昨日の記事「#2029. 日本の方言差別と方言コンプレックスの歴史」 ([2014-11-16-1]) に引き続き,今日はイギリス版を.昨日も述べたように,方言の抑圧はおよそ国語の標準化と軌を一にしている.標準化の圧力が強くなればなるほど,方言の弾圧も強くなるという構図だ.イギリスでは,英語標準化の動きは初期近代英語期に始まり,およそ連動して方言を蔑視する風潮が1600年頃までに生じていた.George Puttenham (1530?--90) によるものとされる The Arte of English Poesie (1589) は,ロンドンの宮廷で話される英語を標準語として推奨し,それ以外の方言は避けるべきであるとしている.
neither shall he take termes of Northernmen, such as they vse in dayly talke, whether they be noble men or gentlemen, or of their best clerkes all is a matter: nor in effect any speach vsed beyond the river of Trent, though no man can deny but that theirs is the purer English Saxon at this day, yet it is not so Courtly nor yet so currant as our Southerne English is, no more is the far Westerne mans speach: ye shall therfore take the vsuall speach of the Court, and that of London and the shires lying about London within lx myles, and not much above. (cited in Upton and Widdowson 6)
17世紀後半の王政復古時代には方言使用は嘲笑の的となり,18世紀には Swift, Dryden, Johnson などの標準化推進派の文人が精力的に活動するに及んで,方言使用は嫌悪の対象にすらなった.18世紀後半から19世紀にかけては規範主義の名のもとに,方言の地位はますます下落した.そして,1881年の教育法,1921年の BBC の設立により標準語教育がさらに推し進められ,方言使用は恥ずべきものという負のイメージが固定化した.
初期近代英語期は,近代国家として生まれ変わったイギリスが対外的な緊張のなかで,国内的な規範を強く求めた時代だった.実際の標準語の制定にはその前後を含めて3--4世紀ほどの時間が費やされ,その普及にはさらなる時間を要したが,標準語を追求するその長い過程のなかで,方言は嘲笑,嫌悪,抑圧の対象とされ,差別意識とコンプレックスを生み出してきた.その歴史の傷跡は,21世紀の現在も癒えることなく人々の心に残っている.昨日の記事と合わせて,日本とイギリスの方言差別と方言コンプレックスの歴史を比較されたい.
なお,上で引用したのは Upton and Widdowson の序章の "A Language of Dialect" と題する節 (2--7) からだが,この節は英語の方言史を簡潔に記述したものとして,たいへんすぐれていると思う.
・ Upton, Clive and J. D. A. Widdowson. An Atlas of English Dialects. 2nd ed. Abingdon: Routledge, 2006.
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