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french - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-07-22 19:32

2021-07-30 Fri

#4477. フランス語史における語彙借用の概観 [french][borrowing][loan_word][hfl]

 本ブログでは,英語史における語彙借用について数多くの記事で紹介してきた.英語史研究では,英語がどの言語からどのような/どれだけの語を何世紀頃に借りてきたのかという問題は,主に OED などを用いた調査を通じて詳しく取り扱われてきており,多くのことが明らかにされている.(具体的には borrowing statistics などの各記事を参照されたい.)
 では,英語史とも関連の深いフランス語について,同様の問いを発してみるとどうなるだろうか.フランス語はどの言語からどのような/どれだけの語を何世紀頃に借りてきたのか.私は英語史を専門とする者なので直接調べてみたことはなかったが,たまたま Jones and Singh (31) に簡便な数値表を見つけたので,それを再現したい(もともとは Guiraud (6) の調査結果を基にした表とのこと).

Century12th13th14th15th16th17th18th19th
Arabic2022362670302441
Italian27507932018810167
Spanish  511851034332
Portuguese   1192383
Dutch1623352232522410
Germanic51251123273345
English821161467134377
Slavic2  1461110
Turkish1  2139614
Persian2  21531
Hindu    1485
Malaysian    41065
Japanese/Chinese    3625217
Greek845312  
Hebrew91252211


 表を眺めるだけで,いろいろなことが分かってくる.フランス語では16--17世紀にイタリア語からの借用語が多かったようだが,これは英語でも同様である.当時イタリア語はヨーロッパにおいて洗練された文化的な言語として威信を誇っていたからである.18世紀以降,イタリア語の威信は衰退したが,今度はそれと入れ替わるかのように英語が語彙供給言語として台頭してきた.なお,スペイン語も,こじんまりとしているが,イタリア語と似たような分布を示す.この点でも,フランス語史と英語史はパラレルである.
 アラビア語やオランダ語からは歴史を通じて一定のペースで単語が流入してきたというのもおもしろい.特にアラビア語については,英語史ではさほど目立たないため,私には意外だった.日本語と中国語はひっくるめて数えられているものの,16世紀以降にある程度の語彙をフランス語に供給していることが分かる.これについては英語史でもおよそパラレルな状況が見られる.
 語彙借用の傾向についてフランス語史と英語史を比べてみると,当然ながら類似点と相違点があるだろうが,おもしろい比較となりそうだ.

 ・ Jones, Mari C. and Ishtla Singh. Exploring Language Change. Abingdon: Routledge, 2005.
 ・ Guiraud, P. Les Mots Etrangers. Paris: Presses Universitaires de France, 1965.

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2021-07-06 Tue

#4453. フランス語から借用した単語なのかフランス語の単語なのか? [code-switching][borrowing][loan_word][french][anglo-norman][bilingualism][lexicology][etymology][med]

 主に中英語期に入ってきたフランス借用語について,ラテン借用語と見分けがつかないという語源学上の頭の痛い問題がある.これについては以下の記事で取り上げてきた.

 ・ 「#653. 中英語におけるフランス借用語とラテン借用語の区別」 ([2011-02-09-1])
 ・ 「#848. 中英語におけるフランス借用語とラテン借用語の区別 (2)」 ([2011-08-23-1])
 ・ 「#3581. 中英語期のフランス借用語,ラテン借用語,"mots savants" (1)」 ([2019-02-15-1])
 ・ 「#3582. 中英語期のフランス借用語,ラテン借用語,"mots savants" (2)」 ([2019-02-16-1])

 では,フランス語か英語かの見分けがつかない語というものはあるだろうか.フランス語と英語は属している語派も異なり,語形は明確に区別されるはずなので,そのような例は考えられないと思われるかもしれない.
 しかし,先のフランス借用語とラテン借用語の場合とは異なる意味合いではあるが,しかと判断できないことが少なくない.語形が似ている云々という問題ではない.語形からすれば明らかにフランス単語なのだ.ただ,その語が現われているテキストが英語テキストなのかフランス語テキストなのか見分けがつかない場合に,異なる種類の問題が生じてくる.もし完全なる英語テキストであればその語はフランス語から入ってきた借用語と認定されるだろうし,完全なるフランス語テキストであればその語は純然たるフランス語の単語であり,英語とは無関係と判断されるだろう.これは難しいことではない.
 ところが,現実には英仏要素が混じり合い,いずれの言語がベースとなっているのかが判然としない "macaronic" な2言語テキストなるものがある.いわば,書かれた code-switching の例だ.そのなかに出てくる,語形としては明らかにフランス語に属する単語は,すでに英語に借用されて英語語彙の一部を構成しているものなのか,あるいは純然たるフランス単語として用いられているにすぎないのか.明確な基準がない限り,判断は恣意的になるだろう.英仏語のほかラテン語も関わってきて,事情がさらにややこしくなる場合もある.この問題について,Trotter (1790) の解説を聞こう.

Quantities of medieval documents survive in (often heavily abbreviated) medieval British Latin, into which have been inserted substantial numbers of Anglo-French or Middle English terms, usually of course substantives; analysis of this material is complicated by the abbreviation system, which may even have been designed to ensure that the language of the documents was flexible, and that words could have been read in more than one language . . ., but also by the fact that in the later period (that is, after around 1350) the distinction between Middle English and Anglo-French is increasingly hard to draw. As is apparent from even a cursory perusal of the Middle English Dictionary (MED, Kurath et al. 1952--2001) it is by no means always clear whether a given word, listed as Middle English but first attested in an Anglo-French context, actually is Middle English, or is perceived as an Anglo-French borrowing.


 2言語テキストに現われる単語がいずれの言語に属するのかを決定することは,必ずしも簡単ではない.ある言語の語彙とは何なのか,改めて考えさせられる.関連して以下の話題も参照されたい.

 ・ 「#2426. York Memorandum Book にみられる英仏羅語の多種多様な混合」 ([2015-12-18-1])
 ・ 「#1470. macaronic lyric」 ([2013-05-06-1])
 ・ 「#1625. 中英語期の書き言葉における code-switching」 ([2013-10-08-1])
 ・ 「#1941. macaronic code-switching としての語源的綴字?」 ([2014-08-20-1])
 ・ 「#2271. 後期中英語の macaronic な会計文書」 ([2015-07-16-1])
 ・ 「#2348. 英語史における code-switching 研究」 ([2015-10-01-1])

 ・ Trotter, David. "English in Contact: Middle English Creolization." Chapter 114 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1781--93.

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2021-07-04 Sun

#4451. フランス借用語のピークは本当に14世紀か? [french][loan_word][borrowing][statistics][lexicology][hybrid][personal_name][onomastics][link]

 中英語期にフランス語からの借用語が大量に流入したことは,英語史ではよく知られている.とりわけ中期から後期にかけて,およそ1250--1400年の時期に,数としてピークに達したことも,英語史概説書では広く記述されてきた.本ブログでも以下の記事などで,幾度となく取り上げてきた話題である.

 ・ 「#117. フランス借用語の年代別分布」 ([2009-08-22-1])
 ・ 「#1205. 英語の復権期にフランス借用語が爆発したのはなぜか」 ([2012-08-14-1])
 ・ 「#1209. 1250年を境とするフランス借用語の区分」 ([2012-08-18-1])
 ・ 「#1638. フランス語とラテン語からの大量語彙借用のタイミングの共通点」 ([2013-10-21-1])
 ・ 「#2349. 英語の復権期にフランス借用語が爆発したのはなぜか (2)」 ([2015-10-02-1])
 ・ 「#2162. OED によるフランス語・ラテン語からの借用語の推移」 ([2015-03-29-1])
 ・ 「#2357. OED による,古典語およびロマンス諸語からの借用語彙の統計」 ([2015-10-10-1])
 ・ 「#2385. OED による古典語およびロマンス諸語からの借用語彙の統計 (2)」 ([2015-11-07-1])
 ・ 「#4138. フランス借用語のうち中英語期に借りられたものは4割強でかつ重要語」 ([2020-08-25-1]),

 フランス借用語の数についていえば,OED などを用いた客観的な調査に裏づけられた事実であり,上記の「定説」に異論はない.しかし,当然ながらすべて書き言葉に基づく調査結果であることに注意が必要である.もし話し言葉におけるフランス借用語のピークを推し量ろうとするならば,ピークはもっと早かった可能性が高い.Trotter (1789) が次のように論じている.

In charting the chronology of the process, we are again at the mercy of the documentary evidence. The key period of lexical transfer appears to be the 14th century; but that may be, as much as anything else, because of the explosion of available documentation in both Anglo-French and, more particularly, Middle English at that time. In other words, the real dates of the transfers may not be the dates at which they are documented. Some evidence that this is not so is available in the form of English surnames, of Anglo-French origin . . . , and indeed in the capacity of some early Middle English texts to generate hybrids from Anglo-French and Middle English (forpreiseð; propreliche; priveiliche from Ancrene Wisse . . .).


 1つは,一般的にピークとされてきた14世紀は,たまたま書き言葉の記録が多く残された時代であり,そのためにフランス借用語の規模も大きく見えがちになるということだ.
 もう1つは,書き言葉に初出した年代をもって,そのまま英語に初出した年代と理解することはできないということだ(cf. 「#2375. Anglo-French という補助線 (2)」 ([2015-10-28-1])).普通の語ではなく姓(人名)として借用されたフランス語要素を考え合わせるならば,より早い時期に入っていた証拠がある.また,初期中英語期に文証される混種語の存在は,通常のフランス借用語が当時までにそれだけ多く流通していたことを示唆する(cf. 「#96. 英語とフランス語の素材を活かした 混種語 ( hybrid )」 ([2009-08-01-1])).
 英語史におけるフランス借用語のピークは,書き言葉の証拠から量的に調査した限りにおいては,従来通りに14世紀といってよいが,話し言葉を含めた実態としては,それより早い時期にあったものと推測されるのである.

 ・ Trotter, David. "English in Contact: Middle English Creolization." Chapter 114 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1781--93.

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2021-07-03 Sat

#4450. 中英語期は,英語とフランス語が共存・接触した時代 [french][contact][anglo-norman][bilingualism][reestablishment_of_english][historiography][language_myth][linguistic_ideology]

 伝統的な英語史記述では,中英語期は英語が(アングロ)フランス語のくびきの下にあった時代として描かれる.1066年のノルマン征服の結果,英語はイングランド社会において自律性を失い,代わってフランス語が「公用語」となった.しかし,12世紀以降,英語の復権はゆっくりではあるが着実に進み,14世紀後半には自律性を回復するに至った.このように,中英語期に関しては,浮かんでいた英語がいったん沈み,再び浮かび上がる物語として叙述されるのが常である.
 しかし,Trotter (1782) は,このような中英語期の描き方は神話に近いものだと考えている.当時の英語と(アングロ)フランス語の関係は,浮き沈みの関係,あるいは時間軸に沿って交替した関係ではなく,むしろ共存・接触の関係とみるべきだと主張する.この時代にフランス語が英語に与えた言語的影響を考察する上でも,共存・接触関係を前提とすることが肝要だと説く.

In much which is still being written on the history of medieval English, the specialist scholarship from the Anglo-French perspective has not been taken into account. Even in quite recent publications, Middle English scholarship continues to recycle a history of Anglo-French to which Anglo-French specialists would no longer subscribe. A particular example in the persistence of the traditional "serial monolingualism" model . . ., according to which Anglo-Saxon gives way to Anglo-French, pending the revival of Middle English, with each language succeeding the other. Born out of the 19th-century nationalist ideology which accompanied and prompted the emergence of philology in England and elsewhere . . ., this model ignores the reality of the long-term coexistence of languages, and of language contact . . . . Prominent amongst the areas in which language contact, going far beyond the limited "cultural borrowing" model, is evident, are (a) wholesale lexical transfer, (b) language mixing, (c) morphosyntactic hybridization, and (d) syntactic/idiomatic influences.


 確かに中英語期にフランス語が英語に与えた言語的影響の話題を導入する場合,まずもって文化語の借用から話しを始めるのが定番だろう.典型的には「#1210. 中英語のフランス借用語の一覧」 ([2012-08-19-1]) や「#331. 動物とその肉を表す英単語」 ([2010-03-24-1]) などを提示するということだ.しかし,そこで止まってしまうと,両言語の接触に関して表面的な理解しか得られずに終わることになる.一歩進んで,引用の (a), (b), (c), (d) のような,より深い言語的影響があったことまで踏み込みたいし,さらに一歩進んで両言語の関係が長期にわたる共存・接触の関係だったことに言及したい.

 ・ Trotter, David. "English in Contact: Middle English Creolization." Chapter 114 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1781--93.

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2021-06-03 Thu

#4420. 統語借用というよりも語彙語用的なぞり? [borrowing][contact][suffix][french][loan_translation][false_friend]

 言語接触 (contact) の概説書を書いている Winford は,文法項目の借用可能性を否定はしていないものの,従来指摘されてきた文法借用の事例の多くは,通常の語彙借用をベースとしたものであり,その発展版という程度のものではないかという考え方を示している.
 例えば,一般に中英語期にはフランス語から多くの派生接辞が借用されたといわれる.接尾辞 (suffix) に限っても -acioun, -age, -aunce, -erie, -ment, -ite; -ant, -ard, -esse, -our; -able, -al, -iv, -ous, -ate, -ify, -ize などが挙げられる (Winford 57) .しかし,英語話者は,これらの接尾辞をフランス語語彙からピンポイントで切り取って受容したわけではない.あくまでこれらの接尾辞をもつ単語を大量に受容し,その後に接尾辞を切り出して,英語内部の語形成に適用したのだろう.結果的にフランス語から派生接辞を借用したかのように見えるが,実際のプロセスは,語彙借用の後に接辞を切り出し適用したということなのだろう.
 同様に,一見すると統語的な借用に見える事例も,問題の統語構造を構成する語彙項目の借用がまず生じ,それと連動する形で結果的に統語構造そのものもコピーされた結果とみなすことができるかもしれない.
 例えば,Winford (66) は Silva-Corvalán の1994年の研究を参照して,標準スペイン語と,英語と濃厚接触しているロサンゼルス・スペイン語の構文を比較している.英語でいえば they broke my jaw に相当する統語構造が,前者では与格 me を伴う y me quebraron la mandibula となるものの,後者では英語風に属格 mi を伴う y quebraron mi, mi jaw となるという.ロサンゼルス・スペイン語の構文において英語からの統語借用が生じているようにみえるが,厳密にいえば「借用」というよりは,英語の統語構造を参照した上でのロサンゼルス・スペイン語としての統語用法の拡張というべきかもしれない.というのは,標準スペイン語でも,後者の構造は不自然ではあるが,影響を受ける対象が「あご」のような身体の部位ではなく,身体から切り離せる一般の所有物の場合には,普通に用いられるからだ.つまり,もともとのスペイン語にあった語用・統語的な制限が,対応する英語構造に触発されて,緩まっただけのように思われる.これを「借用」と呼ぶことができるのか,と.この問題に対する Winford の結論を引こう (68) .

Silva-Corvalán (1998) discusses several other examples like these, and argues that the changes involved are not the outcome of direct borrowing of a syntactic structures or rules from one language into another (1998: 225). Rather, what is involved is a kind of "lexico-syntactic calquing" (ibid.) triggered by partial congruence between Spanish and English words. This results in Spanish words assuming the semantic and/or subcategorization properties of the apparent English equivalents (faux amis). Her findings lead her to the conclusion that "what is borrowed across languages is not syntax, but lexicon and pragmatics" (1998: 226) This claim certainly seems to hold for cases of language maintenance with bilingualism such as that in LA.


 「統語借用」を "lexico-syntactic calquing" (cf. loan_translation) として,あるいは統語的 "faux amis" (cf. false_friend) としてとらえる視点はこれまでになかった.目が開かれた.

 ・ Winford, Donald. An Introduction to Contact Linguistics. Malden, MA: Blackwell, 2003.
 ・ Silva-Corvalán, Carmen. Language Contact and Change: Spanish in Los Angeles. Oxford: Clarendon, 1994.
 ・ Silva-Corvalán, Carmen. "On Borrowing as a Mechanism of Syntactic Change." Romance Linguistics: Theoretical Perspectives. Ed. Shwegler, Armin, Bernard Tranel, and Myriam Uribe-Etxebarria. Amsterdam: Benjamins, 1998. 225--46.

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2021-05-16 Sun

#4402. 進行形の起源と発達 [verb][participle][gerund][syntax][aspect][contact][latin][french][celtic][khelf_hel_intro_2021]

 目下開催中の「英語史導入企画2021」より今日紹介するコンテンツは,昨日学部生より公表された「先生,進行形の ing って現在分詞なの?動名詞なの?」です.動詞の進行形の歴史をひもとき,形式上は現在分詞の構文の流れを汲んでいるが,機能上は動名詞の構文の流れを汲んでいることを指摘したコンテンツです.
 be + -ing として表現される進行形 (progressive form) の起源と発達については,英語史上多くの議論がなされてきました.諸説紛々としており,今なお定説と呼べるものがあるかどうかも怪しい状況です.研究史については Mustanoja (584--90) によくまとまっています.以下,それに依拠して概略を述べましょう.
 古英語には,現代英語の be + -ing の前駆体というべき構文として wesan/beon + -ende がありました.当時の現在分詞は -ende という形態を取っており,後に込み入った事情で -ing に置き換えられたという経緯があります(cf. 「#2421. 現在分詞と動名詞の協働的発達」 ([2015-12-13-1]),「#2422. 初期中英語における動名詞,現在分詞,不定詞の語尾の音韻形態的混同」 ([2015-12-14-1])).古英語の wesan/beon + -ende は,確かに継続を含意する文脈で用いられることもありましたが,そうでないことも多く,機能的には後世の進行形に直接つながるものかどうかは不確かです.また,起源としてはラテン語の対応する構文の模倣であるとも言われています.中英語期に入ると,この構文はむしろ目立たなくなります.方言によっても生起頻度に偏りがみられました.しかし,中英語後期にかけて着実に成長し始め,近現代英語の進行形に連なる流れを作り出しました.典型的に継続を表わす現代的な用法が発達し確立したのは,16世紀以降のことです.
 進行形の起源と発達をざっと概観しましたが,その詳細は実に複雑で,英語史研究上,喧喧諤諤の議論が繰り広げられてきました.古英語の対応構文からの地続きの発達であるという説もあれば,後世の「on + 動名詞」の構文からの派生であるという説もあります.この2つの説を組み合わせた穏当な第3の説も提案されており,これが今広く受け入れられている説となっているようです.
 他言語からの影響による発達という議論も多々あります.上述の通り,古英語の wesan/beon + -ende はラテン語の対応構文を模倣したものであるというのが有力な説です.中英語期での使用については,古フランス語の対応構文の影響も疑われています.さらに,ケルト語影響説まで提案されています(cf. 「#3754. ケルト語からの構造的借用,いわゆる「ケルト語仮説」について」 ([2019-08-07-1])).
 進行形は,このように英語史研究の魅力的な題材であり続けています.

 ・ Mustanoja, T. F. A Middle English Syntax. Helsinki: Société Néophilologique, 1960.

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2021-05-15 Sat

#4401. 「英語語彙の三層構造」の神話と脱神話化 [loan_word][french][latin][lexicology][lexical_stratification][language_myth][khelf_hel_intro_2021][hellog_entry_set][etymological_respelling]

 「英語史導入企画2021」のために昨日公表されたコンテンツは,大学院生による「Synonyms at Three Levels」でした.これは何のことかというと「英語語彙の三層構造」の話題です.「恐れ,恐怖」を意味する英単語として fear -- terror -- trepidation などがありますが,これらの類義語のセットにはパターンがあります.fear は易しい英語本来語で,terror はやや難しいフランス語からの借用語,trepidation は人を寄せ付けない高尚な響きをもつラテン語からの借用語です.英語の歴史を通じて,このような類義語が異なる時代に異なる言語から供給され語彙のなかに蓄積していった結果が,三層構造というわけです.上記コンテンツのほか,「#334. 英語語彙の三層構造」 ([2010-03-27-1]) や「#1296. 三層構造の例を追加」 ([2012-11-13-1]) より具体例を覗いてみてください.
 さて,「英語語彙の三層構造」は英語史では定番の話題です.定番すぎて神話化しているといっても過言ではありません.そこで本記事では,あえてその脱神話化を図ろうと思います.以下は英語史上級編の話題になりますのでご注意ください.すでに「#2643. 英語語彙の三層構造の神話?」 ([2016-07-22-1]) や「#2279. 英語語彙の逆転二層構造」 ([2015-07-24-1]) でも部分的に取り上げてきた話題ですが,今回は上記コンテンツに依拠しながら fear -- terror -- trepidation という3語1組 (triset) に焦点を当てて議論してみます.

 (1) コンテンツ内では,この triset のような「類例は枚挙に遑がない」と述べられています.私自身も英語史概説書や様々な記事で同趣旨の文章をたびたび書いてきたのですが,実は「遑」はかなりあるのではないかと考えています.「類例をひたすら挙げてみて」と言われてもたいした数が挙がらないのが現実です.しかも「きれい」な例を挙げなさいと言われると,これは相当に難問です.

 (2) 今回の fear - terror - trepidation はかなり「きれい」な例のようにみえます.しかしどこまで本当に「きれい」かというのが私の問題意識です.一般の英語辞書の語源欄では確かに terror はフランス語から,trepidation はラテン語から入ったとされています.おおもとは両語ともラテン語にさかのぼり,前者は terrōrem,後者は trepidātiō が語源形となります(ちなみに,ともに印欧語根は *ter- にさかのぼり共通です).terror はもともとラテン語の単語だったけれどもフランス語を経由して英語に入ってきたという意味において「フランス語からの借用語」と表現することは,語源記述の慣習に沿ったもので,まったく問題はありません.
 ところが,OEDterror の語源記述をみると "Of multiple origins. Partly a borrowing from French. Partly a borrowing from Latin." とあります.「フランス語からの借用語である」とは断定していないのです.語源学的にいって,この種の単語はフランス語から入ったのかラテン語から入ったのか曖昧なケースが多く,研究史上多くの議論がなされてきました.この議論に関心のある方はこちらの記事セットをご覧ください.
 難しい問題ですが,私としては terror をひとまずフランス借用語と解釈してよいだろうとは考えています.その根拠の1つは,中英語での初期の優勢な綴字がフランス語風の <terrour> だったことです.ラテン語風であれば <terror> となるはずです.逆にいえば,現代英語の綴字 <terror> は,後にラテン語綴字を参照した語源的綴字 (etymological_respelling) の例ということになります.要するに,現代の terror は,後からラテン語風味を吹き込まれたフランス借用語ということではないかと考えています.
 この terror の出自の曖昧さを考慮に入れると,問題の triset は典型的な「英語 -- フランス語 -- ラテン語」の型にがっちりはまる例ではないことになります.少なくとも例としての「きれいさ」は,100%から80%くらいまでに目減りしたように思います.

 (3) 次に trepidation についてですが,OED によればラテン語から直接借用されたものとあります.一方,研究社の『英語語源辞典』は,フランス語 trépidation あるいはラテン語 trepidātiō(n)- に由来するものとし,慎重な姿勢をとっています.なお,この単語の英語での初出は1605年ですが,OED 第2版の情報によると,フランス語ではすでに15世紀に trépidation が文証されているということです.terror に続き trepidation の出自にも曖昧なところが出てきました.問題の triset の「きれいさ」は,80%からさらに70%くらいまで下がった感じがします.

 (4) コンテンツ内でも触れられているように,三層構造の中層を占めるフランス借用語層は,実際には下層を占める英語本来語層とも融合していることが多いです (ex. clear, cry, fool, humour, safe) .きれいな三層構造を構成しているというよりは,英仏語の層をひっくるめたり,仏羅語の層をひっくるめたりして,二層構造に近くなるという側面があります.
 さらに「逆転二層構造」と呼ぶべき典型的でない例も散見されます.例えば,同じ「谷」でも中層を担うはずのフランス借用語 valley は日常的な響きをもちますが,下層を担うはずの英語本来語 dale はかえって文学的で高尚な響きをもつともいえます.action/deed, enemy/foe, reward/meed も類例です(cf. 「#2279. 英語語彙の逆転二層構造」 ([2015-07-24-1])).英語語彙の三層構造は,本当のところは評判ほど「きれい」でもないのです.

 以上,「英語語彙の三層構造」の脱神話化を図ってみました.私も全体論としての「英語語彙の三層構造」を否定する気はまったくありません.私自身いろいろなところで書いてきましたし,今後も書いてゆくつもりです.ただし,そこに必ずしも「きれい」ではない側面があることには留意しておきたいと思うのです.
 英語語彙の三層構造の諸側面に関心をもった方はこちらの記事セットをどうぞ.

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2021-05-08 Sat

#4394. 「疑いの2」の英語史 [khelf_hel_intro_2021][etymology][comparative_linguistics][indo-european][oe][lexicology][loan_word][germanic][italic][latin][french][edd][grimms_law][etymological_respelling][lexicology][semantic_field]

 印欧語族では「疑い」と「2」は密接な関係にあります.日本語でも「二心をいだく」(=不忠な心,疑心をもつ)というように,真偽2つの間で揺れ動く心理を表現する際に「2」が関わってくるというのは理解できる気がします.しかし,印欧諸語では両者の関係ははるかに濃密で,語形成・語彙のレベルで体系的に顕在化されているのです.
 昨日「英語史導入企画2021」のために大学院生より公開された「疑いはいつも 2 つ!」は,この事実について比較言語学の観点から詳細に解説したコンテンツです.印欧語比較言語学や語源の話題に関心のある読者にとって,おおいに楽しめる内容となっています.
 上記コンテンツを読めば,印欧諸語の語彙のなかに「疑い」と「2」の濃密な関係を見出すことができます.しかし,ここで疑問が湧きます.なぜ印欧語族の一員である英語の語彙には,このような関係がほとんど見られないのでしょうか.コンテンツの注1に,次のようにありました.

現代の標準的な英語にはゲルマン語の「2」由来の「疑い」を意味する単語は残っていないが,English Dialect Dictionary Online によればイングランド中西部のスタッフォードシャーや西隣のシュロップシャーの方言で tweag/tweagle 「疑い・当惑」という単語が生き残っている.


 最後の「生き残っている」にヒントがあります.コンテンツ内でも触れられているとおり,古くは英語にもドイツ語や他のゲルマン語のように "two" にもとづく「疑い」の関連語が普通に存在したのです.古英語辞書を開くと,ざっと次のような見出し語を見つけることができました.

 ・ twēo "doubt, ambiguity"
 ・ twēogende "doubting"
 ・ twēogendlic "doubtful, uncertain"
 ・ twēolic "doubtful, ambiguous, equivocal"
 ・ twēon "to doubt, hesitate"
 ・ twēonian "to doubt, be uncertain, hesitate"
 ・ twēonigend, twēoniendlic "doubtful, expressing doubt"
 ・ twēonigendlīce "perhaps"
 ・ twēonol "doubtful"
 ・ twīendlīce "doubtingly"

 これらのいくつかは初期中英語期まで用いられていましたが,その後,すべて事実上廃用となっていきました.その理由は,1066年のノルマン征服の余波で,これらと究極的には同根語であるラテン語やフランス語からの借用語に,すっかり置き換えられてしまったからです.ゲルマン的な "two" 系列からイタリック的な "duo" 系列へ,きれいさっぱり引っ越ししたというわけです(/t/ と /d/ の関係についてはグリムの法則 (grimms_law) を参照).現代英語で「疑いの2」を示す語例を挙げてみると,

doubt, doubtable, doubtful, doubting, doubtingly, dubiety, dubious, dubitate, dubitation, dubitative, indubitably


など,見事にすべて /d/ で始まるイタリック系借用語です.このなかに dubious のように綴字 <b> を普通に /b/ と発音するケースと,doubt のように <b> を発音しないケース(いわゆる語源的綴字 (etymological_respelling))が混在しているのも英語史的にはおもしろい話題です (cf. 「#3333. なぜ doubt の綴字には発音しない b があるのか?」 ([2018-06-12-1])).
 このようにゲルマン系の古英語単語が中英語期以降にイタリック系の借用語に置き換えられたというのは,英語史上はありふれた現象です.しかし,今回のケースがおもしろいのは,単発での置き換えではなく,関連語がこぞって置き換えられたという点です.語彙論的にはたいへん興味深い現象だと考えています (cf. 「#648. 古英語の語彙と廃語」 ([2011-02-04-1])).
 こうして現代英語では "two" 系列で「疑いの2」を表わす語はほとんど見られなくなったのですが,最後に1つだけ,その心を受け継ぐ表現として be in/of two minds about sb/sth (= to be unable to decide what you think about sb/sth, or whether to do sth or not) を紹介しておきましょう.例文として I was in two minds about the book. (= I didn't know if I liked it or not) など.

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2021-04-08 Thu

#4364. 綴字も発音も意味もややこしい desert, dessert, dissert [latin][french][prefix][etymology][diatone][khelf_hel_intro_2021]

 標題は,その派生語も含め,頭が混乱してくる単語群です.綴字はややこしく似ているし,その割には発音は同じだったり異なっていたりする.意味も似ているような,そうでないような.こういう単語は学習する上で実に困ります.このややこしさは語源を遡ってもたいして解消しないのですが,新年度の英語史導入キャンペーン期間中ということもあり,歴史的にみてみたいと思います(cf. 「#4357. 新年度の英語史導入キャンペーンを開始します」 ([2021-04-01-1])).
 まずは,もっとも問題がなさそうで,知らなくてもよいレベルの単語である dissert v. /dɪˈsəːt/ から行きましょう.「論じる」を意味する動詞で,辞書では《古風》とのレーベルが貼られています.この単語のように綴字で <s> が重複する場合には,原則として無声音の /s/ となります(しかし,以下に述べるように,すぐに例外が現われます).この動詞から派生した名詞 dissertation 「学術論文(特に博士論文)」は知っておいてもよい単語ですね.
 語源としては,ラテン語で「論じる」を意味する動詞 dissertāre に遡ります.強意の接頭辞 dis- に,語幹 serere (言葉をつなぐ,作文する)から派生した反復形をつなげたもので,「しっかり言葉をつなぎあわせる」ほどが原義です(cf. 同語幹より series も).
 次に「デザート」を意味する dessert /dɪˈzəːt/も馴染み深い名詞だと思います.<ss> の綴字ですが,上記の早速の例外で,有声音 /z/ で発音されます.この単語は,フランス語の動詞 desservir (供した食事を片付ける)の過去分詞形に由来します.つまり「膳を下げられた」後に出されるもの,まさに「食後のデザート」なわけです.フランス語の除去の接頭辞 des- に servir (英語にも serve として入り「食事を出す」の意)という語形成なので,納得です.
 さらに次に進みます.「デザート」の dessert とまったく同じ発音ながらも,<s> が1つの desert なる厄介な単語があります.複雑な事情を整理するために,以下では,起源の異なる desert 1desert 2 の2種類を区別していきます.最初に desert 1 から話しましょう.desert 1 は「捨てる,放棄する」を意味する動詞です.例文として,She was deserted by her husband. (彼女は夫に捨てられた.)を挙げておきます.この動詞の語源はフランス語 déserter で,さらに遡るとラテン語 dēserere の反復形に行き着きます.語根は serere なので,上述の dissert とも共通ですが,今回の単語についている接頭辞は dis- ではなく de- です.つなげる (serere) ことを止める (de) という発想で「捨てる,見捨てる」というわけです.
 そして,この動詞 desert 1 が,そのままの形態で形容詞化し,さらに名詞化したのが「捨てられた(地)」としての「砂漠」です.英語では名前動後 (diatone) の傾向により,「砂漠」としての desert の発音は,強勢が第1音節に移って /ˈdɛzət/ となるので要注意です.
 desert 2 /dɪˈzəːt/ に移りましょう.こちらは名詞で「当然受けるべき賞罰」を意味します.上記のこれまでの語とはまったく異なる雰囲気ですが,これは別語源の deserve /dɪˈzəːv/ (?に値する)という動詞の過去分詞形に由来する名詞形だからです.当然のごとく値するべき物事,それが賞罰ということです.この元の deserve なる動詞はフランス語 deservir からの借用で,これ自身はラテン語 dēservīre に遡ります.今回の接頭辞 - は強意,語幹 servīre は「仕える」の意味で,後者は後に serve として英語に取り込まれました.「?に仕えることができるほどに相応しい」→「?に値する」といった意味の発展と考えられます.
 さて,混乱しやすい単語群の語源を遡ることで,かえって混乱したかもしれません(悪しからず).なお,最後に取り上げた動詞 deserve は,なかなか使い方の難しい動詞でもあります.The report deserves careful consideration., He deserves to be locked up for ever for what he did., Several other points deserve mentioning. など取り得る補文のヴァリエーションも豊富です.意味的な観点から探ってもおもしろい動詞だと思います.意味的な観点から,昨日「英語史導入企画2021」にて大学院生によるコンテンツ「"You deserve it." と「自業自得」」が公表されました.こちらもご一読ください.

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2021-03-07 Sun

#4332. notch (刻み目)の語頭の n [metanalysis][etymology][article][anglo-norman][french]

 「V字型の刻み目,切込み」を意味する notch が,不定冠詞に関わる異分析 (metanalysis) の結果の形態であるという記事を読んだ.9 Words Formed by Mistakes: When false division gives us real words の記事によると,notch が異分析という勘違いによって生じた語の1つとして紹介されている(その他の例として apron, ingot, nickname, umpire, orange, aught, newt, adder が挙げられている).
 この記事では,本来の (an) ickname(a) nickname として誤って分析され,新しく nickname という語幹が取り出されたのと同様に,古フランス語から借用された oche についても,(an) oche から (a) noche が取り出されたものとして説明されている.
 なるほどと思い OED の notch, n. で確認してみたが,上の記事の説明とは少々様子が異なる.確かに古フランス語やアングロノルマン語に oche なる形態はあったようだが,すでに14世紀初頭にアングロノルマン語において noche なる異形態が確認されているというのだ.英語での notch の初出は1555年であり,英語において不定冠詞の関わる異分析が生じたとするよりは,アングロノルマン語においてすでに n が語頭添加された形態が,そのまま英語に借用されたとするほうが素直ではないか,というのが OED のスタンスと読み取れる.語源欄には次のようにある.

Apparently < Anglo-Norman noche (early 14th cent.), variant of Anglo-Norman and Middle French osche notch, hole in an object (1170 in Old French), oche incised mark used to keep a record (13th cent.; French hoche nick, small notch; further etymology uncertain and disputed: see below), with attraction of n from the indefinite article in French (compare NOMBRIL n.).


 これによると,n の語頭添加は確かに不定冠詞の関わる異分析の結果ではあるが,英語での異分析ではなくフランス語での異分析だということになる.しかし,英語の an/a という異形態ペアに相当するものが,アングロノルマン語にあるとは聞いたことがなかったので少々頭をひねった.そこで Anglo-Norman DictionaryNOTCH1 に当たってみると,次の解説があった.

The nasal at the beginning of the word is believed to be the result of a lexicalized contraction of the n from the indefinite article: une oche became une noche. This nasalized form is not found in Continental French and, according to the OED, only appears in English from the second half of the sixteenth century (as notche).


 どうやら英語の an/a と厳密な意味で平行的な異分析というわけではないようだ.不定冠詞の n が長化して後続の語幹の頭に持ち越された,と表現するほうが適切かもしれない.しかも,この解説自体が OED を参照していることもあり,これは1つの仮説としてとらえておくのがよいかもしれない.
 参考までに,OED からの引用の末尾にある通り,nombril という語の n も,英語ではなくフランス語における不定冠詞の関わる異分析の結果として説明されている.

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2021-02-10 Wed

#4307. 最初のフランス語文法書はイングランド発 [french][reestablishment_of_english]

 昨日の記事「#4306. 12--13世紀のフランス語の栄光」 ([2021-02-09-1]) の最後で触れたが,フランス語の社会的影響力がとりわけ強かったイングランドですら,14世紀には「フランス語力」のない社会へと変質していた.当時のイングランドでフランス語の能力があるということは,現代の日本で英語ができるのと同様に,1つの「たしなみ」となっていたのである.逆にいえば,14世紀以降,フランス語は懸命に学習すべき対象となっていたのだ.
 この状況は様々な証拠から確かめられる.例えば「#2622. 15世紀にイングランド人がフランス語を学んだ理由」 ([2016-07-01-1]) で触れた通り,15世紀初頭に John Barton が Donet François なる文法書を書いたが,これは実に最初のフランス語文法書なのである.アジェージュ (120--21) より,関連する記述を引用する.

フランス語の勢力がたいへん強かった国,たとえばイギリスにおいては,ある出来事がフランス語の地位の後退を逆説的なかたちで物語っている.フランス語の文法書が生まれたのは,ほかならぬイギリスにおいてである.それは一四〇〇年に出版された『フランス語のドナトゥス (Donat françois)』 である(この教科書にドナトゥスの名前が冠せられているのにはわけがある.四世紀の有名なラテン語の文法化ドナトゥスは,中世には文法のモデルとみなされていたからである).著者〔ジョン・バートン〕はこの本をこう紹介している.

 イギリス王国の優れたひとびとは,フランス語を読み書き聞き話すことを熱烈に望んでいる.それは,彼らの隣人であるフランス王国のひとびとと親しく会話するためであり,また,イギリスの法律や多くの重要な事どもはフランス語で言いあらわされるからであり,さらには,イギリス王国においてさえほとんどすべての紳士淑女たちはフランス語でたがいに手紙を書くからである.だからこそ,私は思うのだが,フランス語の正しい性質を知ることは,イギリス人にとって絶対に必要なのである.(François 1959, t.I, p.100 に引用)


 フランス語の知識がしだいに衰えつつあったことがここからわかる.というのは,何冊かの最初のフランス語の文法書は,イギリスでフランス語を忘れつつあったひとびとのために書かれたからである.


 Donet François はフランス語で書かれていたが,あくまでイングランド人によるイングランド人のためのフランス語文法書だった.これが本格的なフランス語文法書の第1号である.この後,1530年に John Palsgrave が英語による初のフランス語文法書 Lesclarcissement de la Langue Francoyse を上梓したが,このように,当時フランス語学習熱はかなり盛り上がっていた(cf. 「#4173. Palsgrave のフランス語文典」 ([2020-09-29-1])).いな,文法書は別にしても,フランス語の単語集や会話集は,その多くが早くも13世紀以来イギリスの地で作成されてきたことも明記しておきたい (武井,p. 162) .

 ・ グロード・アジェージュ(著),糟谷 啓介・佐野 直子(訳) 『共通語の世界史 --- ヨーロッパ諸語をめぐる地政学』 白水社,2018年.
 ・ 武井 由紀 「最古のフランス語文法書,Donait françois について」『名古屋外国語大学外国語学部紀要』第44巻,2013年.161--81頁.

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2021-02-09 Tue

#4306. 12--13世紀のフランス語の栄光 [french][prestige]

 西洋史においてフランス語が威光を放っていた時期が2回ある.12--13世紀と17--18世紀だ.前者については「#2604. 13世紀のフランス語の文化的,国際的な地位」 ([2016-06-13-1]),後者については「#678. 汎ヨーロッパ的な18世紀のフランス借用語」 ([2011-03-06-1]) などで簡単に扱ってきた.今回は前者の中世における隆盛について改めて考えてみたい.
 アジェージュ (118--19) は,12--13世紀にフランス語が超域的に威信を放っていた事実を次のように描写している.

中世において,フランス語はすでに十二世紀以前から周囲の国々に強い影響力を及ぼしはじめていた.そのことは,フランス国外にフランス語の支配圏を確立させたひとつの出来事が何よりも物語っている.それは一〇六六年のイギリスの征服である.フランス語は三百年間にわたってイギリスに君臨し,巨大で深い跡を残した〔中略〕.さらに加えて,十一世紀のノルマン人の侵略とそれにつづくアンジュー家の移住によって,中世フランス語はシチリア王国にひろまり,さらには一三一五年までナポリで勢力を保った.しかしとりわけ,十字軍はキプロス王国治下のモレアス地方(ペロポネソス半島)にフランス語を移植し,そこでフランス語は十三世紀にリュジナン王朝の公用語となった.また,コンスタンティノープルでは,ガスムロス〔東ローマ帝国においてビザンツ人と「ラテン人」との間に生まれた人間とその子孫を指す〕がフランス語の普及に一役買った.そのほかにも,パレスチナやシリアのようなヨーロッパの外にある隣接地域については,いうまでもない.そこでは,フランク人が支配的な役割を務めていたため,フランス語が西方キリスト教会の共通語となった時代さえあった.エルサレムとアンティオキアで作成された法令集は,フランス語がフランスの公用語となる以前に,フランス語をこれらの王国の公用語に定めた.


 当時のフランス語の威信はどこから来たものなのか.アジェージュ (120--21) によれば,1つは,フランスの王女が外国の君主と婚姻を結び,ヨーロッパの王家どうしのつながりを深めたということがある.これが,フランス語の普及に有利に働いたと考えられる.もう1つは,武勲詩や騎士道物語に代表されるフランス語文学の存在である.文学を通じて多くの言語にフランス語彙が流入するとともに,フランス語自体の存在感も増した.
 しかし,13世紀末になるとフランス語の勢いは衰え始め,14世紀半ばには国際的な存在感を失った.フランス語の影響力がとりわけ強かったイングランドにおいてすら,14世紀にはフランス語は容易に理解されない言語となっていたのである(cf. 「#2612. 14世紀にフランス語ではなく英語で書こうとしたわけ」 ([2016-06-21-1])) .こうしてフランス語の栄光の第1幕が閉じた.

 ・ グロード・アジェージュ(著),糟谷 啓介・佐野 直子(訳) 『共通語の世界史 --- ヨーロッパ諸語をめぐる地政学』 白水社,2018年.

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2020-12-31 Thu

#4266. 講座「英語の歴史と語源」の第8回「ジョン失地王とマグナカルタ」を終えました [asacul][notice][monarch][french][history][reestablishment_of_english][magna_carta][link][slide]

 「#4254. 講座「英語の歴史と語源」の第8回「ジョン失地王とマグナカルタ」のご案内」 ([2020-12-19-1]) でお知らせしたように,12月26日(土)の15:30?18:45に,朝日カルチャーセンター新宿教室にて「英語の歴史と語源・8 ジョン失地王とマグナカルタ」と題して話しました.ゆっくりと続けているシリーズですが,毎回,参加者の皆さんから熱心な質問やコメントをいただきながら,楽しく進めています.ありがとうございます.
 今回は英語史としてもイングランド史としても地味な13世紀に注目してみました.歴代イングランド王のなかで最も不人気なジョン王と,ジョンが諸侯らに呑まされたマグナカルタを軸に,続くヘンリー3世までの時代背景を概観した上で,当時の英語を位置づけてみようと試みました.そして最後には,同世紀の初期と後期を代表する中英語の原文を堪能しました.難しかったでしょうか,どうだったでしょうか.私自身も,資料を作成しながら,地味な13世紀も見方を変えてみれば英語史的に非常におもしろい時代となることを確認できました.
 講座で用いたスライドをこちらに公開しておきます.以下にスライドの各ページへのリンクも張っておきます.

   1. 英語の歴史と語源・8 「ジョン失地王とマグナカルタ」
   2. 第8回 ジョン失地王とマグナカルタ
   3. 目次
   4. 1. ジョン失地王
   5. 関連略年表
   6. 2. マグナカルタ
   7. マグナカルタの当時および後世の評価
   8. Carta or Charter
   9. Magna or Great
   10. ヘンリー3世
   11. 3. 国家と言語の方向づけの13世紀
   12. 4. 13世紀の英語
   13. The Owl and the Nightingale 『梟とナイチンゲール』の冒頭12行
   14. "The Proclamation of Henry III" 「ヘンリー3世の宣言書」
   15. まとめ
   16. 参考文献

 次回のシリーズ第9回は2021年3月20日(土)の15:30?18:45を予定しています.話題は,不運にもタイムリーとなってしまった「百年戦争と黒死病」です.戦争や疫病が,いかにして言語の運命を変えるか,じっくり議論していきたいと思います.詳細はこちらからどうぞ.

Referrer (Inside): [2022-03-12-1]

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2020-12-19 Sat

#4254. 講座「英語の歴史と語源」の第8回「ジョン失地王とマグナカルタ」のご案内 [asacul][notice][monarch][french][history][reestablishment_of_english][magna_carta]

 来週12月26日(土)の15:30?18:45に,朝日カルチャーセンター新宿教室にて「英語の歴史と語源・8 ジョン失地王とマグナカルタ」と題する講演を行ないます.関心のある方は是非お申し込みください.趣旨は以下の通りです.

1204年,ジョン王は父祖の地ノルマンディを喪失し,さらに1215年には,貴族たちにより王権を制限するマグナカルタを呑まされます.英語史的にみれば,この事件は (1) 英語がフランス語から独立する契機を作り,(2) フランス話者である王侯貴族の権力をそぎ,英語話者である庶民の立場を持ち上げた,という点で重要でした.この後2世紀ほどをかけて英語はフランス語のくびきから脱していきます.本講座では,この英語の復活劇を活写します.


 イングランドの歴代君主のなかでも最も人気のないジョン王.フランスに大敗し,ウィリアム征服王以来の故地ともいえるノルマンディを1204年に失ってしまいました.さらに,1215年には,後に英国の憲法に相当するものとして神聖視されることになるマグナカルタを承認せざるを得なくなりました.この13世紀の歴史的状況は,英語の行く末にも大きな影響を及ぼしました.この後,英語はゆっくりとではありますが着実に「復権」していくことになります.
 関連する当時の英語(中英語)の原文も紹介しながら,ゆかりの英単語の語源も味わっていく予定です.

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2020-11-17 Tue

#4222. 行為者接尾辞 -eer [suffix][agentive_suffix][loan_word][french][latin][register][stress][conversion]

 ゼミ生からのインスピレーションで,標記の行為者接尾辞 (agentive_suffix) に関心を抱いた.この接尾辞をもつ語はフランス語由来のものがほとんどであり,その来歴を反映して,語末音節を構成する接尾辞自身に強勢が落ちるという特徴がみられる.つまり語末の発音は /ˈɪə(r)/ となる.engineer, pioneer, volunteer をはじめとして,auctioneer, electioneer, gazetteer, mountaineer, profiteer などが挙がる.語源的には -ier もその兄弟というべきであり,cachier, cavalier, chevalier, cuirassier, financier, gondolier なども -eer 語と同じ特徴を有する.いずれもフランス語らしい振る舞いを示し,なぜ英語においてこのフランス語風の形式(発音と綴字)が定着したのだろうかという点で興味深い(cf. 「#594. 近代英語以降のフランス借用語の特徴」 ([2010-12-12-1]),「#1291. フランス借用語の借用時期の差」 ([2012-11-08-1])).
 Jespersen (§15.51; 243) より,-eer, -ier に関する解説を引用する.

   15.51 Words in -eer, -ier (stressed) -[ˈɪə] are mostly originally F words in -ier (generally from L -arius). Most of the OF words in -ier were adopted in ME with -er, and the stress was shifted to the first syllable . . . , as also in a few in which the i was kept . . . .
   A few words borrowed in ME times kept the final stress, and so did nearly all the later loans (many from the 16th and 17th c.). The established spelling of most of these, and of nearly all words coined on English soil, is -eer, as in auctioneer, cannoneer, charioteer (Keats 46), gazetteer, jargoneer (NED from 1913), mountaineer, muffineer, 'small castor for sprinkling salt or sugar on muffins' (NED 1806), muleteer [mjuˑliˈtiə], musketeer, pioneer, pistoleer (Carlyle Essays 251), routineer (Shaw D 54), and volunteer, but many of them preserved the F spelling, e.g. cavalier and chevalier, cuirassier, and finanicier.
   The recent motorneer, is coined on the pattern of engineer.
   Sh in some cases has initial-stressed -er-forms instead of -eer, e.g. ˈenginer, ˈmutiner (Cor I. 1.244), and ˈpioner.


 この解説に従えば,-eer は私たちもよく知る行為者接尾辞 -er の一風変わった兄弟としてとらえてよさそうだ.
 しかし, -eer には意味論的,語形成的に注目すべき点がある.まず,形成された行為者名詞は,軽蔑的な意味を帯びることが多いという事実がある.crotcheteer, garreteer, pamphleteer, patrioteer, privateer, profiteer, pulpiteer, racketeer, sonneteer などである.
 もう1つは,行為者名詞がそのまま動詞へ品詞転換 (conversion) する例がみられることだ.electioneer, engineer, pamphleteer, profiteer, pioneer, volunteer などである.これは上記の軽蔑的な語義とも密接に関係してくるかもしれない.なお,commandeer は,動詞としてしか用いられないという妙な -eer 語である.

 ・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part VI. Copenhagen: Ejnar Munksgaard, 1942.

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2020-10-16 Fri

#4190. 借用要素を含む前置詞は少なくない [preposition][french][loan_word][borrowing][lexicology]

 昨日の記事「#4189. acrossa + cross」 ([2020-10-15-1]) で,across の語源に触れた.cross 自身が初期中英語期に借用された語であり,前置詞を伴った across の原型も同じく初期中英語期に初出している.一般に前置詞は高頻度の機能語として「閉じた語類」 (closed class) といわれるが,そのような語に借用要素が含まれているというのは,一見すると稀な例のように思われるかもしれない.
 しかし,英語の歴史において前置詞は「閉じた語類」らしからぬ性質を示してきた.時代とともに種類が増えてきたからである.そのなかには,フランス語やラテン語などからの借用要素を含むものも少なくない.「#947. 現代英語の前置詞一覧」 ([2011-11-30-1]) を眺めてみると,比較的高頻度の前置詞に限っても,先述の across のほか (a)round, concerning, considering, despite, during, except, past などがすぐに挙がる.複合前置詞を考慮に入れれば,according to, apart from, because of, due to, in place of, regardless of なども加えられる.前置詞における借用要素は珍しくない.
 歴史的な前置詞の増加は,とりわけ後期中英語から初期近代英語にかけて生じた(cf. 「#1201. 後期中英語から初期近代英語にかけての前置詞の爆発」 ([2012-08-10-1])).これは同時代のフランス語やラテン語からのインプットによるところが大きいことは明らかである.結果として,既存のものを含めた個々の前置詞の使い分けが複雑化することになり,現代の英語学習者を悩ませることにもなっている.そのような潮流の走りというべきものが,中英語の比較的早い時期に初出した across であり,around でもあるのだろう.罪深いといえば罪深い?

Referrer (Inside): [2023-03-07-1]

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2020-10-06 Tue

#4180. 講座「英語の歴史と語源」の第7回「ノルマン征服とノルマン王朝」を終えました [asacul][notice][norman_conquest][monarch][french][history][link][slide]

 「#4170. 講座「英語の歴史と語源」の第7回「ノルマン征服とノルマン王朝」のご案内」 ([2020-09-26-1]) でお知らせしたように,10月3日(土)の15:30?18:45に,朝日カルチャーセンター新宿教室にて「英語の歴史と語源・7 ノルマン征服とノルマン王朝」と題する講演を行ないました.久し振りのシリーズ再開でしたが,ご出席の皆さんとは質疑応答の時間ももつことができました.ありがとうございます.
 ノルマン征服 (norman_conquest) については,これまでもその英語史上の意義について「#2047. ノルマン征服の英語史上の意義」 ([2014-12-04-1]),「#3107. 「ノルマン征服と英語」のまとめスライド」 ([2017-10-29-1]) 等で論じてきましたが,今回の講座では,ノルマン征服という大事件のみならず,ノルマン王朝イングランド (1066--1154) という88年間の時間幅をもった時代とその王室エピソードに焦点を当て,そこから英語史を考え直すということを試してみました.いかがだったでしょうか.講座で用いたスライドをこちらに公開しておきます.以下にスライドの各ページへのリンクも張っておきます.

   1. 英語の歴史と語源・7 「ノルマン征服とノルマン王朝」
   2. 第7回 ノルマン征服とノルマン王朝
   3. 目次
   4. 1. ノルマン征服,ten sixty-six
   5. ノルマン人とノルマンディの起源
   6. エマ=「ノルマンの宝石」
   7. 1066年
   9. ノルマン王家の仲違いとその後への影響
   10. ウィリアム2世「赤顔王」(在位1087--1100)
   11. ヘンリー1世「碩学王」(在位1100--1135)
   12. 皇妃マティルダ(生没年1102--1167)
   13. スティーヴン(在位1135--1154)
   14. ヘンリー2世(在位1154--1181)
   15. 3. 英語への社会的影響
   16. ノルマン人の流入とイングランドの言語状況
   17. 4. 英語への言語的影響
   18. 語彙への影響
   19. 綴字への影響
   20. ノルマン・フランス語と中央フランス語
   21. ノルマン征服がなかったら,英語は・・・?
   22. まとめ
   23. 補遺: 「ウィリアムの文書」 (William’s writ)
   24. 参考文献

 次回は12月26日(土)の15:30?18:45を予定しています.話題は,今回のノルマン王朝に続くプランタジネット王朝の前期に注目した「ジョン失地王とマグナカルタ」についてです.いかにして英語がフランス語の「くびき」から解放されていくことになるかを考えます.詳細はこちらからどうぞ.

Referrer (Inside): [2022-03-12-1]

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2020-10-02 Fri

#4176. なぜ lieutenant の発音に /f/ が出るのか? [sobokunagimon][pronunciation][spelling_pronunciation_gap][ame_bre][french][etymology][spelling_pronunciation]

 lieutenant (代理,副官;中尉)は,アメリカ発音では素直に /l(j)uːˈtɛnənt/ となるが,イギリス発音ではどういうわけか /lɛfˈtɛnənt/ と /f/ の子音が現われる(cf. 「#1343. 英語の英米差を整理(主として発音と語彙)」 ([2012-12-30-1])).このイギリス発音に含まれる /f/ の由来については説明するのが難しく,いくつかの説が提案されている.
 この語は中英語期に古フランス語 lieutenant を借用したものである.lieu (place) + tenant (holding) という語形成で,「別の人の地位を代わりに担う人」という原義から「代理;(大尉の代理役としての)中尉」などの語義が発達した.中英語期以来,主たる綴字は lieu-tenant など /f/ を示唆しないものではあったが,並行して /f/ を含む lieftenaunt なども行なわれており,早くから綴字上(そしておそらく発音上も)揺れがみられた.
 近代に入っても長らく揺れは継続した.OED の当該語の語源欄によると,Walker により /v/ の発音 (/f/ ですらない)の実態が指摘されている.

In 1793 Walker gives the actual pronunciations as /lɛv-/ /lɪvˈtɛnənt/, but expresses the hope that 'the regular sound, lewtenant' will in time become current. In England this pronunciation /ljuːˈtɛnənt/ is almost unknown. A newspaper quot. of 1893 in Funk's Standard Dict. Eng. Lang. says that /lɛfˈtɛnənt/ is in the U.S. 'almost confined to the retired list of the navy'.


 /f/ の由来について,OED は同語源欄で次のように2つの説を紹介している(以下の引用で,<f> を示さない綴字,示す綴字はそれぞれ「αタイプ」「βタイプ」と称されている).

The origin of the 硫 type of forms (which survives in the usual British pronunciation, though the spelling represents the 留 type) is difficult to explain. The hypothesis of a mere misinterpretation of the graphic form (u read as v), at first sight plausible, does not accord with the facts. In view of the rare Old French form luef for lieu (with which compare especially the 15th cent. Scots forms luf-, lufftenand above) it seems likely that the labial glide at the end of Old French lieu as the first element of a compound was sometimes apprehended by English-speakers as a v or f. Possibly some of the forms may be due to association with LEAVE n.1 or LIEF adj.


 第1の説は,u/v の綴字が(渡り)母音 /w/ ではなく,子音 /f, v/ として解釈され,それが発音に反映されたというものである.識字率の高い現代では,そのような綴字発音 (spelling_pronunciation) もあり得ようが,中英語期や近代英語期にそのような現象があったという主張には,私は半信半疑である(cf. 「#1152. sneeze の語源」 ([2012-06-22-1])).どちらかというと,渡り母音 /w/ が異音 [v] と聞き間違えられたという音声的可能性を指摘する第2の説を採りたい.
 時代は下って18世紀には「#678. 汎ヨーロッパ的な18世紀のフランス借用語」 ([2011-03-06-1]) でみたように,フランス語より lieutenant-colonel (陸軍中佐)という複合語が英語にもたらされた.第2要素の colonel も綴字と発音の関係という点からは問題を含んでいる.これについては,「#3016. colonel の綴字と発音」 ([2017-07-30-1]) を参照.

Referrer (Inside): [2021-03-30-1]

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2020-10-01 Thu

#4175. 「なぜ英語とフランス語は似ているの?」の記事紹介 [french][history_of_french][norman_conquest][norman_french][sobokunagimon][hel_education][notice]

 三省堂のことばのコラムのシリーズとして,「歴史で謎解き!フランス語文法(フランス語教育 歴史文法派)」が展開しています.今回は,英語史との関連でその第18回「なぜ英語とフランス語は似ているの?」の記事をご紹介します.英語史の学徒として実に読みやすく,英仏海峡の向こうから英語史を記述してもらったようで,こそばゆいような,瑞々しいような気持ちになりました.英語とフランス語に関心のあるすべての方に一読をお薦めします.
 英語史の専門家がフランス語史を学ぶことは重要ですし,フランス語史に通じている方より英語史に関心を示してもらえるのは,お互いにメリットのあることだと思っています.学界的にも,この辺りの相互交流が欠如しているのは残念なことだと思っています.中世ヨーロッパにおいては現代のような厳密な国境意識はなく,言語的にいえば multilingual な世界が常態だったわけですから.今回の記事で扱われている時期の「イギリス」でも,「国語」が英語だったのか,フランス語だったのか,はたまたラテン語だったのか,はっきりしません.西欧近代諸国の「標準語」とて,背後にあるイギリス,フランス,ドイツ等の主権国家の「主たる言語」が前面に出てきたにすぎないわけです.
 21世紀の現在,英語が世界的な言語となったのは歴史の偶然にすぎません.英語という言語の本質的な力によるものではなく,主に18世紀から20世紀まで続いたイギリス,アメリカという二大国家の覇権のなせるわざです.
 そのような覇権的な動きが始まる近代より前の時代に焦点を移せば,ヨーロッパには「主権国家」もなければ「国語」も,厳密な意味においてはありませんでした.英語もヨーロッパのありふれた言語の1つにすぎませんでした.英語が大陸のゲルマン語にルーツを持ちつつも,同じく大陸のラテン系のロマンス諸語と長らく接触してきた歴史を,この機会にあらためて顧みてはいかがでしょうか.

Referrer (Inside): [2024-03-28-1]

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2020-09-29 Tue

#4173. Palsgrave のフランス語文典 [french][orthoepy][gvs][spelling_pronunciation_gap][spelling_reform][oed][emode]

 フランス語研究者であり正音学者だった16世紀前半に活躍したイギリス人 John Palsgrave は,英語(学)史上も重要である.フランス語研究者として1530年に英語でフランス語文典 Lesclarcissement de la Langue Francoyse を著わし,当時もっともよく知られたフランス語文典となった.「#3836. フランス語史の年表」 ([2019-10-28-1]) に名を挙げられるくらいであるから,その影響力はただものではない.
 Palsgrave はロンドンに生まれ,ケンブリッジ大学に学び,パリで修士号を取得した.帰国してフランス語教師となり Thomas More などとも親交を深めた.彼の英語学史上の最大の業績は,外国語であるフランス語を「音声表記」した点にあるといってよい.他言語の発音を客観的に記述するという,現代の音声学の基本的な姿勢の伝統を創始した人物である(渡部,p. 38).
 16世紀は,Palsgrave のような正音学者が多数輩出した時代である.大母音推移 (gvs) 等の音変化が進行し,発音と綴字のギャップ (spelling_pronunciation_gap) が開きつつあるなかで,綴字改革 (spelling_reform) の訴えが様々な陣営よりなされていた.外国語研究者は発音の問題に敏感である.Palsgrave も,例外ではなく英語の発音と綴字の問題に並々ならぬ関心を示す正音学 (orthoepy) の徒だったのである.なお,外国語研究の立場から英語の発音と綴字の問題に関心を示した初期近代英語期の「同志」としては,ほかに De pronunciation Graecae (1555) を著わした J. Cheke や Grammatica Linguae Anglicanae (1653) を著わした J. Wallis もいる(石橋,p. 616).
 Palsgrave のもう1つの注目すべき点は,OED の引用文の常連であることだ.OED は,かの Lesclarcissement から5418個もの用例を引いてきており,この時期の語彙記述に多大な貢献をなしている(cf. 「#642. OED の引用データをコーパスとして使えるか (4)」 ([2011-01-29-1])).この著書は語学書であるから,フィロロジストもである OED 編纂者にとって,当然ながら「大好物」である.編纂者が,このような垂涎ものの著書から(とりわけ文法用語などの)語彙を集めてこないわけがない.
 以上,Palsgrave が英語(学)史上ひとかどの人物とされている背景を簡単に紹介した.

 ・ 渡部 昇一 『英語学史』 英語学大系第13巻,大修館書店,1975年.
 ・ 石橋 幸太郎(編) 『現代英語学辞典』 成美堂,1973年.

Referrer (Inside): [2021-02-10-1]

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