hellog〜英語史ブログ

#1703. 南アフリカの植民史と国旗[south_africa][history][afrikaans][vexillology]

2013-12-25

 南アフリカ (South Africa) では,1/10ほどの国民が英語を母語として話している.その意味では ENL (English as a Native language) 国といってよいが,Afrikaans, Xhosa, Zulu ほか多くの言語が国民によって用いられており,英米のような ENL 国とは状況が異なる(「#177. ENL, ESL, EFL の地域のリスト」 ([2009-10-21-1]) を参照).南アフリカで話されている英語変種については,「#408. South African English と American English の変種構成の類似」 ([2010-06-09-1]) で簡単に取り上げたが,今日は同国植民史と国旗の話をしたい.
 1488年,ポルトガルの航海士 Bartholomew Diaz (1450?--1500) が喜望峰 (Cape of Good Hope) を周回してアジアへと向かう航路を,ヨーロッパ人として初めて開拓した.その後,多くのヨーロッパ船がこの航路を往来したが,17世紀初頭にはオランダとイギリスがこの航路のポルトガルによる独占支配に挑戦するようになった.1652年,オランダ東インド会社が,船舶のための供給基地として Table Bay (現在の Cape Town)に植民地を建設した.オランダ人植民者はオランダ語で農民を意味する Boer と呼ばれるようになり,後に Afrikaner とも呼称された.彼らはアフリカ各地,インド,マレーシアなどからの労働者を使役し,農業を営んで内陸部へ進出していった.そして,Khoekhoe や San などの先住民族と衝突すると,打ち負かしていった.
 1795年,イギリスが Cape 植民地をオランダから奪い,1814年に買い取った.1820年,イギリスは,ボーア人とコサ族 (Xhosa) との紛争に割って入り,両者の新植民地を建設した.これによりイギリスの支配権は強まったが,地域の不安は増した.1830年代から40年代初頭にかけて,反抗するボーア人が Cape 植民地を脱出し,北部への移住 (the Great Trek) を開始した.結果として,1850年代にボーア人によりトランスヴァール国 (Transvaal) とオレンジ自由国 (Orange Free State) が建国された.
 19世紀後半,金山が発見されると,イギリス人やドイツ人がこの地に押し寄せた.イギリス植民地 Natal とボーア人の Transvaal との間で緊張が高まり,後者が前者に軍事侵略したことで,ボーア戦争 (the Boer War; 1880--81, 1899--1902) が勃発.1902年にボーア人が降伏し,ボーア人の両共和国はイギリス植民地となった.1910年,Cape, Natal, Transvaal, Orange Free State の4植民地は,長い協議を経て,南アフリカ連邦 (Union of South Africa) へと統合.1961年に現在の南アフリカ共和国の名前に変わった.
 南アフリカは以上のような複雑な植民史を経ており,国旗もそれを反映している.現在の国旗は下に掲げた左側のもので,6色(使用色数は世界最多)のデザインだが,これは1994年に改められたものである.それ以前の1928--94年には右側のような図案が用いられていた.この図案では,大きな国旗の中に3つの小さな国旗が配置されている.大きな黄白青の横縞の国旗は昔のオランダの国旗である.小さな国旗については,左が Union Jack,中央がオレンジ自由国の国旗,右がトランスヴァール国の国旗である.中央と右のものには,赤白青の縞が見えるが,これは現在のオランダの国旗である.つまり,全体としてオランダのルーツ(ボーア人)をとどめながらも,イギリス植民地としての歴史をも刻んでいる,植民史を体現したような国旗だったといえよう.

National Flag of South AfricaNational Flag of South Africa from 1928 to 1994

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