[2011-10-27-1]の記事「#913. BNC による語彙の男女差の調査」に関連して,Hirschman による標題の問題を扱った会話分析の古典的研究を紹介したい.
この研究の元となった会話の調査と分析は,1973年の Linguistic Society of America の年次大会で特別セッションにて口頭発表された.その後,発表原稿は半ば行方不明となっていたが,Hirschman の研究は同種の研究の先駆けとして評価されるようになり,いわば口づてにより研究者の間で有名になっていった.皆が Hirschman の研究に言及するようになったものの,その原稿に目を通した者はほとんどいないという幻の研究となっていたのである(Hirschman 自身はその後コンピュータ言語学の分野へと進み,社会言語学の分野から離れたために,自らの研究が同分野で古典的な研究となっていることに気づかずにいたという).ところが,性と言語の分野の研究者 Deborah Tannen が,ある偶然から Hirschman と連絡を取るに至った.そして,最初の発表から20年以上の歳月を経て,古典的研究が正式に論文として Language in Society 誌上に印刷されたのである.
さて,Hirschman の研究は男女各2人,計4人の学生による対話に基づくものである.異なる組み合わせの1対1の対話をそれぞれ10分ずつ録音し,それを転記したものに量的な分析を施した(当時からコンピュータ言語学者であった Hirschman も,当時の環境ではすべて手作業で分析せざるを得なかったという点が時代を感じさせる).4人のみを対象とした各10分ほどの対話の記録であるから,得られるコーパスの量は不十分であり,そこから引き出された分析結果も仮説的なものとならざるを得ない.しかし,Hirschman のすぐれた調査の手法は後の同種の調査のお手本となり,提起された仮説も広く注目を浴びることになった.
Hirschman の主な分析結果をまとめれば次のようになる.
・ 女性どうしの対話では,対話に与えられた時間の95%が実際に対話に費やされたが,男性どうしの対話では76%しか費やされなかった.また,女性の参加する対話では,女性の参加しない(男性どうしの)対話より多くの時間が対話に費やされた.
・ um, uh, ah, like, well, you know, I mean などの "filler" は,男性よりも女性のほうがずっと多く使用した.しかし,女性でも,男女の対話に比べて女性どうしの対話では filler の頻度は低かった.
・ 女性は男性よりも we, you, I を多く用い,she/he, they, someone, person/people を少なく用いた.これは,女性は個人的な経験や感情を語り,男性は物事を抽象的に語るという主観的な印象と合致する.
・ yeah, ok, right, all right などの肯定的応答は同性どうしの対話に,より多かった.肯定的応答の値は,最もよく話す女性が最高値を示し,最もよく話す男性が最低値を示した.すなわち,ここには男女差が反映されている可能性がある.
・ mm hmm の相槌はほぼ女性に限定して用いられた.
・ 対話の遮断は女性どうしの対話において遥かに多く見られた.
・ 女性は相手の議論に同調して対話を進展させる傾向,あるいは相手に質問をして対話を進展させる傾向が見られたが,男性は議論をする傾向が見られた.
以上は,全体として "the role of the female as facilitator of the conversation" (438) を示唆するように思えるが,Hirschman はあくまで冷静に事実を示し,突っ込んだ読み込みはしていない.この辺りの控えめさが,名論とされる所以なのかもしれない.
・ Hirschman, Lynette. "Female-Male Differences in Conversational Interaction." Language in Society 23 (1994): 427--42.
20世紀の後半には,社会言語学の分野でいくつかの画期的なフィールドワークが実施され,言語変化の実態(誰が,いつ,どこで,どのように,そしてなぜ言語変化を開始するのか)が少しずつ明らかにされてきた.[2010-06-07-1]の記事「#406. Labov の New York City /r/」で紹介した研究はそのうちの1つだが,別の進取的な研究を紹介したい.昨日の記事「#881. 古ノルド語要素を南下させた人々」 ([2011-09-25-1]) で引き合いに出した Milroy (and Milroy) の研究である.Aitchison (73--77) による同研究の要約を参照しつつ,以下で紹介する.
Milroy (and Milroy) は,北アイルランドの Belfast 市街地社会で生じている音声変化を実地調査した.いくつかの母音変化が生じているが,そのなかに grass や bad に含まれる母音 /ɑ/ が後舌化して /ɔː/ へと変化しているというものがある.あたかも <grawss> や <bawd> と綴られるかのような発音となる変化だ.この母音変化は19世紀後半より記録されており,決して新しくないが,その進行過程には謎があった.Belfast 市街地社会で一律に生じているわけではなく,分布に偏りが見られるというのである.
分布の偏りについて見る前に,Belfast 市街地の社会的背景を理解しておく必要がある.Belfast 市街地は貧しく,荒廃しており,失業,早死,病気,少年犯罪が蔓延するスラム街だったが,そのなかでプロテスタントとカトリックの対立が際立っていた.両集団は市内で住み分けしており,互いに言語的接触はおろか物理的接触もあまりなく,たまの接触は一触即発の危険をはらんでいた.
さて,問題の実地調査は,市街地東部のプロテスタント系の町 Ballymacarrett と市街地西部のカトリック系の町 the Clonard で行なわれた.その結果,当該の母音変化は Ballymacarrett の男性住民に顕著に観察されることが分かった.Ballymacarrett の男性住民は就業率が the Clonard よりも高く,ある種の社会的地位を有しているのが特徴的である.彼らは社会的つながりによって互いに強く結びつけられており,その集団力によって Belfast 市街地における母音後舌化の推進力となっていると考えられる.だが,Ballymacarrett の女性については,この母音変化は男性ほど浸透していない.あくまで男性集団が主導している変化であることが分かる.一般に,非標準的な方向への言語変化は男性に多く見られることが多いとされるが,その傾向がよく示されている.
ところが,興味深いことに市街地西部のカトリック系の町 the Clonard においては,同じ母音変化が,若年層において男性よりも女性に多く観察されるというのである.ここに2つの謎がある.1つは,Ballymacarrett では,当該の母音変化は非標準的な方向への変化であることから予測される通り男性主導の革新だったが,the Clonard では若い女性が主導しているように見えることである.もう1つは,そもそも両集団のあいだにほとんど社会的な接触はないはずなのに,なぜ言語変化が伝播しうるのかという問題である( Ballymacarrett から the Clonard へと伝播していることは確からしい).
この問題を解く鍵は,Ballymacarrett の男性と the Clonard の若い女性とのあいだに何らかの接触があるに違いないという点である.しかし,社会状況を考えれば,それほどロマンチックな話しがありそうには思えない.だが,あまりロマンチックではないところであれば,接触の機会はある.それは,町の中心にある店だった.the Clonard の若い女性は若い男性よりも就業率が高く,両集団が共通して利用する町の中心の店に店員として雇われているケースがある.彼女らは,Ballymacarrett からの男性客に応対する際に,彼らの発音の癖である後舌化した /ɔː/ を獲得したのではないか.店員が客層に合わせて言葉遣いを替える "shop-assistant phenomenon" は,社会言語学では accommodation の一種として知られており,[2010-06-07-1]の Labov の研究でも確認されている通りである.この小さな,しかし日常的な接触により,Ballymacarrett 発の母音変化が若い女性店員を経由して the Clonard へと伝播しているのではないか.
母音変化の分布の謎を鮮やかに解き明かした Milroy (and Milroy) の実地調査は,後に言語変化の社会的ネットワーク理論へと発展する.これまで目に見えなかった言語変化の伝播の現場を,点として捉えることを可能にした画期的な研究である.
参考までに,Aitchison (75) で要約されている後舌母音の頻度指数の内訳を示そう.4.0が最高値である.
Men | Women | Men | Women | |
Aged 40--55 | 40--55 | 18--25 | 18--25 | |
East Belfast | 3.6 | 2.6 | 3.4 | 2.1 |
West Belfast | 2.8 | 1.8 | 2.3 | 2.6 |
BBC のキャスターで,著述家としても知られる Melvyn Bragg の書いた一般向けの英語史の本がある.BBC Radio 4 で2000--2001年に放送された25回にわたる The Routes of English のシリーズ番組を担当した経験をもとに,今度は2003年に ITV の8回にわたるテレビシリーズ番組として The Adventure of English を制作した,その際の台本とも言える本である.アマチュア教養人の視点から自らの母語の歴史を熱く語った本で,英語を礼賛するロマンチストとしての評もあるが(そして私もその評に賛成するが),英語史の専門家ではないがゆえの縛りからの解放と想像力の発露が随所に見られ,確かな文章力と相俟って,読者の心をつかむ本となっている.議論したい箇所を取り出せばきりがないのだが,それでもイギリスの教養人とはかくあるものかと思わせる筆致ではある.
Bragg の歴史についての知識と発想の豊かさは,例えば,次のようなくだりに表われている.878年,King Alfred がデーン人を打ち負かした際に締結されたウェドモア条約 (Treaty of Wedmore) に基づいて,イングランドはアングロサクソン領とデーン領に二分された([2011-07-24-1]の記事「#818. イングランドに残る古ノルド語地名」を参照).その後の両地域の国境を越えた交流について,Bragg (19) はこう述べている
. . . he [King Alfred] drew a line diagonally across the country from the Thames to the old Roman road of Watling Street. The land to the north and east would be known as the Danelaw and would be under Danish rule. The land to the south and west would be under West Saxon, becoming the core of the new England. This was no cosmetic exercise. No one was allowed to cross the line, save for one purpose --- trade. This act of commercial realism would more radically change the structure of the English language than anything before or since. Trade refined the language and made it more flexible.
古ノルド語との接触が及ぼした英語への影響,古ノルド語の英語史上の意義については,[2009-06-26-1]の記事「#59. 英語史における古ノルド語の意義を教わった!」で要約したが,言語接触を論じるには,その背景にある人々の接触についての歴史的な理解がなければならない.言語接触という抽象的な現象を扱っていると,この点は比較的忘れられやすい.言語接触とは無機質な言い方だが,実際には話者という生身の人間の接触が起こっているのである.
当時,国境線をまたいでの人々の往来は政治的,軍事的な次元では制限されていたが,地に足の着いたより現実的な営みである交易という次元では活発だったはずだ.そして,交易を担った商人は商品だけでなく言葉をも北へ南へと伝えた.狭い関門を幾たびも通り抜けることによって南北の言語習慣を互いに波及させた交易の役割は,ちょうど Milroy (and Milroy) の Belfast における言語変化の研究で鮮やかに提示された社会的ネットワーク理論を想起させる.
Bragg の英語史が読みやすいのは,過去の出来事がいかに現代の日常的な言語使用に結びついているのかという,歴史への自然な問いかけとその答えが,随所にさらっと記されているからだと思う.専門家であれば歴史の因果関係の正確さを気にするあまり簡単には口にできないことを,彼はアマチュア的に指摘する.歴史記述というよりは歴史小説として読める.英語史への関心を惹くにはよい一冊だ.
・ Bragg, Melvyn. The Adventure of English. New York: Arcade, 2003.
[2011-05-12-1], [2011-05-13-1]の記事でそれぞれ,結婚の誓約と Amen の発音を取り上げ,宗教の言語が保守的な振る舞いを示す事実の一端を見た.古今東西,宗教にまつわる言語使用,ことに聖典の言語や儀式の言語は保守的であり,変化に対して抵抗を示すのが常である.キリスト教,イスラム教,仏教でも然り.では,なぜ宗教の言語は古いまま保たれるのだろうか.
以下,思いつくままに可能性のある要因をブレストしてみたが,他にもいろいろ挙がるかもしれない.
・ 古いままの言語あるいは理解不能の言語のほうが宗教的な神秘性,ありがたみが感じられるから
・ 教義の不変性・普遍性に対応すべく,それを表わす言語も不変・普遍でなければならないから
・ 教祖の言葉をそのままに伝えることが重要だから
・ 聖典や儀式の文句などがいったん文字化されたあとでは,そこに書き言葉の特性である保守性が付与されるのは当然である
・ 宗教の言語には諺や詩に見られるようなレトリックが用いられている場合が多く,そのようなレトリックは現代語に翻訳することが難しいから
・ 宗教組織においては,庶民にとって理解不能な言語であるほうが,その言語を使いこなせる聖職者階級が権威を保ちやすいから
これらの要因が組み合わさって,宗教の言語は変化しない,少なくとも変化の速度が緩いということになるのではないか.言語変化の速度については speed_of_change の各記事で話題にしてきたが,特に「言語変化を阻害する要因」の記事[2010-07-01-1]で言語が変化しにくい環境について論じた.今回の話題にも応用できるはずである.
例えば,[2010-07-01-1]の記事で言語変化を阻害する要因の3点目として挙げた "political and social stability" は,社会体制としての宗教についてそのまま当てはまるだろう.4点目の "attitudes of ethnic and linguistic purism" については,ここに "religious purism" を含めても自然な文脈である.宗教的 purism を追求するのであれば,当然,それを伝える言語の purism も追求することになるだろう.英語史でも,宗教改革の時代に聖書翻訳の問題と絡んで言語的 purism の議論が生じた.5点目の "a strong written tradition" も上に触れた通りである.
1点目,2点目の "isolation", "separation" が示唆するのは,宗教の非日常性である.日常世界から逸脱している雰囲気をかもすには,言語を古くするのが手っ取り早い.同時に,神秘性,ありがたみをかもすこともできる.
いずれの点も,宗教という体制の特徴を要として相互に関係している.宗教の言語の古さは,宗教に内在する特徴の現われと言えるのではないか.
昨日の記事[2011-03-24-1]で Log-Likelihood Test を話題にした.計算には Rayson 氏の Log-likelihood calculator を利用すればよいと述べたが,実際の検定の際に作業をもう少し自動化したいと思ったので CGI を自作してみた.細かい不備はあると思うが,とりあえず公開.
BNC_Male_Speakers BNC_Female_Speakers new 149 91 good 408 310 free 173 75 fresh 84 118 delicious 12 34 full 210 107 sure 532 328 clean 197 223 wonderful 270 258 special 177 82 crisp 10 16 fine 347 215 big 470 415 great 203 96 real 163 80 easy 326 157 bright 113 110 extra 347 203 safe 182 92 rich 120 45 #-------- corpus_size 4949938 3290569
男女間で有意差の特に大きいのは,対応行が赤で塗りつぶされた fresh, delicious, clean, wonderful, big で,いずれも期待度数に基づいて計算された Diff_Co ( "Difference Coefficient" 「差異係数」 ) がマイナスであることから,女性に特徴的な形容詞ということになる.big は意外な気がしたが,おもしろい結果である.一方,男性に偏って有意差を示すのは黄色で示した easy や rich である.この結果はいろいろと読み込むことができそうだし,より詳細に調べることもできる.広告の形容詞という観点からは,話者ではなく聞き手の性別,年齢,社会階級などを軸に調査してもおもしろそうだ.いろいろと応用できる.
Svartvik and Leech によると,現代英語の書き言葉文法の変化は以下の3つの傾向を示しているという (206).
・ Grammaticalization --- Items of vocabulary are gradually getting subsumed into grammatical forms, a well-known process of language change.
・ Colloquialization --- The use of written grammar is tending to become more colloquial or informal, more like speech.
・ Americanization --- The use of grammar in other countries (such as the UK) is tending to follow US usage.
1点目の grammaticalization ( see [2010-06-18-1] ) は現代英語に特有の変化(のメカニズム)というわけではないが,Svartvik and Leech は現代英語に顕著だと考えているのだろうか.著者らの念頭には,例えば[2010-05-31-1]や昨日の記事[2011-01-11-1]で触れた semi-auxiliaries や extension of the progressive があるのだろう.
2点目の colloquialization は現代の談話の民主化傾向 ( democratization ) とも関連するが,単純に書き言葉が話し言葉へ同化しつつあるということを意味するわけではない.同様に,3点目の Americanization が単純に BrE が AmE 化しつつあるということを意味するわけではない.この2つの傾向は確かに部分的に重なり合っており,それぞれ自身も単純に記述できない複雑な過程である.
上述の著者の1人である Leech が別の共著者と著わした Leech et al. のなかでは,もう1つの傾向として "densification" (50) あるいは "the effects of 'information explosion'" (22) が指摘されている.それによると,増大し続ける情報をできるだけコンパクトに効率よく言語化しようとする欲求が高まっているという.その具体的現われが,brunch, smog などの かばん語 ( blend ) や AIDS, NATO などの 頭字語 ( acronym ) や New York City Ballet School instructor などの名詞連鎖だろう.
かりに現代英語の書き言葉文法の変化に関して colloquialization, Americanization, densification などといった傾向を受け入れるとすると,次に文法変化と社会変化の相関関係を疑わざるを得ない.もし社会変化が文法変化の方向を定めているとすれば,それは実に興味深い.従来,確かに社会変化が語彙変化を誘発するということは言語の常であったし,言語接触や方言接触が言語の諸側面に変化の契機をもたらすことも常であった(実際に Americanization は後者に相当する).しかし,それ以外の社会の変化,より具体的に言えば "the broader changes in the communicative climate of the age" が,間接的ながらも,言語のなかでもとりわけ抽象的な部門である文法に影響を及ぼすというのは,決して自明のことではなかった.
Leech et al. は,社会変化の文法変化に及ぼす影響について次のように述べている.
More often than not there are links between grammatical changes, on the one hand, and social and cultural changes, on the other. Such links may not be as obvious as the links between social change and lexical change, and they are certainly more indirect. Again and again, however, the authors have discovered that, especially when it comes to explaining the spread of innovations through different styles and genres, apparently disparate grammatical 'symptoms' can be traced back to common 'causes' at the discourse level. Exploring the connections between the observed shifts in grammatical usage (the nuts and bolts of the system, as it were) and the broader changes in the communicative climate of the age, which are reflected in the performance data that the corpora are made up of, is a fascinating challenge not only for the linguist. (Leech et al. 22)
・ Svartvik, Jan and Geoffrey Leech. English: One Tongue, Many Voices. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2006.
・ Leech, Geoffrey, Marianne Hundt, Christian Mair, and Nicholas Smith. Change in Contemporary English: A Grammatical Study. Cambridge: CUP, 2009.
[2010-08-26-1]の記事で見たように,迂言的 do ( do-periphrasis ) は,初期近代英語期に疑問文や否定文を中心に発達してきた.英語史の大きな視点から見ると,この発展は総合的言語 ( synthetic language ) から分析的言語 ( analytic language ) へと進んできた英語の発展の流れに沿っている.
do, does, did を助動詞として用いることによって,後続する本動詞はいかなる場合でも原形をとれば済むことになる.主語の人称・数と時制を示す役割は do, does, did が受けもってくれるので,本動詞が3単現形や過去形に屈折する必要がなくなるからである.この流れでいけば,疑問文や否定文に限らず肯定平叙文でも do-periphrasis が発達することも十分にあり得たろう.実際に,16世紀には,現代風に強調を含意する用法とは考えられない,純粋に迂言的な do の使用が肯定平叙文で例証されており,do はこの路線を歩んでいたかのようにみえる.
ところが,[2010-08-26-1]のグラフに示されている通り,肯定平叙文での do の使用は17世紀以降,衰退の一途をたどる.英語史の流れに逆らうかのようなこの現象はどのように説明されるのだろうか.Nurmi ( p. 179 ) は社会言語学的な視点からこの問題に接近した.Nevalainen ( pp. 109--10, 145 ) に触れられている Nurmi の説を紹介しよう.
ロンドン地域における肯定平叙文での do の使用は,17世紀の最初の10年で減少しているとされる( Nevalainen によれば Corpus of Early English Correspondence のデータから示唆される).17世紀初頭といえば,1603年にスコットランド王 James VI がイングランド王 James I として即位するという歴史的な出来事( Stuart 朝の開始)があった.当時のスコットランド英語 ( Scots-English ) では肯定文での迂言的 do の使用は稀だったとされ,その変種を引きさげてロンドンに都入りした James I と彼の周辺の者たちが,その権威ある立場からロンドンで話される変種に影響を与えたのではないかという.
この仮説は慎重に検証する必要があるが,言語変化を社会言語学的な観点から説明しようとする最近の潮流に沿った興味深い仮説である.
・ Nurmi, Arja. A Social History of Periphrastic DO. Mémoires de la Société Néophilologique de Helsinki 56. Helsinki: Société Néophilologique, 1999.
・ Nevalainen, Terttu. An Introduction to Early Modern English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2006.
英語(言語)が変化するというときに普通に想定されているのは,発音,文法,語彙などの言語体系の構成要素が変化するということだろう.これを言語学的変化 ( linguistic change ) と呼ぼう.
しかし,もう1つの意味での変化がありうる.それは社会的な観点における変化で,例えば社会における英語の位置づけであるとか,英語が使用される分野や機会の拡大であるとか,英語という言語の社会的機能の変化を指す.これを社会言語学的変化 ( sociolinguistic change ) と呼ぼう.
英語の歴史や未来を論じる場合にはこの2種類の変化を区別する必要があるが,この2者は互いにどのような関係にあるのだろうか.社会言語学的変化が言語学的変化を誘引してきた例は,間違いなく英語史にある.長らくラテン語やフランス語のくびきのもとで地下に潜っていた英語が,中英語後期よりイギリス国内で復活を遂げてきた.英語がイギリス国内のあらゆる分野・領域 ( domain ) で用いられるようになり,それに応じて綴字の標準化も進んできた.続く近代英語期には,辞書や文法書が数多く著され,英語の規範が確立された.
社会言語学的変化が言語学的変化を牽引する近年の例では,英語が ELF ( English as a Lingua Franca ) として広く使われるようになるに伴い,WSSE ( World Standard Spoken English ) と呼ばれる新タイプの英語変種が現れつつある.WSSE では,地域色の強い語句や発音が避けられる傾向があるという.以上の例は,英語が各時代に要求される社会的機能に対応して言語的に変化が生じるという例だ.
それでは,逆の方向の影響,つまり言語学的変化が社会言語学的変化を誘引する事例はあるのだろうか.これは,慎重に議論すべき問題だろう.この問題は,例えば「英語は文法が単純化したからこそ世界語の地位を獲得できたのだ」というような説を検討する際に関係してくる.以下の2つの命題において「 (1) ゆえに (2) 」という説である.
(1) 英語の文法が単純化した(言語学的変化)
(2) 英語が世界語の地位を獲得した(社会言語学的変化)
英語の未来についての論客の1人である Crystal はこの説は俗説として退けている (7--10) .私も Crystal の意見には賛成で,(1) が (2) をもたらしたという因果関係はないという考えである.しかし,いったん英語が世界語の地位を確立し,世界の相当部分がその潮流に乗るという方向が定まった後では,(1) は (2) を後押しするくらいの効果はあるのではないかとも考えられる.だが,この意見は「 (1) ゆえに (2) 」という直接の因果関係を意図するものではない.
言語学的変化の結果として社会言語学的変化が新たに生じたという明らかな事例は一体あるのだろうか.
・ Crystal, David. English As a Global Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2003.
言語変化はほとんどの場合,人為的な制御がきかない.起こるときには自然に起こってしまうものである.綴字改革や常用漢字制定など,人々が意識的に言語を統制しようとする例もあるが,必ずしもうまくいかないことが多い.しかし,Keller のいうように,個々の人間の制御は効かないとしても社会全体が見えざる手となって言語変化をもたらしていることは確かである.そして,言語変化の起こりやすさや進行速度も,社会条件によって変化すると考えられる.
英語は相当の変化を経てきた言語だと思うが,それはイギリスを中心とした英語社会が歴史的に変動の多い社会だったからだと言われる.イギリスは幾多の征服を被り,人口構成を組み替え,大陸文化を吸収し,自らも外に飛び出して世界帝国となった.多くの激しい社会変動を経た国であるから,その言語も大きく激しく様変わりするというのは理解しやすい.
それとは反対に,一般に社会変動が少ないと言語変化も少ないと考えられる.ここでは言語変化を阻害しうる要因を考えてみたい.以下は,Brinton and Arnovick (16) に挙げられている要因である.
・ geographic isolation, which protects a language from foreign influence;
・ separation from the mother tongue, which leads to conservatism on the part of speakers who are reluctant to depart from tradition;
・ political and social stability, which eliminates the need for linguistic change to meet changing social conditions;
・ attitudes of ethnic and linguistic purism, which encourage the vigilance of speakers of a language against external influences and internal change; and
・ a strong written tradition.
Brinton and Arnovick はその他に言語的統一を推奨する mass communication も言語変化を阻害する要因であるとしている.さらに,purism や written tradition とも深く関係するが,教育の普及,特に言語教育の普及も規範主義 ( prescriptivism ) を促進するため,言語変化を阻害する要因の一つと考えられるだろう.
さて,これらの要因の多くを合わせもつ社会の典型に Iceland がある.Iceland で話されている Modern Icelandic は,Old Icelandic の時代から言語的に大きく変化していない ( see [2010-04-20-1] ) .特に書き言葉に関する限り,変化は僅少である.これは,Iceland が (1) 地理的に孤立しており,(2) Scandinavia の故地から遠く隔たっていることにより保守的であり,(3) 政治社会的に安定しており,(4) 借用語使用を忌避する強い言語純粋主義をもっており,(5) 11世紀からの長い書き言葉の伝統を有していることによると考えられる.
一方で,英語が比較的短期間の間に著しく変化した古英語後期から初期中英語期のイギリス社会を考えてみよう.そこでは,(1)(2) 島国ながらも大陸との関係が深く,孤立していず ( see [2009-10-03-1] ) ,むしろ大陸のヴァイキング(ゲルマン語派の同胞)やノルマン人と激しく接触していた.また,(3) 征服による動乱の政治社会であり,(4) 民族混交によりそもそも純粋主義を掲げている場合ではなく,(5) ノルマン人のフランス語が書き言葉の標準となったために,英語の書き言葉の伝統はほぼ失われた.言語変化を阻害する要因が一切見あたらないのである.
では,現代英語はどうだろうか.globalisation や社会の可動性という側面を考えれば,現代英語では言語変化が激しく生じるだろうという可能性を予想させる.一方で,マスメディアの隆盛や教育の普及という側面を考えると,言語変化が阻害されるだろうという可能性も予想できる.言語変化の促進剤と抑制剤が今後どのように働いていくか,じっくりと見守っていきたい.
・ Keller, Rudi. On Language Change: The Invisible Hand in Language. Trans. Brigitte Nerlich. London and New York: Routledge, 1994.
・ Brinton, Laurel J. and Leslie K. Arnovick. The English Language: A Linguistic History. Oxford: OUP, 2006.
昨日の記事[2010-06-13-1]に続き,カメルーンの英語の話題.昨日も触れたが,現在のカメルーンでは標準的なイギリス英語 Educated English ( EdE ) はエリートと結びついており,対照的に Cameroon Pidgin English ( PE ) は社会的地位が相対的に低くなっている.PE は国内で広く長く使われてきた歴史があり,本来は社会言語学的にも無色透明に近いはずだが,公用語として採用された EdE との対比により「色」がついてきた.
他言語社会カメルーンの人々は多くが multilingual だが,どの言語を母語とするか,どの順序で複数の言語を習得するかについては都市部と地方部でかなりの揺れがある.特に近年は,都市部で現地の言語や PE ではなく EdE を母語として(第二言語としてではなく)教える親が増えているという.日本でも,将来性を見込んで我が子に英語の早期教育を,という状況は普通に見られるようになってきているが,まさか日本語をさしおいて英語を母語として教えるというケースはないだろう.以下は,カメルーンの諸都市で EdE と PE を第一言語としている子供の比率の通時的変化を示した表である ( Jenkins 176-77 ).20年ほどの間に,EdE を母語とする子供の比率が伸び出してきたのが分かる.
City | EdE (%) | PE (%) | ||
1977-78 | 1998? | 1977-78 | 1998? | |
Bamenda | 1 | 3.5 | 22 | 24 |
Mamfe | 0 | 1 | 25 | 25 |
Kumba | 1 | 3 | 19 | 22 |
Buea | 7 | 13 | 26 | 28 |
Limbe | 4 | 9 | 31 | 30 |
明日は FIFA World Cup の日本対カメルーン戦の試合日ということで,カメルーンの英語事情について.カメルーン共和国 ( Republic of Cameroon ) はアフリカ大陸の様々な特質を一つの国の中にもち,ミニ・アフリカと呼ばれる.[2010-06-02-1]の記事で掲載したが,民族や言語の多様性も著しく,言語の多様性指数 ( diversity index ) で世界第7位,実に279もの言語が国内に行われている.植民地の歴史により英語とフランス語が公用語だが,国民の70%以上が英語ベースのピジン語である Cameroon Pidgin English (PE) を話すとされ,潜在的には多民族を一つにまとめる役割を果たしうる.
カメルーンにおけるピジン英語 PE の歴史は,1400年にまで遡りうる.ポルトガルの商船がイングランドの使用人を引き連れてカメルーン海岸を訪れた際に,英語ベースのピジン語の種が蒔かれたという.ちなみに,国名のカメルーンは土地の川に産するエビを指すポルトガル語 Camarões にちなんだものという.15世紀以降にヨーロッパ人がやってくるようになると,交易やキリスト教の布教において初期にはポルトガルやオランダの影響が強かったが,後にイギリスやドイツが取って代わった.1844年にバプテスト宣教師が英語学校を設立してイギリス標準英語が入ってくることになるが,それまでは PE が支配的であった.PE はピジン英語とはいっても,長い年月の間に周辺のアフリカの言語の影響を大いに受けて独自の発展を遂げており,宣教師は PE を外国語として学ぶ必要があったほどである.
1884年,イギリスの影響力が圧倒的だったにもかかわらず,ドイツがカメルーンの領土権を主張した.ドイツによる併合と搾取の時代を経て,カメルーンは第一次世界大戦後にイギリスとフランスの統治時代に移る.イギリスが西側 1/5 の地域を,フランスが東側 4/5 の地域を支配し,後の国内分裂の原因を作った.第二次世界大戦後,東西統合の大きな問題を部分的に残しつつ1960年にカメルーン共和国として独立を達成した.
植民地の歴史は複雑だが,それ以前から数世紀ものあいだ非公式に用いられていた交易の言語たる PE が現在でも国民に広く通用するという事実が興味深い.しかし,Jenkins が論じているところによると,英語が公用語として採用されるようになるに及び,その反動として PE の社会的地位が相対的に低くなってきているという.広く通用するにもかかわらず社会的な stigmatisation が増してきているというのは,カメルーンのような多言語国での国内コミュニケーションの効率を考えれば損失以外の何ものでもない.しかし,そこには「エリートの英語,下層民の PE 」という社会言語学的な二分化があらがいがたく反映されているのだという.「あなたにとって英語とは?」という問いは,カメルーン国民と日本国民にとって,相当に異なる問いとして受け止められることだろう.[2010-01-19-1] の記事で触れた問題点を改めて考えさせられる.
カメルーンの諸言語については,Ethnologue の Language of Cameroon も参照.
・ Jenkins, Jennifer. World Englishes: A Resource Book for Students. 2nd ed. London: Routledge, 2009. 176--83.
car, hear などにみられる語尾の <r> が発音されるか ( rhotic ),発音されないか ( non-rhotic ) は,一般に英語の英米差と結びつけられることが多い.しかし,一般に non-rhotic とみなされるイギリス英語でも,ロンドンを中心とする南東部以外の方言では広く /r/ が聞かれるし,一般に rhotic とみなされるアメリカ英語でも,New England や Southern の方言では /r/ が発音されない.したがって,一般に言われている /r/ の英米差は,あくまでイギリス英語とアメリカ英語の標準的な変種を比べての話である.
New York City ( NYC ) も,20世紀前半にはアメリカ英語らしからぬ non-rhotic な地域であった.これは当時の諸記録や映画からも明らかである.しかし,以降,現在に至るまで,アメリカ英語の大半に歩調を合わせるかのごとく NYC でも /r/ が発音されるようになってきている.ここ数十年の間に一つの言語変化が起こってきたということになるが,この変化に注目し,社会言語学の先駆的な調査・研究を行ったのが University of Pennsylvania の William Labov だった.彼の研究は後の社会言語学のめざましい発展に貢献し,その独創的な手法は今なお人々の興味を引いてやまない.
20世紀後半の言語学者は NYC の人々が /r/ を発音したりしなかったりする事実には気づいていたが,その使い分けや分布はランダムであり,個々人の好みの問題にすぎないと考えていた.しかし,Labov はその分布はランダムではなく何らかの根拠があるはずだと考えた.そこで,社会階級によって分布が異なるのではないかという仮説を立て,それを検証すべく次のような調査を計画した.階級レベルの高い人々ほど /r/ を発音する傾向があり,低い人ほど /r/ を発音しない傾向があると仮定し,NYC にある客層の異なる三つの百貨店で販売員の発音を調査することにしたのである.というのは,別の研究で,販売員は主な客層の話し方に合わせて話す傾向があるとされていたので,販売員の発音は対応する客層の発音を代表しているはずだと考えたからである.
Labov は,高階級の Saks Fifth Avenue,中階級の Macy's,低階級の Klein's という百貨店をターゲットにした.いずれの百貨店も,一階は客で込み合っており商品も多く陳列されている庶民的なフロアだが,最上階は客が少なく商品もまばらで高級感のあるフロアとなっている.Labov はまず一階の販売員に,四階に売られていることがあらかじめわかっている商品を挙げて,○○の売場はどこですかと尋ねた.販売員の fourth floor という返答により,二つの /r/ の有無を確かめることができるというわけだ.さらに,Labov はその返答が聞こえなかったように装い,もう一度,今度はより意識された丁寧な発音をその販売員から引き出した.次に4階に上がり,ここは何階かと販売員に尋ねることで,再び /r/ の有無のデータを引き出した.このようにして多くのデータを集め,様々なパラメータで分析したところ,当初の予想通りの結果となった.
三つの百貨店を全体的に比べると,高階級の Saks で rhotic の率がもっとも高く,低階級の Klein's でもっとも低かった.また,各百貨店についてデータを見ると,一階よりも上層階での発音ほど /r/ を多く含んでいることがわかった.また Klein's については,聞き返した二度目の発音のほうが一度目よりも多く /r/ を含んでいることがわかった.結果として,NYC の話者は階級が高いほど,また意識して発音するほど rhotic であることが判明した.こうして,社会的な要因で rhotic か non-rhotic かが無意識のうちに使い分けられているということが明らかになったのである.
この調査の詳細は Labov の著書に詳しいが,上の要約は Aitchison (42--45) に拠った.
・ Labov, William. Sociolinguistic Patterns. Philadelphia: U of Pennsylvania P, 1972.
・ Aitchison, Jean. Language Change: Progress or Decay. 3rd ed. Cambridge: CUP, 2001.
[2009-09-05-1]の記事で,英語の復権について述べた.1066年のノルマン人の征服 ( Norman Conquest ) 以降,1362年辺りにいたるまで,イングランドでは公の場で英語が用いられることはほぼなかった.確かに初期中英語期と呼ばれるこの時期にも英語で書かれた文書は存在するが,あくまで非公的文書である.文学的にもあまり洗練されていないと評価されることが多い.公用語フランス語のくびきのもとで,庶民の言語である英語はまさに地下に潜っていたのである.
さて,日本語史をみてみると,平安初期に一見すると英語と似通った事情があった.日本語で書かれた文学は,『万葉集』の作られたと考えられる760年頃から,勅撰の『古今集』の作られた905年までのあいだに空白がある.この時代は漢文が全盛の時代で,男性貴族が『凌雲集』『経国集』『文華秀麗集』などの漢詩集を著し,漢文の秀才振りを示した.公の書の最たるものである『日本書紀』『日本後記』『続日本後記』『文徳実録』『三大実録』などの国史も,すべて漢文で書かれていた.書き言葉でみる限り,日本全体があたかも漢語に乗っ取られたかのような様相を呈していたのである.土着の言語が公の書き言葉としてほとんど現れてこない点で,時代こそ異なれ,英語と日本語の状況は似ているように見える.
しかし,大きく異なる点がある.日本では,ある意味でもっとも公的な意味合いを帯びた文章が,漢語文ではなく,紛れもない日本語文として記されていたのである.天皇の祝詞(のりと)である.祝詞は天皇によって口頭で読み上げられる大和言葉である.いくら貴族が競って漢文を書こうが,日本の公世界の頂点たる天皇の口から発せられた言葉は日本語そのものであった.祝詞の文章は宣命体という形式で書かれており,そこでは漢字が中心であることは間違いないが,助詞・助動詞の類が万葉仮名で示され,語順も日本語そのものである.漢字文ではあるが,紛れもない日本語の文章である.日本では,天皇をはじめ貴族の話し言葉が日本語だったことは疑いをいれない.それに対して,中世初期のイギリスでは,王侯貴族の日常的な話し言葉は英語ではなくフランス語だった.
当時の両国で,社会的地位の高い言語(日本では漢語,イギリスではフランス語)を上層言語,低い言語(日本では日本語,イギリスではフランス語)を下層言語と呼ぶことにすると,当時の状況は以下の表のようにまとめられる.
日本 | イギリス | |
---|---|---|
庶民の話し言葉 | 下層 | 下層 |
公の書き言葉 | 上層 | 上層 |
王侯貴族の話し言葉 | 下層 | 上層 |
社会言語学では,言語が社会的な存在であり,しばしば政治的な存在でもあることが前提とされている.特に,世界語としての英語が議論されるとき,議論のなかに政治的な要素がまったく入り込まないということはあり得ないのではないかとすら思われる.例えば,[2009-11-30-1], [2009-12-05-1]でみた英語話者の同心円モデルでいえば,Inner Circle に属するものが「規範」 ( norma ) の中心におり,外側の Circles に属する人々の用いる英語に影響を与えるという見方は,それ自体が政治的 ( political ) 含みをもっている.
社会言語学でおなじみの「言語」と「方言」の区別に関する議論も,言語が政治的な存在であることを示している.日本で関西地方が政治的に独立して独立国家を形成すれば,その新国民は自分たちの言語を「日本語の関西方言」ではなく「関西語」と称するかもしれない.独立以前と以後で言語的には何ら変化していないにもかかわらずである.
また,インドなどの多言語社会においては,他の言語に比べて政治的に中立の立場にあるからという理由で,英語が国内コミュニケーションの目的で用いられている.この場合,英語は政治的に中立と見なされているのだから,非政治的 ( unpolitical ) な役割を果たしているとも言えそうであるが,そもそも複雑な言語事情の政治的解決策として英語が持ち出されてきたわけであり,この事態が政治と関係がないとは言えない."political" 「政治的」にせよ "unpolitical" 「非政治的」にせよ,いずれも politics 「政治」の含みがあることを前提とした形容詞である.
このように,社会言語学では,言語が本質的に政治から自由ではないことを示す事例が多く挙げられる.私だけではないと思うが,社会言語学を学習した者は「言語=政治的」というテーゼをたたき込まれるわけである.ところが,Kachru の次の文章に出くわして驚いた.世界語としての英語に関する議論,すなわち社会言語学の通念からは政治的でないはずのない議論のさなかに,"apolitical" という形容詞が出てくるのだ.そして,その主語は「英語」なのである.やや長いが,引用する.
As an aside, one might add here that all the countries where English is a primary language are functional democracies. The outer circle and the expanding circle do not show any such political preferences. The present diffusion of English seems to tolerate any political system, and the language itself has become rather apolitical. In South Asia, for example, it is used as a tool for propaganda by politically diverse groups: the Marxist Communists, the China-oriented Communists, and what are labelled as the Muslim fundamentalists and the Hindu rightists as well as various factions of the Congress party. Such varied groups seem to oppose the Western systems of education and Western values. In the present world, the use of English certainly has fewer political, cultural, and religious connotations than does the use of any other language of wider communication. (14)
"unpolitical" 「非政治的」ではなく "apolitical" 「無政治的,政治とは無関係の」であるところがポイントとなる."unpolitical" はマイナス方向に "political" 「政治的」であるという意味で,結局のところ "political" と同じ土俵の上にある用語である.政治を意識しているからこそ,"political" か "unpolitical" かという区別が重要なのである.ところが,"apolitical" は,そもそも政治という土俵の外にあり,政治に対して無関係・無関心であることを表す用語である.なるほど,英語が世界へ拡大してゆく過程においては,各国・地域の政体がどうであるかとかアメリカとの国際関係がどうであるかなどということは,ゼロとは言わないまでもそれほど関与的ではない.
「言語=政治的」という社会言語学の洗脳を受けた頭には,世界語としての英語が "apolitical" でありうるという発想は新鮮だった.
・ Kachru, B. B. "Standards, Codification and Sociolinguistic Realism: The English Language in the Outer Circle." English in the World. Ed. R. Quirk and H. G. Widdowson. Cambridge: CUP, 1985. 11--30.
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