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writing - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-03-28 10:57

2018-05-21 Mon

#3311. 書き言葉の3特徴とその理由 [media][writing]

 話し言葉と書き言葉の対立について,「#3274. 話し言葉と書き言葉 (5)) ([2018-04-14-1]) に掲げたリンク先の記事で様々に取り上げてきた.書き言葉の特徴と,その特徴がなぜあるのかについて,改めて考えてみたい.
 野村 (8) によれば,話し言葉と比較される書き言葉の特徴として,以下の3点があるという.

 (1) 内容が整理され,文体が洗練される.
 (2) 上品になる.パブリックな場の表現である.
 (3) 対・聞き手表現が減じる.


 (1) には,順序や論理の考慮,引き締まった表現,語彙の選択,単調さを避ける工夫などが含まれる.(2) は,言葉遣いがフォーマルになるということである.(3) は,命令・依頼・問い掛けや間投詞などが減るということである.これらは程度の問題ではあるが,確かに書き言葉の本質的な特徴といってよい.
 では,なぜこれらの特徴が古今東西の書き言葉において共通して見られるのだろうか.なぜこれらが書き言葉の本質的な特徴なのだろうか.野村 (10) は,次のように述べる.

 まず,話し言葉では目前の聞き手,話題の現場や共通の了解など,言葉を発する以前に共有している事柄・知識の援助が期待できる.それにもたれかかれば,特に (1) の必要性は大いに減ずる.一方,書き言葉は,話し言葉と異なって文字に定着する.それは不特定の人々の目にさらされる可能性がある.初めから人々を意識して表現される場合もある.話し言葉であっても,大勢の人々の前で話すとなると改まりが生じる.人々の目にさらされることへの意識は,重要である.しかし,文字への定着ということの最も大切な特性は,それが書き手自身の目にさらされるという点にある.
 「旅の恥はかき捨て」という言葉がある.話し言葉というのはもっとひどい.それは,語るそばから消えてしまう言語である.いわば言語の垂れ流しである.しかし,書き言葉ではそうはいかない.文章を書いてみるとわかることだが,何だかよそよそしく対象化された言語がそこにあるという感じになる.それは「洗練」を行いやすくもするが,同時に洗練せざるを得ないという状況も作り出すのである.


 書き言葉は必然的に書き手自身の目に触れることになり,それゆえに書き手に洗練を迫るものなのだという議論は,非常に鋭い洞察である.人に見られる緊張感よりも,必ず自分の目に入ってしまう恐怖感のほうが強いということだろうか.「#1065. 第三者的な客体としての音声言語の特徴」 ([2012-03-27-1]) の記事で,音声言語を「第三者的な客体」ととらえたが,考えてみれば,書き言葉は書かれてしまえばそこにずっととどまるのだから,余計に第三者的な客体であると考えられる.新しい書き言葉観を得られた気がする.

 ・ 野村 剛史 『話し言葉の日本史』 吉川弘文館,2011年.

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2018-04-14 Sat

#3274. 話し言葉と書き言葉 (5) [media][writing][punctuation][prosody][linguistics][paralinguistics][link]

 話し言葉と書き言葉は言語の2大メディアだが,それぞれに特有の,情報を整序し意味を伝える形式的なデバイスが存在する.英語に関するものとして,Stubbs (117) がいくつか列挙しているので,Milroy and Milroy (117--18) 経由で示そう.

Speech (conversation): intonation, pitch, stress, rhythm, speed of utterance, pausing, silences, variation in loudness; other paralinguistic features, including aspiration, laughter, voice quality; timing, including simultaneous speech; co-occurrence with proxemic and kinesic signals; availability of physical context.

Writing (printed material): spacing between words; punctuation, including parentheses; typography, including style of typeface italicization, underlining, upper and lower case; capitalization to indicate sentence beginnings and propoer nouns; inverted commas, for instance to indicate that a term is being used critically (Chimpanzees' 'language' is. . . .); graphics, including lines, shapes, borders, diagrams, tables; abbreviations; logograms, for example, &; layout, including paragraphing, spacing, margination, pagination, footnotes, headings and sub-headings; permanence and therefore availability of the co-text.


 このようなデバイスのリストは,両メディアを比較対照して論じる際にたいへん有用である.本ブログでも,この種の比較対照は多くの記事で取り上げてきた話題なので,主たるものを参考のため,以下に示しておこう.

 ・ 「#230. 話しことばと書きことばの対立は絶対的か?」 ([2009-12-13-1])
 ・ 「#748. 話し言葉と書き言葉」 ([2011-05-15-1])
 ・ 「#849. 話し言葉と書き言葉 (2)」 ([2011-08-24-1])
 ・ 「#1001. 話しことばと書きことば (3)」 ([2012-01-23-1])
 ・ 「#1655. 耳で読むのか目で読むのか」 ([2013-11-07-1])
 ・ 「#1665. 話しことばと書きことば (4)」 ([2013-11-17-1])
 ・ 「#1829. 書き言葉テクストの3つの機能」 ([2014-04-30-1])
 ・ 「#2301. 話し言葉と書き言葉をつなぐスペクトル」 ([2015-08-15-1])

 ・ Milroy, Lesley and James Milroy. Authority in Language: Investigating Language Prescription and Standardisation. 4th ed. London and New York: Routledge, 2012.
 ・ Stubbs, M. Language and Literacy: The Sociolinguistics of Reading and Writing. London: Routledge & Kegan Paul, 1980.

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2018-02-09 Fri

#3210. 時代が下るにつれ,書き言葉の記録から当時の日常的な話し言葉を取り出すことは難しくなるか否か [standardisation][evolution][writing][methodology][genbunicchi]

 標題はふと抱いた疑問なのだが,歴史言語学の evidence を巡る問題として考えてみるとおもしろいのではないか.念頭に置いているのは英語であり,すべての言語に当てはまるわけではないだろうが,似たようなことは少なからぬ言語の研究において当てはまるのではないか.
 通常,現存する最初期の文献の多くは韻文であることが多い.たいてい韻文とは,書き記されたその時代においてすら古風とされる文学語であり,当時の話し言葉をそのまま反映しているものと解釈することはできない.しかし,時代が下るにつれ,とりわけ近代にかけて西洋のように言文一致風の散文が発達した場合には,つまり書き言葉と話し言葉の差が比較的縮まってくるような文化にあっては,書き記された記録から話し言葉の実体を取り出すことが,もっと容易になってくる.全体として,時間とともに,話し言葉の evidence へのアクセスが保証されるようになってきたようにみえる.
 しかし,一方で近代にかけて,標準語というものが発達してきた事実がある.書き手は,発達してきた散文において,自らの母語や母方言とは言語的に隔たりのある標準語で書くことを余儀なくされる.すると,現代の研究者が目にしている彼らのものした散文は,確かに韻文と比べれば日常の話し言葉を反映している可能性が高いとはいえ,彼らの自然の母語が反映されているわけではなく,教育によって矯正された言語変種,ある種の不自然な話し言葉変種が反映されているにすぎないともいえる.その意味では,そのような証拠から彼らの「素の」日常的な話し言葉を取り出すことは難しくなっていると言えるのでないか.全体として,時間とともに,素の話し言葉の evidence へのアクセスが妨げられるようになってきたと考えられる.
 さらに議論を続ければ,散文の文体としても,時代が下るにつれ pragmatic mode あるいは informal discourse から syntactic mode あるいは formal discourse へと推移する "syntacticization" の傾向を指摘する Givón のような論者もある (Schaefer 1277) .話し言葉の気取らない pragmatic/informal な性質は,syntactic/formal を指向する近現代の書き言葉とは相容れないという見方も説得力がある.
 上記のプラスとマイナスを印象的に総合すると,日常的な話し言葉へのアクセシビリティは,たとえば3歩進んで2歩下がるというくらいのペースで進んできたとは言えないだろうか.通言語的にこのような一般論が語れるかどうかは怪しいかもしれないが,歴史言語学の evidence を巡る問題として一般的に論じるに値するテーマではないだろうか.

 ・ Schaefer, Ursula. "Interdisciplinarity and Historiography: Spoken and Written English --- Orality and Literacy." Chapter 81 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1274--88.

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2018-01-13 Sat

#3183. ソグド語 [sogdian][iranian][writing][map][direction_of_writing][aramaic]

 21世紀入ってから,謎とされていた民族,ソグド人の研究が賑やかになってきている.1999年に山西省太原で随の虞弘墓の発掘があり,墓室から発見されたソグドの壁画に,美術史家や考古学者が関心を示したのがきっかけである.ソグド人の話していたソグド語(Sogdian; この言語名の英語での初出は1909年)や,表記されたソグド文字についても,少しずつ研究が進んできているらしい.
 ソグド語は現在では死語となっているが,歴史的には紀元前300年頃から紀元900年頃にかけて中央アジアのソグディアナ (Sogdiana) で行なわれていたとされる.歴史的なソグディアナはアラル海へと注ぐ中央アジアの2大河,アム河 (Amu Dar'ya) とシル河 (Syr Darya) に挟まれた地域を指し,首邑はサマルカンドである.現在の,ウズベキスタンとタジキスタン辺りに相当する.

 Map of Sogdiana

 ソグド語は中央イラン語群に属し,南西イラン語群に属する歴史的に強大なペルシア語とは言語的に隔たりがある.イラン語派については「#1452. イラン語派(印欧語族)」 ([2013-04-18-1]) の記事や「#1146. インドヨーロッパ語族の系統図(Fortson版)」 ([2012-06-16-1]) の樹形図を参照されたい.
 ソグド語はソグディアナにおいて優勢な言語ではあったが,ソグド人は統一国家をなさなかったので標準語というべきものは成立しなかった.ソグド語はイスラーム化とともに失われ,サマルカンドでも10世紀までにペルシア語に取って代わられた.
 ソグド語の現存する文献として,20世紀の初めにドイツのトルファン探検隊により発見された文書がある.コインの銘文などを除けば,313年頃に書かれた「古代書簡」が現存する最古の文献とされていたが,近年さらに古い紀元2世紀のものとされる碑文がみつかった.
 ソグド語が表記されているソグド文字は,アラム文字の系統を引き,それと同じ22文字からなっていた.その書字方向について「#2449. 書字方向 (2)」 ([2016-01-10-1]) では右横書きの言語として触れたが,実際には時代によって変化したようだ.紀元2世紀の古い文書では実際に右横書きだったと考えられているが,6世紀以降の碑文では左縦書きが普通となっている.
 ソグド文字に関して興味深いのは,アラム語の単語をアラム語通りに綴って,それをソグド語で「訓読」する例があったことだ.「送りがな」が添えられているものもある.ただし,そのように訓読される語彙は20語ほどと限定されていた.
 ザラフシャン河の上流ヤグノブ渓谷でヤグノブ語 (Yagnobi) という言語が現在でも1万2千人ほどの話者により行なわれているが,この言語は歴史的なソグド語と近縁である.当時,ソグド語は地域の共通語的な地位にあったが,その方言の1つとしてヤグノブ語の祖先があったという関係である.
 ソグドは,日本との関連でいえば正倉院宝物として知られる「酔胡王」の伎楽面や「漆胡瓶」に文化の痕跡を残している.これらは唐より伝わったものだが,当時の唐では「胡」の名前のつくもの(胡人,胡姫,胡複,胡食,胡旋舞)が大流行していた.この「胡」とは,従来はペルシア(人)を指すものと理解されていたが,近年の研究によるとほぼソグド(人)を指していると考えてよいという.シルクロードの大動脈のど真ん中で交易に従事していたのが,このソグド人だったのである.
 以上,主として吉田を参照して執筆した.

 ・ 吉田 豊 「ソグド人の言語」『ソグド人の美術と言語』 (曽布川 寛・吉田 豊(編)) 臨川書店,2011年.80--118頁.

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2017-11-09 Thu

#3118. (無)文字社会と歴史叙述 [writing][history][anthropology][literacy]

 『クロニック世界全史』 (246--47) に「無文字文化と文字文化」と題する興味深いコラムがあった.文化人類学では一般に,言語社会を文字社会と無文字社会に分類することが行なわれているが,この分類は単純にすぎるのではないかという.もう1つの軸として「歴史を必要とする」か否か,歴史叙述の意志をもつか否かというパラメータがあるのではないかと.以下,p. 247より長めに引用する.

 歴史との関連でいえば,文字記録は歴史資料としてきわめて重要なものだが,人類史全体での文字使用の範囲からいっても,文字記録がのこっている度合いからいっても,文字記録のみによって探索できる歴史は限られている.考古学や民族〔原文ノママ〕学(物質文化・慣習・伝説や地名をはじめとする口頭伝承などの比較や民族植物学的研究)などの非文字資料にもとづく研究が求められる.文字を発明しあるいは採り入れて,出来事を文字によって記録することを必要とした,あるいはその意志をもった社会と,そうでなかった社会とは,歴史の相においてどのような違いを示すかが考えられなければならない.
 出来事を文字を用いて記録する行為は,直接の経験をことばと文字をとおして意識化し,固定して,のちの時代に伝える意志をもつことを意味する.文字記録が,口頭伝承をはじめ生きた人間によって世代から世代へ受けつがれていく伝承と著しく異なるのは,出来事を外在化し固定する行為においてであるといえる.文字が図像のなかでも特別の意味をもっているのは,言語をとおして高度に分節化されたメッセージを「しるす」ことができるからである.
 出来事を文字に「しるす」社会が,時の流れのなかに変化を刻み,変化がもたらすものを蓄積していこうとする意志をもっているのにたいし,伝承的社会,つまり集合的な仕来りを重んじる社会は,新しく起こった出来事も仕来りのなかに包みこみ,変化を極小化する傾向をもつといえる.このような伝承的社会は,日本をはじめいわゆる文字社会のなかでも無も時的な層としてひろく存在しており,これまで民俗学者の研究対象となってきた.
 従来,多くの歴史学者が出来事の文字記録の誕生に歴史の発生を結びあわせ,アフリカ,オセアニアなど文字記録を生まなかった社会を「歴史のない」社会とみなしてきたのも,経験を意識化し,過去を対象化する意志に歴史意識の発生をみたからだろう.しかしこのような見方は,正しさを含んではいるが,あまりに一面的である.文字記録のない社会でも,王制をもつ社会のように,口頭伝承や太鼓による王朝史などの歴史語りを生んできた社会は,それなりに「歴史を必要とした」社会である.そして,そのような権力者が現在との関係で過去を意識化し,正当化して広報する必要のある社会では,王宮付きの伝承者や太鼓ことばを打つ楽師によって,文字記録に比べられる長い歴史語りの「テキスト」が作られ,伝えられてきた.
 そのような過去との緊張ある対話を必要としない社会,つまり熱帯アフリカのピグミー(ムブティなど)や極北のエスキモー(イヌイットなど)のように,平等な小集団で狩猟・採集の遊動的な生活を営んできた社会は,無文字社会のなかでもまた「歴史を必要としなかった」社会ということができる.
 このようにみてくると,文字社会,無文字社会という区別は絶対的なものではないことがわかる.いわゆる文字社会のなかにも無文字的な層があるのと同時に,無文字社会にも「歴史を必要とする」という限りで,文字社会と共通する部分があるのだから.このような二つの層,ないし部分は,時代とともに,すべてが文字性の側に吸収されていくのが望ましいとはいえない.人間のうちで,歴史とのつながりでいえば出来事を意識化して変化を生むことを志向する,文字性に発する部分と,「今までやってきたこと」のくりかえしに安定した価値を見いだす,無文字性に根ざす部分とは,あい補う関係で人類の社会をかたちづくってきたし,これからもかたちづくっていくだろう.


 ここで述べられている,文字社会・無文字社会の区別と,歴史叙述の意志の有無という区別をかけ合わせると,次のような図式になるだろう.

 「歴史を必要とする」社会「歴史を必要としない」社会
文字社会(1) 従来の「文字社会」(2) 歴史を記さない文字社会
無文字社会(3) 口頭のみの歴史伝承をもつ社会(4) 従来の「無文字社会」


 従来の見方によれば,文字社会は (1) と同一視され,無文字社会は (4) と同一視されてきた.しかし,文字社会であっても歴史を記さない (2) のようなケースもあり得るし,無文字社会であっても歴史を伝える (3) のようなケースもある.切り口を1つ増やすことによって,従来の単純な二分法を批評できるようになる例だ.
 無文字言語と関連して,「#748. 話し言葉と書き言葉」 ([2011-05-15-1]),「#1277. 文字をもたない言語の数は?」 ([2012-10-25-1]),「#2618. 文字をもたない言語の数は? (2)」 ([2016-06-27-1]),「#2447. 言語の数と文字体系の数」 ([2016-01-08-1]),「#1685. 口頭言語のもつ規範と威信」 ([2013-12-07-1]) を参照.

 ・ 樺山 紘一,木村靖二,窪添 慶文,湯川 武(編) 『クロニック世界全史』 講談社,1994年.

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2017-11-07 Tue

#3116. 巻物から冊子へ,パピルスから羊皮紙へ [history][writing][medium]

 3--4世紀,書記の歴史において重大な2つの事件が起こった.巻物 (scroll) に代わって冊子 (codex) が,パピルス (papyrus) に代わって羊皮紙 (parchment) が現われたことである.書写材料とその使い方において劇的な変化がもたらされた.まず,「巻物→冊子」の重要性について,『印刷という革命』の著者ペティグリー (19--20) は次のように述べている.

 巻物が冊子へと変わってゆくプロセスは段階的なものだったが,その変化がもたらしたインパクトたるや,数世紀後の印刷術の発明に勝るとも劣らぬほど大きなものであった。冊子が人気を博したのは,便利だったからである。紙の裏面にも書き込めるから,巻物より場所を取らない。それに破損しにくいし,もし傷ついた箇所があっても,簡単にページの差し替えができた。また蔵書は積み上げるか棚に並べるかして保管できるので,どの巻かすぐに見分けがついた。このように冊子状の本は,巻物と比べると,はるかに図書館(室)での収蔵と管理が容易だったのである。さらに冊子は,筆写のために分割もできたし,逆にさまざまなテクストを好みの順番で一冊にまとめることも,簡単にばらばらにして順番を入れ替えることもできた。要するに柔軟性と耐久性に富んでいたのである。
 冊子は実用的であったばかりではない。巻物よりも,はるかに洗練された知的アプローチが可能だった。なにより,多様な読み方ができた。巻物だと,最初から順を追って読んでゆくよりほかないが,冊子ならぱらぱらとめくって拾い読みができる。読者はテクストのある箇所から別の箇所へと,望むままに移動してゆけるから,深い思索を展開できる。冊子は,物語ばかりでなく,知的な手段も提供したのである。


 続けて,「パピルス→羊皮紙」についても言及している (20--21) .

 冊子形式の本が成功した理由には,もろくて摩滅しやすいパピルスに替えて,より耐性のある記録媒体を採用したこともあった。パピルスの代わりに,徐々に羊皮紙が用いられるようになった。〔中略〕
 羊皮紙はまた強度が高く,耐久性にも優れていたため,分量の多いテクストや,豊かな装飾を施した文章に用いることができた。


 このような技術的革新により,書くこと,読むことの意義が変わっていった.また,古文書が朽ちずに現在まで存続することにもなった.まさに,歴史を可能ならしめた革新だったといえよう.
 書写材料の話題については,「#2456. 書写材料と書写道具 (1)」 ([2016-01-17-1]) と「#2457. 書写材料と書写道具 (2)」 ([2016-01-18-1]) ,「#2465. 書写材料としての紙の歴史と特性」 ([2016-01-26-1]),「#2931. 新しきは古きを排除するのではなく選択肢を増やす」 ([2017-05-06-1]),「#2933. 紙の歴史年表」 ([2017-05-08-1]) も参照されたい.

 ・ ペティグリー,アンドルー(著),桑木 幸司(訳) 『印刷という革命 ルネサンスの本と日常生活』 白水社,2015年.

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2017-10-14 Sat

#3092. 生き残りやすい書き言葉の証拠,消えやすい書き言葉の証拠 [writing][medium][grammatology][archaeology]

 書き言葉の発生,すなわち文字の発生は,実用本位のものか,儀礼的なものか.この究極の問題について,Nicholas et al. が明快な議論を展開している.論文のアブストラクトがよい要約になっているので,引用しよう (459) .

A comparison of the evidence for the earliest scripts in different parts of the world suggests that an apparent preponderance of ceremonial; and symbolic usage should not be interpreted too literally. It seems to have more to do with archaeological preservation --- the better survival in archaeological contexts of the durable materials preferred as vehicles for ceremonial texts --- than with any deep-seated differences in the function of the scripts. It may well be that the earliest Chinese, Egyptian or Mesoamerican texts were largely as utilitarian in their application as those of Mesopotamia.


 論文では,上記と関連する言及がそこかしこに点在している.

Some materials survive better than others, and for various reasons scribes chose relatively perishable substances for utilitarian texts, and more permanent vehicles for more formal ones. They were guided not only by the substance's durability, but also by its value and its convenience. Carving an inscription in stone improves its chance of survival for posterity; furthermore, the material may have been chosen for its intrinsic value (whether aimed at the inscription, or at the object, like a bowl or a statue, on which the inscription is found); and the labour of carving the text on a stone is itself an enhancement of the value of the object. As a general rule, therefore, we may expect surviving inscriptions to be those serving ceremonial purposes and found on durable materials. (472)


The main factor in deciding which script style was to be used was not purely the tools and media used for writing but also the content of the text. Likewise the amount of time devoted to a particular inscription (in turn reflecting the value attached to the text) will have had an effect on the form of the script used, with formality on ceremonial, informality on utilitarian vehicles: thus bones and tortoise-shells, though still formal, have more narrative content and generally have more cursive characters than the bronzes. (477)


The medium based for writing depended largely upon the content of the message. Because of the differential preservation of writing media, formal ceremonial texts, written on more durable substances, dominate in the archaeological record, giving a biased picture of the uses of early writing. The occasional survival of more perishable substances, together with certain other evidence, helps to correct this bias. (478--79)


 そして,結論として "[T]he stimulus to move from individual symbols or emblems to a coherent writing system is more likely to have come from the needs of administration than from a wish to disseminate propaganda." (479) と述べている.書き言葉は,あくまで実用本位で生まれてきたという明快な結論だ.
 この議論は,古生物学において生き残りやすい化石の種類を考察する化石生成学 (taphonomy) の発想と酷似している.「#2865. 生き残りやすい言語証拠,消えやすい言語証拠――化石生成学からのヒント」 ([2017-03-01-1]) を参照されたい.また,文字の起源と発達を考慮するにあたっての書写材料の重要性については,「#2456. 書写材料と書写道具 (1)」 ([2016-01-17-1]),「#2457. 書写材料と書写道具 (2)」 ([2016-01-18-1]),「#2465. 書写材料としての紙の歴史と特性」 ([2016-01-26-1]),「#2933. 紙の歴史年表」 ([2017-05-08-1]) を要参照.

 ・ Postgate, Nicholas, Tao Wang, and Toby Wilkinson. "The Evidence for Early Writing: Utilitarian or Ceremonial?" Antiquity 69 (1965): 458--80.

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2017-09-29 Fri

#3077. 長田による「文字言語の構成要素と暗号形式の対応」 [cryptology][semiotics][sign][writing]

 連日,長田順行(著)『暗号大全』を参照しているが,言語と文字について論じる上で,暗号(学)が多くのインスピレーションを与えてくれることに驚いている.今回は,様々な種類の暗号を「文字言語の構成要素と暗号形式の対応」関係により整理・分類した長田の表を示したい (29) .

文字言語の構成要素と人為的操作形式名見かけ上の特徴
一定の文字別の文字で代用換字式暗号らしい暗号(一般的な暗号)
一定の順序順序の入替え転置式暗号らしい暗号(一般的な暗号)
別の文字を挿入分置式暗号らしくない暗号(特殊な暗号)
一定の意味別の意味に変換,あるいは遠回しに表現隠語・隠文式暗号らしくない暗号(特殊な暗号)
上記の組み合わせ混合式暗号らしくない暗号(特殊な暗号)


 換字式 (substitution) は「#2704. カエサル暗号」 ([2016-09-21-1]) に代表されるタイプで,ある文字を別の文字で代用するものである.一方,転置式 (transposition) は一定の順序に並んでいる文字列を,別の順序に並び替えるタイプである.例えば,最も簡単な転置式暗号の1つは,nowhereerehwon などと逆順に並び替えるものである.この2種類の暗号では,できあがった暗号文はたいてい意味不明の文字列になるのでいかにも見栄えは暗号らしくなる.
 分置式は,一定の順序に並んでいる文字列に別の文字を挿入するもので,「#3072. 日本語の挟み言葉」 ([2017-09-24-1]) で挙げた「ノサ言葉」などが例となる.「#3071. Pig Latin」 ([2017-09-23-1]) は,転置式と分置式を合わせたような暗号である.これらは,ある程度普通言語のような見栄えをしているのが特徴である.
 以上の3種類は,文字レベルの操作であり,記号論でいうところの能記 (signifiant) をいじることによる暗号化である.それに対して所記 (ssignifié) をいじるタイプの暗号もあり,隠語・隠文などと呼ばれる.見栄えとしては普通言語の語などからなっているが,その語の意味は別の意味に変換されているので,それを了解していないかぎり,読み解くことは難しい.

 ・ 長田 順行 『暗号大全 原理とその世界』 講談社,2017年.

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2017-09-27 Wed

#3075. 略語と暗号 [cryptology][abbreviation][shortening][acronym][initialism][writing]

 略語表記は英語でも日本語でも花盛りである.「#889. acronym の20世紀」 ([2011-10-03-1]),「#2982. 現代日本語に溢れるアルファベット頭字語」 ([2017-06-26-1]) でみたように,頭字語と呼ばれる acronyminitialism などは新聞や雑誌などに溢れている.確かに略語表記は現代に顕著だが,その存在は古くから確認される.西洋ではギリシア・ローマの時代に遡り,その起こりこそ筆記に要する空間・時間の節約や速記といった実用的な用途にあったかもしれないが,やがて宗教的な目的,秘匿の目的にも用いられるようになった.長田 (43--44) は,暗号との関連から略語について次のように論じている.

 略語は,このように第三者に対する秘匿とは別の目的から使用され,発達してきたが,略語そのものがあまり慣用されていないものであったり,略語の種類が増加してくると,略語表を見ないと元の意味がとれない場合が生じる.また,簡略化によるものや書き止めによる略語(書きかけのまま中途で止めて略語とするもの)には,それが略語であることを示すために単語上や語末に傍線を入れて注意を喚起するようなことが行なわれた.
 じつは,この不便さが一方では秘匿の目的に略語が使用されることにつながるのである.


 AIDSEU であれば多くの人が見慣れており相当に実用的といえるが,最近目につくようになったばかりの EPA(Economic Partnership Agreement; 経済連携協定)や ICBM(Inter-Continental Ballistic Missile; 大陸間弾道弾)では,必ずしも多くの人が何の略語なのか,何を指すのかを認識していないかもしれない.かすかなヒントがあると言い張ることはできるかもしれないが,暗号に近いといえるだろう.
 では,AIDSEU はなぜ認知されやすいのかといえば,繰り返し用いられてきたからである.当初は事実上の暗号に等しかったろうが,それでも構わずに使い続けられていくうちに,多くの人々が慣れ,認知するに到ったということである.これは非暗号化の過程とみることもできるだろう.「これらの略語も繰り返し使用したのでは,秘匿の効果が薄れてしまうことはいうまでもない」(長田,p. 45).

 ・ 長田 順行 『暗号大全 原理とその世界』 講談社,2017年.

Referrer (Inside): [2020-01-17-1] [2018-06-08-1]

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2017-09-26 Tue

#3074. 「文字は公認の暗号である」 [cryptology][language][semiotics][saussure][arbitrariness][sign][writing]

 通常,少数の人によってしか共有されていない文字を指して暗号と呼ぶが,標題のように裏からとらえて「文字は公認の暗号である」と表現することもできる.これは,みごとな逆転の発想である.長田 (136--37) を引用する.

 音声言語を表記するためにどのような文字を使用するかはどうでもよいことであって,要はその文字の使い方が首尾一貫していれば,記号としての役目を果たすことができる.フェルディナン・ド・ソシュールは,「記号の不易性と可易性」について次のように述べている.「能記は,その表はす観念と照し合はす時は,自由に選ばれたものとして現はれるとすれば,逆にこれを用ひる言語社会と照し合はす時は,自由ではなくて,賦課されたものである.社会大衆は一つも相談にあづからず,言語の選んだ能記は他のものと代へるわけにはいきかねる.この矛盾を含むかに思はれる事実は,平たくいへば『脅迫投票』とでもいふべきか.言語に向って『選びたまへ』と言つたそばから,『この記号だぞ,ほかのでなくて』と附加へる」(小林英夫訳『言語学原論』)
 これはそのまま換字式暗号にあてはまる原理である.変換する記号としてはどのようなものを選んでもさしつかえないが,一度選んだならば,その規約を使用する間はけっして変更することは許されない.ただ換字式暗号の違う点は,言語とその表記の関係が第三者に秘匿されていることである.
 一般に文字言語を「社会公認公用の暗号法」と呼ぶのは,このような相対関係によるものである.


 また,次のようにも述べている (137--38)

ウェルズは,その『世界史』に,「文字は,それが発明されたとき,初めのうちは関係の人だけの秘密通信に使われていた」と書いている.これは,識字率の低い間は文字そのものが秘密の表記であったことを的確にとらえた言葉である.


 文字も暗号も恣意的な記号であるという点では共通している.顕著な差異を1つ挙げるとすれば,文字は通常多数の人に共有されているが,暗号は少数の人にしか知られていないということだろう.それを知っている人の数というパラメータを度外視すれば,文字はすなわち暗号であり,暗号はすなわち文字であるといえる.言語学的文字論と暗号学がいかなる相互関係にあるのか,一気に呑み込めた気がする.
 関連して,「#2699. 暗号学と言語学」 ([2016-09-16-1]),「#2700. 暗号によるコミュニケーションの特性」 ([2016-09-17-1]) と「#2701. 暗号としての文字」 ([2016-09-18-1]) も参照されたい.

 ・ 長田 順行 『暗号大全 原理とその世界』 講談社,2017年.

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2017-08-28 Mon

#3045. punctuation の機能の多様性 [punctuation][writing]

 「#574. punctuation の4つの機能」 ([2010-11-22-1]) で,Crystal の英語百科事典から句読法 (punctuation) の4つの機能を紹介した.同じ Crystal が,句読法を徹底的に論じた著書 Making a Point の最後に近いところで,別の切り口から句読法の機能の多様性を力説している.

For a long time, . . . people thought there were only two functions to punctuation: a guide to pronunciation and a guide to grammar. There are far more . . . . There is a ludic function, seen in poetry, informal letters, and many online settings where people are playing with punctuation. There is a psycholinguistic function, facilitating easy processing by writer and reader. There is a sociolinguistic function, contributing to rapport between users. There is a stylistic function, providing genres with some of their orthographic identity. (346)


 句読点の働きは,発音や文法のガイド以外にもあるという.例えば,遊びとしての句読点がある.携帯メールなどで用いられる「#808. smileys or emoticons」 ([2011-07-14-1]) の一部にみられるような,ジョークとしての句読点使用などがこれに当たるだろう.
 心理言語学的な機能としては,例えば節と節を分ける際に,ルールとしては必ずしもカンマを挿入する必要がない場合でも,長さによっては読み手の解析のしやすさに配慮してカンマを挿入するほうがよいケースがあるだろう.
 社会言語学的な機能,あるいは社会語用論的な機能といってもよいかもしれないが,例えば携帯メールなどで感情を表わす smileys を文末に添えることによって,相手との関係調整を行なうようなケースがある.
 文体的な機能とは,例えば携帯メールのテキストに特有の句読法を用いることにより,それが携帯メールのテキストというジャンルに属することを標示するというようなケースを指す.
 考えてみれば,これらは句読法の機能であるばかりか,およそ綴字の機能でもあるといってよい.句読法,綴字,文字などの書き言葉の要素は,それぞれ実に多種多様な機能を果たしているのである.

 ・ Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of the English Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2003.
 ・ Crystal, David. Making a Point: The Pernickety Story of English Punctuation. London: Profile Books, 2015.

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2017-08-27 Sun

#3044. 古英語の中点による分かち書き [punctuation][writing][manuscript][oe][distinctiones]

 英語の分かち書きについて,以下の記事で話題にしてきた.「#1112. 分かち書き (1)」 ([2012-05-13-1]),「#1113. 分かち書き (2)」 ([2012-05-14-1]),「#2695. 中世英語における分かち書きの空白の量」 ([2016-09-12-1]),「#2696. 分かち書き,黙読習慣,キリスト教のテキスト解釈へのこだわり」 ([2016-09-13-1]),「#2970. 分かち書きの発生と続け書きの復活」 ([2017-06-14-1]),「#2971. 分かち書きは句読法全体の発達を促したか?」 ([2017-06-15-1]) .
 現代的な語と語の分かち書きは,古英語ではまだ完全には発達していなかったが,語の分割する方法は確かに模索されていた.しかし,ある方法をとるにしても,その使い方はたいてい一貫しておらず,いかにも発展途上という段階にみえるのである.1例として,空白とともに中点 <・> を用いている Bede の Historia Ecclesiastica, III, Bodleian Library, Tanner MS 10, 54r. より冒頭の4行を再現しよう(Crystal 19).

Bede,

ÞA・ǷÆS・GE・WORDENYMB

syx hund ƿyntra・7feower7syxtig æft(er) drihtnes
menniscnesse・eclipsis solis・þæt is sunnan・aspru
ngennis・

then was happened about
six hundred winters・and sixty-four after the lord's
incarnation・(in Latin) eclipse of the sun・that is sun eclipse


 まず,空白と中点の2種類の分かち書きが,一見するところ機能の差を示すことなく併用されているという点が目を引く.また,現代の感覚としては,分割すべきところに分割がなく(7 [= "and"] の周辺),逆に分割すべきでないところに分割がある(題名の GE・WORDENYMB にみられる接頭辞と語幹の間)という点も興味深い.
 空白で分かち書きする場合,手書きの場合には語と語の間にどのくらいの空白を挿入するかという問題があり,狭すぎると分割機能が脅かされる可能性があるが,中点は(前後の文字のストロークと融合しない限り)狭い隙間でも打てるといえば打てるので,有用性はあるように思われる.
 中点は,英語に限らず古代の書記にしばしば見られたし,自然な句読法の1つといってよいだろう.現代日本語でも,中点は特殊な用法をもって活躍している.

 ・ Crystal, David. Making a Point: The Pernickety Story of English Punctuation. London: Profile Books, 2015.

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2017-08-10 Thu

#3027. 段落開始の合図 [punctuation][writing][capitalisation][manuscript][printing]

 日本語では段落の始めは1字下げして書き始めるのが規範とされている.近年この規範と実践が揺れ始めている件については,「#2848. 「若者は1字下げない」」 ([2017-02-12-1]) の記事で触れた.では,英語についてはどうだろう.
 英語の本を読んでいるとわかるとおり,通常,段落開始行は数文字程度の字下げが行なわれている.しかし,これには別の作法もある.例えば,字下げは行なわない代わりに,段落を始める語の頭文字を他の文字よりも大きくして(ときに複数行の高さで)目立たせるやり方,すなわち "drop capital" の使用がある.これは,中世の写本において,同じ目的で用いられた大きな装飾文字に起源をもつ.あるいは,その変種と考えられるが,雑誌や新聞の記事でよくお目にかかるように,最初の1語か数語をすべて大文字で書くという方法もある.
 もう1つ注意すべきは,字下げも行なわず,かつ特別な目立たせ方もしないで段落を開始することがあるということだ.それは,章や節の第1段落においてである.章や節の題名を示す行の直後では,そこが新段落の始めであることは自明であり,特別な合図をせずともよいということだ.日本語では第1段落といえども律儀に1字下げをするので,英語のこの流儀はいかにも合理性を重んじているかのように感じられる.
 私も長らくこの英語書記の合理性に感じ入っていたが,歴史的にはそれほど古い流儀ではないようだ.Crystal (131) によると,100年ほど前には,第1段落といえども他の段落と同じように数文字の字下げを行なうのが通常だったようだ.結局のところ,句読法 (punctuation) の慣習は,時代にも地域にもよるし,house style によるところも大きい.ある程度の合理性の指向は認められるにせよ,句読法もまた絶対的なものではないということだろう.

 ・ Crystal, David. Making a Point: The Pernickety Story of English Punctuation. London: Profile Books, 2015.

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2017-07-12 Wed

#2998. 18世紀まで印刷と手書きの綴字は異なる世界にあった [spelling][orthography][writing][printing][lmode][johnson]

 昨日の記事「#2997. 1800年を境に印刷から消えた long <s>」 ([2017-07-11-1]) の最後に触れたように,十分に現代英語に近いと感じられる18世紀でも(そして部分的に19世紀ですら),印刷と手書きは,文字や綴字の規範に関して,2つの異なる世界を構成していたといってよい.換言すれば,2つの正書法が存在していた(しかも,各々は現代的な意味での水も漏らさぬ強固な規範というわけではなかった).印刷はおよそ「公」であり,手書きは「私」であるから,正書法は公私で使い分けるべき二重基準となっていたのである.
 この差異が最も印象的に見られるのは,Johnson の辞書での綴字と,Johnson の私的書簡での綴字である.例えば,Johnson は辞書での綴字とは異なり,書簡では companiable, enervaiting, Fryday, obviateing, occurences, peny, pouns, stiched, chappel, diner, dos (= does) 等の綴字を書いている (Tieken-Boon van Ostade 42) .このような状況は他の作家についても同様に見られることから,Johnson が綴り下手だったとか,自己矛盾を起こしているなどという結論にはならない.むしろ,公的な印刷と私的な手書きとで異なる綴字の基準があり,それが当然視されていた,ということである.
 このような状況は,現代の我々にとっては理解しにくいかもしれないが,当時の綴字教育の現状を考えてみれば自然のことである.後期近代英語期には綴字の教科書は多く出版されたが,それは子供たちに印刷されたテキストを読めるようにするための教科書であり,子供たちが自ら綴字を書くことを訓練する教科書ではなかった.印刷テキストの綴字は,印刷業者によって慣習的に定められた正書法が反映されており,子供たちはその体系的な綴字を「読む」訓練こそ受けたが,「書く」訓練は特に受けていなかった.そのような子供たちが手書きで書簡を認める段には,当然ながら印刷テキストに表わされている正書法に則って綴ることはできない.しかし,だからといって単語をまったく綴れないということにはならないし,書簡の受け手に誤解されることもほとんどないだろう.
 そして,この状況は,綴字を学んでいる子供たちのみならず,文字を読み書きする大人たちにも一般に当てはまった.印刷と手書きの対立は,公私の対立のみならず,綴字を読む能力と書く能力の対立でもあったのだ.

 ・ Tieken-Boon van Ostade, Ingrid. An Introduction to Late Modern English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2009.

Referrer (Inside): [2019-12-06-1]

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2017-07-11 Tue

#2997. 1800年を境に印刷から消えた long <s> [spelling][graphemics][grammatology][alphabet][printing][lmode][writing][orthography]

 18世紀の印刷本のテキストを読んでいると,中世から続く <s> の異字体 (allograph) である <<ʃ>> がいまだ頻繁に現われることに気づく.この字体は "long <s>" と呼ばれており,現代までに廃れてしまったものの,英語史の長きにわたって活躍してきた異字体だった.Tieken-Boon van Ostade (40) に引かれている ECCO からの例文により,<<ʃ>> の使われ方を見てみよう.

. . . WHEREIN / THE CHAPTERS are ʃumm'd up in Contents; the Sacred Text inʃerted at large, in Paragraphs, or Verʃes; and each Paragraph, or Verʃe, reduc'd to its proper Heads; the Senʃe given, and largely illuʃtrated, / WITH / Practical Remarks and Obʃervations


 見てわかる通り,すべての <s> が <<ʃ>> で印刷されているわけではない.基本的には語頭か語中の <s> が <<ʃ>> で印刷され,語末では通常の <<s>> しか現われない.また,語頭でも大文字の場合には <<S>> が用いられる.ほかに,IdleneʃsBusineʃs のように,<ss> の環境では1文字目が long <s> となる.
 しかし,この long <s> もやがて廃用に帰することとなった.印刷においては18世紀末に消えていったことが指摘されている.

Long <s> disappeared as a printing device towards the end of the eighteenth century, and its presence or absence is today used by antiquarians to date books that lack a publication date as dating from either before or after 1800. (Tieken-Boon van Ostade 40)


 注意すべきは,1800年を境に long <s> が消えたのは印刷という媒体においてであり,手書き (handwriting) においては,もうしばらく long <s> が使用され続けたということである.「#584. long <s> と graphemics」 ([2010-12-02-1]) で触れたように,手書きでは1850年代まで使われ続けた.印刷と手書きとで使用分布が異なっていたことは long <s> に限らず,他の異字体や異綴字にも当てはまる.現代の感覚では,印刷にせよ手書きにせよ,1つの共通した正書法があると考えるのが当然だが,少なくとも1800年頃までは,そのような感覚は稀薄だったとみなすべきである.
 long <s> について,「#1152. sneeze の語源」 ([2012-06-22-1]),「#1732. Shakespeare の綴り方 (2)」 ([2014-01-23-1]) も参照されたい.

 ・ Tieken-Boon van Ostade, Ingrid. An Introduction to Late Modern English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2009.

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2017-07-05 Wed

#2991. ルーン文字の名前に意味があったからこそ [runic][kotodama][alphabet][writing][kanji][grammatology]

 ルーン文字について,「#1006. ルーン文字の変種」 ([2012-01-28-1]) を始め runic の記事で話題としてきた.現代において,ルーン文字はしばしば秘術と結びつけられ,神秘的なイメージをもってとらえられることが多いが,アングロサクソン文化で使用されていた様子に鑑みると,そのイメージは必ずしも当たっていないかもしれない.5--6世紀のルーン文字で書かれたアングロサクソン碑文は武器,宝石,記念碑などの工芸品に刻まれている例が多い.墓碑銘ではたいてい "X raised this stone in memory of Y" のような短い定型句が書かれているにすぎず,文体のヴァリエーションが少ないというのもルーン文字使用の特徴である.ルーン文字が主として秘術に利用されたという積極的な証拠は,実は乏しい.
 しかし,「#1009. ルーン文字文化と関係の深い語源」 ([2012-01-31-1]) でみたように語源的にもオカルト的なオーラは感じられるし,「#1897. "futhorc" の acrostic」 ([2014-07-07-1]) で紹介した言葉遊びの背後には,ルーン文字に宿る言霊の思想のようなものが想定されているようにも思われる.
 文字における言霊といえば,表語文字である漢字が思い浮かぶ.漢字は原則として1文字で特定の語に対応しているので,特定の意味を直接的に想起させやすい.この点,アルファベットなどの表音文字とは性質が異なっている.
 アルファベットは,ローマン・アルファベットにせよギリシア・アルファベットにせよ,各文字は単音を表わすのみであり,具体的な意味を伴うわけではない.確かにローマン・アルファベットの各文字には「エイ」「ビー」などの名前がついているが,まるで無意味である(「#1831. アルファベットの子音文字の名称」 ([2014-05-02-1]) を参照).また,ギリシア・アルファベットでは各文字に alpha, beta などの有意味とおぼしき名前がつけられているが,その名前を表わしている単語は,あくまでセム語レベルで有意味だったのであり,ギリシア人にとって共時的には無意味だったろう(「#1832. ギリシア・アルファベットの文字の名称 (1)」 ([2014-05-03-1]),「#1833. ギリシア・アルファベットの文字の名称 (2)」 ([2014-05-04-1]) を参照).
 ところが,ルーン文字については,各文字に,母語たるゲルマン語において共時的に有意味な名前が付されていた.つまり,漢字と同様に,各文字が直接に語と意味を想起させるのである.それゆえ,後に置き換えられていくローマン・アルファベットと比べて,言霊的な力を担いやすかったという事情はあったのではないか.Crystal (180) より,各ルーン文字と対応する語の一覧を示そう(Wikipedia より Runes の一覧表も参照).

RuneAnglo-SaxonNameMeaning (where known)
ffeohcattle, wealth
uūrbison (aurochs)
þþornthorn
oōsgod/mouth
rrādjourney/riding
ccentorch
g [j]giefugift
wwynjoy
hhæglhail
nniednecessity/trouble
iisice
jgearyear
ȝēohyew
ppeor?
xeolh?sedge
ssigelsun
ttiw/tirTiw (a god)
bbeorcbirch
eeohhorse
mmanman
llaguwater/sea
ngingIng (a hero)
oeeþelland/estate
ddægday
aacoak
ææscash
yyrbow
eaear?earth
g [ɣ]garspear
kcalc?sandal/chalice/chalk
k~(name unknown) 


 ・ Crystal, David. The English Language. 2nd ed. London: Penguin, 2002.

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2017-06-15 Thu

#2971. 分かち書きは句読法全体の発達を促したか? [punctuation][writing][distinctiones]

 昨日の記事「#2970. 分かち書きの発生と続け書きの復活」 ([2017-06-14-1]) に引き続いて,分かち書き (distinctiones) の話題.Crystal (17) は,分かち書きの発生こそが,他の句読法の体系的な発達を促したと考えている.

It's difficult to see how punctuation could have developed in a graphic world where scriptura continua was the norm. If there are no word-spaces, there's no room to insert marks. Writers or readers might be able to insert the occasional dot or simple stroke, to show where the sense change, but it would be impossible to develop a sophisticated system that would keep pace with the complex narratives and reflections being expressed in such domains as poetry, chronicles, and sermons. However, once word-spaces became the norm, new punctuational possibilities were available.


 確かに,この因果関係はある程度の説得力をもつように聞こえるかもしれない.しかし,おそらく部分的にはその通りであると思われるものの,さほど自明な議論ではない.というのは,日本語を考えてみれば分かるとおり,分かち書きが定着していない書記においても,他の句読法は十分に体系的に発達しているからだ.そこでは,むしろ他の句読法が分かち書きの果たすはずの役割を部分的に果たしている.したがって,書記上の機能や発生順序の自然さという観点から,分かち書きと他の句読法という二分法を設けるべき根拠は強くないように思われる.空白があれば,その分,他の記号が書き込まれる契機が増し,したがって句読法も発達しやすい,という Crystal の論理は,完全に無効とは決めつけられないものの,どこまで有効なのかを積極的に示すことは難しいのではないか.
 それでも,分かち書きは,言語使用者にとって最も直観的で基本的な単位である語を区切るものであるという点で,他の句読法よりも本質的な地位を占めると主張することもまた可能のように思われる.日本語のような稀な例も考慮に入れながら,より説得力をもって主張できそうなことは,分かち書きという方法にかぎらず,語と語の区分を示す何らかの手段が確立しさえすれば,次にその他の句読法も発達していきやすい,ということではないか.

 ・ Crystal, David. Making a Point: The Pernickety Story of English Punctuation. London: Profile Books, 2015.

Referrer (Inside): [2017-08-27-1]

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2017-06-14 Wed

#2970. 分かち書きの発生と続け書きの復活 [punctuation][writing][scribe][manuscript][inscription][distinctiones]

 書記における分かち書き (distinctiones) については,「#1112. 分かち書き (1)」 ([2012-05-13-1]),「#1113. 分かち書き (2)」 ([2012-05-14-1]),「#2695. 中世英語における分かち書きの空白の量」 ([2016-09-12-1]),「#2696. 分かち書き,黙読習慣,キリスト教のテキスト解釈へのこだわり」 ([2016-09-13-1]) などで話題としてきた.今回も,分かち書きが歴史の過程で生み出されてきた発明品であり,初めから自然で自明の慣習であったわけではないことを,再度確認しておきたい.
 西洋の書記の歴史では,分かち書き以前に,長い続け書き (scriptura continua) の時代があった.Crystal (3) の説明を引こう.

Word-spaces are the norm today; but it wasn't always so. It's not difficult to see why. We don't actually need them to understand language. We don't use them when we speak, and fluent readers don't put pauses between words as they read aloud. Read this paragraph out loud, and you'll probably pause at the commas and full stops, but you won't pause between the words. They run together. So, if we think of writing purely as a way of putting speech down on paper, there's no reason to think of separating the words by spaces. And that seems to be how early writers thought, for unspaced text (often called, in Latin, scriptura continua) came to be a major feature of early Western writing, in both Greek and Latin. From the first century AD we find most texts throughout the Roman Empire without words being separated at all. It was thus only natural for missionaries to introduce unspaced writing when they arrived in England.


 しかし,英語の書記の歴史に関する限り,古英語期までには語と語を分割する何らかの視覚的な方法が模索されるようになっていた.Crystal (8--9) によれば,様々な方法が実験されたという(以下の引用中にある "Undley bracteate" については,「#572. 現存する最古の英文」 ([2010-11-20-1]) を参照).

People experimented with word division. Some inscriptions have the words separated by a circle (as with the Undley bracteate) or a raised dot. Some use small crosses. Gradually we see spaces coming in but often in a very irregular way, with some words spaced and others not --- what is sometimes called an 'aerated' script. Even in the eleventh century, less than half the inscriptions in England had all the words separated.


 考えてみれば,昨今のデジタル時代でも,分かち書きの手段は複数ある.URLやファイル名の文字列など,処理上の理由で空白が避けられる傾向がある場合には,例えば "this is an example of separation" と表記したいときに,次のようなヴァリエーションが考えられるだろう (Crystal 8--9 の議論も参照).

 ・ thisisanexampleofwordseparation
 ・ this.is.an.example.of.word.separation
 ・ this+is+an+example+of+word+separation
 ・ this_is_an_example_of_word_separation
 ・ this-is-an-example-of-word-separation
 ・ thiSiSaNexamplEoFworDseparatioN
 ・ ThisIsAnExampleOfWordSeparation


 現代は,ある意味で scriptura continua が蘇りつつある時代とも言えるのかもしれない.続け書きを当然視する日本語書記の出番か!?

 ・ Crystal, David. Making a Point: The Pernickety Story of English Punctuation. London: Profile Books, 2015.

Referrer (Inside): [2017-08-27-1] [2017-06-15-1]

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2017-05-08 Mon

#2933. 紙の歴史年表 [timeline][history][medium][writing]

 カーランスキーの著わした『紙の世界史』は,書写材料としての紙の歴史をたどりながら,結果として文字と文字文化の歴史を同時に記述している.書写材料については,「#2465. 書写材料としての紙の歴史と特性」 ([2016-01-26-1]),「#2456. 書写材料と書写道具 (1)」 ([2016-01-17-1]),「#2457. 書写材料と書写道具 (2)」 ([2016-01-18-1]) などで扱ってきたが,今回はカーランスキーの巻末より紙の歴史年表 (466--74) を掲げたい.一覧するとテクノロジーが社会を動かしてきたことがよく分かるが,カーランスキーの言葉を借りれば「社会がテクノロジーを生み出してきた」というべきなのだろう.

紀元前38000年北スペインのエル・カスティリョ洞窟に残る赤い点が人間による最古の描画とされている
紀元前3500年メソポタミアの石灰岩に最古の文字が刻まれる
紀元前3300年バビロニア南部(現イラク)のウルクで粘土板に文字が刻まれる.楔形文字の始まり
紀元前3000年年代が特定されている最古のパピルス.文字跡のない巻物がカイロ近郊サッカラの墳墓から発掘
紀元前3000年エジプトのヒエログリフ象形文字(神聖文字)の始まり
紀元前2500年インダス川流域ではじめて文字が書かれる
紀元前2400年現存する最古のエジプト語の文書
紀元前2200年インダス川流域で銅片や陶片に文字が彫られる
紀元前2100年年代が特定されている最古のタパ.断片がペルーで出土
紀元前1850年年代が特定されている最古の文献.獣皮に書かれたエジプト語の巻物
紀元前18世紀クレタで書記体系が生まれる
紀元前1400年中国で獣骨に文字が書かれる
紀元前1300年中国で青銅,翡翠,亀甲に文字が書かれる
紀元前1200年漢字が発達する
紀元前1100年エジプト人がフェニキア人にパピルスを輸出しはじめる
紀元前1000年フェニキア語のアルファベットが生まれる
紀元前600年メキシコでサポテク/ミステク文字が生まれる
紀元前600年中国とギリシアで木板に帳簿が書かれる
紀元前5世紀中国人が帛を書写に使う
紀元前400年イオニア式アルファベットがギリシアでの標準語となる
紀元前400年中国で油煙から墨が発明される
紀元前3世紀アレクサンドリアに図書館が建造される
紀元前255年中国で封印に関するはじめての記述がなされる.ただし墨を用いずに粘土に押印された
紀元前252年中国の楼蘭で発見された年代のあきらかな最古の紙
紀元前250年マヤ文字が使用される
紀元前220年中国で蒙恬が発明した駱駝の毛筆が書道に使われる
紀元前206年中国の王朝,前漢の幕開け.中国では漢代に紙が開発される
紀元前63年ギリシアの地理学者ストラボンが,黒海沿岸を統治するポントス王国のミトリダテス6世の王宮に水車設備があることへの驚きを記述
紀元前31年現存する最初のオルメカ文字
紀元前30年ローマ帝国がエジプトを征服,パピルスが地中海世界に広まる
紀元後1世紀ローマで一時的な書写に蝋板が使用される
75年楔形文字で最後の日文が書かれる
105年通説では語感の宮廷に使えた宦官の蔡倫が紙を発明したとされている
2世紀スカンディナビアでルーン文字のアルファベットが生まれる
250年--300年年代がほぼ特定されている紙がトルキスタンで出土
256年中国で最初の紙に書かれた本『譬喩経』が作られる
297年最初のマヤ暦が石に彫られる
394年エジプトのヒエログリフ象形文字で最後の日文が書かれる
5世紀日本語の独自の文字体系が開発される
450年年代が特定されている棕櫚の葉に書かれた最初の手稿.中国の北西部で葉写本の断片が発掘された
476年西ローマ帝国最後の皇帝ロムルス・アウグストゥルスの廃位により古代世界が正式に幕を閉じる
500年マヤ人がアマテに文字を書きはじめる
500年--600年マヤ人が樹皮紙を発達させる
538年朝鮮半島の百済の王が紙で作られた経典と仏像を日本へ送る
610年高句麗の僧の曇徴が製紙法を日本に伝える
630年ムハンマドがメッカを征服
673年川原寺の僧侶が仏典を写しはじめ,ほどなく日本で写経が活発になる
8世紀中国で印刷が始まる
706年アラブ人が紙をメッカに持ちこむ
711年アラブ人率いるベルベル人軍がモロッコからジブラルタル海峡を越えてスペインを侵攻
712年日本文学の最古の作品『古事記』が漢文で書かれる
720年仏教の浸透とともに日本での紙の使用が大々的に広まる
751年サマルカンドで製紙が始まる
762年--66年バグダードの建設
770年日本の称徳女帝が紙を使った初の印刷物,病気平癒を願う祈祷書の百万部の作成
794年布くずを材料とする製紙場がバグダードに設けられる
800年エジプトで紙がはじめて使われる
832年イスラム教徒がシチリアを征服
848年アラビア語で紙に書かれた完全な形の本が作られる.年代が特定された書籍では最古とされている
850年『千夜一夜物語』がはじめて書き起こされたと推定される
868年現存する最古の書籍『金剛般若経』が印刷された
889年マヤ人がすべての記録に石ではなく紙を使用しはじめる
9世紀後半バグダードが製紙業の重要拠点となる
900年エジプトで製紙が開始
969年中国で遊戯用カード(紙牌)がはじめて使われた
1041年--48年鉄の版に組まれる初の陶活字が中国で作られる.年代が特定される最古の可動活字
900年--1100年マヤ人が『ドレスデン・コデックス』を作成
1140年イスラム教徒支配下のスペインのハティバで製紙が始まる
1143年『コーラン』がラテン語に翻訳される
1164年イタリアのファブリアーノで初の製紙の記録
1308年ダンテが『神曲』の執筆を開始
1309年イングランドで紙がはじめて使用される
1332年オランダで紙がはじめて使用される
1353年ボッカチオが『デカメロン』を執筆
1387年チョーサーが『カンタベリー物語』の執筆を開始
1390年ドイツの製紙がニュルンベルクで始まる
1403年朝鮮王の太宗が銅活字を製造させる
1411年スイスで製紙が始まる
1423年ヨーロッパで木版印刷が始まったとされる
1440年--50年ヨーロッパで最初の版本(ブロック・ブック)が作られる
1456年グーテンベルクが可動活字で初の『聖書』の印刷を完成
1462年マインツが破壊され,印刷者が離散
1463年ウルリッヒ・ツェルがケルンで印刷所を興す
1464年ローマ近郊のスビアコ修道院がイタリアで最初の印刷所となる
1469年キケロの『家族への書簡集』が,ヴェネツィアで印刷された最初の書籍となる
1473年ルーカス・ブランディスがリューベックで印刷所を興す
1475年または1476年『東方見聞録』がフランス語で印刷された最初の書籍となる
1476年ウィリアム・キャクストンがイギリスで最初の印刷所を開く
1494年アルドゥス・マヌティウスがヴェネツィアにアルド印刷工房を開く
1495年ジョン・テイトがハートフォードシャーにイングランドで最初の製糸場を造る
1502年--20年アステカ人の貢ぎ物の記録に四十二ヵ所の製紙拠点が掲載されている.年間五十万枚の紙を作っていた村もある
1515年アルブレヒト・デューラーがエッチングを始める
1519年エルナン・コルテスが現ベラクルス付近に上陸し,アステカ文化の破壊を開始する
1520年マルティン・ルターの『キリスト教界の改善に関してドイツのキリスト諸貴族に宛てて』が印刷され,二年間で五万部が配布される
1528年ファン・デ・スマラガ神父が先住民の庇護者としてメキシコに到着し,本を燃やす
1539年スペイン人が先住民向けの本を作るためにメキシコ初の印刷所を開く
1549年マヤ人の図書館がスペイン人に焼かれる
1575年スペイン人がメキシコに最初の製紙場を建てる
1576年ロシア人が製紙を開始
1586年製紙許可の政令がドルトレヒトで発布される.オランダの製紙史上最古の記録
1605年セルバンテスの『ドン・キホーテ』が出版される
1609年世界初の週刊新聞がシュトラスブルクで創刊
1627年フランスのラ・ロシェルがカトリック勢力に包囲され,ユグノーの製紙業者はイングランドへ逃れる
1635年デンマークで製紙が開始
1638年英字印刷機はじめてアメリカへもたらされる
1672年オランダ式叩解機の発明によりオランダは良質な白い紙の輸入国から純輸出国に転じる
1690年ウィリアム・リッテンハウスがアメリカで最初の製紙場を設立
1690年アメリカで最初の新聞『パブリック・オカレンシズ・ボース・フォーリン・アンド・ドメスティック』がボストンで創刊
1690年アメリカ大陸の植民地で最初の紙幣がマサチューセッツで発行される
1698年トマス・セイヴェリが鉱山の排水目的で最初の蒸気機関を設計する
1702年ロンドンで日刊紙『デイリー・クーラント』が創刊
1719年ルネ・アントワーヌ・フェルショー・ド・レオミュールが木材から紙を作るスズメバチの手法を解説
1728年マサチューセッツで製紙が始まる
1744年はじめての児童向け絵本『小さなかわいいポケットブック』がイングランドで出版される
1744年ヴァージニアで製紙が始まる
1767年コネチカットで製紙が始まる
1768年アベル・ビュエルがアメリカ大陸植民地ではじめて活字を製造
1769年ニューヘイヴンのアイザック・ドゥーリトルが,イギリスのアメリカ大陸植民地ではじめて印刷機を製造
1773年ニューヨークで製紙が始まる
1774年スウェーデンの薬剤師カール・シェーレによる塩素の発見が漂白への道を開く
1785年ロンドンの独立系新聞『デイリー・ユニヴァーサル・レジスター』が創刊.三年後,『ザ・タイムズ』に紙名を変更
1790年トマス・ビュイックがイギリスでもっとも人気の挿絵画家となる
1798年ニコラ-ルイ・ロベールが連続式抄紙機の特許を申請
1798年画家J・M・W・ターナーが水彩画で実験を始める
1799年アロイス・ゼネフェルダーがリトグラフを考案
1800年スタンホープ卿が総鉄製の印刷機を発明
1801年ジョセフ-マリー・ジャカールがパンチカードによる自動織機を開発
1804年ブライアン・ドンキンが長網抄紙機の第一号を製造
1809年ジョン・ディキンソンが円網抄紙機の特許を取得
1811年フリードリヒ・ケーニヒが蒸気動力の印刷機を発明
1814年ロンドンの『ザ・タイムズ』がケーニヒの蒸気印刷機を使用
1818年ジョシュア・ギルピンがアメリカではじめて連続式抄紙機を製造
1820年この年イギリスで二千九百万部以上の新聞が売れる
1825年ジョセフ・ニセフォール・ニエプスがはじめて写真撮影する
1830年新しい漂白法により色つきのぼろ布から白い紙の製作が可能となる
1833年木材を原料とする製紙の特許がイギリスで登録される
1840年ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットが紙に定着する写真をはじめて作成
1841年エビニーザ・ランデルズがロンドンの風刺雑誌『パンチ』を創刊
1843年アメリカのリチャード・M・ホーが蒸気動力の輪転機を発明
1863年アメリカの製紙業者が木材パルプの使用を始める
1867年イギリスの砕木機がパリ万国博覧会で展示される
1867年マサチューセッツ州のストックブリッジで合衆国初の製紙用の木材パルプが作られる
1867年タイプライターの発明
1872年アメリカ合衆国がイギリスとドイツを抜いて世界最大の紙の生産国になる
1874年東京の有恒社が機械漉き紙の製造を開始.大阪,京都,神戸の六社があとに続く
1890年合衆国の国勢調査にパンチカード式の集計機が使用される
1899年スウェーデンの探検家スヴェン・ヘディンが,古代都市,楼蘭の遺跡発掘作業中,紀元前252年の紙を発.紙の歴史を完全に塗り変える
1931年ヴァネヴァー・ブッシュがアナログ・コンピュータを開発
1945年ジョン・フォン・ノイマンが電子メモリをプログラミングするための二進数の採用を論文で発表
1947年トランジスタがベル研究所で発明される
1951年レミントン・ランドが,記憶装置と出力装置に磁気テープを登載したUNIVAC1を四十七台製造
1959年マイクロチップの特許出願


 ・ マーク・カーランスキー(著),川副 智子(訳)『紙の世界史 歴史に突き動かされた技術』 徳間書店,2016年.

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2017-04-19 Wed

#2914. 「日本語は畸型的な言語である」 [grammatology][japanese][kanji][writing][medium][history_of_linguistics]

 昨日の記事「#2913. 漢字は Chinese character ではなく Chinese spelling と呼ぶべき?」 ([2017-04-18-1]) で取り上げた高島の漢字論,そして日本語論はぶっきらぼうな刺激に満ちている.おもしろい.日本語は,文字との付き合い方に注目すれば,すこぶる畸型の言語である,と高島 (243) は明言する.念頭にあるのは「高層」「構想」「抗争」「後送」「広壮」などの同音漢語のことである.

 日本の言語学者はよく,日本語はなんら特殊な言語ではない,ごくありふれた言語である,日本語に似た言語は地球上にいくらもある,と言う.しかしそれは,名詞の単数複数の別をしめさないとか,賓語のあとに動詞が位置するとかいった,語法上のことがらである.かれらは西洋で生まれた言語学の方法で日本語を分析するから,当然文字には着目しない.言語学が着目するのは,音韻と語法と意味である.
 しかし,音声が無力であるためにことばが文字のうらづけをまたなければ意味を持ち得ない,という点に着目すれば,日本語は,世界でおそらくただ一つの,きわめて特殊な言語である.
 音声が意味をにない得ない,というのは,もちろん,言語として健全な姿ではない.日本語は畸型的な言語である,と言わざるを得ない.


 では,日本語のこの問題を解決することができるのか.高島は「否」と答える.畸型のまま成長してしまったので,健全な姿には戻れない,と.「日本語は,畸型のまま生きてゆくよりほか生存の方法はない」 (p. 236) と考えている.
 この悲観論な日本語論について賛否両論,様々に議論することができそうだが,私がおもしろく感じたのは,西洋由来の音声ベースの言語学から見ると,日本語は何ら特別なところのない普通の言語だが,音声と文字との関係をかりそめにも考慮する言語学から見ると,日本語は畸型の言語である,という論法だ.高島は日本語の畸型性を力説しているわけだから,音声と文字との関係をかりそめにも考慮する言語学のほうに肩入れしていることになる.つまり,音声を最重要とみなす主流の近代言語学から逸脱しつつ,音声と比して劣らない文字の価値を信じている,とも読める.
 文字は音声と強く結びついてはいるが,本質的に独立したメディアである.言語学は,そろそろ音声も文字も同じように重視する方向へ舵を切る必要があるのではないか.書き言葉の自立性については,以下の記事を参照.

 ・ 「#1829. 書き言葉テクストの3つの機能」 ([2014-04-30-1])
 ・ 「#2339. 書き言葉の自立性に関する Vachek の議論 (1)」 ([2015-09-22-1])
 ・ 「#2340. 書き言葉の自立性に関する Vachek の議論 (2)」 ([2015-09-23-1])
 ・ 「#2431. 書き言葉の自立性に関する Bolinger の議論」 ([2015-12-23-1])
 ・ 「#2508. 書き言葉の自立性に関する Samuels の議論」 ([2016-03-09-1])
 ・ 「#2819. 話し言葉中心主義から脱しつつある言語学」 ([2017-01-14-1])

 ・ 高島 俊男 『漢字と日本人』 文藝春秋社,2001年.

Referrer (Inside): [2017-04-24-1]

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