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最終更新時間: 2024-11-21 08:03

2013-11-11 Mon

#1659. マケドニア語の社会言語学 [linguistic_area][map][slavic][history][dialect_continuum][sociolinguistics][ethnic_group]

 バルカン諸国 (the Balkans) における民族・宗教・言語の分布が複雑なことはよく知られている.バルカン半島は,「#1314. 言語圏」 ([2012-12-01-1]) を形成しており,「#1374. ヨーロッパ各国は多言語使用国である」 ([2013-01-30-1]) の好例となっており,「#1636. Serbian, Croatian, Bosnian」 ([2013-10-19-1]) という社会言語学的な問題を提供しているなどの事情により,社会言語学上,有名にして重要な地域となっている.以下,Encylopædia Britannica 1997 より同地域の民族分布図を以下に掲載する.言語分布図については,今回の話題に関するところとして Ethnologue より Greece and The Former Yugoslav Republic of Macedonia と,「#1469. バルト=スラブ語派(印欧語族)」 ([2013-05-05-1]) で言及した Distribution of the Slavic languages in Europe を挙げておこう.

Ethnic Map of the Balkans

 マケドニア共和国 (The Former Yugoslav Republic of Macedonia) は,人口約200万を擁するバルカン半島中南部の内陸国である.国民の2/3以上がマケドニア語 (Macedonian) を用いており,公用語となっているが,国内で最大の少数民族であるアルバニア人によりアルバニア語 (Albanian) も話されている(人口統計等は Ethnologue より Macedonia を参照されたい).マケドニア語は South Slavic 語群の言語で,Serbian や Bulgarian と方言連続体を形成している.後述するように,マケドニア語は,この南スラヴの方言連続体と,従属の歴史ゆえに,現在に至るまで言語の autonomy の問題に苦しめられている.
 マケドニア人とこの土地の歴史は古い.Alexander the Great (356--23 BC) を輩出した古代マケドニア王国は西は Gibraltar から東は Punjab までの広大な帝国を支配した.古代マケドニア語 (Ancient Macedonian) は南スラヴ系の現代マケドニア語 (Macedonian) とはまったく系統が異なり,またギリシア語とも区別されると言われるが,ギリシア人は古代マケドニア語をギリシア語の1方言とみなしてきた経緯がある.ギリシアはギリシア語の autonomy に対する古代マケドニア語の heteronomy という主従関係を政治的に利用して,マケドニアを自らに従属するものとみなしてきたのである.ギリシア北部には歴史的に Makedhonia を名乗る州もあり,マケドニアにとっては南に隣接するギリシアから大きな政治的圧力を感じながら,国を運営していることになる.実際,ギリシアはマケドニア共和国の独立を,主権侵害とみなしている.
 さて,紀元後の話しに移る.マケドニアは6世紀にビザンティン帝国の一部であったが,550--630年の間に,この地にカルパチア山脈の北からスラヴ民族が侵入した.以来,マケドニアの支配的な言語はギリシア語とスラヴ語の間で交替したが,15世紀末にはオスマン帝国の一部に組み込まれた.1912--13年のバルカン戦争ではセルビア人の支配下に入り,1944年にはユーゴスラヴィア共和国へ統合された.この従属の歴史の過程で,マケドニアで話されていた南スラヴ語は,セルビア人にとってはセルビア語の1方言とみなされ,ブルガリア人にとってはブルガリア語の1方言とみなされ,自らの言語的な autonomy を獲得する機会をもつことができなかった.現在でも,セルビア人やブルガリア人はマケドニア語の自立性を,すなわちその存在を認めていない.マケドニアにおいては,政治的従属の歴史は言語的従属の歴史だったといってよい.
 このように複雑な歴史をたどってきたにもかかわらず,マケドニアという呼称が土地名,国名,民族名,言語名に共通に用いられていることが問題を見えにくくしている.古代マケドニア語(民族)と現代マケドニア語(民族)は指示対象が異なるというのもややこしい.周辺の3国は,この混乱を利用してマケドニアへの政治的圧力をかけてきたのであり,マケドニア語は,その後ろ盾となるはずの独立国家が成立した後となっても,いまだ不安定な立場に立たされている.autonomy 獲得に向けての道のりは険しい.
 以上,Romain (15--17) を参照して執筆した.

 ・ Romain, Suzanne. Language in Society: An Introduction to Sociolinguistics. 2nd ed. Oxford: OUP, 2000.

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2013-09-24 Tue

#1611. 入り江から内海,そして大海原へ [history][geography][map][old_norse]

 昨日の記事「#1610. Viking の語源」 ([2013-09-23-1]) で,''Viking' = 「入り江に住む者」の説を紹介した.入り江とは,海が陸地に入り込んだ静かな湾のことである.この入り江の地理的特徴に注目して,渡部昇一先生が,ヴァイキングや日本人のような海洋民族の発生について,興味深い説を紹介している.

ヴァイキングがどうして来たかというと,あれはやはり耕す場所がないから,ある程度人口が増えると海に乗り出さざるをえなかったんだと思うんですね.おもしろいセオリーがあります.海洋民族というか,海に乗り出す民族というのは,必ず故郷には静かな小さな海があるというんです.ヴァイキングなんかもフィヨルドが細く長くて非常に静かですから,そこで船の操作を覚えて,いつの間にか海に親しみを持つんですね.そうして,ある時期にパーッと外へ乗り出す.ちょうど日本でも同じように瀬戸内海があったもんですから,ここで船に乗って訓練をして,あるときから和冦になって荒らし回ったりする.つまり静かな海がないところでは海洋民族はできないというんですね.アフリカだとかインドというのは,いきなり大洋に面しちゃうもんですから,海が圧倒的に強くて征服できない.結局,海洋民族にならない.海洋民族は必ず静かな海があるところで舟を操るのがうまくなってから出てくるという説があります.(59--60)


 瀬戸内海とは規模は違うが,北海 (the North Sea) もある意味では内海である.ヴァイキングにとって,スカンディナヴィア西岸のフィヨルドの入り江は操船の訓練地だった.そこで基本的な技術を習得した後に,中級レベルの北海で実践し,さらに上級レベルの大西洋へも乗り出していった.
 デーン人やノルウェー人の北海進出と,それに続くイギリス諸島およびノルマンディへの侵入の経路は,スカンディナヴィア人の故郷からの目線で眺めると,よく理解できる.湖の対岸に向かうがごとき船旅である.北海周辺の地図を時計回りに90度回転させれば,北海上の自然な航路を同定することができるだろう.

Map of the North Sea

 ブリテン島の東部・北部が文化的にも言語的にも北方的である理由が,地勢としてよくわかる.同様に,ブリテン島の南部が大陸的(フランス的)である理由,西部がとりわけ島嶼的(ケルト的)である理由も納得できるだろう.

 ・ 渡部 昇一,ピーター・ミルワード 『物語英文学史 --- ベオウルフからバージニア・ウルフまで』 大修館,1981年.

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2013-08-05 Mon

#1561. 14世紀,Norfolk 移民の社会言語学的役割 [sociolinguistics][me_dialect][history][geography][demography][geolinguistics]

 古英語 West-Saxon 方言の y で表わされる母音が,中英語では方言により i, u, e などとして現われることについては,「#562. busy の綴字と発音」 ([2010-11-10-1]),「#563. Chaucer の merry」 ([2010-11-11-1]),「#570. bury の母音の方言分布」 ([2010-11-18-1]),「#1434. left および hemlock は Kentish 方言形か」 ([2013-03-31-1]) などの記事で取り上げた.
 14世紀後半より書き言葉の標準が徐々に発達していたときに,どの方言形が標準的な形態として最終的に選択されたかにより,現代英語の busy, bury, merry などに見られるような,綴字と発音の種々の関係が帰結してしまった.「#562. busy の綴字と発音」 ([2010-11-10-1]) では「個々の語の標準形がどの方言に由来するかはランダムとしかいいようがない」と述べたが,標準化に際して,現代英語の kinsin につらなる単語など,大多数が北部・東部に由来する i を反映することになったことは事実である.傾向として i が多かったという事実については,何らかの説明が可能かもしれない.
 この問題について,地村 (33--35) は G. Kristensson ("Sociolects in 14th-Century London." Nonstandard Varieties of Language: Papers from the Stockholm Symposium 11--13 April 1991. Stockholm: Almqvist & Wiksell International, 1994. 103--10) の議論に拠りながら,14世紀のロンドンに流入した Norfolk 出身の人々が担っていた社会言語学的な役割を指摘している.14世紀初頭のロンドンへの移民リストのなかで,Norfolk 出身者がトップの座を占めていた.Norfolk からの著しい人口流入は少なくとも1360年までは続いており,これらの Norfolk 移民は主として行政や商業に関する職業に就いていたため,ロンドンにおいて社会的に優勢な集団を形成していたと考えられる.そして,彼らの社会的な地位とともに,彼らが故郷からもってきた北部・東部系の i の地位も上昇し,最終的にロンドンにおいて威信ある発音として受け入れられたのではないかという.

ロンドンにいるノーフォーク出身の人々は人口の上層部,つまり行政方面で影響を与える商人の階級を形成したことがわかる.彼らの方言は次の点でロンドンの地方言とは逸脱していた.OE /y(:)/ に対して /i(:)/,stret におけるように OE /æ:/ に対して /ɛ:/ または /e:/,fen におけるように OE /e/ に対して /e/,milk におけるように OE /eo/ に対して /i/,flax, wax のような語では /a/,old, cold のような語では /ɔ:/,fen, fair のような語では /f-/ である.ロンドン英語におけるこの変種は14世紀前半に生じて,14世紀後半では重要な社会方言として目立つようになったと言っても過言ないであろう.この英語は,裕福な商人の階級の属する人達によって使用され,恐らく格式の高い方言となり,フランス語とラテン語が公用語の地位を失った時,(政府の)官庁で使われた模範的な言語となった.政府高官の多くはノーフォークの移住民集団に所属していたように思われる.(地村,pp. 33--35)


 では,なぜ Norfolk からの移民がこの時期これほどまでに著しかったのだろうか.1つには,この地域がイングランドで最も人口密度の高い地域であったことが挙げられる.しかし,より重要なことは,Norfolk 人の多くが,イングランドに大きな富をもたらす羊毛産業に従事していたことである.さらに,Norfolk は古英語後期からの歴史的事情によりスカンディナヴィア系の人口を多く抱えており,農民は他の地域の農奴 (villein) よりも自由な地位を有していたために,産業活動の発達と商人階級の勃興が促されたという事情もあったろう.
 以上のような人口分布,経済活動,歴史的条件が相俟って,Norfolk 方言がロンドンにおいて幅を利かせることとなったということが事実だとすれば,これはまさに「#1543. 言語の地理学」 ([2013-07-18-1]) の話題だろう.その記事の終わりに示した「エスニーの一般的特徴」の図において枠で囲ったキーワードのほとんどが,上の議論に関与している(すなわち,言語,領域,住民,経済,社会階級,都市網,主要都市,政治制度).

 ・ 地村 彰之 『チョーサーの英語の世界』 溪水社,2011年.

Referrer (Inside): [2013-11-23-1]

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2013-04-02 Tue

#1436. EnglishEngland の名称 (2) [anglo-saxon][history][toponymy][etymology][latin][old_saxon][ethnonym]

 今回は,「#1145. EnglishEngland の名称」 ([2012-06-15-1]) に対する補足と追加の記事.5世紀半ばにアングル人 (Angles) ,サクソン人 (Saxons) ,ジュート人 (Jutes) を中心とする西ゲルマンの諸部族がブリテン島へ移住してきてから,これらの部族を統括して呼ぶ名称や,彼らが新しく占拠した土地を呼ぶ名称は,誰がどの言語で呼ぶのかによっても変異があったし,時代とともに変化もしてきた.結果としては,Angle びいきの総称が選ばれ,形容詞や言語名の English や国名の England が一般化した.なぜ Saxon や Jute を差し置いて Angle が優勢となったのかについては明確な答えがないが,推測できることはある.
 少なくとも8世紀から,ラテン語で Angli Saxones という表現が用いられていた.ここでは Angli は形容詞,Saxones は複数名詞で「アングル系サクソン人たち」ほどの意味だった.これは,大陸に残っていたサクソン人たち (Old Saxons) と区別するための呼称であり,形容詞 Angli にこめられた意味は「アングル人と一緒にブリテン島に渡った」ほどの意味だったと思われる.やがて,対立を明示する形容詞 Angli に力点が移り,これが固有名と解されて独立したということは,ありそうなことである.もしこのような経緯で8世紀中に Angli がブリテン島に住み着いた西ゲルマン民族の総称および領土名として再解釈されていったと考えれば,9世紀に Bede の古英語が出された際に,Angelcynn (gens Anglorum の訳)が総称的に用いられていた事実が特に不思議ではなくなる.また,同時期の880年頃には,Alfred 大王と Guthrum との間で取り交わされた条約のなかで "Danish" に対して "English" が用いられている.さらに,言語名としての Englisc も,やはり同時期に,Bede 古英語訳や Alfred のテキストに現われている.
 このように,Englisc は9世紀中に形容詞あるいは言語名として定着したが,領土名としての AngelcynnEngla land 系列に置き換えられるのは,11世紀の Chronicle を待たねばならなかった.Engla land のほか,Engle land, Englene londe, Engle lond, Engelond, Ingland なども行なわれたが,後に定着する England が現われるのは14世紀のことである.
 以上,Crystal (26--27) に拠った.

 ・ Crystal, David. The Stories of English. London: Penguin, 2005.

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2013-03-16 Sat

#1419. 橋本版,英語史略年表 [timeline][history][historiography]

 timeline の各記事で書きためてきた英語史年表シリーズに,『英語史入門』から橋本版の略年表 (216) を加えたい.英語史の最重要事項に絞られているが,右2列に日本史の流れが合わせて示されており有用.

55--54 BCシーザー英国征服失敗

43 ADクローディアス英国征服

410ローマ兵士本国に引き揚げる

c405ラテン語訳聖書 (The Vulgate) 翻訳完成

432St. Patrick がアイルランドで布教開始

449Angle, Saxon, Jute の英国侵入開始538仏教伝来
c563St. Columba がスコットランドで布教開始(北から南下するアイリッシュ・キリスト教)

597St. Augustine ケントで布教開始(南から北上するローマ・カトリック教)604十七条の憲法制定


645大化の改新
664Whitby 宗教会議(キリスト教2派の対立を収拾するための宗教会議)672壬申の乱
c680Beowulf 絎????

c700最古の英語の文献現れる708和同開珎の鋳造


710--94奈良朝
735Bede 死す712『古事記』
787Viking の英国侵入開始720『日本書紀』
871Alfred 大王が Wessex 国王に就任794--1192平安朝
886デーン・ロー (Danelaw) のとり決め(アングロ・サクソン人とヴァイキングの居住区域の協定)797『続日本紀』


c900『竹取物語』
1016--42ヴァイキングの王カヌートが英国の王に就任(ヴァイキングの言葉が公用語になる)c1000『枕草子』


c1010『源氏物語』


c1059『更級日記』
1066ノーマン・コンクエスト(ヴァイキングの子孫でフランス国王の公爵ノルマンディー公が英国の王に就任.英国の公用語がフランス語になる)c1120『今昔物語』
1171Henry II がアイルランド侵攻1192--1333鎌倉時代
1337--1453100年戦争 (Hundred Years' War)c1219『平家物語』
1348--50黒死病 (Black Death)c1330『徒然草』


1336--1392南北朝時代
1362議会で英語を使用1336--1573室町時代
1367Edward 黒太子スペイン遠征c1371『太平記』
1343--1400Geoffrey Chaucer1397金閣寺の建立
1381農民一揆 (Peasants' Revolt)

1384Wycliffe が新約・旧約聖書・外典を完訳

1400--大母音推移 (the Great Vowel Shift)c1402世阿弥『花伝書』
1476Caxton が印刷機械を英国に導入1489銀閣寺の建立
1534英国国教会 (Church of England)1543鉄砲伝来
1558カレー喪失,Elizabeth I 即位1549キリスト教伝来
1565--1616William Shakespeare1590秀吉の全国統一
1607最初のアメリカ大陸入植1603--1867江戸時代
1611『欽定訳聖書』1612キリスト教禁止令
1620メイフラワー号で清教徒プリマス入植1639鎖国令
1642--49Charles I が議会と戦争 (Civil War)

1649Charles I 処刑,共和国成立1682『好色一代男』
1755Samuel Johnson が英語辞書出版1782--87天明の大飢饉
1884--1928the Oxford English Dictionary (旧名:the New English Dictionary)出版1868--1912明治時代
1899--1861Ernest Hemingway1867--1916夏目漱石


 ・ 橋本 功 『英語史入門』 慶應義塾大学出版会,2005年.

Referrer (Inside): [2019-11-02-1]

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2013-02-02 Sat

#1377. Gelderen 版,英語史略年表 [timeline][history][historiography]

 [2011-06-13-1]の Crystal 版,[2013-01-24-1]の Fennel 版,[2013-01-25-1]のフィシャク版に引き続き,英語史年表シリーズ.今回は,Gelderen の英語史概説書 (313--17) より抜き書き.概説書にしてもそうだが,年表も,何度も同じもの,違うものを眺めていると,発見があるものである.

8000 BC   Hunter-gatherers move across Europe also into what is now the British Isles
6500 BC   Formation of English Channel
6000 BC   Shift to farming
3000 BC   Stonehenge culture
2500 BC   Bronze Age in Britain
1000 BC   Migrations of Celtic people to Britain begins
600 BC   Iron Age
55 BC--54 BC   Expeditions by Caesar
43   Invasion by Claudius
43--47   South and East England brought under Roman control
50   London founded
70--84   Wales, Northern England, and Scotland under Roman control
100--200   Uprisings in Scotland
122   Hadrian Walls begun
150   Small groups of settlers from the continent
410   Romans withdraw
450   Hengest and Horsa come to Kent ('invited' to hold back the Picts)
455   Hengest rebels against Vortigern
477   Saxons in Sussex
495   Saxons in Wessex
527   Saxon kingdoms in Essex and Middlesex
550   Anglian kingdoms in Mercia, Northumbria, and East Anglia
560   Æthelberht becomes King of Kent
597   Augustine missionaries land in Kent and conversion to Christianity starts
794   Scandinavian attacks on Lindisfarne, Jarrow, Iona and subsequent conquest of Northumbria
865   Scandinavian conquest of East Anglia
871--899   Rule of King Alfred and establishment of the Danelaw
1016--1042   Rule of King Cnut and his heirs
1042--1066   Rule of King Edward (January 1066)
1066   Death of King Edward (January 1066)
1066   King Harold's defeat at Hastings and William of Normandy takes over (December 1066)
1066   William (of Normandy) becomes king (December 1066)
1095   First Crusade
1162   Becket is murdered
1169--1172   Conquest of Ireland
1204   King John loses Normandy to the French
1282--1283   Conquest of Wales
1290   Expulsion of Jews from England
1315--1316   Great Famine
1337--1453   The 100-year War
1349--1351   The Black Death, i.e. plague, kills one-third of the population
1362   Statute of Pleadings (legal proceedings in English)
1381   The Peasants' revolt
1382   Condemnation of Wycliff
1476   Introduction of the printing press by Caxton
1492   Columbus reaches the 'New World'
1497   Cabot reaches Newfoundland, Canada
1504   St John's, Newfoundland, established as the first British colony in North America
1509--1547   Reign of Henry VIII
1534   Act of Supremacy, English monarch becomes head of the Church of England
1536   Monasteries dissembled
1539   English bible in every church
1550   Population of England reaches 3 million
1558--1603   Queen Elizabeth I
1600   The East India Company is granted a charter
1607   Settlement at Jamestown
1611   The King James Bible (KJV)
1612   English presence in Bermuda and in India
1620   Pilgrim fathers establish colony in Plymouth
1624--1630   War between England and Spain
1626--1629   War between England and France
1627--1647   Settlements on Barbados and the Bahamas
1629   Charles I dissolves parliament
1642--1648   First and Second Civil War
1649   Charles I beheaded
1649   Charles II becomes king
1649   Jews officially admitted
1649--1655   Cromwell conquers Ireland
1655   English presence in Jamaica
1653--1660   Cromwell is 'Lord Protector'
1660   Charles II 'restored''
1660   Royal Society founded, to promote science
1670   Hudson Bay Company active
1670--1679   Colonization of West Africa
1688   The Glorious Revolution
1689--1702   Rule of William and Mary
1700   Population of England is 5 million
1707   Act of Union, uniting England and Scotland as the UK
1746   Battle of Culloden; subsequent repression of Scottish Gaelic
1755   Johnson's Dictionary
1759   Wolfe takes Quebec for England
1760--1850   Highland Clearances in Scotland, with resulting emigration and loss of Celtic
1763   Trading in Basra, Iraq
1765--1947   British rule over India
1773   Boston Tea Party
1775--1783   American War of Independence
1776   American Declaration of Independence
1780--1789   Colonies (of convicts) in Australia
1789   French Revolution
1789   George Washington first American president
1791   British colonies in Upper and Lower Canada
1803   Louisiana Purchase
1806   British take over the Cape Colony in South Africa
1806   Webster's Dictionary
1819--1824   Malacca and Singapore occupied by the British
1820--1829   Railroads in the US
1821--1823   Irish famine
1830--1839   Settlement of New Zealand
1834   Slavery abolished in the British Empire
1842   China cedes Hong Kong
1844   First telegraph
1837--1901   Reign of Queen Victoria
1853   Gadsden Purchase
1853   Japan opened to Western trade
1858   Decision to start the OED
1861--1865   American Civil War
1861   British colony in Nigeria
1862   British colony in Honduras
1865   Abolition of slavery in the United States of America
1869   Suez Canal opened
1876   Telephone invented
1884   Berlin Conference determines colonial power in Africa
1886   Annexation of Burma
1890--1899   Rhodesia and Uganda colonized in an attempt to control the Cape-to-Cairo corridor
1880--1902   Boer Wars and British conquest of South Africa
1898   American control over Hawaii, Philippines, and Puerto Rico
1898   Hong Kong and Territories leased to Britain for 99 years
1901   Death of Queen Victoria
1907   Hollywood becomes a filmmaking center
1914--1918   First World War
1916   Easter Uprising, leading to Irish independence in 1921
1918   Women (over 30) get the vote in Britain
1920   Kenya as British colony
1922   BBC starts
1928   OED appears (with supplement in 1933)
1931   Statute of Westminster (former British Dominions de fact independent); British Commonwealth
1939   photocopying invented
1939--1945   Second World war
1942   First computers
1945   United Nations founded
1946   Philippines independent
1947   The independence of India and Pakistan; and New Zealand
1948   Burma and Ceylon (Sri Lanka) independent
1949   NATO founded
1950--1953   Korean War
1951   First computers
1960   Nigeria becomes independent
1960   World population reaches 3 billion
1961--1975   Vietnam War
1963   Kenya becomes independent
1973   Britain joins European Union (confirmed in a 1975 referendum)
1980   CNN starts
1984   Apple PC
1990   Native American Languages Act
1990--1991   Gulf War
1990--1999   Internet becomes major communication tool
1999   World population reaches 6 billion
2000   OED online
2003   Iraq War
2003   In Wales, 20% speak Welsh, up 2.4% in 10 years


(後記 2013/03/18(Mon):同じ年表は Gelderen のコンパニオンサイトより,"Timeline" から閲覧できる.)

 ・ Gelderen, Elly van. A History of the English Language. Amsterdam, John Benjamins, 2006.

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2013-01-25 Fri

#1369. フィシャク版,英語史略年表 [timeline][history][historiography]

 昨日の記事「#1368. Fennell 版,英語史略年表」 ([2013-01-24-1]) に引き続き,今日はフィシャク版の年表を再現する.日本語での英語史年表もあると便利だと思い,和訳に従った (207--10) .同じ英語史の年表といっても,作成者によって力点が異なるものであり,それぞれに特徴がある.年表も確かに1つの歴史記述の方法であるということを認識させられる.

55, 54 BC   ユーリウス・カエサルが軍隊を率いてブリテン島に上陸
43 BC   ローマ帝国による組織的なブリテン島征服が始まる
end of C3   ゲルマン人諸部族による最初のブリテン島攻撃
367   スコット人(アイルランドから),ピクト人(北から),サクソン人(東から)が,ローマ支配下のブリテン島を攻撃
375   フン族の西進を逃れようと西ゴート族がドナウ川を渡りローマ領内に侵入し,ゲルマン民族の大移動が始まる.ローマ帝国が大打撃を受ける
383   ローマ軍がローマに召喚される
410   最後のローマ軍団がブリテン島から撤退
449   ゲルマン人部族がブリテン島に侵入し,征服を始める
c500   「バドニクス丘」の戦いで侵入者ゲルマン人が敗れ,ブリテン島征服は南部において一時中断
547?   ハンバー川以北にアングル族が王国を建てる
597   聖アウグスティヌスがケント王国に到着し,ブリテン島南部に住んでいたゲルマン人にキリスト教の布教を始める
634   アイルランドの修道僧がノーサンブリアのキリスト教化に乗り出す
655   マーシアのキリスト教改宗がノーサンブリアとアイルランドの宣教師たちの手により完了
664   ノーサンブリアにおいて,ホイットビー教会会議が開かれる.ブリテン島やアイルランドのキリスト教がローマ教会に統一される契機となる
c725   口承による『ベーオウルフ』がこの頃完成される
787   デーン人の侵攻が始まる
865   デーン人侵攻の第2期
871--899   アルフレッド大王の治世
879   アルフレッド大王と(グスルムが率いる)デーン人との間でウェドモアの協定.デーンロー地域の確定
886   アルフレッド大王がロンドンを占領.グスルムの王国を除く全イングランドがその統治権を認める
964   修道院の改革が始まり,英語の標準化に影響を与える
973   エドガーがバースにおいて,初めてキリスト教の儀式による戴冠式を挙げ,(デーンロー地域を含む)全イングランドの最初の王となる
991   オラフ・トリュグヴァソンがイギリスに侵攻.デーン人侵攻の第3期が始まる
1066   ウィリアム征服王がヘースティングズの戦いで勝利をおさめ,ノルマン人の英国征服が始まる.フランス語とラテン語が英語に代わって公用語となる
1154   『ピーターバラ年代記』と呼ばれる写本の記録はこの年で終結する.(一般に『アングロ・サクソン年代記』と呼ばれる.写本は7つあり,カエサルの侵入から始まっている.)
1204   ジョン王がフランス国王フィリップ2世に敗れ,ノルマンディーがフランス王の手に渡る.イギリスの民族主義が高まり始める
1250   英国貴族の二重忠節が終結し,フランス語を重んずる必要がなくなる
1258   ヘンリー3世が,ノルマン人の英国征服以降初めて英語で布告を出す
1295   チェルムズフォードの裁判所で,文書が英語とフランス語の両語で読まれる
1337--1453   百年戦争.この戦争により,イギリス人はフランスのあらゆるものに対して敵愾心を抱くようになる
1344   大法官宛の請願書が初めて英語で書かれる
1348--1350   黒死病のため,イギリス社会に大規模な住民の移動がおこる
1362   国会が初めて英語で開会される.議会は「訴答手続法」を制定し,1363年1月以降はすべての訴訟手続,審議は英語で行なうことに決められる
1381   農民一揆がおこり,社会的変動の進行を加速する
c1385   英語がイングランド全域の学校で用いられるようになる
1413   ヘンリー4世が英国王として初めて英語で遺書を残す
1422   英語による最初の玉璽文書
1423   国会の議事録が英語で書かれ始める
c1430   町や同業組合の公文書に英語を用い始める
1476   ウィリアム・キャクストンがイングランドに戻り,ウエストミンスターに最初の印刷所をつくる
1499   キャクストンの後継者ピンソンが,英語・ラテン語の二言語語彙集,『子供のための言葉の宝庫』を出版する(書かれたのは1440年).辞書編纂への一歩となる
1534   ヘンリー8世がローマ教会との関係を絶ち,英国国教会が成立
1564--1616   ウィリアム・シェークスピアの生涯
1586   ウィリアム・ブローカ著『文法のための小冊子』(同著者による現存しない文法書の簡易版)が出版される.最初の英文法書
1588   スペインの無敵艦隊に勝利.英語が世界に広がる端緒となる
1604   ロバート・コードリー著『アルファベット順語彙一覧』の出版.最初の英語の一言語辞典(英英辞典)
1607   アメリカに英語がもたらされる.今日のヴァージニア州に,入植者によってジェームズタウンが建設される
1611   欽定英訳聖書(ジェームズ王聖書)の出版
1639--1686   インド(マドラス,カルカッタ,ボンベイ)に英国の入植地が建設される
1642--1660   市民革命
1664   王立教会が「英語を改良するための」委員会を設置
1712   J. スウィフトによるオックスフォード伯への手紙が『英語の矯正,改良,確定のための提案』として出版され,アカデミーの設立を促す
1713   ノヴァスコシアがフランスからイギリスに譲渡される
1755   サミュエル・ジョンソン著『英語辞典』が出版される.19世紀末まで正しい英語の揺るぎない権威的存在となる
1759   ウルフ将軍がケベックの戦いでフランス軍に勝利
1761   インドがイギリスの植民地となる
1769--1777   キャプテン・クックが,南太平洋への航海途上で,オーストラリア,ニュージーランド,タスマニアをイギリス王領と宣言する
1775--1783   アメリカ独立戦争により,アメリカ合衆国の誕生
1788   オーストラリアのニューサウスウェールズに最初の流刑地植民地が建設される.ケープタウン(南アフリカ)にあるオランダ植民地がイギリス領有となる
1805   トラファルガーの海戦においてイギリス軍がフランス軍に勝利する.イギリスが海上覇権を掌握し植民地拡大への道を開く
1816   イギリスで最初の安価な新聞が発行され,英語に影響を与えるマスメディア時代が始まる
1840   ニュージーランドにおいて,イギリス植民地が建設される.イギリスの安価な郵便制度が文字通信の発達を促し,さらに英語が普及する
1858   『新英語辞典』(後に『オックスフォード英語辞典』と称される)の編集作業が始まる
1890--1910   数多くの発明や科学上の発見が,英語に前例のない大きな影響を与える
1899--1901   南アフリカのブール戦争において初期オランダ入植者の子孫が敗北.イギリスの覇権が確立
1914--1918   第1次世界大戦.英語の威信が高まる.フランス語は教育言語として,また外交言語としてさえ,その地位を失い始める(ヴェルサイユ条約がフランス語と英語で書かれる)
1939--1945   第2次世界大戦がさらに,英語の普及を押し進め,その威信を高める


 ・ ヤツェク・フィシャク著,小林 正成・下内 充・中本 明子 訳 『英語史概説 第1巻外面史』 青山社,2006年.

Referrer (Inside): [2013-02-02-1]

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2013-01-24 Thu

#1368. Fennell 版,英語史略年表 [timeline][history][historiography]

 「#777. 英語史略年表」 ([2011-06-13-1]) では,Crystal 版の英語史略年表を掲載したが,今回は Fennell 版を再現する.Fennell では各章の最初に対象となっている時代に関する年表が載せられており,以下はそれをほぼ忠実に編集したまでで,細かくは整理していない.Fennell の著書の題名から予想されるとおり,社会史的な側面が強く反映されている年表である.

8000 BC   Hunter groups move into Lapland
7000 BC   Wheat, barley and pulses cultivated from Anatolia to Pakistan; goats and pigs domesticated
7000 BC   Farming developed on Indian subcontinent; barley main crop
6500 BC   Adoption of farming in Balkan region; beginning of the European Neolithic spread of domestic animals, probably from Anatolia
6200 BC   Farming villages established in the west and central Mediterranean
5200 BC   First farmers of central Europe spread northwest as far as the Netherlands
4500 BC   Cattle used as plough animals in lower Danube region
4500 BC   First megalithic tombs built in western Europe
4400 BC   Domestication of horse on Eurasian Steppes
4200 BC   Earliest copper mines in eastern Europe
4200 BC   Agriculture begins south of the Ganges
3800 BC   Ditched enclosures around settlements in western Europe, forming defended villages
3500 BC   New faming practices: animals increasingly used for traction, wool and milk; simple plough (ard) now used in northern and western Europe
3250 BC   Earliest writing from western Mesopotamia: pictographic clay used for commercial accounts
3200 BC   First wheeled vehicles in Europe (found in Hungary)
3100 BC   Cuneiform script developed in Mesopotamia
3000 BC   Construction of walled citadels in Mediterranean Europe and development of successful metal industry
2900 BC   Appearance of Corded Ware pottery in northern Europe
2500 BC   Bell beakers found in western Europe, often associated with individual burials
2500 BC   Development of urban civilization in the Indian Plain
2500 BC   Earliest syllabic script used in Sumerian literature
2300 BC   Beginning of full European Bronze Age
2000 BC   Fortified settlements in east and central Europe point to increasing social and economic pressures
1900 BC   Cretan hieroglyphic writing
1850 BC   Horses used for the first time to pull light carts in the western Steppes
1650 BC   Linear A script (Crete and the Cyclades)
1650 BC   City-states of central Anatolia unified to form the Hittite kingdom with a strongly fortified capital at Boğazköy
1400 BC   Linear B script (mainland and islands of Greece)
1400 BC   Development of pastoral nomadism on the Steppes: cattle herded from horseback
1300 BC   Westward spread of urnfield cemeteries
1200 BC   Collapse of Hittite empire
1000 BC   Hillforts in Western Europe
1000 BC   Full nomadic economy on the Steppes based on rearing horses, cattle and sheep
850 BC   First settlement at Rome; cluster of huts on Palatine Hill
800 BC   Establishment of culture north and east of Alps --- first stage of Celtic Iron Age (Hallstatt)
800 BC   Rise of Etruscan city-states in central Italy
800 BC   Rise of cities and states in Ganges Valley supported by rice farming
750 BC   First Greek alphabetic inscription
750 BC   Ironworking spreads to Britain
750 BC   Earliest Greek colonies set up from western Mediterranean to the eastern shores of the Black Sea
690 BC   Etruscan script developed from Greek
600 BC   Trade between Celts north west of Alps and Greek colonies of the west Mediterranean; rich wagon burials attest to wealth and power of Celtic elite
600 BC   Latin script
600 BC   Central lowlands of northern Europe first settled
600 BC   First Greek coins
480 BC   2nd stage of European Bronze Age (La Tène)
480 BC   Emergence of classical period of Greek arts and architecture
480 BC   City-states reach height of importance
460 BC   Parchment replaces clay tablets for Aramaic administrative documents
450 BC   Athens, the greatest Greek city-state, reaches the peak of its power
400 BC   Carthage dominates the west Mediterranean
390 BC   Celts sack Rome
334 BC--329 BC   Alexander the Great invades Asia Minor, conquers Egypt and Persia and reaches India; Hellenism established in Asia
331 BC   Alexandria founded
250 BC   Brahmin alphabetic script in India
250 BC   All of peninsular Italy controlled by Rome
206 BC   Rome gains control of Spain
146 BC   Romans destroy the Greek states but Greek culture still important and Greek artists brought to Rome
146 BC   Roman destruction of Carthage
55 BC   Julius Caesar attempts to invade Britain
27 BC   Augustus sole ruler of Roman empire
43--50   Emperor Claudius invades Britain
50   Rome largest city in the world --- population 1 million
117   Roman empire reaches its greatest extent
125   Hadrian's Wall built
285   Administrative separation of eastern and western halves of Roman empire
313   Edict of Milan: toleration of Christianity in Roman empire
330   Constantine founds Constantinople as new eastern capital of the Roman empire
410   Sack of Rome by Visigoths leading to collapse of western Roman empire
410   Romans withdraw from Britain
429   German (Vandal) kingdom in north Africa
449   Angles, Saxons and Jutes invade Britain
597   St Augustine introduces Christianity to the English
787   Scandinavian invasions begin
793   Sacking of Lindisfarne
878   King Alfred defeats the Danes at Eddington
878   Treaty of Wedmore
899   King Alfred dies
1016   Danish King Cnut rules England
1042   Accession of Edward the Confessor to the English throne
1066   Battle of Hastings; Norman Conquest
1095   First Crusade
1170   Assassination of Thomas à Becket
1204   King John loses lands in Normandy
1259--1265   The Barons' War
1337--1453   The Hundred Years War
1340--1400   Geoffrey Chaucer
1346   Battle of Crecy
1346   Battle of Poitiers
1348--1351   The Black Death
1362   Parliament opened in English
1362   The Statute of Pleading (English becomes the official language of legal proceedings)
1381   The Peasants' Revolt
1415   Battle of Agincourt
1476   Caxton introduces the printing press
1489   French no longer used as the language of Parliament
1509   Henry VIII ascends the throne
1534   Act of Supremacy
1536   Small monasteries dissolved
1536   Statute incorporates all of Wales with England
1539   English translation of Bible in every church
1547   Edward VI
1553   Mary Tudor
1554   Mary marries Philip of Spain
1558   Elizabeth I
1559   Act of Supremacy restores laws of Henry VIII
1574   First company of actors; theatre building begins
1577   Sir Francis Drake plunders west coast of South America
1584   Colonists at Roanoke
1600   British East India Company founded
1600   Population of England c.2.5 million
1603   James I
1605   Barbados, West Indies, claimed as English colony
1606   Virginia Company of London sends 120 colonists to Virginia
1607   Jamestown, Virginia, is established by London Co. as the first permanent English settlement in America
1611   King James Bible
1616   Death of Shakespeare
1620   The Pilgrims arrive at Plymouth Rock on the Mayflower
1621   English attempt to colonize Newfoundland and Nova Scotia
1625   Charles I
1627   Charles I grants charter to the Guiana Company
1633   English trading post established in Bengal
1637   English traders established in Canton
1639   English established at Madras
1642--1646   Civil War
1646   English occupy the Bahamas
1648   Second Civil War
1649   Cromwell invades Ireland
1649   Charles I beheaded
1649   Charles II
1649   Commonwealth established
1653   Cromwell becomes Lord Protector
1655   English capture Jamaica
1660   Charles II restored to throne
1663   Charles II grants charter to Royal African Company
1668   British East India Company gains control of Bombay
1670   English settlement in Charles Town, later Charleston, South Carolina
1680--1689   Welsh Quakers settle in large numbers in Pennsylvania
1680--1689   First German immigrants in America
1684   Bermudas become Crown Colony
1689   William and Mary proclaimed king and queen in England and Ireland
1690   Calcutta founded
1690   Population of England c.5 million
1700   Population of England and Scotland 7.5 million
1707   Union of England and Scotland as Great Britain
1707   British land in Acadia, Canada
1710   English South Sea Company founded
1727   George II
1729   North and South Carolina become Crown Colonies
1729   Benjamin and James Franklin publish 'The Pennsylvania Gazette'
1744   Robert Clive arrives at Madras
1756--1763   The French and Indian War in North America
1759   British take Quebec from the French
1760   George III
1762   British capture Martinique, Grenada, Havana and Manila
1765--1947   British Raj in India
1770   James Cook discovers Botany Bay, Australia
1774   Parliament passes the Stamp Act, unifying the colonies against the British
1775   The East India, or Tea, Act prompts the Boston Teat Party
1775--1783   American War of Independence
1776   American Declaration of Independence
1776   The Revolutionary War begins
1778   Cook discovers Hawaii
1783   The Treaty of Paris successfully ends the Revolution
1783   British recognize US independence
1784   Pitt's India Act: East India Company under government control
1786   Penang ceded to Great Britain
1789   George Washington inaugurated as first US President
1790   The first penal colony established in Sydney, Australia
1795, 1806   British forces occupy Cape of Good Hope
1800   British capture Malta
1803   The Louisiana Purchase doubles the size of US territory
1810   British seize Guadeloupe
1811   British occupy Java
1812--1814   War of 1812 between the USA and Britain
1819   Florida purchased by the USA from Spain
1819   British settlement established in Singapore by East India Company
1822   English becomes the official language of the Eastern Cape of South Africa
1822   Liberia founded --- Africa's oldest republic
1824   Erie Canal opens, strengthening east-west trade, but increasing the isolation of the south
1824   British take Rangoon, Burma
1828   The Baltimore and Ohio Railway opens
1832   Britain occupies the Falkland Islands
1837   Queen Victoria
1837   The electric telegraph demonstrated by Samuel Morse
1840   New Zealand becomes an official colony
1840   Penny post introduced in Britain
1842   Hong Kong ceded to Great Britain
1848   Gold discovered in California
1849   Gold Rush
1851   Victoria, Australia, proclaimed separate colony
1852   New constitution for New Zealand
1858   Powers of East India Company transferred to British Crown
1860   Kowloon added to British territories in South-East Asia
1861   Civil War begins with the Confederate attack on Fort Sumter
1861   British Colony founded in Lagos, Nigeria
1863   Emancipation of the slaves is proclaimed, as of 1 January
1865   General Lee surrenders to Grant at Appomattox
1865   President Lincoln is assassinated, five days later
1867   Alaska is purchased from Russia, becoming the 49th state in 1959
1867   Federal Malay States become a Crown Colony
1869   The first transcontinental railroad is completed
1876   Alexander Graham Bell patents the telephone
1877   Edison invents the phonograph
1878   David Hughes invents the microphone
1879   London opens its first telephone exchange
1884   Papua New Guinea becomes British protectorate
1885   Britain established protectorate over Northern Bechuanaland, Niger River Region and southern New Guinea, and occupies Port Hamilton, Korea
1886   First Indian National Congress meets
1887   First Colonial Conference opens in London
1888   Cecil Rhodes granted mining rights by King of Matabele
1890   Rhodes becomes Premier of Cape Colony
1893   Uganda united as British protectorate
1893   USA annexes Hawaii
1895   Marconi invents radiotelegraphy
1895   Auguste and Louis Lumière invent the motion-picture camera
1895   British South Africa Company territory south of the Zambezi River becomes Rhodesia
1898   America receives Guam and sovereignty over the Philippines
1898   New Territories leased by Britain from China for 99 years
1899   First magnetic sound recordings
1899--1902   Boer War
1900   R. A. Fessenden transmits the human voice via radio waves
1900   British capture Bloemfontein, relieve Mafeking, annex Orange Free State and Transvaal and take Pretoria and Johannesburg Commonwealth of Australia created
1901   Marconi transmits radiotelegraph messages from Cornwall to New Zealand
1901   End of Queen Victoria's reign
1903   Ford Motor Company founded
1903   Orville and Wilbur Wright make the first successful manned flight at Kitty Hawk, North Carolina
1903   British conquer northern Nigeria
1907   New Zealand becomes a dominion within the British Empire
1908   Union of South Africa established
1908   Henry Ford introduces the mass-produced Model T
1914   Panama Canal opened
1914--1918   World War I
1916   USA purchases Danish West Indies (Virgin Islands)
1917   USA purchases Dutch West Indies
1919   League of Nations founded
1920   Gandhi emerges as leader of India
1920   Kenya becomes British colony
1921   British Broadcasting Corporation founded
1921   First Indian Parliament meets
1924   The National Origins Act marks the official end of large-scale immigration to America; from this point on numbers are restricted and quotas are introduced
1924   British Imperial Airways founded
1925   John Logie Baird transmits a picture of a human face via television
1928   John Logie Baird demonstrates first colour television
1929   Teleprinters and teletypewriters first used
1929   First scheduled TV broadcasts in Schernectedy, New York
1929   First talking pictures made
1936   BBC London television service begins
1938   Lajos Biró invents the ball-point pen
1939--1945   World War II
1942   First computer developed in the United States
1942   Magnetic recording tape invented
1944   First telegraph line used between Washington and Baltimore
1945   United Nations founded
1946   Chester Carlson invents Xerography
1946   Philippines become independent from the United States
1947   Transistor invented at Bell Laboratories
1947   India proclaimed independent
1948   Peter Goldmark invents the long-playing record
1951   Colour TV introduced into USA (15 million TV sets in USA)
1952   Accession of Queen Elizabeth II
1957   Common Market established by Treaty of Rome
1957   Malaysian independence
1958   First stereophonic recordings
1962--1975   Uganda, Kenya, Zambia (Northern Rhodesia), Malawi, Malta, Gambia, Southern Rhodesia (Zimbabwe), Guyana, Mauritius, Nigeria, Bahamas, Papua New Guinea all become independent of Great Britain
1965   Atlantic cable completed
1968   Intelsar communication satellite launched
1989   South Africa desegregated
1997   Hong Kong rule returns to China


 ・ Crystal, David. The English Language. 2nd ed. London: Penguin, 2002.
 ・ Fennell, Barbara A. A History of English: A Sociolinguistic Approach. Malden, MA: Blackwell, 2001.

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2013-01-22 Tue

#1366. 英語が非民主的な言語と呼ばれる理由 [lexicology][loan_word][french][latin][renaissance][history][register][sociolinguistics][lexical_stratification]

 「#134. 英語が民主的な言語と呼ばれる理由」 ([2009-09-08-1]) で英語(の歴史)の民主的な側面を垣間見たが,バランスのとれた視点を保つために,今回は,やはり歴史的な観点から,英語の非民主的な側面を紹介しよう.
 英語は,近代英語初期(英国ルネサンス期)に夥しいラテン借用語の流入を経験した (##114,1067,1226).これによって,英語語彙における三層構造が完成されたが,これについては「#334. 英語語彙の三層構造」 ([2010-03-27-1]) や「#1296. 三層構造の例を追加」 ([2012-11-13-1]) で見たとおりである.語彙に階層が設けられたということは,その使用者や使用域 (register) にも対応する階層がありうることを示唆する.もちろん,語彙の階層とその使用に関わる社会的階層のあいだに必然的な関係があるというわけではないが,歴史的に育まれてきたものとして,そのような相関が存在することは否定できない.上層の語彙は「レベル」の高い話者や使用域と結びつけられ,下層の語彙は「レベル」の低い話者や使用域と結びつけられる傾向ははっきりしている.
 この状況について,渡部 (244) は,「英語の中の非民主的性格」と題する節で次のように述べている.

人文主義による語彙豊饒化の努力が産んだもう一つの結果は,英語が非民主的な性格を持つようになった,ということであろう.OE時代には王様の言葉も農民の言葉もたいして変りなかったと思われる.上流階級だからと言って特に難かしい単語を使うということは少なかったからである.その状態は Norman Conquest によって,上層はフランス語,下層は英語という社会的二重言語 (social bilingualism) に変ったが,英語が復権すると,英語それ自体の中に,一種の社会的二言語状況を持ち込んだ形になった.その傾向を助長したのは人文主義であって,その点,Purism をその批判勢力と見ることが可能である.事実,聖書をほとんど唯一の読書の対象とする層は,その後近代に至るまでイギリスの民衆的な諸運動とも結びついている.


 英語(の歴史)は,ある側面では非民主的だが,別の側面では民主的である.だが,このことは多かれ少なかれどの言語にも言えることだろう.また,言語について言われる「民主性」というのは,「#1318. 言語において保守的とは何か?」 ([2012-12-05-1]) や「#1304. アメリカ英語の「保守性」」 ([2012-11-21-1]) で取り上げた「保守性」と同じように,解釈に注意が必要である.「民主性」も「保守性」も価値観を含んだ表現であり,それ自体の善し悪しのとらえ方は個人によって異なるだろうからだ.それでも,社会言語学的な観点からは,言語の民主性というのはおもしろいテーマだろう.
 なお,英語における民主的な潮流といえば,「#625. 現代英語の文法変化に見られる傾向」 ([2011-01-12-1]) や「#1059. 権力重視から仲間意識重視へ推移してきた T/V distinction」 ([2012-03-21-1]) の話題が思い出される.

 ・ 渡部 昇一 『英語の歴史』 大修館,1983年.

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2012-11-16 Fri

#1299. 英語で「みかん」のことを satsuma というのはなぜか? [etymology][history][sobokunagimon]

 日本人が日ごろ見慣れている「みかん」は温州みかん(ウンシュウミカン)を指し,欧米でも広く知られている.英語では satsuma (orange) /sæˈʦuːmə, ˈsæʦʊmə/ と呼ばれているが,どのような経緯で「サツマ」と呼ばれるようになったのだろうか.
 ある説によると,温州みかんの原産地は古くから中国と交流があった天草の南にある島,鹿児島県長島と推定されており,この推定される原産地にちなんで satsuma と呼ばれているということである.
 興味深い別の説によると,原産地が薩摩(鹿児島)であるかどうかは関係なく,在日アメリカ大使館職員の家族が同地方からみかんをアメリカに持ち帰って紹介したことにちなむともされる.
 OED によると,1882年の文献で初めてこの語が使われている.1943年の例として挙げられている文献 Webber and Batchelor (551) に当たってみると,次のような記述があった.

The Satsuma was first introduced into the United States in 1876 by Dr. George R. Hall; and in 1878 General Van Valkenburg, then United States minister to Japan, brought in other trees. The name Satsuma was given to the variety by Mrs. Van Valkenburg.


 ここに言及されている Van Valkenburg という人物について調べてみると,こちらの方のブログに,次のような記述を見つけることができた.

1878年頃,当時横浜に駐在していたアメリカの高官,Robert Van Valkenburg が,奥方と九州を旅行した時,薩摩ミカンのあまりにも甘くて美味しい味に感激し,奥方の故郷であるフロリダへ土産として送り出したという記録が残っているらしい.それと相前後して,フロリダからテキサス一帯にこの薩摩ミカンが紹介され,一気に薩摩ミカンの栽培が広がったようだ.アラバマのイチジクを栽培していた地域が,薩摩ミカンの栽培拡大と共に,1915年に薩摩ミカンに因んで名前を変えて今日に至っている.


 さらに,Louisiana でミカン畑を営む Simon Citrus Farm には,次のような記述も見られる.

The Satsuma mandarin may have originated in China but is was first reported in Japan more than 700 years ago. The first recorded introduction into the United States was in Florida by George R. Hall in 1876. The name "Satsuma" is credited to the wife of a U.S. Minister to Japan, General Van Valkenburg, who sent trees home in 1878 from Satsuma, the name of a former province, now Kagoshima Prefecture, on the southern tip of Kyushu Island.


 上のをまとめれば,まず1876年に Dr. George R. Hall なる人物によって温州ミカンがアメリカに持ち込まれた.その後,別途,1878年に駐日高官 Van Valkenburg 夫妻により温州ミカンがアメリカに導入され,それが satsuma と呼ばれることになったということだ.
 なお,Alabama には Satsuma と呼ばれる地名がある.同市のHPによると,確かに1878年に同州にみかんが紹介されたとある.同町は,以降30年くらいの間にみかんの栽培で知られるようになり,1915年に Satsuma と命名された.ほかにも似たような背景で,Florida, Texas, Louisiana にも Satsuma という地名がある.

・ Webber, Herbert John and Leon Dexter Batchelor, eds. The Citrus Industry. Vol. 1. History, Botany, and Breeding. Berkeley and Los Angeles: U of California P, 1943.

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2012-11-02 Fri

#1285. FLASHで英語史略年表 [timeline][history][flash][web_service][world_languages][loan_word][link]

 マンチェスター大学の発信する,子供向け教育コンテンツを用意しているこちらのサイトのなかに,Timeline of English Language なるFLASHコンテンツを発見した.粗い英語史年表で,あくまで導入的な目的での使用を念頭に置いたものだが,話の種には使えるかもしれないので紹介しておく.
 言語に関する他のコンテンツへのリンクは,こちらにある.次のものなどは,結構おもしろい.

 ・ World Language Map
 ・ Borrowing Game

 簡易年表ということでいえば,A brief chronology of English なるものを見つけた.本ブログ内では,timeline を参照.

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2012-10-12 Fri

#1264. 歴史言語学の限界と,その克服への道 [methodology][uniformitarian_principle][writing][history][sociolinguistics][laeme][corpus][representativeness][evidence]

 [2012-10-10-1], [2012-10-11-1]の記事で,The LAEME Corpus の代表性について取りあげた.私の評価としては,カバーしている方言と時代という観点からみて代表性は著しく損なわれているものの,現在利用できる初期中英語コーパスとしては体系的に編まれた最大規模のコーパスであり,十分な注意を払ったうえで言語研究に活用すべきツールである.The LAEME Corpus の改善すべき点はもちろんあるし,他のコーパスによる補完も目指されるべきだとは考えるが,言語を歴史的に研究する際に必然的につきまとう限界も考慮した上で評価しないとアンフェアである.
 歴史言語学は,言語の過去の状態を観察し,復元するという課題を自らに課している.過去を扱う作業には,現在を扱う作業には見られないある限界がつきまとう.Milroy (45) の指摘する歴史言語学研究の2つの限界 (limitations of historical inquiry) を示そう.

[P]ast states of language are attested in writing, rather than in speech . . . [W]ritten language tends to be message-oriented and is deprived of the social and situational contexts in which speech events occur.

[H]istorical data have been accidentally preserved and are therefore not equally representative of all aspects of the language of past states . . . . Some styles and varieties may therefore be over-represented in the data, while others are under-represented . . . . For some periods of time there may be a great deal of surviving information: for other periods there may be very little or none at all.


 乗り越えがたい限界ではあるが,克服の努力あるいは克服にできるだけ近づく努力は,いろいろな方法でなされている.そのなかでも,Smith はその著書の随所で (1) 書き言葉と話し言葉の関係の理解を深めること,(2) 言語の内面史と外面史の対応に注目すること,(3) 現在の知見の過去への応用の可能性を探ること,の重要性を指摘している.
 とりわけ (3) については,近年,社会言語学による言語変化の理解が急速に進み,その原理の過去への応用が盛んになされるようになってきた.Labov の論文の標題 "On the Use of the Present to Explain the Past" が,この方法論を直截に物語っている.
 これと関連する方法論である uniformitarian_principle (斉一論の原則)を前面に押し出した歴史英語の論文集が,Denison et al. 編集のもとに,今年出版されたことも付け加えておこう.

 ・ Milroy, James. Linguistic Variation and Change: On the Historical Sociolinguistics of English. Oxford: Blackwell, 1992.
 ・ Smith, Jeremy J. An Historical Study of English: Function, Form and Change. London: Routledge, 1996.
 ・ Labov, William. "On the Use of the Present to Explain the Past." Readings in Historical Phonology: Chapters in the Theory of Sound Change. Ed. Philip Baldi and Ronald N. Werth. Philadelphia: U of Pennsylvania P, 1978. 275--312.
 ・ Denison, David, Ricardo Bermúdez-Otero, Chris McCully, and Emma Moore, eds. Analysing Older English. Cambridge: CUP, 2012.

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2012-09-22 Sat

#1244. なぜ規範主義が18世紀に急成長したか [language_myth][standardisation][prescriptive_grammar][history]

 [2011-01-13-1]の記事「#626. 「フランス語は論理的な言語である」という神話」で,16世紀に始まったフランス語標準化の流れが,18世紀末の革命において最高潮を迎え,フランス語万能という神話へとすり替わった経緯を見た.記事の後半でイギリスでは「英語=イギリス国民の統合の象徴」という意識はずっと弱いと述べたが,Watts の論考を読み,近代イギリスにも対応する英語の標準化と神話化が確かにあり,18世紀に至って頂点に達していたことがわかった.現在,英語万能論やそれと密接に関連する規範主義の信奉は,「論理的なフランス語」ほど喧伝されはしないものの,ある意味では世界中に浸透しているとも言え,考えてみると恐ろしい.standardisation の各記事,とりわけ最近の記事 ([2012-09-06-1], [2012-09-15-1]) で標準英語の発展と確立の歴史について書いてきたが,今回は,なぜとりわけ18世紀に標準英語を規範化し,それを信奉する思潮が生じたのかを考えてみたい.
 Watts (34--35) によれば,後期中英語から近代英語の時代にかけて,相互に関係する言語にまつわる種々の神話が育っていった.主要な神話を挙げると,language and ethnicity myth, language and nationality myth, language variety myth, myth of superiority, myth of the perfect language, golden age myth, myth of the undesirability of change である.Watts は,各時代の言語観を露呈する評言を集め,種々の神話の消長を年代順に図示した (41) .language and ethnicity myth と language variety myth が17世紀の終わりにかけて沈んで行くのに対し,myth of superiority, language and nationality myth, myth of the perfect language, golden age myth, myth of the undesirability of change が18世紀の前半にかけて一気に伸長している.後者の神話の糸が束ねられたそのとき,規範主義という大きな神話が生まれたのだとする.
 その時代背景には,とりわけイギリスの国際社会における台頭と,国威の内外への誇示の必要性があった.1603年の James I によるイングランドとスコットランドの王位統一を前段階として,1707年には両国の議会が統一した.イギリスは海外へも新出を果たした.アメリカ植民地や西インド諸島を押さえてフランスと対抗するとともに,南アジアや東南アジアではオランダと対抗しつつ,東インド会社を設立し,インド獲得への足がかりを作った.アフリカとアメリカでは奴隷貿易を成功させ,フランスやオランダとの確執もいっそう激しくなった.
 このような国際交易の異常な発達と植民地争いの激化により,イギリスは強い国家アイデンティティを激しく必要とするようになった.国家アイデンティティを作り上げるために,政治,経済,司法など文化の中心であるロンドンは,公教育を利用して書きことば標準英語を中央集権的に推進し,その万能たることを国内のみならず国外へも知らしめる策に打って出た.こうして,書きことば標準英語が国威の象徴として持ち上げられ.それとともに規範遵守の潮流が生まれたのである.
 ただし,18世紀前半に規範主義が生まれたとはいっても,何もないところから突如として生じたわけではない.Watts (30) の強調するように,そのようなイデオロギーの発達は,次のようなお膳立てがあってこその帰結だった.

. . . any language ideology can only be formed
1 on the basis of beliefs about language, and attitudes towards language, which already have a long history, and
2 as a driving force behind a centrally significant social institution, the institution in this case being public education.


 ・ Watts, Richard J. "Mythical Strands in the Ideology of Prescriptivism." The Development of Standard English, 1300--1800. Ed. Laura Wright. Cambridge: CUP, 2000. 29--48.

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2012-09-18 Tue

#1240. ノルマン・コンクェスト後の法律用語の置換 [lexicology][norman_conquest][history][loan_word][french][norman_french][me][law_french]

 [2012-09-03-1]の記事「#1225. フランス借用語の分布の特異性」で言及した Lutz の論文に,標題の語彙交替を示す表が挙げられていた.古英語で用いられていた本来語の法律用語が,中英語以降(現代英語へ続く)に対応するフランス借用語語により置きかえられたという例である.網羅的ではないが,一瞥するだけで置換の様子がよく分かる表である.以下に再現しよう (149) .

OE ModE
   
dōm   --   judgment
dōmærn †, dōmhūs   --   court-house
dōmlic   --   judicial
dēma †, dēmere   --   judge
dēman   --   to judge
fordēman   --   to condemn
fordēmend   --   accuser
betihtlian   --   to accuse, charge
gebodian †, gemeldian   --   to denounce, inform
andsacian †, onsecgan   --   to renounce, abjure
gefriþian   --   to afford sanctuary
mānswaru †, āþbryce   --   perjury
mānswara   --   perjurer
mānswerian   --   to perjure oneself
(ge)scyld †, scyldignes   --   guilt
scyldig   --   guilty, liable
scyldlēas   --   guiltless
   
āþ   >   oath
þēof   >   thief
þeofþ   >   theft
morþ, morþor + OF murdre   >   murder


 doomdeem など,現代まで残っている本来語はあるが,法律用語としての語義は失っている.また,法律用語として残っている最後の4語についても,フランク語や古ノルド語の同根語がノルマン人の法律用語としてすでに定着していたゆえとも考えられる.
 Lutz は,征服者の制度と強く結びついたこれらの語彙が英語へ借用された事実を挙げ,とかくフランス文化への憧れというような借用の原動力に関する議論がなされるが,征服者の「力」を想定せざるを得ないフランス語借用もあるということを主張する.フランス語のもつ宮廷文化,ロマンス,食事,学問といった華やかな連想の影に,生々しい政治的,軍事的な力が隠されてしまっているのではないか,と問題を提起しているかのようだ.

. . . the particularly large share of French in the basic vocabulary of Modern Standard English cannot be attributed to its cultural appeal alone but results from forced linguistic contact exerted by the speakers of the language of a conquering power on that of the conquered population. Ordinary borrowing, guided by the wish to acquire new things and concepts and, together with them, the appropriate foreign terms, could not have led to such an extreme effect on the basic vocabulary of the recipient language.


 関連して,「#1209. 1250年を境とするフランス借用語の区分」 ([2012-08-18-1]) や「#1210. 中英語のフランス借用語の一覧」 ([2012-08-19-1]) を参照.また,法律におけるフランス語について,「#336. Law French」 ([2010-03-29-1]) と「#433. Law French と英国王の大紋章」 ([2010-07-04-1]) も参照.

 ・ Lutz, Angelika. "When did English Begin?" Sounds, Words, Texts and Change. Ed. Teresa Fanego, Belén Méndez-Naya, and Elena Seoane. Amsterdam and Philadelphia: John Benjamins, 2002. 145--71.

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2012-08-15 Wed

#1206. 中世イングランドにおける英語による教育の始まり [black_death][reestablishment_of_english][history]

 [2009-09-12-1]の記事「#138. 黒死病と英語復権の関係について再考」で,「黒死病によって年配のフランス語教師たちがいなくなったために,フランス語やラテン語を知らない人びとが英語で発言する機会が増えた」ことが,イングランドにおける英語の復権とフランス語の衰退に貢献したのではないかという論を紹介した.
 黒死病の余波に苦しんだ14世紀後半のイングランドの grammar school で,ラテン語を解釈するための媒介言語としてフランス語ではなく英語が用いられるようになったのは,事実である.Oxford でラテン語を教えていた2人の教師 John Cornwall と Pencrich の一種の「教育改革」について,John Trevisa が次の興味深いコメントを残している.Baugh and Cable (150) の引用を再現しよう (from Polychronicon, II, 159 [Rolls Series], from the version of Trevisa made 1385--1387) .

Þis manere was moche i-vsed to fore þe firste moreyn and is siþþe sumdel i-chaunged; for Iohn Cornwaile, a maister of grammer, chaunged þe lore in gramer scole and construccioun of Frensche in to Englische; and Richard Pencriche lerned þat manere techynge of hym and oþere men of Pencrich; so þat now, þe ȝere of oure Lorde a þowsand þre hundred and foure score and fyue, and of þe secounde kyng Richard after þe conquest nyne, in alle þe gramere scoles of Engelond, children leueþ Frensche and construeþ and lerneþ an Englische, and haueþ þerby auauntage in oon side and disauauntage in anoþer side; here auauntage is, þat þey lerneþ her gramer in lasse tyme þan children were i-woned to doo; disauauntage is þat now children of gramer scole conneþ na more Frensche þan can hir lift heele, and þat is harme for hem and þey schulle passe þe see and trauaille in straunge landes and in many oþer places. Also gentil men haueþ now moche i-left for to teche here children Frensche. (150--51)


 1349年の黒死病の流行の後,この2人の教師とその影響を受けた他の教師は,フランス語ではなく英語によりラテン語解釈を施すという語学教育へ切り替えた,とある.そして,1385年までにはこの新しい教授法が一般的になっていたことが読み取れる.Trevisa のコメントは,冒頭に要約した論を直接に支持するものではないが,黒死病と教師の欠乏との因果関係,ラテン語教育と媒介言語の問題などについての考察を促してくれる重要な史料である.

 ・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 5th ed. London: Routledge, 2002.

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2012-08-14 Tue

#1205. 英語の復権期にフランス借用語が爆発したのはなぜか [french][loan_word][history][bilingualism][reestablishment_of_english][language_shift]

 [2009-08-22-1]の記事「#117. フランス借用語の年代別分布」で,Jespersen と Koszal による,フランス借用語の流入率の通時的変化を見た.フランス借用語は13世紀と14世紀に爆発期を迎えるが,この時期はちょうど英語がフランス語から解放されて復権を遂げてゆく時期である([2009-09-05-1]の記事「#131. 英語の復権」を参照).一見すると,この符合は矛盾するように思われる.これについて,先の記事では「フランス語を母語としていた貴族が英語に乗り換える際に,元母語から大量の語彙をたずさえつつ乗り換えたと考えれば合点がいく」と述べた.
 もう少し詳しく述べるために,Schmitt and Marsden (84) から引用しよう.

Our records for the 11th and early 12th centuries are sparse, but it appears that the words entered quite slowly at first, came at a greater rate later in the 12th century, and then flooded in during the 13th and 14th centuries. One reason for this is that it was not until the 13th century that English was finally becoming established again as the language of administration and creative literature (replacing French), and many specialist terms and words to express new social structures and new ideas, unavailable in the native language, were now needed.


 続けて,Baugh and Cable (135) より.

Instead of being a mother tongue inherited from Norman ancestors, French became, as the century wore on, a cultivated tongue supported by social custom and by business and administrative convention. Meanwhile English made steady advances. A number of considerations make it clear that by the middle of the century, when the separation of the English nobles from their interests in France had been about completed, English was becoming a matter of general use among the upper classes. It is at this time . . . that the adoption of French words into the English language assumes large proportions. The transference of words occurs when those who know French and have been accustomed to use it try to express themselves in English. It is at this time also that the literature intended for polite circles begins to be made over from French into English . . . .


 常用言語をフランス語から英語に乗り換える (language shift) に当たって,人々は,慣れ親しんできた多数のフランス単語を携えて乗り換えたということである.

 ・ Schmitt, Norbert, and Richard Marsden. Why Is English Like That? Ann Arbor, Mich.: U of Michigan P, 2006.
 ・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 5th ed. London: Routledge, 2002.

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2012-08-13 Mon

#1204. 12世紀のイングランド王たちの「英語力」 [french][me][monarch][norman_conquest][reestablishment_of_english][history]

 1066年のノルマン・コンクェストからおよそ1世紀半の時期は,ノルマン朝および後続のプランタジネット朝 (Plantagenet) の初期に当たる.この時期は,正体はフランス貴族であるイングランドの歴代の王が,イングランドの統治よりもむしろフランスの領土の保持と拡大に腐心した時代だった.この時期の歴代イングランド王と貴族たちの言語観と,その言語観を映し出す彼らの政治的行動は,英語史を考える際にも意義深い.英語はフランス語と比べて劣等であるという言語観は,英語の書き言葉の伝統の断絶(あるいは断続)を誘因したし,一方で自由闊達な言語変化を促すことになったからだ([2012-07-11-1]の記事「#1171. フランス語との言語接触と屈折の衰退」を参照).
 そこで,時の権力者たちが,いかにフランス(語)を重視し,相対的にイングランド(英語)を軽視していたかを示す証拠が欲しくなる.12世紀のイングランド王のフランス(語)への姿勢を直接,間接に示す事実を,Baugh and Cable (116--22) に従って,4点ほど列挙しよう.

 ・ Henry I は,1100--35年の統治期間のうち17年余をフランスで過ごした.このことから,フランス重視の姿勢が明らかである.ただし,彼は英語を理解する能力はあったとされる.
 ・ Henry II は,1154--89年の長い統治期間の3分の2をフランスで過ごした.なお,妻の Eleanor of Aquitaine は,(アングロ)フレンチ文学のパトロンであり,英語は解さなかった.
 ・ Richard I は,1189--99年の統治期間のうちほんの数ヶ月しかイングランドに滞在しなかった.英語を用いたことはないとみなしてよいだろう.
 ・ 1087--1100年に統治した William II,1135--54年に統治した Stephen,1199--1216年に統治した John については,英語を話す能力があったかはわからない.
 ・ Henry I を除き,15世紀後半の Edward IV に至るまでの歴代のイングランド王は,誰一人としてイングランドで妻を求めなかった.

 12世紀のイングランド王には,概して「英語力」はなかったと言えるだろう.ただし,当時の王家はイングランドにおいてもっとも非イングランド的な集団であったことに注意すべきである (Baugh and Cable 118, fn. 21) .位が低ければ低いほど,「英語力」は平均的に上昇したと考えられる.中英語期のイングランド君主の英語使用については,「#131. 英語の復権」の記事 ([2009-09-05-1]) でも触れているので,要参照.
 なお,13世紀になって,在位1216--72年の Henry III はおそらく英語を理解できたと思われ,その子 Edward I (在位1272--1307年)は通常的に英語を使っていたと見られる (Baugh and Cable 137) .Edward III や Richard II など14世紀の王も,英語を理解した (Baugh and Cable 148) .

 ・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 5th ed. London: Routledge, 2002.

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2012-08-01 Wed

#1192. 初期近代英語という時代区分 [emode][periodisation][historiography][history]

 初期近代英語 (Early Modern English; 1500 or 1450 -- 1700) という時代区分は,英語史研究ではすでに一般化している.古英語,中英語,近代英語という伝統的で盤石な3区分に割って入るほどの力はないかもしれないが,実用上は日常化しているといってよいだろう.このことは,Early Modern English を題に含む多くの論著が著わされ,実りある成果を上げている事実からもわかる.
 近代英語期を細分化する試みは,[2009-12-18-1]の記事「#235. 英語史の時代区分の歴史 (4)」で見たように,古くは19世紀からある.20世紀前半にも,Zachrisson や Karl Luick などが初期近代英語という区分を提案している.しかし,この時代区分が広く認められ出したのは,Baugh, Görlach, Penzl などの論に反映されているとおり,20世紀後半である.ここには,ドイツ語史における確立した時代区分 "Frühneuhochdeutsch" からの類推が影響しているかもしれない (Penzl 261--62) .
 言語史において時代区分の役割が甚大であることは,[2012-06-12-1]の記事「#1142. 中英語期はいつ始まったか (1)」でも説いた.Penzl も同趣旨で次のように述べている.

A "period" is by definition a part of a language continuum; it should be a "natural" stage within the documentable history of a language. Its historical reality is not simply assured by scholarly tradition or practice, but only by definitely established, describable initial and terminal boundaries and by criteria applicable to the corpus of the entire period in question. (261)

A major advantage of specific and maximal periodization is the fact that it by no means handicaps the description of the transition to adjacent periods, but on the contrary forces the historiographers to consider internal change as well as internal cohesion and the impact of external historical events. (266)


 Penzl は,言語史の区分においては,言語内的な基準が唯一の基準であり,言語外的な基準は参照しないという考え方のようである.他言語との言語接触などの社会言語学的な要因は,言語内的な基準により定められた区画のなかで,その影響を考察すべきものであり,逆ではないという立場だ.
 一方で,Görlach のように,内面史と外面史のバランスを取った時代区分をよしとする論者もある.Görlach は,初期近代英語の始まりを1500年とする言語外的な根拠として,印刷術の開始 (1476) ,バラ戦争の終結 (1471) ,人文主義の開始 (1485--1510) ,英国国教会のローマとの分離 (1534) ,アメリカの発見 (1492) などの歴史的出来事を挙げている.
 しかし,Penzl (266) によれば,初期近代英語の終点である1700年前後については,英語の発展に直接あるいは間接の影響を及ぼす歴史的事件として目立ったものはない.しかし,言語内的にみれば,短母音字 <a>, <u> が現在の音価をもつに至っていたという事実や,規範文法がすでに固まっていたという事実があると述べている.
 時代区分は研究のためにあるのであり,時代区分のために研究があるわけではないが,現実問題としては相互依存の関係であるのも確かだ.初期近代英語というくくりに基づいた研究で多くの成果が出てきているという事実は重く見るべきだろう.

 ・ Penzl, Herbert. "Periodization in Language History: Early Modern English and the Other Period." Studies in Early Modern English. Ed. Dieter Kastovsky. Mouton de Gruyter, 1994. 261--68.

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2012-07-19 Thu

#1179. 古ノルド語との接触と「弱い絆」 [variation][contact][sociolinguistics][old_norse][history][weakly_tied][social_network][language_change][geography]

 [2012-07-07-1]の記事「#1167. 言語接触は平時ではなく戦時にこそ激しい」で,言語接触の効果は,安定的で継続的な状況よりも,不安定で断続的な状況においてこそ著しいものであるという横田さんの主張を紹介した.これは近年の社会言語学でいうところの,「弱い絆で結ばれた」 ("weakly tied") 社会でこそ,言語革新が導入されやすく,推進されやすいという主張に対応する.このような社会的ネットワークに基づく言語変化理論は,Milroy などの研究を通じて,広く認知されるようになってきている([2011-09-26-1]の記事「#882. Belfast の女性店員」を参照).
 横田さんは,この考え方を古英語と古ノルド語(横田さんは包括的な用語である「ノルド語」を用いている)との言語接触の事例に具体的に適用し,そこから逆に当時の社会言語学的状況を想像的に復元しようと試みた.その要約が,[2012-07-07-1]の記事で引用した文章である.次に掲げる引用は,「弱い絆」理論の適用をさらに推し進め,想像をふくらませた文章である.

その地[イングランドの北部と東部]の沿岸部ではヴァイキング時代前から北欧人とイングランド人の間で交易等があり,ヴァイキング時代には彼らの軍事要塞や駐屯地が設けられ,ヴァイキング兵士達は退役後もその地域に住みつき,北欧からの移民を受け入れたのであった.その地域のイングランド人と移住者の北欧人はお互いに相手の言葉を方言の違いくらいにしか感じていなかったろうから,スムーズな会話は当初は無かったとしても接触する時間と回数が増す毎にもっと容易に出来たであろう.そのような状況は,弱い絆で結ばれたスピーチ・コミュニティーも大量に出現させ,両方の言語のヴァリエーションは相当増えたことであろう.言語革新の運び屋である弱い絆で結ばれた人は北欧人,イングランド人,あるいはその混血人のだれでも成りえただろう.またそのような人達の職業は貿易などに携わるものや,あるいは傭兵のように,広い地域に足を伸ばす人であって,さまざまな土地で強い絆を形成しているコミュニティーの人達と接触することになるのである.その強い絆のコミュニティーの1つが昔から代々変わらず同じ土地で農耕生活を営んでいる集落であった.そのような集落には必ず中心的役割を果たす人が存在し,その人が新しいヴァリアントを取り入れることによって,徐々にその集落内に広まっていくのである.そしてこの言語革新の拡大のメカニズムが,その他の言語変化の要素と絡み合い,結果的にデーンロー地域に,アングロ・スカンジナビア方言と呼ばれる.南部とは異なった言葉を多く含んだ言語組織を生んだのであった.デーンローの境界線は,デーンロー地域がイングランド王によって奪回されるまで,厳しく管理され一般人は行き来が不可能であったため,その方言はその地域に多いに拡大したのである.


 この記述には,社会歴史言語学上の重要な対立軸がいくつも含まれている.まず,言語変化において弱い絆の共同体と強い絆の共同体の果たす相補的な役割が表現されている.次に,個人と共同体の役割も区別されつつ,結びつけられている.これは,言語変化の履行 (implementation) と拡散 (diffusion) とも密接に関連する対立軸である.そして,共時的変異 (synchronic variation) と通時的変化 (diachronic change) の相互関係も示唆されている.
 ほかにも,言語変化における交易や軍事といった社会活動の役割や,地理の果たす役割など,注目すべき観点が含まれている.先に「社会歴史言語学」という表現を用いたが,まさに社会言語学と歴史言語学との接点を強く意識した論説である.

 ・ 横田 由美 『ヴァイキングのイングランド定住―その歴史と英語への影響』 現代図書,2012年.

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2012-07-07 Sat

#1167. 言語接触は平時ではなく戦時にこそ激しい [contact][sociolinguistics][old_norse][history][standardisation][language_change]

 古英語と古ノルド語との言語接触については,old_norse の各記事で取り上げてきた.見方にもよるが,英語史において古ノルド語の影響という話題は,最も重要な話題の1つである.8世紀半ばから11世紀にかけて起こったヴァイキングのイングランドへの略奪,移民,定住の結果として,古英語話者と古ノルド語話者の融合が進み,言語も混交した.代名詞,接続詞,前置詞などの機能語やその他の基本語が,多数,古ノルド語から古英語へと流れ込み,屈折も大いに水平化した.そのようにして現われた Norsified English と呼ぶべき言語や,その影響を受けた中英語は,14世紀以降の英語標準化の基盤となり,現代英語にも連なっている.
 古ノルド語との接触は,これほど重要な話題なので,英語史概説書でも必ず触れられるテーマだが,記述が大雑把であることが多い.そもそも,異なる言語の共同体どうしが交わると,いつでもこのような言語的な混交が進むものなのだろうか.古英語話者と古ノルド語話者が,数世紀の間,平和に共存したがゆえに言語が混交したのだと説明されることが多いが,実際のところ,両話者集団のあいだの言語的,政治的,軍事的,経済的等々の関係はいかなるものだったのだろうか.当時の社会言語学的状況を思い浮かべるには,概説書に書かれている表面的な記述を超えた,豊かな想像力が必要である.
 想像力豊かに,かつ社会言語学の知見を含めて,古英語と古ノルド語の言語接触の問題に迫った良書が現われた.横田由美さんの『ヴァイキングのイングランド定住―その歴史と英語への影響』である.引用・参照したい箇所はいくつかあるが,両言語の話者の融合の度合い,特に共同生活が平和的であったかどうかという点について,当時のデーンローにおける人々の社会的関係を想像し,描写しながら,次のように述べている箇所が印象的である.

以上のように考えると両者間の融合は平和的だったと簡単に片付けてしまうよりも,平和的な時期や地域もあればそうでもない時期や地域もあったであろうし,その状態は地域の社会状況によっても大いに異なっていたのである.そして,安泰時よりも,外来人や国内の様々な人達がデーンロー地域に終結した戦争状態の時には,様々な方言(そして言語)を話す人達の接触を引き起こしたであろう.そしてそのことは言語変化を考える上で非常に重要なことである.


 従来は,両側の人々の混交が平和に,緩慢と,着実に進んだことにより,言語も次第に混じり合ったとするのが一般的な理解だったが,むしろ長期間にわたる断続的な戦争状態においてこそ言語接触が濃密だったのではないかという提案は,意表を突くものではあるが,考えてみれば現実味がある.
 言語接触の議論には,背後にいる話者どうしの社会的な関係を理解しておくことが必要である.そして,そのためには,歴史の知識と現実感を伴った想像力もまた必要なのである.

 ・ 横田 由美 『ヴァイキングのイングランド定住―その歴史と英語への影響』 現代図書,2012年.

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