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writing - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2020-09-23 09:20

2016-04-05 Tue

#2535. 記号 (sign) の種類 --- 伝える手段による分類 [writing][medium][sign][semiotics][communication]

 昨日の記事「#2534. 記号 (sign) の種類 --- 目的による分類」 ([2016-04-04-1]) に続き,今日は村越 (15) より記号(サイン)の「伝える手段による分類」の図を示そう.

Classification of Signs by Medium

 情報の受け手視覚に訴えかけるサインの種類の多いことがわかるが,実にサインの86パーセントを占めるという.村越 (16--17) によると,

その理由は,視覚が光を媒体にしていることから第三者に届く情報が,他の感覚器官より格段に早い,ということなのです(光速は秒速約30万キロ)。/この早い「視覚で」に「聴覚で」という(秒速約300メートル)声とか音を加えると,情報のほとんどすべてが「受け手」に伝えられることになります。音の伝わる早さが光に次ぐことから,ある意図したことを第三者に伝えようとする「情報の送り手」は,その手段として「受け手」の視聴覚に訴えることになるのです。


 なお「視覚で」の「形」の「画像」を目的によってさらに下位分類すると,「美的表示」(抽象絵画,具象絵画,芸術写真,書)と「実用的表示」に分けられる.後者はさらに「対照即応的」なもの(写真,描写,地図,製図),「象徴的」なもの(シンボル,マーク,ピクトグラム,シグナル),「定性定量的」なもの(グラフ,ダイヤグラム,表)に区分されるという(村越,pp. 17--19).
 関連して,ヒトの感覚器官とコミュニケーション手段の関係についての考察は「#1063. 人間の言語はなぜ音声に依存しているのか (1)」 ([2012-03-25-1]),「#1064. 人間の言語はなぜ音声に依存しているのか (2)」 ([2012-03-26-1]) の記事も要参照.

 ・ 村越 愛策 『絵で表す言葉の世界』 交通新聞社,2014年.

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2016-04-04 Mon

#2534. 記号 (sign) の種類 --- 目的による分類 [writing][medium][grammatology][sign][semiotics][kotodama]

 記号 (sing) は様々に分類されるが,村越 (14) に記号の「目的による分類」の図が掲載されていたので,少し改変したものを以下に示したい.ここでは「サイン」というカタカナ表現を,記号を表す包括的な用語として用いている.

Classification of Signs by Purpose

 この目的別の分類によると,私たちが普段言葉を表す文字を用いているときには,「サイン」のうちの「しるし」のうちの「見分け」として用いていることになろうか.もちろん,文字は「署名」のうちの「記名」にも用いることができるし,「しるし」の他の目的にも利用できる.例えば,厳封の「緘」や「〆」は「証明」の目的を果たすし,護符に神仏の名を記すときには「象徴」となるし,それは言霊思想によれば「因果」ともとらえられる.
 付言しておけば,記号論では記号とは必ずしも人為的である必要はない.人間が何らかの手段で知覚することができさえれば,自然現象などであっても,それは記号となり,意味を持ちうるからである.
 参照した村越の著書は,ピクトグラムに関する本である.2020年の東京オリンピックに向けて日本で策定の進むピクトグラムについては,「#2244. ピクトグラムの可能性」 ([2015-06-19-1]),「#2400. ピクトグラムの可能性 (2)」 ([2015-11-22-1]),「#2420. 文字(もどき)における言語性と絵画性」 ([2015-12-12-1]) を参照されたい.

 ・ 村越 愛策 『絵で表す言葉の世界』 交通新聞社,2014年.

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2016-03-09 Wed

#2508. 書き言葉の自立性に関する Samuels の議論 [writing][medium][grammatology]

 「#2339. 書き言葉の自立性に関する Vachek の議論 (1)」 ([2015-09-22-1]) とそこに張ったリンク先の記事や「#2340. 書き言葉の自立性に関する Vachek の議論 (2)」 ([2015-09-23-1]),「#2431. 書き言葉の自立性に関する Bolinger の議論」 ([2015-12-23-1]) で扱ってきた話題である.Samuels も書き言葉の自立性という考え方を重要視しており,言語変化に関する古典的な著書で次のように述べている.

The substance of language, from a descriptive point of view, exists in two equally valid and autonomous shapes --- spoken and written. As a code, each exists in its own right, and there has been justifiable insistence, in recent decades, that graphetics and graphemics must in the first instance be studied separately before their relationship with phonetics and phonemics can be considered. This according of equal status to the written language is not to deny that it is ultimately derived from, and dependent on, the spoken language; but it is necessary, if only to disprove the naive speaker's notion that the written language is a mirror-image of what he speaks (or vice versa), or that it is based on contemporary spoken language, and not the spoken language of various periods in the past. (Samuels 4)


 Samuels (5) は書き言葉と話し言葉の相互関係について,次のようにも述べている.

Though there are many differences of convention, the two media both expound what is essentially 'the same language'; and although, for the purpose of describing them at a given point of time they must be kept separate, it may be that for studying their development over a period of time, the interactions between the two media are just as important as their developments as entities.


 書き言葉の自立性という問題については,私も最近の論文のなかで一部論じているので,堀田 (188--92) を参照されたい.

 ・ Samuels, M. L. Linguistic Evolution with Special Reference to English. London: CUP, 1972.
 ・ 堀田 隆一 「英語書記体系の非表音性――理論および歴史的発達――」『文法記述の諸相?U』中央大学人文科学研究所(編),2016年.183--216頁.

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2016-03-02 Wed

#2501. 粘土証票の文字発生説 (3) [grammatology][writing][archaeology]

 [2016-02-29-1], [2016-03-01-1]に引き続き,Schmandt-Besserat による,証票として粘土のコマこそが文字の前段階だったのではないかという仮説について考える.紀元前4千年紀の終わりに,粘土のコマと,それを入れる粘土の容器 (bulla) を組み合わせた会計処理システムが発達したと考えられている.その bulla の表面には,中に入っている3次元の粘土のコマの種類と数をそのまま2次元的に反映した記号が刻まれている.これは一体何を意味するのだろうか.
 当時の中東の織物取り引きの現場を想像してみよう.田舎の織物職人が,運搬業者を通じて,町の客へ織物を売ろうとしている.職人は,売りに出す織物とともに,その種類と数を記述する複数の粘土コマを封印した bulla を,運搬業者に持たせる.その際,職人は bulla の表面に本人証明の個人印も押しておく.町で待っている客は,運搬業者から商品の織物一式と bulla を受け取り,それが確かに当該の職人の手によって売られたものであることを印により確認するとともに,bulla を割って中のコマを数えることで,発送された織物の種類と数が合っているか,運搬途中で盗まれるなどしていないかを確認することができる.しかし,それほど疑わしくない場合には,わざわざ bulla を割って確かめる必要はなかったし,本人印を無傷で保存するためにはなるべく割らないほうがよい.そこで,後に,中に入っているコマの種類と数を2次元的に再現する方法,bulla の表面にコマを表わす記号を刻む方法が編み出された.そして,これこそが,物や数を表わす「文字」の発生だったのではないか,という.
 やがて,中空の粘土容器 bulla そのものは必要でなくなった.表面に文字を刻めさえすればよかったので,より単純な粘土板という形態に落ち着いた.だが,粘土板とはいっても,実際には完全に平たいわけではなく,凸型のものが普通である.これは,かつての卵形の容器を思わせるものであり,形態的な連続性があるのかもしれない.
 もしこの仮説を採用するならば,文字は意図的に発明されたのではなく,むしろ偶然に発明されたということになろう.3次元のコマを用いた行為をあくまで便宜のために2次元の印に置き換えただけであり,その行為が結果として書記という行為でもあったということである.

 ・ Schmandt-Besserat, Denise. "The Earliest Precursor of Writing." Scientific American 238 (1978): 50--59.

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2016-03-01 Tue

#2500. 粘土証票の文字発生説 (2) [grammatology][writing][archaeology]

 昨日の記事 ([2016-02-29-1]) で紹介した標記の説は Schmandt-Besserat が初めて唱えたものである.彼女の1978年の論文の要旨を記したい.
 従来,文字の起源と発展については,絵文字 (pictogram) から始まり,より抽象度の高い文字記号へと進んだということが前提とされていた.それ自体は誤りではないかもしれないが,ドイツ考古学チームが1929年に Uruk で発掘した大量の粘土板の文書には,史上最古級の文字とされながらも,すでに抽象度の高い記号文字が用いられていた.このことは,さらに遡った時代に文字が存在していたことを強く示唆し,文字の発生についての新たな洞察を促すことになった.Schmandt-Besserat (50) 曰く,

The fact that the Uruk texts contradict the hypothesis that the earliest form of writing would be pictographic has inclined many epigraphers to the view that the tablets, even though they bear the earliest-known writing, must represent a stage in the evolution of the art that is already advanced. The pictographic hypothesis has been revived anew. The fact that no writing of this kind has yet appeared at sites of the fourth millennium B.C. and even earlier is explained away by postulating that the writing of earlier millenniums was recorded exclusively on perishable mediums that vanished long ago, such as parchment, papyrus or wood.


 さて,Schmandt-Besserat は,中東各地の遺跡の発掘を通じて,粘土のコマや粘土でできた卵形の中空の容器 (bulla) の存在に関心を抱いていた.これについては,すでに1958年に A. Leo Oppenheim という学者により,2重の記録体系のための道具ではないかという説が唱えられていた.Oppenheim の見つけたある bulla には,表面に48個の動物を表わす記号が刻まれており,容器のなかでカラカラと音がしたので割ってみると,それぞれの動物をかたどったコマがぴったり48個入っていたのである.これらはおそらく交易上の記録に用いられたのではないかと推測され,数字や文字の記号の前段階に相当するものと解釈された.これらの道具の年代は紀元前1500年ほどとされたが,後の発掘で類似のコマがもっとずっと古い層から発掘されたことから,人類の文字史(及びその前段階を含めた歴史)は数千年という規模で押し上げられることとなった.
 Schmandt-Besserat の調査では,このような粘土のコマが,紀元前9千年紀から紀元前2千年紀に及ぶ長い期間にわたって連続的に,広く中東全域から出土することを確かめ(ただし,bulla は紀元前4千年紀より前には現われない),この記録法がきわめて安定した体系として受け入れられ,実践されていたことを証明した.Schmandt-Besserat (56--57) はまた,なぜ紀元前9千年ほどの時期にこの体系が生み出されたのかというタイミングの問題について,農業経済の出現という人間社会の大変化に起因するのではないかと考えている.

It cannot be a coincidence that the first tokens appear early in the Neolithic period, a time of profound change in human society. It was then that an earlier subsistence pattern, based on hunting and gathering, was transformed by the impact of plant and animal domestication and the development of a farming way of life. The new agricultural economy, although it undoubtedly increased the production of food, would have been accompanied by new problems. / Perhaps the most crucial would have been food storage. Some portion of each annual yield had to be allocated for the farm family's own subsistence and some portion had to be set aside as seed for the next year's crop. Still another portion could have been reserved for barter with those who were ready to provide exotic products and raw materials in exchange for foodstuffs. It seems possible that the need to keep track of such allocations and transactions was enough to stimulate development of a recording system. / . . . The Neolithic period and the succeeding Chalcolithic period, or Copper Age, in western Asia lasted about 5,000 years. Over this substantial span one finds surprisingly few changes in the tokens, a fact that may indicate how well suited to the needs of an early agricultural economy this recording system was.


 農業経済の出現により複雑な会計処理が必要となり,その解決法の1つとして粘土のコマの使用が考案され,後の文字の発生にも貢献したというシナリオだ.Schmandt-Besserat (59) の結論部を引用する.

To summarize, the earliest examples of writing in Mesopotamia may not, as many have assumed, be the result of pure invention. Instead they appear to be a novel application late in the fourth millennium B.C. of a recording system that was indigenous to western Asia from early Neolithic times onward. In this view the appearance of writing in Mesopotamia represents a logical step in the evolution of a system of record keeping that originated some 11,000 years ago.
   On this hypothesis the fact that the system was used without significant modification until late in the fourth millennium B.C. seems attributable to the comparatively simple record-keeping requirements of the preceding 5,000 years. With the rise of cities and the development of large-scale trade the system was pushed onto a new track. Images of the tokens soon supplanted the tokens themselves, and the evolution of symbolic objects into ideographs led to the rapid adoption of writing all across western Asia.


 ところで,残る問題は,粘土のコマと,それを入れ,その記号を表面に刻みつける容器としての bulla を組み合わせたものが,なぜ会計の道具となるのか,である.粘土証票のシステムについては,明日の記事で考える.

 ・ Schmandt-Besserat, Denise. "The Earliest Precursor of Writing." Scientific American 238 (1978): 50--59.

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2016-02-29 Mon

#2499. 粘土証票の文字発生説 (1) [grammatology][writing][archaeology][map]

 文字の発生に関する仮説はいくつかあるが,現存する最古の文字を提供しているメソポタミアの地から出土した一群の粘土形が,文字の起源ではないかという説がある.メソポタミア文明の黎明期における「証票」の役割を果たしたとおぼしき粘土のコマこそが文字の元祖ではないかという.『文字の世界史』を著わしたカルヴェ (41--42) も,この仮説を受け入れているようである.

 全第4千年紀(前3000年代),メソポタミア(ギリシア語で mesos 「真ん中に」,potamos 「川」)という命名のもととなった二つの川,チグリス川とユーフラテス川とにはさまれた輝かしい文化,シュメール文化が登場する.この文化が世界に画期的発明を残した.現代のわれわれもその影響を受けている文字の発明である.文字の出現は少なくとも性質の大変異なる二つの因子に結びつけられる.第一は都会的因子,第二は,経理上の因子である.ともかくも通信体系(コード)があるということは,その通信体系を共有するグループや共同体の存在と結び付くし,また通信体系によって満たされる諸機能の存在ともつながる.この文字を生み出した共同体は,正確にいうと,1928年以降に発掘され史跡となっているユーフラテス川の左岸の低地メソポタミアに位置するウルク(今日ではワルカ)という名の町のシュメール語を話す住民たちであった.この文字の機能は,その原始の形態,つまり掘り出されたまたは時折土中のすき間に閉じ込められているおびただしい「証票」,〔中略〕様々大きさの円錐,ボール玉,飴玉,から答えが引き出されよう.これらの証票は例えば約束の際の保証の意味を表わすしるしといった用いられ方をしていた.ある頭数の羊を引き渡すのに合意した場合,その頭数に相当する数の証票,もしくはその頭数を形で象徴的に表わす複数の証票を,粘土の球体に埋め込んだのである.
 それからこの粘土玉を包む袋自体に内容について記載することを思いついたようだが,それが埋められた粘土玉の数を数えてみれば分かることを記載したということで,無駄なことをしたとはおそらく理解しなかったようだ.文字の根源はこうしてできあがった.つまり集団(例えば群れの羊の数)に相当する証票の数をそろえる代わりに,この数をシンボライズして記したということである.


 この粘土証票の文字発生説は,考古学者 Schmandt-Besserat が初めて唱えたものであり,文字の起源に関する従来の議論に一石を投じたものとして,現在でもきわめて重要な論文となっている.これについては,明日の記事で取り上げる.
 以下に,メソポタミアを中心とする古代中東の地図を Comrie et al. (164) より再現しておこう.

Map of the Near East

 ・ ルイ=ジャン・カルヴェ 著,矢島 文夫 監訳,会津 洋・前島 和也 訳 『文字の世界史』 河出書房,1998年.
 ・ Schmandt-Besserat, Denise. "The Earliest Precursor of Writing." Scientific American 238 (1978): 50--59.
 ・ Comrie, Bernard, Stephen Matthews, and Maria Polinsky, eds. The Atlas of Languages. Rev. ed. New York: Facts on File, 2003.

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2016-02-25 Thu

#2495. 印刷術が中国で発明された文字論的背景 [history][writing][grammatology][kanji][printing]

 紙とともに印刷術が中国で発明されたことは,単なる歴史の偶然だったろうか.技術上の革新として,背景には種々の要因,すなわちある種の必然性があるには違いないが,それらの要因が特定の場所,特定の時代に発現したということはおよそ偶然と考えられそうだ.しかし,矢島 (142) は「印刷術と文字」 (pp. 129--47) のなかで,意義ある要因の1つとして漢字のもつ文字論的な特性があるのではないかと述べている.その妥当性については慎重に検討する余地があるが,矢島の議論がおもしろいので,以下に再現してみる.

単音節を表わす切り離された文字記号から成る中国文字こそ,活字という考えと最も結びつき易いものであったろうし,また古代からあった印章や拓本をとるための石碑などから,活字印刷は自然に思いつかれたのではなかろうかとも考えられる。〔中略〕複雑な画をもつ文字であるからこそ,簡を求めて印刷に頼るという考えが生ずるのではあるまいかということと,アルファベット文字は当初は石面や陶片上に刻むためにばらばらの文字記号として使われていたのに対して,パピルス・皮・紙などに書かれるようになると,つづけ字や連字が生じていたということが考えられる〔後略〕。


 これは,漢字の活字は多くの種類が必要なために,活字を作るのも,それを配置するのも手間がかかる,したがって,印刷には適さないのではないか,という議論を逆手にとった反論である.準備は大変だが,いったん準備が済んでしまえば,むしろ繰り返し使えることのメリットは計り知れないともいえる.木版印刷にしても,事情は異ならない.
 このように考えると,漢字と印刷の相性は,一般に言われているよりも良いものかもしれない.矢島 (187) は,別の文章「文字の美学」 (pp. 165--87) のなかで,印鑑が個人特定の手段に用いられてきた日本の印鑑文化に触れつつ,そのような用途での印字・印刷を,美的な鑑賞対象としての書画に対置させる斬新な見方を提示している.印鑑文化については,「#2408. エジプト聖刻文字にみられる字形の変異と字体の不変化」 ([2015-11-30-1]),「#2412. 文字の魔力,印の魔力」 ([2015-12-04-1]) も参照されたい.

 ・ 矢島 文夫 『文字学のたのしみ』 大修館,1977年.

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2016-02-24 Wed

#2494. 漢字とオリエント文字のつながりはあるか? [writing][grammatology][contact][origin_of_language]

 文字の歴史に関する各記事で示唆したように,現代の多くの文字論者は,漢字とオリエント文字(エジプト聖刻文字,楔形文字,アルファベット)の間に直接のつながりはないとみている (cf. 「#1822. 文字の系統」 ([2014-04-23-1]),「#1853. 文字の系統 (2)」 ([2014-05-24-1]),「#2398. 文字の系統 (3)」 ([2015-11-20-1])) .言語の発生についてはいまだ諸説紛々としているが,文字の起源については多元発生説 (polygenesis) が前提とされているといってよい.しかし,これは漢字とオリエント文字が「間接的に」関係する可能性までを排除しているものではないと解釈することもできる.このように希釈された関係ということでいえば,両者の接点を探ろうとする論者はいまでも少なからずいるかもしれない.実際,矢島 (58--59) は「漢字とオリエント文字」と題する章 (49--62) で,この議論に乗り気である.

筆者としては人類文化史のある時期に,文字への意志という何らかの知的努力が互いに多少の関連性のもとに現われたであろうという考えを否定するつもりはない.こうした考えは現代の文字学者I・J・ゲルプによって表明されているものである.〔中略〕ゲルプは,中国文字の創出には,「文化接触に基づく刺激 (stimulus)」があったのではないかと考える.つまり文字そのものというよりももっと高い次元での伝播があったのであろうとする.ゲルプはこれは人類学者A・L・クローバー (Kroeber) の「刺激伝播 (Stimulus Diffusion)」という考え方にあたるものであり,彼自身の考えも間接ながらクローバーの考えに負っていることを認めている./筆者としては,もし中国文字とオリエント系文字に何らかのつながりがるとすれば,他の文化のうちにつながりのあるものを発見できるであろうし,また逆に他の文化のうちにつながりが確認できれば,文字の点でのつながりもありうることとして検証に値いすることと考える.


 「文字への意志」という表現が印象的である.時間に幅はあるが,紀元前四千年紀から二千年紀にかけて,洋の東西に共通して(おそらく連絡して)「文字への意志」が芽生えていたというのは,ロマンチックな響きはあるが,にべもなく破棄すべき仮説ではないように思われる.
 では,文字への意志とは何か.それは,文字を編みだし,使ってみるべき必要性に駆られたということだろう.世界各地で文明が芽生え,栄えたおよそ同じ時期に,同じ政治的,経済的,技術的な状況下において,類似した要求が生じたとしてもまったく不思議はない.諸文明の互いの交流のなかで文字の発明につながるインスピレーションが生まれ育ったということは,十分にあり得る.

 ・ 矢島 文夫 『文字学のたのしみ』 大修館,1977年.

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2016-02-19 Fri

#2489. オガム文字 [ogham][runic][alphabet][writing][grammatology][direction_of_writing][celtic][irish][pidtish]

 オガム文字 (ogham) は,アイルランド全域,ウェールズ,コーンウォール,マン島,そしてスコットランドの一部で4世紀以降中世に至るまで用いられた20文字からなるアルファベット文字体系の1種である.エトルリア文字(あるいはローマン・アルファベット)がガリア人の手を経由してこの地のケルト語話者に伝わって変形したものらしい.アイルランドへキリスト教が伝播し,独自のケルト・キリスト教が発達するあいだにも用い続けられた.系統的にはルーン文字 (runic) とも何らかの関係があるといわれている(「#1849. アルファベットの系統図」 ([2014-05-20-1]) などを参照されたい).オガム文字という名前は,ルーン文字を作ったといわれるゲルマン神オーディン (Odin) に相当するアイルランド神オグマ (Ogma) に由来し,この詩と雄弁の神こそが考案者であると伝承されている.オガム文字で書き表されている言語はケルト語のほかピクト語 (Pictish) もあるようだが,現在知られている375点以上の碑銘のうち300点ほどはアイルランドの地で見つかっている.
 オガム文字の字形は石(そして現存していないがおそらく木材)の角に刻みつけられた単純な幾何学的な斜線や点である.短い文章を刻むにも書写材料に長さが必要となるため,長文は書かれていない.字形の単純さは著しく,矢島はこの文字を「地球上でこれまで使われてきた文字のなかで,もっとも奇妙なもの」 (207) と評し,「この文字は,近代になってつくられたモールス信号とか,ある種の暗号の先駆者だったといってもよいように思われる」 (209) と述べている (cf. 「#1805. Morse code」 ([2014-04-06-1])) .
 オガム文字の書字方向については縦に横に様々あるが,Encylopædia Britannica 1997 では "In many cases the ogham inscriptions run upward." とも言及されており,「#2483. 書字方向 (4)」 ([2016-02-13-1]) の話題と関連して興味深い.
 Comrie et al. (188) より,字形のサンプルを示そう.

Ogham in Comrie et al.

 Comrie et al. (189) には,オガム文字の起源論について以下のように説明があった.

The origin of the script is uncertain. Some scholars have speculated that Ogham is based upon a secret finger-language of the Druidic priests, citing a medieval Irish manuscript in which such a finger-code is described. It has also been proposed that the script developed under the influence of the Latin or Greek alphabets and the Germanic runes .


 ほかにオガム文字のサンプルや説明は,Omniglot: Writing Systems & Language of the World より Ogham alphabet にも詳しいので要参照.

 ・ 矢島 文夫 『解読 古代文字』 筑摩書房,1999.
 ・ Comrie, Bernard, Stephen Matthews, and Maria Polinsky, eds. The Atlas of Languages. Rev. ed. New York: Facts on File, 2003.

Referrer (Inside): [2019-08-13-1]

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2016-02-16 Tue

#2486. 文字解読の歴史 [review][toc][writing][medium][history_of_linguistics][grammatology]

 「#2427. 未解読文字」 ([2015-12-19-1]) の記事で触れたように,未解読文字の解読にはロマンがある.解読成功者の解読プロセスを紹介する書は一級のミステリー小説といってよく,実際に数多く出版されている.多くの文字体系を扱っており読みやすいという点では,矢島(著)がおすすめである.その目次を挙げると,雰囲気をつかめるだろう.

 ・ ロゼッタ石を読む
 ・ 古代ペルシアの楔形文字
 ・ ベヒストゥン岩壁の刻文
 ・ 楔形文字で書かれた「ノアの方舟」
 ・ シュメール文明の再発見
 ・ 古代の大帝国ヒッタイトの文字
 ・ シナイ文字とアルファベットの起源
 ・ エトルリア語の謎
 ・ 東地中海の古代文字
 ・ クレタ=ミケーネ文字の発見
 ・ 線文字Bと建築家ヴェントリス
 ・ シベリアで見つかった古代トルコ文字
 ・ 甲骨文字と殷文明
 ・ カラホト遺跡の西夏文字
 ・ 古代インディオの諸文字
 ・ インダス文字とイースター文字
 ・ ファイストスの円盤と線文字A
 ・ ルーン文字とオガム文字
 ・ 梵字の起源とパスパ文字
 ・ 最古の文字はどこまでたどれるか
 ・ 古代文字はいかに解読されるか

 矢島 (234) は,最終章「古代文字はいかに解読されるか」で,現在までの世界の文字解読の歴史を4段階に分けている.

 (1) 手さぐりの時代(一八世紀以前)
 (2) ロマン主義の時代(一九世紀)
 (3) 宝さがしの時代(二〇世紀前半)
 (4) 科学的探究の時代(二〇世紀後半)


 よく特徴をとらえた時代区分である.文字解読がロマンを誘うのは,それが否応なく異国情緒と重なるからだろうが,(2) の「ロマン主義の時代」の背景には,「ヨーロッパ大国の東方への視線,端的にいえば植民地主義競争」 (239) があったことは疑いない.Jean-François Champollion (1790--1832) のロゼッタ石 (Rosetta stone) の解読には仏英の争いが関わっているし,楔形文字解読に貢献した Sir Henry Creswicke Rawlinson (1810--95) も大英帝国の花形軍人だった.
 (3) の時代は,世界的に考古学的な大発見が相次いだことと関係する.クレタ島,ヒッタイト,バビロニア,エジプト,中央アジア,西夏,殷墟の発掘により,続々と新しい文字が発見されては解読の試みに付されていった.
 現代に続く (4) の時代は,前の時代のように個人の学者が我一番と解読に挑むというよりは,研究者集団が,統計技術やコンピュータを駆使して暗号を解くかのようにして未解読文字に向かう時代である.言語学,統計学,暗号解読の手法を用いながら調査・研究を進めていく世の中になった.もはや文字解読の「ロマン主義」の時代とは言えずとも,依然としてロマンそのものは残っているのである.

 ・ 矢島 文夫 『解読 古代文字』 筑摩書房,1999.

Referrer (Inside): [2018-11-26-1] [2016-09-16-1]

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2016-02-15 Mon

#2485. 文字と宗教 [writing][alphabet][religion][history][geolinguistics][geography][sociolinguistics][greek][christianity][bible]

 言語・文字と宗教の関係については,本ブログの様々な箇所で触れてきた (例えば「#296. 外来宗教が英語と日本語に与えた言語的影響」 ([2010-02-17-1]),「#753. なぜ宗教の言語は古めかしいか」 ([2011-05-20-1]),「#1455. gematria」 ([2013-04-21-1]),「#1545. "lexical cleansing"」 ([2013-07-20-1]),「#1546. 言語の分布と宗教の分布」 ([2013-07-21-1]),「#1636. Serbian, Croatian, Bosnian」 ([2013-10-19-1]),「#1869. 日本語における仏教語彙」 ([2014-06-09-1]),「#2408. エジプト聖刻文字にみられる字形の変異と字体の不変化」 ([2015-11-30-1]),「#2417. 文字の保守性と秘匿性」 ([2015-12-09-1]) などを参照) .
 宗教にとって,文字には大きく2つの役割があるのではないか.1つは,聖典を固定化し,その威信を保持する役割,もう1つは,宗教を周辺の集団へ伝道する媒介としての役割である.前者が本質的に文字の保守性を強化する方向に働くのに対して,後者においては文字は必要に応じて変容することもある.実際,イスラム教では,イスラム地域でのアラビア文字の威信が高く保たれていることから,文字の前者の役割が優勢である.しかし,キリスト教では,むしろ伝道する先々で,新たな文字体系が生み出されるという歴史が繰り返されてきており,文字の後者の役割が強い.この対比を指摘したのは,「文字と宗教」 (103--27) と題する文章を著わした文字学者の矢島である.関連する部分を3箇所抜き出そう.

 人間が文字を発明した直接の動機は――少なくともオリエントにおいては――経済活動と関係のある「記録」のためであったように思われるが,宗教との結び付きもかなり大きな部分を占めているような気がする。オリエントでは上記の「記録」の多くは神殿で神官が管理するものであったし,中国の初期の文字(甲骨文字類)は神命を占うという,広義の宗教活動と切り離せなかったからである。(p. 105)

キリスト教の思想は民族のわくを越えたものであり,その教えは広く述べ伝えられるべきものであった。その中心的文書である『新約聖書』(ヘー・カイネー・ディアテーケー)さえ,イエス・キリストが話したと思われる西アラム語ではなくて,より国際性の強い平易なギリシア語(コイネー)で記された。しかしキリスト教徒は必ずしもギリシア語聖書を読むことを強制されることはない。キリスト教の普及に熱心な伝道者たちが,次々と聖書(この場合『新約聖書』であるが今日では外典とか偽典と呼ばれる文書を含むこともある)を翻訳してくれているからである。その熱心さは,文字がないところに文字を創り出すほどであり,こうして現われ出た文字の代表的なものとしてはコプト文字,ゴート文字,スラヴ文字,そしてカフカスのアルメニア文字,グルジア文字がある。 (pp. 110--11)

『コーラン』はイスラム教徒にとってアッラーの言葉そのものであるが,これがアラビア語で表わされたことから,アラビア語はいわば神聖な言語と考えられ,イスラム教徒にはアラビア語の学習が課せられることになった。こうしてイスラム教徒アラビア語は切っても切れないつながりをもつことになり,さらにはアラビア文字の伝播と普及が始まった。キリスト教が『聖書』の翻訳を積極的に行ない,各地の民族語に訳すためには文字の創造をも行なったのに対して,イスラム教は『コーラン』の翻訳を禁じ(イスラム圏では近年に至るまで公けには翻訳ができなかったが,今はトルコ語訳をはじめいくつか現われている),アラビア語による『コーラン』の学習を各地のマドラサ(モスク付属のコーラン学校)で行なって来た。そのために,アラビア語圏の周辺ではアラビア文字が用いられることになった。今日のイラン(ペルシア語),アフガニスタン(パシュトゥ語など),パキスタン(ウルドゥー語など)などのほか,かつてのトルコやトルキスタン(オスマン・トルコ語など),東部アフリカ(スワヒリゴなど),インドネシア(旧インドネシア語,マライ語など)がそれである。 (pp. 124--25)


 このように,文字の相反する2つの性質という観点からは,キリスト教とイスラム教の対比は著しくみえる.一見すると,キリスト教は開放的,イスラム教は閉鎖的という対立的な図式が描けそうである.しかし,わかりやすい対比であるだけに,注意しなければならない点もある.西洋史を参照すれば,キリスト教でも聖書翻訳にまつわる血なまぐさい歴史は多く記録されてきたし,イスラム教でも少なからぬ地域でアラビア語離れは実際に生じてきた.
 言語と同様に,文字には保守性と革新性が本質的に備わっている.使い手が文字のいずれの性質を,いかなる目的で利用するかに応じて,文字の役割も変異する,ということではないだろうか.

 ・ 矢島 文夫 『文字学のたのしみ』 大修館,1977年.

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2016-02-13 Sat

#2483. 書字方向 (4) [writing][grammatology][medium][direction_of_writing][linearity]

 [2016-01-09-1], [2016-01-10-1], [2016-02-12-1] と書字方向の問題を扱ってきたが,「#2448. 書字方向 (1)」 ([2016-01-09-1]) で,異例中の異例として下から上への書字方向の例に言及した.これについて,昨日も引用した矢島 (199--200) が,もう1つの興味深い例と合わせて解説しているので,全体を引用しよう.

 本文で書字方向として縦書き(上から下),横書き(左書きおよび右書き),それに特殊な例として渦巻き方向があることを述べたが,まさか下から上という縦書き方式があろう思っていなかったところ,そのような例を二つ発見したので,ここにつけ加えることにした。
 その一つはいわゆる古代トルコ文字に関するもので,その解読のプロセスはドーブルホーファー著『失われた文字の解読』III(山本書店)七五〜一〇九ページに詳しい。ここにはトムセンによる天才的な解読の出発点である,この文字体系の書字方向(右書き)の発見は述べられているが,実際にはこれが下から上へ刻まれている例があることは書かれていなかった。このことを知ったのは藤枝晃氏の『文字の文化史』(岩波書店)中の次の記述によってだった。
 「十九世紀の末にロシアのトルコ語学者ラードロフが外蒙古を探検して この文字の石碑をいくつか発見したが 誰も読むことはできなかった。その内の最大の石碑は宰相キュル・テギンの墓碑で,片側に漢文,その裏にこの文字の文が刻ってあった。ラードロフの報告書を見て,デンマークの言語学者V・トムゼンが最初にこれを解読した。そこで判ったことは,この文字は右横書きなのだが,漢字と調子をそろえるために,右端から縦向きに刻ってあるので,一々の行は右の下端から上に向かって読まねばならない」(同書二〇二ページ)。
 横書きを縦書きに合わせるのならば,左上から下に(つまり字形を逆にして)書いてもよさそうなものだが,そしてじじつ有名な『大秦景教流行中国碑』(八世紀末頃)のシリア文字は上から下への縦書きに書かれているが,ここでの下から上へというのは奇妙な書き方をしたものである。
 ところが,もう一つ,ごくふつうに下から上へ文字を書いている例が見つかった。北アフリカのベルベル人の一部が用いているティフナグ文字がそれで,古代のヌミディア文字の系譜を受けついでいる(この文字については筆者の「アフリカの文字――セム文明の投影」(月刊・「言語」別冊『アフリカの文化と言語』所収,大修館刊,を参照されたい)。この文字が今日でも僅かながら使われていることは,森本哲郎著『タッシリ・ナジェール――遺跡との対話・2』(平凡社カラー新書)中にも書かれているが,このなかに岩壁に書かれたこの文字の写真が含まれている。これらを眺め,また他の文献をあたっているうちに,これらが下から上へ書かれていることに気づいたが,これは書き手が下方から,手のとどくだけ上方に書き,次にまた下方から書くことを示している。書き手によって身長は違うから,出発点を下端にしているわけで,半遊牧民のベルベル人の生活風景を連想させ,興味深い例であると言わねばならない。


 下から上への書字方向が実用的に確立している例は,まずなさそうだが,上記の古代トルコ文字やティフナグ文字のような特殊な状況での事例はあるということになる.もしかすると曼荼羅などにも見られそうだが,たとえあったとしても特殊事情には違いない.原則として,言語に時間軸に沿った線状性 (linearity) があるのと同様に,書字方向には重力に依存する上から下という方向性があるといえるのではないか.

 ・ 矢島 文夫 『文字学のたのしみ』 大修館,1977年.
 ・ 藤枝 晃 『文字の文化史』 岩波書店,1971年.1991年.

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2016-02-12 Fri

#2482. 書字方向 (3) [writing][grammatology][medium][alphabet][direction_of_writing][hieroglyph][hebrew][aramaic]

 「#2448. 書字方向 (1)」 ([2016-01-09-1]),「#2449. 書字方向 (2)」 ([2016-01-10-1]) に引き続いての話題.矢島(著)『文字学のたのしみ』の第11章「アルファベット文字体系と書字方向」 (pp. 189--200) を読んだ.今回はアルファベットに限定するが,その書字方向の変遷を簡単に追ってみたい.
 アルファベット文字体系の起源については,「#423. アルファベットの歴史」 ([2010-06-24-1]),「#490. アルファベットの起源は North Semitic よりも前に遡る?」 ([2010-08-30-1]),「#1822. 文字の系統」 ([2014-04-23-1]),「#1834. 文字史年表」 ([2014-05-05-1]),「#1849. アルファベットの系統図」 ([2014-05-20-1]),「#1853. 文字の系統 (2)」 ([2014-05-24-1]),「#2398. 文字の系統 (3)」 ([2015-11-20-1]) などで見てきたが,今なお謎が多い.しかし,エジプト聖刻文字 (hieroglyph) が直接・間接の刺激を与えたらしいことは多くの論者の間で一致している.
 エジプト聖刻文字の書字方向は,右書きあり,左書きあり,縦書きありと必ずしも一定していなかったが,普通には右書きが圧倒的に多かったことは事実である.左書きでは,右書きの際の文字が鏡写しのように左右逆転しており,対称性の美しさを狙ったものと考えられる.聖刻文字の右書きについて,矢島 (193) は「なぜ右書きが優勢であったかについては容易に答えられないが,一般的に言えば,右ききが多いこの世で,右手に持った筆記具で右から左へ記号をしるすことはきわめて自然な行為ではなかったかと思える.メソポタミアの楔形文字体系で左書きが行なわれたのは,はじめ縦書きだった書字方向が左に九十度回転した形で書かれるようになったためであり,はじめから左書きが生じたのではない」と述べている.ただし,人間の右利き優勢の事実は,左書きを支持する要因として持ち出す論者もいることから,どこまで説得力を持ちうるかはわからない.
 さて,このエジプト聖刻文字と後のアルファベットを結びつける鍵となるかもしれない文字体系として,ビブロス文字がある.これは音節文字であり,書字方向は右書きだった.一方,アルファベットの元祖の1つではないかと目される原シナイ文字は,縦書きか左書きが多い,ななめ書きなどもあり,全般として書字方向は一定していない.
 これらの後に続いたフェニキア文字では,エジプト聖刻文字やビブロス文字と同様に,右書きが実践された.これがギリシア人の手に渡り,そこで母音文字が付け加えられ,ギリシア文字が生じた.したがって,初期ギリシア語でも右書きが行われたが,その後どうやらヒッタイト象形文字に見られるような牛耕式 (boustrophedon) の段階を経て,左書きへ移行したらしい.この左右転換の契機について,矢島 (195--96) は次のように推測している.

フェニキア文字がギリシア語の表記のために借用された時期(前九世紀頃?)には,このギリシア文字の書字方向は多くは右書きであり,時にはブストロフェドンのような中間的な形式もあったが,その後の数世紀のあゆみのうちに左書きに定着した。その理由ははっきりしないが,フェニキア文字では母音を記さない方式であったから一単語の字数が少なく(平均三〜四文字),左右どちらから書いても判読にあまり困難がなかったと考えられるのに対し,ギリシア文字では母音を表記するようになった単語の字数がずっと増えているので,ブストロフェドン方式をやめて左書き方式になったと言えるのではなかろうか。


 ギリシア文字からアルファベットを受け取って改良したエトルリア人も,右書きを標準としながらも,例外的に牛耕式や左書きも見られることから,ギリシア人の混乱を受け継いだように思われる.さらに,ローマン・アルファベットでも多少の混乱が見られたが,紀元前5世紀以降は,ギリシアでもローマでも左書きが定着した.その後,ヨーロッパの種々の文字体系が,この書字方向を維持してきたことは周知の通りである.
 一方,フェニキア文字までの西セム系文字の「由緒正しい」右書きは,その後もヘブライ語,アラビア語,アラム=シリア語などへ継承され,現代に至る.アラム文字経由で中央アジアへ展開したウイグル文字,モンゴル文字,満州文字も,右書きの系統を受け継いだ.ただし,南や東方面へ展開したエチオピア文字,インド系諸文字,カフカス諸文字(アルメニア文字,グルジア文字)など多くは左書きで定着した.
 これまで触れてこなかった変わった書字方向として,「ファイストスの円盤」に認められる「渦巻き方向」もあることを触れておこう.この未解読の文字は,どうやら渦巻きの外から内へ読まれたらしい.具象詩などにも,渦巻き方向の例がありそうだ.ほかに,日本語の色紙や短冊のうえの「散らし書き」も例外的な書字方向といえるだろう.もっとも,このような妙な書字方向は,実用性というよりは美的効果を狙ったものと思われる.

 ・ 矢島 文夫 『文字学のたのしみ』 大修館,1977年.

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2016-01-26 Tue

#2465. 書写材料としての紙の歴史と特性 [writing][medium][history][timeline][map]

 書写材料の話題について,「#2456. 書写材料と書写道具 (1)」 ([2016-01-17-1]) と「#2457. 書写材料と書写道具 (2)」 ([2016-01-18-1]) で取り上げた.今回は,書写材料としての紙に注目したい.
 紙が人類の文化に甚大な影響を及ぼした偉大な発明であることは,衆目の一致するところである.紙の発明は,後漢書の記述に基づいた従来の見解によれば,元興元年(105年)に,蔡倫が麻のボロなどを用いて紙を作り,時の皇帝和帝に捧げたのが最初と言われてきたが,近年の発見と研究によれば,前漢の紀元前170年頃にはすでに紙が作られていた.それでも,蔡倫は,製紙技術の大成者としていまだ歴史に名前を残すには値するだろう.  *
 その後,紙は1世紀中に日本にもたらされたと考えられるが,日本における最初の製紙は,高句麗の僧曇徴により技術がもたらされた610年(推古18年)のことだと言われる.一方,製紙技術がシルクロードを経由してヨーロッパ世界へ伝わったのは,蔡倫より千年以上後の12世紀以降のことである.具体的には,1144年に,ムーア人の支配していたスペインのハチバで初めて紙が作られ,そこからフランス,オランダ,ドイツへと北上したほか,1274年には別途地中海経由でイタリアのファブリアノへ製紙法が伝えられた.  *
 小宮 (113) は「製紙産業における四大発明」として,(1) 105年,蔡倫による紙の発明(正確には上記の通り製紙技術の大成),(2) 1798年,フランス人ルイ・ロベールによる抄紙機の発明,(3) 1844年,ドイツ人ケラーによる木材パルプの発明,(4) 1807年,ドイツ人イリッヒによる内添えサイジングの発明,を挙げている.
 その使い勝手の良さから,書写材料としてだけではなく,包装材料(段ボール,包装紙など)や吸収材料(トイレットペーパーなど)としての用途もあり,その種類も古代から現在まで増え続けてきた.
 次に,紙のもっている性質に移ろう.小宮 (3) は以下の8点を挙げている.

 ・ 薄く,平ら,軽くて,適当な強さをもち,折ったり,曲げたり,接着したり,切るなどの加工がしやすい.
 ・ 水や液体を吸収するので,書いたり,印刷がしやすい.
 ・ 無害であり,燃やすことが出来る.
 ・ 土に埋めれば容易に分解してしまう.
 ・ 熱にたえる.
 ・ 他の材料に比べ値段が安い.
 ・ 原料が再生産可能な植物繊維である.
 ・ 使用した紙は再生紙として再利用しやすい.


 小宮 (3) は「人間の発明した素材でこれほど多くの特性をもったものは紙の他にない」と続け,紙のすぐれていることを指摘している.古来,書写材料は,粘土板,パピルス,石,骨,帛(絹布),木簡・竹簡,バイラーン(貝多羅葉;インド,タイ,ミャンマーのパルミラ椰子の葉),羊皮紙,タパとアマテ(無花果や楮の樹皮),通草紙(台湾の通脱木の随)など様々なものが用いられてきたが,それらと比べて,紙が様々なすぐれた性質を程よくもっていることは間違いない.紙は,この2千年間,書写材料の王者であると言ってよい.  *

 ・ 小宮 英俊 『紙の文化誌』 丸善,1992年.

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2016-01-18 Mon

#2457. 書写材料と書写道具 (2) [writing][history][medium]

 昨日の記事 ([2016-01-17-1]) に引き続き,標題のトピックを.
 書写材料と書写道具の問題について,ルネ・ポノによる『コミュニケーションと言語』から引用している文章(「銅と蝋と絹」という題名で矢島が和訳したもの)を,ジャン (148--50) に見つけた.以下,引用する.

銅と蝋と絹

何の上に?
 たとえば,パピルス(エジプト),亜麻布(エジプト),粘土板(メソポタミア),大理石(ギリシア),石(メソポタミア),銅(インド),羊の皮(死海沿岸),鹿の革(メキシコ),白樺の樹皮(インド),竜舌蘭(中央アメリカ),竹(ポリネシア),アガラック(沈香)の靱皮(インド),椰子の葉(インド),木(スカンディナビア),絹(中国,トルコ),象牙(オータン),蠟板(エジプト,西ヨーロッパ)…….
 何を使って?
 当然,どういう素材に書きつけるかによって,筆記具も異なってくる.葦ペン,筆(パピルスや動物の毛),鉄筆,へら,羽ペン…….
 素材と筆記具が変わると,各文字も変わる.たとえば,ここに二人の男がいて,文字の体系をつくりあげようとしているとする.その場合,パピルスに葦のペンで書いた男と,粘土板に鉄筆で書いた男とでは,文字もまったく異なったものになることは容易に推察できるだろう.
 それどころか,その二人が同じ手本を写した場合でさえ,結果は似ても似つかないものになるだろう.ある一定の時が経過すると,素材の性質に変化が起こり,筆記具の残した線もその影響を受ける.そうすると元の文字と筆写した文字はかけ離れたものになる.同一の人物が同一の写本を筆者した文字どうしでさえ,同じことが起こる.
 素材の種類は様々だ.ガラス,骨,鉛,羊皮紙,そしてもちろん紙.すべて,ある時期に重要な役割を果たした素材であることはまちがいない.それはなぜか.たしかに,記号の形態は初期の素材と筆記具によって決まることが多いが,その後の発展の過程もたいへん重要な要素だからだ.その中ですべてが見直されることもありうる.
 たとえば,紙が主流になったとき,あるいは羽ペンの持ち方が変わったとき,それは様式の変わり目ではあるが,新たな文字体系が出現したわけではない.しかし,慣れていない目にはまったく新しい文字に見えてしまうほど,書体が変化することもあるだろう.
 要するに,文字の側に立っていえば,どこからどこまでが素材にかかわる部分なのかはたいへん微妙な問題なのだ.その素材がまったく新たに発明されたものなのか,改良につぐ改良でまったく様変わりしたものなのか見極めることは難しい.
 輝かしい碑銘を残した民族は多い.しかし,現代まで残ったそれらの碑銘を見て,そのほかの書体が使われていなかったとは誰も言えない.碑銘に残された書体は,書記が普段使っていた書体を,たまたま石という素材に合わせて変化させたものなのではないか.そして日常的に使われていた書体は,朽ちやすい素材に書かれていたため,すべて失われたのではないかと考えることもできるからだ.
 文字についての考察は多々ある.しかし,「なぜ,ある言語と文字が跡形もなく消え去ったり,かろうじて小さな遺跡の中に残っているだけなのに,一方では,堅牢な素材に刻まれ,時と季節の繰り返しに耐え,現代まで手付かずのまま残っている言語と文字があるのか」と問うとき,新たに考案された素材であれ,改良された素材であれ,素材そのものについての知識を持つことは,必要かつ欠くべからざるものと言えるだろう.


 私はこれまで,書写材料や書写道具の変化や発展は,しばしば個々の字形,字体,書体の変化にはつながるかもしれないが,文字体系そのものの変化を引き起こすわけではないだろうと考えていた.しかし,上の議論にもあるように,非体系的な変化と体系的な変化の境目は,案外不明瞭なのかもしれないと思い直した.
 また,歴史言語学や考古学の観点からみた材料や道具の重要性は,それによって文字の現存可能性が半ば決まってくるという点にあるとの指摘は本質的であり,納得させられた.この点については,「#1834. 文字史年表」 ([2014-05-05-1]) と「#2389. 文字体系の起源と発達 (1)」([2015-11-11-1]) で引いたように,「文字が地上のどこに生まれたかなどと詮索するのはむなしいことである.ある社会が象徴的事物を描きつつ一連の物質的記号を残そうとし,媒体を選び,そこに表記する,こういった社会がある限り文字出現の地点はどこにもあるのである.いくつもの社会が原始的媒体(洞窟壁画)とか保存不能の媒体(粘土以外のもの)を選択したと思われる」という見解を思い起こさせる.
 現代の電子社会においても,書記言語(をデジタル化したデータ)の媒体が,フロッピーディスク,光磁気ディスク (MO),光ディスク (CD, DVD, BD) などへと変化してきた.媒体によって寿命年数が異なるという問題は,昔も今も変わっていないということだろう.

 ・ ジョルジュ・ジャン 著,矢島 文夫 監修,高橋 啓 訳 『文字の歴史』 創元社,1990年.

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2016-01-17 Sun

#2456. 書写材料と書写道具 (1) [writing][history][medium]

 書記言語とは,文字という視覚に訴えかける痕跡により,ことばを表すものである.そのためには,痕跡を残す材料と道具が必要となる.例えば,砂と指,石と鑿,紙とペン,ディスプレイとキーボードは,それぞれ書写材料と書写道具である.古今東西,書記言語のために様々な材料と道具が用いられてきた.阿辻 (40--42) を引用する.

 世界各地の古代文明で書写材料として使われたもののうち,よく知られているものには石や粘土板,木や竹を削った札(木簡・竹簡),それにパピルスなどがあり,他に特殊なものとして亀の甲羅や動物の骨,象牙,青銅器,あるいは蠟板(四角い木の枠内に蠟を流し固めたもの)などがあった.
 これらの最後に,紙が登場した.キリスト紀元前後に中国で発明された紙は,やがて長い年月をかけて世界中に伝播し,もっとも便利な書写材料として使われるようになった.紙はそれまでのあらゆる素材を淘汰し,世界を席巻した.近頃では紙に文字を書くかわりに,電子技術を使ってコンピュータにつながったブラウン管に文字を表示する方法がよく使われるようになった.しかしそれでも,大多数の人々が日常生活の中で接触する文字は,書籍や新聞・雑誌など紙の上に印刷されたものであり,現在もまだ基本的に紙の時代が続いているといえる.
 木簡や紙のような書写材料とは別に,これらの素材に文字を記録するために使われた道具も,古今東西まちまちであって,実にバラエティにとんでいる.たとえば現在の私たちの周囲を見まわしても,ペンやボールペン,鉛筆など日常的によく使われるおなじみのもののほかに,お習字の稽古や熨斗袋に文字を書く時には毛筆を使うし,看板にペンキで文字を書く時には刷毛を使う.最近ではとんと見かけなくなったが,かつての学校では試験問題の印刷などにガリ版がよく使われた.あれは鉄筆という尖った針状のペンで文字を書いていた.
 アルファベットで文章を綴る欧米では,タイプライターが文章表記での必需品であった.これはもともと日本人にはなじみの薄い道具だったが,しかし最近ではこれから発達したコンピュータのキーボードが,日本でもきわめて普遍的な文房具になりつつある.
 このコンピュータ(ないしはワープロ)を使っての文章表記をめぐっては,日本では賛否両論がいまだにかまびすしい.しかし欧米ではタイプライターを使って文章を書くのはきわめてありふれた行為であって,現在のワープロも,要するに伝統的なその方式にコンピュータによる編集機能を加えたものだといえる.文字を書く道具はこれまでにも各書写材料がもつ条件に合わせて次々と開発されてきており,コンピュータによる文章表記も,人類が太古の昔から繰り返してきた行為の一種にすぎないと考えるべきであろう.


 文字という痕跡を残す「書記」には,主として3種類が認められる.それは,(1) 刻みつける,(2) インクなど有色の液体を塗る,(3) コンピュータなどで画面上に映す,である.砂などに指で文字を記すというのは最も原始的な方法だったと思われるが,立体的にくぼみをつけるという点では「刻みつける」の仲間ととらえたい.ほかには,一般的ではないが,大文字焼,人文字,花火や飛行機雲による文字など,立体的な書記もある.(3) のような電子的な書記に関して,最近ではキーボードに限らずスマホやケータイの文字盤から入力するものも普及してきたし,マイクによる音声入力も可能となってきたので,これは新たな書写道具,あるいは書写方法と呼んでしかるべきだろう.
 いうまでもなく,これらの書写材料・道具は,人類の科学技術の発達とともに移り変わってきた.そのヴァリエーションの広さは,聴覚に訴えかける音声言語には比較するものがないのではないかと思われる.音声言語においては,機械的に合成した言語音の使用,人工喉頭の援用,口笛言語 ([2012-10-29-1]) のような "surrogate" などが考えられるが,ヴァリエーションは決して広くない.

(後記 2016/02/14(Sun):矢島 文夫 『文字学のたのしみ』 大修館,1977年.の「印刷術と文字」 (pp. 129--47) にて,矢島 (132) が「書く」とは別の動作として印章や後の印刷に連なる「押す」という動作について指摘している.)

 ・ 阿辻 哲次 『一語の辞典 文字』 三省堂,1998年.

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2016-01-15 Fri

#2454. 文字体系と表記体系 [grammatology][writing][japanese][orthography][terminology]

 「文字体系」「書記体系(書記法)」「表記体系(表記法)」という用語は,論者によって使い方が異なるが,私は以下のように考えたい.現代の日本語表記でいえば,そこでは平仮名,片仮名,漢字,ローマ字という独立した「文字体系」が区別される.それぞれの文字体系に関しては独自の「書記法」があり,例えば仮名では仮名遣いが,漢字では常用漢字の使用や熟字訓に関する規範がある.また,文字体系の使い分けや送り仮名の規則など,複数の文字体系の混用に関する標準的な決まりごとがあり,それは日本語の「表記体系」と呼びたい.
 この辺りの問題,特に「文字体系」と「表記法」という用語の問題について,河野・西田 (pp. 179--82) が対談している.以下は,西田の発言である.

 日本語の文字体系という問題に入りますけれども,まず,文字体系と表記法というのは別の問題だと思うのですね。表記法というのは,どういうふうに日本語を書き表わしているかということです。一方,文字体系というのは,たとえば仮名は仮名で一つの文字体系をもっている。漢字は漢字で一つの文字体系をなしている。ローマ字はローマ字で別の一つの文字体系をもってる。ですから,日本の場合だと,そういう文字体系を混用しているところに特徴があるわけですね。その混用していることをどう考えるかという問題だと思います。
 表記法の問題であれば,たとえば今の仮名遣いがそれでいいのか,どういうふうに改良したらいいのかという問題になってきて,これは面倒なことになりますから,あまり個人的な意見をいうのはちょっとむずかしいと思いますので,文字体系が混用されていることをどう考えるかという問題として取り上げたいと思います。
 そうすると,日本語の表記には少なくとも三つの文字体系を覚えなければいけない。三つというのは,漢字と仮名――片仮名・平仮名ですね――それからそれに付随してローマ字です。三つの文字体系を覚えなければいけないというのは,記憶に対して非常に負担になるということは一応あるわけですが,それを除いて,三つでも四つでも誰でも記憶できるのだということで考えた場合には,非常に便利ではないかと思うのですね。
 文字体系の混用といっても,どの場面にどの文字を使うかが,習慣的にかなりの程度に決まっている。たとえば漢語からきたものは漢字で書く。それから日本的な文法的要素は仮名で書く,欧米からきた借用語は片仮名で書く。そういう,だいたいの配分のようなものが決まっていて,その上で混用されているということになると思います。
 たとえば漢字がわからなければ仮名で書いておけばいいわけで,これは非常に便利なことだろうと思います。ほかの言語では,おそらくこのように混用している言語というのは非常に少ない,あるいはほとんどないのではないか。必ずしもそうとはいえないかもしれませんが,そのことはあとでまたちょっと触れたいと思います。
 文字の混用はどういう意味があるかといいますと,日本語を書くときに,漢字を使うか,仮名を使うかという選択があった場合に,どちらの文字を使えばより効果的かの一つの判断に立って使っているわけだと思います。漢字の中でも,どの漢字を使うか,たとえばヨロコブには「喜」を使うか,あるいは「慶」を使うか,はたまた「悦」を使うか,これは一つの判断によって決めているわけなんで,そういう文字の選び方は,その文字がもっている本来の価値と付加価値というんですか,その言葉を表記するためにいろいろな人が使っているうちに,自然に付加された価値によっている。それは単に言葉を表記している,意味を表記しているとか,発音を表記しているとか,そういうものだけじゃなくて,歴史の流れの中でそれにプラスされてきた別な価値が生きてくる。その付加価値をどう判断しているかということになると思うのですね。
 ですから,字形のもつ価値以外のものは,別に研究していく必要があると思います。
 また片仮名を挿入することがどういう意味をもつかということですね。付加価値についての調査はあまりされていないと思うのです。それから複数の文字体系の使用の問題ですが,例えば中国の場合,普通みな漢字だけを使っていると思うわけですけれども,実はそうじゃなくて,拼音文字といわれるローマ字表記が併用されている。もう少し遡った段階では,注音符号という文字が使われていた。ですから,必ずしも文字体系がすべて漢字だけであるとはいえないと思いますね。


 このように,とりわけ日本語の表記法の特徴は,ことばを書き記す際に,使用する文字体系やその混用の様式を,書き手がある程度主体的に決められるという点にある.
 関連して「#2391. 表記行動」 ([2015-11-13-1]),「#2392. 厳しい正書法の英語と緩い正書法の日本語」 ([2015-11-14-1]),「#2409. 漢字平仮名交じり文の自由さと複雑さ」 ([2015-12-01-1]) を参照されたい.

 ・ 河野 六郎・西田 龍雄 『文字贔屓』 三省堂,1995年.

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2016-01-13 Wed

#2452. 書き手の主体性が機械に乗っ取られる感覚 [writing]

 コンピュータを用いた文字の表記は,英語でも日本語でも,今では当たり前である.しかし,コンピュータが現在ほど普及する前には,我が国ではコンピュータによる日本語表記について,喧々囂々の議論がなされていた.その議論の一部はいまだ有効のように思われる.阿辻 (105--07) は,1998年当時,書き手の主体性という問題へ注意を喚起している.

文章とは自分で書くものであり,機械が書いてくれるものではない,という当たり前の事実だけは,絶対に忘れてはならない。日本語の表記に関して今もっとも要求されているのは,文字を書く人間の主体性の確立なのであって,そのためにも文章を書く人間の自覚の重要さを強調する必要がある。
 これからの二一世紀にむけて,日本語を平仮名や片仮名(あるいはローマ字書き)中心で書こうとする主張が唱えられることはおそらくありえない。現在すでに六三〇〇字あまりの漢字がコンピュータで処理でき,しかもこれからの日本の発展の中枢に,コンピュータが位置することは確実である。つまりこれからの漢字は,コンピュータの進化と離れては,みずからの存在を主張できないのである。
 もちろん二一世紀になっても,手で書かれた文字は頻繁に使われるだろうし,書道の作品も大量に制作されつづけるだろう。それらはおそらく人類の歴史と共に,永遠に存在しつづけるにちがいない。しかし少なくとも論文や研究報告,あるいはビジネス文書,それに書籍や雑誌などでの日本語は,執筆の段階でコンピュータとの付き合いを離れてはありえない。そしてもっとも大事な問題は,コンピュータが出してくる日本語をそのまま二一世紀の日本語とするのではなく,日本人自身が二一世紀の日本語を作っていかなければならない,ということなのである。
 そのためにはどうしたらいいのか。それは決して難しいことではない。単に,文章を書くのはほかでもなく私たち自身であり,コンピュータではないのだという,きわめて当然の事実を,各人がしっかりと自覚すればいいのだ。コンピュータが処理する日本語に関する種々の機能はまことに日進月歩であって,どんどん高機能化している。最近では文法的な解析ができると標榜するものまであって,「仮名漢字変換」という機能は,たしかに非常に便利なものである。しかしコンピュータが画面上に出してくる文章に対して,なんの吟味も検討も加えず,それに安易に引きずられてしまうと,人間ではなくコンピュータが書いた文章ができあがる。筆やペンを使って手書きで文章を書いていた時に,言葉を丁寧に一つずつ選んでいた状況が,機械を前にしてキーボードを使って書いても,同じように実現されなければならないのである。日本語に対する各人の感性が,今ほど重要視される時代はない。


 これは,「#2391. 表記行動」 ([2015-11-13-1]) で示した図で考えれば,「表記主体」たる書き手が「表記手段」たるコンピュータの上位にあるのが当然であり,前者が後者に従属することがあってはならないということである.現在,コンピュータによる仮名漢字変換や語法チェックなどの機能は実に便利であり,私たちも日々お世話になっていることは疑い得ないが,書き手はその利便性を享受しながらも,最終的には校正者であり編集者であり決定者であるという自覚をもっていなければならない,ということだ.
 英語をコンピュータで書くときも同様である.スペルチェックや文法チェックはありがたいが,ときに余計なお世話だと思うことはある.余計なお世話,との感覚がまるでなくなるとしたら,そのときこそ,書く主体としての人間がコンピュータに乗っ取られる瞬間だろう.

 ・ 阿辻 哲次 『一語の辞典 文字』 三省堂,1998年.

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2016-01-10 Sun

#2449. 書字方向 (2) [writing][grammatology][medium][typology][direction_of_writing]

 昨日の記事 ([2016-01-09-1]) に引き続いて,書字方向について.世界の主たる書字方向を整理すると,次のようになる.これは西田 (242) の図を参照したものであり,書字方向の各タイプについては私が便宜上適当な呼称をあてがった.

                   I. 横書き型                                          II. 縦書き型
                         │                                                   │
     ┌─────┬───┴───┬──────┐                   ┌────┴────┐
     │          │              │            │                   │                  │

    (a)          (b)            (c)            (d)                  (a)                 (b)
  左横書き     右横書き      右左横書き     左右横書き            右縦書き            左縦書き
                             (牛耕式)     (牛耕式)
                                                                 4  3  2  1          1  2  3  4
1 ───→    ←─── 1     ←─── 1    1 ───→            │ │ │ │         │ │ │ │
2 ───→    ←─── 2    2 ───→      ←─── 2           │ │ │ │         │ │ │ │
3 ───→    ←─── 3     ←─── 3    3 ───→            │ │ │ │         │ │ │ │
4 ───→    ←─── 4    4 ───→      ←─── 4           ↓ ↓ ↓ ↓         ↓ ↓ ↓ ↓

 以下,西田 (242) に従って,各々の型の代表的な文字を列挙する.

 ・ I(a) の左横書きは,英語をはじめとするローマン・アルファベット系の文字やインド系の文字(ナーガリー文字,チベット文字)が含まれる.
 ・ I(b) の右横書きは,シリア・アラビア系の文字(アラビア文字,ヘブライ文字,ソグド文字)や突厥文字に採用されている.
 ・ I(c) の右左横書き(牛耕式)には,紀元前2500年頃の未解読のインダス文字や初期のシリア・アラビア系文字などが属する.
 ・ I(d) の左右横書き(牛耕式)は,紀元前1500年頃のヒッタイト象形文字がこの統字法をもっていたと考えられている.
 ・ II(a) の右縦書きは,漢字系文字(漢字,西夏文字,女真文字)や日本語の文字において行なわれている.
 ・ II(b) の左縦書きは,ウイグル系文字(蒙古文字,満州文字)やパスパ文字が代表でなる.

 先の記事で触れたように,複数の型をとることが可能な文字は,古今東西,珍しい.エジプト聖刻文字は縦横両方が可能だったが,日本語は現行の I(a) と II(a) のほか,歴史的には I(b) や II(b) もあった,世界の文字のなかでは特異である.日本語の書字方向の歴史については,屋名池による新書がすこぶる有益であるので,お薦めしたい.

 ・ 西田 龍雄(編) 『言語学を学ぶ人のために』 世界思想社,1986年.
 ・ 屋名池 誠 『横書き登場―日本語表記の近代』 岩波書店〈岩波新書〉,2003年.

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2016-01-09 Sat

#2448. 書字方向 (1) [writing][grammatology][medium][japanese][direction_of_writing][hebrew]

 書字方向とは,文字を書き進めてゆく向きである.英語では,左から右へと横書きで書き進めて行き,行末に来たら下に行移りして,再び左から右へと書き進める(=左横書き).日本語は英語と同様に横書きもできるが,伝統的には縦書きであり,その場合には上から下へと文字を書き連ね,行移りは右から左へと展開する(=右縦書き).このように普段使い慣れている文字体系については,その書字方向がいかにも自然なもの,必然的なものに感じられるが,これらは伝統的な習慣にすぎない.特定の書字方向が直感されるほど普遍的でないことは,古今東西の様々な例をみれば分かる.
 横書きから見てみよう.現在でもアラビア語,ヘブライ語,シリア語などは右から左へと書字を進める右横書きを採用している.ヨーロッパでも,古くは初期ギリシア語や初期ラテン語の碑文などに見られるように,右横書きが行われていた.おもしろいのは牛耕式 (boustrophedon) と呼ばれる書字方向で,これはある行を右から左へ書いたら,次行は左から右へというように交互に逆方向に書き進める方式だった.牛耕式はエジプト聖刻文字,初期ギリシア語,古代小アジアの象形文字などに見られ,鳥などをかたどった象形文字の字形は,典型的に行の向きに応じて左右反転するという特徴があった.ギリシア語やラテン語における右横書きから左横書きへの転換の背景には,より古い段階の牛耕式において,いずれの方向も可能であったという事実が関係していたと思われる.
 次に,縦書きについて.縦書き文字の代表選手は,いうまでもなく漢字である.日本,韓国,モンゴル,ベトナムなど漢字に影響を受けた東アジアの文化圏でも,伝統的に縦書きの慣習が採用されてきた.殷墟から発見された漢字の祖型といえる3千数百年前の甲骨文字でも,すでに縦書きが採用されていたが,行移りに関しては,1枚の骨の上ですら,左方向と右方向の両者が確認される.なぜこのように異なる方向の行移りが行われていたのかは詳しく分かっていないが,阿辻 (34)によれば「ただ総じていえば,甲骨文字では骨や甲羅などの記録媒体の周辺部に書かれる文章は外側から内側に行が進み,逆に中心部に書かれる文章では行が内側から外側に進んでいく傾向があるようだ」.しかし,甲骨文字とほぼ同時代の金文では右縦書きが採用されており,これ以降,現在に至るまで漢字文献は右縦書きが基本となっている.この書字方向の定着について,阿辻 (36) は次のように解説している.

行が右から左に進むようになったのは,おそらく竹簡(ちっかん)や木簡(もっかん)のような幅の狭い素材に文字を書き,それを何本も並べて紐で綴じた原始的な書籍の形態に由来するのだろう。何枚もの札をならべて紐で綴じる場合,右利きの人間なら当然,最初の札が一番右端にくるように綴じるはずだ。木簡・竹簡からやがて紙の巻き物に変わっても,紙を右方向に繰り出すのだから,文字を書いた行も右から左に進むこととなった。


 とはいっても,漢字の影響を受けたウイグル文字,モンゴル文字,満州文字で,漢字とは逆の左縦書きが採用されている例があるし,屋名池 (49) によれば,幕末から明治にかけての左綴じ洋学書の序文や凡例では日本語でも左縦書きが実践された.
 縦書きについて,非常に珍しい事例として,下から上へ書かれる文字がある(阿辻,pp. 37--38).北アフリカで半遊牧生活を送るベルベル人の一部が用いるティフナグ文字というもので,今でも岩壁の碑文などにわずかに残っているという.書き手が下から上へ手を伸ばして刻んでいったものであり,届かない高さになると,行を変えて再び下から書き上げていくということらしい.書き手の背の高さまでおよそ計測できるのがおもしろい.上から下という方向性は重力の影響下に生きる人類にとってほぼ普遍的かと思われたが,それすらも反例があったということである.世界は広い.
 最後に,縦書きと横書きを併用できる日本語,中国語,ハングルなどは,古今東西,非常に珍しい文字体系であることに触れておきたい.ほかにもエジプト聖刻文字,梵字,彝文字では縦横両方の書字方向が可能だったが,現代世界で常用されているという点では,日本語のような書字方向の慣習は,きわめて珍しいと言わざるをえない.
 書字方向は,当然のことながら,時間軸に沿って1次元的にしか進み得ない線状性 (linearity) に縛られた口頭言語にとっては無縁の話題であり,空間上に展開される書記言語だからこそ論じられる問題である.書字方向は,文字論における「統字論」における重要なトピックであることを言い添えておきたい.関連して,「#1829. 書き言葉テクストの3つの機能」 ([2014-04-30-1]) の記事において触れた,エスカルピの指摘する書記言語の図像的機能も参照.

 ・ 阿辻 哲次 『一語の辞典 文字』 三省堂,1998年.
 ・ 屋名池 誠 『横書き登場―日本語表記の近代』 岩波書店〈岩波新書〉,2003年.

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