない.表音文字は,その定義通り発音をストレートに表わしてしまうために,発音上の多様性を覆い隠すことが難しい.一般的にいえば,表語文字と表音文字とでは,前者のほうが標準化に向いているということかもしれない.多様性を抑制する手段としての表語文字,というとらえ方は的を射ていると思う.
 上に述べられている「発音をそのままに書くようにすると,そこにもたらされるのは混乱と分裂でしかない,という認識」は,私たちにも共感しやすいのではないだろうか.しかし,英語史をみれば,中英語期がまさにそのような混乱と分裂の時代だったのである.ただ,その後期にかけては標準的な綴字が発達していくことになる.「#929. 中英語後期,イングランド中部方言が標準語の基盤となった理由」 ([2011-11-12-1]),「#1311. 綴字の標準化はなぜ必要か」 ([2012-11-28-1]),「#1450. 中英語の綴字の多様性はやはり不便である」 ([2013-04-16-1]) をはじめ me_dialect の各記事を参照.

 ・ 安田 敏朗 『金田一京助と日本語の近代』 平凡社〈平凡社新書〉,2008年.

Referrer (Inside): [2023-01-26-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2019-07-08 Mon

#3724. 日本語語彙を作り上げてきた歴史的な言語層 [japanese][lexicology][substratum_theory][contact][borrowing]

 沖森(編著)『日本語史概説』の4章「語彙史」に,日本語のルーツの問題に踏み込んだ「日本語語彙の層」に関する話題が提供されている.安本美典と大野晋の各々による「基礎語彙四階層」の説が紹介されており,表の形式でまとめられているので,そちらを掲げよう.

┌───┬────────────────┬──────┐
│      │            安本美典            │  大野 晋   │
├───┼────────────────┼──────┤
│第一層│古極東アジア語の層              │タミル語    │
│      │                                │            │
│      │(朝鮮語・アイヌ語・日本語)    │(南まわり)│
│      │                                │            │
│      │文法的・音韻的骨格              │縄文時代    │
├───┼────────────────┼──────┤
│第二層│インドネシア・カンボジア語の層  │タミル語    │
│      │                                │            │
│      │(基礎語彙)                    │(北回り)  │
├───┼────────────────┼──────┤
│第三層│ビルマ系江南語の層              │            │
│      │                                │            │
│      │(身体語・数詞・代名詞・植物名)│漢語の層    │
│      │                                │            │
│      │列島語の統一                    │            │
├───┼────────────────┤            │
│第四層│中国語の層                      │            │
│      │                                ├………………┤
│      │(文化的語彙)                  │印欧語の層  │
└───┴────────────────┴──────┘

 安本は第一層を「北方由来説」に立脚して古極東アジア語の層とみている.続いて,第二層を「南方由来」に従って基礎語彙の層ととらえている.第三層にはビルマ系江南語の層を据え,これにより列島日本語が完成したとみなしている.そして,第四層が中国語から借用された文化語彙の層であるという立場だ.
 一方,大野は論争の的になったタミル語説を提唱しながら,第一層は南まわり,第二層は北まわりでタミル語彙が供給されたと論じている(安本説と北方・南方の順序が異なることに注意).その後,第三層として文化語彙を構成する漢語の層を認め,さらに近世以降の西洋諸語からの借用語を念頭に,印欧語の層を設定している.
 日本語語彙を作り上げてきた歴史的な言語層に関する二つの説を眺めていて,英語の場合はどうだろうかと関心が湧いた.およそ古い層から順に,印欧祖語,ゲルマン語,ラテン語,ケルト語,古ノルド語,フランス語,ギリシア語,その他の諸言語といったところだろうか.曲がりなりにも日本語と英語の語彙史を比較できてしまう点がおもしろい.語彙史に関しては,両言語はある程度似ているといえるのだ.関連して「#1526. 英語と日本語の語彙史対照表」 ([2013-07-01-1]) も参照.

 ・ 沖森 卓也(編著),陳 力衛・肥爪 周二・山本 真吾(著) 『日本語史概説』 朝倉書店,2010年.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2019-07-04 Thu

#3720. なぜ英語の make は日本語に借用されると語末に母音 /u/ のついた meiku /meiku/ となるのですか? [sobokunagimon][japanese][syllable][phonetics][phoneme][sonority][loan_word][sonority]

 昨日の記事「#3719. 日本語は開音節言語,英語は閉音節言語」 ([2019-07-03-1]) でみたように,音節タイプという観点からみると,日本語と英語は対照的な言語です.英語は子音で終わる閉音節 (closed syllable) を示す語が多数ありますが,日本語では稀です.そのため,閉音節をもつ英単語を日本語に受容するに当たって,閉音節に何らかの調整を加えて開音節 (open syllable) へと変換するのが好都合です.とりわけ語末音節は開音節に変換したいところです.そのような調整のうち最も簡単な方法の1つは,音節末子音に母音を加えることです.これで原語の閉音節は,たいてい日本語の自然な音節タイプに組み入れることができるようになります.
 標題の例で考えてみましょう.英語の make /meɪk/ は子音 /k/ で終わる閉音節の語です.これを日本語に組み入れるには,この /k/ のあとに母音を1つ添えてあげればよいのです.具体的には /u/ を加えて「メイク」 /meiku/ とします.結果として /mei.ku/ と2音節(3モーラ)となりますが,語末音節は無事に開音節となりました.
 問題は,なぜ挿入される母音が /u/ であるかという点です.map (マップ), lobe (ローブ), dog (ドッグ), tough (タフ), love (ラブ), rice (ライス), rose (ローズ), dish (ディッシュ), cool (クール), game (ゲーム), sing (シング) などでも,対応するカタカナ語を考えてみると,すべて語末に /u/ が付加されています.
 しかし,比較的古い時代の借用語では cake (ケーキ)や brush (ブラシ)のように /i/ を付加する例もみられますし,watch (ウォッチ), badge (バッジ),garage (ガレージ)なども同様です.調音音声学的には,原語の発音に含まれている硬口蓋歯擦音の /ʃ, ʒ, ʧ, ʤ/ と前舌高母音 /i/ とは親和性が高い,と説明することはできるだろうとは思います.
 /u/ か /i/ かという選択の問題は残りますが,なぜ他の母音ではなくこの2つが採られているのでしょうか.それは,両者とも高母音として聞こえ度 (sonority) が最も低く,かつ短い母音だからと考えられています(川越,pp. 55--56).原語にはない母音を挿入するのですから,受容に当たって変形を加えるとはいえ,なるべく目立たない変更にとどめておきたいところです.そこで音声学的に影の薄い /u/ か /i/ が選択されるということのようです.
 ただし,重要な例外があります.英単語の音節末に現われる /t/ や /d/ については,日本語化に当たり /i/, /u/ ではなく /o/ を加えるのが一般的です.cat (キャット),bed (ベッド)の類いです.これは,もし /u/ や /i/ を付加すると,日本語の音として許容されない [tu, ti, du, di] が生じてしまうため,/u/ の次に高い /o/ を用いるものとして説明されます.音節を日本語化して [tsu, tʃi, dzu, dʒi] とする道も理屈としてはあり得たかもしれませんが,その方法は採られませんでした.
 「メイク」も「ケーキ」も「キャット」も,日本語音韻論に引きつけた結果の音形ということだったわけです.

 ・ 川越 いつえ 「第2章 音節とモーラ」菅原 真理子(編)『音韻論』朝倉日英対照言語学シリーズ 3 朝倉書店,2014年.30--57頁.

Referrer (Inside): [2022-08-10-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2019-07-03 Wed

#3719. 日本語は開音節言語,英語は閉音節言語 [typology][syllable][phonology][markedness][japanese]

 母音で終わる音節を開音節 (open syllable),子音で終わる音節を閉音節 (closed syllable) と呼ぶ.開音節をもたない言語はないが,閉音節をもたない言語はありうるので,音節のタイプとしては前者が無標,後者が有標ということになる.
 日本語では撥音や促音という形をとって閉音節もあるにはあるが,音節の圧倒的多数(90%ほど)は開音節である(川越,p. 55).タイプとしては,典型的な開音節言語 (open syllable language) と呼んでよいだろう.他の開音節言語としては,イタリア語,スペイン語,フィジー語,ヨルバ語などが挙げられる.
 一方,英語は閉音節が非常に多いので,タイプとしては閉音節言語 (closed syllable language) とみなしてよい.川越 (55) によると,基礎語彙850語でみると,85%が閉音節だという.他の開音節言語としては,中国語や朝鮮語が挙げられる.
 無標の特徴をもつ言語を母語とする者が,有標の特徴をもつ言語を第2言語として学習しようとする際には,しばしば困難が伴う.たとえば,日本語母語話者は閉音節に不慣れなため,閉音節言語である英語を習得する際に難しさを感じるだろう.
 なお,英語は閉音節言語とはいっても,「#1440. 音節頻度ランキング」 ([2013-04-06-1]) で示されるように,音節のトークン頻度でいえば開音節の占める割合は決して少なくないことを付言しておきたい.

 ・ 川越 いつえ 「第2章 音節とモーラ」菅原 真理子(編)『音韻論』朝倉日英対照言語学シリーズ 3 朝倉書店,2014年.30--57頁.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2019-06-05 Wed

#3691. ローマ字でも日本人名は姓→名の順序で [romaji][syntax][onomastics][personal_name][japanese]

 私の名前は「堀田隆一」だが,英語を習い始めたときからローマ字書きでは Ryuichi Hotta と書き続けてきた.英語の教科書でも日本人名はそのような書き方だったし,英語圏では「名→姓」という順序が原則だとなれば,特に疑問を抱くこともなかった.だが,後年になってよく考えてみると,私の名前は「隆一堀田」ではなくあくまで「堀田隆一」である.ローマ字で書くにせよ,並び順も含めた Hotta Ryuichi という全体が自らの名前なのではないかという,しごく当たり前のことに気づいた.もちろん人名には正式な名前を崩したニックネームなどの別名があってもよいし,その点でいえば姓・名の順序を入れ替えたヴァリアントがあってもよい.しかし,正式な名前となれば,やはり Hotta Ryuichi なのだろうなと,今では思っている.
 先週,文化庁が日本人名のローマ字表記を姓→名の順で書くようにと官公庁や報道機関などに通知を出したという新聞記事をいくつか読んだ.実は,かつても似たようなお触れが出されたことがあった.2000年に当時の文部省・国語審議会が,人類の言語の多様性を意識し生かしていくべきだという方針のもとに,姓→名のローマ字表記が望ましいと答申したのである.しかし,2000年に示されたこの方向性は定着しなかった.この問題の最近の再燃は,河野太郎外相の持論に端を発するようだ.中国の習近平 (Xi Jinping) や韓国の文在寅 (Moon Jae-in) などは英語でも姓→名と表記しているのに,日本人だけ欧米式に合わせているのは妙ではないか,というわけだ.外相自身は,名刺などでは持論通りの姓→名にしているが,一人で頑張っていても無意味だとして,検討を進めることにしたという.
 日本人名のローマ字表記の名→姓の慣行は,予想通り,明治時代の欧化主義の一環だったらしい.幕末の日米和親条約 (1854) では姓→名でサインされていたが,明治に入ると岩倉具視宛ての英語の手紙に Tomomi Iwakura が確認されるなど,名→姓も現われるようになった.それでも1870年代まではまだ姓→名が多かったようで,名→姓が増えてきたのは,続く80年代,90年代になってからという.
 近年の動向としては,2001年度以前の中学英語教科書では名→姓で自己紹介するような英文が普通だったが,2002年度以後は先の2000年の答申を受けて姓→名となっているという.また,団体によっても慣行は異なるようだ.たとえば日本サッカー協会では2012年に姓→名にすることを発表したが,クレジットカードなどでは名→姓がいまだ一般的である.楽天やトヨタ自動車のような国際企業も名→姓だという.
 2000年の答申では定着しなかったが,今回の文化庁の再挑戦は奏功するのだろうか.ちなみに,私自身は姓であることを示すために大文字書きして HOTTA Ryuichi などとすることが多いが,正直なところをいえば中学時代に刷り込まれた慣習からは脱しがたく,ついつい Ryuichi Hotta と書いていることもしばしばである.
 そもそも英語と日本語とでなぜ姓と名の順序が異なるのかという問題は,ある意味で統語論の話題といえる.これについては「#2366. なぜ英語人名の順序は「名+姓」なのか」 ([2015-10-19-1]) をどうぞ.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2019-06-04 Tue

#3690. 「ヴ」の根強い人気 [katakana][romaji][japanese][writing][grapheme][grammatology]

 「ヴ」表記については「#3325. 「ヴ」は日本語版の語源的綴字といえるかも?」 ([2018-06-04-1]),「#3667. 消えゆく「ヴ」」 ([2019-05-12-1]),「#3628. 外国名表記「ヴ」消える」 ([2019-04-03-1]) で取り上げてきたが,先日5月23日の朝日新聞朝刊に,専門家による「ヴ」の表記の略史が記述されており興味深く読んだ.要約すると次の通りである.
 早い例では,江戸時代の儒学者・新井白石が,語源研究書「東雅」 (1717) で「呉」の中国語音を表わすのに用いたものがあるという (cf. 「#1879. 日本語におけるローマ字の歴史」 ([2014-06-19-1]),「#2550. 宣教師シドッチの墓が発見された?」 ([2016-04-20-1])) .しかし,英語の /v/ に対応する文字として「ヴ」が用いられ始めたのは,幕末からである.明治後期,旧文部省は人名・地名などで「ブ」表記の指針を示したが,新聞などでは「ヴ」の使用が続いた.戦後,同省は「ヴ」も容認する方向へ転じたが,59年には方針を元に戻す.さらに91年の内閣告示では一般的には「ブ」表記としながらも「ヴ」も容認する方向へとシフトした.明治以降,原音尊重の原理と使用実態に即した慣用保持の原理の間で,日本語社会のなかで「ヴ」表記が揺れ続けてきたということだろう.近年は国際化も進み,若年層ほど「ヴ」を用いる傾向が強いとされる.
 書籍のデータベースで「ヴ」表記を調査した立正大学の真田治子教授(日本語学)によると,1980年代後半から「ヴ」の使用が急増しているという.考えられる理由として「オシャレで本格的な雰囲気を出し,特別な感じを演出する効果を狙い,見るためだけの視覚的表現として使われている.今はカタカナ表現があふれるからこそ,より際立たせる狙いで『ヴ』が活用されているのでは」とのこと.
 「ヴ」を「見るためだけの視覚的表現」と評価している点がおもしろい.これについては「#2432. Bolinger の視覚的形態素」 ([2015-12-24-1]) も参照されたい.

Referrer (Inside): [2019-07-01-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2019-05-29 Wed

#3684. lr はやっぱり近い音 [phonetics][phonology][dissimilation][l][r][japanese]

 日本語母語話者は英語その他の言語で区別される音素 /l/ と /r/ の区別が苦手である.日本語では異なる音素ではなく,あくまでラ行子音音素 /r/ の2つの異音という位置づけであるから,無理もない.英語を学ぶ以上,発音し分け,聴解し分ける一定の必要があることは認めるが,区別の苦手そのものを無条件に咎められるとすれば,それは心外である.生得的な苦手とはいわずとも準生得的な苦手だからである.どうしようもない.日本語母語話者が両音の区別が苦手なのは,音声学的な英語耳ができていないからというよりも,あくまで音韻論的な英語耳ができていないからというべきであり,能力の問題というよりは構造の問題として理解する必要がある.
 しかし,一方で音声学的な観点からいっても,lr は,やはり近い音であることは事実である.このことはもっと強調されるべきだろう.ともに流音 (liquid) と称され,聴覚的には母音に近い,流れるような子音と位置づけられる.調音的にいえば lr が異なるのは確かだが,特に r でくくられる音素の実際的な調音は実に様々である(「#2198. ヨーロッパ諸語の様々な r」 ([2015-05-04-1]) を参照).そのなかには [l] と紙一重というべき r の調音もあるだろう.実際,日本語母語話者でも,ラ行子音を伝統的な歯茎弾き音 [ɾ] としてでなく,歯茎側音 [l] として発音する話者もいる.lr は,調音的にも聴覚的にもやはり類似した音なのである.
 実は,/l/ と /r/ を区別すべき異なる音素と標榜してきた英語においても,歴史的には両音が交替しているような現象,あるいは両者がパラレルに発達しているような現象がみられる.よく知られている例としては,同根に遡る pilgrim (巡礼者)と peregrine (外国の)の lr の対立である.語源的には後者の r が正統であり,前者の l は,単語内に2つ r があることを嫌っての異化 (dissimilation) とされる.同様に,フランス語 marbre を英語が借用して marble としたのも異化の作用とされる.異化とは,簡単にいえば「同じ」発音の連続を嫌って「類似した」発音に切り替えるということである.
 したがって,上記のようなペアから,英語でも lr は確かに「同じ」音ではないが,少なくとも「類似した」音であることが例証される.英語の文脈ですら,lr は歴史的にやはり近かったし,今でも近い.
 関連して,以下の記事も参照.

 ・ 「#72. /r/ と /l/ は間違えて当然!?」 ([2009-07-09-1])
 ・ 「#1618. 英語の /l/ と /r/」 ([2013-10-01-1])
 ・ 「#1817. 英語の /l/ と /r/ (2)」 ([2014-04-18-1])
 ・ 「#1818. 日本語の /r/」 ([2014-04-19-1])
 ・ 「#1597. starstella」 ([2013-09-10-1])
 ・ 「#1614. 英語 title に対してフランス語 titre であるのはなぜか?」 ([2013-09-27-1])

Referrer (Inside): [2020-02-09-1] [2020-01-04-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2019-05-12 Sun

#3667. 消えゆく「ヴ」 [katakana][japanese][romaji][pronunciation][consonant]

 昨日(5月11日)の朝日新聞朝刊の「ことばサプリ」欄に「消えゆく『ヴ』 発音 バ行とほぼ区別なく」と題する記事が掲載されていた.今年の3月末に,外務省が使う国名に関する「在外公館名称位置給与法」が改正され,「ヴ」の表記がなくなったことを受けての記事である.これについては,本ブログでも4月3日に「#3628. 外国名表記「ヴ」消える」 ([2019-04-03-1]) で取り上げた.今回の「ことばサプリ」の記事から,議論するとおもしろそうな点をいくつか拾っておこう.

「ベートーベン」を「ベートーヴェン」と表記しても,通常は「ヴェ」の発音を1拍目の「ベ」とことさらに区別しないはずです.これは,日本語の「音韻」に v がなく,b で置き換えられるためです.


 論点1:日本語の文脈で「ヴ」を [v] で発音している人はいるか,あるいは発音する場合があるか.関連して,「#3325. 「ヴ」は日本語版の語源的綴字といえるかも?」 ([2018-06-04-1]) も参照.

逆の例から見てみましょう.「新聞」は,ヘボン式ローマ字で「shimbun」とつづります.2拍目の「ん」を「m」,4拍目の「ん」を「n」と表記するのは,英語などでは両者を別々の音韻と捉えるため.しかし日本語話者は「ん」という一つの音韻と考えるので,日本語では「しんぶん」と書きます.


 論点2:ヘボン式では <shimbun>,訓令式では <sinbun> となるが,それぞれの立場が拠ってたつ基盤は何か.「#3427. 訓令式・日本式・ヘボン式のローマ字つづり対照表」 ([2018-09-14-1]),「#1892. 「ローマ字のつづり方」」 ([2014-07-02-1]),「#1879. 日本語におけるローマ字の歴史」 ([2014-06-19-1]) も参照.

朝日新聞社は,国名表記に限らず基本的に「ヴ」を使いません.〔中略〕どう発音するかということと併せて,独自に決めているケースも多いのです.人名や地名の表記もメディア各者で様々.読み比べてみると面白いかもしれません.


 論点3:みなさん個人は「ヴ」に関連して,どのような表記習慣をもっているか.新聞に限らず,辞書,教科書,雑誌などで調査してもおもしろそうな話題.

Referrer (Inside): [2019-07-01-1] [2019-06-04-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2019-05-10 Fri

#3665. 『新日本文学史』の目次 [toc][literature][japanese]

 日本文学史の概説を学ぶのであれば,『原色シグマ新日本文学史』の目次 (4--9) がよくできている.帯に「わずか630円(税込み)」と書いてあるとおり,これだけ安価にオールカラーのビジュアル解説で,しかもよく整理された文学史が読めるというのは,すごいことだと思う.目次シリーズで是非とも取りあげておきたい好著.日本語史との突き合わせには「#3389. 沖森卓也『日本語史大全』の目次」 ([2018-08-07-1]) を参照.さらに,イギリス文学史ともクロスさせようと思ったら「#3556. 『コンプトン 英国史・英文学史』の「英文学史」の目次」 ([2019-01-21-1]),「#3567. 『イギリス文学史入門』の目次」 ([2019-02-01-1]) もご覧ください.



上代の文学
  概観
    時代区分
    文学の誕生
    口承から記載へ
    古代国家の文学
  神話の世界
    口承から記載へ
      神話
      神話の体系化
      『古事記』
      『日本書紀』
      「風土記」
    氏族の伝承と仏教説話
      『日本霊異記』
  祭りの文学
    言霊信仰
      霊力が宿る言葉
      祝詞
      宣命
  詩歌
    古代歌謡
      歌垣・宮廷歌謡
      記紀歌謡
      仏足石歌
      『琴歌譜』
    和歌の発達
      歌集の編集
      『万葉集』
    漢詩文
      漢詩文の作者
      『懐風藻』
    歌学の誕生
      『歌経標式』
中古の文学
  概観
    時代区分
    平安京と漢文学の隆盛
    かな文字の発明と和歌
    かな散文の展開
    女流文学の開花
    平安末期の文学
  詩歌
    漢詩文
      初期――公的地位の確立
      勅撰漢詩集・主な作者
      中期以降――衰退
    和歌
      和歌の復興
      かな文字の普及
      公的地位の復活
      『古今和歌集』
      勅撰和歌集の展開 (1) ――三代集
      勅撰和歌集の展開 (2) ――八代集
      『古今集』後の歌人と私家集
      歌合と歌論
  物語
    物語の誕生
      作り物語りと歌物語
      『竹取物語』
      『宇津保物語』
      『落窪物語』
      『伊勢物語』
      『大和物語』
    『源氏物語』の世界
      『源氏物語』
    『源氏物語』以後の物語
      『堤中納言物語』
    歴史物語
      『栄花物語』
      『大鏡』
      『今鏡』
  日記・随筆
    日記
      『土佐日記』
      『蜻蛉日記』
      『和泉式部日記』
      『紫式部日記』
      『更級日記』
      その他の日記
    随筆
      『枕草子』
  説話・歌謡
    説話
      『今昔物語集』
    歌謡
      『和漢朗詠集』
      『梁塵秘抄』
中世の文学
  概観
    時代区分・背景
    王朝文化への憧憬
    思想・美意識の深化
    文芸の地方化・庶民化
    <語り>の影響
  和歌・連歌
    和歌
      『新古今和歌集』
      『百人一首』
      『金槐和歌集』
      十三代集
      南北朝・室町時代の和歌
      歌論
    連歌
      無心連歌と有心連歌
      『菟玖波集』
      連歌の完成
      『水無瀬三吟百韻』
      俳諧連歌
  物語・説話
    物語
      【擬古物語】
      【軍記物語】
      『保元物語』・『平治物語』
      『平家物語』
      『太平記』
      『義経記』・『曾我物語』
      【歴史物語】
      『増鏡』
      『愚管抄』・『神皇正統記』
    説話
      『宇治拾遺物語』
      仏教説話
      御伽草子
      キリシタン文学
  日記・随筆
    日記・紀行
      『建礼門院右京大夫集』
      その他の日記・紀行
      『とわずがたり』
    随筆・法語
      『方丈記』
      『徒然草』
      法語
  芸能・歌謡
    芸能
      観阿弥・世阿弥
      能
      狂言
      幸若舞・説経節
    歌謡
      小歌
近世の文学
  概観
    時代区分・背景
    文学の大衆化
    町人の文学と武士の文学
    時期区分
  小説
    仮名草子
      主な作品
      作者
    浮世草子
      西鶴の作品
        好色物
        町人物
        武家物・雑話物
        表現・文体
      西鶴以後――八文字屋本
    読本
      前期読本
        上田秋成
      後期読本
        曲亭馬琴
    洒落本
    滑稽本
      前期滑稽本
      後期滑稽本
      一九と三馬
    人情本
    草双紙
      黄表紙
      合巻
  俳諧
    貞門
    談林
    芭蕉
      蕉風
      漂泊と紀行文
      表現・文体
      蕉門の俳人
    天明の俳諧
      蕪村
    幕末の俳諧
      小林一茶
  川柳・狂歌
    川柳
    狂歌
      上方狂歌
      天明狂歌
  芸能
    浄瑠璃
      古浄瑠璃
      義太夫節
      近松門左衛門
      《時代物》
      《世話物》
      《表現・文体》
      全盛と不振
    歌舞伎
      出雲の阿国
      元禄歌舞伎
      浄瑠璃との交流
      江戸歌舞伎
      鶴屋南北
      河竹黙阿弥
    歌謡
    話芸
      笑話
      講釈
  和歌・漢詩文
    和歌と国学
      元禄の和歌革新と古典研究
      国学の成立
      本居宣長
      蘆庵と景樹
      幕末の歌人
    漢詩文と儒学
      初期の漢詩文と朱子学
      古学の流行と文人の登場
      清新の詩の大衆化
      個性的な詩人たち
      狂詩の流行
近代の文学
  概説
    時代区分
    近世から近代へ
    近代の出発
    近代の成立
    大正の文学
    近代から現代へ
    戦争と文学
    戦後の文学
  小説・評論
    近世から近代へ --- 明治初年?十年代
      移行期の文学
      政治小説
      仮名垣魯文
      『小説神髄』
        意義
    近代の出発 --- 明治二十年代
      文芸批評の成立
      二葉亭四迷
        『浮雲』
      初期の鷗外
      紅露の時代
      北村透谷と『文学界』
    「社会」と「自然」 --- 日清?日露戦争
      社会矛盾の追求
      自然描写の系譜
      樋口一葉
      泉鏡花
      社会小説
    自然主義 --- 近代の成立 1 --- 明治から大正へ (1)
      日本自然主義の出発
      日本自然主義の性質
      島崎藤村
        『破戒』
        『破戒』以後
      田山花袋
        『蒲団』
      徳田秋声
      島村抱月
    漱石と鷗外 --- 近代の成立 2 --- 明治から大正へ (2)
      特質と共通点
      夏目漱石
        初期の作品
        前期三部作
        後期三部作
      森鷗外
        豊熟の時代
        歴史小説から史伝へ
    耽美派 --- 近代の成立 3 --- 明治から大正へ (3)
      永井荷風
        《「江戸」賛美の美学》
      谷崎潤一郎
    白樺派 --- 大正前期
      武者小路実篤
        「新しき村」の運動
      志賀直哉
        前期短編群
        『暗夜行路』
      有島武郎
        全盛期 --- 『或る女』
        晩年 --- 自殺に至る過程
    新現実主義 --- 大正後期
      新思潮派
      芥川龍之介
        《前期の作品》
        《後期の作品》
        《『鼻』》
        《『羅生門』》
        《『河童』》
        《『歯車』》
      菊池寛
      久米正雄
      佐藤春夫・室生犀星
      新早稲田派
      広津和郎
      葛西善蔵
      宇野浩二
    プロレタリア文学 --- 大正末?昭和初期
      葉山嘉樹
      小林多喜二
      徳永直
    芸術派 --- 昭和初期
      新感覚派
        横光利一
          《『機械』》
        川端康成
          《『伊豆の踊子』》
      新興芸術派
        井伏鱒二
      新心理主義
        堀辰雄
    昭和十年代の文学
      転向文学
      既成作家の活躍
      『文学界』と『日本浪曼派』
      戦時下の文学
      昭和十年代の作家
        〔中島敦〕
      その他の作家と作品
      評論
    戦後の文学
      老大家の復活
        《『細雪』》
        《『山の音』》
      新戯作派
        太宰治
          《『斜陽』》
      風俗小説
      新日本文学会
    戦後派文学
      《『真空地帯』》
      《『金閣寺』》
      第三の新人
      昭和三十年代
    現代の文学
      昭和四十年代の作家
      評論
      現代文学の動向
      評論
  詩歌
    近代詩 --- 明治?大正時代
      新体詩
      浪漫詩
      象徴詩(一)
      口語自由詩
      象徴詩(二)
      耽美派
      理想主義の詩
      民衆詩
      近代詩の達成
    現代詩 --- 大正末期?現代
      現代詩の始まり
      プロレタリア詩
      モダニズム
      戦時体制下の詩
        〔『四季』派〕
        〔『歴程』派〕
        〔戦時下の詩〕
      戦後の詩
      現代の詩
    近代短歌
      和歌の革新
      明星派
      根岸短歌会
      自然主義短歌
      耽美派
      アララギ派
        《アララギ派の歌論》
      反アララギ短歌
      昭和の短歌
      戦後の短歌
      現代の短歌
    近代俳句
      俳句の革新
      正岡子規
        《子規の門人達》
      新傾向俳句
      ホトトギス派
      昭和の俳句
      戦後の俳句
  劇文学
    演劇の改良と創始
    歌舞伎の改良
      〔新歌舞伎〕
    新派
    新劇運動
    戯曲作品
    発展と分裂
    「築地小劇場」
    プロレタリア演劇
    芸術派
    新派の動向
    前進座の出発
    昭和の戯曲
    戦後
    演劇界の動向
    戦後の戯曲
    現代の演劇
    現代の戯曲
    テレビのシナリオ



 ・ 秋山 虔,三好 行雄(編著) 『原色シグマ新日本文学史』 文英堂,2000年.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2019-04-21 Sun

#3646. 日本語方言の社会的価値の変遷 [japanese][dialect][dialectology][standardisation][sociolinguistics]

 4月9日のことになるが,読売新聞の朝刊11面に「日本語 平成時代の変化」と題する解説文が掲載されていた.解説者は,日本語方言学の大家で,東京外国語大学名誉教授の井上史雄先生である.私も学生時代に先生の社会言語学の講義を受け,大いに学ばせていただいたが,的確な分類や名付けにより現象を分かりやすく解説してくださるのが,当時より先生の魅力だった.今回の解説記事では「方言の社会的価値の分類」が紹介されていたが,これも先生が当時から「我ながらなかなかうまい分類ができた」とおっしゃっていた,お気に入りの持ちネタの披露というわけだ(←その授業を今でもはっきりと覚えています).日本語方言の社会的価値の変遷を実にきれいに表現した分類である.

 類型時代方言への評価使われ方
第1類型撲滅の対象明治?戦前マイナス方言優位
第2類型記述の対象戦後中立方言・共通語両立
第3類型娯楽の対象戦後?平成プラス共通語優位


 この分類表の注でも述べられていたが,方言の記述や記録自体はいつの時代でも行なわれてきた.したがって,第2類型の「記述の対象」とは,第1類型と第3類型の時代との相対的な文脈で理解すべき「記述」である.
 井上先生は「全体としては平成の間,方言は衰退した.方言に誇りを持っていた関西でも,若い人は共通語を使うようになった.共通語の使用者数は,終戦後は1割程度,昭和後期で5割程度,平成期は9割程度とみられる.国民の大半が共通語を使うようになる大転換があったのだ.テレビなどメディアの影響が大きい.ただ,方言が衰える一方ではない.新しい方言が各地で生まれ,東京に流入し,全国に広がる例もある.『うざい』,『ちがかった』(違った),語尾の『じゃん』,などだ」と述べている.戦後昭和と平成の時代は,全体として共通語が広がるなかで諸方言が衰退していきつつも,日本語話者のあいだに,方言を楽しんだり取り込んだりするゆとりが生まれた時代と言ってよさそうだ.
 関連して「#1786. 言語権と言語の死,方言権と方言の死」 ([2014-03-18-1]),「#2029. 日本の方言差別と方言コンプレックスの歴史」 ([2014-11-16-1]) も参照されたい.その他,井上先生の洞察を反映した,以下の記事もどうぞ.

 ・ 「#2073. 現代の言語変種に作用する求心力と遠心力」 ([2014-12-30-1])
 ・ 「#2074. 世界英語変種の雨傘モデル」 ([2014-12-31-1])
 ・ 「#2132. ら抜き言葉,ar 抜き言葉,eru 付け言葉」 ([2015-02-27-1])
 ・ 「#2133. ことばの変化のとらえ方」 ([2015-02-28-1])

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2019-04-03 Wed

#3628. 外国名表記「ヴ」消える [katakana][japanese]

 3月30日の読売新聞朝刊に標題の記事が掲載されていた.29日に,政府による外国名表記を定めた改正在外公館名称位置給与法が成立したという.これにより従来「セントクリストファー・ネーヴィス」 (Saint Christopher and Nevis) と表記されていたカリブ海の島国の名前が「セントクリストファー・ネービス」となる.同様に,西アフリカの群島国「カーポヴェルデ」 (Cape Verde) は「カーポベルデ」となる.これにより,外務省の文書から国名に「ヴ」を使った表記がなくなることになる.河野外相によれば「わかりやすさと発音のしやすさを優先する」ということのようだ.日本語としての表記であるから,それが自然といえば自然だろう.
 外来語の「ヴ」の表記を巡っては慣用の揺れも観察され,標準化したり一般化することがなかなか難しい.その歴史的背景は,沖森 (388) が次のようにまとめている.

外来語を片仮名で書くという用法はすでに江戸時代から習慣的に行われていて,v の発音を「ヴ」と表記するのは福沢諭吉が『増訂華英通語』(一八六〇年刊)において最初に試みたものである.その後,外来語は,原音の発音に即した表記で書かれたり,日本語の音韻に同化した発音に基づく表記がなされたりするなど,識者の間でも意見の一致をみなかった.
 一九九一年に「外来語の表記」が内閣告示として出されて,表記の基準が示されたが,これは原則と許容の二本立てとなっている.すなわち,日本語の音韻に同化した発音に基づく書き方(第1表)と,原音や原つづりになるべく近く書き表す書き方(第2表)からなり,第1表によることを原則とするが,必要に応じて第2表を許容するというものである.そこでは,第2表で v を「ヴ」で書き表すことが許容として盛り込まれている.


 内閣告示「外来語の表記」を見てみると,「留意事項その2(細則的な事項)」の「第2表に示す仮名に関するもの」において「第2表に示す仮名は,原音や原つづりになるべく近く書き表そうとする場合に用いる仮名で,これらの仮名を用いる必要がない場合は,一般的に,第1表に示す仮名の範囲で書き表すことができる」とある.また,その項目7と10に「ヴ」表記に関する記述が見える.ここに,「ブ」系を原則としながらも目的に応じて「ヴ」系も許容するという穏当な態度を確かに読み取ることができる.

7 「ヴァ」「ヴィ」「ヴ」「ヴェ」「ヴォ」は,外来音ヴァ,ヴィ,ヴ,ヴェ,ヴォに対応する仮名である.
〔例〕 ヴァイオリン ヴィーナス ヴェール
ヴィクトリア(地) ヴェルサイユ(地) ヴォルガ(地)
ヴィヴァルディ(人) ヴラマンク(人) ヴォルテール(人)
注 一般的には,「バ」「ビ」「ブ」「ベ」「ボ」と書くことができる.
〔例〕 バイオリン ビーナス ベール
ビクトリア(地) ベルサイユ(地) ボルガ(地)
ビバルディ(人) ブラマンク(人) ボルテール(人)
. . . .
〔中略〕
. . . .
10 「ヴュ」は,外来音ヴュに対応する仮名である.
〔例〕 インタヴュー レヴュー ヴュイヤール(人・画家)
注 一般的には,「ビュ」と書くことができる.
〔例〕 インタビュー レビュー ビュイヤール(人)


 「ヴ」表記と関連して「#3325. 「ヴ」は日本語版の語源的綴字といえるかも?」 ([2018-06-04-1]),「#901. 借用の分類」 ([2011-10-15-1]) も参照.なお,「ヴ」の問題ではないが,上記の改正法では「#3289. SwazilandeSwatini に国名変更」 ([2018-04-29-1]) で紹介したように「スワジランド」が「エスワティニ」へ変更となったことも付け加えておきたい.

 ・ 沖森 卓也・笹原 宏之・常盤 智子・山本 真吾 『図解 日本語の文字』 三省堂,2011年.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2019-03-16 Sat

#3610. 片仮名で表記する「ツボ」 --- 表意性の消去 [katakana][kanji][japanese][grammatology][semantic_change][doublet][homophony]

 昨日の記事「#3609. 『英語教育』の連載「英語指導の引き出しを増やす 英語史のツボ」が始まりました」 ([2019-03-15-1]) で新連載について紹介した.連載タイトルに英語史の「ツボ」と入れたが,この「急所,要点,要領」の語義では片仮名で「ツボ」と表記するのが普通であり,あまり「壺」とはしない.これはなぜだろうか.
 沖森ほか (83) に,現代日本語における片仮名の用途が9点挙げられている.それぞれ簡単に要約すると以下の通り.

 (1) 漢語を除く外来語:ライオン,マーガリン,スーツ,テレビなど(ただし近代漢語は外来語とみなされるので,ラーメン,ウーロン茶などもある)
 (2) 擬音語・擬態語:ワンワン,コケコッコー,ニャーなど
 (3) 自然科学の用語:ヨウ素,アザラシ,バラ科など
 (4) 漢文訓読の送り仮名
 (5) 画数の多い語:会ギ(議),ヒンシュク(顰蹙),ビタ(鐚)一文,ヒビ(罅)が入る,ブランコ(鞦韆),ボロ(襤褸)が出るなど
 (6) 流行語,俗語:ヤバイ(ネット上などで,ヤバい,ヤばい,やバイもある)
 (7) 表意性の消去:コツ(骨)をつかむ,ババ(婆)を引く,ヤケ(自棄)になる
 (8) 対話的な宣伝:「ココロとカラダの悩み」「アナタの疑問に答えます」など新鮮な宣伝効果を狙ったもの
 (9) 外国人の話す日本語,ロボットや宇宙人などのことば:「ワタシ,日本人トトモダチニナリタイデス」「地球人ヨ,ヨク聞ケ.ワレワレハ,バルタン星人ダ」など,情緒のない機械性を表わす

 「ツボ」は,「コツ」「ババ」「ヤケ」などが挙げられている (7) の表意性の消去の例に当たるだろうか.これについて,沖森ほか (83) からもう少し詳しい説明を引用すると,次のようになる.

国語辞典を引くと,それぞれ漢字表記があがっているが,実際に目にする表記は片仮名が一般的なものである.これは,「コツをつかむ」の意で「骨」を当てると《人骨》の意味が表に出すぎて差し支えが生じるためであろう.派生義で用いる場合に,その漢字本来の表意性が面に出るとそぐわない場合に片仮名が選ばれたものと思われる.広島を「ヒロシマ」と書くのも,地名の意を消去して,被爆地としての新たな意味を込める用法かと見られる.


 「ツボ」の場合,「壺」と表記することによって容器の意味が表に出すぎて差し支えが生じるとは特に思われないが,少なくとも容器の意味と急所の意味が離れすぎているために違和感が漂うということなのだろう.語義の発展・派生としては,「くぼみ」(滝壺など)から始まり,形状の類似から「(容器としての)壺」や「鍼を打ったり灸をすえる場所」(足ツボなど)が派生し,後者から「狙い所,要点」が発展したと思われる.このように原義と派生義の距離が開いてしまっている語はごまんとあるが,そのなかには表記上の区別をするものがあるということだろう.共時的感覚としては「ツボ」と「壺」は異なる語彙素といってよい.「表意性の消去」とは,この感覚の反映をある観点から表現したものだろう.
 英語からの類例としては「#183. flowerflour」 ([2009-10-27-1]),「#2440. flower と flour (2)」 ([2016-01-01-1]) がある.両語は同一語源に遡るが,語義がかなり離れてしまったために,別々の語彙素ととらえられ,異なる表記が用いられるようになった.この問題は,2重語 (doublet) や同音異義 (homophony) の問題とも関わってくるだろう.

 ・ 沖森 卓也・笹原 宏之・常盤 智子・山本 真吾 『図解 日本語の文字』 三省堂,2011年.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2019-03-02 Sat

#3596. 文学の誕生 [literature][japanese][history]

 『新日本文学史』に「文学の誕生」 (12) という文章がある.日本文学がいかにして誕生するに至ったかを説明する文脈ではあるが,おそらく日本文学に限らず一般に通用する説だろう.先にエッセンスを示しておくと,次のような流れで文学が誕生するという.

┌───────────────┐
│ 自然への畏怖                │
│   ↓                      │
│ 神を祭る                    │
│   ↓                      │
│ 神聖な詞章の発達            │
│   ↓                      │
│ 詞章の自立・洗練            │
│   ↓                      │
│ 歌謡・神話などの文学の誕生  │
└───────────────┘

 では,以下に説明の文章を引用しよう.

 日本列島にも,一万年以上前には先土器文化の時代があった.それから数千年を経て縄文時代に入ると,石器や土器などの生産用具を用いた採集生活が営まれるようになった.紀元前三から二世紀ころになると,弥生時代が始まり,水稲耕作の技術が伝来して,採集生活の時代に比べて生産力は一段と高められた.水稲耕作は,組織的な作業を必要とするので,定住化した集団生活がそこに営まれるようになった.共同体的社会が形成され,血縁関係によって結ばれる氏族集団がまとめ上げられていくのである.こうした氏族共同体は,独自の文化を生み出していったが,一方,生産力の上昇に伴ってしだいに統合され,やがていくつかの小国へと進展していった.
 採集生活の時代から,人々は,外界の自然に対する畏怖の念をもち続けていた.その脅威からのがれ,生産の豊穣を祈念するため,そこにあらわれる超人間的な力を神として祭った.これが<祭り>の起源であり,共同体の安定は,こうした祭りによって維持されることとなった.祭りの場で語られる神聖な詞章(呪言や呪詞と呼ばれる)が,文学の原型である.これらの詞章は,日常の言語とは異なる,韻律やくり返しをもつ律文としての表現をもっていた.それはまた,祭りの場の音楽や舞踏とも一体化した,きわめて混沌とした表現であったと思われる.
 しかし,共同体が統合され,小国からやがて統一国家が形成される過程の中で,祭りも統合され,その神聖な詞章もしだいに言語表現として自立・洗練されていった.それが文学の誕生であり,そこに生み出されたのがさまざまな歌謡神話であった.


 ・ 秋山 虔,三好 行雄(編著) 『原色シグマ新日本文学史』 文英堂,2000年.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2019-01-10 Thu

#3545. 文化の受容の3条件と文字の受容 [writing][japanese][kanji][alphabet][runic][buddhism][christianity]

 安藤達朗(著)『いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 【教養編】』を読んでいる.様々な点で示唆に富む日本史だ.pp. 30--31 に「文化の受容」と題するコラムがあり,その鋭い洞察に目がとまった.

異質の文化が受容されるには,一般に3つの条件がある.第一に,それが先進的なものであるならば,それを受容しうる能力がなければならない.例えば,江戸幕末に欧米近代文明を受容できたのは,日本人の中にすでに合理的思考法の素地もあり,技術に対する理解もかなり進んでいたからである.第二に,それを受容することが必要とされなければならない.例えば,元寇の際に日本軍は元軍の「てつはう」に悩まされながらも,それを取り入れる関心を示さず,戦国時代には鉄砲が伝わると数年後に国産されるようになったのは,鎌倉時代には集団戦が一般化していなかったからである.第三に,受容するに際して,受容する側の主体的条件によって選択がなされ,変更が加えられる.例えば仏教が受容されるとき,その教義よりは呪術的な側面に関心が向けられ,一方では鎮護国家の仏教となり,一方では土俗信仰と密着していったことはそれを示す.


 文化の受容には,(1) 受容能力,(2) 受容の必要性,(3) 選択と変更,の3点が要求されるということだ.
 言語史に関連する文化の受容の最たるものは,文字の受容だろう.英語や日本語の文字の歴史を振り返ると,いずれも進んだ文字文化をもっていた大陸からの影響で文字を使い出した.アングロサクソン人も日本人も,ローマ字や漢字との接触こそ紀元前後からあったが,必ずしもその段階でそれを「受容」はしなかった.そこまで文化が開けておらず受容の「能力」も「必要性」も足りなかったからだろう.要は当時はまだ準備ができていなかったのである.アングロサクソンでも日本でも,先進的な文字は5--6世紀になってようやく,国家成立の機運や大陸の宗教の流入という契機と結びつく形で,本格的に受容されるに至った.文字受容の能力と必要性を磨くのに,最初の接触以来,数世紀の時間を要したのである.
 また,「選択と変更」という観点から,両社会の文字の受容を再考してみるのもおもしろい.アングロサクソン人はローマ字を受容する以前にすでにルーン文字をもっていたのであり,その意味では2つの選択肢のなかから外来の文字セットをあえて「選択」したともいえる.あるいは,後に常用するようになったローマ字セットのなかにルーン文字に由来する <þ> や <ƿ> を導入したのも,一種の「選択」とも「変更」ともいえる.日本の漢字の受容についても,数世紀の時間は要したが,漢字セットの部分集合を利用し,大幅な形態や機能の「変更」を経て仮名を作り出したのだった.
 日英の文字の受容史については,これまでもいろいろと書いてきたが,とりわけ以下の記事を参考として挙げておきたい.

 ・ 「#296. 外来宗教が英語と日本語に与えた言語的影響」 ([2010-02-17-1])
 ・ 「#850. 書き言葉の発生と論理的思考の関係」 ([2011-08-25-1])
 ・ 「#2386. 日本語の文字史(古代編)」 ([2015-11-08-1])
 ・ 「#2485. 文字と宗教」 ([2016-02-15-1])
 ・ 「#2505. 日本でも弥生時代に漢字が知られていた」 ([2016-03-06-1])
 ・ 「#2757. Ferguson による社会言語学的な「発展」の度合い」 ([2016-11-13-1])
 ・ 「#3138. 漢字の伝来と使用の年代」 ([2017-11-29-1])
 ・ 「#3486. 固有の文字を発明しなかったとしても……」 ([2018-11-12-1])

 ・ 安藤 達朗 『いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 【教養編】』 東洋経済新報社,2016年.

Referrer (Inside): [2020-02-08-1] [2019-06-14-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2018-11-12 Mon

#3486. 固有の文字を発明しなかったとしても…… [japanese][writing][grammatology][kanji][alphabet]

 昨日の記事「#3485. 「神代文字」を否定する根拠」 ([2018-11-11-1]) で,日本語固有の文字と主張されてきた「神代文字」を否定した直後に,沖森 (33--34) は次のようなフォローの文章を続けている.

自らが使用する言語に固有の文字があることを願う気持ちは,自然な心情としてそれなりに理解できます.しかし,ギリシア文字がフェニキア文字に由来すること,そのギリシア文字からラテン文字が作り出されたことなどからわかるように,ほかの言語の文字に工夫を加えて,自らの言語に適した文字を作り上げていくというのも自然の流れですし,むしろ世界の言語における文字成立の由来としてはその方が圧倒的に多いのです.ですから,固有の文字体系がないという劣等感を持つ必要はまったくありませんし,それよりも,工夫を凝らして自らの言語をしっかりと書き記せる文字を成立させたことを誇りに思ってよいのです.


 この議論は,世界的な言語である英語の歴史で考えてみても通用する.英語には固有の文字はない.初期のアングロサクソンのルーン文字にせよ,6世紀末以降に借用されたローマン・アルファベットにせよ,前段階の文字からの派生物にすぎない.上の引用文中にあるように,いずれもギリシア文字へ,さらにフェニキア文字へ,究極には北西セム文字へと遡るのである.しかし,英語はローマン・アルファベットを発明こそしなかったけれども,英語独自の音を表記するために,その文字やスペリングに様々な工夫や改良を加え,長い時間をかけて実用的なものへと徐々に仕立て上げてきたのである.文字に関しては,古代日本語の母語話者も古代英語の母語話者もほぼ同じことをしてきたのである.
 アルファベットや漢字を発明した初代の創業者は確かに偉い.しかし,のれんを継ぎ,工夫しながら世の中で繁栄し続けた二代目以降も,別の意味でまた偉い.「誇り」ということでいうならば,互いを認めつつ各々の立場で誇りをもつことが大事である.

 ・ 沖森 卓也 『はじめて読む日本語の歴史』 ベレ出版,2010年.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2018-11-11 Sun

#3485. 「神代文字」を否定する根拠 [japanese][writing]

 日本語と文字の本格的な出会いは,起源400年前後の漢字の伝来によるものと考えられているが,さらに古い時代に日本固有の文字があったと主張するものもある.その文字は「神代文字」と総称されている.
 このような主張の最初の記録は卜部懐賢(兼方)の『釈日本紀』 (1274--1301年頃成立)であり,その後,江戸時代には具体的な文字とともに平田篤胤の「日文」(ひふみ),鶴峯戊申の「天名地鎮」(あないち)などでも紹介された.神代文字といっても様々な種類が提示されているが,特によく知られる「日文」などは,一目見ればわかるようにハングルを拝借したものであり,明らかに偽作である.このような主張はナショナリズムに基づいた主張といってよく,『世界大百科事典第2版』によれば「愛国者とか軍人などのなかには,昭和年代に入ってさえ,その存在を信ずるものがあって,政治問題にまでも発展しかねない事件を引き起したことがある」とある.
 神代文字を否定する根拠は豊富にある.漢字に先立って固有の文字があったのなら,なぜ前者を借用し,さらにそこから仮名を発達させる必要があったのか.また,提示されている神代文字は単音文字だが,音節文字である仮名よりも発達していると考えられる単音文字が時代的に先行しているのは妙である,等々.しかし,何よりも次の議論が決め手である.沖森 (33) より引用する.

 神代文字の存在を否定する根拠は実にたくさんあって,逐一挙げるのは煩雑なことから,重要な点を一つだけ述べておきます.
 文字が音を表すものである以上,古代において区別されていた音韻,つまり意味の違いを反映する音が体系的に書き分けられていなければなりません.〔中略〕奈良時代以前には,イロハ四七音以外に,少なくとも二〇音が音節として区別されていました.しかし,主張されている神代文字は,一〇世紀中葉以降の,イロハ四七(または「ン」を加えて四八)音,もしくは五十音図による五〇音を書き分けるという域を出ていません.つまり,奈良時代以前の言語上の特徴が,それらにはまったく見られないのです.


 ・ 沖森 卓也 『はじめて読む日本語の歴史』 ベレ出版,2010年.

Referrer (Inside): [2023-01-01-1] [2018-11-12-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2018-11-09 Fri

#3483. アクセントによって方言差をつける日本語とつけない英語 [stress][prosody][japanese][sociolinguistics]

 服部 (67) は,英語と日本語における音声上の重要な相違点として,アクセント体系の利用の仕方を挙げている.

一般に,英語は強さ(強勢)アクセントの言語,日本語は高さ(ピッチ)アクセントの言語といわれる.英語をはじめとする強勢アクセントの言語では,強勢体系は英語の各種変種・方言間でほとんど変わらない.つまり,ある語の強勢位置が方言によって異なるということは,少数の例外を除けば,ほとんどない.一方,日本語のような高さアクセントの言語では,各語のアクセント型は方言によって著しく異なるというのが実態である.この差がいかなる原因で生じるのかは判然としない.今後の研究が俟たれるところである.


 なるほど地域方言をはじめとする諸変種の区別化にアクセントが利用される度合いは,確かに日本語では高く,英語では低いと思われる.変種の「訛り」は典型的に発音に現われるものと思われるが,発音といってもそこには分節音の目録,異音の種類,イントネーション,アクセントなど様々なものが含まれ,区別化のために何をどの程度利用するかは,言語ごとに異なるだろう.しかし,引用した文章によれば,アクセントの種類と変種区別のためのアクセント利用度の間には相関関係があるということらしい.
 強勢には様々な機能がある.「#926. 強勢の本来的機能」 ([2011-11-09-1]) でみたように対比による語の同定という機能が中心的であるという構造主義的な立場もあるが,実際には「#1647. 言語における韻律的特徴の種類と機能」 ([2013-10-30-1]) の記事でみた多種多様な役割があるだろう.そのなかでも「変種の区別化」は,後者の記事の (viii) で挙げられている機能の一部だろう.つまり,「個人を同定する.韻律は,話者の社会言語学的な所属や話者の用いる使用域 (register) を指示する (indexical) 機能をもつ」ということだ.では,なぜ(高さアクセントを用いる)日本語は,とりわけこの役割を強勢に担わせているのだろうか.確かによく分からない.アクセントがいかなる社会言語学的役割を担うかについての広い類型論的調査が必要だろう.
 関連して「#1503. 統語,語彙,発音の社会言語学的役割」 ([2013-06-08-1]),「#2672. イギリス英語は発音に,アメリカ英語は文法に社会言語学的な価値を置く?」 ([2016-08-20-1]) を参照.また,言語におけるアクセントのタイプの違いについては「#2627. アクセントの分類」 ([2016-07-06-1]) を参照.

 ・ 服部 義弘 「第3章 音変化」 服部 義弘・児馬 修(編)『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 朝倉書店,2018年.47--70頁.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2018-10-27 Sat

#3470. 言語戦争の勝敗は何にかかっているか? [japanese][world_languages][lingua_franca][elf][demography][sociolinguistics]

 徳川 (245--46) は,日本語史における東西方言(江戸方言と上方方言)の優位をめぐる争いを「言語戦争」の例としながら,一般に言語戦争の勝敗が何によって左右されるのか,されないのかについて論じている.

 まず第一に,言語戦争の勝敗は,単純な言語の使用人口などによってきまるものではない,ということである.ひとにぎりの権力者の言語が,多数の庶民の上に君臨するといった場合がある.
 また,言語戦争の帰趨は,一般的に,なにも言語それ自体の構造によってきまるものでもない.
 たとえば,母音の数が多いから戦に負けるとか,名詞に性と数の別があるから勝つ,といったものではない.ただし,その言語が,言語機能に関して,新しい社会に適応できる性質を具備しているかどうか,といった問題はある.現代にひきつけていえば,複雑な社会機構に対応できるかといった,たとえば表現文体の種類の問題や,原子物理学がその言語で処理できるか,といった内容の問題などがある.さらに,言語コミュニケーションが,他のコミュニケーションチャンネルと,どれほど切り離されているか,といった問題などもあるかもしれない.このことは,おそらく,書きことばの文体の確立と,不離の関係にある.
 さきに単なる使用人口の差は言語戦争の勝敗の鍵にならないとしたが,もし多数者の使用言語が,その社会の複雑さと対応して,すでに述べた言語機能を高め,今後さらに多くの人びとをのみ込んでいく包容力といったものを備えているということと結びつくようになれば,それは,ある程度利いてくる条件と言えるであろう.これに対して,土俗的な小言語は,こうした言語機能の面で,将来性について劣る場合が多そうに思われる.また,言語の使用人口の多さが,その言語社会の経済的・政治的・文化的な優位に結びついて,言語の威信といったものの背景になることはありうる.“東西のことば争い”の歴史を考えるにあたっても,こうしたことへの配慮が必要となってくる.


 ここで徳川は慎重な議論を展開している.話者人口や言語構造そのものが直接に言語戦争の勝利に貢献するということはないが,それらが当該言語の社会的な機能を高める方向に作用したり,利用されたりすれば,その限りにおいて間接的に貢献することはありうるという見方である.結局のところ,社会的な要素が介在して初めて勝敗への貢献について論じられるということなので,話者人口や言語構造の「直接的な」貢献度はほぼゼロと考えてよいのだろう.英語の世界的拡大や「世界語化」を考える上で,とても重要な論点である.
 英語の世界語化の原因を巡っては,関連する話題として「#1072. 英語は言語として特にすぐれているわけではない」 ([2012-04-03-1]),「#1082. なぜ英語は世界語となったか (1)」 ([2012-04-13-1]),「#1083. なぜ英語は世界語となったか (2)」 ([2012-04-14-1]),「#1607. 英語教育の政治的側面」 ([2013-09-20-1]),「#1788. 超民族語の出現と拡大に関与する状況と要因」 ([2014-03-20-1]),「#2487. ある言語の重要性とは,その社会的な力のことである」 ([2016-02-17-1]),「#2673. 「現代世界における英語の重要性は世界中の人々にとっての有用性にこそある」」 ([2016-08-21-1]),「#2935. 「軍事・経済・宗教―――言語が普及する三つの要素」」 ([2017-05-10-1]) を参照.

 ・ 徳川 宗賢 「東西のことば争い」 阪倉 篤義(編)『日本語の歴史』 大修館書店,1977年.243--86頁.

Referrer (Inside): [2023-02-14-1] [2021-10-06-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2018-10-14 Sun

#3457. 日本の消滅危機言語・方言 [language_death][ainu][japanese][dialect]

 言語や方言の死について,(language_death) の各記事で話題にしてきた.我が国にも危機的な状況にある言語や方言は複数あるが,広く認知されているとはいえない.10月11日発行の読売KODOMO新聞に,この問題が取り上げられていたので,内容を簡単に紹介したい.
 言語・方言の死はユネスコが調査や認定を行なっているが,2009年の報告によれば,アイヌ語は「消滅の危機・極めて深刻」とされている.現在,北海道に1万3千人ほどアイヌの人々が暮らしているとされるが,アイヌ語を流ちょうに話せるのは10人以下といわれる.
 また,「消滅の危機」にある言語・方言としては,八重山語,与那国語,奄美語,国頭(くにがみ)語,沖縄語,宮古語,八丈島語が挙げられている.今年のNHK大河ドラマ『西郷どん』では,西郷の奄美大島時代の描写で,島言葉に字幕が付されたことが話題になった.その他,東日本大震災の被災地の諸方言も「消滅の危機相当」として文化庁などが調査・保存を進めている.
 世界に目を移すと,言語・方言の死を巡る状況はさらに深刻である.ユネスコによると世界の7000ほどある言語のなかで,2500の言語が消滅の危機にあるという.理由としては,災害,紛争,植民地化,都市部への人の移動などが挙げられ,解決は容易ではない.この100年間で400もの言語がすでに消滅したとされ,問題の重大さがうかがえる.
 関連して,とりわけ「#276. 言語における絶滅危惧種の危険レベル」 ([2010-01-28-1]),「#277. なぜ言語の消滅を気にするのか」 ([2010-01-29-1]),「#280. 危機に瀕した言語に関連するサイト」 ([2010-02-01-1]),「#1786. 言語権と言語の死,方言権と方言の死」 ([2014-03-18-1]) を参照されたい.

Referrer (Inside): [2023-06-28-1] [2019-01-23-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow