「#1715. Irelandにおける英語の歴史」 ([2014-01-06-1]) に引き続き,Fennell (195--97) よりウェールズにおける英語の歴史を略述する.
Pembrokeshire 南部は,Henry I の時代の1108年に,英語を話すイングランド・フランドル人が植民化した.その証拠に,この地域には英語風の -ton をもつ地名が多い.The Gower Peninsula も中世の時代から英語化されていた.これらの南部地域は他のウェールズ語地域から切り離されて歴史を歩んできたようだ.
一方,中世の北ウェールズでは,スコットランドと同様に勅許自治都市が設けられ,それらの都市を中心に英語を話す市民が交易や商業を営んだ.都市部は英語,農村部はウェールズ語という分布は,中世から近代にかけて連綿と続いた.
16世紀の Tudor 朝はウェールズの併合を狙っており,その戦略の一環として,都市部の言語である英語の権威を法律により確保した.その結果,英語は教育の言語として行き渡ることになった.しかし,最も大きな衝撃は,1536年と1542年の Acts of Union だろう.このイングランドとの連合により,法律や行政における英語使用がウェールズで義務づけられ,Elizabeth I 時代においては英語を学ぶことが出世の機会につながった.宗教関係では,1563年に聖書と礼拝がウェールズ語に翻訳され,これはウェールズ語の保持に貢献したが,その反面ウェールズ語は政治の世界から締め出されることになった.
17--18世紀を通じて,ウェールズの英語化は徐々に進行していった.速度がゆっくりだったのは,個人のバイリンガルこそ増えたものの,英語共同体とウェールズ語共同体が混ざり合うことが少なかったからである.しかし,19世紀は産業革命と教育法 (1881) の効果で,労働者階級も英語を話す機会が増え,英語の威信が高まる一方でウェールズ語は汚名を着せられるようになった.この時代,出稼ぎ労働者がウェールズ南東部へやってきたが,その出身地は当初はウェールズ西部や北部だったものの,じきにイングランドに変わった,1901年までには,イングランド出身者はその2/3以上となっていたという.これにより,南東部の英語の浸透とウェールズ語の衰退が進行した.ウェールズにおいて英語のモノリンガルは1921年で63%,1981年で81%と推移した.現在ではモノリンガルのウェールズ語話者はいない.
現在,ウェールズ語復興の運動が進められており,BBC放送や文学の媒体としてウェールズ語が用いられる機会はあるが,今後どうなるのかは未知数である.
・ Fennell, Barbara A. A History of English: A Sociolinguistic Approach. Malden, MA: Blackwell, 2001.
Fennell (198--200) を要約する形で,アイルランドにおける英語使用の歴史について略述する.アイルランドにおける英語の影響を歴史的に記述する上で,重要な時期が3つある.1つは,アイルランドにアングロ・ノルマン軍を送り込んだ Henry II (1133--89) の治世下の1171年である.しかし,このときには英語は威信を得られず,じきにアイルランド語話者によりアイルランド化されてしまった.1366年に Statutes of Kilkenny により英語の地位を補強する施策がなされたが,効果は出なかった.1550年代に宗教改革への反発から,プロテスタントを象徴する英語に対してカトリックを象徴するアイルランド語という構図が作り出され,16世紀中,アイルランドにおける英語の立場は風前の灯だった. *
しかし,続く17--18世紀は,英語の影響に関する第2期として重要な時期となった.この時期,イングランド人はプランテーションを建設することによりアイルランドを植民地化した.18世紀にはアイルランドの都市部では英語の威信が高まり,アイルランドの支配層も威信を求めて英語を学ぶようになった.独立の動きがあった1790年代には,すでに多くのアイルランド人が英語を話すまでになっていた.
決定的な影響を及ぼした第3期は,1800年の連合法 (Act of Union) によりアイルランドがイギリスに併合されて以降の時期である.英語は威信の象徴となり,反対にアイルランド語は発展の妨げと意識されるようになった.貴族の子弟は子供をイングランドに送って教育するまでになった.20世紀初期には J. P. Synge, Sean O'Casey, W. B. Yeats などがアイルランド英語による文学活動で成功を収め,英語の威信はいや増しに高まった.1800年の時点ではアイルランド人口の過半数がアイルランド語を母語としていたが,1851年にはその比率は23%まで減じ,さらに1900年には5%にまで落ちていた.1900年には,実に85%を超える人口が英語の単一言語話者となっていたのである.19世紀に英語話者比率が著しく増加した背景として,4つの要因が考えられる (Fennell 199) .
(1) the expansion of the railways out form English-speaking Dublin and Belfast;
(2) the spread of education, first in unofficial 'hedge' schools and then in the national schools from 1831, where English was promoted and the use of Irish actively discouraged;
(3) dramatic demographic change caused by famine and the massive emigration to America and other countries from 1830 to 1850. The famine particularly decimated the Irish-speakers in the west of Ireland, possibly halving the number of speakers.
(4) the association of English with progress, modernization and an international voice. . . . [E]ven nationalist politicians in Ireland preached their message in English, in the knowledge that it would bring them a wider audience.
1916年のイースター蜂起の後になって,アイルランド語がアイルランドのアイデンティティとしてみなされるようになったが,英語の基盤はすでに盤石となっていた.現在も,アイルランドのEUにおける立場は英語国としての立場に負っているし,Dublin の国際都市としての名声も英語に負っているともいえるのである.
・ Fennell, Barbara A. A History of English: A Sociolinguistic Approach. Malden, MA: Blackwell, 2001.
昨日の記事「#1713. 中米の英語圏,Bay Islands」 ([2014-01-04-1]) に引き続き,中米における英語圏について.今日は,Bluefields (Nicaragua) と Puerto Limón (Costa Rica) の英語事情に注目したい.
Nicaragua のカリブ海に面した港町 Bluefields は,British West Indian, Nicaraguan ladino, Miskito (Afro-Indian) の人々を混合させた多文化の地である.アフリカ系ヨーロッパ人は英語を母語として話し,それ以外は程度の差はあれスペイン語を話す.Nicaragua のカリブ海岸は19世紀半ばまでイギリスの支配下にあり,同種の周辺地域と同様に,英領西インド諸島を経由してやってきたアフリカ人やヨーロッパ人が住みつくことが多かった.現在,その子孫たちが英語を話していることになる.Bluefields の英語話者集団は,昨日の Bay Islands の英語話者集団と同様に,スペインを話す国内の多数派集団とよりも,周辺諸国の英語圏諸地域との連携のほうが強い(以上,Lipski, pp. 194--95 より).
次に,Costa Rica のカリブ海岸に面する Puerto Limón に話を移そう.「#1702. カリブ海地域への移民の出身地」 ([2013-12-24-1]) や「#1711. カリブ海地域の英語の拡散」 ([2014-01-02-1]) の年表で示したが,Puerto Limón の英語使用の歴史は,Bay Islands や Bluefields に比べて遅めである.この町の英語話者の先祖は,1871年以降に鉄道建設のために Jamaica などから連れてこられた大量の黒人労働者である.彼ら労働者たちは,一般の Costa Rica 国民からは隔離され,その後も現在に至るまで融合したとは言いがたい.Puerto Limón の英語話者比率は,Bay Islands や Bluefiedls に比べて低いが,英語による教育の機会などは与えられている(以上,Lipski, pp. 195--96 より).
昨日と今日の記事で Bay Islands, Bluefields, Puerto Limón など一般には知られていない中米の英語圏を話題にしたのは,母語としての英語が社会の少数派によって話されている地域が,現代世界に存在するという事実に注意を向けたかったからである.上記のいずれの地でも,英語の社会的な立場は,威信のある周囲の多数派言語であるスペイン語の圧力により,相対的に低い.一般的には英語は現代世界において威信のある言語であるということはできるかもしれないが,例外なくどこでもそうであるわけではない,という点は認識しておく必要がある.
・ Lipski, John M. "English-Spanish Contact in the United States and Central America: Sociolinguistic Mirror Images?" Focus on the Caribbean. Ed. M. Görlach and J. A. Holm. Amsterdam: Benjamins, 1986. 191--208.
中南米は植民史により英語ではなくスペイン語やポルトガル語が優勢の地域ではあるが,カリブ海に臨む中米諸国には英語が母語として話されている地域が点在している.これは,19世紀半ば,英植民地における奴隷制廃止に伴って生じた経済危機を受けて,地域の人口が移動したことに由来する.現在,公用語として英語を採用している Belize のほかにも,Bay Islands (Honduras), Bluefields を主とするカリブ海岸地域や Corn Islands (Nicaragua), Puerto Limón (Costa Rica), Livingston や Puerto Barrios (Guatemala),San Andrés と Providencia (Columbia),Bocas del Toro や Colón (Panama) などにおいて,英語が母語として話されている.今回は,Honduras の例を見てみよう.
Honduras 北東岸は Costa de Mosquitos と呼ばれており,人口は多くないが英語ベースのクレオール語を話すインディアン民族が住んでいる.北岸地域は La Costa Norte と呼ばれており,クレオール英語を話す黒人を含むいくつかの少数民族が住んでいる.その沖合に浮かぶ Islas de la Bahía (Bay Islands) では,1830年代にカリブ海の Cayman Islands から移民してきた人々の子孫が住んでおり,近年は本土からのスペイン語話者も移住してきているものの,英語が主たる母語として話されている(「#1702. カリブ海地域への移民の出身地」 ([2013-12-24-1]) 及び「#1711. カリブ海地域の英語の拡散」 ([2014-01-02-1]) の移民年表を参照).アメリカからの観光客にも人気が高い.
歴史的には Bay Islands は17世紀より海賊の温床であった.所有者を何度も変えてきたが,実質的に外から支配されることはなかったといってよい.現在,島民の大多数が黒人も白人も英語を母語として話しており,スペイン語の知識はあまりない.彼らは,島外に出るときには,本土を訪れるというよりもアメリカや西インド諸島の英語圏 (特に先祖の出身地である Jamaica や Cayman Islands)を訪れることのほうが多く,ホンジュラス本土との関係は比較的うすい.ただし,上記の現状は1986年の Lipski (193--94) に依拠したものなので,すでに古い情報になっているかもしれないことを断っておきたい.
・ Lipski, John M. "English-Spanish Contact in the United States and Central America: Sociolinguistic Mirror Images?" Focus on the Caribbean. Ed. M. Görlach and J. A. Holm. Amsterdam: Benjamins, 1986. 191--208.
カリブ海の英語の分布について,「#1679. The West Indies の英語圏」 ([2013-12-01-1]),「#1680. The West Indies の言語事情」 ([2013-12-02-1]),「#1702. カリブ海地域への移民の出身地」 ([2013-12-24-1]) で取り上げてきた.この地域の言語事情は実に複雑であり,主として社会言語学的な関心から "Caribbean linguistics" という名で研究が進められている.
英語事情をとってみても,移民の歴史,英語が拡散した歴史,pidgin や creole と標準英語の社会言語学的な関係,スペイン語など他の主要言語との共存など,問うべき課題は多い.問題の多様さと複雑さの背景には,歴史自体の多様さと複雑さがあるのだが,Holm (1) は3点を指摘している.その主旨を示すと,(1) この地域の英語の歴史は,個々の島や領土ごとの複数の英語史から成っており,1つの歴史にまとめることが難しい,(2) この地域の英語の拡散史は,イギリスの政治的権力の拡散史とは必ずしも一致していない,(3) この地域の伝統的な歴史記述は,政治史や経済史が主であり,言語史は pidgin や creole に付されていた否定的な評価ゆえに顧みられることが少なかった.(3) については現在では事情は変わってきているのだろうが,(1) と (2) はいかんともしがたい.(2) についていえば,例えば St. Lucia や Dominica は旧英国植民地だが,現在英語は概して第2言語として話されるにすぎない.一方,旧英国植民地ではないコスタリカの Puerto Limón やドミニカ共和国の the Samaná Peninsula では,現在英語が母語として話されている,などの事情がある.
この地域の移民史と英語拡散史の一端を「#1702. カリブ海地域への移民の出身地」 ([2013-12-24-1]) の記事でみたが,島・領土ごとに情報をまとめた資料が Holm の補遺 (18--19) に与えられていたので,それを示しておきたい.約30年前の古い情報ではあるが,移民の出身地,Holm 執筆当時に得られた人口などがまとめられており,地域の英語事情の概観を得るのに参考にはなるだろう(表中の人口欄の「---」は,他の行に算入されていることを示す).
Date of Settlement | Territory | Settled from | Current Population |
---|---|---|---|
1609 | Bermuda (Atlantic) | Britain, Africa | 55,000 |
1624 | St. Kitts (Leewards) | Britain, Africa, Ireland | 40,000 |
1627 | Barbados | Britain, Africa, Ireland | 280,000 |
1628 | Nevis (Leewards) | St. Kitts, Ireland | 15,000 |
1628 | Barbuda (Leewards) | St. Kitts, Ireland | 1,100 |
1631 | St. Martin (Dutch Ww.) | Leewards, Holland, France | 10,000 |
1631 | Providence (West Car.) | Britain, Bermuda, New England | 4,000 |
1631? | San Andrés (West Car.) | uncertain | 4,000 |
1632 | Antigua (Leewards) | St. Kitts | 74,000 |
1633 | Montserrat (Leewards) | St. Kitts, Ireland | 12,000 |
1636 | St. Eustatius (D. Ww.) | Leewards, Holland | 1,000 |
1640 | Saba (Dutch Windwards) | St. Eustatius, Leewards | 1,000 |
1648 | Bahamas (Eleuthera) | Bermuda | 240,000 |
1650 | Anguilla (Leewards) | Leewards | 6,500 |
1651 | Suriname (S. America) | Barbados (Sranan 1st lang.: 125,000) | 404,000 |
1655 | Jamaica | Barbados, Leewards, Suriname, Bermuda | 2,215,000 |
1666 | British Virgin Is. | Leewards | 12,000 |
1670 | Cayman Is. (West Car.) | Britain, Jamaica | 16,000 |
1670 | Carolina | Britain, Jamaica, Barbados, Bermuda, Bahamas | Gullah: 250,000 |
1672 | St. Thomas (Virgin Is.) | Leewards, Dutch Windwards, Denmark | --- |
1678 | Turks and Caicos | Bermuda | 7,000 |
1684 | St. John (Virgin Is.) | St. Thomas | --- |
to 1715 | Saramaccan (Suriname) | Coastal plantations | (20,000) |
from 1715 | Djuka (Suriname) | Coastal plantations | (16,000) |
ca. 1730 | Miskito Coast (C.A.) | Belize, Jamaica | 40,000 |
1733 | St. Croix (Virgin Is.) | Leewards, St. Thomas | --- |
1740's | (British) Guyana | Barbados, Leewards | 832,000 |
from 1760 | Aluku (Fr. Guiana) | Coastal plantations of Suriname | --- |
1763 | Dominica (Br. Windw.) | French Antilles (French Creole) | |
1763 | St. Vincent (Br. Ww.) | Leewards, Barbados | 112,000 |
1763 | Grenada (Br. Windw.) | Fr. Antilles, Leewards, Barbados | 108,000 |
1763 | Tobago | ? | --- |
from 1780 | southern Bahamas | U.S. South | --- |
1786 | Belize | Miskito Coast | 150,000 |
1786 | Andros, Bahamas | Miskito Coast | --- |
1797 | Trinidad | Windwards, Barbados, Bahamas | 1,150,000 |
1815 | St. Lucia | French Antilles (French Creole) | |
from 1824 | Samaná, Dominican Rep. | U.S. freedmen | 8,000 |
1827 | Bocas del Toro, Panama | San Andrés | --- |
1830's | Bay Islands, Honduras | Cayman Islands | 10,000 |
1849 | Nacimiento, Mexico | Afro-Seminoles | 300? |
from 1850 | Rama, east Nicaragua | Miskito Coast | 300? |
1870 | Bracketville, Texas | Nacimiento Afro-Seminoles | 300? |
1871 | Puerto Limón, Costa Rica | Jamaica, Eastern Caribbean | 40,000 |
1898 | Puerto Rico | United States | 100,000? |
1904--14 | Panama | Jamaica, Eastern Caribbean | 100,000? |
1917 | Virgin Islands | United States | total: 100,000 |
total: 6,398,500 |
南アフリカ (South Africa) では,1/10ほどの国民が英語を母語として話している.その意味では ENL (English as a Native language) 国といってよいが,Afrikaans, Xhosa, Zulu ほか多くの言語が国民によって用いられており,英米のような ENL 国とは状況が異なる(「#177. ENL, ESL, EFL の地域のリスト」 ([2009-10-21-1]) を参照).南アフリカで話されている英語変種については,「#408. South African English と American English の変種構成の類似」 ([2010-06-09-1]) で簡単に取り上げたが,今日は同国植民史と国旗の話をしたい.
1488年,ポルトガルの航海士 Bartholomew Diaz (1450?--1500) が喜望峰 (Cape of Good Hope) を周回してアジアへと向かう航路を,ヨーロッパ人として初めて開拓した.その後,多くのヨーロッパ船がこの航路を往来したが,17世紀初頭にはオランダとイギリスがこの航路のポルトガルによる独占支配に挑戦するようになった.1652年,オランダ東インド会社が,船舶のための供給基地として Table Bay (現在の Cape Town)に植民地を建設した.オランダ人植民者はオランダ語で農民を意味する Boer と呼ばれるようになり,後に Afrikaner とも呼称された.彼らはアフリカ各地,インド,マレーシアなどからの労働者を使役し,農業を営んで内陸部へ進出していった.そして,Khoekhoe や San などの先住民族と衝突すると,打ち負かしていった.
1795年,イギリスが Cape 植民地をオランダから奪い,1814年に買い取った.1820年,イギリスは,ボーア人とコサ族 (Xhosa) との紛争に割って入り,両者の新植民地を建設した.これによりイギリスの支配権は強まったが,地域の不安は増した.1830年代から40年代初頭にかけて,反抗するボーア人が Cape 植民地を脱出し,北部への移住 (the Great Trek) を開始した.結果として,1850年代にボーア人によりトランスヴァール国 (Transvaal) とオレンジ自由国 (Orange Free State) が建国された.
19世紀後半,金山が発見されると,イギリス人やドイツ人がこの地に押し寄せた.イギリス植民地 Natal とボーア人の Transvaal との間で緊張が高まり,後者が前者に軍事侵略したことで,ボーア戦争 (the Boer War; 1880--81, 1899--1902) が勃発.1902年にボーア人が降伏し,ボーア人の両共和国はイギリス植民地となった.1910年,Cape, Natal, Transvaal, Orange Free State の4植民地は,長い協議を経て,南アフリカ連邦 (Union of South Africa) へと統合.1961年に現在の南アフリカ共和国の名前に変わった.
南アフリカは以上のような複雑な植民史を経ており,国旗もそれを反映している.現在の国旗は下に掲げた左側のもので,6色(使用色数は世界最多)のデザインだが,これは1994年に改められたものである.それ以前の1928--94年には右側のような図案が用いられていた.この図案では,大きな国旗の中に3つの小さな国旗が配置されている.大きな黄白青の横縞の国旗は昔のオランダの国旗である.小さな国旗については,左が Union Jack,中央がオレンジ自由国の国旗,右がトランスヴァール国の国旗である.中央と右のものには,赤白青の縞が見えるが,これは現在のオランダの国旗である.つまり,全体としてオランダのルーツ(ボーア人)をとどめながらも,イギリス植民地としての歴史をも刻んでいる,植民史を体現したような国旗だったといえよう.
この4日間の記事 ##1698,1699,1700,1701 で,Gramley の英語史のコンパニオンサイトより,7章のための補足資料を参照しながら,英語圏の人々の移住とそれに伴う英語拡散の歴史を,目的地あるいは出身地により整理してきた.今日はこの一連の話題の最後として,同資料の pp. 7--8 より,カリブ海地域 (the Caribbean) への人々と英語の進出を整理したい.
FROM | TO |
---|---|
17th Century Movements | |
Britain | Bermuda (1609); Providence Island (1631); Cayman Islands (1670) |
Ireland | St. Kitts (1624); Barbados (1627); Nevis, Barbuda (1628) |
Africa | Bermuda (1609) |
Bermuda | Providence (1631); Bahamas (1648); Jamaica (1655); Turks + Caicos (1678) |
New England | Providence (1631) |
St. Kitts | Nevis, Barbuda (1628); Antigua (1632); Montserrat (1633) |
The Leeward Islands | Anguilla (1650); Jamaica (1655); St. Thomas (1672) |
Barbados | Suriname (1651); Jamaica (1655) |
Suriname | Jamaica (1655) |
Jamaica | Cayman Islands (1670) |
St. Thomas | St. John (1684) |
18th Century Movements | |
Belize | the Moskito Coast (1730) |
Jamaica | the Moskito Coast (1730) |
Leewards | St. Croix (1733); Guyana (1740s); St. Vincent, Grenada (1763) |
St. Thomas | St. Croix (1733) |
Barbados | Guyana (1740s); St. Vincent, Grenada (1763), Trinidad (1797) |
American South | Bahamas (1780ff) |
Moskito Coast | Belize, Andros, Bahamas (1786) |
Windwards | Trinidad (1797) |
19th Century Movements | |
US (freed slaves) | Samaná (Dominican Republic) (1824) |
San Andrés | Cocas del Toro (Panama) (1827) |
Cayman Islands | Bay Islands (Honduras) (1830s) |
Jamaica | Puerto Limón (Costa Rica) (1871) |
US | Puerto Rico (1898) |
20th Century Movements | |
Jamaica | Panama (1904--1914) |
US | the American Virgin Islands (1917) |
「#1699. アメリカ発の英語の拡散の年表」 ([2013-12-21-1]) の記事では,アメリカ「から」の人々の移住と英語の拡大の歴史を一覧したが,アメリカ「へ」の人口流入の歴史も,アメリカ英語の形成過程を論じる上では重要な知識である.アメリカ移民史は一大分野をなすが,英語史の話題として論じるにあたっては,簡便なリストが手元にあると重宝する.「#158. アメリカ英語の時代区分」 ([2009-10-02-1]) よりは詳しいが,本格的な移民史よりは簡略な表が,Gramley の英語史のコンパニオンサイトにあった.7章のための補足資料 (pp. 6--7) より再現しよう.一部,目的地として米国以外の地域も含まれている.
FROM | TO |
---|---|
Southern England | Eastern New England, the coastal South (from the early 17th century) |
The Caribbean | Virginia and the plantation South (from the early 17th century) |
Northern England, Scotland, Ulster | Southeast Pennsylvania, the Piedmont, and the Appalachian South (all from the late 17th century) |
Germany | Pennsylvania (from the late 17th century) |
The 13 colonies | Upper Canada, the Maritimes (in the late 18th century) |
Haiti | Louisiana (in the late 18th century) |
New England | Northwest Territory (from the early 19th century) |
Pennsylvania, Maryland, Virginia, and the Carolinas, and Georgia | the Ohio Valley and Southern Appalachians (from the 18th century) |
US (freed slaves) | Liberia (from 1822) |
Upper Canada | the Prairie and Mountain provinces; British Columbia (19th century) |
Midwest | the Oregon Territory, California, and the Mountain West (19th century) |
New England | Hawaii (late 19th century) |
Far West | Alaska (late 19th century) |
US (colonial administration) | Philippines (from 1898--1946) |
昨日の記事「#1699. アメリカ発の英語の拡散の年表」 ([2013-12-21-1]) を受けて,今日はイギリス版を.昨日と同様,Gramley の英語史のコンパニオンサイトより,7章のための補足資料の p. 6 を転載する.イギリス諸島のどの地域から,世界のどの地域へ人々と英語が移動したかを時代順に示したものである.
FROM | TO |
---|---|
Southwest England | Southeastern Ireland (from 1556 to well into the 17th century) |
Scotland + England | Ulster (from 1606 to the 1690's) |
England + Scotland | North America (from 1607) |
Britain + Ireland | the Caribbean (esp. Barbados) (from 1627) |
Britain + Ireland | Australia (from 1788) |
England | South Africa (from 1820) |
Britain + Australia | New Zealand (from 1820) |
Britain (exploration, trade, colonial administration) | West Africa: Gambia (1661, 1816); Sierra Leone (1787); Ghana (1824; 1850); Nigeria (1851, 1861); Camero on (1914) |
East Africa: Uganda (1860's); Malawi (1878); Kenya (1886); Tanzania (1880's) | |
Southern Africa: South Africa (1795); Botswana (19th century); Namibia (1878); Zambia (1888); Zimbabwe (1890); Swaziland (1894) | |
South Asia: India (1600); Bangla Desh (1690); Sri Lanka (1796); Pakistan (1857) | |
Southeast Asia: Malaysia (1786); Singapore (1819); Hong Kong (1841) |
昨日の記事「#1698. アメリカからの英語の拡散とその一般的なパターン」 ([2013-12-20-1]) で,アメリカを中心地とする英語の拡散について話題にした.近代から現代にかけての英語の拡散の中心地といえば真っ先にイギリス,すなわち大英帝国の存在が思い浮かぶが,19世紀以降のアメリカ発の拡散も,現在の英語の分布に大きく貢献している.
アメリカ発の英語の拡散も,その領土の拡大と二人三脚で進行した.イギリスと比較した場合のアメリカの領土拡大の特徴は,世界を目指す外的な拡大ではなく,概ね北米にとどまる内的な拡大だった点である.確かに,「#255. 米西戦争と英語史」 ([2010-01-07-1]),「#1589. フィリピンの英語事情」 ([2013-09-02-1]),「#1697. Liberia の国旗」 ([2013-12-19-1]) の記事で取り上げた Guam, Puerto Rico, the Philippines, Liberia などのように,世界への展開もあるにはあるのだが,基本的には内的な拡大とみてよい.アメリカの領土拡大と英語拡散の歴史については,「#1368. Fennell 版,英語史略年表」 ([2013-01-24-1]),「#1377. Gelderen 版,英語史略年表」 ([2013-02-02-1]),「#215. ENS, ESL 地域の英語化した年代」 ([2009-11-28-1]) などで触れているが,とりわけこの点に注目した年表を以下に掲げたい.Gramley の英語史のコンパニオンサイトの,著書の7章に相当する補足資料の p. 5 より抜き出したものである.
1. The original extent of the US according to the Treaty of Paris at the end of the War of Independence in 1783 extended to the Mississippi River.
2. In 1803 the Louisiana Purchase, the territory ceded to the U.S. by Napoleon for $15 million, doubled the territory of the US, which now reached the Rocky Mountains.
3. First West Florida (1810 and 1813) and then East Florida (1819) were taken from Spain by invasion and the payment of $5 million.
4. Texas, once a Mexican state, then an independent republic run by American settlers since 1836, was annexed by the US in 1845.
5. The Northwest Territory (Oregon, Washington, and British Colombia), claimed by Britain and the U.S. as well as Spain and Russia, was peaceably divided between the former two in 1846.
6. In the Mexican-American War (1846--1848) vast conquered areas in the west (California) and southwest (New Mexico, Arizona) were annexed. The US indemnified Mexico for $10 million. Many speakers of Native American languages and Spanish became US citizens.
7. Further Mexican territory (the Gadsden Purchase, 1853) was acquired for $10 million to ease the building of a rail line to California.
8. The US bought Alaska from Russia for $7.2 million in 1867 (Seward's Folly). The original Inuit peoples are today a distinct minority.
9. The kingdom of Hawaii (formerly known as the Sandwich Islands) became a republic after a coup by Americans living there in 1893. It was annexed in 1898. Today the Hawaiian language is making something of a comeback within a context of a society dominated by StE and Hawaiian Creole English.
10. The Spanish-American War ended with the US taking over numerous territories, some such as Cuba only temporarily, others longer. Today Puerto Rico is a commonwealth, Spanish-language American territory, and Guam in the Pacific, a bilingual territory. The Philippines, for which the U.S. paid Spain $20 million, remained an American colony until 1946. Pilipino is the national language in this very multilingual country, and English is a widely used L2.
19世紀の最初の2/3の時期のあいだに,アメリカ合衆国は大西洋沿岸から内陸へ,西へ南へ北へと領土を拡大した.この時期に,アメリカは北米に盤石な基礎を作りあげた.19世紀後半からは,Hawaii, Guam, other Pacific islands, the Philippines, Puerto Rico, the American Virgin Islands など世界へも進出したが,その頃までには,世界には進出できる主要な地域は多く残されていなかったのが実態である.
上記の Gramley の補足資料には,その他にも人々の移住と英語の拡散との関係をまとめた表が盛りだくさんで,重宝する.
・ Gramley, Stephan. The History of English: An Introduction. Abingdon: Routledge, 2012.
昨日の記事「#1697. Liberia の国旗」 ([2013-12-19-1]) で,Liberia の英語が,イギリス英語ではなくアメリカ英語に基礎を置いている歴史的背景を略述した.「#376. 世界における英語の広がりを地図でみる」 ([2010-05-08-1]) では歴史的にイギリス英語とアメリカ英語の影響化にある地域を図示したが,今日はアメリカ英語を基盤とした英語の世界展開,さらに英語の世界展開の一般的なパターンについて考えてみたい.
移民,征服,交易などによる人々の移動は,言語そのものの地理的拡大に貢献する.これは,geolinguistics や geography of language と呼ばれる分野で専門的に取り扱われる話題である.19世紀より前には,英語の中心地はブリテン諸島にあり,そこから英語が植民や交易により北アメリカ,カリブ海,アフリカ,オーストラリア,ニュージーランド,アジアなどへと展開していた.しかし,19世紀に近づくと,アメリカが英語の拡散のもう一つの中心地として成長してきた.英語は,そこからアメリカ西部,アラスカ,カナダを始め,カリブ海,ハワイ,フィリピン,リベリアなどへも展開した(関連して「#255. 米西戦争と英語史」 ([2010-01-07-1]) を参照).アメリカからの英語の拡散を駆動した要素は,当初はイギリスの場合と同様に重商主義 (mercantilism) と領土の拡大 (territorial expansion) だったが,19世紀終わりまでには,新たに宗教と文明という要素もアメリカ発の英語の拡大に貢献した.
やがて,New England から出発してカナダに入った英語も,それ自身がもう一つの中心となろうとしていた.こちらは北米の外へ展開することはなく,内部的な拡散でとどまったが,拡散の過程で新たな中心地が生み出されたという点では,イギリスやアメリカが先に示していたパターンと変わるところがない.英語の拡散の過程で生まれた中心地と,そこからのさらなる拡散を,Gramley (159) の図を参考に,下のように表わしてみた.
この英語の拡散のパターンは世界の至る所で繰り返された.イギリス英語の流れを汲む Jamaica の英語も,それ自体が拡散の中心となり,中央アメリカの沿岸部へ影響を及ぼした.Western Jamaica から広がった Belize, Bay Islands, Corn Islands, Blue Fields, Puerto Limón の英語がその例である.また,Australia は,New Zealand, the Solomon Islands, Fiji, Papua New Guinea への展開の中心地となったし,South Africa は Namibia, Zimbabwe, Lesotho, Malawi への展開の中心地となった.極めて類似したパターンである.
英語は,他の帝国主義国の言語と異なり,このパターンにより大成功を収めたのである.Gramley (159--60) は,英語の拡大の成功について次のように分析している.
What we see, then, is economically and demographically motivated expansion and closely related to it, a geographical spread of English to a unique extent. While the other major European colonial powers, Spain, Portugal, France, and The Netherlands, also acquired colonial empires, they differed because they did not establish settler communities which repeated the process of expansion to the degree that Britain did. In the case of Russia there was "merely" what is most frequently seen as "internal" expansion eastward. And the late-comers to the field, Germany, Italy, and Japan, were able to acquire relatively few and less desirable territories and were knocked out of the game at the latest by losing World War I (Germany) or World War II (Japan, Italy).
・ Gramley, Stephan. The History of English: An Introduction. Abingdon: Routledge, 2012.
イングランドの航海士・探検家の William Bligh (1754--1817) は,James Cook (1728--79) の南洋の最終航海にも付き従った腕利きの船乗りだった.西インド諸島のプランテーション経営者より,奴隷用の食料としてのパンノキを確保する方法を探るよう求められ,1787年12月,Bligh は海軍の科学調査船バウンティー号 (HMS Bounty) の船長として Tahiti への航海に出た.船上の指揮や天候等の幾多の困難の末,1788年10月に Tahiti に到着した.数ヶ月の滞在の後,1789年4月4日にイングランドへの帰路についたが,船員の無能に腹を立てることの多かった Bligh に対して,長年の右腕であった航海仲間 Fletcher Christian (1764--c1790) が,4月28日,9人の仲間とともに反乱を起こした.世に知られる "Mutiny on the Bounty" である.Bligh と18人の船員はボートで海に流されたが,Bligh は不屈の精神で翌年イングランドにたどりつく.一方,バウンティー号に残った Christian 一行は,Tahiti に戻るが,その後現地の男女数名を引き連れて,Tahiti の南東へ2000キロ以上も離れた Pitcairn Island へたどり着き,船を焼き払って小さな植民地を設立した.その後20年弱の詳細は不明だが,1808年,アメリカの捕鯨船によって彼らの子孫が島で生き延びていることが発見された.
Pitcairn はこの事件に先立つ1767年に英国船によって発見されていたが,当時は無人だった.人が住み始めたのはこの事件がきっかけであり,現在,島民のほとんどが「反乱者たち」の末裔である.Pitcairn は,19世紀にはアメリカとオーストラリアの間の捕鯨基地として機能したが,1856年に人口過剰を解消すべく島民の一部が現在のオーストラリア領 Norfolk Island へ移住した.
現在も,英領 Pitcairn と豪領 Norfolk Island では,反乱事件とその後の経緯で生じた creole である Pitkern が話されている.英語とタヒチ語が完全に入り交じった混成語である.どちらの言語が基盤であるか分からないほどの混成ぶりであり,"dual-source creole" の例と言われる.Norfolk Island における creole は,英語の影響を受けて post-creole 化している.Trudgill (183) の記述を引用しよう.
Pitcairnese, the language of the remote Pacific Ocean island Pitcairn, is a dual-source creole which is the sole native language of the small community there. The Pitcairnese are for the most part descendants of the British sailors who carried out the famous mutiny on the Bounty and Tahitian men and women who went with them to hide on Pitcairn from the British Royal Navy. Their language is a mixed and simplified form of English and Tahitian (a Polynesian language) . . . . Pitcairnese also has speakers on Norfolk Island, in the Western Pacific, who are descended from people who resettled there from Pitcairn. On Norfolk Island, the language is in close contact with Australian English, and is consequently decreolizing (in the direction of English, not Tahitian). We can therefore describe it as a dual-source post-creole.
両地域の詳細については,CIA: The World Factbook より Pitcairn Islands および Norfolk Island を参照.
・ Trudgill, Peter. Sociolinguistics: An Introduction to Language and Society. 4th ed. London: Penguin, 2000.
単に the Commonwealth とも.英連邦,イギリス連邦などと訳される.「英国王を結合の象徴としてイギリスと,かつて英帝国に属し,その後独立したカナダ・オーストラリア・ニュージーランド・インド・スリランカなど多数の独立国および属領で構成するゆるい結合体」である.母体は1917年に設立された.
19世紀前半に形成されたイギリス帝国内での本国対植民地という支配・被支配構造は,第1次世界大戦後に,対等な独立国家間の連邦体制に取って代わられた.この頃から,the British Commonwealth of Nations の名が次第に用いられるようになってきた.ただし,当初の加盟国は少数の白人国家にすぎなかったため,帝国的な色彩は残っていた.現在のように多人種共同体となったのは第2次世界大戦後のことであり,1949年の連邦首脳会議において,イギリス王に対する忠誠の義務はなくなり,イギリス中心的な要素も弱まった.そこで,名前も the Commonwealth of Nations と改められた.
The Commonwealth の公式サイトによると,現在の加盟国は53カ国である.加盟国の合計人口は約20億人である.以下に加盟国を地域ごとに一覧しよう.
・ Africa: Botswana, Cameroon, Ghana, Kenya, Lesotho, Malawi, Mauritius, Mozambique, Namibia, Nigeria, Rwanda, Seychelles, Sierra Leone, South Africa, Swaziland, Uganda, United Republic of Tanzania, Zambia
・ Asia: Bangladesh, Brunei Darussalam, India, Malaysia, Maldives, Pakistan, Singapore, Sri Lanka
・ Caribbean and Americas: Antigua and Barbuda, Bahamas, The, Barbados, Belize, Canada, Dominica, Grenada, Guyana, Jamaica, St Kitts and Nevis, St Lucia, St Vincent and The Grenadines, Trinidad and Tobago
・ Europe: Cyprus, Malta, United Kingdom
Pacific: Australia, Fiji, Kiribati, Nauru, New Zealand, Papua New Guinea, Samoa, Solomon Islands, Tonga, Tuvalu, Vanuatu
本部はロンドンにあり,2年ごとにいずれかの加盟国において首脳会議を開くことになっている.首脳はすべて非公式に個人の立場で出席するので,国際政治機関ではなく,緩やかに形成された国際クラブといったところだろう.現在では国際的な発言力はほとんどなくなっている.実際,去る11月15日?17日に,英連邦首脳会議がスリランカのコロンボで開催され,キャメロン英首相はそこで影響力を示そうと,スリランカ内戦時の戦争犯罪疑惑の早期解明を求めたが,スリランカや他国はこれを内政干渉としてと受け止め,拒否した.18日付けの読売新聞記事のタイトルは「英,連邦内の威信低下」だった.出席した国は27カ国にとどまるなど,形骸化が進んでいる.また,加盟国資格の停止を契機に2003年に脱退したジンバブエや,今年10月に「英連邦は新植民地主義だ」として脱退したガンビアの例など,求心力が失われてきている.
英連邦の威信低下の背景には,世界情勢の変化がある.英国は,旧宗主国として旧植民地や旧自治領に経済支援を行うことで威信を保ってきた経緯があるが,インドやマレーシアなど自ら経済成長を遂げて援助を必要としなくなった国も増えてきた.
さて,英連邦を英語という観点からみると何が言えるだろうか.ポルトガル語を公用語とする Mozambique を除けば,すべての加盟国において,実際上,英語が公用語の地位におかれている.この点において,英連邦は,広い意味での「英語国」によって構成される世界最大の連合体であるといえる.もっとも,現在英語は「英語国」の特権的な所有物ではなく,広く世界の lingua_franca として機能していることを考えれば,現在,この世界最大の英語国の連合体が果たしてどれほどの意義をもつのか,疑問を感じざるを得ない.
バルカン諸国 (the Balkans) における民族・宗教・言語の分布が複雑なことはよく知られている.バルカン半島は,「#1314. 言語圏」 ([2012-12-01-1]) を形成しており,「#1374. ヨーロッパ各国は多言語使用国である」 ([2013-01-30-1]) の好例となっており,「#1636. Serbian, Croatian, Bosnian」 ([2013-10-19-1]) という社会言語学的な問題を提供しているなどの事情により,社会言語学上,有名にして重要な地域となっている.以下,Encylopædia Britannica 1997 より同地域の民族分布図を以下に掲載する.言語分布図については,今回の話題に関するところとして Ethnologue より Greece and The Former Yugoslav Republic of Macedonia と,「#1469. バルト=スラブ語派(印欧語族)」 ([2013-05-05-1]) で言及した Distribution of the Slavic languages in Europe を挙げておこう.
マケドニア共和国 (The Former Yugoslav Republic of Macedonia) は,人口約200万を擁するバルカン半島中南部の内陸国である.国民の2/3以上がマケドニア語 (Macedonian) を用いており,公用語となっているが,国内で最大の少数民族であるアルバニア人によりアルバニア語 (Albanian) も話されている(人口統計等は Ethnologue より Macedonia を参照されたい).マケドニア語は South Slavic 語群の言語で,Serbian や Bulgarian と方言連続体を形成している.後述するように,マケドニア語は,この南スラヴの方言連続体と,従属の歴史ゆえに,現在に至るまで言語の autonomy の問題に苦しめられている.
マケドニア人とこの土地の歴史は古い.Alexander the Great (356--23 BC) を輩出した古代マケドニア王国は西は Gibraltar から東は Punjab までの広大な帝国を支配した.古代マケドニア語 (Ancient Macedonian) は南スラヴ系の現代マケドニア語 (Macedonian) とはまったく系統が異なり,またギリシア語とも区別されると言われるが,ギリシア人は古代マケドニア語をギリシア語の1方言とみなしてきた経緯がある.ギリシアはギリシア語の autonomy に対する古代マケドニア語の heteronomy という主従関係を政治的に利用して,マケドニアを自らに従属するものとみなしてきたのである.ギリシア北部には歴史的に Makedhonia を名乗る州もあり,マケドニアにとっては南に隣接するギリシアから大きな政治的圧力を感じながら,国を運営していることになる.実際,ギリシアはマケドニア共和国の独立を,主権侵害とみなしている.
さて,紀元後の話しに移る.マケドニアは6世紀にビザンティン帝国の一部であったが,550--630年の間に,この地にカルパチア山脈の北からスラヴ民族が侵入した.以来,マケドニアの支配的な言語はギリシア語とスラヴ語の間で交替したが,15世紀末にはオスマン帝国の一部に組み込まれた.1912--13年のバルカン戦争ではセルビア人の支配下に入り,1944年にはユーゴスラヴィア共和国へ統合された.この従属の歴史の過程で,マケドニアで話されていた南スラヴ語は,セルビア人にとってはセルビア語の1方言とみなされ,ブルガリア人にとってはブルガリア語の1方言とみなされ,自らの言語的な autonomy を獲得する機会をもつことができなかった.現在でも,セルビア人やブルガリア人はマケドニア語の自立性を,すなわちその存在を認めていない.マケドニアにおいては,政治的従属の歴史は言語的従属の歴史だったといってよい.
このように複雑な歴史をたどってきたにもかかわらず,マケドニアという呼称が土地名,国名,民族名,言語名に共通に用いられていることが問題を見えにくくしている.古代マケドニア語(民族)と現代マケドニア語(民族)は指示対象が異なるというのもややこしい.周辺の3国は,この混乱を利用してマケドニアへの政治的圧力をかけてきたのであり,マケドニア語は,その後ろ盾となるはずの独立国家が成立した後となっても,いまだ不安定な立場に立たされている.autonomy 獲得に向けての道のりは険しい.
以上,Romain (15--17) を参照して執筆した.
・ Romain, Suzanne. Language in Society: An Introduction to Sociolinguistics. 2nd ed. Oxford: OUP, 2000.
昨日の記事「#1610. Viking の語源」 ([2013-09-23-1]) で,''Viking' = 「入り江に住む者」の説を紹介した.入り江とは,海が陸地に入り込んだ静かな湾のことである.この入り江の地理的特徴に注目して,渡部昇一先生が,ヴァイキングや日本人のような海洋民族の発生について,興味深い説を紹介している.
ヴァイキングがどうして来たかというと、あれはやはり耕す場所がないから、ある程度人口が増えると海に乗り出さざるをえなかったんだと思うんですね。おもしろいセオリーがあります。海洋民族というか、海に乗り出す民族というのは、必ず故郷には静かな小さな海があるというんです。ヴァイキングなんかもフィヨルドが細く長くて非常に静かですから、そこで船の操作を覚えて、いつの間にか海に親しみを持つんですね。そうして、ある時期にパーッと外へ乗り出す。ちょうど日本でも同じように瀬戸内海があったもんですから、ここで船に乗って訓練をして、あるときから和冦になって荒らし回ったりする。つまり静かな海がないところでは海洋民族はできないというんですね。アフリカだとかインドというのは、いきなり大洋に面しちゃうもんですから、海が圧倒的に強くて征服できない。結局、海洋民族にならない。海洋民族は必ず静かな海があるところで舟を操るのがうまくなってから出てくるという説があります。(59--60)
瀬戸内海とは規模は違うが,北海 (the North Sea) もある意味では内海である.ヴァイキングにとって,スカンディナヴィア西岸のフィヨルドの入り江は操船の訓練地だった.そこで基本的な技術を習得した後に,中級レベルの北海で実践し,さらに上級レベルの大西洋へも乗り出していった.
デーン人やノルウェー人の北海進出と,それに続くイギリス諸島およびノルマンディへの侵入の経路は,スカンディナヴィア人の故郷からの目線で眺めると,よく理解できる.湖の対岸に向かうがごとき船旅である.北海周辺の地図を時計回りに90度回転させれば,北海上の自然な航路を同定することができるだろう.
ブリテン島の東部・北部が文化的にも言語的にも北方的である理由が,地勢としてよくわかる.同様に,ブリテン島の南部が大陸的(フランス的)である理由,西部がとりわけ島嶼的(ケルト的)である理由も納得できるだろう.
・ 渡部 昇一,ピーター・ミルワード 『物語英文学史 --- ベオウルフからバージニア・ウルフまで』 大修館,1981年.
古英語 West-Saxon 方言の y で表わされる母音が,中英語では方言により i, u, e などとして現われることについては,「#562. busy の綴字と発音」 ([2010-11-10-1]),「#563. Chaucer の merry」 ([2010-11-11-1]),「#570. bury の母音の方言分布」 ([2010-11-18-1]),「#1434. left および hemlock は Kentish 方言形か」 ([2013-03-31-1]) などの記事で取り上げた.
14世紀後半より書き言葉の標準が徐々に発達していたときに,どの方言形が標準的な形態として最終的に選択されたかにより,現代英語の busy, bury, merry などに見られるような,綴字と発音の種々の関係が帰結してしまった.「#562. busy の綴字と発音」 ([2010-11-10-1]) では「個々の語の標準形がどの方言に由来するかはランダムとしかいいようがない」と述べたが,標準化に際して,現代英語の kin や sin につらなる単語など,大多数が北部・東部に由来する i を反映することになったことは事実である.傾向として i が多かったという事実については,何らかの説明が可能かもしれない.
この問題について,地村 (33--35) は G. Kristensson ("Sociolects in 14th-Century London." Nonstandard Varieties of Language: Papers from the Stockholm Symposium 11--13 April 1991. Stockholm: Almqvist & Wiksell International, 1994. 103--10) の議論に拠りながら,14世紀のロンドンに流入した Norfolk 出身の人々が担っていた社会言語学的な役割を指摘している.14世紀初頭のロンドンへの移民リストのなかで,Norfolk 出身者がトップの座を占めていた.Norfolk からの著しい人口流入は少なくとも1360年までは続いており,これらの Norfolk 移民は主として行政や商業に関する職業に就いていたため,ロンドンにおいて社会的に優勢な集団を形成していたと考えられる.そして,彼らの社会的な地位とともに,彼らが故郷からもってきた北部・東部系の i の地位も上昇し,最終的にロンドンにおいて威信ある発音として受け入れられたのではないかという.
ロンドンにいるノーフォーク出身の人々は人口の上層部、つまり行政方面で影響を与える商人の階級を形成したことがわかる。彼らの方言は次の点でロンドンの地方言とは逸脱していた。OE /y(:)/ に対して /i(:)/、stret におけるように OE /æ:/ に対して /ɛ:/ または /e:/、fen におけるように OE /e/ に対して /e/、milk におけるように OE /eo/ に対して /i/、flax, wax のような語では /a/、old, cold のような語では /ɔ:/、fen, fair のような語では /f-/ である。ロンドン英語におけるこの変種は14世紀前半に生じて、14世紀後半では重要な社会方言として目立つようになったと言っても過言ないであろう。この英語は、裕福な商人の階級の属する人達によって使用され、恐らく格式の高い方言となり、フランス語とラテン語が公用語の地位を失った時、(政府の)官庁で使われた模範的な言語となった。政府高官の多くはノーフォークの移住民集団に所属していたように思われる。(地村,pp. 33--35)
では,なぜ Norfolk からの移民がこの時期これほどまでに著しかったのだろうか.1つには,この地域がイングランドで最も人口密度の高い地域であったことが挙げられる.しかし,より重要なことは,Norfolk 人の多くが,イングランドに大きな富をもたらす羊毛産業に従事していたことである.さらに,Norfolk は古英語後期からの歴史的事情によりスカンディナヴィア系の人口を多く抱えており,農民は他の地域の農奴 (villein) よりも自由な地位を有していたために,産業活動の発達と商人階級の勃興が促されたという事情もあったろう.
以上のような人口分布,経済活動,歴史的条件が相俟って,Norfolk 方言がロンドンにおいて幅を利かせることとなったということが事実だとすれば,これはまさに「#1543. 言語の地理学」 ([2013-07-18-1]) の話題だろう.その記事の終わりに示した「エスニーの一般的特徴」の図において枠で囲ったキーワードのほとんどが,上の議論に関与している(すなわち,言語,領域,住民,経済,社会階級,都市網,主要都市,政治制度).
・ 地村 彰之 『チョーサーの英語の世界』 溪水社,2011年.
今回は,「#1145. English と England の名称」 ([2012-06-15-1]) に対する補足と追加の記事.5世紀半ばにアングル人 (Angles) ,サクソン人 (Saxons) ,ジュート人 (Jutes) を中心とする西ゲルマンの諸部族がブリテン島へ移住してきてから,これらの部族を統括して呼ぶ名称や,彼らが新しく占拠した土地を呼ぶ名称は,誰がどの言語で呼ぶのかによっても変異があったし,時代とともに変化もしてきた.結果としては,Angle びいきの総称が選ばれ,形容詞や言語名の English や国名の England が一般化した.なぜ Saxon や Jute を差し置いて Angle が優勢となったのかについては明確な答えがないが,推測できることはある.
少なくとも8世紀から,ラテン語で Angli Saxones という表現が用いられていた.ここでは Angli は形容詞,Saxones は複数名詞で「アングル系サクソン人たち」ほどの意味だった.これは,大陸に残っていたサクソン人たち (Old Saxons) と区別するための呼称であり,形容詞 Angli にこめられた意味は「アングル人と一緒にブリテン島に渡った」ほどの意味だったと思われる.やがて,対立を明示する形容詞 Angli に力点が移り,これが固有名と解されて独立したということは,ありそうなことである.もしこのような経緯で8世紀中に Angli がブリテン島に住み着いた西ゲルマン民族の総称および領土名として再解釈されていったと考えれば,9世紀に Bede の古英語が出された際に,Angelcynn (gens Anglorum の訳)が総称的に用いられていた事実が特に不思議ではなくなる.また,同時期の880年頃には,Alfred 大王と Guthrum との間で取り交わされた条約のなかで "Danish" に対して "English" が用いられている.さらに,言語名としての Englisc も,やはり同時期に,Bede 古英語訳や Alfred のテキストに現われている.
このように,Englisc は9世紀中に形容詞あるいは言語名として定着したが,領土名としての Angelcynn が Engla land 系列に置き換えられるのは,11世紀の Chronicle を待たねばならなかった.Engla land のほか,Engle land, Englene londe, Engle lond, Engelond, Ingland なども行なわれたが,後に定着する England が現われるのは14世紀のことである.
以上,Crystal (26--27) に拠った.
・ Crystal, David. The Stories of English. London: Penguin, 2005.
timeline の各記事で書きためてきた英語史年表シリーズに,『英語史入門』から橋本版の略年表 (216) を加えたい.英語史の最重要事項に絞られているが,右2列に日本史の流れが合わせて示されており有用.
55--54 BC | シーザー英国征服失敗 | ||
43 AD | クローディアス英国征服 | ||
410 | ローマ兵士本国に引き揚げる | ||
c405 | ラテン語訳聖書 (The Vulgate) 翻訳完成 | ||
432 | St. Patrick がアイルランドで布教開始 | ||
449 | Angle, Saxon, Jute の英国侵入開始 | 538 | 仏教伝来 |
c563 | St. Columba がスコットランドで布教開始(北から南下するアイリッシュ・キリスト教) | ||
597 | St. Augustine ケントで布教開始(南から北上するローマ・カトリック教) | 604 | 十七条の憲法制定 |
645 | 大化の改新 | ||
664 | Whitby 宗教会議(キリスト教2派の対立を収拾するための宗教会議) | 672 | 壬申の乱 |
c680 | Beowulf 絎???? | ||
c700 | 最古の英語の文献現れる | 708 | 和同開珎の鋳造 |
710--94 | 奈良朝 | ||
735 | Bede 死す | 712 | 『古事記』 |
787 | Viking の英国侵入開始 | 720 | 『日本書紀』 |
871 | Alfred 大王が Wessex 国王に就任 | 794--1192 | 平安朝 |
886 | デーン・ロー (Danelaw) のとり決め(アングロ・サクソン人とヴァイキングの居住区域の協定) | 797 | 『続日本紀』 |
c900 | 『竹取物語』 | ||
1016--42 | ヴァイキングの王カヌートが英国の王に就任(ヴァイキングの言葉が公用語になる) | c1000 | 『枕草子』 |
c1010 | 『源氏物語』 | ||
c1059 | 『更級日記』 | ||
1066 | ノーマン・コンクエスト(ヴァイキングの子孫でフランス国王の公爵ノルマンディー公が英国の王に就任.英国の公用語がフランス語になる) | c1120 | 『今昔物語』 |
1171 | Henry II がアイルランド侵攻 | 1192--1333 | 鎌倉時代 |
1337--1453 | 100年戦争 (Hundred Years' War) | c1219 | 『平家物語』 |
1348--50 | 黒死病 (Black Death) | c1330 | 『徒然草』 |
1336--1392 | 南北朝時代 | ||
1362 | 議会で英語を使用 | 1336--1573 | 室町時代 |
1367 | Edward 黒太子スペイン遠征 | c1371 | 『太平記』 |
1343--1400 | Geoffrey Chaucer | 1397 | 金閣寺の建立 |
1381 | 農民一揆 (Peasants' Revolt) | ||
1384 | Wycliffe が新約・旧約聖書・外典を完訳 | ||
1400-- | 大母音推移 (the Great Vowel Shift) | c1402 | 世阿弥『花伝書』 |
1476 | Caxton が印刷機械を英国に導入 | 1489 | 銀閣寺の建立 |
1534 | 英国国教会 (Church of England) | 1543 | 鉄砲伝来 |
1558 | カレー喪失,Elizabeth I 即位 | 1549 | キリスト教伝来 |
1565--1616 | William Shakespeare | 1590 | 秀吉の全国統一 |
1607 | 最初のアメリカ大陸入植 | 1603--1867 | 江戸時代 |
1611 | 『欽定訳聖書』 | 1612 | キリスト教禁止令 |
1620 | メイフラワー号で清教徒プリマス入植 | 1639 | 鎖国令 |
1642--49 | Charles I が議会と戦争 (Civil War) | ||
1649 | Charles I 処刑,共和国成立 | 1682 | 『好色一代男』 |
1755 | Samuel Johnson が英語辞書出版 | 1782--87 | 天明の大飢饉 |
1884--1928 | the Oxford English Dictionary (旧名:the New English Dictionary)出版 | 1868--1912 | 明治時代 |
1899--1861 | Ernest Hemingway | 1867--1916 | 夏目漱石 |
[2011-06-13-1]の Crystal 版,[2013-01-24-1]の Fennel 版,[2013-01-25-1]のフィシャク版に引き続き,英語史年表シリーズ.今回は,Gelderen の英語史概説書 (313--17) より抜き書き.概説書にしてもそうだが,年表も,何度も同じもの,違うものを眺めていると,発見があるものである.
8000 BC | Hunter-gatherers move across Europe also into what is now the British Isles | |
6500 BC | Formation of English Channel | |
6000 BC | Shift to farming | |
3000 BC | Stonehenge culture | |
2500 BC | Bronze Age in Britain | |
1000 BC | Migrations of Celtic people to Britain begins | |
600 BC | Iron Age | |
55 BC--54 BC | Expeditions by Caesar | |
43 | Invasion by Claudius | |
43--47 | South and East England brought under Roman control | |
50 | London founded | |
70--84 | Wales, Northern England, and Scotland under Roman control | |
100--200 | Uprisings in Scotland | |
122 | Hadrian Walls begun | |
150 | Small groups of settlers from the continent | |
410 | Romans withdraw | |
450 | Hengest and Horsa come to Kent ('invited' to hold back the Picts) | |
455 | Hengest rebels against Vortigern | |
477 | Saxons in Sussex | |
495 | Saxons in Wessex | |
527 | Saxon kingdoms in Essex and Middlesex | |
550 | Anglian kingdoms in Mercia, Northumbria, and East Anglia | |
560 | Æthelberht becomes King of Kent | |
597 | Augustine missionaries land in Kent and conversion to Christianity starts | |
794 | Scandinavian attacks on Lindisfarne, Jarrow, Iona and subsequent conquest of Northumbria | |
865 | Scandinavian conquest of East Anglia | |
871--899 | Rule of King Alfred and establishment of the Danelaw | |
1016--1042 | Rule of King Cnut and his heirs | |
1042--1066 | Rule of King Edward (January 1066) | |
1066 | Death of King Edward (January 1066) | |
1066 | King Harold's defeat at Hastings and William of Normandy takes over (December 1066) | |
1066 | William (of Normandy) becomes king (December 1066) | |
1095 | First Crusade | |
1162 | Becket is murdered | |
1169--1172 | Conquest of Ireland | |
1204 | King John loses Normandy to the French | |
1282--1283 | Conquest of Wales | |
1290 | Expulsion of Jews from England | |
1315--1316 | Great Famine | |
1337--1453 | The 100-year War | |
1349--1351 | The Black Death, i.e. plague, kills one-third of the population | |
1362 | Statute of Pleadings (legal proceedings in English) | |
1381 | The Peasants' revolt | |
1382 | Condemnation of Wycliff | |
1476 | Introduction of the printing press by Caxton | |
1492 | Columbus reaches the 'New World' | |
1497 | Cabot reaches Newfoundland, Canada | |
1504 | St John's, Newfoundland, established as the first British colony in North America | |
1509--1547 | Reign of Henry VIII | |
1534 | Act of Supremacy, English monarch becomes head of the Church of England | |
1536 | Monasteries dissembled | |
1539 | English bible in every church | |
1550 | Population of England reaches 3 million | |
1558--1603 | Queen Elizabeth I | |
1600 | The East India Company is granted a charter | |
1607 | Settlement at Jamestown | |
1611 | The King James Bible (KJV) | |
1612 | English presence in Bermuda and in India | |
1620 | Pilgrim fathers establish colony in Plymouth | |
1624--1630 | War between England and Spain | |
1626--1629 | War between England and France | |
1627--1647 | Settlements on Barbados and the Bahamas | |
1629 | Charles I dissolves parliament | |
1642--1648 | First and Second Civil War | |
1649 | Charles I beheaded | |
1649 | Charles II becomes king | |
1649 | Jews officially admitted | |
1649--1655 | Cromwell conquers Ireland | |
1655 | English presence in Jamaica | |
1653--1660 | Cromwell is 'Lord Protector' | |
1660 | Charles II 'restored'' | |
1660 | Royal Society founded, to promote science | |
1670 | Hudson Bay Company active | |
1670--1679 | Colonization of West Africa | |
1688 | The Glorious Revolution | |
1689--1702 | Rule of William and Mary | |
1700 | Population of England is 5 million | |
1707 | Act of Union, uniting England and Scotland as the UK | |
1746 | Battle of Culloden; subsequent repression of Scottish Gaelic | |
1755 | Johnson's Dictionary | |
1759 | Wolfe takes Quebec for England | |
1760--1850 | Highland Clearances in Scotland, with resulting emigration and loss of Celtic | |
1763 | Trading in Basra, Iraq | |
1765--1947 | British rule over India | |
1773 | Boston Tea Party | |
1775--1783 | American War of Independence | |
1776 | American Declaration of Independence | |
1780--1789 | Colonies (of convicts) in Australia | |
1789 | French Revolution | |
1789 | George Washington first American president | |
1791 | British colonies in Upper and Lower Canada | |
1803 | Louisiana Purchase | |
1806 | British take over the Cape Colony in South Africa | |
1806 | Webster's Dictionary | |
1819--1824 | Malacca and Singapore occupied by the British | |
1820--1829 | Railroads in the US | |
1821--1823 | Irish famine | |
1830--1839 | Settlement of New Zealand | |
1834 | Slavery abolished in the British Empire | |
1842 | China cedes Hong Kong | |
1844 | First telegraph | |
1837--1901 | Reign of Queen Victoria | |
1853 | Gadsden Purchase | |
1853 | Japan opened to Western trade | |
1858 | Decision to start the OED | |
1861--1865 | American Civil War | |
1861 | British colony in Nigeria | |
1862 | British colony in Honduras | |
1865 | Abolition of slavery in the United States of America | |
1869 | Suez Canal opened | |
1876 | Telephone invented | |
1884 | Berlin Conference determines colonial power in Africa | |
1886 | Annexation of Burma | |
1890--1899 | Rhodesia and Uganda colonized in an attempt to control the Cape-to-Cairo corridor | |
1880--1902 | Boer Wars and British conquest of South Africa | |
1898 | American control over Hawaii, Philippines, and Puerto Rico | |
1898 | Hong Kong and Territories leased to Britain for 99 years | |
1901 | Death of Queen Victoria | |
1907 | Hollywood becomes a filmmaking center | |
1914--1918 | First World War | |
1916 | Easter Uprising, leading to Irish independence in 1921 | |
1918 | Women (over 30) get the vote in Britain | |
1920 | Kenya as British colony | |
1922 | BBC starts | |
1928 | OED appears (with supplement in 1933) | |
1931 | Statute of Westminster (former British Dominions de fact independent); British Commonwealth | |
1939 | photocopying invented | |
1939--1945 | Second World war | |
1942 | First computers | |
1945 | United Nations founded | |
1946 | Philippines independent | |
1947 | The independence of India and Pakistan; and New Zealand | |
1948 | Burma and Ceylon (Sri Lanka) independent | |
1949 | NATO founded | |
1950--1953 | Korean War | |
1951 | First computers | |
1960 | Nigeria becomes independent | |
1960 | World population reaches 3 billion | |
1961--1975 | Vietnam War | |
1963 | Kenya becomes independent | |
1973 | Britain joins European Union (confirmed in a 1975 referendum) | |
1980 | CNN starts | |
1984 | Apple PC | |
1990 | Native American Languages Act | |
1990--1991 | Gulf War | |
1990--1999 | Internet becomes major communication tool | |
1999 | World population reaches 6 billion | |
2000 | OED online | |
2003 | Iraq War | |
2003 | In Wales, 20% speak Welsh, up 2.4% in 10 years |
昨日の記事「#1368. Fennell 版,英語史略年表」 ([2013-01-24-1]) に引き続き,今日はフィシャク版の年表を再現する.日本語での英語史年表もあると便利だと思い,和訳に従った (207--10) .同じ英語史の年表といっても,作成者によって力点が異なるものであり,それぞれに特徴がある.年表も確かに1つの歴史記述の方法であるということを認識させられる.
55, 54 BC | ユーリウス・カエサルが軍隊を率いてブリテン島に上陸 | |
43 BC | ローマ帝国による組織的なブリテン島征服が始まる | |
end of C3 | ゲルマン人諸部族による最初のブリテン島攻撃 | |
367 | スコット人(アイルランドから),ピクト人(北から),サクソン人(東から)が,ローマ支配下のブリテン島を攻撃 | |
375 | フン族の西進を逃れようと西ゴート族がドナウ川を渡りローマ領内に侵入し,ゲルマン民族の大移動が始まる.ローマ帝国が大打撃を受ける | |
383 | ローマ軍がローマに召喚される | |
410 | 最後のローマ軍団がブリテン島から撤退 | |
449 | ゲルマン人部族がブリテン島に侵入し,征服を始める | |
c500 | 「バドニクス丘」の戦いで侵入者ゲルマン人が敗れ,ブリテン島征服は南部において一時中断 | |
547? | ハンバー川以北にアングル族が王国を建てる | |
597 | 聖アウグスティヌスがケント王国に到着し,ブリテン島南部に住んでいたゲルマン人にキリスト教の布教を始める | |
634 | アイルランドの修道僧がノーサンブリアのキリスト教化に乗り出す | |
655 | マーシアのキリスト教改宗がノーサンブリアとアイルランドの宣教師たちの手により完了 | |
664 | ノーサンブリアにおいて,ホイットビー教会会議が開かれる.ブリテン島やアイルランドのキリスト教がローマ教会に統一される契機となる | |
c725 | 口承による『ベーオウルフ』がこの頃完成される | |
787 | デーン人の侵攻が始まる | |
865 | デーン人侵攻の第2期 | |
871--899 | アルフレッド大王の治世 | |
879 | アルフレッド大王と(グスルムが率いる)デーン人との間でウェドモアの協定.デーンロー地域の確定 | |
886 | アルフレッド大王がロンドンを占領.グスルムの王国を除く全イングランドがその統治権を認める | |
964 | 修道院の改革が始まり,英語の標準化に影響を与える | |
973 | エドガーがバースにおいて,初めてキリスト教の儀式による戴冠式を挙げ,(デーンロー地域を含む)全イングランドの最初の王となる | |
991 | オラフ・トリュグヴァソンがイギリスに侵攻.デーン人侵攻の第3期が始まる | |
1066 | ウィリアム征服王がヘースティングズの戦いで勝利をおさめ,ノルマン人の英国征服が始まる.フランス語とラテン語が英語に代わって公用語となる | |
1154 | 『ピーターバラ年代記』と呼ばれる写本の記録はこの年で終結する.(一般に『アングロ・サクソン年代記』と呼ばれる.写本は7つあり,カエサルの侵入から始まっている.) | |
1204 | ジョン王がフランス国王フィリップ2世に敗れ,ノルマンディーがフランス王の手に渡る.イギリスの民族主義が高まり始める | |
1250 | 英国貴族の二重忠節が終結し,フランス語を重んずる必要がなくなる | |
1258 | ヘンリー3世が,ノルマン人の英国征服以降初めて英語で布告を出す | |
1295 | チェルムズフォードの裁判所で,文書が英語とフランス語の両語で読まれる | |
1337--1453 | 百年戦争.この戦争により,イギリス人はフランスのあらゆるものに対して敵愾心を抱くようになる | |
1344 | 大法官宛の請願書が初めて英語で書かれる | |
1348--1350 | 黒死病のため,イギリス社会に大規模な住民の移動がおこる | |
1362 | 国会が初めて英語で開会される.議会は「訴答手続法」を制定し,1363年1月以降はすべての訴訟手続,審議は英語で行なうことに決められる | |
1381 | 農民一揆がおこり,社会的変動の進行を加速する | |
c1385 | 英語がイングランド全域の学校で用いられるようになる | |
1413 | ヘンリー4世が英国王として初めて英語で遺書を残す | |
1422 | 英語による最初の玉璽文書 | |
1423 | 国会の議事録が英語で書かれ始める | |
c1430 | 町や同業組合の公文書に英語を用い始める | |
1476 | ウィリアム・キャクストンがイングランドに戻り,ウエストミンスターに最初の印刷所をつくる | |
1499 | キャクストンの後継者ピンソンが,英語・ラテン語の二言語語彙集,『子供のための言葉の宝庫』を出版する(書かれたのは1440年).辞書編纂への一歩となる | |
1534 | ヘンリー8世がローマ教会との関係を絶ち,英国国教会が成立 | |
1564--1616 | ウィリアム・シェークスピアの生涯 | |
1586 | ウィリアム・ブローカ著『文法のための小冊子』(同著者による現存しない文法書の簡易版)が出版される.最初の英文法書 | |
1588 | スペインの無敵艦隊に勝利.英語が世界に広がる端緒となる | |
1604 | ロバート・コードリー著『アルファベット順語彙一覧』の出版.最初の英語の一言語辞典(英英辞典) | |
1607 | アメリカに英語がもたらされる.今日のヴァージニア州に,入植者によってジェームズタウンが建設される | |
1611 | 欽定英訳聖書(ジェームズ王聖書)の出版 | |
1639--1686 | インド(マドラス,カルカッタ,ボンベイ)に英国の入植地が建設される | |
1642--1660 | 市民革命 | |
1664 | 王立教会が「英語を改良するための」委員会を設置 | |
1712 | J. スウィフトによるオックスフォード伯への手紙が『英語の矯正,改良,確定のための提案』として出版され,アカデミーの設立を促す | |
1713 | ノヴァスコシアがフランスからイギリスに譲渡される | |
1755 | サミュエル・ジョンソン著『英語辞典』が出版される.19世紀末まで正しい英語の揺るぎない権威的存在となる | |
1759 | ウルフ将軍がケベックの戦いでフランス軍に勝利 | |
1761 | インドがイギリスの植民地となる | |
1769--1777 | キャプテン・クックが,南太平洋への航海途上で,オーストラリア,ニュージーランド,タスマニアをイギリス王領と宣言する | |
1775--1783 | アメリカ独立戦争により,アメリカ合衆国の誕生 | |
1788 | オーストラリアのニューサウスウェールズに最初の流刑地植民地が建設される.ケープタウン(南アフリカ)にあるオランダ植民地がイギリス領有となる | |
1805 | トラファルガーの海戦においてイギリス軍がフランス軍に勝利する.イギリスが海上覇権を掌握し植民地拡大への道を開く | |
1816 | イギリスで最初の安価な新聞が発行され,英語に影響を与えるマスメディア時代が始まる | |
1840 | ニュージーランドにおいて,イギリス植民地が建設される.イギリスの安価な郵便制度が文字通信の発達を促し,さらに英語が普及する | |
1858 | 『新英語辞典』(後に『オックスフォード英語辞典』と称される)の編集作業が始まる | |
1890--1910 | 数多くの発明や科学上の発見が,英語に前例のない大きな影響を与える | |
1899--1901 | 南アフリカのブール戦争において初期オランダ入植者の子孫が敗北.イギリスの覇権が確立 | |
1914--1918 | 第1次世界大戦.英語の威信が高まる.フランス語は教育言語として,また外交言語としてさえ,その地位を失い始める(ヴェルサイユ条約がフランス語と英語で書かれる) | |
1939--1945 | 第2次世界大戦がさらに,英語の普及を押し進め,その威信を高める |
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