英語が各時代に接触してきた言語との関係を通じて英語の語彙史を描くことは,英語史のスタンダードの1つである.本ブログでも「#1526. 英語と日本語の語彙史対照表」 ([2013-07-01-1]),「#2615. 英語語彙の世界性」 ([2016-06-24-1]),「#2966. 英語語彙の世界性 (2)」 ([2017-06-10-1]),「#3381. 講座「歴史から学ぶ英単語の語源」」 ([2018-07-30-1]),「#4130. 英語語彙の多様化と拡大の歴史を視覚化した "The OED in two minutes"」 ([2020-08-17-1]) などで繰り返し紹介してきた.
これとおよそ連動はするのだが独立した試みとして,英語が各時代に接触してきた言語との関係を通じて英語のスペリング史を描くこともできる.そして,この試みは必ずしもスタンダードではなく,英語史のなかでの扱いは小さかったといってよい.
英語のスペリング史と言語接触 について Horobin (113) が次のように述べている.
English spelling is a concoction of written forms drawn from a variety of languages through processes of inheritance and borrowing. At every period in its history, the English lexicon contains words inherited from earlier stages, as well as new words introduced from foreign languages. But this distinction should not be applied too straightforwardly, since inherited words have frequently been subjected to changes in their spelling over time. Similarly, while words drawn from foreign language may preserve their native spellings intact, they frequently undergo changes in order to accommodate to native English spelling patterns.
語彙史とスペリング史は,しばしば連動するが,原則とした独立した歴史である,という捉え方だ.これはとても正しい見方だと思う.Horobin は同論考のなかで,英語史の各時代ごとにスペリングに影響を及ぼした言語・方言について次のような見取り図を示している.論考のセクション・タイトルを抜き出す形でまとめてみよう.
「#1136. 異なる言語の間で類似した語がある場合」 ([2012-06-06-1]) の (1) で「偶然の一致」という可能性に言及した.2つの言語の系統的な関係を同定することを目指す比較言語学 (comparative_linguistics) にとって,2言語からそれぞれ取り出された1対の語が,言語の恣意性 (arbitrariness) に基づき,たまたま似ているにすぎないのではないか,という疑念は常に脅威的である.類似性の偶然と必然をどう見分けるのか,これは比較言語学の方法論においても,あるいはそれを論駁しようとする陣営にとっても,等しく困難な問題である.
この問題について,Campbell (275--76) が "Chance Similarities" と題する1節で Doerfer の先行研究に言及しながら論じている.偶然性には2種類あるという趣旨だ.
Doerfer (1973: 69--72) discusses two kinds of accidental similarity. "Statistical chance" has to do with what sorts of words and how many might be expected to be similar by chance; for example, the 79 names of Latin American Indian languages which begin na- (e.g., Nahuatl, Naolan, Nambicuara, etc.) are similar by sheer happenstance, statistical chance. "Dynamic chance" has to do with forms becoming more similar through convergence, that is, lexical parallels (known originally to have been different) which come about due to sounds converging through sound change. Cases of non-cognate similar forms are well known in historical linguistic handbooks, for example, French feu 'fire' and German Feuer 'fire' . . . (French feu from Latin focus 'hearth, fireplace' [-k- > -g- > -ø; o > ö]; German Feuer from Proto-Indo-European *pūr] [< *puHr-, cf. Greek pür] 'fire,' via Proto-Germanic *fūr-i [cf. Old English fy:r]).
共時的・通言語的な偶然の一致が "statistical chance" であり,通時的な音変化の結果,形態が似てしまったという偶然が "dynamic chance" である.比較言語学で2言語からそれぞれ取り出された1対の語を比べる際に,だまされてはいけない2つの注意すべき点として銘記しておきたい.
"dynamic chance" の1例として「#4072. 英語 have とラテン語 habere, フランス語 avoir は別語源」 ([2020-06-20-1]) を参照.
・ Campbell, Lyle. "How to Show Languages are Related: Methods for Distant Genetic Relationship." Handbook of Historical Linguistics. Ed. Brian D. Joseph and Richard D. Janda. Oxford: Blackwell, 262--82.
・ Doerfer, Gerhard. Lautgesetz und Zufall: Betrachtungen zum Omnikomparatismus. Innsbruck: Institut für vergleichende Sprachwissenschaft der Universität Innsbruck, 1973.
3週間前のことですが,1月22日(土)に,ひと・ことばフォーラムのシンポジウム「言語史と言語的コンプレックス ー 「対照言語史」の視点から」の一環として「初期近代英語期における語彙拡充の試み」をお話しする機会をいただきました.Zoom によるオンライン発表でしたが,その後のディスカッションを含め,たいへん勉強になる時間でした.主催者の方々をはじめ,シンポジウムの他の登壇者や出席者参加者の皆様に感謝申し上げます.ありがとうございました.
私の発表は,すでに様々な機会に公表してきたことの組み替えにすぎませんでしたが,今回はシンポジウムの題に含まれる「対照言語史」 (contrastive_linguistics) を意識して,とりわけ日本語史における語彙拡充の歴史との比較対照を意識しながら情報を整理しました.
当日利用したスライドを公開します.スライドからは本ブログ記事へのリンクも多く張られていますので,合わせてご参照ください.
1. ひと・ことばフォーラム言語史と言語的コンプレックス ー 「対照言語史」の視点から初期近代英語期における語彙拡充の試み
2. 初期近代英語期における語彙拡充の試み
3. 目次
4. 1. はじめに --- 16世紀イングランド社会の変化
5. 2. 統合失調症の英語 --- ラテン語への依存とラテン語からの独立
6. 英語が抱えていた3つの悩み
7. 3. 独立を目指して
8. 4. 依存症の深まり (1) --- 語源的綴字
9. 5. 依存症の深まり (2) --- 語彙拡充
10. オープン借用,むっつり借用,○製△語
11. 6.「インク壺語」の大量借用
12. 7. 大量借用への反応
13. 8. インク壺語,チンプン漢語,カタカナ語の対照言語史
14. 9. まとめ
15. 語彙拡充を巡る独・日・英の対照言語史
16. 参考文献
昨日の記事「#4643. 19--20世紀の時事風刺漫画雑誌といえば Punch」 ([2022-01-12-1]) で,19--20世紀を代表する自自風刺画雑誌 Punch を紹介した.この雑誌は数々の新語を生み出した(あるいは既存のインパクトのある語を流行らせた)ことでも有名で,英語史上,無視することができない影響力を示してきた.
OED で Punch を初例とする単語を粗々に検索してみると227語がヒットした.例えば,bi-monthly (adj., n,. adv.), brunch (v.), Chunnel (n.), gushy (adj.), hanky-panky (n.), punmanship (n.), snobbism (n.), thought control (n.), trendy (adj., n.), washerette (n.) など,馴染みのあるものも含めて数々の語が挙げられている.
Punch におけるやりとりが語句の発祥となった例,つまり故事成語というべき例もある.curate's egg (玉石混淆,良いところも悪いところもあるもの)は,1895年11月9日の Punch より,次の会話から生まれたものとされる.(ただし OED によれば,この故事成語は実際のところ同年5月22日の Judy 誌が初例と判明しているようだ.Punch が後にその名誉をさらっていったという辺りも,影響力の大きさをうかがわせる.)
Right Reverend Host: I'm afraid you've got a bad Egg, Mr. Jones!
The Curate: Oh no, my Lord, I assure you! Parts of it are excellent!
時代と新語を作り出してきた雑誌である.
・ Crystal, David. Evolving English: One Language, Many Voices. London: The British Library, 2010.
今年の初めに「#4289. 英単語の意味変化と意味論を研究しようと思った際の取っ掛かり書誌」 ([2021-01-23-1]) という記事をポストしました.今週から本格的に動き出した今年度後期は,英語史関連のいくつかの授業で「英単語の意味変化」を主たるテーマとして掲げることにしています.そこで取っ掛かり書誌の改訂版を作成しました.いくつかの文献を新たに加え,一言コメントも付しました.種別ごとに,お勧め順で並べてみました.本ブログから semantic_change や semantics もどうぞ.今後も随時この書誌に追加していきたいと思っています.
[ 通時的な関心のために --- 英単語の意味変化についてのお薦め書誌 ]
・ 寺澤 盾 「第7章 意味の変化」『英語の意味』 池上 嘉彦(編),大修館,1996年.113--34頁.(まずはこちらから,という手始めの1章です)
・ 寺澤 盾 『英単語の世界 --- 多義語と意味変化から見る』 中央公論新社〈中公新書〉,2016年.(まずはこちらから,という手始めの1冊です)
・ 堀田 隆一 「第8章 意味変化・語用論の変化」『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 服部 義弘・児馬 修(編),朝倉書店,2018年.151--69頁.(cf. 「#3283. 『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]が出版されました」 ([2018-04-23-1]))
・ 松浪 有(編),小川 浩・小倉 美知子・児馬 修・浦田 和幸・本名 信行(著) 『英語の歴史』 大修館書店,1995年.(pp. 98--107 にコンパクトが意味変化概論があります)
・ 松浪 有・池上 嘉彦・今井 邦彦(編) 『大修館英語学事典』 大修館書店,1983年.(英語学事典より pp. 765--80 が意味変化の概論となっています)
・ Williams, Joseph M. Origins of the English Language: A Social and Linguistic History. New York: Free P, 1975. (pp. 153--93 が意味変化論として非常によく書けています)
・ Algeo, John, and Thomas Pyles. "Words and Meanings." Chapter 10 of The Origins and Development of the English Language. 5th ed. Boston: Thomson Wadsworth, 2005. 227--44.(よく読まれている英語史概説書の1章より,よく書けた意味変化の概論です)
・ Bloomfield, Leonard. "Semantic Change." Chapter 24 of Language. 1933. Chicago and London: U of Chicago P, 1984. 425--43.(言語学の古典的名著の1章で,読み応えがあります)
・ Waldron, R. A. Sense and Sense Development. New York: OUP, 1967.(意味変化の本格的な研究書でよくまとまっています)
・ Stern, Gustaf. Meaning and Change of Meaning. Bloomington: Indiana UP, 1931.(意味変化の古典的研究書で,高度に専門的です)
・ Ullmann, Stephen. The Principles of Semantics. 2nd ed. Glasgow: Jackson, 1957.(同じく意味(変化)論の古典的名著で,専門的です)
・ Meillet, Antoine. "Comment les mots changent de sens." Année sociologique 9 (1906). 1921 ed. Rpt. Dodo P, 2009.(フランスの著名な言語学者による語の意味変化の古典的論考です)
・ Room, Adrian, ed. NTC's Dictionary of Changes in Meanings. Lincolnwood: NTC, 1991.(これを手元においておくと便利です.cf. 「#4243. 英単語の意味変化の辞典 --- NTC's Dictionary of Changes in Meanings」 ([2020-12-08-1]))
・ Cruse, Alan. A Glossary of Semantics and Pragmatics. Edinburgh: Edinburgh UP, 2006.(意味論・語用論のハンディな用語辞典です)
・ Kastovsky, Dieter. "Semantics and Vocabulary." The Beginnings to 1066. Vol. 1 of The Cambridge History of the English Language. Ed. Richard M. Hogg. Cambridge: CUP, 1992. 290--408.(これと下の2件は,権威ある英語史シリーズの各時代における語彙と意味変化の専門的な議論です)
・ Burnley, David. "Lexis and Semantics." 1066--1476. Vol. 2 of The Cambridge History of the English Language. Ed. Roger Lass. Cambridge: CUP, 1999. 409--99.
・ Nevalainen, Terttu. "Early Modern English Lexis and Semantics." 1476--1776. Vol. 3 of The Cambridge History of the English Language. Ed. Roger Lass. Cambridge: CUP, 1999. 332--458.(とりわけ pp. 433--54 は意味変化の概論ともなっています)
・ Kay, Christian and Kathryn Allan. English Historical Semantics. Edinburgh: Edinburgh UP, 2015.(英語の史的意味論の一冊本としては今のところ唯一のもの.HTOED への導入書でもあります.cf. 「#3159. HTOED」 ([2017-12-20-1]))
・ Hughes, G. A History of English Words. Oxford: Blackwell, 2000.(意味変化というよりも語彙変化がメインですが,随所に関連する話題があります.読み物としてもおもしろいです.)
・ Hughes, G. Words in Time. Oxford: Blackwell, 1988.(上と同じ著者による史的語彙論です)
・ Durkin, Philip. Borrowed Words: A History of Loanwords in English. Oxford: OUP, 2014.(史的語彙論,とりわけ借用語の史的語彙論ですが,意味変化の隣接分野でもあります)
・ 山中 桂一,原口 庄輔,今西 典子 (編) 『意味論』 研究社英語学文献解題 第7巻.研究社.2005年.(意味変化も含めた専門的な解題書誌です)
・ Coleman, Julie. "Using Dictionaries and Thesauruses as Evidence." Chapter 7 of The Oxford Handbook of the History of English. Ed. Terttu Nevalainen and Elizabeth Closs Traugott. New York: OUP, 2012. (歴史辞書を用いた言語変化・意味変化の研究についてのメタな方法論が論じられています.斜めからの視点ですが,かなり貴重です.)
[ 共時的な関心のために --- 意味とは何かを学ぶためのお薦め書誌 ]
・ 中野 弘三(編)『意味論』 朝倉書店,2012年.(意味論入門としては,この本から)
・ ピエール・ギロー 著,佐藤 信夫 訳 『意味論』 白水社〈文庫クセジュ〉,1990年.(文体論を専門とする著者による意味論概説です)
・ イレーヌ・タンバ 著,大島 弘子 訳 『[新版]意味論』 白水社〈文庫クセジュ〉,2013年.(かなり歯ごたえのある本です)
・ Hofmann, Th. R. Realms of Meaning. Harlow: Longman, 1993.(英語の読みやすい意味論入門書としてお勧めです)
・ Ogden, C. K. and I. A. Richards. The Meaning of Meaning. 1923. San Diego, New York, and London: Harcourt Brace Jovanovich, 1989.(意味論の古典的名著です)
・ Saeed, John I. Semantics. 3rd ed. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2009.(比較的新しい意味論の概説書です)
昨年出版された Oxford Advanced Learner's Dictionary of Current English の第10版に,以前の版にはなかった新タイプの注記が加えられている.同音異綴 (homophony) を示す2語(あるいは3語)の指摘である(cf. 「#286. homonymy, homophony, homography, polysemy」 ([2010-02-07-1])).
同音異綴語 (homophone) は英語に多数ある.flour/flower や knight/night のように比較的意識に上りやすいものがある一方で,cymbal/symbol や flew/flue など言われてみれば確かにそうだなという類いのものもある(ちなみに flour/flower については 「#183. flower と flour」 ([2009-10-27-1]),「#2440. flower と flour (2)」 ([2016-01-01-1]),および 「flower (花)と flour (小麦粉)は同語源!」 (heldio) を参照).
「#2945. 間違えやすい同音異綴語のペア」 ([2017-05-20-1]) でいくつか例を挙げたが,OALD10 の注記を集めると93項目もの同音異綴語が指摘されている.以下に Takahashi et al. (78--80) にまとめられている一覧を引用しよう.
・ allowed/aloud
・ bare/bear
・ base/bass
・ berry/bury
・ blew/blue
・ board/bored
・ brake/break
・ buy/by/bye
・ cell/sell
・ chews/choose
・ chute/shoot
・ coarse/course
・ coward/cowered
・ crews/cruise
・ cue/queue
・ cymbal/symbol
・ days/daze
・ dear/deer
・ desert/dessert
・ dew/due
・ feat/feet
・ flour/flower
・ flew/flu
・ forth/fourth
・ grate/great
・ groan/grown
・ hear/here
・ heal/heel/he'll
・ air/heir
・ higher/hire
・ hole/whole
・ idle/idol
・ colonel/kernel
・ knight/night
・ lead/led
・ lessen/lesson
・ mail/male
・ meat/meet
・ miner/minor
・ missed/mist
・ muscle/mussel
・ knew/new
・ knows/nose
・ oar/or/ore
・ one/won
・ pain/pane
・ passed/past
・ peace/piece
・ pair/pare/pear
・ peak/peek/pique
・ plain/plane
・ praise/prays/preys
・ principal/principle
・ profit/prophet
・ key/quay
・ rap/wrap
・ raise/rays/raze
・ read/red
・ read/reed
・ rain/reign/rein
・ road/rode/rowed
・ role/roll
・ rose/rows
・ rouse/rows
・ sail/sale
・ scene/seen
・ cent/scent/sent
・ seas/sees/seize
・ cereal/serial
・ sight/site
・ soar/sore
・ sole/soul
・ sew/so/sow
・ stationary/stationery
・ steal/steel
・ storey/story
・ suite/sweet
・ son/sun
・ tail/tale
・ threw/through
・ tide/tied
・ toe/tow
・ vain/vein
・ wail/whale
・ waist/waste
・ war/wore
・ weak/week
・ ware/wear/where
・ wait/weight
・ weather/whether
・ whine/wine
・ which/witch
・ warn/worn
眺めていると,各単語の綴字と発音のよい勉強になる.なかにはヘェ?と思うものもあるのでは?
・ Oxford Advanced Learner's Dictionary of Current English. 10th ed. Ed. A. S. Hornby. Oxford: Oxford UP, 2020.
・ Takahashi, Rumi, Yukiyoshi Asada, Marina Arashiro, Kazuo Dohi, Miyako Ryu, and Makoto Kozaki. "An Analysis of Oxford Advanced Learner's Dictionary of Current English, Tenth Edition." Lexicon 51 (2021): 1--106.
「#4518. OALD10 の世界英語のレーベル15種」 ([2021-09-09-1]) でも紹介したが,昨年 Oxford Advanced Learner's Dictionary of Current English (通称 OALD)の第10版が出版された.改訂とともに進化し続けるこの辞書のファンの1人としては,辞書本文以上に付録的な部分にも注目してしまうのだが,関連して Oxford 3000, Oxford 5000, OPAL と呼ばれる英語学習・教育上の有用な語彙一覧を紹介したい.OALD10 の x--xi に各々の解説がある.
・ The Oxford 3000TM
20億語からなる巨大な The Oxford English Corpus における生起頻度に基づいた,英語学習者を意識して編まれた英単語3000個の一覧.同コーパスは,イギリス英語とアメリカ英語のみならず世界英語を網羅している.最頻2000語で英語テキストの8割の語彙をカバーしているともいわれるが,この3000語の一覧は CEFR (= Common European Framework of Reference) の A1 から B2 までの水準を念頭においた頼りになるリストだ.こちらより一覧をダウンロードできる.
・ The Oxford 5000TM
The Oxford 3000 よりも水準の高い,CEFR の B2 から C1 までの語彙を含めた拡張版の単語一覧.上記と同様こちらから一覧にアクセスできる.
・ The Oxford Phrasal Academic LexiconTM
"OPAL" と略称されている,学術英語 (English for Academic Purposes) に有用な語彙.大学の講義,セミナー,レポート,卒論などの英語を念頭に編まれた単語一覧である.この一覧は,書き言葉コーパス The Oxford Corpus of Academic English (= OCAE) と話し言葉コーパス The British Academic Spoken English (= BASE) をソースとしたキーワード (keyword) 分析に基づくもので,学術英語の習得に役立つ単語一覧である.こちらからアクセスできる.
昨今の英語学習・教育は実に統計的・科学的になっているなあと感心するばかりだが,英語学・英語史のアカデミックな研究においても語彙の頻度情報というのは基本事項であるから,おおいに活用したい.
・ Oxford Advanced Learner's Dictionary of Current English. 10th ed. Ed. A. S. Hornby. Oxford: Oxford UP, 2020.
Shakespeare の語彙の豊かさはつとに知られているが,具体的にいくつの単語を使用しているのだろうか.ある言語の語彙全体にせよ,ある作家の用いている語彙全体にせよ,語彙の規模を正確に計ることは難しい.それは,そもそも数えるべき単位である「語」 (word) の定義が言語学的に定まっていないからである.この本質的な問題については,本ブログでも「語の定義がなぜ難しいか」の記事セットで論じてきた.
それでも,概数でもよいので知りたいというのが人情である.Shakespeare の語彙の豊かさはしばしば桁外れとして言及され,なかば伝説と化している気味もあるが,実際のところ,論者の間で与えられる具体的な数には大きな相違がある.比較的広く知られているのは「3万語程度」という説だろうか.一方,「2万語程度」と見積もる論者も少なくないようである.では,昨日取り上げた Crystal による The Oxford Dictionary of Original Shakespearean Pronunciation (xv) を参考にするとどうなるだろうか.
同辞書が語彙収集の対象としているのは (1) 第1フォリオの全部,および (2) それ以外のソースからの脚韻に関わる語である(つまり,Shakespeare のテキスト全体ではないことに注意).その上で同辞書の見出し語の数を数えると,相互参照を除いて20,672語が挙がってくる..ただし,この中には1,809の固有名詞,495語の外国語単語(ラテン語など),29の "non-sense words",84のフォリオ外からの脚韻語が含まれている.これらを引き算すると,「正規」の語彙は18,255語となる.厳密にいえば,植字上のミスによる語ならぬ語も入っていると思われるし,複合語らきしものを複合語とみなすかどうかという頭の痛い問題もあるが,この数は「2万語程度」説に近いものとして参考になる.
関連して,Shakespeare にまつわる数字については,「#1763. Shakespeare の作品と言語に関する雑多な情報」 ([2014-02-23-1]) も参照.
・ Crystal, David. The Oxford Dictionary of Original Shakespearean Pronunciation. Oxford: OUP, 2016.
英語史上,2度借用された語というものがある.ある時代にあるラテン語単語などが借用された後,別の時代にその同じ語があらためて借用されるというものである.1度目と2度目では意味(および少し形態も)が異なっていることが多い.
例えば,ラテン語 magister は,古英語の早い段階で借用され,若干英語化した綴字 mægester で用いられていたが,10世紀にあらためて magister として原語綴字のまま受け入れられた (cf. 「#1895. 古英語のラテン借用語の綴字と借用の類型論」 ([2014-07-05-1])).
中英語期と初期近代英語期からも似たような事例がみられる.fastidious というラテン語単語は1440年に「傲岸不遜な」の語義で借用されたが,その1世紀後には「いやな,不快な」の語義で用いられている(後者は現代の「気難しい,潔癖な」の語義に連なる).また,Chaucer は artificial, declination, hemisphere を天文学用語として導入したが,これらの語の現在の非専門的な語義は,16世紀の再借用時の語義に基づく.この中英語期からの例については,Baugh and Cable (222--23) が次のような説明を加えている.
A word when introduced a second time often carries a different meaning, and in estimating the importance of the Latin and other loanwords of the Renaissance, it is just as essential to consider new meanings as new words. Indeed, the fact that a word had been borrowed once before and used in a different sense is of less significance than its reintroduction in a sense that has continued or been productive of new ones. Thus the word fastidious is found once in 1440 with the significance 'proud, scornful,' but this is of less importance than the fact that both More and Elyot use it a century later in its more usual Latin sense of 'distasteful, disgusting.' From this, it was possible for the modern meaning to develop, aided no doubt by the frequent use of the word in Latin with the force of 'easily disgusted, hard to please, over nice.' Chaucer uses the words artificial, declination, and hemisphere in astronomical sense but their present use is due to the sixteenth century; and the word abject, although found earlier in the sense of 'cast off, rejected,' was reintroduced in its present meaning in the Renaissance.
もちろん見方によっては,上記のケースでは,同一単語が2度借用されたというよりは,既存の借用語に対して英語側で意味の変更を加えたというほうが適切ではないかという意見はあるだろう.新旧間の連続性を前提とすれば「既存語への変更」となり,非連続性を前提とすれば「2度の借用」となる.しかし,Baugh and Cable も引用中で指摘しているように,語源的には同一のラテン語単語にさかのぼるとしても,英語史の観点からは,実質的には異なる時代に異なる借用語を受け入れたとみるほうが適切である.
OED のような歴史的原則に基づいた辞書の編纂を念頭におくと,fastidious なり artificial なりに対して,1つの見出し語を立て,その下に語義1(旧語義)と語義2(新語義)などを配置するのが常識的だろうが,各時代の話者の共時的な感覚に忠実であろうとするならば,むしろ fastidious1 と fastidious2 のように見出し語を別に立ててもよいくらいのものではないだろうか.後者の見方を取るならば,後の歴史のなかで旧語義が廃れていった場合,これは廃義 (dead sense) というよりは廃語 (dead word) というべきケースとなる.いな,より正確には廃語彙項目 (dead lexical item; dead lexeme) と呼ぶべきだろうか.
この問題と関連して「#3830. 古英語のラテン借用語は現代まで地続きか否か」 ([2019-10-22-1]) も参照.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
この概念と用語を知っていれば英語の語彙関係についてもっと効果的に説明したり議論したりできただろう,と思われるものに最近出会った.Görlach (110) が,consociation と dissociation という語彙関係について紹介している(もともとは Leisi によるものとのこと)
Words can be said to be consociated if linked by transparent morphology; they are dissociated if morphologically isolated. Consociation is common in languages in which compounds and derivations are frequent (OE, Ge, Lat). Dissociation occurs when foreign words are borrowed, or when derivations become opaque . . . .
例えば,heart → hearty → heartiness は形態的に透明に派生されており,典型的な consociation の関係にあるといえる.foul → filth → filthy → filthiness についても,最初の foul → filth こそ透明度は若干下がるが(ただし古英語では音韻形態規則により,ある程度の透明度があったといえる),全体としては consociation の関係といえるだろう.ただ,consociation といっても程度の差のありうる語彙関係であることが,ここから分かる.
一方,いわゆる英語語彙の3層構造の例などは,典型的な dissociation の関係を示す.「#334. 英語語彙の三層構造」 ([2010-03-27-1]) からいくつか示せば,ask -- question -- interrogate, fair -- beautiful -- attractive, help -- aid -- assistance などだ.「#331. 動物とその肉を表す英単語」 ([2010-03-24-1]) も有名だが,cow -- beef, swine -- pork, sheep -- mutton などの語彙関係も dissociation といえる.
eye -- ocular などの名詞・形容詞の対応も,dissociation の関係ということになる.ここから日本語に話を広げれば,和語と漢語の関係,あるいは漢字の読みでいえば訓読みと音読みの関係も,典型的な dissociation といってよいだろう.「めがね」(眼鏡)と「眼鏡」(眼鏡)の関係は,上記の eye -- ocular の関係に似ている.関連して「#335. 日本語語彙の三層構造」 ([2010-03-28-1]) も参照されたい.
・ Görlach, Manfred. The Linguistic History of English. Basingstoke: Macmillan, 1997.
・ Leisi, Ernst. Das heutige Englische: Wesenszüge und Probleme.'' 5th ed. Heidelberg, 1969.
英語史における罵り言葉 (swearing) を取り上げた著名な研究に Hughes がある.英語の罵り言葉も,他の言葉遣いと異ならず,各時代の社会や思想を反映しつつ変化してきたこと,つまり流行の一種であることが鮮やかに描かれている.終章の冒頭に,Swift からの印象的な2つの引用が挙げられている (236) .
For, now-a-days, Men change their Oaths,
As often as they change their Cloaths.
Swift
Oaths are the Children of Fashion.
Swift
英語の罵り言葉の歴史には,いくつかの大きな潮流が観察される.Hughes (237--40) に依拠して,何点か指摘しておきたい.およそ中世から近現代にかけての変化ととらえてよい.
(1) 「神(の○○)にかけて」のような by や to などの前置詞を用いた誓言 (asseveration) は減少してきた.
(2) 罵り言葉のタイプについて,宗教的なものから性的・身体的なものへの交代がみられる.
(3) C. S. Lewis が "the moralisation of status word" と指摘したように,階級を表わす語が道徳的な意味合いを帯びる過程が観察される.例えば churl, knave, cad, blackguard, guttersnipe, varlet などはもともと階級や身分の名前だったが,道徳的な「悪さ」を含意するようになり,罵り言葉化してきた.
(4) 「労働倫理」と関連して,vagabond, beggar, tramp, bum, skiver などが罵り言葉化した.この傾向は,浮浪者問題を抱えていたエリザベス朝に特徴的にみられた.
(5) 罵り言葉と密接な関係をもつタブー (taboo) について,近年,性的なタイプから人種的なタイプへの交代がみられる.
英語の罵り言葉の潮流を追いかける研究は「英語歴史社会語彙論」の領域というべきだが,そこには実に様々な論題が含まれている.例えば,上記にある通り,タブーやそれと関連する婉曲語法 (euphemism) の発展との関連が知りたくなってくる.また,典型的な語義変化のタイプといわれる良化 (amelioration) や悪化 (pejoration) の問題にも密接に関係するだろう.さらに,近年の political correctness (= pc) 語法との関連も気になるところだ.slang の歴史とも重なり,社会言語学的および語用論的な考察の対象にもなる.改めて懐の深い領域だと思う.
・ Hughes, Geoffrey. Swearing: A Social History of Foul Language, Oaths and Profanity in English. London: Penguin, 1998.
主に中英語期に入ってきたフランス借用語について,ラテン借用語と見分けがつかないという語源学上の頭の痛い問題がある.これについては以下の記事で取り上げてきた.
・ 「#653. 中英語におけるフランス借用語とラテン借用語の区別」 ([2011-02-09-1])
・ 「#848. 中英語におけるフランス借用語とラテン借用語の区別 (2)」 ([2011-08-23-1])
・ 「#3581. 中英語期のフランス借用語,ラテン借用語,"mots savants" (1)」 ([2019-02-15-1])
・ 「#3582. 中英語期のフランス借用語,ラテン借用語,"mots savants" (2)」 ([2019-02-16-1])
では,フランス語か英語かの見分けがつかない語というものはあるだろうか.フランス語と英語は属している語派も異なり,語形は明確に区別されるはずなので,そのような例は考えられないと思われるかもしれない.
しかし,先のフランス借用語とラテン借用語の場合とは異なる意味合いではあるが,しかと判断できないことが少なくない.語形が似ている云々という問題ではない.語形からすれば明らかにフランス単語なのだ.ただ,その語が現われているテキストが英語テキストなのかフランス語テキストなのか見分けがつかない場合に,異なる種類の問題が生じてくる.もし完全なる英語テキストであればその語はフランス語から入ってきた借用語と認定されるだろうし,完全なるフランス語テキストであればその語は純然たるフランス語の単語であり,英語とは無関係と判断されるだろう.これは難しいことではない.
ところが,現実には英仏要素が混じり合い,いずれの言語がベースとなっているのかが判然としない "macaronic" な2言語テキストなるものがある.いわば,書かれた code-switching の例だ.そのなかに出てくる,語形としては明らかにフランス語に属する単語は,すでに英語に借用されて英語語彙の一部を構成しているものなのか,あるいは純然たるフランス単語として用いられているにすぎないのか.明確な基準がない限り,判断は恣意的になるだろう.英仏語のほかラテン語も関わってきて,事情がさらにややこしくなる場合もある.この問題について,Trotter (1790) の解説を聞こう.
Quantities of medieval documents survive in (often heavily abbreviated) medieval British Latin, into which have been inserted substantial numbers of Anglo-French or Middle English terms, usually of course substantives; analysis of this material is complicated by the abbreviation system, which may even have been designed to ensure that the language of the documents was flexible, and that words could have been read in more than one language . . ., but also by the fact that in the later period (that is, after around 1350) the distinction between Middle English and Anglo-French is increasingly hard to draw. As is apparent from even a cursory perusal of the Middle English Dictionary (MED, Kurath et al. 1952--2001) it is by no means always clear whether a given word, listed as Middle English but first attested in an Anglo-French context, actually is Middle English, or is perceived as an Anglo-French borrowing.
2言語テキストに現われる単語がいずれの言語に属するのかを決定することは,必ずしも簡単ではない.ある言語の語彙とは何なのか,改めて考えさせられる.関連して以下の話題も参照されたい.
・ 「#2426. York Memorandum Book にみられる英仏羅語の多種多様な混合」 ([2015-12-18-1])
・ 「#1470. macaronic lyric」 ([2013-05-06-1])
・ 「#1625. 中英語期の書き言葉における code-switching」 ([2013-10-08-1])
・ 「#1941. macaronic code-switching としての語源的綴字?」 ([2014-08-20-1])
・ 「#2271. 後期中英語の macaronic な会計文書」 ([2015-07-16-1])
・ 「#2348. 英語史における code-switching 研究」 ([2015-10-01-1])
・ Trotter, David. "English in Contact: Middle English Creolization." Chapter 114 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1781--93.
中英語期にフランス語からの借用語が大量に流入したことは,英語史ではよく知られている.とりわけ中期から後期にかけて,およそ1250--1400年の時期に,数としてピークに達したことも,英語史概説書では広く記述されてきた.本ブログでも以下の記事などで,幾度となく取り上げてきた話題である.
・ 「#117. フランス借用語の年代別分布」 ([2009-08-22-1])
・ 「#1205. 英語の復権期にフランス借用語が爆発したのはなぜか」 ([2012-08-14-1])
・ 「#1209. 1250年を境とするフランス借用語の区分」 ([2012-08-18-1])
・ 「#1638. フランス語とラテン語からの大量語彙借用のタイミングの共通点」 ([2013-10-21-1])
・ 「#2349. 英語の復権期にフランス借用語が爆発したのはなぜか (2)」 ([2015-10-02-1])
・ 「#2162. OED によるフランス語・ラテン語からの借用語の推移」 ([2015-03-29-1])
・ 「#2357. OED による,古典語およびロマンス諸語からの借用語彙の統計」 ([2015-10-10-1])
・ 「#2385. OED による古典語およびロマンス諸語からの借用語彙の統計 (2)」 ([2015-11-07-1])
・ 「#4138. フランス借用語のうち中英語期に借りられたものは4割強でかつ重要語」 ([2020-08-25-1]),
フランス借用語の数についていえば,OED などを用いた客観的な調査に裏づけられた事実であり,上記の「定説」に異論はない.しかし,当然ながらすべて書き言葉に基づく調査結果であることに注意が必要である.もし話し言葉におけるフランス借用語のピークを推し量ろうとするならば,ピークはもっと早かった可能性が高い.Trotter (1789) が次のように論じている.
In charting the chronology of the process, we are again at the mercy of the documentary evidence. The key period of lexical transfer appears to be the 14th century; but that may be, as much as anything else, because of the explosion of available documentation in both Anglo-French and, more particularly, Middle English at that time. In other words, the real dates of the transfers may not be the dates at which they are documented. Some evidence that this is not so is available in the form of English surnames, of Anglo-French origin . . . , and indeed in the capacity of some early Middle English texts to generate hybrids from Anglo-French and Middle English (forpreiseð; propreliche; priveiliche from Ancrene Wisse . . .).
1つは,一般的にピークとされてきた14世紀は,たまたま書き言葉の記録が多く残された時代であり,そのためにフランス借用語の規模も大きく見えがちになるということだ.
もう1つは,書き言葉に初出した年代をもって,そのまま英語に初出した年代と理解することはできないということだ(cf. 「#2375. Anglo-French という補助線 (2)」 ([2015-10-28-1])).普通の語ではなく姓(人名)として借用されたフランス語要素を考え合わせるならば,より早い時期に入っていた証拠がある.また,初期中英語期に文証される混種語の存在は,通常のフランス借用語が当時までにそれだけ多く流通していたことを示唆する(cf. 「#96. 英語とフランス語の素材を活かした 混種語 ( hybrid )」 ([2009-08-01-1])).
英語史におけるフランス借用語のピークは,書き言葉の証拠から量的に調査した限りにおいては,従来通りに14世紀といってよいが,話し言葉を含めた実態としては,それより早い時期にあったものと推測されるのである.
・ Trotter, David. "English in Contact: Middle English Creolization." Chapter 114 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1781--93.
4月5日より始まっていた「英語史導入企画2021」のコンテンツ紹介記事は,今回で最終回となります.話題は「office, john, House of Lords --- トイレの呼び方」です.トリを飾るに相応しいテーマですね! トイレの英語文化史あるいは英語文化誌というべき内容で,Historical Thesaurus of the Oxford English Dictionary (= HTOED) を用いてこんなにおもしろい調査ができるのかと教えてくれるコンテンツです.コンテンツ内の図と点線を追っていくだけで,トイレの悠久の旅を楽しむことができます.
タブー (taboo),婉曲表現 (euphemism),類義語 (synonym) といった語彙論 (lexicology) 上の問題は,英語史の卒業論文研究などでも人気のテーマです.英語史語彙論研究に関心をもったら,これらのタグの付いた hellog の記事群を読んでみてください.また,以下に今回のコンテンツと緩く関連した記事も紹介しておきます.
・ 「#470. toilet の豊富な婉曲表現」 ([2010-08-10-1])
・ 「#471. toilet の豊富な婉曲表現を WordNet と Visuwords でみる」 ([2010-08-11-1])
・ 「#992. 強意語と「限界効用逓減の法則」」 ([2012-01-14-1])
・ 「#1219. 強意語はなぜ種類が豊富か」 ([2012-08-28-1])
・ 「#3885. 『英語教育』の連載第10回「なぜ英語には類義語が多いのか」」 ([2019-12-16-1])
・ 「#3392. 同義語と類義語」 ([2018-08-10-1])
・ 「#469. euphemism の作り方」 ([2010-08-09-1])
・ 「#4395. 英語の類義語について調べたいと思ったら」 ([2021-05-09-1])
・ 「#3159. HTOED」 ([2017-12-20-1])
・ 「#847. Oxford Learner's Thesaurus」 ([2011-08-22-1])
・ 「#4334. 婉曲語法 (euphemism) についての書誌」 ([2021-03-09-1])
・ 「#1270. 類義語ネットワークの可視化ツールと類義語辞書」 ([2012-10-18-1])
・ 「#1432. もう1つの類義語ネットワーク「instaGrok」と連想語列挙ツール」 ([2013-03-29-1])
・ 「#4092. shit, ordure, excrement --- 語彙の3層構造の最強例」 ([2020-07-10-1])
・ 「#4041. 「言語におけるタブー」の記事セット」 ([2020-05-20-1])
「英語史導入企画2021」のために昨日公表されたコンテンツは,大学院生による「Synonyms at Three Levels」でした.これは何のことかというと「英語語彙の三層構造」の話題です.「恐れ,恐怖」を意味する英単語として fear -- terror -- trepidation などがありますが,これらの類義語のセットにはパターンがあります.fear は易しい英語本来語で,terror はやや難しいフランス語からの借用語,trepidation は人を寄せ付けない高尚な響きをもつラテン語からの借用語です.英語の歴史を通じて,このような類義語が異なる時代に異なる言語から供給され語彙のなかに蓄積していった結果が,三層構造というわけです.上記コンテンツのほか,「#334. 英語語彙の三層構造」 ([2010-03-27-1]) や「#1296. 三層構造の例を追加」 ([2012-11-13-1]) より具体例を覗いてみてください.
さて,「英語語彙の三層構造」は英語史では定番の話題です.定番すぎて神話化しているといっても過言ではありません.そこで本記事では,あえてその脱神話化を図ろうと思います.以下は英語史上級編の話題になりますのでご注意ください.すでに「#2643. 英語語彙の三層構造の神話?」 ([2016-07-22-1]) や「#2279. 英語語彙の逆転二層構造」 ([2015-07-24-1]) でも部分的に取り上げてきた話題ですが,今回は上記コンテンツに依拠しながら fear -- terror -- trepidation という3語1組 (triset) に焦点を当てて議論してみます.
(1) コンテンツ内では,この triset のような「類例は枚挙に遑がない」と述べられています.私自身も英語史概説書や様々な記事で同趣旨の文章をたびたび書いてきたのですが,実は「遑」はかなりあるのではないかと考えています.「類例をひたすら挙げてみて」と言われてもたいした数が挙がらないのが現実です.しかも「きれい」な例を挙げなさいと言われると,これは相当に難問です.
(2) 今回の fear - terror - trepidation はかなり「きれい」な例のようにみえます.しかしどこまで本当に「きれい」かというのが私の問題意識です.一般の英語辞書の語源欄では確かに terror はフランス語から,trepidation はラテン語から入ったとされています.おおもとは両語ともラテン語にさかのぼり,前者は terrōrem,後者は trepidātiō が語源形となります(ちなみに,ともに印欧語根は *ter- にさかのぼり共通です).terror はもともとラテン語の単語だったけれどもフランス語を経由して英語に入ってきたという意味において「フランス語からの借用語」と表現することは,語源記述の慣習に沿ったもので,まったく問題はありません.
ところが,OED の terror の語源記述をみると "Of multiple origins. Partly a borrowing from French. Partly a borrowing from Latin." とあります.「フランス語からの借用語である」とは断定していないのです.語源学的にいって,この種の単語はフランス語から入ったのかラテン語から入ったのか曖昧なケースが多く,研究史上多くの議論がなされてきました.この議論に関心のある方はこちらの記事セットをご覧ください.
難しい問題ですが,私としては terror をひとまずフランス借用語と解釈してよいだろうとは考えています.その根拠の1つは,中英語での初期の優勢な綴字がフランス語風の <terrour> だったことです.ラテン語風であれば <terror> となるはずです.逆にいえば,現代英語の綴字 <terror> は,後にラテン語綴字を参照した語源的綴字 (etymological_respelling) の例ということになります.要するに,現代の terror は,後からラテン語風味を吹き込まれたフランス借用語ということではないかと考えています.
この terror の出自の曖昧さを考慮に入れると,問題の triset は典型的な「英語 -- フランス語 -- ラテン語」の型にがっちりはまる例ではないことになります.少なくとも例としての「きれいさ」は,100%から80%くらいまでに目減りしたように思います.
(3) 次に trepidation についてですが,OED によればラテン語から直接借用されたものとあります.一方,研究社の『英語語源辞典』は,フランス語 trépidation あるいはラテン語 trepidātiō(n)- に由来するものとし,慎重な姿勢をとっています.なお,この単語の英語での初出は1605年ですが,OED 第2版の情報によると,フランス語ではすでに15世紀に trépidation が文証されているということです.terror に続き trepidation の出自にも曖昧なところが出てきました.問題の triset の「きれいさ」は,80%からさらに70%くらいまで下がった感じがします.
(4) コンテンツ内でも触れられているように,三層構造の中層を占めるフランス借用語層は,実際には下層を占める英語本来語層とも融合していることが多いです (ex. clear, cry, fool, humour, safe) .きれいな三層構造を構成しているというよりは,英仏語の層をひっくるめたり,仏羅語の層をひっくるめたりして,二層構造に近くなるという側面があります.
さらに「逆転二層構造」と呼ぶべき典型的でない例も散見されます.例えば,同じ「谷」でも中層を担うはずのフランス借用語 valley は日常的な響きをもちますが,下層を担うはずの英語本来語 dale はかえって文学的で高尚な響きをもつともいえます.action/deed, enemy/foe, reward/meed も類例です(cf. 「#2279. 英語語彙の逆転二層構造」 ([2015-07-24-1])).英語語彙の三層構造は,本当のところは評判ほど「きれい」でもないのです.
以上,「英語語彙の三層構造」の脱神話化を図ってみました.私も全体論としての「英語語彙の三層構造」を否定する気はまったくありません.私自身いろいろなところで書いてきましたし,今後も書いてゆくつもりです.ただし,そこに必ずしも「きれい」ではない側面があることには留意しておきたいと思うのです.
英語語彙の三層構造の諸側面に関心をもった方はこちらの記事セットをどうぞ.
年度初めから5月末まで開催中の「英語史導入企画2021」も後半戦に入ってきました.昨日大学院生より公表されたコンテンツは「ことばの中にひそむ「星」」です.star や astrology (占星術)を中心とする英単語の語源・語誌エッセーで,本企画の趣旨にピッタリです.まさかの展開で,話しが disaster, consider, desire, influenza, disposition にまで及んでいきます.きっと英単語の語源に興味がわくことと思います.
星好きの私も,星(座)に関係する話題をいくつか書いてきましたので紹介します.まず,上記コンテンツの関心と重なる star の語源について「#1602. star の語根ネットワーク」 ([2013-09-15-1]) をどうぞ.
英語 star とラテン語 stella (cf. フランス語 etoile)を比べると r と l の違いがありますが,これはどういうことかと疑問に思ったら「#1597. star と stella」 ([2013-09-10-1]) をご覧ください.
次に star の形態についてです.古英語では steorra,中英語では sterre などの綴字で現われるのが普通で,母音は /a/ ではなく /e/ だったと考えられます.なぜこれが /a/ へと変化し,語の綴字としてもそれを反映して star とされたのでしょうか.実は,現代英語の heart, clerk, Derby, sergeant などの発音と綴字の問題にも関わるおもしろいトピックです.「#2274. heart の綴字と発音」 ([2015-07-19-1]) をどうぞ.
占星術といえば黄道十二宮や星座の名前が関連してきます.ここに,英語史を通じて育まれてきた語彙階層 (lexical_stratification) の具体例を観察することができます.「うお座」は the Fish ですが,学術的に「双魚宮」という場合には Pisces となりますね.ぜひ「#3846. 黄道十二宮・星座名の語彙階層」 ([2019-11-07-1]) をお読みください.また,英語での星座名の一覧は「#3707. 88星座」 ([2019-06-21-1]) より.
star 周りの素材のみを用いて英語史することが十分に可能です.以上すべてをひっくるめて読みたい場合は,こちらの記事セットを.
英語を学ぶ上で,類義語 (synonym) というのは厄介です.訳語としては同じなのに,実際にはニュアンスの違いがあるというのだから手間がかかります.一般に言語において完全な同義語はないとされますが,意味が微妙に異なる類義語というのは,思っている以上に多く存在します.
日本語で考えてみれば,類義語の多さにはすぐに気づくでしょう.「疲れる」の類義語を挙げてみましょう.「くたびれる」「くたばる」「へたばる」「へばる」「グロッキー」「バテる」「疲労する」「困憊する」「へとへとになる」「ふらふらになる」「疲れ切る」など,それぞれ独特のコノテーションがありますね.
英語で「疲れた」といえば,第一に tired が思い浮かびますが,他に exhausted, drained, weary, worn out, shattered, pooped, fatigued などもあります.学習するには厄介ですが,各々独自のコノテーションをもっており存在意義があるようです.昨日の「英語史導入企画2021」のためのコンテンツは,学部生による「「疲れた」って表現,多すぎない?」です.こちらもご覧ください.
このような類義語に関心をもったら,まず当たるべきは学習者用の英英辞典です.例えば Longman Dictionary of Contemporary English (= LDOCE) などでは,たいてい主要な見出し語(例えば tired)のもとに,THESAURUS という類義語コーナーが設けられており,各類義語の使い分けが簡潔に記されています.
thesaurus というのは,ずばり類義語辞典のこと.とすれば,類義語辞典そのものに当たるのが早いといえば早いですね.例えば,Oxford Learner's Thesaurus によれば,各類義語のニュアンス,用例,コロケーションが細かく解説されています.以下のように,どんどん記述が続いていきます.かゆいところに手が届く辞典ですね.
さらに詳しく調べたいのであれば,各類義語が用いられている「現場」からの事例を多数集めて分析することが必要になります.こうなるとコーパスの利用が有用です.まずは,イギリス英語とアメリカ英語の各々について,BNCweb と COCA というコーパスに当たってみるのがお薦めです.
「英語史導入企画2021」の開催中ということで,かなり高度な研究ツールながらも歴史的類義語辞典なるもの紹介しておきましょう.Historical Thesaurus of the Oxford English Dictionary (= HTOED) です.詳細は「#3159. HTOED」 ([2017-12-20-1]) をどうぞ.
印欧語族では「疑い」と「2」は密接な関係にあります.日本語でも「二心をいだく」(=不忠な心,疑心をもつ)というように,真偽2つの間で揺れ動く心理を表現する際に「2」が関わってくるというのは理解できる気がします.しかし,印欧諸語では両者の関係ははるかに濃密で,語形成・語彙のレベルで体系的に顕在化されているのです.
昨日「英語史導入企画2021」のために大学院生より公開された「疑いはいつも 2 つ!」は,この事実について比較言語学の観点から詳細に解説したコンテンツです.印欧語比較言語学や語源の話題に関心のある読者にとって,おおいに楽しめる内容となっています.
上記コンテンツを読めば,印欧諸語の語彙のなかに「疑い」と「2」の濃密な関係を見出すことができます.しかし,ここで疑問が湧きます.なぜ印欧語族の一員である英語の語彙には,このような関係がほとんど見られないのでしょうか.コンテンツの注1に,次のようにありました.
現代の標準的な英語にはゲルマン語の「2」由来の「疑い」を意味する単語は残っていないが,English Dialect Dictionary Online によればイングランド中西部のスタッフォードシャーや西隣のシュロップシャーの方言で tweag/tweagle 「疑い・当惑」という単語が生き残っている.
最後の「生き残っている」にヒントがあります.コンテンツ内でも触れられているとおり,古くは英語にもドイツ語や他のゲルマン語のように "two" にもとづく「疑い」の関連語が普通に存在したのです.古英語辞書を開くと,ざっと次のような見出し語を見つけることができました.
・ twēo "doubt, ambiguity"
・ twēogende "doubting"
・ twēogendlic "doubtful, uncertain"
・ twēolic "doubtful, ambiguous, equivocal"
・ twēon "to doubt, hesitate"
・ twēonian "to doubt, be uncertain, hesitate"
・ twēonigend, twēoniendlic "doubtful, expressing doubt"
・ twēonigendlīce "perhaps"
・ twēonol "doubtful"
・ twīendlīce "doubtingly"
これらのいくつかは初期中英語期まで用いられていましたが,その後,すべて事実上廃用となっていきました.その理由は,1066年のノルマン征服の余波で,これらと究極的には同根語であるラテン語やフランス語からの借用語に,すっかり置き換えられてしまったからです.ゲルマン的な "two" 系列からイタリック的な "duo" 系列へ,きれいさっぱり引っ越ししたというわけです(/t/ と /d/ の関係についてはグリムの法則 (grimms_law) を参照).現代英語で「疑いの2」を示す語例を挙げてみると,
doubt, doubtable, doubtful, doubting, doubtingly, dubiety, dubious, dubitate, dubitation, dubitative, indubitably
など,見事にすべて /d/ で始まるイタリック系借用語です.このなかに dubious のように綴字 <b> を普通に /b/ と発音するケースと,doubt のように <b> を発音しないケース(いわゆる語源的綴字 (etymological_respelling))が混在しているのも英語史的にはおもしろい話題です (cf. 「#3333. なぜ doubt の綴字には発音しない b があるのか?」 ([2018-06-12-1])).
このようにゲルマン系の古英語単語が中英語期以降にイタリック系の借用語に置き換えられたというのは,英語史上はありふれた現象です.しかし,今回のケースがおもしろいのは,単発での置き換えではなく,関連語がこぞって置き換えられたという点です.語彙論的にはたいへん興味深い現象だと考えています (cf. 「#648. 古英語の語彙と廃語」 ([2011-02-04-1])).
こうして現代英語では "two" 系列で「疑いの2」を表わす語はほとんど見られなくなったのですが,最後に1つだけ,その心を受け継ぐ表現として be in/of two minds about sb/sth (= to be unable to decide what you think about sb/sth, or whether to do sth or not) を紹介しておきましょう.例文として I was in two minds about the book. (= I didn't know if I liked it or not) など.
印欧語族では「疑い」と「2」は密接な関係にあります.日本語でも「二心をいだく」(=不忠な心,疑心をもつ)というように,真偽2つの間で揺れ動く心理を表現する際に「2」が関わってくるというのは理解できる気がします.しかし,印欧諸語では両者の関係ははるかに濃密で,語形成・語彙のレベルで体系的に顕在化されているのです.
昨日「英語史導入企画2021」のために大学院生より公開された「疑いはいつも 2 つ!」は,この事実について比較言語学の観点から詳細に解説したコンテンツです.印欧語比較言語学や語源の話題に関心のある読者にとって,おおいに楽しめる内容となっています.
上記コンテンツを読めば,印欧諸語の語彙のなかに「疑い」と「2」の濃密な関係を見出すことができます.しかし,ここで疑問が湧きます.なぜ印欧語族の一員である英語の語彙には,このような関係がほとんど見られないのでしょうか.コンテンツの注1に,次のようにありました.
現代の標準的な英語にはゲルマン語の「2」由来の「疑い」を意味する単語は残っていないが,English Dialect Dictionary Online によればイングランド中西部のスタッフォードシャーや西隣のシュロップシャーの方言で tweag/tweagle 「疑い・当惑」という単語が生き残っている.
最後の「生き残っている」にヒントがあります.コンテンツ内でも触れられているとおり,古くは英語にもドイツ語や他のゲルマン語のように "two" にもとづく「疑い」の関連語が普通に存在したのです.古英語辞書を開くと,ざっと次のような見出し語を見つけることができました.
・ twēo "doubt, ambiguity"
・ twēogende "doubting"
・ twēogendlic "doubtful, uncertain"
・ twēolic "doubtful, ambiguous, equivocal"
・ twēon "to doubt, hesitate"
・ twēonian "to doubt, be uncertain, hesitate"
・ twēonigend, twēoniendlic "doubtful, expressing doubt"
・ twēonigendlīce "perhaps"
・ twēonol "doubtful"
・ twīendlīce "doubtingly"
これらのいくつかは初期中英語期まで用いられていましたが,その後,すべて事実上廃用となっていきました.その理由は,1066年のノルマン征服の余波で,これらと究極的には同根語であるラテン語やフランス語からの借用語に,すっかり置き換えられてしまったからです.ゲルマン的な "two" 系列からイタリック的な "duo" 系列へ,きれいさっぱり引っ越ししたというわけです(/t/ と /d/ の関係についてはグリムの法則 (grimms_law) を参照).現代英語で「疑いの2」を示す語例を挙げてみると,
doubt, doubtable, doubtful, doubting, doubtingly, dubiety, dubious, dubitate, dubitation, dubitative, indubitably
など,見事にすべて /d/ で始まるイタリック系借用語です.このなかに dubious のように綴字 <b> を普通に /b/ と発音するケースと,doubt のように <b> を発音しないケース(いわゆる語源的綴字 (etymological_respelling))が混在しているのも英語史的にはおもしろい話題です (cf. 「#3333. なぜ doubt の綴字には発音しない b があるのか?」 ([2018-06-12-1])).
このようにゲルマン系の古英語単語が中英語期以降にイタリック系の借用語に置き換えられたというのは,英語史上はありふれた現象です.しかし,今回のケースがおもしろいのは,単発での置き換えではなく,関連語がこぞって置き換えられたという点です.語彙論的にはたいへん興味深い現象だと考えています (cf. 「#648. 古英語の語彙と廃語」 ([2011-02-04-1])).
こうして現代英語では "two" 系列で「疑いの2」を表わす語はほとんど見られなくなったのですが,最後に1つだけ,その心を受け継ぐ表現として be in/of two minds about sb/sth (= to be unable to decide what you think about sb/sth, or whether to do sth or not) を紹介しておきましょう.例文として I was in two minds about the book. (= I didn't know if I liked it or not) など.
この4月に立ち上げた「英語史導入企画2021」にて,昨日「Brexitと「誰うま」新語」と題する大学院生によるコンテンツがアップされた.混成語 Brexit に焦点を当てた学術論文を紹介しつつ,言語学的および社会学的な観点から要約したレビュー・コンテンツといってよいだろう.取っつきやすい話題でありながら,密度の濃い議論となっている.本企画の趣旨を意識して導入的ではありながらも本格派のコンテンツである.
混成語 (blend) とは,混成 (blending) と呼ばれる語形成 (word_formation) によって作られた語のことである.簡単にいえば2語を1語に圧縮した語のことで,brunch (= breakfast + lunch) や smog (= smoke + fog) が有名である.複数のものを強引に1つの入れ物に詰め込むイメージから,かばん語 (portmanteau word) と呼ばれることもある.混成(語)の特徴など言語学的な側面については,「#630. blend(ing) あるいは portmanteau word の呼称」 ([2011-01-17-1]),「#893. shortening の分類 (1)」 ([2011-10-07-1]),「#3722. 混成語は右側主要部の音節数と一致する」 ([2019-07-06-1]) などを参照されたい.
問題の Brexit は,いわずとしれた Britain + exit の混成語だが,それが表わす国際政治上の出来事があまりに衝撃的だったために,それをもじった Bregret (= Britain + regret) や Regrexit (regret + exit) のような半ば冗談の混成語が次々と現われ,半ば本気で定着してきた.上記のコンテンツと論文(および「#2624. Brexit, Breget, Regrexit」 ([2016-07-03-1]))で考察されているのは,まさにこの本気のような冗談のような現象である.
混成は,英語史において比較的新しい語形成であり,本質的には現代英語的な語形成といってもよい.「#631. blending の拡大」 ([2011-01-18-1]) で挙げたように多数の例が身近に見出せるため,このことはにわかには信じられないかもしれないが,事実である.これについては「#631. blending の拡大」 ([2011-01-18-1]),「#876. 現代英語におけるかばん語の生産性は本当に高いか?」 ([2011-09-20-1]),「#940. 語形成の生産性と創造性」 ([2011-11-23-1]) などでも論じてきた通りである.
実のところ,混成のみならず,より広く短縮 (shortening) という語形成がおよそ近現代的な現象なのである.こちらについても「#878. Algeo と Bauer の新語ソース調査の比較」 ([2011-09-22-1]),「#879. Algeo の新語ソース調査から示唆される通時的傾向」([2011-09-23-1]),「#889. acronym の20世紀」 ([2011-10-03-1]),「#2982. 現代日本語に溢れるアルファベット頭字語」 ([2017-06-26-1]) を確認されたい.
では,なぜ現代にかけて混成を含めた短縮を旨とする諸々の語形成が,これほど著しく成長してきたのだろうか.「#3329. なぜ現代は省略(語)が多いのか?」 ([2018-06-08-1]) で挙げた3点を,ここに再掲しよう.
(1) 時間短縮,エネルギー短縮の欲求の高まり.情報の高密度化 (densification) の傾向.
(2) 省略表現を使っている人は,元の表現やその指示対象について精通しているという感覚,すなわち「使いこなしている感」がある.そのモノや名前を知らない人に対して優越感のようなものがあるのではないか.元の表現を短く崩すという操作は,その表現を熟知しているという前提の上に成り立つため,玄人感を漂わせることができる.
(3) 省略(語)を用いる動機はいつの時代にもあったはずだが,かつては言語使用における「堕落」という負のレッテルを貼られがちで,使用が抑制される傾向があった.しかし,現代は社会的な縛りが緩んできており,そのような「堕落」がかつてよりも許容される風潮があるため,潜在的な省略欲求が顕在化してきたということではないか.
(1) は,混成(語)のなかに,あらゆる物事に効率性を求める情報化社会の精神の反映をみる立場である.これまで2語で表わしていた意味や情報を,混成語ではただ1語で表現することができるのだ.まさに時短,効率,節約.しかし,これが行き過ぎると,人生や生活と同様に,何ともせわしく殺伐としてくるものである.
しかし,この情報化社会の病理というべき負の力とバランスを取るべく,正の力も同時に働いているように思われるのだ.(3) に指摘されている「緩み」がその1つだろう.これは,上記コンテンツ内で触れられている「遊び心」にも近い.混成語は,「Brexit って何の略でしょうか?」――「答えは,Britain + exit の略でした!」というようなナゾナゾが似合う代物でもあるのだ(cf. 「#3595. ことば遊びの3つのタイプ」 ([2019-03-01-1]) でいう「技巧型」のことば遊び).ここには,せわしなさや殺伐とした気味はなく,むしろ健全な「遊び心」が宿っているように思われる.英語の混成(語)は,一見すると現代社会の病理の反映ようにもみえるが,別の観点からは,むしろ健全な遊びでもあるのだ.
語形短縮の意義を巡っては「#1946. 機能的な観点からみる短化」 ([2014-08-25-1]),「#3708. 省略・短縮は形態上のみならず機能上の問題解決法である」 ([2019-06-22-1]) の議論も参照されたい.
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