昨日の記事 ([2018-05-08-1]) で,wolf (sg.) に対して wolves (pl.) となる理由を古英語の音韻規則に照らして説明した.これにより,関連する他の -f (sg.)/ -ves (pl.) の例,すなわち calf/calves, elf/elves, half/halves, leaf/leaves, life/lives, loaf/loaves, knife/knives, self/selves, sheaf/sheaves, shelf/shelves, thief/thieves, wife/wives などもきれいに説明できると思うかもしれない.しかし,英語史はそれほどストレートで美しいものではない.言語という複雑なシステムがたどる歴史は,一癖も二癖もあるのが常である.
例えば,wife (sg.)/wives (pl.) の事例を取り上げよう.この名詞は,古英語では wīf という単数主格(見出し語)形を取っていた(当時の語義は「妻」というよりも「女性」だった).f は,左側に有声母音こそあれ右側には何もないので,「有声音に挟まれている」わけではなく,デフォルトの /f/ で発音される.そして,次に来る説明として予想されるのは,「ところが,複数主格(・対格)形では wīf に -as の屈折語尾が付くはずであり,f は有声音に挟まれることになるから,/v/ と有声音化するのだろう」ということだ.
しかし,そうは簡単にいかない.というのは,wulf の場合はたまたま男性強変化というグループに属しており,昨日の記事で掲げた屈折表に従うことになっているのだが,wīf は中性強変化というグループに属する名詞であり,古英語では異なる屈折パターンを示していたからだ.以下に,その屈折表を掲げよう.
(中性強変化名詞) | 単数 | 複数 |
主格 | wīf | wīf |
対格 | wīf | wīf |
属格 | wīfes | wīfa |
与格 | wīfe | wīfum |
中性強変化の屈折パターンは上記の通りであり,このタイプの名詞では複数主格(・対格)形は単数主格(・対格)形と同一になるのである.現代英語に残る単複同形の名詞の一部 (ex.
sheep) は,古英語でこのタイプの名詞だったことにより説明できる(「#12. How many carp!」 (
[2009-05-11-1]) を参照).とすると,
wīf において,単数形の /f/ が複数形で /v/ に変化する筋合いは,当然ながらないことになる./f/ か /v/ かという問題以前に,そもそも複数形で
s など付かなかったのだから,現代英語の
wives という形態は,上記の古英語形からの「直接の」発達として理解するわけにはいかなくなる.実は,これと同じことが
leaf/
leaves と
life/
lives にも当てはまる.それぞれの古英語形
lēaf と
līf は,
wīf と同様,中性強変化名詞であり,複数主格(・対格)形はいわゆる「無変化複数」だったのだ.
では,なぜこれらの名詞の複数形が,現在では
wolves よろしく
leaves,
lives となっているのだろうか.それは,
wīf,
lēaf,
līf が,あるときから
wulf と同じ男性強変化名詞の屈折パターンに「乗り換えた」ことによる.
wulf のパターンは確かに古英語において最も優勢なパターンであり,他の多くの名詞はそちらに靡く傾向があった.比較的マイナーな言語項が影響力のあるモデルにしたがって変化する作用を,言語学では類推作用 (
analogy) と呼んでいるが,その典型例である(「#946. 名詞複数形の歴史の概要」 (
[2011-11-29-1]) を参照).この類推作用により,歴史的な複数形(厳密には複数主格・対格形)である
wīf,
lēaf,
līf は,
wīfas,
lēafas,
līfas のタイプへと「乗り換えた」のだった.その後の発展は,
wulfas と同一である.
ポイントは,現代英語の複数形の
wives,
leaves,
lives を歴史的に説明しようとする場合,
wolves の場合ほど単純ではないということだ.もうワン・クッション,追加の説明が必要なのである.ここでは,古英語の「摩擦音の有声化」という音韻規則は,まったく無関係というわけではないものの,あくまで背景的な説明というレベルへと退行する.本音をいえば,昨日と今日の記事の標題には,使えるものならば
wolf (sg.)/
wolves よりも
wife (sg.)/
wives (pl.) を使いたいところではある.
wife/
wives のほうが頻度も高いし,両サイドの有声音が母音という分かりやすい構成なので,説明のための具体例としては映えるからだ.だが,上記の理由で,摩擦音の有声化の典型例として前面に出して使うわけにはいかないのである.英語史上,ちょっと「残念な事例」ということになる.
とはいえ,
wives は,類推作用というもう1つのきわめて興味深い言語学的現象に注意を喚起してくれた.これで英語史の奥深さが1段深まったはずだ.明日は,関連する話題でさらなる深みへ.
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