今年度も,大学の通年の英語史概説の講義が終了しました.昨年度と同様,受講生に感想や意見を募ってみましたので,以下に目にとまったコメントを抜き書きしておきます.様々な形で英語史を受け止めてもらえたようで,担当者としては嬉しい限りです(リップサービスも多々あると思うのですが,単純なので素直に受け取って喜んでいます).来年度の講義にも活かしていきたいと思います.
ちなみに,過年度のコメントについては「#3566. 2018年度,英語史の授業を通じて何を学びましたか?」 ([2019-01-31-1]),「#2470. 2015年度,英語史の授業を通じて何を学びましたか?」 ([2016-01-31-1]) をご参照ください.
・ 英語を「正しく」覚えられるかどうかで選別され,文字通り人生を左右されてきた私たちにとって,その歴史を学ぶことによって,英語の,あるいは言語そのものの本質的な無根拠さ(?)について理解することは,確実にひとつの解放になると思う.〔中略〕一見絶対的に見える所与の条件を疑うという知的態度は,母語である日本語について考える際にも当然不可欠であるだろうし,また言語以外の文化を歴史的なパースペクティブのなかで批判的に検討するときの足場にもなるはずである.
・ 「現代,地球語として覇権を握る英語というポジションは全く偶然による産物であり,その歴史的経緯に見かけ上の因果以外のものは存在しない」という視点が自分にとって最も重要だった.〔中略〕歴史を知り,英語を公正な立場で眺めることができれば,盲目的な英語崇拝といったところからは一歩引いて視野を広げられると思う.
・ 英語に内在するものだけが英語を国際語にしたのではないというあたり前のことを再確認させられた.
・ 「当たり前のをきまりとして終わらせる」のでなく,「当たり前であることの背景を知ることの豊かさ」のようなものを,大好きな英語について学べ,今後の将来へ活かせると実感出来たことが,私にとって最も価値のあるものであった.
・ 「当たり前」を「当たり前」とせず,それに疑問を抱き,ある意味クリティカルな姿勢で向き合うことの重要性を知れたことである.
・ 当たり前を当たり前に考えず,その理由を探してみようとする習慣を身につけたことである.
・ 中学生の頃から英語を学んできて謎に感じていたり,不自然さを覚えていた規則や不規則が,英語史を学ぶことでこんなにも明快に説明できると知り感動した.
・ 春の最初の授業で,先生が「英語史は,名前はかたくつまらなそうに聞こえるけど,実は英語と歴史を組み合わせた,超面白い分野なんだ」とおっしゃった意味がこれで分かりました.
・ 今まで受験などではあるイミで別教科だった「英語」と「歴史」がこの授業により結びついた.
・ 英語史とは外面上は歴史に過ぎないかもしれないが,内面は,初学時に感ずる,いや初学者のときにしか感じることのできない疑問をひもといてくれるものであった.自分の英語のこれまでの苦労を思い出させてくれると同時に,初学時に感じた疑問を歴史的に紐といてくれる授業は楽しかった
・ 英語史という面を通すことによって,今まで世界史の面でしかみてこなかった歴史上のできごとが,違った風に見えてきた.そのことによって物事を多面的に見ることの大切さを学ぶことができた.〔中略〕多くのものさしを持つことで,物事を多面的に見ることができ,そのためにはあらゆる分野のことを学び続けなければいけないと分かった.このことを大学2年生で知れたことは,価値のあることで,また,その価値を無駄にしないよう,あらゆる物事,人,文化などから学ぶ姿勢をとり続けたいと思った.
・ 例外にもそうなった経緯があること,今まであたり前に覚えさせられてきたことも当たり前ではなくてきちんと背景や歴史があることを学べたことで今まで何とも思っていなかった事柄にも,何層にもなった深みがあることに気付けた.英語だけでなくこれはあらゆることに共通している大切なことだと思うので,学生のうちに気が付けて良かった.
・ 文化→言語,歴史→言語の一方通行ではなく,堀田先生のような言語学者の方々が言語→文化,言語→歴史を明らかにしているから,私達は今色々なことを知ることが出来ると知れたことは私の学問に対して,言語学に関しての価値観が広がり,視野も広くなり,とても価値があることだと感じました.
・ 日本語で古典を勉強していた時も,新しい流行語を見るにつけてもその言葉の「変わりうる」という性質にかつてはわずらわしさを感じることもあったが,それが英語史を勉強した後の今となっては人間の営みらしさゆえのことであると思えるようになり,その変化が愛おしくすら感じるようになった.
・ 通年,英語史を学ばせていただいた後に,昨今のヒスパニック・アフリカ系移民による言語変化やSNSの登場による言語の「悪化」などと呼ばれている諸現象を見ると,英語の歴史において当然の事であり,そういった意味では大騒ぎするほどの大事件ではないと冷静に状況を観察している自分に気が付きます.
・ 学校での英語の授業では「こういうものです」と教えられがちな英語の実に様々なことについて疑問をもち,追求する姿勢が大切であると学んだ.
・ 現在考えられる疑問の原因を探ろうとする時,何か重要な法則や,決め手となる事柄があるだろうと思い,それによって解決できると考えてしまいがちであるが,そうでない時もあったり,または思いがけないほど小さな原因であったりするので,期待し過ぎたり,思い込みで解決した気,わかった気になってしまうのは,もったいない,馬鹿なこと,または無駄なことであると学ぶことができました.
・ 「英語の本質は,雑種性である」という先生の言葉です.おそらく,後期の初めの方に,先生がおっしゃったと思うのですが,非常に印象に残っています.確かにそうだと納得しました.この授業を受けていく中で,いままで,自分が英語に対して抱いていた,考え方だったり価値観というものが,良い意味で少しずつ壊されていきました.その上で,本質をもう一度考えるという体験をできたということが,最も価値のあるものだったと思っています.
・ 英語史を学んだことで,英語だけでなく日本語の歴史にも興味が沸き,増えたり減ったり,文字と音が離れたり,まるで生き物のように変化する言葉というものを,とても魅力的に感じました.
・ 全ての事柄について「なんとなく」で終わらせない先生の授業は,大変ためになりました.
・ 英語の歴史を知ることで英語を学ぶモチベーションが更に上がりました.
・ 先入観を持たずに,長い目でものごとを見ることって何事においても大切なのではないかなと言語,英語史を通じて学んだ.
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