この数週間のうちに「#3478. 『図説イギリスの歴史』の年表」 ([2018-11-04-1]),「#3479. 『図説 イギリスの王室』の年表」 ([2018-11-05-1]),「#3487. 『物語 イギリスの歴史(上下巻)』の年表」 ([2018-11-13-1]) などイギリス史年表をいくつか掲げてきたが,ついでにもう1つ近藤和彦(著)『イギリス史10講』の年表を提示しよう(以下,pp. 2, 18, 42, 72, 114, 148, 176, 200, 248, 284 より).このイギリス史概説は,経済や文化にも目配りをし,日本史との関わりにも注意を払っている点で読み応えがある.年表中で [I] はアイルランド,[S] はスコットランド,[A] は北アメリカを指す.
| 今から10000年前(紀元前8000ころ) | このころまで氷期.ブリテン諸島はヨーロッパ大陸の大きな半島 |
| 紀元前6000 | このころまでに海水面が上昇し,現ブリテン諸島が出現 |
| 紀元前3000ころ | スカラ・ブレイなどオークニ島の遺跡群 |
| 紀元前2300ころ | ストーンヘンジの完成 |
| 紀元前1000ころ | ケルト系諸部族が広がる |
| 紀元前55 | カエサルのブリタニア侵攻 (--54) |
| 紀元後43 | クラウディウスのブリタニア征服 |
| 122 | ハドリアヌスの壁建設始まる;このころ「パクス・ローマーナ」 |
| 212 | ローマ帝国の全自由民に市民権 |
| 4世紀末 | ゲルマン諸部族の移住(--5世紀) |
| 461以前 | [I] 聖パトリックの布教 |
| 563 | [I, S] コルンバ,アイオナに修道院創設 |
| 570以前 | ギルダス『ブリタニアの破滅について』 |
| 597 | 聖アウグスティヌス,キャンタベリに教会建設 |
| 731 | ベーダ『イギリス人の教会史』,古英語に言及;このころアルクイン,フランク王国へ |
| 793 | ヴァイキングの襲撃,始まる |
| 871 | アルフレッド大王 (--899) |
| 959 | エドガ王 (--975) |
| 1016 | カヌート王 (--35) ,エマと再婚 |
| 1042 | エドワード証聖王 (--66) |
| 1066 | 1. ハロルド王.10. ヘイスティングズの戦いでギヨーム(ウィリアム)勝利;ウィリアム1世征服王 (--87),ノルマン建築,中期英語の始まり |
| 1069 | [S] マルカム3世,マーガレットと結婚 |
| 1135 | 王位を巡る内戦 (--54) |
| 1154 | ヘンリ2世 (-89),法と行政の整備,アイルランド遠征 |
| 1189 | リチャード1世獅子心王 (--99),第3回十字軍 |
| 1199 | ジョン欠地王 (--1216) |
| 1215 | マグナ・カルタ |
| 1216 | ヘンリ3世 (--72).尚書部,財務府が確立 |
| 1264 | シモン・ド・モンフォールの反乱 (--65) |
| 1272 | エドワード1世長脛王 (--1307) .この前後に「アーサ王と騎士の物語」写本 |
| 1276 | ウェールズ戦争 (--83) |
| 1296 | スコットランド独立戦争 (--1357) |
| 1327 | エドワード3世 (--77) |
| 1337 | フランスで百年戦争 (--1453) |
| 1348 | 黒死病猛威をふるう (--50) |
| 1381 | 人頭税,農民一揆(ウォト・タイラの乱) |
| 1400以前 | チョーサ『キャンタベリ物語』 |
| 1422 | ヘンリ6世 (--61, 70--71) |
| 1455 | バラ戦争 (--87) .このころフォーテスキュ『イングランドの統治』.このころイタリア・ルネサンス最盛期 |
| 1476 | キャクストン,ロンドンで活版印刷を開始.近世英語の始まり |
| 1485 | ヘンリ7世 (--1509),テューダ朝始まる |
| 1497 | カボット,ニューファンドランドへ |
| 1509 | ヘンリ8世 (--47) |
| 1517 | ルターの宗教改革始まる |
| 1519 | カール5世,神聖ローマ皇帝 (--56) |
| 1533 | 上訴禁止法にて主権国家宣言 |
| 1534 | 国王至上法にて国教会成立 |
| 1536 | ウェールズ合同法 (43にも) |
| 1538 | 教区登録法 |
| 1541 | アイルランド王位法 |
| 1542 | [S] メアリ・ステュアート (--67) |
| 1547 | エドワード6世 (--53) .まもなく共通祈祷書,信仰統一法 |
| 1533 | メアリ1世 (--58) 「血まみれメアリ」.まもなくフォックス『殉教者の書』 |
| 1558 | エリザベス1世 (--1603) .国教会の再確立.[S] このころノックスの宗教改革 |
| 1568 | ネーデルラント(オランダ)で独立戦争始まる |
| 1567 | [S] ジェイムズ6世 (--1625) |
| 1580 | ドレイクの世界周航 |
| 1588 | アルマダ海戦.ティルベリの演説 |
| 1594 | [I] アルスタの反乱 (--1603) |
| 1600 | ウィリアム・アダムズ九州に漂着,徳川家康に謁見.東インド会社設立.シェイクスピア『ハムレット』 |
| 1601 | 貧民対策法,チャリティ用益法 |
| 1603 | ジェイムズ1世 (--25),ステュアート朝始まる |
| 1607 | [I, A] プロテスタントのアルスタ植民,ヴァージニア植民 |
| 1611 | 『欽定訳聖書』完成し,全国の教会へ |
| 1613 | 東インド会社のセーリス,ぜめし帝王の親書をたずさえ家康に越権 |
| 1618 | 三十年戦争 (--48) |
| 1623 | アンボイナ事件,以後東・東南アジア貿易はオランダが独占 |
| 1625 | チャールズ1世 (--49) |
| 1638 | [S] 国民盟約.[I] ウェントワース総督「根こぎ」政策 |
| 1639 | 主教戦争(翌年,第2次主教戦争) |
| 1640 | 4. 短期議会.11. 長期議会 (--60) .「ピューリタン革命」開始 |
| 1641 | 5. ウェントワース(ストラフォード伯)処刑.10--. アイルランド「大虐殺」の報 |
| 1642 | 1. 王のクーデタ.8. 内戦始まる |
| 1643 | [S] 厳粛な同盟と盟約 |
| 1645 | ニューモデル軍編成 |
| 1647 | パトニ討論(軍の幹部と水平派の議論) |
| 1649 | 1. 特別法廷でチャールズ1世有罪,処刑.5. イングランド共和国.8. [I] クロムウェル,アイルランド出征 |
| 1651 | [S] エディンバラにて長老派,チャールズ2世の戴冠式.このころホッブズ『リヴァイアサン』 |
| 1652 | 対オランダ戦争 (74まで継続) |
| 1653 | 統治章典によりクロムウェルは護国卿,ブリテン諸島は単一の共和国に |
| 1660 | 王政復古(国教会,3王国も復活),チャールズ2世 (--85) |
| 1661 | フランスでルイ14世の親政 (--1715) |
| 1665 | ロンドンでペスト大流行.ロイアル・ソサエティ『学術紀要』創刊 |
| 1666 | ロンドン大火 |
| 1679 | このころから議会でトーリ・ホウィグが対立 |
| 1685 | ジェイムズ2世 (--88) .この年ルイ14世,ナント王令を廃し,ユグノ難民生じる |
| 1688 | 九年戦争(大同盟戦争,ファルツ継承戦争,--97).6. 王太子誕生,「名誉革命」はじまる.11. オラニエ公ウィレム上陸.12. ジェイムズ2世,亡命 |
| 1689 | 2. 権利の宣言,ウィリアム3世 (--1702) & メアリ2世 (--94) .寛容法.12. 権利の章典.ロック『統治二論』.[S] エディンバラにて権利の要求.名誉革命レジームの始まり.第二次百年戦争の開始 (1815まで継続) |
| 1690 | [I] ジェイムズ2世とウィリアム3世の会戦 |
| 1692 | [S] グレンコーの殺戮.最初の国債発行 |
| 1694 | イングランド銀行 |
| 1701 | 王位継承法.スペイン継承戦争 (--13) .キャラコ論争 |
| 1703 | メシュエン条約 |
| 1707 | イングランドとスコットランドの合同(グレートブリテン王国成立) |
| 1713 | ユトレヒト条約.このころから大西洋多角貿易の成長 |
| 1714 | ジョージ1世 (--27),ハノーヴァ朝始まる.ヴォルテールを援助 |
| 1715 | 騒擾法,老僭王とジャコバイトの反乱 |
| 1720 | 南海会社のバブル事件 |
| 1721 | ウォルポール首相 (--42) .このころデフォー,スウィフト,マンドヴィル,新聞雑誌,コーヒーハウスが活況を呈し,市民的公共圏が開花 |
| 1740 | オーストリア継承戦争 (--48) |
| 1745 | 若僭王とジャコバイトの反乱,翌年に惨敗 |
| 1754 | 工芸振興協会 |
| 1755 | ジョンソン『英語辞典』,近代英語の確定 |
| 1756 | 七年戦争 (--63) ,[A] 前年からフレンチ=インディアン戦争 |
| 1757 | インドでプラッシ会戦 |
| 1759 | ブリティシュ・ミュージアム開館.スミス『モラル感情論』 |
| 1760 | ジョージ3世 (--1820) |
| 1763 | パリ条約(北アメリカの領土を拡大).ロンドンでウィルクス事件 (--74) |
| 1765 | [A] 印紙税一揆 |
| 1771 | アークライトの水力紡績工場 |
| 1773 | [A] ボストン茶会事件.東インド会社規制法 |
| 1775 | [A] 13植民地の独立戦争 (--83) |
| 1776 | スミス『諸国民の富』,ギボン『ローマ帝国衰亡史』.ペイン『コモンセンス』 |
| 1778 | コールブルクデイルに鉄製の橋 |
| 1780 | このころGDP年成長率1%をこえる(産業革命の始動) |
| 1782 | [I] グラタン議会 |
| 1783 | パリ条約(合衆国独立の承認).ピット首相 (--1801, 04--06) |
| 1784 | ウォット,複動回転蒸気機関の特許 |
| 1786 | 英仏通商条約(イーデン条約) |
| 1789 | マンチェスタに蒸気力紡績工場.フランス革命 (-99) .ワシントン大統領 |
| 1791 | [I] ユナイテッド・アイリッシュメン |
| 1793 | 対フランス大同盟による戦争(1815まで断続) |
| 1799 | ネイサン・ロスチャイルド,マンチェスタに居住(1804にロンドンへ) |
| 1800 | アイルランド合同法により,翌年に連合王国成立 |
| 1802/03 | 綿製品がイギリス輸出品の第1位に |
| 1808 | 長崎でフェートン号事件(13より日本は「本国サラサ」を輸入) |
| 1814 | ウィーン会議 (--15) でナポレオン戦争処理.第二次百年戦争終結 |
| 1825 | 空前の好況,鉄道開通,年末に最初の恐慌.日本で「異国船打払令」 |
| 1826 | ロンドン大学 (UCL) 創立 |
| 1828 | 審査法・自治体法の廃止 |
| 1829 | カトリック解放法 |
| 1830 | 9. リヴァプール・マンチェスタ鉄道開通.11. グレイ首相 (--34) |
| 1832 | 選挙法改正 |
| 1834 | 貧民対策法改正(新救貧法).12. ピール首相 (--35, 41--46) |
| 1837 | ヴィクトリア女王 (--1901) |
| 1838 | 8. 人民憲章,チャーティスト運動.9. 穀物法反対教会(翌年,穀物法反対同盟) |
| 1840 | アヘン戦争 (--42) ,グラッドストンの反対演説 |
| 1845 | ディズレーリ『シビル――または2つの国民』 |
| 1846 | 穀物法撤廃,トーリ党分裂 |
| 1851 | 大博覧会(最初の万博).ロイター通信社設立.全国信教調査 |
| 1854 | クリミア戦争に参戦 (--56) |
| 1857 | インド大反乱 (--58) ,インド直接支配へ |
| 1860 | 英仏通商条約(コブデン条約).ナイティンゲールの看護婦養成学校 |
| 1862 | 文久の遣欧使節(福沢諭吉も随行)が渡英 |
| 1863 | サッカー規約.翌年にクリケット規約 |
| 1867 | 第2次選挙法改正.バジョット『イングランドの国政』.カナダ連邦 |
| 1868 | 2. ディズレーリ保守党首相 (--68, 74--80) .12. グラッドストン自由党首相 (--74, 80--85, 86, 92--94) |
| 1869 | スエズ運河開通 |
| 1870 | 初等教育法(80に就学義務化).国家公務員採用試験始まる |
| 1871 | 労働組合法 |
| 1872 | 岩倉使節団(久米邦武も随行)が渡英 |
| 1876 | 女王,インド皇帝を称する |
| 1884 | 第3次選挙法改正.フェビアン協会.セツルメント始まる |
| 1885 | インド国民会議結成 |
| 1886 | アイルランド自治法案,チェインバレンが自由党から分裂 |
| 1887 | 第1回植民地会議.「シャーロック・ホームズ」始まる |
| 1889 | キプリング East is East . . . |
| 1892 | ビアトリス・ポッタ,シドニ・ウェブと結婚 |
| 1899 | 南アフリカ戦争 (--1902) |
| 1900 | 夏目漱石,渡英 (--02) .チャーチル政界入り |
| 1901 | オーストラリア連邦.エドワード7世 (--10) .タフヴェイル裁判 |
| 1902 | 日英同盟 (--23) |
| 1903 | 「田園都市」の建設始まる |
| 1906 | 労働党,総選挙で29名当選 |
| 1907 | ニュージーランド自治国に |
| 1908 | アスクィス首相 (--16) .老齢年金法 |
| 1910 | ロイド=ジョージ財務相の人民予算.南アフリカ連邦 |
| 1912 | タイタニック号,処女航海で沈没 |
| 1914 | 第一次世界大戦 (--18) .アイルランド自治法成立,棚上げ |
| 1916 | イースタ蜂起.徴兵法.ロイド=ジョージ首相 (--22) |
| 1917 | ロシア革命.バルフォア宣言 |
| 1918 | 30歳以上の女性参政権 |
| 1919 | パリ講和会議.ヴェルサイユ条約.アムリトサル虐殺.インド統治法 |
| 1921 | 「グレートブリテンおよびアイルランド連合王国」から「アイルランド自由国」成立 |
| 1922 | アイルランド内戦 (--23) .BBCラジオ放送始まる |
| 1924 | 労働党政権,マクドナルド首相 (--24, 29--35) .フォースタ『インドへの道』 |
| 1928 | 男女平等の選挙権 |
| 1929 | 筝?????????? |
| 1936 | 王位継承危機,ジョージ6世 (--52) .ケインズ『一般理論』.ペンギン・ブックス |
| 1939 | 対ドイツ宣戦布告.第二次世界大戦 (--45) |
| 1940 | チャーチル首相 (--45, 51--55) |
| 1942 | 「ベヴァリッジ報告」の社会保障構想,終戦まで棚上げ |
| 1945 | 終戦.総選挙で労働党圧勝(翌年から社会保障,国有化など実現) |
| 1947 | インド,パキスタン,分裂独立 |
| 1948 | 「国籍法」で帝国臣民,コモンウエルス市民の入国権を再確認.南アフリカでアパルトヘイト政策始まる |
| 1949 | アイルランド共和国,コモンウェルスから離脱 |
| 1952 | エリザベス2世(--今日).原爆実験 |
| 1956 | スターリン批判.スエズ危機.『怒りをこめて振りかえれ』.原発操業開始 |
| 1957 | E. H. ノーマンの死.マクミラン首相 (--63) .「絶好調」発言.ガーナ独立に続きアフリカ諸国独立 |
| 1960 | ビートルズ (--70) |
| 1961 | EEC に加盟申請(63にフランスが拒否権発動) |
| 1964 | ウィルスン首相 (--70, 74--76) |
| 1965 | ヴェトナム戦争 (--73) ,反戦運動たかまる |
| 1968 | 北アイルランド紛争 (--94) .パウエルの人種差別発言続く |
| 1971 | メートル法,通貨百進法へ切り替え.入国管理法で入国制限はじまる |
| 1973 | 連合王国,アイルランド共和国とともにヨーロッパ共同体 (EC) に加盟.石油危機 |
| 1978 | 「われらが不満の冬」 (--79) |
| 1979 | サッチャ首相 (--90) ,二〇世紀のコンセンサス政治との戦い |
| 1981 | 4. ブリクストン騒擾.7. チャールズ王太子結婚式 |
| 1982 | フォークランド戦争 |
| 1986 | 金融自由化(ビッグバン),ロンドン市場の活性化 |
| 1989 | ベルリンの壁崩壊 |
| 1990 | ユーロ・トンネル開通.南アフリカでアパルトヘイト撤廃.メイジャ首相 (--97) |
| 1991 | ソ連邦解体 |
| 1993 | マーストリヒト条約を批准して EU に加盟.このころアイルランドは好況で「ケルトの虎」と評される |
| 1994 | IRA テロ活動停止宣言.マンデラ,南アフリカ大統領に |
| 1997 | 総選挙で労働党圧勝,ブレア首相 (--2007) .権限委譲進む |
| 2001 | 9.11 アメリカで同時多発テロ |
| 2003 | イギリス,イラクへ進軍 |
| 2010 | 保守党・自由民主党の連立政権,キャメロン首相 |
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