ソーシャルメディアの書き言葉は,省略やタイポが多い.英語でいえば単語の省略の仕方は一通りではなく,いずれの省略綴字が用いられるかは予測できない.自然言語処理 (nlp) においては,このような省略綴字を正規化するなどの前処理が必要となり,なかなか厄介な問題のようだ.
一方,中英語の綴字のヴァリエーションも豊富である.綴り方は一通りではなく,いずれの綴字が用いられるかは,方言ごとに緩い傾向はあるものの,完全には予測できない.中英語を読んだり分析する際には,多様な綴字を「正規化」する必要があり,かなり厄介な問題だ.
両者は,このようにとても似ている."tomorrow" という単語の綴字ヴァリエーションを例に取り,比較してみよう.ソーシャルメディアの例は Vajjala 他 (p. 295) から,中英語の例は MED から取った.
[ ソーシャルメディアからの "tomorrow" の綴字 ]
tmw, tomarrow, 2mrw, tommorw, 2moz, tomorro, tommarrow, tomarro, 2m, tomorrw, tmmrw, tomoz, tommorow, tmrrw, tommarow, 2maro, tmrow, tommoro, tomolo, 2mor, 2moro, 2mara, 2mw, tomaro, tomarow, tomoro, 2morr, 2mro, tmoz, tomo, 2morro, 2mar, 2marrow, tmr, tomz, tmorrow, 2mr, tmo, tmro, tommorrow, tmrw, tmrrow, 2mora, tommrow, tmoro, 2ma, 2morrow, tomrw, tomm, tmrww, 2morow, 2mrrw, tomorow
[ MED からの "tomorrow" の綴字 ]
tōmōrn, tomorne, -moroun(e, -morwen, -morwin, -morewen, -morgen, tomor3en, -moregan, -moreuin, -marewene, -marwen, -marhen, -mar3an, -mar3en, -mær3en, temarwen; tōmōrwe, tomorewe, -moreu, -mor(r)owe, -mor(r)ou, -morou, -moru(e, -mor3e, -marewe, temorwe, tomoruwe, -more3e, -mar3e, -mær3e
もう主旨はお分かりだろう.ソーシャルメディアを対象とする自然言語処理技術の発展は,中英語研究にも有用にちがいない! 笑い話のようでありながら,いや,なかなかおもしろい比較ではないか.
・ Vajjala, Sowmya, Bodhisattwa Majumder, Anuj Gupta, Harshit Surana (著),中山 光樹(訳) 『実践 自然言語処理 --- 実世界 NLP アプリケーション開発のベストプラクティス』 オライリー・ジャパン,2022年.
世界史上,ひときわきらびやかに映る大航海時代 (age_of_discovery) .広い視野でみると,当然ながら英語史とも密接に関わってくる(cf. 「#4423. 講座「英語の歴史と語源」の第10回「大航海時代と活版印刷術」を終えました」 ([2021-06-06-1])).
以下,『図説大航海時代』の巻末 (pp. 109--10) の略年表を掲載する.大航海時代の範囲についてはいくつかの考え方があるが,1415年のポルトガル軍によるセウタ占領に始まり,1648年のウェストファリア条約の締結に終わるというのが1つの見方である.しかし,下の略年表にみえるように,その前史は長い.
紀元前5世紀 | スキュラクス,インダス河口からスエズ湾まで航海 |
4世紀後半 | ネアルコス,インダス地方からティグリス河口まで探検 |
111 | 漢の武帝,南越を併合 |
1世紀 | カンボジヤ南部に扶南国興る |
60--70頃 | 『エリュトラ海案内記』 |
1世紀前半 | 「ヒッパロスの風」によるアラビア海航海がさかんになる |
2世紀 | 扶南とローマ,インドと中国の交易がおこなわれる |
166 | 大秦王安敦(マルクス・アウレリウス)の支社日南郡に至る |
207 | 南越国建国 |
4--5世紀 | 東南アジアのインド化進む |
399--412 | 東晋の法顕のインド,セイロン旅行.『仏国記』を書く |
7世紀前半 | 扶南,真臘に併合される |
618 | 唐建国 |
639 | アラブ人のエジプト侵入 |
7世紀後半 | シュリーヴィジャヤ王国マラッカ海峡の交易を支配 |
671--95 | 唐の仏僧義浄インド滞在.『南海寄帰内法伝』 |
750 | バグダートにアッバース朝おこる.インド洋貿易に進出 |
875 | チャンパ(占城)興る |
907 | 唐滅亡.五代十国時代に入る |
960 | 宋建国.海外貿易の隆盛 |
969 | ファーティマ朝カイロに移る.紅海を通じてのアジア貿易.以後エジプトは紅海経由のインド洋貿易を主導する |
1096 | 第1次十字軍 (--99) .イタリア港市の台頭 |
1127 | 南宋興る |
1147 | 第2次十字軍 (--48) |
1169 | エジプトにアイユーブ朝成立 |
1245--47 | プラノ・カルピーニ,教皇の命によりカラコルムに至る旅行記を著わす |
1254 | リュブリュキ,教皇の命によりカラコルムまで旅行.旅行記を書く |
1258 | モンゴル軍バグダート占領.アッバース朝滅亡.ただしモンゴル軍はシリア,エジプトに侵入できず |
1271--95 | マルコ・ポロのアジア旅行と中国滞在.旅行記を口述 |
1291 | ジェノヴァのヴィヴァルディ兄弟西アフリカ航海 |
1293 | ジャヴァにマジャパヒト王国成立.モンゴル軍ジャヴァに侵攻 |
1312 | ジェノヴァのランチェローテ・マロチェーロ,カナリア諸島に航海 |
1349(ママ) | イブン・バトゥータ,24年にわたるアフリカ,アジア旅行からタンジールに帰る |
1336 | 南インドにヴィジャヤナガル王国興る |
1345 | マジャパヒト,全ジャヴァに勢力拡大 |
1351--54 | イブン・バトゥータ西アフリカ旅行.『三大陸周遊記』を書く |
1360 | マンデヴィルの『東方旅行記』この頃成立 |
1368 | 明建国 |
1372 | 明,海禁政策をとる |
1403 | スペインのクラビーホ,中央アジアに旅行しティムールに謁す.ラ・サルとベタンクール,カナリア諸島に航海 |
1405 | 鄭和の大航海.1433年まで7回にわたる |
1415 | ポルトガル軍セウタ占領.間もなく西アフリカ航路の探検が始まる |
1434 | ジル・エアネス,ボジャドール岬回航 |
1453 | オスマン軍によるコンスタンティノープル攻略 |
1455 | ヴェネツィア人カダモストの西アフリカ航海 |
1475 | ヴィチェンツァでプトレマイオスの『地理学』刊行 |
1479 | スペイン,ポルトガル間にアルカソヴァス条約 |
1482 | ポルトガルの西アフリカの拠点エルミナ建設.ポルトガル人コンゴ王国と接触 |
1488 | ディアスによる喜望峰発見.大航海時代 |
1492 | コロンブス第1回航海 (--93) |
1493 | コロンブス第2回航海 |
1494 | スペイン,ポルトガル間にトルデシリャス条約 |
1498 | ガマのインド航海.コロンブス第3回航海.南米本土に達する |
1500 | カブラル,インドへの途次ブラジルに漂着 |
1501 | アメリゴ・ヴェスプッチ南アメリカの南緯52°まで航海 |
1502 | コロンブス第4回航海.中米沿岸航海 |
1505 | トロ会議.西回りで香料諸島探検を議決 |
1508 | ブルゴス会議で同様な趣旨の議決 |
1509 | アルメイダ,ディウ沖で,エジプト,グジャラート連合艦隊撃破 |
1510 | ポルトガル,ゴア完全占領 |
1511 | ポルトガル,マラッカ攻略 |
1512 | ポルトガル人香料諸島に到着 |
1513 | バルボア,パナマ地峡を横断して太平洋岸に達する |
1519--21 | コルテスのメキシコ(アステカ王国)征服 |
1520 | マゼラン,地峡を発見し,太平洋を横断してフィリピンに至る |
1522 | エルカノ以下18人,最初の世界回航をとげてセビリャ着 |
1527 | モンテホのユカタン探検 |
1528--33 | ピサロのインカ帝国征服 |
1529 | サラゴッサ条約により香料諸島のポルトガル帰属決定 |
1534 | カルティエのカナダ探検 |
1535 | アルマグロのチリ探検 |
1537 | ケサーダのムイスカ(チブチャ)征服 |
1538 | 皇帝・教皇・ジェノヴァ連合艦隊プレヴェザでトルコ人に敗北 |
1541 | ゴンサーロ・ピサロのアマゾン探検.部下のオレリャーナ,河口まで航海 (1542) |
1543 | 三人のポルトガル人,種子島着 |
1545 | ボリビアのポトシ銀山発見,翌年メキシコでも大銀山発見 |
1553 | ウィロビーの北東航路探検 |
1565 | ウルダネータ,大圏航路によりフィリピンからメキシコまで航海 |
1567 | メンダーニャの太平洋航海.翌年ソロモン諸島発見 |
1568 | ジョン・ホーキンズ,サン・ファン・デ・ウルアでスペインの奇襲をうけて脱出 |
1570 | ドレイクのカリブ海スペイン基地の掠奪 |
1571 | レガスピ,マニラ市建設.キリスト教徒の海軍レパントでオスマン艦隊に勝利 |
1575 | フロビッシャー,北西航路探検の勅許を得る |
1577--80 | ドレイク,掠奪の世界周航をおこなう |
1578 | アルカサルーキヴィルでポルトガル軍モロッコ軍に大敗 |
1584--85 | ウォルター・ローリのヴァージニア植民計画 |
1586--88 | キャベンディシュの世界周航 |
1595 | ローリの第1次ギアナ探検.メンダーニャの太平洋探検,マルケサス諸島発見 |
1598 | ファン・ノールト,オランダ人として最初の世界周航 |
1599 | オランダ人ファン・ネック東インド航海 |
1600 | イギリス東インド会社設立.この頃ブラジルに砂糖産業が興り,アフリカ人奴隷の輸送始まる |
1605 | キロスの航海.ニュー・ヘブリデスまで |
1606 | キロク帰国後,あとに残されたトレス,ニュー・ギニア,オーストラリア間の海峡を発見し,マニラに向かう |
1610 | ハドソン,アニアン海峡を求めて行方不明になる |
1614 | メンデス・ピントの東洋旅行記『遍歴記』刊行 |
1615 | オランダ人スホーテンとル・メールの航海.ホーン岬発見 |
1617 | ローリ第2回ギアナ探検 |
1620 | メイフラワー号ニュー・イングランドに到着 |
1622 | インド副王の艦隊,モサンビケ沖でオランダ船隊の攻撃を受け壊滅 |
1623 | アンボイナ事件.オランダ人によるイギリス人,日本人の殺害.これ以後イギリス人は東インドの香料貿易から撤退し,インドに集中 |
1637 | オランダ人西アフリカのエルミナ奪取 |
1639 | マカオの対日貿易,鎖国のため不可能になる.タスマンの太平洋航海 |
1641 | オランダ人マラッカ奪取 |
1642--43 | タスマン,オーストラリアの輪郭を明らかにする |
1645 | オランダ人セント・ヘレナ島占領 |
1647 | オランダ,アンボイナ島完全占領.カサナーテのカリフォルニア探検 |
1648 | セミョン・デジニョフ,アジア最北東端の岬(デジニョフ岬)に到達.ただしベーリング海峡の存在には気がつかなかった.ウェストファリア条約の締結による三十年戦争の終わり.オランダの独立承認される |
一昨日の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」で,リスナーさんから寄せられた質問に回答する形で「#517. 間接目的語が主語になる受動態は中英語期に発生した --- He was given a book.」を配信しました.ぜひお聴きください.
原則として古英語では動詞の直接目的語が主語となる受動文しか存在しませんでした.ところが,続く中英語期になり,動詞の間接目的語や前置詞の目的語までもが主語となる受動文も可能となってきました(概要は中尾・児馬 (125--31) をご覧ください).今日はこの配信への補足となります.
Fischer によれば,現代英語では次のすべての受動文が可能です.
1 The book was selected by the committee
2 Nicaragua was given the opportunity to protest
3 His plans were laughed at
4 The library was set fire to by accident
英語史研究では,この受動文の拡大に関する議論は多くなされてきました.いくつかの考え方があるものの,概ね受動化 (passivisation) に関する統語規則の適用範囲が変化してきたととらえる向きが多いようです.要するに,受動化の対象が,時間とともに動詞の直接目的語から間接目的語へ,さらに前置詞の目的語へ拡大してきた,という見方です.
ただし,これも1つの仮説です.もしこれを受け入れるとしても,なぜそうなのかというより一般的な問題も視野に入れる必要があります.受動化とは異なるけれども何らかの点で関係する統語現象においても類似の変化・拡大が起こっているとすれば,それと合わせて考察する必要があります.この辺りの事情を Fischer (384) に語ってもらいましょう.
There are two general paths along which one could look for an explanation of these developments. One can hypothesise that there was a change in the nature of the rule that generates passive constructions . . . Another possibility is that there was a change in the application of the rule due to changes having taken place elsewhere in the system of the language . . . The latter course seems to be the one now more generally followed. Additional factors that may have influenced the spread of passive construction are the gradual loss of the Old English active construction with indefinite man . . . (this construction could most easily be replaced by a passive) and the change in word order . . . .
統語変化の仮説の設定と検証は,なかなか容易ではありません.そのために英語史という専門分野があり,日々研究が続けられているのです.
・ 中尾 俊夫・児馬 修(編著) 『歴史的にさぐる現代の英文法』 大修館,1990年.
・ Fischer, Olga. "Syntax." The Cambridge History of the English Language. Vol. 2. Cambridge: CUP, 1992. 207--408.
古い Wardale の中英語入門書の復刻版を手に取っている.中英語 (Middle English) は古英語 (Old English or Anglo-Saxon) と何がどう異なるのか.Wardale (2--3) が明快に3点を挙げている.
(a) One of these marked differences is that whereas the latter contained very little foreign element, only a limited number of Latin words and a very few from Celtic and other sources being found, the vocabulary of Middle English has been enormously enriched, especially from Old Norse and French.
(b) Another point of distinction is that whereas in the O.E. period the West Saxon dialect under Ælfred's encouragement of learning had come to be the standard literary dialect, the others being relegated chiefly to colloquial use, in M.E. times no such state of affairs existed. In them all dialects were used for literary purposes and only towards the end of the period do we find that of Chaucer beginning to assume its position as the leading literary language.
(c) But more important than these external points of difference, if perhaps less obvious, and more essential because inherent in the language itself, is the modification which gradually made itself seen in that language. English, like all Germanic tongues, has at all times been governed by what is known as the Germanic accent law, that is by the system of stem accentuation. By this law, except in a few cases, the chief emphasis of the word was thrown on the stem syllable, all others remaining less stressed or entirely unaccented. . . . But by [the M.E. period] all vowels in unaccented syllables have been levelled under one uniform sound e . . .
つまり,古英語と比べたときの中英語の際立ちは3点ある.豊富な借用語,標準変種の不在,無強勢母音の水平化だ.とりわけ,3点目が言語内的で本質的な特徴であり,それは2つの重大な結果をもたらしたと,Wardale (3--4) は議論する.
The consequences of this levelling of all unaccented vowels under one are twofold.
(a) Since many inflectional endings had by this means lost their distinctive value, as when a nominative singular caru, care, an a nominative plural cara both gave a M.E. care, or a nominative plural limu, limbs, and a genitive plural lima both gave a M.E. lime, those few endings which did remain distinctive, such as the -es, of the nominative plural of most masculine nouns, were for convenience' sake gradually taken for general use and the regularly developed plurals care and lime were replaced by cares and limes. In the same way and for the same reason the -es of genitive singular ending of most masculine and neuter nouns came gradually to be used in other declensions as when for an O.E. lāre, lore's we find a M.E. lǫres
(b) The second consequence follows as naturally. The older method of indicating the relationship between words in a sentence having thus become inadequate, it was necessary to fin another, and pronouns, prepositions, and conjunctions came more and more into use. Thus an O.E. bōca full, which would have normally given a M.E. bōke full was replaced by the phrase full of bōkes, and an O.E. subjunctive hie 'riden, which in M.E. would have been indistinguishable from the indicative riden from an O.E. ridon, by the phrase if hi riden. In short, English from having been a synthetic language, became one which was analytic.
1つめの結果は,明確に区別される -es のような優勢な屈折語尾が一般化したということだ.2つめは,語と語の関係を標示するのに屈折に頼ることができなくなったために,代名詞,前置詞,接続詞といった語類に依存する度合が増し,総合的な言語から分析的な言語へ移行したことだ.
以上,中英語と古英語の違いについて要を得た説明だったので紹介した.
・ Wardale, E. E. An Introduction to Middle English. Routledge and Kegan Paul, 1937. 2016. Abingdon: Routledge, 2016.
中英語を読んでいると,it の用法が現代英語よりも広くて戸惑うことがある.例えば there is 構文のような存在文 (existential_sentence) における there の代わりに it が用いられることがある(cf. フランス語 il y a, ドイツ語 es gibt).Mustanoja (132) から解説と例文を示そう.動詞が it ではなく意味上の主語に一致していることに注意.
In many instances it occurs in a pleonastic function carried out by there in Pres. E: --- of hise mouth it stod a stem, Als it were a sunnebem (Havelok 591); --- of þe erth it groues tres and gress (Cursor 545, Cotton MS); --- it es na land þat man kan neven ... þat he ne sal do þam to be soght (Cursor 22169, Cotton MS); --- bot it were a fre wymmon þat muche of love had fonde (Harley Lyr. xxxii 3); --- hit arn aboute on þis bench bot berdles chylder (Gaw. & GK 280); --- bot hit ar ladyes innoȝe (Gaw. & GK 1251).
関連して「#1565. existential there の起源 (1)」 ([2013-08-09-1]),「#1566. existential there の起源 (2)」 ([2013-08-10-1]),「#4473. 存在文における形式上の主語と意味上の主語」 ([2021-07-26-1]) を参照.
もう1つは,事実上 they に相当するような it の用法だ.こちらも Mustanoja (132--33) より解説と例を示そう.
Another aspect in the ME use of the formal it is seen in the following cases where it is virtually equivalent to 'they:' --- holi men hit were beiene (Lawman B 14811; cf. hali men heo weoren bæien, A); --- it ben aires of hevene alle þat ben crounede (PPl. C vi 59); --- thoo atte last aspyed y That pursevantes and heraudes ... Hyt weren alle (Ch. HF 1323). --- to þe gentyl Lomb hit arn anioynt (Pearl 895); --- hit arn fettled in on forme, þe forme and þe laste ... And als ... hit arn of on kynde (Patience 38--40); --- þei ... cownseld hyr to folwyn hyr mevynggys and hyr steringgys and trustly belevyn it weren of þe Holy Gost and of noon evyl spyryt (MKempe 3). This use goes back to OE. Cf. also German es sind ... and French ce sont ...
いずれもフランス語やドイツ語に類似した構文が見られるなど興味深い.中英語の構文は,フランス語からの言語接触という可能性はあり得るが,むしろ統語論的な要請に基づくものではないかと睨んでいる.どうだろうか.
・ Mustanoja, T. F. A Middle English Syntax. Helsinki: Société Néophilologique, 1960.
昨日の記事「#4607. 中英語の叙情詩」 ([2021-12-07-1]) で,"Middle English lyric" というジャンルの特徴について見た.特徴の1つとして「"I" が "you" に語りかける」ことが挙げられていた.この点について,昨日も引用した Greentree (388--89) が次のように加えている.
The 'lyric I' who addresses the 'you' implied in Middle English lyrics is a general, typical figure, an 'I' without ego, who may make the reader a participant in the poem. Anonymity helps efface the poets of many medieval lyrics, removing distractions to focus attention on the poem itself. Aspects of style may suggest a particular poet, place or time of composition. Some political verses recount historical events, and some poets describe their situations, but a manuscript's time of compilation does not necessarily reveal the dates when its contents were written, and biographical details may be fictions. These factors can enhance or diminish the reader's appreciation of a work. Acrostics and other devices sometimes reveal a poet's name or the place of composition. However, the lack of details of a poet's life and state of mind spares the reader fruitless speculation, since it is both easier and more profitable to concentrate on the lyric 'I'.
中英語叙情詩の "I" は詩人本人を指示するというよりも,読み手・聞き手を取り込んで作品の中に同化させた1人称単数代名詞として機能している,という見方だ.これにより,詩人が誰かという問いは背景化し,詩の内容そのものに焦点が当てられることになる.作品への没入を誘う1人称単数代名詞の文体的用法とでも言おうか.
中英語叙情詩の特徴が少し分かり始めてきた.
・ Greentree, Rosemary. "Lyric." A Companion to Medieval English Literature and Culture: c.1350--c.1500. Ed. Peter Brown. Malden, MA: Blackwell, 2007. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2009. 387--405.
目下,大学院の授業で Bennett and Smithers のアンソロジーより中英語の叙情詩 (Middle English lyrics) を読んでいる.最もよく知られているのは,輪唱の歌詞 Sumer is icumen in だろう(cf. 「#1438. Sumer is icumen in」 ([2013-04-04-1])).現代の歌い手による輪唱を生で聴いたことがあるが,調子と歌詞が明るくすがすがしい.輪唱だけに,頭の中でぐるぐる回ってしまい,口ずさまずにはいられない中毒性がある.
中英語の叙情詩といっても,話題としては世俗的なものもあれば宗教的なものまである.政治詩,恋愛詩,賛美歌を含めカバーする範囲は広い.Sumer is icumen in のように音楽に載せたものもあれば,そうでないものもある.形式も様々だ.基本的に短い詩が多いが,逆にいうと短い詩であれば "lyric" と呼んでしまえるのではないかという感がある.実際,このジャンルを定義づける要素は何かという問いに対して,端的に「短い詩である」という答えもあり得るようだ.Greentree (388) の "Characteristics of Lyrics" に関する説明を読んでみよう.
There are some constants in the genre. Ann S. Haskell notes a 'cluster of characteristics' including brevity, metrical pattern, rhyme scheme, theme and occasional hints of a plot. To John Burrow, the term 'usually means no more than a short poem', but he emphasizes 'the most characteristic axis of lyric poetry: the "I" addressing the "you", and distinguishes that 'I' from any other personal utterance, since the lyric 'I' 'speaks not for an individual but for a type' (Burrow 1982: 61). The voice of the lyric 'I' is always present, sounding many notes: laughing, weeping, expressing countless human feelings, praying, teaching or passing on scraps of knowledge.
このジャンルを定義づける試みがうまくいかないのは,そこでは相反するものが共存しているからである.むしろ,それこそが中英語の叙事詩の特徴なのかもしれない.このことを Greentree (387) が次のように表現している.
'Oh, to vex me, contraries meet in one'
Anyone who seeks the essence and boundaries of the medieval English lyric may find John Donne's line an apt expression of the task's pleasures and exasperations. The Middle English lyric attracts contraries of matter and manner, metre, diction and form. The slightest of structures may bear the weight of serious content with a paradox or exploration of holy mysteries in a form equally suited to celebration. Apparently artless forms may prove sophisticated and lavishly allusive. The disparate members of this genre vary from the glorious to the mundane . . . . Vexation comes from attempts to define the genre, to confine its members within a few descriptive sentences. Every statement can be questions, every adjective is ambiguous, every category has exceptions.
中英語の叙事詩は,そこに一定の傾向は見られるにせよ,かなり緩いジャンルととらえておいてよい.
・ Bennett, J. A. W. and G. V. Smithers, eds. Early Middle English Verse and Prose. 2nd ed. Oxford: OUP, 1968.
・ Greentree, Rosemary. "Lyric." A Companion to Medieval English Literature and Culture: c.1350--c.1500. Ed. Peter Brown. Malden, MA: Blackwell, 2007. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2009. 387--405.
・ Burrow, John. Medieval Writers and their Work: Middle English Literature and its Background 1100--1500. Oxford: OUP, 1982.
「#4539. アングロサクソン人名の構成要素」 ([2021-09-30-1]) で古英語の人名の傾向をみたので,続いて中英語の人名のトレンドも覗いてみたい (Coates 320--21) .すでに以下の記事などで述べてきたとおりだが,基本的にはノルマン征服を境に,古英語の人名の大多数が受け継がれずに消え,新たにフランス語かぶれの人名が流入し人気を博したといってよい.
・ 「#813. 英語の人名の歴史」 ([2011-07-19-1])
・ 「#590. last name はいつから義務的になったか」 ([2010-12-08-1])
・ 「#2364. ノルマン征服後の英語人名のフランス語かぶれ」 ([2015-10-17-1])
・ 「#2365. ノルマン征服後の英語人名の姓の採用」 ([2015-10-18-1])
・ 「#3902. 純アングロサクソン名の Edward, Edgar, Edmond, Edwin」 ([2020-01-02-1])
フランス語かぶれの人名という言い方をしたが,厳密にいえばフランス語を経由して入ってきた人名ということであり,起源を探ればフランス語ではなく別の言語に起源をもつ名前がほとんどである.おおまかに2種類に分けられる.
1つは,もともとは英語自身が属している西ゲルマン語に由来する人名で,それがフランス語を経由して再び英語に戻ってきたとでもいうべき人名である.William, Robert, Richard, Gilbert, Alice, Eleanor, Rose/Rohais, Maud などが挙げられる.いずれもフランス語ぽい香りがするが,実はもとはゲルマン系の人名である.
もう1つは聖書に現われる人物や,人気のある聖人にちなむ名前で,Adam, Matthew, Bartholomew, James, Thomas, Andrew, Stephen, Nicholas, Peter/Piers, John; Joan, Anne, Margaret/Margery などが挙げられる.12世紀後半からは Mary が,14世紀からは Christopher なども入ってきている.
その他,アーサー王伝説の有名な登場人物の名前として Arthur, Guenevere, Launcelot や,ブルトン語からの Alan などもあったが,さほど目立たない.
現代でも世代によって人気のある名付けというのは異なるものだが,中英語期も同じで,はやりすたりがあったようである.
・ Coates, Richard. "Names." Chapter 6 of A History of the English Language. Ed. Richard Hogg and David Denison. Cambridge: CUP, 2006. 312--51.
ICAMET (= Innsbruck Computer Archive of Machine-Readable English Texts) は,約780万語(私の持っている古い Version 2.4 は約600万語ほど)からなる中英語散文コーパスである.2012年以来手元に置いていたもののほとんど活用する機会のなかったコーパスだが,同コーパスを用いた谷の論文によって思い出した次第.当時 CD-ROM で購入した有料コーパスだが,ICAMET 以外にも tagged Brown Corpus, Wall Street Journal, Switchboard tagged が含まれていた.ICAMET のファイル形式は doc と rtf で,テキストの annotation が COCOA 方式で与えられている.
中英語テキストを含むコーパスといえば代表的なものとして以下が思い浮かぶが,このラインナップに ICAMET が加わるとなかなか強力な布陣だ.
・ Helsinki Corpus (HC) の中英語部分
・ The Penn-Helsinki Parsed Corpus of Middle English, second edition (PPCME2)
・ Corpus of Middle English Prose and Verse
・ The Middle English Grammar Corpus (MEG-C)
・ The Parsed Corpus of Middle English Poetry (PCMEP)
上記コーパスにはそれぞれの特徴があるが,今回は ICAMET に注目する.まず,ジャンルとしては中英語散文のみが含まれているという点が特異である.規模については,Version 2.4 に基づいた谷 (63) によれば,次の通り.
世紀 | 12 | 12--13 | 13 | 13--14 | 14 | 14--15 | 15 | Total |
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ファイル数 | 3 | 8 | 9 | 1 | 14 | 13 | 111 | 159 |
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中世イングランドで用いられていたフランス語変種を何と呼ぶべきかという問題には,私も長らく頭を悩ませてきた.英語史でも,かの変種についてしばしば言及する機会があるからだ.本ブログの記事に付しているタグとしては専ら (anglo-norman) を用いてきたが,記事本文中では Anglo-French の呼称も自由に使ってきた.
先日の記事「#4133. OED による英語史概説」 ([2020-08-20-1]) で紹介した記事の1つ Middle English: an overview を読んでいたところ,"A multilingual context" と題する節のもとで標記の問題への言及を見つけた.
What to call the French used in Britain in this period is a difficult scholarly question. Traditionally the term 'Anglo-Norman' has been used, notably in the title of The Anglo-Norman Dictionary. In fact, the present-day editors of that dictionary note that in many ways 'Anglo-French' is a more appropriate term, since it better reflects the wide variety of inputs shown by the French used in medieval Britain. OED3 retains the term 'Anglo-Norman' largely to maintain consistency with the title of The Anglo-Norman Dictionary.
引用の通り,OED の方針としては既存の The Anglo-Norman Dictionary の呼称と一致させて Anglo-Norman を用いるということのようだ.しかし,内心のところ,問題の変種へのインプットは Norman French に限られないことから,もっと広めに Anglo-French と呼ぶ方が適切だろうとは考えているらしい.
直接 OED の当該の語に当たってみよう.まず Anglo-Norman は "The variety of the French language spoken and written in medieval England after the Norman Conquest." とある.言語名の名詞としては1818年,形容詞としては早く1735年に初出しているが,あくまで近代になってからの呼称である.
一方,Anglo-French に当たってみると,"The variety of the French language spoken and written in medieval England." とある.ほとんと違いがない.言語名の名詞としては1862年,形容詞として1884年に初出している.しかし,その定義のすぐ下に,次の重要な注があった.
Anglo-French developed after the Norman Conquest of 1066, and remained current in some functions until the mid 15th cent. The term 'Anglo-Norman' has traditionally been used in the same meaning (cf. Anglo-Norman n. 2), but 'Anglo-French' is preferred by many scholars since this variety was not solely based on Norman French. French in later legal use is normally distinguished as Law French (see law-French n. at law n.1 Compounds 3).
やはり OED も内心は Anglo-French の呼び名のほうを買っているように思われる.Law French という別の視点からのくくりも意識しておきたい (cf. law_french) .言語名を巡る問題は,それだけで歴史社会言語学的な難問となることが多い.「#3558. 言語と言語名の記号論」 ([2019-01-23-1]) も参照されたい.
昨日の記事「#4076. Dictionary of Old English と Dictionary of Old English Corpus」 ([2020-06-24-1]) に引き続き,英語史研究にはなくてはならないツールについて.中英語研究といえば,何をおいても MED を挙げなければならない (Kurath, Hans, Sherman M. Kuhn, John Reidy, and Robert E. Lewis. Middle English Dictionary. Ann Arbor: U of Michigan P, 1952--2001. Available online at http://quod.lib.umich.edu/m/med/) .昨日の DOE と DOEC の関係と同様に,MED にも関連する MEC というコーパスがあり,こちらもたいへん有用である (MEC = McSparran, Frances, ed. Middle English Compendium. Ann Arbor: U of Michigan P, 2006. Available online at http://quod.lib.umich.edu/m/mec/) .
MED は1952年に最初の小冊が出版され,1991年に最後の小冊が出版されて完成した.その後,2000年にオンライン版の Middle English Compendium に組み込まれ,使い勝手が大幅に向上した.細かな検索ができることはもちろん,hyperbibliography の充実振りが嬉しい.56,000件ほどの見出し語を誇る中英語最大の辞書であることはいうにおよばず,中英語研究史上の最大の成果物といえる.2018年にはほぼ20年振りの改訂版が公開され,現在も中英語研究の第一線を走っている.
MED には,使用に当たって知っておくべきいくつかの特徴がある.Durkin (1150--52) に拠って指摘しておこう.まず,MED は,語義に多くの注意を払う辞書だということだ.OED ではある語の語形を大きな基準として記述を仕分けているが,MED のエントリーの最大の構成原理は語義である.ある意味では語形の違いなどは方言差と割り切って,LALME や LAEME に委ねているといった風である.しかし,この語義優先という特徴により,語学的な研究のみならず,文化的,歴史的な研究にも資するツールとなっているという側面がある.
語義の重視と関連して,MED は該当語の固有名詞としての使用にも意を払っている.たいてい最後の語義として言及されるが,これは固有名詞研究や歴史研究に有用である.多言語テキストに記されている英語の地名なども拾い上げられており,他言語文献や言語接触の研究にも資する情報である.
MED で惜しむらく点は,語源記述が少ないことだ.直前の古英語形や借用語であればソース言語での形態などを挙げているにとどまり,深みがない.
最後に指摘しておくべきは,例文に付されている年代について,(1) 写本(証拠)そのものの年代と,(2) テキストが作成されたとおぼしき年代とが,分けて記されている点である(後者はカッコでくくられている).両年代を念頭におけば,例えば異写本間での語形の比較に際して貴重な判断材料となるだろう.この重要な情報は,diplomatic な読みを追求する文献学的な関心に答えてくれる可能性を秘めている.
関連して「#4016. 中英語研究のための基本的なオンライン・リソース」 ([2020-04-25-1]) も参照.
・ Durkin, Philip. "Resources: Lexicographic Resources." Chapter 73 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1149--63.
標記について,Smith (47--48) の参考文献表よりいくつか抜き出し,整理し,リンクを張ってみた(現時点で生きたリンクであることを確認済み).本ブログでは,その他各種のオンライン・リソースも紹介してきたが,まとめきれないので link を参照.とりわけ Chaucer 関連のリンクは「#290. Chaucer に関する Web resources」 ([2010-02-11-1]) をどうぞ.
録音記録など直接の音声証拠が残っていない古い時代の言語音をいかにして推定するかという問いは,素朴な疑問でありながら,歴史言語学にとって本質的な課題である.英語史におけるこの課題については,これまでも一般的な観点から「#437. いかにして古音を推定するか」 ([2010-07-08-1]),「#758. いかにして古音を推定するか (2)」 ([2011-05-25-1]) などで取り上げてきた.
しかし,推定の対象となる時代によっても,推定のために利用できる手段には違いがある.今回は Smith (40) を参照して,とりわけ中英語の発音を推定する方法に注目してみたい.5点ほど挙げられている.
a) "reconstruction", both comparative (dealing with cognate languages) and internal (dealing with paradigmatic variation);
b) analysis of "residualisms" surviving in modern accents of English;
c) analysis of the writings of spelling-reformers and phoneticians from the Early Modern English period, supplying information about usages closer to the Middle English period than now;
d) analysis of contemporary verse-practices, based on the analysis of rhyme, alliteration and meter; and
e) analysis of spellings.
逆順にコメントを加えていきたい.e) のスペリングの分析というのは拍子抜けするくらい当たり前のことに思われるかもしれない.中英語は表音文字を標榜するローマン・アルファベットを用いて書かれている以上,単語のスペリングを参考にするのは当然である.しかし,現代英語の発音とスペリングの関係を考えてみれば分かるように,スペリングは素直に発音を表わしているわけではない.したがって,中英語においても完全に素直に発音を表わしていたわけではいだろうという懐疑的な前提がどうしても必要となる.それでも素直ではないとはいえ少なくとも間接的な形で発音を表わそうとしていることは認めてよさそうであり,どのように素直でないのか,どのくらい間接的なのかについては,当時の文字体系やスペリング体系の詳細な分析を通じてかなりの程度明らかにすることができる.
d) は韻文の利用である.中英語の韻文は,とりわけ後期にかけて大陸から新しくもたらされた脚韻 (rhyme) が栄えた.脚韻の証拠は,とりわけ母音の質量や強勢位置に関して多くの情報を与えてくれる.一方,古英語で隆盛をきわめた頭韻 (alliteration) は中英語期には陰りをみせたものの,北西方言を中心に根強く生き残り,中英語の子音や強勢位置に関するヒントを与え続けてくれる.また,韻文からは,上記の脚韻や頭韻とも密接に関わるかたちで韻律 (meter) の種々の要素が,やはり当時の発音に示唆を与えてくれる.
c) は,後続する近代英語期に史上初めて本格的に現われてくる音声学者たちによる,当時の発音についてのメタ・コメントに依拠する方法である.彼らのコメントはあくまで近代英語期の(主として規範的な)発音についてだが,それが正確に推定できれば,前代の発音についても大きなヒントとなろう.一般的な音変化の特徴を理解していれば,出力(近代英語期の発音)から逆算して入力(中英語期の発音)を得られる可能性が高まる.
b) 近現代の周辺的な方言には,非常に古い形式が残存していることがある.時間軸をさかのぼるのに空間軸をもってする,という手法だ.関連して「#1000. 古語は辺境に残る」 ([2012-01-22-1]),「#2019. 地理言語学における6つの原則」 ([2014-11-06-1]) などを参照されたい.
最後に a) は,関連する諸言語との比較 (comparative_linguistics) に基づく再建 (reconstruction) や内的再建による理論的な推定法である.再建というと,文献のない時代の言語を復元する手法と思われるかもしれないが,文献が確認される古英語,中英語,近代英語においても証拠の穴を埋めるのに十分に利用され得る.
中英語の発音の研究は,上記のような数々の手法で進められてきており,今では相当詳しいことが明らかにされている.
・ Smith, Jeremy J. "Periods: Middle English." Chapter 3 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 32--48.
英語は全般的に母音の長短を表記し分けるのが苦手である.この問題とその背景については,以下の記事などで論じてきた.
・ 「#1826. ローマ字は母音の長短を直接示すことができない」 ([2014-04-27-1])
・ 「#2092. アルファベットは母音を直接表わすのが苦手」 ([2015-01-18-1])
・ 「#2887. 連載第3回「なぜ英語は母音を表記するのが苦手なのか?」」 ([2017-03-23-1])
・ 「#2092. アルファベットは母音を直接表わすのが苦手」 ([2015-01-18-1])
・ 「#2075. 母音字と母音の長短」 ([2015-01-01-1])
しかし,母音の長短を書き分けようという動きが全くなかったわけではない.あくまで書き分けが苦手だったというだけで,書き分けの方法は模索されてきた.確かに古英語ではそのような試みはほぼなされなかったが,中英語になるといくつかの新機軸が導入され,なかには現代まで受け継がれたものもある.Minkova (189--90) より,そのような新機軸を5点挙げよう.
(1) 後続の子音字を重ねて短母音を表わす
Ormulum で採用された方法.follc (folk), þiss (this), þennkenn (think) などとする.一方,長母音を示すには,一貫していたわけではないが,fó (for), tīme (time) のようにアクセント記号を付す方法も採られることがあった.もっとも,この新機軸は Ormulum 以外ではみられず,あくまで孤立した単発の試みである(cf. 「#2712. 初期中英語の個性的な綴り手たち」 ([2016-09-29-1])).
(2) 母音字を重ねて長母音を表わす
aa (aye), see (sea), stoone (stone(s)), ook (oak) など.分かりやすい方法として部分的には現代まで続いている.関連して「#3037. <ee>, <oo> はあるのに <aa>, <ii>, <uu> はないのはなぜか?」 ([2017-08-20-1]) を参照.
(3) 子音字の後に <e> を加えて,その前の母音が長いことを表わす
いわゆる "magic <e>" と称される長母音表記.wife, stone, hole など.中英語開音節長化 (Middle English Open Syllable Lengthening; meosl) と密接に関連する表記上の新機軸である.本格的に規則化するのは16世紀のことだが,その原型は中英語期に成立していることに注意(cf. 「#2377. 先行する長母音を表わす <e> の先駆け (1)」 ([2015-10-30-1]),「#2378. 先行する長母音を表わす <e> の先駆け (2)」 ([2015-10-31-1])).
(4) 異なる母音字を2つ組み合わせた2重字 (digraph) で長母音を表わす
<ie> ≡ [eː], <eo> ≡ [eː] など.このような2重字は古英語にもあったが,母音の長短を表わすために使われていたわけではなかった.中英語では2重字が長母音を表わすのに用いられた点で,新機軸といえる.現代英語の beat, boat, bound などを参照.
(5) 母音字に <i/y> を添えて長母音を表わす
イングランド北部方言やスコットランド方言に分布が偏るが,baith/bayth (both), laith/layth (poath), stain/stayn (stone), keip (keep), heid (head), weill (well), bluid (blood), buik (book), guid (good), puir (poor) などとして長母音を表わした.
・ Minkova, Donka. A Historical Phonology of English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2014.
現代英語では「?しながら来る/行く」を意味する場合には,典型的に「come/go + 現在分詞」 が用いられる.移動動詞の後に現在分詞を添えて,移動の様態を示す用法である.以下に BNCweb からランダムに例を挙げよう.
・ Jack came rushing down from his room on the top floor and . . . .
・ The question came sneaking into her mind . . . .
・ She had contrarily thought that if he really cared he would have come running after her.
・ A great mammoth of an American truck went thundering past, forcing me on to the dirt shoulder.
・ He gulped and went rushing on.
・ . . . the crowd of silver helmets went flooding in pursuit, . . . .
古英語期の特に韻文や,続く中英語の時代には,このような場合に現在分詞ではなく不定詞が用いられるのが一般的だった.とりわけ移動動詞として come が使われる場合に例が多くみられる.Mustanoja (536--37) より例を挙げよう.いずれも to を伴わない不定詞であることがポイントである.
・ þer comen seilien . . . scipes (Lawman A 25525)
・ þer com a wolf gon after þan (Fox & Wolf 108)
・ in him com ur Lord gon (Judas 25)
・ He comme flie too felde (Alis. Macedoine 995)
・ wiþ þat came renne sire Bruyllant (Ferumbras 2333)
・ nece, ysee who comth here ride (Ch. TC ii 1253)
・ on his hunting as he cam ride (Gower CA i 350)
静止動詞というべき lie や stand にも類例がみられるが,これらの動詞については to を伴わない不定詞の例もあれば,to を伴う不定詞の例もみられる (Mustanoja 537) .この場合,不定詞は様態ではなく目的を表わす用法として解釈できる例もあり,両義的だ.
・ feowertene niht fulle þere læe þa verde þeos wederes abiden (Lawman A 28238)
・ ne þurve þa cnihtes . . . careles liggen slæpen (Lawman A 18653)
・ hu mynecene slapan liggen (Wint. Ben. Rule 63)
・ the fraunchise of holi churche hii laten ligge slepe ful stille (Pol. Songs 325)
・ þanne he lieþ to slepen, Sal he nevre luken þe lides of hise eȝen (Best. 15)
・ on a bed of gold she lay to reste Til that the hote sonne gan to weste (Ch. PF 265)
・ faire in the soond, to bathe hire myrily, Lith Pertelote (Ch. CT B NP 4457)
・ --- and in my barm ther lith to wepe Thi child and myn, which sobbeth faste (Gower CA iii 302)
・ ennȝless stanndenn aȝȝ occ aȝȝ To lofenn Godd (Orm. 3894)
・ --- he stood for to biholde (Ch. TC i 310)
中英語後期になると「come + 不定詞」で様態を表わす用法は衰退していき,現代につらなる「come + 現在分詞」が取って代わるようになる.もっとも,後者の構文も古英語以来知られていないわけではなかったことを付け加えておきたい.
・ Mustanoja, T. F. A Middle English Syntax. Helsinki: Société Néophilologique, 1960.
イギリスの爵位として,公侯伯子男の5つが知られている.duke (公爵), marquess (侯爵), earl (伯爵), viscount (子爵), baron (男爵)である.14世紀半ばまでは,議会に参加する世俗諸侯は,大雑把に earl か baron かに分類される程度だったが,この時期から5つの爵位が定着していく.爵位名はそれぞれ独自の由来をもち,ここに合流して初めてセットとして捉えられるようになった.
筆頭の duke (公爵,大公)に注目しよう.この語は,ラテン語 dux, duc- (軍勢の指導者)に起源をもつ.対応する動詞は ducere (導く)である.dux はフランス語 duc を経て,初期中英語に duk, duc などとして入ってきたが,当初は「小国の君主」「指導者」ほどの意味であり,爵位の筆頭としての「公爵」の意に用いられるのは14世紀前半のことである.
dux はローマ帝国の拡大に貢献した軍団の長を指す語だったが,帝国崩壊の後,フランク王国などで最上位の称号となった.ノルマン征服以降のイングランド王はノルマンディ公爵でもあったために,自身と同じ格付けを軽々に与えるのをよしとせず,公爵位の授爵をためらってきたが,14世紀になるとそれも解禁されるようになった.イングランドで最初に「公爵」の地位を与えられたのは Edward III の子の Edward (後に黒太子 "Black Prince" と呼ばれる)であり,彼は1337年に Duke of Cornwall に叙せられた.その後,彼の弟たちにも公爵位が与えられ,Duke of Clarence, Duke of Lancaster, Duke of York, Duke of Gloucester などが誕生した.
女性形 duchess (公爵夫人)も同じ時期に英語に入ってきており,duchy (公国,公国領)もしかりである.これらの派生語で第2子音が /ʧ/ と破擦音化しているのはフランス語での発音を反映したものである.前者は,16--19世紀には発音に引かれて dutchess の綴字で用いられることが多かった.
ノルマン征服により,イングランドの公用語はフランス語およびラテン語となった.英語は非公式の言語として地下に潜ったわけだが,その後の数世紀をかけてゆっくりと,しかし着実に復権を遂げていった.この経緯については,reestablishment_of_english の数々の記事で取り上げてきたが,とりわけ以下の記事を挙げておこう.
・ 「#131. 英語の復権」 ([2009-09-05-1])
・ 「#324. 議会と法廷で英語使用が公認された年」 ([2010-03-17-1])
・ 「#336. Law French」 ([2010-03-29-1])
・ 「#1207. 英語の書き言葉の復権」 ([2012-08-16-1])
・ 「#3096. 中英語期,英語の復権は徐ろに」 ([2017-10-18-1])
・ 「#3265. 中世から初期近代まで行政の書き言葉標準はずっとラテン語だった」 ([2018-04-05-1])
君塚 (134--35) は,公用語としての英語の復権を13世紀以降の流れのなかで描いているが,その終点はといえば,近代に入った1649年である.
なお,「ノルマン征服」以後,イングランド貴族の日常言語はフランス語であり,公式の文書などにはラテン語が用いられてきた.これがジョンによる「ノルマン喪失」以降,貴族間でも英語が日常的に使われ,エドワード3世治世下の一三六三年からは議会での日常語は正式に英語と定められた.庶民院にはフランス語ができない層が数多くいたこととも関わっていた.
議会の公式文書のほうは,一五世紀前半まではラテン語とともにフランス語が使われていたが,一四八九年からは法令の草稿も英語となった(議会制定法自体はラテン語のまま).最終的に法として認められる「国王による裁可」(ロイヤル・アセント)も,一七世紀前半まではフランス語が使われていたが,共和制の到来(一六四九年)とともに英語に直され,以後今日まで続いている.
だが,さらに後の話題もある.法律を含めた公文書が英語で書かれなければならなくなる,いわゆる「ラテン語の全廃」は,ハノーヴァー朝の1713年のことである.イングランドは,ノルマン征服以降,英語を公的な場に完全に取り戻すのに,ざっと650年を要したことになる.
・ 君塚 直隆 『物語 イギリスの歴史(上下巻)』 中央公論新社〈中公新書〉,2015年.
英語ことわざは,古英語期や中英語期にもたくさん記録されている.最古の英語ことわざ集に Proverbs of Alfred (c. 1150--80) と呼ばれるものがあるし,いわゆる文学作品にも聖書由来のものを含めて数々のことわざが収録されてきた.
13--14世紀のものを中心とした,Skeat 編のことわざ集がある.現代にも受け継がれているものが多いので,中世英語や英語史の学習にうってつけである.以下に,現代語訳をつけていくつか拾い出してみよう.
・ Hwa is thet mei thet hors wettrien the him-self nule drinken? (Old English Homilies): "Who is he that may water the horse and not drink himself?"
・ Nis nawer nan so wis mon / That me ne mai bi-swiken. (Layamon): "There is nowhere so wise a man that one cannot deceive him."
・ Euer so the hul is more and herre, so the wind is more theron. (Ancrene Riwle): "The greater and higher the hill, the greater the wind on it." (方言形 hul について「#1812. 6単語の変異で見る中英語方言」 ([2014-04-13-1]) を参照)
・ Wel fight that wel specth --- seide Alvred. (Owl and Nightingale): "He that speaks will, fights well --- said Alfred."
・ Strong hit is to rowe ayeyn the see that floweth, So hit is to swynke ayeyn un-ylimpe. (Prov. of Alfred): "As it is hard to row against the sea that flows, so it is to toil against misfortune."
・ For qua bigin wil ani thing / He aght to thinc on the ending. (Cursor Mundi): "For he who will begin a thing ought to think how it may end."
・ Ther God wile helpen, nouht ne dereth. (Havelok): "Where God will help, nothing does harm."
・ More honour is, faire to sterve, Than in servage vyliche to serve. (Kyng Alisaunder): "It is more honour to die fairly than to serve cunningly in servitude."
・ Tel thou neuer thy fo that thy fot aketh. (Hending): "Never tell thy foe that thy foot aches."
・ The lyf so short, the craft so long to lerne. (Parlement of Foules): "Life is so short, art is so long to learn."
・ Hit is not al gold, that glareth. (Hous of Fame): "All is not gold that glitters."
・ The nere the cherche, the fyrther fro Gode. (Handlyng Synne): "The nearer to the church, the further from God."
・ That that rathest rypeth ・ roteth most saunest. (P. Pl.): "What ripes most quickly, rots earliest."
・ A litell stane, as men sayis, / May ger weltir ane mekill wane. (Bruce): "A little stone, as many say, can cause a great waggon to be overturned."
・ For spechëles may no man spede. (Confessio Amantis): "For no man can succeed by being speechless."
・ It is nought good a sleping hound to wake. (Troilus): "It is not good to wake a sleeping dog."
・ Mordre wol out. (Canterbury Tales) (方言形 wol について「#89. one の発音は訛った発音」 ([2009-07-25-1]) を参照)
・ Charite schuld bigyne at hem-self. (Wyclif, Works): "Charity should begin at home."
・ Skeat, Walter W., ed. Early English Proverbs, Chiefly of the Thirteenth and Fourteenth Centuries, with Illustrative Quotations. Oxford: Clarendon, 1910.
動詞の「強弱移行」の過程は,英語の形態論の歴史においてメジャーな話題である.これについて,「#178. 動詞の規則活用化の略歴」 ([2009-10-22-1]) ,「#527. 不規則変化動詞の規則化の速度は頻度指標の2乗に反比例する?」 ([2010-10-06-1]) ,「#528. 次に規則化する動詞は wed !?」 ([2010-10-07-1]),「#764. 現代英語動詞活用の3つの分類法」 ([2011-05-31-1]),「#1287. 動詞の強弱移行と頻度」 ([2012-11-04-1]) などで取り上げてきた.
しかし,この大きな潮流に逆らう小さな逆流,すなわち「弱強移行」の事例もしばしば指摘されてきた.イギリス英語の dive -- dived (-- dived) に対するアメリカ英語の dive -- dove (-- dived) の例がよく知られているが,歴史的にはその他の例も散見される.
たとえば,Wełna (425) によれば,中英語期に弱強移行し,今なお過去形か過去分詞形において強変化(不規則)形が用いられ続けているものとして,次のような例があるという(中英語の語形で挙げる).
INFINITIVE | PAST | PAST PARTICIPLE |
---|---|---|
chide | chidde, chōde | chidden |
ring | ringde, rongen (PL) | runge |
sawe | sawed, sew | sawid, sown |
sew | sowed | sewed, sowen |
shew, show | showed | showed, showen |
stycke | stiked, stacke | sticked, stōken |
weer | wēred, wōre | wēred, worn |
大母音推移 (gvs) が英語音韻史上,最大の謎と称されるのは,連鎖的な推移であるとは想定されているものの,母音四辺形のどこから始まったかについて意見が分かれているためである.上昇や2重母音化の過程がどこから始まり,次にどこで生じたのかが分からなければ,push chain も drag chain も論じにくい.近年では「大母音推移」は1つの連鎖的な推移とみなすことはできず,複数の変化の集合体にすぎないという立場を取る論者も少なくない.服部 (58--59) は,大母音推移の開始点と開始時期を巡る問題について,学説史を踏まえて次のようにまとめている.
GVS を構成する各変化は同時に起こったわけではなく,上二段の変化 (eː → iː, oː → uː, iː → əɪ, uː → əʊ) は下二段の変化に比べかなり早く,1400年頃に始まり1550年頃までには完了していたと考えられる.一方,下二段の変化については,それから数十年遅れて開始され,1700年代中頃まで変化の過程が継続していたとされる.上二段のうち,狭母音の二重母音化と狭中母音の上昇化のいずれかが先に起こったかについては,意見が分かれ,Jespersen (1909) は,まず狭母音が二重母音化を開始し,次いでその結果生じた空白を埋めるべく,一段下の狭中母音が引き上げられたと主張した.これを引き上げ連鎖説 (drag-chain theory) という.他方,オーストリアの Karl Luick (1865--1935) はその著書 (1914--1940) において,Jespersen とは逆に,狭中母音の上昇化が先に起こり,/iː/, /uː/ の位置まで高められたため,/iː/, /uː/ は新しい狭母音との融合を回避するため,いわばそれに押し上げられる形で二重母音化したとする説を提唱した.これを押し上げ連鎖説 (push-chain theory) と称する.押し上げ連鎖説に関して,母音空間の最下段,すなわち広母音からの連鎖的押し上げを主張する論者が少なからずいるが,GVS に関する限りは,上述の上二段と下二段の時期的ずれからみて,最下段から連鎖推移が始まったと考えるのは無理である.また,GVS の開始時期についても意見が分かれており,近年では13世紀にまで遡らせることができ,しかも上二段の変化はほぼ同時に始まったとする論者もいる (Stenbrenden 2010, 2016 など).
いわゆる GVS は,上二段と下二段に関する少なくとも2つの異なる音韻変化からなっていると考えた方がよさそうである.先に上二段の過程が,後に下二段の過程が開始され,振り返ってみれば全体として音韻がシフトしたように見えるというわけだ.上二段について引き上げなのか押し上げなのかという論争にも決着がついていない.
明日の記事で,影響力のある Minkova and Stockwell が近年提示した GVS の解釈を覗いてみたい.
・ 服部 義弘 「第3章 音変化」服部 義弘・児馬 修(編)『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 朝倉書店,2018年.47--70頁.
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 1. Copenhagen: Munksgaard, 1909.
・ Luick, Karl. Historische Grammatik der englischen Sprache. 2 vols. Oxford: Basil Blackwell, 1914--40.
・ Stenbrenden, Gjertrud Flermoen. The Chronology and Regional Spread of Long-Vowel Changes in English, c. 1150--1500. Diss. U of Oslo, Oslo, 2010.
・ Stenbrenden, Gjertrud Flermoen. Long-Vowel Shifts in English, c. 1150--1700: Evidence from Spelling. Cambridge: CUP, 2016.
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