2億4千万の人口を要する東南アジアの大国インドネシアは,世界有数の多言語国家でもある.「#401. 言語多様性の最も高い地域」 ([2010-06-02-1]) で示したとおり,国内では700を超える言語が用いられており,言語多様性指数は世界第2位の0.816という高い値を示す.この国の公用語はマライ語 (Malay) を基礎におく標準化されたインドネシア語 (Bahasa Indonesia) だが,この言語は同国で最も多くの母語話者を擁する言語ではない(約2300万人).最大の母語話者数をもつ言語派は主としてジャワ島で広く話されるジャワ語 (Javanese) で,こちらは約8400万人によって用いられている.マライ語がインドネシアにおいて公用語=超民族語として機能している背景には,部分的には国によるインヴィトロな言語政策が関与しているが,主として自然発生してきたというインヴィヴォな歴史的経験が重要な位置を占めている.
母語としてのマライ語は,ボルネオの沿岸地帯,スマトラ東岸,ジャワのジャカルタ地域などのジャワ海に面した沿岸地域で話されている.また,隣国シンガポールやマレーシアでもマライ人により話されており,島嶼域一帯の超民族語として機能している.この分布は,マライ語が海上交易のために海岸の各港で発達してきた歴史をよく物語っている.詳しい分布地図については,Ethnologue の Indonesia より,Maps を参照されたい.
カルヴェ (86--89) によると,マライ語がインドネシアの公用語として採用されることになった淵源は,民族解放闘争初期の1928年の政治的決定にある.スカルノ率いるインドネシア国民党は,オランダによる占領に対し,自らの独立性を打ち出すためにマライ語を国を代表する言語として採用することを決定した.国家としての独立はまだ先の1945年のことであり,1928年当時の決定は,現実的というよりは多分に象徴的な性格を帯びた決定だった.しかし,独立後,この路線に沿って言語計画が着々と進むことになった.権威ある政治家や文学者が,多大な努力を払って規範文法や辞書を編纂し,標準化に尽力した.結果として,インドネシア語は,行政,学問,文学,マスメディアの言語として幅広く用いられる国内唯一の言語となった.
母語話者数が最大ではないマライ語がインドネシアの公用語=超民族語として受け入れられてきたのには,上記のような独立前後の言語計画が大きく関与していることは疑いようがない.しかし,その言語計画こそインヴィトロではあるが,すでにインヴィヴォに培われていたマライ語の超民族的性格を活かしたという点では,自然の延長線上にあった.先に非政治的な要因,すなわち昨日の記事「#1788. 超民族語の出現と拡大に関与する状況と要因」 ([2014-03-20-1]) の言葉でいえば地理的,経済的,都市の要因により超民族語として機能していたものを,人為的に同じ方向へもう一押ししてあげたということだろう.
インドネシア語は,言語計画の成功例として,多言語状態にある世界にとって貴重な資料を提供している.
・ ルイ=ジャン・カルヴェ 著,林 正寛 訳 『超民族語』 白水社〈文庫クセジュ〉,1996年.
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