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3月2日付の読売新聞朝刊に「国内最古級の硯 九州で出土」という記事が掲載されていた.「魏志倭人伝」で言及される伊都に当たるとされる福岡県糸島市より,紀元前1世紀から紀元後2世紀のものとみられる国内最古級の硯が出土したという.
中国の史書「魏志倭人伝」が記す伊都国の王都とされる福岡県糸島市の三雲・井原遺跡で,国内最古級の硯の破片(弥生時代中期後半?後期=紀元前1世紀?紀元後2世紀)が出土した.朝鮮半島にあった中国の出先機関・楽浪郡から日本に渡来した使節が,筆で文字を書くために使用したものとみられ,わが国の文字文化受け入れの起源を考えるうえで重要な手がかりとなる.
倭人伝は伊都国について,「往来する郡使が常に駐在する所」と記し,「(伊都国の)港で贈答する文書や品物の検査を行う」と,文字の使用を示唆する記述もある.市教委は,今回の硯は倭人伝の記述を裏付けるものと評価している.
この地には朝鮮半島の楽浪郡から渡来した使節が常駐していたらしく,この硯も彼らが用いていたものと推測される.贈答する文書や品物の検査の記録を記すための筆記用具だったようだ.これは倭人が直接文字を書いていた証拠とはならないが,少なくとも当時の日本人の一部は,この筆記用具を通じて,その用途である書記という活動には気づいていただろう.文字を使うことはできずとも,文字の存在と価値について,おぼろげながら何かを意識していたのではないかと想像することは妥当である.弥生時代後期には,表面的な意味ではあるかもしれないが,すでに日本に漢字が持ち込まれていたことは確かである.「#2386. 日本語の文字史(古代編)」 ([2015-11-08-1]) でも述べたように,日本人が文字を本来の文字らしい用途で自ら使いこなすようになったのは,しばらく後の時代,おそらく4世紀後半だろうと考えられる.今回の出土は,日本の文字文化の黎明を反映する手がかりとなりそうだ.
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最終更新時間: 2024-10-26 09:48
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