一昨日の記事「#4828. 「長い18世紀」に対フランスを軸に形成された「イギリス国民」のアイデンティティ」 ([2022-07-16-1]) および昨日の記事「#4829. 19世紀イギリス「白人の責務」から「英語帝国主義」へ」 ([2022-07-17-1]) に続き池上俊一(著)『王様でたどるイギリス史』を参照して,イギリス・英語帝国主義批評について考えている.
19世紀に急成長を遂げたイギリスが動物園や水族館の設立・運営に力を入れたことと,19世紀後半より OED のような大型の文献学的辞書が編纂されたことには共通項がある.いずれも部分的には帝国主義の申し子である,ということだ.
ここにもう1つ植物園という存在も加えてしかるべきだろう.動物園と同じく植物園もまた,イギリス帝国が威信をかけて設立・運営した国威発揚の道具だった.植物園・動物園趣味について,池上 (140--42) を引用したい.
プラント・ハンターの活躍
もうひとつ,王室庭園をはじめ貴族の庭園は,植物学,植物蒐集のセンターになっていたことも重要です.王立キュー植物園を代表とする植物園には,植民地で手に入れた珍しい植物が標本として集められたのです.王室庭園や貴族庭園の庭師出身の「プラント・ハンター」たちは,当初は薬用植物,香辛料,食用など役に立つ植物を世界狭しと駆け回って必死で集めていたのですが,やがて珍しくて美しい未知の植物を蒐集するようになりました.彼らはその後園芸商となって栽培園を経営し,珍しい植物を得るようになり,その商売は一八世紀後半にもっとも繁栄しました.一九世紀に入るといくつもの園芸協会が設立され,園芸知識の交換・普及や逸品の展示会が開催され,園芸雑誌,植物学雑誌も発刊されました.
イギリスの植物蒐集の歴史においてもっとも重要な人物は,ジョーゼフ・バンクス(一七四三~一八二〇年)です.彼が王立キュー植物園の経営を司り,プラント・ハンターを世界に派遣して植物を集め,キュー植物園を植物情報の集中するセンターにしたからです.バンクスの植物蒐集には国王ジョージ三世も理解があり,後押ししてくれました.植物学界,園芸界,造園界がこうした新しい植物の流入によって発展したことは,言うまでもありません.
バンクスや国王が世界中の植物をイギリスの植物園に集中させることに熱意を示した裏には,イギリス(王)こそが世界を支配し,世界をくまなく監視し情報を集積しているのだ,というメッセージも密かに含まれていたはずです.
偉業の象徴,動物園
植物園とともに王室との関連が深い「動物園」についても,ここで触れておきましょう.
大英帝国の拡張に努める過程で,植物標本だけでなく野生動物も捕獲してもち帰られ,飼育・研究されるようになりました.これも,イギリスが遠隔の地を支配すること,その商業・経済圏がアジアにまで広がっていることを象徴していました.
中世から王立動物園はありましたが,一七世紀後半になると,異国の動物がつぎつぎと運び込まれて王の偉業の象徴となっていきました.動物園の人気動物はそれぞれが生まれた土地を表象し,世界に広がるイギリスの覇権をまざまざと見せ,祖国への奉仕観念を喚起したのです.
王立公園であるリージェンツ・パークの動物園(現在のロンドン・ズー)は一八二八年に開園し,大成功を収めました.後のヴィクトリア女王やエドワード七世も「熱帯の諸国の王侯からもたらされたライオン,シマウマ,トラ,ヒョウなどを収容した動物園は,英国の国際的地位,ひいては英王室の地位を象徴する」という考えを持っていたようです.
同趣旨で,当時のイギリスでは,世界中から(動植物ならぬ)言葉を集め(動植物園ならぬ)辞書を編纂するという事業への関心も芽生えた.この成果が OED であるといっても過言ではない.この辺りの関わりについては,以下の記事を参照されたい.
・ 「#3020. 帝国主義の申し子としての比較言語学 (1)」 ([2017-08-03-1])
・ 「#3021. 帝国主義の申し子としての比較言語学 (2)」 ([2017-08-04-1])
・ 「#3376. 帝国主義の申し子としての英語文献学」 ([2018-07-25-1])
・ 「#3603. 帝国主義,水族館,辞書」 ([2019-03-09-1])
・ 「#3767. 日本の帝国主義,アイヌ,拓殖博覧会」 ([2019-08-20-1])
・ 「#3851. 帝国主義,動物園,辞書」 ([2019-11-12-1])
・ 「#4131. イギリスの世界帝国化の歴史を視覚化した "The OED in two minutes"」 ([2020-08-18-1])
19世紀イギリスの植物園への思い入れと関連して,現代イギリス人の典型的な趣味ともされる園芸(ガーデニング)のルーツも同時期に求められることに注意したい.この穏やかな趣味が現代英語の世界覇権と関係していると聞けば,多くの人は耳を疑うかもしれない.
・ 池上 俊一 『王様でたどるイギリス史』 岩波書店〈岩波ジュニア新書〉,2017年.
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