「#1277. 文字をもたない言語の数は?」 ([2012-10-25-1]) で,この種の統計を得ることの難しさに触れた.今回は『世界民族百科事典』に「無文字言語」という項を見つけたので,その内容を要約したい.
無文字言語 (unwritten language) とは,「たんに文字に書かれることがないということではなく,研究者などによって書かれることがあるとしても社会に定着しておらず,それが通信や記録の媒体として機能していない言語」である.無文字言語の数については,本項を書いている梶 (186) も確かなことは言えないようで,Ethnologue による世界の言語の推計を参照しながら,漠然と「文字化された言語は,世界におそらく数%しかないのではないか.実際的に世界のほとんどの文字が無文字言語なのである」と述べている.
先の記事でも触れたが,無文字言語の母語話者が文字を知らないとは必ずしもいえないことに注意したい.非母語で教育を受け,その非母語の文字を習得している可能性はあるからだ.実際に,世界の多くの人々がそのような状況におかれている.逆に言えば,母語で(あるいは母国語で)教育を受けられる国というのは,少ないのである.
オーストラリアで無文字言語を話す少数民族の文化を無形文化財として保護しようとする運動が見られるなど,世界のいくつかの地域で少数言語の保持の試みがなされてはいる.しかし,このような言語政策 (language_planning) はいまだ一般的とはいえず,多くの言語が地域の強大な言語からの圧力や差別にさらされているのが実態だろう.
梶 (187) は,無文字言語に関する言語の神話 (language_myth) に言及しつつ,無文字社会にみられる口頭言語の役割の大きさを指摘している.
言語に文字がないと表現が散漫になるのではないかと考える向きもあるが,これはむしろ逆であることが多い.言語に文字がないからこそ,表現に一定の形式を与え,コミュニケーションを確かなものにしようという意識が働く.なぜアジアやアフリカの言語に民話が何千とあり,また諺も2,000も3,000もあるのか考えてみよう.例えば諺というのは,社会の英知をコンパクトに表現したものであるが,そこには韻を踏んだり対句を用いたりとさまざまな形式が導入されている.
〔中略〕文字言語は,さまざまなものを文字の代わりに用いることがある.例えば,人名や地名は出来事の記録媒体として機能することは世界の多くの地域でみられる.例えば,アフリカなどでは「葬式」という名前は,親族が死んで喪に服しているときに生まれた子供,「戦争」は戦いがあったときの子供,「道」は母親が産科に急いだのだが間に合わず道で産んだ子供といった具合である.これらの名前は個人を他の個人と区別するだけでなく同時に命名者(これは主として子供の親)にとって重要な出来事を,子供の名前の中に記録しているのである.また隣人に対して,あたかも手紙を書くようにメッセージを子供の名前に託したものも多い.
このように,無文字言語そして無文字社会においては,文字がないからこそ豊かな口承文芸が発達しているのである.そして文字の役割が大きくなればなるほど,口承文芸が衰退していくことは今,我々が目にしているとおりである.
関連して,「#1685. 口頭言語のもつ規範と威信」 ([2013-12-07-1]) を参照.
・ 梶 茂樹 「無文字言語」 『世界民族百科事典』 国立民族学博物館(編),丸善出版,2014年.186--87頁.
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