昨日,Voicy heldio にて多々良直弘さん(桜美林大学)との対談を配信しました.多々良さんは,スポーツ実況中継の英語(と日本語の比較)を研究されています.他の英語学者仲間数名の同席の上,スポーツ実況中継の言語とは何か,おおいに語り合いました.「#818. 実況中継の英語 with 多々良直弘さん他」をお聴きください(36分ほどの音声配信).
ラジオ,テレビ,最近のネットストリーミングの実況といったメディアによる違い,国・文化・言語による差違,スポーツ種別による差など,様々なパラメータが関わり,調査や分析も難しい領域だと思いますが,文字通りリアルタイム実況的な研究分野であると感じました.
なお,多々良さんには以前「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」に出演していただき,ご専門であるスポーツ実況中継の英語やその他の話題について,4回にわたりお話しをいただきました(cf. 「#5162. 井上・堀田の YouTube でスポーツ英語の多々良直弘さんをゲストに」 ([2023-06-15-1])).ぜひそちらもご視聴ください.
・ 「多々良直弘さん(桜美林大学)登場! --- スポーツ実況は国ごとにぜんぜんちがう!【井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル 第136回 】」
・ 「スポーツ実況の詩学 --- とくにあの国の実況はすごい!【井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル 第138回 】」
・ 「多々良直弘さんはいかにして言語学者になったか【井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル 第140回 】」
・ 「本の話,出版の話,翻訳の話 --- 多々良直弘さん第4弾(最終回)【井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル 第142回 】」
言語学と社会学を掛け合わせると,いずれに力点を置くかによって,社会言語学 (sociolinguistics) と言語の社会学 (sociology of language) が生じる(cf. 「#1380. micro-sociolinguistics と macro-sociolinguistics」 ([2013-02-05-1]),「#4750. 社会言語学の3つのパラダイム」 ([2022-04-29-1])).
さらに,これらと固有名詞学 (onomastics) を掛け合わせると,標題の通り社会名前学 (socio-onomastics) と名前の社会学 (sociology of names) が立ち現われてくる.この2つの領域について,De Stefani (57) による解説を聞こう.
I draw a distinction between socio-onomastics and the sociology of names by observing divergent methodological procedures and research topics in the two fields. Socio-onomasticians apply methods inherited from sociolinguistics to the analysis of names. They use interviews, focus group discussions or questionnaires as the basis of their analyses, and describe name usage with respect to previously defined social categories (e.g. 'male', 'female', 'young', 'native', 'migrants', etc.). In this line of research, name variants as used by different populations in urban settings constitute a privileged topic of investigation . . . . By contrast, the sociology of names mainly addresses larger societal questions, arising for instance from language contact, in particular in the presence of so-called minority languages or dialects. The use of names in the construction of an individual's or a community's identity is a central topic of investigation, as exemplified for example by numerous studies on linguistic landscapes . . . .
とても分かりやすい区分である.しかし,もとにある社会言語学と言語の社会学の区別をあまりに絶対的なものととらえると見えなくなってしまうことがあるのと同様に,社会名前学と名前の社会学の区別もあくまで相対的なものとしてとらえておくほうのがよいだろうと考える.
De Stefani では,もう1つの掛け合わせとして,相互行為の名前学 (interactional onomastics) という魅力的な領域も紹介されている.
名前学の守備範囲は広い.「#5189. 固有名詞学の守備範囲」 ([2023-07-12-1]) を参照.
・ De Stefani, Elwys. "Names and Discourse." Chapter 4 of The Oxford Handbook of Names and Naming. Ed. Carole Hough. Oxford: OUP, 2016. 52--66.
昨日の記事「#5166. 秋元実治(編)『近代英語における文法的・構文的変化』(開拓社,2023年)」 ([2023-06-19-1]) で,先日発売された本をご紹介しました.同書については,YouTube 「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」の最新回でも取り上げています.「#137. 辞書も規範文法も18世紀の産業革命富豪が背景に---故山本史歩子さん(英語・英語史研究者)に捧ぐ---」です.どうぞご覧ください.
YouTube では,同書の第4章「18世紀の文法的・構文的変化」(山本史歩子さんが執筆された章)の後半の記述にインスピレーションを得て,なぜ規範文法 (prescriptive_grammar) ,ひいては規範主義 (prescriptivism)が,18世紀というタイミングで盛り上がったのかについてお話しています.実際には様々な要因があるのですが,同章に基づき,とりわけ産業革命 (industrial_revolution) とそれに伴う社会変化に注目しています.詳しくは,ぜひ本書を読んでいただければと思います.
第4章の執筆者である山本史歩子さん(青山学院大学)は,本書の出版を見る前にご逝去されました.英語史活動(hel活)の実践者にして,強力な理解者かつ応援者でもありました.昨年の春,2022年4月6日には,私の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」にご出演いただきました.ぜひ「#310. 山本史歩子先生との対談 英語教員を目指す大学生への英語史のすすめ」をお聴きください.山本史歩子さんの英語史研究へのご貢献に深く感謝しつつ,心よりご冥福をお祈りいたします.
・ 秋元 実治(編),片見 彰夫・福元 広二・田辺 春美・山本 史歩子・中山 匡美・川端 朋広・秋元 実治(著) 『近代英語における文法的・構文的変化』 開拓社,2023年.
4月半ばより khelf(慶應英語史フォーラム)の年度始め企画として展開してきた「英語史コンテンツ50」が,ついに完走しました.伴走いただいた hellog 講読者の皆様には,御礼申し上げます.完了してホッとしたような,寂しいような気持ちです.
振り返りの時期ということで,昨日の「#5160. 4体液説 --- 「英語史コンテンツ50」の人気コンテンツより」 ([2023-06-13-1]) に引き続き,終盤戦にとりわけ閲覧されている人気コンテンツを紹介します.通信教育部の学生による6月6日のコンテンツ「#44. ハリー・ポッターと英語の方言」です.
階級社会イギリスの縮図としてのハリポタ世界に,現実の方言事情(地域・社会)が反映している,という趣旨の力作コンテンツです.構成もとてもよく練られており,歴史→社会(階級)→方言の順にイギリスの方言事情が紹介されています.現実と魔法界の比較対照が見事で,ハリポタ同様に引き込まれます.形式的にも地図あり画像あり,さらに注やウェブリソースへのリンクも充実しています.1つの学術コンテンツとして充実しており,長く読み継がれることになるのではないでしょうか.皆さん,ぜひご一読を.
昨日の記事「#5140. shibboleth 「試し言葉」」 ([2023-05-24-1]) で,民族や言語集団を区別する手段としての言語という,言語の負の側面をみた.このような事例は古今東西にみられる.
本ブログでこれまで何度か参照してきた山本冴里(編)『複数の言語で生きて死ぬ』(くろしお出版,2022年)の第4章 (pp. 61--76) では,この話題が取り上げられている.「ペレヒルと言ってみろ --- 「隔てる」ものとしてのことば」と題する第4章の扉には,次の文が掲げられている.
「われわれの一員」と「排除と虐殺の対象」とを
外見からは判断できないとき,
歴史上幾度も利用されてきたのは,
何らかの言葉を発音させることだった.
1つ目の例として取り上げられているのは,ドミニカ共和国(公用語はスペイン語)においてハイチ人(ハイチクレール語を母語とする)をあぶり出すために,パセリを意味するスペイン語「ペレヒル」の発音が試し言葉として利用された例である.史実をもとにしたフィクション(舞台は1937年のドミニカとハイチ)のなかで,[r] と [l] の難しい発音の組み合わせを含む「ペレヒル」が踏み絵として用いられる事例が示されている.両音の区別が苦手な日本語母語話者としても背筋が凍る.
もう1つの例は,むしろ日本語母語話者が朝鮮人を区別するために利用した恐るべき試し言葉である.「十五円五十銭」は,1923年の関東大震災の混乱のなかで朝鮮人が井戸に毒を入れたとの流言蜚語が乱れ飛んだ際に,朝鮮人を識別する踏み絵として利用された.山本 (68--69) は次のように解説する.
なぜ,このとき,「十五円五十銭」を言わせたのか.ほかの記録には,「十円五十銭」「十五円五十五銭」なども残っている.「ご」「じゅう」は濁音で始まるが,朝鮮語では,語頭は濁らない.さらに,「じゅう」の「じ」は,ザ行だ.ザ行にもっとも近く対応する朝鮮語は,「ㅈ」であり,これはザ行よりもやや口の奥に下を当て,より弾くように発音する音である.結果的には,「じゅう」は,ひらがなで書くならば「ちゅう」のような音で聞こえる.
関東大震災時の流言蜚語,朝鮮人虐殺と,この「十五円五十銭」については,安田 (2015) が詳細な分析を行い,「語頭に濁音がこないという単なる現象が『発音できない』という否定的言辞と化すのは,区別・識別して『かれら』を析出する必要性が潜在的に存在していたからだろう.そしてこの識別法は朝鮮人虐殺の記憶へとつながっていく」と記す.
ウチとソトを分ける手段としての言語.優越と劣等を生み出す装置としての言語.言語のもつネガティヴな側面について,改めて考えたい.
・ 山本 冴里(編) 『複数の言語で生きて死ぬ』 くろしお出版,2022年.
5月21日(日)に公開された「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」の最新回は「#129. 言語を暗号として見るとこんなにおもしろいことが!」です.
動画の10:24辺りで,井上さんが旧約聖書の「士師記」 (Judges 12:4--6) に出典を求められる shibboleth 「シボレテ」の話題に言及しています.この語は,語源的にはヘブライ語で「洪水」(あるいは「穀物の穂」)を意味する šibbolet に遡ります.敵対するエフライム人 (Ephraimites) が [ʃ] 音を発音できないことから,ギレアデ人 (Geleadites) が敵を見分けるためにこの語を用いたというエピソードです.これにより,ギレアデ人は4万2千人のエフライム人を処分したといいます(cf. 「#3623. ヘブライ語からの借用語」 ([2019-03-29-1])).民族を選別するための「試し言葉,合い言葉」です.
OED によると,この語の英語での初出は1382年の Wycliffe の聖書においてです.
1. The Hebrew word used by Jephthah as a test-word by which to distinguish the fleeing Ephraimites (who could not pronounce the sh) from his own men the Gileadites (Judges xii. 4--6).
1382 Bible (Wycliffite, E.V.) Judges xii. 6 Thei askiden hym, Seye thanne Sebolech [1535 Coverdale Schiboleth, 1611 Shibboleth],..the which answerde, Shebolech [a1425 L.V. Thebolech, 1535 Siboleth, 1611 Sibboleth].
1611年の The Authorised Version (The King James Version [KJV]) と日本語口語訳より,問題の「士師記」 (Judges 12:4--6) を引用しておきましょう.
4 Then Jephthah gathered together all the men of Gilead, and fought with Ephraim: and the men of Gilead smote Ephraim, because they said, Ye Gileadites are fugitives of Ephraim among the Ephraimites, and among the Manassites. 5 And the Gileadites took the passages of Jordan before the Ephraimites: and it was so that when those Ephraimites which were escaped said, Let me go over; that the men of Gilead said unto him, Art thou an Ephraimite? If he said, Nay; 6 Then said they unto him, Say now Shibboleth: and he said Sibboleth: for he could not frame to pronounce it right. Then they took him, and slew him at the passages of Jordan: and there fell at that time of the Ephraimites forty and two thousand.
4 そこでエフタはギレアデの人々をことごとく集めてエフライムと戦い,ギレアデの人々はエフライムを撃ち破った.これはエフライムが「ギレアデびとよ,あなたがたはエフライムとマナセのうちにいるエフライムの落人だ」と言ったからである.5 そしてギレアデびとはエフライムに渡るヨルダンの渡し場を押えたので,エフライムの落人が「渡らせてください」と言うとき,ギレアデの人々は「あなたはエフライムびとですか」と問い,その人がもし「そうではありません」と言うならば,6 またその人に「では『シボレテ』と言ってごらんなさい」と言い,その人がそれを正しく発音することができないで「セボレテ」と言うときは,その人を捕えて,ヨルダンの渡し場で殺した.その時エフライムびとの倒れたものは四万二千人であった.
YouTube 動画の11:03以降で,井上さんが,ウクライナ語で「パン」を意味する「パリャヌィツャ」の発音が,ロシア語話者(のスパイ)を排除するために用いられているという話をしています.言語の恐るべき排除機能に,目を向けてみてはいかがでしょうか.
この話題については,昨日の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」でもお話ししました.「#723. shibboleth 「試し言葉」 --- 言語の恐るべき排除機能」です.
連日,山本冴里(編)『複数の言語で生きて死ぬ』(くろしお出版,2022年)を参照している ([2023-04-17-1], [2023-04-19-1]) .言語の抑圧や死といった重たい話題を扱っているのだが,エッセイ風に読みやすく書かれているため,お薦めしやすい.各章末に付された引用文献も有用である.
冒頭の第1章「夢を話せない --- 言語の数が減るということ」(山本冴里)のテーマは,標題に挙げたように,言語の抑圧,放棄,縮小,乗り換え,そして死である.支配言語が被支配言語に圧迫を加えるという状況は古今東西でみられるが,その過程はさほど単純ではない.山本 (12--14) を引用する.
使用言語の転換は,抑圧の結果である場合もあれば,言語を放棄することについての自発的な決定を反映しているものもあるが,多くの場合には,この二つの状況が混ざり合ったものだ.植民者らは,一般には,現地言語を根絶やしにすべく仕掛けるわけではなく,現地言語の役割をより少ない領域と機能へとシステマティックに限定していき,また,支配的な(外の)言語に関する肯定的な言説を採用する.そのことによって,現地言語の存在が見えなくなっていくのだ (Migge & Léglise 2007, p. 302) .
こうした話をすると,「過去のこと」だ,と言う人もいる.「今はもう,植民地主義なんて存在しない,言語を奪うとかやめさせるとか,そんな犯罪は行われない」と.しかし,中国の教育省が,過程では標準中国語が用いられることの少ない少数民族居住地域や農村においても,幼稚園では標準中語を用いさせる「童語同音」計画を発表したのは二〇二一年七月のことだ.標準中国語を使うことで,「生涯にわたる発展の基礎をつくること」や「個々人の成長」,「農村の振興」,「中華民族共同体意識の形成」がなされるのだという(中華人民共和国教育部2021).
「現地言語の役割」が「より少ない領域と機能へとシステマティックに限定」されると同時に,「支配的な(外の)言語に関する肯定的な言説」が広く流布されるという事態は,右の例ほど露骨ではなくとも,今も大規模に,かつ世界中で発生している.言い換えれば,自らの生まれた環境で習得した言語の価値が低下し,ほかの言語(仮にX語とする)の威信をより強く感じるという事態である.たとえばマスコミで,教育で,市役所など公の場で,より頻繁にX語が使われるようになってきたら.職場では現地の言語ではなくX語を使うようにと,取締役が決めたら.X語のできる人だけが,魅力的な仕事に就けるようになったなら.
言語が「より少ない領域と機能へとシステマティックに限定」していく過程は domain_loss と呼ばれる(cf. 「#4537. 英語からの圧力による北欧諸語の "domain loss"」 ([2021-09-28-1])).毒を盛られ,死に向かってジワジワと弱っていくイメージである.
「言語の死」 (language_death) というテーマは,他の関連する話題と切り離せない.例えば言語交替 (language_shift),言語帝国主義 (linguistic_imperialism),言語権 (linguistic_right),言語活性化 (revitalisation_of_language),エコ言語学 (ecolinguistics) などとも密接に関わる.改めて社会言語学の大きな論題である.
・ 山本 冴里(編) 『複数の言語で生きて死ぬ』 くろしお出版,2022年.
一昨日の記事「#5103. 支配者は必ずしも自らの言語を被支配者に押しつけるわけではない」 ([2023-04-17-1]) で紹介した山本冴里(編)『複数の言語で生きて死ぬ』(くろしお出版,2022年)の第1章「夢を話せない --- 言語の数が減るということ」(山本冴里)に,有力な言語のもつ「後光のようなもの」について論じられている箇所がある (pp. 14--15) .
言語そのものというより,言語に冠された後光のようなもの.それがX語の持つ力である.過去,東アジア世界では漢文が,ローマ時代の地中海地域と中世のヨーロッパではラテン語が,一七世紀~一九世紀のヨーロッパ知識人の間ではフランス語が,そしてイスラム世界ではアラビア語が光を帯びていた.そしていま,多くの地域で,眩しい光を放っているのは英語だ.日本でも,圧倒的な教育資源が,英語に注ぎ込まれている.「英語ができる」ことで発生する(かもしれない)利益への期待をあおる広告表現の多くは,おくめんもなく,英語を,輝く未来を保障〔ママ〕してくれるような魔法の鍵として描き出している.英語ができれば,人生がよりよい方向に変わる.仕事が見つかり収入が上がる.そんなイメージを散りばめた表現を,街角の広告に見かけたことはないだろうか.いわく,「英語ができれば人生はもっと楽しくなる!」(NHK通信講座),「英語の力は,世界とつながる力」 (AEON),「英語を,習いはじめた.商談が,動きはじめた」 (AEON),「いまこの国が求めているのは,英語が話せるあなたです」 (CLUB CUE),「英語で夢をカタチに」 (AEON) .
イギリス政府が設立したブリティッシュ・カウンシル(主要事業は英語の普及)は,こうした事態に対してきわめて意識的である.ブリティッシュ・カウンシルは,イギリスが英語使用の規範として見なされる地位を誇り利用する.
これは英語の「後光効果」の警告的な指摘にほかならない.「後光効果」とは『ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2015』によると次の通り.
ハロー効果,光背効果ともいう.人がもっているある特徴を評価する場合に,その人についての一般的印象やその人のもつ他の特徴によって,その評価が影響を受けやすい傾向をさす.たとえば,ノーベル賞を受賞した自然科学者の専門外の分野における社会的発言が権威をもって受入れられること.
「英語には力がある」というときの「力」とは,英語に内在する力ではなく,あくまで人々が外側から英語に付与している力である.そこには人々の尊敬,憧れ,羨望,期待などがこめられている.英語自身が後光を発しているというよりは,人々がそこに後光を見ている,と表現するほうが適切だろう.人々は英語の後光効果 (halo effect) にかかっているのである.
・ 山本 冴里(編) 『複数の言語で生きて死ぬ』 くろしお出版,2022年.
Cordorelli (5) によると,直近30年ほどの英語綴字に関する歴史的な研究は,広い意味で "sociolinguistic" なものだったと総括されている.念頭に置いている中心的な時代は,後期中英語から初期近代英語にかけてだろうと思われる.以下に引用する.
The first studies to investigate orthographic developments in English within a diachronic sociolinguistic framework appeared especially from the late 1990s and the early 2000s . . . . The main focus of these studies was on the diffusion of early standard spelling practices in late fifteenth-century correspondence, the development of standard spelling practices, and the influence of authors' age, gender, style, social status and social networks on orthographic variation. Over the past few decades, book-length contributions with a relatively strong sociolinguistic stance were also published . . . . These titles have touched upon different aspects of spelling patterns and change, providing useful frameworks of analysis and ideas for new angles of research in English orthography.
一言でいえば,綴字の標準化 (standardisation) の過程は,一本線で描かれるようなものではなく,常に社会的なパラメータによる変異を伴いながら,複線的に進行してきたということだ.そして,このことが30年ほどの研究で繰り返し確認されてきた,ということになろう.
英語史において言語現象が変異を伴って複線的に推移してきたことは,何も綴字に限ったことではない.ここ数十年の英語史研究では,発音,形態,統語,語彙のすべての側面において,同趣旨のことが繰り返し主張されてきた.学界ではこのコンセンサスがしっかりと形成され,ほぼ完全に定着してきたといってよいが,学界外の一般の社会には「一本線の英語史」という見方はまだ根強く残っているだろう.英語史研究者には,この新しい英語史観を広く一般に示し伝えていく義務があると考える.
過去30年ほどの英語歴史綴字研究を振り返ってみたが,では今後はどのように展開していくのだろうか.Cordorelli はコンピュータを用いた量的研究の新たな手法を提示している.1つの方向性として注目すべき試みだと思う.
・ Cordorelli, Marco. Standardising English Spelling: The Role of Printing in Sixteenth and Seventeenth-Century Graphemic Developments. Cambridge: CUP, 2022.
先日,言語学の立場から商標 (trademark) を研究している目白大学の五所万実さんと Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」で対談しました.その様子は,昨日公開したアーカイヴ放送としてお聴きいただけます.「#667. 五所万実さんとの対談 --- 商標言語学とは何か?」です.
この hellog としては先日前振りのように「#5078. 法言語学 (forensic linguistics)」 ([2023-03-23-1]),「#5079. 商標 (trademark) の言語学的な扱いは難しい」 ([2023-03-24-1]) で関連する話題を取り上げ,その上で今回の対談に臨んだという次第です.
今回は対談のパート1ということで,五所さん自身のご紹介,商標の社会における存在感,商標は固有名詞なのかそうでないのか,商標は英語で何というのか,といった導入的な話題となりました.そして,最後は「商標と著作権の違いは何?」という宿題で締めることになりました.今後,パート2,パート3と続いていき,商標についての議論がどんどん深まっていきますので,どうぞ楽しみにしていてください.
五所さんには,先週より YouTube 「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」にもご出演いただいています.そこでも商標言語学 (trademark linguistics) に関連する話題に言及していますので,ぜひご視聴ください.YouTube でもすでに2回分が公開されていますが,来週水曜日に第3回が公開される予定です.
・ 「#112. 商標の言語学 --- 五所万実さん登場」(3月22日公開)
・ 「#114. マスクしていること・していないこと・してきたことは何を意味するか --- マスクの社会的意味 --- 五所万実さんの授業」(3月29日公開)
皆さんもこれを機に商標という身近な対象を言語学的に考えてみませんか? 固有名詞学 (onomastics) や言語と権力の問題とも接点がありますし,意味変化 (semantics) とも関連が深いので十分に英語史マターとなり得る領域です.
先日,言語学の立場から商標 (trademark) を研究している目白大学の五所万実さんと Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」で対談しました.その様子は,昨日公開したアーカイヴ放送としてお聴きいただけます.「#667. 五所万実さんとの対談 --- 商標言語学とは何か?」です.
この hellog としては先日前振りのように「#5078. 法言語学 (forensic linguistics)」 ([2023-03-23-1]),「#5079. 商標 (trademark) の言語学的な扱いは難しい」 ([2023-03-24-1]) で関連する話題を取り上げ,その上で今回の対談に臨んだという次第です.
今回は対談のパート1ということで,五所さん自身のご紹介,商標の社会における存在感,商標は固有名詞なのかそうでないのか,商標は英語で何というのか,といった導入的な話題となりました.そして,最後は「商標と著作権の違いは何?」という宿題で締めることになりました.今後,パート2,パート3と続いていき,商標についての議論がどんどん深まっていきますので,どうぞ楽しみにしていてください.
五所さんには,先週より YouTube 「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」にもご出演いただいています.そこでも商標言語学 (trademark linguistics) に関連する話題に言及していますので,ぜひご視聴ください.YouTube でもすでに2回分が公開されていますが,来週水曜日に第3回が公開される予定です.
・ 「#112. 商標の言語学 --- 五所万実さん登場」(3月22日公開)
・ 「#114. マスクしていること・していないこと・してきたことは何を意味するか --- マスクの社会的意味 --- 五所万実さんの授業」(3月29日公開)
皆さんもこれを機に商標という身近な対象を言語学的に考えてみませんか? 固有名詞学 (onomastics) や言語と権力の問題とも接点がありますし,意味変化 (semantics) とも関連が深いので十分に英語史マターとなり得る領域です.
応用言語学の1分野として法言語学 (forensic linguistics) があります.昨日の朝の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」で「#660. 「法言語学」 (forensic linguistics) とは?」として紹介しました.さらに夜の YouTube 「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」で「#112. 商標の言語学 --- 五所万実さん登場」として,関連する話題について井上氏および五所氏と雑談しています.ぜひ聴取・視聴していただければ.
いくつかの用語辞典で "forensic (socio)linguistics" を引いてみました.以下,3点ほど引用します.同分野の守備範囲がおおよそ分かってくるかと思います.
forensic linguistics In Linguistics, the use of linguistic techniques to investigate crimes in which language data forms part of the evidence, such as in the use of grammatical or lexical criteria to authenticate police statements. The field of forensic phonetics is often distinguished as a separate domain, dealing with such matters as speaker identification, voice line-ups, speaker profiling, tape enhancement, tape authentification, and the decoding of disputed utterances. (Crystal, Dictionary)
forensic sociolinguistics The use of sociolinguistic knowledge and techniques in the investigation of crime, and in the prosecution and defence of people accused of crimes. Sociolinguists have been employed, for instance, to demonstrate that a defendant could not have made a telephone call recorded by police because his dialect did not tally with that on the recording; and to decode recordings of communication between criminal speaking in an antilanguage such as Pig Latin. (Trudgill)
FORENSIC LINGUISTICS
Most stylostatistical studies are of literary works; but the same techniques can be applied to any spoken or written sample, regardless of the 'standing' of the user. In everyday life, of course, there is usually no reason to carry out a stylistic analysis of someone's usage. But when someone is alleged to have broken the law, stylisticians might well be involved, in an application of their subject sometimes referred to as 'forensic' linguistics.
Typical situations involve the prosecution arguing that incriminating utterances heard on a tape recording have the same stylistic features as those used by the defendant---or, conversely, the defence arguing that the differences are too great to support this contention. A common defence strategy is to maintain that the official statement to the police, written down and used in evidence, is a misrepresentation, containing language that would not be part of the defendant's normal usage.
Arguments based on stylistic evidence are usually very weak, because the sample size is small, and the linguistic features examined are often not very discriminating. (Crystal, Encyclopedia)
・ Crystal, David, ed. A Dictionary of Linguistics and Phonetics. 6th ed. Malden, MA: Blackwell, 2008. 295--96.
・ Trudgill, Peter. A Glossary of Sociolinguistics. Oxford: Oxford University Press, 2003.
・ Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of Language. Cambridge: CUP, 1995. 2nd ed. 2003. 3rd ed. 2019.
今週の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」にて,「#624. 「沈黙」の言語学」と「#627. 「沈黙」の民族誌学」の2回にわたって沈黙 (silence) について言語学的に考えてみました.
hellog としては,次の記事が関係します.まとめて読みたい方はこちらよりどうぞ.
・ 「#1911. 黙説」 ([2014-07-21-1])
・ 「#1910. 休止」 ([2014-07-20-1])
・ 「#1633. おしゃべりと沈黙の民族誌学」 ([2013-10-16-1])
・ 「#1644. おしゃべりと沈黙の民族誌学 (2)」 ([2013-10-27-1])
・ 「#1646. 発話行為の比較文化」 ([2013-10-29-1])
heldio のコメント欄に,リスナーさんより有益なコメントが多く届きました(ありがとうございます!).私からのコメントバックのなかで deafening silence 「耳をつんざくような沈黙」という,どこかで聞き覚えたのあった英語表現に触れました.撞着語法 (oxymoron) の1つですが,英語ではよく知られているものの1つのようです.
私も詳しく知らなかったので調べてみました.OED によると,deafening, adj. の語義1bに次のように挙げられています.1968年に初出の新しい共起表現 (collocation) のようです.
b. deafening silence n. a silence heavy with significance; spec. a conspicuous failure to respond to or comment on a matter.
1968 Sci. News 93 328/3 (heading) Deafening silence; deadly words.
1976 Survey Spring 195 The so-called mass media made public only these voices of support. There was a deafening silence about protests and about critical voices.
1985 Times 28 Aug. 5/1 Conservative and Labour MPs have complained of a 'deafening silence' over the affair.
例文から推し量ると,deafening silence は政治・ジャーナリズム用語として始まったといってよさそうです.
関連して想起される silent majority は初出は1786年と早めですが,やはり政治的文脈で用いられています.
1786 J. Andrews Hist. War with Amer. III. xxxii. 39 Neither the speech nor the motion produced any reply..and the motion [was] rejected by a silent majority of two hundred and fifty-nine.
最近の中国でのサイレントな白紙抗議デモも記憶に新しいところです.silence (沈黙)が政治の言語と強く結びついているというのは非常に示唆的ですね.そして,その観点から改めて deafening silence という表現を評価すると,政治的な匂いがプンプンします.
oxymoron については.heldio より「#392. "familiar stranger" は撞着語法 (oxymoron)」もぜひお聴きください.
「#5036. 語用論の3つの柱 --- 『語用論の基礎を理解する 改訂版』より」 ([2023-02-09-1]) で紹介した Gunter Senft (著),石崎 雅人・野呂 幾久子(訳)『語用論の基礎を理解する 改訂版』(開拓社,2022年)の序章では,語用論 (pragmatics) が学際的な分野であることが強調されている (4--5) .
このことは,語用論が「社会言語学や何々言語学」だけでなく,言語学のその他の伝統的な下位分野にとって,ヤン=オラ・オーストマン (Jan-Ola Östman) (1988: 28) が言うところの,「包括的な」機能を果たしていることを暗に意味する.Mey (1994: 3268) が述べているように,「語用論の研究課題はもっぱら意味論,統語論,音韻論の分野に限定されるというわけではない.語用論は…厳密に境界が区切られている研究領域というよりは,互いに関係する問題の集まりを定義する」.語用論は,彼らの状況,行動,文化,社会,政治の文脈に埋め込まれた言語使用者の視点から,特定の研究課題や関心に応じて様々な種類の方法論や学際的なアプローチを使い,言語とその有意味な使用について研究する学問である.
学際性の問題により我々は,1970年代が言語学において「語用論的転回」がなされた10年間であったという主張に戻ることになる.〔中略〕この学問分野の核となる諸領域を考えてみると,言語語用論は哲学,心理学,動物行動学,エスノグラフィー,社会学,政治学などの他の学問分野と関連を持つとともにそれらの学問分野にその先駆的形態があることに気づく.
本書では,語用論が言語学の中における本質的に学際的な分野であるだけでなく,社会的行動への基本的な関心を共有する人文科学の中にあるかなり広範囲の様々な分野を結びつけ,それらと相互に影響し合う「分野横断的な学問」であることが示されるであろう.この関心が「語用論の根幹は社会的行動としての言語の記述である」 (Clift et al. 2009: 509) という確信を基礎とした本書のライトモチーフの1つを構成する.
6つの隣接分野の名前が繰り返し挙げられているが,実際のところ各分野が本書の章立てに反映されている.
・ 第1章 語用論と哲学 --- われわれは言語を使用するとき,何を行い,実際に何を意味するのか(言語行為論と会話の含みの理論) ---
・ 第2章 語用論と心理学 --- 直示指示とジェスチャー ---
・ 第3章 語用論と人間行動学 --- コミュニケーション行動の生物学的基盤 ---
・ 第4章 語用論とエスノグラフィー --- 言語,文化,認知のインターフェース ---
・ 第5章 語用論と社会学 --- 日常における社会的相互行為 ---
・ 第6章 語用論と政治 --- 言語,社会階級,人種と教育,言語イデオロギー ---
言語学的語用論をもっと狭く捉える学派もあるが,著者 Senft が目指すその射程は目が回ってしまうほどに広い.
・ Senft, Gunter (著),石崎 雅人・野呂 幾久子(訳) 『語用論の基礎を理解する 改訂版』 開拓社,2022年.
昨日の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」 では,khelf(慶應英語史フォーラム)の大学院生メンバー3名とともに「#600. 『ジーニアス英和辞典』の版比較 --- 英語とジェンダーの現代史」をお届けしました.ジェンダーとコロナ禍に関するキーワードについて『ジーニアス英和辞典』の初版から最新の第6版までを引き比べ,英語史を専攻する4人があれやこれやとおしゃべりしています.意外な発見が相次いで,盛り上がる回となりました.30分ほどの長さです.ぜい時間のあるときにお聴きいただければと思います.Voicy のコメント機能により,ご感想などもお寄せいただけますと嬉しいです.
今回比較した『ジーニアス英和辞典』の6つの版の出版年をまとめておきます.5--8年刻みで,おおよそ定期的に出版されており,1つのシリーズ辞典で英語の記述を通時的に追いかけることが可能となっています.
版 | 出版年 |
---|---|
G1 | 1987年 |
G2 | 1993年 |
G3 | 2001年 |
G4 | 2006年 |
G5 | 2014年 |
G6 | 2022年 |
「#4952. 言語における威信 (prestige) とは?」 ([2022-11-17-1]) と「#4953. 言語における傷痕 (stigma) とは?」 ([2022-11-18-1]) で,言語における正と負の威信 (prestige) の話題を導入した.いずれも言語変化の入り口になり得るものであり,英語史を考える上でも鍵となる概念・用語である.
話者(集団)は,ある言語項目に付与されている正負の威信を感じ取り,意識的あるいは無意識的に,自らの言語行動を選択している.つまり,正の威信に近づこうとしたり,負の威信から距離を置こうとすることで,自らの社会における立ち位置を有利にしようと行動しているのである.その結果として言語変化が生じるケースがある.このようにして生じる言語変化は,話者が意識的に言語行動を選択している場合には change from above と呼ばれ,無意識の場合には change from below と呼ばれる.意識の「上から」の変化なのか,「下から」の変化なのか,ということである.
「上から」の変化は社会階層の上の集団と結びつけられる言語特徴を志向することがあり,反対に「下から」の変化は社会階層の下の集団の言語特徴を志向することがある.つまり,意識の「上下」と社会階層の「上下」は連動することも多い.しかし,Labov によって導入されたオリジナルの "change from above" と "change from below" は,あくまで話者の意識の上か下かという点に注目した概念・用語であることを強調しておきたい.
Trudgill の用語辞典より,それぞれを引用する.
change from above In terminology introduced by William Labov, linguistic changes which take place in a community above the level of conscious awareness, that is, when speakers have some awareness that they are making these changes. Very often, changes from above are made as a result of the influence of prestigious dialects with which the community is in contact, and the consequent stigmatisation of local dialect features. Changes from above therefore typically occur in the first instance in more closely monitored styles, and thus lead to style stratification. It is important to realise, however, that 'above' in this context does not refer to social class or status. It is not necessarily the case that such changes take place 'from above' socially. Change from above as a process is opposed by Labov to change from below.
change from below In terminology introduced by William Labov, linguistic changes which take place in a community below the level of conscious awareness, that is, when speakers are not consciously aware, unlike with changes from above, that such changes are taking place. Changes from below usually begin in one particular social class group, and thus lead to class stratification. While this particular social class group is very often not the highest class group in a society, it should be noted that change from below does not means change 'from below' in any social sense.
・ Trudgill, Peter. A Glossary of Sociolinguistics. Oxford: Oxford University Press, 2003.
昨日の記事「#4952. 言語における威信 (prestige) とは?」 ([2022-11-17-1]) に続いて,prestige の反対概念となる stigma について.良い訳がないのでとりあえず「傷痕」としているが「スティグマ」と呼んでおくのがよいのかもしれない.負の威信のことである.
昨日 prestige の解説のために参照・引用した A Glossary of Historical Linguistics であれば,当然ながら stigma も見出し語として立てられているだろうと踏んでいた.ところが,確かに stigma, stigmatization として見出しは立っているのだが,そこから covert prestige, overt prestige, prestige の項目に飛ばされ,そこに行ってみると stigma も stigmatization も触れられていないという始末.要するに,負の威信であることを匂わせたいのだろうが,積極的に言及していないのである.
別に調べた A Glossary of Sociolinguistics には stigmatisation の見出しが立っていた.こちらを引用しよう.
stigmatisation Negative evaluation of linguistic forms. Work carried out in secular linguistics has shown that a linguistic change occurring in one of the lower sociolects in a speech community will often be negatively evaluated, because of its lack of association with higher status groups in the community, and the form resulting from the change will therefore come to be regarded as 'bad' or 'not correct'. Stigmatisation may subsequently lead to change from above, and the development of the form into a marker and possibly, eventually, into a stereotype.
ある言語項目に stigma が付され,それが言語共同体に広く知られるようになると,人々はその使用を意識的に避けるようになり,それを使い続けている人や集団を蔑視するようになる.いわば方言差別や言語蔑視の入り口になり得るものが stigma であり,stigma が付され認知されていく過程が stigmatisation ということになる.
・ Campbell, Lyle and Mauricio J. Mixco, eds. A Glossary of Historical Linguistics. Salt Lake City: U of Utah P, 2007.
・ Trudgill, Peter. A Glossary of Sociolinguistics. Oxford: Oxford University Press, 2003.
社会言語学のキーワードである威信 (prestige) については,hellog でもタグとして設定しており,当たり前のように用いてきたが,改めて定義を確認してみようと思い立った.私は日常的には「エラさ」「カッコよさ」と超訳しているのだが,念のために正式な定義が欲しいと思った次第.
ところが,手元の社会言語学系の用語集などを漁り始めたところ,意外と見出しが立っていない.数分かかって,最初に引っかかったのが Lyle and Mixco の歴史言語学の用語集だった.数分を犠牲にした後のありがたみがあるので,こちらを一字一句引用することにしよう (155--56) .
prestige In sociolinguistics, the positive value judgment or high status accorded certain languages, certain varieties and certain variables favored over other less prestigious languages, varieties or variables. The prestige accorded linguistic variables is a factor that often leads to linguistic change. The prestige of a language can lead speakers of other languages to take loanwords from it or to adopt the language outright in language shift. Overt prestige is the most common; it is the positive or high value attributed to variables, varieties and languages typically widely recognized as prestigious among the speakers of a language. The prestige varieties and variables are usually those recognized as belonging to the standard language or that are used by highly educated or influential people. Covert prestige refers to the positive evaluation given to non-standard, low-status or 'incorrect' forms of speech by some speakers, a hidden or unacknowledged prestige for non-standard variables that leads speakers to continue using them and sometimes causes such forms to spread to other speakers.
なるほど,prestige とは,言語変種 (variety) についていわれる場合と,言語変項 (variable) についていわれる場合があるというのは,確かにそうだ.言語変種についていわれる prestige はマクロ的な概念であり,言語交替 (language_shift) や語彙借用の方向性に関与する.一方,言語変項についていわれる prestige はミクロ的であり,個々の言語変化の原動力となり得る要因である.この2つは概念上区別しておく必要があるだろう.
考えてみれば prestige という語自体が,フランス語風に /prɛsˈtiːʒ/ と発音され,prestigious な響きがある.実際,フランス語 prestige を借りたもので,このフランス単語自体はラテン語の praest(r)īgia(illusion) に由来する.語自体の英語での初出は,17世紀の辞書編纂家 T. Blount が Glossographia で,そこでの語義は「威信」ではなく原義の「錯覚」である ("deceits, impostures, delusions, cousening tricks") .「威信」という語義で最初に用いられたのは,ずっと遅く1829年のことである.
prestige のもとであるラテン単語の原義は物理的に「強い締め付け」ほどであり,そこから認知的・精神的な「幻惑;錯覚」を経て,最後に「威信」となった.拘束的で抑圧的な力を想起させる意味変化といってよく,この経緯自体が意味深長である.
・ Campbell, Lyle and Mauricio J. Mixco, eds. A Glossary of Historical Linguistics. Salt Lake City: U of Utah P, 2007.
昨晩 YouTube の第69が公開されました.「時代とメディアで変わる社交的会話(Phatic communion,交話的コミュニケーション)」です.
今回は phatic_communion についてです.交話的(交感的,社交的,儀礼的)言語使用などと訳されますが,様々にある言語の機能 (function_of_language) の1つです.日々の挨拶からスモールトーク,井戸端会議から恋人同士の会話まで,情報交換そのものが主たる目的なのではなく,言葉を交わすことそれ自体が目的となるような言語使用というものがあります.そのような場面では,言葉の中身はさほど重要でなく,言葉を交わすという行為そのものが社会関係構築のために重要なわけです.
McArthur の英語学用語辞典より定義と説明を引用します.
PHATIC COMMUNION [1923: from Greek phatós spoken: coined by the Polish anthropologist Bronislaw Malinowski]. Language used more for the purpose of establishing an atmosphere or maintaining social contact than for exchanging information or ideas: in speech, informal comments on the weather (Nice day again, isn't it?) or an enquiry about health at the beginning of a conversation or when passing someone in the street (How's it going? Leg better?); in writing, the conventions for opening or closing a letter (All the best, Yours faithfully), some of which are formally taught in school. . .
言語の機能といえば情報伝達,と思い込んでいる多いと思いますが,それだけではありません.phatic communion のように,たとえ情報量がゼロに近くとも,それでも言葉を交わすというシーンは日常にあふれています.言語のこの機能に気づいておくことは,英語学習においてもとても大事です.なぜならば,大半の英語学習者は,世界の人々と情報交換するため「だけ」に英語を学んでいると信じ込んでしまっているからです.しかし,それでは言語(英語)の機能をあまりに狭く見てしまっていることになります.言葉の役割をもっと広くとらえてみませんか?
phatic communion に関連する話題は多様です.たとえば以下の記事をご覧ください.
・ 「#523. 言語の機能と言語の変化」 ([2010-10-02-1])
・ 「#1071. Jakobson による言語の6つの機能」 ([2012-04-02-1])
・ 「#1559. 出会いと別れの挨拶」 ([2013-08-03-1])
・ 「#1564. face」 ([2013-08-08-1])
・ 「#1771. 言語の本質的な機能の1つとしての phatic communion」 ([2014-03-03-1])
・ 「#2003. アボリジニーとウォロフのおしゃべりの慣習」 ([2014-10-21-1])
・ 「#2700. 暗号によるコミュニケーションの特性」 ([2016-09-17-1])
・ 「#2818. うわさの機能」 ([2017-01-13-1])
・ McArthur, Tom, ed. The Oxford Companion to the English Language. Oxford: OUP, 1992.
「英語に関する不平不満の伝統」 (complaint_tradition) は,英語のお家芸ともいえる.hellog でも「#3239. 英語に関する不平不満の伝統」 ([2018-03-10-1]),「#4596. 「英語に関する不平不満の伝統」の歴史的変化」 ([2021-11-26-1]) などでこの伝統について考えてきた.英米では語法の正用・誤用への関心が一般に高く,「#301. 誤用とされる英語の語法 Top 10」 ([2010-02-22-1]) のような議論がよく受ける.間違えたところでコミュニケーション上の障害にはならない,取るに足りない語法がほとんどなのだが,このような小さな点にこだわる「文化」が育まれてきたといってよい.
Horobin は著書の最終章 "Why Do We Care?" にて,この「文化」の背景を探っている.論点はいくつかあるが,大きく3点あるように読める.
(1) 英語話者は,自身が英語の不条理と長年付き合ってきた結果,英語を使いこなせるに至ったという経験をもつため,いまさら語法の正用・誤用について中立的な視点をもつことができない.Horobin (153) の言葉を引けば,次の通り.
. . . as users of English, it is impossible for us to take an external stance from which to observe current usage. As we have all had to acquire the English language, negotiating its grammatical niceties, its fiendishly tricky spellings, and its unusual pronunciations, it is impossible for us to adopt a neutral position from which to observe debates concerning correct usage.
単純化していってしまえば「私はこんなにヘンテコな語法ばかりの英語を頑張って習得してきた.だから,他の皆にも同じ苦労を味わってもらわなければ不公平だ」という気持ちに近い.
(2) 語法に関する本,「良い文法」に関する本は市場価値があり,よく売れる.現代はあらゆるものの変化が早く,言葉に関して頼りになる不変の支柱があれば,人々は安心するものである.Horobin (155) 曰く,
Much of the success of style guides may be credited to society's tacit acceptance that there are rights and wrongs in all aspects of usage, and a desire to be saved from embarrassment. Rather than question the grounds for the prescription, we turn to usage pundits as we once turned to our schoolteachers, in search of guidance and certitude. In a fast-changing and uncertain world, there is something reassuring about knowing that the values of our schooldays continue to be upheld, and that the correct placement of an apostrophe still matters.
(3) ラテン語文法への信奉.ラテン語は屈折の豊富な「立派な」言語であり,文法も綴字も約2千年のあいだ不変だった.それに対して,英語は屈折を失った「堕落した」言語であり,文法も綴字もカオスである.英語もラテン語のような不変で盤石の言語的基盤をもつべきである,という言語観.Horobin (162--63) の解説を引こう.
Since Latin had not been a living language (one with native speakers) for centuries, it existed in a fixed form; by contrast, English was unstable and in decline. This view of Latin as a unified and fixed entity perseveres today, encouraged by the way modern textbooks present a single variety (usually that of Cicero), suppressing the wide variation attested in original Latin writings. Since the eighteenth century, efforts to outlaw variation and to introduce greater fixity in English have been driven by a desire to emulate the model of this prestigious classical forebear.
3点目については,言語変化を「堕落」と捉える見方と関連する.これについては「#432. 言語変化に対する三つの考え方」 ([2010-07-03-1]),「#2543. 言語変化に対する三つの考え方 (2)」 ([2016-04-13-1]),「#2544. 言語変化に対する三つの考え方 (3)」 ([2016-04-14-1]) を参照.「英語に関する不平不満の伝統」を支える言語観は,18世紀の規範主義の時代から,ほとんど変わっていないようだ.
・ Horobin, Simon. How English Became English: A Short History of a Global Language. Oxford: OUP, 2016.
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