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terminology - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2019-10-15 07:51

2013-08-30 Fri

#1586. 再分析の下位区分 [reanalysis][metanalysis][exaptation][analogy][terminology][do-periphrasis][negative_cycle]

 過去の記事で,再分析 (reanalysis) と異分析 (metanalysis) という用語をとりわけ区別せずに用いてきたが,Croft (82--86) は後者を前者の1種であると考えている.つまり,再分析は異分析の上位概念であるとしている.Croft によれば,"form-function reanalysis" は連辞的 (syntagmatic) な4種類の再分析と範列的 (paradigmatic) な1種類の再分析へ区別される.以下,各々を例とともに示す.

 (1) hyperanalysis: "[A] speaker ananlyzes out a semantic component from a syntactic element, typically a semantic component that overlaps with that of another element. Hyperanalysis accounts for semantic bleaching and eventually the loss of syntactic element" (82) .例えば,古英語には属格を従える動詞があり,動作を被る程度が対格よりも弱いという点で対格とは意味的な差異があったと考えられるが,受動者を示す点では多かれ少なかれ同じ機能を有していたために,中英語において属格構造はより優勢な対格構造に取って代わられた.この変化は,本来の属格の含意が薄められ,統語的に余剰となり,属格構造が対格構造に吸収されるという過程をたどっており,hyperanalysis の1例と考えられる.
 (2) hypoanalysis: "[A] semantic component is added to a syntactic element, typically one whose distribution has no discriminatory semantic value. Hypoanalysis is the same as exaptation . . . or regrammaticalization . . ." (83) .Somerset/Dorset の伝統方言では,3単現に由来する -sdo-periphrasis の発展が組み合わさることにより,標準変種には見られない相の区別が新たに生じた."I sees the doctor tomorrow." は特定の1度きりの出来事を表わし,"I do see him every day." は繰り返しの習慣的な出来事を表わす.ここでは,-sdo が歴史的に受け継がれた機能とは異なる機能を担わされるようになったと考えられる.
 (3) metanalysis: "[A] contextual semantic feature becomes inherent in a syntactic element while an inherent feature is analyzed out; in other words, it is simultaneous hyperanalysis/hypoanalysis. Metanalysis typically takes place when there is a unidirectional correlation of semantic features (one feature frequently occurs with another, but the second often does not occur with the first)." (83) .接続詞 since について,本来の時間的な意味から原因を示す意味が生み出された例が挙げられる."negative cycle" も別の例である.
 (4) cryptanalysis: "[A] covertly marked semantic feature is reanalyzed as not grammatically marked, and a grammatical marker is inserted. Cryptanalysis typically occurs when there is an obligatory transparent grammatical marker available for the covertly marked semantic feature. Cryptanalysis accounts for pleonasm (for example, pleonastic and paratactic negation) and reinforcement." (84) .例えば,"I really miss having a phonologist around the house." と "I really miss not having a phonologist around the house." は not の有無の違いがあるにもかかわらず同義である.not の挿入は,miss に暗に含まれている否定性を明示的に not によって顕在化させたいと望む話者による,cryptanalysis の結果であるとみなすことができる.
 (5) intraference: 同一言語体系内での機能の類似によって,ある形態が別の形態から影響を受ける例.Croft に詳しい説明と例はなかったが,範列的な類推作用 (analogy) に近いものと考えられる.interference が別の言語体系からの類推としてとらえられるのに対して,intraference は同じ言語体系のなかでの類推としてとらえられる.


 ・ Croft, William. "Evolutionary Models and Functional-Typological Theories of Language Change." Chapter 4 of The Handbook of the History of English. Ed. Ans van Kemenade and Bettelou Los. Malden, MA: Blackwell, 2006. 68--91.

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2013-08-08 Thu

#1564. face [face][politeness][terminology][euphemism][honorific][phatic_communion][t/v_distinction][solidarity]

 「#1559. 出会いと別れの挨拶」 ([2013-08-08-1]) で触れた Goffman の face-work の理論は,近年の語用論や社会言語学で注目される politeness 研究において有望な理論とみなされている.
 言語によるコミュニケーションにせよ,その他の社会的な交流にせよ,人は肉体的,精神的なエネルギーを費やしながらそれに従事している.だが,なぜ人はわざわざそのようなことをするのだろうか.社会から課される種々の制限を受け入れてまで,交流を図るのはなぜだろうか.自らの欲求を満たすためにそうするのだというのであれば理解できるが,例えば phatic communion (交感的言語使用)はどのようにして欲求の満足に関係するというのだろうか.アメリカの社会学者 Goffman は,人はみな face という概念をもっており,それを尊重し合うという行為 (face-work) によって社会生活を営んでいると主張した.Goffman (213) の定義によると,face とは次のようなものである.

The term face may be defined as the positive social value a person effectively claims for himself by the line others assume he has taken during a particular contact. Face is an image of self delineated in terms of approved social attributes---albeit an image that others may share, as when a person makes a good showing for his profession or religion by making a good showing for himself.

 日本語にも「面目を失う」「面子を重んずる」などの表現があるので face の概念は分かりやすいだろう.英語にも "to lose/save face" という言い方がある.
 face-work の理論の骨子は,Hudson (113--14) が以下の通りに述べている.

The basic idea of the theory is this: we lead unavoidably social lives, since we depend on each other, but as far as possible we try to lead our lives without losing our own face. However, our face is a very fragile thing which other people can very easily damage, so we lead our social lives according to the Golden Rule ('Do to others as you would like them to do to you!') by looking after other people's faces in the hope that they will look after ours. . . . Face is something that other people give to us, which is why we have to be so careful to give it to them (unless we consciously choose to insult them, which is exceptional behaviour).

 人には自他ともに認める「面子」がある.自分はそれを宣伝し,失わないように努力していると同時に,他人もそれを立て,傷つけないように努力している.これが,face-work の原理だ.
 Brown and Levinson の politeness の研究以来,face には positive face と negative face の2種類が区別されると言われる.両者ともに自他の尊重を表わすが,前者はその人への尊重を示すこと,後者はその人の権利を尊重することに対応する.だが,この区別は必ずしも分かりやすいものではない.Hudson は代わりにそれぞれを solidarity-face と power-face と呼びかえている (114) .

Solidarity-face is respect as in I respect you for . . ., i.e. the appreciation and approval that others show for the kind of person we are, for our behaviour, for our values and so on. If something threatens our solidarity-face we feel embarrassment or shame. Power-face is respect as in I respect your right to . . ., which is a 'negative' agreement not to interfere. This is the basis for most formal politeness, such as standing back to let someone else pass. When our power-face is threatened we feel offended. . . . Solidarity-politeness shows respect for the person, whereas power-politeness respects their rights.

 親しい者に呼びかける mate, love, darling, Hi! などは solidarity-politeness の例であり,目上の人に呼びかける敬称,please などの丁寧化表現,婉曲語法などは power-politeness の例である.英語に T/V distinction があった時代の親しみの thou と敬いの you は,向きこそ異なれ,いずれも相手の face を尊重する politeness の行為だということになる.
 関連して,「#1059. 権力重視から仲間意識重視へ推移してきた T/V distinction」 ([2012-03-21-1]) と「#1552. T/V distinction と face」 ([2013-07-27-1]) の記事,および「#1126. ヨーロッパの主要言語における T/V distinction の起源」 ([2012-05-27-1]) に張ったリンク先の記事を参照されたい.「顔」についての日本語の読みやすい文献としては,岡本真一郎の『言語の社会心理学 伝えたいことは伝わるのか』の第3章を挙げておこう

 ・ Goffman, Erving. "On Face-Work: An Analysis of Ritual Elements in Social Interaction." Psychiatry 18 (1955): 213--31.
 ・ Hudson, R. A. Sociolinguistics. 2nd ed. Cambridge: CUP, 1996.
 ・ 岡本 真一郎 『言語の社会心理学 伝えたいことは伝わるのか』 中央公論新社〈中公新書〉,2013年.

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2013-08-07 Wed

#1563. 音節構造 [syllable][phonetics][phonology][metrical_phonology][terminology]

 昨日の記事「#1562. 韻律音韻論からみる yod-dropping」 ([2013-08-06-1]) で,説明抜きで音節構造 (syllable structure) の分析を示したが,今日は Hogg and McCully (35--38) に拠って,音節構造の教科書的な概説を施したい.以下では,grind /graind/ という1音節語の音節構造を例に取る.
 最も直感的な分析方法は,音節を構成する各分節音をフラットに並べる下図の (1) の方法である.ただし,音声学的にも音韻論的にも,母音と子音とを区別することは前提としておいてよいと思われるので,その標示は与えてある.

Syllable Structure

 (1) を一見して明らかなように,子音は子音どうしの結合をなし,母音は母音どうしの結合をなすのが通常である.したがって,それぞれをグループ化して音節内での位置に応じてラベルをつけることは自然である.音節の始まりを担当する子音群を Onset,本体を占める母音群を Nucleus,終わりを担当する子音群を Coda と分けることが一般的に行なわれている.これが,(2) の分析である.
 この段階でも有効な音節構造の分析はできるが,さらに階層化を進めると,理論上,便利である.(3) のように Nucleus と Coda をまとめる Rhyme を設定し,Onset に対応させるという分析が広く受け入れられている.
 では,(3) のような一見すると複雑な階層化がなぜ理論的に有意味なのだろうか.1つは,Onset には独自の制限がかかっているということがある.英語では /graind/ という音連続は許されるが,例えば */pfraind/ は許されない.これは,Onset /pfr/ にかかっている子音連続の制限ゆえであり,Onset より右の部分の構造からは独立した理由によるものである.同様に,brim, bread, bran, brock, brunt と *bnim, *bnead, *bnan, *bnock, *bnunt を比較すれば,問題は Onset が /br/ か */bn/ かにかかっているのであり,その後の部分は全体の可否に影響していないことがわかるだろう.また,Rhyme という語そのものが示すとおり,脚韻の伝統により,この単位が直感的にもまとまりをなすものだという認識は強い.
 さらに,Rhyme (あるいはそれより下のレベル)の分岐の仕方により,多くの音韻過程や強勢が記述できるという利点がある.分岐していれば重い音節 (heavy syllable) であると言われ,分岐していなければ軽い音節 (light syllable) であると言われる.Nucleus と Coda の構造に別々に言及せずとも,Rhyme 以下の構造として一括して言及できるので,Rhyme というレベルの設定は説明の経済性に資する.
 以上の理由で,Onset に対して Rhyme を区別する合理性はあるといえる.しかし,Rhyme 以下を Nucleus と Coda へ区分せずに,音をフラットに横並びにする音韻論など,(3) の変種といえるものもあることに注意したい.いずれも合理的に音韻や韻律の分析を可能にするための仮説であり,道具立てである.

 ・ Hogg, Richard and C. B. McCully. Metrical Phonology: A Coursebook. Cambridge: CUP, 1987.

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2013-07-18 Thu

#1543. 言語の地理学 [geolinguistics][geography][sociolinguistics][demography][language_shift][language_death][world_languages][terminology]

 ブルトンの『言語の地理学』を読み,地理学の観点から言語を考察するという新たなアプローチに気づかされた.言語における地理的側面は,方言調査,言語変化の伝播の理論,言語圏 (linguistic area; see [2012-12-01-1]) の研究などで前提とはされてきたが,あまりに当然のものとみなされ,表面的な関心しか払われてこなかったといえるかもしれない.このことは,「#1053. 波状説の波及効果」 ([2012-03-15-1]) の記事でも触れた.
 言語の地理学,言語地理学,地理言語学などと呼び方はいろいろあるだろうが,これはちょうど言語の社会学か社会言語学かという区分の問題に比較される.Trudgill (56) の用語集で geolinguistics を引いてみると,案の定,この呼称には2つの側面が区別されている.

(1) A relatively recent label used by some linguists to refer to work in sociolinguistics which represents a synthesis of Labovian secular linguistics and spatial dialectology. The quantitative study of the geographical diffusion of words or pronunciations from one area to another is an example of work in this field. (2) A term used by human geographers to describe modern quantitative research on geographical aspects of language maintenance and language shift, and other aspects of the spatial relationships to be found between languages and dialects. An example of such work is the study of geographical patterning in the use of English and Welsh in Wales. Given the model of the distinction between sociolinguistics and the sociology of language, it might be better to refer to this sort of work as the geography of language.

 伝統的な方言研究や言語変化の伝播の研究では,言語項目の地理的な分布を明らかにするという作業が主であるから,それは「地理言語学」と呼ぶべき (1) の領域だろう.一方,ブルトンが話題にしているのは,「言語の地理学」と呼ぶべき (2) の領域である.後者は,民族や宗教や国家や経済などではなく言語という現象に焦点を当てる地理学である,といえる.
 言語の地理学で扱われる話題は多岐にわたるが,その代表の1つに,「#1540. 中英語期における言語交替」 ([2013-07-15-1]) で具体的にその方法論を適用したような言語交替 (language shift) がある.また,失われてゆく言語の保存を目指す言語政策の話題,言語の死の話題も,話者人口の推移といった問題も言語の地理学の重要な関心事だろう.世界の諸言語の地理的な分布という観点からは,先述の言語圏という概念も関与する.諸文字の地理的分布も同様である.




 要するに,ブルトンの姿勢は,社会における言語という大局観のもとで言語の地理的側面に焦点を当てるということである.以下は,その大局観と焦点の関係を図示したものである(ブルトン,p. 47,「エスニーの一般的特徴」).言語の社会学や社会言語学のための見取り図としても解釈できる.

General Characteristics of Ethnie

 なお,上の引用文で用いられているエスニーという概念と用語については,「#1539. ethnie」 ([2013-07-14-1]) を参照.

 ・ Trudgill, Peter. A Glossary of Sociolinguistics. Oxford: Oxford University Press, 2003.
 ・ ロラン・ブルトン 著,田辺 裕・中俣 均 訳 『言語の地理学』 白水社〈文庫クセジュ〉,1988年.

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2013-07-14 Sun

#1539. ethnie [sociolinguistics][geolinguistics][terminology]

 人種,部族,民族,国家,言語などの相互関係は複雑である.この複雑な蜘蛛の糸を解きほぐしたり,どのように絡まっているのかを考察するのが社会言語学の仕事だが,そのためにはそれぞれの概念に対応する人間集団を表わす表現が必要である.ある人種の成員,部族の成員,民族の成員,国家の成員というのは理解しやすいが,言語の成員という言い方はない.言語の話者集団の成員とか言語共同体の成員と呼ぶことはできるが,もっと端的な表現が欲しい.そこで,エスニー (ethnie) という術語が生み出された.ブルトン (51) によれば,エスニーという呼称は,以下の集団に対して与えられるべきである.

言語学的単位であることをその特徴とし,発生の起源や人類学的等質性による集団(人種)とは異なるもの,次に親族関係による結びつき(氏族,部族)でもなく,また文化的特徴の複合体(民族)でも政治的特徴の複合体(国民)でもないような集団に対してである.厳密な意味でエスニーは,言語学者や民族学者の言う《共通母語集団 (G.L.M.)》,もう少し曖昧ないい方では《民族言語集団》もしくは《言語共同体》と同じものである.したがってエスニーとは,その人類学的起源や地理的状況や政治的属性がどうであれ,同じ母語をもつ個々人の集合体ということになる.

 了解さえしていれば共通母語集団 (G.L.M. = "groupe de langue maternelle") や言語共同体という呼称でもよいが,「エスニー」という表現で概念をカプセル化してしまえば確かに便利である.これにより,従来,「英語母語話者集団」と訳されてきた "native (or L1) speakers of English" は「英語エスニー」と端的に訳すことができる.
 厳密な定義ではエスニーはある言語を母語として話す集団を指すが,第2言語としての話者集団をも含めた緩い定義で用いることもできるかもしれない.ただし,その場合にも母語話者なのか非母語話者なのかを分けるのが適切なことがあるだろう.ブルトン (52) は,前者を ethnophone (母民族語話者),後者を allophone (非母民族語話者)と呼んでいる.この用語によれば,"native (or L1) speakers of English" は「英語エスノフォンヌ」,"L2 speakers of English" は「英語アロフォンヌ」と呼ぶことができる.そして,両者合わせた "speakers of English" は,緩い意味での「英語エスニー」として呼ぶことができる.

 ・ ロラン・ブルトン 著,田辺 裕・中俣 均 訳 『言語の地理学』 白水社〈文庫クセジュ〉,1988年.

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2013-07-12 Fri

#1537. 「母語」にまつわる3つの問題 [sociolinguistics][terminology][linguistic_right]

 「母語」は言語学の専門用語というわけではないが,一般にも言語学にも広く使われている.英語で "mother tongue", フランス語で "langue maternelle", ドイツ語で "Muttersprache" であり,「母の言語」という言い方は同じである.典型的に母親から習得する,話者にとっての第1言語のことであり,自明な呼称のように思われるかもしれない.だが,「母語」という用語にはいくつかの問題が含まれている.すでに定着している用語であり,使うのを控えるというのも難しいが,問題点を指摘しておくことは重要だろう.
 1つ目は,用語にまつわる表面的な問題である.母から伝承される言語というイメージは情緒的ではあるが,現実には母以外から言語を聞き知る例はいくらでもある.母とはあくまで養育者の代名詞であるという議論は受け入れるとしても,「#1495. 驚くべき北西アマゾン文化圏の multilingualism」 ([2013-05-31-1]) で示したように,社会制度として父の言語が第1言語となるような文化も存在する.この場合には,むしろ「父語」の呼称がふさわしい.
 2つ目は,母語の定義についてである.上でも第1言語という代替表現を用いたが,これが含意するのは,母語とは話者が最初に習得した言語を指すということである.ほとんどの場合,この定義でうまくいくだろうが,習得順序によって定まる母語と心理的実在としての母語とが一致しないケースがまれにあるかもしれない.ブルトン (34--35) による以下の文章を参照.


 3つ目に,本質的に話者個人の属性としての母語が,用語として社会的な文脈に現われるとき,ほとんど気付かれることなく,その意味内容が社会化され,ゆがめられてしまうという問題がある.例えば,UNESCO 1953 は,次のように述べて,母語での教育の機会を擁護している.

On educational grounds we recommend that the use of the mother tongue be extended to as late a stage in education as possible. In particular, pupils should begin their schooling through the medium of the mother tongue, because they understand it best and because to begin their school life in the mother tongue will make the break between home and school as small as possible.

 意図として良心的であり,趣旨には賛成である.しかし,"the mother tongue" という用語が教育という社会的な文脈で用いられることにより,本来的に話者個人と結びつけられていたはずの問題が,社会問題へとすり替えられえいるように思われる.
 話者個人にとって母語というものが紛れもない心理的実在だとしても,その言語が社会的に独立した言語として認知されているかどうかは別問題である.例えば,その言語が威信ある言語の1方言として位置づけられているにすぎず,独立した言語として名前が与えられていない可能性がある.その場合には,その話者は母語での教育の機会を与えられることはないだろう.また,話者本人が自らの言語を申告する際に,母語を申告しない可能性もある.Romain (37) によれば,イギリスにおいて,家庭で普段 Panjabi を話すパキスタン系の人々は,自らは Panjabi の話者ではなく,パキスタンの国語である Urdu の話者であると申告するという.ここには故国の政治的,宗教的な要因が絡んでいる.
 母語を究極的に個人の属性として,すなわち個人語 (idiolect) として解釈するのであれば,母語での教育とは話者の数だけ種類があることになる.しかし,そのように教育を施すことは非現実的だろう.一方で,ある程度抽象化した言語変種 (variety) として捉えるのであれば,その変種は言語なのか方言なのかという,例の頭の痛い社会言語学的な問題に逆戻りしてしまう.社会的な文脈で用いられた母語という用語は,すでに社会化された意味内容をもってしまっているのである.

 ・ ロラン・ブルトン 著,田辺 裕・中俣 均 訳 『言語の地理学』 白水社〈文庫クセジュ〉,1988年.
 ・ Romain, Suzanne. Language in Society: An Introduction to Sociolinguistics. 2nd ed. Oxford: OUP, 2000.

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2013-06-28 Fri

#1523. Abstand languageAusbau language [terminology][sociolinguistics][language_or_dialect]

 昨日の記事「#1522. autonomyheteronomy」 ([2013-06-27-1]) で,言語と方言の区別という問題に迫るための新しい概念と用語を導入した.今日は関連して,ある言語変種が方言 (heteronomous) ではなく言語 (autonomous) と認定されるために,2つの異なる基準があるということを議論したい.
 ドイツの社会言語学者 Heinz Kloss の導入した対概念に,標題の Abstand languageAusbau language がある.Trudgill の用語集によれば,それぞれ次のように説明される.

Ausbau language (German /ˈausbau/) A concept due to the German sociolinguist Heinz Kloss. A variety which derives its status as a language, rather than a dialect, not so much from its linguistic characteristics, like an Abstand language, but from its social, cultural and political characteristics. These characteristics will normally involve autonomy and standardisation. Norwegian and Swedish are regarded as distinct languages, not because they are linguistically very different from one another --- there is clear mutual intelligibility --- but because they are associated with two separate, independent nation states, and because they have traditions involving different writing systems, grammar books and dictionaries. Ausbau is the German word for 'extension' or 'building up'. Note that when new Ausbau languages are being developed through language planning, planners will often make the most of what Abstand is available. For example, Ivar Aasen, the developer of the form of Standard Norwegian now known as Nynorsk deliberately modelled it on those (western) dialects which were least like Danish, which had hitherto been the standard language of Norway. There is no widely used English equivalent for this term, but 'language by extension' is sometimes employed. (11--12)

Abstand language (German /ˈapʃtant/) A concept developed by the German sociolinguist Heinz Kloss. A variety of language which is regarded as a language in its own right, rather than a dialect, by virtue of being very different in its linguistic characteristics from all other languages. The degree of linguistic distance (German 'Abstand') between this variety and other languages is such that, unlike Ausbau languages, there can be no dispute as to its language status. Basque, the language spoken in northern Spain and southwestern France, is a good example of an Abstand language. It is clearly a single language, because its dialects are similar. And it is clearly a language rather than a dialect because, since it is not related historically to any other European language, it is completely different in its grammar, vocabulary and pronunciation from the neighbouring languages, French and Spanish . . . . There is no widely used English equivalent for this term, but 'language by distance' is sometimes employed. (1--2)

 この対概念を英語史に応用できそうな例を考えると,例えば中世イングランドにおいてラテン語やフランス語が権威をもっていた社会言語学的状況にあって,英語は,社会的な立場こそ弱かったものの,誰もが認める1つの独立した (autonomous) 言語ではあった.なぜならば,単純に英語はラテン語やフランス語とはまるで似つかない Abstand language だからだ.ところが,フランス語はイングランドにおいてこそ英語よりも地位が高かったが,フランスにおいてはラテン語の影にあってむしろ英語の状況に比べれば独立性は危うかった.フランス語は権威あるラテン語とあまりに似すぎており,それに従属する (heteronomous) 方言へと降格しかねない.フランス語は,ラテン語によって自らの autonomy を侵されかねず,Ausbau language として独立した地位を守る必要があったのである.「#653. 中英語におけるフランス借用語とラテン借用語の区別」 ([2011-02-09-1]) で触れたように,ラテン語とフランス語の言語的な近さがかえってあだとなり,綴字の混用や etymological_respelling が英語における以上に頻繁に起こっていたことは,ラテン語に対する両言語の関係が異なっていたからに相違ない.この議論に Abstand と Ausbau の対概念を持ち込むことができるのではないか.

 ・ Trudgill, Peter. A Glossary of Sociolinguistics. Oxford: Oxford University Press, 2003.

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2013-06-27 Thu

#1522. autonomyheteronomy [sociolinguistics][dialect][variety][terminology][language_or_dialect][dialect_continuum]

 言語学および社会言語学の古典的な問題の1つに,言語 (language) と方言 (dialect) の境界という問題がある.この境界を言語学的に定めることは,多くの場合,きわめて難しい([2013-06-05-1]の記事「#1500. 方言連続体」を参照).この区別をあえてつけなくて済むように "a linguistic variety" (言語変種)という便利な術語が存在するのだが,社会言語学的にあえて概念上の区別をつけたいこともある.その場合,日常用語として実感の伴った「言語」と「方言」という用語を黙って使い続けてしまうという方法もあるが,それでは学問的にあえて区別をつけたいという主張が薄まってしまうきらいがある.
 そこで便利なのが,標題の autonomy と heteronomy という一対の概念だ.autonomous な変種とは,内からは諸変種のなかでもとりわけ権威ある変種としてみなされ,外からは独立した言語として,すなわち配下の諸変種を束ねあげた要の変種を指す.一方,heteronomous な変種とは,内からも外からも独立した言語としての地位を付されず,上位にある autonomous な変種に従属する変種を指す.比喩的にいえば,autonomy とは円の中心であり,円の全体でもあるという性質,heteronomy とはその円の中心以外にあって,中心を指向する性質と表現できる.
 この対概念をよりよく理解できるように,Trudgill の用語集からの説明を示そう.

autonomy A term, associated with the work of the Norwegian-American linguist Einar Haugen, which means independence and is thus the opposite of heteronomy. Autonomy is a characteristic of a variety of a language that has been subject to standardisation and codification, and is therefore regarded as having an independent existence. An autonomous variety is one whose speakers and writers are not socially, culturally or educationally dependent on any other variety of that language, and is normally the variety which is used in writing in the community in question. Standard English is a dialect which has the characteristic of autonomy, whereas Cockney does not have this feature. (12)

heteronomy A term associated with the work of the Norwegian-American linguist Einar Haugen. Dependence --- the opposite of autonomy. Heteronomy is a characteristic of a variety of a language that has not been subject to standardisation, and which is not regarded as having an existence independent of a corresponding autonomous standard. A heteronomous variety is typically a nonstandard variety whose speakers and writers are socially, culturally and educationally dependent on an autonomous variety of the same language, and who look to the standard autonomous variety as the one which naturally corresponds to their vernacular. (58)

 日常用語としての「言語」と「方言」が指示するものの性質をそれぞれ autonomy vs heteronomy として抽出し,その性質を形容詞 autonomous vs heteronomous として記述できるようにしたのが,この新しい概念と用語の利点だろう.言語と方言の区別,標準変種と非標準変種の区別という問題を,社会的な独立と依存という観点からとらえ直した点が評価される.関連して,Romain (14--15) の解説も有用.

 ・ Trudgill, Peter. A Glossary of Sociolinguistics. Oxford: OUP, 2003.
 ・ Romain, Suzanne. Language in Society: An Introduction to Sociolinguistics. 2nd ed. Oxford: OUP, 2000.

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2013-06-25 Tue

#1520. なぜ受動態の「態」が voice なのか [terminology][verb][passive][category][sobokunagimon]

 英語で受動態を "passive voice",能動態を "active voice" と呼ぶが,なぜ「態」が "voice" と対応するのだろうか.この文法範疇は主語や目的語などの文の要素が動詞の表わす動作とどのように関わるかを表わすものであり,いわば動作の姿や有様(=態)を標示する機能をもっている.このように日本語の「態」という用語はかろうじて理解されるかもしれないが,なぜ英語では "voice" と表現されるのかは謎である.そこで,調べてみることにした.
 まずは,OED から.voice, n. の語義13によると,文法用語としての "voice" の初例は15世紀前半である(大陸の文献では初出が16世紀なので,英語での使用のほうが早いことになる).最初期の用例を2つ挙げよう.

c1425 in C. R. Bland Teaching Gram. in Late Medieval Eng. (1991) 160 (MED), Þo secund coniugaciun..of passyf wowus, þat as -e- long befor þo -ris indecatyf, as doceris.

a1450 (a1397) Prol. Old Test. in Bible (Wycliffite, L.V.) (Cambr. Mm. II. 15) (1850) xv. 57 A participle of a present tens, either preterit, of actif vois, eithir passif.

 次に MED voice (n.) 6(a) によれば,15世紀の文法用語として,用例が続々と挙がる.興味深いことに,名詞の「格」 (case) を表わすのに voice が用いられている例がある.また,先の OED の voice, n. の語義14には,廃用ではあるが「人称」 (person) との定義もある.つまるところ,voice は,中世後期から近代初期にかけて,しばしば動詞の「態」を表わすほか,ときには名詞や動詞の屈折範疇をも広く表わすことができたらしい.
 関連して,ラテン文法で「態」は "genus" と呼ばれるが,これは名詞の範疇である "gender" とも同根である.ある用語が,品詞にかかわらず,ある種の分類に貼り付けられるラベルとして共用されることがある,もう1つの例として解釈できる.これらの文法用語の使い方は文法家の属する流派にも依存するため,近代期の一般的な用語と語義を同定するには文法史の知識が必要となるだろうが,私にはその知識はないので,詳細に立ち入ることができない.
 この問題について,ほかに手がかりはないかと言語学辞典その他に当たってみた.そして行き当たったのが,意外なところで Lyons (371--72) だ.

8.3.1 The term 'voice'
The term 'voice' (Latin vox) was originally used by Roman grammarians in two distinguishable, but related, senses: (i) In the sense of 'sound' (as used in the 'pronunciation' of human language: translating the Greek term phōnē, especially of the 'sounds' produced by the vibration of the 'vocal cords': hence the term 'vowel' (from Latin sonus vocalis, 'a sound produced with voice', via Old French vowel). (ii) Of the 'form' of a word (that is, what it 'sounded' like) as opposed to its 'meaning' . . . . the first of these two senses is still current in linguistics in the distinction between voiced and voiceless 'sounds' (whether as phonetic or phonological units . . .). In the second sense, 'voice' has disappeared from modern linguistic theory. Instead, the term has developed a third sense, derived ultimately from (ii) above, in which it refers to the active and passive 'forms' of the verb. (the traditional Latin term for this third sense was species or genus. In the course of time, genus was restricted to the nominal category of 'gender'; and the somewhat artificial classification of the 'forms' of the different parts of speech in terms of genera and species was abandoned.) The traditional Greek term for 'voice' as a category of the verb was diathesis, 'state', 'disposition', 'function', etc.; and some linguists prefer to use 'diathesis', rather than 'voice', in this sense of the term. However, the risk of confusion between the phonetic or phonological sense of 'voice' and its grammatical sense is very small.

 voice にせよ,case にせよ,gender にせよ,文法範疇の用語の語源や意味を探ってもあまり納得がゆかないのは,結局のところ,それぞれの文法範疇の機能が一言では記述できない代物であり,それならば「種類」や「形」を表わす類義語で代えてしまえ,という名付けに対する緩い態度があるからかもしれない.
 なお,上の引用にもある通り,「態」という文法範疇を表わすのに,voice のほかにギリシア語由来の diathesis という用語が使われることもある.これは dia- (between) + thesis (position) という語形成で「配置」ほどの原義である.

 ・ Lyons, John. Introduction to Theoretical Linguistics. Cambridge: CUP, 1968.

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2013-06-18 Tue

#1513. 聞こえ度 [phonetics][phoneme][sonority][syllable][terminology][phonotactics]

 音節 (syllable) には様々な定義が与えられうるが,広く受け入れられているものとして,分節音の音声的な聞こえ度 (sonority) に依存する定義がある.聞こえ度そのものは,"the overall loudness of a sound relative to others of the same pitch, stress and duration" (Crystal 442) のように定義される.各分節音が本来的にもつ聞こえやすさの程度と解釈できる.
 分節音の聞こえ度の測定は様々になされており,その値については実験ごとに詳細は異なるかもしれないが,おおまかな分類や順位については研究者のあいだで一致をみている.その1例として,Hogg and McCully (33) に挙げられている英語の分節音の sonority scale を示そう.

SoundsSonority valuesExamples
low vowels10/a, ɑ/
mid vowels9/e, o/
high vowels8/i, u/
nasals5/n, m, ŋ/
voiced fricatives4/v, ð, z/
voiceless fricatives3/f, θ, s/
voiced stops2/b, d, g/
voiceless stops1/p, t, k/

 さて,聞こえ度が音節を定義するのに有効なのは,分節音の連続において聞こえ度が頂点 (peak) に達するところが音節の核 (syllabic nucleus) と一致するからである.語を分節音の連続に分け,各分節音に聞こえ度を割り振ると,1つ以上の聞こえ度の頂点が得られる.この頂点の数が,その語の音節数ということになる.ある音節と隣あう音節との境目がどこに落ちるかは理論的な問題を含んでいるが,少なくとも音節の核(頂点)は,このように聞こえ度を分析することで機械的に定まるので都合が良い.

WordPronunciationSonority valuesPeaks = Syllables

 最後の buttonbottle では最終音が子音だが,聞こえ度として頂点をなすので,音節の核として機能している.いわゆる音節主音的子音である.
 さらに興味深いのは,音節を構成する一連の分節音が聞こえ度に関するある法則を示すことである.これは "Sonority Sequencing Generalisation" (SSG) と呼ばれる原則で,次のように定式化される.

[I]n any syllable, there is a segment constituting a sonority peak that is preceded and/or followed by a sequence of segments with progressively decreasing sonority values. (Crystal 442)

 音節によって山の頂点の高さはまちまちだが,典型的に「谷山谷」のきれいな分布になるということを,SSG は示している.onset が s で始まる子音群 (ex. sp-, st-, sk-) の場合などではこの原則は規則的に破られることが知られているが,これを除けば SSG は英語において非常に安定した原則である.

 ・ Crystal, David, ed. A Dictionary of Linguistics and Phonetics. 6th ed. Malden, MA: Blackwell, 2008. 295--96.
 ・ Hogg, Richard and C. B. McCully. Metrical Phonology: A Coursebook. Cambridge: CUP, 1987.

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2013-06-08 Sat

#1503. 統語,語彙,発音の社会言語学的役割 [variation][syntax][lexicon][variety][sociolinguistics][terminology][linguistic_area]

 これまでの記事でも言語項(目) (linguistic item) という術語を用いてきた.これは変異を示しうるあらゆる言語単位を指すための術語として,Hudson (21--22) によって導入されたものである.より一般的な言語学用語では "lexical items" (単語), "sounds" (発音), "constructions" (構文)などと単位が区別されているが,いずれも社会的な変異を示すという点で違いはなく,単位が何であれ,それを指示できる術語が欲しいというわけである.
 この問題を考察するにあたって,日本語でも英語でも,発音の変異は単語や構文の変異とは異なる扱いを受けやすいという事実を指摘しておこう.地域方言について話題にするとき,一般に,語彙や文法の違いよりも,発音の違いを指摘することが多い.訛り (accent) として言及されるものである.英語の英米差でも,語彙にも文法にも相違点はあるが,それぞれの変種の母語話者は,まず発音によって相手の変種を認識する.音声は物理的な現象として直接的な変異のインデックスとみなされやすいという事情がありそうだ.そこで,発音は話者の出自を示す社会言語学的な機能を,他の単位よりも強くもっていると仮定することができる.では,それに対して語彙や構文の変異はどのような機能をもっていると仮定できるか.
 Hudson (44--45) は,バルカン半島や南インドの言語圏 (linguistic area) において,文法項目が言語の垣根を越えて広がっている例を挙げながら,構文などの文法項目は語彙や発音に比べて変異の量が少ないという仮説を立てている.一方,これらの言語圏では,語彙の変異は社会的な差異を表わすのに有効に活用されている.ここから,Hudson (45) は言語項目を構成する3つの単位について,一般的な仮説を提起した.

A very tentative hypothesis thus emerges regarding the different types of linguistic items and their relations to society, according to which syntax is the marker of cohesion in society, with individuals trying to eliminate alternatives in syntax from their individual language. In contrast, vocabulary is a marker of divisions in society, and individuals may actively cultivate alternatives in order to make more subtle social distinctions. Pronunciation reflects the permanent social group with which the speaker identifies.


 ・ Hudson, R. A. Sociolinguistics. 2nd ed. Cambridge: CUP, 1996.

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2013-06-05 Wed

#1500. 方言連続体 [dialect_continuum][dialect][geography][isogloss][map][terminology]

 方言どうしの境界線(あるいは時に言語どうしの境界線)は,必ずしも明確に引けるとは限らない.否,多くの場合,方言線は多かれ少なかれ恣意的である.「#1317. 重要な等語線の選び方」 ([2012-12-04-1]) で述べたように,等語線 isogloss が太い束をなすところに境界線が引かれるとするのが一般的ではあるが,絶対的な基準はないといってよい.
 ある旅行者が地理的に連続体をなすA村からZ村へと歩いてゆく旅を想像すると,A村の言語とB村の言語とは僅少な差しかなく,B村とC村,C村とD村も同様だろう.旅行者は,各々の言語的な差異にはほとんど気付かずに歩いて行き,ついにZ村に達する.ところが,客観的にA村とZ村の言語を比べると,明らかに大きな差異があるのである.村から村への言語差はデジタルではなくアナログであり,旅行者が体験したのは方言連続体 (dialect continuum) にほかならない.世界各地に方言連続体が存在するが,ヨーロッパだけを見ても複数の方言連続体が見られる.以下は,Romain (12) の図を参考にして作った方言連続体の地図である.

Map of Dialect Continua in Europe

 方言連続体に関しては,理論的な問題がある.A, B, C, . . . Zの村々が方言連続体を構成していると想定した場合,それぞれの村の内部では一様な言語が行なわれていると考えてよいのだろうか.あるいは,村の西端と中央と東端とではミクロな方言連続体が存在しているのだろうか.もしA村とB村がそれぞれ言語的に一様だと仮定するならば,A村は1つの方言地域 (dialect area) を構成し,B村はもう1つの方言地域を構成するということになり,A村の方言とB村の方言の間には連続体ではなく小さいながらも断絶が想定されるということにならないだろうか.方言連続体という概念と方言地域という概念はどのように関連しているのだろうか.この理論的問題は,Chambers and Trudgill の問題として,Heeringa and Nerbonne によって取り上げられている.

Chambers and Trudgill (1998) introduced an interesting puzzle, one that is related to whether dialects should be viewed as organized by areas or via a geographic continuum. They observed that a traveller walking in a straight line notices successive small changes from village to village, but seldom, if ever, observes large differences. This sounds like a justification of the continuum view . . . . (376)

 いかに方言連続体が生じるか,なぜ方言が存在するのかという問題については,「#1303. なぜ方言が存在するのか --- 波状モデルによる説明」 ([2012-11-20-1]) の記事も参照.

 ・ Romain, Suzanne. Language in Society: An Introduction to Sociolinguistics. 2nd ed. Oxford: OUP, 2000.
 ・ Heeringa, Wilbert and John Nerbonne. "Dialect Areas and Dialect Continua." Language Variation and Change 13 (2001): 375--400.
 ・ Chambers, J. K. and Peter Trudgill. Dialectology. 2nd ed. Cambridge: CUP, 1998.

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2013-05-29 Wed

#1493. 和製英語ならぬ英製羅語 [latin][borrowing][semantic_change][word_formation][sign][loan_translation][lexicology][terminology][neo-latin][morphology][romancisation][false_friend][waseieigo]

 昨日の記事「#1492. 「ゴールデンウィーク」は和製英語か?」 ([2013-05-28-1]) で,和製英語と呼ばれる語句について通時的,共時的の両観点から考察した.実のところ,この考察は英語語彙の話題にもほとんどそのまま当てはまる.昨日は日本語と英語の関係を論じたが,今日は英語とラテン語の関係を論じたい.
 英語の歴史において,最も長く関わってきた外国語はラテン語である.大陸にあったゲルマン語の時代よりラテン語から語彙を借用してきた.古英語,中英語,近代英語にかけてラテン借用語は増加の一途を遂げ,以降はギリシア語とともに主として neo-classical compounding という語形成を通じて,英語語彙に影響を及ぼし続けている (##1437,32,120,1211,478の各記事を参照) .そして,英語はこの長い接触の歴史のなかで,ラテン語の語形成規則を自らの体系内に取り込んできた([2013-02-08-1]の記事「#1383. ラテン単語を英語化する形態規則」).
 さて,昨日の記事の (1) では,相手言語にモデルとなる signe が存在し,かつそれが参照されたかどうかで,和製英語か借用語かが区別されると述べた.同じことは,英語とラテン語についても言える.英語が,自らの体系に内化したラテン語規則に基づいて独自にラテン風単語を作り上げた場合,それは英製羅語である([2010-05-24-1]の記事「#392. antidisestablishmentarianism にみる英語のロマンス語化」を参照).一方,ラテン語に既存のモデルを参照して取り込んだ場合は,ラテン借用語である.その両端の間に歴史的事情が不明なグレーゾーンが広がっているのは日本語の場合と同様である.日本語の場合は,昨日の記事で「英語横文字(カタカナ)語」というラベルを即席で提示したが,英語の場合は "Latinate word" (ラテン風単語)という便利な用語が用意されている.これは英製羅語も含むし,純正ラテン借用語も含むし,事情のわからないラテン語の外見を装ったあらゆる語を含む.
 昨日の議論の (2) では,記号論・共時態の側面から,英語の干渉を受けて形成された日本語単語を4つに分類した.同様に,ラテン語の干渉を受けて形成された英単語を4つに分類しよう.

 (a) ラテン語に対応する signe が存在するタイプ(借用語に典型的)
 (b) ラテン語に対応する signifié は存在するが signifiant は異なるタイプ(翻訳借用語に典型的)
 (c) ラテン語に対応する signifiant は存在するが signifié は異なるタイプ("false friends" あるいは "faux amis" に典型的)
 (d) ラテン語に対応する signe が存在しないタイプ(英製羅語に典型的)

 英語を解さないラテン語母語話者を想定すると,この話者は英語話者によって発せられた (c) と (d) のような語を聞くと,頭の上にハテナが浮かぶことだろう.これは,英語母語話者が和製英語を聞いたときと同じ反応である.だが,英語にしても,借用後に意味を違えてきた (c) の例である tradition ([2011-11-27-1]の記事「#944. rationreason」を参照)や,(d) の例である antidisestablishmentarianism[2010-05-24-1]の記事「#392. antidisestablishmentarianism にみる英語のロマンス語化」を参照)のような語彙を増やしてゆくことによって,豊かな表現力を得るに至ったのである.
 日本語も然り.他言語からの語彙借用が歴史的に盛んである言語にあっては,(a)--(d) のすべてのタイプが,多かれ少なかれ見られるものなのではないか.和製英語は,興味をそそるトピックとしてしばしば取り上げられるが,通言語的には決して特異な現象ではないのだろう.

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2013-05-28 Tue

#1492. 「ゴールデンウィーク」は和製英語か? [japanese][borrowing][semantic_change][word_formation][terminology][sign][loan_translation][lexicology][morphology][false_friend][waseieigo]

 「#1471. golden を生み出した音韻・形態変化」 ([2013-05-07-1]) の記事で,「ゴールデンウィーク」 (Golden Week) という日本語表現に触れたとき,それを和製英語として紹介した.後日,同記事へのコメントがあり,英語教育に関する質疑応答・情報共有サイトの「Is ゴールデンウィーク wasei-eigo?」という記事へのリンクをいただいた(ありがとうございました!).その記事によると,Google Books Ngram Viewer (see [2010-12-25-1]) で検索をかけると,golden week という共起表現が1951年以前に英語に存在したということがわかる(こちらのページを参照).[2010-12-25-1]の記事で述べたように,正直のところ Google Books のコーパスとしての評価はしにくいと考えているが,少なくとも同句の存在は事実であると受け入れてよいだろう.だが,英語の golden week に「大型連休」なる語義があったわけではなく,あくまで「(黄金のように)素晴らしい週間」ほどの意味で用いられているようだ.さて,このような状況に鑑みて,はたして日本語の「ゴールデンウィーク」は和製英語とみなしてよいのかどうか.
 この問いには様々な側面があると思われるが,整理すると (1) 語形成論・通時態の側面と (2) 記号論・共時態の側面がある.「ゴールデンウィーク」は和製英語かどうかという問いは,もっぱら (1) の視点から発せられる問いであり,日本語語彙史や日本語語源学においては重要な問題だろう.一方,(2) の視点からはこの問いはあまり本質的ではないものの,間接的に日本語語彙論に理論的な問題を投げかけるという点では同じくらい興味深い.以下で (1) と (2) のそれぞれについて記す.

(1) 語形成論・通時態の側面
 日本語学用語として和製英語の厳密な定義が何であるのかはいくつかの用語辞典を参照しても判然としなかったが,和製英語の典型として挙げられる「ナイター」「バックミラー」のような例からその特徴を抽出すれば,「英語(由来)の形態素を英語の規則に概ね則って組み合わせることによって形成した日本語としての語句」ということになりそうだ.この定義は,音形 (signifiant) 形成が日本語体系内で行なわれている点,英語のモデルを参照していない点に焦点を当てた定義である.また,この定義は,その後意味が変化したかどうか,英語へ逆借用されたかどうかなどの後の発展には言及しない定義であり,もっぱら形成過程に注目した定義といえる.
 上の定義の和製英語と対立する過程は,借用 (borrowing) である.英語側のモデルとなる記号 (signe) を参照し,それをほぼそのまま日本語語彙体系のなかに取り込む過程である.
 さて,ある英語風日本語句が和製英語であるか英語借用語であるかは,既存の英語モデルを参照したかどうかにかかっている.「ゴールデンウィーク」の例でいえば,英語にすでに存在していたらしいモデル golden week を参照し借用したのか,あるいは英語側のモデルの有無はどうであれ,参照せずに日本語内部で独自に作り上げたものなのか.英語側にモデルがある以上,それを参照したと考えるのが自然と思われかもしれないが,必ずしもそうとはいえない.nighter などの形態規則のたまものとは異なり,golden week は統語規則のたまものであり,このような統語的共起表現が英語側と日本語側で独立して発生する可能性は十分にある.問題の語彙革新者がモデルの存在を知らなかったという可能性も捨てきれないのではないか.結局のところ,この問題への答えは,その語彙革新者が英語モデルの存在を知っており,それを参照したか否かという一点にかかっているのであり,それを知ることが現実的には難しい以上,この問いには「わからない」としか答えようがない.さらにいえば,その語彙革新者がモデルの存在を知っているか否かも,実際のところ,yes か no かで切り分けられる問題ではないかもしれない.英語の golden week をどこかで見聞きしたことがあるような・・・というおぼろげな記憶にすぎないかもしれないし,そもそも英語にはきっとモデルがありそうだという感覚さえあれば和製英語の形成に踏み切るには十分なのである.
 語源学上,「ゴールデンウィーク」を日本語内部での形成と考えるか,英語からの借用および意味の特殊化と考えるかは大きな違いである.語源欄に書くべきことが変わってくるからだ.英語にモデルが存在しない「ナイター」のように,明らかな和製英語の例が一方の端にある.借用過程がわかっている「コーパス」のように,明らかな借用の例が他方の端にある.その両端の間に,歴史的事情がよくわからないグレーゾーンが広がっており,良心的な語源学者であれば無理にどちらかに所属させることには躊躇するだろう.代わりに,和製英語から借用語へと続くこの連続体そのものに何かラベルを当てるというのが1つの解決法になるかもしれない.モデル参照の有無にかかわらず signifiant が英語風であるという共通点があるので,「英語横文字(カタカナ)語」などとしておくのが無難かもしれない.

(2) 記号論・共時態の側面
 記号論の観点から「ゴールデンウィーク」を考えると,上述とは違った見方が可能になる.英語の干渉を受けて形成された語は,記号 (signe) の観点から4つのタイプに分類される.

 (a) 英語に対応する signe が存在するタイプ(借用語に典型的)
 (b) 英語に対応する signifié は存在するが signifiant は異なるタイプ(翻訳借用語に典型的)
 (c) 英語に対応する signifiant は存在するが signifié は異なるタイプ("false friends" あるいは "faux amis" に典型的)
 (d) 英語に対応する signe が存在しないタイプ(和製英語に典型的)

 (c) の "false friends" とは,言語教育などで指摘されている「諸言語間で,形態は対応するが意味は異なるために注意を要する語句」である.不完全な借用過程や,借用後に生じた意味変化によってもたらされることが多いが,モデルの存在に気づかずに作られた和製英語などでこのタイプに属するものがあるかもしれない.
 和製英語にまとわりつくイメージとして「英語では通じないもの」があるが,実際には「英語では通じないもの」は,(c) と (d) に区別して捉えておく必要がある.(c) には「(自動車の)ハンドル」,授業をサボるの意での「エスケープする」,女性に親切な男を指す「フェミニスト」などが,(d) には「サラリーマン」「オールバック」「ベッドタウン」「シルバーシート」などがあり,通じなさの質が異なる.この類型に従えば「ゴールデンウィーク」は (c) となるだろう.この類型はあくまで共時的な類型であり,(1) で扱った形成過程に重きを置いた通時的な観点とは対照される点に注意されたい.

 上では,いくつかの角度から和製英語を他の語彙(過程)と対比的に位置づけようと試みてきた.さらに議論の整理が必要だが,「和製英語」とは本質的に (1) の観点から名付けられた用語であるらしいことがわかってきた.一方,「英語では通じないもの」という問題は,(2) に属する話題である.「和製英語」と「英語では通じないもの」とは,通時態と共時態の区別と同様に,いったん切り分けて議論したほうがよいのではないか.

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2013-05-22 Wed

#1486. diglossia を破った Chaucer [sociolinguistics][bilingualism][me][terminology][chaucer][reestablishment_of_english][diglossia]

 「#661. 12世紀後期イングランド人の話し言葉と書き言葉」 ([2011-02-17-1]) で,初期中英語のイングランドにおける言語状況を diglossia として言及した.上層の書き言葉にラテン語やフランス語が,下層の話し言葉に英語が用いられるという,言語の使い分けが明確な言語状況である.3言語が関わっているので triglossia と呼ぶのが正確かもしれない.
 diglossia という概念と用語を最初に導入したのは,社会言語学者 Ferguson である.Ferguson (336) による定義を引用しよう.

DIGLOSSIA is a relatively stable language situation in which, in addition to the primary dialects of the language (which may include a standard or regional standards), there is a very divergent, highly codified (often grammatically more complex) superposed variety, the vehicle of a large and respected body of written literature, either of an earlier period or in another speech community, which is learned largely by formal education and is used for most written and formal spoken purposes but is not used by any sector of the community for ordinary conversation.

 定義にあるとおり,Ferguson は diglossia を1言語の2変種からなる上下関係と位置づけていた.例として,古典アラビア語と方言アラビア語,標準ドイツ語とスイス・ドイツ語,純粋ギリシア語と民衆ギリシア語 ([2013-04-20-1]の記事「#1454. ギリシャ語派(印欧語族)」を参照),フランス語とハイチ・クレオール語の4例を挙げた.
 diglossia の概念は成功を収めた.後に,1言語の2変種からなる上下関係にとどまらず,異なる2言語からなる上下関係をも含む diglossia の拡大モデルが Fishman によって示されると,あわせて広く受け入れられるようになった.初期中英語のイングランドにおける diglossia は,この拡大版 diglossia の例ということになる.
 さて,典型的な diglossia 状況においては,説教,講義,演説,メディア,文学において上位変種 (high variety) が用いられ,労働者や召使いへの指示出し,家庭での会話,民衆的なラジオ番組,風刺漫画,民俗文学において下位変種 (low variety) が用いられるとされる.もし話者がこの使い分けを守らず,ふさわしくない状況でふさわしくない変種を用いると,そこには違和感のみならず,場合によっては危険すら生じうる.中世イングランドにおいてこの危険をあえて冒した急先鋒が,Chaucer だった.下位変種である英語で,従来は上位変種の領分だった文学を書いたのである.Wardhaugh (86) は,Chaucer の diglossia 破りについて次のように述べている.

You do not use an H variety in circumstances calling for an L variety, e.g., for addressing a servant; nor do you usually use an L variety when an H is called for, e.g., for writing a 'serious' work of literature. You may indeed do the latter, but it may be a risky endeavor; it is the kind of thing that Chaucer did for the English of his day, and it requires a certain willingness, on the part of both the writer and others, to break away from a diglossic situation by extending the L variety into functions normally associated only with the H. For about three centuries after the Norman Conquest of 1066, English and Norman French coexisted in England in a diglossic situation with Norman French the H variety and English the L. However, gradually the L variety assumed more and more functions associated with the H so that by Chaucer's time it had become possible to use the L variety for a major literary work.

 正確には Chaucer が独力で diglossia を破ったというよりは,Chaucer の時代までに,diglossia が破られうるまでに英語が市民権を回復しつつあったと理解するのが妥当だろう.
 なお,diglossia に関しては,1960--90年にかけて3000件もの論文や著書が著わされたというから学界としては画期的な概念だったといえるだろう(カルヴェ,p. 31).

 ・ Wardhaugh, Ronald. An Introduction to Sociolinguistics. 6th ed. Malden: Blackwell, 2010.
 ・ Ferguson, C. A. "Diglossia." Word 15 (1959): 325--40.
 ・ ルイ=ジャン・カルヴェ(著),西山 教行(訳) 『言語政策とは何か』 白水社,2000年.

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2013-04-15 Mon

#1449. 言語における「範疇」 [category][number][gender][tense][aspect][person][mode][terminology][sapir-whorf_hypothesis][linguistic_relativism]

 言語学では範疇 (category) という術語が頻用される.もともとは哲学用語であり,日本語の「範疇」は,中国の『書経』の「洪範九疇」ということばをもとに,英語 category やドイツ語 Kategorie の訳語として,明治時代の西洋哲学の移入時に,井上哲次郎(一説に西周)が作ったものとされる.原語はギリシア語の katēgoríā であり,その動詞 katēgoreînkata- (against) + agoreúein (to speak in the assembly) から成る.「公の場で承認されうる普遍的な概念の下に包みこんで訴える」ほどの原義に基づいて,アリストテレスは「分類の最も普遍的な規定,すなわち最高類概念」の語義を発展させ,以降,非専門的な一般的な語義「同じ種類のものの所属する部類・部門」も発展してきた.
 英語の category も,まずは16世紀末に哲学用語としてラテン語から導入され,17世紀中葉から一般用語として使われ出した.現在では,OALD8 の定義は "a group of people or things with particular features in common" とあり,日常化した用語と考えてよい.
 では,言語学で用いられる「範疇」とは何か.さすがに専門用語とだけあって,日常的な単なる「部類・部門」の語義で使われるわけではない.では,言語的範疇の具体例を見てみよう.英文法では文法範疇 (grammatical category) ということが言われるが,例えば数 (number) ,人称 (person) ,時制 (tense) ,法 (mode) などが挙げられる.これらは動詞を中心とする形態的屈折にかかわる範疇だが,性 (gender or sex) など語彙的なものもあるし,定・不定 (definiteness) や相 (aspect) などの統語的なものもある.これらの範疇は英文法の根本にある原理であり,文法記述に欠かせない概念ととらえることができる.これで理解できたような気はするが,では,言語的範疇をずばり定義せよといわれると難しい.このもやもやを解決してくれるのは,Bloomfield の定義である.以下に引用しよう.

Large form-classes which completely subdivide either the whole lexicon or some important form-class into form-classes of approximately equal size, are called categories. (270)

 文法性 (gender) で考えてみるとわかりやすい.名詞という語彙集合を前提とすると,例えばフランス語には形態的,統語的な振る舞いに応じて,規模の大きく異ならない2種類の部分集合が区別される.一方を男性名詞と名付け,他方を女性名詞と名付け,この区別の基準のことを性範疇を呼ぶ,というわけである.
 category の言語学的用法が一般的用法ではなく哲学的用法に接近していることは,言語的範疇がものの見方や思考様式の問題と直結しやすいからである.この点についても,Bloomfield の説明がすばらしい.

The categories of a language, especially those which affect morphology (book : books, he : she), are so pervasive that anyone who reflects upon his language at all, is sure to notice them. In the ordinary case, this person, knowing only his native language, or perhaps some others closely akin to it, may mistake his categories for universal forms of speech, or of "human thought," or of the universe itself. This is why a good deal of what passes for "logic" or "metaphysics" is merely an incompetent restating of the chief categories of the philosopher's language. A task for linguists of the future will be to compare the categories of different languages and see what features are universal or at least widespread. (270)

 ・ Bloomfield, Leonard. Language. 1933. Chicago and London: U of Chicago P, 1984.

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2013-02-21 Thu

#1396. "Standard English" とは何か [variety][elf][model_of_englishes][wsse][terminology][sociolinguistics][sobokunagimon]

 第2言語として英語を学習する際に目標とする英語変種 (the target variety of English) は,ほとんどの場合,"Standard English" (標準英語)だろう.これはより正確には "the Standard variety of English" と表現でき,当然ながら存在するものと思い込んでいる.しかし,「#1373. variety とは何か」 ([2013-01-29-1]) で見たとおり,variety という概念が明確に定まらないのだから,the Standard variety の指すものも不明瞭とならざるをえないことは自明である.「#415. All linguistic varieties are fictions」 ([2010-06-16-1]) の議論からも予想される通り,標準英語なる変種もまた fiction である.
 ただし,fiction であることを前提に,標準英語を仮に設定することには意味がある.というよりも,そのような変種の存在を信じているふりをしなければ,英語学習の標的も,英語研究の対象も定まらず,覚束ない.例えば,Quirk et al. が英語記述のターゲットとしているのは "the common core" と呼んでいるものであり,「標準英語」が漠然と指示しているものと大きく重なるだろう([2009-12-10-1]の記事「#227. 英語変種のモデル」を参照).また,近年,ELF (English as a Lingua Franca) という概念が確立し,英語のモデルに関する議論 (model_of_englishes) や WSSE (World Standard Spoken English) なる変種の登場という話題も盛り上がっているなかで,標準英語という前提は避けて通れない.
 その指示対象が捉えがたく,存在すらも怪しいものであるから,標準英語を定義するというのは至難の業だが,Trudgill は次のような定義を与えた.

Standard English is that variety of English which is usually used in print, and which is normally taught in schools and to non-native speakers learning the language. It is also the variety which is normally spoken by educated people and used in news broadcasts and other similar situations. The difference between standard and nonstandard, it should be noted, has nothing in principle to do with differences between formal and colloquial language, or with concepts such as 'bad language'. Standard English has colloquial as well as formal variants, and Standard English speakers swear much as others. (5--6)


 ・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Grammar of Contemporary English. London: Longman, 1972.
 ・ Trudgill, Peter. Sociolinguistics: An Introduction to Language and Society. 4th ed. London: Penguin, 2000.

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2013-02-05 Tue

#1380. micro-sociolinguistics と macro-sociolinguistics [sociolinguistics][terminology]

 昨日の記事「#1379. 2012年度に提出された卒論の題目」 ([2013-02-04-1]) で,社会言語学 (sociolinguistics) のなかに macro-sociolinguistics と呼ばれる下位分野があることを示唆した.対するのは micro-sociolinguistics あるいは狭義の sociolinguistics ということになるが,この対立の設定をめぐっては賛否両論がある.
 前者の macro-sociolinguistics は sociology of language とも称されるように,言語との関連でみる社会についての学である.言い換えれば,言語を手段として社会の仕組みを明らかにするという趣旨である.一方,後者の micro-linguistics あるいは狭義での sociolinguistics は,社会との関連でみる言語の学である.こちらは,社会を材料として言語の仕組みを明らかにすることを目的としている.Wardhaugh (12--13) に引用されている Coulmas (2) の表現を借りれば,この違いは次のように言い直すことができる.

[M]icro-sociolinguistics investigates how social structure influences the way people talk and how language varieties and patterns of use correlate with social attributes such as class, sex, and age. Macro-linguistics, on the other hand, studies what societies do with their languages, that is, attitudes and attachments that account for the functional distribution of speech forms in society, language shift, maintenance, and replacement, the delimitation and interaction of speech communities.

 もう少し具体的にみると,macro-linguistics が扱う主題としては,Labov (30) が述べるように,次のようなものがある(Wardhaugh, p. 13 からの孫引き).

[Macro-linguistics] deals with large-scale social factors, and their mutual interaction with languages and dialects. There are many open questions, and many practical problems associated with the decay and assimilation of minority languages, the development of stable bilingualism, the standardization of languages and the planning of language development in newly emerging nations. The linguistic input for such studies is primarily that a given person or group uses language X in a social context or domain Y.

 社会言語学の碩学 Trudgill も micro-linguistics と macro-linguistics を明確に区別しようとする論者だが,Wardhaugh は両者の対立には懐疑的だ.Coulmas (3) に賛意を示しながら,次の一節を引いている (Wardhaugh 13) .

There is no sharp dividing line between the two, but a large area of common concern. Although sociolinguistic research centers about a number of different key issues, any rigid micro-macro compartmentalization seems quite contrived and unnecessary in the present state of knowledge about the complex interrelationships between linguistic and social structures. Contributions to a better understanding of language as a necessary condition and product of social life will continue to come from both quarters.

 言語学も社会学も発展途上であり,それが組み合わさった社会言語学はなおさらそうである.しかし,だからといって,社会言語学が両プロパーへ口出ししてはいけないということにはならないし,むしろつなぎ役として盛んに往復すべきではないか.無理に区別しようとして学者間で線引き箇所に相違が出てきているという問題もあり,私も micro-linguistics と macro-linguistics は緩い連続体ととらえておくほうがよいように思われる.
 なお,日本語学の分野では「言語生活」 という研究分野が主として戦後に育まれてきた.西洋の言語学の伝統ではあまり言及されない分野であり,macro-linguistics に属する領域としてユニークな存在である(加藤ほか,pp. 259--60).

 ・ Wardhaugh, Ronald. An Introduction to Sociolinguistics. 6th ed. Malden: Blackwell, 2010.
 ・ Coulmas, F., ed. The Handbook of Sociolinguistics. Oxford: Blackwell, 1997.
 ・ Labov, W. "The Study of Language in its Social Context." Studium Generale 23 (1970): 30--87.
 ・ 加藤 彰彦,佐治 圭三,森田 良行 編 『日本語概説』 おうふう,1989年.

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2013-02-01 Fri

#1376. 音声器官の図 [phonetics][terminology]

 授業などでの参照用に,音声器官 (speech organs) と調音点 (places of articulation) の図を掲載.言語学や音声学のどの教科書にも掲載されているが,以下のモノクロ版は O'Grady et al. の p. 19 と p. 23 より,カラー版は Britannica の "articulation: physical points of articulation" より.ほかには,Google 画像検索で "vocal tract" 辺りより無数の図をどうぞ.

Vocal Tract
Sound-Producing System
Places of Articulation


common namescientific nameadjective
alveolar ridge
(hard) palate
soft palatevelumvelar
upper throatpharynxpharyngeal
tongue tipapexapical
tongue bladelaminalaminal
tongue bodydorsum (back)dorsal
tongue root

 ・ O'Grady, William, John Archibald, Mark Aronoff, Janie Rees-Miller. Contemporary Linguistics: An Introduction. 6th ed. Boston: Bedford/St. Martin's, 2010. (Companion Site based on the 5th edition available here.)
 ・ Encyclopaedia Britannica. Encyclopaedia Britannica 2008 Ultimate Reference Suite. Chicago: Encyclopaedia Britannica, 2008.

Referrer (Inside): [2014-04-14-1]

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2013-01-29 Tue

#1373. variety とは何か [variety][sociolinguistics][terminology]

 社会言語学の最重要のキーワードの1つに variety変種) がある.variety については,variety の各記事,とりわけ「#415. All linguistic varieties are fictions」 ([2010-06-16-1]) で議論したが,今回は社会言語学者による定義をいくつかみてみよう.
 Wardhaugh (23) からの孫引きだが,Hudson (22) による "a variety of language" の定義は,"a set of linguistic items with similar distribution" である.次に,Ferguson (30) は,"any body of human speech patterns which is sufficiently homogeneous to be analyzed by available techniques of synchronic description and which has a sufficiently large repertory of elements and their arrangements or processes with broad enough semantic scope to function in all formal contexts of communication" と定義する.いずれの定義でも,"similar" や "sufficiently homogeneous" という表現を用いていることからわかるとおり,あらゆる言語項目にわたる完全な同一性を要求しているわけではない.あくまで緩やかに似通っていれば "variety" と呼ばれる資格があり,その中にある程度の variation (変異)が含まれていることはむしろ前提とされているのだ.この観点からすれば,ある多言語使用社会の成員が用いる言語項目の総体も,複数言語から成っているにもかかわらず "a variety" であるし,方言よりも小さい単位,例えばある村の言語やある家族の言語も "a variety" である.
 (社会)言語学で常用されている "variety" とは,かくも緩い概念である.あまりに緩すぎて,話題となっている "a variety" がそもそも存在するのかということすら,問題になりうるほどだ.それでも,Algeo が「#415. All linguistic varieties are fictions」 ([2010-06-16-1]) と述べる通り,そして Wardhaugh (23) も次の引用のなかで認める通り,"variety" という術語の有用さは疑い得ない.

[I]f we can identify such a unique set of items or patterns for each group in question, it might be possible to say there are such varieties as Standard English, Cockney, lower-class New York City speech, Oxford English, legalese, cocktail party talk, and so on. One important task, then, in sociolinguistics is to determine if such unique sets of items or patterns actually do exist. As we proceed we will encounter certain difficulties, but it is unlikely that we will easily abandon the concept of 'variety,' no matter how serious these difficulties prove to be.

 ・ Wardhaugh, Ronald. An Introduction to Sociolinguistics. 6th ed. Malden: Blackwell, 2010.
 ・ Hudson, R. A. Sociolinguistics. 2nd ed. Cambridge: CUP, 1996.
 ・ Ferguson, C. A. Language Structure and Language Use. Stanford, CA: Stanford UP, 1972.

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