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sociolinguistics - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2020-12-03 09:56

2017-01-17 Tue

#2822. cross-linguistic influence [world_englishes][variety][language_contact][sla][terminology][sociolinguistics][language_contact]

 「英語が○○語から影響を受けた」あるいは「英語が○○語に影響を与えた」という話題は,英語史でもよく話題とされる.しかし,「英語」も様々な変種の集合体であり,かつ「○○語」も1言語に限定されるわけではなく,無数の言語を指すと考えると,その影響関係は極めて複雑なネットワークとなるだろう.Baugh and Cable によると,このような影響関係は "cross-linguistic influence" (400) と呼ばれる.その実体は多角的で動的であるため,あまり研究も進んでいないようだが,今後の世界の言語状況,特に言語学習を巡る状況を理解する上で,非常に重要な概念となっていくのではないか.Baugh and Cable (400) は,これからの領域として注目している.

In projections of the future status of global languages, there has been little discussion of the reciprocal reinforcement that some of the major languages of the world give to each other---or what is known as "cross-linguistic influence." Spanish and Portuguese in Latin America, for example, indirectly boost the fortunes of English, or at least of English as a proficiently acquired foreign language, in comparison to languages that are less closely related to these Indo-European languages historically and typologically. Similarly, in the opposite direction there is a cross-linguistic influence of English on the learning of Spanish in the United States: knowledge of Spanish is diffused among many native English speakers in Texas in a way that Chinese in Northern California is not. One reason that research and discussion are lacking is that, until recently, most of the scholarship in foreign-language learning has concentrated on the differences between two languages rather than the similarities, with an emphasis on "interference."


 この辺りは,第2言語習得の研究と広い意味での英語史(あるいは歴史社会英語学)と接点となる可能性が高い.もちろん,ほかにも code-switching や借用の研究などの言語接触論や,広く英語教育の議論にも関連してくると思われる.
 英語史の名著の第6版にて,Baugh and Cable が最後に近い節で上のような "cross-linguistic influence" に言及していることは示唆的である.英語史は,21世紀の新しい英語学(より広く「英語の学」)を下から支える,頼りになる土台として,重要なポジションにある.
 上の引用にあるラテン・アメリカにおける英語については,「#2610. ラテンアメリカ系英語変種」 ([2016-06-19-1]) も要参照.

 ・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.

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2017-01-14 Sat

#2819. 話し言葉中心主義から脱しつつある言語学 [history_of_linguistics][sociolinguistics][medium][writing]

 昨日の記事「#2818. うわさの機能」 ([2017-01-13-1]) で取り上げた松田著『うわさとは何か』を読んでいて,言語学の流れについて考えさせられる機会があった.
 松田によると,従来のうわさの研究はうわさの内容(情報)にこだわる傾向があった.例えば,古典的な「うわさの公式」によると,うわさの強さや流布量 (Rumor) は,当事者に対する問題の重要さ (importance) とその論題についての証拠の曖昧さ (ambiguity) との積に比例する,つまり R〜i×a とされる (23) .だが,ほかにも考えるべき側面はある.例えば,何のメディアで発せられ広がるかというメディアの観点からの考察も必要だろう.松田はこのように,うわさの内容だけではなく形式をも考慮に入れることを説いている.そこで述べていることがおもしろい.「民俗学における口承研究が過去からの伝承や口頭性にこだわるあまり,そのうわさが語られる場や時代――メディアを含む――に対して寄せる関心が薄い」ことを指摘しているのである (154) .
 社会に関する学問でも,19世紀に民俗学が興る以前には書き言葉の資料がむしろ重視されていただろうから,現在はぐるりと一回転して再び書き言葉を含めた各種メディアが注目される時代となってきたものと言えそうだ.
 このような潮流は言語学の歴史にも見ることができる.20世紀の主流派言語学は,研究対象としてもっぱら話し言葉を重視し,その他のメディア,つまり書き言葉を軽視する方向で発展した.「口頭性にこだわるあまり」,ことばが「語られる場や時代に対して寄せる関心が薄」かったのである.ところが,20世紀後半から21世紀にかけては,社会言語学や語用論など,メディアやコンテクストを重視する傾向が強まってきた.近代言語学が興る以前には,むしろ文献学 (philology) と呼ばれる書き言葉偏重の言語研究の伝統が確立していたわけだから,現代はやはりぐるりと一回転して再び各種のメディアに関心が戻ってきた時代と言えそうだ.
 もちろん,一回転して戻ってきたといっても,学問としては一皮むけた状態で戻ってきたということであり,単純な過去への回帰ではないはずである.21世紀の言語学は,話し言葉中心主義,あるいは「内容」中心主義から脱して,他のメディアにも目配りするといった意味での「形式」重視へと舵を切っていると言えるだろう.
 関連して,書き言葉の自立性という話題について,本ブログでも「#2339. 書き言葉の自立性に関する Vachek の議論 (1)」 ([2015-09-22-1]),「#2340. 書き言葉の自立性に関する Vachek の議論 (2)」 ([2015-09-23-1]),「#2431. 書き言葉の自立性に関する Bolinger の議論」 ([2015-12-23-1]),「#2508. 書き言葉の自立性に関する Samuels の議論」 ([2016-03-09-1]) などで議論しているので,ぜひ参照を.

 ・ 松田 美佐 『うわさとは何か』 中央公論新社〈中公新書〉,2014年.

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2017-01-13 Fri

#2818. うわさの機能 [phatic_communion][function_of_language][sociolinguistics][communication][accommodation_theory][solidarity]

 松田著『うわさとは何か』を読んだ.社会学のコミュニケーション論やメディア論の立場からの,うわさ (rumor) の分析だが,社会言語学的な観点からも関心をもって読めた.コミュニケーションを便宜的に,道具的 (instrumental) なものと自己目的的 (consummatory) なものに分けると,うわさは後者のほうに接近している.個人に関するうわさであるゴシップを考えると,内容に情報としての価値もあるにはあるが,多くの場合,ゴシップすること自体が目的である.人々はゴシップのためにわざわざ集まったり,ワイドショーを見たりするのである.
 松田 (109--10) で述べられているが,うわさには「ここだけの話だけれど」という枕詞がつくことが多い.これは参与者の間に親密な人間関係,すなわち solidarity を作り出す言語的手段であり,実際にうわさの内容の秘密性が高ければ,solidarity はさらに高まる.
 また,うわさの拡大は,参与者の「気持ちの共有」とも深く関係する(松田,p. 110).災害や戦時中にうわさやデマが広まりやすいのは,人々が同じように危機的な状況にいるからであり,その状況を解決するための情報を共有したいという事情もあるが,それ以上に,不安を解消するためにみんなと一緒にいたいという気持ちが生じる.うわさを生み出す状況と solidarity が高まる状況とは互いに助長し合う関係にある.
 松田 (113--14) は,ゴシップの3つの機能に言及している.まず,「情報機能」がある.ゴシップそのものがある人についての情報であるということだけではなく,そのゴシップから何らかの教訓を引き出した場合には,間接的な情報を得たことになる.次に,「集団規範の形成・確認機能」がある.人はあるゴシップを他人と共有することで新しい集団を作り出したり,結束を強めたりするのである(いわゆる accommodation_theory とも関連する.「#1482. なぜ go の過去形が went になるか (2)」 ([2013-05-18-1]) 話題を参照).最後に,「エンターテインメントの機能」である.人は会話の促進剤として,単に楽しいものとしてゴシップする.
 当然ながら,うわさやゴシップは言語を用いた談話 (discourse) の1つである.したがって,上記のゴシップの機能は,言語の機能の一部でもあるはずだ.言語の人間関係構築機能ということでいえば,関連して「#1771. 言語の本質的な機能の1つとしての phatic communion」 ([2014-03-03-1]),「#1071. Jakobson による言語の6つの機能」 ([2012-04-02-1]) の記事も要参照.

 ・ 松田 美佐 『うわさとは何か』 中央公論新社〈中公新書〉,2014年.

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2017-01-11 Wed

#2816. 18世紀の規範主義の再評価について (2) [prescriptive_grammar][prescriptivism][sociolinguistics]

 昨日の記事に引き続き,18世紀の規範主義と各々の文法家の政治的スタンスについての話題.前の記事で触れたように,18世紀に洪水のように規範文法書が出版され,なかには飛ぶように売れたものもあった.この文法書市場の高まりと各文法家の政治的スタンスとは,いかなる関係にあったのだろうか.
 どうやら,特定の政治的スタンスが文法書に埋め込まれ,それが政治的な意味合いをもって受容され,市場を賑わわせた,ということではなさそうだ.むしろ,市場における文法書の人気が潜在的にあるところに,政治的スタンスという要素が加わり,出版や受容という過程が政治化した,ということのようだ.英文法が政争の具となったとも表現できそうだが,実際にはそこまで悪いように具とされたわけでもないようであり,難しい.Beal (101) を引用する.

The 'doctrine of correctness' was thus invoked by writers of all political persuasions, so it would be a mistake to argue that any set of political circumstances created the market for grammars in the eighteenth and nineteenth centuries. It might be wiser to agree with Crowley that 'language becomes a crucial focus of tension and debate at critical historical moments, serving as the site upon which political positions are contested' (2003: 217). Thus, the emergence of these grammars and the accompanying discussions about language and power are symptomatic of the turbulent times in which they were written.


 本記事の標題では「18世紀の規範主義」と銘打ったが,Beal の議論は,上の引用にもある通り19世紀にも当てはまるというし,さらに読み進めると,20--21世紀にも等しく通じるとも述べられている.一見すると,文法書と政治性というのは結びつかないように思われるが,文法書を「正しい語法の集大成」と解釈すれば,いかに文法というものが社会的な「正しさ」と結びつけられる政治の問題に近寄りうるかということが理解されよう.ひいては,人類の歴史において言葉の問題は常に政治の問題だったとも言えるのかもしれない.
 なお,上の引用で言及されている Crowley は,Crowley, T. Standard English and the Politics of Language. London: Palgrave, 2003. のことである.

 ・ Beal, Joan C. English in Modern Times: 1700--1945. Arnold: OUP, 2004.

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2017-01-07 Sat

#2812. バラ戦争の英語史上の意義 [history][standardisation][lme][monarch][sociolinguistics]

 イングランド史において中世の終焉を告げる1大事件といえば,バラ戦争 (the Wars of the Roses; 1455--85) だろう(この名付けは,後世の Sir Walter Scott (1829) のもの).国内の貴族が,赤バラの紋章をもつ Lancaster 家と白バラの York 家の2派に分かれて,王位継承を争った内乱である.30年にわたる戦いで両派閥ともに力尽き,結局は漁父の利を得るがごとく Lancaster 家の Henry Tudor が Henry VII として王位に就くことになった.この戦いでは貴族が軒並み没落したため,王権は強化されることになり,さらに商人階級が社会的に台頭する契機ともなった.
 バラ戦争は,イングランドが中世の封建制から脱皮して近代へと歩みを進めていく過渡期として,政治・経済・社会史上の意義を付されているが,英語史の観点からはどのように評価できるだろうか.Gramley (98--99) は次のように評価している.

. . . the series of wars that go under this name [= The Wars of the Roses] sped up the weakening of feudal power and strengthened the merchant classes since the wars further thinned the ranks of the feudal nobility and facilitated in this way the easier rise of ambitious and able people from the middle ranks of society. When the conflict was settled under Henry VII, a Lancastrian and a Tudor, power was essentially centralized. From the point of view of the language, this meant that the standard which had begun to emerge in the early fourteenth century would continue with a firm base in the usage which had been crystallizing in the London area at least since Henry IV (reign 1399--1413), the first king since the OE period who was a native speaker of English.


 この評によると,14世紀の前半に始まっていた英語の標準化 (standardisation) が,バラ戦争の結果として王権が強化され,中産階級が台頭したことにより,15世紀後半以降もロンドンを基盤としていっそう推し進められることになった,という.もとより英語の標準化は非常にゆっくりとしたプロセスであり,引用にあるとおりその開始は "the early fourteenth century" のロンドンにあったと考えることができる(「#1275. 標準英語の発生と社会・経済」 ([2012-10-23-1]) を参照).その後,バラ戦争までの1世紀半の間にも標準化は進んでいたが,あくまで緩慢な過程だった.そのように標準化が穏やかに進んでいたところに,バラ戦争という社会的な大騒動が起こり,標準化を利とみる王権と中産階級が大きな影響力をもつに及んで,その動きが促進された,ということだろう.
 その他の歴史的大事件の英語史上の意義については,以下の記事を参照.

 ・ 「#119. 英語を世界語にしたのはクマネズミか!?」 ([2009-08-24-1])
 ・ 「#208. 産業革命・農業革命と英語史」 ([2009-11-21-1])
 ・ 「#254. スペイン無敵艦隊の敗北と英語史」 ([2010-01-06-1])
 ・ 「#255. 米西戦争と英語史」 ([2010-01-07-1])

 ・ Gramley, Stephan. The History of English: An Introduction. Abingdon: Routledge, 2012.

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2016-11-23 Wed

#2767. 自動翻訳機の英語史的意義 [machine_translation][elt][future_of_english][sociolinguistics]

 自動翻訳機の開発が英語やその他の言語に与える衝撃については,いまだ本格的に議論されていないように思われる.ドラえもんの秘密道具の1つ「ほんやくコンニャク」,あるいは英語圏で知られる Babel fish のような夢の翻訳ツールは,数十年前にはSF小説の世界の話しにすぎないと思われていたが,21世紀に入った現在,日進月歩の技術発展により実用化が進みつつある.
 11月17日付の朝日新聞夕刊1面に「ほんやくコンニャク実用化?」と題する,音声自動翻訳機の使用実験に関する記事が掲載されていた.東京オリンピックにむけて,しゃべった日本語がそのまま英語などの他言語に翻訳されて音声として出力される,パナソニックの開発したメガホン「メガホンヤク」が,空港をはじめとする交通機関で実験的に使用され始めているという.技術的には,例えば日英語翻訳の場合には,日本語音声認識→単語ごとに英語へ変換→統計を用いた語順の並び替え→音声合成,という手続きを踏むようで,この全体が1秒ほどで済むという.ほかに,東京メトロでは音声自動翻訳アプリをインストールしたタブレットも試用されるなど,すでに実用化への動きは進んでいる.これらの施策が官民一体となって進められている.
 今世紀初頭には,自動翻訳機の翻訳の精度はまだまだであり,少なくとも数十年はかかるだろうと言われてきたが,その後の技術の進歩は飛躍的である.この問題に詳しい専門家は,「大半の日本人の英語力が機械に負ける日も遠くないだろう」と述べている.立教大学名誉教授の鳥飼玖美子氏も「簡単な内容は機械任せでよくなり,今の英会話中心の授業は不要だろう.小学校からやる必要があるのかも再検討することになるのでは.」「全員が英語を習得する必要はなく,異文化理解のための学習に軸足が移るだろう」とコメントしている.私は,この予測はおよそ当たるだろうと考えている.
 英語教育を始めとする語学教育のあり方も根本的に変わる可能性がある.多くの学習者の動機づけが変化するとともに教員の意識改革が必要となってくるだろうし,語学とはそもそも何のためにあるのかという本質的な議論もなされなければならない.私自身も一英語教員として首がかかっているのでまったく他人事ではないのだが,この問題には,英語史研究者としてワクワクするものを感じている.自動翻訳機の完成と普及は,社会における英語の位置づけを大きく変化させる可能性があり,英語史上,画期的な出来事として刻まれるはずだからである.技術革新は,いつの時代も,言語を言語学的側面においても社会言語学的側面においても変えてきたのである.

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2016-11-14 Mon

#2758. Ferguson による「国家の社会言語学的輪郭」 [sociolinguistics][methodology][typology][world_languages][world_languages][demography]

 昨日の記事「#2757. Ferguson による社会言語学的な「発展」の度合い」 ([2016-11-13-1]) に引き続き,Ferguson の論文に依拠しながら,言語(共同体)を類型化する方法について考える.Ferguson (25) は,言語学者は伝統的に国家という単位をあえて考慮しないという態度を取ってきたが,社会言語学の立場からは,国家を基準として考えることが必要だと主張する.

From many points of view . . . it is desirable to use the nation as the basis for general sociolinguistic descriptions: communication networks, educational systems, and language "planning" are generally on a national basis and national boundaries play at least as important a role in the delimitation of linguistic areas as any other single social barrier.


 Ferguson は,国家を基準として言語の使用状況を記述する作業が不可欠であり,すべての国家について一貫した視点で記述することにより,相互比較もできるようになるし,類型化もできるようになると主張する.このような国別の記述が,"national sociolinguistic profile" (26) である.その一貫した視点については,予備的なものとしながら,次の項目を挙げている (26).

. . . how many major languages are spoken; what is the pattern of language dominance; are there national uses of a LWC [= language of wider communication]; for each major language spoken in the country, what is the extent of written uses of the language (W0. --- W2.) and what is the extent of standardization (St0. --- St2.) and its nature (multimodal? range of variation from the norm?).


 現代までに,およそ Ferguson が提案した通りに「国家の社会言語学的輪郭」の記述が進められていき,Ethnologue のようなデータベースが作られるようになった.

 ・ Ferguson, Charles A. "The Language Factor in National Development." Anthropological Linguistics 4 (1962): 23--27.

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2016-11-13 Sun

#2757. Ferguson による社会言語学的な「発展」の度合い [standardisation][writing][sociolinguistics][methodology][typology][world_languages]

 Ferguson は,言語の "language 'development'" を計測する方法を提案している.'development' と引用符があることから示唆されるように,これは進化論的な言語観に基づいているわけではなく,社会言語学的な発展の度合いを測ろうとする試みである.Ferguson (23) が具体的に挙げているのは,「書き言葉の使用の度合い」 ("the degree of use of written language") と「標準化の性質と程度」 ("the nature and extent of standardization") の2点である.
 1つ目の指標である「書き言葉の使用の度合い」については,大雑把に W0, W1, W2, W3 の4段階が認められるという (23--24) .各段階の説明をみれば分かる通り,当面の便宜的な指標といってよいだろう.

 ・ W0. --- not used for normal written purposes
 ・ W1. --- used for normal written purposes
 ・ W2. --- original research in physical sciences regularly published
 ・ W3. --- languages in which translations and resumés of scientific work in other languages are regularly published

 2つ目の指標である「標準化の性質と程度」は,もっと込み入っている.この指標には2つの側面があり,第1のものは "the degree of difference between the standard form or forms of a language and all other varieties of it" (24) である.つまり,言語変種間の差異性・類似性の度合いに関する側面である(関連して「#1523. Abstand languageAusbau language」 ([2013-06-28-1]) や「#1522. autonomyheteronomy」 ([2013-06-27-1]) を参照されたい).
 第2の側面は "the nature of the standardization and the degree to which a standard form is accepted as such throughout the community" (24) である.Ferguson (24--25) は3段階を設定した.

 ・ St0. --- "a language in which there is no important amount of standardization" (ex. Kurdish) (24)
 ・ St1. --- a language which "requires considerable sub-classification to be of any use. Whatever scheme of classification is developed, it will have to take account in the first instance of whether the standardization is unimodal or bi- or multimodal, and in the case of more than one norm, the nature of the norms must be treated" (ex. bimodal Armenian, Greek, Serbo-Croatian, Norwegian; multimodal Hindi-Urdu) (25)
 ・ St2. --- "a language which has a single, widely-accepted norm which is felt to be appropriate with only minor modifications or variations for all purposes for which the language is used" (24)

 測定のための指標として荒削りではあるが,分かりやすさの点では優れている.
 このような測定値に基づいて,諸言語(共同体)を社会言語学的に類型化しようとする試みは,ほかにもある.「#1519. 社会言語学的類型論への道」 ([2013-06-24-1]) や「#1547. 言語の社会的属性7種」 ([2013-07-22-1]) も要参照.

 ・ Ferguson, Charles A. "The Language Factor in National Development." Anthropological Linguistics 4 (1962): 23--27.

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2016-11-10 Thu

#2754. 国語の機能 --- 内的団結と外的区別 [sociolinguistics][official_language][standardisation]

 近代国家にとって,国語 (national language) の果たす役割は大きい.国家という単位を自覚した為政者たちは,方言の弾圧,言語の標準化,国語の制定などを通じて政治的統治を実現しようとした.その動機としては,内的団結 (internal cohesion) と外的区別 (external distinction) の2種類があった.Haugen (927--28) の指摘と説明が的を射ている.

[The nation] minimizes internal differences and maximizes external ones. On the individual's personal and local identity it superimposes a national one by identifying his ego with that of all others within the nation and separating it from that of all others outside the nation. In a society that is essentially familial or tribal or regional it stimulates a loyalty beyond the primary groups, but discourages any conflicting loyalty to other nations. The ideal is: internal cohesion---external distinction. / Since the encouragement of such loyalty requires free and rather intense communication within the nation, the national ideal demands that there be a single linguistic code by means of which this communication can take place.


 国家にとって,域内の人々のあいだの円滑なコミュニケーションは,統治する上で必須である.ここから,必然的に言語統一の要求が生じる.「内的団結のための国語」の必要性である.一方,国家にとっては,域内の人々が,域外の人々とも同じように円滑にコミュニケーションを取ることができては困る.それは,人々の忠誠心を自分側の国家に引きつけておくのに不都合だからだ.したがって,そのような対外的なコミュニケーションをなるべく非効率にするために,国家は他の国家の規準からなるべく異なる規準を採用しようとする.「外的区別のための国語」の必要性である.
 ある国家が内的団結と外的区別を求めて国語を制定すると,他の国家も防衛的見地から同じような方針で国語を制定するようになるだろう.こうして,近代において「国家」と「国語」が芋づる式に増加していったのである.
 ちなみに,「#2743. 貨幣と言語」 ([2016-10-30-1]),「#2746. 貨幣と言語 (2)」 ([2016-11-02-1]) で考えてきたように,貨幣もコミュニケーションの道具の一種であると考えると,なぜそれが内的団結と外的区別をという指向性をもっているのかが分かる.上の引用文の最後の文で,"a single linguistic code" を "a single monetary system" と置き換えても,そのまま理解できるだろう.

 ・ Haugen, Einar. "Dialect, Language, Nation." American Anthropologist. 68 (1966): 922--35.

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2016-11-09 Wed

#2753. dialect に対する language という用語について [dialect][terminology][sociolinguistics][language_or_dialect]

 昨日の記事「#2752. dialect という用語について」 ([2016-11-08-1]) に引き続き Haugen (923) を参照しながら,dialect という用語と対比しつつ language という用語について考える.両用語が問題を呈するのは,それが記述的・共時的な用語であると同時に,歴史的・通時的な用語でもあるからだ.Haugen (923) 曰く,

In a descriptive, synchronic sense "language" can refer either to a single linguistic norm, or to a group of related norms. In a historical, diachronic sense "language" can either be a common language on its way to dissolution, or a common language resulting from unification. A "dialect" is then any one of the related norms comprised under the general name "language," historically the result of either divergence or convergence.


 共時的には,"language" とは,1つの規範をもった変種を称する場合もあれば,関連する規範をもった複数の変種の集合体に貼りつけられたラベルである場合もある.一方,通時的には,"language" とは,これからちりぢりに分裂していこうとする元の共通祖語につけられた名前である場合もあれば,逆に諸変種が統合していこうとする先の標準変種の呼称である場合もある.
 通時的に単純に図式化すれば「language → dialects → language → dialects → . . . 」となるが,"language" の前後の矢印の段階を輪切りにして共時的にみれば,そこには "language" を頂点として,その配下に "dialects" が位置づけられる図式が立ち現れてくるだろう.一方,"language" の段階では,"language" が唯一孤高の存在であり,配下に "dialects" なるものは存在しない.ここから,"language" には多義性が生じるのである.Haugen (923) は,この用語遣いの複雑さを次のように表現している.

"Language" as the superordinate term can be used without reference to dialects, but "dialect" is meaningless unless it is implied that there are other dialects and a language to which they can be said to "belong." Hence every dialect is a language, but not every language is a dialect.


 最後の「すべての方言は言語だが,すべての言語が方言とはかぎらない」とは,言い得て妙である.

 ・ Haugen, Einar. "Dialect, Language, Nation." American Anthropologist. 68 (1966): 922--35.

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2016-11-04 Fri

#2748. 大母音推移の社会音韻論的考察 (4) [gvs][sociolinguistics][emode][contact][vowel][phonetics][rp][homonymic_clash]

 [2016-10-01-1], [2016-10-11-1], [2016-10-31-1]に続き,第4弾.これまでの記事で,15世紀までに,Chaucer などに代表される階級の子孫たちがもっていたと考えられる母音体系 (System I),南部・中部イングランドで広く行なわれていた体系 (System II),East Anglia などの東部方言にみられる体系 (System III) の3種類が,ロンドンにおいて混じり合っていた状況を示した.System II と System III の話者は,Alexander Gil により各々 "Mopsae" と "Easterners" と呼ばれている.
 これらの体系は1650年頃までに独自の発展を遂げ,イングランドではとりわけ古くからの威信ある System I と,勢いのある System II の2種が広く行なわれるようになっていた.

System I:
   ME /eː/ > EModE /iː/, e.g. meed
   ME /ɛː/ > EModE /eː/, e.g. mead
   ME /aː/, /ai/ > EModE /ɛː/, e.g. made, maid

System II:
   ME /eː/ > EModE /i:/, e.g. meed
   ME /ɛː/, /aː/, /ai/ > EModE /eː/, e.g. mead, made, maid

 ところが,18世紀になると,また別の2種の体系が競合するようになってきた.1つは,System I を追い抜いて威信を獲得し,そのような位置づけとして存続していた System II であり,もう1つはやはり古くから東部で行なわれていた System III である.System III は,[2016-10-31-1]の記事で述べたように,ロンドンでの System I との接触を通じて以下のように変化を遂げていた.

System III:
   ME /eː/, /ɛː/ > ModE /iː/, e.g. meed, mead
   ME /aː, aɪ/ > ModE /eː/, e.g. made, maid

 System III は古くからの体系ではあるが,18世紀までに勢いを増して威信をもち始めており,ある意味で新興の体系でもあった.そして,その後,この System III がますます優勢となり,現代にまで続く規範的な RP の基盤となっていった.System III が優勢となったのは,System II に比べれば同音異義衝突 (homonymic_clash) の機会を少なく抑えられるという,言語内的なメリットも一部にはあったろう.しかし,Smith (110) は,System III と II が濃厚に接触し得る場所はロンドンをおいてほかにない点にも,その要因を見いだそうとしている.

. . . System III's success in London is not solely due to intralinguistic functional reasons but also to extralinguistic social factors peculiar to the capital. System II and System III could only come into contact in a major urban centre, such as London; in more rural areas, the opportunity for the two systems to compete would have been much rarer and thus it would have been (and is) possible for the older System II to have been retained longer. The coexistence of System II and System III in one place, London, meant that it was possible for Londoners to choose between them.


 ・ Smith, Jeremy J. An Historical Study of English: Function, Form and Change. London: Routledge, 1996.

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2016-11-01 Tue

#2745. Haugen の言語標準化の4段階 (2) [standardisation][sociolinguistics][terminology][register][style][language_planning]

 [2016-10-29-1]の記事に引き続き,標準化 (standardisation) の過程に認められる4段階について,Haugen を参照する.標準化は,時系列に (1) Selection, (2) Codification, (3) Elaboration, (4) Acceptance の順で進行するとされるが,この4つの過程と順序は,社会と言語,および形式と機能という2つの軸で整理することができる (下図は Haugen 933 をもとに作成).

 Form Function
Society(1) Selection (4) Acceptance
  
Language(2) Codification   →   (3) Elaboration


 まずは,規範となる変種を選択 (Selection) することから始まる.ここでは,社会的に威信ある優勢な変種がすでに存在しているのであれば,それを選択することになるだろうし,そうでなければ既存の変種を混合するなり,新たに策定するなどして,標準変種の候補を作った上で,それを選択することになろう.
 第2段階は成文化 (Codification) であり,典型的には,選択された言語変種に関する辞書と文法書を編むことに相当する.標準的となる語彙項目や文法項目を具体的に定め,それを成文化して公開する段階である.ここでは,"minimum variation in form" が目指されることになる.
 第3段階の精巧化 (Elaboration) においては,その変種が社会の様々な場面,すなわち使用域 (register) や文体 (style) で用いられるよう,諸策が講じられる.ここでは,"maximum variation in function" が目指されることになる.
 最後の受容 (Acceptance) の段階では,定められた変種が社会に広く受け入れられ,使用者数が増加する.これにより,標準化の全過程が終了する.
 社会・言語,および形式・機能という2つの軸からなるマトリックスにより,標準化の4段階が体系としても時系列としてもきれいに整理されてしまうのが見事である.この見事さもあって,Haugen の理論は,現在に至るまで標準化の議論の土台を提供している.

 ・ Haugen, Einar. "Dialect, Language, Nation." American Anthropologist. 68 (1966): 922--35.

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2016-10-31 Mon

#2744. 大母音推移の社会音韻論的考察 (3) [gvs][sociolinguistics][meosl][me_dialect][contact][vowel][phonetics]

 「#2714. 大母音推移の社会音韻論的考察」 ([2016-10-01-1]),「#2724. 大母音推移の社会音韻論的考察 (2)」 ([2016-10-11-1]) に続き,第3弾.第2弾の記事 ([2016-10-11-1]) で,System II の母音体系をもっていたとされる多くの南部・中部方言話者が,権威ある System I のほうへ過剰適応 (hyperadaptation) したことが大母音推移 (gvs) の引き金となった,との説を紹介した.しかし,Smith (106--07) によると,もう1つ GVS の引き金となった母音体系をもった話者集団がいたという.それは,"Easterners" と呼ばれる,おそらく East Anglia 出身の人々である.
 East Anglia では,14世紀後半から15世紀にかけてロンドンで進行し始めた大母音推移と類似する推移が,ずっと早くに生じていた.背景として,古英語の Saxon 方言の ǣ に対して Anglia 方言では ē をもっていたこと,/d, t, n, s, l, r/ の前位置で上げ (raising) を経ていたことなどがあった.この推移の結果として,East Anglia の母音体系は,3段階の高さで5つの長母音をもつ /iː, uː, eː, oː, aː/ となっていた.
 さて,この Easterners が,15世紀の前半から半ばにかけて都市化の進むロンドンへ移住し,ロンドン英語,特に権威ある System I の話者と接触したときに,もう1つの過剰適応が引き起こされた.3段階の East Anglia の体系が,さらに細かく段階区分された System I と接触したとき,前者は後者の威信ある調音に引かれて,全体として調音位置の調整を迫られることになった.具体的には,Easterners は System I の [æː] を自分たちの /eː/ と知覚して後者として発音し,同様に [eː̝] を /iː/ と知覚して,そのように発音した.3段階しかもたない Easterners にとって,中英語の /eː/ をもつ語と /ɛː/ をもつ語の区別はつけられなかったので,結局いずれも /iː/ として知覚され,発音されることになった.およそ同じことが後舌系列の母音にも起こった.
 System III というべき Easterners のこの母音体系は,実は,後に18世紀までに勢力を得て一般化し,現代標準英語の meed, mead, maid, made などに見られる一連の母音の(不)区別を生み出す母体となった.その点でも,英語母音史上,大きな役割を担った母音体系だったといえるだろう.

 ・ Smith, Jeremy J. An Historical Study of English: Function, Form and Change. London: Routledge, 1996.

Referrer (Inside): [2016-11-04-1]

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2016-10-29 Sat

#2742. Haugen の言語標準化の4段階 [standardisation][sociolinguistics][terminology][language_or_dialect][language_planning]

 昨日の記事「#2741. ascertaining, refining, fixing」 ([2016-10-28-1]) で,17世紀までの英語標準化から18世紀にかけての英語規範化へと続く時代の流れを見た.
 一言で「標準化」 (standardisation) といっても,その過程にはいくつかの局面が認められる.Haugen の影響力の強い論文によれば,ある言語変種が標準化するとき,典型的には4つの段階を経るとされる.Hudson (33) による社会言語学の教科書からの引用を通じて,この4段階を要約しよう.

(1) Selection --- somehow or other a particular variety must have been selected as the one to be developed into a standard language. It may be an existing variety, such as the one used in an important political or commercial centre, but it could be an amalgam of various varieties. The choice is a matter of great social and political importance, as the chosen variety necessarily gains prestige and so the people who already speak it share in this prestige. However, in some cases the chosen variety has been one with no native speakers at all --- for instance, Classical Hebrew in Israel and the two modern standards for Norwegian . . . .

(2) Codification --- some agency such as an academy must have written dictionaries and grammar books to 'fix' the variety, so that everyone agrees on what is correct. Once codification has taken place, it becomes necessary for any ambitious citizen to learn the correct forms and not to use in writing any 'incorrect' forms that may exist in their native variety.

(3) Elaboration of function --- it must be possible to use the selected variety in all the functions associated with central government and with writing: for example, in parliament and law courts, in bureaucratic, educational and scientific documents of all kinds and, of course, in various forms of literature. This may require extra linguistic items to be added to the variety, especially technical words, but it is also necessary to develop new conventions for using existing forms --- how to formulate examination questions, how to write formal letters and so on.

(4) Acceptance --- the variety has to be accepted by the relevant population as the variety of the community --- usually, in fact, as the national language. Once this has happened, the standard language serves as a strong unifying force for the state, as a symbol of its independence of other states (assuming that its standard is unique and not shared with others), and as a marker of its difference from other states. It is precisely this symbolic function that makes states go to some lengths to develop one.


 当然ながら,いずれの段階においても,多かれ少なかれ,社会による意図的で意識的な関与が含まれる.標準語の出来方はすぐれて社会的な問題であり,常に人工的,政治的な匂いがまとわりついている.「社会による意図的な介入」の結果としての標準語という見解については,上の引用に先立つ部分に,次のように述べられている (Hudson 32) .

Whereas one thinks of normal language development as taking place in a rather haphazard way, largely below the threshold of consciousness of the speakers, standard languages are the result of a direct and deliberate intervention by society. This intervention, called 'standardisation', produces a standard language where before there were just 'dialects' . . . .


 関連して,「#1522. autonomyheteronomy」 ([2013-06-27-1]) を参照.

 ・ Haugen, Einar. "Dialect, Language, Nation." American Anthropologist. 68 (1966): 922--35.
 ・ Hudson, R. A. Sociolinguistics. 2nd ed. Cambridge: CUP, 1996.

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2016-10-26 Wed

#2739. AAVE の Creolist Hypothesis と Anglicist Hypothesis 再訪 [aave][creole][ame][sociolinguistics][dialect][variety][caribbean]

 AAVE の起源について,Creolist Hypothesis と Anglicist Hypothesis が鋭く対立している経緯に関して,「#1885. AAVE の文法的特徴と起源を巡る問題」 ([2014-06-25-1]) で紹介し,その前後で関連する以下の記事も書いてきた

 ・ 「#1886. AAVE の分岐仮説」 ([2014-06-26-1])
 ・ 「#1850. AAVE における動詞現在形の -s」 ([2014-05-21-1])
 ・ 「#1841. AAVE の起源と founder principle」 ([2014-05-12-1])

 Tagliamonte (9) より,両仮説を巡る論争について要領よくまとめている箇所があったので,引用し,補足としたい.

Among the varieties of English that arose from the colonial southern United States is that spoken by the contemporary descendants of the African populations --- often referred to as African American Vernacular English or by its abbreviation AAVE. This variety is quite distinct from Standard North American English. One of the most vexed questions of modern North American sociolinguistics is why this is the case. Early African American slaves would have acquired their variety of English either en route to the United States or more likely on the plantations and homesteads of the American South. But it is necessary to determine the nature of the varieties to which they were exposed. The fact that AAVE is so different has often been traced to the dialects from Northern Ireland, Scotland and England. However, they have as often been traced to African and Caribbean creoles. There is a long history of overly simplistic dichotomies on this issue which can be summarized as follows: (1) a 'creole origins hypothesis', based on linguistic parallels between AAVE and Caribbean creoles; (2) an 'English dialect hypothesis', based on linguistic parallels with the Irish and British dialects spoken by early plantation staff. In reality, the answer probably lies somewhere in between. Many arguments prevail based on one line of evidence or another. Perhaps the most damning is the lack of evidence of which populations were where and under what circumstances. / The debate over the origins of AAVE still rages on with no consensus in sight . . . .


 北米植民の初期に生じた複雑な言語接触とその言語的余波を巡っての論争は,かれこれ100年間続いており,いまだに解決の目処が立っていない.言語接触に関与した種々の人々に関する,緻密な歴史社会言語学の研究が必要とされている.

 ・ Tagliamonte, Sali A. Roots of English: Exploring the History of Dialects. Cambridge: CUP, 2013.

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2016-10-11 Tue

#2724. 大母音推移の社会音韻論的考察 (2) [gvs][sociolinguistics][chaucer][meosl][me_dialect][contact][vowel][diphthong]

 「#2714. 大母音推移の社会音韻論的考察」 ([2016-10-01-1]) に引き続き,大母音推移 (gvs) という音韻論上の過程を社会言語学的な観点から説明しようとする試みについて考える.前の記事では1つの見方を概論的に紹介した程度だったが,諸家によって想定される母音の分布や関係する英語変種は若干異なっている.今回は,Smith (101--06) に従って,もう1つの社会音韻論的な説明を覗いてみよう.
 Smith は,Chaucer の時代までにロンドンでは2つの異なる母音体系が並存していたと仮定している(Smith (102) からの下図を参照).System I は,Chaucer に代表される上層階級に属する人々のもっていた体系であり,前舌系列が5段階と複雑だが,社会的な威信をもっていたと考えられる.* の付された長母音は,対応する短母音が中英語開音節長化 (Middle English Open Syllable Lengthening; meosl) を経て若干位置を下げながら長化した音である.一方,System II は,それ以外の多くのイングランド南部・中部方言の話者がもっていた体系であり,前舌系列が4段階だったと想定されている.

System I        System II
>ɪi   >ʊu >əɪ   >əʊ
 >eː̝  >oː̝  >  >
  ɛː̝*   ɔː̝*     ɛː> ɔː>
   ɛː  ɔː       aː*>ɛː, eː  
    aː*>æː            
  *

 このような2つの体系が15世紀初頭のロンドンで接触したときに,結果として System II の話者が社会的上昇志向から System I の方向への「上げ」 (raising) を生じさせることになったのだという.
 まず,System II 話者の [ɛː] について考えよう.System II 話者は,System I 話者の [ɛː] と [ɛː̝*] の各々がどの単語に現われるのか区別できないこと,及び System I 話者の [ɛː̝*] に現われるやや高い調音を模倣したいことから,全体として自らの [ɛː] を若干上げ,結果として [eː] と発音するに至る.
 次に,System II 話者のもともとの [eː] は,System I 話者の [eː] のやや高い調音(おそらく System I 話者の慣れていたフランス語の緊張した調音の影響を受けたやや高めの異音)を過剰気味 (hyperadaptation) に模倣した結果,[iː] と発音するに至った.
 最後に,System II 話者の [aː*] については,少々ややこしい事情があった.System II の [aː*] は a の開音節長化により生じた新しい音だったが,同時代の Essex 方言では古英語 [æː] の発展形としての [aː] が従来行なわれていた関係で,前者が後者と同一視されるに至った.そこで,ロンドンの話者は Essex 方言と同一視されるのを嫌い,社会言語学的な距離 (sociolinguistic distancing) をとるべく,やや上げて [æː] と調音するようになったのだという.その後,この音は17世紀後半に改めて別の上げを経て [eː] へと変化していった.
 上記は決して単純な説ではないが,逆に言えば,一見きれいに見える大母音推移も,社会音韻論的に複雑な過程を内包しているということを思い起こさせてくれる説である.

 ・ Smith, Jeremy J. An Historical Study of English: Function, Form and Change. London: Routledge, 1996.

Referrer (Inside): [2016-11-04-1] [2016-10-31-1]

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2016-10-01 Sat

#2714. 大母音推移の社会音韻論的考察 [gvs][sociolinguistics][vowel][diphthong]

 大母音推移 (gvs) がいかにして始まり,進行したかは,長らく熱い議論の対象となってきたが,近年は,社会言語学の立場から音韻変化を研究する社会音韻論を用いた説明がはやりのようである.説明自体は込み入っているが,Gramley (134) の英語史概説書に短めに要約されているので,引用しよう.

A second socially more plausible scenario attributes initiation of the shift to the fact that London English originally had four long front vowels . . . . The lower classes in London were merging meat /ɛː/ and meet /eː/ into the higher vowel /eː/. The socially higher standing may then have raised their /eː/ toward /iː/ and their /oː/ toward /uː/, possibly following the model of French, which was also raising these vowels. But in any case the effect was to set themselves off from the lower orders . . . . In addition, newcomers in London such as the East Anglian cloth-traders migrating to London in the fourteenth and fifteenth centuries had only three long front vowels: they did not distinguish /ɛː/ and /eː/. In their move to accommodate to London speech they would have raised and differentiated their mid-vowel, making London /ɛː/ into /eː/ and London /eː/ into /iː/ . . . .


 後期中英語期から初期近代英語期にかけて,ロンドンの高層階級は4段階の母音体系をもっていたが,低層階級ではそれが3段階の母音体系に再編成されていた.高層階級は,おそらくフランス語の高めの調音を真似ることにより,低層階級の「野暮ったい」発音からなるべく異なる発音を求めようとした.一方,3段階の母音体系をもっていたイースト・アングリアからの移住者が大量にロンドンに流れ込むと,彼らは社会的な上昇志向から,高層階級の話し方を部分的に真似ようとして4段階での調音を試み,これが契機となって,ロンドン英語が全体的に1段階持ち上がるという結果となった.
 異なる社会集団の話す異なる変種がロンドンという地で接触し,集団間の離反や近接という複雑な社会心理的動機づけにより,再編成された,というシナリオである.現代と異なり,過去の社会言語学的状況を復元するのは難しいため,歴史社会音韻論にはいかに説明力を確保するかという大きな課題がついて回る.しかし,近年,様々な論者がこの見解を支持するようになってきている.Fennell (160--61) や,さらに詳しくは Smith の2著の該当章も参照されたい.

 ・ Gramley, Stephan. The History of English: An Introduction. Abingdon: Routledge, 2012.
 ・ Fennell, Barbara A. A History of English: A Sociolinguistic Approach. Malden, MA: Blackwell, 2001.
 ・ Smith, Jeremy J. Sound Change and the History of English. Oxford: OUP, 2007.
 ・ Smith, Jeremy J. An Historical Study of English: Function, Form and Change. London: Routledge, 1996.

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2016-09-05 Mon

#2688. 戦中と右横書き [writing][grammatology][direction_of_writing][history][sociolinguistics][language_myth]

 8月15日の読売新聞朝刊に,83歳の女性からの投書が掲載されていた.先の戦争中に学校で右横書きを習ったという世代の方である.「学校では横書きをする場合,右から書くよう指導された.敵国の英語のまねにならないよう,とのことだった.今でも,右から書かれた言葉を見ると,当時を思い出して悲しい気持ちになる」とあった.
 文字を書く書字方向 (direction_of_writing) の話題については ##2448,2449,2482,2483 で扱ってきた.文字論,特に統字論の問題として見れば,近代日本語の右横書きか左横書きか,あるいは右縦書きかという書字方向の変異や変化は,世界の書記体系の取り得る類型の枠内で論じられるものの,実際にその選択に際して作用していた力は,極めて社会的なものだった.戦中は欧米イメージのまとわりついた左横書きが忌避され,日本古来のイメージと重ね合わされた右横書きがよしとされた.戦後は右横書きは消えたが,くだんのイメージの対立は戦中の書字方向の記憶とともに現在でも語り継がれている.
 しかし,これは語り継がれた記憶という以上に,神話に近いものであるという.屋名池 (169--70) は,戦前・戦中・戦後の日本語書字方向の変化について,次のようにまとめている.

 右横書きは,左横書きと同じく,本来欧米語の影響によって生まれたものであるにもかかわらず,早くから縦書きと併用されてきたこともあって,大正末・昭和初期までには「右横書き=日本固有・伝統的」,「左横書き=欧米模倣・モダン」というイメージが成立・定着していたことはすでにたびたびふれた.このイメージはその語の社会の有為転変にかかわらず,戦後まで一貫して変わらなかった.一方,このイメージに対する評価・価値付けは激動の時代を反映して激しく変転し,横書きはそれに大きく翻弄されたのである.
 西欧化イコール近代化・進歩として高い評価を与える明治以来の傾向は,日中戦争下にも続き,一九四〇(昭和一五)年になっても,レコードや洋菓子のような洋風・モダンなイメージの商品では,従来右横書きだった表示が新たに左横書き化していることは先に述べた.
 しかし,欧米列強を的にまわして太平洋戦争が勃発するや,価値付けは大きく逆転し,日本在来の伝統的なものが国粋主義の立場から強力に支持されるようになる.それに支えられて左横書きの右横書き化という動きがあらわれ,これまでの左横書き化の流れと対立することになった.
 太平洋戦争が敗戦に終わり,「鬼畜米兵」から「四等国」自認へと,価値が三転すると,国粋主義の支えを失って右横書き化の動きは失速し,一方,ふたたび芽生えた欧米のモダンで豊かな生活文化への憧れに押されて,左横書きの評価は急上昇する.左横書き化が一挙に進み,右横書きは駆逐されて,ついに横書きは左横書きへ統一されることになるのである.


 実際,1946--48年の新聞広告の調査によれば,この3年間という短期間のあいだに,なだれを打って右横書きから左横書きへと移行したことが分かっている(屋名池,p. 171).ただし,注意すべきは,上の引用内でも述べられている通り,左横書きは戦前から一般的な趨勢だったことである.確かに従来戦前から右横書きも並存していたし,終戦直前には特に右横書きが目立ってきたという状況はあったが,それ以前から左横書きの傾向は既定路線だった.戦後になって,その既定路線が改めて日本人に自然に確認され,受け入れられたということだろう.屋名池 (177) 曰く,「左横書きへの統一は戦後の日本語表記の変革のうち,唯一,草の根が生み出し成就させたものなのだ」.つまり,戦前・戦中=右横書き,戦後=左横書きという構図は広く流布しているものの,一種の神話というべきものである.
 だが,人々がその神話を生み出すに至ったのも,終戦前後のほんの数年間で左右転換を遂げたという強烈な印象と記憶があったからだろう.この神話は,当事者たちが自ら作り上げた神話といえるのではないか.

 ・ 屋名池 誠 『横書き登場―日本語表記の近代』 岩波書店〈岩波新書〉,2003年.

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2016-08-23 Tue

#2675. 人工言語と言語変化研究 [language_change][artificial_language][esperanto][linguistics][sociolinguistics][language_planning]

 Esperanto に代表される人工言語 (artificial_language) が,主流派の言語学において真剣に議論されることはほとんどない.それもそのはずである.近代言語学の関心は,自然言語の特徴の体系(Saussure の "langue" あるいは Chomsky の "competence")を明らかにすることにあり,人為的にでっちあげた言語にそれを求めることはできないからだ.言語変化研究の立場からも,人工言語は少なくとも造り出された当初には母語話者もいないし,自然言語に通常みられるはずの言語変化にも乏しいと想像されるため,まともに扱うべき理由がない,と一蹴される.
 しかし,主に社会言語学的な観点から言語変化を論じた Johns and Singh は,その著書の1章を割いて Language invention に関して論考している.その理由に耳を傾けよう.

We have . . . included select discussion of such [invented] systems here primarily because invention constitutes part of the natural and normal spectrum of human linguistic ability and behaviour and, as such, merits acknowledgement in our general discussion of language use and language change. At the most obvious level, linguistic inventions are, despite their tag of artificiality, ultimately products of the human linguistic competence and, indeed, creativity, that produces their natural counterparts. In many cases, they are also often born of the arguably human impulse to influence and change linguistic behaviour, an impulse which . . . fundamentally underlies strategies of natural language planning. Thus . . . languages may be invented to reflect particular world views, promote and foster solidarity among certain groups or even potentially for the purpose of preserving natural linguistic obsolescence as a result of the domination of one particular language. It is in such real-life purposes that our interest in linguistic invention lies . . . .


 引用中には言語能力への言及もあるが,主として社会言語学的な関心による問題意識といってよいだろう.人工言語の発明,使用,体系を観察し,その動機づけを考察することで,人々が言語というものに何を求めているのか,自然言語のどの部分に問題を感じているのか,なぜ言語(行動)を変えようとするものなのか,という一般的な言語問題に対するヒントが得られるかもしれない,というわけだ.言語変化研究との関連では,なぜ言語計画や言語政策といった人為的な言語変化が試みられてきたのか,という問題にもつながる.つまるところ,人工言語の話題は,言語の機能とは何か,なぜ人々は言語を変化・変異させるのかという究極の問題について考察する際に,1つの材料を貢献できるということだ.言語変化研究にも資するところありだろう.
 Jones and Singh (182) は,その章末で "as a linguistic exercise, the processes of invention, as well as its concomitant problems and issues, have the potential to complement our general understanding of how human language functions as successfully as it does" と言及している.一見遠回りのように思われる(し実際に遠回りかもしれない)が,周辺的な話題から始めて中核的な疑問に迫ってゆく手順がおもしろい.関連して「#963. 英語史と人工言語」 ([2011-12-16-1]) も参照されたい.
 ほかに,人工言語の話題としては「#958. 19世紀後半から続々と出現した人工言語」 ([2011-12-11-1]),「#959. 理想的な国際人工言語が備えるべき条件」 ([2011-12-12-1]),「#961. 人工言語の抱える問題」 ([2011-12-14-1]) も参照.

 ・ Jones, Mari C. and Ishtla Singh. Exploring Language Change. Abingdon: Routledge, 2005.

Referrer (Inside): [2016-08-29-1]

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2016-08-21 Sun

#2673. 「現代世界における英語の重要性は世界中の人々にとっての有用性にこそある」 [language_myth][sociolinguistics][world_englishes]

 本ブログでは何度目かの話題である.現代世界における英語の重要性と「華々しい成功」は,決して英語という個別言語のもつ言語的な特質に帰せられるべきものではない.そうではなく,単に社会的に役立つからこそ重要なのである.このことは,何度でも繰り返し述べておく必要がある.というのは,英語万能主義の神話が,世界のあちらこちらで,そして日本ではとりわけ広く深く,信じられているからである.英語が「偉い」とすれば,それは言語的にではなく社会的に「偉い」というにすぎない.
 Algeo and Pyles (224) から同趣旨の主張を引用しよう.世界の英語変種を見渡した後,締めくくりの段落で次のように述べている.

What, then, it may be asked, is the English language? Is it the speech of London, of Boston, of New York, of Atlanta, of Melbourne, of Montreal, of Calcutta? Is it the English of the metropolitan daily newspaper, of the bureaucratic memo, of the contemporary poet, of religious ritual, of football sportscasts, of political harangues, of loving whispers? A possible answer might be, none of these, but rather the sum of them all, along with all other blendings and developments that have taken place wherever what is thought of as the English language is spoken by those who have learned it as their mother tongue or as an additional language. However, the most important variety happens to be the standard English written by British and American authors---and it should be clear by now that the importance of that language is due not to any inherent virtues it may possess, but wholly to its usefulness to people around the world, whatever their native language.


 英語は,複雑な屈折や文法性がなく,語順も固定していて学びやすいという理由で世界語として採用されているわけではない.英語は,発音体系や語彙体系が優れているという理由で世界的に受け入れられているわけでもない.英語は,言語的には他の無数の言語に比べて,とりわけ優れているわけでも劣っているわけでもない.ただの1つの言語である.しかし,英語は,特に近代期以降の歴史を通じて,世界中に拡散してきた.それにより,世界の多くの人がコミュニケーションの道具として採用し,社会的な有用性を高めてきた.だから,現代世界において英語は「偉い」ことになっているのである.
 この主張は以下の記事で繰り返してきたので,是非そちらも参照されたい.「#1072. 英語は言語として特にすぐれているわけではない」 ([2012-04-03-1]),「#1082. なぜ英語は世界語となったか (1)」 ([2012-04-13-1]),「#1083. なぜ英語は世界語となったか (2)」 ([2012-04-14-1]),「#1607. 英語教育の政治的側面」 ([2013-09-20-1]),「#1788. 超民族語の出現と拡大に関与する状況と要因」 ([2014-03-20-1]),「#2487. ある言語の重要性とは,その社会的な力のことである」 ([2016-02-17-1]) .

 ・ Algeo, John, and Thomas Pyles. The Origins and Development of the English Language. 5th ed. Thomson Wadsworth, 2005.

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