hellog〜英語史ブログ     ChangeLog 最新     カテゴリ最新     前ページ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 次ページ / page 2 (12)

writing - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-04-26 08:56

2021-12-18 Sat

#4618. 際立ちのためのイタリック体の起源と発達 [writing][printing][alphabet][grammatology][pragmatics][punctuation][bible][pragmatics]

 ローマン・アルファベットを用いる言語では,引用箇所や強調部分など,ある部分を特別に際立たせるためにしばしばイタリック体 (italics) が用いられる.通常のローマン体で書かれた文字列のなかで細身のイタリック体はよく目立つからである.書体の語用論的使用法といってよいだろう(cf. 「#574. punctuation の4つの機能」 ([2010-11-22-1])).
 イタリック体は,1501年に当時の写本書体に基づく新書体としてベネチアで現われた.紙が高価だった当時,細身で経済的な書体として生み出されたのである.しかし,イタリック体は当初から際立ちを与えるために用いられたわけではない.際立ちのために使用は,16世紀後半のフランスでの新機軸という.それがイングランドにも伝わり,1611年の欽定訳聖書 (Authorised Version) において挿入文の書体として用いられるに及び,広く受け入れられるに至った.後期近代にはイタリック体の使いすぎに不満を漏らす者も現われたようで,それほどまでに使用が一般化していたということになる.
 上記は Daniels (68--69) を読んで初めて知ったことである.欽定訳聖書が英語書記におけるイタリック体使用の慣習確立に一役買っていたいう事実には,特に驚かされた.同聖書の英語史上の意義の大きさを改めて確認した次第である.

 ・ Daniels, Peter T. "The History of Writing as a History of Linguistics." Chapter 2 of The Oxford Handbook of the History of Linguistics. Ed. Keith Allan. Oxford: OUP, 2013. 53--69.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2021-08-22 Sun

#4500. 文字体系を別の言語から借りるときに起こり得ること6点 [grapheme][graphology][alphabet][writing][diacritical_mark][ligature][digraph][runic][borrowing][y]

 自らが文字体系を生み出した言語でない限り,いずれの言語もすでに他言語で使われていた文字を借用することによって文字の運用を始めたはずである.しかし,自言語と借用元の言語は当然ながら多かれ少なかれ異なる言語特徴(とりわけ音韻論)をもっているわけであり,文字の運用にあたっても借用元言語での運用が100%そのまま持ち越されるわけではない.言語間で文字体系が借用されるときには,何らかの変化が生じることは避けられない.これは,6世紀にローマ字が英語に借用されたときも然り,同世紀に漢字が日本語に借用されたときも然りである.
 Görlach (35) は,文字体系の借用に際して何が起こりうるか,6点を箇条書きで挙げている.主に表音文字であるアルファベットの借用を念頭に置いての箇条書きと思われるが,以下に引用したい.

   Since no two languages have the same phonemic inventory, any transfer of an alphabet creates problems. The following solutions, especially to render 'new' phonemes, appear to be the most common:

1. New uses for unnecessary letters (Greek vowels).
2. Combinations (E. <th>) and fusions (Gk <ω>, OE <æ>, Fr <œ>, Ge <ß>).
3. Mixture of different alphabets (Runic additions in OE; <ȝ>: <g> in ME).
4. Freely invented new symbols (Gk <φ, ψ, χ, ξ>).
5. Modification of existing letters (Lat <G>, OE <ð>, Polish <ł>).
6. Use of diacritics (dieresis in Ge Bär, Fr Noël; tilde in Sp mañana; cedilla in Fr ça; various accents and so on).


 なるほど,既存の文字の用法が変わるということもあれば,新しい文字が作り出されるということもあるというように様々なパターンがありそうだ.ただし,これらの多くは確かに言語間での文字体系の借用に際して起こることは多いかもしれないが,そうでなくても自発的に起こり得る項目もあるのではないか.
 例えば上記1については,同一言語内であっても通時的に起こることがある.古英語の <y> ≡ /y/ について,中英語にかけて同音素が非円唇化するに伴って,同文字素はある意味で「不要」となったわけだが,中英語期には子音 /j/ を表わすようになったし,語中位置によって /i/ の異綴りという役割も獲得した.ここでは,言語接触は直接的に関わっていないように思われる (cf. 「#3069. 連載第9回「なぜ try が tried となり,die が dying となるのか?」」 ([2017-09-21-1])) .

 ・ Görlach, Manfred. The Linguistic History of English. Basingstoke: Macmillan, 1997.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2021-07-08 Thu

#4455. 英語史では書き言葉が同時代の話し言葉をどれだけ反映してきたか [literacy][medium][writing][standardisation][methodology]

 書き言葉は話し言葉を写すものであるという理解が広く行き渡っている.確かにこれは書き言葉の1つの重要な機能であり,それ自体は間違いではない.しかし私は,話し言葉と書き言葉は,言語を表わす2つの独立した媒体と認識している.確かに両者の関係は深いが,原則として互いに独立している.訴えかける感覚も話し言葉は聴覚,書き言葉は視覚と異なっているし,機能においても完全に一致することはあり得ないと考えている.
 話し言葉と書き言葉は原則として互いに独立した媒体であり,ピタッと一致することはあり得ないことを前提としつつ,では英語史では両者はどのくらいかけ離れていたのか,あるいは歩み寄っていたのか,ということを問題としたい.日本語史でいうところの「言文(不)一致」の問題である.
 日本語史と比べればという条件つきの意見だが,英語史においては,英語が書き言葉に付されたとき,それが同時代の話し言葉をどのくらいよく反映していたかと問われれば,「比較的よく」と答えられるように思われる.日本語では変体漢文,漢文訓読文,和漢混淆文など,話し言葉から大きく逸脱した書き言葉が広く用いられてきたが,英語ではそれほどの大きな逸脱はみられなかった.
 英語史の時代でいえば,書き言葉が話し言葉に最も接近していたのは中英語期だったかもしれない.発音がそのまま綴字に乗ったという点でも,書き言葉に威信を与える標準語が存在しなかったという点でも,両媒体は接近していたといえそうだ.
 一方,先立つ古英語期や,後続する近代英語期にかけては,両媒体の距離は相対的に大きかったように思われる.古英語の韻文は「口承文学」とはいえ,同時代の話し言葉を表わしたものとは考えられないし,後期にかけては「ウェストサクソン標準語」も現われ,中英語最初期まである程度の影響力を保った.後期中英語から近代英語期にかけてはラテン語やフランス語などの威信をもった語彙が大量に流入し,書き言葉では同時代の話し言葉よりも水準の高い語彙選択がなされた.このような点について,Schaefer (1285--86) は次のように述べている.

[M]ost of what has come down to us in writing should be considered as influenced by the very medium that allows us to look into these historical linguistic data. However, if we compare the poetic evidence from the early 8th century to the prose evidence from the 12th, it is probably the latter that brings us closest to what may be considered to mirror the spoken language of the respective period. Albeit that the former must have been heavily informed by the pre-Christian oral culture, its form most certainly does not reflect conceptually 'spoken' language. Moreover, English was only firmly reestablished in writing in the 14th and 15th centuries. In that period English in writing obviously profited very much from the literate languages Latin and French . . . . The influence of Latin continued well into the Modern period and hence made the disparity between prose writing in the then establishing standard and the actual spoken language even wider.


 英語史では,むしろ現代にかけて話し言葉と書き言葉の距離が狭まってきているとも考えられる.ラジオ,テレビ,インターネットなどの技術に支えられて,各媒体によるコミュニケーションが劇的に増え,両媒体間の境目も従来ほど明確ではなくなってきていることも関係しているだろう.
 同じ問題意識からの記事として「#3210. 時代が下るにつれ,書き言葉の記録から当時の日常的な話し言葉を取り出すことは難しくなるか否か」 ([2018-02-09-1]) も参照.

 ・ Schaefer, Ursula. "Interdisciplinarity and Historiography: Spoken and Written English --- Orality and Literacy." Chapter 81 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1274--88.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2021-04-12 Mon

#4368. 年度初めに「英語の先生がこれだけ知っておくと安心というアルファベット関連の話し」の記事セット(2021年度版) [hellog_entry_set][alphabet][hel_education][writing][orthography][grammatology][romaji][spelling][elt]

 年度初めのこの時期,児童・生徒たちにローマ字なり英語アルファベットなりの読み書きを教え始める学校の先生も多いと思います.平仮名や片仮名と同じで,何度も読んで書いて練習し慣れていくというスタイルが普通かと思います.
 学習者にとってはこのように基礎的な作業となるわけですが,教える先生の側にあっては,是非ともアルファベットの成立や発展などの背景的な知識を持っておくことをお薦めします.学習者からの鋭い質問にも答えられるようになりますし,実際にそのような知識を学習者に教える機会はないとしても,アルファベット1文字1文字に歴史的な深みがあることを知っておくことは大事だと思うからです.そこで,本ブログより関係する記事を集め,以下の記事セットとして整理してみました.

 ・ 「英語の先生がこれだけ知っておくと安心というアルファベット関連の話し」の記事セット(2021年度版)

 同趣旨で,およそ1年前,2020年度の開始期に合わせて「#4038. 年度初めに「英語の先生がこれだけ知っておくと安心というアルファベット関連の話し」の記事セット」 ([2020-05-17-1]) を公開していました.今回のものは,その改訂版ということになります.昨年度中は「hellog ラジオ版」と称して音声コンテンツを多く作ってきたので,今回の改訂版には,アルファベットに関する音声ファイルへのリンクなども加えてあります.
 もちろんアルファベットに関する背景知識は,英語の先生に限らず,一般の英語学習者にも持っていてもらいたい知識です.そして,目下「英語史導入企画2021」のキャンペーン中でもありますし,英語史に関心のあるすべての人々に持っていてもらいたい知識でもあります.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2021-01-22 Fri

#4288. グラゴール文字とキリル文字 [alphabet][writing][greek][old_slavic][slavic]

 昨日の記事「#4287. 古代スラヴ語の運命」 ([2021-01-21-1]) で触れたように,古代スラヴ語は最初にグラゴール文字 (Glagolitic) で,後にキリル文字 (Cyrillic) でも書き記された.後者は現代でもロシア語を中心に東方および南方のスラヴ語圏で用いられており,世界に少なからぬ影響力をもつ文字である.グラゴール文字とキリル文字の成り立ちや相互関係について,またそれらとギリシア文字の関係について,服部 (82--87) に詳しい.以下に要約しよう.
 グラゴール文字は,昨日の記事でも述べたように,9世紀後半,ギリシア人のコンスタンティノスとその兄メトディオスが,モラヴィア国へのキリスト教布教を目的にスラヴ文章語(=古代スラヴ語)を作り出したときに同時に生み出された新しい文字である.コンスタンティノスの考案だったとされる.各々の字形は独特だが,9世紀のミヌスクラ体のギリシア文字が基盤となっている旨,指摘されている.ギリシア語にはなくスラヴ語には存在する音素に対応する文字が加えられ,スラヴ語表記に特化した文字体系といえる.  *
 885年のメトディオスの死後,古代スラヴ語の伝統は弟子たちによってブルガリアへ持ち越され,発展することになった.その際,既存のグラゴール文字に飽き足りず,スラヴ語表記に便利な機能性は保持しつつも,字形としては使い慣れたギリシア文字に似せた新たな文字体系を考案した.これがキリル文字である.具体的には,9世紀のウンキリアス書体のギリシア文字がほぼそのまま採用されており,そこへスラヴ語音を表わすためにグラゴール文字から数文字を取って加えたという文字体系である.  *
 なお,「キリル」の名は,コンスタンティノスの修道士名キュリロスに由来する.ただし,キリル文字はメトディオスの弟子たちが考案したものであり,コンスタンティノス(=キュリロス)が考案したのは先のグラゴール文字である,という分かりにくい事情があるので注意.
 その後,キリル文字は広く展開していったが,一方でグラゴール文字は衰退していった.しかし,後者も一部の地域ではずっと後にまで受け継がれた.アドリア海沿岸部ダルマチア地方(現在のクロアチア領)では,実に20世紀に至るまで,一部の教会においてグラゴール文字で書かれた典礼書が細々と用いられていたという.

 ・ 服部 文昭 『古代スラヴ語の世界史』 白水社,2020年.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2020-11-16 Mon

#4221. 新しきは古きを排除するのではなく選択肢を増やす (2) [communication][medium][writing][printing][manuscript][literacy]

 漫然と『丸善エンサイクロペディア大百科』をペラペラめくっていたところ,通信媒体の発達と累積性に関する記事が目にとまった (1772--73) .「#2931. 新しきは古きを排除するのではなく選択肢を増やす」 ([2017-05-06-1]) で取り上げた議論だが,とりわけ「通信媒体の累積性」では本質的なところをズバッと突いていて感心した.言語コミュニケーションの媒体の発展を論じる上で,非常に大事な洞察である.以下,長いがすべて引用する.

通信の発達,情報・マスコミの歴史

通信の発達
 通信を遠くにあるものとの意思伝達とすれば,その発達は,主たる媒体によって,大まかに口頭,筆記,印刷,電気通信,相互作用的通信の時代に分類される.文字がない時代における通信の手段は,口頭によるか,視覚・聴覚を通じての信号・合図(のろし,太鼓など)によるしかない.文字をもつようになると紙の発明とともに手書き筆記が通信媒体の主要な手段となった.
 印刷術の発明まで,重要な書物はカトリック修道院の書写室で書写されていた.平均的な個人が入手可能な書物の数は限定されており,識字率も非常に低かった.図書館は知識を流布する場所というより知識を蓄積する場所という傾向があった.
 印刷術の発明は,書物を一般に開放した.ヨーロッパでは1455年に J. グーテンベルク (1397--1468) によって金属活字による活字活版印刷が発明された.この新たな技術は書物の広範な流布を意味し,16世紀後半の宗教改革運動や17世紀イギリス・ピューリタン革命期のイデオロギーの教化の必要によるパンフレット,新聞などの各種印刷物の出現をみた.ただし,識字率はなお低く,この発明の影響力は非常に緩慢なものであり,今日のように印刷物が大衆媒体といえるものになったのはグーテンベルクの発明から,380年も経過した1830年代のアメリカ(最初の大衆廉価新聞の創刊)においてであった.
 1844年に S. F. B. モース (1791--1872) が実用化した電信は新聞の取材と伝達速度を瞬時のものとし始め,通信の歴史の新たな画期を形成した.電信網は,迅速で確実情報収集に死活をかけていた帝国主義者や商人によって,19世紀中葉からまたたく〔ママ〕に世界中に張りめぐらされ,世界を縮小した.

マスコミから双方向通信へ
 新聞社が英米で先端技術を駆使して,発行部数100万を超える大量生産を可能とする大企業となった1890年代から電波を媒体とするラジオの登場する1920年までがマス・コミュニケーションの形成・定着期である.これに第二次世界大戦後に世界的にかつ決定的に普及したテレビが加わり,電気通信系マスメディアが通信の主流を占める.
 この間,帝国主義,ファシズム,共産主義,世界大戦の戦時宣伝などのその都度の支配的イデオロギーの伝播を背景として,国内的には国内民衆の文化的統合,および対外的には帝国主義国の支配文化の世界的な流布とその正当化のために新しい媒体だけでなく,古い媒体も動員された.これらの支配的イデオロギーの伝達はすべて,ひとりから多数への情報伝達に付きまとう情報がもつ政治的な意味を浮かび上がらせる.
 情報化時代といわれる今日におけるソ連の崩壊はひとりから多数への情報の統制のありようの限界と変化を暗示する.1980年代に本格化した新たな通信の形態の特徴は,通信衛星を利用した国際電話,ファックス,パソコン通信にみられるひとりからひとりへの通信の相互作用性,双方向性である.集団間の通信においても,テレビ会議がもっとも双方向性があり,文字放送,ケーブルテレビ,有線放送にしても他ジャンル,多チャンネルの情報から個々人の需要に応じて提供される点で,従来の一方方向型の伝達ではない.この通信の双方向性は,長らく情報を分断してきた国境を難なく越境し,情報の集中する中央と情報の遅れた地方という構図を突き崩し,情報を独占・管理してきた権力を動揺させている.

通信媒体の累積性
 通信の歴史は,口頭,筆記,印刷,電気通信,相互作用的通信の時代に一応分類されるが,口頭による伝達は,文字と印刷術の発明の後も,口コミとして使用された.それどころか宗教的政治的な激動期にしばしば肉声として重要な役割を演じたし,ラジオ・テレビの登場後も電波を通じて意味を失っていない.手書きも印刷文書の時代になっても衰退することなく併存し,印刷時代の手書き文書の解読は今日の歴史家が尊敬されるための重要な仕事である.今日ワープロが文書作成の主流となっても肉筆の手紙がかえって尊重されることがしばしば報告されるように,口頭からコンピューターまでの歴史は身体性を隠蔽する方向に進んだようにみえても実際は身体性は消滅することはない.
 通信の媒体は累積的な性質をもち,新しい媒体の出現はその都度,先行の媒体の機能を変えるが,先行媒体の完全な代替物とはならず,手書き筆記,印刷,電気通信ともいずれも現代まで続行している.これは,通信の歴史が媒体の変化とともに,情報の量の多さを追求してきた歴史であることを示す.


 人類は,言語コミュニケーションにおいて情報の量を追求し続け,その過程で種々の媒体を発明してきたということになる.一方,情報の質についてはどうなのだろう,と考え込んでしまった.質の問題は,媒体に半ば依存するが,半ば独立したものでもあろう.
 今回の話題と関連して書写材料の話題について,「#2465. 書写材料としての紙の歴史と特性」 ([2016-01-26-1]),「#2456. 書写材料と書写道具 (1)」 ([2016-01-17-1]),「#2457. 書写材料と書写道具 (2)」 ([2016-01-18-1]),「#2933. 紙の歴史年表」 ([2017-05-08-1]),「#3116. 巻物から冊子へ,パピルスから羊皮紙へ」 ([2017-11-07-1]) も参照.

 ・ 『丸善エンサイクロペディア大百科』 丸善,1995年.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2020-07-18 Sat

#4100. 現存する最古の英文は何か? --- hellog ラジオ版 [hellog-radio][sobokunagimon][hel_education][runic][alphabet][writing][direction_of_writing]

 hellog ラジオ版の第8回目として,英語(史)の専門家にも意外と知られていない事実を紹介します.前回の第7回 ([2020-07-15-1]) でも実は少し触れたのですが,今回は詳しく取り上げます.
 現在,世界の約20億人によって話されるともいわれる lingua franca たる英語.現代における威信が注目されるあまり,その最古の姿がいかなるものだったかについては関心をもたれません.しかし,調べてみるとメチャクチャおもしろいのです.英語の現存する最古の証拠の1つに "Undley bracteate" があります.これは1982年に Suffolk の Undley で発見された直径2.3cmの金のメダルに付けられた名前で,年代は紀元450--80年のものとされます.メダルの円周に沿って,ルーン文字で反時計回りに,つまり「右から左に」書かれています.まさにロマンを掻きたてるメダルです.



 実におもしろいでしょう."gægogæ mægæ medu" とは何なのか? 呪文? 祈祷? 無味乾燥な散文? 今を時めく英語という言語が,いわば少数民族の言語だった最初期の時代の証拠です.
 関連する記事を挙げておきましょう.ぜひ##572,1435,1453の記事セットをじっくりご覧ください.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2020-05-23 Sat

#4044. なぜ活字体とブロック体の小文字 <a> の字形は違うのですか? [sobokunagimon][alphabet][writing][calligraphy][a][g]

 本年度より英語の教員となったゼミの卒業生から,標記の素朴な疑問をもらっていました.中学1年生にアルファベットの書き方を教えるに当たって,第1文字から早速ハテナが飛ぶ敏感な生徒もいるのではないか,という問題意識からだと思います.私も深く考えたことはありませんでしたが,以下のような書き方練習のドリルを見てみると,確かに,とうなずける問いです.上段が(印刷用の)活字体,下段が(手書き用の)ブロック体です.

How to Write <a> and <g>

 小文字 <a> の字形について,活字体では上部に左向きの閉じていない半ループがみえる <<a>> ("open a") が,ブロック体では円の形に近い <<ɑ>> ("closed a") がそれぞれ用いられます.
 ついでにいえば,右端にみえる小文字 <g> についても2つの異なる字形が確認されます.活字体では下のループが閉じた <<g>> ("closed g") となり,ブロック体では下のループの開いている <<ɡ>> ("open g") となります.
 他の24文字の小文字については活字体とブロック体の字形にさほど大きな違いはありませんが,この <a> と <g> に関しては看過できない差がみられます.なぜこの2文字には妙な差異が観察されるのでしょうか.
 端的に答えれば,それはもととなった書体が異なるからです.活字体の <<a>> は,Roman uncial と呼ばれる書体に端を発し,8世紀のシャルルマーニュの教育改革に際して生み出された Carolingian minuscule と呼ばれる書体を経由して現代に受け継がれた字体です.一方,ブロック体の <<ɑ>> は italic と呼ばれる,中世から近代にかけて生じた別の書体における字形に由来します.
 では,活字体はすべて Carolingian minuscule の流れを,ブロック体はすべて italic の流れを汲んでいるかといえば,そうでもありません.<g> についていえば,今度は活字体の <<g>> のほうがむしろ italic の系列に連なり,ブロック体の <<ɡ>> のほうが Carolingian minuscule の字形に近いのです.
 活字体,ブロック体,筆記体やコンピュータ上のフォントなど,現代のアルファベットには様々な書体があります.それぞれの書体のたどってきた歴史は非常に複雑で,複数の書体が混じったものや,複数の書体の中間的なものなど,その系譜をまとめようとするとなかなか家系図のように綺麗にはいきません.本格的に作図しようとすれば,ある文字の字形はこっちから,別の文字の字形はあっちから,というような複雑なネットワーク図になるでしょう.活字体やブロック体についても,全体としておおまかな系統はたどれるにせよ,英語アルファベットを構成する26文字の個々の字形については,ときに個別に系統を探る必要が生じるのです.
 上記は「#3668. なぜ大文字と小文字の字形で異なるものがあるのですか?」 ([2019-05-13-1]) で展開した議論とほとんど同じです.大文字と小文字で字形の異なる文字がいくつかありますが,これももととなった書体の差異に由来します.歴史的にみれば <<A>>, <<a>> , <<ɑ>> は3つの異なる書体に由来し,<<G>>, <<g>>, <<ɡ>> も同様に3つの異なる書体に由来するということになります(特に <g> のたどった歴史は複雑です.g の記事を参照).
 漢字に喩えると分かりやすいでしょうか.「令和」の最初の文字「令」は,楷書体などの主として活字用の書体では最終画が真下に伸びますが,国語の授業で習う手書き用の書体では最終画は斜めとなり,片仮名の「マ」のようになります.属する書体が異なり,辿ってきた歴史が異なるからこそ,字形が多少なりとも異なっているということです.
 だとすれば,当初の発問を逆転させて,「なぜ他の24文字については活字体とブロック体の字形が似ているのか」と問い直すほうが,もしかしたらベターなのかもしれません.漢字などに比べればローマ字は単純な幾何学的な字形を示すため,歴史上数々の書体が生み出されてきた過程において字形に何らかの「ひねり」や「変形」が加えられたとしても,認識できないほど異なる字形に変化してしまうことは少なかったのでしょう.異なる書体でも結果としておよそ似ている文字が多いのは,このような事情があったためではないでしょうか.
 関連して次の記事もご参照ください.

 ・ 「#1309. 大文字と小文字」 ([2012-11-26-1])
 ・ 「#3714. 活字体(ブロック体)と筆記体」 ([2019-06-28-1])
 ・ 「#3674. Harris のカリグラフィ本の目次」 ([2019-05-19-1])
 ・ 「#1824. <C> と <G> の分化」 ([2014-04-25-1])
 ・ 「#1914. <g> の仲間たち」 ([2014-07-24-1])
 ・ 「#2498. yogh の文字」 ([2016-02-28-1])

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2020-05-17 Sun

#4038. 年度初めに「英語の先生がこれだけ知っておくと安心というアルファベット関連の話し」の記事セット [hellog_entry_set][alphabet][hel_education][writing][orthography][grammatology][romaji][spelling][elt]

 本ブログでは,英語のアルファベット (alphabet) に関する記事を多く書きためてきました.今年度はようやく年度が始まっているという学校が多いはずですので,先生方も児童・生徒たちに英語のアルファベットを教え始めている頃かと思います.算数のかけ算九九と同じで,アルファベットの学習も基礎の基礎としてドリルのように練習させるのが普通かと思います.しかし,先生方には,ぜひとも英語アルファベットの成立や発展について背景知識をもっておいてもらえればと思います.その知識を直接子供たちに教えはせずとも,1文字1文字に歴史的な深みがあることを知っているだけで,教えるに当たって気持ちの余裕が得られるのではないでしょうか.以下に,そのための記事セットをまとめました.

 ・ 「英語の先生がこれだけ知っておくと安心というアルファベット関連の話し」の記事セット

 この記事セットは,実際には何年も英語を学び続けてきた上級者に対しても十分に楽しめる読み物となっていると思います.アルファベットに関するネタ集としてもどうぞ.

Referrer (Inside): [2021-04-12-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2020-04-22 Wed

#4013. 「古英語の標準語」の解釈 [oe][oe_dialect][writing][standardisation]

 後期古英語のウェストサクソン方言に基づく書き言葉(主にスペリング)が比較的一様であることを根拠に,しばしば「古英語の標準語」 ("Standard Old English") という表現が聞かれる."(Late) West-Saxon Standard", "(Late) West-Saxon Schriftsprache" など様々な呼び方があるが,緩く「古英語の標準語」と言われることが多い.
 しかし,実際のところ「古英語の標準語」とは非常に誤解を招きやすい呼び名である.現代の社会言語学の観点からすれば,それはほとんど「標準語」と呼べる要件を満たしていないからだ(cf. 「#3260. 古英語における標準化」 ([2018-03-31-1])).標準語を巡る尺度は様々あり,"standard", "standardised", "fixed", "focused", "focusing", "diffuse" など術語が林立しているが,そのような一連の尺度のなかで「古英語の標準語」がどの辺りに位置づけられるのかといえば,現代人の私たちが典型的に思い浮かべる「標準語」の位置からは相当離れていたに違いない(様々な術語については「#3207. 標準英語と言語の標準化に関するいくつかの術語」 ([2018-02-06-1]) を参照).
 Mengden (28) は「古英語の標準語」が誘う誤解に関して,次のように注意喚起している.

If a standard is understood as an institutionalized variety that, among other things, serves as a means of communication bridging several local and social differences in the usage of a language, the hypothesis of a Late West Saxon standard involves two problems. First, it is not falsifiable, because we have no clues as to how widely a deliberately regulated variety may have made its way outside the scriptoria. And second, the idea is implausible because it is not clear how a variety attested in a number of specialized scholarly texts should have spread into other areas of society given that literacy was limited to a rather small elite. What is plausible, though, and for this we do have evidence, is that there is an influential intellectual elite which has an enormous impact on the literary productivity in late Anglo-Saxon England, and who seem to have used the language of their works in a deliberate and comparatively uniform way.


 この議論は的確である.さらに,別の箇所 (27) で次のようにも議論している.

. . . we are dealing with a set of texts covering a limited range of scholarly fields. It would be problematic to deduce the existence of a genuine standard language from the relative homogeneity of the Winchester texts alone. Indeed, the very fact that the documents representing "Standard Old English" all derive from a tight network of authors and instigators in a predominantly monastic context --- all in all a rather small, albeit influential, group of people --- speaks against rather than in favor of the wider use of their linguistic features outside these circles. It is therefore justified to speak of orthographic conventions characteristic of the Winchester school, perhaps of a West Saxon Schriftsprache, but it is difficult, if not impossible to make judgments about the scope and influence of the Winchester conventions.


 「古英語の標準語」が招く誤解について,次のようにまとめておこう.後期ウェストサクソンの比較的均一な書き言葉の伝統は,それ自体が古英語の標準化に貢献したとはいえない.それは現存する(後期)古英語の文字資料の大半に反映されているという事実があるだけだ.それ以上でも以下でもない.

 ・ Mengden, Ferdinand von. "Periods: Old English." Chapter 2 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 19--32.

Referrer (Inside): [2022-01-07-1] [2020-04-23-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2020-01-30 Thu

#3930. なぜギリシアとローマは続け書きを採用したか? (2) [alphabet][distinctiones][punctuation][reading][writing][latin][greek][literacy][word]

 昨日の記事 ([2020-01-29-1]) に引き続き,なぜギリシアとローマが,それ以前の地中海世界で普通に行なわれていた分かち書き (distinctiones) を捨て,代わりに続け書き (scriptura continua) を作用したかという問題について.
 Saenger によれば,この問題に迫るには,読むという行為に対する現代的な発想を脇に置き,古代の読書習慣とその社会的文脈を理解する必要があるという.端的にいえば,現代人はみな黙読や速読に慣れており,何よりも「読みやすさ」を重視するが,古代ギリシアやローマの限られた人口の読み手にとって,読む行為とは口頭の音読のことであり,現代的な「読みやすさ」を追求する姿勢はなかったのだという.以下,Saenger の解説を聞いてみよう (11--12) .

. . . the ancient world did not possess the desire, characteristic of the modern age, to make reading easier and swifter because the advantages that modern readers perceive as accruing from ease of reading were seldom viewed as advantages by the ancients. These include the effective retrieval of information in reference consultation, the ability to read with minimum difficulty a great many technical logical, and scientific texts, and the greater diffusion of literacy throughout all social strata of the population. We know that the reading habits of the ancient world, which were profoundly oral and rhetorical by physiological necessity as well as by taste, were focused on a limited and intensely scrutinized canon of literature. Because those who read relished the mellifluous metrical and accentual patterns of pronounced text and were not interested in the swift intrusive consultation of books, the absence of interword space in Greek and Latin was not perceived to be an impediment to effective reading, as it would be to the modern reader, who strives to read swiftly. Moreover, oralization, which the ancients savored aesthetically, provided mnemonic compensation (through enhanced short-term aural recall) for the difficulty in gaining access to the meaning of unseparated text. Long-term memory of texts frequently read aloud also compensated for the inherent graphic and grammatical ambiguities of the languages of late antiquity.
   Finally, the notion that the greater portion of the population should be autonomous and self-motivated readers was entirely foreign to the elitist literate mentality of the ancient world. For the literate, the reaction to the difficulties of lexical access arising from scriptura continua did not spark the desire to make script easier to decipher, but resulted instead in the delegation of much of the labor of reading and writing to skilled slaves, who acted as professional readers and scribes. It is in the context of a society with an abundant supply of cheap, intellectually skilled labor that ancient attitudes toward reading must be comprehended and the ready and pervasive acceptance of the suppression of word separation throughout the Roman Empire understood.


 引用の最後に示唆されているように,古代人は続け書きにシフトすることで,読みにくさをあえて高めようとした,という言い方さえできるのかもしれない.この観点は,中世後期に再び分かち書きへと回帰していく過程を理解する上でも示唆的である.関連して「#1903. 分かち書きの歴史」 ([2014-07-13-1]) も参照.

 ・ Saenger, P. Space Between Words: The Origins of Silent Reading. Stanford, CA: Stanford UP, 1997.

Referrer (Inside): [2020-02-01-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2020-01-29 Wed

#3929. なぜギリシアとローマは続け書きを採用したか? (1) [alphabet][distinctiones][punctuation][reading][writing][latin][greek][indo-european][word]

 アルファベットの分かち書き (distinctiones) と続け書き (scriptura continua) の問題については,最近では「#3926. 分かち書き,表語性,黙読習慣」 ([2020-01-26-1]) で,それ以前にも distinctiones の各記事で取り上げてきた.
 Saenger (9) によると,アルファベットに母音表記の慣習が持ち込まれる以前の地中海世界では,スペースによるか点によるかの違いこそあれ,分かち書きが普通に行なわれていた.ところが,ギリシア語において母音表記が可能となるに及び,続け書きが生まれたという.これを時系列で整理すると次のようになる.
 まず,アルファベット使用の初期から分かち書きは普通にあった.ところが,ギリシア・ローマ時代にそれが廃用となり,代わって続け書きが一般化した.ローマ帝国が崩壊し,中世後期の8世紀頃になると分かち書きが改めて導入され,その後徐々に一般化して現代に至る.
 分かち書きは現在では当然視されているが,母音表記を享受し始めた古典時代の間に,その慣習が一度廃れた経緯があるということだ.では,なぜ母音表記の導入により,私たちにとって明らかに便利に思われる分かち書きが廃用となり,むしろ読みにくいと思われる続け書きが発達したのだろうか.Saenger (9--10) によれば,母音表記と続け書きの間には密接な関係があるという.

The uninterrupted writing of ancient scriptura continua was possible only in the context of a writing system that had a complete set of signs for the unambiguous transcription of pronounced speech. This occurred for the first time in Indo-European languages when the Greeks adapted the Phoenician alphabet by adding symbols for vowels. The Greco-Latin alphabetical scripts, which employed vowels with varying degrees of modification, were used for the transcription of the old forms of the Romance, Germanic, Slavic, and Hindu tongues, all members of the Indo-European language group, in which words were polysyllabic and inflected. For an oral reading of these Indo-European languages, the reader's immediate identification of words was not essential, but a reasonably swift identification and parsing of syllables was fundamental. Vowels as necessary and sufficient codes for sounds permitted the reader to identify syllables swiftly within rows of uninterrupted letters. Before the introduction of vowels to the Phoenician alphabet, all the ancient languages of the Mediterranean world---syllabic or alphabetical, Semitic or Indo-European---were written with word separation by either space, points, or both in conjunction. After the introduction of vowels, word separation was no longer necessary to eliminate an unacceptable level of ambiguity.
     Throughout the antique Mediterranean world, the adoption of vowels and of scriptura continua went hand in hand. The ancient writings of Mesopotamia, Phoenicia, and Israel did not employ vowels, so separation between words was retained. Had the space between words been deleted and the signs been written in scriptura continua, the resulting visual presentation of the text would have been analogous to a modern lexogrammatic puzzle. Such written languages might have been decipherable, given their clearly defined conventions for word order and contextual clues, but only after protracted cognitive activity that would have made fluent reading as we know it impractical. While the very earliest Greek inscriptions were written with separation by interpuncts, points placed at midlevel between words, Greece soon thereafter became the first ancient civilization to employ scriptura continua. The Romans, who borrowed their letter forms and vowels from the Greeks, maintained the earlier Mediterranean tradition of separating words by points far longer than the Greeks, but they, too, after a scantily documented period of six centuries, discarded word separation as superfluous and substituted scriptura continua for interpunct-separated script in the second century A.D.


 ここで展開されている議論について,私はよく理解できていない.母音表記の導入の結果,音節が同定しやすくなったという理屈がよくわからない.また,仮にそれが本当だったとして,文字の読み手が従来の分かち書きではなく続け書きにシフトしたとしても何とか解読できる,という点までは理解できるが,なぜ続け書きに積極的にシフトしたのかは不明である.上の議論は,消極的な説明づけにすぎないように思われる.
 母音文字を発明してアルファベットを便利にしたギリシア人が,読みにくい続け書きにシフトしたというのは,何か矛盾しているように感じられる.実際,この問題は多くの論者を悩ませ続けてきたようだ (Saenger 10)
 ギリシア人による母音文字の導入という文字史上の画期的な出来事については,「#423. アルファベットの歴史」 ([2010-06-24-1]) や「#2092. アルファベットは母音を直接表わすのが苦手」 ([2015-01-18-1]) を参照.

 ・ Saenger, P. Space Between Words: The Origins of Silent Reading. Stanford, CA: Stanford UP, 1997.

Referrer (Inside): [2020-02-01-1] [2020-01-30-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2020-01-26 Sun

#3926. 分かち書き,表語性,黙読習慣 [silent_reading][distinctiones][punctuation][grammatology][reading][writing]

 西洋中世の読み書きに関する標記の3つのキーワードは,互いに関連している.語と語の間に空白を入れる分かち書き (distinctiones) の発達により,読者はアルファベットのつながりを表音的 (phonographic) に読み解くのではなく,より表語的 (logographic) に読み解く習慣を育むことができるようになった.結果として,声に出して理解する音読ではなく,頭のなかで語の意味を取る黙読および速読の文化が芽生え,私的に思考したり,大量の情報を処理することが可能になったのである.「#3881. 文字読解の「2経路モデル」」 ([2019-12-12-1]),「#3884. 文字解読の「2経路」の対比」 ([2019-12-15-1]) で挙げた用語に従えば,読解に用いられる神経回路の比重が「音韻ルート」から「語ルート」へとシフトしてきたといってもよいだろう.
 西洋における黙読習慣の発達の時期については,権威あるラテン語に対して土着語 (vernacular) への気付きがきっかけとなったタイミングとして,8世紀頃を指摘する見解がある.この見解に基づいて,Cook (152--53) が上述の解説を次のようにうまくまとめている.

Punctuation marks started as an aid for reading Latin aloud, in the form of various dots and other marks. These were necessary because Latin was written without word spaces, making texts difficult to read aloud on sight. Around the eighth century AD, it became usual to put a space between words. According to Saenger (1997), this transformed reading from reading aloud to reading in silence. Without spaces, the reader had to test out loud what the text meant; with spaces, the reader could interpret the text without saying it aloud and they could read and write with greater privacy since their activity was not audible to other people; indeed Galileo saw the advantages of 'communicating one's most secret thoughts to any other person' (cited in Chomsky 2002: 45). Hence, once the lexical route became possible for reading European languages, authors became more daring individuals; and the speed of reading could be increased beyond the speed of articulation. As Harris (1986) put it, 'One is tempted to compare the introduction of the space as a word boundary to the invention of the zero in mathematics . . .'.


 それにしても「分かち書きの発見は数学におけるゼロの発見に比較できる」というのは並一通りではない評価だ.
 本記事と関連して,ぜひ以下の記事にも目を通していただきたい.

 ・ 「#2058. 語源的綴字,表語文字,黙読習慣 (1)」 ([2014-12-15-1])
 ・ 「#2059. 語源的綴字,表語文字,黙読習慣 (2)」 ([2014-12-16-1])
 ・ 「#2696. 分かち書き,黙読習慣,キリスト教のテキスト解釈へのこだわり」 ([2016-09-13-1])
 ・ 「#1903. 分かち書きの歴史」 ([2014-07-13-1])

 ・ Cook, Vivian. The English Writing System. London: Hodder Education, 2004.
 ・ Saenger, P. Space Between Words: The Origins of Silent Reading. Stanford, CA: Stanford UP.
 ・ Chomsky, N. On Nature and Language. Cambridge: CUP, 2002.
 ・ Harris, R. The Origin of Writing. London: Duckworth, 1986.

Referrer (Inside): [2020-01-29-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2019-12-21 Sat

#3890. 英語のスペリングに対する Chomsky の見解 [spelling][orthography][chomsky][mental_lexicon][generative_grammar][writing]

 一見すると英語のスペリングと Chomsky とは結びつかないように思われるが,実は関係がある.Chomsky は,語の心的表現は正書法上のスペリングに近い形で存在しているのではないかと考えているからだ.Cook (77) 経由で,2つほど引用したい.

. . . conventional orthography is . . . a near optimal system for the lexical representation of English words. (N. Chomsky and M. Halle 1968: 49)


In short, conventional orthography is much closer than one might guess to an optimal orthography, an orthography that presents no redundant information and that indicates directly, by direct letter-to-segment correspondence, the underlying lexical form of the spoken language (N. Chomsky 1972: 12)


 生成文法では,話者の記憶辞書に格納されている語の基底形は,そこから種々の派生語を生成するのに最適化された表現を取っているものとされる.その基底形と出力の音形が著しく異なっているということは滅多にないが,だからといって両者が常に厳密に一致しているというわけでもない.両者の関係は緩い関係である.この緩さは,語のスペリングと発音の関係にも当てはまる.生成文法でいう基底形と英語の正書法上のスペリングというのは,立ち位置がとても似ているのである.
 これについて,Cook (78) は上にも引用した Chomsky に依拠しながら次のように論じている.

Most claims that English spelling is deficient are based on the view that English spelling corresponds to the sounds of speech. The purpose of English spelling is instead to link to the underlying lexical representation. However bad English writing may be as a sound-based system, it is efficient at showing the underlying forms of words stripped of the accidental features attached to them by phonological rules. Its purpose is not the representation of sounds but the representation of word forms. Looked at in this light, 'conventional orthography is . . . a near optimal system for the lexical representation of English words' (Chomsky and Halle 1968: 49).


 ここで述べられているのは,英語スペリングは表音性という観点からは落第点をつけられるかもしれないが,表語性という点に注目するならば,かなり上手くやっているということだ.私も「#3873. 綴字が標準化・固定化したからこそ英語の書記体系は複雑になった」 ([2019-12-04-1]) や,そこに張ったリンク先の記事で主張してきたように,現代英語の正書法におけるスペリングの役割の重心は,表音というよりは表語にあると考えている.
 こんなところで Chomsky とつながってきたかと意外ではある.今日から私も Chomskian!?

 ・ Cook, Vivian. The English Writing System. London: Hodder Education, 2004.
 ・ Chomsky, N. and M. Halle. The Sound Pattern of English. London: Harper & Row, 1968.
 ・ Chomsky, N. Phonology and Reading. Basic Processes in Reading. Ed. H. Levin. London: Harper & Row, 1972. 3--18.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2019-12-20 Fri

#3889. ネイティブがよく間違えるスペリング [spelling][elt][writing][orthography]

 Cook (86) に,ネイティブの学生がよく間違えるスペリングが掲載されている.以下に挙げてみよう.

definately, knew (for new), bare (for bear), baring (for barring), demeening, tradditional, detatchment, finnished, grater (for greater), senario, compulsary, relevent (for relevant), illicit (for elicit), pronounciation, booring (for boring), layed out, pysche, embarassing, accomodate, quite (for quiet), syllubus, their (for there), sited (for cited), where (for were), to (for too), usefull, vocabularly, affect (for effect), percieved, principle (for principal), sence (for sense)


 確かに間違えやすそうと納得する語もあるものの,すでにその語(の発音)を知っているネイティブの間違え方を眺めていると,英語を第2言語として学んでいる典型的な日本語母語話者の間違え方とは異なっているものも多いことに気づく.私個人としていえば knew/new, grater/greater, to/too, where/were のような混同は未経験である.また,ここには挙がっていないが,ネイティブがよく間違える綴字ともいわれる it's/its についても,なぜ混同するのかピンと来ない.発音は同じだとしても明らかに機能が異なるでしょう,と突っ込みたくなる (cf. 「#198. its の起源」 ([2009-11-11-1])) .
 このようなネイティブと非ネイティブのスペリングの間違え方の差異は,いったい何を意味しているのだろうか.発音ありきのネイティブ的言語習得と,文法ありきの日本の英語教育的言語習得との違いによるものとは想像されるが,非常に含蓄に富む問題である.言語習得や英語教育はもとより,音韻論,文字論,読み書きの科学などの学際的な知見を総動員して迫るべき話題だろう.

 ・ Cook, Vivian. The English Writing System. London: Hodder Education, 2004.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2019-12-19 Thu

#3888. 英語の文字は音を表わすだけではなく,それ以外の言語的特徴をも標示する [orthography][spelling][writing][grammatology]

 昨日の記事で Venezky による「#3887. 英語正書法の一般原理,7点」 ([2019-12-18-1]) を紹介したが,その「原理3」に注目したい."Letters represent sounds and mark graphemic, phonological and morphemic features." という原理だ.これを言い換えれば「英語の文字は音を表わすだけではなく,それ以外の言語的特徴をも標示する」ということになる.別の用語でさらに言い換えるならば,「#3882. 綴字と発音の「対応規則」とは別に存在する「正書法規則」」 ([2019-12-13-1]) で見たとおり,「対応規則」と「正書法規則」の両方の規則があるということでもある.
 これに従う形で,Venezky もスペリングの単位("functional unit" と呼ばれる)を2種類に区分している.1つは音に対応する "relational unit" であり,もう1つはそれ以外の役割を果たす "marker" である.Venezky (7) による説明を,Cook (63) 経由で掲げよう.

Functional units
1 Relational units 'map directly into sounds'
2 'a marker is an instance of a letter that has no pronunciation of its own; instead, it marks the pronunciation of another letter, indicates the morphemic status of a word or preserves a graphemic pattern'


 1つめの "relational unit" は,単純に表音文字の機能ということなので分かりやすいだろう.解説を要するのは2つめの "marker" である."marker" となる文字(列)は,自分自身の音を表わすわけではなく,他の文字(列)の音を遠隔的に表わしたり,形態的な地位の同定のために機能したり,あるいは綴字を正書法の型にはめるために存在する.他の文字(列)の音を遠隔的に表わすというのは,たとえば mat/mate などの対における magic <e> に典型的にみられる働きである.形態的な地位の同定のための機能とは,Cook に対して Cooke が異なる個人名として認識される場合の語末の e に託された役割である.最後に,綴字を正書法の型にはめるために存在する文字(列)とは,housejive にみられる語末の e のように,sv で単語を終えないという英語の正書法のルールに違反しないため(だけ)に挿入される単位である.
 以上のように,mate, Cooke, house は,いずれも語末の e という "marker" の事例とはいえ,細かくいえば互いに役割が異なることに注意したい.

 ・ Cook, Vivian. The English Writing System. London: Hodder Education, 2004.
 ・ Venezky, R. L. The American Way of Spelling. New York, NY: Gilford P, 1999.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2019-12-18 Wed

#3887. 英語正書法の一般原理,7点 [orthography][spelling][writing][silent_letter]

 Venezky が示している「(1999年版)英語正書法の一般原理」 (General principles of English orthography) は以下の通りである (Cook 62) .

1 Variation is tolerated.
2 Letter distribution is capriciously limited.
3 Letters represent sounds and mark graphemic, phonological and morphemic features.
4 Etymology is honoured.
5 Regularity is based on more than phonology.
6 Visual identity of meaningful word parts takes precedence over letter-sound simplicity.
7 English orthography facilitates word recognition for the initiated speaker of the language, rather than being a phonetic alphabet for the non-speaker.


 Venezky 自身も完全に理解していると思われるが,英語正書法に「一般的な原理」はない.したがって,ここでいう「原理」とは通常よりもずっと薄めた意味での「原理」であり,むしろ英語の正書法の持っている「性格」ととらえたほうがよいだろう.
 そのように理解した上で,上記の一般原理7点について簡単に,インフォーマルに補足したい.

 [ 原理 1 ] 基本的に1つの語は1つの決まったスペリングをあてがわれているが,honourhonor のようなスペリングの英米差が所々に存在する.
 [ 原理 2 ] 同じ文字を2つ続けるにしても,<ee>, <oo>, <ff>, <ss> は許されるのに,なぜか <aa>, <ii>, <vv>, <zz> は一般的に許されない.
 [ 原理 3 ] たいていの文字は特定の音素に対応しているが,magic <e> や各種の黙字のように,音素への対応とは別の機能を示すケースがある.
 [ 原理 4 ] doubt の <b> や indict の <c> が典型.表「音」を犠牲にして表「語源」を重視する場合も多い.
 [ 原理 5 ] inn (名詞)と in (前置詞)の区別,art (普通名詞)と Art (固有名詞)の区別のように,発音を表わすというよりも形態・統語・その他の情報を伝える場合がある.
 [ 原理 6 ] precedeprecedence の最初の2音節の発音は大きく異なっているにもかかわらず,対応するスペリングは一致している.
 [ 原理 7 ] すでに英語を知っている読者には分かりやすいスペリングだが,そうでない読者(=初学者)にはわかりにくい (cf. 「#3884. 文字解読の「2経路」の対比」 ([2019-12-15-1]) の「語ルート」の特徴を参照) .

 まことに原理らしくない原理ではある.

 ・ Cook, Vivian. The English Writing System. London: Hodder Education, 2004.
 ・ Venezky, R. L. The American Way of Spelling. New York, NY: Gilford P, 1999.

Referrer (Inside): [2019-12-19-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2019-12-17 Tue

#3886. 話しことばと書きことば (6) [writing][medium][punctuation][link]

 話しことばと書きことばの比較・対照について,以下の記事で取り上げてきた.

 ・ 「#230. 話しことばと書きことばの対立は絶対的か?」 ([2009-12-13-1])
 ・ 「#748. 話し言葉と書き言葉」 ([2011-05-15-1])
 ・ 「#849. 話し言葉と書き言葉 (2)」 ([2011-08-24-1])
 ・ 「#1001. 話しことばと書きことば (3)」 ([2012-01-23-1])
 ・ 「#1665. 話しことばと書きことば (4)」 ([2013-11-17-1])
 ・ 「#2301. 話し言葉と書き言葉をつなぐスペクトル」 ([2015-08-15-1])
 ・ 「#3274. 話し言葉と書き言葉 (5)」 ([2018-04-14-1])
 ・ 「#3411. 話し言葉,書き言葉,口語(体),文語(体)」 ([2018-08-29-1])
 ・ 「#3799. 話し言葉,書き言葉,口語(体),文語(体) (2)」 ([2019-09-21-1])
 ・ 「#2535. 記号 (sign) の種類 --- 伝える手段による分類」 ([2016-04-05-1])

 この問題を論じる際に重要なのは,両者が言語の媒体 (medium) として「物理的に」異なるものであるという基本的な認識である.話しことばは聴覚に訴えかける音を利用し,書きことばは視覚に訴えかける記号を利用する.この基本的な違いから,ほぼすべての重要な違いが生み出されるということだ.つまり,一見言語学的な問題にみえるが,実のところ物理学や生理学の問題に帰着するといえる (cf. 「#1063. 人間の言語はなぜ音声に依存しているのか (1)」 ([2012-03-25-1]),「#1064. 人間の言語はなぜ音声に依存しているのか (2)」 ([2012-03-26-1]),「#1065. 第三者的な客体としての音声言語の特徴」 ([2012-03-27-1])).
 Cook (38) は両媒体の特徴を,次のように簡潔にまとめている.

Speech is spoken soundsWriting is written symbols
Speech is fleetingWriting is permanent
Speech is linear in timeWriting can be consulted, regardless of time
Speech is processed 'on-line'Writing is stored 'off-line'
Speech can be produced and comprehended at around 150 words per minuteWriting can be read at up to 350 words per minutes
Speech is spontaneous first-draftWriting is carefully worked, final-draft
Speech is linked to a definite shared contextWriting has an indefinite non-shared context
Speech attributes definite roles to the listenerWriting attributes indefinite roles to the reader
Speech can use sound features such as intonationWiring can use written features such as punctuation


 このような違いがあるので,当然ながら話しことばでしか表現できないこと,逆に書きことばでしか表現できないことがある.後者の例としては,inn (名詞)と in (前置詞)の区別,art (普通名詞)と Art (固有名詞)の区別,各種の句読記号 (punctuation) や {;-) のような emoticon も,話し言葉には対応するものがない(cf. 「#808. smileys or emoticons」 ([2011-07-14-1])).

 最近では,書き言葉は話し言葉の写しにすぎないという従来の見方から脱した,書き言葉の自立性を主張する議論もちらほらと見聞きするようになってきた.以下の記事を参照されたい.

 ・ 「#1829. 書き言葉テクストの3つの機能」 ([2014-04-30-1])
 ・ 「#2339. 書き言葉の自立性に関する Vachek の議論 (1)」 ([2015-09-22-1])
 ・ 「#2340. 書き言葉の自立性に関する Vachek の議論 (2)」 ([2015-09-23-1])
 ・ 「#2431. 書き言葉の自立性に関する Bolinger の議論」 ([2015-12-23-1])
 ・ 「#2508. 書き言葉の自立性に関する Samuels の議論」 ([2016-03-09-1])
 ・ 「#2819. 話し言葉中心主義から脱しつつある言語学」 ([2017-01-14-1])

 ・ Cook, Vivian. The English Writing System. London: Hodder Education, 2004.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2019-12-15 Sun

#3884. 文字解読の「2経路」の対比 [spelling][grammatology][alphabet][reading][writing][psycholinguistics][kanji][frequency]

 「#3881. 文字読解の「2経路モデル」」 ([2019-12-12-1]) の記事でみたように,文字解読には「音韻ルート」 (phonological route) と「語ルート」 (lexical route) の2経路があると想定されている.典型的には各々アルファベットと漢字(訓読み)に結びつけるのが分かりやすいが,アルファベットで綴られた単語が語ルートで読解されることもあれば,形声文字の漢字が音韻ルートで読解されることもあり得るので,そう単純ではない.Cook (25) は,2つのルートを以下のように対比している.

 Phonological routeLexical route
Converts written unitsTo phonemesTo meanings
Also known asAssembled phonologyAddressed phonology
NeedsMental rulesMental lexicon of items
Works byCorrespondence rulesMatching
Can handleAny novel combinationOnly familiar symbols
Used withAny wordsHigh frequency words


 最後の2行の指摘が興味深い.語ルートは,すでに知っている語,とりわけ頻度の高い語と相性がよいという点だ.逆にいえば,未知の語や低頻度の語とは相性が悪いということだ.確かに漢字は先に学んでいない限り読むことはできないし,低頻度の漢字はなかなか定着しないので読み書きも忘れがちである.一方,アルファベットで書かれた語は,たとえ未知で意味不明であっても,およそ読むことはできる.また,アルファベットで書かれているとはいえ,thevery などの高頻度語は,おそらく語ルートで読解されているだろう.
 算術に喩えれば,音韻ルートは筆算して答えを得ることに,語ルートは暗記しているかけ算九九で直接解答にアクセスすることに相当するといったらよいだろうか.

 ・ Cook, Vivian. The English Writing System. London: Hodder Education, 2004.

Referrer (Inside): [2020-01-26-1] [2019-12-18-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2019-12-12 Thu

#3881. 文字読解の「2経路モデル」 [orthography][spelling][grammatology][alphabet][reading][writing][psycholinguistics][kanji]

 日本語(特に漢字)を読んでいるのと英語を読んでいるのとでは,何かモードが異なるような感覚をずっともっていた.異なる言語だから異なるモードで読んでいるのだといえばそうなのだろうが,それとは別の何かがあるような気がする.さらされているのが表語文字か表音文字かという違いが関与しているに違いない.この違和感を理論的に説明してくれると思われるのが,文字読解の「2経路モデル」 ('dual-route' model) である.これ自体が心理学上の仮説(ときに「標準モデル」とも)とはいえ,しっくりくるところがある.
 表音文字であるローマン・アルファベットで表記される英語を読んでいるとき,目に飛び込んでくる文字上の1音1音に意識が向くことは確かに多いが,必ずしもそうではないことも多い.どうやら音を意識する「音韻ルート」 (phonological route) と語を意識する「語ルート」 (lexical route) が別々に存在しており,読者は場合によっていずれかのルートのみ,場合によって両方のルートを用いて読解を行なっているということらしい.以下に「2経路モデル」の図を示そう(Cook 17 より).

                                                     ┌────────────┐
                                                     │   Phonological route   │
                                                     │                        │
                                             ┌──→│Converting 'letters' to │───┐
                     ┌───────┐      │      │Phonemes with a small   │      │
    Reading          │   Working    │───┘      │      set of rules      │      └───→
    written ───→ │out 'letters' │              └────────────┘                  Saying words aloud
     words           │ and 'words'  │───┐      ┌────────────┐      ┌───→
                     └───────┘      │      │     Lexical route      │      │
                                             └──→│                        │───┘
                                                     ???Looking up 'words' in a ???
                                                     │ large mental lexicon   │
                                                     └────────────┘

 tip という単語を読むときに経由する「音韻ルート」を考えてみよう.読者は <t>, <i>, <p> の文字を認識すると,各々を /t/, /ɪ/, /p/ という音素に変換し,その順番で並んだ /tɪp/ という音韻出力を得る.この場合の対応規則はきわめて単純だが,<th> であれば /θ/ に,<dge> であれば /ʤ/ に変換する必要があるなど,しばしば込み入った対応規則の適用も要求される.
 一方,% という記号を読むときに経由する「語ルート」を考えてみよう.% に直接に音を表わす要素は含まれていないので,読者はこの記号が percent /pəsent/ という語に対応していることをあらかじめ知っていなければならない.熟練した読者は脳内に膨大な記憶辞書 (mental lexicon) をもっており,そこには語彙の情報(発音,意味,形態変化,共起語など)がぎっしり詰まっているとされる.このような読者は % の記号を目にすると,それを記憶辞書に格納されている percent というエントリーに直接結びつけ,読解していると想定される.% などの記号や漢字のような文字は,原則として「音韻ルート」は経由せず「語ルート」経由のみで理解されているものと思われる.
 先の tip の場合はどうだろうか.確かに「音韻ルート」を経由していると思われるが,「先端」という意味やその他の発音以外の情報を取り出すには,やはりどこかの段階で記憶辞書へアクセスしていなければならない.つまり「語ルート」も経由しているに違いないのである.
 ここから,漢字を読むときには主として「語ルート」のみを通り,英語を読むときには「音韻ルート」と「語ルート」の両方を通っていることが想定される.各々を読むときにモードが異なるように感じるのは,経由するルートの種類と数の違いに起因する可能性が高いということだ.

 ・ Cook, Vivian. The English Writing System. London: Hodder Education, 2004.

Referrer (Inside): [2020-01-26-1] [2019-12-15-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow