3--4世紀,書記の歴史において重大な2つの事件が起こった.巻物 (scroll) に代わって冊子 (codex) が,パピルス (papyrus) に代わって羊皮紙 (parchment) が現われたことである.書写材料とその使い方において劇的な変化がもたらされた.まず,「巻物→冊子」の重要性について,『印刷という革命』の著者ペティグリー (19--20) は次のように述べている.
巻物が冊子へと変わってゆくプロセスは段階的なものだったが,その変化がもたらしたインパクトたるや,数世紀後の印刷術の発明に勝るとも劣らぬほど大きなものであった。冊子が人気を博したのは,便利だったからである。紙の裏面にも書き込めるから,巻物より場所を取らない。それに破損しにくいし,もし傷ついた箇所があっても,簡単にページの差し替えができた。また蔵書は積み上げるか棚に並べるかして保管できるので,どの巻かすぐに見分けがついた。このように冊子状の本は,巻物と比べると,はるかに図書館(室)での収蔵と管理が容易だったのである。さらに冊子は,筆写のために分割もできたし,逆にさまざまなテクストを好みの順番で一冊にまとめることも,簡単にばらばらにして順番を入れ替えることもできた。要するに柔軟性と耐久性に富んでいたのである。
冊子は実用的であったばかりではない。巻物よりも,はるかに洗練された知的アプローチが可能だった。なにより,多様な読み方ができた。巻物だと,最初から順を追って読んでゆくよりほかないが,冊子ならぱらぱらとめくって拾い読みができる。読者はテクストのある箇所から別の箇所へと,望むままに移動してゆけるから,深い思索を展開できる。冊子は,物語ばかりでなく,知的な手段も提供したのである。
続けて,「パピルス→羊皮紙」についても言及している (20--21) .
冊子形式の本が成功した理由には,もろくて摩滅しやすいパピルスに替えて,より耐性のある記録媒体を採用したこともあった。パピルスの代わりに,徐々に羊皮紙が用いられるようになった。〔中略〕
羊皮紙はまた強度が高く,耐久性にも優れていたため,分量の多いテクストや,豊かな装飾を施した文章に用いることができた。
このような技術的革新により,書くこと,読むことの意義が変わっていった.また,古文書が朽ちずに現在まで存続することにもなった.まさに,歴史を可能ならしめた革新だったといえよう.
書写材料の話題については,「#2456. 書写材料と書写道具 (1)」 ([2016-01-17-1]) と「#2457. 書写材料と書写道具 (2)」 ([2016-01-18-1]) ,「#2465. 書写材料としての紙の歴史と特性」 ([2016-01-26-1]),「#2931. 新しきは古きを排除するのではなく選択肢を増やす」 ([2017-05-06-1]),「#2933. 紙の歴史年表」 ([2017-05-08-1]) も参照されたい.
・ ペティグリー,アンドルー(著),桑木 幸司(訳) 『印刷という革命 ルネサンスの本と日常生活』 白水社,2015年.
書き言葉の発生,すなわち文字の発生は,実用本位のものか,儀礼的なものか.この究極の問題について,Nicholas et al. が明快な議論を展開している.論文のアブストラクトがよい要約になっているので,引用しよう (459) .
A comparison of the evidence for the earliest scripts in different parts of the world suggests that an apparent preponderance of ceremonial; and symbolic usage should not be interpreted too literally. It seems to have more to do with archaeological preservation --- the better survival in archaeological contexts of the durable materials preferred as vehicles for ceremonial texts --- than with any deep-seated differences in the function of the scripts. It may well be that the earliest Chinese, Egyptian or Mesoamerican texts were largely as utilitarian in their application as those of Mesopotamia.
論文では,上記と関連する言及がそこかしこに点在している.
Some materials survive better than others, and for various reasons scribes chose relatively perishable substances for utilitarian texts, and more permanent vehicles for more formal ones. They were guided not only by the substance's durability, but also by its value and its convenience. Carving an inscription in stone improves its chance of survival for posterity; furthermore, the material may have been chosen for its intrinsic value (whether aimed at the inscription, or at the object, like a bowl or a statue, on which the inscription is found); and the labour of carving the text on a stone is itself an enhancement of the value of the object. As a general rule, therefore, we may expect surviving inscriptions to be those serving ceremonial purposes and found on durable materials. (472)
The main factor in deciding which script style was to be used was not purely the tools and media used for writing but also the content of the text. Likewise the amount of time devoted to a particular inscription (in turn reflecting the value attached to the text) will have had an effect on the form of the script used, with formality on ceremonial, informality on utilitarian vehicles: thus bones and tortoise-shells, though still formal, have more narrative content and generally have more cursive characters than the bronzes. (477)
The medium based for writing depended largely upon the content of the message. Because of the differential preservation of writing media, formal ceremonial texts, written on more durable substances, dominate in the archaeological record, giving a biased picture of the uses of early writing. The occasional survival of more perishable substances, together with certain other evidence, helps to correct this bias. (478--79)
そして,結論として "[T]he stimulus to move from individual symbols or emblems to a coherent writing system is more likely to have come from the needs of administration than from a wish to disseminate propaganda." (479) と述べている.書き言葉は,あくまで実用本位で生まれてきたという明快な結論だ.
この議論は,古生物学において生き残りやすい化石の種類を考察する化石生成学 (taphonomy) の発想と酷似している.「#2865. 生き残りやすい言語証拠,消えやすい言語証拠――化石生成学からのヒント」 ([2017-03-01-1]) を参照されたい.また,文字の起源と発達を考慮するにあたっての書写材料の重要性については,「#2456. 書写材料と書写道具 (1)」 ([2016-01-17-1]),「#2457. 書写材料と書写道具 (2)」 ([2016-01-18-1]),「#2465. 書写材料としての紙の歴史と特性」 ([2016-01-26-1]),「#2933. 紙の歴史年表」 ([2017-05-08-1]) を要参照.
・ Postgate, Nicholas, Tao Wang, and Toby Wilkinson. "The Evidence for Early Writing: Utilitarian or Ceremonial?" Antiquity 69 (1965): 458--80.
連日,長田順行(著)『暗号大全』を参照しているが,言語と文字について論じる上で,暗号(学)が多くのインスピレーションを与えてくれることに驚いている.今回は,様々な種類の暗号を「文字言語の構成要素と暗号形式の対応」関係により整理・分類した長田の表を示したい (29) .
文字言語の構成要素と人為的操作 | 形式名 | 見かけ上の特徴 | ||
---|---|---|---|---|
一定の文字 | → | 別の文字で代用 | 換字式 | 暗号らしい暗号(一般的な暗号) |
一定の順序 | → | 順序の入替え | 転置式 | 暗号らしい暗号(一般的な暗号) |
→ | 別の文字を挿入 | 分置式 | 暗号らしくない暗号(特殊な暗号) | |
一定の意味 | → | 別の意味に変換,あるいは遠回しに表現 | 隠語・隠文式 | 暗号らしくない暗号(特殊な暗号) |
上記の組み合わせ | 混合式 | 暗号らしくない暗号(特殊な暗号) |
略語表記は英語でも日本語でも花盛りである.「#889. acronym の20世紀」 ([2011-10-03-1]),「#2982. 現代日本語に溢れるアルファベット頭字語」 ([2017-06-26-1]) でみたように,頭字語と呼ばれる acronym や initialism などは新聞や雑誌などに溢れている.確かに略語表記は現代に顕著だが,その存在は古くから確認される.西洋ではギリシア・ローマの時代に遡り,その起こりこそ筆記に要する空間・時間の節約や速記といった実用的な用途にあったかもしれないが,やがて宗教的な目的,秘匿の目的にも用いられるようになった.長田 (43--44) は,暗号との関連から略語について次のように論じている.
略語は,このように第三者に対する秘匿とは別の目的から使用され,発達してきたが,略語そのものがあまり慣用されていないものであったり,略語の種類が増加してくると,略語表を見ないと元の意味がとれない場合が生じる.また,簡略化によるものや書き止めによる略語(書きかけのまま中途で止めて略語とするもの)には,それが略語であることを示すために単語上や語末に傍線を入れて注意を喚起するようなことが行なわれた.
じつは,この不便さが一方では秘匿の目的に略語が使用されることにつながるのである.
AIDS や EU であれば多くの人が見慣れており相当に実用的といえるが,最近目につくようになったばかりの EPA(Economic Partnership Agreement; 経済連携協定)や ICBM(Inter-Continental Ballistic Missile; 大陸間弾道弾)では,必ずしも多くの人が何の略語なのか,何を指すのかを認識していないかもしれない.かすかなヒントがあると言い張ることはできるかもしれないが,暗号に近いといえるだろう.
では,AIDS や EU はなぜ認知されやすいのかといえば,繰り返し用いられてきたからである.当初は事実上の暗号に等しかったろうが,それでも構わずに使い続けられていくうちに,多くの人々が慣れ,認知するに到ったということである.これは非暗号化の過程とみることもできるだろう.「これらの略語も繰り返し使用したのでは,秘匿の効果が薄れてしまうことはいうまでもない」(長田,p. 45).
・ 長田 順行 『暗号大全 原理とその世界』 講談社,2017年.
通常,少数の人によってしか共有されていない文字を指して暗号と呼ぶが,標題のように裏からとらえて「文字は公認の暗号である」と表現することもできる.これは,みごとな逆転の発想である.長田 (136--37) を引用する.
音声言語を表記するためにどのような文字を使用するかはどうでもよいことであって,要はその文字の使い方が首尾一貫していれば,記号としての役目を果たすことができる.フェルディナン・ド・ソシュールは,「記号の不易性と可易性」について次のように述べている.「能記は,その表はす観念と照し合はす時は,自由に選ばれたものとして現はれるとすれば,逆にこれを用ひる言語社会と照し合はす時は,自由ではなくて,賦課されたものである.社会大衆は一つも相談にあづからず,言語の選んだ能記は他のものと代へるわけにはいきかねる.この矛盾を含むかに思はれる事実は,平たくいへば『脅迫投票』とでもいふべきか.言語に向って『選びたまへ』と言つたそばから,『この記号だぞ,ほかのでなくて』と附加へる」(小林英夫訳『言語学原論』)
これはそのまま換字式暗号にあてはまる原理である.変換する記号としてはどのようなものを選んでもさしつかえないが,一度選んだならば,その規約を使用する間はけっして変更することは許されない.ただ換字式暗号の違う点は,言語とその表記の関係が第三者に秘匿されていることである.
一般に文字言語を「社会公認公用の暗号法」と呼ぶのは,このような相対関係によるものである.
また,次のようにも述べている (137--38)
ウェルズは,その『世界史』に,「文字は,それが発明されたとき,初めのうちは関係の人だけの秘密通信に使われていた」と書いている.これは,識字率の低い間は文字そのものが秘密の表記であったことを的確にとらえた言葉である.
文字も暗号も恣意的な記号であるという点では共通している.顕著な差異を1つ挙げるとすれば,文字は通常多数の人に共有されているが,暗号は少数の人にしか知られていないということだろう.それを知っている人の数というパラメータを度外視すれば,文字はすなわち暗号であり,暗号はすなわち文字であるといえる.言語学的文字論と暗号学がいかなる相互関係にあるのか,一気に呑み込めた気がする.
関連して,「#2699. 暗号学と言語学」 ([2016-09-16-1]),「#2700. 暗号によるコミュニケーションの特性」 ([2016-09-17-1]) と「#2701. 暗号としての文字」 ([2016-09-18-1]) も参照されたい.
・ 長田 順行 『暗号大全 原理とその世界』 講談社,2017年.
「#574. punctuation の4つの機能」 ([2010-11-22-1]) で,Crystal の英語百科事典から句読法 (punctuation) の4つの機能を紹介した.同じ Crystal が,句読法を徹底的に論じた著書 Making a Point の最後に近いところで,別の切り口から句読法の機能の多様性を力説している.
For a long time, . . . people thought there were only two functions to punctuation: a guide to pronunciation and a guide to grammar. There are far more . . . . There is a ludic function, seen in poetry, informal letters, and many online settings where people are playing with punctuation. There is a psycholinguistic function, facilitating easy processing by writer and reader. There is a sociolinguistic function, contributing to rapport between users. There is a stylistic function, providing genres with some of their orthographic identity. (346)
句読点の働きは,発音や文法のガイド以外にもあるという.例えば,遊びとしての句読点がある.携帯メールなどで用いられる「#808. smileys or emoticons」 ([2011-07-14-1]) の一部にみられるような,ジョークとしての句読点使用などがこれに当たるだろう.
心理言語学的な機能としては,例えば節と節を分ける際に,ルールとしては必ずしもカンマを挿入する必要がない場合でも,長さによっては読み手の解析のしやすさに配慮してカンマを挿入するほうがよいケースがあるだろう.
社会言語学的な機能,あるいは社会語用論的な機能といってもよいかもしれないが,例えば携帯メールなどで感情を表わす smileys を文末に添えることによって,相手との関係調整を行なうようなケースがある.
文体的な機能とは,例えば携帯メールのテキストに特有の句読法を用いることにより,それが携帯メールのテキストというジャンルに属することを標示するというようなケースを指す.
考えてみれば,これらは句読法の機能であるばかりか,およそ綴字の機能でもあるといってよい.句読法,綴字,文字などの書き言葉の要素は,それぞれ実に多種多様な機能を果たしているのである.
・ Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of the English Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2003.
・ Crystal, David. Making a Point: The Pernickety Story of English Punctuation. London: Profile Books, 2015.
英語の分かち書きについて,以下の記事で話題にしてきた.「#1112. 分かち書き (1)」 ([2012-05-13-1]),「#1113. 分かち書き (2)」 ([2012-05-14-1]),「#2695. 中世英語における分かち書きの空白の量」 ([2016-09-12-1]),「#2696. 分かち書き,黙読習慣,キリスト教のテキスト解釈へのこだわり」 ([2016-09-13-1]),「#2970. 分かち書きの発生と続け書きの復活」 ([2017-06-14-1]),「#2971. 分かち書きは句読法全体の発達を促したか?」 ([2017-06-15-1]) .
現代的な語と語の分かち書きは,古英語ではまだ完全には発達していなかったが,語の分割する方法は確かに模索されていた.しかし,ある方法をとるにしても,その使い方はたいてい一貫しておらず,いかにも発展途上という段階にみえるのである.1例として,空白とともに中点 <・> を用いている Bede の Historia Ecclesiastica, III, Bodleian Library, Tanner MS 10, 54r. より冒頭の4行を再現しよう(Crystal 19).
ÞA・ǷÆS・GE・WORDENYMB
syx hund ƿyntra・7feower7syxtig æft(er) drihtnes
menniscnesse・eclipsis solis・þæt is sunnan・aspru
ngennis・
then was happened about
six hundred winters・and sixty-four after the lord's
incarnation・(in Latin) eclipse of the sun・that is sun eclipse
まず,空白と中点の2種類の分かち書きが,一見するところ機能の差を示すことなく併用されているという点が目を引く.また,現代の感覚としては,分割すべきところに分割がなく(7 [= "and"] の周辺),逆に分割すべきでないところに分割がある(題名の GE・WORDENYMB にみられる接頭辞と語幹の間)という点も興味深い.
空白で分かち書きする場合,手書きの場合には語と語の間にどのくらいの空白を挿入するかという問題があり,狭すぎると分割機能が脅かされる可能性があるが,中点は(前後の文字のストロークと融合しない限り)狭い隙間でも打てるといえば打てるので,有用性はあるように思われる.
中点は,英語に限らず古代の書記にしばしば見られたし,自然な句読法の1つといってよいだろう.現代日本語でも,中点は特殊な用法をもって活躍している.
・ Crystal, David. Making a Point: The Pernickety Story of English Punctuation. London: Profile Books, 2015.
日本語では段落の始めは1字下げして書き始めるのが規範とされている.近年この規範と実践が揺れ始めている件については,「#2848. 「若者は1字下げない」」 ([2017-02-12-1]) の記事で触れた.では,英語についてはどうだろう.
英語の本を読んでいるとわかるとおり,通常,段落開始行は数文字程度の字下げが行なわれている.しかし,これには別の作法もある.例えば,字下げは行なわない代わりに,段落を始める語の頭文字を他の文字よりも大きくして(ときに複数行の高さで)目立たせるやり方,すなわち "drop capital" の使用がある.これは,中世の写本において,同じ目的で用いられた大きな装飾文字に起源をもつ.あるいは,その変種と考えられるが,雑誌や新聞の記事でよくお目にかかるように,最初の1語か数語をすべて大文字で書くという方法もある.
もう1つ注意すべきは,字下げも行なわず,かつ特別な目立たせ方もしないで段落を開始することがあるということだ.それは,章や節の第1段落においてである.章や節の題名を示す行の直後では,そこが新段落の始めであることは自明であり,特別な合図をせずともよいということだ.日本語では第1段落といえども律儀に1字下げをするので,英語のこの流儀はいかにも合理性を重んじているかのように感じられる.
私も長らくこの英語書記の合理性に感じ入っていたが,歴史的にはそれほど古い流儀ではないようだ.Crystal (131) によると,100年ほど前には,第1段落といえども他の段落と同じように数文字の字下げを行なうのが通常だったようだ.結局のところ,句読法 (punctuation) の慣習は,時代にも地域にもよるし,house style によるところも大きい.ある程度の合理性の指向は認められるにせよ,句読法もまた絶対的なものではないということだろう.
・ Crystal, David. Making a Point: The Pernickety Story of English Punctuation. London: Profile Books, 2015.
昨日の記事「#2997. 1800年を境に印刷から消えた long <s>」 ([2017-07-11-1]) の最後に触れたように,十分に現代英語に近いと感じられる18世紀でも(そして部分的に19世紀ですら),印刷と手書きは,文字や綴字の規範に関して,2つの異なる世界を構成していたといってよい.換言すれば,2つの正書法が存在していた(しかも,各々は現代的な意味での水も漏らさぬ強固な規範というわけではなかった).印刷はおよそ「公」であり,手書きは「私」であるから,正書法は公私で使い分けるべき二重基準となっていたのである.
この差異が最も印象的に見られるのは,Johnson の辞書での綴字と,Johnson の私的書簡での綴字である.例えば,Johnson は辞書での綴字とは異なり,書簡では companiable, enervaiting, Fryday, obviateing, occurences, peny, pouns, stiched, chappel, diner, dos (= does) 等の綴字を書いている (Tieken-Boon van Ostade 42) .このような状況は他の作家についても同様に見られることから,Johnson が綴り下手だったとか,自己矛盾を起こしているなどという結論にはならない.むしろ,公的な印刷と私的な手書きとで異なる綴字の基準があり,それが当然視されていた,ということである.
このような状況は,現代の我々にとっては理解しにくいかもしれないが,当時の綴字教育の現状を考えてみれば自然のことである.後期近代英語期には綴字の教科書は多く出版されたが,それは子供たちに印刷されたテキストを読めるようにするための教科書であり,子供たちが自ら綴字を書くことを訓練する教科書ではなかった.印刷テキストの綴字は,印刷業者によって慣習的に定められた正書法が反映されており,子供たちはその体系的な綴字を「読む」訓練こそ受けたが,「書く」訓練は特に受けていなかった.そのような子供たちが手書きで書簡を認める段には,当然ながら印刷テキストに表わされている正書法に則って綴ることはできない.しかし,だからといって単語をまったく綴れないということにはならないし,書簡の受け手に誤解されることもほとんどないだろう.
そして,この状況は,綴字を学んでいる子供たちのみならず,文字を読み書きする大人たちにも一般に当てはまった.印刷と手書きの対立は,公私の対立のみならず,綴字を読む能力と書く能力の対立でもあったのだ.
・ Tieken-Boon van Ostade, Ingrid. An Introduction to Late Modern English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2009.
18世紀の印刷本のテキストを読んでいると,中世から続く <s> の異字体 (allograph) である <<ʃ>> がいまだ頻繁に現われることに気づく.この字体は "long <s>" と呼ばれており,現代までに廃れてしまったものの,英語史の長きにわたって活躍してきた異字体だった.Tieken-Boon van Ostade (40) に引かれている ECCO からの例文により,<<ʃ>> の使われ方を見てみよう.
. . . WHEREIN / THE CHAPTERS are ʃumm'd up in Contents; the Sacred Text inʃerted at large, in Paragraphs, or Verʃes; and each Paragraph, or Verʃe, reduc'd to its proper Heads; the Senʃe given, and largely illuʃtrated, / WITH / Practical Remarks and Obʃervations
見てわかる通り,すべての <s> が <<ʃ>> で印刷されているわけではない.基本的には語頭か語中の <s> が <<ʃ>> で印刷され,語末では通常の <<s>> しか現われない.また,語頭でも大文字の場合には <<S>> が用いられる.ほかに,Idleneʃs や Busineʃs のように,<ss> の環境では1文字目が long <s> となる.
しかし,この long <s> もやがて廃用に帰することとなった.印刷においては18世紀末に消えていったことが指摘されている.
Long <s> disappeared as a printing device towards the end of the eighteenth century, and its presence or absence is today used by antiquarians to date books that lack a publication date as dating from either before or after 1800. (Tieken-Boon van Ostade 40)
注意すべきは,1800年を境に long <s> が消えたのは印刷という媒体においてであり,手書き (handwriting) においては,もうしばらく long <s> が使用され続けたということである.「#584. long <s> と graphemics」 ([2010-12-02-1]) で触れたように,手書きでは1850年代まで使われ続けた.印刷と手書きとで使用分布が異なっていたことは long <s> に限らず,他の異字体や異綴字にも当てはまる.現代の感覚では,印刷にせよ手書きにせよ,1つの共通した正書法があると考えるのが当然だが,少なくとも1800年頃までは,そのような感覚は稀薄だったとみなすべきである.
long <s> について,「#1152. sneeze の語源」 ([2012-06-22-1]),「#1732. Shakespeare の綴り方 (2)」 ([2014-01-23-1]) も参照されたい.
・ Tieken-Boon van Ostade, Ingrid. An Introduction to Late Modern English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2009.
ルーン文字について,「#1006. ルーン文字の変種」 ([2012-01-28-1]) を始め runic の記事で話題としてきた.現代において,ルーン文字はしばしば秘術と結びつけられ,神秘的なイメージをもってとらえられることが多いが,アングロサクソン文化で使用されていた様子に鑑みると,そのイメージは必ずしも当たっていないかもしれない.5--6世紀のルーン文字で書かれたアングロサクソン碑文は武器,宝石,記念碑などの工芸品に刻まれている例が多い.墓碑銘ではたいてい "X raised this stone in memory of Y" のような短い定型句が書かれているにすぎず,文体のヴァリエーションが少ないというのもルーン文字使用の特徴である.ルーン文字が主として秘術に利用されたという積極的な証拠は,実は乏しい.
しかし,「#1009. ルーン文字文化と関係の深い語源」 ([2012-01-31-1]) でみたように語源的にもオカルト的なオーラは感じられるし,「#1897. "futhorc" の acrostic」 ([2014-07-07-1]) で紹介した言葉遊びの背後には,ルーン文字に宿る言霊の思想のようなものが想定されているようにも思われる.
文字における言霊といえば,表語文字である漢字が思い浮かぶ.漢字は原則として1文字で特定の語に対応しているので,特定の意味を直接的に想起させやすい.この点,アルファベットなどの表音文字とは性質が異なっている.
アルファベットは,ローマン・アルファベットにせよギリシア・アルファベットにせよ,各文字は単音を表わすのみであり,具体的な意味を伴うわけではない.確かにローマン・アルファベットの各文字には「エイ」「ビー」などの名前がついているが,まるで無意味である(「#1831. アルファベットの子音文字の名称」 ([2014-05-02-1]) を参照).また,ギリシア・アルファベットでは各文字に alpha, beta などの有意味とおぼしき名前がつけられているが,その名前を表わしている単語は,あくまでセム語レベルで有意味だったのであり,ギリシア人にとって共時的には無意味だったろう(「#1832. ギリシア・アルファベットの文字の名称 (1)」 ([2014-05-03-1]),「#1833. ギリシア・アルファベットの文字の名称 (2)」 ([2014-05-04-1]) を参照).
ところが,ルーン文字については,各文字に,母語たるゲルマン語において共時的に有意味な名前が付されていた.つまり,漢字と同様に,各文字が直接に語と意味を想起させるのである.それゆえ,後に置き換えられていくローマン・アルファベットと比べて,言霊的な力を担いやすかったという事情はあったのではないか.Crystal (180) より,各ルーン文字と対応する語の一覧を示そう(Wikipedia より Runes の一覧表も参照).
Rune | Anglo-Saxon | Name | Meaning (where known) |
---|---|---|---|
ᚠ | f | feoh | cattle, wealth |
ᚢ | u | ūr | bison (aurochs) |
ᚦ | þ | þorn | thorn |
ᚩ | o | ōs | god/mouth |
ᚱ | r | rād | journey/riding |
ᚳ | c | cen | torch |
ᚷ | g [j] | giefu | gift |
ᚹ | w | wyn | joy |
ᚻ | h | hægl | hail |
ᚾ | n | nied | necessity/trouble |
ᛁ | i | is | ice |
ᛡ | j | gear | year |
ᛇ | ȝ | ēoh | yew |
ᛈ | p | peor | ? |
ᛉ | x | eolh | ?sedge |
ᛋ | s | sigel | sun |
ᛏ | t | tiw/tir | Tiw (a god) |
ᛒ | b | beorc | birch |
ᛖ | e | eoh | horse |
ᛗ | m | man | man |
ᛚ | l | lagu | water/sea |
ᛝ | ng | ing | Ing (a hero) |
ᛟ | oe | eþel | land/estate |
ᛞ | d | dæg | day |
ᚪ | a | ac | oak |
ᚫ | æ | æsc | ash |
ᚤ | y | yr | bow |
ᛠ | ea | ear | ?earth |
ᚸ | g [ɣ] | gar | spear |
ᛦ | k | calc | ?sandal/chalice/chalk |
ᛤ | k~ | (name unknown) |
昨日の記事「#2970. 分かち書きの発生と続け書きの復活」 ([2017-06-14-1]) に引き続いて,分かち書き (distinctiones) の話題.Crystal (17) は,分かち書きの発生こそが,他の句読法の体系的な発達を促したと考えている.
It's difficult to see how punctuation could have developed in a graphic world where scriptura continua was the norm. If there are no word-spaces, there's no room to insert marks. Writers or readers might be able to insert the occasional dot or simple stroke, to show where the sense change, but it would be impossible to develop a sophisticated system that would keep pace with the complex narratives and reflections being expressed in such domains as poetry, chronicles, and sermons. However, once word-spaces became the norm, new punctuational possibilities were available.
確かに,この因果関係はある程度の説得力をもつように聞こえるかもしれない.しかし,おそらく部分的にはその通りであると思われるものの,さほど自明な議論ではない.というのは,日本語を考えてみれば分かるとおり,分かち書きが定着していない書記においても,他の句読法は十分に体系的に発達しているからだ.そこでは,むしろ他の句読法が分かち書きの果たすはずの役割を部分的に果たしている.したがって,書記上の機能や発生順序の自然さという観点から,分かち書きと他の句読法という二分法を設けるべき根拠は強くないように思われる.空白があれば,その分,他の記号が書き込まれる契機が増し,したがって句読法も発達しやすい,という Crystal の論理は,完全に無効とは決めつけられないものの,どこまで有効なのかを積極的に示すことは難しいのではないか.
それでも,分かち書きは,言語使用者にとって最も直観的で基本的な単位である語を区切るものであるという点で,他の句読法よりも本質的な地位を占めると主張することもまた可能のように思われる.日本語のような稀な例も考慮に入れながら,より説得力をもって主張できそうなことは,分かち書きという方法にかぎらず,語と語の区分を示す何らかの手段が確立しさえすれば,次にその他の句読法も発達していきやすい,ということではないか.
・ Crystal, David. Making a Point: The Pernickety Story of English Punctuation. London: Profile Books, 2015.
書記における分かち書き (distinctiones) については,「#1112. 分かち書き (1)」 ([2012-05-13-1]),「#1113. 分かち書き (2)」 ([2012-05-14-1]),「#2695. 中世英語における分かち書きの空白の量」 ([2016-09-12-1]),「#2696. 分かち書き,黙読習慣,キリスト教のテキスト解釈へのこだわり」 ([2016-09-13-1]) などで話題としてきた.今回も,分かち書きが歴史の過程で生み出されてきた発明品であり,初めから自然で自明の慣習であったわけではないことを,再度確認しておきたい.
西洋の書記の歴史では,分かち書き以前に,長い続け書き (scriptura continua) の時代があった.Crystal (3) の説明を引こう.
Word-spaces are the norm today; but it wasn't always so. It's not difficult to see why. We don't actually need them to understand language. We don't use them when we speak, and fluent readers don't put pauses between words as they read aloud. Read this paragraph out loud, and you'll probably pause at the commas and full stops, but you won't pause between the words. They run together. So, if we think of writing purely as a way of putting speech down on paper, there's no reason to think of separating the words by spaces. And that seems to be how early writers thought, for unspaced text (often called, in Latin, scriptura continua) came to be a major feature of early Western writing, in both Greek and Latin. From the first century AD we find most texts throughout the Roman Empire without words being separated at all. It was thus only natural for missionaries to introduce unspaced writing when they arrived in England.
しかし,英語の書記の歴史に関する限り,古英語期までには語と語を分割する何らかの視覚的な方法が模索されるようになっていた.Crystal (8--9) によれば,様々な方法が実験されたという(以下の引用中にある "Undley bracteate" については,「#572. 現存する最古の英文」 ([2010-11-20-1]) を参照).
People experimented with word division. Some inscriptions have the words separated by a circle (as with the Undley bracteate) or a raised dot. Some use small crosses. Gradually we see spaces coming in but often in a very irregular way, with some words spaced and others not --- what is sometimes called an 'aerated' script. Even in the eleventh century, less than half the inscriptions in England had all the words separated.
考えてみれば,昨今のデジタル時代でも,分かち書きの手段は複数ある.URLやファイル名の文字列など,処理上の理由で空白が避けられる傾向がある場合には,例えば "this is an example of separation" と表記したいときに,次のようなヴァリエーションが考えられるだろう (Crystal 8--9 の議論も参照).
・ thisisanexampleofwordseparation
・ this.is.an.example.of.word.separation
・ this+is+an+example+of+word+separation
・ this_is_an_example_of_word_separation
・ this-is-an-example-of-word-separation
・ thiSiSaNexamplEoFworDseparatioN
・ ThisIsAnExampleOfWordSeparation
現代は,ある意味で scriptura continua が蘇りつつある時代とも言えるのかもしれない.続け書きを当然視する日本語書記の出番か!?
・ Crystal, David. Making a Point: The Pernickety Story of English Punctuation. London: Profile Books, 2015.
カーランスキーの著わした『紙の世界史』は,書写材料としての紙の歴史をたどりながら,結果として文字と文字文化の歴史を同時に記述している.書写材料については,「#2465. 書写材料としての紙の歴史と特性」 ([2016-01-26-1]),「#2456. 書写材料と書写道具 (1)」 ([2016-01-17-1]),「#2457. 書写材料と書写道具 (2)」 ([2016-01-18-1]) などで扱ってきたが,今回はカーランスキーの巻末より紙の歴史年表 (466--74) を掲げたい.一覧するとテクノロジーが社会を動かしてきたことがよく分かるが,カーランスキーの言葉を借りれば「社会がテクノロジーを生み出してきた」というべきなのだろう.
紀元前38000年 | 北スペインのエル・カスティリョ洞窟に残る赤い点が人間による最古の描画とされている |
紀元前3500年 | メソポタミアの石灰岩に最古の文字が刻まれる |
紀元前3300年 | バビロニア南部(現イラク)のウルクで粘土板に文字が刻まれる.楔形文字の始まり |
紀元前3000年 | 年代が特定されている最古のパピルス.文字跡のない巻物がカイロ近郊サッカラの墳墓から発掘 |
紀元前3000年 | エジプトのヒエログリフ象形文字(神聖文字)の始まり |
紀元前2500年 | インダス川流域ではじめて文字が書かれる |
紀元前2400年 | 現存する最古のエジプト語の文書 |
紀元前2200年 | インダス川流域で銅片や陶片に文字が彫られる |
紀元前2100年 | 年代が特定されている最古のタパ.断片がペルーで出土 |
紀元前1850年 | 年代が特定されている最古の文献.獣皮に書かれたエジプト語の巻物 |
紀元前18世紀 | クレタで書記体系が生まれる |
紀元前1400年 | 中国で獣骨に文字が書かれる |
紀元前1300年 | 中国で青銅,翡翠,亀甲に文字が書かれる |
紀元前1200年 | 漢字が発達する |
紀元前1100年 | エジプト人がフェニキア人にパピルスを輸出しはじめる |
紀元前1000年 | フェニキア語のアルファベットが生まれる |
紀元前600年 | メキシコでサポテク/ミステク文字が生まれる |
紀元前600年 | 中国とギリシアで木板に帳簿が書かれる |
紀元前5世紀 | 中国人が帛を書写に使う |
紀元前400年 | イオニア式アルファベットがギリシアでの標準語となる |
紀元前400年 | 中国で油煙から墨が発明される |
紀元前3世紀 | アレクサンドリアに図書館が建造される |
紀元前255年 | 中国で封印に関するはじめての記述がなされる.ただし墨を用いずに粘土に押印された |
紀元前252年 | 中国の楼蘭で発見された年代のあきらかな最古の紙 |
紀元前250年 | マヤ文字が使用される |
紀元前220年 | 中国で蒙恬が発明した駱駝の毛筆が書道に使われる |
紀元前206年 | 中国の王朝,前漢の幕開け.中国では漢代に紙が開発される |
紀元前63年 | ギリシアの地理学者ストラボンが,黒海沿岸を統治するポントス王国のミトリダテス6世の王宮に水車設備があることへの驚きを記述 |
紀元前31年 | 現存する最初のオルメカ文字 |
紀元前30年 | ローマ帝国がエジプトを征服,パピルスが地中海世界に広まる |
紀元後1世紀 | ローマで一時的な書写に蝋板が使用される |
75年 | 楔形文字で最後の日文が書かれる |
105年 | 通説では語感の宮廷に使えた宦官の蔡倫が紙を発明したとされている |
2世紀 | スカンディナビアでルーン文字のアルファベットが生まれる |
250年--300年 | 年代がほぼ特定されている紙がトルキスタンで出土 |
256年 | 中国で最初の紙に書かれた本『譬喩経』が作られる |
297年 | 最初のマヤ暦が石に彫られる |
394年 | エジプトのヒエログリフ象形文字で最後の日文が書かれる |
5世紀 | 日本語の独自の文字体系が開発される |
450年 | 年代が特定されている棕櫚の葉に書かれた最初の手稿.中国の北西部で葉写本の断片が発掘された |
476年 | 西ローマ帝国最後の皇帝ロムルス・アウグストゥルスの廃位により古代世界が正式に幕を閉じる |
500年 | マヤ人がアマテに文字を書きはじめる |
500年--600年 | マヤ人が樹皮紙を発達させる |
538年 | 朝鮮半島の百済の王が紙で作られた経典と仏像を日本へ送る |
610年 | 高句麗の僧の曇徴が製紙法を日本に伝える |
630年 | ムハンマドがメッカを征服 |
673年 | 川原寺の僧侶が仏典を写しはじめ,ほどなく日本で写経が活発になる |
8世紀 | 中国で印刷が始まる |
706年 | アラブ人が紙をメッカに持ちこむ |
711年 | アラブ人率いるベルベル人軍がモロッコからジブラルタル海峡を越えてスペインを侵攻 |
712年 | 日本文学の最古の作品『古事記』が漢文で書かれる |
720年 | 仏教の浸透とともに日本での紙の使用が大々的に広まる |
751年 | サマルカンドで製紙が始まる |
762年--66年 | バグダードの建設 |
770年 | 日本の称徳女帝が紙を使った初の印刷物,病気平癒を願う祈祷書の百万部の作成 |
794年 | 布くずを材料とする製紙場がバグダードに設けられる |
800年 | エジプトで紙がはじめて使われる |
832年 | イスラム教徒がシチリアを征服 |
848年 | アラビア語で紙に書かれた完全な形の本が作られる.年代が特定された書籍では最古とされている |
850年 | 『千夜一夜物語』がはじめて書き起こされたと推定される |
868年 | 現存する最古の書籍『金剛般若経』が印刷された |
889年 | マヤ人がすべての記録に石ではなく紙を使用しはじめる |
9世紀後半 | バグダードが製紙業の重要拠点となる |
900年 | エジプトで製紙が開始 |
969年 | 中国で遊戯用カード(紙牌)がはじめて使われた |
1041年--48年 | 鉄の版に組まれる初の陶活字が中国で作られる.年代が特定される最古の可動活字 |
900年--1100年 | マヤ人が『ドレスデン・コデックス』を作成 |
1140年 | イスラム教徒支配下のスペインのハティバで製紙が始まる |
1143年 | 『コーラン』がラテン語に翻訳される |
1164年 | イタリアのファブリアーノで初の製紙の記録 |
1308年 | ダンテが『神曲』の執筆を開始 |
1309年 | イングランドで紙がはじめて使用される |
1332年 | オランダで紙がはじめて使用される |
1353年 | ボッカチオが『デカメロン』を執筆 |
1387年 | チョーサーが『カンタベリー物語』の執筆を開始 |
1390年 | ドイツの製紙がニュルンベルクで始まる |
1403年 | 朝鮮王の太宗が銅活字を製造させる |
1411年 | スイスで製紙が始まる |
1423年 | ヨーロッパで木版印刷が始まったとされる |
1440年--50年 | ヨーロッパで最初の版本(ブロック・ブック)が作られる |
1456年 | グーテンベルクが可動活字で初の『聖書』の印刷を完成 |
1462年 | マインツが破壊され,印刷者が離散 |
1463年 | ウルリッヒ・ツェルがケルンで印刷所を興す |
1464年 | ローマ近郊のスビアコ修道院がイタリアで最初の印刷所となる |
1469年 | キケロの『家族への書簡集』が,ヴェネツィアで印刷された最初の書籍となる |
1473年 | ルーカス・ブランディスがリューベックで印刷所を興す |
1475年または1476年 | 『東方見聞録』がフランス語で印刷された最初の書籍となる |
1476年 | ウィリアム・キャクストンがイギリスで最初の印刷所を開く |
1494年 | アルドゥス・マヌティウスがヴェネツィアにアルド印刷工房を開く |
1495年 | ジョン・テイトがハートフォードシャーにイングランドで最初の製糸場を造る |
1502年--20年 | アステカ人の貢ぎ物の記録に四十二ヵ所の製紙拠点が掲載されている.年間五十万枚の紙を作っていた村もある |
1515年 | アルブレヒト・デューラーがエッチングを始める |
1519年 | エルナン・コルテスが現ベラクルス付近に上陸し,アステカ文化の破壊を開始する |
1520年 | マルティン・ルターの『キリスト教界の改善に関してドイツのキリスト諸貴族に宛てて』が印刷され,二年間で五万部が配布される |
1528年 | ファン・デ・スマラガ神父が先住民の庇護者としてメキシコに到着し,本を燃やす |
1539年 | スペイン人が先住民向けの本を作るためにメキシコ初の印刷所を開く |
1549年 | マヤ人の図書館がスペイン人に焼かれる |
1575年 | スペイン人がメキシコに最初の製紙場を建てる |
1576年 | ロシア人が製紙を開始 |
1586年 | 製紙許可の政令がドルトレヒトで発布される.オランダの製紙史上最古の記録 |
1605年 | セルバンテスの『ドン・キホーテ』が出版される |
1609年 | 世界初の週刊新聞がシュトラスブルクで創刊 |
1627年 | フランスのラ・ロシェルがカトリック勢力に包囲され,ユグノーの製紙業者はイングランドへ逃れる |
1635年 | デンマークで製紙が開始 |
1638年 | 英字印刷機はじめてアメリカへもたらされる |
1672年 | オランダ式叩解機の発明によりオランダは良質な白い紙の輸入国から純輸出国に転じる |
1690年 | ウィリアム・リッテンハウスがアメリカで最初の製紙場を設立 |
1690年 | アメリカで最初の新聞『パブリック・オカレンシズ・ボース・フォーリン・アンド・ドメスティック』がボストンで創刊 |
1690年 | アメリカ大陸の植民地で最初の紙幣がマサチューセッツで発行される |
1698年 | トマス・セイヴェリが鉱山の排水目的で最初の蒸気機関を設計する |
1702年 | ロンドンで日刊紙『デイリー・クーラント』が創刊 |
1719年 | ルネ・アントワーヌ・フェルショー・ド・レオミュールが木材から紙を作るスズメバチの手法を解説 |
1728年 | マサチューセッツで製紙が始まる |
1744年 | はじめての児童向け絵本『小さなかわいいポケットブック』がイングランドで出版される |
1744年 | ヴァージニアで製紙が始まる |
1767年 | コネチカットで製紙が始まる |
1768年 | アベル・ビュエルがアメリカ大陸植民地ではじめて活字を製造 |
1769年 | ニューヘイヴンのアイザック・ドゥーリトルが,イギリスのアメリカ大陸植民地ではじめて印刷機を製造 |
1773年 | ニューヨークで製紙が始まる |
1774年 | スウェーデンの薬剤師カール・シェーレによる塩素の発見が漂白への道を開く |
1785年 | ロンドンの独立系新聞『デイリー・ユニヴァーサル・レジスター』が創刊.三年後,『ザ・タイムズ』に紙名を変更 |
1790年 | トマス・ビュイックがイギリスでもっとも人気の挿絵画家となる |
1798年 | ニコラ-ルイ・ロベールが連続式抄紙機の特許を申請 |
1798年 | 画家J・M・W・ターナーが水彩画で実験を始める |
1799年 | アロイス・ゼネフェルダーがリトグラフを考案 |
1800年 | スタンホープ卿が総鉄製の印刷機を発明 |
1801年 | ジョセフ-マリー・ジャカールがパンチカードによる自動織機を開発 |
1804年 | ブライアン・ドンキンが長網抄紙機の第一号を製造 |
1809年 | ジョン・ディキンソンが円網抄紙機の特許を取得 |
1811年 | フリードリヒ・ケーニヒが蒸気動力の印刷機を発明 |
1814年 | ロンドンの『ザ・タイムズ』がケーニヒの蒸気印刷機を使用 |
1818年 | ジョシュア・ギルピンがアメリカではじめて連続式抄紙機を製造 |
1820年 | この年イギリスで二千九百万部以上の新聞が売れる |
1825年 | ジョセフ・ニセフォール・ニエプスがはじめて写真撮影する |
1830年 | 新しい漂白法により色つきのぼろ布から白い紙の製作が可能となる |
1833年 | 木材を原料とする製紙の特許がイギリスで登録される |
1840年 | ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットが紙に定着する写真をはじめて作成 |
1841年 | エビニーザ・ランデルズがロンドンの風刺雑誌『パンチ』を創刊 |
1843年 | アメリカのリチャード・M・ホーが蒸気動力の輪転機を発明 |
1863年 | アメリカの製紙業者が木材パルプの使用を始める |
1867年 | イギリスの砕木機がパリ万国博覧会で展示される |
1867年 | マサチューセッツ州のストックブリッジで合衆国初の製紙用の木材パルプが作られる |
1867年 | タイプライターの発明 |
1872年 | アメリカ合衆国がイギリスとドイツを抜いて世界最大の紙の生産国になる |
1874年 | 東京の有恒社が機械漉き紙の製造を開始.大阪,京都,神戸の六社があとに続く |
1890年 | 合衆国の国勢調査にパンチカード式の集計機が使用される |
1899年 | スウェーデンの探検家スヴェン・ヘディンが,古代都市,楼蘭の遺跡発掘作業中,紀元前252年の紙を発.紙の歴史を完全に塗り変える |
1931年 | ヴァネヴァー・ブッシュがアナログ・コンピュータを開発 |
1945年 | ジョン・フォン・ノイマンが電子メモリをプログラミングするための二進数の採用を論文で発表 |
1947年 | トランジスタがベル研究所で発明される |
1951年 | レミントン・ランドが,記憶装置と出力装置に磁気テープを登載したUNIVAC1を四十七台製造 |
1959年 | マイクロチップの特許出願 |
昨日の記事「#2913. 漢字は Chinese character ではなく Chinese spelling と呼ぶべき?」 ([2017-04-18-1]) で取り上げた高島の漢字論,そして日本語論はぶっきらぼうな刺激に満ちている.おもしろい.日本語は,文字との付き合い方に注目すれば,すこぶる畸型の言語である,と高島 (243) は明言する.念頭にあるのは「高層」「構想」「抗争」「後送」「広壮」などの同音漢語のことである.
日本の言語学者はよく,日本語はなんら特殊な言語ではない,ごくありふれた言語である,日本語に似た言語は地球上にいくらもある,と言う.しかしそれは,名詞の単数複数の別をしめさないとか,賓語のあとに動詞が位置するとかいった,語法上のことがらである.かれらは西洋で生まれた言語学の方法で日本語を分析するから,当然文字には着目しない.言語学が着目するのは,音韻と語法と意味である.
しかし,音声が無力であるためにことばが文字のうらづけをまたなければ意味を持ち得ない,という点に着目すれば,日本語は,世界でおそらくただ一つの,きわめて特殊な言語である.
音声が意味をにない得ない,というのは,もちろん,言語として健全な姿ではない.日本語は畸型的な言語である,と言わざるを得ない.
では,日本語のこの問題を解決することができるのか.高島は「否」と答える.畸型のまま成長してしまったので,健全な姿には戻れない,と.「日本語は,畸型のまま生きてゆくよりほか生存の方法はない」 (p. 236) と考えている.
この悲観論な日本語論について賛否両論,様々に議論することができそうだが,私がおもしろく感じたのは,西洋由来の音声ベースの言語学から見ると,日本語は何ら特別なところのない普通の言語だが,音声と文字との関係をかりそめにも考慮する言語学から見ると,日本語は畸型の言語である,という論法だ.高島は日本語の畸型性を力説しているわけだから,音声と文字との関係をかりそめにも考慮する言語学のほうに肩入れしていることになる.つまり,音声を最重要とみなす主流の近代言語学から逸脱しつつ,音声と比して劣らない文字の価値を信じている,とも読める.
文字は音声と強く結びついてはいるが,本質的に独立したメディアである.言語学は,そろそろ音声も文字も同じように重視する方向へ舵を切る必要があるのではないか.書き言葉の自立性については,以下の記事を参照.
・ 「#1829. 書き言葉テクストの3つの機能」 ([2014-04-30-1])
・ 「#2339. 書き言葉の自立性に関する Vachek の議論 (1)」 ([2015-09-22-1])
・ 「#2340. 書き言葉の自立性に関する Vachek の議論 (2)」 ([2015-09-23-1])
・ 「#2431. 書き言葉の自立性に関する Bolinger の議論」 ([2015-12-23-1])
・ 「#2508. 書き言葉の自立性に関する Samuels の議論」 ([2016-03-09-1])
・ 「#2819. 話し言葉中心主義から脱しつつある言語学」 ([2017-01-14-1])
・ 高島 俊男 『漢字と日本人』 文藝春秋社,2001年.
高島 (43) による漢字論を読んでいて,漢字という表語文字の一つひとつは,英語などでいうところの綴字に相当するという点で,Chinese character ではなく Chinese spelling と呼ぶ方が適切である,という目の覚めるような指摘にうならされた.
漢字というのは,その一つ一つの字が,日本語の「い」とか「ろ」とか,あるいは英語の a とか b とかの字に相当するのではない.漢字の一つ一つの字は,英語の一つ一つの「つづり」(スペリング)に相当するのである.「日」は sun もしくは day に,「月」は moon もしくは month に相当する.英語の一つ一つの単語がそれぞれ独自のつづりを持つように,漢語の一つ一つの単語はそれぞれ独自の文字を持つのである.であるからして,漢字のことを英語で Chinese characters (シナ語の文字)と言うけれど,むしろ Chinese spellings (シナ語のつづり)と考えたほうがよい.
ときどき,英語のアルファベットはたったの二十六字で,それで何でも書けるのに,漢字は何千もあるからむずかしい,と言う人があるが,こういうことを言う人はかならずバカである.漢字の「日」は sun や day にあたる.「月」は moon や month にあたる.この sun だの moon だののつづりは,やはり一つ一つおぼえるほかない.知れきったことである.漢語で通常もちいられる字は三千から五千くらいである.英語でも通常もちいられる単語の数は三千から五千くらいである.おなじくらいなのである.それで一つ一つの漢字があらわしているのは一つの意味を持つ一つの音節であり,「日」にせよ「月」にせよその音は一つだけなのだから,むしろ英語のスペリングよりやさしいかもしれない.
確かに,この見解は多くの点で優れている.アルファベットの <a>, <b>, <c> 等の各文字は,漢字でいえば言偏や草冠やしんにょう等の部首(あるいはそれより小さな部品や一画)に相当し,それらが適切な方法で組み合わされることによって,初めてその言語の使用者にとって最も基本的で有意味な単位と感じられる「語」となる.「語」という単位にまでもっていくための部品統合の手続きを「綴り」と呼ぶとすれば,確かに <sun> も <sunshine> も <日> も <陽> もいずれも「綴り」である.アルファベットにしても漢字にしても,当面の目標は「語」という単位を表わすことである点で共通しているのだから,概念や用語も統一することが可能である.
文字の最重要の機能の1つが表語機能 (logographic function) であることは,すでに本ブログの多くの箇所で述べてきたが(例えば,以下の記事を参照),英語の綴字と漢字が機能的な観点から同一視できるという高島の発想は,改めて文字表記の表語性の原則をサポートしてくれるもののように思われる.
・ 「#284. 英語の綴字と漢字の共通点」 ([2010-02-05-1])
・ 「#285. 英語の綴字と漢字の共通点 (2)」 ([2010-02-06-1])
・ 「#1332. 中英語と近代英語の綴字体系の本質的な差」 ([2012-12-19-1])
・ 「#1386. 近代英語以降に確立してきた標準綴字体系の特徴」 ([2013-02-11-1])
・ 「#2043. 英語綴字の表「形態素」性」 ([2014-11-30-1])
・ 「#2344. 表意文字,表語文字,表音文字」 ([2015-09-27-1])
・ 「#2389. 文字体系の起源と発達 (1)」 ([2015-11-11-1])
・ 「#2429. アルファベットの卓越性という言説」 ([2015-12-21-1])
・ 高島 俊男 『漢字と日本人』 文藝春秋社,2001年.
昨日の記事 ([2017-03-23-1]) で,英語史連載企画「現代英語を英語史の視点から考える」の第3回の記事「なぜ英語は母音を表記するのが苦手なのか?」を紹介した.その記事を読むにあたって,文字史やアルファベット史におけるフェニキア文字の重要性を理解していると,よりおもしろくなると思われるので,ここに補足しておきたい.
フェニキア文字は,それ自身が紀元前2千年紀前半に遡るシナイ文字や原カナン文字などから発展した文字体系であり,前1000年頃に使われていた子音文字体系である.このフェニキア文字から,現在まで広く使用されている多種多様なアルファベット文字体系が生じたという点で,まさにアルファベットの母というにふさわしい(以下,『世界の文字の物語』 (8--9) のタイムラインの一部を掲載).
* *
フェニキア文字の影響を受けた各種の文字体系は,地理的にはユーラシア大陸全域に及んでおり,東アジアの漢字系統の文字体系を別とすれば,少なくともこの2千年間,地球上で最も影響力のある文字グループを形成してきたといえる.
私たちが英語を書き記すのに用いているアルファベットは「ローマン・アルファベット」あるいは「ラテン文字」(正確には,その変種というべきか)だが,それが文字体系としてもっている本質的な特徴の多くは,フェニキア文字のもっていた特徴に由来するといってよい.したがって,英語の文字や綴字について深く考察していくと,否応なしにフェニキア文字やそれ以前にまで遡るアルファベットの歴史を参照せざるを得ない.
フェニキア人とその文字に関しては,昨日挙げたリンク先のほか,以下の記事も参照されたい.
・ 「#2105. 英語アルファベットの配列」 ([2015-01-31-1])
・ 「#2417. 文字の保守性と秘匿性」 ([2015-12-09-1])
・ 「#2482. 書字方向 (3)」 ([2016-02-12-1])
・ 古代オリエント博物館(編)『世界の文字の物語 ―ユーラシア 文字のかたち――』古代オリエント博物館,2016年.
3月21日付で,英語史連載企画「現代英語を英語史の視点から考える」の第3回の記事「なぜ英語は母音を表記するのが苦手なのか?」が公開されました.今回は,拙著『英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史』の第2章「発音と綴字に関する素朴な疑問」で取り上げた話題と関連して,特に「母音の表記の仕方」に注目し,掘り下げて考えています.現代英語の母音(音声)と母音字(綴字)の関係が複雑であることに関して,音韻論や文字史の観点から論じています.この問題の背景には,実に3千年を優に超える歴史物語があるという驚愕の事実を味わってもらえればと思います.
以下に,第3回の記事と関連する本ブログ内の話題へのリンクを張っておきます.合わせてご参照ください.
・ 「#503. 現代英語の綴字は規則的か不規則的か」 ([2010-09-12-1])
・ 「#1024. 現代英語の綴字の不規則性あれこれ」 ([2012-02-15-1])
・ 「#2405. 綴字と発音の乖離 --- 英語綴字の不規則性の種類と歴史的要因の整理」 ([2015-11-27-1])
・ 「#1021. 英語と日本語の音素の種類と数」 ([2012-02-12-1])
・ 「#2515. 母音音素と母音文字素の対応表」 ([2016-03-16-1])
・ 「#1826. ローマ字は母音の長短を直接示すことができない」 ([2014-04-27-1])
・ 「#2092. アルファベットは母音を直接表わすのが苦手」 ([2015-01-18-1])
・ 「#1837. ローマ字とギリシア文字の字形の差異」 ([2014-05-08-1])
・ 「#423. アルファベットの歴史」 ([2010-06-24-1])
・ 「#1849. アルファベットの系統図」 ([2014-05-20-1])
言語の歴史を研究するほぼ唯一の方法は,現存する資料に依拠することである.ところが,現存する資料は質的にも量的にも相当の偏りがあり,コーパス言語学の用語でいえば "representative" でも "balanced" でもない.
まず物理的な条件がある.現在に伝わるためには,長い時間の風雨に耐え得る書写材料や書写道具で記されていることが必要である(「#2457. 書写材料と書写道具 (2)」 ([2016-01-18-1]) を参照).次に,メディアの観点から,話し言葉(的な言葉遣い)は,書き残されて,現在まで伝わる可能性が低いことは明らかだろう.書き手の観点からは,文献にはもっぱら読み書き能力のあるエリート層の言葉遣いや好みの話題が反映され,それ以外の層の言語活動が記録に残さることはほとんどないだろう.さらに,ジャンルや内容という観点から,例えば反体制的な書き物は,歴史の途中で抹殺される可能性が高いだろう.
現存する文献資料は,様々な運命をすり抜けて生き残ってきたという意味で歴史の「偶然性」を体現しているのは確かだが,生き残りやすいものにはいくつかの条件があるという上記の議論を念頭に置くと,ある種の「必然性」をも体現しているとも言える.歴史言語学や文献学において,どのような「条件」や「必然性」があり得るのか,きちんと整理しておくことは重要だろう.
そのための間接的なヒントとして,どのような化石や遺跡が現在まで生き残りやすいかを考察する化石生成学 (taphonomy) という分野の知見を参考にしたい.例えば,人類化石の残りやすさ,残りにくさは,何によって決まると考えられるだろうか.ウッドは「人類化石記録の空白と偏在」と題する節 (73--75) で,次のように述べている.
何十年間も,人類学者は,700?600万年前以降に生存した何千もの人類個体に由来する化石を集めてきた。この数は多いように思えるかもしれないが,大部分は現在に近い年代のものだ。この年代的な偏在のほかにも,人類化石にはさまざまな偏りがある。このような偏りが起こる機序を明らかにし,それを正そうとする学問は「化石生成学」とよばれる。歯や下顎骨あるいは四肢の大きな骨はよく残るが,椎骨,肋骨,骨盤,指の骨などは緻密性が薄く,容易に破損するので残りにくい。つまり,骨の残りやすさは大きさと頑丈さに比例する。椎骨のような軽い骨は雨による川の氾濫で流され,湖に運ばれ,サカナやワニの骨と一緒に化石になる。一方,思い頭骨や大腿骨は洪水で流され,川底の岩の間に引っかかって,ほかの陸生の大型動物の骨と一緒に化石になる。
化石の残り方を左右するもう一つの要因は,捕食動物が死体のどの部分を好むかである。ヒョウはサルの手足を噛むのが好きなので,もし昔の絶滅した捕食動物も同じ習性があったのなら,人類化石の手足も発見されることが少ないはずである。実際,手足の化石はあまり産出しておらず,そのため歯の進化についてはよくわかっているが,手足の進化はよくわかっていない。身体の大きさも,化石が残るかどうかに影響する,身体の大きな種は化石として残りやすいし,同一種内でも身体の大きな個体は残りやすい。もちろん,このような偏りは人類化石にも該当する。
ある環境では,ほかに比べ,骨が化石になりやすく,発見されやすい。したがって,ある年代やある地域に由来する化石が多いからといって,その年代あるいは地域に多くの個体が住んでいたとは限らない。その年代や地域の状況が,ほかに比べて化石化に適していた可能性があるのだ。同様に,ある年代や地域から人類化石が見つからなくても,そこに人類が住んでいなかったことにはならない。「証拠のないのは,存在しない証拠ではない」という格言もある。したがって,昔の種は,最古の化石が発見される年代より前に誕生し,最新の化石が発見される年代より後まで生存していたことになる。つまり,化石種の起源と絶滅の年代は実際に比べて常に控えめになる。
同様の制限は化石発見遺跡の地理的分布にも当てはまる。人類は,化石が発見される遺跡より広範囲で生存していたはずだ。また,過去の環境は現在とは違っていたはずだ。現在では厳しい環境も過去には住みやすかったかもしれないし,逆もあり得る。さらに,骨や歯を化石として保存してくれる環境は決して多くはない。酸性の土壌では,骨も歯もめったに残らない。とくに森林環境では,湿度が高く土壌が酸性なので,化石は残らないと考えられてきた。しかし,最近では,必ずしもそうではないことが明らかになった。とはいえ,考古学者が石器と人骨を一緒に発見したいと願っても,たいてい人骨は溶けてしまい,石器しか発見できないのである。
この問題は,ある語の初出した時期や廃語となった時期を巡る文献学上の問題とも関連するだろう.言語史研究における資料の問題については,「#1051. 英語史研究の対象となる資料 (1)」 ([2012-03-13-1]),「#1052. 英語史研究の対象となる資料 (2)」 ([2012-03-14-1]) を参照されたい.関連して,文字の発生についての考察も参考になる(「#1834. 文字史年表」 ([2014-05-05-1]),「#2389. 文字体系の起源と発達 (1)」([2015-11-11-1]),「#2457. 書写材料と書写道具 (2)」 ([2016-01-18-1]) を参照).
・ バーナード・ウッド(著),馬場 悠男(訳) 『人類の進化――拡散と絶滅の歴史を探る』 丸善出版,2014年.
文字論では,文字の機能といった抽象的な議論が多くなされるが,文字の形という具体的な議論,すなわち字形の議論は二の次となりがちだ.各文字の字形の発達にはそれ自体の歴史があり,それをたどるのは確かに興味深いが,単発的な話題になりやすい.しかし,このような卑近なところにこそ面白い話題がある.なぜローマン・アルファベットの字形はおよそ左右相称的であるのに対して,漢字や仮名の字形は非相称であるのか.アルファベットの字形には幾何学的な端正さがあるが,漢字やそこから派生した仮名の字形にはあえて幾何学的な端正さから逸脱するようなところがある.これは,なぜなのか.
もちろん世界の文字種には様々なものがあり,アルファベットと日本語の文字のみを取り出して比較するだけでは視野の狭さは免れないだろう.また,字体の問題は,書写材料や書写道具の歴史とも深く関係すると思われ,その方面からの議論も必要だろう(「#2456. 書写材料と書写道具 (1)」 ([2016-01-17-1]),「#2457. 書写材料と書写道具 (2)」 ([2016-01-18-1]) を参照).しかし,あえて対象を絞ってアルファベットと日本語の文字の対比ということで考えることが許されるならば,以下に示す牧野の「言語と空間」と題する日米比較文化論も興味深く読める (p. 10) .
人工的な空間構成においてアメリカ人は日本人よりも整合性と均衡を考え,多くの場合,相称的空間構成を創る.庭園などはよくひかれる例である.言うまでもなく,日本の庭園は自然の表層の美の人工的再現である.深層の自然は整合的であろうが,表層の自然にはさまざまなデフォルメがあって,およそ均斉のない代物なのである.言語の表記法にも,この基本的な空間構成の原理が出ている.アルファベットはその約半数が,A,H,M,O,T,U,V,W,X,Y のように左右相称である.日本の仮名文字は漢字の模写が出発点で,元が原則として非相称であるから出て来た仮名も一つとして左右相称な文字はない.この点お隣の韓国語の表記法はかなり相称性が強く出ていて興味深い.
ここに述べられているように,字形と空間の認識方法の間に,ひいては言語と空間との間に「ほとんど密謀的とも言える平行関係」(牧野,p. 11)があるとするならば,これは言語相対論を支持する1つの材料となるだろう.
・ 牧野 成一 「言語と空間」 『『言語』セレクション』第2巻,月刊『言語』編集部(編),大修館書店,2012年.2--11頁.(1980年9月号より再録.)
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