「母語」という用語を巡る問題について「#1537. 「母語」にまつわる3つの問題」 ([2013-07-12-1]),「#1926. 日本人≠日本語母語話者」 ([2014-08-05-1]),「#2603. 「母語」の問題,再び」 ([2016-06-12-1]) の記事で考えてきた.「母語」と「母国語」とは本質的に異なる概念である.「母語」 (one's mother tongue) とは,個人が最初に習得し,自らの日常的な使用言語であるとみなしている言語のことであり,きわめて私的なものである.一方,「母国語」 (one's national language) とは「母国」である国家が公的に採用している言語を指し,定義上,公的なものである.それぞれの用語の前提にある態度が正反対であることに注意したい.
典型的な日本に生まれ育った日本人の場合,ほとんどのケースで「母語=母国語=日本語」の等式が成り立つだろう.したがって,日常の言説では,いちいち「母語」と「母国語」の用語を使い分ける必要性がほとんど感じられず,たいてい「母国語」で用を足している人が多いのではないか.しかし,古今東西,このような等式が成立しないケースは珍しくないどころか,普通といってよい.世界を見渡せば,多くの人々にとって「母語≠母国語」という状況がある.
母語と母国語のねじれた関係が,およそ国家単位で見られるという興味深い例が,昨日の記事「#2803. アイルランド語の話者人口と使用地域」 ([2016-12-29-1]) でも取り上げたアイルランドに見られる.嶋田著『英語という選択 アイルランドの今』を読むまで知らなかったのだが,アイルランド人は,アイルランド語を流ちょうに使えずとも,ときにその言語を「私たちの母国語」ではなく「私たちの母語」と表現することがあるという.ここには上に述べた用語の混乱という問題が含まれているが,むしろ,人々がこの用語のもつ曖昧さに訴えて,アイルランド語に対する自らの思いの丈を表明しているのだと解釈するほうが妥当だろう.つまり,「私たちの母なることば」というニュアンスに近い意味で「私たちの母語」と呼んでいるのだと.
嶋田 (25--26) は,1999年に行なったアンケート調査の自由記述欄から,アイルランド語を言い表す表現を集めた.
・ our true language
・ our national tongue
・ our native language
・ our native tongue
・ our own language
・ OUR language
・ our mother tongue
・ our original native language
口から発せられている言葉と口から発せられるべきと信じている言葉が異なっているというチグハグ感.用語遣いにみる「ねじれ現象」を前に,何とも表現しがたいが,悲哀を禁じ得ない.
・ 嶋田 珠巳 『英語という選択 アイルランドの今』 岩波書店,2016年.
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