連日の記事 ([2020-05-14-1], [2020-05-15-1]) で,stay at home か stay home かの問題を取り上げている.stay home は歴史的には比較的新しい表現だと分かったが,初例がいつなのかは未調査だった.いくつかのコーパスでざっと調査してみた結果,おそらく近代英語期,それも場合によっては後期近代英語期ではないかと当たりをつけてみたが,実際のところはどうなるのだろうか.
今回は初期近代英語を代表する超巨大コーパス Early English Books Online corpus のインターフェースを用いて検索してみた(cf. 「#3117. EEBO corpus がリリース」 ([2017-11-08-1]),「#3431. 各種の EEBO 検索インターフェース」 ([2018-09-18-1])) .stay home の初例を求めて,各種の屈折形態や異綴りやも考慮して検索した.
幸運なことに,stay home の用例を1つだけ見つけることができた.Thomas Rawlins (1620?--70) なる人物が1640年に著わした The rebellion a tragedy: as it was acted nine dayes together, and divers times since with good applause, by his Majesties Company of Revells のなかで現われる唯一例である.以下の赤字斜体で示した部分に注目.
old: # we must to the wars my boyes: [.] [.] [.] virm: # how master, to the warres? [.] [.] [.] old: # i to the warres virmine, what sayst thou to that? [.] [.] [.] virm: # nothing, but that i had rather stay home: o the good penny bread at breakfasts that i shall lose! master, good master let me alone, to live with honest Iohn, noble john Blacke:
これは,今まで私が調べた限りにおいての英語史上の初例ということになる.初出はもしかしたら後期近代英語期だったかもしれないという予想は読み違えたことになるが,それでも意外と新しい表現とはいってはよいだろう.なお,stay at home も検索したが,こちらは初期近代英語期を通じて常に用いられており,合計で1108例もあるから,両表現の相対的な分布は明らかだ.
次は,さらなる源流を求めて中英語にまで遡ってみようか.しかし,動詞 stay 自体が15世紀半ばのフランス借用語なので,あまり見込みはなさそうか・・・.
Cockney 発音として知られる h-dropping を巡る問題には,深い歴史的背景がある.音変化,発音と綴字の関係,語彙借用,社会的評価など様々な観点から考察する必要があり,英語史研究において最も込み入った問題の1つといってよい.本ブログでも h の各記事で扱ってきたが,とりわけ「#1292. 中英語から近代英語にかけての h の位置づけ」 ([2012-11-09-1]),「#1675. 中英語から近代英語にかけての h の位置づけ (2)」 ([2013-11-27-1]),「#1899. 中英語から近代英語にかけての h の位置づけ (3)」 ([2014-07-09-1]),「#1677. 語頭の <h> の歴史についての諸説」 ([2013-11-29-1]) を参照されたい.
h-dropping への非難 (stigmatisation) が高まったのは17世紀以降,特に規範主義時代である18世紀のことである.綴字の標準化によって語源的な <h> が固定化し,発音においても対応する /h/ が実現されるべきであるという規範が広められた.h は,標準的な綴字や語源の知識(=教養)の有無を測る,社会言語学的なリトマス試験紙としての機能を獲得したのである.
Minkova によれば,この時代に先立つルネサンス期に,明確に発音される h を含むギリシア語からの借用語が大量に流入してきたことも,h-dropping と無教養の連結を強めることに貢献しただろうという.「#114. 初期近代英語の借用語の起源と割合」 ([2009-08-19-1]),「#516. 直接のギリシア語借用は15世紀から」 ([2010-09-25-1]) でみたように,確かに15--17世紀にはギリシア語の学術用語が多く英語に流入した.これらの語彙は高い教養と強く結びついており,その綴字や発音に h が含まれているかどうかを知っていることは,その人の教養を示すバロメーターともなり得ただろう.ギリシア借用語の存在は,17世紀以降の h-dropping 批判のお膳立てをしたというわけだ.広い英語史的視野に裏付けられた,洞察に富む指摘だと思う.Minkova (107) を引用する.
Orthographic standardisation, especially through printing after the end of the 1470s, was an important factor shaping the later fate of ME /h-/. Until the beginning of the sixteenth century there was no evidence of association between h-dropping and social and educational status, but the attitudes began to shift in the seventeenth century, and by the eighteenth century [h-]-lessness was stigmatised in both native and borrowed words. . . . In spelling, most of the borrowed words kept initial <h->; the expanding community of literate speakers must have considered spelling authoritative enough for the reinstatement of an initial [h-] in words with an etymological and orthographic <h->. New Greek loanwords in <h->, unassimilated when passing through Renaissance Latin, flooded the language; learned words in hept(a)-, hemato-, hemi-, hex(a)-, hagio-, hypo-, hydro-, hyper-, hetero-, hysto- and words like helix, harmony, halo kept the initial aspirate in pronunciation, increasing the pool of lexical items for which h-dropping would be associated with lack of education. The combined and mutually reinforcing pressure from orthography and negative social attitudes towards h-dropping worked against the codification of h-less forms. By the end of the eighteenth century, only a set of frequently used Romance loans in which the <h-> spelling was preserved were considered legitimate without initial [h-].
・ Minkova, Donka. A Historical Phonology of English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2014.
現代英語の句読法 (punctuation) の慣用によると,コンマ(comma; <,>),コロン(colon; <:>),セミコロン (semicolon; <;>)などの前にはスペースを入れず,後ろにはスペースを入れることになっている.しかし,このような慣用も時代とともに変化してきた.これらの句読点の使用が一般化してきたのは「#575. 現代的な punctuation の歴史は500年ほど」 ([2010-11-23-1]) でもみたとおり初期近代英語期にかけての時期だが,当時から使用の細部については必ずしも安定的ではなかった(cf. 「#2666. 初期近代英語の不安定な句読法」 ([2016-08-14-1])).
Cook (170) によると,初期近代英語ではコンマやコロンの前後のスペースについて揺れがみられた.コンマに関しては前後ともにスペースなしという例が普通だったが,コロンに関してはむしろ前後ともにスペースを入れることが行なわれていた.これはフランス語の慣用の影響だという.
A word space following punctuation marks was not necessary 'in a Fixion,in a dreame', though there is a space both before and after the colon, following a French convention.
A comparison of the Folio and Quarto editions shows considerable variation:
Folio: Ham. I ʃo,God buy,ye : Now I am alone.
Quarto: Ham. I ʃo,God buy to you,now I am alone,
初期近代以降,句読法の慣用は,印刷,植字,レイアウトに関する技術の発展と平行的に変化してきた.また,ヨーロッパの他言語の句読法を横目で見て倣うこともあれば,独自の慣用を発達させてきたこともあった.その点では句読法も,綴字やその他の言語項と異ならず,常に通時的な変化と共時的な変異にさらされてきたということだ.
・ Cook, Vivian. The English Writing System. London: Hodder Education, 2004.
昨日の記事「#3863. adapt の派生語にみる近代英語期の語彙問題」 ([2019-11-24-1]) に引き続き,Durkin (334) より retard および pulse に関する派生語の乱立状況をのぞいてみよう.
retard (1490) と retardate (1613) の2語が,動詞としてライバル関係にある基体である.ここから派生した語群を年代順に挙げよう(ただし,時間的には逆転しているようにみえるケースもある).retardation (n.) (c.1437), retardance (n.) (1550), retarding (n.) (1585), retardment (n.) (1640), retardant (adj.) (1642), retarder (n.) (1644), retarding (adj.) (1645), retardative (adj.) (1705), retardure (n.) (1751), retardive (adj.) (1787), retardant (n.) (1824), retardatory (adj.) (1843), retardent (adj.) (1858), retardent (n.) (1858), retardency (n.) (1939), retardancy (n.) (1947) となる.
同じように pulse (?a.1425) と pulsate (1674) を動詞の基体として,様々な派生語が生じてきた(やはり時間的には逆転しているようにみえるケースもある).pulsative (n.) (a.1398), pulsatile (adj.) (?a.1425), pulsation (n.) (?a.1425), pulsing (n.) (a.1525), pulsing (adj.) (1559), pulsive (adj.) (1600), pulsatory (adj.) (1613), pulsant (adj.) (1642), pulsating (adj.) (1742), pulsating (n.) (1829) である.
このなかには直接の借用語もあるだろうし,英語内で形成された語もあるだろう.その両方であると解釈するのが妥当な語もあるだろう.混乱,類推,勘違い,浪費,余剰などあらゆるものが詰まった word family である.
・ Durkin, Philip. Borrowed Words: A History of Loanwords in English. Oxford: OUP, 2014.
初期近代英語期の語彙に関する問題の1つに,同根派生語の乱立がある.「#3157. 華麗なる splendid の同根類義語」 ([2017-12-18-1]),「#3258. 17世紀に作られた動詞派生名詞群の呈する問題 (1)」 ([2018-03-29-1]),「#3259. 17世紀に作られた動詞派生名詞群の呈する問題 (2)」 ([2018-03-30-1]) などで論じてきたが,今回は adapt という基体を出発点にした派生語の乱立をのぞいてみよう.以下,Durkin (332--33) に依拠する.
OED によると,15世紀初期に adapted が現われるが,adapt 単体として出現するのは1531年である.これ自体,ラテン語 adaptāre とフランス語 adapter のいずれが借用されたものなのか,あるいはいずれの形に基づいているものなのか,必ずしも明確ではない.
その後,両形を基体とした様々な派生語が次々に現われる.adaptation (n.) (1597), adapting (n.) (1610), adaption (n.) (1615), adaptate (v.) (1638), adaptness (n.) (1657), adapt (adj.) (1658), adaptability (n.) (1661), adaptable (adj.) (1692), adaptive (adj.) (1734), adaptment (n.) (1739), adapter (n.) (1753), adaptor (1764), adaptative (adj.) (1815), adaptiveness (n.) (1815), adaptableness (n.) (1833), adaptorial (adj.) (1838), adaptational (adj.) (1849), adaptivity (n.) (1840), adaptativeness (n.) (1841), adaptationism (n.) (1889), adaptationalism (n.) (1922) のごとくだ.
いずれの語がいずれの言語からの借用なのかが不明確であるし,そもそも借用などではなく英語内部において造語された語である可能性も高い.後者の場合には「英製羅語」や「英製仏語」ということになる.歴史語彙論的に,このような語群を何と呼んだらよいのか悩むところである.
この問題に関する Durkin (333) の解説を引いておく.
Very few of these words show direct borrowing from Latin or French (probably just adapt verb, adaptate, adaptation, and maybe adapt adjective), but a number of others are best explained as hybrid or analogous formations on Latin stems. The group as a whole illustrates the impact of the borrowing of a handful of key words in giving rise to an extended word family over time, including many full or partial synonyms. In some cases synonyms may have arisen accidentally, as speakers were simply ignorant of the existence of earlier formations; some others could result from misrecollection of earlier words. . . . However, such profligacy and redundancy is typical of such word families in English well into the Later Modern period, well beyond the period in which 'copy' was particularly in vogue in literary style.
ここからキーワードを拾い出せば "hybrid or analogous formations", "ignorant", "misrecollection", "profligacy and redundancy" などとなろうか.
今回の内容と関連する話題として,以下の記事も参照されたい.
・ 「#1493. 和製英語ならぬ英製羅語」 ([2013-05-29-1])
・ 「#1927. 英製仏語」 ([2014-08-06-1])
・ 「#3165. 英製羅語としての conspicuous と external」 ([2017-12-26-1])
・ 「#3166. 英製希羅語としての科学用語」 ([2017-12-27-1])
・ 「#3179. 「新古典主義的複合語」か「英製羅語」か」 ([2018-01-09-1])
・ 「#3348. 初期近代英語期に借用系の接辞・基体が大幅に伸張した」 ([2018-06-27-1])
・ 「#3858. 「和製○語」も「英製△語」も言語として普通の現象」 ([2019-11-19-1])
・ Durkin, Philip. Borrowed Words: A History of Loanwords in English. Oxford: OUP, 2014.
ルネサンス期のラテン・ギリシア語熱に浮かされたかのような「インク壺語」 (inkhorn_term) について,本ブログでも様々に取り上げてきた(とりわけ「#478. 初期近代英語期に湯水のように借りられては捨てられたラテン語」 ([2010-08-18-1]),「#1408. インク壺語論争」 ([2013-03-05-1]),「#1409. 生き残ったインク壺語,消えたインク壺語」 ([2013-03-06-1]),「#1410. インク壺語批判と本来語回帰」 ([2013-03-07-1]),「#2479. 初期近代英語の語彙借用に対する反動としての言語純粋主義はどこまで本気だったか?」 ([2016-02-09-1]),「#3438. なぜ初期近代英語のラテン借用語は増殖したのか?」 ([2018-09-25-1]) を参照).
インク壺語は同時代からしばしば批判や風刺の対象とされてきたが,劇作家 Ben Jonson も,1601年に初上演された The Poetaster のなかでチクリと突いている.Crispinus という登場人物が催吐剤を与えられ,小難しい単語を「吐く」というくだりである.吐かれた順にリストしていくと,次のようになる (Johnson 192; †は現代英語で廃語) .
retrograde, reciprocall, incubus, †glibbery, †lubricall, defunct, †magnificate, spurious, †snotteries, chilblaind, clumsie, barmy, froth, puffy, inflate, †turgidous, ventosity, oblatrant, †obcaecate, furibund, fatuate, strenuous, conscious, prorumped, clutch, tropological, anagogical, loquacious, pinnosity, †obstupefact
OED では,pinnosity を除くすべての単語が見出し語として立てられている.しかし,このなかには Jonson の劇でしか使われていない1回きりの単語も含まれている.現代でも普通に通用するものもあるにはあるが,確かに立て続けに吐かれてはかなわない単語ばかりである.典型的なインク壺語のリストとして使えそうだ.
・ Johnson, Keith. The History of Early English: An Activity-Based Approach. Abingdon: Routledge, 2016.
最近,日本語でもアンガー・マネジメントという表現を聞くようになった.英語の anger management は,COBUILD English Dictionary によると "a set of guidelines that are designed to help people control their anger." とある.関連する本の出版や講習会の宣伝も耳に入ってくる.確かに怒りっぽいのは人生の損だと私も思っているが,自分自身がうまくコントロールできているかははなはだ心許ない.本を読んだり,コースに通ったりするほどではないものの,関心はあるので緩くアンテナを張っていたら,Francis Bacon (1561--1626) の Essays (1597) をペラペラめくっている最中に,「怒りについて」の文章を見つけた.考えてみれば確かに Bacon が取り上げそうなテーマだ.
案の定,読み惚れる名文である.あらためて Bacon の文章は見事な英語の散文だと思う.こういう文章をじっくり読む授業は必要かもしれない.読み慣れないと難しく感じるだろうが,精読に最適である.英語史的に読んでも初期近代英語の散文はいろいろとおもしろい.
Of Anger[ 固定リンク | 印刷用ページ ]
TO SEEK to extinguish anger utterly, is but a bravery of the Stoics. We have better oracles: Be angry, but sin not. Let not the sun go down upon your anger. Anger must be limited and confined, both in race and in time. We will first speak how the natural inclination and habit to be angry, may be attempted and calmed. Secondly, how the particular motions of anger may be repressed, or at least refrained from doing mischief. Thirdly, how to raise anger, or appease anger in another.
For the first; there is no other way but to meditate, and ruminate well upon the effects of anger, how it troubles man's life. And the best time to do this, is to look back upon anger, when the fit is thoroughly over. Seneca saith well, That anger is like ruin, which breaks itself upon that it falls. The Scripture exhorteth us to possess our souls in patience. Whosoever is out of patience, is out of possession of his soul. Men must not turn bees;
. . . animasuque in vulnere ponunt.
Anger is certainly a kind of baseness; as it appears well in the weakness of those subjects in whom it reigns; children, women, old folks, sick folks. Only men must beware, that they carry their anger rather with scorn, than with fear; so that they may seem rather to be above the injury, than below it; which is a thing easily done, if a man will give law to himself in it.
For the second point; the causes and motives of anger, are chiefly three. First, to be too sensible of hurt; for no man is angry, that feels not himself hurt; and therefore tender and delicate persons must needs be oft angry; they have so many things to trouble them, which more robust natures have little sense of. The next is, the apprehension and construction of the injury offered, to be, in the circumstances thereof, full of contempt: for contempt is that, which putteth an edge upon anger, as much or more than the hurt itself.
And therefore, when men are ingenious in picking out circumstances of contempt, they do kindle their anger much. Lastly, opinion of the touch of a man's reputation, doth multiply and sharpen anger. Wherein the remedy is, that a man should have, as Consalvo was wont to say, telam honoris crassiorem. But in all refrainings of anger, it is the best remedy to win time; and to make a man's self believe, that the opportunity of his revenge is not yet come, but that he foresees a time for it; and so to still himself in the meantime, and reserve it.
To contain anger from mischief, though it take hold of a man, there be two things, whereof you must have special caution. The one, of extreme bitterness of words, especially if they be aculeate and proper, for cummunia maledicta are nothing so much; and again, that in anger a man reveal no secrets; for that, makes him not fit for society. The other, that you do not peremptorily break off, in any business, in a fit of anger; but howsoever you show bitterness, do not act anything, that is not revocable.
For raising and appeasing anger in another; it is done chiefly by choosing of times, when men are frowardest and worst disposed, to incense them. Again, by gathering (as was touched before) all that you can find out, to aggravate the contempt. And the two remedies are by the contraries. The former to take good times, when first to relate to a man an angry business; for the first impression is much; and the other is, to sever, as much as may be, the construction of the injury from the point of contempt; imputing it to misunderstanding, fear, passion, or what you will.
Shakespeare の諸作品と欽定訳聖書 (Authorized Version; King Jame Bible) はほぼ同じ時代に書かれていながらも,それぞれの英語は諸側面において異なっている(cf. 「#492. 近代英語期の強変化動詞過去形の揺れ」 ([2010-09-01-1]),「#1418. 17世紀中の its の受容」 ([2013-03-15-1]),「#3491. dreamt と dreamed の用法の差」 ([2018-11-17-1])).一般的には Shakespeare は革新的,欽定訳聖書は保守的な言葉遣いが多いとされる.Crystal (275) より,この差異を例示してみたい.当時「旧形」と「新形」の間で揺れていた動詞形態の変異を中心に,典型的な例を集めたものである.
King James First Folio old form new form old form new form bare 175 bore 1 bare 10 bore 25 clave 14 cleft 2 clave 0 cleft 8 gat 20, gotten 25 got 7 gat 0, gotten 5 got 115 goeth 135 goes 0 goeth 0 goes 166 seeth 54 sees 0 seeth 0 sees 40 spake 585 spoke 0 spake 48 spoke 142 yonder 7 yon 0, yond 0 yonder 66 yon 9, yond 45
欽定訳聖書は,序文に "The old Ecclesiastical Words to be kept, viz., the Word Church not to be translated Congregations, &c." などと述べられていることから予想される通り,保守的な言葉遣いをよく残している.宗教の言語は得てして古めかしいこと,また Tyndale 訳聖書に表された1世紀ほど前の英語をモデルとしていることなどから,欽定訳聖書のこの傾向について特に不思議はないだろう(cf. 「#753. なぜ宗教の言語は古めかしいか」 ([2011-05-20-1])).
一方,Shakespeare のような売れっ子劇作家の言葉遣いが,一般庶民の人々の生の言葉遣いに近似していたはずだということも,容易に理解できるだろう.同じ時代でも,使用域 (register),オーディエンス,目的などが異なれば,ここまで言語上の違いが出るものだということを示してくれる,英語史からの好例である.
・ Crystal, David. The Stories of English. London: Penguin, 2005.
Brengelman は,17世紀中に確立した英語の綴字標準化は,印刷業者の手によるものというよりは正音学者たち(および彼らとコラボした教育者たち)の功績であると考えている.これは「#1384. 綴字の標準化に貢献したのは17世紀の理論言語学者と教師」 ([2013-02-09-1]) で紹介したとおりである.綴字の標準化は,17世紀半ばに秩序を示しつつ成るべくして成った旨を,Brengelman (334) より引用しよう.
Above all, it is significant that the English spelling system that emerged from the seventeenth century is not a collection of random choices from the ungoverned mass of alternatives that were available at the beginning of the century but rather a highly ordered system taking into account phonology, morphology, and etymology and providing rules for spelling the new words that were flooding the English lexicon. / Printed texts from the period demonstrate clearly that, during the middle half of the seventeenth century, English spelling evolved from near anarchy to almost complete predictability.
では,正音学者は具体的にどんな正書法上の改善点をもたらしたのだろうか.主立った5点を,Brengelman (347) よりあげよう.
1. The rationalization of the use of final e.
2. The rationalization of the use of consonant doubling, including the use of tch and ch, dg and g, ck and k.
3. The rationalization of the use of i and j, v and u.
4. Resolution of the worst problems relating to the use of i, y, and ie.
5. The almost total regularization of morphemes borrowed from Latin, including those borrowed by way of French.
これらの改善点は,個々の単語レベルでみれば軽微なものにすぎないが,集合的にいえば綴字の見栄えをぐんと現代的にしてくれた.
綴字標準化に関する Brengelman の重要な論考については,「#1383. ラテン単語を英語化する形態規則」 ([2013-02-08-1]),「#1385. Caxton が綴字標準化に貢献しなかったと考えられる根拠」 ([2013-02-10-1]),「#1385. Caxton が綴字標準化に貢献しなかったと考えられる根拠」 ([2013-02-10-1]),「#1387. 語源的綴字の採用は17世紀」 ([2013-02-12-1]),「#2377. 先行する長母音を表わす <e> の先駆け (1)」 ([2015-10-30-1]) でも言及しているのでので要参照.
・ Brengelman, F. H. "Orthoepists, Printers, and the Rationalization of English Spelling." JEGP 79 (1980): 332--54.
近代英語期にはゆっくりと英語の標準化 (standardisation) が目指されたが,標準化とは Haugen によれば "maximum variation in function" かつ "minimum variation in form" のことである(「#2745. Haugen の言語標準化の4段階 (2)」 ([2016-11-01-1])).後者は端的にいえば,1つの単語につき1つの形式(発音・綴字)が対応しているべきであり,複数の異形態 (allomorphs) が対応していることは望ましくないという立場である.
標題の機能語のペアは,n をもつ形態が語源的ではあるが,中英語では n を脱落させた異形態も普通に用いられており,特に韻文などでは音韻や韻律の都合で便利に使い分けされる「役に立つ変異」だった.形態的に一本化するよりも,音韻的な都合のために多様な選択肢を残しておくのをよしとする言語設計だったとでも言おうか.
ところが,初期近代英語期に英語の標準化が進んでくると,それ以前とは逆に,音韻的自由を犠牲にして形態的統一を重視する言語設計が頭をもたげてくる.標題の各語は,n の有無の間で自由に揺れることを許されなくなり,いずれかの形態が標準として採用されなければならなくなったのである.n のある形態かない形態か,いずれが選ばれるかは語によって異なっていたが,不定冠詞や1人称所有代名詞のように,用いられる分布が音韻的,文法的に明確に規定されさえすれば両形態が共存することもありえた.このような個々の語の振る舞いの違いこそあれ,基本的な思想としては,自由変異としての異形態の存在を許さず,それぞれの形態に1つの決まった役割を与えるということとなった.
a や my では n のない形態が選ばれ,in や on では n のある形態が選ばれたという違いは,音韻的には説明をつけるのが難しいが,標準化による異形態の整理というより大きな言語設計の観点からは,表面的な違いにすぎないということになるだろう.この鋭い観点を提示した Schlüter (29) より,関連箇所を引用しよう.
Possibly as part of this standardization process, the phonological makeup of many high-frequency words stabilized in one way or the other. While Middle English had been an era characterized by an unprecedented flexibility in terms of the presence or absence of variable segments, Early Modern English had lost these options. A word-final <e> was no longer pronounceable as [ə]; vowel-final and consonant-final forms of the possessives my/mine, thy/thine, and of the negative no/none were increasingly limited to determiner vs. pronoun function, respectively; formerly omissible final consonants of the prepositions of, on, and in became obligatory, and the distribution of final /n/ in verbs was eventually settled (e.g. infinitive see vs. past participle seen). In ME times, this kind of variability had been exploited to optimize syllable contact at word boundaries by avoiding hiatuses and consonant clusters (e.g. my leg but min arm, i þe hous but in an hous, to see me but to seen it). The increasing fixation of word forms in Early Modern English came at the expense of phonotactic adaptability, but reduced the amount of allomorphy; in other words, phonological constraints were increasingly outweighed by morphological ones . . . .
標題の語の n の脱落した異形態については「#831. Why "an apple"?」 ([2011-08-06-1]),「#2723. 前置詞 on における n の脱落」 ([2016-10-10-1]),「#3030. on foot から afoot への文法化と重層化」 ([2017-08-13-1]) などを参照.定冠詞の話題だが,「#907. 母音の前の the の規範的発音」 ([2011-10-21-1]) の問題とも関連しそうな気がする.
・ Schlüter, Julia. "Phonology." Chapter 3 of The History of English. 4th vol. Early Modern English. Ed. Laurel J. Brinton and Alexander Bergs. Berlin: Mouton de Gruyter, 2017. 27--46.
現在取りかかっている研究テーマの調査のために,CoRD ( Corpus Resource Database ) の Parsed Corpus of Early English Correspondence (PCEEC) より情報を得て,The Oxford Text Archive (OTA) 経由で PCEEC を入手した.統語タグ付きコーパスとして提供されているものだが,複雑な統語環境の条件によるサーチは必要ないので,附属のプレーンテキストか品詞タグ付きテキストからなるコーパスで今回は十分に用を足しそうだ.しかし,必要とあらば検索ツール Corpus Search 2 を用いて凝ったサーチもできる.
このコーパスの元となっている Corpus of Early English Correspondence (CEEC) は,1996--98年にヘルシンキ大学にて編纂作業が進められたコーパスで,1410?--1681年の書簡テキストが送り手の情報とともに集積されている.96の書簡集からなり,書き手は778人,書簡は6039通,そして総語数が270万語に及ぶコーパスである.編纂の狙いは,社会言語学的な手法を歴史英語へ適用することにあった.
この CEEC からいくつかの姉妹コーパスが派生しており,その1つが統語タグ付きの PCEEC である.CEEC 自体は一般公開されておらず,一般に入手できるのは PCEEC と Corpus of Early English Correspondence Sampler (CEECS) のみである.PCEEC は,CEEC から著作権の関係で1/4ほどを取り除いたコーパスとなっている.
その他の(未公開)派生コーパスである,Corpus of Early English Correspondence Supplement (CEECSU) と Corpus of Early English Correspondence Extension (CEECE) も合わせて,量的な情報を一覧しておこう.
Corpus | time covered | words | letters | writers | collections | published |
---|---|---|---|---|---|---|
CEEC | 1410?--1681 | 2.7 million | 6039 | 778 | 96 | ---- |
CEECS | 1418--1680 | 0.45 million | 1147 | 194 | 23 | 1998 |
PCEEC | 1410?--1681 | 2.2 million | 4979 | 657 | 84 | 2006 |
CEECE | 1681--1800 | c. 2.2 million | c. 4900 | > 300 | 74 | ---- |
CEECSU | 1402--1663 | c. 0.44 million | c. 900 | > 100 | 20 | ---- |
Period | Date | Word count | Token count |
---|---|---|---|
M3 | 1350--1419 | 19,505 | 684 |
M4 | 1420--1499 | 364,317 | 20,039 |
E1 | 1500--1569 | 309,220 | 11,056 |
E2 | 1570--1639 | 910,675 | 44,067 |
E3 | 1640--1710 | 555,415 | 29,185 |
「#3527. 呼称のポライトネスの通時変化,代名詞はネガティヴへ,名詞はポジティヴへ」 ([2018-12-23-1]) でみたように,近代英語の呼称を用いたポライトネス戦略は,なかなか複雑なものだったようだが,椎名 (66--67) は,呼称を通時的に調べてみると貧弱化や単純化の方向が確認されるという.その社会語用論的な背景についてコメントされている箇所があるので,引用しよう.
通時的に見ると,使用される語彙や意味の変化,修飾語 (modification) の減少による address terms の構造の単純化など,幾つかの変化が見られる.原因としては,識字率の向上・郵便制度の整備・プライバシーの尊重・社会的階層構造の流動化があげられている.簡単に言うと,幅広い階級において識字率が向上すると同時に,郵便制度が完備することにより,上流階級に限られていた手紙を書く習慣が庶民にも広がり,多くの人によって頻繁に書かれるようになったことである.もう片方には,人々の階級の流動性が高まり,人々の敬称が複雑化したことがあげられる.そうした社会的・文化的な諸事情により address terms が単純化していったのである.つまり,人々の階級の変動が多い時代には,礼を失することのない安全策として negative politeness の度合いの高い address terms を使うようになっていったということである.
「安全策として」説は,2人称単数代名詞 thou/you の対立が,近代英語期にネガティヴ・ポライトネスを表わす後者の you の方向へ解消されたのがなぜかを説明するのにも,しばしば引き合いに出される (cf. 「#1336. なぜ thou ではなく you が一般化したか? (2)」 ([2012-12-23-1])).当時の社会背景を汲み取った上で再訪してみたい問題である.
・ 椎名 美智 「第3章 歴史語用論における文法化と語用化」『文法化 --- 新たな展開 ---』秋元 実治・保坂 道雄(編) 英潮社,2005年.59--74頁.
椎名 (65--72) は,1640--1760年までの gentry comedy を含むコーパスで,呼称 (address_term) の表現を調査した.
呼称は,大きく negative politeness を指向する "deferential type" と positive politeness を指向する "familiar type" に区分される.これは,2人称代名詞でいえば you と thou の区別に相当し,名詞(句)でいえば,たとえば Lord と dear の区別に相当する (cf. 「#2131. 呼称語のポライトネス座標軸」 ([2015-02-26-1])) .歴史的な事実としておもしろいのは,代名詞と名詞(句)の呼称の変化に関して,調査された初期近代英語期から,その後の後期近代英語期および現代英語期にかけて,傾向が異なっていることだ.代名詞では,よく知られているように negative politeness が重視されたかのように thou ではなく you が一般化した.ところが,名詞(句)では,むしろ dear や名前 (first name) での呼びかけのように positive politeness が重視されて,現在に至っている.椎名 (69) の指摘するとおり,「nominal address terms の変化の方向が pronominal address terms の変化の方向と逆だということ」である.
2人称代名詞に関して,なぜ thou ではなく you の方向で一般化したのかについては,「#1127. なぜ thou ではなく you が一般化したか?」 ([2012-05-28-1]),「#1336. なぜ thou ではなく you が一般化したか? (2)」 ([2012-12-23-1]) で話題にしてきたが,ここに新たな論点が加わったように思われる.つまり,なぜ名詞(句)の呼びかけ表現では,むしろ親密 (familiarity) や団結 (solidarity) を示す方向が選択されたのか.これは偶然だろうか.あるいは総合的なバランスということだろうか.
・ 椎名 美智 「第3章 歴史語用論における文法化と語用化」『文法化 --- 新たな展開 ---』秋元 実治・保坂 道雄(編) 英潮社,2005年.59--74頁.
1549年,Thomas Crammer の編纂した The Book of Common Prayer (祈祷書)が世に出た.1552年には,その改訂版が出されている.この祈祷書の引用元となっているのは1539年の the Great Bible である.一方,およそ1世紀後,王政復古期の1662年に,別版の祈祷書が出版された.現在も一般に用いられているこちらの新版は,1611年の the King James Bible に基づいており,言語的にはむしろ保守的である.つまり,1552年版と1662年版の祈祷書を比べてみると,後者のほうが年代としては100年余り遅いにもかかわらず,言語的には前者よりも古い特徴を示すことがあるということだ.ただし,全部が全部そうなのではなく,後者が予想通り,より新しい特徴を示している例もあり複雑だ.
Gramley (144) は,Nevalainen (1998) の研究を参照しながら,5点の文法項目を比較している.
feature | 1552 | 1662 |
---|---|---|
3rd person singular ending | mixed {-th} and {-s} | reversion to {-th} |
2nd person singular personal | thou/thee but some ye/you | largely a return to thou/thee |
nominative ye/you | both ye and you | largely a return to ye |
nominative which/who | 56 who vs. 129 which | 172 who vs. 13 which |
present tense plural be/are | 52 are vs. 105 be | 125 are vs. 32 be |
英語史における標準化 (standardisation) の話題といえば,第1義的に書き言葉の標準化が念頭に置かれているように思われる.本ブログでも,書き言葉の標準化については様々に紹介してきたが,話し言葉の標準化については扱いが薄かった.「#3356. 標準発音の整備は18世紀後半から」 ([2018-07-05-1]) では発音の標準化を取り上げており,これは話し言葉の標準化の話題の一部を成しはするものの,「話し言葉」と「発音」とは同一ではない.話し言葉には,発音以外に文法や語彙などその他の側面もある.
話し言葉の標準化について,松浪ほかの「標準口語英語の確立」 (93) に記されている概要を引用する.
書き言葉の標準英語は既に15世紀前半頃までに,ロンドンを中心に形成され,その後教育の普及にともなって急速に広まったと考えられているが,話し言葉の標準語はまだその頃にはなく,EModE 期になって確立した.16世紀になって宮廷を中心に上流階級,文人,大学等で使われた話し言葉が標準語として確立した.これはロンドンで活躍した支配階級の言葉であるから階級方言であって,同じロンドンでも,下層階級の言葉は標準語とは別物で,後にコックニー (Cockney) として発達した.まだ,文法も辞書もない時代のことで,この標準語は,現代語からみれば発音・文法両面で統一性に欠けた,ある意味で自由奔放な英語でもあった.このような英語の状況を背景に登場し,活躍したのが,いうまでもなく英文学史上最大の作家シェイクスピア (William Shakespeare, 1564--1616) である.この大詩人の英語は〔中略〕欽定訳聖書と並んで,近代英語の2つの源泉と呼ばれている.
ポイントは,話し言葉の標準化が,書き言葉の標準化よりも1世紀ほど遅れて始まったことである.また,その基盤となった変種がロンドンの支配階級の口語だったことも重要である.標準化の最初期には,その変種とて一様ではなく,相当程度の変異を許容する「緩い」ものだったといってよいが,少なくとも現代の標準口語英語の源泉をそこに見出すことができる.私たちの学んでいる「英会話」は,500年前のロンドンの上流サークルのおしゃべりに起源をもつということである.
・ 松浪 有 編,小川 浩,小倉 美知子,児馬 修,浦田 和幸,本名 信行 『英語の歴史』 大修館書店,1995年.
16世紀後半にピークに達するルネサンス期のラテン借用語の流入について,本ブログで様々に取り上げてきた.英語史上もっとも密度の濃い語彙借用の時代だったといわれるが,なぜこれほどまでに借用語が増殖したのだろうか.貧弱だった英語の語彙を補うためという必要不可欠論も部分的には当たっているが,ラテン語の威を借りるという虚飾的な理由が特に大きかったと思われる.なにしろ,「#478. 初期近代英語期に湯水のように借りられては捨てられたラテン語」 ([2010-08-18-1]) で見たように,むやみやたらに取り込んだのだ.
Görlach (162--62) が,この辺りの事情をうまく説明している.この時代より前にはラテン語そのものをマスターすることがステータスだった.しかし,俗語たる英語の地位が徐々に上昇し,ある程度のラテン借用語が蓄積してきた16世紀後半からは,ラテン語そのものというよりも,英語に取り込まれたラテン借用語を使いこなすことが社会的に重要なスキルとなった.とはいえ,ラテン語を学習しているわけではない多くの人々にとって,ラテン借用語を「正しい」形式と意味で使いこなすことは簡単ではない.形式上の勘違いは頻繁に起こったし,意味についても,緩く対応する既存語とのニュアンスの差を正確に習得することはたやすくなかった.そのような状況下でも,人々はある意味では勘違いを恐れず,積極的にラテン借用語を使おうとした.なぜならば,その試み自体が,話者のステータスを高めると信じていたからである.
例えば,Hart は以下のような形式上の間違いを挙げながら,この風潮を非難している(カッコの中の形式が当時としては「正しい」もの).temporall (temperate), sullender (surrender), statute (stature), obiect (abiect), heier (heare), certisfied (certified or satisfied), dispence (suspence), defende (offende), surgiant (surgian). 内容に関しては,ancient や antique を old と同義に,つまり old の単なる見栄えのよい言い換えとして用いている例があるという.
17世紀初めから続出する難語辞書は,このような誤用を正し,適切なラテン借用語を教育するために出版されたともいえるが,実のところ,むしろ虚飾的な借用語の使用を促す役割を果たしたのかもしれない.結果として,ラテン借用語は,当時の人々の言葉遣いの風潮にいわば培養される形で,自己増殖していったと考えられるだろう.この経緯を,Görlach (162) がうまく表現している.
To judge by the success of Cockeram and his imitators . . ., there was a large market in the seventeenth century for dictionaries translating common expressions into elevated diction. This indicates how difficult it must have been to limit loanwords to a moderate number. The issue was obviously not the objective need to fill lexical gaps for the sake of unambiguous reference, but the pairing of common words with their Latinate equivalents, the implication being that use of the elevated term was more prestigious --- even if it was unintelligible and therefore useless for communication.
・ Görlach, Manfred. Introduction to Early Modern English. Cambridge: CUP, 1991.
初期近代英語期の膨大なテキストを収録した EEBO (Early English Books Online) について,「#3117. EEBO corpus がリリース」 ([2017-11-08-1]) で BYU 提供の EEBO 検索インターフェース Early English Books Online corpus を紹介した.
それとは別に,Early Modern Print: Text Mining Early Printed English というサイトのプロジェクトで,n-gram や KWIC などの検索インターフェースが提供されていることを知ったので紹介しておきたい.全体的なイントロは,こちらのページをどうぞ.個々の具体的なツールは,次のリンクからアクセスできる.
・ EEBO N-Gram Browser (説明はこちら)
・ EEBO-TCP Key Words in Context (説明はこちら)
・ EEBO-TCP and ESTC Text Counts
・ EEBO-TCP Words Per Year
また,University of Michigan の提供する Early English Books Online の各種サーチや Lancaster University による EEBO on CQPweb (V3) も同様に有用.
各種インターフェースのいずれを用いるか迷うところだ.
「#2502. なぜ不定詞には to 不定詞 と原形不定詞の2種類があるのか?」 ([2016-03-03-1]) で述べたように,to 不定詞 と原形不定詞は,互いに起源は異なるものの,歴史の過程でほぼ同じ機能を共有するようになり,しばしば競合と揺れを示してきた.なぜある統語環境では一方が要求され,別の環境では他方が要求されるのか.通時的にも共時的にも研究されており,ある程度の傾向は見出せるものの,絶対的な規則を見つけ出すことは難しい.
現代英語の例を考えると,「#971. 「help + 原形不定詞」の起源」 ([2011-12-24-1]) で触れたように,help の後の不定詞はどちらの形態でも許容されるという状況がある.また,「#970. Money makes the mare to go」 ([2011-12-23-1]) で見たように,使役構文においては能動文では原形不定詞を用いるが,受動文では to 不定詞を用いるといったチグハグな統語現象が見られる.これらも,両不定詞形の競合と揺れの歴史を反映していると解釈することができるだろう.
この問題について,中島 (237--38) は次のように述べている.
今日の用法が確立するまでには長い間用法が動揺しており,また以前は to のない不定詞が今よりひろく用いられた.エリザベス朝でも
you ought not walk (Cæsar, I. i. 3)/you were wont be civil (Othello, II. iii. 190) などの用例があり,そのほか Shakespeare では
I command her come to me/entreat her hear me but a word/let one be sent to pray Achilles see us
など command, entreat, pray, desire, charge のような動詞のあとでも to のない不定詞が見出される.逆に今なら to の不要なところに入れている場合もある.It makes my heart to groan のように.しかし今でも諺には Money makes the mare to go (地獄の沙汰も金次第)の用法が残っているし,help は両方の構造が可能である.I helped him (to) find his things. それから同一の文中で同じ関係に立つ二つの不定詞の中,後者が to をとることが行われる.〔中略〕Shakespeare の
and would no more endure
This wooden slavery than to suffer
The flesh-fly blow my mouth. (Tempest, III. i. 61--63)
も同種の例である.
2種類の不定詞の問題は,今なお完全には解決していない.
・ 中島 文雄 『英語発達史 改訂版』岩波書店,2005年.
大母音推移 (gvs) が英語音韻史上,最大の謎と称されるのは,連鎖的な推移であるとは想定されているものの,母音四辺形のどこから始まったかについて意見が分かれているためである.上昇や2重母音化の過程がどこから始まり,次にどこで生じたのかが分からなければ,push chain も drag chain も論じにくい.近年では「大母音推移」は1つの連鎖的な推移とみなすことはできず,複数の変化の集合体にすぎないという立場を取る論者も少なくない.服部 (58--59) は,大母音推移の開始点と開始時期を巡る問題について,学説史を踏まえて次のようにまとめている.
GVS を構成する各変化は同時に起こったわけではなく,上二段の変化 (eː → iː, oː → uː, iː → əɪ, uː → əʊ) は下二段の変化に比べかなり早く,1400年頃に始まり1550年頃までには完了していたと考えられる.一方,下二段の変化については,それから数十年遅れて開始され,1700年代中頃まで変化の過程が継続していたとされる.上二段のうち,狭母音の二重母音化と狭中母音の上昇化のいずれかが先に起こったかについては,意見が分かれ,Jespersen (1909) は,まず狭母音が二重母音化を開始し,次いでその結果生じた空白を埋めるべく,一段下の狭中母音が引き上げられたと主張した.これを引き上げ連鎖説 (drag-chain theory) という.他方,オーストリアの Karl Luick (1865--1935) はその著書 (1914--1940) において,Jespersen とは逆に,狭中母音の上昇化が先に起こり,/iː/, /uː/ の位置まで高められたため,/iː/, /uː/ は新しい狭母音との融合を回避するため,いわばそれに押し上げられる形で二重母音化したとする説を提唱した.これを押し上げ連鎖説 (push-chain theory) と称する.押し上げ連鎖説に関して,母音空間の最下段,すなわち広母音からの連鎖的押し上げを主張する論者が少なからずいるが,GVS に関する限りは,上述の上二段と下二段の時期的ずれからみて,最下段から連鎖推移が始まったと考えるのは無理である.また,GVS の開始時期についても意見が分かれており,近年では13世紀にまで遡らせることができ,しかも上二段の変化はほぼ同時に始まったとする論者もいる (Stenbrenden 2010, 2016 など).
いわゆる GVS は,上二段と下二段に関する少なくとも2つの異なる音韻変化からなっていると考えた方がよさそうである.先に上二段の過程が,後に下二段の過程が開始され,振り返ってみれば全体として音韻がシフトしたように見えるというわけだ.上二段について引き上げなのか押し上げなのかという論争にも決着がついていない.
明日の記事で,影響力のある Minkova and Stockwell が近年提示した GVS の解釈を覗いてみたい.
・ 服部 義弘 「第3章 音変化」服部 義弘・児馬 修(編)『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 朝倉書店,2018年.47--70頁.
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 1. Copenhagen: Munksgaard, 1909.
・ Luick, Karl. Historische Grammatik der englischen Sprache. 2 vols. Oxford: Basil Blackwell, 1914--40.
・ Stenbrenden, Gjertrud Flermoen. The Chronology and Regional Spread of Long-Vowel Changes in English, c. 1150--1500. Diss. U of Oslo, Oslo, 2010.
・ Stenbrenden, Gjertrud Flermoen. Long-Vowel Shifts in English, c. 1150--1700: Evidence from Spelling. Cambridge: CUP, 2016.
近代英語期の始まる16世紀には,その後の英語の歴史に影響を与える数々の社会変化が生じた.「#1407. 初期近代英語期の3つの問題」 ([2013-03-04-1]) で紹介したとおり,Baugh and Cable (§156)は以下の5点を挙げている.
1. the printing press
2. the rapid spread of popular education
3. the increased communication and means of communication
4. the growth of specialized knowledge
5. the emergence of various forms of self-consciousness about language
これらの要因は,しばしば相重なって,英語の文法と語彙に間接的ながらも遠大な影響を及ぼすことになった.Baugh and Cable (§157, pp. 200--01) によれば,この影響力は急進的でもあり,同時に保守的でもあったという.どういうことかといえば,語彙については急進的であり,文法については保守的であったということだ.
A radical force is defined as anything that promotes change in language; conservative forces tend to preserve the existing status. Now it is obvious that the printing press, the reading habit, the advances of learning and science, and all forms of communication are favorable to the spread of ideas and stimulating to the growth of the vocabulary, while these same agencies, together with social consciousness . . . work actively toward the promotion and maintenance of a standard, especially in grammar and usage. . . . We shall accordingly be prepared to find that in modern times, changes in grammar have been relatively slight and changes in vocabulary extensive. This is just the reverse of what was true in the Middle English period. Then the changes in grammar were revolutionary, but, apart from the special effects of the Norman Conquest, those in vocabulary were not so great.
なるほど,近代的な社会条件は,開かれた部門である語彙に対しては,むしろ増加を促すものだろうし,閉じた部門である文法に対しては規範的な圧力を加える方向に作用するだろう(「近代的な」を「現代的な」と読み替えてもそのまま当てはまりそうなので,私たちには分かりやすい).
この引用でおもしろいのは,最後に近代英語期を中英語期と対比しているところだ.中英語では,上記のような諸条件がなかったために,むしろ語彙に関して保守的であり,文法に関して急進的だったと述べられている.「ノルマン征服によるフランス語の特別な影響を除いては」というところが鋭い.中英語の語彙事情としては,すぐにフランス語からの大量の借用語が思い浮かび,決して「保守的」とはいえないはずだが,それはあまりに特殊な事情であるとして脇に置いておけば,確かに上記の観察はおよそ当たっているように思われる.Baugh and Cable は,具体的・個別的な歴史記述・分析に定評があるが,ところどろこに今回のように説明の一般化を試みるケースもあり,何度読んでも発見がある.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
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