「#4804. vernacular とは何か?」 ([2022-06-22-1]) で vernacular の意味について考えた.初期近代英語期に初めてラテン語から導入されたこの単語は,21世紀の世界英語 (world_englishes) 現象を考える上でキーワードとなりうる.権力をもった言語(英語史の観点からは典型的にラテン語)に対する土着の言語(イングランドで日常的に用いられた英語)としての英語を指す言葉だが,今や英語こそがかつてのラテン語のような社会的に威信をもつ言語となってしまっているので,見方によっては英語を vernacular と呼ぶことは皮肉な響きを伴う.
この観点からすると,英単語として英語を指す vernacular は手垢のついた用語といえなくもない.だが,その点でいえば類義語である folk や indigenous も似たようなものだろう.「手垢」に対処するには,この単語の歴史的な用法をひもといてみる必要がある.OED の vernacular, adj. and n. の項をじっくり読んでみた. *
この語の語源であるラテン語 vernāculus は,英語には1601年に「英語で書く(作家)」ほどを意味する形容詞として次の例文にて文証される.
1601 Bp. W. Barlow Def. Protestants Relig. 2 A vernaculer pen-man..hauing translated them into English.
私たちにとって最も重要な語義は,言語を形容する用法で OED の定義2aとして次のように初出する.
2.
a. Of a language or dialect: That is naturally spoken by the people of a particular country or district; native, indigenous.
Usually applied to the native speech of a populace, in contrast to another or others acquired for commercial, social, or educative purposes; now frequently employed with reference to that of the working classes or the peasantry.
1647 J. Howell New Vol. of Lett. 149 This [sc. Welsh] is one of the fourteen vernacular and independent tongues of Europe.
その後,遅れて17世紀後半,そして18世紀以降になって,文学や芸術などにも適用されていく.しかし,もとのラテン語 vernāculus が言語の形容に限らず一般的に土着性を表わすのに用いられたのに対して,英語では借用の初期にはとりわけ言語(周辺)の話題に限定して用いられていたというのが特徴的である.現在でも,辞書の記載としては言語以外の対象を形容するのに用いられ得るものの,基本的には言語との関連が深い形容詞といってよい.
ちなみに「土着の言語」を意味する名詞用法としては,18世紀初めの次の例が初出である.
a1706 J. Evelyn Hist. Relig. (1850) I. vii. 427 It is written in the Chaldæo-Syriac, which was..the vernacular of our Lord.
このように英単語としての vernacular の用法は,言語への執着が強い.それは,やはり威信あるラテン語に対する威信なき英語という構図が前提にあったからだろう.それが,いまや威信ある(標準)英語と威信なき(非標準)○○語の構図を想起させる文脈で用いられることが増えてきたというのは,意味深長である.
普通,言語名というものは不可算名詞であり English, French, Japanese のように無冠詞で用いる.一方,日常言語生活においても言語学においても,各言語のなかに様々な変種(方言)があるということは常識的に知られており,形容詞を冠して American English, Old French, written Japanese などという表現があることは暗黙の了解事項となっている.これらは丁寧にパラフレーズするならば an American variety of English, an ancient variety of French, a written variety of Japanese などとなるだろうか.この丁寧なフレーズから,冠詞と variety of を省略したのが American English, Old French, written Japanese などの表現となっていると考えられる.
このように,あくまで表現上のショートカットととらえるのであれば,それ以上議論する余地もないかもしれない.便宜上の省略表現にすぎないからだ.しかし,Englishes のような表現は,あえてこうした発想を形式の上にも反映させようとしたところに,新しさを感じさせる.実は Englishes という複数形だけがポイントなのではなく,an English という明示的な単数形も重要なポイントなのである.要するに English の可算名詞化こそが新しいのだ.
American English と British English を合わせて two Englishes と表現できるようになった背景には,人々の英語観の転換がある.それまでも two varieties of English という言い方はできたわけで,ここから varieties of を省いて two Englishes という新しい表現を作った,ということだが,単に形式上の変化として済まされる問題ではない.認識の変化が関わっているのだ.英語を可算名詞と解釈しなおしたことのインパクトは大きい.
OED の English, adj. (and adv.) and n. の II. 2. d によると,English の可算名詞としての初例は1910年の H. L. Mencken である.この項を再現しよう.
d. As a count noun: a variety of English used in a particular context or (now esp.) a certain region of the world; (in plural) regional varieties of English considered together, often in contradistinction to the concept of English as a language with a single standard or correct form.
1910 H. L. Mencken in Evening Sun (Baltimore) 10 Oct. 6/8 (heading) The two Englishes.
1941 W. Barkley (title) Two Englishes; being some account of the differences between the spoken and the written English languages.
1964 Eng. Stud. 45 21 Many people side-step the recognition of a plurality of Englishes by such judgments as: 'Oh, that's not English, that's American.'
1978 J. Pride Communicative Needs in Learning & Use of Eng. 1 The role of literature in non-native Englishes may be focal.
1984 Eng. World-wide 5 248 An overview of some aspects of various Englishes suggesting areas of possible research.
2000 Independent (Nexis) 28 June 11 It was one of the first places to be settled in the Plantations; there's an English spoken there that's unique.
初例がアメリカ英語に関する名著 The American Language を著わしたジャーナリスト・批評家の H. L. Mencken だとは知らなかった.アメリカ英語とイギリス英語を別ものと見ていた Mencken の英語観に照らせば,彼が The two Englishes と表現したことはまったく不思議ではないが,初耳だった.
OED の例文選びのクセはあるかもしれないが,学術雑誌や新聞という堅めのメディアからの引用が多いように見受けられる.English の可算名詞としての用法が,英語研究という学術的な文脈で使い始められ,それが少しずつ一般にも広がってきたという傾向を読み取ることができそうだ.
Englishes のように複数形で用いられ得る,という英語観の変化の種が蒔かれてから,たかだか100余年.多少なりとも広く知られてきたものの,いまだ主として学術の分野で用いられるにすぎない特殊な用法とみることもできる.今後どれだけ人口に膾炙していくのか.見守っていきたい.
「#4541. 焼失を免れた Beowulf 写本の「使い途」」 ([2021-10-02-1]) でみたように,Beowulf 写本とそのテキストは,"myth of the longevity of English" を創出し確立するのに貢献してきた.主に文献学的な根拠に基づいて,その制作時期を紀元700年頃と推定することにより,英語と英文学の歴史的時間幅がぐんと延びることになったからだ.しかも,文学的に格調の高い叙事詩とあっては,うってつけの宣伝となる.
Beowulf の価値が高騰し,この「神話」が醸成されたのは,19世紀だったことに注意が必要である.なぜこの時期だったのだろうか.なぜ,例えばアングロサクソン学が始まった16世紀などではなかったのだろうか.Watts (52) は,これが19世紀的な現象であることを次のように説明している.
As a whole the longevity of English myth, consisting of the ancient language myth and the unbroken tradition myth, was a nineteenth-century phenomenon that lasted almost till the end of the twentieth century. The need to establish a linguistic pedigree for English was an important discourse archive within the framework of the growth of the nation-state and the Age of Imperialism. In the face of competition from other European languages, particularly French, it was perhaps necessary to construct English as a Kultursprache, and one way to do this was to trace English to its earliest texts.
端的にいえば,イギリスは,イギリス帝国の威信を対外的に喧伝するために,その象徴である英語という言語が長い伝統を有することを,根拠をもって示す必要があった,ということだ.歴史的原則に立脚した OED の編纂も,この19世紀の文脈のなかでとらえる必要がある(cf. 「#3020. 帝国主義の申し子としての比較言語学 (1)」 ([2017-08-03-1]),「#3021. 帝国主義の申し子としての比較言語学 (2)」 ([2017-08-04-1]),「#3376. 帝国主義の申し子としての英語文献学」 ([2018-07-25-1])).
16世紀には,さすがにまだそのような動機づけは存在していなかった.その代わりに16世紀のイングランドには別の関心事があった.それは,ヘンリー7世によって開かれたばかりのテューダー朝をいかに権威づけるか,そしてヘンリー8世によって設立された英国国教会をいかに正当化するか,ということだった.この目的のために,ノルマン朝より古いアングロサクソン時代に,キリスト教文典や法律が英語という土着語で書かれていたという歴史的事実が利用されることになった.テューダー朝はとりわけ宗教改革に揺さぶられていた時代であるから,宗教的なテキストの扱いには慎重だった.一方,Beowulf のような民族叙事詩のテキストには,相対的にいってさほどの関心が注がれなかったというわけだ.Watts (52) は次のように述べている.
The dominant discourse archive at this particular moment of conjunctural time [= the sixteenth century] was religious. It was the struggle to assert Protestantism after the break with the Church of Rome that determined the focus on religious, legal, constitutional and historical texts of the Anglo-Saxon era. The Counter-Reformation in the seventeenth century sustained this dominant discourse and relegated interest in the longevity of the language and the poetic value of texts like Beowulf till a much later period.
・ Watts, Richard J. Language Myths and the History of English. Oxford: OUP, 2011.
日本語で用いられる「フォトジェニック」という語は,昨今「インスタ映え」の類義語であるかのように一般にも用いられるようになってきた.英単語としての photogenic はすでに存在した語だが,SNS という新メディアの登場によって新たな生命を吹き込まれ,日本語でも広まったということだろう.「フォトジェニック」と photogenic の現在の用法については,今年5月6日にアップされた学部ゼミ生によるコンテンツ「フォトジェニックなスイーツと photogenic なモデル」で取り上げられており,それを受けて私も「#4393. いまや false friends? --- photogenic と「フォトジェニック」」 ([2021-05-07-1]) を公表した.
OED によると,英単語としての photogenic は photographic (写真(術)の)の同義語として1835年に初出している.しかし,現代の主要な語義である「写真写りのよい」としての初例は,遅れて1922年のことである.OED の定義としては "Originally U.S. Of a person or thing: that is a good subject for photography; that shows to advantage in a photograph or film." とある.アメリカで1922年のこと,しかも "film" ともあるので,これはハリウッドの無声映画の絶頂期に当たるし,新語義の発展と無関係なはずはない.現実には「写真写りのよい」というよりも「映画写りのよい」のほうに近かったのではないかと疑いたくなる.実際,Room の意味変化辞典によると photogenic の項の最後に次のコメントをみつけた.
The modern popular meaning, 'photographing attractively', evolved in the United States in the 1920s, especially in connection with the cinema. In recent use, the word is often little more than a synonym for 'good-looking', or at most as a synonym for 'handsome'(of a male) or 'pretty as a picture' (of a female).
photogenic という単語と新語義は,英語でも日本語でも,とりわけ視覚に訴える新しいメディアの登場とともに誕生し繁栄してきたといえる.100年ほどの時差はあるものの,この共通点はとても興味深い.
・ Room, Adrian, ed. NTC's Dictionary of Changes in Meanings. Lincolnwood: NTC, 1991.
昨日の記事「#4444. オランダ借用語の絶頂期は15世紀」 ([2021-06-27-1]) でも触れたように,英語史において低地諸語からの影響は過小評価されてきたきらいがある (cf. 「#3435. 英語史において低地諸語からの影響は過小評価されてきた」 ([2018-09-22-1])).これは英語史記述に関する小さからぬ問題と考えているが,なぜそうだったのだろうか.
Hendriks (1660) によれば,過小評価されてきた理由の1つとして,オランダ語を代表とする低地諸語がいずれも英語と近縁言語であり,個々の単語の語源確定が困難である点を指摘している.積極的にオランダ語由来であると判定できない限り,英語本来語であるという保守的な判断が優先されるのも無理からぬことだ.英語史はまずもって英語の存在を前提とする学問である以上,この点において強気の議論を展開することは難しい.明らかに英語とは異質の語源であると判明しやすいフランス語(そして,ある程度そうである古ノルド語)と比べれば,この点は確かに理解できる.
[C]ontributions from the Scandinavian and French languages to the lexicon of English, for example, are discussed in terms of certainty, whereas contributions from the closely related varieties of "Low Dutch" or "Low German" are couched in terms of "probably" or "possibly" or are simply not discussed.
しかし,それ以上に Hendriks が強調しているのは,従来の英語史の標準的参考書の背景に横たわる "purist language ideologies" (1659) である.Hendriks はさほど過激な物腰で論じていてるわけではないのだが,効果としては伝統的な英語史記述に対する強烈で辛辣な批判となっているといってよい.非常に注目すべき論考だと思う.
Hendriks は議論を2点に絞っている.1つめは,OED の文学テキスト偏重への批判である.OED は伝統的に,中英語における複数言語の混交した "macaronic" なテキストをソースとして除外してきた.実際には,このような実用的で現実的なテキストこそが,まさにオランダ語などからの新語導入の契機を提供していたかもしれないという視点が,OED には認められなかったということである(ただし,目下編纂中の第3版においてはこの点で改善が見られるということは Hendriks (1669) 自身も言及している).
もう1つは上記とも関連するが,OED は現代の標準英語に連なる英語変種にしか焦点を当ててこなかったという指摘だ.オランダ語からの借用語は,むしろ標準英語から逸脱したレジスター,例えば商業分野や通商分野の "macaronic" なレジスターでこそ活躍していたと想定されるが,OED なり英語史の標準的参考書では,そのような非標準的なレジスターはまともに扱われてこなかった.Hendriks (1662) 曰く,
Non-literary sources such as macaronic business writings, however, may be more likely to reflect the vernacular of London than the more pure literary texts selected to compile the atlas. Given the literary emphasis in the OED and the LALME, the range of topics which appear in these sources may be considerably restricted. The consequence of this is that entire semantic fields --- such as those pertaining to industrial or commercial relations, that is, fields where the significant contribution of Low Dutch to the English lexicon would be observed --- remain undocumented.
さらに,近代英語期以降に限れば,OED は "Standard English" 以外のソースを軽視してきたという事実も指摘せざるを得ない.
要するに,オランダ借用語が存在感を示してきたはずのレジスターが,OED を筆頭とする標準的レファレンスのソースには含まれてこなかったということなのだ.これは,英語史の historiography における本質的な問題と言わざるを得ない.
・ Hendriks, Jennifer. "English in Contact: German and Dutch." Chapter 105 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1659--70.
この4月を通じて宣伝してきた「英語史導入企画2021」も,そろそろ折り返し地点にたどり着きます.大学院と学部の英語史ゼミのメンバーが日々「英語史コンテンツ」を提供するという,年度初め限定のキャンペーンを展開しています.
4月6日に公表された初回コンテンツは,「#4362. 「英語史導入企画2021」がオープンしました」 ([2021-04-06-1]) で紹介した「be surprised at―アッと驚くのはもう古い?(1)」でした.英語学習者の誰もが習う be surprised at ですが,最近では be surprised by も多くなっているという衝撃の事実(?)を指摘した大学院生によるコンテンツでした.
それを受けて昨日アップされたのは,同院生による第2弾「be surprised at―アッと驚くのはもう古い?(2)」です.前回は現代英語の諸変種に焦点を当てた「共時的」な内容でしたが,今回はいよいよ英語史的の醍醐味ともいえる「通時的」なアプローチでの分析です.おお,そうなのか!という驚きの事実が明らかになります.英語史導入企画としてナイスです,ぜひどうぞ.
私もその洞察に刺激を受け,18--19世紀辺りの分布はどうだったのだろうと,後期近代英語のコーパス CLMET3.0 でちらっと検索してみました.70年刻みの3期に分け,(be 動詞はあえて指定せず)surprised at と surprised by でヒット数を単純に比較してみました.
Period | surprised at | surprised by |
---|---|---|
1710--1780 | 158 | 40 |
1780--1850 | 189 | 55 |
1850--1920 | 157 | 30 |
この4月にゼミの学部生・院生で立ち上げた「英語史導入企画2021」より,昨日アップされたコンテンツとして「「社会的」な「距離」って結局何?」を紹介します.悲しいかな,今を時めく語となってしまった日本語「ソーシャル・ディスタンス」と英語の social distance/social distancing に関する話題です.英語のこの2つの表現について,OED を用いて丁寧に情報を整理してもらいました.
この話題は,およそ1年前から日本国内のみならず世界中で話題にされていましたね(あれから早1年ですが,まだ「渦中」ならぬ「禍中」というのが悲しい現実です).日本語では「ソーシャル・ディスタンス」が定着した感がありますが,英語では social distancing という表現のほうが一般的です.distance という純粋な名詞というよりも distancing という動詞由来の名詞を用いることで「距離を取る」という動詞本来の動作・行為が前面化していると考えられます.ただし,いったん日本語に取り込まれれば,もともとの英語における名詞と動詞名の区別などは吹き飛んでしまうわけなので,音節数の少ない「ソーシャル・ディスタンス」のほうが好まれたということではないかと,私は理解しています.
コロナ禍に見舞われたこの1年余,言語学者もただただ巣ごもりしていたわけではありません.「#4129. 「コロナ禍と英語」ならこれしかないでしょ! --- OED の記事より」 ([2020-08-16-1]),「#4339. American Dialect Society による2020年の "Word of the Year" --- Covid」 ([2021-03-14-1]) などから分かる通り,むしろ精力的といえる仕事がなされてきましたし,Coronavirus Corpus なるコーパスも出現しているのです.このコーパスは,2020年1月から現在までのコロナ関連のニュースを集めた9億7300万語からなるコーパスです.単純検索にすぎませんが,social distance は17,180件,social distancing は243,636件がヒットしました.つまり,後者のほうが15倍近く多く用いられていることが確認されたのです.
この1年間,人類がなすべきだったことは social distancing ではなく physical distancing ではなかったのかという表現の選択に関する問題点は,早い段階から WHO も指摘しており,私自身もずっと気になっていました.しかし,上記コンテンツでも述べられている通り,social distancing のように「一度定着してしまったものを違う語に置き換えることは容易ではないの」でしょう.
本来の「形容詞+名詞」からなる名詞句 social distance/social distancing は「社会的な距離(を取ること)」という予測可能な意味をもっていたはずです.しかし,この表現は実態としてはもっぱら「物理的な距離(を取ること)」(典型的には2メートルと言われていますね)を意味します.つまり,意味的な予測可能性が減じているのです.名詞句ではなく,複合名詞という単位に近づいていると言い換えてもよいでしょう.つまり,語彙(項目)化 (lexicalisation) の例なのです.
ちなみに,social distance/social distancing は,本ブログでも,現在の感染症とは無関係に社会言語学上の用語として用いてきた経緯がああります.「#1127. なぜ thou ではなく you が一般化したか?」 ([2012-05-28-1]) と「#1935. accommodation theory」 ([2014-08-14-1]) で用いていますので,そちらも参照.
「英語を呑み込む 'tsunami'」と題するコンテンツが,昨日「英語史導入企画2021」の第11作目としてゼミ大学院生よりアップされました.英単語としての tsunami の使用について歴史的に迫る好コンテンツです.調査とインスピレーションのために使われているリソースは,Twitter に始まり,COHA (Corpus of Historical American English), GloWbE (= Corpus of Global Web-Based English), OED (= Oxford English Dictionary), 地震データベース,映画と幅広いです.内容としては,自然科学と社会科学と人文科学を融合させた総合的英語史コンテンツというべき,非常に啓発的な出来映えとなっています.まさに「英語史導入企画2021」の趣旨にピッタリ! ぜひ皆さんに読んでもらいたいと思います.
同コンテンツ内でも触れられている通り,日本語「津波」が英語 tsunami として英語に借用され,初めて用いられたのは1897年のことです.明治期には数々の日本語の単語が英語に持ち込まれましたが,この単語もその1つです(cf. 「#3872. 英語に借用された主な日本語の借用年代」 ([2019-12-03-1])).しかし,英語に借用されたからといって,必ずしも当初から頻繁に用いられていたわけではありません.コンテンツ内でも触れられているように,tsunami が「津波」を意味する一般的な語として用いられるようになったのは,つい最近のことといってもよいのです.
それまでは「津波」を意味する英単語としては tidal wave を用いるのが普通でしたし,現在でもこの tidal wave は tsunami と共存しています.しかし,よく考えてみると tidal wave というのは誤解を招きやすい表現です.「潮の(大)波」と言われれば何となく納得しそうにもなりますが,「潮」は津波とは相容れない定期的な海洋現象で,これがなぜ「津波」を意味するようになったのか判然としません.実際,Durkin (397) などは tidal wave を "misleading" と評価しています(←この箇所を教えてくれた学生に感謝!).
A special case is shown by tsunami (1897), which, since it denotes a widespread natural phenomenon, can be used freely in English without any implicit associations with Japanese (or even generalized Eastern) culture, and is now preferred by most speakers to the misleading term tidal wave.
なぜ近年になって,tsunami が tidal wave に代わり急速に用いられるようになってきたのでしょうか.これは,まさに上記のコンテンツが英語史的なアプローチにより解決しようとしている問題です.
以下は私のブレスト結果にすぎませんが,この問題に関わってきそうな他の英語学的な観点をいくつか挙げてみたいと思います.いずれも tsunami という語のインパクト・ファクターに注目する視点です.
・ 意味論的にいえば,tsunami は tidal wave の denotation こそ基本的に受け継いでいるものの,津波の強力さや恐ろしさなどを想起させる種々の connotation が加わっており,独自の存在価値をもつ語として受容されるようになってきたのではないか.
・ 形態論(語形成論)的にいえば,tidal wave のような複合語ではなく,単体語であるということ(日本語としてみれば「津」+「波」の2形態素だが)は,上記の種々の connotation を(分析的ではなく)総合的に含み込んでいることとマッチする.
・ 音韻論的にいえば,「#3949. 津波が現代英語の音素体系に及ぼした影響」 ([2020-02-18-1])」で触れたとおり,onset における /ts/ の生起は英語史的にはかなり新しい現象であり,それだけで多少なりとも異質で目立つことになる.近年の借用語であることが語頭で一発で示されることにもなる.それと連動して,語頭の綴字 <ts> も英語らしくないので,やはり借用語であることが視覚的にも一目瞭然となる.これらが当該単語のインパクトに貢献している.
・ 韻律的にいえば,おもしろいことに同じ3音節でも tídal wàve (強弱強)と tsunámi (弱強弱)は正反対である.このように韻律上の差異があることも,相対的に後者の新鮮さを浮き彫りにしているのかもしれない.
・ 社会言語学的にいえば,地質学や海洋学などの特殊レジスターに属する単語という位置づけから,一般レジスターへ進出したとみることができる.
以上,当の海洋現象は望ましくないものの英単語としては広まってしまった tsunami について,英語史・英語学してみた次第です.tsunami については「#1432. もう1つの類義語ネットワーク「instaGrok」と連想語列挙ツール」 ([2013-03-29-1]) の記事でも軽く触れています.
なお,上記の Durkin の言及について教えてくれた学生から,あわせて「Tsunami or Tidal Wave? --- 舘林信義」というウェブ上の記事も教えてもらいました.たいへん貴重な情報.多謝.
・ Durkin, Philip. Borrowed Words: A History of Loanwords in English. Oxford: OUP, 2014.
「#3155. Charles Richardson の A New Dictionary of the English Language (1836--37)」 ([2017-12-16-1]) で紹介したように,Richardson (1775--1865) の英語辞書は,Johnson, Webster, OED という辞書史の流れのなかに埋没しており,今ではあまり顧みられることもないが,19世紀半ばにおいては重要な役割を果たしていた.
長所としては,英語辞書史上初めて本格的に「歴史」を意識した辞書だったということがある.引用文による定義のサポートは Johnson に始まるが,Johnson とて典拠にした文献は王政復古以後のものであり,中英語にまで遡ることはしなかった.しかし,Richardson は中英語をも視野に入れ,真の「歴史的原則」の地平を開いたのである.しかも,引用数は Johnson を遥かに上回っている.結果として,小さい文字で印刷されながら2000頁を超すという(はっきりいって使いづらい)大著となった (Dixon 146) .
もう1つ長所を指摘すると,近代期の辞書編纂は善かれ悪しかれ既存の辞書の定義からの剽窃が当然とされていたが,Richardson はオリジナルを目指したことである.手のかかるオリジナルの辞書編纂を選んだのは,前には Johnson,後には OED を挙げれば尽きてしまうほどの少数派であり,この点において Richardson の覇気は評価せざるを得ない.
短所としては,先の記事でも触れたとおり,"a word has one meaning, and one only" という極端な原理を信奉し,主に語源記述において独善に陥ってしまったことだ.この原理は Horne Tooke (1736--1812) という,やはり独善的な政治家・語源論者によるもので,この人物は今では奇書というべき2巻ものの英語語源に関する著 The Diversions of Purley (1786, 1805) をものしている.Richardson の辞書を批判した Webster も,この Tooke の罠にはまった1人であり,この時代,語源学方面で Tooke の負の影響がはびこっていたことが分かる.
いずれにせよ Richardson は,英語辞書史において主要な辞書編纂家のはざまで活躍した19世紀半ばの重要キャラだった.
・ 佐々木 達,木原 研三 編 『英語学人名辞典』 研究社,1995年.
・ Dixon, R. M. W. The Unmasking of English Dictionaries. Cambridge: CUP, 2018.
あまり知られていないと思われる NTC's Dictionary of Changes in Meanings を紹介します.英単語の意味変化に特化した辞典です.これを手元に置いておくと便利なことが多いです.単語ごとにその意味変化を調べようと思えば,まずは OED に当たるのが普通です.しかし,OED はあまりに情報量が多すぎて,ちょっと調べたい場合には適さないことも多いですね.鶏を割くにいずくんぞ牛刀を用いん,ということになりかねません.そんなときに手近に置いておくと便利な辞典の1つが,この Room (編)の辞書です.意味変化に焦点を絞って編まれています.ありがたや.
先日,院生からのインプットで passion という語の起源について関心をもちました.その意味は,「情熱」はもちろん「(キリスト教徒の)受難」もありますし「受動」 (cf. passive) もあります.互いにどう関係するのでしょうか.もともとの語源はラテン語 patī (to suffer) です.堪え忍ぶからこそ「受難」なのであり,受難を堪え忍ばせるだけの「情熱」ともなるわけです.「受動,受け身」の語義も納得できるでしょう.宗教的な強い感情を表わすのに相応しい語源ですね.
しかし,その強い情熱的感情を表わした語が,常用されるうちに「強意逓減の法則」により,単なる「あこがれ」へと弱まっていきます.現在では He has a passion for golf. のように薄められた意味で用いられるようになっています.
では,上記の意味変化の辞書で passion (200--01) に当たってみましょう.以下のようにありました.
passion (strong feeling, especially of sexual love; outbreak of anger)
The earliest 'passion' was recorded in English in the twelfth century, and was the suffering of pain, and in particular the sufferings of Christ (as which today it is usually spelt with a capital letter). This is therefore the meaning in the Bible in Acts 1:3, where the word was retained from Wyclif's translation of 1382 down to later versions of the sixteenth and seventeenth centuries (in the Authorized Version of 1611: 'To whom also he shewed himself alive after his passion'). In the fourteenth century, the sense expanded from physical suffering to mental, and entered the emotional fields of strongly experienced hope, fear, love, hate, joy, ambition, desire, grief and much else that can be keenly felt. In the sixteenth century, there was a kind of polarization of meaning into 'angry outburst' on the one hand, and 'amorous feeling' on the other, with the latter sense of 'passion' acquiring a more specifically sexual connotation in the seventeenth century Finally, and also in the seventeenth century, 'passion' gained its inevitably weakened sense (after so much strength) as merely 'great liking for' (as a 'passion' for riding or growing azaleas).
「強意逓減の法則」を体現している好例といってよさそうです.
・ Room, Adrian, ed. NTC's Dictionary of Changes in Meanings. Lincolnwood: NTC, 1991.
本年度の後期もオンライン授業が続いているが,先月のゼミ合宿で行なった即興英語史コンテンツ作成のイベント(cf. 「#4162. taboo --- 南太平洋発,人類史上最強のパスワード」 ([2020-09-18-1]))が苦しくも楽しかったので,学生と一緒にもう一度やってみた.その場で英単語を1つランダムに割り当てられ,それについて OED を用いて90分間で「何か」を書くという苦行.今回は,標題の未知の単語を振られ,見た瞬間に茫然自失.死にものぐるいの90分だった.その成果を,こちらに掲載.
古今東西,ある国や地域の住民に軽蔑(ときに愛情)をこめたニックネームを付けるということは,広く行なわれてきた.とりわけ付き合いの多い近隣の者たちが,茶化して名前を付けるケースが多い.しかし,たとえ当初は侮蔑的なニュアンスを伴うネーミングだったとしても,言われた側も反骨と寛容とユーモアの精神でそれを受け入れ,自他ともに用いる呼称として定着することも少なくない.
最も有名なのはアメリカ人を指す Yankee だろう.語源は諸説あるが,John に相当するオランダ語に指小辞を付した Janke が起源ではではないかといわれている.ニューヨーク(かつてオランダ植民地で「ニューアムステルダム」と称された)のオランダ移民たちが,コネチカットのイギリス移民を「ジョン坊主」と呼んで嘲ったことにちなむという説だ.
Yankee ほど有名でもなく,由来もはっきりしない類例の1つとして,米国インディアナ州の住民につけられたニックネームがある.標題の Hoosier だ.OED によると,Hoosier, n. /huːʒiə/ と見出しが立てられており,(予想される通り)アメリカ英語で使用される名詞である.語義が2つみつかる.いくつかの例文とともに示そう.
1. A nickname for: a native or inhabitant of the state of Indiana.
・ 1826 in Chicago Tribune (1949) 2 June 20/3 The Indiana hoosiers that came out last fall is settled from 2 to 4 milds of us.
・ 1834 Knickerbocker 3 441 They smiled at my inquiry, and said it was among the 'hoosiers' of Indiana.
・ . . . .
2. An inexperienced, awkward, or unsophisticated person.
・ 1846 J. Gregg Diary 22 Aug. (1941) I. 212 Old King is one of the most perfect samples of a Hoosier Texan I have met with. Fat, chubby, ignorant, and loquacious as Sancho Panza..we could believe nothing he said.
・ 1857 E. L. Godkin in R. Ogden Life & Lett. E. L. Godkin (1907) I. 157 The mere 'cracker' or 'hoosier', as the poor [southern] whites are termed.
・ . . . .
第1語義は「インディアナ州の住民」,第2語義は「世間知らずの垢抜けない田舎者」ほどである.上述の通り,軽蔑の色彩のこもった小馬鹿にするような呼称であることが感じられるだろう.初出は19世紀の前半とみられる.
語源に関しては OED に "Origin unknown" (語源不詳)とあり,残念な限りなのだが,ここで諦めるわけにはいかない.米国のことであれば,OED よりも情報量の豊富なはずの,百科辞典的な特色を備える The American Heritage Dictionary of the English Language に頼ればよい.早速当たってみると,しめしめ,1つの説が紹介されていた.その概要を解説しよう.
語源は闇に包まれているが,イングランドのカンバーランド方言で19世紀に「とてつもなく大きいもの」を意味する hoozer という訛語が文証される.これが変形した形で米国に持ち込まれたのが Hoosier ではないかという説だ.一方,後者の初出年である1826年よりも後のことではあるが,Dictionary of Americanisms には "a big, burly, uncouth specimen or individual; a frontiersman, countryman, rustic",要するに「田舎者の大男」の語義で現われていることが確認され,OED の第2語義にぴったり通じる.
実際,19世紀前半は Hoosier を含め米国各州の住民に次々と侮蔑的なニックネームがつけられた時代である.インディアナ州についても,おそらく近隣州の住民などが名付けの奇想を練っていたのだろう.詳しいルートこそ分からないが,そこへ Hoosier (田舎者の大男)がスルッと入り込んだようだ.テキサス州民の Beetheads (ビート頭),アラバマ州民の Lizards (トカゲ),ネブラスカ州民の Bugeaters (虫食い野郎),そしてミズーリ州民の Pukes (へど)などの名(迷)悪言が生まれたが,これらに比べれば Hoosier はひどい方ではない.
昨今は PC (= political correctness) の時代である.特定の国であれ地域であれ,そこの住民を侮蔑的なニュアンスを帯びた名前で呼ぶ慣習は,下火になりつつある.地域のスポーツチームのニックネームとして,ノースカロライナ州の Tarheels (ヤニの踵)やオハイオ州の Buckeyes (トチノキ)などに残る以外には用いられなくなってきている.
試しに Corpus of Historical American English により "[Hoosier]" として検索してみると,1870年代から1920年代にかけて浮き沈みはありつつも相対的に多く用いられていたようだが,20世紀後半にかけては低調である.
ただし,国民・地域住民への侮蔑的なあだ名が忌避されるようになってきているとはいえ,「公には」という限定つきである.実際には,そこいらの街角で,日々のおしゃべりのなかで,からかいの言葉は使われ続けるものである.憎まれっ子が世にはばかるように,憎まれ語も実はアンダーグラウンドで世にはばかっているのである.
・ The American Heritage Dictionary of the English Language. 4th ed. Boston: Houghton Mifflin, 2006.
・ Corpus of Historical American English. Available online at https://www.english-corpora.org/coha/. Accessed 20 October 2020.
・ The Oxford English Dictionary Online. Oxford: Oxford University Press, 2020. Available online at http://www.oed.com/. Accessed 20 October 2020.
「#4172. 映画『博士と狂人』の原作者による OED 編纂法の紹介文」 ([2020-09-28-1]) で紹介した映画が,先週全国ロードショーとなったので劇場に観に行きました.OED (初版)編纂を巡る人間ドラマです.ネタバレしすぎない程度に,とりあえず感想を一言二言述べておきたいと思います.
・ 原作はノンフィクションだが,映画では少なからずフィクション化されていて,やや趣旨が変わっていたような.逆にいえば,原作が抑え気味だったということ.映画を観たことで,原作のノンフィクションらしい抑制感の魅力に気づいた.
・ OED 編纂を背景とした,実に悲しい話しであることが改めてよく分かった.
・ OED がイギリス帝国としての威信を背負って帝国主義的に企画され,編纂された事実がよく描かれていた.英語(学)史的な観点から,この点はとても重要.授業などで議論したいと思っているポイント.
・ 映画では OED の中身に触れている箇所が少ない(それはそうか)ので,OED の辞書としての凄さが思ったほど伝わらなかったような.映画化するには仕方がないか.もっぱら人間ドラマの描写に集中していた様子.
・ Murray 博士の先輩ともいうべき元 OED 編集主幹にして EETS 設立者でもある Furnivall 役がとても良い味を出していた.原作ではあまり描かれていなかった部分なので,映画でけっこうなお得感があった.やはり,Furnivall は破天荒で魅力的な英語文献学史上の重要キャラ.
・ 「狂人」ことショーン・ペンの演技は迫真だった(メル・ギブソンの「博士」も十分に良かったとはいえ).
上でも触れている OED 編纂と帝国主義の関係については,ぜひ以下の記事を読んでみてください(記事セットとしてはこちらから).OED の見方が変わるかもしれません.
・ 「#304. OED 制作プロジェクトののろし」 ([2010-02-25-1])
・ 「#638. 国家的事業としての OED 編纂」 ([2011-01-25-1])
・ 「#644. OED とヨーロッパのライバル辞書」 ([2011-01-31-1])
・ 「#3020. 帝国主義の申し子としての比較言語学 (1)」 ([2017-08-03-1])
・ 「#3376. 帝国主義の申し子としての英語文献学」 ([2018-07-25-1])
・ 「#3603. 帝国主義,水族館,辞書」 ([2019-03-09-1])
・ 「#3767. 日本の帝国主義,アイヌ,拓殖博覧会」 ([2019-08-20-1])
・ 「#4131. イギリスの世界帝国化の歴史を視覚化した "The OED in two minutes"」 ([2020-08-18-1])
大学院生より標記の指摘を受けた(←ナイスな指摘をありがとう).副詞としての「この頃」は前置詞なしの these days が普通なのに対して,「その頃,あの頃」は in those days と前置詞 in を伴う.今までまったく意識したことがなかったが,確かにと唸らされた.このチグハグは何なのだろう.
OED で these days を調べてみると,前置詞を伴わないこの形式は,かなり新しいようだ.初例が1936年となっている.その1世紀足らずの歩みを OED からの4つの例文で示すと次のようになる.
1936 R. Lehmann Weather in Streets i. v. 97 An estate like this must be a terrible problem these days.
1948 M. Dickens Joy & Josephine i. iv. 132 'Play golf?' Mr. Gray asked George, who answered: 'Not these days,' as if he ever had.
1960 S. Barstow Kind of Loving ii. iii. 181 He looks as though he's walked out of an American picture. It's all Yankeeland these days.
1981 Woman 5 Dec. 5/1 These days women are educated to expect some choice in how they spend their lives.
それより前の時代には in these days という前置詞付きの表現が普通だったようだ.後期近代英語コーパス CLMET3.0 でざっと検索してみたところ,次のような結果となった.
Period (subcorpus size) | in these days | these days |
---|---|---|
1710--1780 (10,480,431 words) | 10 | 0 |
1780--1850 (11,285,587) | 56 | 1 |
1850--1920 (12,620,207) | 93 | 9 |
・ (from 1780--1850): Mr. Williams has been here both these days, as usual;
・ (from 1850--1920): SHAWN. Aren't we after making a good bargain, the way we're only waiting these days on Father Reilly's dispensation from the bishops, or the Court of Rome.
・ (from 1850--1920): PEGEEN. If they are itself, you've heard it these days, I'm thinking, and you walking the world telling out your story to young girls or old.
・ (from 1850--1920): "I'm as busy as Trap's wife these days;
・ (from 1850--1920): "My predecessor," said the parson, "played rather havoc with the house. The poor fellow had a dreadful struggle, I was told. You can, unfortunately, expect nothing else these days, when livings have come down so terribly in value! He was a married man--large family!"
・ (from 1850--1920): "He has no right!" Father Wolf began angrily--"By the Law of the Jungle he has no right to change his quarters without due warning. He will frighten every head of game within ten miles, and I--I have to kill for two, these days."
・ (from 1850--1920): "That is because we make you fisherman, these days. If I was you, when I come to Gloucester I would give two, three big candles for my good luck."
・ (from 1850--1920): I have literally not had time to write a line of my diary all these days.
・ (from 1850--1920): "One gets to know that birds have shadows these days. This is a bit open. Let us crawl under those bushes and talk."
・ (from 1850--1920): I do not love to think of my countrymen these days; nor to remember myself.
both や all が先行していると前置詞が不要となる等の要因はあったかもしれない.全体的には,口語的な文脈が多いようだ.in が脱落して現在の形式が現われ始めたのは19世紀後半のこととみてよさそうだ.
フランス語研究者であり正音学者だった16世紀前半に活躍したイギリス人 John Palsgrave は,英語(学)史上も重要である.フランス語研究者として1530年に英語でフランス語文典 Lesclarcissement de la Langue Francoyse を著わし,当時もっともよく知られたフランス語文典となった.「#3836. フランス語史の年表」 ([2019-10-28-1]) に名を挙げられるくらいであるから,その影響力はただものではない.
Palsgrave はロンドンに生まれ,ケンブリッジ大学に学び,パリで修士号を取得した.帰国してフランス語教師となり Thomas More などとも親交を深めた.彼の英語学史上の最大の業績は,外国語であるフランス語を「音声表記」した点にあるといってよい.他言語の発音を客観的に記述するという,現代の音声学の基本的な姿勢の伝統を創始した人物である(渡部,p. 38).
16世紀は,Palsgrave のような正音学者が多数輩出した時代である.大母音推移 (gvs) 等の音変化が進行し,発音と綴字のギャップ (spelling_pronunciation_gap) が開きつつあるなかで,綴字改革 (spelling_reform) の訴えが様々な陣営よりなされていた.外国語研究者は発音の問題に敏感である.Palsgrave も,例外ではなく英語の発音と綴字の問題に並々ならぬ関心を示す正音学 (orthoepy) の徒だったのである.なお,外国語研究の立場から英語の発音と綴字の問題に関心を示した初期近代英語期の「同志」としては,ほかに De pronunciation Graecae (1555) を著わした J. Cheke や Grammatica Linguae Anglicanae (1653) を著わした J. Wallis もいる(石橋,p. 616).
Palsgrave のもう1つの注目すべき点は,OED の引用文の常連であることだ.OED は,かの Lesclarcissement から5418個もの用例を引いてきており,この時期の語彙記述に多大な貢献をなしている(cf. 「#642. OED の引用データをコーパスとして使えるか (4)」 ([2011-01-29-1])).この著書は語学書であるから,フィロロジストもである OED 編纂者にとって,当然ながら「大好物」である.編纂者が,このような垂涎ものの著書から(とりわけ文法用語などの)語彙を集めてこないわけがない.
以上,Palsgrave が英語(学)史上ひとかどの人物とされている背景を簡単に紹介した.
・ 渡部 昇一 『英語学史』 英語学大系第13巻,大修館書店,1975年.
・ 石橋 幸太郎(編) 『現代英語学辞典』 成美堂,1973年.
OED 編纂を巡る映画『博士と狂人』(原題 The Professor and the Madman)が10月16日(金)に全国ロードショー開始となります.メル・ギブソン(博士 James Murray 役)とショーン・ペン(狂人 Doctor Minor 役)の初共演.「孤高の学者と,呪われた殺人犯.世界最大の英語辞典誕生に隠された,真実の物語」というキャッチです.
原作はノンフィクション作家 Simon Winchester による The Professor and the Madman (1998) .同作家による2003年出版の The Meaning of Everything も,同じく OED 編纂にかかる人間模様を活写しており,抜群におもしろいです.
OED とは何か.これを分かりやすく説明するのは容易ではありませんが,The Professor and the Madman の2章 (25--26) に,著者による導入の文章があるので,引用しておきましょう.OED の編纂法に焦点を当てた導入です.
It took more than seventy years to create the twelve tombstone-size volumes that made up the first edition of what was to become the great Oxford English Dictionary. This heroic, royally dedicated literary masterpiece---which was first called the New English Dictionary, but eventually became the Oxford ditto, and thenceforward was known familiarly by its initials as the OED---was completed in 1928; over the following years there were five supplements and then, half a century later, a second edition that integrated the first and all the subsequent supplementary volumes into one new twenty-volume whole. The book remains in all senses a truly monumental work---and with very little serious argument is still regarded as a paragon, the most definitive of all guides to the language that, for good or ill, has become the lingua franca of the civilized modern world.
Just as English is a very large and complex language, so the OED is a very large and complex book. It defines well over half a million words. It contains scores of millions of characters, and, at least in its early version, many miles of hand-set type. Its enormous---and enormously heavy---volumes are bound in dark blue cloth: Printers and designers and bookbinders worldwide see it as an apotheosis of their art, a handsome and elegant creation that looks and feels more than amply suited to its lexical thoroughness and accuracy.
The OED's guiding principle, the one that has set it apart from most other dictionaries, is its rigorous dependence on gathering quotations from published or otherwise recorded uses of English and using them to illustrate the use of the sense of every single word in the language. The reason behind this unusual and tremendously labor-intensive style of editing and compiling was both bold and simple: By gathering and publishing selected quotations, the dictionary could demonstrate the full range of characteristics of each and every word with a very great degree of precision. Quotations could show exactly how a word has been employed over the centuries; how it has undergone subtle changes of shades of meaning, or spelling, or pronunciation; and, perhaps most important of all, how and more exactly when each word slipped into the language in the first place. No other means of dictionary compilation could do such a thing: Only by finding and showing examples could the full range of a word's past possibilities be explored.
この後も OED 導入の文章が続きますが,ここまででも編纂法のユニークさが分かると思います.物語『博士と狂人』は,OED 編纂法のこのユニークな点を軸に展開していきます.上映が実に楽しみです.
・ Winchester, Simon. The Professor and the Madman: A Tale of Murder, Insanity, and the Making of the Oxford English Dictionary. New York: HarperCollins P, 1998. HarperPerennial ed. 1999.
今回の話題は,先日終えたオンライン・ゼミ合宿 (「#4159. 2日間のオンライン・ゼミ合宿を決行しました」 ([2020-09-15-1])) の一環として私自身が参加したハードなイベントの成果物である."taboo" というお題を与えられ,それについて OED を用いて制限時間内に「何かおもしろいこと」を書かなければならないという即興デスマッチだった.後日,少々の手直しを加えたが,およそそのままの形で以下に掲載する.
見るなといわれれば見たくなる.触るなといわれれば触りたくなる.言うなといわれれば言いたくなる.古今東西,この誘惑に打ち勝った童話の主人公はいない.童話の主人公のみならず,人間は誰しも --- あなたも私も --- このマグネットの超強力な引力から逃れることはできない.タブーと称されるものは,人間社会のなかに負のパワーをまき散らしながらも,個々人にとって異常に魅力的な光彩を放っている.
トンガ語を含むポリネシアやメラネシアの諸言語で用いられていた tabu あるいは tapu という語に由来する.18世紀イングランドを代表する大航海者 James Cook (1728--79),通称 Captain Cook が1777年にトンガにてこの語に出会い,その航海日誌のなかで何度も使用した結果,taboo あるいは tabu として英語に持ち込まれることになった.この語は現地語では当地の文化・習慣について「(ある特定の場合にのみ許容されるが)一般に禁じられている」を意味する叙述形容詞として用いられていたが,Cook は当初より形容詞としてのほか,現在もっとも普通の用法である「タブー,禁忌」を意味する名詞として用いている.
taboo はもともと宗教や迷信に基づく各種の習慣に関する「禁忌」,典型的には「食べてはいけないもの」「触ってはいけないもの」などを指した.それが,20世紀前半に言葉(遣い)の領域に適用され,言語学の用語として「言ってはいけないもの」を指すように転じた.すると,私たちにもなじみ深い「タブー語,禁句,忌み詞」の語義は,比較的新しいものということになる.OED によると,「タブー語」としての初例は,taboo | tabu, adj. and n., 3b に挙げられている.名高いアメリカの言語学者 Bloomfield の教科書からである.
1933 L. Bloomfield Language xxii. 396 In America, knocked up is a tabu-form for 'rendered pregnant'; for this reason, the phrase is not used in the British sense 'tired, exhausted' . . . In such cases there is little real ambiguity, but some hearers react nevertheless to the powerful stimulus of the tabu-word.
今回の記事では,Bloomfield が使うこの意味での taboo,すなわち言語に関するタブー --- 言ってはいけない言葉 --- に注目する.
言語は,第1に互いの意図を伝え合うための道具である.私たち人間は,語彙を共有し,共通理解の下でそれを用いながらコミュニケーションを取り合っている.この「言語の第1の役割」を考えるとき,タブー語の存在は明らかに矛盾をはらんでいるように見える.「言ってはいけない言葉」はその社会のなかで不使用が前提とされており,コミュニケーションの目的に照らして,存在意義がないように思われるからだ.
しかし,タブーに関して厳然たる1つの事実が存在する.それは,古今東西の人間の言語で,タブー語をもたないものは存在しないということだ.とすると,タブー語には存在しなければならない理由があると考えざるを得ない.なぜ誰も使用しないはずの「言ってはいけない言葉」などが存在するのだろうか.
タブー語は,建前上,誰も使用しないはずなのだが,実際には皆が知っている.あの言葉を口にしてはいけないということを,社会の皆が知っている.建前上は耳にしたこともなく,学校でも習わないはずであり,知る機会がなさそうに思われる.しかし,不思議と皆が知っている.いや,もし誰も知らなかったら,そもそも語として存在しない(廃語になっている)だろうし,避けるべきものとして意識されることすらないはずだ.実は皆が知っているからこそ,意識的に避けることもできるという理屈なのだ.では,なぜ知る機会のないはずのものを,皆が知っているのだろうか.
上記の逆説に対する答えは「タブー語は実際にはむしろよく使用されている」である.タブー語は,規範として使用が避けられるべき表現にすぎず,現実には頻繁に使用されている.むしろ,タブー化される語は,日常的で身近なもの,つまり人間が生きていくなかで毎日毎日必ず付き合っていかなければならないものに関する語が多い.性,排泄,死,超自然的存在に関するものが多い.日本語では「ち○こ」「う○こ」「(お葬式で)死ぬ」「(霊)アレ」.英語では cock, shit, die, (oh my) God 等も(少なくとも特定の文脈では)遣いにくい.いずれも日常的で身近で,小学生男子が大好きな言葉群である.
性器を表わす英単語を例に取ろう.coney /ˈkʌni/ はもともと「アナウサギ」を表わしたが,後に俗語でタブー性の高い「女性器」に語義を転じた.すると,「アナウサギ」の意味で用いるのに抵抗を感じる話者が増え始め,「アナウサギ」には少しずらした /ˈkoʊni/ の発音を代わりに用いるようになったのである.かわいい「アナウサギ」は,タブー性の強い毒々しい「女性器」に,coney /ˈkʌni/ という発音を明け渡さざるを得なくなったのである.ちなみに,男性器版もある.もともと「雄鳥」を表わしていた cock が,米俗語において性的な語義を獲得するにおよんで,「雄鳥」の語義から追い出され,その語義は rooster という別の語によって担われるようになった.coney にせよ cock にせよ,後からやってきた毒々しいタブー性をもつ語義が,伝統的な形式をふてぶてしくも乗っ取ってしまうということが繰り返されている.
このように,タブー語はたいてい日常的で身近だから,誰しも関心をもっているというのが実態である.その上で,タブー語は何のために存在するのかという核心的な疑問に舞い戻ろう.私見によれば,タブー語は,その言語を用いている社会のすべての構成員が,それは言ってはならない言葉だと知っていることを確認しあう機会を提供しているのではないかということだ.言ってはダメだということを知っていれば,その人は私たちと同じグループに属していることが確認でき,そうでなければ外部の者だと認識できる.「負の合い言葉」と表現してもよい.通常の「正の合い言葉」は,互いに対応する文句を発することによって,直接的にその文句を知っていることを確認し,身内だと認識する.しかし,タブー語という「負の合い言葉」の使用においては,「知っているけれどもあえて言わない」というきわめて高度な内部ルールが関与しているのだ.子供の頃よりその言語社会のなかで生活していない限り,外部の者には簡単に習得できない暗黙知 --- それが社会におけるタブー語の役割なのではないか.タブー語は,コミュニケーションの道具であるという言語の第1の役割を逆手にとりつつ,社会の内と外を分けるための最強のパスワードとして機能しているのである.
21世紀の最先端の量子暗号ですら,「ち○こ」「う○こ」 coney, cock にはかなわない.どうだ,タブー語は凄いだろう!(←我ながらひどい終わり方,力尽きた)
・ Bloomfield, Leonard. Language. 1933. Chicago and London: U of Chicago P, 1984.
・ The Oxford English Dictionary Online. Oxford: OUP, 2020. Available online at http://www.oed.com/ . Accessed 8 September 2020.
先週のことになりますが,例年の2泊3日の対面ゼミ合宿に代えて,本年度は Zoom を用いた初のオンライン・ゼミ合宿を9月8日(火),9日(水)の両日にわたって敢行しました.参加者一同の協力のもと,対面合宿に勝るとも劣らない濃密な英語史漬けの2日間を過ごすことができました.総勢30名近くの参加でしたが,トラブルもなくスムーズに進行しました.
初日の午前は,夏休み中に準備を進めた学部生グループによる「OEDセミナー」の実施に始まり,それを受けて院生による「OEDに関するラウンド・テーブル・ディスカッション」も開催しました.改めてOEDについて深く考える機会となりました.
初日の午後は,参加者一人ひとりがお題としてランダムな英単語を与えられ,90分間でそのお題についてOEDを用いて「何か」を書かなければならないという,デスマッチ的なイベントを行ないました(←私も参加して,果てしなく消耗).そして,晩にかけては例年と変わらぬ懇親会でした(要するに今回はオンライン飲み会).
2日目の午前は,個人研究発表会(いわゆる口頭発表ではなく,昨今のオンライン学会やウェブ・カンファレンスでしばしば見かける,発表資料に音声を付したものを視聴するという形態でしたが).それから,卒業論文執筆予定者を一人ひとり Zoom の小部屋に招き,先輩の院生たちよりアドバイスを受けるという趣旨の,有意義な面談も行ないました.
2日目の午後は,外部より知り合いの研究者を4名お招きし,インフォーマルに英語史について対談を行なうという時間帯を設けました.徐々に対談が乗ってきて,予定の時間をずいぶん延長してしまいました.
企画を詰め込みすぎたかと思うほど盛りだくさんの2日間でしたが,オンラインでも十分に合宿らしいことができるということが分かりました.参加者は皆,知恵熱が出るほど学んだことと思います.私自身も,今回の新スタイルでのゼミ合宿を通じて,参加者の皆さんから広く英語史(とりわけOED)に関して様々なインスピレーションを得たので,その成果は今後の hellog 記事にも徐々に反映していきたいと思います.その意味で,ゼミの学部生・院生を含め参加したすべての方に感謝します.
対面ゼミ合宿はやはり捨てがたいですが,このスタイルでもまたやってみたいと思ったほどです.ということで,お疲れ様でした.
「#4133. OED による英語史概説」 ([2020-08-20-1]) で紹介した OED が運営しているブログに,Twentieth century English --- an overview と題する記事がある.20世紀の英語のすぐれた評論となっており,ぜひ読んでいただきたい.
そのなかの1節 "Lexis: dreadnought and PEP talk" で,20世紀の英語の語彙爆発の様子が具体的な数字とともに記述されている.
The Oxford English Dictionary records about 185,000 new words, and new meanings of old words, that came into the English language between 1900 and 1999. That leaves out of account the so-called lexical 'dark matter', words not common enough to catch the lexicographers' attention or, if they did, to compel inclusion, words perhaps that were never even committed to paper (or any other recording medium). Even so, those 185,000 on their own represent a 25 per cent growth in English vocabulary over the century --- making it the period of most vigorous expansion since that of the late-sixteenth and seventeenth centuries.
20世紀中(厳密には1900--1999年)に,OED に採用されたものだけに限っても18万5千もの新語(義)が加わったというのは,想像を絶する爆発ぶりである.引用の後半で触れられている通り,それ以前の時代でいえば,最大級の語彙爆発は1600年前後の英国ルネサンス期にみられた.「#114. 初期近代英語の借用語の起源と割合」 ([2009-08-19-1]),「#1226. 近代英語期における語彙増加の年代別分布」 ([2012-09-04-1]) で見たとおり,Görlach (136) は "The EModE period (especially 1530--1660) exhibits the fastest growth of the vocabulary in the history of the English language, in absolute figures as well as in proportion to the total." と述べている.
20世紀と17世紀では社会の状況も変化速度も大きく異なるので,単純に数字だけでは比較できないが,20世紀は(そしてまだ駆け出しといってよい21世紀もおそらく)英語の語彙爆発の記録を塗り替えた,あるいは塗り替えつつある時代といってよいだろう.
・ Görlach, Manfred. Introduction to Early Modern English. Cambridge: CUP, 1991.
OED では古英語の単語はどのように扱われているか.この辺りの話題は,OED Online の提供する Old English in the OED を通じて知ることができる.
OED は,原則として1150年を超えて残らなかった古英語単語は取り扱わないと宣言している.歴史的原則を貫く OED としては,このように除外される単語もれっきとした英単語であるとは認識しているはずだ.しかし,同辞書編纂の長い歴史の当初からの方針であり,別途 The Dictionary of Old English (DOE) も編纂中であることから,現実的な選択肢としてそのような原則を立てているのだろう.それでも,1150年より前に文証され,この境の年を生き延びた7500語ほどの古英語単語が収録されているという事実は指摘しておきたい.
古英語期の内部の時期区分についても,新版 OED では3期に分けるという新しい方針を示している.'early OE' (600--950), 'OE' (950--1100), and 'late OE' (1100--1150) の3期である.主たる古英語写本約200点のうち,ほとんどが 'OE' (950--1100) に由来し,その点で証拠の偏りがあることは致し方がない(それ以前の 'early OE' (600--950) に属するものは20点未満).この3期区分は粗くはあるが,できるかぎり学術的正確性を期すための方法であり,写本年代や語の初出年代の記述にも有効に用いられている.
「#3872. 英語に借用された主な日本語の借用年代」 ([2019-12-03-1]),「#142. 英語に借用された日本語の分布」 ([2009-09-16-1]) などの記事で見てきたように,英語には意外と多くの日本語単語が入り込んでいる.両言語の接触は16世紀以降のことであり (cf. 「#4131. イギリスの世界帝国化の歴史を視覚化した "The OED in two minutes"」 ([2020-08-18-1])),日本語単語の借用は英語史の観点からすると比較的新しい現象とはいえるが,そこそこの存在感を示しているといってよい.このことは「#45. 英語語彙にまつわる数値」 ([2009-06-12-1]),「#126. 7言語による英語への影響の比較」 ([2009-08-31-1]),「#2165. 20世紀後半の借用語ソース」 ([2015-04-01-1]) などでも触れてきた.
OED Online には,様々なパラメータにより,どの時代にどのくらいの単語が英語語彙に加わったかを視覚化してくれる "Timelines" という便利な機能がある.たとえば「日本語が語源である単語」を指定すると,日本語からの借用語が「いつ」「どのくらい」英語に流入したのかを即座にグラフ化してくれる.その結果は以下の通り.
数としては19世紀後半から爆発的に増え始め,現代に至ることがわかる.19世紀後半といえば,もちろん我が国が英米を含む西洋諸国との濃密な接触を開始した幕末・明治維新の時代である.
棒グラフをクリックすると,該当する単語のリストも得られる.ここまで簡単な操作でグラフ化してくれるとは本当に便利な世の中になったなあ.
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